キャンピングカー1人旅のコツ

 
 日本RV協会さんが主催しているホームページに、現在第一線で活躍しているキャンピングカーライターたちがそれぞれ持ち回りで原稿を執筆しているコラムページがある。

 いちおう私も、その仲間に加えてもらい、2ヵ月に一度くらいのペースでキャンピングカーをネタにした原稿を書かせてもらっている。
 
 11月17日に掲載されたコラムでは、夫婦2人が楽しむ「キャンピングカー2人旅のコツ」というテーマの記事を書いた。あるキャンピングカービルダーの社長さんにお話しいただいた内容をそのまま原稿に書き起こしたものだ。

 ま、夫婦2人の旅を円満なものにするには、旦那さんがひたすら奥様に尽くし、奥様のすべての望みを叶える旅に徹しないといけないという、ちょっと旦那には切ない心がけを訴えたものになった(笑)。
 
※ よろしければ、こちら(↓)をご笑覧ください。
http://www.jrva.com/column/detail.php?column_cd=65

 しかし、キャンピングカーの旅というのは、夫婦の2人旅だけとは限らない。子供を連れたファミリーの旅もあれば、気楽な1人旅もある。

 ここ最近、注目されているのは、1人旅だ。
 2年ほど前、このブログにおいても、“1人旅の達人” ということで、株式会社ロータス&ロータスRV販売の会長さんである相原栄蔵さんの1人旅をレポートをしたことがある。

▼ 相原栄蔵さん

 実は先ほど、相原さんからの最新の旅情報のメールが入った。
 相原さんは、この10月末に東京を発って、十和田湖を3周され、奥入瀬まで出向いて紅葉を見物。

 いったん帰宅されて、その1週間後には、長野県の安曇野、岐阜高山、京都福知山を回られたあと、福岡のキャンピングカーショーを見学。
 その後、福岡の紅葉の名所である英彦山、耶馬渓、裏耶馬渓などを巡って大分の湯布院を探訪。
 さらにフェリーで愛媛に渡り、ミカン農家に立ち寄っておいしいミカンを堪能した後、つい先ほど帰宅されたという。

 相原会長のお年は、80歳を超えられた。
 それでも、相変わらず、このような元気な旅を続けていらっしゃるというのは、まさに驚異。

 もちろん、コツがある。
 シニア男性の長期にわたる1人旅には、やはりノウハウというものが必要になる。
 2年まえの記事になるが、相原会長が明かす「男のキャンピングカー1人旅の極意」(↓)を再録する。

http://campingcar2.shumilog.com/2015/12/13/%e7%94%b7%e3%81%ae%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%94%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%82%ab%e3%83%bc%ef%bc%91%e4%ba%ba%e6%97%85%e3%81%ae%e6%a5%b5%e6%84%8f/
 
 

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教科書から削除される歴史上の人物たち

 
 高校の歴史教科書から、坂本龍馬(↓)や武田信玄、上杉謙信といった有名な人物が姿を消すらしい。


 
 これは、11月14日(2017年)の朝日新聞で報道されたもので、高校や大学の教員からなる「高大連携歴史教育研究会」という機関が、「歴史の教科書に載る用語が多すぎるため、現在3,500語ぐらいで構成される歴史用語から1,500語ぐらい削除する」と言い出したという。

 同研究会によると、そもそも1950年代には、生徒たちが覚える歴史用語は1,300語程度だったそうだ。
 それがどんどん増え続け、今では3,500語に膨らんできた。そのため、子供たちが暗記しなければならない用語が多くなりすぎて、それが歴史を学ぶ楽しさをスポイルしているとか。

 減らされる言葉は、主に歴史上の人物名だという。
 現在候補に挙げられているのは、日本史においては坂本龍馬、武田信玄、上杉謙信、吉田松陰、大岡越前。
 世界史においては、クレオパトラ、マリーアントワネット、ガリレオ・ガリレイといった人たちらしい。

 それらの人名を削除する理由について、歴史教育に詳しい専門家たちは(ネット情報によると)次のように説明している。

 「坂本龍馬は、西郷隆盛や大久保利通に比べ、明治維新に果たした役割は小さい」
 「大岡越前はテレビドラマなどで有名だが、実際の大岡忠相という人物は裁判官として有名だったわけではなく、ドラマではかなり脚色されている」
 「武田信玄と上杉謙信が戦った “川中島の戦い” は、単なる地方大名同士の戦いに過ぎず、歴史の大勢に影響はなかった」
 「吉田松陰は教育者としては優れていたかもしれないが、思想家としては疑問符がつく」

 … などという判断が研究機関内部で固まりつつあり、上記の人々が歴史教科書から姿を消すことになるようだ。

 当然、ネットなどでは、賛否両論が生まれている。
 これらの歴史上著名人が削除されることについて困惑を隠さない人がいる一方、これを「是」とする見方もある。
 賛成を表明した発言には、次のようなものがある。

 「(教科書から吉田松陰や坂本龍馬の記述が削除されるのは、)賢明な判断だと思う。吉田松陰はテロを盛んに推奨し、坂本龍馬は単なる武器商人というのが最近の研究で明らかになってきたからだ」

 と、まぁ、自分の意見を、あたかも “世論一般” であるかのような体裁で書き込む人も出てきた。

 多くの人は、こういう動きをどう見ているのだろうか。 
 想像するに、若い人で、歴史に興味のない人は、覚えることが少なくなることを歓迎するかもしれない。
 歴史嫌いは、若者だけでなく、中年の主婦層にも広がっている。
 そういう人の大半は、次のようにいう。
 「人の名前を覚えるだけで大変。頭の中が混乱しそう」

 もちろん、そういう意見は、実際に私もよく耳にする。
 「NHKの大河ドラマみたいなものは1回も見たことがない」
 という人も多い。

 ただ、私のような歴史好きの人間からすると、自分たちが若い頃に慣れ親しんだ歴史上のスターたちが教科書から消えていくことはさびしい。
 やっぱり「高大連携歴史教育研究会」の考え方はおかしいのではないかと思ってしまう。

 繰り返しになるが、この研究会は「高校生が覚えなければならない用語が増えすぎて、歴史を学ぶ楽しさが排除されている」と言っているのだが、歴史上の “スター” を排除して、ほかにどんな楽しいことを学ばせようとしているのだろう。

 彼らは、名前を覚える価値のない歴史上の人物を削除する代わりに、「気候変動」、「グローバル化」、「共同体」といった現代的課題につながる用語を盛り込むという。
 それじゃますます “歴史嫌い” の子供たちが増えるだけではなかろうか。

 確かに、小説やドラマによって、その業績が誇張された人物はたくさんいる。
 現に、坂本龍馬という人は、司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』以降に人気が出てきた人で、司馬さんも、自分の書いた龍馬像にはたぶんに創作が混じっていることを認めている。
 だから、司馬さんの小説では、名前が「龍馬」ではなく、「竜馬」になっているのだ。

 しかし、それでもいいのではないか。
 実在した人間の実力以上に “能力” が盛られたとしても、国民の多くが親しんだ人物は、もう日本人の「文化」になっているのだ。
 その人物が、仮に歴史上に果たした役割が小さかったとしても、ドラマや小説によって盛られたロマンこそが、それに接した人々の情操を豊かにしていくのである。

 残虐な独裁者を “救国のヒーロー” として祭り上げるような歴史の捏造は許されないが、坂本龍馬の「わしは日本を洗濯しようと思っちょる」というセリフに滲んでいる気宇壮大なロマンに思いを馳せることは、十分に許される。

 習った歴史が史実と異なることを探る作業は、大人になってからやればいいだけの話だ。
 それよりも、人間として最初に習う歴史は、ワクワクする “物語” であっていい。

 イタリアの歴史を題材にした読み物を書いている塩野七生氏は、日本の歴史教育の貧しさを、「物語性」の排除に見出している。

 日本では、子供が小さい頃から、教師が「歴史はロマンではなく学問だ」と教える。
 つまり、日本人教師は、小説やドラマに出てくるような話を、「そんなものは入学試験には出ないから」といって話題にすることすらしない。
 結果的に、それが歴史を無味乾燥な学問にしてしまう。

 塩野七生氏は、「ヨーロッパ人は歴史を<物語>として楽しむ」という。
 それが彼らの基礎的な教養となり、家庭内の話題や友人同士の会話の豊かさを保証していくことになる。

 「高大連携歴史教育研究会」は、必要のない歴史上の人物を覚えることが子供たちに、過酷な暗記を強いていると主張しているようだが、人間は、楽しい物語の主人公の名前など忘れないものだ。
 むしろ、歴史の時間に、「気候変動」とか「グローバル化」、「共同体」などという言葉を覚えさせられることの方が苦痛だ。
 
 近年、歴史嫌いの子供たちが増えてきたのは、教師たちの無味乾燥な歴史教育の結果だと言い切ってもよさそうだ。
   
 
関連記事 「坂本龍馬の実像」
 
 
 
  

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巨大化する軍産複合体

 
トランプ大統領のアジア歴訪の目的
 
 アメリカのトランプ大統領のアジア歴訪の目的はビジネスのためだったのではないかと思えるくらい、トランプ氏は各国で精力的に商談をまとめて帰国した。

 11月12日(日)の「サンデーモーニング」(TBS)によると、中国で開かれた米朝会議の席で、トランプ大統領は、習近平主席から天然ガスの共同開発や航空機の購入など、総額28兆円におよぶ商談を提示され、今回の主目的であった北朝鮮制裁問題などを煮詰めることなく、無邪気に喜んで手打ちにしたという。

 また、その前の日韓首脳会談では、文在寅(ムンジェイン)大統領に数十億ドルに及ぶアメリカ製兵器の購入を約束させた。

 もちろん日米首脳会談においても、防衛省が頭を抱えるくらいの高額兵器購入を迫り、それを日本側に了承させている。
 日本はこれまでにもアメリカから大量の兵器を購入するようにうながされ、軍事予算は年々上がる一方で、2017年度の日本の軍事費は3,596兆円。これは、第一次安倍内閣が発足した2012年度の軍事費(1,356兆円)に比べると、その2.6倍に膨れ上がった額だという。

 特に、今アメリカが売りたがっているイージス・アショア(地上配備型ミサイル迎撃システム)などは一基およそ800億円といわれているが、日本政府はその大量購入も検討せざるを得ない立場に立たされた。

 このような兵器販売に力点を置くトランプ政権のもとで、現在アメリカの軍事関連企業は空前の好景気に沸いているという。

 オスプレイを製造しているボーイング社の株価は、トランプ政権が生まれてからこの1年で87%上昇。イージス・アショアや高高度ミサイル迎撃システムのTHAAD(サード)を製造しているロッキード・マーティン社の株価も、ここ1年で32%上昇した。

 トランプ政権下で業績を上げた軍事関連企業と政府の結びつきはますます強くなり、軍需企業の副社長クラスの人間が次々とトランプ政権に入閣。国防省副長官や政策担当国防次官などに指名されるようになった。

 「サンデーモーニング」(TBS)に出演していたジャーナリストの高橋浩祐氏は、番組のインタビューに対して次のように語った。

 「今アメリカの議会は、上院も下院とも軍需産業と結びつきの強い共和党が牛耳っている。そのため軍産複合体型の体制ができあがり、政界と軍事関連企業の癒着がますます強まっている」

 “軍産複合体” とは、軍部・軍需産業、政治家などの強い結束状態を指し、世界の軍拡競争を煽りながら、様々な国との武器取引で利潤を生みだしていく総合的システムである。

 前述の高橋浩裕氏によると、「第二次大戦以降、アメリカは10年に一度くらいの割合で大きな戦争を必要とする社会になってしまった」という。

 それがベトナム戦争であり、湾岸戦争であり、アフガン紛争、イラク戦争であった。これらの戦いにおいては、もう勝敗はそれほど重視されなくなってきている。なぜなら、今のアメリカにとって「戦争」とは、これまでつくってきた兵器の在庫処理イベントであり、新たに開発された兵器のテストの場であり、消費した兵器に代わる新しい兵器増産のチャンスを与えてくれるものだからだ。

 その結果、現在のアメリカにおいては、軍事産業が国を支える基幹産業の頂点に登りつめ、経済を活性化させ、雇用を促進し、今の好景気を支えているという。

 それにともないアメリカの軍事費もどんどん膨れ上がり、現在の軍事費は、アメリカがベトナム戦争に介入した1965年当時の10倍以上だといわれている。

 アメリカにおけるこのような軍拡路線の拡大は、世界にも飛び火し、今は世界中が軍拡の時代に入ってきた。スェーデンの研究機関の調査によると、2016年の世界の軍事費は、10年前に比べて2,640億ドル(30兆円)の増加になっているとか。

 世界が軍拡経済の道を歩み始めたため、各国の民間研究機関も軍事技術の研究が大きな比重を占めるようになった。現にアメリカにおいては、ペンタゴンとCIAが軍事研究を意欲的に進める企業に対して、奨励金を無利息で手渡すようになっているという。今後は、その奨励金欲しさに、企業の方からペンタゴンとCIAにすり寄って資金援助を申し込む機会が増えるだろうと予測している専門家もいる。

 現在のトランプ政権が北朝鮮の核攻撃に脅威に感じているふりをしているのは、日本や韓国にアメリカ製兵器を購入させるための宣伝材料だったのではないか? と考えるむきもある。

 現に、日本政府も、「北朝鮮のミサイル攻撃に備える必要がある」という名目がある以上、アメリカがリクエストする高額兵器購入を断り切れなくなる。

 新型兵器の開発が “戦争の抑止力” であるうちはいいが、兵器製造で経済を回していくためには、どこかでその製造物を消費しなければならない。すなわち、トランプ大統領の政治というのは、戦争経済を前提として政権運営を進める政治なのだ。

 彼の本心は、北朝鮮を軍事力で叩くことで、自国の優秀な兵器の宣伝を行い、ついでに兵器の在庫調整をしたいというところにあるのかもしれない。地上から北朝鮮の軍事的脅威がなくなっても、イランをはじめ、彼が戦争をしかけたい国はいくらでもあるのだから。
 
 

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ブレードランナー2049は1作目を超えたか?

 
 第1作目が公開されてから、35年。
 伝説のカルトムービーといわれた『ブレードランナー』の続編、『ブレードランナー2049』が現在(2017年11月10日)公開中である。

 2049とは?
 第1作が2019年のロサンゼルスを舞台にしたSF映画だったから、その30年後(2019年)を描いた映画という意味だ。

 “30年後” を描いたのだから、第1作で表現された世界のさらにその先を描いたはずなのに、観客から見ると、この第2作目の方が現在のわれわれが住んでいる世界に近い雰囲気を持っている。

 1作目が公開されたのが1982年。
 その後、われわれの生きている世界はめまぐるしく変わった。
 新しいテクノロジーが人々の生活を激変させ、テロや紛争も日常化した。
 『ブレードランナー』1作目に見られた爛熟した都市文明の光景や、バイオレンスに彩られた紛争の映像などは、もうテレビやネットで日常的に可視化される時代になった。

 だから、われわれが歩んできたこの “30年” は、『ブレードランナー』の “30年” を軽々と飛び越してしまったのかもしれない。

 たとえば、『ブレードランナー2049』では、廃墟の建ち並ぶ2049年のラスベガスが映し出される。
 でも、私にはそれが新しい光景には見えなかった。
 「あ、これはイスラム国とイラク軍の戦いによって荒廃した中東の都市そのものだ」
 と思ってしまった。

 ホログラムによる昔のスターたちの演奏シーンが再現される。
 ステージ衣装を着たプレスリーやフランク・シナトラのホログラムが幻のステージを展開する。
 「あ、これは初音ミクのコンサートだ」
 と思った。

 主人公の “恋人” もまた、ホログラムによるバーチャルな女性で、リアル人間のような実体を持たない。
 しかし、彼女は主人公を愛し、甘い言葉をささやき、彼の過酷な仕事を心配する。

 そういう疑似映像的な恋愛スタイルは、今はまだSFの世界に属するものだが、しかしわれわれは、VR(バーチャルリアリティー)の進化によって、もうじきそれが現実の世界になりうることを知っている。

 このように、『ブレードランナー2049』は、未来というよりも、むしろ現在の我々の生きている世界を描いた映画にすら思える。

 だからといって、この映画が退屈か? といったら、まったくそんなことはない。
 極上のエンターティメントだと太鼓判を押せる。
 第1作にも、“謎解き・犯人探し” といったミステリー的要素があったが、その色合いは薄く、むしろ度肝を抜く映像美を楽しむ映画という要素の方が強かった。

 しかし、この『 … 2049』は、かなり計算の行き届いたミステリータッチで観客を引っ張っていく。
 ネタバレになるが、この第2作目は、人造物であるレプリカントに、はたして人間と同じような生殖能力があるのか否か? ということが大きなテーマになっている。

 レプリカントというのは、ロボットの延長線にある人工物だから、それ自体が生殖能力を持つことはない。製作されるときも、最初から成人した個体として生まれてくる。

 しかし、30年前、子供の出産を経験した女性型レプリカントが存在したのではないかという疑惑が研究者たちの間で広まる。
 
 もし、レプリカントにも生殖能力があれば、そのノウハウを事業化し、レプリカントの大量生産システムを開発することによって、グローバル企業として雄飛しようと目論むレプリカント製作会社がある一方、そんなことが実現すれば「人類の危機」となると判断し、それを阻止しようとするロサンゼルス警察との暗闘が始まる。(※ 主人公はロサンゼルス警察の方に属する)

 過去に、ほんとうに生殖能力を持ったレプリカントが存在したのか?
 それを確認できるデータはすでに喪失しているのだが、そのレプリカントが出産した子供はどこかで生きているという。

 レプリカント製作会社と、ロサンゼルス警察の間で、そのレプリカント出産の秘密を探る競争が始まる。
 はたして、どちらが先に、その実態をつかむか。
 
 謎解きの要素が強調されるようになった分、『 … 2049』は、エンターティメントとしては1作目より洗練されたつくりになっている。
 
 ただ、あきらかに第1作目にはあったのに、第2作目にはなかったものがある。
 音楽だ。
 第1作目は、ヴァンゲリスのスコアによる名曲が全編を埋め尽くしていた。

 「愛のテーマ」、「グリーンの思い出」などという甘美で美しいメロディーや、おどろおどろしい終末感を漂わせる「テイルズ・オブ・ザ・フューチャー」、「ダマスク・ローズ」。
 そして、死の静寂すら予感させる哀愁に満ちた「ブレード・ランナー・ブルース」。
 1作目は、サントラアルバムの理想ともいえるような名曲がずらりと並んでいたが、2作目は観客を音楽で酔わせるという要素は薄くなっていた。

 映像的にも、コテコテの第1作目に比べると、かなり薄味の感じ。
 1作目で描かれた未来都市には、「廃墟の美学」のようなものがあった。
 マヤやアステカのピラミッドを連想させる、黒々とそそり立つ巨大建築。
 ビクトリア朝時代の建築物を思わせる古いアパート。
 古代エジプト神殿を思わせる夕陽を浴びたオフィスの一角。
 建物にはすべて、今は廃墟となった建造物からの “引用” があり、人類が失ってしまった古代遺跡のメランコリックな情緒を引き出していた。
 
▼ 「ブレードランナー」1作目の出てくるタイレル社のオフィス

 しかし、2作目になると、「廃墟の美学」のようなアプローチは影を潜め、文字通り「廃墟」だけとなった感じだ。

 主人公の造形はどうか?
 役者としては、2作目の “ブレードランナー” を演じたライアン・ゴズリングの方が断然よい。

 1作目のヒーローを務めたハリソン・フォード(2作目にも出てくる)も悪くないが、やっぱり『スターウォーズ』でハン・ソロを演じていたときの “あんちゃん” 臭さが残っていた。
 その点、ライアン・ゴズリングには、ハリソン・フォードにはなかった知性の匂いが感じられる。

 テーマ設定はどうか?
 第1作は、「人間のように生きたい」と願うレプリカントたちを描くことによって、「人間とは何か?」という哲学的な疑問を設定することに成功した。
 2作目においても、その姿勢は変わらない。

 レプリカントは幼少期の記憶を持たないがゆえに、人工的につくられた記憶を移植される。
 つまり、記憶さえ持てば、彼らは自分をレプリカントとして自覚することなく生きることもできるのだ。
 すなわち、「人間とは記憶である」という命題が、ここでも繰り返される。

 この映画のネットレビューを見てみると、賛否両論が並んでいる。
 概ね好評で、なかには「ブレードランナーオリジナル(1作目)を超える出来栄え」という評もあった。

 しかし、「(この映画を楽しめるのは)40歳以上の男性のみ」という指摘もあった。
 「子供に見せるにはヘビー過ぎる内容で、女性へのアピールが乏しく、夫婦で観に行く映画でもない」

 確かに、そういう一面はある。
 だが、『ブレードランナー』第1作だって同じようなものだった。

 最近のハリウッド映画は、興行収益を確保するために、観客動員の見込める “女・子供” 向け映画を露骨に志向するようになったが、たまにはこういう暗くて、静かで、さびしい大人の映画があってもいい。
 
 
関連記事 「ブレードランナーの未来世紀」
 
関連記事 「『ブレードランナー2』は成功するのか?」 
 
 

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「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の怖さの正体

  
 2017年12月17日まで上野の森美術館で開かれている『「怖い絵」展』の目玉となっている「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。

 テレビ東京の看板番組『美の巨人』(11月 4日)でも取り上げられた作品だけに、日本でも有名な絵の一つになりつつある。

 この絵の何が怖いのか?

 絵の背景となる歴史的事実を知らない人でも、ここに描かれているのは、一人の高貴な少女が首を切られる数分前の情景であることが一目瞭然に分かるからだ。

 レディ・ジェーン・グレイとは、16世紀中頃に生まれたイングランド王室の娘。王室内の権力闘争に巻き込まれ、16歳のときに本人も希望しない「イングランド女王」として即位。
 しかし、反対派の巻き返しによって、在位 9日間で女王の座を追われ、幽閉生活を送った後、7ヶ月後に反逆者として処刑される。

 その刑の執行シーンを、フランス人画家のポール・ドラローシュ(1797~1856年)が切り取ったのがこの絵だ。
 発表当時から評判となり、夏目漱石もイギリス留学中にこの絵を見て衝撃を受け、小説「倫敦塔」の中で紹介している。

 私がこの絵を見たのは、ちょうど30年前である。
 朝日新聞の日曜版に掲載されていた「世界 名画の旅」という連載読み物が全 5巻の本としてまとめられので、全巻そろえた。
 その最終巻に、この絵が見開きで紹介されていた。

 まさしく「怖い絵」だった。
 正直にいうと、「おぞましい絵」だった。
 「リアル」という表現よりも、「生々しい」という言葉の方が合いそうな、生理的な気味の悪さが漂ってくる絵に思えた。

 この絵の「おぞましさ」の正体は何だろう。
 それは、この絵が、鑑賞者の「怖いもの見たさ」をくすぐるショー的機能を持っているからである。
 多くの鑑賞者は、この哀れな少女の薄幸さを嘆き、残酷な運命に涙する。
 しかし、その一方で、鑑賞者は、ショーの顛末をこの目で見たいという邪悪な期待感も抱いてしまう。
 その後ろめたい気分が、この絵を見た人を襲う「おぞましさ」の正体である。

 この絵は、中野京子さんのヒット作である『怖い絵』シリーズにも収録され、今ではかなり多くの美術愛好家に知られるようになった。
 中野女史は、この絵をこんなふうに紹介している。

 「若々しく清楚な白い肌のこの少女は、一瞬後には血まみれの首なし死体となって、長々と横たわっているのだ。そこまで想像させて、この残酷な絵は美しく戦慄的である」

 この一言に、この絵の “怖さ” が集約的に説明されている。
 キーとなる言葉は、
 「 … そこまで想像させて … 」
 である。

 つまり、この絵が怖いのは、この数分後には確実に訪れている凄惨な情景を、もっとも生々しい形で鑑賞者に “想像させる” からである。

 少女に迫る確実な「死」。
 しかし、「死」というものを、人間は見ることができない。
 死体を見ることはできるが、「死」を見た人間はこの世には誰もいない。

 その見えない死を、想像力を刺激することで、あたかも、見えるぐらいの “距離” までたぐり寄せてしまったのが、この絵である。

 テレビ『美の巨人』の解説によると、この絵には創作上の工夫が随所に凝らされているという。
 まず、処刑場を薄暗い壁に囲まれた室内に設定したこと。
 実際の処刑は、ロンドン塔の屋外広場で行われたらしい。
 しかし、あえて舞台を室内に移行させることによって、少女の置かれた環境の陰鬱な閉鎖感を強調しようとしたとか。

 次に、少女の人体比率を、他の人間よりも小さくしたこと。
 特に、右側に立つ処刑人と比べると、少女の体は、その70%程度に縮められているという。
 画家の狙いは、少女の可憐さを際立たせることで、彼女を襲った運命の悲劇性を訴えたかったとも。

 また、少女の衣装の色も、事実とは異なるらしい。
 この時代、処刑される人間は一様にダークグレーの囚人服を着させられることになっていた。
 しかし、画家はそういう考証を無視し、少女には光沢のある白のドレスを身に付けさせることによって、彼女の高貴と純潔を表現しようとしたという。

 つまり、この絵はショーなのである。
 観客に衝撃を与え、観客を楽しませるために巧妙に計算されたショーなのだ。
 
 だからこそ … と言えばいいのか、この絵が訴えてくる衝撃にはすさまじいものがある。
 目を閉じても、この絵は人々の網膜にしっかりと刻印され、目が覚めても消えない悪夢として残る。

 中野京子さんが取り上げる『怖い絵』シリーズに紹介されている絵は、中野さんの解説を読んで、はじめて “怖さ” の本質が見えてくるといった性格のものが多いが、この「レディ・ジェーン・グレイの処刑」だけは、解説抜きで、ストレートに怖さが伝わってくる。
  

関連記事 「『怖い絵』とは何か」

 
 
  

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なぜ若者は保守化しているのか

 
今や若者にとって自民党こそがリベラル

 最近、わが国で選挙が行われるたびに取り上げられるテーマの一つに、「若者の保守化」がある。

 自民党の圧勝に終わった今回の衆議院選挙が終わってすでに3週間経つが、いまだにテレビ・新聞ではこのテーマが繰り返されている。

 11月3日(金)のプライムニュースでは、『「若者×政治」相関図』というタイトルを掲げ、政治学者の三浦瑠璃、社会学者の古市憲寿、評論家の佐藤健志、IT ジャーナリスの津田大介というメンバーを集めて、「若者の保守化傾向の核心」という討議を繰り広げた。

 比較的若いゲストが集まった番組だけに、新しい見解が出てくるのかと期待したが、討議の内容は、すでにいろいろなマスメディアで展開されている以上の見解は披露されなかった。

 それでも、論点はある程度整理されていたと思うので、以下簡単な概説を記す。
  
 
若者の60%が自民党を支持
 
 まず、“若者の保守化” というのは、何を指しているのか。 
 番組では、FNNの出口調査という形で、選挙に出かけた人々に次の二つの質問をぶつけた。

 一つは、「現在の安倍政権を信頼しているか否か?」
 もう一つは、「比例代表制ではどこの党に投票したか?」

 番組で紹介された棒グラフでは端数の数値まで明記されていなかったので、およその数値を勝手に類推してみたが、「安倍政権を信頼するか」という質問に対して、「信頼する」と答えた10代の若者は、なんと64~65%に達した。

 20代になると、その数値は若干下がるが、それでも62%程度の人が「信頼する」と答えている。
 30代ではそれが下がって、47~48%程度。
 40代ではさらに下がり、44%程度。
 50代は、42%ぐらい。
 60代は、40%という結果になった。

 また、「比例代表制ではどこの党に投票したか?」という質問でも、若者の自民党評価は高く、20代では50%の若者が「自民党」と解答した。
 10代の「自民党」評価は45%。
 30代は40%。
 40代は35%。
 このように、年齢が高くなればなるほど、“自民党離れ” が進み、50代では32%。
 60代では30%(いずれも目測による概算)という結果になった。


 
 面白いことに、今回の選挙で躍進した立憲民主党に関しては、ほぼ逆の傾向が表われたことだ。
 つまり、同党に関しては、50代、60代の支持率がかなり高く、反対に10代、20代の支持率は高齢者たちよりも相対的に低い数値を示した。
 
 
高度成長やバブルを知らない若者たち

 このデータを見て、社会学者の古市憲寿(↓)はこういい切る。

 「この結果は、若者がテレビを観ていないことを物語るもの。もし彼らがテレビを観ていたら、モリカケ問題などで安倍首相がそうとう野党に追求される姿を知ったはずだ。そうすれば安倍政権に対する信頼度は揺らいだろう。
 しかし若者はテレビを観ていないから、投票所に来たときに、単に名前を知っている党として “自民党” と書いてしまう」

 政治学者の三浦瑠璃(↓)は、こう語る。

 「今の20代~30代の若い層は、日本が “失われた20年” という暗い時代をさまよっていた記憶しか持っていない。彼らはその上の世代が経験してきた高度成長やバブルの時代を知らない。
 そうなると、安倍政権は自分たちが幼い頃経験した辛い時代を吹き払ってくれる頼りがいのある政権に見えてしまう」

 シニア層に関しては、その逆がいえるという。

 「50代~60代の人々は、活力感にあふれた高度成長やバブルの時代を “正常” とみなすから、正常な状態から逸脱したのは自民党の失策だと判断する」
 
 
 “若者の保守化” というテーマそのものに疑問を抱いたのは、IT ジャーナリストの津田大介(↓)だ。

 彼はこう言う。

 「若者の自民党支持が高いことを “保守化” と決めつけるのは、マスコミのミスリードではないか。少し前までの若者がいちばん心配していたことは、雇用問題だった。自分たちの働き口がどんどん狭まっていくという不安に彼らはさいなまされていた。
 しかし、安倍政権になって雇用問題には改善の兆しが見え始め、有効求人倍率も現在では1.5倍程度の数値を見せている。
 だから若者たちには、自民党がいちばん自分たちの生活を改善してくれる政党に見えているのではないか」

 彼はさらに、国際情勢の変化も挙げる。

 「今の50代~60代の人たちは、若い頃に日本がアジアでは最も進んだ国という印象を抱いたまま年齢を重ねた。
 しかしその後、中国の経済的・軍事的膨張が著しく進み、北朝鮮も核兵器を持つ危険な軍事国家になってきた。
 そういう中国や北朝鮮に対し、外交的に強気の姿勢を示す安倍政権は、今の若者たちには頼もしく思えるのだろう」
 
 
野党の掲げる政策の根本的矛盾
 
 「作家・評論家」という肩書を持つ佐藤健志(↓)は、自民党の強さを分析する前に、野党の弱さを分析した方がいいという。

 「今回の選挙で、国民が安心してこの党に任せようと思える政策を打ち出した野党は一つもなかった。すべての野党が安全保障問題に関しては、抽象的で非現実的なことしかいわず、経済政策に関しても、安倍政権の掲げる成長戦略と対抗できるような戦略を打ち出した野党はなかった。
 そして、成長戦略を示さないまま、ほとんどの野党は大企業の内部留保などを批判し、分配の平等性を主張した。
 しかし、分配の平等を主張するには、分配を確実にするための財源を確保しなければならない。
 ところが、野党はその財源となる消費税について、“反対か凍結” しかいわなかった。そういう矛盾を国民は冷静に見抜いたから、野党の惨敗という結果になった」
 
 
 議論はさらに進み、自民党と野党の違いがより一層浮き彫りになっていく。
 
 古市憲寿(↓)はいう。

 「憲法解釈などを除けば、今回の選挙を通じて、保守といわれる自民党とリベラルと思われている野党の政策上の違いがほとんどないことがはっきりした。
 これまでだったらリベラルでなければ掲げないような政策を、今では自民党が先に言い出してしまう。
 政策上の違いがなくなってしまえば、残るは政権運営能力だけの問題となる。
 そうなれば誰もが自民党の実績がもたらした安定感を評価するしかなくなってしまう」

 佐藤健志(↓)がそれを補足する。

 「リベラル派の主張は、戦後70年経っても一向に変わっておらず、すでにそれが形骸化してしまっている。だから国民から見れば野党の主張に新鮮度が感じられなくなったのだ」
 
 
「保守」と「リベラル」の逆転

 このようなゲスト諸氏の意見は、すでにさまざまなメディアで行われた分析結果を大きく離れるものではなかった。
 ただ、ここで浮き彫りになった問題が一つある。
 それは、「保守」と「リベラル」とはいったい何なのか? という根本問題である。
 
 
 京大名誉教授の佐伯啓思氏は、こういう。
 「今回の選挙で、“保守” と “リベラル” を政党別に対置する方法はほとんど意味を失った。
 なぜなら、保守であるはずの自民党が、矢継ぎ早に “改革” を打ち出してきたからだ」(朝日新聞 2017年11月 3日号)

 そもそも、「保守」と「リベラル」はどう違うのか?
 佐伯氏によると、次のようになる。

 「“保守” と “リベラル” の違いは、従来次のように解釈されてきた。
 すなわち、経済界に近い立場から、経済成長路線をとり、戦後日本の基本的な社会構造をできるかぎり維持しようとするのが保守。
 これに対して、経済成長の恩恵を得ない者の利益や社会的少数派の権利を擁護し、社会をより社会民主主義的な方向へと改革していくのがリベラル」

 ところが、最近はそれが逆転しているという。
 時代の変化や国際状況の流れを敏感に感じ取って、次々と「改革」を打ち出しているのが自民党だとか。

 具体的にいうと、まず、北朝鮮の核配備の脅威や中国の大国化を見据え、それに応じた安保法案を整備したこと。
 産業的にはAI やロボット産業など次世代の成長戦略を計画していること。
 社会政策では消費税の使い道を明確にして、将来の不安に対応しようとしていること。

 このような大きな “変革” を打ち出してくる自民党に対し、リベラルを標榜する野党は、それに対する対案を出すことなく、すべて「反対」を唱えるだけ、と佐伯氏は書く。
  
 「リベラル野党の主張をみると、『生活を守れ』『弱者を守れ』『地域を守れ』『人権を守れ』『平和を守れ』『憲法を守れ』というように、すべて現状を守れといっているだけで、変化を嫌っているようにしか見えない。これでは “野党こそ保守だ” といわれても仕方がない」

 この佐伯氏の主張は、政権与党となった自民党を擁護するものではけっしてない。与野党のバランスのよい政治運営を進める上で、いま最大の障害となっているのが、野党の劣化であると嘆いているのである。


 
 
野党はもう自民党を追いかけるな
 
 「野党の劣化」に関しては、すでに多くの識者が指摘し、世論もそういう方向に傾いてきたので、私もこれ以上触れない。

 ただ、「野党は今後どうすればいいのか」ということだけについて、一言だけ書く。

 野党はもう「政権交代」など目指さなければいい。
 政権運営能力なども磨く必要がない。

 それよりも、自民党のビジョンを超える “壮大な物語(ロマン)” を提示するべきだ。
 どうせ自民党の政策案を超える方針を展開できないのならば、政策論争で、自民党とのかすかな違いを強調するというような姑息な手段を考えても意味がない。

 それよりも、その主張のなかに、もっと知的でスリリングな思想を提示してほしい。
 今の自民党に欠けているのは、未来を長期的に見据える視線だ。
 AI やロボット産業の育成だけが “未来” ではないだろう。

 私などが知りたいのは、それこそ資本主義の未来の姿はどうなっているかというような気宇壮大な物語である。
 現実路線は自民党に任せて、野党はそういう図太い未来像を見据えた上で、今の問題を考えるべきだ。
 
 
共産党は「マルクス」を語れ !

 「大きな物語」というと、かつてはマルクス主義などがそう言われた。
 マルクス主義を標榜したかつての社会主義国家が現在はみな人権を無視した独裁国家となってしまったため、今ではマルクス主義そのものが “過去の悪しき思想的遺物” と見なされるようになったが、いまだにマルクスの資本論に勝る資本主義の研究書は存在しない。

 それは2015年に、フランスの経済学者トマ・ピケティが、マルクスとはまったく違った方法論で資本主義社会を分析し、結果的に、マルクスと同じ結論に至ったことからも分かる。

 そういう優れた思想家の薫陶を得て、社会主義国家の建設を夢見たはずの「日本共産党」が、選挙活動でマルクスの「マ」の字も出さないなんて情けない話だ。
 バカじゃないのか、この党は。
 「自分たちは、まだ世界のどこにでも出現していない真の共産主義国家を目指します」ぐらい、選挙演説で言ってみろよ。
 そして、自衛隊の戦力はそのまま温存し、名称を「革命防衛隊・赤軍」に変えます、ぐらい言ったらどうか。

 そう明言すれば、今より支持者はさらに減り、警察当局からは危険思想集団だという圧力を加わえられるかもしれないが、イデオロギーの純粋性と美しさは維持できる。
 それぐらいやったら、私も立派だと思う。どうせ今のままならジリ貧になるだけなのだから。

 共産党は政治集団としての命運はもう尽きかけているのだから、あとは「共産主義革命のために身を捧げる」という神話を掲げ、文学集団としての生き残りをかけるべきだ。
 そうしたら、チェ・ゲバラの神話がいまだに光輝を放つように、国民の視線にも尊敬の念がこもるようになる。
 
 
野党は若者に届く言葉を探せ
 
 私自身は、慶応大学の井手英策教授の財政学理論にかなり共感を感じている。
 だから、それをそのまま政策に生かそうとした旧・民進党代表前原誠司氏の主張にも好意を持った。(その研究成果を自民党の安倍首相が今回はそのままパクった)
 前原氏は、今では民進党分裂を招いた最大の悪者として扱われているが、前原批判をしている頭の悪い民進党系議員たちは、少し政治と社会を勉強し直した方がいい。

 繰り返しになるが、野党には、自民党との微細な政策の違いを見つけ、それをチマチマと追いかけている余裕はない。
 それよりも、若者の切実な問題を見つめ直すことに全力を尽くすべきだ。

 今回の選挙では、投票に行かなかった若者の方がはるかに多い。
 あるテレビ局で、投票場に足を運ばなかった若者にインタビューをしていた番組があった。
 「選挙に行かなかった」
 と答えた10代の2人の女性は口々にこういった。
 「だって、候補者の人たちが言っていることが難しくてわからなかったから」
 
 この言葉を聞いて、野党は喜ぶべきだ。
 だって、それはこれまでの与党が、若者に語るべき言葉を獲得していなかったということなのだから。
 つまり、野党は、自民党よりも先に若者の心に届く言葉を見つけ出せばいいのだ。 
 
 今回の神奈川県・座間市で起こった自殺願望を持つ若者が集団殺害された事件。そこで明るみになったのは、「自殺を考える若者がいかに多いか」ということだった。
 
 「自殺を考える若者が増えている」ということは、今この日本でいったい何が起こっているのか。
 それを究明することこそ、野党の責務だ。

 彼らは、ほんとうに自殺がしたいのではない。
 「自殺したいほど苦しいのに、今の自分の悩みを理解してくれる相手がいない」
 ということを言いたいのだ。

 それはどういう悩みなのか。
 安保法案などで自民党と戦う前に、野党はもっとそっちの方で頭を使えばいいのである。
 
 
野党のチャンスは2年前になくなっていた
 
 青くさい青春論でけっこう。
 ベタな人生論でいい。
 とにかく、野党は若者に届く言葉を掘り起こせ。
 今の “自民党追従路線” では、今後野党が生き残る道はますます狭くなるだけだ。
 
 野党が自民党と政策論議で対等に張り合えた時期は、すでに過ぎた。
 野党が政権交代のチャンスをかけて、自民党と争えたのは2015年ぐらいまでだった。

 この頃は、まだグローバリズムの暴風が吹き荒れて、世界中に格差社会が広がり、雇用問題も深刻化して、階級対立が明確になりそうな気配があった。
 それこそ、資本主義の地金の部分がむき出しになって、悪名高い “帝国主義” が復活しそうに見えた。
 
 もし、このときに、野党がそれを克服するシナリオを鮮明に提示できたなら、民進党などにはもう一回チャンスがあったかもしれない。
 でも、時すでに遅し。

 2016年から、はっきりと世界が変わったからだ。
 イギリスのEU離脱、トランプ政権の誕生、EU諸国における右派勢力の躍進。
 これらはみなグローバリズムへの反動から生まれたものと見なしてよい。

 だからその段階で、日本では、グローバリズムへの親和性を維持した安倍政権の方が、逆に安定性と信頼性を勝ち得るという捻じれ現象が起こったのだ。
 
 こうなると、もうしばらく野党の出る幕はないだろう。
 だから、その雌伏の時期に、野党はもう一度「社会学」「哲学」「文学」「芸術」というそれまで毛嫌いしていた学問分野の基礎勉強をやればいいのだ。
 そういう青くさい努力の果てに、若者に届く言葉が見えてくるはずだ。
   
 

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病院のデイルーム(面会室)にて

 
 2泊3日の日程を終えて、昨日病院から退院してきた。
 「右心カテーテル検査」
 2年前に患った肺血栓症手術の経過が良好かどうか、それを検査するための入院だった。

 もうこれで入院は7回目。
 長いときは1回の入院で2ヶ月ぐらい費やしたことがあったが、2度にわたる大きな手術を終えたあとは、2拍3日の検査入院に移行したので、それほどの負担はなくなった。

 検査の結果、肺を冒していた症状の大半は改善し、肺機能の数値はほとんど正常値に近づいたという。
 ただ、今後も継続的に経過を観察することが必要で、2ヵ月に1度くらいの外来診察と、年に1回の検査入院は避けられないとも。次の検査は1年後の10月10日に決まった。

 入院は嫌いではない。
 適度な非日常性と、適度な日常性が混在した独特の時間の流れが好きだ。

▼ 病棟のデイルーム

 
 人間は、緩やかな拘束を受けていた方が、かえって想像力を刺激される。
 検査時間の合間の午後のデイルーム(面会室&休憩室)。
 ソファに座り、週刊誌のページをばらばらとめくって、退屈な気分をまぎらわす。

 そういうときには、たまたま目が拾った週刊誌の俳句コーナーで、読者が投降した俳句の一句に刺激され、感情がざわざわ揺れたりすることがある。

 俳句に限らず、短歌や詩といった文学は、それを楽しむためのゆとりがなければだめだ。
 この手の文学は、小説と違って、電車の中で味わったりできるものではない。
 「何もすることがない … 」 
 といったような、一種の “物憂さ” の力が必要となる。点滴などによって身体を拘束された状態で、病棟に差し込んでくる午後の光を浴びたときに、この手の文学ははじめて心に染み入ってくる。
 
 
 人との印象的な出会いというのも、そういう心のときに生じる。

 杖をついてデイルームを横切る婦人がいた。
 年のころは60歳後半から70歳代といったところか。
 見舞い客のようだ。

 部屋を横切る婦人の足運びが辛そうに見えた。
 「椅子に座って、一呼吸ついてから行きませんか?」
 テーブルの上に週刊誌を放り出し、私は声をかけた。
 
 「そうね」
 意外にも、婦人は私の前の椅子に腰を下ろした。
 友人が退院するというので迎えに来たのだが、その友人の会計が終わるまで多少の時間があるという。

 世間話が始まった。
 「交通事故に遭って、杖をつくようになった」
 という話になった。

 彼女には、介護しなければならない認知症のご主人がいた。
 ところが、自分が交通事故に遭ってしまい、旦那さんの介護できなくなってしまったという話に進む。

 ご主人の認知症の度合いは極度に重く、自分や周囲の状況がまったく把握できないだけでなく、車椅子に座ったままで猛獣のように暴れまくる。

 事故に遭って、自分の体さえ満足にコントロールできない婦人には、もう介護など無理だと思わざるを得なかった。
 医者は、事故に遭った体の機能を回復させるには、相当苦しいリハビリを覚悟しなければならないと彼女に語った。
 そのとき、彼女の頭のなかで何かがひらめいた。

 「リハビリが苦しいというのなら、いっそ主人を介護することを自分のリハビリだと思えばいい」

 そう覚悟したとたん、介護を円滑に行うためのさまざまなアイデアが一気に湧き出し、今まで辛かった介護行為も、それがリハビリの運動だと思い込むと不思議なくらい軽く感じるようになった。

 「だから介護というのは “哲学” であると同時に、 “芸術” でもあると思ったんです」

 そう彼女は語った。
 なんと素敵なことをいう女性だろうと思った。

 ご主人を介護しているうちに、いろいろな人の本性や品格も少しずつ見えてきた。
 ご主人のことを認知症だと知ってから、どうせ「言葉を理解できないだろう」とばかりに、ご主人の前であからさまに悪口をいう人も出てきた。

 なかには、2人がいる前で、「ご主人がこういう状態になったら、いっそのこと亡くなってくれた方が楽だと思うことだってあるでしょう」
 という無神経な言葉を、平気で口にする人もいたとか。
 
 しかし、認知症というのは、けっして周りの世界を把握できなくなったのではないことに婦人は気づいた。

 ご主人に向かってむごい言葉を吐き捨てる人が出てくると、ご主人の顔がなんとも悲しげな表情に変わるのを、婦人は何度も見たのだ。

 重度の認知症患者は、人の言葉を理解できなければ、自分の気持ちも言葉に出せない。
 世間の人はそう思い勝ちだが、認知症患者の心は、むしろ健常者よりもピュアに回りの世界を理解している。

 「そういうことが分ってきたのは、やはり介護を続けてきた結果です。主人はすでに亡くなりましたけれど、私は最後まで介護できたことを幸せだと思っています」

 という話を聞いたところで、会計を済ませた婦人の友人がやってきた。

 いい話を聞いたと思った私は、何度も頭を下げながら去っていく婦人に対し、ドアが閉まるまで手を振った。
 
 

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“昭和的” なるものとは?

 
ドラマ『陸王』に見る昭和の高度成長とバブル

 「平成の若者が昭和歌謡に夢中 … 」みたいな記事を書いているときに、ふと思ったことがあった。
 今の人たちが、「昭和」という言葉からイメージしているものって、いったい何だろう?

 テレビのワイドショーなど観ていると、とかく「昭和」がキーワードとなることが多い。
 たとえば、散歩番組などを観ていると、レポーターが、
 「いやぁ、昭和チックな街並みですねぇ !」
 と表現したり、グルメ番組を取材するレポーターなら、
 「まさに、昭和の味そのままのナポリタンです」
 とかいう。 

▼ 「昭和」の街並み(?)

 そういうときに、「昭和」という言葉を使う人たちは、いったいどんな風景、どんな風俗、どんな味を想像しているのだろう。
 
 
すぐ浮かぶのは『三丁目の夕日』的映像

 一口に「昭和」といっても、その言葉があらわす時代は長い。
 「昭和」というのは、西暦でいうと1926年から1989年。
 63年の長きにわたり、その間に太平洋戦争がある。

 ただ、戦争に覆われた「昭和」を知っている人は、高齢者になってきているから、人口としては少なくなってきている。
 したがって、大多数の人が想像する「昭和」というのは、主に昭和30年代から60年代。西暦でいうと、1960年代から1980年代ぐらいではなかろうか。
 
 
 昭和30年代といば、街中をオート3輪が走り、東京タワーの建設が始まり、家にぽつぽつと白黒のテレビが普及し始めた時代。まさに映画『三丁目の夕日』のような世界だった。それは、経済的にはまだ貧しかった東洋の島国が、経済立国を旗じるしに歩み始めた時代だった。

 しかし、昭和50年代になると、日本は諸外国から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと称される経済大国になる。世界をリードする経済力を背景に、大都市を中心にバブル文化が花開いた。

 どちらの時代においても、「昭和」のキーワードは「成長」と「繁栄」という言葉に集約される。つまり、「高度成長」と「バブル」という二つの膨張期を抱えたのが昭和という時代なのだ。
 デフレを迎えた平成期に「昭和再評価」が生まれてきた背景には、この「膨張した日本」に対するノスタルジーがある。
  
 
モノが増えていくことを確認するのが
「昭和」だった

 
 昭和25年(1950年)生まれの私の個人史に、この「昭和」という時代を重ね合わせてみると、私は「高度成長」と「バブル」という二つの膨張期をリアルタイムで体験している。

 高度成長期がスタートしたといわれる昭和29年(1954年)、私は4歳だった。翌年から神武景気と呼ばれる好況期がやってきて、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビという三つの家電が家庭にそろうことが「最高の幸せ」といわれるようになった。
 もちろん、当時の私の家にはそのどれもなかった。
   
 昭和32年(1957年)、ようやくわが家に白黒テレビがやってくる。
 そのテレビで「名犬ラッシー」、「パパは何でも知っている」などのアメリカ製ホームドラマや「月光仮面」、「まぼろし探偵」といった(今でいうコスチュームヒーローもの)を見るようになる。

 翌年、隣の家が、登場したばかりのスバル360を買い、それを自慢げに運転する姿を見る。自家用車を持つ家庭というものが近所に出現したことに驚く。

▼ スバル360

 昭和39年(1964年)、中学2年生だった私は、ビートルズのファンだという友人の家に遊びに行き、ラジオでしか聞いたことのなかったビートルズをはじめてステレオで聞く。
 レコードはモノラルだったが、左右のスピーカーから流れてくる音量の豊かさに圧倒された。
 「俺もステレオが欲しい」と思いつつ、受験のためしばらく我慢し、高校に入ってようやく親に買ってもらう。

 こういうように、私から見た「高度成長期」というのは、自分の家や周りの家に「モノ」が増えていく時代といえた。
 そのモノを本当に欲しいのかどうかは別にして、とにかく「お隣が買ったのだから、うちも買う」というのが、物を購入する最大の動機となった。
  
  
高度成長期の人々の感性
 
 おそらく、こうして多くの “中間層” がこの時代に生まれていったのだ。
 つまり、高度成長期の「昭和」というのは、大量生産されたものを大量消費することによって、膨大な中流家庭が生まれていった時代だった。
 
 同じものを買って消費するのだから、商品を買ったときの感動も、それを消費するときの満足感もだいたい似たり寄ったりになる。
 ということは、人々の生活感覚や人生観もステレオタイプ化されたことを意味する。

 ただ、それを当時「個性の喪失」などと考える人はほとんどいなかった。
 むしろ、階層アップして、周りの人と同じ価値観を共有することが、ひとつの喜びとなった。
 そこには、少しずつ生活をステップアップさせていく人々同士の連帯感があった。
 それを、今風に「人との絆」という言葉で言い表してもいいのかもしれない。

 たぶん、平成に生きる人が「昭和」という言葉に温かいイメージを感じるとしたら、それは “昭和人” たちがお互いに維持していた「絆」の強さからくるものであろう。
 
 この昭和的な「人と人との絆」は、今もドラマや小説などではノスタルジックに反復されており、池井戸潤氏の小説をドラマ化したものなどは、みなこの路線に沿っている。

 つまり、最初に、利害の異なる人々の敵対関係が示される。
 次に、主人公の夢や情熱に共感する協力者が現れる。
 (この場合の主人公は、たいてい時代に乗り遅れそうになった中小企業事業者だ)
 
 やがて、主人公が一つのプロジェクトを立ち上げ、協力者たちの力を結集して、圧倒的な力を持つ敵対者にコンペティションを挑む。
 最後は、主人公と協力者たちの信頼関係が実を結び、主人公側が勝利を収めて、「絆の勝利」という美談に収束する。
 
 『下町ロケット』や『陸王』などに登場する人々のメンタリティーは、基本的にこういう高度成長期の精神モードがベースとなっている。
 そして、この昭和的な人間の絆は、あいかわらず平成の人たちをも泣かせている。

▼ ドラマ「陸王」
 
 
  
バブル文化は「昭和」が格差社会に
向かったことを示すもの

 
 高度成長期のあとに、日本はもう一回 “膨張期” を迎える。
 それが「バブル」である。
 
 バブルという言葉は、「泡のように実体のない好景気」という意味で使われているが、その渦中にいるときは、誰もそんな言葉を知らなかった。
 やがて、狂乱的な好景気が突如終焉し、企業倒産やリストラの嵐が吹き荒れるようになってから、「あの好景気はバブルだったのか … 」という形で語られることになった。

 バブルのスタートは、昭和61年(1986年)だとされている。
 「昭和」は63年(1988年)で幕を閉じるから、バブル期といわれる「昭和」はわずか3年でしかない。
 しかし、その3年間はあまりにも強烈で、後に「昭和」 = 「バブル」というイメージを日本人の心に植え付けることになった。

 バブルスタートの昭和61年。
 私は、大手自動車メーカーのPR誌を編集する仕事の11年目を迎えており、そのメーカーが制作するCMの裏話などを取材するために、CMに出演するタレントや文化人のインタビューをまとめることがメインの仕事になっていた。

 CM制作の裏話の取材だから、それを企画した大手広告代理店の担当者やクライアントの広報マンたちと顔を突き合わせることになる。 

 みな見事なファッションに身を包んでいた。
 広告代理店の担当者たちは、男はみなアルマーニなどの細身のスーツに身を包み、ヴィトンのセカンドバッグを小脇に抱え、きれいに整えた細身のヒゲを鼻の下に蓄えていた。
 女性たちは、これまた「ジュリアナ東京」のお立ち台で踊っているような肩パッドの張ったボディコンスーツで身を整え、バリバリのキャリアウーマンの色気を漂わせていた。

 みなカッコよかった。
 打ち合わせた後に、CMに出演したタレントや俳優、文化人と実際に会うことになるのだが、タレントや俳優よりも、周りを固めたスタッフたちのほうがはるかにカッコいいということも多かった。
  
 しかし、彼らのファッションに「個性」というものがあったかどうか。
  
  
「差別化」という言葉に潜む「非個性化」
 
 この時代、広告制作のコンセプトを練り上げるスタッフたちは、「差別化」という言葉をよく使った。
 類似商品が乱立するなかで、いかに今回打ち出す商品の個性を際立たせるか。
 それが、広告制作のキーとなった。

 しかし、その「差別化」を訴えるバブル期のモテ男・モテ女たちのファッションは、逆にブランド品の呪縛にとらわれ過ぎて、結果的に無個性になってしまうところがあった。
 
 高度成長期においては、誰もが同じモノを持つことで安心感を共有する人が多かったが、バブル期の人々は「人と違う個性」を発揮しようとして、結果的に同一性のワナにハマったのだ。
 
 それは、たぶんバブル期が、実は格差社会が広がりつつある時代だったからではないかと思う。
 
 「個性」を追求するという標語がメディアに踊るようになったのは、高度成長期に形成された膨大な中流層が崩れ始めたことを意味する。
 「個性化」とか「多様化」という美辞のもとに、モノを買える層と買えない層の分断化が図られたといっていい。
 
 だから、モノを買える消費者であることをアピールするには、自分がセレブであることを周りに知らせる “記号” が必要となった。
 記号として認知してもらうには、誰が見てもそれと分かる同一性が保証されなければならない。
 その記号が、“ブランド” であった。
 だから、ブランドブームは格差社会を背景にして登場したブームであった。
 
 昭和50年代末期、渡辺和博が発表した『金魂巻』(1984年)では、金持ちを「まる金」、ビンボー人を「まるビ」と峻別することによって多くの読者を笑わせたが、それはまさに格差社会の到来を予告した現象だった。


 
 ブランド消費の世界では、「個人消費こそが自己実現につながる」というキャンペーンが張られ、衣服においてはアルマーニ、ヴェルサーチ、コムデギャルソン、小物ではヴィトン、エルメス、車ではシーマといったブランド商品がマーケットの先端を飾るようになった。
 そういう傾向を促進する文化として、西武百貨店のCMや松任谷由美のニューミュージックなどが総動員された。
 
▼ 西武百貨店のCM「おいしい生活」

 
 こういうバブル文化の特徴を、一言でいえば「表層的」という言葉に集約される。
 「バブル(泡)」とは言い得て妙で、まさに中身のないことをいう。

 バブル商品の多くがブランド化を図っていったということは、逆にいえば、実体の伴わないプアな商品でも、ブランドという “表層” で粉飾すれば売れる時代が到来したことを意味する。
 
  
消費構造の最先端を行ったバブル文化
 
 こういう中身のないブランド戦略を盛り上げるために、メディアもこぞって協力し、ブランド品を消費するシチュエーションやロケーションを用意した。
 すなわち、
 「船上から眺める東京湾」、
 「大都会の夜景を見下ろすレストラン」、
 「ウォーターフロントの倉庫街にたたずむタンゴカフェ」。
 そんなシチュエーションに身を置いてキラキラ輝く一夜を享受する若者たちの姿が、テレビのワイドショーやトレンディドラマ、ファッション誌を彩るようになった。

 今日、平成に生きる多くの人々が「昭和」という言葉から受けるバブリーなイメージというのは、この昭和の最期を飾ったバブル文化に由来する。
 
 このバブルの匂いをいまだに漂わせている人々は現在もいる。
 現在47歳ぐらいから54歳ぐらいの人に多い。
  
 男性でいえば、イケイケドンドン精神で、意味もなく情緒的に部下を叱咤する上司。
 バブル入社組は、とにかく自分の知恵やアイデアを磨かなくても、勝手にモノの方が売れてしまったために、それを自分の成功体験と勘違いし、とかく部下の「気力不足」を叱る。
 
 一方、女性にもアゲアゲノリノリのバブル気分を忘れられない人がいる。
 バブル期に青春を送った女性というのは、女子大の校門に、お目当ての女の子の下校を待っている彼氏のスポーツカーや外車がずらりと並ぶ光景を見ている。
 
 そういう男の子の列を眺めながら、彼女たちは「ホンメイ(本命)君」、「アッシー君(単なる運転手)」、「ミツグ君(単なるプレゼント提供者)」を使い分けた。

 自分がいかに魅力的であるかという競争は、当然女の子同士の間にも起こる。
 だから彼女たちは、自分の魅力を誇示するために、高級ブランドのバッグやアクセサリーの数と質を競い合った。
 
 この時代をたくましく生き抜いた女性たちは、いまだに消費意欲が旺盛。性欲も衰えないから不倫も辞さず、女子会では「私まだイケてるでしょ~」と群れをなして盛り上がる。
 
 だから、彼女たちをターゲットにした商品は、エステ商品から旅行商品、グルメ素材に至るまで、あいかわらず好調だ。
 そのため、メディアの方も「美魔女」や「アンチエイジング」の特集を繰り広げて援護射撃を行っている。
 

 
 
昭和期の「高度成長」と「バブル」の相克が
平成ドラマを生む

 
 以上、高度成長期の人々のメンタリティーをバブル時代の人々のメンタリティーを比べてみたが、平成の人々が抱く「昭和」のイメージには、暑苦しくって野暮ったい高度成長期と、スマートで軽佻浮薄なバブル期の二つが混在している。

 そして、この二つの「昭和」が、時に混ざり合って、ドラマなどでせめぎ合うことがある。
 池井戸潤氏の描くドラマ、『半沢直樹』、『下町ロケット』、『陸王』などは、まさに「高度成長」と「バブル」の相克を描いたドラマと見なすこともできる。

 企業家の情熱や意欲などには目を背け、スマートに資金を回収して利益を確保しようとする銀行や大手企業。
 そういう勢力がバブル人のメンタリティーを代表するならば、それと戦い、社員同士が助け合って自分たちのプロジェクトを貫こうとする中小企業の人々は、まさに “汗と涙” の「高度成長期」のメンタリティーを代表している。

▼ ドラマ「陸王」

 
 高度成長期のメンタリティーが現代の視聴者の目頭を熱くするとすれば、それは、そういう時代はもう戻らないというノスタルジーの成せるワザであるともいえる。 
     
 
参考記事 「若者の間に昭和歌謡ブーム」
 
 

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中国式世界帝国の未来

 
 日本のメディアが衆院選の話題で盛り上がっていた頃、東アジアでとてつもない地殻変動が起こっていた。
 中国共産党の「共産党大会」が開かれ、習近平主席の権力基盤の空前絶後の強大化が図られたのだ。

 その大会で宣言されたことは、
 「2049年までに、中国は社会主義国家としての “強国” となり、世界に大きな影響力を持つ」
 そして、
 「そのときまでに、中国人民軍を世界一流の戦闘集団に変革する」
 
 この習近平演説は何を意味するのか?

 21世紀後半は、「パクス アメリカーナ(アメリカの世界支配による平和)」の時代から、「パクス チャイナ」の時代に移行するという宣言なのだ。

 これはかねてから中国の悲願であったが、軍事力と経済力でアメリカにかなわないと思っていた中国は、それをあからさまに宣言することはなかった。
 しかし、アメリカにトランプ政権が誕生し、「自国優先主義」を打ち出して、内向き政治を志向することが明らかになった以上、習近平氏は今こそアメリカに代わる “世界帝国” を目指す好機と読んだのだろう。
 
 
世界史においては、中国優位の時代の方が圧倒的に長い

 これは突然降って湧いた話ではない。
 むしろ、中国社会が成立した3000年前から途切れることなく進められてきた構想といってよい。

 そして、事実、中国はそのような歴史を歩んできた。
 秦、漢、唐、宋、元、明、清と 王朝は次々と変わったが、どの王朝も基本的には領土的膨張政策をとり、元の時代は中東全域を支配したばかりではなく、派遣軍の一部は西はドイツまで迫り、東は日本まで達した。 
 そのような対外膨張政策を取りながら、歴代皇帝たちは、内政にも力を注いだ。

 だから、中国を「新興国」と呼ぶのは間違いである。18世紀まで、西洋列強よりも「先進国としての格」を誇っていたのは中国の方であり、政治思想の成熟においても、経済的安定性においても、中国の優位性は揺るがなかった。
 
 しかし、200年ぐらい前に、産業革命を終えた西洋諸国が一瞬だけ中国を抜いた。
 われわれ日本人は、明治維新のときに、「西洋列強に侵食されそうになった瀕死の中国」をたまたま見てしまった。
 そのとき日本人は、中国を「近代化に遅れた後進国」とみなし、東アジアでいち早く “西洋化” を遂げた日本よりも格下の国と見下すようになった。
 
 これはとんでもない間違いである。
 明治期に、中国を「西洋的視点」で眺め、西洋の尺度で分析するようになったとき、われわれ日本人は、中国オリジナルの思想や価値観を正確に理解する評価軸を見失ってしまったのだ。 
 
 
 このたび、中国共産党の頂点に立った習近平主席に権力集中したことを見て、われわれは「とんでもな独裁政権が生まれた」と見なしがちである。

 しかし、習近平主席を “独裁者” と見なし、それに批判的視線を向けること自体が、すでに “西洋的” な価値観に基づいた見方である。
 
 中国国民は、もう3000年以上、独裁者が統治するのが当たり前という政治認識のもとで生きてきた。
 彼らにとって問題は、「その独裁者が国民に幸せをもたらしてくれるか否か?」ということだけであり、独裁者そのものが悪いという発想は彼らにはない。

 したがって、中国には「民主主義がない」という見方も、あくまでも西洋的な見方でしかない。日本人が考えるほど、彼らは西洋的な民主主義など求めていない。
 逆にいうと、中国人は「西洋的民主主義」などに守られなくても、すでに自力で生き抜く、たくましい個人主義を身に付けているともいえる。
 
 
中国の歴史は独裁者の歴史そのものである

 そこまで話を進める前に、まずは、なぜ中国が「独裁者」を容認するような国になったのか、ということを考えてみる。

 これは、中国に統一国家が生まれた歴史の古さと、その国家が支配する領域の絶対的な広さが理由となっている。
 つまり、広大な領土と、雑多な民族が入り混じる中国を管理するには、即座に決断を下して、瞬時に行動に移れる強大な権力機構が必要となる。
 要は、強権を効率よく発動できる独裁者でなければ中国を治められないのだ。

 こうして、中国は、ローマ帝国がヨーロッパを統一するはるか前から、広大な中国大陸をコントロールできるような帝国を建設していた。
 それを可能にしたのは、地勢的な特異性であった。

 ローマが、ヨーロッパや北アフリカを統一するにはそうとうな困難があった。
 なぜなら、イタリアの北にはアルプスがそびえ、南には地中海が横たわる。この地形的な障害がローマ人たちの移動コストを大きくしていた。

 それに比べ、中国はその中原にアルプスのような山脈もなければ、地中海のような大海もない。そのため人々の移動コストが安くすみ、戦争もやりやすかった。
 戦争がやりやすいということは、国土の統一にも手間がかからないということであり、中国の場合は、早くから統一政権のモデルケースが生まれた。

 つまり、統治理念を支えるイデオロギーも早いうちから整備されたのだ。
 それが、孔子を開祖として、統治のノウハウを理論化した「儒家思想」である。

 儒学者たちは、歴代の皇帝に、「君主は徳をもって人民を慰撫し、国を安定させなければならない」と諭した。
 
 その理想モデルは、古代王朝の伝説的名君「堯(ぎょう)」と「舜(しゅん)」であり、彼らが統治した王朝こそが、中国王朝の究極に理想である、とされた。

 つまり、中国における政治の理想は、「君主が徳を発揮する」という一点にかかっており、もうそこに「国民」や「人民」や「市民」が介入する余地はないのだ。

 こういう儒家思想は、中華人民共和国の成立期に、いったんは「反革命的」であるとして、弾圧された。
 しかし中国共産党は、中国人の心の根っこに広がる儒家的メンタリティーは共産党の統治にも有効であると気づき、やがて儒家思想を保護するようになった。

 こうして共産党は、中国人の儒家的メンタリティーを巧妙に利用してプロパガンダ化し、まず毛沢東の神格化を図り、現在は習近平主席を “民に徳を与える名君” と讃える政治宣伝に力を入れるようになった。
 
 
中華思想に教化された方が日本人も幸せになる?

 このことから分かるように、日本は “偉大な名君(?)” が統治する大帝国を隣国に持つことになったのだ。

 結果がどうなるか、目に見えるようだ。
 「日本人も早く中華思想に教化された方が幸せになる」
 という教育を受けた中国人の視線に、日本はさらされることになる。

 だからといって、彼らが日本製品を好み、日本食や日本のアニメを愛することとはまったく矛盾しない。
 彼らにとって、政治思想は政治思想。趣味嗜好は趣味嗜好。
 そのへんをまったくデジタルに切り離せるのが中国人である。
  
 
“中国的個人主義” の正体
 
 前も書いたことがあったが、膨大な人口を抱える中国においては、個人の生命の価値がそれほど重くない。
 もともと中国は、アジア随一の大農業国であったから、養える人口の数が周辺国とは比べものにならないほど多かった。
 そういう国では、逆に1人ひとりの「命の重み」というものは軽くならざるを得ない。

 そのため、中国人は政府などに頼らなくても生きていける「自立した強い個」を志向する力を養うことになった。

 中国の自立した個人が、西洋の近代的個人と違うのは、他者との間のマナーやルールに捉われないということだ。
 先に主張した者が勝つ。
 利益を先に取得した者が勝つ。
 気の弱い日本人なら、ウッと引いてしまうようなこの中国人のバイタリティーは、けっきょくそうしなければ生き抜いて来れなかった歴史の蓄積からくる。

 現在、日本海はおろか太平洋側にまで進出し、漁業ルールを無視した中国漁船の魚の乱獲が問題になっている。
 過度な乱獲は、将来資源の枯渇を呼びかねないが、大昔から中国人は、「将来の資源」などを考えていたら餓死してしまうような歴史を生き抜いてきた。

 あの膨大な大陸に、ひとたび大干ばつ、大飢饉が広がったら、何万・何十万という人間が瞬時に飢え死にする。
 そのような切迫感に包まれた日々を歴史的に経験していくうちに、彼らはあのたくましいメンタリティーを手に入れたといっていい。 
 
 
中国に「民主主義思想」は浸透するか?
 
 民主主義は、個々人がお互いの生き方を尊重し、相手の利益を確保するためには、多少自分の欲望を制限するという精神によって支えられている。
 こういう精神を、今後中国の人々は身に付けていけるのだろうか。

 難しい … という気もする。
 これは勝手な推論であるが、民主主義が機能するエリアというのは、ある程度の狭い領土とある程度の少ない人口に支えられた限定的エリアにすぎないのではないか。
 つまり、ヨーロッパ諸国や日本である。

 議会制民主主義が最初に根付いた国はイギリスであったが、それは領土が限定されて人口も少ない島国であったからだ。
 ヨーロッパ諸国も、その統治規模はイギリスとさほど変わらない。
 日本もしかり。

 アメリカの場合も、国土は広いが、各州ごとに異なる地方自治組織が運営を任せられており、州ごとの民主主義が機能している。

 だが、中国の場合は、人口も領土もケタ外れに膨大である。
 それは民主主義が機能する限界を超えている。
 こういう国では、強権を持った国家組織が、かなり厳しい監視のもとに人民を管理していく以外に統治方法がない。

 つまり、中国に民主的な思想が広がっていくということは、今後もあり得ない。
 あの天安門事件の首謀者たちを徹底的に弾圧したことからも、中国政府が民主的なイデオロギーの浸透を極度に警戒していることが分る。

 前述したように、中華思想というのは “天” から使命を受けた皇帝が、天に代わって世界を統治するというもので、そこには西洋的な「独裁者」という概念は存在しないのだ。
 彼らから見れば、“天” から指名された皇帝は、無条件に「絶対善」であり、それに疑義を唱える「民主主義思想」や「人権思想」は “民を惑わす” 危険思想ということになる。
  
  
“朝貢貿易” の復活
 
 こういう考え方が中国の統治理念の根幹にあるから、中国は対外政策においても、周辺国の独裁政権と結びつきやすい。

 現在、カンボジアのフン・セン首相の国民に対する人権抑圧姿勢が国際社会から非難されるようになったが、フン・セン首相は国際世論にはまったく耳を傾けず、ますます独裁権の強化を図っているという。

 専門家にいわせると、首相が強気の姿勢を示す背後には、中国の存在があるといわれている。
 現在、中国の対カンボジア投資額は2億4,100万ドル(2015年データ)。
 これは、カンボジアに投資する日本の投資額の6倍以上にあたり、カンボジアの経済は中国支援抜きには成り立たないようになってきたとか。

 「臣下としての忠誠を示せば、多大な褒美を与えてやるぞ」
 というのが伝統的な中国の外交政策で、これを朝貢貿易といった。
 
 今の中国がやろうとしている外交政策は、まさに朝貢貿易の復活である。
 かつて南シナ海の領有権をめぐって中国と敵対したフィリピンも、独裁的傾向に強いドゥテルテ大統領の代になり、やはり経済支援をちらつかされて、親中国的な方針に転換した。

 周辺国に対し、“朝貢貿易” で支配権を広げていく中国。
 今後の対中外交は、どうしたらいいのか。 専門家でもない私は、これ以上考えることができない。
 
 

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惨敗の責任を小池代表に転嫁するのはおかしい

 
 すでに終わった衆院選の結果について、もうこれ以上書くこともないと思うのだが、やっぱり最後に一言だけ触れておかなければ気が済まないのは、現在の政治家たちのどうしようもない劣化だ。

 「劣化」というのは、何も不倫疑惑とか、選挙違反とか、ポピュリズム的言動とか、そういうことではない。
 
 「羞恥心を欠いた政治家がいかに増えたか」
 ということである。
 自ら招いた結果を人のせいにして、醜いまでの自己保身を図ろうとする議員がこれほどまで大量に出現した選挙はなかった。

 はたから見ていて、こちらが赤面してしまうほどの恥ずかしい言動を彼らは堂々とぶちあげる。
 特に、「希望の党」になだれ込んだ民進党系議員たち。
 彼らは、人気のなかった「民進党」の看板を下ろし、“小池ブランド” にすがって生き残ろうともがいたくせに、小池人気が失速して選挙戦が苦しくなると、今度は手のひらを反すように、「小池辞任コール」に精を出す。

 もともと民主党 ― 民進党系の議員たちには、自分に不利なことが生じるとすぐさま党のせいにしたり、リーダーのせいにしたりして自己保身を図ろうとするが、今回はその醜さがよりいっそう露骨に出た。

 「希望の党」の民進系議員たちはいう。
 「小池さんの、あの “排除します” 発言がなければ、こんな惨敗もなかった」

 違うだろー ‼
 小池女史のそんな発言がある前に、薄っぺらい小池マジックの怪しさに気づかない方がおかしいのだ。

 そもそも、「希望の党」公約の、あのいかがわしい “とってつけた感” を、党に在籍した立候補者たちはなんで許したの? 
 「ユリノミクス」だの、「ベーシックインカム」だの、「花粉症ゼロ」だの、理論的な検証も思想的深みも何もない公約をそのまま垂れ流したところに、すでに「希望の党」の立候補者たちの無能ぶりが露呈してしまった。

 さらに、マスコミが飛びついた “排除” 発言。
 マスコミは、小池女史の “排除” 発言を機に、「風が変わった」というが、それは違う。
 風の変化はもっと前に、密かに進行していた。
 それは、彼女が新党を立ち上げたときに、実は始まっていた。

 「パンダの名前がシャンシャンに決まりました」
 という記者会見のあと、
 「衆議院選に関わるこれまでの経緯はリセットして、『希望の党』という新党を立ち上げ、私が代表になります」
 と表明したとき、マスコミはいっせいにどよめいたが、実はそれは、小池旋風に期待したどよめきではなかった。
 マスコミ的にいえば、「退屈な選挙報道」を面白おかしくにぎわせてくれる貴重なネタができたという、視聴率稼ぎに期待するどよめきだった。

 そしてマスコミは、小池出馬を歓迎するようなそぶりを示す一方で、「都政を放り出して国政に走るという小池知事の無責任さはネタになるかもしれない」という裏の期待を抱いた。
 その “声” にならない水面下の小池批判はやっぱり徐々に視聴者の心に浸透し、庶民の間にも、少しずつ “形にならない小池不信” が広がっていった。

 だから、
 「(政策の合わない民進党の人は)排除します」
 という彼女の発言は、地面にまき散らされたガソリンの上に、ただマッチの火を放ったにすぎない。
 「排除」というキツイ言葉で、有権者はようやく自分の内側に溜まっていた小池女史に対するモヤモヤの正体を知ったのだ。

 私は、昨年の都知事選のときから、小池女史に対する生理的嫌悪感がどうしようもなく溜まっていて、「いつかはこの人の化けの皮が剥がれるだろうな」と思いつつ、彼女が次の都議選でも圧勝していくさまをしらじらしい気持ちで見ていた。

 だから、今回の小池女史の沈没は、さっぱりした気分で見ていられると思ったが、実はそうでもなかった。
 小池人気を利用して「党」も「政策」も放り出した人たちが、選挙戦で逆風が吹いたというだけで、今度は手のひらを反すように「小池批判」を始める。
 そっちの方が、さらに醜い。
 なりふり構わない自己保身から出た行動がとん挫したからといって、これほど恥ずかしい責任転嫁はあるだろうか。

 こういう人たちは、前原誠司代表に対しても、「惨敗の責任をとって代表を辞任しろ」と迫る。

 何を言ってんだ !? と思うよ。
 「前原代表に一任する」
 といってすべてを任せたのなら、惨敗の責任は自分にもあると思うのが道義だろう。
 
 日本の政治家たちの劣化は目を覆うばかりだ。
 こういう人たちの露骨な自己保身の醜さを見せつけられると、投票率が低いというのも当然だという気がする。
 
 

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無類に面白かった衆議院選挙

 
 エンターティメントとして、今回の衆議院選挙は、けっこう面白かった。
 結果は、マスコミの予想通り自民党の圧勝となったが、そこに至るまで、さまざまな人間ドラマがあった。
 
 「政治」というのは、つくづく “見世物” なんだなぁ … と思った。
 “救国のヒロイン” として登場した人物が、突然悪役に仕立てられたり、沈没船から脱出しようと慌てて救命ボートに乗り込んだ人たちが、突然絶海の孤島に取り残されたり … 。
 まぁ、舞台を観ている観客からすれば、今回は個性的な役者さんたちが、息もつけないほど緊迫したドラマを演じてくれたエンターティメントショーだった。

 その主人公はやっぱり小池百合子女史。
 今回の舞台は、彼女が自民党という “巨悪(?)” に立ち向かって奮闘するも、途中で大ゴケし、逆に「悪の女王」の烙印を押されて滅んでいくという、まるでシェークスピア悲劇でも観るような見事な劇だった。

 で、一連の顛末を見ていて、思うんだけど、政治家って、やっぱりその人の内面やら品性が顔に出るもんだなと思った。
 政治討論の場であっても、マスコミのインタビューを受けているときでも、彼らは「しゃべる訓練」を積んだ政治家だから、言葉巧みに聴衆を説得していくわけだけれど、どうしても隠し切れないものが外に出てしまうことがある。

 それは、言葉にならない部分だ。
 すなわち、視線の上げ下げであったり、微笑みの浮かべ方であったり。
 そういう言葉と言葉の “間(ま)” のようなものに、その政治家の本音が浮かび上がるときがある。

 今回、開票前のインタビューやら当落が決まった後の挨拶などを通じて、いちばんしゃべっている内容と表情がチグハグだったのは、やはり「希望の党」の人々だった。

 
 いち早く民進党を抜けて、希望の党への参加を表明した細野豪志氏。
 開票後、選挙結果の悲惨さを追求された細野氏だが、その敗因などの分析を語る表情は、意外と明るかった。

 敗戦のショックを外に見せないために、故意に装った明るさではない。
 それは「希望の党」の実権を握ったぞ … という秘めたる野心が露出したもののように思えた。

 「希望の党」内の権力闘争を細野氏と争うはずであった若狭勝氏は、選挙区でも比例区でも敗れて、脱落した。

 そうなると、彼にはライバルがいない。
 民進党系の大物議員たち、すなわち野田氏、岡田氏、枝野氏、菅氏などは最初から “排除” されている。

 民進から希望への合流のきっかけを作った前原誠司氏は、「希望の党」内の地位が確保されておらず、かつ “裏切者” のイメージが付与されてしまって、細野氏を脅かす存在にはならない。

 さらにいえば、「希望の党」の代表である小池百合子女史そのものが、党内の求心力を失っている。
 彼女は、「都政を放棄した」という世論の批判をかわすため、しばらくは都知事に専念せざるを得なくなる。

 そうなると、政治の実務家として、細野氏以上の経験を積んでいる人間は党内に見当たらないのだ。

 細野氏は、内心「好機到来」と踏んだろう。
 彼は「立憲民主党」に続く野党第2党のいちばんの実力者になったのだ。
 それが、「苦しい戦いでした」と弁明するときの細野氏の表情を明るいものにしていた。
 

 一方、同じ「希望の党」として東京3区から出馬し、石原宏高氏に敗れて、比例で救われた松原仁氏は、選挙後の深夜の総括番組(田原総一郎氏の司会)で、情けない表情をさらした。 
 松原氏は、安保法制、憲法、消費税などのテーマにおいて、民進党時代の主張と「希望の党」に入ってからの主張がまったく異なることについて、周囲の論客たちから集中砲火を浴びた。

 松原氏は、すべてこう言い逃れた。
 「安保法制、憲法、消費税など、すべて民進党にいた時代から、私は党の方針に反対だった。だからこそ『希望の党』に移ったのだ」

 言い逃れである。
 松原氏は、選挙戦の後半、「希望の党」に逆風が吹き始めたことを悟ってからは、さっさと「希望の党」の幟を目立たないところに引っ込め、“小池グリーン” のジャンパーを脱ぎ捨て、党名よりも「松原」という個人名だけを連呼して、“希望色” の払拭に務めた。

 その姿は、おそらく有権者に、「そこまでして当選したいのか !」という憐れみを感じさせただけだろう。
 かろうじて、比例で復活当選を果たした松原氏だったが、みっともない選挙戦に臨んだセコサは、顔に出てしまうものである。

 「俺は民進党の中ではけっこう頑張ったんだぞ」
 と、批判してくる論敵に向かって、彼は古巣の業績を自慢したが、そのときの表情は、リストラに遭って、新橋あたりの居酒屋で愚痴を垂れるサラリーマンの顔だった。 
 

 さらに、哀れだったのは、若狭勝氏だった。
 「希望の党」が誕生したとき、一時若狭氏はそのスポークスマン的な役割を果たした。

 しかし、ウソをつけない人なのだろう。
 頭に浮かんだ想念が、そのまま顔に出てしまうのだ。
 小池氏のナンバー2の座を射止めた喜びからか、彼はテレビカメラの前で、得意満面な笑顔を浮かべていた。
 こんなに露骨にニヤニヤしてしまっていいの? 
 と見ている人間が心配になるほど、無防備な笑いの垂れ流しだった。

 選挙戦後半。
 「希望の党」劣勢が伝えられると同時に、若狭氏の顔から笑いがどんどん消えていった。
 人は劣勢のときにその人間の本当の強さが試される。
 劣勢ながらもそれを美しく飾れる者は、次のチャンスを確保できる。

 しかし、不安に煽られた若狭氏の顔は、情けないほど貧相になっていった。
 たぶん、この人をもう政治の場で見ることはないだろう。
 

 「希望の党」の代表小池百合子女史はどうか。
 都知事の務めを果たすため、小池女史はパリで日本の記者団の会見に臨んだ。
 憔悴しきった顔であったが、それなりに毅然としていた。
 ちょっと見直した。

 私はこの女性が嫌いでしょうがなかったが、覚悟を決めて敗戦の弁を口にした小池女史には、それなりの品格が備わっていた。
 たぶん、自惚れがしぼんだときに、それまで身に沁みついていた名誉欲や権勢欲といった余計なエネルギーも一緒に洗い流されたのだろう。
 人間というのは、自惚れから解放されると、時に清々しい顔になることがある。
 このときの小池女史の表情は悪くはなかった。

 同じように、敗戦の弁を述べるときの前原誠司氏からも悪い印象は受けなかった。
 この人は、今回の選挙では “一番の裏切者” というレッテルを貼られた人である。
 「小池に騙されて、民進党をつぶしてしまった人」
 世間的には、そういう評価を受け、今後政治史に不名誉な名を刻むことになるかもしれないというのに、前原氏は堂々としていた。
 
 私は、この人を見ていると、なぜか関ケ原の戦いで、家康に立ち向かった石田三成を想像してしまうのだ。
 やたら理屈はこねるけれど、戦国武将としての才覚は乏しく、人の気持ちを汲むゆとりもなく、ゆえに人的魅力に欠ける。
 世間に流布している三成のイメージは、だいたいそんなとこだ。

 しかし、石田三成という人は、そのたぐいまれなる経営的才覚で豊臣政権の財政を支え、秀吉のブレインとして豊臣政権の基盤を盤石なものにした。
 そして、何よりも秀吉の遺子秀頼の将来だけを心配し、老獪な政治家である家康に対して、「義」を掲げて、乾坤一擲の大博打に挑んだ。

 で、衆院選の結果は、関ケ原の戦いと同じく、権謀術数に長けた「家康=自民党」に完膚なきまで叩きのめされた。
 前原氏も石田三成も、“戦いの機微” を察知する力がなかったということなのだろう。
 秀才のひ弱さが露呈した感じだ。

 だが、私はこの人からは高潔な理想主義者の情熱を感じることができる。
 おそらく、今後は旧民進党系メンバーから厳しい糾弾を受け、党から追い出される運命が待っているのだろうけれど、私はある種の清々しさをこの人に感じる。
 今後はどこかの党の優秀なブレインとして活躍してほしい。
 
 
 では、大勝した自民党の方。
 安倍晋三首相。
 残念ながら、私はこの人からあまり頭の良さを感じない。
 確かに、昔に比べて、討論やインタビューの場における政治家としての応対はうまくなった。
 それなりのしたたかさを身に付けたことも分かる。

 だが、あのしゃべり方には、あまり “頭のキレ” が感じられない。
 頭のキレは乏しいわりに、感情はキレやすい。
 つまりは政治家としての資質はそれほど高くない。

 その頭の弱さが政策提言で表れてしまったのが憲法解釈。
 「憲法9条の1項と2項は残した上で、自衛隊の存在を明記する条文を加える」
 というものであるが、そういうことを進める必要性が有権者にはまったく伝わってこない。

 安倍氏の周辺は、安倍氏の心を忖度して、
 「自衛隊があんなに頑張っているのに、その存在が違憲だというのはあまりにも可哀想だ」
 というのだが、それが本心ならば、政治家の信条として、あまりにも情緒的すぎる。
 おそらく、安倍家(岸家)だけにしか分からない家系上の悲願のようなものがあるのだろう。
 
 海外メディアは、このことを取り上げて、「安倍内閣は、戦争志向内閣だ」などという批判をさっそく開始した。
 そういう批判まで受けながら、改憲を進める必要がいったいどこにあるのか。
 理解に苦しむ。
 やっぱり頭があまりよくないのではないか。

 ではなぜ、安倍氏は長期政権を維持できるのだろうか。
 運が抜群に良いのだ。
 さらにいえば、「自民党」という党が、いまちょうど熟成の極みに達しているということもある。
 有権者には、それが「党のおいしさ」として感じられるのだ。

 今の自民党は、脂が乗って肉汁が滴るステーキである。
 ただ、このステーキは、腐敗の一歩手前にある。
 次の選挙まで、自民党というステーキがおいしい肉汁を維持している保証はどこにもない。
 
 
 自民党が、腐敗一歩手前の熟成したステーキを感じさせる党だとしたら、キリッと締まった手打ちそばのような爽やかなイメージで登場したのが「立憲民主党」である。
 直感的に、この党から感じるのは、「ぜい肉の取れたスマートな体躯」である。脂っこい自民党体質の対極にいる。

 その代表を務めた枝野氏は、これまでにない政治家としての一面を見せた。
 すなわち、自分たちの今までの未熟さをいさぎよく認め、「民主党時代」の負の遺産を隠さずに、今後の政治活動のなかで生かしていこうという態度をはっきりと表明したのだ。

 彼は、有権者が旧民主党政権に対していまだに抱いているトラウマをよく理解している。
 特に、菅政権のときに、東日本大震災で被害を受けた人たちに対し、有効的な救済処置を施せなかったことをしっかり反省している。

 そういう言動が、単に票集めのギミックではなく、本気度の高いメッセージだということがしっかり有権者にも伝わった。当選したいがために「希望の党」に押し寄せた民進党一派との差別化がそこで図られた。
 野党第一党に押し上げられたのも当然である。

 ただ、枝野氏の理論構築は実に心もとない。
 開票後に行われたマスコミのインタビューで、枝野氏は政治評論家の三浦瑠璃氏からの質問を受けた。
 それは、「枝野さんはリベラルなのですか?」という質問だった。

 それに対し、「私はリベラルではありません。むしろ保守です」と枝野氏は答えたのだ。
 これは憲法解釈と安保法案に対する枝野氏の従来の主張をそのまま述べただけで、ことさら奇をてらった言辞ではない。しいていえば “言葉のあや” ともいうべきものだ。

 しかし、すかさず三浦女史は突っ込んだ。
 「立憲民主に票を入れた人たちは、この党がリベラルであると信じて投票したはずです。
 それなのに、党の代表が自分は保守だと言い切る。今後その整合性はどういうふうに取っていくつもりですか?」

 それに対し、枝野氏はその場で有効な回答を出すことができなかった。
 ささいな質疑応答かもしれないが、実はかなり決定的な問題がここには隠されている。
 
 はっきりいうと、一見 “爽やかな” イメージに装われている立憲民主党の綱領というのは、「ある面では保守、ある面ではリベラル」という非常に不透明な部分を整理することなく残したものなのだ。

 選挙戦が短かったがゆえに、立憲民主はそこのところを露呈しないですんだ。
 しかし、もう少し選挙戦が長かったなら、そのうち立憲民主党のイメージバブルが弾け、「希望の党」と同じような “失速” を経験した可能性もないとはいえない。
 私見を述べれば、次の選挙まで、「立憲民主」が今の新鮮なイメージを維持しているようには思えない。
 

 今回の選挙でもっとも人気者に祭り上げられたのは、自民党の小泉進次郎氏。
 自民候補の応援演説で、マスコミに取り上げられる機会も多かったが、あらためてその言動を観察してみると、確かにすごいカリスマ性を持った人間に思えた。
 
 まず、トークがうまい。
 キャッチが明確。
 ユーモアを忘れない。
 ときに自虐ネタもしっかり用意し、アドリブも巧み。
 笑顔に余裕がある。
 
 イケメンであるということもさることながら、その応答にはみな捻りが利いていて、しゃべる前にいかに周到な準備がされているかということが伝わってきた。

 しかし、今回、「あっ、この人、本当はすごくビビっているな」と感じることが何度かあった。
 有権者たちの前で街頭演説するときの、自信にあふれた余裕のある表情とは別に、マスコミから個別インタビューを受けるときの、ちょっと宙を泳ぐ視線には、それまでにはない心の空洞が見えた。 
 
 密かに誰かの助けを待っているような、天から救いの手が差し伸べられることを期待するような。
 それは、サバンナの荒野で親からはぐれた草食動物の子供が見せる心細そうな目であった。

 小泉進次郎氏は、“次期首相” やら “自民の若きエース” などという世論の期待に、いま本当は押しつぶされそうになっているのではないか。
 もちろん、彼はそんな素振りはつゆほどにも見せない。

 しかし、彼は、実はものすごいプレッシャーのなかをあえぐように生きている。小池人気が失速していく様子を観察しながら、彼は、それが自分の身に降りかかるかもしれないと密かに警戒しているように見えた。 
 
 
 さて、「維新の会」の党首松井一郎氏。
 私は、(見かけだけの話にすぎないが)この人が、いったいどういう人なのか、まったくよく分からない。
 こういう顔つきの政治家というのは、これまで見たことがなかったからだ。

 たいへん失礼な話だが、この人のヘアスタイル、眼鏡のフレーム、ファッションなどを見ていると、どう見ても、政治家というより、夜の職業に従事する女性の面接に立ち会う支配人さんという感じだ。
 この人の画像の背景によく似合う景色は、議会の職務室ではなく、ミラーボールの光を反射させているビロードのカーテンのような気がする。
 
 
 次に、公明党はどうか。
 テレビなどで、その選挙戦を観ているかぎり、「スターのいない政党だな」という印象がずっとついてまわった。
 候補者たちを見ていても、顔つきも、発言も、みな地味。
 それがこの党の信頼感、安定感につながっているのかもしれないが、テレビ時代の選挙ということを考えると、この地味さは致命的ともいえる。

 だが、BSフジの『プライムニュース』(2017年10月17日)で、ゲストに呼ばれた公明党の山口那津男代表のインタビューを観ていて、気持が変わった。
 偶然スイッチを入れたらインタビューが始まっていたのだが、ついつい最後まで観てしまった。

 山口氏のトークに何をいちばん感じたのか。
 頭の良さである。
 『プライムニュース』のキャスター反町氏は、突っ込みの鋭さに定評がある。
 ゲストがどんな論客であっても少しもひるまない。
 むしろ、相手を窮地におとしいれることによって、相手の本音を引き出すということを得意技にしている。

 その反町氏の鋭い追及に、山口氏はまったくひるむことなく、時に笑いを浮かべ、深くうなずき、一貫して沈着冷静に自党の政権公約を解説していた。
 
 議論でいちばん重要なのは、相手を論破するロジックよりも、自分をコントロールする力である。トークの場における山口氏のセルフコントロール力には敬服する思いだった。

 発言内容は、消費税の使い道、教育の無償化。
 他党の財源案に対する分析。
 憲法に対するスタンス。
 安保法制への解釈。

 内容はこれまで同党がメディアを通じて発表してきたものばかりだが、それらを本質を外すことなく言葉短く説明する手際は、ほれぼれするくらい鮮やか。

 ただ、いかんせん、あまりにもキャラクターが地味。
 議論の進め方にそつがないということは、話がまったく面白くないということだ。
 それがゆえにマスコミ映えしないことを、本人がいちばん自覚しているだろう。

 だからといって、こういう人が突然選挙カーのデッキに立ち、いきなり歌(鉄人28号の替え歌)など歌ったりすると、みっともないことこの上ない。
 困ったものだ。
 
 
 最後に共産党。
 この党もそろそろ曲がり角に来ている。
 主義主張がブレないというのは、政党のあり方としては基本中の基本だが、その主義主張自体が、もうどうしようもなく時代に適合しないようになってきているとしたら、どうしたらいいのか。

 とにかく、この党の主張には、未来に対するグランドデザインがない。
 政策の提示も、理想論・抽象論ばかりだ。

 実は、これもBSフジの『プライムニュース』の話。
 ゲストに呼ばれた志位和夫委員長が、さっそく反町キャスターに突っ込まれた。
 「共産党さんは、本気になって政権政党をめざすお気持ちはあるんですか?」
 と反町氏。
 「もちろんですよ」
 と志位氏。

 「ならば、共産党さんが政権を取られたあと、アメリカとの安保同盟はどうするおつもりですか?」
 「すぐ廃棄ですね」

 「では、廃棄した後はどうされるんですか?」
 「アメリカとは、新たに普通の平和条約を交わし合います」
 「その場合、日本にある米軍基地はどうなるんですか?」
 「すべて撤退してもらいます」

 「ということは、たとえば北朝鮮が攻めてきたときは、米軍の代りに、自衛隊が戦うということですか?」
 「北朝鮮と戦争にならないような交渉を続けていくんです」
 「どういう交渉ですか?」
 「それは難しいんですが、とにかくそれをやらないと始まりません」

 「現実的に、北朝鮮が交渉に臨んでくると思いますか?」
 「それをやるのが政治なんですね」

 メモを取っていたのではないから、正確な記述ではないと思うが、聞いていて、なんとも頼りない答弁だと思った。

 言っていることは、原則的にまったく正しい。
 反論の余地もない。
 しかし、話の内容には何の具体性もなければ、何の実現性もない。あくまでも安倍政権との対立軸を明確にするための情緒的なスローガンにすぎない。

 今回の選挙で共産党は議席を減らしたが、それはこのような抽象的理想論では現実を捉えることができないということを有権者に見破られてきたせいかもしれない。
  
  

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米中戦争が起これば、中国が勝つ ?

 
 5年に1回の中国共産党大会が開かれ、習近平主席の独裁的権限が一層強化されたようだ。

 

 習近平主席は、大会中の演説において、
 「2050年までには社会主義国家としての “強国” となり、世界に大きな影響力を持つ」
 と強調し、
 「中国人民軍を世界一流の戦闘集団に変革する」とも宣言したらしい。

 こういうあからさまな “国威発揚” 宣言は、憲法に自衛隊の名前を明記するかしないかというだけで国論が割れるような日本では考えにくいことだが、そのような戦闘的膨張政策が、世界のリーダーたちの今のトレンドなのかもしれない。

 特に、アジア・ユーラシアの国家元首たちは、みな一様に独裁権を強化し、古代帝国の栄光を回復しようとしている。
 ロシア帝国の新ツァーリとして君臨するプーチン首相。
 オスマン帝国のスルタン復興を夢見るエルドゥアン大統領。
 そして、秦、漢、唐、明、清という歴代中華帝国の皇帝の道を歩み始めた習近平主席。

 しかし、その本気度において、やっぱり中国は突出している。
 なにしろ、中国には、アジア諸国の “帝王” としてふるまってきた3000年の歴史がある。他の新帝国は、その歴史の古さにおいて中国に及ばないのだ。

 習近平主席も最近はそれを意識しており、毛沢東皇帝を祖とする “中国共産党王朝” の新皇帝としての権威付けに腐心するようになった。

 中国と北朝鮮の関係がぎくしゃくしてきたのは、中国がアメリカのプレッシャーを受けていやいや北朝鮮に圧力をかけているというよりも、習近平氏が、「東アジアに二つの王朝はそろそろ要らない」と思い始めたからだろう。
 事実、中国の方がアメリカよりも先に北朝鮮に軍事介入するのではないかという、という観測もある。

 中国の世界制覇構想は、北朝鮮などと違って、統治のビジョンが明確である。
 どの政策も、すでに過去に実験済みのプロジェクトばかりだ。
 「一帯一路」という経済圏構想は、まさに漢・唐の時代に西域経営を目指した古代シルクロードの再現だし、東シナ海への進出は、明代の武将である鄭和(ていわ)が意図した海洋国家構想の現代版である。

 中国の東シナ海や南シナ海への膨張政策は、日本のみならずベトナムやフィリピンでも懸念されているが、実は、基本的に中国には「他国に侵略する」という発想が乏しい。
 侵略というのは、占領すべき土地をあらかじめ “他国の領土” と認めることが前提だが、そもそも中国においては、伝統的に “他国” という概念が希薄である。
 要は「中華思想」。
 すなわち、自分自身が常に “世界” の中心(中華)を占めているのであり、中心から外れているエリアは、単なる “周縁” に過ぎないのだ。

 中国にとって、文化や言語を異にする周辺諸国は、中国と対等な独立国ではなく、いずれは中国文化を学ばせ、“中国の徳” を統治理念に据えた国家として教育してやらねばならない対象なのだ。
 
 「中国の徳」とは、かつては儒教的な統治理念であり、現在は共産主義の指導体制のもとに進められる開放経済である。
 
 清朝が滅びるまで、歴代中国の王朝は周辺の国をそんなふうに考えていたから、日清戦争で日本に負けたことは彼らにとっては青天の霹靂であったし、一生涯かけてもぬぐい切れない民族的汚点となった。

 そういうトラウマは、中国政府の一貫した対日感情として受け継がれており、最近になって、諸外国から経済大国とみなされることによって、ようやく彼らのメンツも回復されるようになった。
 
 
 現在、中国共産党は、「経済大国・軍事大国」としての自尊心を国民に植え付けることによって、国威高揚を図っている。

 そういう国民のナショナリズムを持続させるために、政府は天安門事件以降、政府を批判する国民の声を徹底的に弾圧するようになった。
 そのような言論統制は、新聞やテレビなどの既成メディアにかぎらず、現在はネット言論に至るまで徹底されている。

 日本人は、そういう中国政府の言論弾圧の姿を見るにつけ、中国政府を独裁的で、非民主主義的な政権であると思いがちである。
 しかし、それは統治理念の問題というよりも、むしろ歴史の問題である。

 日本人は、大規模な百姓一揆が起こったりして、政府が転覆するという経験を過去にほとんど持っていない。
 しかし、言語も違えば宗教も違う異民族が混在する中国では、昔からささいなことをきっかけに内乱が起こる率が非常に高かった。
 
 そもそも、歴代の中国王朝は、国境の外からやってきた異民族によって征服されるよりも、むしろ、腹をすかせた自国民の反乱によって転覆させられた方が多かったのだ。

 そういう危機的状況は、今も変わらない。
 中国共産党は、この膨大な人民がひとたび反乱を起こせば、大陸全土が四分五裂になることをよく知っている。

 だから、歴代の中国王朝は人民が権力に目覚めることを極度に恐れてきたし、現在の中国共産党も、「人権」などという思想が人民に広まることを極端に警戒している。
 欧米流の「民主主義」などというのは、中国共産党にとっては悪魔の思想である。

 もともと中国は、アジア随一の大農業国であったから、養える人口の数が周辺国とは比べものにならないほど多かった。
 そういう国では、逆に1人ひとりの「命の重み」というものは軽くならざるを得ない。

 モンゴル高原の騎馬民族「匈奴」と戦っていた漢の武帝は、匈奴の馬と同等の性能を有する西域の駿馬(汗血馬)を1頭を手に入れるために、500人ぐらいの兵士が命を失うことに何のためらいを持たなかった。

 今の中国政府にも、いまだにそういう思考は残っており、地方の工業化を推進するために、地域住民に環境的犠牲を強いるなどという例は相変わらず後を絶たない。

 こういう人命軽視の思想は、中国人民軍にも浸透している。
 人民軍の戦略は、常に人的消耗戦に持ち込んで、敵を圧倒することである。

 中国人民軍のある将校は、アメリカと戦争が始まっても、最後は中国が勝つと試算しているらしい。

 その根拠は人口の数。

 アメリカの人口3億。
 中国の人口14億。
 人民軍将校の試算によると、アメリカ軍の戦闘力によって、半数近い中国人が死んでも、半数の6~7億は残る。
 その6~7億の中国人が武器を手にアメリカ本土に渡れば、人口数でアメリカを圧倒し、最終勝利をものにすることができる。

 …… とかいう話もあると聞く。ウソかもしれないが、中国軍なら考えそうな話だ。

 こういう発想で戦争に臨む国を相手にしたら、絶対勝てっこない。
 だから、何が何でも戦争を回避する手段を考えなければならない。

 そうするには、どうしたらいいか?

 1人でも多く、親日気分になってくれる中国人を増やすしかない。
 彼らにはどんどん日本に来てもらって、寿司を食ってもらって、日本製化粧品や龍角散を大量に買ってもらいたい。
 そして、いろんな観光地を回ってもらって、「日本人はいい人多いね」と理解してもらいたい。
 
  
関連記事 「中国式世界帝国の未来」
 
 

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若者の間に昭和歌謡ブーム

  
 「昭和歌謡」に興味を抱く、平成世代の若者が増えているという。

 ネット情報によると、NHKで放映される「のど時間」では、昭和歌謡を歌う中高生の姿が目立つようになってきたとか。
 NHKの同番組では、吉田拓郎の『落陽』(1973年)を歌う男子高校生、ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』(1967年)を歌う女子中学生デュエット、中森明菜の『少女A』(1982年)を歌う女子高校生などの例が報告されたという。


 
 さらに、(これまたNHKの話だが)、同局の『金曜イチ』(2017年10月13日放映)という番組では、「昭和の歌に若者も夢中 !?」というタイトルのもと、山口百恵のカバー曲をライブで披露する若手女性シンガーの例や、カラオケルームで昭和歌謡を歌いまくる女子大生4人組の例がリポートされていた。

 このような若者の昭和歌謡ブームに乗り、昭和のアイドルや歌手のブロマイドも人気が高まってきたとも。
 都内のブロマイド専門店には、遠方からも平成世代の若者が押し寄せ、松田聖子、中森明菜、沢田研二といった昭和のスターの写真を買い込んでいくという。

 家族や親の影響が大きいのだろう、と専門家は分析する。
 平成生まれの若者の親世代といば、昭和のアイドルたちの全盛期。
 この時代というのは、キャンディーズ、山口百恵、松田聖子、近藤真彦といったアイドルを軸に、荒井由実、中島みゆき、テレサ・テン、桑田佳祐、井上陽水、玉置浩二といった実力派の歌手やミュージシャンが活躍し、昭和歌謡が質的にも量的にも全面開花した時代だった。

 そういう歌になじんでいた親たちが、家事をしながら口ずさんだり、子供たちとドライブするときに流していた曲が、徐々に平成の若者たちの “耳の肥やし” になっていったのではないか。

 もちろん、親が歌っていたからといって、それを聞いた子供がそのまま好きになるとは限らない。
 やはり、「この歌はいいな !」と若い世代が思えるような何かがなければ、昭和歌謡再評価のブームは起こらない。


 
 平成の若者からみた昭和歌謡の魅力とは何なのか?

 一つのヒントがある。
 NHKのアンケート調査によると、J ポップの旗手小室哲哉ファミリーより、昭和歌謡の山口百恵の方が、若者たちの認知率が高かったというのだ。

 小室哲哉といえば、音楽プロデューサー兼ミュージシャンとして「TM NETWORK」、「globe」などの音楽ユニットを結成して大活躍。安室奈美恵、華原朋美などをスターに育てた人としても知られる。まさに1980年代~90年代におけるJ ポップのカリスマ的存在であるが、その彼よりも、さらに20年も古い山口百恵の方が若者に親しまれているというのは、どういうことなのだろう。

 これぞ、まさに「サウンド」と「歌」の違いなのだ。

 80年代の中頃、いわゆる「J ポップ」が台頭するようになって、曲づくりがサウンドを中心に回り始めた。
 もともと J ポップは音楽ビジネス関係者たちによって、かなり意図的に企画されたプロジェクトだった。
 狙いは、「洋楽のように洒落た国産ポップス」という新しいマーケットの創出だった。

 “洋楽っぽい” ことが絶対条件だったから、J ポップのメロディー、リズム、コード、アレンジなどが、一斉に “脱・歌謡曲” に向かったのは言うまでもない。
 和音構成として、わが国独特の哀調感を持つ日本音階(ヨナヌキ)が影を潜めていくというのも、その顕著な例といえるだろう。

 こうして、日本のポップスは、サウンド的には恐ろしいくらい華麗かつオシャレになっていったが、それを徹底していく途中で、「歌詞」がストンと抜けた。

 もともと、日本の流行歌は、分業体制で作られていた。
 作詞、作曲はそれぞれ別のプロが担当し、さらにプロの歌手が渡された曲をそのまま歌う、という手法で世に送り出されてきた。

 ところが、フォークソングブーム、シンガーソングライターブームが起こることによって、分業体制の一部でしかなかった「歌手」の地位が突出するようになった。
 彼らは「アーチスト」と呼ばれるようになり、歌のコンセプト全体を代表する表現者と目されるようになった。
 J ポップの担い手はバンドで占められることも多かったから、バンドのリーダーがそのまま作詞・作曲・アレンジを手掛ける率も高くなった。

 もちろん、そのことによって、J ポップの音楽的統一感は際立つことになった
 
 ただ、バンドのリーダーやシンガーソングライターが優れたミュージシャンであったとしても、必ずしも “優れた詩人” であるとはかぎらない。

 歌詞づくりというものは、自分の日常の断片を綴ったり、自分の身に降りかかった事件を取り上げていればいい、というものでもない。
 自分の体験からネタを拾っている限り、人をハッとさせたり、人の意表を衝いたりする詞を量産することはできない。

 詞は、自分自身だけではなく、「世界」とつながっていなければならないからだ。

 シンガーソングライターたちの詞を聞いていると、ときに、その等身大の世界観に心休まるものを感じたりすることもあるが、その先の広がりがない。

 こうして、J ポップの詞は、いつしかみな似たり寄ったりのテーマばかりが繰り返されるようになり、聴衆に、通り一遍の “感動” と、通り一遍の “勇気” と、通り一遍の “元気” を与えるだけの存在になっていった。
 だから、飽きられるのも早い。
 
 平成の若者たちは、今の音楽の “歌詞不在” に気づいたのだ。

 小倉智昭氏がキャスターを務める朝のワイドショー(フジテレビ)では、2016年9月に『若者の心をつかむ “昭和の歌謡曲”』というコーナーを設けた。
 そこで “街の声” として街頭インタビューを受けた女子高生は、こう答えた。

 「今の歌って、歌詞がウソくさい。でも昔の歌って、歌詞が本音で書かれているような気がする」

 この一見稚拙な表現のなかに、今のJ ポップと昔の昭和歌謡の根本的な差異があらわれている。

 これは、「昔の歌の方が人間の本音」を語っているという意味ではない。
 昔の「詞」は、プロの作詞家によって書かれていたということなのだ。

 つまり、人間の心理を鋭く追及できるプロの作詞家が、人々の生活に使われる言語の中からこだわり抜いた言葉を選び出し、繊細な手つきで並べ変え、1語ずつ、人の心を震わすフレーズに組み直していったということなのである。

 では、「プロの作詞家」とは何か?
 それは、曲があってもなくても、小説のような作品を書いてしまう人たちのことだ。

 昭和歌謡の詞をつくり続けていた人たちの名をざっと並べてみよう。
 
 阿久悠、星野哲郎、山口洋子、なかにし礼、安井かずみ、阿木燿子、竜真知子、井上陽水、松本隆、岩谷時子、吉田拓郎、中島みゆき、来生えつこ …… 。

 もちろん、この人たちは昭和歌謡をつくった作詞家の一部でしかないけれど、どの人も “文学者” としても一流の人ばかりである。
 彼らは、もしその気になれば、文学賞が取れそうな小説作品をサラッと書いてしまうだろうし、事実、上記の人たちのなかには、すでに著名な文学賞を受賞している人もいる。

 では、「文学」とは何か?
 それは、「この世には言葉の届かない世界がある」ということを教えてくれる言語芸術である。
 
 「言葉」というものは、何かを解説するための道具だ、と誰もが思い込んでいる。
 この世の暗がりに潜んだよく分からないものを、明るみに引っ張り出してくれるものが言葉。だから、池上彰さんのような “言葉の達人” がいれば、どんな難しいことでも解説してもらえるはず。
 普通の人はみな、そう思いがちである。

 しかし、文学に少しでも触れた人はそうは思わない。
 逆に、この世には、言葉をいくつ積み上げていっても、届かない世界が残ってしまうことに気づいている。
 
 “届かない世界” を感じるとき、人間の脳内では、いったい何が起きているのだろう?
 
 想像力が刺激されているのである。

 「言葉の届かない世界」に接するということは、実は想像力がむらむらと沸騰している状態なのだ。

 その状態を、
 「言葉を失うほどの感動」
 とか、あるいは、
 「言葉を失うほどの驚愕」
 などという。

 想像力が刺激されたとき、人は日常的光景の向こう側に、狂気と狂喜にまみれた部屋の扉が開くのを見る。

 昭和歌謡の作り手たちは、それぞれ目指した世界は違ったとしても、一様にこういう詞の作り方を心がけていた。

 前述したNHKの『金曜イチ ~ 昭和の歌に若者も夢中 !?』という番組では、ゲストのミッツ・マングローブがこういう。
 「今の音楽は、すべてを説明して答まで消費者に提供しようとしている」
 
 しかし、それでは、かえって聞き手の想像力が奪われてしまう、というわけだ。

 同番組でインタビューを受けて作詞家の松本隆は、次のようにいう。

 「歌には “余白” というものが大事。つまり、言葉と言葉の “間(ま)” のようなもの。詞における『美』というものは、そういう “余白” とか “間” に生まれる」

 詞における「余白」とか「間」というのは、すなわち「想像力」が舞い降りてくるスペースにほかならない。
 
 個人的な趣味を一言だけ付け加えさせてもらえるならば、私にとって、余白が最高に機能している歌の一つに思えるのは、『よこはま・たそがれ』(詞・山口洋子 1971年)である。


 
 「♪ よこはま、たそがれ、ホテルの小部屋、くちづけ、残り香、煙草の煙 … 」

 歌全体が名詞の羅列。
 動詞、助詞、助動詞などはいっさい「余白」の彼方に追いやられている。

 この歌においては、孤立した名詞同士が、お互いに関わるすべを失い、それこそ影が濃さを増していく “たそがれ” の中に立ちすくんでいる様子が浮かんでくる。
 そこから立ち上がってくる深い孤独感と、物憂さに満ちた寂寥感。

 詞における「余白」というのは、こういうものだと教えてくれる歌詞の典型である。

 昭和歌謡というのは、概してこういう方法論によって編み出されてきた。
 音楽評論家の近田春夫氏は、「今のJ ポップの作り手のなかで、昭和歌謡のような作詞能力を持っている人が現れたら、詞の世界で必ず頭を取れる」と言い切る。

 おそらく、これからは、昭和歌謡を聞き始めた平成の若者のなかから、きっとそういう逸材が現れてくるに違いない。
 
 
▼ 『よこはま・たそがれ』

 

関連記事 「よこはま・たそがれのアンニュイ」

 
参考記事 「“昭和的” なるものとは?(ドラマ『陸王』に見る昭和の高度成長とバブル)」  
 
 

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感染性胃腸炎だって

 
 ここ10日ほど、実は病床に臥せっていた。
 病名は「感染性胃腸炎」。

 恥ずかしい話だが、まぁ、ウィルスによる食中毒のようなものである。
 しばらく外食に頼ることが多かったから、どこかの食事から拾ってしまったのかしれない。

 なんとなく体がだるい … という潜伏期間が4~5日続いた後、突然38度~39度という高熱に襲われた。

 そして、激しい下痢と腹痛に悩まされた。
 医者に行って、抗生物質や下痢止めの薬を調合してもらった。
 腹痛は収まったが、下痢状態は3日ほど経過してもまだ治らない。

 仕方なく、昨日から居間のソファに寝そべったまま終日テレビとパソコンを観ている。
 テレビからは、いろいろなコマーシャルのキャッチを覚えた。

 「痔にはポリフェノール」
 とか、
 「お値段どおり、ニトリ」
 とか。
 … 違うかな?

 ニュース番組で報道される衆議院選挙の見通しなどにも目を通していた。
 投票日まであと1週間を切ったが、ネット情報(YOU TUBE)を見てみたら、「希望の党」に対する逆風の強さは想像以上のものだった。

 私はこの小池百合子という人を評価していないので、このブログにおいても何度か批判めいた記事を綴った。
 そのうちテレビでも批判めいた発言があらわれるようになり、小池旋風の失速が感じられた。

 しかし、ネット世論は、テレビ以上に彼女に対して厳しかった。厳しいというよりも、むしろ小池バッシングを楽しみ始めたようにも思える。

 “風” まかせの選挙というのは、ほんとうに怖い。
 順風に煽られて、都知事選と都議選を圧勝した小池女史だが、今やその暴風に押し倒されそうになっている。
 
 今後小池女史は、いったいどういう立ち位置を維持していくのだろうか。
 都知事の仕事に舞い戻っていくしかないのだけれど、すでに小池女史が都政に対して何の情熱も持っていなかったことに気づいた都議たちや都庁職員たちは、もう彼女を冷めた目でしか見ないだろう。
 そして彼女に対する都民たちの幻想も、これを持って終了するだろう。

 哀れなのは、「希望の党」と「都民ファースト」に参加した人たちである。
 両党とも、おそらく2年後ぐらいには自然消滅しているだろう。
 可哀想だが、若狭勝氏の政治生命もそう長くはないだろう。
 細野豪志氏はその後も政界を泳ぎ切っていくかもしれないが、一度沁みつついた “裏切者” のイメージを振り払うことは難しいだろう。

 世論調査では自民党の圧勝で終わるという見方も出てきたが、安倍政権だって問題だらけの政権だ。
 確かに、ここ数年アベノミクスの成果は出ていると思うが、企業の内部留保は過去最高額を維持しつつ、それをほとんど社員に還元していない。
 だから、そこのところだけを切り取れば、「金持ち優遇の政治を終わらせよう」という共産党の主張にも一理あるし、「アベノミクスの成果を庶民は実感していない」という他の野党の主張にもうなづける。

 にもかかわらず、安倍政権批判を繰り返す野党の主張がまったく有権者の心をつかまないというところに、今回の選挙の絶望的な様相が浮かび上がってくる。

 「希望」「共産」「立憲」のすべてにいえることだが、どの党も「もし選挙に勝ったらどういう日本をつくっていくか」というグランドデザインの提示があまりにも貧弱。
 とりあえず「安倍一強政治を終わらせよう」とみな言うが、終わらせた後にどういう日本が現れて来るのかということに対して、どこも明確なヴィジョンを提示しきれていない。

 唯一、安倍政権の政策の弱いところをはっきりと理論的に衝いたのは、民進党前原誠司氏であったのだが、彼の最大のミスは頼ろうとした「希望の党」があまりにも早く瓦解してしまったことだ。

 私は、前原氏は “リベラル” などの旗印にこだわることなく、むしろ自民党に入って内部から安倍に対する批判勢力として存在感を示せばよいと思う。今回自民党が提出した消費税やその使い道などに対する政策案は、そもそも前原氏が3年ぐらいかけて温めてきたものなのだから。
 前原氏はけっして、政党のリーダーに座る器の人ではないが、私は彼の勉強する姿勢を高く評価している。

 この日曜日、選挙報道以外では、テレビドラマもよく観た。
 TBSの『陸王』も観た。
 面白かった、
 役所広司、いい役者だね。

 ただ、ストーリーはあまりにもベタ。
 視聴者を泣かせる見せ所というものをあざとく計算して、図式通りに話が進行していく。
 未来への挑戦、人の絆、不屈の精神。
 基本的に日本人が好きな『プロジェクトX』の手法。
 ま、こういう「頑張れ日本の中小企業!」みたいなドラマは、話がベタでも、それなりに楽しめる。
 私も何度か目頭が熱くなった。
 
 
 NHK大河ドラマ『女城主 直虎』。
 久しぶりに観たけれど、前よりは少し面白くなっていた。
 ただ、井伊直政を演じる菅田将暉の演技があまりにも “現代劇風” 。
 顔の作り方もセリフの読み方も、まったく昭和・平成の少年風で、戦国時代の男の子というニュアンスがまったく漂ってこない。
 もう少し大人びた、落ち着いた演技はできないものか。
 
 

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フェイクニュースはなぜ生まれるか

 
 トランプ米大統領が、自分に批判的なマスコミの報道を「フェイクニュース (fake news)と切り捨てるようになって以来、この言葉は流行語となった。

 

 しかし、評論家の荻上チキ氏によると、この概念はけっして新しいものではないという。
 すなわち、昔風にいえば「デマ」のことだと。

 「デマ」が民衆側から出たニセ情報を意味する言葉だとしたら、権力側が意図的に流すニセ情報を「プロパガンダ」というのだそうだ。
 
 ま、確かにそういうことなんだろうな。
 ただ、「フェイクニュース」という言葉には、「デマ」とか「プロパガンダ」という言葉とはまた違ったニュアンスがあるような気がする。
 それは、ネット社会の情報錯綜を反映した言葉であるように思える。

 「デマ」や「プロパガンダ」は、活字媒体が支配的であった時代の言葉。
 それに対し、「フェイクニュース」は、情報がペーパー媒体からネットメディアに移行した状況を示している。

 「デマ」や「プロパガンダ」という言葉からは、(意図は悪意であっても)一度印刷してしまうと情報の修正がむずかしいことを理解している活字媒体世代の責任感のようなものが匂ってくる。

 それに対し、「フェイクニュース」という言葉からは、愉快犯が面白がってニセ情報を流しているという無責任さが感じられる。
 つまり、世界中の誰もが簡単にネットにアクセスできるようになったために、恣意的に加工したニセ情報を流して他人が右往左往するのを見たいという人々のシンプルかつ陰湿な欲望が野放しになってきたことを示している。

 このような事態を招いた背景には、情報拡散のスピードがネットのおかげで幾何級数的に上がっていること。
 つまり、情報の消費が早すぎて、誰もが情報の真偽を確認できなくなっているということ。

 そしてもう一つは、ある意味 “豊かな社会” になって、人々がニュースに娯楽性を求めるようになったためだ。
 同じニュースでも、「えっ? それってホントー?」という刺激性の強いニュースの方に人々は惹かれるようになってきた。

 そういう傾向が助長された遠因として、私はテレビのワイドショーに出演するキャスターやコメンテーターが芸人によって占められる率が高くなってきたことを挙げたい。
 今やダウンタウンの松本人志やタレントの坂上忍などは、もう立派な天下のご意見番である。

 ネットニュースなどにおいても、松本人志の発言はものすごく大きく取り上げられている。
 たとえばある芸能人の不倫報道に対し「松本人志が一刀両断で切り込む」みたいな見出しばかりが躍る。
 そうやってチヤホヤされるから、松本人志は自分のことを “ワイドショーの新天皇” のように思ってしまうし、周りも彼をヨイショするから、視聴者も松本人志の見解こそが「世論」を代表していると思い込んでしまう。

 松本人志は、どうあがいてもビートたけしになれなかった二流の芸人だ。
 松本とたけしの差は歴然としている。
 それは制作した映画や本の社会的な評価の差というだけにとどまらない。

 たけしは、どんなに政治や社会問題にコミットしても、お笑い芸人の本質を忘れず、最後は笑いの落ちを取る。
 それに対し、松本は一見笑いで落ちを取るように見せていながら、内心は「俺ってすごい洞察力を持っているやろ」ということを匂わす。
 それこそ凡人であることの何よりの証拠である。
 そして、凡人であればあるほど、自分の権威をはっきりさせるために権力志向を強める。
 
 この2人には、羞恥心というもの対する決定的な差異がある。
 つまり常に羞恥心を持っているたけしと、羞恥心の欠如した松本の差だ。それはそのまま2人の知性の差となっている。

 少し前の芸能ニュースだが、オリラジの中田敦彦が松本人志を批判したことがあった。事の顛末はここでは書かないが、松本批判を行った中田に対し、吉本興行の社長が「松本に謝罪しろ」と迫ったらしい。
 この社長の発言は、日本の芸人たちを、「とにかく “権力” 批判はするな」と抑圧したに等しく、お笑いの本来の使命まで奪いかねない言動だと思っている。

 始末の悪いことに、ネット記事のなかには松本の方を擁護して、中田の生意気さを非難する記事さえある。おそらく吉本の意向を “忖度(そんたく)” したお抱え記者が素人を装って書いた記事だろう。

 話がだいぶ横道に逸れたが、フェイクニュースの横行には、ニュースの “芸能化” が背景にあることは間違いなく、それはそのまま今の日本の若者たちが置かれている状況を反映している。

 東大のような大学に入って、官庁や優良企業に進み、日本を支えるエリートになるか。
 それとも、お笑いの世界に入って頭角をあらわすか。

 今の日本の若者が自分の夢を持つときには、その二つの選択肢しかなくなってきたのだ。
 つまり、家族を養うために普通の生活に甘んじるという選択肢が今の時代にはない。

 かつて膨大なボリュームゾーンを誇っていた、いわゆる「中間層」が没落したというのは、格差社会論や経済的な問題だけでは片付かず、その底流にはこういう若者の心情が働いている。

 今の時代は、誰もが東大に行けるような世の中にはなっていない。
 そこに至るまでには、塾代や家庭教師料も含め、親が途方もない資産家であることを求められる時代になってきている。
 そういうコースを最初から諦めざるを得ない家の子弟は、幼いころから芸人を目指して、他人を “いじって” 笑いを取る訓練に励むようになる。

 今のテレビには、どちらにもロールモデルも用意されている。
 東大志望の子弟には、現役の東大生がどれだけ頭が良いかを際立たせるようなクイズ番組がたくさん企画されている。
 そういうクイズ番組に出演する東大生は、普通の社会人では理解できないような設問を一瞬のうちにクリアし、ものすごい知識量があることを喧伝する。

 視聴者はあっけにとられて、正解者に賛辞を贈るが、そこに落とし穴がある。
 クイズの正解は一つかもしれないが、人生の正解はけっして一つではないからだ。

 しかし、視聴者はこのようなクイズ番組に慣れることによって、人生の正解も一つしかないような錯覚に陥る。
 だから、最初からエリートコースに “正解” を放棄した若者は、「人生には答がない」ことを示し得るお笑いの世界を目指す。

 それはいいことなのだが、だからこそ、お笑い世界は松本人志のような天皇をつくってはいけないのだ。
 それはお笑いの世界を目指してくる若者たちに、「ロールモデルは一つしかないぞ」と強制するようなものだから。
 そして、そういう松本人志的な芸人の権力志向が、フェイクニュースの温床をつくっている。

 … という私の発言も、まぁフェイクニュースの一つかもしれないね。
  
 

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小池旋風失速

 
 この日曜日(8日)から月曜日(9日)にかけて、衆議院選挙に挑む各党の政権公約が出そろい、両日ともテレビ番組は朝から連続して党首討論会を放送し続けた。

 そこで感じたこと。
 リアルな政治感覚を維持している党と、リアルな政治感覚が欠如している党とはっきり分かれたな … ということだった。
 
 「リアルな政治感覚」というのは、世界をイデオロギーの色眼鏡で見ないということだ。
 ここでいうイデオロギーとは、昔の言葉でいう「右翼」あるいは「左翼」という言葉で表現される固定的な政治信条を指す。

 こういう政治信条は、目の前に起こっている現実を分析するのではなく、自分たちが昔から描いてきた理想像の方に現実を引き寄せようとするために、刻々と変化していくリアルな世界を素直に捉えることができない。
 最近は「リベラル」という言葉がよく使われるけれど、これも、「自分はリベラルだ」と言い切ったときにイデオロギーに転じる。
 
 自民党の安倍晋三という首相は、過去においては、誰にでも分かるくらいはっきりとした「右翼イデオロギー」を匂わせる人だった。
 靖国参拝も含め、彼はその右翼的スタンスを国民の目にわざとさらすように、これみよがしに強調した。
 さらに、その右翼思想を「美しい瑞穂の国」などと情緒的に表現して、政治センスの悪さもさらしていた。

 彼は思想的な右翼性を強調するだけでなく、さらに経済戦略においても原発ビジネスを画策したり、日本製兵器を諸外国に売り込もうとしたり、「戦争で食っていく」というスタンスを隠そうとしなかった。

 だから、私もかつてはこのブログでも安倍批判を繰り返していたのだけれど、ここ最近安倍首相そのものが変わってきたように感じる。自分の中に巣食っている右翼性を巧妙に隠すようになったのだ。
 それは悪いことではない。

 もちろん本質的なところは変わっていないのだろうけれど、最近の安倍首相の言動を見ている限り、政治家としての安定感が増しているのを感じる。
 たぶん野党やメディアからの批判を浴び続けているうちに、その対処法を身に付けたのだろう。
 それを、政治家としての「成熟」と見なしてもよい。

 だから、党首討論会のテーマが外交に及んだとき、いちばん安心して聞けるのは安倍発言である。
 おそらく、米国トランプ大統領やロシアのプーチン首相といった生臭い元首と会談を重ね、さらにG20などの会合を通じて世界の指導者たちとの交わりを深めたという経験が、その発言に自信を与えているのだろう。

 現在安倍氏がくぐってきたような外交的な修羅場を、他党の代表者は誰一人経験していない。
 だから他党の党首が語る外交問題は、やはり理念的であり、抽象的である。

 外交というのは、理屈が通らない世界だ。
 外交交渉で力を発揮するのは、担当者の “胆力” である。
 相手のふところにグサッと踏み込んでいく度胸といってもいい。
 それは時に恫喝やハッタリであるかもしれないが、ときには愚直なまでの誠実さであり、その使い分けがキモとなる。
 安倍首相は歴戦練磨の諸外国首脳と渡り歩いてきた分、そのコツを会得しており、それが自信となって表情や言動に表れている。
 それが(テレビなどの)映像を見たときの安定感につながっている。

 ただ、テーマが憲法問題に及ぶときだけ、安倍首相の根っこのところに秘められた “右翼イデオロギー” が顔を出す。自衛隊の存在を憲法に明記するかどうかなど、どう考えても喫緊の課題ではない。喫緊の課題ではないテーマを声高に掲げることを “イデオロギー” というのだ。

 その一点を除けば、現在の安倍自民党政権は、昔に比べてかなりリアルな政治感覚を身に付けてきたといえそうだ。
  
 
 この安倍政権よりも、さらにリアルな政治センスを発揮しているのが公明党である。
 党首である山口那津男氏のキャラクターの地味さもあって、公明党の主張はけっして派手ではないけれど、どれも現実社会に根を下ろした着実な研究成果がうかがえる。
 この党は、いったいどういうブレインによって政策や綱領を検証しているのだろうか。理論的な信頼度や安定感では現在一番かもしれない。

 マスコミは「自公政権」とひとくくりにして、似たような政権公約を掲げる党と見なし勝ちだが、党としての理論的な緻密さは公明の方が上である。佐藤優のようなリアルポリティークの極意を身に付けている批評家が背後に控えているせいかもしれない。

 自民党と公明党をサッカーチームに例えてみると、自民党というのは個々のプレイヤーの身体能力の高さで戦っているチームである。
 だからスターも多い。
 安倍晋三と総理の座を争う位置にいるといわれる石破茂氏、岸田文雄氏、あるいは小泉進次郎氏などは政界におけるメッシ、ロナウド、ネイマールといった感じではないか。

 それに対して、公明党はチームとしての組織力で戦っている党である。
 だから、なかなかスターが生まれない。
 そして、この党の欠点といえば、“宣伝下手” であることだ。
 どんくさいのだ。
 それが党としての真面目さや誠実さにつながっているのは事実だが、小池百合子のような “電通・博報堂” 並のイメージ戦略を掲げたライバルが現れてきたときには、そうとう劣勢に立たされることもあるだろう。
 ただ、この党のリアルな現状認識の凄みだけは見逃さない方がいい。 
 
 
 この公明党のリアルな政治感覚に近いものを感じたのは、やはり立憲民主党であった。
 党首討論会に臨んだ枝野代表から「いさぎよさ」が伝わってきたことも好印象だった。
 枝野氏は、かつての民主党時代から民進党時代に至る過程で、自分たちの至らなかった点を素直に詫び、反省する勇気を持っている。
 「リベラル派」を標榜しつつ、憲法に対する解釈も、けっしてイデオロギッシュに “改憲反対” を叫んでいるわけではない。
 おそらく、立憲民主党は、風の勢いが止まった「希望の党」に代わって、台風の目になるだろう。

 ただ、立憲民主党の人気は、代表である枝野氏個人の新鮮さに負うところが大きいため、本当の実力は定かではない。党首討論もじっくり聞いてみると、枝野氏は他党を攻めるときの舌鋒は鋭くとも、自党を守る弁明になると弱さが露呈するのが見えた。つまり、現在の枝野氏には、実際の実力以上のイメージが塗り重ねられているのだ。

 要するに、枝野氏には鳩山、菅、前原、岡田、野田、蓮舫といった、いわば民主党=民進党時代の “負の遺産” の影がないことがプラスに作用しているといってよい。
 また、党の結成時に「希望の党から追い出された人々」という悲劇性が付与されたことも、多くの日本人から判官びいきの感情を誘い出している。
 
 
 上昇気流に乗った立憲民主党と対照的に、風が止んで、下降傾向を示しているのが小池百合子代表が率いる「希望の党」だ。
 この党も、突貫工事でようやく政権公約を掲げてきたが、そのお粗末さは目を覆うばかりだ。
 すべてにおいて、具体性が何ひとつない。
 例のごとく、耳障りのよい公約が並ぶのだけれど、すべてイメージ優先で、実体がまったく見えてこない。

 そういった意味で、「希望の党」こそ “リアルな政治観” が欠如した党の代表である。
 「希望の党」以外の政党は、保守を標榜しようが、リベラルの旗を掲げようが、それぞれ公約を練り込む前にそれを実現するための試算を捻り出した形跡がうかががえる。

 しかし、「希望の党」だけは、新商品を企画したクライアント企業と広告代理店が、「CMタレントには誰がいいですかね?」と打ち合わせした程度のイメージ戦略だけで公約をつくっている。
 CM制作はそれでいいのかもしれないが、政治の世界ではあまりにもそれは無責任だ。

 この党をつくった小池百合子代表の最大の誤算は、立憲民主党が登場してしまったことだ。
 本来だったら希望の党に集まるはずだった「爽やかさ」とか、「誠実さ」といったイメージをすべて立憲民主党に奪われてしまった。
 小池氏は内心、民進党のすべての党員を取り込まなかったことを悔やんでいるだろう。

 希望の党の公約がなぜリアルさを欠いているのか。
 勉強不足だからである。
 今回の社会保障政策の一環として持ち出してきた「ベーシックインカム」。
 これに対して小池氏は、そのほんとうのシステムを勉強したのだろうか。

 ベーシックインカムとは、簡単にいうと、働いている人間にも働いていない人間にも国が月額5万円程度の給付金を払い、個々人の老後の保障の補填や、雇用危機が生じて失業率が上がったときなどに備えさせるというシステムのことをいう。

 「全国民が働かなくても一定の給付を受けられる」
 一見、夢のような制度に見えるかもしれないが、そのためには現在ある基礎控除、配偶者控除、扶養控除などを全廃し、生活保護を極端に縮小し、そのほかの社会福祉制度も大幅に切り捨てるなど、“弱者切り捨て” の社会制度を導入した結果ようやく実現できるようなものである。
 
 一般庶民は「ベーシックインカム」などという言葉の意味を詳しく知らないから、なんだか「希望の党」が庶民生活の底上げをしてくれるのではないかと期待してしまう。
 だが、このシステムは多大なリスクを背負ったもので、総人口が少ないゆえに実験的に導入して様子を見ている北欧以外どこの国も採り入れていない。

 こういうように、十分に咀嚼していない概念や横文字言葉をさぁっと引っ張り出して、見た目の新しさを装うのが小池流だ。
 彼女は、こういうシステムを導入する経済政策を「ユリノミクス」と称して、アベノミクスと対抗するものとして打ち出す。
 だが、ユリノミクスには、何をどう勉強したのかという形跡は何もないし、したがってその実体もない。ユリノミクスは、国民ではなく、あくまでもメディアだけを相手にしたイメージ戦略にすぎない。
 “小池劇場” は衆院選の公示直後に幕を下ろすことになりそうだ。  
 
 
 古くから野党を代表している共産党はあいかわらずイデオロギッシュだ。
 基本的には、この党は相変わらず世界を「富める資本家」と「貧しい労働者」の二層に分けて考えるという冷戦時代の政治感覚から抜け出していない。

 資本主義の暴走を食い止める手段が “共産主義革命” しかないと思い込まれていた時代がかつてあったが、その幻想は冷戦の終焉とともについえた。
 その理由は、世界の経済構造の変化にある。
 共産主義理論が生まれたのは、世界が重工業を中心に回っていた時代だった。

 しかし、その後重工業に代わって、情報技術工業やサービス業が経済システムをリードするようになった。
 つまり、それまで共産主義国家が進めてきた計画経済では複雑化していく新時代の経済システムに対応できなくなってしまったのだ。

 そうなれば、そのことに対する民衆の不満も高まる。
 そのため、「共産党」を名乗る政権党が運営する国家は、どこも体制を維持するために抑圧的な権力機構を強化するほかはなかった。
 こうして、共産主義の理想とはまったく無縁な独裁体制が生き残ってしまったことは、現在の中国や北朝鮮をみれば一目瞭然である。

 なのに、日本共産党は「共産党」という党名を捨てていない。
 それは、この党が過去の共産主義運動の誤謬をいまだに清算しきれていないことを意味する。
 
 
 さて、この記事を書いている自分自身はこの選挙をどう見ているのか。
 本来ならば、やっぱり民進党がもっとしっかりと自民党との対立軸を明確にするべきだった。
 前原元代表の社会保障政策や経済政策などは見るべきものが多かった。
 仮にそれらが実現に至らなくても、アベノミクス一本やりの今の経済政策に対し、それ以外の多彩な選択肢もあることを国民に訴えることが可能だったと思う。

 だが、結果は非常に残念なものになった。
 枝野代表率いる「立憲民主党」が旧民進党の良心的な部分を引き継げるのかどうかは分からない。
 枝野氏も、希望の党や共産党と並んで、安倍首相の “モリカケ問題” なんかにエネルギーを割いているかぎり、将来性を期待できない。

 自分が非常によく分からないのは、今回の一連の党首討論会で、なぜ野党が安倍首相の “モリカケ問題” ばかりにこだわっているかということだ。
 議題としての重要性を考えれば、消費税や成長戦略、安全保障などといったテーマに比べて、モリカケなんかはるかにプライオリティーが低い(ただ庶民には問題点が分かりやすい)。
 希望の党や共産党がモリカケにこだわるのは、このテーマで安倍氏を追い詰めないかぎり、自分の党の政策的優位性を訴えることが難しいと踏んでいるからだろう。
 
 そういう野党のていたらくを見るかぎり、リアルポリティークが何であるかをしっかり把握している自公政権の安定性を(消去法で)選ぶしかないと思っている。
 
 

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「内面」を持たない政治家(小池百合子)の誕生

 
 僕は、ここ最近ブログのテーマに小池百合子女史のことを取り上げる機会が多いと思っているのだけれど、いったいそれは何故なんだろう? と自問してみると、けっきょく僕自身が小池女史にものすごく興味を感じているということなんだね。

 確かに僕が書いている記事のトーンは “小池批判” である。
 しかし、「批判」というのは、ネガティブなまでに極端に傾いてしまった「関心」の別名である。
 彼女の存在は、僕にとって、まさに現代社会や現代文化を読み解くカギなのだ。

 

 なぜ、僕はこの人にそれほど高い関心を持ってしまうのか。
 それはこの人が、僕が知る限りにおいて、はじめて誕生してきた新しいタイプの政治家だからだ。
 
 どういう政治家なのか?
 「内面」を持たない政治家である。

 彼女の心のなかには、何もない。
 政治理念もない。
 政治哲学もない。
 歴史感覚もない。
 イデオロギーもない。
 
 イデオロギーがないから、伝統に対する敬意もない。
 革命や改革に対する熱意もない。
 のみならず、人間としての他者に対する共感も信頼もない。

 マスメディアに登場する政治評論家やコメンテーターは、
 「彼女が何を考えているのかよく分からない」
 「本心がどこにあるのか読めない」
 などと批評する。

 読めないはずだよ。
 彼女の心のなかには何もないのだから。
 
 彼女は、ただ生命を維持するために捕食を続ける肉食獣のような本能に従って生きている。

 ガゼールを捕食しようとするライオンは、草むらに身を沈めながら、常に風の向きや相手との間合いなどを慎重に計算している。
 そして、いちばん捕食しやすいと読んだタイミングで、一気に草むらから飛び出す。
 
 そのように政界を生き抜いてきた彼女は、まさにサバンナを制するメスライオンである。
 しかし、ライオンは人間のような「内面」を持たない。

 内面に “壮大な無” を抱えた彼女のような人間が実際に政治の表登場したということに関して、僕はとてつもない驚異も、興味も、共感も、恐怖も抱く。
 
 この “壮大な無” こそが、小池人気の秘密である。
 彼女の内面は空洞であるから、人々の欲望も希望も野心もすべて受け入れる。
 受け入れては何の未練もなくすぐに捨て去り、素早く次の庶民のニーズを取り込んでいく。

 側近に対してもしかり。
 自分に群がってくる人間はとりあえず笑顔で迎え、その人間が役に立つか立たないか瞬時に峻別し、邪魔になると判断したときは鮮やかに切り捨てる。

 それを “リアルな政治感覚” として容認する評論家もいるけれど、人間を切るときに「痛み」を感じない人間に、“リアルな政治” は期待できない。

 人間の「内面」を持たない政治家。
 別の観点から見れば、それは AI(人工知能)を搭載したアンドロイド時代の政治家かもしれない。
 “AI 政治家” は、並の政治家が及ばないほど高速度で政局を分析し、その状況に応じた最適解を見つけ出し、リスクやメリットを計算した行動指針を瞬時に打ち立てる。
 しかし、AI には「内面」がない。

 「内面」のない知性が吐き出す言葉は、みな美しい。
 誰が聞いても反論できないような美しさに満ちている。

 しかし、「内面」を反映しない言葉には重さもない。
 花の咲き乱れたお花畑の上を飛び交う蝶のような軽さがあるだけ。

 小池女史の言葉は華麗な色彩で飾られているが、まさに宙に溶け込む蝶のように、すぐにその姿が視界から消える。

 今、この記事を書いているとき、隣に置いてあるテレビで小池女史が「希望の党」としての政権公約を発表していた。
 しかし、どれもお花畑の宙を舞う蝶のような公約だった。

 消費税の凍結。
 原発ゼロ。
 しがらみのない政治。
 
 耳障りのよい言葉が次から次へと続いたけれど、そういう公約を実現するための見通しも計算も、リスクも一言も語られない。
 
 なぜか。
 それは、その瞬間だけ居並ぶ報道人に聞かせればいいだけの言葉だからだ。

 彼女には理想もない代りに、落胆もないだろう。
 「AI 政治家」だから。
 
 AI と人間の最大の違いは何か。
 AI は折れることがない。

 小池女史のような、政局を敏感に読む込んでたくましく生き抜く AI 的政治家が生まれてきたというのは、はたして政治の劣化なのか、それとも進化なのか。

 いずれにせよ、それは我々の棲む世界が、「人間」を軸としたものから、AI 主導型の世界に移行しているという証左なのかもしれない。
 
 
関連記事 「私は小池百合子が嫌い」
 
   

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悲劇のヒロイン

 
 2017年の衆議院選挙は、まだ公示前だというのに、およその勝敗が決したような気がする。
 小池新党(希望の党)の予想外の大敗。
 たぶん、そんな決着を迎えそうな気がしてならない。

 もちろん、マスコミはそう予想していない。
 「希望の党」が自公政権を倒すまでには至らなくても、民進党に代わる野党第一党の位置に躍進し、今後も政局を動かす原動力になるだろうと見ている。

 はたしてそうだろうか?
 選挙後に、「希望の党」は “野党第一党” にはとどまるかもしれないが、その政治的存在感は、選挙前に比べると、おそらく相当零落しているはずだ。
 
 そう予想する根拠は、この党の代表に就任した小池百合子氏の人間性にある。

 けっきょく、この人は「他人」を巧みに利用するスキルだけで、ここまで生きてきてしまったのではなかろうか。
 彼女は、常に政界の流れを読み、そのつどそのつどもっとも勢いのある政治家に寄り添うように、転身を繰り返してきた。
 そして、その政治家に陰りが見えたときには、鮮やかに身をひるがえした。
  
 そうやって生き抜いてきた経験から、彼女の顔は「仮面」のような鋼鉄の皮膚に覆われた。 
 だからその微笑は、やはり冷たい。
 どんなに温かそうな笑顔をとりつくろっても、その裏側にある荒涼とした虚無が、ぽとりとこぼれ出てしまうのだ。

 多くのニュース報道で言われるように、彼女には “側近” がいない。
 仲間も、同志もいない。
 周りにいるのは、“家来” だけ。
 そう喝破した評論家がいる。

 若狭勝氏も細野豪志氏も、けっきょく “党員” としては信用されておらず、使用人のように使われたのでないかと、その評論家はいう。

 若狭氏も細野氏も、「希望の党」の立ち上げをまったく知らされていなかった。
 両者とも信頼されていなかったのだ。
 若狭氏などは、「しばらくテレビに出るな」とまで言われたらしい。

 小池女史のワンマンぶりは、都政においても徹底しているらしく、都議団のなかで第一党となった「都民ファーストの会」でも、マスメディアに向けての個々の議員の発言は禁じられていると聞く。
 党のイメージを損ねるような失言が出ることを警戒してのことだろう。

 都政においても国政においても、国民が最終的に選ぶのは議員個人であるはずなのに、「都民ファースト」においても「希望の党」においても、そこに所属する議員個人の “顔” は希薄だ。

 どちらの組織も小池百合子を “頭” とした蛇の胴体に過ぎない。
 すなわち、小池女史の作る組織の構成員には、蛇の体のように “手足” がないのだ。
 
 そういった意味で、大蛇の頭となって、すべてを一人で切り盛りしている小池氏の頭脳はすごいと言わざるを得ない。
 
 ただ、そうとう孤独な頭脳であろう。
 参謀のいない女将軍。
 常に独りぼっちの闘将。
 
 “華やかな女傑” というイメージとはうらはらに、なんとなく悲劇的エンディングが待っていそうな人である。
 
 おそらく、今回の衆院選は、後世「小池の乱」と呼ばれるような騒動として人々に記憶されるだろう。
 そうして、彼女は “安倍一強” に果敢な戦いを挑んだ「反逆のヒロイン」というレジェンドに包まれることになるだろう。

 我々は過去の歴史のなかで、そういう悲劇のヒーロー、ヒロインをたくさん見ている。
 古代ローマ帝国に戦いを挑んで捕虜の憂き目に遭ったパルミラ王国の女王ゼノビア。

 同じく、古代ローマの城門にまで攻め上りながら、最後はローマに追い詰められて毒を仰いで死んだカルタゴのハンニバル。

 あるいは、シーザーに戦いを挑んで処刑になったガリアの若き君主ウェルキンゲトリクス。
 大和政権に果敢に戦いを挑んで俘虜となった蝦夷の長アテルイもそのような人間の1人かもしれない。
 
 たぶん小池氏の名前も、そういう栄光ある敗者の名前として人々の記憶に残るだろう。
 国政でも都政でも、たぶん彼女は何一つ成果を上げられないだろうけれど、最盛期の安倍政権に真っ向から戦いを挑み、安倍をあそこまで追い詰めた “女武人” としての名前を僕らは記憶にとどめることになるだろう。

 10年後、彼女は何をしているのだろうか。
 もちろん、政治家としての命運は尽きているだろうけれど、あれほどメディアを手玉に取ることに長けた人だけに、政治評論家として珍重されているかもしれず、タレントとして重宝されているかもしれない。
 そのとき、彼女のマネージャーとなって、各局のワイドショー出演を管理しているのは、もしかしたら若狭氏かもしれない。
 
  

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バンテックの目指すもの

 
バンテック創業者 増田紘宇一氏の逝去に寄せて

 9月29日、日本のキャンピングカービルダーの最大手である「VANTECH(バンテック)株式会社」の創業者である増田紘宇一(ますだ・こういち)氏の訃報の連絡を受けた。
 平成29年 9月26日16時、滞在先のタイ・バンコクにて永眠されたという。享年74歳であった。

 ここでは、増田氏の逝去を悼み、現バンテック社長である佐藤徹氏のインタビュー記事を収録する。
 この記事は、今年の 6月にキャンピングカー情報のポータルサイトである『キャンピングカースタイル』に掲載したものだが、本稿ではその記事をベースに、創業者増田紘宇一氏の業績の部分を付加した。

▼ 創業者 増田紘宇一氏

 
 
創業30年を超えるビッグメーカー

【町田】 バンテックさんは、今年から社名を変更されましたね。「バンテックセールス」からアルファベット表記の「VANTECH株式会社」に変えられたわけですが、これには何か深い意味があるのでしょうか?
【佐藤】 “深い” というほどのことはありませんが、もともと販売という意味の「セールス」よりも、製造に力点を置いていた会社ですし、去年から今年にかけて社内的なシステムも大幅に変わってより戦略的な目標もはっきり打ち出せるようになったので、これを機に、心機一転社名も変えていこうと。

▼ 佐藤徹 現バンテック社長

【町田】 アルファベッド表記にしたというのは、もしかしたら海外戦略を考えてのことだとか(笑)?
【佐藤】 (笑)…まぁ、まぁ …。

【町田】 とにかくバンテックさんといえば、キャンピングカーの生産規模からいっても、製品のクオリティーやアフターサービスの充実度からいっても、まさに日本を代表するキャンピングカーメーカーとして、これまで長い歴史を誇ってきたわけですが、まずは簡単な社歴から教えていただけますか?
【佐藤】 会社が設立されたのは、1986年(昭和61年)です。創業者の名前は増田紘宇一です。

【町田】 1986年というと、もう30年以上も前のことなんですね。創業期を代表する車として、どんなものがありましたか?
【佐藤】 創業と同時に発表した「LT2型」というバンコン用家具キットが、私たちのデビュー作でした。これは50台ロットで製作を繰り返した国産初の量産型家具キットでした。
 その後1990年に、完成車のバンコンとしてフルハウス、同じ年にアリスフィールド、そしてサザンスポーツなどというバンコンを出しまして、93年に、現在も私たちのバンコンを代表する初代のマヨルカをリリースしています。

▼ 初期の頃のマヨルカ(1996年仕様)

【町田】 キャブコン製作はいつからだったんですか?
【佐藤】 1992年のJB-500からですね。その後が1993年のテラ500、そして1995年のJB-470と続きます。

▼ バンテックの「デリカJB-500」(1995年仕様)

【町田】 バンテックさんのキャブコンといえば、なんといってもジルが筆頭にあがってくるのですが、ジルのデビューは?
【佐藤】 1997年ですね。その初代から数えて現在のジルは5代目になります。生産累計では3,500台を超えています。
【町田】 すごいですよね。そういうビッグブランドは、日本ではもうしらばくは出てこないでしょうね。

▼ 現行ジル

 
 
いち早くヨーロッパテイストを打ち出したバンテックデザイン

【町田】 ところで、会社を設立された30年前には、ほかにどんな国産メーカーさんがありましたか?
【佐藤】 今も続いている大きなメーカーさんとしては、当時すでにヨコハマモーターセールスさんがありましたね。あとはセキソーボディさん。ロータスRVさん。ほかにオートボディショップタナカ(現アネックス)さん、レクビィさんといったところでしょうか。

【町田】 当時日本で走っているキャンピングカーといえば、どちらかというと、アメリカの大型車が主流で、国産車もそのアメ車の内装をコピーするような形で誕生してきましたね。
 そのなかでバンテックさんだけは、いち早くヨーロッパテイストの内装を手掛けられていたと思うんですが、その理由は?

【佐藤】 創業者の増田紘宇一の “趣味” といってしまえばそれまでなんですが(笑)、増田が思うに、気候や走行環境から考えても、日本でキャンピングカーを扱うならアメ車よりもヨーロッパ車の方が向いている、つまりヨーロッパは日本と同じように道路幅も狭く、曲がり角も多い。
 また北欧寄りの国になれば冬季は寒くなるので、断熱対策や凍結防止策も発達している。
 そういうように、増田は「海外のキャンピングカー開発をお手本にするならヨーロッパ型キャンピングカーだ」ということをいちはやく見抜いたんですね。

【町田】 そのためにキャンピングカーを製作するときのパーツも、ヨーロッパ製の部品を入れるようになったと?
【佐藤】 そのとおりです。ドイツの「REIMO(ライモ)」社のパーツですね。ヨーロッパではキャンピングカーの安全性に関して厳しい基準を設けていましたから、当然パーツにもシビアな管理が行き届いていて、それがバンテックの車づくりにも反映するようになりました。
 もちろん、内装のデザインテイストにおいても、我が社はヨーロッパの最新のトレンドを採り入れた内装を追求する方向に向かいました。

▼ バンテック本社

 
 
JRVAの設立にも貢献

【町田】 バンテックさんといえば、現在の「JRVA(一般社団法人・日本RV協会)」さんの設立にもご尽力されたとか?

【佐藤】 そうですね。JRVAの発案および組織づくりにおいても、JRVAの初代会長になった当社の増田紘宇一が残した功績は大きかったと思います。定款づくりから資金集め、また会員への呼びかけなど、企画から法整備、事務手続きまで、ほとんどその中心となって動いていましたから。
 なにしろ、当時日本にはカスタムカー系業者も含めて200社近くのビルダーが誕生していたのですが、この業界をまとめる中心的な組織がありませんでした。だから増田が構想したJRVAというのは、その当時においては画期的なものでした。

【町田】 そもそもJRVAを発案した動機は、どういうところにあったのですか?
【佐藤】 今のようなキャンピングカーを製作するときの構造要件のようなものが固まってきたのは、だいたい1980年代からなんですよ。
 それまでは、キャンピングカーの構造に関する法整備もまだ流動的で、我々業者も新しい流れについて行くのが大変だったんですね。
 そのため、運輸省(当時)や陸運局と話し合う場が必要だということになり、業界全体の意見をまとめる団体づくりが急務となったんです。

【町田】 JRVAの発足そのものはいつだったんですか?
【佐藤】 発足前の準備期間もありましたが、正式に発足したのは1994年(平成6年)ですね。
 ただ、そこに至るまでには、メンバーさんのなかでもいろいろなアイデアがあったと聞いています。なかには官公庁や行政と接触する窓口だけ作ればいいのではないかという意見もあったようです。
 しかし、増田は「どうせ組織を作るのならば、世間にアピールできるしっかりした団体にしなければならない」と主張し、年間予算でも最低2,000万円が必要だと試算しました。
 その金額に驚かれたメンバーさんもいらっしゃったようですが、そこで思い切ったことを貫いたおかげで、現在の業界の基礎が固まったように思います。
  
  
量産体制と生産システムを確実なものに

【町田】 現在の話になりますが、この2017年という年は、バンテックさんにとってどういう目標に進んでいる年だといえるのでしょうか?
【佐藤】 まず一つは、「増産体制を完璧に確立する年」にしたいということですね。そのために昨年山形工場を新設しました。
 これは、以前の山形工場が手狭になったので、引っ越して新しく作り直したものですが、敷地でいうと約4千坪。以前の5倍以上の面積になりました。
 そのため、ベース車をストックしたり、デリバリ待ちの車両を保管するのも楽になりました。

▼ バンテック山形工場

 

 
 
【町田】 工場の新設によって、どのくらい生産効率が上がったんですか?
【佐藤】 現在コンスタントに月産30台までは造れるところまで来ました。ただ、それでも、今は生産台数よりも受注の方が伸びている状態なんですね。そのため納期が遅れ気味になって、お客様にも迷惑がかかるような状態が続いています。
 そこで、今年の12月の時点で単月50台までは造れるような体制を組む計画をしています。

【町田】 生産台数を増やしていく秘策というのがあるんでしょうか?
【佐藤】 実は、今バンテックの海外拠点であるタイのFRP工場を増設する計画を進めている最中なんですよ。
 それによって、山形でもタイでもキャブコンとバンコンが造れるような体制をつくりあげていくつもりです。

▼ バンテック タイ工場

【町田】 具体的な車種として、新しい計画はあるんですか?
【佐藤】 一つには、3年ほど前の幕張のショーに参考出品したNV200をボディカットした車両の量産体制をつくりたいと思っています。
 あれはもともと “キャンピングカー” というよりは、いろいろな用途に応じて内装をコーディネートしていくという “多目的カー” なんですね。
 だから、あれを “バン” として考えることもできる。後ろにリヤハッチを付けて、横にスライドドアを設ければ、もうバンなんですよ。
 そういう方向で、さらに緻密な戦略を立てています。
 もちろん当社としては、“多目的カー” の一例として、キャンピング仕様モデルもプレゼンしていきます。

▼ NV200系ボディカットモデル


 
 
海外進出も射程に入れて

【町田】 NV200は、海外でも乗用車やタクシーとしても評価されていますよね。それを使った多目的カーのプロジェクトが成功したら、海外戦略車種としての可能性も出てくるのではないですか?
【佐藤】 そうですね。そういう方向で考えるのも面白いかもしれませんね。

【町田】 現在バンテックさんは、具体的な海外戦略というのはお持ちなのでしょうか?
【佐藤】 はっきり言うと、あります ! ただ今の段階ではまだお話できるものが少ないので申し訳ないのですが、すでに具体的な方向性は考えています。

【町田】 以前、ワーゲンT5を使ったヨーロッパ向けキャブコン開発のプロジェクトがありましたが、その計画が、プロトタイプの製作以上進まなかった理由は、やはりベース車の問題だったのですか?
【佐藤】 そうですね。ヨーロッパのキャンピングカーの大半がフィアットデュカトベースになっていた時期でしたから、ドイツのフォルクスワーゲン社がライモ社を通じて、ワーゲンベースのキャンピングカーの開発を依頼してきても、それを欧州市場が受け入れてくれる要素はすでに少なかったということです。
 
▼ ワーゲンT5キャンパーのプロトタイプ

 
【町田】 ということは、デュカトのシャシーが国内で供給されたら、それを使ったキャンピングカーを手掛ける可能性はあるということでしょうか?
【佐藤】 シャシーをわざわざ輸入するリスクがないのなら、デュカトを使うのも魅力的な話ですね。さらにキャブコン用のシャシーが供給されるというのなら、確かに食指は動きます(笑)。

【町田】 海外戦略に関しては、かなり具体性を帯びた計画をお持ちのようですが、そういう情報がオープンになるのは、いつ頃でしょうか?
【佐藤】 すべての準備を終えて、実行に踏み切る2~3ヶ月ぐらい前になったら、逐次ご報告させていただくことになると思います。
 実は、いまベトナムからも実習生を募集しているところなんですよ。もちろんタイ工場にはタイ人の従業員もいます。
 そうやって少しずつアジアの若い人々に戦力になってもらい、世界企業へ躍進できるような準備をしているところです。
 
 
レンタカービジネスにも食指
 
【町田】 さらに将来の予定をお聞きしますけれど、ここのところレンタルキャンピングカービジネスがかなり成長してきましたが、バンテックさんとしては、レンタル部門進出の計画はおありですか?
【佐藤】 それも考えてはいます。今はまだ具体的なことまで計画していないのですが、やるとしたら、うちは有利な部分があるとは思っています。
 というのは、パーツセンターを持っているので、レンタカーを始めたとき、利用者にお貸しして壊れた部分が出ても、その補修が簡単にできる。そこがうちの強みになると思います。
 だから、中古車ではなく、新車をレンタカーに卸すというアドバンテージも打ち出せる。しかも “フル装備” の車で(笑)。
 
【町田】 なるほど。確かにそれは強いですね(笑)。
 最後になりますが、佐藤さんはこの日本のRVマーケットが将来どういう形で推移していくとお考えですか?
【佐藤】 あくまでも私個人の見解ですが、今後この業界が縮小するとはちょっと考えにくい。
 もちろん日本経済が大幅に成長しているとは決して言えないのですが、それでもグローバルな視点に立つと、日本の景気は世界に比べてものすごく安定しています。
 しかも今の政府の景気振興政策の目玉の一つに「観光立国」という戦略がある。
 ということは、インバウンドの需要も含め、観光や旅行という分野が大きく成長していくことが見込めるということです。
 
 
何事も成功するまでは「不可能」に見えるものである

【町田】 観光や旅行というのは、確かにキャンピングカーと関連が深い部門ですよね。
【佐藤】 そうです。少なくとも、2020年の東京オリンピックまでは景気が失速することはない。

【町田】 では、オリンピック後は?
【佐藤】 そこですね。問題はそこからです。
 でも、うちはオリンピック後に景気が失速しても、それを乗り切る戦略を考えています。
 結局、オリンピック後の景気減速を予想して、会社の事業規模を拡大することを今から恐れていては、かえってリスクが高い。そうなれば、オリンピック後には現状を維持することすら難しくなっているかもしれない。
 だから、うちは2020年以降には、「現在ではとても無理だろうと思える」ことを実現していると思います。

【町田】 それは素晴らしい。楽しみですね。
【佐藤】 私の好きな言葉があるんですよ。
 それは、「It always seems impossible until it’s done」。
 訳すと、「それはいつでも、できるまでは、できないように見える」。
 これは南アフリカ共和国のネルソン・マンデラさんがいった言葉で、「何事も、成功するまでは不可能に思えるものである」という意味なんです。
 これを座右の銘として、今後も突き進んでいきたいと思っています。
 
 

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私は小池百合子が嫌い

 
 メディアは衆議院選挙の報道が熱を帯びてきたけれど、その話題の軸は小池百合子率いる「希望の党」の話題一色に染まりつつある。

 最初に言っとくけれど、私は昨年の都知事選のときから小池百合子という人物が信用できなくて、このブログでも苦言を呈したことがあるけれど、この度の衆議院選挙前の彼女の行動を見ていると、ますますこの女性の “うさんくささ” が鼻についてきて、生理的な嫌悪感すら感じるようになってきた。

 まず、あの露骨な権力欲、名誉欲が鼻持ちならない。
 とにかくメディアのスポットライトがいちばん当たる場所に、何が何でもしゃしゃり出て来るという厚かましさが気に入らない。
 そのときの、あの「おほほ…」というインテリセレブを気取ったような笑い方を見るだけで、背筋に冷水を浴びせられた気分になる。

 あの笑いは、相手をいたわるようでいながら、実は冷笑するときの笑いだ。
 「あなたは素晴らしい」とか言葉でいいながらも、内心「このバカが … 」と人を見下すときの笑い方は、どんな人間もみな小池百合子のような笑い方になる。
 「小池ファン」という人たちは、どうしてこの笑い方の冷酷さに気づかないのか。

 テレビを観ていたら、小池百合子は「希望の党」の党首になる事情を記者団に説明するときに「アウフヘーベン」という言葉を使った。
 「止揚」という訳語がついている哲学用語(ドイツ語)で、これまでの対立軸を解消して一段高みに上るということを意味する。
 この言葉を口にしたあとの彼女の対応。
 「(意味が)分からない人は辞書を引いてくださいね」

 つまり「バカな記者は勉強してね」と言い放ったわけだが、そのときの笑い方が、例の「おほほ」という感じの、あの “優しくて冷酷な” ほほえみだった。

 普通の人が使わない哲学用語みたいなものまで使って自分の権威を高めようとする “見え透いた” 魂胆の嫌らしさに、どうして「小池ファン」層は気づかないのだろう。

 マスコミ自体も悪いよね。
 ニュース系ワイドショーに出演するキャスターやコメンテーターは、みな口々に
 「小池さんの政治手腕はさすがだねぇ !」
 とか、
 「あの人は勝負師だよね !」
 などと持ち上げる。

 もちろんそういう評言のなかには、皮肉交じりの批評も多いのだが、「さすが」とか「すごい」という言葉自体が、すでに小池賛辞のムードを作り上げている。
 
 メディアは口々に、「小池さんの政治感覚は鋭い」とかいうけれど、私は小池百合子の政治センスはすでに過去のものになりつつあると感じる。
 小池百合子の政治感覚は、1990年代末期に日本を覆っていた空気をそのまま代弁しているだけで、2010年代以降の空気を呼吸してない。
 党名を「希望の党」としたことが、その証拠だ。

 彼女は語る。
 「今の日本は何でもそろう国になりました。しかし、“希望” だけがありません」

 この表現は、バブルが崩壊して、日本経済が奈落の底に沈み始め、若者の失業率が高まり、自殺者が増加の一途をたどった90年代末期から2000年代初期の空気を反映しているに過ぎない。
 31歳のフリーター赤木智弘が、『丸山眞男をひっぱたきたい』という論文を発表し、それが話題となった時代。
 すなわち、格差社会の拡大や若年層の貧困化が目に見える形で噴出した時代だ。
 
 『丸山眞男をひっぱたきたい』という本の副題は、「希望は戦争」だった。つまり、戦争という最終的なリセットでもないかぎり、この国の若者たちは救われないという実情を逆説的に訴えたのだ。

 もし、小池百合子の「希望の党」がその時代に生まれたのだとしたら、私もその意を汲んで、少なくともその党名には共感したかもしれない。
 
 ただ、今は時代が違う。
 この国に巣食っている病根は、当時とそんなに変わらないまでも、少なくとも「希望」という言葉に共感できるような切羽詰った空気感は存在しない。

 安倍政権下で進められた経済政策によって、若者の職場環境もだいぶ改善され、「有効求人倍率」は2004年に集計を開始して以来、はじめて1倍を上回った。
 経済格差も、社会格差もあの時代よりはさらに広がりを見せている領域もあるが、全体的には、世間を覆う空気はあの時代の重苦しさから免れている。

 そういう今の時代の空気感を、「希望の党」というネーミングは拾い上げていない。
 そこに私は、小池百合子の政治センスの劣化を感じる。
 
 だから、彼女のいう「しがらみのない政治」、「今までの政治の流れをリセットした新しい政治」などという表現に何の共感も感じない。

 「しがらみのない政治」とは何なのか?
 それは、これまでの政治の流れのなかで、他者と何の信頼関係も築いてこれなかった無能な人々の詭弁にすぎない。

 「これまでの政治をリセットをする」
 と彼女はいうが、何をリセットして、代わりに何を構築しようというのか?
 
 小池百合子の発言は、すべてイメージだけ。
 耳障りのいい言葉だけをつまんできては小ぎれいに並べるだけで、その奥には何の実体もない。

 それでいいの?
 「小池ファン」さんたちよぉ~。

 ワイドショーの街頭インタビューでは、
 「小池さんの言っていることは分りやすいし、男性の政治家より頼りになりそうだし …」
 などと手放しでほめたたえるオバサマやおねェちゃんが出て来るけれど、あの小池女史の人当たりの良さそうな笑顔の奥に潜んでいる冷酷な匂いに気づかないのだろうか。

 今回の衆院選を間近に控えた野党側のドタバタ劇がどういう結末を迎えるのか、今この記事を書いている段階ではまったく見えないけれど、民進党をはじめとする既成政党を離れて「希望の党」に合流した人々は、もうこれで政治生命を失ったことだけは確かだ。

 たぶん、この党の準備に関わった若狭勝、細野豪志も10年後ぐらいにはもう政治の世界で生きてはいないだろう。
 彼らには、政治家としての使命感も政治理念もまったく感じられない。
 自分自身にスポットライトがいちばん当たる場所をひたすら模索しているだけで、あとは商売としての “政治屋” に徹しているだけ。
 
 いちばんがっかりしたのは、民進党の党首になったばかりの前原誠司だ。
 実は、私は内心この人が民進党の党首に就任したときは若干の期待を寄せていた。
 リーダーとしては、腰の据わっていない弱い面を持っていたが、勉強家であり、理論家であるところは認めざるを得なかった。


 
 彼は慶応大学教授である井手英策の指導のもと、その財政再建額をしっかり勉強し、日本の社会や経済の再生に結びつく理論を確立できる唯一の政治家になれるはずだった。
 そういった意味で、アベノミクスの不手際を追求できる得難い人材であったと思う。

 ところが、政治家としての脇の甘さがたたり、肝心の井手教授から薫陶を受けた財政再建理論を安倍晋三にそのままパクられ、自民党の選挙公約の看板として持ち去られてしまった。
 前原は悔しかっただろうが、政治の世界では「先に公言したもの勝ち」である。

 彼の致命的なミスは、安倍晋三の策略にものの見事にハマり、動転したあげく、あろうことか、小池百合子の「希望の党」との合流を果たしてしまったことだ。

 惜しいと思うのだ。
 小池新党(希望の党)の結成を前に民進党からの離脱者が相次いだことは、逆に言えば、彼のチャンスであったと思う。
 「どんなに党が縮小しようが、自分は最後まで “民進の旗” を高く掲げて奮闘する」
 という毅然とした態度をとり続ければ、同情票も集まり、判官びいきの日本人からは一定程度の支持を取り付けられたと思う。
 それを放棄したのだから、彼の政治家として生命もここで終焉を迎えたといっていい。

 もし、ここで小池百合子を首相とする新しい政党が政権を取ったらどうなるのか。
 それは米国のトランプ政権以上の、政治理念もなければ、政治思想も持たない、口当たりの良い言葉だけを並べる無責任政府が日本に君臨することになる。
 
  
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虎よ、虎よとからかわれ

 
 愛犬のクッキーを送り出した夜、その “通夜” を執り行うようなつもりで、深夜、久しぶりに長男と酒を飲んだ。
 録画しておいた阿久悠の音楽特集(「歌の4時間スペシャルTBS」)を観ながらの酒となった。

 次から次へと流れる阿久悠の昭和歌謡を分析しながら、2人の会話が進む。
 ピンク・レディーの『UFO』(1977年)。
 果たして、この詞は何を意味しているのか。

 この時代の阿久悠は、本当にきわどい歌をつくっている。
 40年前の『UFO』という歌は、恋というものを満足に知らない若い女の子が、老練な年上男性に翻弄され、性のときめきを開花させてしまう話だ。

 歌のなかの少女は、UFOに乗ってきた “宇宙人” と遭遇する。
 その宇宙人は、
 「見つめるだけ愛し合えるし、話もできる」。

 そして、自分が言葉に出さずとも、何を願っているのか、さりげなくキャッチして、
 「飲みたくなったらお酒」
 「眠たくなったらベッド」
 と、うぶな女の子を巧みにリードしていく。

 “宇宙人” が、恋の手管を知り尽くした老獪な男性を意味していることは、いうまでもない。
 だから、年上男の高級なくどきのテクニックに酔ってしまった少女は、
 「近頃少し、地球の男に、飽きたところよ」
 と、同年代のクラスメイトの男たちに物足りなさを感じてしまうのだ。

 この歌がヒットした1978年。
 シンガーソングライターの杏里は、『オリビアを聴きながら』(作詞・作曲 尾崎亜美)を歌う。

 夜更けに電話をしてくる元カレに対し、 
 「あなたは私の幻をみたのよ」
 とクールに諭し、
 「愛は消えたのよ、二度とかけてこないで」
 と静かに受話器を下ろす。

 1970年代後半。
 男の子たちにとって、手に負えない女の子が出現する時代が始まっていた。
 阿久悠は、そういう時代を「女が自立する時代」と捉えたが、自立した女たちの身近にいた男の子たちにしてみれば、自分たちが無視され、軽蔑され、取り残されていくような心細さを味わったことだろう。

 以降、女に相手にされなくなった男の子たちは、女性がいなくても充足できる “オタク” の路線にひた走っていく。

 阿久悠は、女に置いてきぼりを食う切ない切ない男の心情を歌い上げるののもうまかった。
 
 夜更けに部屋から出ていく女に背中を向けたまま、
 「寝たふりしている間に出て行ってくれ~」
 とベッドの上でうめく男の子(沢田研二『勝手にしやがれ』1977年)。

 この男は、女の出て行った部屋に取り残されて、夜だというのに派手なレコードをかけ、朝までワンマンショーでふざけ続けるのだ。
 この “胃の痛くなるような” 孤独感と無力感。
 こういう切実な男の子の気持ちを描き切った作詞家は、阿久悠以前にはいなかった。

 私は、阿久悠の歌詞のなかに、男と女の緊張感を湛えた真剣勝負を見る想いがしたが、同じ録画を見ていた長男は、少し違った感想を持ったようだった。
 
 男女が、互いに相手の魂を削り合っていくような “消耗戦” は、お互いに傷つけあい、ともに疲弊させ、生産的な成果は何も上がらない、と長男はいう。
 もちろん、そうストレートに言い切ったわけではないが、彼は、そのような “昭和的な男女の格闘” の先にあるものを見つめようとしていた。 

 実は、長男は、「作詞」という自分の趣味を追求し始めている。
 作詞家を夢見る同人たちが集まるサークルに所属し、時間の許す限り、その会合などにも顔を出し、プロの作詞家による技術指導なども受けているらしい。

 そして、すでにそのうちの何作かの詞にはメロディーがつき、同人誌にも掲載され、少しずつ指導陣たちからの注目も集め始めているようなのだ。

 それなりに評価された彼の詞に、こんなものがある。

 ♪ ぼくらは いいとこ ぎゅっと結んでほらね
   ほらねと 笑顔で 生まれるよ
   みんなで 赤い糸 結んでまたね
   またねって 笑顔で 生まれたよ
   青空は うれしいな
   いつまでも 見ていたい

  あるとき あかんて 隅におかれて
  心が とっても かなしくて
  涙が ポロポロ こぼれてきたら
  やさしく 手のひら さし出して
  またすぐ 元気に
  なれるから なれるから

  ぼくらは いいとこ ぎゅっと結んでほらね
  ほらねと 笑顔で 生まれるよ
  みんなで 赤い糸 結んでまたね
  またねって 笑顔で わかれましょ
  ぼくらには 夢がある
  みんなにも あるかな?
 
 
 これは何を歌った歌なのか?
 全体の状況は、にわかにつかめないものの、なんとなくベタな応援歌のようなものが展開されている感じは伝わる。 
 
 そして、その曲調は、NHKあたりで流れる「みんなのうた」のような。
 童謡のような。
 小学唱歌のような。

 そんな子供向け歌謡の範疇に入るたわいない歌詞に思えるが、この歌のタイトルをみると、にわかに言葉一つ一つの色が変化し始める。
 
 タイトルは『エコボールの心』。

 エコボールとは、野球の練習で使われるボロボロになった硬球のほつれた糸を縫い直し、再使用できるようにしたもの。
 かつて、へたったボールは “用済み” のゴミとして捨てられていたが、今はそれを1球100円で修理する事業所が生まれ、このようにして、グランドに戻ってくる再生硬球を「エコボール」と呼ぶようになってきた。

 だから、この歌で、笑顔を取り戻してお互いに励まし合っているのは、擬人化されたエコボールたちなのだ。

 弱者の蘇生、共生、励まし合い。
 捨てられる運命にあった者たちが、ふたたびこの世に戻れたことを確認しあうときの喜び。

 長男のつくる歌詞には、「ポスト昭和歌謡」とも呼ぶべき、新しい連帯への模索が歌われていた。

 そこには、男女が火花を散らして暗闇で向き合うような、阿久悠的な迫力はないかもしれない。
 しかし、弱者同士がともに連携しあうことで、お互いの「弱さ」を「強さ」に変えようとする強靭な意志は感じられる。
 
 
 親バカかもしれないが、ちょっと感心した詞がほかにもある。
 タイトルは『古都』。

 ♪ 虎よ虎よと あの人に
   からかわれて カシュガルへ
   女一人の 迷い旅
   一人見つめる カラクリ湖
   空にはやがて おぼろ月
   シルクロード 一人旅
   あゝ地平線よ 砂漠の都

   雨に沈んだ 洛陽の
   夜にけぶる 街灯り
   遠くで流れる うた声が
   虎よ虎よと きこえてさ
   あいつの顔が はなれずに
   シルクロード 一人酒
   あゝ洛陽 いにしえの都
 
   流れ流れて 大和路へ
   風のたよりを 待つあたし
   どうしてあたし 虎なのさ
   大仏様に 愚痴語り
   今宵の酒も 手酌酒
   シルクロード 旅の果て
   ここで暮らすか 奈良の都

 なんとも雄大なスケール感が漂う詞である。
 シルクロードを西に向かうときの、地平線に沈む夕陽が瞼に浮かんできそうである。

 「カシュガル」
 「カラクリ湖」
 「洛陽」
 「大和路」
 「奈良」
 次々と繰り出される地名の響きがエキゾチックな風情を誘う。

 歌い出しは、
 ♪ 虎よ、虎よと
   あの人にからかわれ、

 ここでいう「虎」とはなんなのだろう?
 男が「お前は虎だ(笑)」とからかうような女とは、いったいどんな女なのか?

 この謎めいた冒頭の歌詞が、すでにこの歌のテーマを明瞭に浮かび上がらせている。

 男に、「虎のように人間を喰い尽す女」と思われてしまえば、もうその女に、男の寵愛を取り戻すチャンスはない。
 女は、泣く泣く男の後を追うような一人旅に出るのだが、旅の先々で、「虎よ、虎よ」という男のあざ笑いを幻聴する。
 
 なぜ、自分は虎なのか?
 それは日本にたどり着いて、大仏様に尋ねても答が得られない。
 
 「虎」とは、人間と共生できない野性の獣。
 その野性の獣が、一人の人間の男を恋い慕うという悲劇性が、この歌のテーマの根幹をなしている。

 だが、この歌は、女の悲劇性のみを歌っているわけではない。
 彼女は、砂漠のなかでも、異国の街中でも、強くたくましく生き抜いているのだ。
 その強靭さこそが、まさに、男から見れば「虎」なのかもしれないが、女はけっして自分が「虎」だと思われることを嫌がってはいない。 
 むしろ、それを宿命として受け入れようとしている。

 そこに、この女性の悲劇性と強さと、色っぽさがにじみ出ている。

 私は、長男に、「この歌には、シルクロードの地平線を超えようとした古代中国人たちの夢すら感じ取れる」と話した。
 実際に、ユーラシアの地平線の彼方を幻視しようとしたのはアジア人だけだ。
 当時、森林と山脈に囲まれた生活を送っていたヨーロッパ人たちは、こういう展望を持ち得なかった。

 代わりに、ヨーロッパ人たちは海洋を目指した。
 彼らは、地平線の彼方を夢想したアジア人とは異なり、地中海と大西洋の彼方に広がる水平線の魅力にとりつかれた。

 優れた詞というのは、そんなことまで思いつかせる力を持っている。
 
 

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息子と犬

 
 ペットであった犬の訃報を聞き、他県でマンション暮らしをしていた長男が急いで自宅に戻ってきた。
 日々の生活が忙しかったのか、ほぼ1年ぶりぐらいの里帰りである。

 彼は犬の死に目に会えなかった。
 しかし、葬儀社に引き取られる寸前に、最後の短い対面を果たすことができた。
 
 長男は、亡くなったクッキーが最もなついていた人間である。
 クッキーの晩年には、もうほとんど日常的に接することのなかった長男であったが、彼がたまに自宅に戻った日は、それこそアイドルのコンサート会場で、椅子の上から飛び跳ねるファンのような熱狂ぶりを見せていた。

 そういうとき、クッキーの目には私の姿もカミさんの姿も映らない。
 ひたすら長男の足元に絡みつき、うるんだ瞳で顔を見上げ、いつまでも床の上を飛び跳ねている。
 
 犬は、集団生活を送って生きてきた “狼族” の仲間である。
 だから、群れを束ねるリーダーには絶対的な服従を誓う。
 当然、人間と暮らすようになっても、家の中で、誰がリーダーであるかということに関しては敏感になっている。
 だから、二代目クッキー(写真下)の目には、長男がこの家のリーダーとして映っていたのだ。
 

  
  
 ところが、初代クッキー(写真下)のときは、そうではなかった。

 

 初代クッキーが家に来た頃、長男はまだ小学校の低学年だった。
 当然、思考もまだ幼稚で生活態度も粗雑だったから、長男が母親に怒られる姿を、初代クッキーは日常的に見つめていた。

 「こいつの序列は私よりは低いに違いない」
 と、初代クッキーは思ったことだろう。

 だから、長男にかまってもらっているときも、初代クッキーは横柄な態度をとる。
 もちろん、長男はそれが気に食わない。
 兄弟げんかのような争いが、犬と人間の間で始まる。

 でも、図体の大きさで、犬は人間にかなわない。
 けっきょく、ねじ伏せられるのは犬の方だ。
 憤懣やるかたないクッキーは、長男に陰湿な復讐をくわだてる。

 ケンカの後、クッキーは長男の部屋に通じる階段をこっそり上がり、長男がドアを開けて足を踏み出すスペースに、狙いすましたかのようにオシッコをまき散らし、何食わぬ顔で下りて来る。

 オシッコを踏んだ長男は、
 「こらクッキー !」
 と怒鳴り散らし、またケンカが再燃する。

 しかし、二代目クッキーの時代が来ると、立場は一気に逆転した。
 そのとき、長男はもう立派な高校生であったから、すでに母親の支配下を脱し、ときに母親の方を説教(口ごたえ?)するくらいの立場を確立していた。
 
 そうなると、親ももう高圧的な態度をとれない。
 ときに子供の言動を尊重したりして、ご機嫌をとる。

 「きっと、この若い人がリーダーに違いない」
 と、二代目のクッキーは思ったことだろう。

▼ 家に来たばかりの二代目クッキー

 
 二代目クッキーは、初代に比べて不器用で、なかなか人間の文明生活に適応できなかった。
 だから、カミさんにもよく叱られた。
 そんなとき、犬をかばうのは長男の役目だったから、犬はますます長男を庇護者として慕うようになった。
 
 
 お別れの日、犬の最期の姿を見つめていた長男には、言葉がなかった。
 彼は、二代目クッキーが実際の兄を慕うように懐いていたことを知っていたから、その最期をみとれなかったことは痛恨事であったろう。

 クッキーの遺体は死後20時間以上経過していたが、この暑い季節にもかかわらず、腐敗はまったく進行せず、死後硬直もなかった。
 毛並みの艶もよく、保冷剤で囲んだお腹の部分もフワフワした弾力を保ったままだった。
 
 「お兄さまが戻ってくるまでは、なんとしてもきれいな身体を保ってやる」

 そういうクッキーの固い決意が、死んだ後も身体の隅々に行き渡っていたのかもしれない。
 
 

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もうペットは飼いたくない

 
 もうペットは飼いたくない。
 そういう思いに沈んで、いま6時間が経過している。
 
 前の犬が亡くなったあとも、そういう思いに駆られた。
 11年前のことだ。
 しかし、その犬が逝ってからしばらく経つと、ペットロスを解消するには、やはり新しいペットを飼うしかないと思うようになった。

 私たち夫婦は、前の犬を亡くした辛さを強引に拭い去るように、新しいペットに愛情を注いだ。

 しかし、新しい犬にも同じミニチュアダックスを選び、さらに名前まで、前の犬と同じ「クッキー」と名付けたのは、やはり亡くした犬の面影をずっと追い続けていたということでもあるのだろう。

 新しくわが家にやってきた “クッキー2世” が、自分の一生を幸せに感じていたのかどうか。
 残念ながら、そこのところは、実はよく分からない。
 前の「クッキー」があまりにも聡明であったため、それと比較された「新クッキー」は可哀想でもあった。

▼ 新クッキー

 前クッキーは、並外れた理解力に恵まれ、即座に排泄シートの使い方を身に付け、その限られたスペース内に正確に排尿・排便することをあっけなく覚えた。
 そして、水を飲みたいときは、犬用食器のはしを前足で軽く叩いて飼い主の方を振り返り、「水がないよ」という明確なメッセージを送ってきた。

 それに対し、新クッキーはなかなか排泄シートをうまく使いこなすことができず、自信なさげに床の上に糞尿をまき散らすだけで、皿の水がなくなっても、じっと飼い主の目を覗き込んで、人間が気づくまでひたすら耐えるという性格だった。

 「どんくさい」
 最初カミさんは、そうとうイラだったようだ。
 当初は厳しくしつけたと思う。

 頭脳の回転が早く、積極果敢な性格に生まれついた前クッキーに比べ、この新しいクッキーは、頭の構造が単純で、ただひたすら不器用に耐え忍ぶ性格だったのだ。

 一度こんなことがあった。
 私が床に寝たまま、まだ子犬だった新しいクッキーの名を呼んだことがあった。
 すると、喜び勇んでこちらに突進してきた。
 私の顔に近づいているのに、その加速が止まらない。

 「まさか、飛び込んでこないよな … 」 
 と思った瞬間、
 ドスッという鈍い音とともに、犬の体が私の顔にめり込んだ。
 その反動で本人が弾き飛ばされたくらいだから、私の顔もそうとうなダメージを受けた。
 それだけで、この新クッキーの不器用さというものがすぐに理解できた。

▼ 子犬の頃の新クッキー

 だが、臆病で不器用な犬というのは、逆に慎重さを身に付け、飼い主に無理難題をふっかけるということもしないようになる。

 自分の要求をかなえるために泣いたり、吠えたりしない。
 自分がしてほしいことがあっても、飼い主が気づくまで、ひたすら耐える。

 要するに、ただじっと飼い主の目を見つめるだけなのだが、その瞳のなかに、「水が欲しい」「お腹がすいた」「頭をなでてほしい」「抱いてほしい」「優しい言葉をかけてほしい」というあらゆるメッセージが込められていた。

 「アイコンタクト」というやつ。
 新クッキーは、前のクッキーのような華麗なボディランゲージは何一つ覚えなかったが、逆に、目のなかにすべての思いを託す英知を身に付けるようになっていた。


 
 「動物も、その表情に感情を込めることができる」
 そういうことに気づいたのは、新クッキーのおかげだ。
 物言わぬ犬は、その目にそうとう濃い感情を浮かび上がらせる。

 クッキーの前で、夫婦の会話が進む。
 「こいつの脳は、そら豆ぐらいの大きさしかないかもな」
 「そうね。だからなかなかおしっこシートを使うコツを覚えられなかったのよ」
 
 犬には言葉が分からないと思って、そういう “いじめ” に近い会話を夫婦で交わしているとき、クッキーの目は悲しそうだった。今にも涙が溢れそうに見えた。

 逆に、良い行動をほめようと思い、抱き上げて頭をなでると、「どうだ !」といわんばなりに、やや頭をうしろにのけ反らし、得意そうな目で、私たち夫婦の顔を交互に見つめた。

 「こいつ会話ができる」
 そう思ったことが何度もあった。 

 犬は、人間の3歳児程度の知能を持つとよく言われる。
 3歳といえば、人間の子供はすでに言葉をしゃべり始める。
 犬には発語機能がないから言葉は発しないけれど、でも、人間たちがしゃべっていることはしっかり耳に入れて、その内容を理解している。

 それは家族が1人増えたようなものだ。
 “沈黙のコミュニケーション” ではあるが、しっかり心を通い合わせる家族が増えたのだ。

 新クッキーが、気味の悪いセキをし始めたのは、1ヵ月ぐらい前だった。
 喉に何かがつかえたように、「ケッケッケ」というセキを繰り返す。
 最初は食べ物がつかえたのかと思った。

 しかし、セキはなかなか止まらない。
 食も少しずつ細り始める。

 近所の動物病院に連れていって、診察を仰いだ。

 「夏バテでしょう」
 と獣医はいう。
 猛暑が続く時期になると、人間と同じように夏バテを起こす犬もいるという。

 栄養剤の注射を打ってもらい、消化の良いドッグフードと心臓と肝臓に効くという薬をもらって帰る。

 が、セキは相変わらず止まらない。
 やがて、ドッグフードを完全に受け付けないようになった。
 これまで好きだったチーズやハムをドッグフードに混ぜても、さほど関心を示さないのだ。

 ようやく “ただ事ではない !” ということに気づく。
 以降、いかにエサを食べさせるかということで、犬との知恵比べ、根比べが始まった。
 当初、鶏のささ身を煮て、その鶏がらスープと一緒に口の中に注ぎ込んだ。
 だが、それも胃の中に流し込んだのは最初の2日だけで、それから後は、スプーンでささ身を口に近づけても、プイッとそっぽを向くようになった。

 栄養バランスなどを考えているヒマはなかった。
 脂肪過多でもかまわない。
 ケンタッキー・フライドチキンを買ってきて与え、牛肉を少し甘辛くして味づけて食べさせた。

 物珍しかったのか、そういう食事は最初の1日は受け付けたが、翌日はもう口にしようとしなかった。
 流動食に近いものならいいのか … と思い、茶わん蒸しやプリンを口の前に運んでも、さぁっと顔をそむけるだけだった。

 獣医からもらった薬は吐き出していたので、それをすり潰して水に溶かし、スポイトを使って強引に口のなかに注ぎ込んだ。
 胃の調子が悪そうだと分かっていたので、人間の飲む胃薬も同じ方法で飲ませた。

 それが効いたのかどうか。
 胃の奥から漂ってくるような口臭が消え、セキの回数も減ってきた。

 「これで食欲が回復すればいいだけ。夏をしのげば元気になりそうだな」
 と、私たち夫婦は、少しは明るい希望を持つようになった。

 前のクッキーの寿命は14年。
 今のクッキーの年齢は11歳。
 「だから、この子もあと3年は楽に生きそうだよ」
 と、私たちは自分たちに言い聞かせるように励まし合った。
 
 そんなクッキーが、今から7時間前に、突然逝った。
 
 「今日は朝からなんとなく変だった」
 とカミさんは振り返る。
 まず、体を横たえようとしなかったという
 それまでは、疲れたら前足を折って床に横たわっていたのに、まるで重力に逆らうように、前足を伸ばしてしっかりと体重を支え続けていたとも。

 「足を折って横たわってしまうと、もう二度と立ち上がれなくなると思ったのかもしれない」
 カミさんは涙ながらいう。

 そのクッキーの踏ん張っていた足が、やがて体重を支え切れず、少しずつ八の字型に開いていく。
 体がだんだん床に沈み込んでいく。

 それでも、クッキーはけなげに横たわろうとしない。
 たぶん、その “頑張っている” というメッセージを込めた姿勢のまま、私の帰りを待っていたのだろうと、カミさんはいう。

 この日私は久しぶりに高校のクラス会に出席していた。
 昼からオープンした会は、夕方の7時ごろに散会となった。
 家に戻ったのは、夜の8時。
 犬が息を引き取ったは、その1時間後だった。
 
 私の顔を見て安心したのか、クッキーは珍しくカミさんにすり寄り、「抱っこしてちょうだい」とばかりに、元気よく体を伸ばした。
 だが、それが最後の動作だった。
 犬を抱いたカミさんの目から、少しずつ涙がこぼれ始めた。

 「今までの息と違う」
 という。
 肺のあらゆる力を振り絞って、部屋の空気を激しく吸い取るような呼吸だった。

 その深呼吸が3回続いた後、目が宙を仰いだ。
 そしてそのまま首が、力なく垂れた。

 8月6日(日曜日)、21時10分。
 享年11歳。
 誕生日が7月30日だったから、10歳と1週間だった。

 明け方が近いが、眠ろうという気が起きない。

 …… もっと散歩に連れていってやればよかった。
 …… もっと一緒に風呂に入れてやればよかった。
 人間の死も同じだが、死者は常に残された者を後悔の底に沈ませる。

 今でもクッキーが床を這いまわる、カサカサという足音が聞こえそうな気がする。
 だから、水とエサを与えていたお皿は片づけることができないのだ。
 同じように、その皿の近くにある排泄シートもそのまま残してある。

 思えば、最後の1ヵ月、体はますます苦しくなっていたはずなのに、あれほどルーズだった排泄が、ウソのようにきれいに処理されるようになった。
 それまで、必ず排泄シートからはみ出していたオシッコなども、見事に排泄シートのど真ん中に定まるようになったのだ。
 だから、私たち夫婦は、最近のクッキーの行儀良さを認め、「名犬 ! 名犬 !」とほめあげることが増えた。 

 今から思うと、クッキーはすでに死期を悟り、飼い主に対する自分の思い出を美しく飾るめに、排泄行為をコントロールすることにものすごい努力を注いでいたのかもしれない。
 
 そう思うと、さらに悲しい。
 こういう悲しみがまた訪れるのなら、もうペットなど飼いたくない。
 
 
前クッキーの話
 ↓
「クッキー最後の旅」
 
 

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ジェームズ・ブラウン ~最高の魂を持つ男

 
 BSテレビのWOWOWシネマで、2014年に公開された『ジェームズ・ブラウン ~ 最高の魂(ソウル)を持つ男』という映画を観た。
 
 ジェームズ・ブラウン。
 60年代~70年代のソウル音楽シーンをけん引したスーパーミュージシャンだ。

▼ 映画の予告編

▼ 映画ではなく本物のジェームズ・ブラウン 「セックスマシーン」

 映画の原題は『Get on Up』。
 ジェームズ・ブラウンの最大のヒット曲「セックスマシーン」(↑)の中で連呼される掛け声だが、要は “勃起しろ !” と叫び続けているわけで、彼の音楽思想の原点をなすような言葉だ。
 しかし、ジェームズ・ブラウンも「セックスマシーン」も知らない観客にとっては意味のない掛け声なので、「最高の魂(ソウル)を持つ男」というごく健全な邦題に落ち着いたとみられる。

 ジェームズ・ブラウンがどういうサウンドを築いてきた人かというのは、上の動画が端的に語っていると思うが、聞いて分かる通り、これは “音楽” ではない。

 では何か?

 「リズム」である。
 彼の音楽の大半はワンコードで構成され、基本的にメロディーというものがない。
 延々と続くのは、果てしないリズム。

 だが、そのリズムは炎のリズムであり、それこそ魂を焦がすリズムであり、人を狂気と歓喜に導くリズムである。
 言い方を変えれば、「グルーブ」という言葉も使えるだろうし、「ファンク」といってもいいのかもしれない。

 こういうリズム …… すなわち、観客が立っていようが座っていようが、無意識のうちに腰が左右に浮き始める画期的なリズムを創出したという意味で、彼は天才なのだ。

 で、この『ジェームズ・ブラウン ~最高の魂を持つ男』という映画は、「彼がいったいどういう天才なのか?」ということをガムシャラに描こうとした作品ともいる。

 「天才」は、常人の生き方のコード(規則)に縛られない。
 のみならず、周囲にいる人間のコードを乱暴に破壊し、時にその心をへし折り、失意の底に突き落とす。
 
 この映画に登場するジェームス・ブラウンという男は、まさにそういう魔性の生き方を貫いた人間で、自分の欲望のおもむくままに、妻も恋人も取り換えひっかえ。親友の友情も平気で踏みにじるし、バンドメンバーにはやたら強圧的な態度で臨むためにバンドマンたちからは何度も愛想をつかされ、固定的なメンバーにも恵まれない。

 気持ちが激高してくると、彼の言動には見境がつかなくなる。
 ささいなことで一般市民を銃で脅し、警官隊とカーチェイスを繰り広げたすえに銃撃戦に及び、人気が最高潮に達した時代に刑務所暮らしも味わう。

 ま、“ヤクザ者” の典型ともいえるキャラクターの持ち主なのだが、そのつくり出すサウンドとダンスパフォーマンスだけは革命的に斬新なもので、その音と踊りに魅せられてしまうと、けっきょくどんな女たちも、興行師たちも、マネージャーも、バンドマンも、まさに魔神にひれ伏す盲目的な信者として拝跪してしまう。

 彼を動かすエネルギーは、どんな逆境においてもマグマのように噴きあがる揺らぎのない自信と自己中心的な上昇志向。
 その思想は、基本的に女性蔑視に通じる “男根主義的” なマッチョイズム。

 そのような “負” のエネルギーともいえる諸々の感情が、火薬庫が爆発するような強烈なリズムをつくり出すという一点に集約してしまうところに、彼の偉大さがある。

 映画のなかで、印象的なシーンがある。
 バンドマンたちとの練習風景を描写したシーンだ。

 練習曲は「コールド・スエット」。
 出だしが気に入らなかったのか、ジェームズが不機嫌な顔で、「やめ ! やめ !」と叫ぶ。
 「お前らは、俺の音楽をまだ理解していない」
 ジェームズが怒る。

 彼のバンドでは、ギター、ドラムス、キーボードなどのほかに数々のホーンセクションが参加しているのだが、ホーンを担当するミュージシャンたちにはそれなりにプライドがあって、いつもジェームスのサウンド構成に納得しているわけではない。
 
 この日も、過酷な練習が続いていることに嫌気がさしてきたサックス担当のメシオ・パーカーが、ジェームスの要求する音合わせに異論を差し挟む。
 「メンバーのなかに技量の劣っている者が混じっているために、音が不安定になる」とメシオは指摘する。
 のちにファンキーなサックス奏者として名をはせることになるメシオ・パーカーだけに、彼の意見にはそれなりに建設的な意図があったのだろう。

 だが、それがジェームズ・ブラウンにとっては生意気な態度に映る。
 つまり、ジェームズは、個々のメンバーの演奏レベルなどを問題にしてはいなかったのだ。
 そうではなく、楽器に対する思想を問題にしていたのだ。

 ジェームズは、おもむろにメシオに対して質問する。
 まず、ドラムスを指して、
 「この楽器は何だ?」
 メシオが答える。
 「ドラムス」

 「よし。では、この楽器は何だ?」
 と、次にギターを指して尋ねる。
 「ギター」
 とメシオが答える。

 「違う ! ドラムスだ」
 ようやくジェームスが声を荒げる。
 「では、この楽器は何だ?」
 次にジェームスが差したのはメシオのサックスだ。
 
 「サックス ……」
 という答に、ジェームスの怒りは頂点に達する。
 「違う ! これもドラムスだ」
 そういって、オルガンを指し、トランペットを指し、
 「これもドラムス、こちらもドラムス」
 と、ジェームスは形相すさまじく連呼するのだ。

 このシーンは、非常に分かりやすくジェームス・ブラウンのサウンド哲学を表現した場面だった。
 つまり、彼にとって、すべての楽器はドラムスに代表されるリズム楽器だったのだ。
 そこから、彼の「ファンク」も「グルーブ」も生まれてくる。

 不承不承ながら、メンバー全員がそれを意識して、再度「コールド・スエット」がスタートする。
 そこにはジェームズ・ブラウンの思想が乗り移ったサウンドが生まれている。
 観客はみなそこで鳥肌が立つのを感じるのだ。

 ジェームズ・ブラウンを演じるのはチャドウィック・ボーズマン。
 声も似ている。
 ダンスもうまい。

▼ チャドウィック・ボーズマンの演じるジェームズ・ブラウン

 しかし、本物のジェームズ・ブラウンに比べると、いくらか顔が “端正” である。
 あのネイティブ・アメリカンの血も混じっているといわれるジェームズの荒くれた顔に、チャドウィックはビジュアル的に届かない。

▼ 本物のジェームズ・ブラウン

 私は、ジェームズ・ブラウンのヒット曲をリアルタイムで追っていたし、ディスコでよく踊った。
 武道館で行われた東京公演も見に行っている。
 そういった意味で、ジェームズ・ブラウンの “本物の質感” といったようなものをずっと体感しながら生きてきた。
 だから、映画に出て来るチャドウィック・ボーズマンの顔には、最後までなじめなかった。

 でも、この映画は、ファンがどう思おうと、ジェームズ・ブラウンの “負のエネルギー” こそが彼の想像を絶するサウンドの源泉となっているという秘密を解き明かしたという意味で、それなりに真面目につくり込んだ映画であったと感じる。
  
  
▼ 『ジェームズ・ブラウン ~最高の魂を持つ男』 スペシャル映像 

 
 
音楽映画の感想

「ジミ 栄光への軌跡」 ジミ・ヘンドリックス
「モノクロのローリング・ストーン」 ザ・ローリング・ストーンズ
「映画『キャデラック・レコード』」 エタ・ジェイムス&レーナード・チェス
 
 

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アネックス バンコン新仕様 2017

 
 この7月1日(土)より、いよいよ東京ビックサイトにおいて、「東京キャンピングカーショー2017」が開催される。
 それに先立ち、関西の大手キャンピングカービルダーの「アネックス」さんより、当日出展される同社のバンコンの新仕様のデータが寄せられたので、皆様にもご紹介したい。
 
  
WIZのマイナーチェンジ

 新仕様モデルとして発表されるのは2種。
 ひとつは、“2人旅モデル” として2008年にデビューした「WIZ(ウィズ)」。
 基本設計の段階でほぼ完成形を示していた同モデルは、9年間にわたり、ほとんど仕様変更を加えられないまま多くのユーザーに愛されるロングセラー商品として認知されてきたが、そのWIZが今回ようやくマイナーチェンジを受けることになった。

 その理由は、この9年間の間にアネックスが蓄積してきた様々な新しい技術を投入するためであるという。
 したがって、仕様変更される個所は、この9年間に向上した同社の技術レベルを反映したものばかりで、基本レイアウトはほとんどそのまま踏襲される。

 具体的な仕様変更箇所は、下記の通り。

 ① 右吊り戸棚の形状変更 (開口部を拡大して頭をぶつけにくい形状に)
 ② 右吊り戸棚下面のLEDランプ変更(ラインテープ状のものを採用し、テーブル面を均一に照らすように) 
 ③ 流し台の収納引き出しの大型化(隙間を極限まで活用)
 ④ テーブルの跳ね上げ機能(ベッド下の収納力拡大および全面ベッド状態でもテーブル使用を可能にするため)
 ⑤ 後部リクライニングギア変更(自立可能なギアに変更し、上部のパイプが不要に)


 
 
なお車両価格は下記の通り(税込)

 2WDガソリン   5,132,000円
 2WDディーゼル 5,630,000円
 4WDディーゼル 5,933,000円
 (マイナーチェンジ前から据え置き)
  
  
リコルソとファミリーワゴンにFIORDシリーズ誕生

 もう1車種は、アネックスが現在進めている “北欧テイスト” 家具の追加仕様。
 同社は、これまで基本ラインナップに加え、北欧ムードの明るい開放的なテイストの家具シリーズ(「ロラン」等)を展開して好評を博してきたが、今回新たに「FIORD(フィヨルド)」が追加された。


 
 仕様変更にかかる費用は、プラス54,000円。
 適応車種は「リコルソ」と「ファミリーワゴン」となる。
 
 詳しくはこちらを (↓)
 http://www.annex-rv.co.jp/
 
 

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