歌声喫茶

 
 「歌声喫茶」という喫茶店がある。
 ロシア民謡とか昔の小学唱歌のような歌を、店に居合わせたお客たちが一斉に合唱する喫茶店のことだ。

▼ 「歌声喫茶」 BSフジ『昭和は輝いていた』より

 
 そういう店が都内にもたくさんあるという話を聞いたのは、50年以上も前のことだ。
 1960年代中頃。
 中学生だった私の勉強の世話をしてくれた家庭教師が、そういう喫茶店のことを話してくれた。

 当時、私の家の近くに東大の駒場に通っている学生たちの寮があった。
 私の親がその寮の管理者に話を付けて来たのか、そこで暮らす東大生が、私の高校受験のための勉強を教えることになった。

 家庭教師は2人来た。
 1人は、「そろそろ就職活動に入る」といって2ヶ月ほどで辞めて行ったので、そのあとは、その後輩だという男が引き継いだ。

 2人とも、家に来るときは詰襟の黒い学ランを着ていた。
 「町田君、歌でも教えてあげようか」
 勉強の合間の休憩時間になると、2人とも、まるでそれが儀式でもあるかのように学ラン姿ですっくと立ち、背筋を伸ばして歌う体勢を取った。
 「どんな歌がいい?」
 
 「何でも」
 と、私は上目づかいに教師の目を見上げながら答える。
 すると、これまた2人とも判で押したように、同じような歌をうたった。

 「♪ カァーリンカ、カォーリンカ、カリンカマヤ … (カリンカ)」
 とか、
 「♪ リンゴの花ほころび、川面にかすみたち …(カチューシャ)」
 とかいう歌。

 そういう歌をどこかで聞いたことはあったが、目の前でまじまじと歌われるのははじめての経験だった。
 
 「今みたいな歌をうたえる喫茶店があってね。そこでは、はじめてやってきた人もみんな仲間同士になるんだ。今度連れていってやろうか」
 と、2人は同じようなことを言った。
 2人とも、きっとそういう店の常連だったのだろう。

▼ 「歌声喫茶」 BSフジ『昭和は輝いていた』より

 「町田君はロシア民謡は歌わないのかな?」
 と、最初に家庭教師になった男が尋ねてきたことがあった。
 そう聞かれても、自分の生活環境のなかに、あまりロシア民謡というものがなかった。

 「はい、あまり聞いたことがありません」
 と答えると、彼は、「町田君はブルジョワの歌しか知らないんだろうな」と、人を見下すような顔で私の顔を覗き込み、今度は、
 「♪ ああインターナショナァール、我れがもの。立て飢えたる者よ、いまぞ日は近しぃ ~」
 などと声を張り上げた。

 当時は、何の歌か分からなかったが、それは60年安保闘争などを戦ってきた学生運動家がデモなどで歌う革命歌だった。(それから10年経って、自分も学園闘争のデモの隊列で歌うことになるとは夢にも思わなかった)。

 その2人の家庭教師とのつきあいを通じて、私の頭のなかに、「歌声喫茶というのは左翼学生のたまり場なんだ」というイメージが定着した。

 それはまったくの誤解であったかもしれないが、身近に知り合った2人の男が立て続けに同じような態度をとったので、私のそういう思い込みは確証に近い形で脳裏にプリントされた。

▼ 「歌声喫茶」文化に大きな影響を与えたといわれているソ連映画の『シベリア物語』(1947年)。ソ連のシベリア開発をテーマにしたミュージカル風映画。ロシア民謡がたくさん出てくる


 
 
▼ 『シベリア物語』でロシア民謡を聞くソ連の軍人たち。―― 第二次大戦後、シベリアで抑留生活を送っていた日本人たちが、現地でこういう雰囲気を味わい、帰国後喫茶店に集まってロシア民謡を歌い始めたことが「歌声喫茶」の原点だという


 
 
 私の2人の家庭教師は、当時ほんとうに共産主義革命が起こると信じていたようだ。
 勉強の合間にそのうちの一人は声を潜めて、こう言った。
 「町田君、いまに全世界が共産主義国家になります。そのときのために、受験勉強だけでなく、共産主義の勉強もしておいた方がいいですよ」

 まるで、特殊工作員であることを打ち明けるかのように、彼は声を潜めて、そう言う。
 「はぁ … そうなんですか」
 半信半疑のままで聞く。
 というより、中学生ながら「そんなことありえねぇだろう」という気持ちの方が強かった。

 当時(1960年代中頃)、ラジオをひねると、もうビートルズが流れていた。
 ビートルズが資本主義文明の側にいるグループだということは言われなくても分かる。
 家庭教師たちが歌う共産主義国家のロシア民謡より、資本主義のビートルズの方がはるかに刺激的で、元気が良さそうに思える。

 「どう考えたって、資本主義の方が強そうだ」
 そうは思うのだけれど、いちおう現役の東大生というのは頭が良いはずだという思い込みもあるので、彼らの言うことを頭から否定することもできない。
 
 けっきょく、彼らは一度も私を「歌声喫茶」に誘ってくれることもなく、自分の就職活動が忙しくなると、こちらの勉強のことなどあまり気にする様子もなく、さっさと去って行った。

 それから50年近く、「歌声喫茶」のことは忘れていた。

 だが、この前テレビを観ていたら、『昭和は輝いていた』という番組(BSジャパン)で、司会の武田鉄矢が「歌声喫茶」を取り上げていた。
 なんと、50年前と同じくらい今でも盛況なんだという。

 ライブ演奏の画面も紹介されていたが、それを見るかぎり、客層は70歳からそのちょい上ぐらい。いわゆる “団塊の世代” だ。

 白髪のおばさん・おじさんがみな朗々と、「♪ カァリンカ、カァリンカ、カリンカマヤ … 」などと歌っている。

 私は、50年前にそんな歌を教えてくれた2人の東大生家庭教師のことを思い出した。
 年齢を考えると、彼らももう70歳を超えているはずだった。
 
 東大を出たあと、2人はどんな人生を歩んで行ったのだろう。
 共産主義革命を信じて、就職しながらも政治活動を続けていったのだろうか。
 それとも、あっさりと革命に見切りをつけて、官僚への道でも進んで行ったのか。

 2人のその後の足取りは分からないまでも、もしかしたら、今でもどこかの「歌声喫茶」に通い、昔と同じ歌をうたっているのかもしれないと思った。

 私たちの世代になると、好みの音楽はロシア民謡ではなく、ビートルズ以降のROCKか、もしくは日本のフォークなどに移っていた。
 だから、ロシア民謡を主体とした「歌声喫茶」というのは、私たちより少し上の世代、70歳くらいの人々の文化なのだと思う。

 『昭和は輝いていた』に出てきた70歳ぐらいの女性常連客は、「とにかく知らない人同士でも仲間意識が持てるのが『歌声喫茶』の魅力だ」という。

 男性の常連客は、「ここに来ると一瞬のうちに若いときの自分に戻る。ひとりぼっちで東京に出てきた頃、(こういう場で)みんなと同じ歌をうたえるのが楽しかった」とも。

 「連帯感」
 けっきょく、歌声喫茶に集まる人たちが求めるものは、それに尽きるようだ。
 番組の途中、「なつかしい歌を隣の人と一緒に歌っていると、人間はついウルッとしてしまうものだ」と武田鉄矢が語る。

 同じ歌をうたって、“ウルッとしてしまう” 規模の人間社会。
 おそらく、人が「共同体」というものをイメージするときの原点はそこにあるのだろう。

 そもそも「民謡」というのは、共同体の歌である。
 そのなかでも、ロシア民謡というのは、合唱の効果を最大限に発揮し、共同体の “絆” をいちばん強く喚起させる民謡である。

 今度「歌声喫茶」でも行ってみるか。
 私の2人の家庭教師を探しに。

 50年ぶりに、そんな気分になった。
 
 

 
 

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選ばなかった方の選択肢

    
 人間の不幸のはじまりは、常に、過去の選ばなかった方の選択肢にこだわることにある。
 「あのとき、ああすれば良かった …」
 という思いは人間には誰にでもある。

 選ばなかった方の選択肢は、いつまで経っても “輝かしい可能性” を保持したまま記憶の底で凍結している。

 でも、もしそちらを選んでいたら、今頃はとんでもない不幸の道を歩んでいたかもしれない。
 今の道を選んだからこそ、現状の生活を手に入れることができたのかもしれない。

 だけど、そうは思えないのが人間の常だ。

 「選ばなかった方の選択肢」は、今となってはすべてが無に帰しているにもかかわらず、残酷にも、試さなかったからこそ残る「可能性」という甘い幻想だけを紡ぎ(つむぎ)続ける。
 それが、人間の不幸の源泉である。
 
 
Bill Evans Jazz Trio
『My Foolish Heart(愚かなり我が心)』
  

 
 

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トンデモ時事解説

 
【司会】 今日は、最近の話題のニュースを、このブログの主宰者である町田さんに解説してもらいます。町田さん、よろしく。

【町田】(↓) はい、町田です。

【司会】 まず、中国の海洋進出が活発な動きを示しておりまして、東シナ海では、中国の漁船軍団と、さらにそれを護衛する中国当局の巡視艇などの領海侵犯が止まりません。
  
 
 
【司会】 中国の狙いはいったい何なのか。そして、こういう中国側の動きに、日本はどう対応しなければならないのか。 
 まずは、そのへんのご意見をお聞かせください。

【町田】 これはですねぇ、東シナ海における尖閣諸島の位置が悪いんですな。
 これが瀬戸内海にあったのなら何も問題ないんです。中国漁船なんか入って来れないんですから。東京湾でも同じですね。

【司会】 あの …、そういう問題ではなくて、島の位置というよりも、やはり外交問題としてとらえた方がいいと思うんですが。

【町田】 そうですね。だいたい日本人が古来より好んでいたゲームは、碁や将棋でしょ。中国ではマージャンですからね。
【司会】 ???
【町田】 どうしても日本人は「外交」というと、碁とか将棋のような1対1の関係で捉えますが、「外交」というのは当事国同士の関係だけでは捉えられないもんでね。
 いま中国はですね、まさにマージャン卓を囲むように、韓国や北朝鮮、さらにはフィリピンやベトナムといった極東のアジア諸国との絡みで海洋進出を考えているんですね。
【司会】 なるほど、なるほど。で、それで?
 
 
 
【町田】 要するに、マージャンの国である中国は、ちょっとリーチをかけてみてですねぇ、日本をはじめとする関係諸国の反応を探ろうとしているわけなんですね。
 しかし、日本人は人がいいから、「リーチ」というと、相手がテンパイしていると信じ込んでしまいますよね。
 しかし、ひょっとしたら、相手は空(から)テンパイかもしれない。つまり最初からあがろうなんて思っていなくて、日本の出方を見守りながらデータ集めをしている状況かもしれない。
 それを日本は見抜けなくてですねぇ、相手がリーチだというと、もうそれだけで、オロオロしてしまう。

【司会】 …………

【町田】 でもね、まぁ中国のリーチは、捨て牌に迷彩をほどこして引っかけるというようなものじゃなくて、タンヤオ・ピンフ系のわりと単純なリャンメン受けだと思うんですね。
 しかし、「もしかしたら三色とか、あるいは一気通貫までありそうだ」と思わせる、そういう捨て牌で、手の内を示唆しているわけ。
 これに対しては、日本はどうすればいいかというと、相手がメンタンピンならこっちはチートイだぞと。だけど頭にドラが二つあるぞ … ぐらいなね、そういう駆け引きが大事なんですよ。
 ね、チートイだって、表ドラに裏ドラが乗ったら大きいですよ。
 僕がこの前やったマージャンはね、大ラスで、ドラ二つのチートイで、だけどね、上がったら裏ドラがついて、地獄待ちだったの。それを積もったの。
 
【司会】 ええ、この問題はこんなところで …。
【町田】 そもそもマージャンはね …
【司会】 あ、もういいです。
 
 

【司会】 ところで、北朝鮮の核実験が止まりません。しかもそれを搭載するミサイルも日増しに精度を上げてきて、ついには、アメリカの東海岸まで射程に収める段階まで来ていますよね。
 こういう北朝鮮の脅威に対し、日本はどう対応すればいいんでしょうね?

【町田】 北朝鮮のミサイルもですね、「ノドン」、「テポドン」といった “ドンドン系” からですね、今は「北極星」、「光明星」といった “セイセイ系” に変わってきているんですね。
 これは、恐ろしいことなんです。
【司会】 ほおほお ! どう恐ろしいんでしょう?

【町田】 “ドンドン系” ならばですね、打ち上げたときに、すぐ分かるんですよ。
【司会】 …… ?
【町田】 ドンドンと音がするから。
 でもね、“セイセイ系” となると、これはもう各段に静かになっているわけだから、よっぽど耳を澄ませていないと聞き取れないんですよ。

【司会】 あ、ディレクターから指示が出ましたので、この話はもうけっこうです。
 …… 話題は変わりますが、今年の夏の後半から台風が異常発生しましてですねぇ、この9月などは毎週のように日本列島を台風が襲い、各地に土砂災害や冠水などの被害が出ました。
 心配なのは、この異常気象が今後は当たり前になってしまうのではないかということなんですが、これに関してどうお考えですか?

【町田】 確かに、最近の天候だけみると、みな異常気象のように見えるんですが、しかしですねぇ、なんか変だと思いません?
【司会】 はぁ ……
【町田】 だってね、「異常気象」とは何か? そもそも皆さんは台風が来たり、長雨が続いたりすることを異常気象とかいうでしょ? 
 それがおかしいんでね。
 台風が来たり、雨が降ったりするのが当たり前。逆に、晴れたら大変なこと ! 
 要は、「今日も台風が来て良かった」と思えばいいんです。
 もうそれだけで、こういう問題は解決してしまうんですよ。

【司会】 なるほど。そういえばそうですね。長期予報を見ると、今月末は晴れの日が続きそうなので心配です。
 皆さんも、晴れた日には十分にお気を付けください …… ってなこと、あるわけないじゃないですか !
 もう、次行きます !
 
 …… ところで、今年は各地でクマが里まで下りて来て、農作物を荒したり、人間に襲いかかったりする事件が相次ぎましたが、こういうクマの被害から人間を守る方法として、何かあるんでしょうかね?
 

【町田】 もしかしたら、これは非常に大きな組織的犯行かもしれないですね。
【司会】 組織的 …… ?
【町田】 つまりね、テロクマ組織が結成されてですね、それが相互に連絡を取り合いながら、同時多発的に行動規模をエスカレートさせているんですな。

【司会】 クマ同士が、どうやって連絡を取り合うんです?
【町田】 おそらくね、木の枝に傷つけ合ったりして、 「あっちの農家ではリンゴの収穫期だぞ」とか。
【司会】 んな、バカな …。

【町田】 いやいや、これはクマ軍団が組織的に行っている大規模なゲリラ行動なんですよ。
 つまりその背後には、各地に指令を飛ばしているボスグマがいるんですよ。そいつのもとでみな訓練を受けてから、人里に降りてくるのね。
 だから、町まで来るやつというのは、もう高度な訓練を受けた特殊部隊なのよ。
 その証拠に、人間が捕獲しようとすると、みなさっさと包囲をかいくぐって逃げてしまうでしょ?

【司会】 じゃ、どうすればいいんですか?
【町田】 だからね、人間側も代表を出して、交渉のテーブルを設けるしかないんです。
 「どこそこの畑までなら進出を許すが、そこから先はダメ」だとか。
 日本も、クマとのパイプを持てる政治家を育成しなければならない時代になったわけです。
【司会】 …………
 
【司会】 放送時間はかなり残っていますが、今日はこれで終わりにします。
【町田】 ちょっと、あの …
【司会】 終わりです。
   
 

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90年代に何が起こっていたのか ?

 

 
 
あらゆるものが変わっていった1990年代

 「1990年代の後半に、日本はあらゆる面で劇的に変わった」
 
 という井手英策教授(慶応大学)の言葉が、ずっと耳に残っている。

 「96年から97年にかけて、日本社会は劇的に変わった。政治・経済・社会のデータを見ると、驚くほど一斉に変わっている。
 その頃を境に、日本人の意識構造も変わった。僕は日本社会が根本的に変わったのはその時期だと思っている」
 
 2016年 7月18日に放映されたBSフジのトーク番組『プライムニュース』の中で、彼が言い放った言葉だ。

▼ BSフジの「プライムニュース」

 何が、どう変わったというのか?
 井手教授が番組の中で言ったのは、まず日本企業の劇的変質であった。

▼ 井手英策 氏

 「90年代に入り、日本企業はグローバルな経済戦争に巻き込まれ、過酷な競争を強いられて、ひん死の状態にあえぐことになった」
 井手教授は、そう指摘する。

 「つまり、グローバル化の波を受けて、日本企業は世界的なメガ・コンペティション(大競争)を勝ち抜かなければならないという試練を与えられ、どの会社もコストダウンが至上命題となり、人件費を削って、非正規雇用を増やしていく方向にはっきりと舵を切った。
 リストラも横行し、雇用を奪われた人々の悲劇が連鎖して、自殺者の数も24,000人から33,000人に増えた」
 
 
トップランナーだった日本の信じられない凋落

 確かに、1990年代後半は、日本の企業倒産もピークに達し、日本経済はそのままデフレの海に真っ逆さまに墜落していった。
 それまで “一流” の名をほしいままにしていた日本の優良企業も、米国流の格付け評価基準では次々とランクを落とし、日本企業は社会的信用を失ったばかりではなく、日本人全体のプライドまでズタズタにされた。

 いったいこのとき、日本ではどんなことが起こっていたのだろう。

 各種データを見ると、あらゆるものが、その少し前にピークを過ぎていたことを教えてくれる。
 社会学者の小熊英二氏(↓)は、『社会を変えるには』(2012年)という著作で、次のことを例に挙げた。


 
 国内の新車販売台数は、1996年がピークだった。
 日本全国のガソリンスタンドの数も、1994年がピークだった。
 『少年ジャンプ』は、1995年に653万部の発行部数を記録し、世界最大の漫画雑誌になったが、2008年には278万部に下がった。
 就業者数も、団塊の世代が働き盛りだった97年が労働人口のピークだった。
 雇用者の平均賃金も、97年を上限とすれば、2010年にはその約15%まで低下した。

 このように数値として見る限り、90年代半ばには日本のマーケットがのきなみ縮小していく様子が浮かび上がってくる。
 それに呼応し、労働人口も賃金体系も縮小していく。
 
 
世界の製造業のスタイルが変わった
 
 なぜ、そういうことが起きてきたのか。
 その背景にあるものは、やはりグローバル化である。

 その仕組みは、以下のようなものだ。
 まず、IT 技術の進展により、情報のグローバル化とテクノロジーのグローバル化が結合し、製造業においては国内に大規模な工場を維持する必要がなくなってきた。

 製造業は、発展途上国の工場に、デザイナーが手掛けた精密な図面データをメールで送るだけでよくなった。
 そうすれば、人件費の安い途上国の工場で、そのとおりの製品ができあがってくる。
 それに、ブランドのタグを付けて売る。

 国内の賃金が高くなってきた先進国の製造業は、みなこのように海外の工場と契約を結んでアウトソーシングするか、もしくは工場機能を海外に移転して、コストをおそろしいほど圧縮するコツを会得した。

 デザインも工場機能も、みな外注。
 本国に残る事務職も非正規社員で十分。
 職種によっては、人間が操作していたものをロボットに代行させる。
 社員はどんどん減らして大丈夫。

 当然、失業者が増える。
 仕事があっても、安い賃金しか支払われない仕事しか残っていないので、先進国の労働者たちは、低賃金で働く移民に職を奪われる。
 それでも職を得ようと思えば、今までもらっていた給料よりはさらに低い給料で我慢せざるを得ない。

 こうして、巨大企業の経営者と一般庶民の経済格差は、どんどん広がっていく。
 これがいま世界の先進国で起こっている経済の実態だ。
 アメリカでは、現在もこの傾向が強まっており、それが大統領選のトランプ候補(↓)の支持につながっている。

 では、世界のグローバル化の発端はどこにあったのか。

 一つは、冷戦構造の崩壊である。
 1989年。
 東西に分け隔てられていたベルリンの壁が壊れた。
 その2年後の1991年には、ソビエト連邦が解体した。

▼ ベルリンの壁の崩壊

 それによって、社会主義圏と自由主義圏に分かれていた二つの経済領域が一気に相互浸透を進め、“世界市場” という一つのリング内で競争する時代が訪れた。


  
 
肉食恐竜たちが牙をむく “ジュラ紀” の復活
 
 冷戦構造の崩壊とは、別な言い方をすれば、冷戦以前の世界の復活である。
 その世界とは、どんな世界か。

 それは、社会主義諸国家が誕生する以前の「弱肉強食」的な資本主義勢力同士の争いが再発する世界にほかならない。
 
 社会主義という対立軸を失った(なぎ倒した)資本主義は、もう社会主義の理念を恐れる必要がなくなった。
 “経済的な平等”、“貧富の差の廃絶” などを謳って労働者の意識を引きつけてきた社会主義に対し、資本主義側は “自由” や “個人の尊厳” という理念を掲げて対抗してきたが、もうその必要がなくなったのだ。

 資本主義は地球上の勝利者となって、天に向かって咆哮する “恐竜” となり、世界はジュラ紀か白亜紀に戻った。


 
 
アングロサクソン流の経済思想が世界を牛耳る

 この “露骨で野蛮な資本主義” のことを、別名「新自由主義」という。

 新自由主義(ネオ・リベラリズム)とは、80年代に、アメリカのレーガン大統領およびイギリスのサッチャー首相が領導したアングロサクソン流の市場操作のことで、グローバル化を前提とした金融政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などを進めることによって、世界経済をダイナミックにドライブさせようという経済政策を指す。

▼ レーガン大統領&サッチャー首相

 この新自由主義経済においては、あらゆる富が大資本を持つ者に集積し、富をわが手に集中できた大手企業は、弱小企業が太刀打ちできないコストダウンを実現。それによって、商品のロープライス化を促進し、世界マーケットにおけるメガ・コンペティションに乗り出し始めた。
 
 こうして、すべての国において、国境を越えて安価な製品が無限に市場に流れ込んでくる時代が訪れた。
 
 もう商品に「一流」も「二流」もない。
 “コスパ” という一面的な価値観によって、一流のものも低コスト商品と同じレベルで扱われるようになり、「安いことが正義 ‼ 」という風潮が広まるなかで、それまでの “高級品” に付随していた文化的価値も効力を失った。
 こうして、消費社会は拡大の一途をたどりながらも、すべての商品がニヒリズムの影を帯びるようになった。
 
 そのような消費形態は、都市の景観も変えた。
 日本では、1990年代初頭に大店法が規制緩和され、以降、それまでの都市づくりとは異質な建物がどんどん街に広がり始めた。
 それまで郊外に展開していた「ドンキ」や「ユニクロ」といった “コスパ系” 店舗が都心の一等地にも進出。
 

 そういうテナントを取り込んだショッピングモール(↑)が、どこの駅前にも建つようにり、地方都市の “東京化” が進行。逆にいえば、それは都市中心部の “郊外化” でもあった。
 
 
都市と田舎の境界が消えた

 「ボーダレス(境界喪失)」
 それが、国境を超えて資本が流動していくグローバル時代を象徴するキーワードになったが、1990年代はこのように、「都市」-「郊外」の境界が日本から消え始めた。

 高速運動を始めた経済活動をサポートするために、物流を担う幹線道路の景観がのきなみ “高速道路化” した。
 国内の主要道路は、おしなべて、「町」でも「田舎」でもない画一的な商業施設や空き地が点在する茫洋とした空間になった。


 
 ボーダレスの空気感は、都市の景観だけではなく、「文化」にも変容をもたらし、人々の意識構造も変えた。
 エンターティメントの世界では、「フィクション」と「ノンフィクション」のボーダーが溶解し、リアリティーを保証する基準が変わった。
 
 コンピューター技術の進歩により、街のゲームコーナーに置かれたゲーム機の画面がみるみるリアルさを増していった。
 自分が狙撃者となって、空中戦や地上戦を楽しむ戦闘ゲームでは、討ち果たした敵兵の命を奪うような実感が得られるようになった。

 それと同じ画面が、1990年代に起こった湾岸戦争でも見られるようになった。
 イラクの軍事拠点を空爆するアメリカ軍の軍事行動は、そのままゲーム機で遊ぶ戦争シミュレーションの画面そのものと化していた。

▼ 戦争ゲーム

 どこまでがホンモノの戦争で、どこまでがゲームか。
 戦闘の現場にでもいないかぎり、人間の意識そのものが、その二つの領域のはざまで揺れるような、頼りないものに変容していく。
 そういう変化は、人々の読む小説にも表れるようになる。
 
 
ホラー小説のブームが意味するもの

 それまで、日本人が娯楽として楽しむ小説の大半は推理小説(および探偵小説)であった。
 その中心を占めたのが、「本格派ミステリー」と呼ばれるもので、推理のロジックを整然とたどっていけば、必ず最後には真犯人にたどりつくという約束事が守られていた。

 しかし、その「本格派ミステリー」が、徐々にホラー小説に侵食されるようになってきたのだ。

 1991年。鈴木光司が『リング』というホラー小説で話題を集め、続編の『らせん』(95年)でさらに大ブレークする。

 96年の「日本ホラー小説大賞」においては、貴志祐介が書いた衝撃的カルトホラー『ISORA』が登場する。
 97年には、桐野夏生がほとんどホラー趣味といってもかまわないほどのグロテスクなクライムノベル『OUT』を書く。

 99年には、現代 “怪談” の極め付けともいえる岩井志摩子の『ぼっけぇ、きょうてぇ』が登場する。
 話題になったホラー小説は次々と映画化され、各メディアを使った大量宣伝によって、「時代の空気」を作っていった。

▼ 『ぼっけぇ、きょうてぇ』表紙

  
 ミステリーとホラーの違いは何か?
 
 ミステリーでは、必ず最後に真犯人が突き止められ、事件の真相が明らかにされる。
 そういった意味では、ミステリーは「解決可能」な世界観に裏打ちされたエンターティメントなのだ。

 しかし、ホラーが突き出したのは「解決不可能性」である。
 事件が勃発しても、それを起こしたのは人間ではない。
 幽霊、怪物、もののけ、性格異常者。
 捕まえても、その正体が分からないか、もしくは捕まえることさえできないものが話のカギを握る。

 そういうホラーが読まれ始めたのは、そこに時代のリアリティーがあったからである。
 日本企業の変質により、多くの労働者が路頭に迷うような時代。
 毎日リストラ・サラリーマンの飛び込みによる「人身事故」が起こり、崩壊した学級では陰惨ないじめが横行し、旦那の不倫や主婦の売春なども珍しいことではなくなった。

 90年代は、まさに政治・経済を筆頭に、社会が、集団が、家庭が、主婦が、子供が、「なんだか分からないもの」へと不気味な変容(怪物化)を遂げていく時代だったのだ。
 
 
異形の現実が、ついにドラマを超える

 その小説やドラマで描かれた惨劇を、ついに “現実” が超えていくことになった。
 1995年。
 その年の1月は、阪神淡路大震災で始まった。
 倒れるはずがないと思われていたものが次々と倒壊。
 現代文明の最先端を行く大都市であっても、ライフラインが寸断されてしまえば、荒涼とした荒野と同じものであることが明るみに出た。 

 続く3月。
 オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件が勃発する。
 その捜査過程で、世の常識を超えた特異な思想に染まる謎の教団の存在が明らかになり、人々の不安をかきたてた。


 
 自然災害と人間による犯罪との違いはあったにせよ、連続して起こった二つの事件は、ともにそれまでの常識ではありえない規模の惨劇として日本人の脳裏に刻み込まれることになった。
 以降、駅や街のゴミ箱は一斉に撤去され、監視カメラが街のあちこちに設置されるようになり、どこか落ち着かない不穏に満ちた空気が日本を閉ざしていった。
 
 
日本人が感じていた「幸福感」が消えた

 NHKのEテレで放映された『ニッポン戦後サブカルチャー史』の講師を務めた劇作家の宮沢章夫は、1990年代のサブカルを扱った最終回(2016年6月19日)の放送で、
 「90年代は、日本人がそれまで維持していた幸福感のようなものが失われた時代だった」
 と語った。

▼ 宮沢章夫 氏

 戦後の日本は、1950年代から60年代の高度成長の時代に経済的な繁栄を謳歌し、常に “右肩上がり” の成長を経験してきた。
 「未来は明るい」
 というのが、日本人の合言葉であり、“明るい希望” を象徴する代表的な国際イベントである「70年大阪万博」において、戦後の繁栄は頂点を極めた。

 80年代に入ってからも、「バブル(泡)」という危うい豊かさでありながら、日本は戦後最大の “カネ余り社会” を実現。誰しもが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の夢に酔いしれた。

 「その多幸感のようなものが、すぅーっと消えていったのが、90年代である」
 と、宮沢はいう。

 その背景には、もちろん企業倒産や人員削減といった社会の不安定さが横たわり、さらには阪神大震災やオウム真理教事件という暗い事件も重なったが、彼は「それらにプラスして、テクノロジーの変化」を要因に挙げた。

 社会不安をもたらす大事件が頻発した1995年。
 実は、この年の年末は “「ウィンドウズ95」フィーバー” で締めくくられたのだ。

 いま思うと不思議な気分になるが、1990年代の初頭においては、まだ人々の通信手段の多くは電話とファックスだったのだ。
 それが、ウィンドウズ95の登場によって、家にも会社にも一気にPCが普及し、人々のコミュニケーション手段がメールへと置き換わっていった。
 
 
身体が “外” に向かって開く時代

 以降ネットやメールを通じて、他の会社の担当者とつながり、友人同士でつながり、後のSNSで当たり前になっていくような、不特定多数の未知の人に情報を発信して、その返信をもらう作業が日常化していく。

 このことに対し、宮沢氏が司会を務める『ニッポンサブカルチャー史Ⅲ』は、“身体が外に向かって開く” という表現を与えた。

 宮沢氏のいう「人間の身体が外に向かって開く」という言葉は、同時に「経済が国境の外に向かって開く」グローバル資本主義と対応している。

 人類はこのとき、身体的にも環境的にも、それまで身を守ってくれた殻をはぎ取られ、無限に広がる外部に放り出されたことになる。

 このような身体が「外に向かって開く」という感覚を人間にもたらしたのは、(前述したように)ネットに代表される新しいコミュニケーションツールの影響もあったが、それと同時に、医療テクノロジーの進歩によって、人間がミュータントとも、サイボーグとも呼べるような新しい「身体」を手に入れたことも大きかった。

▼ 映画『ロボコップ』

 SF映画ではすでにおなじみになった生きた人間のサイボーグ化が、現実生活にも浸透し始めたのだ。
 それは、人類の輝かしい “進歩” でもあったが、同時にそれは、人類がはじめて体験するカオス(混沌)でもあった。

 最新テクノロジーを駆使した肉体改造によって生まれた新しい「私」は、今までの「私」と同じなのか? それとも別物か?

 こういう根源的な不安を抱えてしまう少女の生涯を、漫画という形で世に問うたのが、岡崎京子の『ヘルタースケルター』(1995年)である。

▼ 『ヘルタースケルター』

 主人公は、整形美容手術で全身をつくり直したある種の “人工美女” 。
 そのあまりもの美しさのために、周囲は彼女をトップモデルの地位に祭り上げていくが、本人は、どこまでが本当の自分で、どこまでが人工物なのか見分けがつかなくて思い悩む。

 その漠たる不安が彼女のストレスを増大させ、ついには精神が破綻していくという話だが、『ニッポンサブカルチャー史』の講師を務めた劇作家の宮沢は、この『ヘルタースケルター』をもって、1990年代サブカルチャーの極北とまで言い切る。
 そこには、テクノロジーの進歩によって、人間が新しい不安に接したことの寓話が読み取れるという。
  
 
新自由主義の根底にある「反知性主義」
 
 1990年代というのは、また、世の中から「知性」や「教養」といったものが急速に遠ざけられていく時代でもあった。
 それまでは、まだ知的なものへの関心がローソクの炎のように揺れながら残っていたが、90年代に入ると、一気にそれが吹き消された。

 世の中から「知性に対する尊敬の念」が遠ざけられたのは、「人間」というものの考え方が変わったからである。

 80年代から世界の先進国を覆い始めた新自由主義の思想の根底には、領導者がレーガン/サッチャーという両首脳に代表されるように、アングロサクソン型の人間観が反映されている。
 なかでも、特にアメリカの学問の傾向がそこには強く浸透しているとみてよい。

▼ レーガン大統領&サッチャー首相

  
 アメリカ型の学問スタイルとは何か?

 それは、「人間」を計量分析的な手法で捉える学問である。
 つまり、個々の人間の「内面」とか「精神」に踏み込まず、人間を “群れ” として考え、大まかな傾向によってグループに分けて、数の多さ・少なさで人間のタイプを識別していくような考え方である。

 こういう考え方が主流になると、心理学や精神医学においても、人間の個性や才能はすべてステレオタイプ化された「分類項目」に仕分けられるようになり、人間はただのマーケット分析の対象になっていく。

 確かにそれは、市場規模を広げていくためには好都合の “人間観” であった。

 “知性を拒否する盲目的な大衆”

 それこそが、効率よくスムーズに市場を広げるためには、何よりの特効薬であったからだ。
 
 その段階で、ドイツの哲学も、フランスの芸術も、「19世紀的なパラダイムから脱出できない旧態依然たる思想」というレッテルを貼られることになった。
 アメリカは、経済ブロックとしてのEU に脅威を感じていたから、文化的な潮流としても、ヨーロッパ的な伝統を打ち崩していく必要があったのだ。

 一方ヨーロッパにおいても、一時一世を風靡したフランス現代哲学の影響力が一気に失われるようになった。

 サルトルに始まって、ミシェル・フーコー、デリタ、ドゥールーズらを輩出したフランス哲学は、80年代までは世界の知的シーンを領導したが、それはアメリカとソ連が対立した冷戦時代に、そのどちらの世界観にも与さない “第3極” を目指すというスタンスが新鮮だったからだ。


 
 しかし、そのフランス哲学の潮流も、冷戦が終結し、世界の2極構造が崩壊していく過程で目指すべき3極目を失い、沈黙していった。
 
 
頭を使わない映画ばかりになったハリウッド

 こうして、アメリカ流の新自由主義思想がグローバル経済の担い手となるやいなや、先進国の文化はのきなみ “反知性主義” の色合いを強めていった。
 
 それは学問領域だけでなく、娯楽の領域にまで及び、ハリウッド映画では、知性をまったく必要としないアクションシーンだけが連続する作品が高収益をあげるような風潮が生まれた。
 
 そういう新自由主義の文化傾向は1990年代の日本でも広まった。 
 むしろ、日本の場合は、ヨーロッパなどに比べて反知性主義の浸透がスムーズだったといえる。

 それは、1980年代に、日本が未曽有のバブル景気を迎えたからだ。
 金を派手に使って遊ぶことを覚えた文化に、知性は育たない。

 知性というのは、「本を読む」「師との対話を続ける」など、わりと地道な作業を通じてしか身に付かないものだ。
 しかし、バブル狂乱のなかでは、そのようなコツコツした作業を積み重ねることは「野暮ったいもの」として遠ざけられていった。 
 その風潮は、そのまま1990年代に受け継がれた。 
 
 
 あれから、20年。
 現在の社会現象、文化潮流を考えると、1990年代の日本に堆積した “負の遺産” のようなものが、いまだに払しょくされていないように思う。

 しかし、いくつかの分野においては、あの時代には見えなかった希望のようなものが見えてきているのも事実だ。
 将来の希望を、もっと可視化させるためにも、多くの日本人が鮮明な記憶を保持している1990年代の本当の姿を検証していくことが必要になっていくだろう。
  
 

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雨月物語

 
黄金色に輝くモノクロ画像

シネマ漂流(映画感想記)No.12
『雨月物語』
 
 
 前回の映画レビューでは1958年の作品を取り上げたが、今回も昔の作品を。
 今日は邦画。
 『雨月物語』。
 1953年に溝口健二監督が手掛けた大映作品である。

 またしても、60年以上も前の映画だ。
 
 しかし、この時代は、ある意味で、邦画の黄金時代だったかもしれない。
 黒澤明の『七人の侍』(1954年)も、初代の『ゴジラ』(1954年)も同じ時期に生まれている。

 『雨月物語』も、その黄金時代の代表作に入れてよい作品。
 さすがに、映像表現は古い。 
 なのに、その “古さ” が、逆に美術品のような香りを伝えてくる。

 本物の “手触り” といっていいのか。
 長らく地中に埋もれていた高級土器を掘り出し、きれいに磨いて床の間に飾ったらこんな感じか … という映画なのだ。

 戦国時代を扱った作品だが、村や町の風景がまず違う。
 大道具で作った建物のかなたに広がる風景からは、見事に “現代文明の匂い” が消し去られている。
 CGで作られた画像とは違う本物の “土ぼこり感” 。
 1953年の日本には、まだ戦国末期のような風景が残されていたということなのだろう。

 そのことが、この映画に独特のエキゾチシズムを添えている。
 言葉で表現すれば、「戦国時代に、南蛮船に乗って日本を訪れた外国人の見た “日本”」 といったところか。

 脚本のベースとなったのは、江戸時代後期の作家である上田秋成が書いた『雨月物語』という小説。
 その中に収録されている「浅茅が宿(あさじがやど)」と「蛇性の婬(じゃせいのいん)」という二つの物語を組み合わせたものだという。
 ともに怪異譚である。

 しかし、単なるホラー映画ではない。原作がきわめて洗練された美意識に貫かれた文学だけあって、その艶やかな香りは、映画の中にもしっかり取り込まれている。
 
 
 以下、簡単にストーリーを紹介する。
 
 戦国時代末期、琵琶湖北岸の村に暮らす百姓の源十郎は、陶芸の才を発揮し、焼物を町まで売りに行くことで生計を立てていた。
 いつものように源十郎は、妻と子を村に残し、町まで焼物を売りに行く。

 町の路上で自作の焼物を売っていると、公家風の衣装を着た姫君と召使の老女が源十郎の前に立つ。

 二人の女は、「いくつの焼物をまとめて買うから、屋敷に届けてほしい」と告げる。
 源十郎が屋敷を訪ねると、そのまま奥の間に招かれ、酒肴の接待を受けることになる。


 
 そのとき、源十郎をもてなすために姫君が披露する日本舞踊が圧巻である。
 昔の上流階級が楽しんでいた、あの変化に乏しい “退屈な舞踊” が、当時はどれほど淫靡で妖艶なものだったのか。
 それをはじめて理解した気になった。

 この見事な舞を披露した姫の名は「若狭(わかさ)」といい、織田信長に滅ぼされた朽木氏の生き残りだという。

 美しい姫君の心づくしの接待に乗せられた源十郎は、そのまま朽木家に居ついて、“浦島太郎” 状態になってしまい、夜は屋敷内で酒を酌み交わし、昼は湖畔で陽光とたわむれて過ごす日々を繰り返す。

 もちろん、この姫は幽霊である。
 しかし、源十郎にはそれが分からない。
 むしろ、幽霊だからこそ備わっている “この世のものとは思えない” 妖艶な色香に惑わされ、次第に「このまま死んでもいい」という境地に引きずりこまれていく。
 

 この幽霊美女を演じるのが、「当代きっての美人女優」といわれた京マチ子。
 洋風の顔だちの人だが、それだけに、平安女性のような眉化粧を施すと、かえって妖艶さが引き立つ。

 現代女優で、このような公家風眉化粧を施しながら、それでも「美女」を維持できる女優さんなんて、ちょっといそうもない。
 
 この公家風女子のメイクで登場する京マチ子の顔を見ているだけで、いい意味でも悪い意味でも、鳥肌が立つ。
 能面の目の部分だけに、人間の心が宿ったような恐ろしさがあるからだ。

 女神か魔物か。
 いずれにせよ、人間界のルールとは別の生存原理を持つ「魔性の女」を京マチ子は巧みに演じる。

 ある意味で、エロ映画すれすれ。
 制作陣は、かなり色っぽい映画を意識したらしく、当時公開された宣伝ポスターには、下のようなものもあったようだ。

 ただ、映画のなかでは、京マチ子が肌をさらすようなシーンは一度も出てこない。
 なのに、源十郎を演じる森雅之(もり・まさゆき)と濃厚な “濡れ場” をたっぷり演じたな … ということを匂わせる演出が随所に施されている。

 たとえば、最初に泊った日の夜が明け、朝の寝所を訪れる姫君に対し、目を覚ました源十郎は問う。
 「はて、私はどうしたんでしょう?」

 魔性の姫は、はじめて恋を知った少女のようにうつむき、「まぁ、何もかもお忘れになられたようで … 」と恥ずかしそうに頬を赤らめる。

 ちらりと源十郎を振り向くときの動作はうぶな乙女のものだが、その目は妖怪の目になっている。
 おお、こわっ ‼
 でも、こういう女の怖さに男は弱いものだ。
 
 町に買い物に出た源十郎は、すれ違った旅の僧に呼び止められ、「あなたの顔には死相が出ている」と告げられる。

 朽木家の姫君は、やはり魔性の女なのか?
 旅の僧から体中に経文を書いてもらった源十郎は、姫の正体を探るべく、朽木屋敷に戻る。

 出迎えた姫は、源十郎の体に触れるや否や、その肌に経文が書かれていることを知り、電気ショックを与えられたようにのけ反る。

 「源十郎様 ‼、なんと恐ろしいことを … 」
 怒りの悲しみが、姫の心を襲う。
 正体を知られ、次第に悪鬼の相貌に変わっていく姫君。

 だが、その表情からは、大切なものを失う痛切な悲しさが溢れてくる。 

 この映画の美しさというのは、もしかしたら、モノクロフィルムであるところから生まれてくるのかもしれない。
 白黒画面なのに、色を感じるのだ。
 実際の色よりも、さらに鮮やかで艶やか(あでやか)な色。


 
 ブラック&ホワイトだけの世界なのだが、その玄妙な濃淡を見ているうちに、白黒画面が金糸銀糸の織り成す黄金色に輝き始める。

 その幻の色使いに、何度まぶしい思いをしたことか。
 ここでは「色情報」の欠如が、かえって鑑賞者の想像力を刺激し、モノトーン画面が満艦飾に光り出すというマジックが披露される。
 映画の豊かさとは、そういうものだと私は思う。

 魔性の姫の正体を知り、その呪縛を断ち切って気絶した源十郎は、朝を迎え、自分が寝ていたところが荒野に打ち捨てられた焼け跡だったことを知る。

 ようやく目が覚めた源十郎は、家に残してきた妻子を思い出し、焼物を売った金もなくし、無一文のまま故郷に戻る。
 (それはそれで衝撃的な結末が待っているのだけれど、ここでは触れない)。

 映画全般を通じて、主人公を演じた森雅之(もり・まさゆき)の演技力もたいしたものだ。
 この人、泰然とした優雅な紳士こそ似合う役者なのに、腰をかがめて歩く卑しい百姓を見事に演じきる。

 動作だけでなく、百姓の心も上手に表現する。
 町の人間に対してあこがれる気持ちと、それとは裏腹にわき起こる都会人への猜疑心、嫉妬心、対抗心。
 そして、そこから生まれる百姓のずるさと、したたかさ。

 そんな田舎者の心の動きを、森雅之は無言で演じ切るのだ。
 京マチ子といい、この森雅之といい、この時代の役者はほんとうに芸達者だとつくづく思う。

 昔の映画を観ることは、ほんとうに豊かな気分にさせてくれるが、残念ながら、今のBSやWOWOWでは、その上映本数が少ないのがさびしい。
 
 
▼ 京マチ子の妖艶さはこちらの画像で。

 
 

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人造アザラシがソファーで寝ている時代

 
 人間とロボットが共存する時代というのが、もうそこまで迫ってきている。
 実際に、オフィスの受付嬢をヒト型ロボットに代理させたり、家政婦ロボットが家庭の調理を代行したりする実験はすでにあちこちで始まっている。

 そのようなヒト型ロボットでなくても、すでに工場で無人搬送車として活躍する機会型のロボットや、耕運機のように農作業をするロボットも実用化されているようだ。

 次の課題は、人間と “心の交流” ができるロボットの開発だとか。

 そこまで来ると、もう「AI (人工知能)+ロボット」の複合体ということになるのだろうが、実際に、ディープラーニング(機械学習)機能を盛り込んだ “人と話せるロボット” はすでに登場している。

 このような、人と交流できるロボットに関しては、ペットロボットの分野が伸張著しいようだ。
 
 かつて「アイボ」という犬型ロボットが開発されて話題を呼んだが、いま注目を浴びているのが、アザラシの赤ちゃん型ロボット「パロ」(写真下)。
 多数のセンサーや人工知能の働きによって、人間の呼びかけに反応し、抱きかかえると、なついてスリスリしてくる。
 
 で、チョイとだっこ。
 
 
 
 自分は生きた犬を飼っているけれど、確かに、抱いたときの感触はかなり “ケモノっぽい” 。
 ときどき、気持ちよさそうに目を閉じたりして … 。
 ま、犬・猫を飼えない環境にいる人にとっては、「とりあえず、これでもいいかな … 」という気分になるはずだ。

 で、この赤ちゃんアザラシロボットの「パロ」ちゃん。
 企画・開発は、日本の独立行政法人産業技術総合研究所(産総研)というところ。
 2002年には、世界一の “癒しロボット” としてギネスブックにも認定され、実際に、アメリカでは医療機器として承認されているらしい。

 どういう環境で使用されるロボットなのか。
 
 一つは認知症の高齢者や自閉症の子どもたちがいたりする介護施設。
 精神的疾患を抱えている人たちには、生きた動物を使った「アニマルセラピー」が効果を上げるといわれているが、動物が媒介とする感染症やアレルギーにも注意しなければならないため、実際に、アニマルセラピーが可能な環境は限られている。

 その点、この「ロボットアザラシ」はそういう心配がなく、かつ飼育・管理の手間もかからないため、コスト的にも楽。
 国内やアメリカだけでなく、スウェーデン、イタリア、フランスなどの医療・福祉施設でも研究が行われ、良好な結果が示されているとか。

 保証期間1年  ¥360,000
 保証期間3年 ¥420,000
 (法人向けリースも可)

 たぶん、21世紀後半は、こういう愛玩用ロボットを家族のように扱いながら生きていく単身者も増えていくだろう。

 実際に、人間に生き物のような反応を示すロボットではなく、じっとしている人形のようなものなら、すでにそういう兆候が始まっている。 

 着せ替え人形のように、フィギュア感覚でいろいろなファッションを組み合わせて遊ぶスーパードルフィー(↓)趣味の若者は、男女とも増加中だし、お金のある中年男性が恋人感覚で遊ぶラブドールはますます精巧化が図られて、こちらもマーケットを広げている。

▼ ラブドール
 

 こういう愛玩用の人形たちが 、やがてAI と合体し、人間にハグしてくれたり、会話を交わしたりしてくれるのは、もう時間の問題だという気がする。

 そういうことが当たり前の世の中というのは、どういう世界なのか。
 想像するとワクワクするような、やっぱり不気味なような。

 人形って、やはりどこか怖いこともある。
 

 
 どんなに美しく作られたラブドールだって、それが置かれた環境によっては、ホラー・ドラマに登場する 異形の生き物に変化しないとは限らない。

 押井守が制作したアニメ『イノセンス』(2004年)は、愛玩用に作られた人造少女たちが、密かに人間に反乱を起こすという話だった。

▼ 『イノセンス』

 美しすぎるロボットは、怖い。
 なぜなら、もし「美しいロボット」を作ることが人間の使命となったら、ロボットの造形にかける人間の情熱は限りないものになっていくだろう。
 人間は、死を賭すような精魂を傾けて、ミロのビーナスやモナリザを創ってしまう動物なのだ。
 美を競うロボットたちは、やがて生身の人間が得られる美しさの限界を超えていくだろう。

 生きている人間の美しさを超えた「美」って、それは何だ?
 オバケと紙一重ではなかろうか?

 人間と交流するロボットのデザインが、下のペッパー君のようにマヌケなお顔になっているのは、ロボット開発を行う技術者たちが、そのことをよく分かっているからだと思う。
 
 
 
 

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灰とダイヤモンド

 
祝祭(ダイヤモンド)と死(灰)
 
シネマ漂流(映画感想記)No.11
『灰とダイヤモンド』
  
  
 『灰とダイヤモンド』という言葉から、今の人たちは何を想いうかべるのだろうか。
 
 2013年に、ももいろクローバーZがリリースしたアルバムの中に、そういうタイトルの歌があるという。
 1994年までさかのぼれば、日本のロックグループGLAY(↓)がインディーズの時代に出したアルバムにも『灰とダイヤモンド』という曲が入っているそうな。
 

 さらに古い時代に遡行すれば、1985年に沢田研二が、やはり『灰とダイヤモンド』(↓)というタイトルで、44枚目のシングルレコードを発表したとか。

 個々の歌がどのような内容を持つのか。また、なぜそのようなタイトルが付けられたのか、私は知らない。

 ただ、なんとなく思うのだが、三つの曲を作ったそれぞれの人たちは、いずれも『灰とダイヤモンド』という言葉から何かのインスピレーションを拾ったのではないかという気がするのだ。
 それは1958年に、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダによってつくられた、あまりにも有名な映画のタイトルだからだ。

 何度かこのブログで書いているが、最近はあまり外出することなく、家でテレビを観ている。
 肺を患っているため、10月の再手術を受けるまで、酸素吸入器のチューブが鼻から外れないような生活をしているからだ。
 
 テレビで楽しみにしているのは、ハードディスクに取りだめしたBSやWOWOWの録画を観ることである。
 先日、そのなかの一つ、不朽の名作といわれる『灰とダイヤモンド』をついに観ることができた。

 この映画が制作されたのは、1958年。
 なんと、60年前の作品である。
 もちろん、フィルムはモノクロ。
 画質も音質も、今の映画の水準から比べると、けっして良いとはいえない。

 だが、見始めると、一気に引き込まれた。
 やはり、「名作」といわれる映画は、60年程度の “古さ” などまったく問題にしないようだ。

 計算され尽くしたカメラアングル。
 音楽と役者のセリフがスリリングにかみ合う音響効果。
 登場人物たちの魅力的な表情。

 もう、何から何まで新鮮 ‼
 『灰とダイヤモンド』で展開されていたのは、むしろ現代映画がいまだ実現していない “未来的映像” だった。 

▼ アンジェイ・ワイダ監督

 もちろん、60年以上前の映画が、すべて新鮮に感じられるということはありえない。
 そこには、やはりアンジェイ・ワイダという監督の天才性が作用していたというべきだろう。

 以下、この映画の時代背景を簡単に述べる。

 舞台は1945年のポーランドのある地方都市。
 その年の5月8日、それまでポーランドを占領していたナチス・ドイツが連合軍に降伏し、ポーランドはようやく解放されることになった。

 しかし、ナチス・ドイツのくびきから自由になったポーランドには、すぐその次の支配者が迫っていた。 
 スターリン(↓)率いるソビエト連邦共産党である。
 この時期、スターリンは、政敵や自国民への凄惨な粛清を繰り返しながら、ヒトラー以上の独裁政権を樹立しようとしていた。

 そのスターリンの政治介入を許したポーランドや東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニア、ユーゴスラビアなどの東欧諸国では、ソ連主導型の社会主義政府が次々と誕生し、イギリス、フランス、西ドイツなどの西側諸国と対立するようになった。

 しかし、ポーランドには、ソ連が指導する社会主義政策を嫌い、自由主義政府を樹立したいと思うグループがいた。
 彼らは、ソ連の息がかかったポーランド共産党の首脳陣を暗殺し、ソ連への抵抗運動を進めようとしていた。

 ここまでが、この『灰とダイヤモンド』という映画の背景である。
 

 
 映画の主人公は、“ポーランドのジェームス・ディーン” といわれたズビグニエフ・チブルスキーが演じるマチェク(写真上)。
 その主人公に暗殺されるのが、ソ連で共産主義教育を受けてきた「ポーランド共産党員」のシチューカ(写真下)である。

 今の時代を生きる我々が観ると、この映画は、共産主義の抑圧と戦う自由主義者を主人公にした “反体制ドラマ” に思える。
 だが、この映画が作られたときの状況は、もう少し複雑だ。

 監督のアンジェイ・ワイダがこの映画を企画した1950年代初頭。ポーランドの共産党政権は、自国の出版物や映像表現に厳しい検閲を施していた。
 すなわち、少しでも共産党を批判するような文学・評論・映画があれば、たちどころに表現の修正を迫り、場合によって発表を断念させた。

 だから、この映画のように、共産党政権を倒そうとする人間が主人公となるような作品は、当時のポーランドでは上映できるはずなどなかった。

 では、アンジェイ・ワイダは、いったいどのようにして政府の検閲をくぐり抜けたのか。
 
 主人公を変えたのである。
 つまり、暗殺者のマチェクが主人公となる映画ではなく、見ようによっては、むしろ彼に殺されるシチューカ(↓)の方こそ主人公だと解釈できる可能性を残したのだ。

 すなわち、マチェクは軽薄な “ちゃら男” の若者として描かれ、一方のシチューカは、ポーランドの将来を真剣に考える “信念の政治家” というキャラクターを与えられた。

 さらに、ワイダ監督は、シチューカを殺したマチェクが翌朝ポーランド政府軍に発見され、薄汚いゴミ捨て場で虫ケラのように殺されていくというエンディングを用意した。

 このマチェクのみじめな死を確認した共産党の検閲者は、
 「政府を転覆させようとしたテロリストの容赦ない末路を描いたこのシーンがあってこそ、この映画は共産党政府の正しさを実証する宣伝になる」
 と手放しで喜んだと伝えられている。

 しかし、映画を観た観客は、同じシーンを、「共産党政府が自由を求める青年を惨殺するシーン」として解釈し、国家権力に対して、より一層批判の目を向けるようになったといわれている。
 
 
 ここまでの説明で、長い行数を使ってしまった。
 しかし、ここからが本当にいいたいことである。

 大事なのは、この映画には二つのテーマがあるということだ。
 一つは、マチェクの視点に立って、ポーランド政府をコントロールしようとするソ連の支配体制を暴き出すこと。
 そして、もう一つは、ポーランド共産党の検閲者を喜ばせたように、反体制派のテロリズムの空しさとその限界を説くこと。

 この相反するテーマを一つの作品に融合させたからこそ、この映画は当時の映画の水準をはるかに超える “深さ” を獲得することになった。
 
 作品の深さは、登場人物たちの内面の深さとなって表れる。
 マチェクに狙われるシチューカは、筋金入りの共産党員として登場するが、実は、息子がソ連に抵抗する反政府組織に入っているという悩みを抱えており、ポーランド人同士が二つの勢力に分かれて戦うことを防ぐことに奔走する男として描かれる。
 ただ彼の場合は、新生ポーランドの建設に「ソ連の力を借りる」という方針を貫こうとしていただけなのである。

 一方のマチェクは、ポーランド人同士の分裂に対する危機感をあまり持たない。彼にとって「ソ連の支配と戦う」ことは、彼個人のロマンチックな英雄的行動なのである。
 要するに、ナイーブ(無邪気)過ぎるがゆえに、マチェクは人を殺すことにためらいを感じないのだ。

 そのマチェクが、なんとシチューカを暗殺する直前に、一人の女に恋してしまう。 
 行動を起こす前の時間つぶしのつもりで、彼はホテルの酒場女と火遊びを始めたのだ。

 しかし、“ちゃら男” を気取っても、根が純真なマチェクは、自分の恋が真剣なものであること気づき、次第にとまどい始める。

 とまどいは、「命の大切さ」を彼に教える。
 彼は、シチューカの暗殺を企てれば、自分も殺されるリスクを負うということに、はじめて気づく。
 恋人を持ったマチェクの心に、「死を恐れる心」が生まれる。

 一方、相手の女は、ドイツとの戦いで家族や知り合いを失う数々の不幸を経験している。
 だから、自分に言い寄ってきたマチェクが、すぐに自分のもとを去っていくことを本能的に察知する。

 自分の使命と恋の板ばさみになったマチェクが、「悩みを打ち明けたい」と切り出しても、彼女は「悲しい話なら聞きたくない」とマチェクから顔をそむける。

 このときの哀しみとアンニュイ(物憂さ)に満ちた女の表情が美しい。、
 愛した者たちを戦争が次々と奪っていくという悲劇に耐えているうちに、「去っていく者は引き止めても戻らない」という諦めが彼女の心に住み着いてしまったのだ。
 それが、女のアンニュイの正体である。


 
 マチェクは、愛した女と一緒になることを考え、危険の伴うシチューカの暗殺計画を放棄したいと上官に願い出る。
 しかし、マチェクの上官はそれを許さない。

 仕方なく、マチェクは当初の計画どおりシチューカを付け狙う。
 ホテルを出て歩き始めたシチューカを尾行し、追い越してから、振り向きざまに胸に銃弾を撃ち込む。

 このとき、不思議なことが起こる。
 撃たれたシチューカは、なんとマチェクから逃げるのではなく、逆に自分の同志を確認したかのように、マチェクの胸に飛び込んでいくのだ。

 その体を放心したように支えるマチェク。
 彼の顔にも、同志と抱擁を交わすような優しい表情が一瞬浮かぶ。
 それは、「いつの日かともに手を取り合い、喜びを分かち合おう」と抱き合うポーランド人同士の “一瞬の連帯” であったかもしれない。

 二人の背後に、突然花火が上がる。
 それは、ポーランドがナチス・ドイツから解放された5月8日を祝う記念の花火だった。

 ポーランドの戦勝を祝うこの夜、町のホテルでは夜を徹したパーティーがずっと開かれている。
 朝のまぶしい光が室内に射し込んできたというのに、パーティー会場のフロアでは、酔った男女の踊りが止まらない。

 上機嫌になった紳士が、楽団に向かって叫ぶ。
 「諸君、わが国の誇るショパンのポロネーズ(舞踏曲)を踊ろうではないか」

 タバコの煙がたなびくダンスフロアに、調律の狂った楽器による不協和音に満ちたポロネーズが流れる。

 狂騒になかに、次第に忍び寄る “祭りの後の空虚さ” 。
 画面から流れ出るのは、爛熟したデカダンス(退廃)とアンニュイ(物憂さ)。

 記念すべき(?)新生ポーランド誕生の日が、なんとも気怠い疲労感に満ちたものであったかを匂わせながら、話は終盤に近づく。 

 パーティー会場の狂騒が続く同じ時間に、マチェクは瓦礫の上で息を引き取る。
 「祝祭」と「死」が交差するなかで、米ソの2大強国が静かににらみ合う冷戦時代が幕を開ける。

 『灰とダイヤモンド』とは、19世紀のポーランドの詩人ツィプリアン・ノルヴィットの詩の一節。
 「すべてのものは、みな燃え尽きて灰となるが、それでも、その灰のなかに燦然と輝くダイヤモンドが残ることを祈る」
 と歌っているという。
 
 
▼ ラストシーンはこちらを(↓)

 
 

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若者の心をつかむ“昭和の歌謡曲”

 
 たまたま朝のワイドショーを観ていたら、小倉智昭さんがキャスターを務める『とくダネ !』(フジテレビ)で、「若者の心をつかむ “昭和の歌謡曲”」(真相チェイス)という特集をやっていた。


 
 最近の若者の中には、いまの流行歌に “深み” を感じられず、昭和の時代に流れていた歌謡曲を面白がって聞いている人が増えているそうだ。

 そういう若者の生の声として、“今ふう” のファッションで身を固めた子供たちが何人が登場し、街頭インタビューで答えていた。

 ある高校生ぐらいの女の子は、
 「今の歌って、歌詞がウソくさい。でも昔の歌って、歌詞が本音で書いてあるような気がする」
 という。

 また別の女の子は、
 「昔の方が、なんか情緒的な曲が多くって、雰囲気に浸れる」
 と答えていた。

 ちなみに、局で調べた「若者がお気に入りに選んだ昭和の曲」というのは、次のような曲であった。

 東京ブギウギ  笠置シヅ子 (昭和23年)
 明日があるさ  坂本九 (昭和38年)
 上を向いて歩こう  坂本九 (昭和40年) 
 空と海の輝きに向けて  荒井由実 (昭和47年)
 春一番  キャンディーズ (昭和50年)
 中央フリーウェイ 荒井由実 (昭和51年)
 ペッパー警部  ピンク・レディー (昭和52年)
 勝手にしやがれ  沢田研二 (昭和52年)
 わかれうた  中島みゆき (昭和53年)
 プレイバックpart2  山口百恵 (昭和53年)
 いい日旅立ち  山口百恵 (昭和53年)
 君は薔薇より美しい  布施明 (昭和54年)
 異邦人  久保田早紀 (昭和54年)
 SHADOW CITY  寺尾聡 (昭和55年)
 UFO  ピンク・レディー (昭和56年)
 ルビーの指輪  寺尾聡 (昭和56年)
 15の夜  尾崎豊 (昭和58年)
 つぐない  テレサ・テン (昭和59年)
 俺ら東京さ行ぐだ 吉幾三 (昭和59年)
 時の流れに身をまかせ  テレサ・テン (昭和61年)
 oneway generation  本田美奈子 (昭和62年)

 一番上に、笠置シヅ子の『東京ブギウギ』(昭和23年 1948年)が挙げられていたのはちょっと驚きであったが、この曲はジャニーズ系のタレントたちがカバーしていたり、CMでもカバーバージョンが出たりしているので、最近の若者たちも原曲に耳なじんでいるのかもしれない。

 それ以外は、昭和のヒット曲が順当に並んでいるという印象だった。
 ただ、“今の若者” が注目しているというこの昭和歌謡を、局側がどうやって調べたのか、少し興味がわく。

 上記のリストを、作曲家の宮川彬良(みやがわ・あきら)氏が分析していた。
 「非常に興味深い !」
 というのが、彼の第一声。
 半分くらいがマイナーキー(短調)の曲だという。

▼ 宮川彬良氏

 上記の曲のなかでは、
 「春一番」、「ペッパー警部」、「勝手にしやがれ」、「UFO」、
「わかれうた」、「プレイバックpart2」、「いい日旅立ち」、「異邦人」、「SHADOW CITY」、「ルビーの指輪」、「15の夜」、「つぐない」
 などがマイナーキーで作られているという。

 宮川はピアノの前に座り、『いい日旅立ち』を原曲通りマイナーキーで弾いた。
 それから同じメロディーを、次にメジャーキー(長調)で弾く。
 メジャーキーだと、確かに今風のサウンドになるが、原曲のムードはぶっ壊れで、曲としての体裁もとれないとか。

 こういうマイナーキーの曲を、今の若者はなぜ好むのようになってきたのか?
 「最近は、悲しいのはちょっとタブーよ」
 という風潮がある、と宮川は語る。
 
 「悲しいときは、元気の出る曲を歌って元気づけてやろうという空気にみんなが流されているけれど、それが逆効果になる場合もある。
 今は歌だけでなく、社会全体が負の部分を見せないような文化になってきている」

 「それに若い人は物足りなさを感じているのではないか?」
 というのが宮川の感想だ。

 すごくよく分かる意見だ。
 人が暗く落ち込んでいるときに、明るく元気なもので励ます、というのは万人に当てはまる公理ではない。
 鬱病(うつびょう)の人に、「頑張れ」という言葉が禁句であるように、落ち込んでいるときに “元気なもの” を押し付けられても、騒々しいだけだと思う人はいる。

 暗い気分は、ある種の暗さを持つ “文化” でないと癒せないときがある。
 そういう “心地よい暗さ” を、現代文明は忘れている。
  
 

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祭りでウルウル

  
 涙腺がウルウルする … って、年齢とかに関係ないのかな。
 俺は、若い人がよく「この映画泣けました、感動しました !」とか言っているのを見ると、「ケッ !」とか思う方。
 安っぽい感動するなよ、って、その映画も知らないくせにそう呟いてしまうのだ。

 ま、男が泣くのは嫌いだ。
 女々しい。
 涙腺がウルウルするのも嫌い。
 恥ずかしい。

 でも、そんな俺でも、唯一ウルウルするものがあるのだ。
 それが、祭り。

 あの遠雷のような、ドでかい太鼓がドォーンと響くだけで、目頭が熱くなって、ウルウル。

 「わっしょい !」
 と、若衆の掛け声とともに、神輿(みこし)が近づいて来るのを眺めるだけで、ウルウル。

 なんでなのか自分でもよく分からない。
 理屈の前に、“血が騒ぐ” ってやつだ。

 昨日もまたわが町の祭りを見物に行った。
 … 酸素ボンベを背負い、酸素を鼻から吸引しながらの見物だったけれど、いやぁ、もう太鼓が響いているだけで、脳内酸素がバンバン分泌しちゃうわけ。

 

 ハイテンションになって、心臓がバクバク !
 肺に負担がかかって、血中酸素濃度が低くなったのか、それとも祭りの興奮でアドレナリンが吹きあがってくるのか、とにかく心臓も脳もバクバクだ。

 八幡神社まで距離があったので、いつも必ず見物していた宮出しも宮入も今回は見送ったが、中央道路を練り歩く “お祭り様ご一行” を2時間ぐらい見物して満足した。

 来年は元気になって、神輿をかつぎたい。
 
 

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仲良し親子はなぜ生まれるのか?

  
  「最近の若者たちが変わってきている」
 というような話を、あちらこちらで聞くようになった。
 
 何がどう変わってきたのか?

 「仲良し親子が増えてきた」
 と、みな口をそろえていう。

 BS-TBSの『外国人記者は見た ! 日本 in ザ・ワールド』 という番組(2016年 9月 7日)では、日本で取材活動を続けている外国人ジャーナリストたちが、「日本の親子関係」について語り合うトーク番組が放映されていた。

 途中から観たために、話の流れをよくつかむことができなかったが、議論するためのデータとして提出された調査が面白かった。

 まず、「親と一緒の外出に抵抗がない」と答えた15~19歳の若者の比率は次のとおり。
 男性67.8%
 女性77.0%

 次に、悩んだときの相談相手が母親であると答えた15~19歳の若者は、次のとおり。
 男性17.3%
 女性28.5%。
 (いずれも明治安田生命 生活福祉研究所の2016年 3月調査より)
 
 
日本の親子関係に何が起こっているのか

 この二つのデータを参考にしながら、日本の親子関係の親密さが何に由来するのか、また諸外国に比べてどうなのか、ということが議題になった。
 緻密な分析にまでは至らなかったが、外国人記者たちから見ると、やはり最近の日本の親子は、諸外国に比べてもベタベタしすぎるらしい。
  
 同じようなテーマのトーク番組(BSフジ「プライムニュース」)がその3週間前ぐらいにも行われていて、そこで語られた内容も、母親への依存度を強めている最近の “ママっ子男子” が取り上げられていた。(これについては、以前このブログでも記事にしたことがある)

 60歳を超えた私などからすると、思春期の頃は、親と一緒に外出するということが恥ずかしくてたまらないものだった。
 親と並んで歩いているところを友達などに見られたら、笑い者になってしまうという恐れがあったのだ。
 だから、小学校の高学年ぐらいになると、友人たちもみな一様に、親に対してわざとつれない態度を採るようになっていた。

 それが若者の普遍的な心理だとずっと思い込んできたから、最近の青年たちが母親とのデートを楽しみ、その様子をSNSなどを通じて友人たちに流すという話を聞いたときはびっくりした。
 
 しかし、最近の調査によると、「親との外出に抵抗がない」と答えた若者たちが、男性も女性も約7割いるという。

 若者たちとその親世代の間に、今いったい何が起ころうとしているのだろうか。

 BSフジの『プライムニュース』においては、博報堂の若者研究所の原田曜平氏(写真下)が、最近の若者が親と仲の良い関係を結ぼうとしているのは、一種の “経済活動” だと言っていた。


 
 つまり、長い不景気の時代を経験し、経済的に追い詰められてきた現代の若者は、安定した生活を確保するために、とりあえず「親にパラサイトして窮状をしのごう」としているのだという。

 一方、親も、強く子供に自立をうながすような態度を採れなくなってきているとか。
 というのは、今の親たちは、働き盛りの頃にバブル崩壊を経験し、リストラなどの憂き目に遭った人も多いので、子供に強いことを言えなくなってきた、という理由が一つ。

 もう一つは、子供によっては、自立するのが困難な社会状況も生まれつつあるという。
 
 
子供がホームレスになってしまう世の中

 博報堂の原田氏とともに、『プライム・ニュース』に出演した信田さよ子氏(臨床心理士 原宿カウンセリングセンター)によると、
 「引きこもりがちの子供と向き合う親から相談を受けた場合、昔は “自立しろ” といって子供を家から追い出してしまえばすべてが解決した。
 しかし、現在は、子供を無理やり家から追い出すとホームレスになってしまう時代になりつつある。
 実際に、先進国ではホームレスが若年化してきている。アメリカなどでは、親の援助も社会保障もないまま自立させてしまうと、若者が本当にホームレスになってしまう。日本もそういう状況に近づきつつある」
 とのこと。

 そのため、最近はいつまで経っても親と同居して、家賃や食費を親に依存している若者が増えつつあるのだそうだ。
 ここ数年の話だが、親と同居している未婚の子供たちの数は、20~34歳で48.9%(2012年調べ)、35~44歳で16.7%(2014年調べ)。

 しかし、それを、一概に “子供の甘え” とはいえないとも。
 むしろ、子供たちがしたたかな計算をしている結果だという声も。

 精神科医の香山リカ氏は、最近の若者は損得意識がきわめて高くなっていると指摘する(日経トレンディネット 2013年 4月11日)。
 
 
尾崎豊の歌が理解できない現代っ子

 香山氏は、これまで大学の授業で、毎年生徒たちに尾崎豊の歌を聞かせ、その感想を尋ねてきた。

▼ 溢れる才能と波乱万丈な生き方で、80年代の若者のカリスマとなった尾崎豊。しかし、26歳の若さで突然死を迎える

 尾崎は、「盗んだバイクで走りだす」(15の夜)、「夜の校舎の窓ガラスを壊して回る」(卒業)というように、教師や親に反抗する孤独な若者の心を描くことで、1980年代の若者たちから絶大な支持を得た。

 しかし、今の若者たちは、その尾崎豊の歌を聞いても、
 「なんでそんな損なことをするのか、理解できない」
 というのだそうだ。

 「彼(尾崎豊)は、歌もうまいし、ルックスも良いのだから、もっと賢く生きられたはず。
 なのに、なぜ社会に逆らうような損なメッセージを掲げ、損な生き方をしたのか分からない」

 そういう感想を述べる学生たちに、自分の生活方針をしゃべらせると、「親や社会に反発しても一文の得にもならない」という答が当然のように返ってくるとか。

 それを聞いて、香山リカ氏は、
 「(自分には)お金儲けにとらわれ過ぎるのはあさましいという感覚があったが、今の若者はお金のことをきちんと考え、損をしない生き方をすごく慎重に選んでいるということが分かった」
 とも。
 
 それはやはり、金融庁が小学生にお金の教育をするような時代になってきて、子供たちの間にも、ごく自然に経済感覚が身につくようになってきたからだという。

 そういう時代になると、親でも親戚でも、自分が有利に立てるコネは積極的に利用した方がよいという考えを持つ若者が増えてくるのも当たり前で、利用できる人間関係を得たときは、下手に逆らったり否定したりすると損だという空気が広がるのも当然だという。

 こういう書き方をすると、なんだか今の若者は打算的でずるいという印象が生まれてしまうが、言葉を変えていえば、彼らは「主観にとらわれることなく他人を平等に評価し、協調性も高い」ということになる。
 
 
親と子供が一緒に消費できる商品が強い

 博報堂の原田氏も、「尾崎豊的な生き方は、もう過去のものになっている」という。
 「今の時代は、昔風のヤンキーも姿を消して、マイルドヤンキーになりつつあるし、暴走族も激減している。親や社会に対して突っ張るというのは、もうファッションとしてもイケていないという時代になってきた」とも。

 そういう若者のトレンドになっているのが、“ママっ子男子” 。
 原田氏は、広告系企業の研究所にいるだけあって、このママっ子男子を消費の起爆剤として考えようとしているようだ。

 彼はいう。
 「若い人の消費が伸びないという声はあちらこちらで聞くが、一方では親と子供が一体となって使う商品は強いといわれている。たとえば自動車とか住宅。高額商品ではあっても、親と子供が共同で使えることをアピールできる商品は売れる」
 
 もちろん財布のヒモを緩めるのは親の方であるが、なかでも「孫と遊べる」商品は強いとか。
 マーケットプランナーのなかには、「高齢層が増えていく将来は、3世代消費がメガトレンドになる」という人もいる。 
 もちろん、そのためには財政再建という難しい課題が政府に残されることになるが。
 
 
関連記事 「若者の消費が拡大しない理由」
 
参考記事 「シニアマーケットはなぜ停滞するのか」
 
 

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小池百合子は名知事になるか?

 
 「肺血栓症」の外来診察をすませ、医師の用意した処方箋を携えて、病院前の薬局に行ったときのことだった。

 この時期、患者が多いのか、薬を待っている客が多い。
 私が服用する薬は、エリキュース、アデンパス、オプスミットという三つで、中には1錠が1万4,594円というものがある。
 だから、その3薬を1ヵ月分飲むだけで、軽く20万円を超えてしまう。
 
 薬が高いのは製造量が少ないためであるが、それだけに、在庫の中から探し出してくるのにそんなに時間を要するものではない。
 それでも順番待ちで、30分ほどかかるという。

 店内のベンチも混んでいたが、空いているスペースを探し出し、呼び出されるまで待つことにした。

 そのとき、
 「テレビで何を話しているんでしょうね?」
 と、隣にいた白髪の老女に声をかけられた。

 私たちの据わっているベンチの正面に置かれたテレビからは、東京都知事の小池百合子が昼のトーク番組でしゃべっていた。

 話しかけてきた老女は、年のころ80歳ぐらい。
 上品な顔立ちの人で、若い頃は美人といわれたこともあったに違いない。

 「急に話しかけてごめんなさい」
 と老女はいう。
 「耳が遠くなってしまって、テレビの内容が聞き取れない」
 というのだ。  
 
 「都庁の会議で、都連の人たちとモメている、という話らしいですよ」
 と、私はテレビの内容を推測して、そう教えた。
 テレビから流れ出る会話は、私にもよく聞き取れなかった。
 それは、音量のボリュームが絞り込まれていたためであった。

 「まぁ、じゃ小池さんを応援しなきゃ」
 と老女はいう。
 「ほんとうに、小池さんが(都知事に)なって良かったですねぇ」
 と彼女は、親しげに同意を求めてくる。

 私は、小池百合子という政治家のキャラクターが好きになれなくて、前の都知事選のときも別の候補者に投票したのだが、そういうことは伏せて、
 「小池さん、頑張ってますね」
 と、老女の意見にうなづいた。

 「前の都知事さん、あれはひどかったですものねぇ」
 と老女の語調が勢いを増す。
 「都民のために何も良いことはせずに、お金だけ持ち逃げしてしまったでしょ?」
 「 … ええ、まぁ ……」
 あまりそういうことに相槌を打ちたくないのだが、成り行き上逆らえない。

 「前の知事さんは、都民のお金で自分の家を豪華にして、美術品も買い占めて、公用車にも乗り放題で、辞めても退職金だって返さないんでしょ? そういうことを誰も追求しないんでしょうかね。あれでいいんでしょうか?」

 …… と問われても、私には答えようがない。
 せいぜい、「困ったもんですね」と反応するのが関の山。

 すると、“世の正義は我にあり” と思い込んだそのおばあさんは、
 「誰かが、あの人を殺しちゃえばいいのに」
 はっきりした口調で、そう言ったのだ。

 私は、その虫も殺さないような優しい笑顔を浮かべている老女の顔を、口をあんぐり開けたまま見守った。
 上品な笑顔であったが、冗談の笑い方ではなかった。
 前の都知事に対し、心底(殺意に近い)憎しみを持っている気配が伝わってきた。

 話題を変えようと思い、新しくスタートした小池都政について話に戻そうとしたところで、薬の受付カウンターから私の名が呼ばれた。

 立ち上がった私に、老女はなんともいわれぬ優しい顔で、
 「ありがとうございました」
 と、つかの間の話し相手になってくれたことを謝した。
 
 
 薬を手にし、薬局の外に出ながら、
 「民主主義というのは、こういうふうにして成り立っているんだな … 」
 と思った。

 1票の重みというのは、それこそ「殺しちぇばいい」という殺意の重みでもあるのかもしれない。
 老女は、前都知事に対する激しい殺意を、かろうじて投票用紙の1票に変えて、「都議会の刷新」を訴えた小池百合子に投じたのだろう。
 それはすごく常識的で健全なことで、テロが当たり前になっているような社会では、こうはいかない。

 しかし、“民意” というものも、はなはだ心もとないものだ、とも思った。
 政治が、有権者たちの私的な憎悪や好感度だけで動いている。

 憎悪や好感度の元になっているのは、人々の表層的な思い込みである。
 現に私が、小池都知事に対し、「あのキャラクターが嫌いだ」というような、きわめて感情的な反応を示している。

 私はどうしても、都民の注目を集めることだけに異様な情熱を注ぎこんでいる小池氏の計算が気に入らない。
 「劇場型政治」をもくろむパフォーマンス重視の政策だと思ってしまう。  

 しかし、同じことが、小池氏に票を投じた都民たちから見ると、「やる気」に見えたり、「熱意」に見えたり、「誠実さ」に見えたりするのだろう。

 

 私は、小池氏のしたたかさな計算ぶりにうんざりしているのだが、テレビを見ても、ネットを見ても、小池氏に対する評価は非常に高い。
 世論が彼女に味方しているということもよく分かる。

 だけど、彼女って、なんか自分の売り込み方がきつ過ぎるように思わない?
 都政が抱えている課題の核心を衝いてくるというよりも、マスコミが話題として取り上げやすいテーマを選んでいるという感じしないでもない。

 「問題を解決する政治」よりも「見せる政治」。

 そう割り切って観察すると、確かに小池氏の政治パフォーマンスは、ドラマ以上に面白い。 
 とにかく、自分の政策をアピールする際に、徹底的に “悪役・抵抗勢力” を作り出して、「対決姿勢」を演出する。そういう小泉純一郎以来の政治手法は、けっこう我々をワクワクさせてくれる。

 “小泉劇場” のときは本当に面白くて、あのときは私も熱中したけれど、いま振り返ってみると、見事に乗せられていたことが分かる。
 小池氏の手法には、まったく同じものを感じる。

 彼女にとって、「政治はゲーム」。
 野心と自己顕示欲の両方を満たす格好のゲームなのだろう。
 (それはそれで、政治家の資質として必要なものだともいえるのだが … )

 彼女の都知事としての実力は未知数で、もしかしたら歴史に残る偉業を成し遂げ、10年後ぐらいには「名知事」といわれるようになっているかもしれない。
 そうはならない気がするが、都民の一人としては、そうあってほしいとも願っている。
 
 

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ふられた気持ち

 
 いまカラオケで歌ってみたいなぁ … と思っている曲がある。

 1964年に、ザ・ライチャス・ブラザーズによって歌われた『ふられた気持ち(You’ve Lost That Lovin’ Feelin’)』(↓)である。


 
 たまたまなんだけど、BS-TBSの『SONG TO SOUL』(2016年8月10日)で取り上げられていたのを聞いたからだ。

▼ ザ・ライチャス・ブラザーズ『ふられた気持ち』
 

 もちろん、はじめて聞いた曲じゃない。
 昔、このレコードを持っていた。
 中学生の頃だった。

 当時、ラジオから流れてくる洋楽を聞くのが唯一の楽しみだった僕は、「全米TOP40(フォーティー)」のような番組を逃さず聞いていた。
 ライチャス・ブラザーズの曲は、ビートルズの『プリーズ・ミスター・ポストマン』とか、『アイ・フィール・ファイン』などと一緒に流れてきた。

 当時、僕のお目当てはビートルズだったけれど、彼らのヒット曲の合間をかすめて流れてくるライチャス・ブラザーズの曲は、ビートルズとはまた一味違う “大人の匂い” を持っていた。

▼ ザ・ライチャス・ブラザーズ

 音がカッコよかった。
 ライチャス・ブラザーズの音には、ビートルズのような独創的なコード展開とか、シンコペーションを多用した刺激的なリズム感というものはなかったけれど、メロディーがきれいだったし、何よりも、重厚で荘重な演奏がズシリと腹に響いた。

 あとから知ったことだが、そのサウンドこそ “フィル・スペクターサウンド” といわれる、複数のテイクを重ねていく独特の録音スタイルであったのだが、そういう音楽的な知識も持ち合わせないまま、単に “華麗な音” として楽しんでいた。

▼ ザ・ライチャス・ブラザーズは、高音域を得意とするボビー・ハットフィールド(右)と、低音域を受け持つビル・メドレー(左)によるディオ。黒人R&Bのフィーリングを感じさせる歌唱スタイルで、当時 “ブルーアイドソウル(青い目のソウルミュージック)” などとも呼ばれた

 
 買ったレコードは、4曲入りだった。
 45回転のドーナツ盤ではなく、17cmサイズながら、30cmLPと同じ33回転のレコードだった。
 当時、それを「コンパクト盤」などといっていたと思う。

 本当はLPが欲しかったのだけれど、当時レコードというのはえらく高い商品だったので、中学生ぐらいの小遣いではなかなか買えるしろものではなかったのだ。

 仕方なくコンパクト盤を買ったわけだが、そこに収録されていた曲はみなライチャス・ブラザーズの代表曲であり、どの曲も満遍なく聞いて楽しんだ。

 トップは、『アンチェインド・メロディー(Unchained Melody)』
 次が、『引き潮(ebb tide)』
 3曲目が、『ソウル&インスピレーション(Soul and Inspiration)』
 4曲目が、『ふられた気持ち(You’ve Lost That Lovin’ Feelin’)』

▼ ライチャス・ブラザーズ ベスト4

 
 どれも名曲だと思う。
 今ではみなポピュラーミュージックの “スタンダード” といっていいのではないか。
 特に、『アンチェインド・メロディー』は、1990年の映画『ゴースト』の主題歌に採用されてから、再ブレイクした。

 この1990年代に、カラオケスナックなどに行ったときは、僕はこの『アンチェインド・メロディー』を得意げに歌っていた。

 今は、気恥ずかしくて、もう歌う気がしない。
 あの、いかにも “俺さま歌うまいだろ?” 的な、ほら『マイウェイ』とか『昴』とかうたう初老のオヤジっているじゃない?
 まさに、あんな感じで歌っていたのだから、いま思い出すと、自分のことながら恥ずかしくてジンマシンが出る。

 で、“俺さま歌うまいだろ?” 的な『アンチェインド・メロディ』はもう卒業して、これからは、この『ふられた気持ち』を覚えようと思っているのである。

 こっちの方が “2枚目的” じゃなくて、“しゃしゃり出てきた感” があまりなくて、適度に渋いところがいいような気がする。

 ただ、問題は、掛け合いのところ。
 『アンチェインド・メロディー』は、ボビー・ハットフィールドがソロで歌っているからいいけれど、『ふられた気持ち』は低音域を歌うビル・メドレーと、高音域を受け持つボビーの掛け合いが入る。

 歌詞でいうところの、
 Baby baby, I get down on my knees for you  (ビル)
 If you would only love me like you used to do, yeah (ボビー)

 We had a love a love a love You don’t find everyday
 So don’t, don’t, don’t, don’t let it slip away (コーラス)

 … という部分。
 さらに、その次。

 Baby(ビル)、 baby(ボビー)、 baby(ビル)、 baby(ボビー)
 I beg you please(ビル)、please(ボビー)、please(ビル)、please(ボビー)
 I need you love(ビル)、need your love(ボビー)
 I need you love(ビル)、need your love(ボビー)

 ここが掛け合いとなる。

 このBaby baby と、I need you love,need your love の繰り返しのパートがこの歌では最も盛り上がる部分である。
 「ブルーアイドソウル」とも言われた彼らのR&Bっぽいサウンドが最高潮に達するところだ。

 カラオケに行って、ここをソロで歌うとき、同じトーンで歌い切るか。
 それとも、声音(こわね)を変えて、一人二役でいくか。
 目下のところ、結論は出ていない。
 … というか、まだカラオケで練習したこともない。
 
 ま、今のところは、そういうことで悩んでいることが楽しいのである。
 今は体調もよくないので、しばらくはカラオケに行けそうもないからだ。
 
 
 なお、BS-TBSの『SONG TO SOUL』によると、ライチャス・ブラザーズを結成していた高音域のオジさん、つまりボビー・ハットフィールドは2003年に他界したらしい。

▼ 一人残された現在のビル・メドレー

 
 番組では、ビル・メドレーだけがインタビューに答えていたが、彼が相棒のボビーのことを、ことあるごとに、「天才だった」「素晴らしい男だった」とリスペクトしていたことが印象的だった。
 現役時代からお互いにいいパートナーとして認め合っていたのだろう。

▼ 映画『トップガン』

 なお、『ふられた気持ち』は、1986年のアメリカ映画『トップガン』でも使われた。
 バーで、トム・クルーズたちが女性を誘うときにこの歌をうたい始め、それが次第に周りの男たちを巻き込んで、大合唱になっていく ( ↓ )。

 ビル・メドレーは、「昔の持ち歌が最近の映画に使われている」と知人に知らされて、この『トップガン』を観に行ったらしい。
 そこで、今もアメリカ人たちの “心の歌” のようになっていることを知り、かなり感激したということをインタビューで語っていた。

▼ 『トップガン』

 実際にこの『ふられた気持ち』は、アメリカのラジオで最も多く流れた曲だともいわれ、これまでに800万回以上オンエアされているという話もある。
 
 それだけにカバーするアーティストも多く、エルヴィス・プレスリー、ニール・ダイヤモンド、ディオンヌ・ワーウィック、ロバータ・フラック&ダニー・ハザウェイ、ダリル・ホール&ジョン・ウォーツなどが歌っている。
 ビル・メドレーは、後発ではホール&ウォーツのバージョンを一番気に入っているようである。

▼ トップガン(クロージング・シーン)

 こういう映像付きで『ふられた気持ち』を聞いてみると、あらためて “名曲” であるという思いを強くする。

歌詞はこちらを(↓)

You’ve Lost That Lovin’ Feelin’

You never close your eyes  anymore when I kiss your lips
And there’s no tenderness like before in your finger tips
You’re trying hard not to show it, (baby)
But baby, baby I know it

You’ve lost that lovin’ feelin’
Whoa, that lovin’ feelin’
You’ve lost that lovin’ feelin’
Now it’s gone,gone,gone,woah

Now there’s no welcome look  in your eyes when I reach  for you
And now you’re starting to  criticize little things  I do
It makes me just feel like crying (baby)
‘Cause baby,  something beautiful’s dying

You’ve lost that lovin’ feelin’
Whoa, that lovin’ feelin’
You’ve lost that lovin’ feelin’
Now it’s gone,gone,gone,woah

Baby baby, I get down on my knees for you
If you would only love me like you used to do, yeah
We had a love a love a love You don’t find everyday
So don’t, don’t, don’t, don’t let it slip away

Baby baby baby baby
I beg you please,please,please,please
I need you love,need your love
I need you love,need your love

So bring it on back, so bring it on back
Bring it on back, bring it on back

Bring back that lovin’feelin’
Whoa,that lovin’ feelin’
Bring back that lovin’feelin’
‘Cause it’s gone,gone,gone
And I can’t go on,woh

Bring back that lovin’feelin’
Whoa,that lovin’ feelin’
Bring back that lovin’feelin’
‘Cause it’s gone,gone,gone
 
 

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シニアマーケットはなぜ停滞するのか

 
 前回のエントリーでは、「若者の消費意識」について、最近のテレビのトーク番組などで語られている傾向を紹介してみた。
 今回は、「シニアの消費意識」の現状に触れたみたい。

▼ “老人大国” を迎えようとしている日本

 「シルバーマーケット」という言葉が生まれたのが、今からちょうど20年ほど前。
 当初は介護用品の市場を説明する言葉だったが、2000年代に入ると、人口ボリュームの多い団塊世代が60歳を迎えてリタイヤし、彼らが手に入れた退職金が活用されて新しい市場が広がるという見通しが広がった。

 その頃から、「2007年問題」などという言葉も生まれ、保険、旅行、金融商品、健康商品などを扱う各企業が、シルバーマーケットに参入しようと色めき立った。

 しかし、実際には、どの分野においてもマーケット的にはあまり大きな変化は見られなかった。
 その理由の一つに、年金支給が65歳に延長されたりするなか、その世代が60歳で定年退職をせずに働き続けたということがあるだろう。
 もう一つは、シニアの生活防衛意識が予想外に大きかったことも理由に挙げられる。
  
  
年金収入だけでは、月6万円の赤字が累積

 一般的な印象として、団塊世代はその後に続く世代よりも年金をたっぷりと支給され、そうとう優雅な生活をエンジョイしているというイメージがある。
 しかし、実像は異なっている。

 下は、世帯主が定年退職した家庭の「高齢者夫婦の平均的な生活費」(月単位)の実態である。
 データは総務省の2015年家計調査年報からとったもの。(出典 2016年8月17日の『深層NEWS』より) 

 ① 食料費 約6万2000円
 ② 居住費 約1万7000円
 ③ 光熱費・水道費 約2万円
 ④ 家具・家事用品費 約8000円
 ⑤ 衣料費 約7000円
 ⑥ 保険医療費 約1万5000円
 ⑦ 交通・通信費 約2万6000円
 ⑧ 教育費 ほぼゼロ
 ⑨ 教養娯楽費 約2万6000円
 ⑩ 交際費 約3万1000円
 ⑪ 直接税・社会保険料 約3万1000円
 ⑫ その他雑費 約2万7000円

 この出費額をトータルすると、約27万円ぐらいになる。
 ところが、年金だけをあてにしていると、この出費額を補うどころか、赤字になってしまうのだ。

 年金を中心とした高齢者夫婦のインカムは、平均約21万円。
 したがって、平均的出費額が27万円となると、なんと月6万円ずつの赤字ということになる。 

 これを、年間で換算すれば72万円の赤字。
 65歳から年金が支給されると計算すれば、75歳に至る10年間のうちに720万円の赤字が積み重なることになり、85歳まで生きるとなると、1440万円の赤字が累積する。

 このように考えると、シニアたちがある程度の資産を持っていたとしても、そう簡単に消費に回せないことが分かってくる。

 しかし、彼らはけっして貧乏ではない。
 年金を支給されながらも仕事を継続していたり、年金を支給される前に、すでに貯蓄を持っている人が多いからだ。

▼ 「老人コミュニティー」はどこも盛況

  
  
60~69歳代の貯蓄額は2402万円
 
 年金収入だけでは、上記のように月6万円程度の累積赤字が溜まっていく計算になるが、実は、貯蓄額でみると、シニアの裕福ぶりは若い世代に比べて際立っている。
 
 下は、2015年度の1世帯あたりの平均的「年齢別貯蓄額」である。(総務省調べ)

 ① ~29歳未満 255万円
 ② 30~39歳  666万円
 ③ 40~49歳  1024万円
 ④ 50~59歳  1751万円
 ⑤ 60~69歳  2402万円
 ⑥ 70歳以上  2389万円

 29歳未満の若い人の貯蓄額は少ないが、現在50~59歳の働き盛りの人々の場合は、1750万円の貯蓄を持っており、リタイヤを控えた60~69歳ぐらいのシニア世帯では、各年齢を通した最高額となる2400万円を確保している。
 さすがに70歳以上になると、多少下がってくるが、それでも2390万円という貯蓄額を維持している。

 最近は「下流老人」とか「漂流老人」などという言葉も生まれ、高齢者においても将来不安を抱える時代になったといわれるが、それでも日本のお年寄りたちはしっかりとお金を貯えて、今の厳しい時代を乗り越えようとしていることが分かる。
 
 
世界でも2番目に富裕層が多い国「日本」

 ここで注目したいのは、シニアのなかでも “富裕層” といわれる人たちである。
 野村総合研究所では、貯金などの資産額から借金を差し引いた純金融資産(正味金融資産)において、1億円以上の純金融資産を保有している人たちを「富裕層」と定義づけているが、その数は、2015年度で約245万人。

 これは、アメリカ(約435万人)に続いて多い数であり、3位のドイツ(約114万人)、4位の中国(約89万人)を抜いて、世界2位の位置を占めている。

 もっとも、さすがに “スーパーセレブ(超お金持ち)” は日本にはいない。
 諸外国には、日本円に換算して100億円以上を持っている超富裕層がけっこういるが、さすがにそのクラスの大金持ちは、日本には少ないそうだ。

 そういった意味では、日本はまだアメリカのような超格差社会にまでは進んでいないのかもしれない。

 それでも、野村総研の調査によると、日本の世帯数6000万世帯のうち、1億円以上の資産を持っている富裕層は、約100万世帯にのぼるという。

 この人たちの純金融資産の総和はだいたい241兆円。
 資産を持っている人の枠を、さらに60歳以上の人すべてにまで広げてみると、その純金融資産の総額は482兆円になるといわれている。

 日本の国家予算が年間約100兆円だというから、これはとてつもない額ということになり、専門家たちは、そのうちの1割でも消費に活用されれば、日本の経済も財政状況もそうとう好転すると期待する。

 しかし、その勢いはあいかわらず、にぶい。
 これだけの “富裕老人大国” でありながら、なぜ日本のシニアマーケットは活性化されないのか。
 
 
シニアの消費意欲を減退させる数々の “将来不安”
 
 それはやはり、前述したように、シニア層が生活防衛を意識して、支出を抑えているからだ。
 年金収入で生活を維持している一般的なシニア世帯はもとより、富裕層ですら(だからこそ?)、その消費傾向はますます堅実化している。

 この停滞がちの「シルバーマーケット」をどう切り拓いていくかということが、現在マーケットプランナーたちの大きな課題になっているのだが、ネットなどに掲載されているその方法論をざっと見渡してみても、あまり効果的な解決策は見出されていない。

 たぶんそれは、もうマーケティングの分野を離れた問題になっているからだろう。
 ずばりいえば、「政治」の問題である。

 基本的に、… 若者に対してもそうなのだが … 、シニアが危惧する将来不安を払しょくしないかぎり、シニアマーケットの伸びなど期待できない。

 では、現在、シニア層はどのような将来不安を抱えているのだろうか。

 ひとつは、年齢的なものから来る健康不安。
 やはり、これが一番大きい。
 年金だけで生活しようと思った場合、月々6万円程度の赤字が累積していくことになるのだが、もし一度でも大病を患ったら、それどころではない。
 シニアの場合、大病が原因で生活破綻に陥っていくケースは多いのだ。

 また、親や自分の配偶者の介護という問題も出てくる。高齢化社会を反映して、本来なら介護を受けても不自然ではないようなシニアが、さらに高齢の親の面倒を見なければならない “老老介護” などは、現在の喫緊の課題だろう。

 それ以外の将来不安として、たとえば熟年離婚などを機に、経済的に不安定になっていくケース。
 あるいは、いつまで経っても経済的に自立しない子供の生活をみなければならない “パラサイト不安” 。

 若者には若者の不安もあるが、シニアにはシニアなりの不安があるのだ。
 
 
これまでの成長戦略が通用しなくなってきた
 
 このような将来に対する不安が国民的に広がってきたのは、戦後の高度成長以降、日本が推し進めてきた成長戦略が通用しなくなってきたからだ、という意見がある。
 
 
 
 慶応大学経済学部の井手英策教授(写真上)は、
 「国民の暮らしを良くすることが “成長” の目的だったはずなのに、日本ではいつのまにか “成長” そのものが目的になってしまった。
 だから、成長が鈍化してしまうことが、すなわち国民にとっての不安要素になってしまった。そのことが現在この国を覆っている行き詰まり感の原因である」
 と語る。

 井出氏は、2016年の7月18日(月)に放映されたBSフジの「プライムニュース」(資本主義『最終局面』~脱成長依存と社会の形)というトーク番組で、
 「そもそも個人が貯蓄をしなければならない社会そのものがおかしい」
 と言い切る。

 どういうことか。
 日本は、戦後一貫して、真面目にコツコツと勤労にはげむ “立派な人たち” に利益を還元するような社会をつくってきた。
 そういう人たちを模範労働者として、「公共事業」で職を与え、「減税」で所得を返すという労働サイクルを完成させた。

 確かに、高度成長期まではそれが円滑に機能し、日本は右肩上がりの経済成長を続けてきたが、その結果、「自分で働いて自分で貯金しなければ将来不安を解消できない」社会をつくりあげしまった。
 
 
経済成長が止まれば、個人の貯蓄も止まってしまう
という理屈は正しいのか?

 本来、国民の将来不安を解消するのは、国家の仕事である。
 しかし、日本の勤労秩序は、子育てするにも、身内を介護するにも、自分の老後や病気に備えるにも、社会の助けを借りるのではなく、すべて自分で貯金して、自分で将来不安に立ち向かわなければならないような仕組みをつくり続けてきた。

 「だから、国の経済成長が止まった段階で、個人の貯蓄も止まってしまうのだ」
 と井手氏はいう。

 貯蓄が止まってしまえば、あとは生活するために、それを少しずつ切り崩していくだけだから、将来不安は日増しに増大する。

 では、どういう社会を志向すれば、国民の将来不安を解消できるようになるのか。

 個人で貯蓄するのではなく、社会全体で貯蓄するという考え方に舵を切っていけばいい、と井手氏はいう。
 
 
個人の貯蓄を社会が肩代わりする

 以下、トーク番組で井手氏が語っていた言葉をそのまま紹介する。

 「もう僕たちは自分で貯金するのではなくて、社会全体で貯金するようなイメージを浮かべるしかないんです。僕たちが税を通じて、社会全体に貯金を貯えるような気持を持てばいい。
 そうすると何が起こるかというと、たとえば大学が無料になったり、介護や福祉保育、医療費の負担がきわめて軽くなる。
 そうしたら、所得が減っても、とりあえず人間らしく生きていける。だって、自分で貯蓄していても、いつ死ぬか自分では分からない。そうなると過剰貯蓄になるんです。そのために消費が落ち込んでしまう。
 しかし、政府にプールしておいて、そのお金が人々の生活のために使われるのだったら、僕らは残ったお金を全部消費に回すことができる」

 井出氏は、こういう考え方を究めていくのが「財政学」だという。

 「経済」と「財政」の違いというのは、井手氏によると、「経済とは(物と物、あるいは物と金の)交換だけを扱う世界であるが、財政というのは、その交換によってほころびが出てしまう人間関係の修復を目指すもの」、すなわち、ともすれば一極集中化しがちな富を再分配して、富の平等化を図るもの、ということになる。

 その場合の「財政」の根幹となるのが、「税」である。
 「税金」というと、自分のふところに入るはずの財貨を国に差し出すというイメージがあって、庶民にははなはだ印象が悪い。
 
 しかし、その税金こそが、子育て、老後への備え、教育の充実、衛生設備の強化など、国民の暮らしを守るための社会資本の根幹をなすものとなり、それこそ “社会への貯蓄” そのものとなるわけだ。

 ところが、日本の歴代政権は、税金をそのように「社会への貯蓄」というふうには位置付けてこなかった、と井手氏はいう。

 むしろ逆に、国民の払った税を「減税」という形で返してしまい、公共事業で景気を煽って、その自然増収で所得を確保するという手法で乗り切ってきた。
 その結果、90年代ぐらいになると、公共事業が止まってしまえば、経済をけん引する事業が何もなくなってしまうという社会が生まれてしまった。
 
 
新自由主義的な「小さな政府」の破綻

 その手詰まり感を解消するために、時の政府が採った方法が「小さな政府」だった。
 いわば、本来ならば国家が率先して進めなければならない社会資本の整備を民間に任せ、国はできるだけ財政を切り詰めていった方が経済成長が図れるという、英米型のサッチャー/レーガン流 “新自由主義” が国家運営の要(かなめ)となった。

 それによって生じてきたのが、それまでの国家と企業間や企業間同士の「規制緩和」だったが、けっきょくコストを優先する民間企業が、それまで政府のやっていた事業をそのまま踏襲することなどあるわけがなく、国が行なっていた国民へのサービスの大半は、すべて「合理化」「効率化」の名目で廃止されていった。

 こうして民営化によって規制を解かれた各企業は、グローバルな競争に打ち勝つために、ひたすら利益を内部留保に回し、社員はリストラや給与削減などのツケを払わされるはめになった。

 もし、そのときに、時の政権が「小さな政府」に逃げ込むのではなく、しっかりした税収を計画し、そのその財源を「介護」「医療」「教育」などの社会資本の整備に回していたら、現在のように、多くの国民が “将来不安” におびえるような社会になっていなかっただろう、というのが井手氏の意見だ。

 したがって、これから日本政府が採るべき方針は、やみくもな経済成長ではなく、財源をしっかり見極めた上での財政再建ということになる、… というわけだ。
 
  
このままでは東京オリンピック後の日本が危うい
 
 今の段階で、財政再建のフレームづくりができなければ、「シニアマーケットの拡大」どころの騒ぎではなく、東京オリンピック後の日本の凋落すら危ぶまれる。
 井手氏が語るには、
 「日本経済研究センターというシンクタンクの予測によると、このままの状況で推移していけば、オリンピックが終わった後の5年間の実質経済成長率は0.5%。そして5年後からその先の10年後の実質成長率はゼロという推計が出ている」
 とか。

 その段階になると、もう国民感情は「将来不安」から「将来危機」にまで深刻化しているかもしれない。

 このような推論が正しいのかどうか。
 私は、経済にも財政にうといただの素人だから、にわかに判断できない。

 ただ、シニアマーケットの拡大を考えるのならば、こういう政治や財政の改革を視野に入れなければならず、単なるマーケティング分析的な市場操作では手に負えない段階にきていることだけは確かだ。
  
  
参考記事 「若者の消費が拡大しない理由」
 
 

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若者の消費が拡大しない理由

 
大人たちが「若者」に関心を持ち始めた

 「若者が変化している」
 という論調で構成されたテレビのトーク番組を、このところ立て続けに見た。
 もちろん、意図してそういう番組を追いかけたわけではなく、たまたまである。

 こういう番組が増えてきたということは、若者の動向を気にしている大人たちもまた増えてきたということを物語っているのだろう。

 いったい、大人たちは若者の何が気になるのか。

 その多くは、マーケティング的な関心だと思われる。
 すなわち、「若者の消費行動の実態を知りたい」
 そういう大人たちの関心が、経済学やら社会学、心理学などの研究成果を踏まえた今の “若者リサーチ” ブームを作っているのだろう。
 
 だから、分析にはたいてい電通や博報堂といった広告系企業の研究チームが関わる。

 最近、こういう番組を最初に見たのは、BSフジのプライムニュースだった。

▼ 「プライムニュース」の秋元優里キャスター

 テーマは、「今どきの『親子関係』~家族の “絆” はどこへ」(2016年8月16日)。
 作家の下重暁子、臨床心理士の信田さよ子、博報堂の原田曜平というメンバーが、親と親密な関係を好む若者たちが増えてきたことの理由や功罪を語っていた。
 
 
ママとデートを楽しむ男の子たち

 この番組の中で、「博報堂若者研究所リーダー」の原田曜平氏(写真下)は、着るモノから食事まですべて親の財布に頼って生活し、しかも母親と恋人同士のようにデートを重ねる若い男性が増えたことを指摘した。


 
 原田氏は、それを「ママっ子男子」と呼ぶ。
 年齢的にいうと、10代後半から20代前半の男の子たち。
 昔なら、その世代の男性は親と連れ立って街を歩くことなど恥ずかしくてできないものだった。

 しかし、ママっ子男子はまったく意に介さず、かつ仲間同士にSNSを通じて「ママとのデート」を自慢話のように流すのだそうだ。

 こういう若者たちの親世代というのは、年齢的に40代後半から50代前半。
 いわゆる “バブル世代” である。
 だから昔の母親たちに比べ、遊びに積極的だし、遊びの経験も豊富。
 さらに、複数の恋人やボーイフレンドを持つことが当たり前という風潮のなかを生きてきたから恋愛も上手。
 そのため、子供の恋愛相談にも自分の体験を交えて応じることができる。

 また、日頃から、エステやファッションにもお金をかけているので、“美魔女” といわれるお母さんも多い。
 そうなれば、息子だっていっしょに街を歩いているときも悪い気はしないし、家で同じテレビ番組などを見る機会が多いから、共通の話題も多くなる。

 まぁ、“母親デート” ぐらいまでは、私にも多少理解できるが、恋愛相談を母親に持ちかけるというのは、私にはもう理解できない。
 しかし、今の若者たちは、「恋愛相談の相手を選ぶときは、友人よりも親の方が安全」と言っているそうな。

 なぜなら、もし友人に恋愛相談などを持ちかけたら、たちまちSNSのエジキになってしまい、周りが先に騒ぎ出すからまとまる話もまとまらなくなるのだそうだ。
 その点、今の母親はさばけているので、込み入った恋愛にも適切なアドバイスをくれるとか。
 
 
ママっ子男子になるのは経済的な理由?

 博報堂の原田氏は、そういう母親と交流を深める今の男の子たちを、従来の “マザコン” とは区別する。
 彼らは、マザコンよりはもっと合理的で、打算的。
 ママっ子男子の「親依存」というのは、甘えというより、経済活動なのだという。

 「経済活動」とは、どういうことか?
 今の若い世代の平均的貯蓄額は、29歳未満で255万円(一世帯あたり 2015年総務省調べ)。
 それに対し、親世代の貯蓄額は40~49歳で1024万円。50~59歳で1751万円。
 どの親も、子供たちの貯蓄額の4倍から7倍ぐらいの貯蓄を持っている。
 世界的に格差社会が広がり、生活苦を抱える人々が増えているといわれる昨今だが、日本の大半の親たちは、まだ余裕のある生活を続けている。

 しかし、さすがに子供の世代はそうはいかない。
 有効求人倍率は最近増えたとはいえ、大手企業以外の若者の労働環境は依然として大きな改善がみられず、正社員になれずに非正規雇用で食いつないでいかなければならない若者も多い。

 総務省の2015年調査によると、現在の労働人口のうち、正社員は62.5%。
 それに対し、非正規労働者は37.5%。
 賃金ベースで見ていくと、1ヵ月あたりの正社員の賃金は32万1,100円。それに対し、非正規労働者の賃金は20万5,100円。

 問題となるのは、年齢が上がればこの賃金格差が解消されていくのではなく、そのまま固定してしまう傾向が強いことだ。
 だから、人生の最初を非正規社員としてスタートしてしまった若者は、正社員との賃金格差を抱えたまま一生を送る可能性が高くなる。

 また最近は、正社員の雇用環境も悪化する傾向が出てきており、正社員の賃金体系なども、待遇の不安定な非正規社員の方に近づいてきているという話も多い。

 それほど今の若者を取り巻く労働環境は厳しい。
 だから、彼らは消費に対して、ものすごく慎重である。
 貯蓄額は少なくても貯蓄率が高いというのが、彼らの金銭感覚の特徴であるという。

 そういう若者の立場に立つと、「ママっ子男子」として親に寄生しながら生きていくのも、一つの選択肢としてやむを得ない、と博報堂の原田曜平氏は語る。 
 原田氏によると、若者が感じている将来不安を取り除いてやらないかぎり、彼らの消費が伸びる可能性は低いという。

 
生まれたときから暗いニュースを見続けてきた平成の子供たち

 博報堂と並ぶ大手広告系企業に、電通がある。
 その電通にも「若者研究部」というものがあり、そこで若者リサーチを行っている奈木れいさん(写真下)は、フジテレビの「ノンストップ」(8月25日)で、若者たちが消費に消極的な理由を次のように説明する。

 すなわち、今の若者世代は、日本が不安に彩られ始めた時代しか知らないというのだ。
 たとえば、平成元年ぐらいに生まれた人たちを例にとると、7歳ぐらいのときに、阪神大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)を経験している。

 9歳ぐらいになると、神戸連続児童殺害事件(酒鬼薔薇事件=1997年)が起こる。
 そのような不安に満ちた事件が続く中で、この年あたりから企業の連続倒産が続き、サラリーマンのリストラが増え、ホームレスや自殺者が急増していく。

 2001年にはアメリカで、世界同時多発テロ。
 2006年にはリーマンショック。
 2011年には東日本大震災。

 電通の奈木れいさんによると、平成生まれの若者は、いろいろなものがあっけなく目の前で崩壊していくのを見続けてきたという。
 物心がついた頃から、彼らが目にするのは、企業倒産やバブル崩壊、地震やテロとった暗い報道ばかり。

 だから彼らは、その前の世代が持っていた「明日に期待する」という考え方を持たない。

 彼らの心境を探ってみると。おそらく次のような “つぶやき” が拾えるだろう。

 ・ 就職しても、自由な生活ができるほどの給料をもらえるかどうかは分からないから、とにかくリターンは少なくても、確実にお金がとれる仕事がしたい。
 ・ 就職するときは、給料体系が同じなら、少しでも労働時間の短い会社に入りたい。
 ・ 出張の多い会社や転勤が義務付けられる会社は避けて、地元の仲間たちと遊べる近場の仕事先を選びたい。
 ・ 仕事を見つけても、結婚相手をうまく探せるかどうかは分からない。
 ・ かといって、生涯一人暮らしだと、晩年になったときの心身のケアに不安が残る。
 ・ だから、将来に備え、少しでも手元にあるお金は大事にとっておきたい。
 ・ 自分のやりたいことを夢見ていても、実現できずに傷つくくらいなら、最初から夢など持たない方が幸せだ。
 ・ 親が援助してくれるなら、ためらうことなく “スネをかじりたい” 。
 ・ 結婚しても、家族同士で支え合うことが必要な世の中だから、3世代同居だってかまわない。家賃を親が払ってくれるのなら、その分浮いたお金を子供の養育費に回せる。
 
 
イマドキの若者を怒る大人たちの心理
  
 このようなイマドキの若者心理を列挙していくと、大人世代が「お前ら甘えるな !」と怒りそうだ。

 現に、このテーマが議論された8月16日の「プライムニュース」においては、作家の下重暁子氏(80歳)が、いつまで経っても自立できない「ママっ子男子」たちに鉄槌を下していた。

 下重氏( ↑ )はいう。
 「日本という国では、いまだに人間の “個” というものが確立されていない。親子がベタベタと依存し合うというのは、それぞれが “個”を確立するという厳しさを避けているからだ。
 家庭の中でも、“個” と “個” が対峙しないかぎり、人間の成長はありえない。だから、現在のベタベタした親子は嘆かわしい。
 私にもし子供がいたら、結婚相手には必ず一人暮らしをしている相手を選びなさいと言い続ける」

 たぶん、このような意見は、年配の人に限らず、最近の親子関係を知った人たちが持ちうる感想の最大公約数だろう。

 しかし、今の若者たちは生活する意欲がないわけでもなく、甘えているわけでもないのかもしれない。
 ただ、国民の将来不安を払しょくできない今の日本社会の現状に対し、きわめて合理的な自己防衛手段をとっているに過ぎないともいえるのだ。

 親に依存しがちな、この一見覇気のない若者心理の裏には、もしかしたら、大人世代に対する無言のプロテストがあるのではなかろうか。
 つまり、作家の下重暁子氏が力説するような、「近代的個人を確立せよ」というメッセージそのものが、今の時代とズレ始めていると思う若者が出てきたのではあるまいか。
 
 
近代的な “個” の確立とは何だったのか?
 
 下重氏が説く「 “個” の確立」というのは、19世紀から20世紀にかけて、近代社会を支える大きな柱だった。
 そして、“個” の確立は、近代民主主義の大前提として機能してきた。
 しかし、それは同時に、「個というマーケットを確立する」という意味で、資本主義の大前提でもあった。

 資本主義は、「個」という存在を作り出すことによって、はじめてマスマーケットを手に入れたといっても過言ではない。

 たとえば、テレビという家電を考えれば分かりやすいかもしれない。
 テレビの普及期には、一家に一台テレビがあればよかった。

 家庭の中における「個人」というものがしっかり確立されていない段階では、その一台のテレビが送信してくるプロ野球中継なり歌謡番組なりを、家族全員が仲良く楽しむことができたわけだ。

 しかし、さらにテレビを売るためには、「お父さんが見るプロ野球ではなく、アニメを見たい “僕” 」が必要になってくる。
 リビングに置いた家族全員のテレビではなく、個室でアニメを観る “僕” のテレビが必要になれば、一家にテレビは2台売れることになる。
 
 このように、家族の総意からはぐれてしまう「個」を創出することによって、先進国の資本主義マーケットは飛躍的な拡張を遂げた。
 
 だが、もしかして、その資本主義が揺らいできたとしたら、これからも “個” の確立というものが時代を支える巨大な柱になり続けるのだろうか。
 
 
「より速く」「より遠くへ」の時代は終わろうとしている
 
 経済学者の水野和夫氏(法政大学教授 写真下)は、2016年7月18日のBSフジの「プライムニュース」において、こう語っている。

 グローバリズムを標榜して、今日まで延命してきた資本主義システムが、ここにきて様々なほころびを見せるようになってきた。

 これは「より速く」「より遠くに」「より効率的に」という精神で突き進んできた近代資本主義が転換点を迎えていることを意味する。

 このまま突き進んでいけば、世界中の人々が過度なストレスに苦しめられ、心身の健康を損なうことにもなりかねない。

 それから逃れるためには、まず近代資本主義が掲げてきた「より速く」「より遠くへ」「より効率的に」というモットーを見直し、むしろ「よりゆっくりと」「より近くへ」「よりおおらかに」という精神を復活させなければならない。
 
 
 このように水野氏はいうのだが、この水野氏の意見と、前述したイマドキの若者が思い描いている世界観は、どこか似ているような気がしないか?

 つまり、若者たちの自閉的な “ミーイズム” は、いま地球上で猛威をふるっているグローバライズされた資本主義システムに対する抵抗運動であるかもしれないのだ。

 水野氏は、プライムニュースという番組を締めくくるにあたって、日本社会への提言として、「競争から協力へ」という言葉を残した。

 要は、こういうことだ。
 これまでの近代資本主義は、常に「競争」を掲げて国同士を戦わせ、企業同士を戦わせ、そして人間同士を戦わせてきた。

 確かに、資本主義が目指した「より速く」「より遠くへ」「より効率的に」生きる競争社会のなかで「自立した “個” 」という思想が生まれてきたが、その思想は一方では、個々人が血まみれの闘争を続けるイデオロギーとして機能し、ストレス社会を生み続けてきた。

 しかし、21世紀半ばを迎えるようになって、これ以上競争を繰り返していくことは、財政的にも資源的に見ても国家や社会の機能を疲弊させ、人々の生活を圧迫していくことがはっきりしてきた。
 だから、「競争から協力へ」だと水野氏はいうのだ。
 
 
競争から協調へ
 
 電通若者研究部の奈木れい氏によると、実は、今の日本の若者たちの気分を代弁するシンボルワードもまた、「競争から協調へ」という言葉なのだそうだ。
 今の若者たちは、少ない資源を競争で奪い合うことは、けっして豊かさの実現には向かわないことに気づいているらしい。

 今後、日本は加速度的に人口減少社会に向かって突き進んでいく。
 そのときに、欠けていく人口資源を補うのは人々の「チーム力」だ。
 1人+1人の力を合わせて2の効果を上げるのではなくて、チーム力によって、それを3にも4にも増やしていく。

 「競争より協調」
 良いことか悪いことかは別として、若者たちは、そういう方向に舵を切ったらしい。
 それは、きっとさまざまな議論を生むことになるだろうが、しかし、今までそういう議論がなかったことが不思議だったかもしれない。
  
  
参考記事 「シニアマーケットはなぜ停滞するのか」
 
 
   

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シン・ゴジラのシルエットに日本型美学を見る

 
地上に落ちた神の影
シネマ漂流(映画感想記)No.10
『シン・ゴジラ』
 
 

 『シン・ゴジラ』を観に行く。
 そのために、酸素ボンベをかついで、はじめて電車に乗った。
 
 電車の中や道路が混んでいると、ボンベがときどき人にぶつかる。
 無性に腹が立つ。

 ボンベに当たった人に対してではない。
 ボンベを引っ張って街を歩くような、そんな面倒くさい生活を強いられている現在の自分に対して腹が立つ。

 「肺血栓 塞栓性 肺高血圧症」
 なかなかやっかいな病気である。
 
 
 『シン・ゴジラ』の上映館に入る前に、昼食のために崎陽軒のポケットシューマイ(6個入り)とピーナツバターのランチパックをコンビニで買ったのだけれど、映画館に入って案内を見ると、建物内のフードコーナーで買った食べ物でないかぎり、場内にまでは持ち込めないという。
 また、腹が立った。
 
 少し時間があったので、パンフレットを買おうと思い、売店に寄った。
 お昼を過ぎたばかりなのに、すでに売り切れだという。
 また、腹が立った。
 老人は、脳細胞が縮小気味になるので、とかくキレやすいのだ。

 ウィークデーに『シン・ゴジラ』を観に来る客というのは、いったいどんな人たちなのだろう。

 夏休み中ということもあり、学生風の若者が多い。
 それとは対照的に、定年退職した感じのシニア男性も目立つ。
 若者様ご一行は、たぶん『エヴァンゲリオン』経由で監督の庵野秀明を知ったのだろう。
 一方のご老人族は、初代ゴジラ(1954年)以来の “ゴジラファン” といった感じだ。

 さて、『シン・ゴジラ』( ↑ )。
 シンとは、「新」だとも、「真」だとも、「神」だともいわれている。
 ゴジラ映画としては、通算29作とか。

 1954年。
 初代ゴジラが誕生したとき、私は4歳だった。
 だから、リアルタイムではこの映画を観ていない。
 ただ、この初代ゴジラはたいへんな評判になり、たちまち絵本や漫画はおろか、メンコ、すごろく、カルタなどの当時の子供用玩具の一大テーマとして市場にあふれた。

 私も親にカルタを買ってもらった。
 はじめて見るゴジラの姿は怖かった。
 怖いが魅せられた。

▼ ゴジラカルタ

 映画『初代ゴジラ』こそ観なかったが、2作目の『ゴジラの逆襲』(敵役としてアンギラスが出る)は観に行った。
 怪獣映画の大ファンとなった。

 『空の大怪獣ラドン』
 『モスラ』
 『地球防衛軍』(モゲラという怪獣型ロボットが出る)
 50年代の怪獣映画はほんとうに面白かった。

 ゴジラファンであった私だが、歴史的な記念作ともいえる『初代ゴジラ』を観たのは、実はつい最近なのである。
 2009年に、書店で『東宝特撮映画 DVD コレクション』(990円)というのを購入し、制作されてから55年経って、ようやく『初代ゴジラ』を観ることができた。

▼ 『初代ゴジラ』ポスター

 圧倒された。
 映像表現としては、最近の巧妙なCGによって造形される怪獣映画やSF映画などとは比べようもないほど稚拙。
 なのに、ゴジラの放つ存在感は、それ以降のどんなゴジラ映画よりも際立っていた。

 ゴジラという生物はいったい何なのか。
 『初代ゴジラ』においては、たぶんスタッフたちも、そして役者たちも、撮影が始まってから、ようやくゴジラのケタ外れのスケール感に気づいたのだ。
 だから、ゴジラの存在に圧倒された役者たちの表情は、もう演技ではない。
 あれは、ホンモノを観てしまった者たちだけが見せる怯えの表情だった。
 
 
 さて、それから約60年経って登場した、この『シン・ゴジラ』。
 存在感でいえば、ゴジラ映画の最高傑作といえる初代『ゴジラ』をあっさりと抜いた。

 最新のCG技術によって作り出されたゴジラ像は、とにかく緻密。
 そして、リアル。
 映画には臭いというものがないのに、まるで深海から上がった海洋生物の腐臭が漂ってきそうなほど、リアルなのだ。

 それでいて、ゴジラがいったい何のか。
 観客にはなかなかその謎が明かされない。

 「深海から浮上してきた巨大海洋生物」

 与えられたインフォメーションはそれだけ。
 観客がゴジラの正体を知りたいと思っても、映画に登場する研究チームの調査発表を待つしかないのだ。
  
 話が進むにつれ、少しずつゴジラの秘密が解けていく。
 それは、体内に核エネルギーを取り込んで生き延びるという、これまでの地球には存在したこともない新しい生命体だった。

▼ 最新兵器を駆使した自衛隊の攻撃にもびくともせず、鎌倉に上陸したゴジラは多摩川を越える

 正体が明らかになってから、ゴジラが放つ光彩がより一層明るさを増す。
 ただの “巨大生物” から、次第に “地上に落ちた神の影” へと、ゴジラは黙示録的な聖性を帯びていく。

 なによりも美しいのは、そのフォルムである。
 歴代ゴジラのなかでも、このシン・ゴジラのシルエットは最高のフィルムを獲得している。

 特徴的なのは、ティラノザウルス風の短い前足。
 この小ぶりの前足のために、上半身を細目に絞ることが可能になり、安定した二等辺三角形のフォルムが生まれるようになった。
 それこそ着ぐるみではなく、CGで造形したことのメリットがもっとも生かされた部分といえるだろう。
 

 
 それにしても、ゴジラの造形には、なにやら日本的な美学が感じられる。
 シン・ゴジラのフォルムの美しさは、戦艦長門や大和などに代表される日本型戦闘艦のフォルムにも似ているのだ。
 長門などには、「パゴダマスト」とも呼ばれる重厚に積み重なった独特の艦橋が配置されていたが、(実戦的効果はともかく)、そこには日本型戦艦だけが持つ独特の美学があった。

▼ 戦艦大和

▼ 長門の “パゴダマスト”

 海を横切って上陸するゴジラ(↑)は、まさに、現代によみがえった日本型戦艦そのものである。
 このフォルムの美しさは、やはり2014年のハリウッド製『ゴジラ』には見られなかったものだ。

▼ ハリウッド製ゴジラ。ずんぐりむっくりしている。日本のゴジラがスマートな「ゼロ戦」フォルムだとしたら、ハリウッド製ゴジラは、ぼっこりした「グラマン・ヘルキャット」だ

  
 さらにいえば、シン・ゴジラのシルエットは、伝統的な日本の城塞建築にも通底している。
 階上に行けば行くほど、スリムにそそり立つ天守閣。
 その細身の天守閣を堂々と支える “たくましい下肢” を思わせる基底部の石垣。
 シン・ゴジラは日本の美そのものだ。


 
 とにかく映像的な迫力では、2016年の『シン・ゴジラ』はこれまでのゴジラシリーズの最高峰であるかもしれない。

 しかし、あの記念碑的な『初代ゴジラ』(1954年)と比べると、何かが足りない。
 それは何だろう?

 『シン・ゴジラ』には、『初代ゴジラ』にはないリアルさもある。
 存在感もある。
 造形的にも美しい。

 ないのは、不条理感である。

 「わぁ、この世にこんなことがあってよいものかぁ !? 」
 というような、頭が混乱して、思考停止を招くような不条理感が、この『シン・ゴジラ』には欠けている。

 だからスクリーンの中で、ゴジラが重量級の猛威をふるっていても、そこにあるのは、予定調和の「破壊」と「恐怖」と「喪失感」にすぎない。

 たぶん制作者側が、ゴジラの暴虐に対し、東日本大震災のアナロジーや、核開発への警告といったメッセージを匂わせたかったからだろう。
 その分、理屈の部分が勝ってしまって、不条理感は後退した。 
 
 ただ、そのことによって、ストーリーは面白くなった。
 ゴジラ対策本部で活躍する政治家、官僚、技術者に、いずれも練達の役者を配しただけあって、政治ドラマとしてはなかなか見応えがあった。

 肺高血圧症で、自宅療養を続けてきた夏休み。
 その最後をゴジラ映画でしめくくって、私の夏も終わり。 

参考記事 「ゴジラの降臨」
 
 

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日本のニュースは芸能化が進んでいる

 
 Windows10になってから、WEB上のニュースサイトがなかば自動的に閲覧できるようになった。
 「MSNニュース」というやつ。

 そこには、世の中の出来事が、デイリーにアップされてくる。
 パソコンと向き合い、自分の抱えている作業に取り掛かる前に、まずその「MSNニュース」をザァッと閲覧する習慣がついてしまった。

 MSNニュースは「国内」「海外」「経済」「テクノロジー」「話題」「スポーツ」「エンタメ」「注目」という項目に分かれている。
 それらの見出しを眺めるだけで、テレビニュースなど見なくても、その日起こった出来事の概要を知ることができる。

 そういった意味で、パソコン作業前のウォーミングアップにはちょうどよいのだが、いつまでもこういうニュースだけを眺めていると、世の中を見る目が次第に片寄っていくだろうな … という気もした。

 どういうふうに片寄るのか?

 政治的・思想的に偏向していく、というようなことではない。
 バカになっていくのだ。
 だって、どのニュースも、基本的に “芸能ニュース” のノリなのだ。東スポ的というか。
 
 まず、見出しが煽情的。
 「女優の ×× が父親不明の子を妊娠して番組降板が決定 ‼ ………………………… か?」
 という感じ。

 まぁ、こっちも長年記事の見出しなどを考える仕事をしていたから、分かるのだが、タイトルの付け方は確かにうまい。
 人間には、基本的に “他人の秘密を覗き見たい” というゲスな欲望があるが、それをうまくくすぐるような見出しが多いのだ。

 「夫の姑だけが気づく、不倫妻の言動変化」
 とかさ。
 「独身男がドン引きする、イマドキ女子の婚活3スタイル」
 とか。
 「シニア男がモテる “枯れ専” が復活の兆し」
 とかね。

 定年退職をして、もう外でやんちゃすることもなく、日々家のリビングに座ってのどかな暮らしを送っているシニア層でも、思わず、「えへっ ‼」、「おお ?」、「やべ ‼ 」と身を乗り出すような記事がアップされてくるのだ。

 こういうのを、メディアの “芸能化” という。
 芸能化したメディアは、新しいカリスマを要求する。
 つまり、今まで世の中を政治、経済、社会、文化などに分けて語っていた専門家ではなく、すべてを一括して語れる芸能人が、それまでの言論人に取って替わるのだ。
 ダウンタウンの松本人志とか、俳優の坂上忍などは、まさに芸能メディアの新しいカリスマではなかろうか。
 こういう人たちに加え、さらにテリー伊藤とか橋下徹といった名前を挙げてもいいかもしれない。

 MSNニュースの世論を引っ張っているのは、ほぼこういう人たちである。
 たとえば「松本人志がSMAP 解散について自分の意見を披露」とか、「坂上忍が高畑裕太容疑者をガチで怒る」とかいうように、こういう新カリスマたちが “芸能人の目を通して” 意見を述べることが、いまや “世論” なのだ。

 もちろん、芸能人が社会事象に口を出してはいけない、などということは全くない。若い頃から独立独歩で生活を戦い抜いてきた芸人たちは、組織の庇護の下で働いてきたサラリーマンとは違って、しっかりした世間知や生活知を身に付けていたり、冷静な分析視点を持っていることが多い。
 そういう芸能人コメントは、経済や政治の専門家が語ることよりも変化球が多くて面白いし、かつ解りやすい。

 でも、しょせん “素人” である。

 世の中には、芸人として獲得した世間知や生活知だけでは分析しきれない出来事だっていっぱいある。
 それなのに、“解りやすくて面白い” という一点で、読者がカリスマ芸能人たちの言動をうのみにして、世の中の仕組みを理解したつもりになることは、脳軟化症に陥っていくだけだ。

 それに、まずメディアによって「世論をリードするカリスマ」に仕立てられた芸能人たちが可哀想である。
 たとえば、熟考する前にポロリと発言した意見が、それこそ究極の “神のご託宣” のように扱わてしまうと、彼らだって次第に自分のポジションを見失ってしまうだろう。

 なかには、すでに「俺の発言が世論をつくっている」みたいに錯覚し、やたら知識人っぽい表情をテレビでさらしている大物芸人だって出てきている。
 そういう自意識過剰の芸人を見ていると、ほんとうに痛い。メディアはずいぶん罪なことをしているな、と思う。

 いま私が、政治、経済、社会の分野に、芸人・タレントとして発言できる才覚があると思っているのは、デイブ・スペクターとマツコ・デラックスである。それにビートたけしを入れてもいいかな。

 デイブ・スペクターははっきりした意見をいいつつも、語る内容に関しては事前の下調べが行き届いているから、安心して聞いていられる。

 マツコ・デラックスは頭がいいから、社会や文化にたいして印象批評のようなものを口にしても、足を取られるような失言を回避する慎重さがあって、危なげない。
 それに彼(彼女?)は、含羞の人だから、芸能人が真顔になって「社会に、もの申す」という態度をさらすことがカッコ悪いことだと知っている。

 ビートたけしは、けっこう世論をズバズバ斬るように見せかけて、必ず “お笑い” の逃げ道を作っている。
 だから生臭い話題を扱っても、嫌味がない。
 この人も、やっぱり頭のいい人だなと思う。

 ネット見ていたら、たけし監督の『アウトレイジ』の3作目がひそかに作られていることが分かった。
 これは早くみたい !
  
 

カテゴリー: ヨタ話 | 2件のコメント

『ワンピース』ってどこが面白いの?

 
 テレビで、あまりにも『ONE PIECE(ワンピース)』の宣伝をやっていたので、WOWOWで放映されていた『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』(ワンピース フィルム ストロングワールド 2009年)というアニメを観た。

 ミスチルのテーマソングが流れるエンドロールまでしっかり観たけれど、正直にいって、何が面白いのか、最後まで分からなかった。
 
 この作品を、どう楽しめばいいのか。
 もし、上手に解説してくれる人がいたら、ぜひ楽しみ方を教授してもらいたいと思っている(皮肉とか挑発で言っているわけではない)。

 見終わってから、遅まきながら、『ワンピース』というのが、どういう作品なのか、ネットで調べてみた。
 「ギャッ ‼」
 という感じである。
 4~5年前ぐらいに生まれた新人作家の漫画だと思っていたら、なんと、1997年から『少年ジャンプ』に連載されている長寿漫画なんだそうだ。

 この作品が世に出てから、約20年。
 失礼な言い方かもしれないが、この20年間、これまで自分がその存在に気づいたことは一度もなかった。

 Wikipedia によると、この漫画の累計発行部数は3億2000万部を突破しており、「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネスの世界記録に認定されているのだとか。

 ということは、日本人の大半に愛されている “国民的コミック” ということであり、間違ってもそれを批判したりしたら、たちどころに大バッシング、大炎上になるという、恐れ多い作品ということになる。

 ネットで「ONE PIECE」という言葉を検索してみた。
 グーグルでは、2億2千7百万件。
 ケタ違いのアクセス件数である。
 漫画誌に掲載されてから20年経ったわけだから、歴史的な蓄積もあるのだろうが、やはり今なお熱狂的な支持者によって支えられている作品であることを物語っている。

 そういう漫画(&アニメ)だけに、ネットに出てくる「ワンピース」をめぐる言論は、少し宗教がかっている。
 熱烈な信者たちの厚い壁にさえぎられて、知らない人間が情報の核心にたどり着けるような余地がないのだ。
 書き込みの大半が、各シリーズのディテールへのこだわりと、そのオマージュによって占められており、登場人物の名前や特殊用語を知らないと門前払いを食わされてしまう。

 ようやく、この作品に対して “批評的な” な私見を披露しているサイトを見つけた。
 書き手は、いちおう物書きさんのようだが、基本的にはフツーの人のブログだった。

 その人は、「ワンピース」という作品に対して、
 「“信念と叫び” ばかりが強調される無内容な作品。主人公のルフィの心情を占めているのは、空虚な精神論だ」
 という結論でしめくくっていた。

 私も、今回アニメ1作を観ただけではあるが、このblog主の書いたことが理解できそうな気がしたので、記事を終わりまで読んでみたが、やはり、こういう熱狂的な支持者を持つオバケ的なヒット作品に盾突くと、惨いことになることが実証されていた。

 コメントの大半が、記事内容に対する怒り、批判、冷笑、侮蔑なのだ。
 その数、およそ339件。
 もちろん、blog主の記事に理解を示すコメントも散見されたとはいえ、圧倒的に多かったのは、罵詈雑言に近いような攻撃的反論だった。 

 いわく、
 「“人気漫画を否定してる俺カッコイイ” っていう典型的な奴ですね(笑)」
 いわく、
 「論ずるのであれば、最低でも全巻(現在までで82巻)読んでからすべきだと思いますよ」
 いわく、
 「嫌いなら嫌いでいいけれど、ネットで批判するなよ。チラシの裏に書いてろよ」
 
 さらには、あからさまに “売れたものが正義” という論理を振りかざすコメントもあった。
 いわく、
 「面白くなかったら売れてねーよボケナス、頭おかしいんじゃね?」

 いわく、
 「あんたが時間かけてこの小さいアンチ記事を書いて『ONE PIECE』に噛み付いてる同じ時間に、(作者の)尾田は世界規模で評価されてる漫画の原稿を描いて、とっくに一生遊んで暮らせる金を稼いでるんだぜ。
 人の書いたものを批評してるヤツが何言っても説得力ないんだよ」

 もちろん、しっかりした理論に基づく “ワンピース擁護論” もあったけれど、基本的には、上のような言論に代表される感情的な罵倒コメントが大半を占めた。
 
 これって、どういうことなんだろう?

 つまり、この『ワンピース』という漫画(&アニメ)に対しては、ほんの少しでも批判的な言辞を吐くことが許されないという空気が醸成されているということなのだ。
 
 だとしたら、これはとても興味深いことではないか?
 すなわち、ギネスブックで認められるほどの発行部数を誇る『ワンピース』の主要読者層を分析することは、まさに一種の “日本人論” になるのではないか?

 では、『ワンピース』とは、いったい日本の何を浮かび上がらせているのか?

 繰り返すけれど、自分はたまたまWOWOWでアニメを1作を観ただけだから、このシリーズ全体を論じる資格などないことは分かっている。
 だが、ちょっとした “感想” だけなら許されるだろう。

 まず思ったことは、「なぜこの作者(尾田栄一郎氏)は、タッチの荒い線画にこだわるのだろうか?」ということだった。
 (『ストロングワールド』に続いてWOWOWで放映された3Dアニメにおいても、基本的に線画だった)

 主人公のルフィの目は、ものすごくシンプルな円形。
 瞳は “ナカグロ(黒点)” 。
 その円形構造が、喜怒哀楽に応じて直径を伸ばしたり、縮めたりするだけ。

 口は両頬に達するほど大きく、笑っても、怒っても、上下の歯ががっちり噛み合っていることが多い。
 つまり、基本的にはいつでも歯を食いしばっているのが常態ということを暗示している。


 
 他の登場人物も基本的に同じ。
 シンプルな線画で、丁寧さよりは粗さが強調される。

 自分の好みを優先してしゃべる機会を与えてもらえるのなら、私はまずこの荒いタッチの人物造形が好きになれないのだ。
 そこにキャラクターの内面の貧困さが露呈しているように見えるからだ。


 
 ま、それは個人の好みの問題だから、私がそう言い切っちゃうと「ワンピース」の信奉者には腹立たしい気分を与えるだけなんだろうけれど、嫌われることを覚悟ではっきり繰り返すけれど、「俺はあの漫画に出てくるキャラクターたちの顔が嫌いだ !」

 彼らの表情はみな怖い。
 ルフィの仲間であるサンジやロロノア・ゾロは、常に相手を威嚇しているようにしか見えない。
 才色兼備の美女とされるナミも、絵が荒いだけでなく、男に対する態度が荒いし、言葉もきつい(ツンデレ狙いなんだろうけれど)。

 だから、最初に観たとき、そういう人物たちが、ルフィの仲間ではなく、みな敵役だと勘違いしてしまったほどだ。
 
 「ワンピース」の仲間たちというのは、基本的に “強面(こわもて)” である。
 仲間同士が声をかけ合うときも、物腰が荒く、表情も言葉も優しくない。
 だからこそ、逆説的に、表面に現れない仲間同士の絆の強さを強調することになるのだが、こういう感情表現って、基本的にヤンキーである。

 このアニメを観ていて、すぐに感じたのは、ヤンキー文化だった。
 「考えるな、感じろ」の世界。
 「自分が幸せかどうかは、夢を持てるかどうかで決まる」
 「大事なのは、冷静さではなく、気合」
 「法や道徳的規範よりも、仲間の絆が大事」
 そして、仲間同士が喜ぶときも、騒ぐときも、さらには戦う前でも、常にアゲアゲ・ノリノリの「テンションMAX」。

 「ワンピース」の中心にドカッと居座っているのは、このようなヤンキー文化だ。
 特に、ヤンキー気質のなかでも「気合」は何よりも尊いものとされ、体も小さく、さほどクレバーとも思えないルフィが主人公でいられるのは、「気合」の激しさで、一個人の限界を超えた力を発揮するからだ。
 
 この作品にヤンキー気質を感じたのは、私だけでなく、ネットでも多くの人が指摘しているようだし、ホリエモン(堀江貴文氏)が、この作品の「マイルドヤンキー的な価値観についていけない」とネットで発言していたのを見たことがある。

 実際に前述した “ワンピース批判” のブログ記事に対するコメントのなかには、
 「読者層にはヤンキーが多いような気がする」とか、
 「“仲間を大切にする” という狭い視野もマイルドヤンキーといわれる人々の感性にマッチしている」 
 との指摘もあった。
 
 
 日本に、現在のようなヤンキー文化が定着したのは、1990年代だといわれている。
 それまでは、他者を威嚇して犯罪を犯すような “不良グループ” が、1990年代になると形を変え、強面(こわもて)キャラを維持しつつも、お茶目で、和気あいあいと仲間同士のコミュニケーションを楽しむ今のヤンキー気質が育ってきた。

 「ワンピース」の漫画連載が始まったのは、1997年。
 まさに、ヤンキー文化の興隆と期を同じくしている。

 両者には、どういう関係があるのだろうか。

 ネット情報によると、2011年にNHKの『クローズアップ現代』という番組が、「漫画 “ワンピース” メガヒットの秘密」という特集を放映したという。

 それによると、そこに登場した解説者が、
 「『ワンピース』の魅力は、登場人物が仲間を大切にするところ、仲間のために敵に立ち向かうところにあり、それこそ『ワンピース』が連載された時代の世相と関係がある」
 といったそうな。

 どういうことか。
 そのネット情報を多少意訳しながら、紹介してみる。 
 
 「『ワンピース』の連載が始まった1997年というのは、日本ではバブルが崩壊し、経済が停滞した時期だった。
 このときに、就職氷河期という言葉が生まれ、やっと就職した若者も、企業の終身雇用制の廃止やリストラの実施で、閉塞感につつまれていた。
 これまでの価値観がそうやって崩壊していくなかで、若者が努力しても報われない社会状況が進み、『ワンピース』のように、挫折やトラウマを抱える登場人物たちが、仲間との絆を強めながら過去の欠落感を埋めつつ未来に向かっていくという話が読者の共感を誘った」

 たぶん、この分析は外れていないだろう。
 というのは、(最近ずっとブログで書いてきたことだが)、1990年代は、日本人を取り巻く社会環境がドラスティックに変化し、それに応じて、日本人の価値観や人生観がガラッと変わった時代だったからだ。

 慶應大学経済学部の井手英策教授は、あるテレビ番組(プライムニュース)で次のように語っている。

 「90年代の後半に、日本社会や日本経済は劇的に変わった。政治・経済・社会・文化のデータを見ると、どの分野でも、驚くほど一斉に変わったことが分かる。
 この時期、日本はグローバルな経済戦争に巻き込まれ、その過酷な競争のなかで日本企業はひん死の状態にあえぐことになった。
 さらに、バブル崩壊によって、土地の地価が下がり、銀行の融資を受けようとしても土地の担保価値がどんどん減少していった。
 (そのため)、96年から97年にかけて、日本の各企業は内部留保を増やす方向に舵を取った。(つまり)人件費を削って、非正規雇用を増やしていく方向にはっきりと転換した。
 このときに自殺者の数も24,000人から33,000人に増えた。これは雇用の場を奪われた人々の悲鳴だった。
 そのすべてが、グローバリズムの中で生き延びるという国際競争のなかで起こった悲劇だった」

 漫画『ワンピース』も、そういう季節のなかで生まれたのだ。

 この物語の主人公たちが “海賊” であることは象徴的である。
 この時期、格差社会の下層に甘んじなければならない若者が大量に生まれた。
 
 その若者たちに、この漫画は “海賊” という生き方を提示したのである。
 つまり、社会のエリートコースに進むことをあきらめざるを得ない若者たちに対し、アウトローである海賊のように、優等生的な規範の “外” に飛び出す勇気と夢を、この漫画は与えることになったのだ。

 連載が開始されてから、約20年。
 イメージとしての “海賊” に鼓舞された若者たちは、いま30歳から40歳ぐらいになっている。
 ネット情報によると、今の『ワンピース』の読者層の9割は大人だという。
 年齢構成を調べてみると、1~18歳が12%、19~29歳が43%、30~49歳が32%、50歳以上が13%だそうだ。

 そのコアとなる読者層は、20歳代から40歳代まで。 
 一般的に、ジブリアニメを愛した世代より10歳ほど若い。

 ジブリ作品の場合は、『風の谷のナウシカ』が1984年。『天空の城 ラピュタ』が1986年。『となりのトトロ』が1988年。
 現在も語り継がれるジブリの初期の名作といわれるものは、いずれも1980年代に登場しており、その作品に接したファン層も、1990年代後期に登場する『ワンピース』より1世代古い。

 10年の違いでしかないが、ジブリと今の「ワンピース」がそれぞれ背後に秘めている “世界観” はあまりにも違い過ぎる。
 
 『ワンピース』のファンは、物語の背後に貫かれている世界観の深さを強調したがるが、それはジブリ系作品と比較した上でのことだろうか。
 
 これは、私の個人的感想だが、ジブリ作品は観客に「宿題」を残す。
 たとえば、『もののけ姫』を観た後には、「文明と自然は共生できるのだろうか?」「人間という存在は文明なのか? それとも自然なのか?」などという宿題を渡された。

▼ 宮崎駿 『もののけ姫』

 『風立ちぬ』を観た後は、「国家が戦争に向かうとき、技術者には何ができるのか?」「人間に戦争を止めることは可能なのか?」といった宿題を与えられた。

▼ 宮崎駿『風立ちぬ』

 
 しかし、『ワンピース』には宿題が何もなかった。
 「悪人が退治され、仲間がみな帰ってきて、めでたしめでたし」で終わってしまったのだ。

 エンターティメントはそれでいいという意見もある。
 “芸術” ならば、作者からのメッセージも必要だろうが、エンターティメントには観客の頭を悩ませるようなメッセージは不要だという人は多い。
 
 事実、『ワンピース』の原作者である尾田栄一郎氏自身が、「世の中に対してどうこういう難しいメッセージは作品に持ち込まないようにしている」と言っているのだから、ジブリ系アニメのような思想性を『ワンピース』に求めるのは “お門違い” ということになるだろう。

 まぁ、世の中にいろいろな作品があっていい。
 芸術的な嗜好が強い人もいれば、エンターティメントにのみ関心を寄せる人もいるからだ。

 ただ、自分がアニメを鑑賞するなら、ジブリ系の方が好きだ。
 さらに好みをいえば、自分が思っている日本のアニメの最高傑作は、(現在のところ)2004年に押井守が制作した『イノセンス』だ。
 たぶん、ここで追求された映像美は、21世紀アニメの金字塔となるはずだ。

▼ 押井守 『イノセンス』
 
 
 
参考記事 「押井守 『イノセンス』」
 
参考記事 「宮崎駿 『 風立ちぬ』」
 
 

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団体戦に強い日本アスリートたち

 
 2016年のリオ・オリンピックももうじき閉幕。
 残すところ2日となったこの19日の午後3時現在、日本のメダル獲得数は、金・銀・銅合わせて41個だという。
 これは、大会史上はじめてのことだとも。

 それにしても、男子の400mリレーは圧巻だった。
 個人で出場した100m走では、9秒台を出した選手が一人もいないというのに、4人合わせたタイムが37秒60。
 1位となったジャマイカチームが全員9秒台の選手をそろえたのに比べ、9秒台を出したこともない日本の選手たちが、リレーではジャマイカチームにまったく遜色のない戦いぶりを示して、銀メダルを獲得した。

 日本の勝因はどこにあったのか。
 個々の走者のレベルアップもさることながら、バトンタッチの技術に磨きをかけたところにその勝敗を分かつ理由が秘められていた。

 このブログの前の記事でも書いたことだが、今回のオリンピックでは日本人アスリートたちが団体戦においてめざましい力を発揮したことが大きな特徴であった。

 団体戦といっても、個人競技もある種目での団体戦である。
 陸上の男子400mリレーしかり(銀)。
 男子体操しかり(金)。
 あるいは、女子&男子卓球(銅)。
 さらには、女子バドミントンのダブルス(タカマツペア 金)。

 要するに、「ペア」「デュオ」「ダブルス」「チーム」と呼称はさまざまながら、複数の人間が仲間と呼吸を合わせながら試合を進めていくときに強さが発揮された。
 柔道やレスリングは個人戦ではあるが、日本の場合はチーム一丸となった練習や応援の積み重ねがメダル獲得につながっており、そういった意味で「チーム力」の勝利といえよう。
  
 これは、やはり、日本人が昔から大切にしていた「和の精神」の復活といえるのではないか。

 昔から、身体能力に優れた欧米アスリートに立ち向かうためには、日本はチーム力を強化することでしか勝機をつかめないといわれ続け、ひたすら団体訓練を続けてきた日本人選手団ではあったが、ここにきて、単なる連携プレイの強化だけでなく、個々の選手間が交わし合う「信頼」とか「愛情」、「尊敬」といったメンタル面がものすごく強くなってきたように思うのだ。

 400mリレーで銀メダルをとった選手たちが勝利インタビューで口々に語った言葉は、「とにかく仲間を信じて自分のベストを尽くすだけに集中した」というものであった。

 こういう表現は、日本人選手ならば昔から口に出していたものだが、2016年次においては、彼らの語る “仲間” という言葉が温かくなっているのを感じた。
 昔は、「仲間を裏切ったら申し訳ない」という悲壮感が漂っていたものだが、今の若いアスリートたちにはそれがない。
 たとえ誰かが失敗してチームが敗退しても、やはりメダルを取ったときと変わりなく健闘をたたえ合おうという大らかさが感じられるのだ。
 
 それは、現代っ子たちの “たくましさ” ともいえるだろうが、それ以上に仲間に対する「信頼」「尊敬」「愛情」の強さが表に出てきたからだろう。 

 前のブログで書いたことの繰り返しとなるが、やはり日本人の何かが変わってきている。
 個々人の人生を、社会的な地位や所得の多寡で評価し、無慈悲に「勝ち組・負け組」で分類してきた1990年代的思考から、ようやく日本人が抜け出してきたようにも見える。

 “失われた20年” と呼ばれた1980年代後半から2000年代の初頭にかけて、日本人の人生観や価値観はガラリと変わった。
 
 その時代においては、「グローバリズム」を標榜する英米の新自由主義的な政策が日本の経済界を席巻し、そういう経済社会が生み出す人間像が、その時代の新しいスタンダードとなった。
 それは、市場経済の競争原理をあからさまにむき出して、他者を出し抜いていくことを “正義” とする人間像だった。

 その時代に大手を振ってまかり通っていた言葉は「自己責任」。
 つまり、世界の紛争地帯に取材で出かけてテロリストに拉致されて殺されても、それは「自己責任」。
 学歴や経済的問題で一般的な企業に就職できず、労働条件の不安定な非正規雇用で働くことも、「自己責任」。
 
 1990年代後期には、脱落者を「自己責任」という言葉を使って置き去りにすることが、何か社会人のモラルであるかのような風潮がまかり通っていた。
 
 しかし、今の2010年代を生きる若い人たちは、社会から受ける厳しさを他者になすり付けて自分だけ生き残ることよりも、他者といっしょに手を取り合って脱出する方向に舵を切ったように思える。
 リオ5輪の団体戦を勝ち抜いた若いアスリートたちからは、まさにそういう決意が強く伝わってくるような気がする。 

 もちろん、仲間の置かれた立場に思いを馳せるという “共感能力” は自分と他者の絆を固める武器ともなるが、弊害も生む。
 
 かつて、集団や組織のなかでは「空気を読む」ことが大切だとされ、場の状況を敏感に察知する能力が珍重されたが、それが逆に、「空気を読めない人間」を排除するという排他性、閉鎖性を生み出す原因となった。

 また、場の空気を読むことが優先されたために、自分の気持ちを押し殺して仲間と表面的な統一行動に従事する風潮(=同調圧力)も問題となった。

 そのように、他者の “心を察知する” ことは、時と場合によっては、面倒なことに巻き込まれることもあるのだ。

 しかし、「空気を読むこと」の弊害や、同調圧力の息苦しさを経験してきたからこそ、今の若い人たちはそれを乗り越える処世術も身に付け始めたのではないか。

 どんな場合でも、メリットとデメリットは、メダルの裏と表の関係にある。
 仲間の気分を察知して、いやいや自分を押し殺すことは「同調圧力」に負けたことになるが、仲間と呼吸を合わせ一致団結することは「結束の固さ」の確認となる。

 「ポジティブ・シンキング」とは、メリットのみを妄信することではない。
 メリットの裏側に潜むデメリットを洞察しながら、メリットを選ぶ勇気。
 それが「ポジティブ・シンキング」の本当の意味だ。  

   

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リオ5輪で感じる「和」の精神とSMAP問題

 
 今の日本の “気分” というか、“空気” というものは、やはりテレビが作っているんだな … という気がする。

 病院で入院していたときも、今こうやって酸素吸引しながら自宅療養しているときも、基本的に戸外に出ることなくテレビばかり観ているから、テレビが送り出してくる “空気” のようなものに、体中があっけなく染まってしまう。

 そして、テレビというのは一夜にして、「時代の空気」を変えるものだと思った。
 
 入院中に観ていたテレビから感じたのは、
 「世界はだんだん暗い時代に入っていくんだな … 」
 という感覚だった。

 日本では、相模原市の障害者施設に侵入した元職員の男が、入居者19人を殺害したというニュースが連日のように報道され、ついに日本にも大量殺人を目的としたテロが蔓延しそうだという不安を煽りたてた。

 そして、それは、いま世界中で勃発している過激派テロや難民拒否の問題と呼応し、この世から異質なものを排除しようという暴力的な差別の波が日本にも広まる予感を招き寄せた。

 また、リオ・オリンピックの開催を危ぶむ声も連日報道され、リオ市内の治安の悪さや、ジカ熱などの病原菌の怖さ、競技施設の建設の遅れなどもテレビの話題の中心を占めた。

 ところが、退院して、家でテレビを観るようになると、どの局からも万華鏡の華やかさにも似たオリンピック情報があふれ出て、それまでのニュース報道を覆っていた暗いトーンがあっという間に払しょくされ、世の中の空気が一気にバラ色に変わったように感じさせた。

 メディアの報道姿勢によって、これほど世界が変わったように感じられることには本当に驚いてしまう。
 
 
 それにしても、五輪に出場している日本のアスリートたちのメンタルは驚異的に強靭になったものだ。
 「今の若者たちは、昔の日本人に比べてひ弱だ」
 という大人たちの先入観は見事に覆されたような気がする。
 
 何が、これほどまでに日本人アスリートの強さを引き出すようになったのか。

 たぶん、日本人の精神性を象徴する言葉として、昔よく使われていた「和の精神」というものを、再び日本人が取り戻しつつあるのではないか、と思うのだ。

 今回の日本人選手の活躍を観ていると、いずれも団体競技で強さが発揮されていることが分かる。
 男子体操の団体戦金メダル(写真下)。水泳800mの銅メダル。柔道は重量に応じた個人戦であったが、チームとしての一体感が個々の選手のモチベーションを高めた。

 男子卓球は、やはり団体戦になって、現在優勝戦を争うところまで勝ち残ったし、バトミントンも女子ダブルスの高橋・松友ペアほか、ダブルス組が力を発揮している。
 7人制ラグビーにおいても、日本チームはニュージランドやフランスという強豪を打ち破り、メダルこそ逃したものの、これまでのラグビー先進国に迫る力を示した。

 これらの団体戦において日本人の力が発揮されるようになってきたのは、ひとえに “コミュニケーション力” の向上という言葉に集約されるのではないか。

 内村航平を中心とした男子体操チームや、井上康生監督に率いられた柔道チームなどの特徴は何かというと、「仲間意識」を何よりも重視することであったという。
 新しい日本のチームのリーダーたちは、厳しい指導で選手たちを一括して拘束するよりも、個々の選手の心の領域まで踏み込み、それぞれのモチベーションを引き出す方針で臨んでいるように思われる。

 こういうコミュニケーション力の元となっているものは何か。
 
 それは「共感能力」である。
 日本人の団体競技を観ていると、この「共感能力」がめきめき上がってきていることが分かるのだ。

 今回のオリンピックではないが、女子卓球の団体戦競技で、女子高生の伊藤美誠選手がはじめて世界選手権に出場したことがあった。
 彼女は堂々と銀メダルを獲得したのだが、勝利を飾った伊藤美誠を迎えたときの、キャプテン福原愛の第一声。
 「怖かったね」

 福原愛は、目に涙を浮かべながら、そう言って伊藤を出迎えたのである。
 「頑張ったね」でもなく、「おめでとう」でもなく、「よくやったね」でもなく、
 「怖かったね」

 いくら鉄の心臓を持ったといわれる伊藤選手ではあっても、年齢でいえば15歳。国も違えば、体格も違う年上の外国人選手を相手にして、怖くなかったはずはない。
 そういう心細い気持ちのまま世界の強豪を相手に戦ってきた伊藤美誠にとって、福原愛のその言葉は、迷子になった子供が母に出会えたときのような安堵感をもたらしたことだろう。
 それは、それだけ福原愛の「共感能力」が高かったということを物語っている。

 こういう傾向が表われてきたのは、なにもスポーツの世界だけとは限らない。
 おそらく日本人全体の心のあり方が、今までとは少し違ってきたのだ。

 かつて、1990年代。
 日本は “失われた20年” と呼ばれるような過酷な経済失速の時代にあえいでいた。
 世界を覆い始めたグローバル経済の新しい流れが日本にも流入し、それまでの日本企業が保ってきた「終身雇用制」などといった雇用形態が崩れ、「実力社会への転換」を名目に、雇用の流動化、つまりは非正規雇用の増大や人件費の削除が大手を振ってまかり通るようになった。

 たぶん、この時期に、日本人はかつて美徳とされていたものを、いったん捨てなければならなくなったのだ。
 それまで日本人の美徳とされていた「和の精神」などは古臭いものと見なされ、「他者を出し抜いても、自分一人が勝ち抜いていく」という精神が称揚されるようになったからだ。

 そのような時代を象徴するキーワードとして、「勝ち組・負け組」という言葉が流行り、失敗した人間を蹴落とす言葉として、「自己責任」という言葉が強調されるようになった。

 しかし、2010年代になってくると、過酷な競争社会のストレスにさらされていた時代がようやく収束する気配を示し、日本人全体に、次の時代を模索する余裕が生まれてきたように思える。
 
 「困っている者をみんなで助けようではないか」
 「他人を蹴落とすことで一人だけ勝者になるのではなく、みんなが協力しあって共に勝利を手にしようじゃないか」
 
 そういう相互扶助の精神のようなものが、いま再び生まれつつあるのではないだろうか。
 経済的にいうと、各企業が、がむしゃらに自分の市場を拡大するだけでなく、そこで得た利潤を、自社の社員や消費者に再分配することも考えなければならなくなってきたということだ。

 このたびのリオ・オリンピックの団体戦で、日本人の強さが発揮されはじめてきたのは、そういう時代の空気を反映している。

 そういう日本人の心の変化を、別の角度から教えてくれたような “事件” が起こった。
 SMAPの解散である。
 
 SMAPが活動を開始したのは、28年前(1988年)
 CDデビューしてから、25年になる。
 つまり、SMAPとは、日本人が “失われた20年” と呼ばれる過酷な時代にあえいできたときに活躍したアイドルグループなのだ。

 この時代の日本人の間には、前述したように、他者との協調性よりも、個人の突出した才覚を優先する機運が生まれていた。
 そういった時代の気分は、さまざまな組織やグループにも浸透し、アイドルグループであったSMAPもその例外ではなかった。

 現在、SMAPの解散の背景として、メンバー同士の心の亀裂が修復できないほど増大したことが挙げられているが、それは、そもそも彼らが個々人の心の亀裂を前提としながらも、ビジネスとしての結束が優先されていた時代に生まれたことを意味しているに過ぎない。

 なぜそういえるかというと、同じジャニーズに所属しながらも、1999年にデビューした「嵐」と比較してみれば分かるからだ。

 嵐は、日本の “失われた20年” が収束に向かう時期に生まれたアイドルグループである。
 だから、彼らが醸し出す空気は、SMAPが放つ空気とはまったく違っている。
 コマーシャルを観ていても、ユニットとして活躍する番組を観ていても、嵐の場合は、彼らが本当に仲間意識を持っていることがこちらにも伝わってくる。

 ノホホンとしていて、和気あいあい。
 嵐のメンバーが醸し出す空気感をあえていえば、そのような言葉がまず浮かんでくる。

 仲が良さそうに見える裏には、もちろんビジネスとしての演技が含まれているだろうが、そういう仕事としての演技を考慮しても、彼らには、現在のSMAPが持っているトゲトゲしさがない。

 先入観のせいかもしれないが、「スマスマ」などを観ていると、5人そろったSMAPが、それぞれせいいっぱい平常心を装って演技していることがこちらにも伝わってきて、ハラハラしてしまう。
 あいかわらず、「SMAP人気は俺が支えている」とでもいいたげな木村拓哉の “俺サマ顔” 。「自分は司会で食っていくからもういいや」とやけっぱちに明るい中居正広。

 SMAPからは、まさに、「和の精神」などが失墜してしまった1990年代を生き抜いたアイドルグループのたくましさと悲哀が匂ってくる。

 逆にいえば、弱肉強食の時代にファンたちに “癒し” を与えられる存在であったからこそ、SMAPはヒーローになれたのかもしない。
 彼らの大ヒットとなった『世界に一つだけの花』などという歌は、まさに「誰もが一番になりたがる」弱肉強食の世界で、「世界のどこにもない一つだけの花になればいい」という、つまり “負け犬” になりそうな人たちを救う歌として機能したといえる。

 「嵐」は、たぶんSMAPのような “国民的アイドル” まで登りつめることはないだろう。
 しかし、彼らが周りに振りまいている “和の精神” は、バラバラの個人であったSMAPが発散させる空気よりも心がなごむ。
 
 時代は、今そういうように動いている。
  
 

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高田純次になりたい

 
病室での独り言
 
 あなたには憧れのシニアタレントって、いる?
 たとえばさぁ、「年取ったら、こんな人間になってみたい」というような人とかさぁ。
 そういう人、いる?

 俺の場合は、高田純次。
 いま69歳だよね、この人は … 。

 で、俺も69歳になったときには、高田純次みたいに、「いつも人をおちょくっている老人になりたい」と思っているわけ。
 
 相手をおちょくって、嫌味いって、からかって。
 それなのに、からかわれた人間からまったく恨まれず、むしろ喜んでもらえるというのが、この高田純次の才能というか人柄だよな。

 「肺高血圧症」の手術のために病院に入院している間、病室のテレビで、テレビ朝日で放映される高田純次の『じゅん散歩』を毎日観ていた。
 
 『じゅん散歩』ってのは、平日朝の10時からやってる散歩番組で、俳優の地井武男が出演していた『ちい散歩』や加山雄三の『若大将のゆうゆう散歩』の続編として企画されたもの。

 関東ローカルの番組らしく、かつては地井武男や加山雄三が、東京、神奈川、埼玉のような首都圏の商店街を歩き、ぶらっと立ち寄った店の主人と短い交流をするというもので、まぁ、どちらかという地味な番組であったのだ。

 それが、高田純次に代わってから、にわかに “お笑い番組” の様相を呈するようになった。
 立ち寄った店ごとに、奥から出てきた主人にかます高田純次の一言がきつい !

 たとえば、ぶらっと入る店のドアを叩くときの挨拶。
 「こんにちわぁ、ちょっと入っていい? 怪しい者ですが」

 ま、これは定番の言葉なんだけど、出た来た主人が年配女性の場合は、
 「まぁ、可愛い女の子。お母さんいる?」

 で、店の主人が中年男性の場合。
 「この店、いかにも古そうですけど、ご主人は何代目?」
 「私は2代目です」
 「あ、そう。2代目って、たいてい先代の店をつぶしちゃうんだよね」

 街中で、向こうから4~5人のオバサンが歩いてきたときは、
 「あら、久しぶりに女子大生の群れに会ったわ。あなたたち、どこから来たの?」
 オバサンたちが笑いながら、「あそこの保育園から来たんです」と答えると、
 「じゃ児童の方々?」

 商店街の裏道に、手押しポンプの井戸があると、すかさずそのポンプを押して、
 「井戸ってのはね、水が出ても出なくても、こうするもんなんですよ」
 といたずらしながら通り過ぎる。

 たまに東京近県を離れて、地方に行くこともある。
 三重県の伊勢神宮の茶店で、旅行中の女子二人組に話しかけたとき。
 「あなたたち、どこから来たの?」
 「三重です」
 「目は二重だけどね」

 テレ朝のアナウンサー室を訪ねたとき。
 社員たちのデスクが並ぶ室内にズカズカと入り、いきなり一人の女子社員に声をかける。
 「あなたは独身?」
 「はい。そうです」
 「じゃ、この部屋にいる男性社員のなかで、あなたがいま旦那さん候補として狙っている男はどれ?」

 その番組では、テレ朝に入ろうとしていた俳優の杉山蓮と偶然出会う。
 杉山連は、黒塗りのベンツだかBMWに乗っている。
 「いやぁ、ジュンさん久しぶり」
 と、杉山連の方が、自分の車の窓を開けて、高田純次に声かけた。
 「蓮さんなによ。この車くれるの?」

 散歩中、たまに、高田純次を知っているオバサンとすれ違うこともある。
 「あ~ら高田さん。いやぁ、本物だわ」
 「どうです? ナマ高田は?」
 「やっぱり本物の方がいいですね(笑)」
 「え、なんて言ったの? 最近耳が遠くなっちゃって」
 「本物の方がいい(笑)」
 「そう ! 抱かれたいくらい?」


 
 その口ぶりの軽さ、いい加減さ、無責任さ。
 5~6歳ぐらいの悪童のいたずらを、枯れた老人の表情でやってのける。
 なんという自由人 ‼
 
 観ていると、ほんとうにこういう老人になりたいと思うのだ。
 だから、『じゅん散歩』を観たあとは、病棟にいる看護師さんたちに話しかける言葉が少し変わってくる。

 「町田さん、採血の時間です。今日は全部で4本取ります」
 「あなたなら、さらに1本余分に取ってもいいよ。後で飲んでみて。おいしいから」

 「町田さん、これから心電図の検査です。検査室までは車椅子で行きますね」
 「ついでに家まで送ってくれる?」

 まぁ、こんなヨタを言っても、相手に好かれるようになるには、俺の場合はまだ修業が足りない。
 でも、今後の目標はいちおう高田純次 … ということで。
  
 

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“在宅酸素療法” の日々

 
 「祝 退院 ‼」
 … なんて、自分で祝ったってしょうがないか。
 
 でも、まぁ、2週間に及ぶ病院でのカテーテル治療が7割方ぐらい終了し、秋の手術が再開されるまで、2ヶ月ほど “娑婆(しゃば)” の空気を吸うことができそうだ。

 今回の入院では、2回手術を行った。
 「肺高血圧症」ということで、1回目の手術では右の肺に詰まった血栓(血の固まり)を取り除き、2回目は左の肺に詰まった血栓を始末して、血管の流れをよくした。

 おかげで、最初40mmHgぐらいあった肺動脈の平均圧が、手術によって30mmHgぐらいまで下がったという。(そのまま放置していたら、あと余命4~5年ということであったそうな)

 ただ、平常値は25mmHg以下であるらしく、取り切れていない血栓を完全に除去するには、あと1~2回ほどの入院加療が必要になるらしい。

 次の手術予定は10月。
 年内に健康体に戻れるかどうか、微妙なところである。
 ほんとうに病気療養のための1年になってしまった。

 退院はできたが、今回は病院から “お土産” ももらった。
 「酸素供給装置」
 これを家において、常に体内に酸素を送らねばならないようになったのだ。
 いわゆる “在宅酸素療法” というやつである。

 … というわけで、家にこんな装置(↓)がやってきた。


 
 これを「酸素濃縮装置」という。
 「TEIJIN」という会社の装置をレンタルすることになったので、商品名を「ハイサンソ」というようだ。

 在宅酸素療法においては、昔は大型酸素ボンベを室内に置き、業者が定期的に酸素の補充にやってきたという。
 しかし、この「ハイサンソ」という器具は、室内の空気を勝手に取り込んで、空気中の窒素、二酸化炭素、水素のようなものを識別して除去し、純粋な酸素のみを排出してくれるものらしい。

 この装置から取り出される酸素を、チューブを使って、鼻から体内に取り込む。
 このチューブ(↓)のことを「カニューラ」というんだそうだ (はじめて聞く名だった)。

 で、このカニューラ。
 20mほど伸ばすことができる。
 そうすると、ある程度、家の中を自由に移動できる。

 

 でも、鬱陶しい。
 家の中のどこに行っても、こいつの先っぽを鼻の穴に突っ込んでいなければならない。
 まるで、鼻輪を付けられた牛にでもなったような気分だ。

 しかし、酸素を常時補給することによって、
 ① 心臓や脳、肝臓、腎臓などの各臓器を守ることができる。
 ② 脳の酸素不足による記憶力の低下、注意力低下を改善できる。
 … という効果が得られるとのこと。

 実際に、今まで頻繁に襲ってきた「頭痛」、「胸やけ」、「だるさ」、「眠気」などが薄らいだ感じがする。
 それらの症状を、これまでは薬の副作用だと思い込んでいたが、「酸素不足」も原因になっていたのかもしれない。

 で、この「酸素濃縮装置」。
 もちろん屋外に持ち出すことはできない。
 そこで、外に出るときは、携帯用の酸素ボンベ(↓)に切り替える。

 

 このボンベもよくできていて、1本でおよそ10時間半ぐらい使えるらしい。
 こんな小さなボンベに、よくそれだけの酸素が詰まっているものだと驚いたが、どうやら、非常に繊細なセンサーが付いているようで、鼻が息を吸ったときだけ酸素を供給し、鼻が呼気を排出するときには作動しないようになっているとか。

 入院しているときも酸素ボンベを使っていたが、それは2時間もすると酸素がなくなっていた。呼吸のタイミングとは関係なく、酸素を出しっぱなしだったからである。
 しかし、このボンベは違うらしい。
 こういう医療用機器の発達は日進月歩である。

 夏休みも後半だ。
 さぁて、携帯用の酸素ボンベを肩に背負って、どこか旅行でも行ってみるか。
 
 

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病院でゆっくり夏休み

 
 いよいよ入院。
 7月の22日に病院に入り、検査を続けながら体調を調べて、26日に手術を受ける予定。

 26日の手術は、すでに 2ヵ月も前に決まっていたものだが、その日程に合わせて事前にいろいろ検査をするという日程は、とつぜん決まったものだった。

 病名は、「慢性 肺血栓 塞栓性 肺高血圧症」。
 今年の1月、歩行中に息切れを感じるようになり、診療を受けた結果、そういう診断を下された。

 難病指定を受けるほど、珍しい病気らしく、世界的にもまだそれほどの症例がそろっていないという。

 「希少価値」っていう言葉があるけれど、でも、
 「病気として希少ですよ」
 といわれても、あんまりうれしく感じない。

 特に困るのは、薬代が高いことだ。
 手術中の体の負担を軽くし、かつ手術の効果を高めるため、現在、血管を広げる薬を2種類。血液をサラサラにする薬を1種類飲み続けている。

 もちろん、「難病指定」の申請をしているので、受理された日にさかのぼって負担額が軽減されるのだが、目下のところ自己負担。
 
 これはそうとう家計が打撃を受けた。
 なにしろ、朝・昼・晩に分けて、1日に飲む薬が11錠。
 そのうちアデムパスという薬が1錠3,367円。
 オプスミットという薬が1錠14,594円。

 とにかく、病例がまれな分、薬の製造単価が高くなるらしい。
 これに抗擬固剤のエリキュースやその他糖尿病系の薬代を加えると、いま1日の薬代が、ざっと計算して、3万円である。

 さらに辛いのは、薬の副作用がけっこう強いことだ。
 アデムパスという薬を飲むと、30分ほど経ってから、ズキズキと頭が痛みだし、体中がダルくなって眠くなる。 

 その薬に、2週間ほど前からオプスミットという薬が加わったのだが、これを飲み続けていると、胸やけが激しくなり、1日中ムカムカした状態が続く。
 さらに顔が腫れて赤くなり、朝から酒を飲んでいるような表情になる。
 
 病気を治すために薬を飲むのか、病気になるために薬を飲むのか。
 「薬害」という言葉もあるけれど、これで本当にいいの? … と時々思わざるを得ない。

 ただ、手術後はこれらの副作用の激しい薬からは解放されることになるらしいので、あとしばらくの辛抱だ。
 
 

 
 退院は8月初旬の予定。
 春の入院は2ヵ月に及んだけれど、今度はそれほど長引かないはず。
 大好きな盛夏は、自宅で過ごせそうだ。

 で、しばらく、ブログの更新もお休み。
 スマホから原稿を送れないこともないのだけれど、なにせキーボードのタイピングに慣れてしまっているので、スマホで字を打っていくのがメンドーなのだ。

 ということで、この夏は、病院のデイルームからのんびりと入道雲を眺めたり、森を見たり、都会の夜景を眺めたりする予定。
 
 では、病院での夏休みを楽しんできます ‼
 
  
関連記事 「俺の寿命はあと3~4年 ‼ 肺血栓のカテーテル検査」
 
 

カテゴリー: ヨタ話 | 14件のコメント

カラオケにハマっていた時代

 
 嫌らしくギラギラと光っていた時代というのが、俺にもある。
 誰だって、そういう時代を持っているのかもしれないが、俺なんかの場合は、1991年ぐらいから1994年ぐらいにかけてだ。
 年齢でいうと、40歳から44歳ぐらいである。
 キャンピングカーの仕事を始めるちょっと前ぐらいの頃だ。
 
 夜ごと飲んでいた。
 店をはしごして、いつも最後はカラオケスナック。
 歌った。

 マイクを握りしめ、ミラーボールの下で、体をくねらせながらガナリまくる。
 常連の客が集まってくるときは、深夜の歌合戦となる。
 行きつけの店では、年齢的にジジイが多かったから、『知床旅情』、『傷だらけの人生』、『神田川』、『くちなしの花』 … みたいな曲が続く。

 そういうのを3~4曲やりすごしながら、さりげなくママさんにウィンク。
 いきなりWANDSの『もっと強く抱きしめたなら』のイントロが店内に鳴り響く。

 歌詞はすべて覚えている。
 だから、モニターに流れる歌詞など見向きもしない。
 それでも歌える。

 マイクをスタンドに戻して、常連客からの鳴り響く拍手を涼しい顔でやり過ごしてから、カウンターの向こうでおしぼりを手にしているママさんのところに寄る。

 「町田さん、あいかわらずお上手ね。今の曲オリジナルキーでしょ? すごいハイトーンボイスよね」
 「そうだな。俺ねぇ、かえって低い声だめなの」

 アハハハハ … 嫌らしい会話だよな。
 もし、俺が客として飲んでいるときに、隣の男が、そんな会話をママさんと交わしていたら、「いやぁな男 … 」と俺自身が軽蔑の目を向けたことだろう。

 でもさ、40歳ぐらいの男が、外で遊ぶことの面白さを覚えると、みなこんな嫌らしさを身に付けるのよ。

 で、カウンターの隅で、ボトルの酒をなめながら、またジジイたちに2~3曲歌わせて、俺の次の曲はT-BOLANの『離したくはない』。

 歌い終わると、ジジイ客の一人が手招きしてくれる。
 「町田さん、若い歌いろいろ知ってるよな、どこでそういうの覚えるの?」
 「いやぁ、まぁ、娘がこういうの歌うもんで …」
 
 娘なんかいないのに、こういうときって、スラスラ嘘がついて出る。

 「いいなぁ、モテモテのお父さんなんだな」
 「いえいえ、そんなことないですよ」

 作り笑いを浮かべながら、そのジジイの隣に腰かけて、
 「ま、一杯飲みなよ」
 と言ってくれるのを待つ。

 待ちながら、薄暗いボックス席に視線を張り巡らせる。
 そろそろ、いつものOL集団が来る時間だな。

 と思っていると、来た来た。
 入口から入ってきた女3人が俺を見つめて、黄色い声。
 「あ、町田さんだぁ。やっとぉ会えたぁ ‼」

 すかさず、俺も、やってきた女たちに手を振る。
 「おぉおぉ、そこのボックス空いているから。そこに座って、俺のボトル飲んでもいいよぉ」
 … なんてさ。

 それまでは常連のジジイたちに水割りをご馳走になっていて、顔見知りの女たちが来たら、「俺のボトル飲んでいいよ」だってさ。

 いやな男だよな(笑)。
 もし俺が客としてその店にやってきて、そんな男を見たら、殴りかかってやるよな。

 でも、時代は軽佻浮薄なバブルの時代。
 新しい歌を覚え、それをうまく歌っていれば、それだけでいい気持ちになれる時代だった。

 この頃の俺のレパートリー。

 ワインレッドの心 安全地帯
 悲しみにさようなら 安全地帯
 恋の予感 安全地帯
 SAY YES CHAGE&ASKA
 はじまりはいつも雨 ASKA
 WON’T BE LONG バブルガム・ブラザーズ
 離したくはない T-BOLAN
 このまま君だけを奪い去りたい DEEN
 もっと強く抱きしめたなら WANDS
 ろくなもんじゃねえ 長渕剛
 とんぼ 長渕剛
 クリスマス・イブ 山下達郎
 慟哭 工藤静香
 HOWEVER GLAY
 クリスマスキャロルの頃には 稲垣潤一
 僕ならばここにいる 稲垣潤一
 ハート 福山雅治
 TRUE LOVE 藤井フミヤ
 オンリーユー ザ・プラターズ
 アンチェイン・メロディー ザ・ライチャスブラザーズ
 蒼い影 プロコルハルム
 オール・マイ・ラビング ビートルズ
 スタンド・バイ・ミー ベン・E・キング
 ボーン・トゥー・ビー・ワイルド ステッペン・ウルフ

 高音域が伸びていたときだったので、キーの高い曲でも平気で歌えた。
 自分でもうまいと自惚れていたし、お客たちからも「うまい !」とよくお世辞を言われた。

 いま思うと、どの曲もニヤけた中年の自己満足が透けて見えてきそうな選曲で、自分でも嫌になってしまう。

 しかし、当時は自分の自惚れも絶頂期。
 自分の歌をできるだけ多くの知らない客の前で歌ってみたいと思っていた。

 その頃は、愛知県に本拠地を構えた自動車メーカーの雑誌を作っていたから、名古屋の出張が多かった。
 夜、社用車に分乗して、カメラマンやら同僚の編集者たちと、名古屋のホテルに着く。

 翌日の早朝からの仕事の場合は、ホテルの食堂で簡単な夕食を採ったあとは、それぞれの部屋に早々と引き上げる。
 早朝取材のときは、コンディションを整えるために、編集長から「夜遊び禁止令」が出るからだ。

 そのため、
 「お休みなさぁ~い」
 と部屋の前で同僚たちと別れた後、両隣りが静かになったのを見届けてから、一人でカラオケスナックを探しに街に出た。
 
 なるべく客が多そうな店を選び、空いた席に座らせてもらって、ビールなどを注文。
 定員にリクエスト曲を頼み、地元の大勢の仲間が楽しんでいる時間帯に一人で闖入し、「あいつ誰?」という冷たい視線を浴びながら、声を張り上げて、WANDSとか、T-BOLAN、GLAYなどを歌う。

 歌い終わると、パラパラというお義理の拍手は起こるものの、当然、大多数のお客は知らんぷり。
 そういう反応を見て、「俺があまりにも歌がうますぎるので、みんな動揺しているんだな」と一人でほくそ笑む。
 
 そんな時期を過ごしていたことがあった。

 こういうのは恥の告白になるので、なかなかブログに書く気もしなかったが、病気療養中の身であり、余命いくばくもないかもしれないという気になったので、1回だけ恥をかいてみることにした。

 今はほとんどカラオケにも行かない。
 たまに仲間からの呼び出しがあって、カラオケに行っても、歌うのは「オール・マイ・ラビング」に「スタンド・バイ・ミー」ぐらいなもの。
 今は水割りなどをすすりながら、他人の歌を聞いている方が楽しい。
 
 
▼ 当時よく歌っていて、今でも好きな歌

 
 

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都知事選 誰に入れる?(その2)

 
2016都知事選 誰に入れる? … じゃなく、もう決まった
  
 
 ブログネタとして都知事選を選ぶのは1回こっきりにしようと思っていたが、この前バラエティー番組(フジテレビの『バイキング』)を観ていて、はっきり感じたことがあったので、最後に1回だけこのネタを取り上げてみたい。

 この番組を観ていて、直感的に、もう投票する人が決まってしまったからだ。

 「消去法」という悲しい選択であったが、3候補者の中の2候補者があまりにもバカバカしい対応をしていたので、自動的に “残った一人に決まり” という結論に達した。

 残った一人とは、増田寛也氏(↑)である。
 どう考えても、この人しかいないわ。

 繰り返すけど、“消去法” でね。
 それほど、他の2人には魅力を感じなかった。

 まず、小池百合子っていう人は、自民党が最悪だった時代の “悪しき自民党議員” の代表みたいだった。
 平気でウソをつき通し、追求する人をのらりくらりと交わしながら、追いつめられると「記憶にございません」と開き直る。
 そういう体質を色濃く沁み込ませた人だったのだ。

 番組放映中、こういう場面があった。
 鳥越氏(↓)が小池氏に向かって、まず切り出す。

 「今日は小池さんにひとつ、ぜひ聞いておかねばならないことがあります。小池さんは街頭演説の中で、『(野党は)病み上がりの人を連れて来てどうするんですか?』と演説したようですね?」

 すかさず、小池氏。
 「(そんなこと)言ってないですね」
 とビシャリ ‼

 すると、鳥越氏が(テレビの1場面をプリントした)紙切れをかざして、
 「いえ、言ってます。ここに証拠があります。夕方のニュース番組でそう言っていた言葉がテロップにも出ています」
 と厳しく追及。

 小池氏。
 ホホホと笑いながら、涼しい顔で、
 「記憶にないです」

 わぁ ‼   政治とカネの問題やら失言問題で、これまでの自民党議員がさんざん繰り返してきたセリフだ。
 なんだろう、この厚顔無恥さは … 。

 鳥越氏も追求の手を緩めない。
 「小池さんがおっしゃったことは “病み上がりの人は何もできない” と言ったと同じなんですよ。それは東京だけでも何十万、何百万といるガンサバイバーの人たちに対する差別ですよ、偏見ですよ」

 小池氏の反論。
 「でも、今はお元気になられているじゃないですか?」
 
 鳥越氏。
 「そんなことはどうでもいい。実際にそういう発言をしたかどうか、尋ねているんです」
 
 小池氏。
 「もし言ったとしたら、失礼なことをしました」
 そういって、表情はもうほかの話題に移りたくて仕方がない様子。

 鳥越氏。
 「“失礼” ですまされる問題なんですか? 小池さんの言ったことは全国のガンサイバーへの差別なんですよ」
 
 小池氏。
 「そこまでは言ってません。そう決めつけているのは鳥越さんの方じゃないですか?」
 と反論してから、いきなり司会の坂上忍に向かって、
 「こういうことは山ほどあるんです。これが選挙なんですよ。坂上さん」

 突然、振られた坂上忍も呆然としていたが、こういう小池氏の対応をみるかぎり、日本の政治家というのは、なんと恥知らずの生き方をしてきたのかということが身に染みるほどよく分かった。

 討論の方向が自分に不利になると分かったやいなや、話題をそらすためにホコ先を変え、話を第三者に振って逃げようとするのだ。

 だけど、小池氏にしつこく食い下がった鳥越俊太郎氏も、あまり褒められたもんじゃなかった。

 鳥越氏には、“ダンディーな大人” という印象を持っていたのだが、意外と人間が小粒で、ちょっとガッカリした。
 週末の世論調査で、「小池氏がトップ」という結果が出てきたことを踏まえ、なりふり構わず “小池落とし” に躍起になってきたという感じなのだ。
 
 また鳥越氏の掲げた公約のなんとお粗末なことか。
 まず、最初の記者会見では、
 「都のガン検診率100%を目指す」
 とボードに書いて掲げていたにもかかわらず、その公約が1週間の間にいつの間にか「50%」に縮小されている。

 さらに、増田寛也氏に、
 「ガン検診は都の仕事ではなく、区市町村の管轄です」
 という指摘まで受ける始末。

 司会の坂上忍から次のような質問が寄せられたときも、同じように鳥越氏の見通しのお気楽さが目立った。

 「鳥越さんは最初の記者会見のときに『細かいことはこれから考える』とおっしゃっていましたが、それから1週間経った今はどうなのか?」
 
 下記が鳥越氏の返事。

 「自分は報道記者のときに3日ぐらいの勉強ですべてを把握し、それで番組を作っていた。だから、あれから1週間経った今は大丈夫」
 
 要は、勉強時間が短くても都政のことはしっかり把握できるという自信を表明したのだろう。

 でも、都政が抱えている問題って、3日とか1週間で掌握できるものなのか?
 あまりにも、お気楽ではないか?

 小池氏、鳥越氏のこうした “お粗末ぶり” に対し、増田寛也氏一人は沈着冷静に、問題の核心をとらえた答弁を繰り返した。
 要するに、自分に向けられるであろう質問をあらかじめ想定し、答を準備してきたという感じなのだ。

 増田氏からは、ある意味で「抜け目ない人」という印象を受けた。
 でも、そういう抜け目のなさって、安定した都政を運営するには一番なくてはならない才覚なのではないだろうか。

 小池百合子氏から増田氏に向けられた質問に、こんなものがあった。

 「増田さんは、かつて岩手県知事のときに、地方創生という観点から、『東京を小さくする』といって、東京の税金を地方に回していた、しかし、東京都知事になったとき、今まで外に出て行っていたお金どう確保するのか? これまでやってきたことと矛盾しないのか?」

 以下が、それに対する増田氏の答。

 「以前、私が総務大臣を務めていたときには、確かに法人2税を国税にして、それを地方に配ることをしていた。しかし、消費税の10%引き上げでそれが解消する見通しが立ち、もうその国税上の問題はケリがついている。これからは都税を守っていく」
 
 こういう答弁をしつつ、増田氏は、
 「それを決めたのは自民党ですから、小池さんだってその話は掌握していると思いますが … 」
 と突っ込むのを忘れない。

 当の小池百合子氏は、かろうじて、
 「私は(自民党内で)反対していました」
 とあわてて言いつくろうことしかできなかった。

 こういう問答を聞いていると、増田さんという人は案外したたかだな … と思わざるを得なかった。
 でも、こういう “したたかさ” は “頼もしさ” に通じる。

 増田氏に対して、今度は番組に出演していたタレントたちから、こんな質問も寄せられた。
 「増田さんが岩手県知事をされていたとき、岩手県の借金がすごく増えた。そのことをどう感じているのか?」

 それに対して、増田氏はこんな答弁で答えた。

 「岩手県は当時、社会資本の整備が本当に遅れていた。新幹線も盛岡から先が通っていなかった。それを整備するには予算が足りなかった。
 さらに、5年前の東日本大震災のときに、道路がズタズタになった。物資の輸送を回復するためにも、お金を費やさなければならなかった。
 また、県知事を務めていたときは、県立大学もつくった。今はそこの卒業生のうち2200~2300人くらいの人が県内で働いており、県内の雇用も進んで財政の回復も図られている。
 だから、借金は確かに作ったが、自分はみな未来への投資だったと思っている」

 増田氏の話からは、事実を正直に認めながらも、しっかりした見通しを持っていたことが、その答弁から伝わってくる。

 要するに、何から何まで、増田氏の答弁がいちばん安定感があるのだ。
 例として出す逸話にも、すべて数値的な裏付けがあり、あいまいさがない。

 本当は増田さんって、けっこうケンカ上手の人なのではないか?
 そんなふうに感じた。

 でも、そういうところを表に出さず、あくまでも相手を立てながら、礼を尽くして、言うべきことはしっかりと言う。
 そういうことは、一番安心して「知事」を任せられるということにつながる。

 これに対し、小池百合子氏の場合は、ウソとごまかしの答弁が多すぎた。
 そして、弱点を突っ込まれたときの開き直りもふてぶてしかった。
 
 また、鳥越俊太郎氏に関しては、人柄の良さは十分伝わってきたものの、その分 “弱さ” も露呈した。
 「あ、この人は、今はカッコを付けていても、底の浅さを都議会議員たちに見透かされ、最後は都議たちの “イエスマン” になってしまうだろうな」
 ということが見えてしまった。

 それと、鳥越氏の掲げた政策は、“ガン検診” 以外は他の2者が掲げた政策とほとんど変わらず、さらにいえば、その表現が最も抽象的(あいまい)だった。

 そんなわけで、いちおう東京都に住む自分としては、(消去法ながら)増田氏に一票を閉じることに決めた。
  
 
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都知事選 誰に入れる?

  
2016都知事選挙
候補者に対する偏見全開の勝手な能力評価
 
※ このテーマの第2弾はこちら(↓)
「2016都知事選 誰に入れる? … じゃなく、もう決まった」
  
 
 いちおう東京都民だから、今月末に行われる都知事選には、多少の関心がある。

 でも、マスコミの報道を見ていると、みんなけっこう「都知事選」をエンターティメントとして楽しんでいるなぁ … という感じだ。

 現在(7月17日)、最終的に候補者は、鳥越俊太郎氏、増田寛也氏、小池百合子氏の3人に絞られたけれど、ここに至るまでの顔ぶれがすごかった。

 蓮舫氏、橋下徹氏、東国原英夫氏、桜井俊氏、池上彰氏、百田尚樹氏 … 。

 著名人・有名人の名前がずらりとアップされ、最後に俳優の石田純一氏の飛び込み出馬表明があったりして、まさに芸能ニュース的な盛り上がりぶりだった。

 「舛添前都知事の不正を糾弾する」というのが、そもそもの都知事選のスタートだったのに、いつのまにか次期都知事の人気投票のようになってしまったという気もする。

 で、残った鳥越俊太郎氏、増田寛也氏、小池百合子氏。
 それぞれ長所と短所を合わせ持つ個性の異なる人たちの “激突” となった。、

 誰がこの “グー・チョキ・パー” 状態を制するのか?
 見事な先出しジャンケンと、究極の後出しジャンケンがぶつかり合ったりして、なかなか興味深い。

 さしあたり、小池氏は「チョキ」だな。
 切れ味がいちばん鋭いという意味で。

 増田氏は「グー」。
 手堅いというイメージがあるから。

 鳥越氏は「パー」。
 大ざっぱでも、有権者の気持ちをガバッとわしづかみする包容力のようなものが感じられるので。

 で、この「グー・チョキ・パー」争いで幕が開き、その後はそれぞれの「胆力」、「洞察力」、「カッコよさ」で決まることになる。

 政治家に必要な才能は何かというと、やはり、1に「胆力」、2に「洞察力」、3が「カッコよさ」なのだ。

 まず、「胆力」でいえば、小池氏である。
 後からどんな候補が出てこようが、まったく動じることなく、常に不敵な笑みを浮かべつつ、余裕しゃくしゃくの会見を続けていける小池氏の胆力はたいしたものだ。

 まさに、女賭博師。
 乾坤一擲の大勝負となれば、やはりこの人の迫力に今回出馬した男たちは敵わないだろう。
 いま彼女は、賭場で片肌脱ぎになって、二の腕の “牡丹” か “昇竜” の彫り物を見せて、啖呵を切っているところなんだろうな。

 だが、彼女の場合、「胆力」はあっても「洞察力」に乏しい。
 洞察力とは、先を読む力というか、状況を察知する能力のことをいう。
 マスコミはそこを誤解している。
 マスコミが、小池氏に関していう「先を読む力」というのは「嗅覚」のことであり、それは「洞察力」とはいわない。
 
 「都議会の冒頭解散」
 小池氏は、公約として真っ先にそれを掲げたが、実際にそれを実行するには手続きが面倒くさい(都知事に都議会の解散権がない)。また解散が実行されたときの時間的・財政的ロスを考慮しないとならない。

 残念ながら、小池氏には、そういう目標を掲げると自分が窮地に陥ってしまうという洞察力がなかった。
 つまり、「先を読んでいる」ように動いたけれど、けっきょく小池氏は「先」が読めていなかったのだ。

 要はただのパフォーマンス。
 有権者の関心をキャッチするための “仕掛け花火” なんだな。

 こういう手法が通用したのは、2005年の “小泉郵政選挙” の時代まで。
 このときの選挙では、小泉首相の方針に反対する候補者の “刺客” として、小池氏は見事に “劇場型選挙” を戦い抜いた。
 でも、今は状況が変わっている。
 もう有権者は、劇場型選挙のアホらしさに付いてこないはずだ。

 彼女は「東京大改革」を掲げているけれど、いま求められているのは、「大改革」ではなく、むしろ「改革後の具体案の緻密な積み重ね」であるはずだ。
 そういう地道な作業には、忍耐強い実務能力が要求されるわけだけど、はたして小池氏には、その実務能力があるのだろうか?
 パフォーマンス重視の選挙活動を見ているかぎり、そこが心もとない。

 そういったところで、小池氏は、
 「胆力 10、洞察力 2、カッコよさ 4」
 である。
 

 「実務能力」という点だけに絞ってみると、増田寛也氏の安定感は抜群である。
 実際、岩手県知事としての経験を積んでいるということが大きな強みである。


 
 候補者同士の討論会においても、増田氏は常に具体的な数値を掲げ、“数字の説得力” を有効に使った。
 それを聞いているだけで、「この人はパフォーマンスに訴えるのではなく実務を重視する人なんだな」という説得力を感じた。

 小池氏が、政権与党や都議たちとの対決姿勢をどんどん明確にしていくのに比べ、増田氏は自民・公明の推薦をしっかり取り付け、都議とも協調路線を表明している。

 そういうことがスムースな都政を運営していくという意味ではいちばん安定した方法であり、ゆえに(小池氏などよりもはるかに)「実務家」としての「洞察力」が高いといえるのだ。

 ただし、「洞察力」に優れているということは、反面「ずるい」ということでもある。
 増田氏のやり方は、猪瀬、舛添ラインを指導した自民党執行部の責任をうやむやにすることにつながり、いわば「臭い物にはフタをする」という方法である。

 「ずるさ」は他にもある。
 自民・公明の支持をしっかり取り付けながら、選挙ポスターには、それを一言も謳っていないことだ。
 「政党色を嫌う浮動票を狙ったものだろう」という指摘もあるが、確かにそういうところに姑息さが見える。

 それと、この増田氏の場合は、「胆力」、「洞察力」、「カッコよさ」という政治家3原則のうちの「カッコよさ」に最も欠ける。
 はっきり言って、印象は地味。
 ミーハーな浮動票を取り込むのには一番苦労しそうな人である。

 だから、増田氏の総合評価は、
 「胆力 6、洞察力 9、カッコよさ 2」 
 である。
 
 
 「カッコよさ」で抜き出ているのは、鳥越俊太郎氏である。
 76歳というが、けっしてその年齢に見えない若々しさに溢れている。
 長年キャスターを務めただけあって、着こなし、しゃべり方、笑顔の作り方など、ビジュアル面すべてがカッコいい。

 さらにいえば、人柄の良さそうな印象を打ち出すのも、この人が最も成功している。
 「カッコよさ」+「人柄」、それに「胆力」と「洞察力」をトータルして “カリスマ性” という。
 3人の候補者のなかで、最も「カリスマ」に近いところにいるのが、この鳥越氏だ。

 しかし、この人の政権放送など聞いていると、時代錯誤がもっともはなはだしいと感じた。
 鳥越氏の感性は、1970年代ぐらいに学生運動をやっていた人たちの “左翼感覚” からほとんど進歩していない。

 どういうことかというと、今の政権与党(自公)とその反対勢力(民共)の捉え方があまりにも図式的なのだ。
 ・自公 → 改憲派 → ファシズム → 戦争路線
 ・民共 → 護憲派 → リベラル → 平和路線

 いまどきこんな単純な図式で世の中を見ている人がいるなんて、信じられない。
 国際情勢を見てみろよ。
 世の中は、もっと複雑怪奇になってきていて、グローバル資本主義の問題やら宗教対立やら、「帝国」という概念の勉強のし直しをしないと真実が見えてこないはずなのに。

 鳥越氏の世界情勢の理解は、1980年代まで続いた米ソの冷戦時代の認識からほとんど進歩していないのだ。
 冷戦が終結して、世界情勢が一変し、一時はアメリカ至上主義が世を覆ったけれど、今はそのほころびが露呈して、それが経済・金融・政治・宗教のすべての領域においてカオス(混沌)を招いてしまっている。

 そのことに対する危機意識ってのが、鳥越氏にかぎらず、今の野党にはないんだよな。
 むしろ、彼らが攻撃している自民党の方が、よっぽど勉強しているよ。

 それに、この手のオールド左翼の人たちって、「政治」を語ることはできても、「人間」を語れないんだよね。
 基本的に、「哲学」不在の季節を生きてしまった人たちだから。
 “安保法案” なんてテーマが出てくると、勢いよくしゃべりだす(自称)リベラルの人は、確かに私の周りにもいるんだけれど、マックス・ウェーバーやマルクスはおろか、ソクラテスもプラトンも知らねぇんだから、嫌になっちゃう。

 鳥越さんも、そういうところあるよね。
 彼も、基本的には「思想(フィロソフィー)」の人ではなくて、「政治(イデオロギー)」の人だから。
 それに、(すでに多くの人が言っているだろうけれど)国政を都政に持ち込んでしまっていいのだろうか?

 「安倍政権はそのままファシズムの道に進むから何が何でも阻止 !」
 とイデオロギッシュな主張を叫ぶ前に、世界でも真っ先に大高齢化都市になってしまう東京としっかり向き合い、東京の高齢者人口がますます膨張を続けている状態をどう見るのか?

 あるいは、待機児童の悩みを抱えている子育てファミリーに対し、具体的に(数字まで交えて)どういう改善策を提示できるのか?
 そういう実務的な計算が鳥越さんからは見えない。

 けっきょく鳥越さんが醸し出すものは、テレビのニュース番組を仕切っていて、時の政権与党に苦言を呈した後に、「では次のニュースです」と表情を改めて視聴者に向き合う報道キャスターの空気感である。

 野党共闘グループの支持を取り付けて出馬したのだからやむを得ないとしても、一度は政権党になりながら、けっきょく無力であることを暴露してしまった現在の「民進党」の能力に対する検証がほとんどなされていない。

 「自民党の暴走を止めよう」
 という切羽詰まった主張は確かによく分かるのだが、「じゃ民進党と共産党の勢いが浮上したらよりまとまった都政が実現できるのか?」という考察は、その演説などからは読み取れない。

 私自身も、自民党の暴走を止めさせたいと思っている人間の一人ではあるけれど、鳥越氏や今の既成野党ではそれは無理。かえって悪い方向に行く。

 彼らは、「政治」よりも先に、まず「人間」というものを最初から勉強し直した方がいいよ。
 そうしないと、日本の右傾化を真剣に推し進めようとしている一派に対抗できないって。
  
 鳥越氏は、TVキャスターとして客観報道するときの言葉は雄弁であるけれど、自分が政権運営の当事者になると、意外と胆力のなさを露呈しそうな感じがする。たぶん鳥越氏の場合、胆力は小池氏の半分。洞察力では増田氏の半分以下だろう。
 
 ということで、鳥越氏の判定。
 「胆力 5、洞察力 3、カッコよさ 10」
 
 でも、なんやかやといっても、やはり総合点では鳥越氏が一番上かな。
 その大半は「カッコよさ」が占めるけれど、「カッコよさ」って必要なのよ、都知事の場合は。
 舛添氏以上の贅沢をし、数々の失政も犯した石原慎太郎氏が、それでもカッコいい印象を持たれたまま引退することができたんだからね。

 自治体の中でも一番優良な官僚機構を持っている都議団がついていれば、知事は多少 “お飾り” 的な存在でも、都政は立派に機能してしまう。

 猪瀬、舛添両氏に欠けていたのは、要するに「カッコよさ」だった。
 「カッコよさ」が皆無で、ただセコイ、ダサい知事は面白いように叩かれるだけだろう。
   
 
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