読書という荒野

 
 見城徹(けんじょう・とおる)著『読書という荒野』。

 真夏の炎天下を思わせるような、熱い本だった。
 すべて直球勝負。
 それも、うなりとともに人の胸元をえぐってくる剛速球である。

 本を開くと、最初に「はじめに」という文章が出てくる。
 その章には次のようなタイトルが掲げられている。

 「読書とは、『何が書かれているか』ではなく、『自分がどう感じるか』だ」
 
 う~ん !
 あまりにもまっとうな正論に、ぐうの音も出ない。
 さらにページをめくっていくと、ページが発熱して燃え上がりそうな小見出しが次々と登場する。
 
 「世界の矛盾や不正や差別に怒れ」
 「正しいと思うことを言えなくなったら終わり」
 「自己嫌悪と自己否定が仕事への原動力となる」
 「絶望し切って死ぬために今を熱狂して生きろ」

 タイトルというより、アジテーションに近い。
 1960年代末期に、日本の各大学で学生運動が巻き起こった。デモ隊が集結した広場で、左翼革命を目指した活動家のリーダーが、みなこういう口調で演説していた。
 現にこの本には、「左翼に傾倒しなかった人はもろい」というタイトルを持った章もある。


 
 見城徹氏。
 幻冬舎社長。
 1950年生まれ。
 今年(2018年)で68歳。

 高校時代から学生運動に身を投じ、慶応大学に入学してからはさらにその活動に拍車がかかり、「革命によって世の中の矛盾や差別を正さなければならない」と本気で信じていたという。

 この見城氏と私は、まったく同年代である。
 私もまた、1950年生まれ。
 1960年代末期には、彼と同じように学生運動の周辺を逍遥していた。

 だから、似たような体験も重ね、似たような読書経験も持っている。
 しかし、この本を読み終わったとき、若い頃の話においては、私と見城氏が精神的に重なっているところはほとんどないと感じた。
 私は見城氏が胸に秘めた “燃える闘魂” とは無縁な青春を送っていたからだ。

 彼が世の中の差別に憤りを感じ、弱者に対して理不尽な圧力をかけてくる社会に闘争を挑もうとした頃、私はナンパに精を出して、ディスコに通い、マージャンにうつつを抜かしていた。
 ときどき学生運動のデモ隊に加わったが、政治集会が終わったあとは、敵対するはずのセクトの学生と一緒に酒を飲み、そいつらのアパートでギターを弾いてフォークソングを歌った。

 見城氏が、吉本隆明の詩篇(『転位のための十篇』)に触れ、その切ない思想の切れ味に涙していた頃、私は吉行淳之介の恋愛小説を読みあさり、ナンパするための女心の研究に余念がなかった。

 あの時代に読書体験を持ったインテリ学生が傾倒した高橋和巳の著作に対しても、見城氏は「夢中でのめり込んだ」と述懐するが、私は『憂鬱なる党派』一冊を読んだだけで胸焼けを起こした。

 もちろん、それ以外の読書体験としては重なっている部分も多い。
 この本で見城氏が触れているヘミングウェイ、夏目漱石、小田実、沢木耕太郎、吉本隆明、五木寛之、石原慎太郎、村上龍、村上春樹、山田詠美、宮本輝、北方健三、高村薫、三島由紀夫などという作家たちの著作は、(代表作だけかもしれないが)私もまた目を通している。

 ただ、どうしても微妙なズレを感じた。
 好きな作家として共通する名が挙がっても、そこで論評される個々の作品は必ずしも同じではないのだ。
 もちろん、私が深いところまで読み込めてないものが大半なのだが、それでも見城氏が個々に挙げた作品のなかには、「えっ? この作品のどこが素晴らしいの?」と首をかしげるようなものも混ざっている。

 全体的な読書傾向としていちばん感じたのは、歴史書、美術書のたぐいを見城氏がほとんど話題にしなかったことだ。
 私なら、塩野七生、司馬遼太郎といった2大エンターティナーがまず筆頭に挙がってくるところだが、見城氏はそのへんをスルーしてしまう。
 その2人は、氏にとっては、すでに大衆的評価の定まった “大御所” という位置づけなのだろう。つまりは、編集者としての食指が動かなかった人たちなのかもしれない。

 また、角川書店に勤めたこともあるというのに、片岡義男に対して冷淡なのも少し気になる。村上春樹を称えるならば、春樹と片岡義男の違いは何なのか? というところまで踏み込んでもよかったと思う。
 
 自慢ではないが、私は当時フィレンツェにいた塩野七生氏に手紙を書き、東京にこられたときにインタビューすることができた。
 また、片岡義男氏には電話で原稿を申し込み、当時私が携わってきた冊子に原稿をもらうことができた。
 だから、これらの著者たちには、私は今でも熱い思いを抱いている。 
 
 
 閑話休題。
 『読書という荒野』に戻る。

 見城氏の読書というのは、一言でいうと「格闘」である。
 「本」という名の “リング” に登り、著者と血のにじむような闘争を繰り広げる。
 著者に対する畏敬の念も、共感も、すべて格闘を通じて獲得される。

 それは確かに素晴らしいことだ。
 はっきりした対決姿勢で臨まないかぎり、ほんとうの意味で、著者への共感も生まれない。
 読書における「共感」とは、著者との “刺し違い” の別名でもあるからだ。

 しかし、著者と刺し違えるということは、(自分も成長して大きくなることも意味するが)基本的には、リングの上に自分と等身大の相手を見つけることにすぎない。
 
 もともと「理解する」ということは、対象を自分の “身の丈(たけ)” のサイズに縮めて手に入れることである。
 人間は、身の丈よりも大きなものは理解できない。
 だから、この本では、すさまじい格闘の末に、見城氏が著者の思想を理解するに至った顛末は述べられるけれど、見城氏の理解を超えたものに関しては、その気配すら描かれない。

 余談だが、若い頃に吉本隆明に染まった人は、往々にしてそういう傾向が強い。
 吉本隆明という思想家は、自分の理解できないものに対して真正面から闘争を挑み、誰の手助けも借りず、ついにはそれを乗り越えて新しい地平を切り開いていった人だが、それだけに、彼には “歯が立たない” ものへの畏敬の念が薄い。

 つまりは、「己を信じる気持ち」が普通の人の何倍も強いのだ。
 困難な状況を乗り越えてきたという自負が、自分を超える力の存在を過少評価してしまうのだろう。
 
 生意気な結論を一言だけいうならば、見城氏のこの読書論にも、自分の理解を超えるものへの “おののき(畏れ)” がない。
 

 それでも、この見城氏の著作からはいろいろなものが見えてきた。
 印象に残ったくだりは、村上龍と見城氏の交遊録。
 2人で、伊豆の川奈ホテルに投宿し、昼間の時間はテニスだけに費やし、夜はひたすら贅沢な食事を繰り返して、酒類を痛飲したという。

 そういう非生産的な行為の繰り返しに価値を置く見城氏のスタンスは、それなりにカッコいい。
 シャンパンの泡にも似た軽さと、贅沢さと、アンニュイと、メランコリー。
 そういう宿泊体験の蓄積が、村上龍の『テニスボーイの憂鬱』という小説に結実した。

 実は、この小説は村上龍の作品のなかでも、私がもっとも好きなものの一つである。
 一度だけ、西新宿の高層ホテルのスイートルームで村上龍に取材したことがあったが、彼がインタビューする私に興味を抱いてくれたのは、私が『テニスボーイの憂鬱』の感想を口にしてからであった。

 「ほんとうによく読んでくださってますね」
 村上龍は、ようやく眠気が吹っ飛んだという目で、私を見つめ直してくれた。

 
 最後に、なぜこの『読書という荒野』という本を買う気になったのかということを記す。
 ずばり、タイトルに惹かれたからだ。
 
 「荒野」という言葉は、無類に私の想像力を刺激する。
 この言葉には、ルーティン化した日常生活から脱し、身の危険すら覚悟して、いまだ足を踏み入れたことのない地平を目指せというメッセージが込められている。

 このタイトルだけで、もう販売部数の7割方は確保できたのではなかろうか。
 それだけ、イマジネイティブな書籍名だといっていい。

 見城氏は編集者だけあって、本のなかに使うキャッチ類(章タイトル)がとてもうまい。
 「極端になれ! ミドルは何も生み出さない」
 「旅に出て外部にさらされ、恋に堕ちて他者を知る」
 「死の瞬間にしか人生の答は出ない」

 文章のなかに隠れている次のような “啖呵” もカッコいい。
 
 「『夢』『希望』『理想』『情熱』などについて熱っぽく語る人間は嫌いだ。これほど安直な言葉はない。夢や希望を語るのは簡単だ。しかしそれを語り始めたら自分が薄っぺらになる」
 同感である。

 “旅” に関しては、こんな記述もある。

 「旅の本質は、『貨幣と言語が通用しない場所に行くこと』だ」

 つまり、貨幣と言語というのは、それまで生きてきた自分が無意識のうちに手に入れた、“使い慣れた武器” である。
 その武器が使えない場所にあえて身を置いてみろ、と彼はいう。

 もちろん、「貨幣」も「言語」も比喩である。
 要は、自分がもっとも使い慣れた “武器” を捨てなければならない場所に立て、といっているだけだ。
 具体的にサハラ砂漠やアマゾンの奥地を指しているわけではない。

 見城氏は、そういう場所に立つことを、自分を守ってくれる環境の『外部』に身をさらすことだと語る。
 その “外部” こそが、すなわち “荒野” である、と見城氏はいいたいのだろう。

 編集者というのは、けっきょく “アジテーター” なのだ。
 私もまた見城氏のアジテーションに魅せられた人間の1人である。
 
  

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オートキャンプ白書2018

  
 

 
 
 7月11日(水曜日)、一般社団法人日本オートキャンプ協会(JAC)が発行する「2018年版オートキャンプ白書」の発表会が行われた。

 それによると、ここ数年キャンプ場の集客効果を高めていた秋の大型連休だが、昨年(2017年)だけは天候に恵まれず、かなり客足が落ちたという。
 
 しかし、それにもかかわらず、年間を通したオートキャンプ参加人口は昨年よりもさらに10万人増えて840万人(1.2%増)にのぼり、5年連続で前年を上回った。

 その理由は、「ウィンター(冬)キャンプ」が伸びたことによる。
 これまで、冬は防寒に弱いテントキャンプには不向きな季節といわれていた。
 しかし、近年はテントそのものの質も向上し、さらに冬を快適に過ごすグッズ類も充実してきて、雪中キャンプを楽しめる環境が整ってきた。
 そのため、昔ほど「冬を苦手としないキャンパーが増えてきた」という。

 冬キャンプが盛んになってきた理由はほかにもある。
 それは、“インスタ映え” の追求。
 雪の中でテントキャンプを楽しむというのは、かなり “上級者っぽい” 。
 そういう難易度の高いキャンプを楽しんでいる画像をアップして多くの人に見てもらいたいという最近のユーザーの心境が反映されていると説く人もいる。

 キャンプ同行者にも変化が見られるようになった。
 これまでと同様、子供を中心にした家族が全体の中心を占める(62.9%)傾向に変わりはないが、目立ってきたのが「ソロ(単独)キャンプ」。
 率としては3,5%(昨年より1.5%増)と、まだ少数派にとどまっているが、これまでにない特徴が表れているという。

 それは「独り者オヤジ」たちのキャンプ遊び。
 従来ソロキャンプは、バイクで旅行する若者たちが中心であった。
 彼らがキャンプ場に泊まるのは、あくまでも旅のプロセスに過ぎず、宿泊代などを安く抑えるためのキャンプにすぎなかった。

 しかし、近年は、キャンプ場泊そのものを目的とする中高年のソロキャンパーが増えているという。
 その多くは、子育ても終わり、かつ奥さんとは別行動で気楽な独身生活を取り戻そうという “オヤジさん” たち。

 あるキャンプ場では、そういう “にわか独身” を楽しむ中高年が20人~80人集まって、大パーティーになることもあるという。

 そうはいっても、キャンプ人口の中心となるのは、やはりヤングファミリー。人口ボリュームの多い団塊世代ジュニアが中心となる。
 平均年齢は、42.1歳。
 子供連れの比率は、66.2%にのぼる。

 また、それよりもさらに若い世代のキャンパーも増えており、特にテレビアニメにもなった漫画の『ゆるキャン』(芳文社)の影響は絶大で、主人公の女子高校生たちがキャンプを遊んだ場所が “聖地” のように人気を呼んでいるともいう。

 2018年度版の白書で顕著になってきたことの一つに、訪日外国人キャンパーが増えたことが挙げられる。
 各キャンプ場に、「昨年から目立ってきた新しいキャンパーの特徴」を答えてもらったところ、「外国人キャンパーが増えた」と回答したキャンプ場は17.7%にものぼった。

 集計によると、昨年1年間に、一つのキャンプ場を訪れた外国人利用者は平均57.2人となり、この傾向はさらに強まっていくと予想される。
 そこには、シティホテルなどに泊まるより、キャンプ場の方が宿泊代が安いという彼らの合理的判断が働いているとのこと。

 それにともない、レンタルキャンピングカーを借りて、キャンプ場に泊まりながら、各地の観光スポットを回る訪日外国人観光客も増えているという。
 
▼ キャンプ場を訪れる外国人観光客(写真提供:佐久間亮介さん) 
 
  
 

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この世の果てから届く音

 
処女航海/リターン・トゥ・フォーエバー
 
 この世には、物理的にも理念的にも、人間がたどり着くことのできない領域というものがある。そこから先は、人間が足を踏み入れてはならないと思わせるような “場所” がある。

 そういう “場所” を、仮に「この世の果て」と呼ぶならば、音楽には、「この世の果てから届く音」というものがあるのだ。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』と、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、まさに人間には見通せない、“この世の果てから届く音” である。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』というアルバムがリリースされたのが、1965年。
 チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』が世に出たのは、それから7年後の1972年。

 その7年の間に、ジャズに使われる楽器は劇的に変化した。
 ピアノが生ピアノからエレキピアノに変わったように、ジャズ界においては、電気楽器が急速に普及するようになった。

 ハービーの『処女航海』は、いわば電気が導入される前のジャズの音を代表する屈指の名盤であり、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、「フュージョンの先駆け」といわれるアルバムにふさわしく、エレピの電気音を全面的に押し出したサウンドを特徴としている。

▼ 「処女航海」

▼ 「リターン・トゥ・フォーエバー」

 
 にもかかわらず、両者が伝えてくるものは似ている。
 まず、アルバムジャケットのデザインに、共通したものがうかがえる。

 「海」だ。
 
 海面を疾走するヨットをあしらった『処女航海』。
 海面すれすれに飛ぶカモメを捉えた『リターン・トゥ・フォーエバー』。
 両者とも、人智の及ばない大自然の深さを、「海」で象徴しようとしている。

 ジャケット・デザインの類似は、まさに音楽性の類似そのものを意味している。
 この2者はともに、人間がいまだ触れたことのない “未知の世界から届く音” を捉えたジャズなのだ。
 
 
処女航海

▼ Herbie Hancock 「Maiden Voyage(処女航海)」

 アルバムタイトル『処女航海』の冒頭を飾る曲「処女航海」。
 これは、まさに人間が未知の世界へ漕ぎ出ていくときの心象を表現した曲である。
 多くのリスナーが、この曲が始まった瞬間から、「船が大海に漕ぎ出していくときの高揚感」を感じるという。

 確かにこの曲は、そのイントロから、冒険にチャレンジする人間の心の高ぶりを伝えてくる。 
 だが、それと同時に、なんともいえない不安感、あるいは戸惑い感。そんな
ネガティブな気配も、このサウンドのなかには混じっている。

 ずばり、その “ためらい” の気配こそ、演奏たちが表現したかった “未知の世界から吹いてくる風” の気配なのだ。
 はじめて海に出る者たちを襲う、あの水平線の向こうに隠れている “見えない世界” へのおののきが、実はこの音楽のベースになっている。
 
▼ ハービー・ハンコック

 
 この「処女航海」のサウンドには、アーシーな匂いを強調したビ・バップやハードバップとは異なる “空気感” が生まれている。
 圧倒的なのは、その透明感だ。
 そして、詩情があり、抒情性がある。
 
 この透明感あふれる音は、いったいどこから来るのだろうか。
 この音には、
 「未知なるものは、人間を畏怖させる」
 という、きわめて心理学的な心情が投影されている。
  
 「畏怖」とは、“おそれ” でもあるが、人間をピュアのものに目覚めさせる契機ともなる。

 「未知なるもの」は、もちろん不安もかき立てる。
 しかし、同時に、知らない世界へのときめきも醸成する。
 「不安」と「ときめき」が同時に生じたとき、人間ははじめて “透明度の高い精神” を手に入れることができる。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』がリスナーに伝えようとしているのは、そのような「未知なるものの気配」である。
 リスナーはそれを受け止めるからこそ、この演奏に「透明感あふれる抒情性」を見出すのだ。
 
  
リターン・トゥ・フォーエバー/クリスタル・サイレンス

 同じようなことが、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』にもいえる。
 特に、そのアルバムのうちの「クリスタル・サイレンス」という曲は、ハービー・ハンコックが『処女航海』で伝えようとした「未知なるものの気配」を、さらに手触りとして感じられるほど身近に引き寄せたサウンドになった。

▼ チック・コリア

 
▼ Chick Corea – Crystal Silence

 冒頭から、圧倒的な静寂の気配が立ち込めてくる。
 すべてのものが、みるみるうちに凍り付いていくような静寂。
 この静けさには、「死の気配」が漂っている。
 曲名の「クリスタル・サイレンス」とは、まさにそのことを指している。

 このタイトルは、まぎれもなく、本来可視化できない「死」が、身近に忍び寄ってきた気配を伝えようとしている。
 そういった意味で、これは、J・G・バラードが書いたSF小説『結晶世界』(1966年)をそのまま音楽化したものといえないこともない。

 J・G・バラードの『結晶世界』は、アフリカの密林で結晶化した不思議な死体が見つかったという導入部から始まり、それが全宇宙が結晶化していくという恐ろしい現象の前触れだったという壮大なファンタジーを、美しい文体で描いた小説だ。

▼ 『結晶世界』 アメリカ版表紙

 「宇宙の結晶化」が始まると、この世のすべてのものは動きを停止し、永遠の沈黙のなかに横たわる。
 チック・コリアがエレキピアノで描き出す「クリスタル・サイレンス」は、そういう情景を濃厚にイメージさせる。

 だが、この曲は、けっして不吉な音ではない。
 逆に、言葉に尽くせないほど美しい。
 それは、「時の止まった世界」から生まれてくる美しさだ。
 そこには、どんな宗教も哲学もけっして解明することのできない「死」というものの超越性が「音」に託されている。

 すべての宗教と哲学は、これまでずっと「死」を語ろうとしてきた。
 しかし、それはみな “解釈” に過ぎず、“解明” ではない。
  
 「死」は語れない。
 だからこそ、沈黙を強いる。
 「クリスタル・サイレンス」とは、その沈黙を意味する。
  
  
 それにしても、アルバム・タイトルの『リターン・トゥ・フォーエバー』とは、よくも付けたり。
 漢語に訳せば、「永劫回帰」。
 哲学者ニーチェの根源的思想を表現する言葉だ。

 もし、チック・コリアが、アルバムタイトル(そして自分の率いるバンドのグループ名でもある)『リターン・トゥ・フォーエバー』をニーチェの思想から取ったのだとしたら、そこには「宇宙の死が、やがて生を呼び戻し、また死に至る」という壮大な円環構造になっていることを伝える東洋哲学の教えを暗示していることになる。

 ニーチェの思想は、「脱・キリスト教」を掲げるものであった。
 そうだとすれば、ニーチェも、そしてチック・コリアも、(さらにハービー・ハンコックも)、西洋人にとっては伝統的な思考の枠組みとなるキリスト教を超えて、さらなる未知の世界を見ようとしていたのかもしれない。


   
  
参考記事 「1960年代の前衛ジャズ」
 
参考記事 「ジャズはいつだって大人の音楽」
 
参考記事 「ジャズを聴きながら」
 
参考記事 「好きな音楽ベスト20」
 
 

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1960年代の前衛ジャズ

 
ジョン・コルトレーンの
『スピリチュアル』について

▼ ジョン・コルトレーン

 「ジャズ」という言葉から、多くの人は何を連想するのだろうか。
 この言葉から、即座に「マイルス・デイビス」とか、「ジョン・コルトレーン」などという固有名詞を思い浮かべる人は、それなりに “ジャズファン” といってよさそうだ。

 でも、私が昔通っていた居酒屋のオバサンは、「プレスリー」も「ビートルズ」もみな「ジャズ」といっていた。
 戦後間もない時代、進駐軍といっしょに入ってきたアメリカ音楽をすべて「ジャズ」と呼んでいた時期があったから、高齢シニア世代のなかには、今でも洋楽全般を「ジャズ」と呼ぶ人たちがいるのは事実だ。

 ただ、今の若い人たちがイメージする「ジャズ」は、夜景のきれいなバーラウンジなどにかかるBGMというような印象ではなかろうか。

 なにしろ、ジャズは音としての抽象度が高いから、特に耳障りの悪いものでないかぎり、店舗のBGMとして流れていても、ほとんどのお客が気楽に聞き流すことができる。
 それでいて、この手の音楽は店内を大人っぽい雰囲気に包む。
 だから、最近はお洒落な和風割烹やお蕎麦屋さんなんかでも流していることがある。
 
 
 今では、そういうBGM的な使われ方が多い「ジャズ」ではあるが、かつてはポピュラー音楽のなかで、もっとも先鋭的で、革新的な音楽と目されていた時代があった。
 1960年代である。
 この時期、ジャズを聴く人間は、一種の知的エリートだった。

 小説家の中上健次(写真上)が、新宿のジャズ喫茶に入り浸りながら、小説家を目指すための思索を練っていたように、60年代は、ジャズが「文学」や「アート」、「思想」や「哲学」などといちばん強く結びついた時代だった。

▼ 中上健次のジャズエッセイ集。
有名な「破壊せよ、とアイラーは言った」(1979年)も収録されている


 
 
 村上春樹も、60年代の後半にジャズ喫茶に入り浸った口で、70年代に入ると、自分でジャズ喫茶(「ピーターキャット」)を経営している。

 この時代、ストーリー展開にジャズが絡んでくる小説も多かった。
 その先駆けとなったのは、石原慎太郎の『ファンキー・ジャンプ』(1959年)だった。
 これは、薬物依存症のジャズピアニストを主人公にした小説で、文体そのものがジャズのテンポとリズムを再現するという実験的なものだった。

 五木寛之は、ジャズ好きの少年を題材にした『さらばモスクワ愚連隊』(1967年)で小説家デビューを果たし、『青年は荒野をめざす』でもジャズをテーマにした。

▼ 『さらばモスクワ愚連隊』の朗読CD

 
 
 私が、はじめてジャズ喫茶に足を運び入れたのは、高校生のとき(1967年頃)だった。
 学生服を着たまま、吉祥寺の本町の「Funky (ファンキー)」に通った。
 「Funky」は、今でこそ、「バー&キッチン」を謳うレストランだが、60年代はバリバリの本格的ジャズ喫茶だった。

▼ 当時の「Funky」のマッチ

 
 その頃の店は今の「パルコ」の敷地内にあって、店の前には「スカラ座」という映画館があった。
 その辺りはかなり広域にわたって再開発が進んだので、今はもう当時の面影を探すことはできない。
 
▼ 「Funky」のオリジナルコーヒーカップ。
こういう一本足デザインのカップはほかの店で見ることはなかった

 余談だが、この当時の「Funky」は、桐野夏生・作『抱く女』のなかでは「COOL」というジャズ喫茶名で登場。作品のなかで当時の店内の状況がレポートされている。
 
▼ 桐野夏生 『抱く女』

 私が「Funky」に入り浸るようになったのは、高校の先輩たちの影響が強い。
 当時私は、新聞部と演劇部に所属していたが、どちらの先輩たちもみなジャズを聴いていた。
 ジャズ専門誌である『スイングジャーナル』を小脇に抱えて部室に入ってきた先輩たちが、その雑誌が主宰するディスク大賞で、『ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン』が第一回目の金賞を受賞したということを話題にしていたことを記憶している。

▼ オーネット・コールマン 『ゴールデン・サークル』

 オーネット・コールマンもスイングジャーナルもよく知らなかったが、そういう知識がないと、新聞部においても演劇部においても、ジャズどころか “音楽” そのものを語れないような風潮があった。

 そこで、私は密かにジャズ喫茶に “勉強” に行くことにした。
 「Funky」に入り、コーヒーを注文するタイミングで、ウェイターにリクエストを頼み込んだ。
 先輩たちが話題にしていたオーネット・コールマンという人の『ゴールデン・サークル』というアルバムを聞いてみようと思ったのだ。 

 う~ん ……。
 しばらく言葉が出なかった。

 私の知っていたジャズというのは、たとえばデイブ・ブルーベック・カルテットの『テイクファイブ』であったり、アストラット・ジルベルトの『イパネマの娘』のようなものだったから、こういう人の意表を突くようなメロディを持つ前衛的なものを “心地よい” と思う感覚が育っていなかった。

 しかし、『スイングジャーナル』というのは、当時のジャズ批評の最高の権威だった。
 “権威” が間違った評価を下すはずはない。
 こういう音を美しいと感じるためには、自分の感性を鍛え直さないといけないと思った。

▼ 「スイングジャーナル」

 しばらく、一人だけの修業が続いた。
 この時期は、ちょうど前衛的なジャズの最盛期だったから、オーネット・コールマンのようなフリージャズ運動の推進者はヒーローだった。
 間違っても、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバや、リー・モーガンの「サイドワインダー」や、キャノンボール・アダレイの「マーシー・マーシー・マーシー」のような軟派系ジャズは、「Funky」ではほとんどかからなかった。

 なにしろ、ポール・ニザンの『アデン・アラビア』とか、羽仁五郎の『都市の論理』、吉本隆明の『共同幻想論』などという本を読んでいるお客さんがいたりする店である。そういう客は、デイブ・ブルーベックの「テイクファイブ」などが流れて出すと、本から顔を上げ、「あ~あん?」と眉をしかめ、「リクエストしたやつは誰だ?」と蛇のように鎌首をもたげて周囲を見回したりする。
 だから、うかつなリクエストなど出せないのだ。

 硬派の客たちのリクエストで人気が高かったのは、やはりジョン・コルトレーンのアルバムだった。
 レーベルでいうとインパルス時代のものが多く、『至上の愛』、『クル・セ・ママ』、『アフリカ』などという作品がよくかかった。
 どれも、薄暗い熱帯ジャングルで、ターザンが道に迷っているような音だと思った。

▼ 「アフリカ」

 最初は修行のつもりで、目を閉じ、じっと耳を澄ませていたが、やがてこの手の音に、自分の身体が徐々に反応し始めた。
 身体の血管が膨張を開始し、大量の血液が体内を駆け回り始めたような感覚といえばいいのだろうか。コルトレーンのサックスには、リスナーの心臓の鼓動を “アンプ” をつないで増殖させるような作用があったのだ。

▼ ジョン・コルトレーン 「スピリチュアル」

 なかでも、1961年に、ニューヨークのヴィレッジ・バンガードで行われたライブを音源とする『Live At The Village Vanguard』は、すごく好きになった。
 そのアルバムのなかでも、特に「Spiritual (スピリチュアル)」には魅せられた。
 
 最初、何やらものものしいイントロが流れる。
 前衛劇などを上演する芝居小屋で、幕が上がる前のような緊張感がここで生まれる。

 そのイントロ部分を1分ぐらいコルトレーンが吹いた後、おもむろにリズム隊が演奏に参加してくる。
 この入り方のタイミングが絶妙だ。

 流れるリズムの基本は3拍子。いわゆる “ワルツ乗り” だが、複雑なシンコペーションが入ってくるため、得も言われぬ浮遊感が漂ってくる。
 そのため、前衛ジャズ的な刺激のなかに、ダルでレイジーなアンニュイが生まれ、それが心地よい催眠効果を誘い出す。 
 
 そういう呪術的なリズムの中を、たゆたうように虚空をたなびいていくコルトレーンのサックスは、まさに “神の吐き出した空気” そのもので、「スピリチュアル(心霊的)」というタイトルの意味も十分に伝わってくる。
 
 こういう精神性の強いジャズは、やはり “頭で聞く” 音楽なのだ。
 ロックンロールやR&Bのように、“頭が理解する前に腰が揺れる” という音楽ではない。

▼ ヴィレッジ・バンガードのコルトレーン

 コルトレーンの「Spiritual (スピリチュアル)」のような曲が心地よい、と感じるためには、ある程度知的な訓練を通じて、脳内に受容体を作らねばならない。

 ディスコに行けば自然と足がステップを踏み出すかもしれないが、この時代のジャズを味わうためには、少なくともジャズの基礎知識を記した書籍の1冊ぐらいは読む必要がある。
 私は、相倉久人氏の著書『モダン・ジャズ鑑賞』(1963年)を読んで、60年代の広範なジャズシーンの状況を概括することができた。
 もちろん、それによって、コルトレーンという音楽家の概要をつかむこともできた。

▼ 相倉久人 『モダン・ジャズ鑑賞』

 
 コルトレーンは人生の後半戦において、西洋音楽の規範から抜け出し、広く、アジア、アフリカ、アラブ、ポリネシアなどのリズムを吸収する形で、人類が積み重ねてきた音楽文化の頂点を極めることに力を注いだ。
 そのために、数多くの古典哲学や宗教書にも目を通したと伝えられている。
 
 彼のそのような努力を評価する知的好奇心を持たないと、こういう音楽に体ごと反応することは難しい。

 つまりは、リスナーの想像力が試される。 
 「脱・アメリカ/脱・文明」を志向して都会の谷間に潜航したコルトレーンの音から、砂漠を吹き抜ける風の気配や、鼻孔を襲うジャングルの木の葉の匂いを想像する。
 そうやって、聴覚や視覚、嗅覚まで総動員するような受容体を作り上げないと、コルトレーンの音は身体の中に入ってこない。

▼ ジョン・コルトレーン

 彼の「スピリチャル」や、「クル・セ・ママ」、「アフリカ」などを受け入れる受容体ができあがってくるにしたがって、私は小説家の中上健次あたりが追いかけていた “ジャズの精神” がようやく理解できるようになってきた。
 こういう音楽こそが、創作活動の刺激になる。
 …… そう確信した。

 ディスコで聞くR&Bとか、コンサートで聞くフォークソングなどが “消費の音楽” だとしたら、コルトレーンやオーネット・コールマン、アルバート・アイラ―、マイルス・デイビスのジャズは、“生産の音楽” といえる。
 そのような音楽を糧として、リスナーが自分自身の創作活動に邁進していくための素材なのだ。

 1960年代。
 世界の各地で、その国の政権に対する若者の反乱が起こった。

▼ 60年代のフランスの反戦運動

 そういう反乱の流れが加速するなかで、規制の秩序を壊すという名目のもとに、新しい芸術運動が生まれ、新しい文化が台頭した。
 当然、破壊の後に不毛の荒野が広がったこともあったし、豊饒な土地が現れたこともあった。 
 
 前衛ジャズは、まさに、そういう「1960年代」の空気の中から生まれてきたものだし、またそういう時代でなければ、存在できなかった。

▼ 中上健次 著 「破壊せよ、とアイラ―は言った」

 オーネット・コールマン
 ジョン・コルトレーン
 マイルス・デイビス
 アルバート・アイラ―
 エリック・ドルフィー
 ファラオ・サンダース ……

 この時代、新しいジャズを創造したミュージシャンたちは、その生み出した作品同様、個人名がさんぜんと輝いている。
 ジャズをあまり聞いたことがない人でも、その時代を生きた人ならば、それらの固有名詞をどこかで耳にしたという経験を持っている。

 制作者の名がとどろくということは、まさに彼らがアーティスト(芸術家)だったからだ。

 「アーチスト」は、庶民が「アート」を求めるような時代でなければ生きられない。
 1960年代は、庶民の多くが「アート」を求めた熱い時代だった。
 いま、高級バーラウンジや、高級割烹料亭でBGMとして使われている “心地よいジャズ” の制作者を、いったいどれくらいのリスナーが認知できるだろうか。 

 私は、ジャズメンたちがレジェンドになれた1960年代という時代を、彼らとともに過ごすことができたことを幸せに思っている。
 
 
参考記事 「ジャズはいつだって大人の音楽」

参考記事 「ジャズを聴きながら」
 
参考記事 「吉祥寺の昔の音楽喫茶」

参考記事 「吉祥寺ビーバップ」

参考記事 「『抱く女』に描かれた70年代の吉祥寺」

参考記事 「好きな音楽ベスト20」
  
 

カテゴリー: 音楽 | 6件のコメント

ジャズはいつだって大人の音楽

 
 昔から、ジャズを聞いていると、いつも「大人の音」というイメージを持つことが多かった。
 その気分を伝えるためのうまい言葉がなかなか見つからない。
 強いていえば、大人の切なさ、大人の粋さ、大人のカッコよさ、大人のずるさといったものが、モヤモヤと浮かんでくるという感じだ。
 

 
 なぜ、そんなふうに感じるのか。
 最近ごく単純なことに気がついた。
 昔、そういう音を聞いていた私が、単にガキだったからだ。
 ガキの頃に聞いた大人の音楽が、「大人の匂い」を持っていたのは、考えてみれば当たり前のことである。


 
 
テイクファイブ

 そんな “大人の音” を最初に教えてくれたのが、ラジオから流れてきたデイブ・ブルーベック・カルテットの「Take Five (テイクファイブ)」だった。
 それを聞いたときは、まだ中学生。
 ラジオを通じて、全米トップ40に浮上してくるようなポップスをずっとフォローしていたけれど、「テイクファイブ」は聞いたこともなかったサウンドだったから、とても印象に残った。

 「テイクファイブ」を含むアルバム『タイムアウト』が録音されたのは1959年。その中から取り出された「テイクファイブ」は、1960年代全般を通じてポピュラー音楽界の人気曲として君臨し、ジャズなど聞いたこともない人ですら、「このメロディーなら知ってる」とうなづかせるほどの大ヒット曲となった。

 このレコードを買ったのは、中学3年のときだった。
 LPを買うほどの小遣いはなかった。
 けっきょく、シングル盤しか買えなかったが、それでも大好きだったビートルズのレコードを買うのを我慢して、こちらを優先した。

 それは、まさに “大人の音” だったからだ。
 特に、ポール・デスモンドの吹くアルトサックスの音色が、未熟な熱情に左右されない大人のクールさを表現しているようで、なんともカッコよく聞こえた。

 こういうクールさをたたえた音色というのは、当然ビートルズにはなく、それ以前に親しんでいたスイートなアメリカンポップスにもないものだった。

 コニー・フランシス、ポール・アンカ、パットブーンといったアメリカンポップスが、一口含んだだけで口いっぱいに甘みが広がるオレンジジュースなら、ビートルズは炭酸の刺激が強いコカ・コーラ。
 そして、ポール・デスモンドのサックスは、アルコール飲料。大人だけが座ることを許されたバーカウンターの上にそっと置かれた、氷入りのカクテルのように感じられた。

 後に、少しジャズに関する能書きをかじっていたら、こういうクールな音色は、ウエストコーストジャズの特徴だ、という言説を読んだことがある。「ニューヨークを中心に発展したイーストコーストの黒人ジャズに対し、ウエストコーストは白人のミュージシャンが多かったからだ」という話なのだが、(それも一理あるのだろうけれど、)ポール・デスモンドの音のクールさは、けっきょく彼独特の個性だという気もする。
  

死刑台のエレベーター
 
 この「テイクファイブ」以上に、「大人」を感じたジャズはマイルス・デイビスが手掛けた映画音楽『死刑台のエレベーター』(1958年)のテーマだった。

 フランスのルイ・マル監督が、25歳のときにつくったというサスペンス映画で、その映画で使われる大半の曲を、マイルスがラッシュを見ながら即興でつくったという伝説がある。

▼ 「死刑台のエレベーター」 メインテーマ

 不倫と、裏切りと、殺人を扱った絵に描いたような大人の犯罪映画だったが、マイルス・デイビスは、その映画のコンセプトをさらに4~5倍くらい増幅させたような「大人の頽廃」と、「大人のアンニュイ」と、「大人の哀愁」を盛り込んだ。

 そのサウンドから伝わってくるのは、人間の心の奥に潜む「無慈悲な冷酷さ」。運に見放された人間を襲う「孤独と寂寥」。そして、ネオン輝く街の底に沈む「夜の深さ」。
 中学生の頃に、この曲をラジオで聞いて、大人というものの怖さと美しさを同時に知った気になった。

 1950年代というのは、フランスで、ジャズと映画が結びついた時代でもあった。
 フランスの映画界に「ヌーベルバーグ」という運動が起こり、そこに参加した若い映画監督たちが、アメリカのモダン・ジャズをサウンドトラックに使うようになったのである。

 前述した『死刑台のエレベーター』(ルイ・マル 1958年)などはその筆頭だが、そのほかに、『大運河』(ロジェ・バディム 1957年)、『危険な関係』(ロジェ・バディム 1959年)、『殺られる』(エドゥアール・モリナロ 1959年)などといったジャズを使った映画が、この時代に集中した。

 もちろん、こういった一連の映画を、私はリアルタイムで見たわけではない。
 なにしろ、『死刑台のエレベーター』が公開された1958年は、私はまだ8歳だったから、そんな映画が封切られたことなど知るよしもない。

 すべてを知ったのは、高校生になって、『サントラにジャズを使った映画音楽集』というオムニバスレコードを買ってからだった。
 

危険な関係
 
 そのアルバムのなかに、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズがサントラを担当した『危険な関係のブルース』があった。ロジェ・バディム監督の『危険な関係』(1959年)のテーマソングである。
 この音楽がめちゃめちゃにカッコよかった。
 
 

 ライナーノーツによると、映画の原作は、18世紀の作家ラクロによって書かれた貴族社会のモラルの崩壊を描いた官能小説だという。映画はそれを20世紀のパリに設定し直し、上流階級の退廃的な恋愛劇に置き換えたとも。

 それを読み、曲を聞いただけで、どのような映画なのか、私はすぐに推測できた。
 アート・ブレイキーの演奏が何よりも雄弁に、映画のかもし出す空気のようなものを暗示していたからだ。
 
 まず、のっけから飛び出すリー・モーガンのトランペットが、この曲のすべてを語っていた。
 行進曲のように威勢よく。
 パーティーのクライマックスのように華やかで。
 人々の貪欲な欲望を解き放つように、ふしだらで。
 
 もし、パーティー会場でこんな曲が流れ始めたら、男も女も自分のお目当ての相手を血眼になって探し始め、お互いに、発情した獣同士のように相手を口説き始めるだろう。

 そんな情景を想像させるような曲だ。
 この演奏から、私は「大人の快楽」と「大人のふしだら」を嗅ぎ取った。
 それは私にとって、嫌悪すべきものではまったくなく、甘い誘惑に満ちたものだった。
 
 
 ここに書いた「大人の匂い」などという話は、60歳代も半ばを超えた私のようなジジイが書くこと自体、恥ずかしい話かもしれない。

 だが、ジャズを聴くと、いまだに若い頃の感覚がよみがえる。
 それは、ロックやR&Bを聞いたときには感じられないものだ。
 おそらく、
 「お前はいまだに本当の “大人” になりきっていないのだから、もっと精進しろ」
 という、もう一人の私が叱る声なのだろうと思っている。
 
 
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好きな音楽ベスト20 (洋楽編)

 
 以前このブログで、自分が好きな「映画」や「本」をセレクトして、寸評を付けたことがあった。

※ (好きな映画ベスト20 2017年11月27日)
※ (気になった本120選 2017年12月 9日)

 今回は、「好きな音楽ベスト20」というのをやってみたい。
 洋楽と邦楽に分けて作ってみたが、全体のボリュームが大きくなりすぎたので、今回は洋楽部門だけを掲載する。

 こういう企画は、立案者の年齢が大きく作用する。
 特に音楽というのは、若い頃に聞いた「音」が一生の好みを左右する傾向が強く、年寄りが選ぶと、昔の音楽ばかりになる。
 今年68歳を迎えた私の場合、やっぱり10代から20代ぐらいに聞いた1960年代~70年代の曲が多くなってしまった。若い読者にはなじみのない曲ばかりだと思うが、ご容赦いただきたい。

 選曲に関しては、ここに紹介するもの以上に好きな曲もいっぱいあるのだが、ブログでレビューを書いたものだけに限定した。
 レビューを書いてみたいという衝動を感じた音楽というのは、単なる「好き・嫌い」を超えて、その曲からなにがしかの “世界観” を感受したということである。また、きわめて個人的な思い出と絡んでいる場合もある。つまり、自分の人生観を語れる材料を手に入れたということを意味する。

 したがって、以下にとりあげた音楽というのは、私という人間の生きてきた軌跡の断片のようなものである。
 
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洋楽編 ベスト20 &番外

① マーヴィン・ゲイ 「What’s Going On (愛のゆくえ)」
1971年

【寸評】 自分の音楽の好みを決定づけた衝撃の曲。1971年、21歳のときにこの曲に出会わなかったら、生涯音楽に対して淡白な人生を送っていたかもしれない。しかし、自宅の机の前に座り、夜明けの冷気とともに、FEN(米軍向けラジオ)から流れてきた「What’s Going On (ホワッツ・ゴーイング・オン)」を聞いた瞬間から、音楽といえばSOUL系のものにしか意識が向かなくなった。そして、そういう音が流れるスポットを探し、米軍基地周辺の黒人バーなどに入り浸るようになった。音楽を聞くだけでなく、「音楽を語ろう」と考え始めたのも、この曲からである。
http://campingcar.shumilog.com/2012/02/09/%e3%83%9b%e3%83%af%e3%83%83%e3%83%84%e3%83%bb%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%82%aa%e3%83%b3/
    
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② ブラームス 「弦楽6重奏1番」 他
1860年

【寸評】 音楽を語るとき、自分に欠けているものがクラシック音楽に対する知識と教養である。そのためクラシックの演奏を聞いて、その世界観にたどり着くには、どうしても映画やドラマといった他のメディアの助けを必要とした。マーラーの交響曲5番「アダージェット」の良さを理解できたのも、それがテーマ曲として使われた『ベニスに死す』(監督ルキノ・ヴィスコンティ)という映画を観たことによってだった。このブラームスの「弦楽6重奏1番第2楽章」も映画で知った。男女の濃厚な情愛を描いた映画に使われると、この曲は映像以上に悩ましい情感をかき立てる。甘美でエモーショナルで頽廃的。性的描写など一つもなくても、これほどエロティックな情念を催させる音楽というものを他に知らない。
http://campingcar.shumilog.com/2014/12/21/%e5%bc%a6%e6%a5%bd%e5%99%a8%e3%81%ae%e7%bd%aa%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%82%8a%e3%81%aa%e7%be%8e%e3%81%97%e3%81%95/
 
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③ ウィリアム・アッカーマン 「PacificⅡ」他ウィンダム・ヒル系音楽
1980年頃

【寸評】 ウィンダム・ヒルというレーベルは1980年代に、ジャズでもなければクラシックでもないという不思議な音を作り始めた。こういうサウンドのジャンル分けに困ったレコード販売店は、当初これを「環境音楽」などというコーナーに置いた。しかし、このウィンダム・ヒル系の音こそが、1980年代という新しい時代の感受性をいちはやく表現していた。まるで抽象画を見るかのような、ひんやりとした心地よい静けさ。この感覚こそが、先進国の産業基盤が、熱くて騒がしい工業社会から静かでクールなポスト工業社会へと移行していく時代を象徴していた。
http://campingcar.shumilog.com/2013/12/07/%e9%9f%b3%e3%81%ae%e6%8a%bd%e8%b1%a1%e7%94%bb-%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e3%83%bb%e3%83%92%e3%83%ab/
 
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④ ザ・ビートルズ 「You can’t do that」
1964年

【寸評】 ブルースコードを使って黒人ブルースのエモーションを再現しながら、白人ロックのテンションを盛り込んだジョン・レノンの初期の代表曲。キャッチ-なミディアムテンポに乗って、ジョン・レノンがライブハウスの壁を揺るがすような咆哮をまき散らす。タメの効いたリズムギター。グイグイとドライブしていくベース。小気味よく決まるカウベル。聞いていると、気づかないうちに腰が小刻みに揺れてくる。
http://campingcar.shumilog.com/2008/07/13/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%ac%e3%83%8e%e3%83%b3%e7%af%80/
  
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⑤ ジェームズ・ブラウン 「Sexmachine(セックスマシーン)」
1970年

【寸評】 スリリングなイントロから、一気に怒涛のリズムが炸裂するダンス音楽の最高傑作。ストイックなリズムの繰り返しと、シンプルなアジテーションは、どんな音楽よりも強烈に、人をある種の狂気へ導いていく。身体の中に、金属のくさびを打ち込んでくるようなギターカッティング。大地の底を巨大な恐竜が這って行くようなベースラニング。天地をゆるがす雷鳴のように、鋭いリズムを刻み続けるホーンセクション。すべてが、人間の脳天を揺さぶりたてるリズムの嵐となって、聞く者を忘我の境地に誘い込む。
http://campingcar.shumilog.com/2014/12/26/%e3%82%b8%e3%82%a7%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%ba%e3%83%bb%e3%83%96%e3%83%a9%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%80%80%e3%82%bb%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b7%e3%83%bc%e3%83%b3/
  
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⑥ ニール・ヤング 「Old Man (オールド・マン)」
1972年

【寸評】 ニール・ヤングは70歳を超えても、若いときと変わらず社会に向けてアグレッシブなメッセージを送り続ける “永遠の青年” である。しかし、多くのファンに愛されているニール・ヤングのアルバムとなると、1970年の『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』と、1972年の『ハーベスト』の2枚に尽きるのではなかろうか。なかでも『ハーベスト』に収録された「オールド・マン」は、人生の黄昏を見つめる人間の心情を物憂く切ないメロディーに乗せて歌った珠玉の名曲。土の匂いが立ち込めるサウンドからは、「田園の憂鬱」(佐藤春夫の小説名)という言葉が浮かんでくる。余談だが、ニール・ヤングの風貌には、どこかネアンデルタール人の面影が漂う。現生人類は誰でも2%ほどネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるという。この人の場合は20%ほど受け継いでいそうだ。
http://campingcar.shumilog.com/2010/12/30/%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%89%e3%83%9e%e3%83%b3/


  
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⑦ シャーデ― 「Hang On to Your Love」
1984年

【寸評】 自分にとって、1980年代にもっとも愛したミュージシャンといえば、それはもうシャーデー・アデュに尽きる。まずサウンドが素晴らしい。特にデビューアルバムの『ダイヤモンドライフ』は何度聞いたか分からない。音楽体験で自分がもっとも興奮するのは、R&Bやブルースのグルーブ感に触れることなのだが、そういうブラックミュージックのエッセンスを、ジャズやAORのセンスを採り入れて洗練させた『ダイヤモンドライフ』は、私にとって「80年代のR&B」だった。それでいて、彼女のつくり出すR&Bは、60年代~70年代R&Bとは決定的に違っていた。一言でいえばクール。冷蔵庫で凍らせたグラスに注がれるギンギンに冷えたカクテルのように、一口飲むと、脳天に氷の結晶が根を張るようなクールさを特徴としていた。それがいかにも80年代という時代によく合っているように思えて、私は音楽体験において、時代の先端を走っている気持ちになれた。彼女はこの時代の私の女神だった。低く抑えられたスモーキーな声質にも魅せられたし、挑発的なドレスを着たときの彼女のセクシーな肢体にも挑発された。
http://campingcar.shumilog.com/2009/12/31/%e6%b7%b1%e5%a4%9c%e3%81%ae%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%87%e3%83%bc/
 

  
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⑧ ファラオ・サンダース 「Astral Travelling (アストラル・トラヴェリング)」
1971年
 

【寸評】 「アストラル・トラヴェリング」は、1971年のアルバム「Thembi(テンビ)」の冒頭を飾る曲。猛獣が吠えまくるようなフリージャズを追求してきたファラオ・サンダースの作品のなかでは、珍しく静謐感のある美しいメロディーの曲になっている。その曲調は神秘的でもあり、幻想的でもあり、それでいて官能的。虚空をたゆたうエレキピアノをバックに、ファラオのサックスが、夜明けの海に漕ぎ出ていくようなクールなメロディーを紡ぎ出す。もう40年ほど前、私はサンフランシスコからバンクーバーへ向かう飛行機のなかで、ファラオ・サンダースを見たことがある。その隣の席が空いていたことをいいことに、私は厚かましくもそこに座って、片言の英語で話しかけた。彼はその晩、バンクーバーのライブハウスに私を招待してくれた。そこで演じられた曲目のなかに、この「アストラル・トラヴェリング」が入っていた。
http://campingcar.shumilog.com/2013/02/02/%E6%89%8B%E3%82%92%E6%8B%BE%E3%81%86/
  
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⑨ アメリカ 「Ventura Highway (ヴェンチュラ・ハイウェイ)」
1972年

【寸評】 「アコギの美しさここに極まれり」、というほど見事に決まったイントロ。全編が旅へのいざないに満ちた爽やかな印象の曲で、自分もドライブ旅行のBGMとして欠かさず聞いている。イメージとして浮かぶのは、陽光の降り注ぐアメリカ西部の果てしない一本道。心のヒダに清水が沁み込んでいくような鮮烈な曲だ。この曲だけは、なぜか飽きない。どんなに好きな曲でも、ポピュラーソングの場合はずっと聞いていると、いつか飽きる。だけど、この曲だけは、もう46年間聞き続けているというのに、常にはじめて聞いたときの気分が込み上げてくる。おそらく、この “青春っぽい” 音が、未来が真っ白に見えていた20歳ぐらいの気持ちを再生するからだろう。
http://campingcar.shumilog.com/2009/01/16/%e3%83%b4%e3%82%a7%e3%83%b3%e3%83%81%e3%83%a5%e3%83%a9hwy/
 
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⑩ ジュニア・ウォーカー&ザ・オールスターズ 「What Does It Take」
1969年

【寸評】 甘いストリング・セクションを配した、いかにもモータウンらしいゴージャス感を持った曲。私が最初に「都会の匂い」というものを嗅ぎとったR&Bである。「都会の頽廃」、「都会の快楽」といったものが(少しチープに聞こえる)サックスの扇情的な音色にうまく表現されている。コード進行はGm7 と Fmay7 の繰り返し。その音の流れが、都会の軽佻な華やかさと同時に、アンニュイを含んだ都会の哀しさを漂わせてくる。
http://campingcar.shumilog.com/2011/02/05/%e3%80%8c%e9%83%bd%e4%bc%9a%e3%80%8d-%e3%81%ae%e5%8c%82%e3%81%84/
   
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⑪ エリック・サティー 「ジムノペディ」
1888年

【寸評】 近代社会の黎明期。人工照明によって、暮れることのない「夕暮れ」を実現させた時代の人間の感受性を表現したのが、このサティーの「ジムノペディ」である。美しい響きのなかに、とりとめもない浮遊感を忍び込ませるメジャーセブンスコード。それを多用した「ジムノペディ」は、近代都市という人工空間に漂う「美」と「メランコリー」をはじめて表現した曲といえよう。
http://campingcar.shumilog.com/2013/10/25/%e3%82%aa%e3%83%88%e3%83%8a%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%a6-%e3%80%80%e4%ba%80%e7%94%b0%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e5%b0%82%e9%96%80%e5%ad%a6%e6%a0%a1/
  
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⑫ ゴードン・ライトフット「If You Could Read My Mind (心に秘めた想い)」
1970年

【寸評】 日本人にはあまりなじみのないカナダのシンガーソングライター ゴードン・ライトフットの代表曲のひとつ。とにかくメロディーが美しい。曲名を知らなくても、年配の方ならば、どこかでこのメロディーを聞いたことがあると思う人がいるのではなかろうか。70年代のシンガーソングライター系の曲には、自分の内面と向き合うことを重視する「内省的」な歌が多く、これなどはその典型。孤独感と寂寥感がテーマだが、サウンドそのものは、地面に落ちる木漏れ日の影を追うように爽やか。
http://campingcar.shumilog.com/2011/12/28/%e6%9e%af%e8%91%89%e3%81%ae%e6%b1%a0%e3%81%a7%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%88%e3%82%92%e6%bc%95%e3%81%90/
 
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⑬ レッド・ツェッペリン 「Goodtimes Badtimes」
1969年

【寸評】 60年代後半に衝撃のデビューを飾ったレッド・ツェッペリンファーストアルバムで、その冒頭を飾った曲。この音を最初に聞いたときの衝撃はいまだに忘れられない。それは、頭の上に鋼鉄のかたまりが落下し、ズシンと脳内までのめり込んできたような体験だった。これほど “音の質量” がイメージできるサウンドというのは、それまで聞いたことがなかった。しかも、ヘビー一辺倒ではなく、そのヘビーさが “軽やか” な運動体になっているところが魅力だ。まるで極北の夜空に、鋼鉄のオーロラが舞うのを見ているような気になる。こんな音を思春期の10代に聞いてしまった人間は、一生その呪縛から逃れることができなくなるはずだ。
http://campingcar.shumilog.com/2011/05/21/%e3%83%84%e3%82%a7%e3%83%83%e3%83%9a%e3%83%aa%e3%83%b3%e4%bd%93%e9%a8%93/
 
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⑭ 10cc(テンシーシー) 「I’m Not In Love(アイム・ノット・イン・ラブ)」
1975年

【寸評】 シンセサイザーの音を重ねまくったクールな音に、ROCKに関して抱いていたイメージを大転換させられた。それまで、熱いROCKと濃いSOULに寄り添うように音楽人生を積み上げてきたつもりだったが、25歳のときにこの “冷たい曲” を聞いた瞬間、「時代が変わった」ことを発見した。まさに「青春の終わり」を告げた “音” だった。
http://campingcar.shumilog.com/2014/03/03/%e5%86%b7%e3%81%9f%e3%81%84%e3%83%90%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%89/
 
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⑮ ザ・ビートルズ 「I’ll Be Back (アイル・ビー・バック)」
1964年

【寸評】 「初期ビートルズ」というと、ロックンロールをベースにしたジャンプナンバーの曲が大半を占めると思われがちだが、彼らの初期のアルバムには意外とバラードが多い。しかも名曲ぞろいだ。バラードの評価はメロディーの良し悪しで決まってしまうが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーという稀代のメロディーメーカーが2人もそろってしまったのだから、バラードの比率が高いのも当然である。なかでもこの「アイル・ビー・バック」は、ジョン・レノン的バラードの典型。マイナーコードとメジャーコードがめまぐるしく変わるため、迷宮の中をさまようような不思議な酩酊感が生まれている。彼らの故郷であるリバプールはアイルランドにも近い。この曲には、そのアイルランド系のエスニック感覚が流れ込んでいる。
http://campingcar.shumilog.com/2011/09/04/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%ac%e3%83%8e%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%83%90%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%ab%e6%bd%9c%e3%82%80%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%8b%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%aa%e9%9f%bf/
 
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⑯ ブラインド・フェイス 「 Had To Cry Today (泣きたい気持ち)」
1969年

【寸評】 伝説のROCKバンド「クリーム」において、ブルースを基本に置いたギターワークで人気を集めてきたエリック・クラプトンが、同じバンドにいたドラマーのジンジャー・ベイカーを連れ出し、「トラフィック」で活躍していたスティービー・ウィンウッドとコラボしたアルバム『Blind Faith』のなかの1曲。スティービーのセンスが色濃く反映されたため、クラプトン好みのブルース色は希薄になったが、その分、あざといばかりに華麗なメロディーに満ちたアルバムになった。なかでもこの「Had To Cry Today」は、“音の万華鏡” といえるほどまばゆいフレーズに埋め尽くされた60年代ROCKを代表する傑作。ブルース的グルーブ感ともまた違った、白人音楽としてのロックの力動感を創造している。
http://campingcar.shumilog.com/2013/06/14/had-to-cry-today-%ef%bc%88%e6%b3%a3%e3%81%8d%e3%81%9f%e3%81%84%e6%b0%97%e6%8c%81%e3%81%a1%ef%bc%89/
 
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⑰ ルー・リード 「Walk On The Wild Side (ワイルドサイドを歩け)」
1972年

【寸評】 「ヘロイン」、「ゲイ」、「アルコール中毒」。そんなアンダーグラウンドなテーマを歌いながら、そこにハイブローな芸術性を盛り込んだルー・リード。犯罪とアートが、闇のなかで同時に溶け合うニューヨークの路地裏が似合う詩人だ。この「ワイルドサイドを歩け」は、もうタイトルからして、彼の思想性を100%表現した代表曲。シンプルなギターカッティングを背景に、呪文のように繰り出される歌声を聞いていると、これは、アウトローたちが眠るための “闇の子守歌” だと分かる。
http://campingcar.shumilog.com/2013/11/09/%e3%83%af%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%89%e3%82%b5%e3%82%a4%e3%83%89%e3%82%92%e6%ad%a9%e3%81%91/
 
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⑱ シル・ジョンソン 「I Hear the Love chimes (愛のチャイム)」
1974年

【寸評】 1970年代初期のソウルミュージック界で、ひときわディープな味わいを発揮していたのは、なんといってもメンフィスのハイ・レコードである。ここでは音楽プロデューサーのウィリー・ミッチェルの指揮のもとに、アル・グリーン、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、O・Vライト、シル・ジョンソンなどといったスター歌手が勢ぞろいし、フィラデルフィアやモータウンと並んで、70年ソウルミュージック界の一時代を築き上げていた。このハイ・サウンドの特徴は、“土臭い” タイトな音作りにあった。スタジオミュージシャンの中核をなすのは、チャールズ・ホッジス(オルガン、ピアノ)、ティニー・ホッジス(ギター)、リロイ・ホッジス(ベース)3兄弟と、ドラムスのハワード・グライムス。特に、ハワードの叩き出すドラムスは、スネアとバスドラのチューニングを緩くして、バシャッと湿ったような質感を出しながら、それでいてソリッド感ある音づくりに徹した。そこから生まれてくる重厚なサウンドは、まさにサザンソウルの白眉であった。このシル・ジョンソンの歌う「I Hear the Love Love chimes」などは、それがよく伝わる佳曲。アンニュイ漂うレイドバックしたリズムが心地よい。
http://campingcar.shumilog.com/2010/01/31/%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e9%85%92%e5%a0%b4/
 
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⑲ ステッペン・ウルフ 「Born To Be Wild (ワイルドでいこう)」
1968年

【寸評】 「Born To Be Wild (ワイルドでいこう)」は、60年代の反体制派若者の生きざまを描いた映画『イージーライダー』のテーマソングに使われ、映画のヒットとともに世界的に知られる曲となった。とにかくタイトルどおり、そのサウンドはこのうえなくワイルドで、ぐいぐい回転するようなグルーブ感に満ち溢れ、無類にノリがいい。「ステッペンウルフ(荒野の狼)」というグループ名も、この曲のイメージ形成に一役買った。私はいまだにカラオケでこの曲をよく歌う。
http://campingcar.shumilog.com/2011/06/25/%e8%8d%92%e9%87%8e%e3%81%ae%e7%8b%bc-2/
  
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⑳ アリシア・キーズ 「The Life (ザ・ライフ)」
2007年

 

【寸評】 2000年以降に活躍している歌手にはそれほど興味がない。唯一の例外は、このアリシア・キーズだ。理由は、私好みの美人だからだ。ソウル/R&B系の音楽が好きになってからというもの、女性の好みもブラックの血が混じったような顔が好きになってしまった。音楽的な評価となれば、アリシアの手掛ける曲は、必ずしもすべてが私の好みというわけではない。ただ、ここに挙げた「The Life」という曲はとても気に入っている。これは1972年にカーティス・メイフィールドがリリースした「Give Me Your Love」(アルバム『Superfly』に収録)の2000年代的解釈といえる。“好きな音楽家” という意味では、カーティス・メイフィールドなどはこの企画のトップに掲げてもいいくらいなのだが、ただブログ記事にカーティスを採り上げたことがなかったため、今回は外した。それを、アリシアの「The Life」で代用する。
http://campingcar.shumilog.com/2013/05/20/%e3%82%a2%e3%83%aa%e3%82%b7%e3%82%a2%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%81%ae%e3%82%a8%e3%82%b8%e3%83%97%e3%83%88%e3%83%a1%e3%82%a4%e3%82%af/


   
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以下、番外編
  
21) ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド 「Win, Lose, or Draw」
1975年

【寸評】 オールマン・ブラザーズ・バンドというと、若くして死んだデュアン・オールマンが在籍していた時代が頂点だったという見方をする人が多い。確かに、エリック・クラプトンをも震撼させたというギタリストとしてのデュアン・オールマンの存在は大きかったに違いない。しかし、私はデュアン亡き後にリードギターを務めるようになったディッキー・ベッツの音が方が好きである。あのなんともいえないカントリーっぽい軽さが心地いいのだ。このディッキー・ベッツのギターとグレッグ・オールマンのキーボードが絡むときに、“南部の音” が生まれる(と思っている)。すなわちラフで物憂いレイドバックフィーリングが漂い始める。それがアスファルトの上にも土ぼこりが舞っているような、アメリカ南部のハイウェイの香りを伝えてくる。
http://campingcar2.shumilog.com/2016/05/02/%e3%82%b5%e3%82%b6%e3%83%b3%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%ae%e8%aa%98%e6%83%91/

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22) クリーム 「Strange Brew (ストレンジ・ブルー)」
1967年
 

【寸評】 1967年。ビートルズはアルバム『サージェント・ペッパー … 』をリリースし、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レイン」、「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」などのシングルを発表した。長いことビートルズファンを任じていた私は、それらを聞きながら、「なんと退屈な音になってしまったんだろう」とがっかりしてうなだれた。ビートルズのサウンドを退屈なものにしてしまった最大の “犯人” は、同じイギリス出身のバンド「クリーム」だった。今から思えば、ビートルズはあの時代、やはり時代のトップを走り続けていたのだと分かる。しかし、当時の私にとって、クリームを聞いてしまった後では、ビートルズの音楽はみな “童謡” にしか聞こえなかった。それに比べ、クリームの音には大人の匂いがあった。危険な香りもあった。そして何よりもカッコよかった。それはすべてブルースの体臭だったのだ。クラプトンが好きな黒人ブルースのエッセンスが、音作りのプロたちが集まったクリームという “プロジェクト” のなかで昇華され、ジャズの味づけも加わり、より都会的なサウンドとして練り直されていたのだ。「ストレンジブルー」はその代表曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2011/05/09/%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%83%bb%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc/
 
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023) ジミ・ヘンドリックス 「フォクシー・レディー」
1967年

【寸評】 今から思うと、1967年というのは「ロック元年」であったように思う。この年あたりから、ビートルズ、ローリング・ストーンズ以降の新しいロックを総称する言葉として「ニューロック」あるいは「アートロック」という言葉が生まれた。今ではどちらも死語となったが、そういう新しいカテゴリーを創設しなければならないほど、67年はロックが恐ろしい勢いで成長を遂げ、その存在感を増し始めたのだ。この時代の代表的なロックバンドを挙げると、ヴァニラ・ファッジ、アイアンバタフライ、ジェファーソン・エアプレイン、ドアーズ、クリームなどという名がすぐ浮かんでくる。彼らのつくり出すロックは、それまでのポップス系ヒット曲とはまったく異なるテンションと芸術性を持っており、あきらかに時代が変わったことを「音」で示した。そういう新しいロックの代表格が、ジミ・ヘンドリックスだったのだ。その演奏スタイルの特徴のひとつに「即興性」があった。同じコードを使う同じ曲であっても、ライブ会場の違いや彼の気分によってがらりと曲想が変わった。その変化が、泉のように湧き出てくる彼の非凡なアイデアから来るものであることは誰にもすぐに分かった。だからみな、そんなジミの姿に「天才」という言葉を重ね合わせた。「フォクシー・レディー」は、まさにジミの芸術性の高さが結晶化した曲。それでいて親しみやすいメロディーを持ち、ダンサブルなのだから、これはもう「奇跡」というしかない。
http://campingcar.shumilog.com/2011/06/05/%e3%82%ad%e3%83%84%e3%83%8d%e7%9b%ae%e3%81%ae%e5%a5%b3/
 
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024) マル・ウォルドロン 「オールアローン」
1968年

【寸評】 この曲から迫ってくるのは、絶対的な孤独。それも、頼れるものを失い、ヒリヒリするような虚無と向き合うことの恐ろしさが伝わってくる。しかし、孤独感も極端まで深まってしまえば、その底には、案外 “爽やかさ” が潜んでいるものだ。孤独であることの美しさに気づく。それはきわめて「文学的体験」ともいえる。夜のしじまの底に沈んで、じっとこの音を聞いていると、やがて白々と明けて来る朝の冷気が心地よく感じられるはず。―― さびしいってことは、すがすがしいものなのだ。
http://campingcar.shumilog.com/2012/05/13/%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%83%8f%e3%83%83%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%81%ae%e5%93%80%e6%84%81/
 
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25) ハーブ・アルファート&ティファナブラス
   「The Lonely Bull (悲しき闘牛)」 1962年

【寸評】 ラテン的熱狂を象徴する競技がスペイン/メキシコの「闘牛」である。今ではその人気はサッカーに変わられつつあるとはいえ、管楽器のすさまじい咆哮と、聴衆の熱狂が混然一体と渦巻く祝祭的空間となれば、やはり闘牛場にかなうスペースはない。なにしろ、そこでは人間を興奮させる “犠牲獣” の血が流れるのだ。同時に命を奪われる牛たちの哀しみも浮かび上がってくる。「悲しき闘牛」は、その闘牛場の祝祭性と犠牲獣の悲しい死を同時に表現したドラマチックな曲である。…… では一句。「興奮も 冷めれば悲しい 広場かな」。
http://campingcar.shumilog.com/2012/08/31/%e6%82%b2%e3%81%97%e3%81%8d%e9%97%98%e7%89%9b%e3%81%a8%e7%9a%86%e6%ae%ba%e3%81%97%e3%81%ae%e6%ad%8c/
 
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026) フローターズ 「Float on」 他
1977年

【寸評】 誰が付けたか、「甘茶ソウル」。美しいメロディーラインに華麗なストリングスをまぶし、快楽にむせぶときの吐息のようなヴォーカルで歌いあげるスイートなソウルミュージック。特に70年代のフィラデルフィア系R&Bがそのスタイルを代表する。日本でいえば「ムード歌謡」ということになるのだろうか。キャバレー、サパークラブ、ラウンジなどといった美女系酒場で流れると似合いそうだ。そういう「甘茶ソウル」の典型的な曲がフローターズの歌う「フロートオン」。ため息が出るほど切ない美しさに満ちたメロディーが特徴で、「夢なら覚めないで !」と叫びたくなる曲。
http://campingcar.shumilog.com/2011/10/02/70%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e3%82%b9%e3%82%a4%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%9d%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9/
 
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027) ザ・フリー 「Be My Friend (ビー・マイ・フレンド)」
1970年

 

【寸評】 1967年に結成されたとき、メンバーの平均年齢は19歳だったというフリー。アイドルグループのような若さを持ったまま、すでにデビュー時から、彼らは憂愁の影を身にまとう大人のロックを完成させていた。どの曲もブルースフィーリングに満ちていて、ブルース的グルーブ感を強調したものが多いが、アップテンポのものも、ミディアムテンポのものも、どこか疲労感に似た暗いアンニュイが漂うところに特徴がある。それは若くしてロックビジネスにおける成功も、人生の何たるかを見定めてしまった人間のたちの漏らす「吐息」のようなものかもしれない。特に、ここに掲げた「ビー・マイ・フレンド」は、ブルース色が薄まっている分、逆にイギリスという風土独特の “辺境の島国で生きた民族” の物悲しさが色濃くにじむ。
http://campingcar.shumilog.com/2009/10/16/%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ae%e5%8d%b1%e9%99%ba%e3%81%aa%e5%8c%82%e3%81%84/

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028) ザ・バンド 「The Weight」
1968年

【寸評】 「ザ・バンド」はカナダ人を中心に構成されたグループである。そのせいもあるのか、隣国アメリカの音楽文化に対するリスペクトと研究が本場のアメリカ人たちよりも深い。2枚目のアルバム『ザ・バンド』(1969年)で最初に彼らの音を聞いたとき、そのアメリカ的な泥臭さにびっくりした。100年前の西部開拓時代のバンドマンたちの演奏を聞いているような気分だったのだ。そのアメリカ臭さのおかげで、最初私は、彼らの音楽的ルーツはアメリカ白人のカントリー&ウエスタンにあるのだろうと思っていた。だが、すぐに違うことを悟った。ザ・バンドの音楽は、カントリー&ウエスタンが生まれる前のアメリカの音だったのだ。それこそ、イギリスから五大湖の沿岸あたりの町にたどりつき、神への祈りを捧げながら西への旅を始めた開拓者たちのメンタリティーが音楽のバックにある。これは彼らのキーボード奏者ガース・ハドソンが語ったことである。すなわち音の原点は讃美歌だったのだ。この「ザ・ウェイト」の歌詞からは、彼らの音楽的教養が聖書に深く関係していることがうかがえる。
http://campingcar.shumilog.com/2010/01/06/%e3%83%90%e3%83%b3%e3%83%89%e3%81%ae%e3%82%a6%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%83%88/

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029) スモーキー・ロビンソン 「Ooo Baby Baby」
1965年

【寸評】 「美しいメロディーとは覚えやすいメロディーのことである」という言葉があるが、まさにスモーキー・ロビンソンのつくる曲は、無類の美しさをたたえると同時に、一度聞いただけで、鼻歌でコピーできそうな親しみやすさを持っている。それでいて彼の歌は、心の奥に沈んでいた哀しみをすくい上げ、それを優しく包み直してくれるのだ。だから、彼の歌を聞いていると、思い出したくないような辛い記憶でさえ、いつのまにか、ほのかな切なさに包まれた懐かしい思い出に変わっている。そういう曲作りでスモーキーを超えるソングライターは見当たらない。痛みを伴う失恋の思い出も、いつのまにか極上の記憶に変えてしまう恋愛ソングの魔術師だ。
http://campingcar.shumilog.com/2012/01/31/%e5%a4%a7%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%82%b9%e3%83%a2%e3%83%bc%e3%82%ad%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%83%93%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3/
 
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030) ザ・ローリング・ストーンズ 「Off The Hook」
1965年

【寸評】 ストーンズの曲では、ほんとうはもっと好きな曲がたくさんある。では、なぜこの「Off The Hook」という地味な曲を選んだかというと、たまたまこの曲を採り上げた自分のブログがうまく書けたからだ。ストーンズとビートルズは、同じ時代に世界的なブームを巻き起こしたイギリスバンドのツートップだと思われがちだが、ビートルズはグローバルバンドであったとしても、私は基本的にストーンズはイギリスのローカルバンドだと思っている。それは彼らを低く見るからではなく、逆に、ストーンズの方こそ、その音づくりにイギリス的個性や特徴を色濃く反映させているからだ。神経質で、繊細で、傷つきやすいサウンド。タフでラフなロックを演奏するグループだと思われがちなストーンズサウンドの本質は、霧に包まれた北の島国らしい内省的な特徴を持っている。
http://campingcar.shumilog.com/2013/03/29/%e3%83%a2%e3%83%8e%e3%82%af%e3%83%ad%e3%81%ae%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%ba/
 
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031) ジェームス・テイラー 「Fire and Rain」
1970年


 
【寸評】 1960年代は、ロックの巨人たちの黄金時代だった。ビートルズ、ローリングストーンズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、レッドツェッペリンが活躍した60年代というのは、まさに地球上を大型恐竜がのし歩くジュラ紀や白亜紀の時代だった。しかし、70年代に入ると、それまで恐竜たちの影に隠れて活動していた小さな哺乳動物たちがいっせいに表舞台に登場し始めるようになる。それが、キャロル・キングであり、エルトン・ジョンであり、キャット・スティーブンスであり、カーリー・サイモンであったりした。そして、その代表格がジェームス・テイラーだった。ロックやソウルのヒット曲を追い続けていた頃、私の耳にジェームス・テイラーの曲は入ってこなかった。しかし、あるとき、彼の歌が突然耳に届いたのである。ロックやソウルとはまったく異なる世界からやってきた新鮮な音として。それは夏の白昼を揺るがしていたセミの声がいつのまにか鳴り止み、秋の虫の声に代わっていたことに気づいた晩のようだった。1970年代の中頃、ジェームス・テイラーを聞くようになって、ようやく自分の青春時代が終わったことを私は悟った。
http://campingcar.shumilog.com/2012/07/22/%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%82%a2%e3%83%bc%ef%bc%86%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%b3/
 
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032) マジック・サム 「ストップ・ユア・ハーティング・ミー」
1968年


 
【寸評】 学生時代に、慶応大学の三田校舎で開かれた学園祭で、ウエストロード・ブルース・バンドという京都出身のバンドの演奏を聞いた。40年以上も前の話である。そのとき私は、自分が一貫してこだわってきた音楽の正体が「ブルース」であることにはじめて気づいた。それまではずっと白人のブルースロックを中心に聞いていた。しかし、ブルースロックのコード進行やリズムの取り方が、「黒人ブルース」に基づいたものだということまでは、あまり意識していなかった。ところが、学園祭で “真っ黒な” ブルースを披露して聴衆を虜にしたウエストロードは、はっきりと、自分たちは「黒人ミュージシャンのカバーをやっている」と明言した。それをきっかけに、私は本物の黒人ブルースに興味を持つようになった。マジック・サムはそのウエストロードがよくコピーしていたブルースマンの一人。その代表的アルバムである『West Side Soul』と『Black Magic』の2枚から、私の本格的なブルース遍歴が始まった。
http://campingcar.shumilog.com/2013/12/01/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%81%ab%e6%8a%b1%e3%81%8b%e3%82%8c%e3%81%a6%e7%9c%a0%e3%82%8b/

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033) ボブ・ディラン 「Like A Rolling Stone」
1965年

 

【寸評】 ボブ・ディランは、「ノーベル文学賞」をもらったことから分かるように、ミュージシャンでありながら、文学者であった。それは彼がつくり出した歌詞以上に、その歌声が証明していた。聴衆の耳に不協和音を注ぎ込むようなあの独特のだみ声。あんな声で歌われてしまえば、誰だって歌詞に何かの “意味” を求めてしまう。平易な言葉で綴られたやさしい歌詞でも、あのしゃがれた声でしゃくりあげるように歌われると、その言葉の底に、もっと深い意味が隠れているような気がしてくる。つまり、ボブ・ディランが歌い終わる前に、すでに聴衆は彼の歌から “文学” を受け取っていたのだ。けっきょく、そういう形で、彼の音楽はミュージシャン仲間や詩人たちや芸術家たちに影響を与え、音楽を「文化」に昇華させた。「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、そのことを象徴的に伝える金字塔的作品である。
http://campingcar.shumilog.com/2009/12/12/%e8%8d%92%e9%87%8e%e3%81%ae%e3%83%87%e3%82%a3%e3%83%a9%e3%83%b3/

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034) セリオン 「Blood Of Kingu (キングの血)」
2004年

 

【寸評】 「セリオン」は、スウェーデンのヘビーメタルバンド。トーマス・ヴィクストロムというスウェーデンの王立歌劇場のオペラ歌手がヴォーカルを取るという変わったバンドである。そういう音楽を「好きか?」と聞かれたら、あまり好きではない。そもそも私はヘビメタという音楽に興味がない。しかし、テレビでこのバンドの存在を知ったとき、ものすごく知的好奇心をくすぐられたことも事実。テレビで彼らの演奏を聞いたかぎりの私の理解では、ヘビメタというのはロックの発展形ではなく、むしろロック以前の、それこそ中世ヨーロッパの祝祭的な音楽文化への回帰だった。…… と書いたところで、大半の読者からは「何のこっちゃ?」と思われるだけだろうから、これ以上深くは言及しない。もし多少興味を感じていらっしゃる人がいたら下記の記事をどうぞ。
http://campingcar.shumilog.com/2011/10/10/%e3%83%98%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%82%bf%e3%83%ab%e3%81%a8%e3%82%aa%e3%83%9a%e3%83%a9/
 
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035) ティエラ 「Together」
1981年

【寸評】 もうダメ~! と、あまりの美しさに、身体がナヨナヨと崩れ落ちそうになる曲というものがある。その大半はメチャメチャに甘いソウルバラード系の曲なのだが、そういう曲がかかると、恥ずかしいことに、どんな場所にいても涙ぐんだりすることがあるのだ。別に何かの思い出と絡んだりしているわけではない。ただ暑いときに汗が出て、寒い冬には鳥肌が立つような生理的反応である。そんな曲の一つにソウルバラードの「Together(トゥギャザー)」という曲がある。もとは1967年にソウルグループのザ・イントルーダースがリリースした曲だが、1981年にラテン・ソウルバンドのティエラがリメイクして大ヒットとなった。とにかくイントロから切ないほどロマンチック。原曲のメロディーの良さにスイートなラテンフレーバーが絡んで、ああもうダメ! 泣くから誰かハンカチを。
http://campingcar.shumilog.com/2015/04/15/%E6%B6%99%E8%85%BA%E3%81%AE%E3%82%86%E3%82%8B%E3%82%80%E9%9F%B3%E6%A5%BD/
 
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036) エディ・ラビット 「Pour Me Another Tequila (テキーラをもう一杯)」
1979年

【寸評】 「大好き !」というほどではないにしろ、気づくといつのまにか口ずさんでいる曲というものがある。そういう歌は、やはり自分にとって心地よい歌なのだ。エディ・ラビットの「Pour Me Another Tequila (ポー・ミー・アナザー・テキーラ)」は、そんな曲のひとつ。アメリカの田舎町のバーカウンターに座り、目で夕陽を追いながら、別れた女を思い出しつつ、テキーラを喉に流し込む。そんな主人公の心情が、哀愁をにじませたメロディーから伝わってくる。
http://campingcar.shumilog.com/2013/07/03/good-time-charlie/
  
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037) ボビー・ウーマック 「I don’t Wanna Be Hurt By ya Love Again」
1974年

【寸評】 好みのメロディーというのは、時代や自分の年齢によって変わっていくことがある。しかし、好みのリズムというのは、生涯を通じてそれほど変わることがない。メロディーは「頭」で聞くが、リズムは「身体」で聞くからだ。つまり、メロディーは学習で習得するものだから、学習が深まれば、それに応じてその人の音楽体験も進化していく。「ハーモニー」などという西洋音楽の伝統的規範も、数学理論がベースになっているため、頭を使って身につけるようになっている。それに対して、リズムは、人間が母親の胎内にいるときに、母親の心臓を通して伝えられた最初の “生命の音” だ。すなわち生きる喜びを最初に伝えてくれた信号である。だから、一度自分好みのリズムを探し当てると、それがけっきょく生涯にわたっての「生きる喜び」を伝える音になる。私にとって、ボビー・ウーマックが歌うミディアムテンポのR&Bは、「生命の音」である。「I don’t Wanna Be Hurt By ya Love Again (傷つくのはもうごめん)」のイントロを最初に聞いたとき、自分は母親の胎内で生を受けたときのことを思い出した。…… 「思い出す」ってのはウソだけどさ(笑) … 。
http://campingcar.shumilog.com/2013/05/11/%e7%b5%82%e9%9b%bb%e3%81%8c%e8%a1%8c%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%81%e3%83%9c%e3%83%93%e3%83%bc%e3%81%ae%e6%ad%8c%e3%82%92%e8%81%9e%e3%81%8f/
 
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038) ジュリー・ロンドン 「クライ・ミー・ア・リバー」
1955年

【寸評】 ジャズのスタンダードバラードは、どれも「大人の音楽」という風格がある。若い頃、こういう音楽が流れるバーに女の子を連れ込めば、いかにも “大人の遊びを知っている男” を気取れそうな気になっていた。もちろんそれは錯覚だった。のみならず逆効果だった。そういう店についてきた女の子は、普段以上に、男の子に「大人」を求めるからだ。でも、二十歳前の若造に、甘さと苦さを巧みにバランスさせた大人の会話などできるはずもない。背伸びしたデートはことごとく失敗したが、おかげでジャズのスタンダードバラードの美しさだけは理解できるようになった。「Cry Me A River」はその頃に好きになった曲の一つ。一度は女を裏切った男が、再びその女のもとに戻ってきて復縁を迫る。そのとき、女は言い放つのだ。「ふん ! 今さら何よ。私を取り戻したいのなら、ここで川(リバー)のように泣いてみな」。歌詞は激しいが、アンニュイに満ちたメロディーはなかなか美しい。
http://campingcar.shumilog.com/2011/12/23/cry-me-a-river/

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039) ビヨンセ 「I‘d Rather Go Blind」
2008年

【寸評】 こんなに切ない表情の女性は見たことがない。映画『キャデラック・レコード』(2008年)で、R&B歌手のエタ・ジェイムスに扮したビヨンセが「I‘d Rather Go Blind」を歌うときの表情だ。エタ・ジェイムスは、一緒になれない愛人レーナード・チェス(チェスレコードの社長)が立ち会う最後のレコーディングに臨む。自分のことを愛していながら、それでも背中を見せて去っていくレーナード・チェスに対し、彼女は、別れの言葉の代りに、この歌を熱唱する。扉が閉まり、スタジオにもうレーナードの姿はない。それでも、閉じた扉を見つめながら歌い続けるエタ。このシーンを見ている観客の目にも、いつしか涙。
http://campingcar.shumilog.com/2011/09/17/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%87%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%bb%e3%83%ac%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%89/


  
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040) テッド・テイラー 「オンリー・ザ・ロンリー・ノウ」 
1971年


 
【寸評】 個人的な感覚でいうと、まさにこの曲などが、自分にとっての典型的なソウルバラードである。ここにはフィリー(フィラデルフィア)ソウルのような華麗さも、モータウンのような親しみやすさもないけれど、飲み物でいうところの「コク」がある。例えていえば、熟成させた “芋焼酎” をちびちびやる感じ。それに比べると、フィリーサウンドは甘めのカクテル。モータウンはハイボール。どちらも飲みやすいけれど、のど越し過ぎればあっさりと胃の中に消える。それに対し、テッド・テイラーのバラードは身体に吸収されるまでに、まず鼻が味わい、舌が味わい、喉が味わい、食道が味わい、胃が味わう。
http://campingcar.shumilog.com/2013/10/06/%e3%83%86%e3%83%83%e3%83%89%e3%83%bb%e3%83%86%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%83%bc-%e3%80%8c%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%82%b6%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%83%b3%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%83%8e/
 
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041) エンニオ・モリコーネ 「荒野の用心棒」
1964年

 

【寸評】 現在70歳ぐらいの人は、若い頃、ラジオなどを通じてこのメロディーをさんざん聞いたのではなかろうか。マカロニウエスタンの代表作『荒野の用心棒』のテーマソング。口笛、エレキギター、「♪エンヤトット」と歌っているような奇妙な掛け声。西部劇のテーマ曲としては何から何まで異色だった。メロディーは美しくとも、殺伐とした哀調を持つサウンドを聞いただけで、もうここには頼りになりそうな保安官とか、善良そうな町の人たちとか、そういう温かみを持った登場人物は出てこないんだな … と予想がつく。で、映画が始まると、思った通り、現れるのは、逃げる悪党(ギャング)と追う悪党(賞金稼ぎ)だけ。裏切りや人殺しのシーンばかり続く悲しいほど残酷な映画だ。でも、それがアメリカ製西部劇にはなかった緊張感を生み出して、無類に面白かった。
http://campingcar.shumilog.com/2013/01/18/%e3%83%9e%e3%82%ab%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%83%bb%e3%82%a6%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%b3%e5%86%8d%e8%80%83/

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042) ステファン・グラッペリ 「Smoke, rings and wine (煙草とワイン)」
1978年

【寸評】 ジャズバイオリニストのステファン・グラッペリが演奏する曲は、どれもたとえようもないほど美しく、優しく、切ない。恋人同士には「感情の高ぶり」を。独り者には「恋に対する渇望」を。失恋者には「甘くセンチメンタルな思い出」を喚起させる。基本的には夕暮れを迎えてくつろぐときの音楽だ。村上春樹の小説に、『午後の最後の芝生』という短編があるが、その言葉を頭に浮かべつつ、夕陽を浴びた芝生の上に伸びる木立の影を眺めながら聞きたい。
http://campingcar2.shumilog.com/2017/05/24/%e6%9c%a8%e6%bc%8f%e3%82%8c%e6%97%a5%e3%81%ae%e4%bc%bc%e5%90%88%e3%81%86%e9%9f%b3%e6%a5%bd/

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043) ザ・フォートップス 「Ain’t No Woman (Like The One I’ve Got)」
1972年

【寸評】 1972年という年は、ソウルミュージックが頂点を極めた年だった。この年の5月、全米トップ10のうち、黒人系アーチストによるソウルミュージックが8曲も占めたのだ。そういった意味で、白人系ロックばかり聞いていた私にとって、この年は好みの音楽の転換点になった。72年にリリースされたフォートップスの「Ain’t No Woman (エイント・ノー・ウーマン)」は、マーヴィン・ゲイの「What’s Going on」とともに、当時私がもっとも聞き込んだ曲のひとつ。それは白人系ロックなどを足元にも寄せ付けない「洗練された大人の音」だった。ディープパープルやユーライアヒープの音が、小学生ぐらいの子供が聞く音楽に思えたものだった。
http://campingcar.shumilog.com/2007/02/04/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%ad%e3%83%98%e3%82%a2%e3%81%ae%e5%b0%91%e5%a5%b3/
 
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044) オールマン・ブラザーズ・バンド 「ジェシカ」
1973年

【寸評】 オールマン・ブラザーズ・バンドの良さが分かったのは、自分が運転免許を持ってからである。つまり、「この手のロックはドライブミュージックだったのだ !」とはじめて合点がいった。この感覚は都会のディスコなどに入り浸って、ピカピカ光る壁に囲まれているときには絶対分からないものだった。車をあやつっているときに、右足のつま先を通じて伝わってくるエンジンの鼓動。フロントガラスにぶつかってくる風景が、次の瞬間パァっと左右に切り裂かれていくときのパノラマ感。そういうドライブの快楽が、オールマン・ブラザーズ・バンドのインスト曲にはものの見事に身体化されている。「ジェシカ」はそういったタイプの演奏の代表曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2011/05/15/%e5%86%85%e7%87%83%e6%a9%9f%e9%96%a2%e3%81%ae%e9%bc%93%e5%8b%95/
 
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045) ザ・ライチャス・ブラザーズ 「You’ve Lost That Lovin’ Feelin’」
1964年

【寸評】 ザ・ライチャス・ブラザーズは、1962年に結成された白人男性2人によるソウル・デュオである。声質や歌う曲調があまりにも黒人っぽいので、「ブルーアイドソウル」(青い目のソウルミュージック)と呼ばれた。彼らの歌は、時代を超えていろいろな映画に使われることが多く、映画『ゴースト』(1990年)では「Unchained Melody」が。『トップガン』(1986年)では、「You’ve Lost That Lovin’ Feelin’(ふられた気持ち)」が挿入歌として使われ、ドラマの展開に重要な役を果たした。この「ふられた気持ち」は、カラオケで歌いたいと思って、いま練習中。
http://campingcar2.shumilog.com/2016/09/07/%e3%81%b5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e6%b0%97%e6%8c%81%e3%81%a1/
  
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046) メリー・クレイトン 「Oh No、Not My Baby」
1973年

【寸評】 「Oh No、Not My Baby (ノット・マイ・ベイビー)」はキャロル・キングがソングライター時代の1964年に、R&B歌手のマキシン・ブラウンのために作った曲。1回聞いただけでも記憶に残るキャロルらしい華麗なメロディーを特徴としているため、ロット・スチュワート、アレサ・フランクリン、ダスティー・スプリングフィールドなど数多くの歌手にカバーされたほか、キャロル自身もセルフカバーを出している。しかし、私がいちばん好きなバージョンは、1973年に制作されたメリー・クレイトン版。LPへの収録はなくシングル盤のみの発売となったが、R&Bの王道を極めるようなこってりした仕上がりで、黒人ヴォーカルのだいご味がたっぷり堪能できる。
http://campingcar.shumilog.com/2012/12/24/%e3%83%8e%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%bb%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%99%e3%82%a4%e3%83%93%e3%83%bc/
 
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047) カントリー・コンフォート 「Sunlite Moonlite」
1976年


 
【寸評】 1970年代中頃、いっとき「ハワイアンロック」なるものが話題になったことがあった。そのブームに乗って、「セシリオ&カポノ」、「カラパナ」などいうグループが活躍したが、私のお気に入りは「カントリー・コンフォート」というバンドだった。このグループの曲はどれも、とにかく “けだるい” のだ ! レコードを買って、針を落としてみると、「ターンテーブルが故障したのかな?」と思えるくらい回転がゆるく感じられた。しかし、そのまのびした感じが、なんとも心地よかった。彼らの残した2枚のアルバムのうち、私が持っているのはそのファーストアルバムだが、これがまさに「睡眠薬」。アルバム全体を通じてアコースティックギターとハーモニー主体のスローテンポかミディアムテンポの曲が続き、まるで砂浜に寝そべって「波の音」を聞いている気分になる。だから、いつしか眠ってしまう。「心地よく眠れる」ということは、ある意味、人間がもっともリラックスしている状態に置かれているということだから、この「カントリー・コンフォート」のアルバムは、まさに究極のリラクゼーション・ミュージックといっていい。
http://campingcar.shumilog.com/2012/01/20/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%ab/
 
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048) ジョス・ストーン 「Don’t Know How」 
2004年

【寸評】 「R&B」、あるいは「SOUL MUSIC」という言葉からリスナーがイメージする曲調は時代によって異なる。つまり、リスナーが最初にその曲に接したときに受けた印象がベースになっている。私がこの手の音楽に最初に触れたのは1960年代であり、のめり込んだのは1970年代初頭だった。この間、都会的なフィリーサウンドやポップな味わいのあるモータウンもよく聞いたが、ときどき無性に聞きたくなるのが、サザンソウルだった。そのサウンド的な特徴をいうと、「アーシー」。つまり泥臭さだ。しかし、泥臭さというのは、食べ物や飲み物でいえば “コク” でもある。舌で味わってからのどに流し込むときの「胃が焼ける」ような刺激。この “痛覚” を伴うような濃い味がサザンソウルの魅力である。2003年に17歳でデビューしたイギリス少女が放つ「ディープサウス」の輝き。張りのあるハスキーボイスで、70年代風のねちっこいR&Bを歌う初期のジョス・ストーンには、一時期完全にまいったことがある。
http://campingcar.shumilog.com/2012/05/24/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%b3/
 
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049) カール・ダグラス 「Kung Fu Fighting」
1974年


 
【寸評】 「ソウルミュージック」と「ディスコミュージック」の分岐点は、1975年にあると思っている。この年ヴァン・マッコイによる大ヒット曲「ハッスル」が生まれて、黒人音楽シーンが大転換を遂げた。私からいわせると、それはソウルミュージックの “美しさ” がフェイドアウトし、ディスコミュージックの “狂騒” が台頭したということになる。以降「怪僧ラスプーチン」(1978年)、「ハローミスターモンキー」(1978年)、「ジンギスカン」(1979年)と、ソウルミュージックとは無縁の幼稚園のお遊戯ソングの時代になっていく。ここに紹介するカール・ダグラスの「カンフー・ファイティング」が登場した1974年というのは、ソウルミュージック大転換前の微妙な時期に当たる。この年に大ヒットした同曲は、キワモノめいたチャイナモードのリズムのなかに、わずかだが正統派ソウルの格調を残している。その微妙な混ざり具合がけっこう楽しい。気に入っている曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2012/07/10/%e3%82%ab%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%bc%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%82%b0/
  
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050) バーニー・リードン&マイケル・ジョージアデス
    「Callin’ For Your Love」
 
1977年


 
【寸評】 イーグルスというバンドは、私より6~7歳ほど若い、つまりこの2018年に還暦を迎えるぐらいの人々から絶大な支持を受けている。「自分の青春の音だ !」と言い切る人までいる。しかし、私はイーグルスには(好きなグループではあるが)それほど熱狂しなかった。時代の差だと思う。同じカントリー/フォークの味わいを持つロックバンドを挙げるならば、イーグルスがデビューする前に、既にザ・バンド、ニール・ヤング(&クレイジーホース)、クリアデンス・クリアウォーター・リバイバル、CSN&Y、ドゥービー・ブラザースなどがいた。それらのバンドよりもイーグルスの方が優れているとは、私には思えない。しかし、1975年にイーグルスを脱退したバーニー・リードンがその2年後に友人のマイケル・ジョージアディスと組んで発表した『Natural Progressions(ナチュラル・プログレッション)』は、イーグルス人脈がつくり出したアルバムという意味では、“イーグルスの最高傑作” といえるほどの名盤である。本家のイーグルスは嫌がるだろうが、もし「イーグルス」の名でこういうアルバムを出していたら、私はかなり熱狂的なイーグルスファンになっていたはずだ。それほど全曲が素晴らしい。レイドバックした “のんびり感” のなかにカントリーの乾いた味もあり、フォークの抒情性もあり、ロックのタイト感もある。そしてメロディーがみな美しい。
http://campingcar.shumilog.com/2011/07/16/%e5%bf%98%e3%82%8c%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%82%82%e3%81%86%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%81%a4%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%ab%e3%82%b9/
 
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051) ニール・セダカ 「悲しき慕情」
1962年

【寸評】 ニール・セダカの「悲しき慕情」は、1960年代初期のアメリカンポップスを代表する名曲の一つ。1964年になると、外来種であるイギリスのビートルズが、「抱きしめたい」というオバケヒット曲をひっさげてアメリカに上陸し、在来種のアメリカンポップスを次々と駆逐していったが、ニール・セダカだけはビートルズの猛威をかいくぐり、さらに70年代のロックの時代も耐え忍び、1974年には「雨に微笑みを」で見事に全米チャートナンバー1に返り咲いている。ニール・セダカ復活の力となったのは、けっきょく彼の作曲能力の高さであった。それはこの1962年の「悲しき慕情」を聞くだけで伝わってくる。メロディーラインの取り方においても、コード展開においても、ビートルズを先取りしているばかりか、それよりも斬新なところがある。今聞いても、この曲は新鮮に聞こえる。
http://campingcar.shumilog.com/2014/10/29/%e3%82%a2%e3%83%a1%e3%83%aa%e3%82%ab%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%9d%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9%e3%81%8c%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%ab%e3%82%ba%e3%81%ab%e9%a7%86%e9%80%90%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b/
  
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052) マントヴァーニ・オーケストラ 「魅惑の宵」
1942年

 

【寸評】 1960年代に若者向けのポップスが登場する前のアメリカで人気を集めていたのは、ミュージカルの挿入歌かそのテーマンソングだった。1940年代~50年代を通じてアメリカ人の大衆娯楽を支えたミュージカルからは、数々のヒット曲が生まれ、それがポピュラーソングやジャズのスタンダードになっていった。「魅惑の宵」は、アメリカの代表的なミュージカルの一つ『南太平洋』で使われたいちばん有名な曲。甘いストリングスに包まれたロマンチックなメロディーは、ラジオやレストランのBGMに使われ、1950年代には毎日街角のどこかで流れていた。だから、私にとってこの曲は、幼少期に両親にデパートの食堂に連れて行ってもらったときのテーマソングみたいなものだった。当時、デパートの食堂でご飯を食べるというのは、庶民にとってはそうとう贅沢なイベントだった。デパートの方もそれを意識して、高級感を損なわないような “優雅な” BGMを流すことに神経をつかった。「魅惑の宵」なら、まず間違いはなかろうという供給側の判断もあって、1950年代においては、この曲は「贅沢な空間で食べる高級な食事」の “代名詞” 的存在であった。
http://campingcar.shumilog.com/2009/03/01/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD/

 
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053) デヴィッド・バーン 「きっとここが帰る場所」
1984年

【寸評】 2011年に公開されたショーン・ペーン主演の映画『きっとここが帰る場所』で、そのテーマソング的な扱い方をされたのがこの曲だ。リードボーカルを取っている「トーキングヘッズ」のデヴィッド・バーンは、役者としても登場し、重要な役を演じている。私は、80年代のロックにはほとんど思い入れを持たずに過ごしてきたので、デヴィッド・バーンのこの曲も、映画を見てはじめて知った。いい曲だと思った。バシャッバシャッと小気味よく跳ねるスネアの音にマリンバの音が絡み、とてもエキゾチックなリズムが生まれている。映画(と曲)の原題は「This Must Be The Place」だから、「帰る」というニュアンスはない。しかし、この原題を「帰る場所」と意訳した翻訳者のセンスは素晴らしい。「帰る」という言葉が入ることによって、タイトルから哲学的な<問>が立ち上ってくる。それが映画にも、また挿入された原曲にも味わい深い陰影を与えている。
http://campingcar.shumilog.com/2013/11/04/%e3%81%8d%e3%81%a3%e3%81%a8-%e3%81%93%e3%81%93%e3%81%8c%e5%b8%b0%e3%82%8b%e5%a0%b4%e6%89%80/
 
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054) ザ・ローリング・ストーンズ 「Everybody Knows About My Good Thing (Blue and Lonesome)」
2016年

【寸評】 2016年に発表されたザ・ローリング・ストーンズの唯一のブルースアルバム。ストーンズというバンドは、デビュー当時からブルースやR&Bを自分たちの音楽活動の中心に据えてきたグループだが、全曲ブルースで統一したアルバムというの、実はこれがはじめてだという。で、聞いてみると、これがまたいいのだ ‼ 。バンドとして50年以上の活動を続けてきて、「ようやくブルースにたどりついた」という感じなのだ。ここには、ブルースの波動がある。ブルースの「うねり」が。ブルースの「ねばり」が。つまりブルースの「グルーブ」がある。こういう音を出せるようになるまでに50年かかったということなのだろうか。それとも、最初からこのくらいの音なら出せたのに、「ストーンズ・サウンドというオリジナリティ」にこだわったため、あえてこういう音作りを避けてきたのか。いずれにせよ、ここには非常に成熟した大人の風格を持ったブルースが生まれている。
http://campingcar2.shumilog.com/2017/12/05/%e3%82%b6%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%ba%e3%81%ae%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%b9/
 
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055) 映画『バルジ大作戦』 「パンツァーリート(戦車兵の歌)」
1965年

【寸評】 1965年に公開された『バルジ大作戦』というアメリカ映画は、ナチスドイツと連合軍の戦車バトルを描いた作品として、今なお人気が高い。もちろんアメリカ映画だから、連合軍の将校役にはヘンリー・フォンダ、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ライアンなどの往年のハリウッドスターがずらりと顔をそろえている。しかし、大半の観客にとって、この映画の主役といえば、それは憎たらしい敵役として登場するナチス将校のヘスラー大佐(ロバート・ショー)であり、映画でもっとも脚光を浴びた曲は、ドイツ戦車兵の歌「パンツァーリート」なのだ。どうしてそういうことになってしまったのか。アメリカの映画制作者たちの誤算であったのか。それとも、最初からドイツ将校の方をカッコよく描こうという意図があったのか。おそらく映画制作者たちの思惑を上回るほど、ナチス将校を演じたロバート・ショーの演技が素晴らしかったのだ。そして、その彼の演技力によって、単なる挿入歌でしかなかった「パンツァーリート」というドイツ兵たちの歌が、神が降臨するような輝きを獲得してしまったのだ。
http://campingcar2.shumilog.com/2016/04/13/%E3%80%8E%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B8%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%88%A6%E3%80%8F%E3%80%80%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AB%E6%B3%A3%E3%81%8F/
 
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056) シド・ヴィシャス 「マイウェイ」
1978年

【寸評】 パンクロックとは無縁な人生を過ごしてしまった。パンクを受容するには、やはり若さが必要となる。「社会」や「政治」や「文化」に対する違和感、嫌悪感、飢餓感、焦燥感がないとパンクロックは受容できない。それらはみな若さが生み出す感性だからだ。世にパンクがはびこり始めた時代、私はもう30歳に近づいていて、世の中の「社会」「政治」「文化」に必死に適合しようとしていた。つまりバンク的感性から遠ざかろうとしていたのだ。ただ、今こうやってこの時代のパンクを振り返ってみると、あれは一種の思想運動もしくは芸術運動であったと思う。思想運動・芸術運動が世の中に浸透するには、まず何よりも運動推進者がカッコよくなければならない。シド・ヴィシャスは、パンクの神がこの世に遣わしたメシア(救世主)としてのカッコよさを身に着けていた。だから、彼の早世は、メシアとしての殉教であったかもしれない。
http://campingcar.shumilog.com/2008/03/08/%E3%82%B7%E3%83%89%EF%BC%86%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC/

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057) マイルス・デイビス 「In A Silent Way」
1969年

【寸評】 マイルス・デイビスの「イン・ア・サイレント・ウエイ」は、楽器で書いた “詩” である。普通のジャズが “散文” ならば、「イン・ア・サイレント・ウェイ」は詩の論法で構成されている。つまり、フレーズのあちこちに、レトリックでいうところの隠喩、換喩、直喩が散りばめられており、単純なロジックで捉えられるものは何一つない。それはもう「夢の世界」といってもかまわない。曲に付けられたタイトルにも凄みがある。「静まり返った道の真ん中で」。… いったいその道はどこに向かっているというのだろうか? それに答える者は周囲に誰一人おらず、ただただ冷たい沈黙が地平線の彼方まで覆っている。この曲は、タイトルも含め、聴衆をこの世を超えた世界に導こうとしている。こんな曲が、1969年に生まれていたということに、ただただ驚くばかりである。
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058) ザ・マンハッタンズ 「Am I losing you」
1978年

【寸評】 70年代に活躍したソウルコーラスグループで、もっとも都会的に洗練された歌を聞かせてくれたグループといえば、このザ・マンハッタンズ以外に考えられない。そもそもSoul Music というのは、どんなに洗練させようが、黒人音楽独特のアーシーな感触が体臭のように残ってしまうものだ。しかし、ザ・マンハッタンズだけはそれがない。このグループの曲が流れる空間を想像したとき、真っ先に浮かぶのは、街の夜景が見渡せる照明を落としたバーラウンジだ。そういった意味で、このグループの曲は、「洒落た夜景」「洒落たカクテル」「洒落た会話」「洒落た恋」を楽しむ時の最高のBGMとなる。
http://campingcar2.shumilog.com/2015/12/04/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%94%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%81%af%e5%8a%87%e5%a0%b4%e7%a9%ba%e9%96%93%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8b/

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059) スタッフ 「And Here You Are」
1977年

【寸評】 「スタッフ」は、名うてのスタジオミュージシャンたちによって構成されたフュージョンバンドである。ただ私はフュージョンにはあまり興味がなかったので、彼らの演奏もこの「And Here You Are」の1曲しか知らない。しかし、この曲だけは大変気に入っている。夜の静けさを感じさせる涼しげなメロディーのなかに、満天の星の輝きも、夜風の心地よさも、すべて詰まっている。曲調は、ときにセンチでメランコリックな響きを持ち、ときにハートウォーミングな優しさを伝えてくる。こんな豊かな “表情” をもった曲はめったにない。一人ぼっちの寂しさを癒すときにも、誰かと愛を分かち合うときにも使える魔法の曲だ。
http://campingcar.shumilog.com/2015/03/17/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%94%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%81%a8%e5%a4%9c%e6%99%af%e3%81%a8%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ae%e7%9b%b8%e9%96%a2%e9%96%a2%e4%bf%82/

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060) ハリー・ベラフォンテ 「拳銃の報酬」
1959年

【寸評】 親父に連れられて、映画『拳銃の報酬』を観たのは、9歳のときだった。映画のなかで進行しているストーリーの半分も理解できなかった。ただ、モノクロの画面に流れるクールなジャズ、煙草の煙がたなびくナイトクラブの情景、そこで働く黒人女たちの投げやりな表情など、はじめて見る「大人の世界」は強烈に脳裏に沁み込んできた。もしかしたら、私がそれ以降「大人の世界」という言葉から連想する「ジャズ」「煙草」「モノトーンの酒場」などといったイメージは、すべてこのときに醸成されたものかもしれない。映画のなかで、ハリー・べラフォンテがヴィブラファンを叩きながら歌うシーンがある。彼は借金苦から抜け出すために、犯罪にまで手を出さなければならない状況に追い込まれている。そういう人間が歌う歌(ジャズ)は、私が日頃聞いている音楽とはまったく異なるものだった。そのとき、世の中には「童謡」や「唱歌」とは違う音楽があることを9歳の私は悟った。
http://campingcar.shumilog.com/2008/03/09/%e6%8b%b3%e9%8a%83%e3%81%ae%e5%a0%b1%e9%85%ac/
 
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061) ライ・クーダー 「アクロス・ザ・ボーダーライン」
1981年


 
【寸評】 「アクロス・ザ・ボーダー・ライン」は、1981年に公開された映画『ボーダー』(ジャック・ニコルソン主演)のテーマ・ソングである。これを作ったライ・クーダーは、その後もいくつかのバージョンを発表し、いってしまえばライ・クーダーの代表作の一つともいえるような曲になった。全編に漂うのは、“南国の空気感” 。つまりアメリカの国境を越えて、メキシコに下ると、そこには「甘くけだるい土地が広がっているよ」とささやく曲だ。もとよりそれはアメリカ人の願望と幻想にすぎない。しかし、その幻想が長い間疲れたアメリカ人たちに “現実逃避” の夢を与えてきた。ライ・クーダーの曲もけっきょく現実逃避の音楽にすぎないのだが、だからこそ、それはてつもなく甘美で切ない。
http://campingcar.shumilog.com/2013/07/28/%e3%82%a2%e3%82%af%e3%83%ad%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%b6%e3%83%bb%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%80%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3/

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062) ZZ トップ 「I Thank You」
1979年

【寸評】 ZZ トップは、テキサス出身の3人組ロックバンド。私が “サザンロック” という言葉を耳にしたときに、最初に認知したバンドだ。写真を見ると、テンガロンハットをかぶったヒゲ面、そしてサングラス。いかにも人種的偏見に満ちた頑迷固陋(がんめいころう)の “ならず者” 集団に見えた。が、しばらくして、そういうビジュアルづくりはショーアップを意図したものであって、本質的にはお茶目なサービス精神を持つ人々であることを知った。彼らの音の特徴は、ハードなブギのリズムの繰り返しにあり、大音量で聞いていると、次第に脳髄がマヒして、どんどんハイになっていく。「I Thank You」は、その典型だ。
http://campingcar.shumilog.com/2007/11/01/%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%82%a6%e3%82%a7%e3%82%a4%e9%9f%b3%e6%a5%bd/
 
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063) マリアンヌ・フェイスフル 「かわいい小鳥」
1965年

【寸評】 フォーク調のメロディーで構成されたシンプルな曲。しかし、そのなかには、秋の夕暮れに包まれていくようなメランコリーが潜んでいる。行き場を失ったさびしさだけが、曲のまわりをぐるぐる回っている。勝手なイメージの反映かもしれないが、そこには、ポップスターとしての人気を獲得し、映画女優としても評価され、さらにはミック・ジャガーの恋人として幸せなスタートを切ったマリアンヌ・フェイスフルが、人生の後半において神経を病み、低迷していく姿が暗示されているような気もする。もちろんラジオから流れてくるこの歌を聞いていた中学生の私には、彼女をその後襲う悲哀など知るよしもない。ただ、思春期らしい感性で、「美しくもさびしい歌だな …」としんみり聞いていた程度だ。しかし、この曲には、人類共通の哀しみが宿っているような気もした。すなわち人間から見ると、うらやましいほど自由に空を飛んでいるはずの鳥が、けっして幸せでもないという事実を知ったときの悲哀のようなものが。

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063) CSN&Y 「Teach Your Children (ティーチ・ユア・チュルドレン)」
1970年

【寸評】 ポピュラーソングのなかで「カントリーミュージック」というのが嫌いだった。ブルース系やR&B系といった黒人音楽が好きだったから、カントリーはその対極にある “能天気で退屈な白人の音” にすぎなかった。その認識が改まったのは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)の「ティーチ・ユア・チュルドレン」を聞いてからである。「ほのぼのとしていいなぁ !」と思ったのだ。60年代にはまだ白人と黒人の人種対立の構図がアメリカに残っていたが、そういう人種の “壁” のようなものを超え、人間として「温かい気分」になれそうな音に思えた。それというのも、けっきょくは作詞・作曲を担当したグラハム・ナッシュの才能に負うところが大きい。いい曲は人種の壁や偏見を超える。口ずさんでいると、思わず笑みがこぼれてきそうな曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2007/05/29/%e5%90%89%e7%a5%a5%e5%af%ba%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%90%e3%83%83%e3%83%97/

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064) サンタナ 「ネシャブールのできごと」
1970年

【寸評】 カルロス・サンタナも息の長いアーチストである。1966年にバンドデビューをはたしてから今日まで、ロックギタリストとして常に先端で活動している。ときに歌謡曲路線(「哀愁のヨーロッパ」)に走ったり、神がかり志向を強めたりして振幅の激しいところを見せるが、アルバム『シャーマン』(2002年)あたりの音はけっこう好きだ。それでも、私から見たサンタナの代表作といえば『アブラクサス Abraxas(天の守護神)』(1970年)になってしまう。それに続く『サンタナⅢ』(1971年)、『キャラバンサライ』(1973年)あたりまでが私の好みだ。『アブラクサス』を知ったのは、今はなき吉祥寺のロック喫茶「ビーバップ」だった。アルバム中には「ブラック・マジック・ウーマン」、「オエ・コモ・バ」、「君に捧げるサンバ」、「ホープ・ユー・フィーリング・ベター」のような親しみやすい曲調のものもあったが、歌の入らないインストものにはとまどった。ロックとジャズとラテンにプログレ的な音が混じったなんとも奇怪な音を聞いたと思った。しかし、それが同時に非常に高度な演奏テクニックによるものであることはすぐに分かったし、まぎれもなく新しいロックを感じさせるものがあった。特に「ネシャブールのできごと」は、前半の強烈なラテンビートを効かせた荒々しい音と、後半のスイートなメロディーの対比が鮮やかで、魅せられた。甘い旋律を奏でるときのサンタナのギターは、リリカル(抒情的)で、エロティック(官能的)。こんなに甘い音を出すギタリストも珍しい。
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065) シカゴ 「イントロダクション」
1969年

【寸評】 「シカゴ」は1969年にデビューして以来、メンバーが少しずつ変わりながらも、21世紀になっても、ロックの最前線で活躍しているバンドだという。しかし、私は2000年以降のシカゴがどんな音楽を手掛けているのか、まったく知らない。というか、1970年以降のシカゴにはほとんど興味がない。私にとって、「シカゴ」といえば、この1969年の「シカゴの軌跡」がすべてである。1960年代のアメリカのロックバンドは、みなベトナム戦争に反対したり、時の政権を批判したりする傾向を強めていたが、このシカゴほど強烈な政治的メッセージを発信したグループはほかにいなかった。にもかかわらず、これほどポップで親しみやすいメロディーとノリの良いグルーブ感をともなうサウンドを作り得たグループもまたなかった。シカゴは、本アルバムでその背反する要素を見事に両立させ、まさに(軌跡ならぬ) “奇跡” を実現したバンドであった。1曲の演奏時間がそうとう長い2枚組にもかかわらず、聞いていてまったく飽きない。特に(レコードでいえば)1枚目のA面からB面にかけて、つまり、「イントロダクション」、「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」、「ビギニングス」、「クエスチョンズ67/68」、「リッスン」、「ダイアローグ」と続くきらめくような音の流れに身を任せていると、いつしか忘我の境に引きずり込まれる。どれも歴史に残る名曲と言い切ってかまわない。70年後半から80年代にかけて、このバンドの音作りはどんどんAOR的なバラード路線に移行していくが、たぶんそれは「シカゴ」という名前だけ借りた別バンドである。
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066) ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(withジャニス・ジョプリン)
「Combination Of The Two」

1968年

【寸評】 「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」というバンドは、ジャニス・ジョプリンをこの世に出すために存在したバンド … と言い切ったらあまりにも失礼かもしれないが、正直にいえば、そういうところがある。バンドの結成は1965年。サンフランシスコのローカルバンドの一つでしかなかった。ところが、翌年にジャニス・ジョプリンがリードシンガーとして参加するようになり、ボイラーに火が投じられることになった。つまり「女神」が降臨したのだ。彼女の起こした奇跡によって、ホールディング・カンパニーのアルバム『チープ・スリル』は1968年のアルバム売上で全米ナンバーワンを記録する。アルバム1曲目からジャニスのパワーは全開。荒っぽいながらもキレの良いギターカッティングを背景に、猛獣の咆哮のようなジャニスのシャウトが炸裂する。小気味よいリズムでグイグイ引っ張っていくこのサウンドに、1960年代のアメリカンロックの真髄が宿っている。
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067) CCR (Creedence Clearwater Rivival) 「ダウン・オン・ザ・コーナー」
1969年

【寸評】 「ダウン・オン・ザ・コーナー」は、豪快でおおらかなサウンドを奏でるCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル)が1969年にリリースした4枚目のアルバム『Willie And The Poor Boys (ウィリー& ザ・プアボーイズ)』に収録された1曲。「コットン・フィールズ」と並んで大ヒット曲となった。このアルバムは、ビートルズの『サージェントペッパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と同じように、ウィリー& ザ・プアボーイズという架空のバンドが南部の町々を流していくというコンセプトアルバムになっている。狙い通り、いかにも “南部っぽい” 土臭さが漂うサウンドで統一されているが、もともとCCR自体がウエストコーストのバンドだけあって、アーシーなサウンドを志向しても、どこか爽やかさが残ってしまう。私は最初そのへんに頓着していなかった。しかし、後にオールマン・ブラザーズバンドやマーシャルタッカー・バンドなどの本格的サザンロックを聞いて、ようやくCCRと、土着の南部ロックの差が理解できた。しかし、多くの日本人リスナーにとっては、CCRの泥臭さの方が、たぶん「アメリカ南部の音」として評価されるのではないかという気がしている。
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068) イッツ・ア・ビューティフル・デイ 「ホワイト・バード」
1968年

【寸評】 イッツ・ア・ビューティフル・デイは、1960年代にジェファーソン・エアプレインなどと並んで、サンフランシスコで活躍したロック・バンド。その名を広く知られるようになったのは、69年にファースト・アルバム「It’s A Beautiful Day」を発表してからだ。そのなかに収録された「ホワイト・バード」は、アルバムジャケットの “青空” と、バンド名の「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」という言葉を、まさに曲で表現したような爽やかなサウンドを実現し、彼らの代表作となった。男性と女性のツインヴォーカルによるハーモニーが奏でる美しい旋律。たゆたうようなのどかなリズム。間奏部分を埋めるバイオリンの音が素晴らしい。 
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069) ヴァニラ・ファッジ 「キープ・ミー・ハンギング・オン」
1967年

【寸評】 元歌はモータウンの女性グループ「シュプリームス」の大ヒット曲である。そのエモーショナルな人間の歌声を、ぶ厚いオルガンの “人工音” に変換し、サイケ調リズムで補強したのが、ヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」だった。この斬新な音にびっくりしたリスナーたちが、ロックの新しい時代が来たこと告げる言葉として、「ニューロック」、「サイケデリック・ロック」、「アートロック」などという言葉を次々と考案した。それらはみな死語となったが、現在なら「プログレッシブ・ロック」という一言で片付くかもしれない。
http://campingcar.shumilog.com/2007/05/10/60%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%af/

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070) ジェファーソン・エアプレイン 「Somebody To Love(あなただけを)」
1967年

【寸評】 60年代ロックの黎明期を象徴するバンドがジェファーソン・エアプレイン。大ヒットした「Somebody To Love(あなただけを)」は、彼らの代表作であるばかりでなく、60年代ウエストコーストサウンドを代表する曲でもある。「サイケデリック・サウンド」とも呼ばれるドラッグ文化の影響を受けた音づくりだが、それでいて、西海岸的な爽やかさもある。リードヴォーカルをとるグレイス・スリックはこの曲で、いちやくヒッピームーブメントを代表する “女神” として人気を博した。
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071) ザ・ドアーズ 「ストレンジ・デイズ」
1967年

【寸評】 ドアーズの2枚目のアルバム『まぼろしの世界』のトップを飾る曲。すでに「ハートに火をつけて」の大ヒットで世界的な人気バンドになったドアーズのサウンド的特徴が、この曲には非常によく表れている。UFOが虚空を飛んでいくようなサウンドを奏でるオルガンの伴奏を背景に、ジム・モリソンが “神官のご託宣” のようなおごそかな声を響かせる。この頃のジム・モリソンの風貌には、旧約聖書の預言者のような影が漂っている。キリストに洗礼を授けたというヨカナーンが現代に復活してきたら、おそらくこんな顔をしているのではあるまいか。オスカー・ワイルドの物語に出てくるヨカナーンは、舞姫サロメのリクエストにより、ヘロデ王によって首をはねられる。ジム・モリソンの早世は、そういう聖書のエピソードを思い出させる。
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072) ビル・エヴァンス 「My Foolish Heart」
1962年

【寸評】 その旋律の美しさで、あまりにも有名なジャズバラード。邦題は「愚かなり我が心」。もともとは1949年に公開された同名映画の主題歌で、フランク・シナトラ、トニー・ベネットなども歌っているスタンダード曲である。しかし、今日「My Foolish Heart」という曲名で誰もが思い浮かべるのは、ビル・エヴァンスのピアノバージョンだろう。リリカル(抒情的)で、ソフィストケイト(繊細)されていて、スイート(甘美)。壊れやすい状態のまま美の極致にまで昇華したガラス細工のような演奏。薬物の乱用で健康体を維持するのも困難な日々を送った人だが、その命の炎をすべて自らのプレイに燃焼させたという感がある。ビル・エヴァンスの代表曲であるばかりでなく、広くジャズ・バラードの代表曲。
http://campingcar.shumilog.com/2014/01/03/%e3%83%9f%e3%83%83%e3%83%89%e3%83%8a%e3%82%a4%e3%83%88%e3%83%bb%e3%82%af%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%83%b3%e3%82%b0/  
 
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073) US3(アススリー) 「Cantaloupe (カンタループ)」
1992年

【寸評】 この曲は、テレビCMで知った。20年ぐらい前の話か。「MORIMOTO」という不動産関係の会社のCMだったと思う。実にクールな音 ! 久しぶりにカッコいいジャズを聞いたと思った。CMが伝えようとした商品情報よりも、音楽だけが記憶に残った。さっそくCD屋に足を運び、店員にいろいろ調べてもらってアルバムを手に入れた。演奏者は「US3(アススリー)」というジャズ・ラップ・グループ。ハービー・ハンコックがブルーノート時代に残した「Cantaloupe Island」をサンプリングして、ヒップホップのフロウ(言い回し)を被せた曲なのだが、まぁ、なんともいえないハイセンスな仕上がりになっている。もちろん原曲の素晴らしさに負うところが大きいのだが、その原曲の良さを、さらに現代風にアレンジして、シャープさを強調したのが本曲。このCDを手に入れてからは、毎日しばらくこれだけを聞いていた。
http://campingcar.shumilog.com/2008/04/10/%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ba%e3%82%92%e8%81%b4%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89/
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074) ホレス・シルバー 「ソング・マイ・ファーザー」
1964年

【寸評】 ジャズにはそれほど詳しくないので、このホレス・シルバーというピアニストが1960年代にどういう活躍をした人なのか、よくは知らない。ただ、この曲は大好きである。何がいいかというと、まずメロディーが楽しいし、覚えやすい。ジャズは、どんな名曲といわれるものでも、しょっぱなのテーマ演奏が終わって個々のプレイヤーのソロパートに移ると、主旋律がどんどんボヤけてしまう。ま、ジャズというのは、個々のプレイヤーのアクロバティックなインプロビゼーションを楽しむ音楽だから、主旋律を奏でることなんかよりも、アドリブパートの冴えが大事なんだけど、そういう “ジャズのだいご味” を楽しめるまで耳が肥えていない素人の場合、そこがちょっととっつきにくい。だけど、この「ソング・マイ・ファーザー」は、けっこうメロディーパートが長く続くし、ピアノのインプロビゼーションもきれいなので、甘さが長い時間持続するガムを噛んでいるような気持ちになる。とても心地よい曲だと思っている。
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075) ウィントン・マルサリス 「Sister Cheryl (シスター・シェルリ)」
1982年

【寸評】 どうもジャズのリズムのなかで、私好みのリズムというものがあるらしく、ふと気づくと同じリズムの曲ばかり気に入って語っているような気がする。概して、ゆったりしたミディアムテンポで奏でられる、3拍子とか4分の5拍子などといった変拍子のリズム。そこから生まれるエキゾチックな味わい。これが好きでたまらない。私には、正統的なフォービートの疾走感よりも、変拍子の “足踏み感” に心を奪われる傾向があるようだ。そういった意味で、このウィントン・マルサリスの「シスター・シェルリ」などという曲は、私にとって理想的なテンポとリズムを持った曲だ。ベースはロン・カーター。ドラムスはトニー・ウィリアムス。そしてピアノがハービー・ハンコック。誰がいったか “黄金のリズム隊” 。けっきょくこのベテランの才人たちがサイドメンとして脇を固めたからこそ、無類に心地よいリズムが生まれているのだろうと思う。トランペットを吹いているウィントン・マルサリス自身が、たぶんそのことをいちばん強く感じているはず。だからこそ、このアルバム(『ウィントン・マルサリスの肖像』)のこのテイクは、リスナーに至上の快楽を提供できるのだ。
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076) デイブ・ブルーベック・カルテット 「テイクファイブ」
1959年

【寸評】 最初に買ったジャズのレコードが、この「テイクファイブ」だった。中学生のときだ。私にかぎらず、今のシニア世代には、この曲からジャズに親しむようになったという人は多いのではなかろうか。それほど、当時のラジオからよく流れていた人気曲だ。ヒットの要因は、“クールさ” にある。ポール・デスモンドの吹くアルトサックスの音色は、この時代のどんなポピュラーソングにも、クラシックにも、もちろん歌謡曲にもなかった。僕らの世代は、ラジオを通じてホットなアメリカンポップスに慣れ親しんでいたので、暑苦しい音楽には免疫ができていた。しかし、「テイクファイブ」の音色は、真夏日にひんやりした氷を肌に押し付けられたような感触だった。当時は、この「クールさ」を理解することが、大人に近づく第一歩のように思えたものだった。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/06/17/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD/
 
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077) マイルス・デイビス 「死刑台のエレベーター」
1957年

【寸評】 『死刑台のエレベーター』は、フランス映画の巨匠ルイ・マル監督が1957年に制作したサスペンス映画。封切り後、モーリス・ロネとジャンヌ・モローという2人の映画俳優の代表作ともなった。映画がヒットした要因の一つに、サウンドトラックを担当したマイルス・デイビスの力がある。まさに “絵に描いたような !” 犯罪映画のテーマ曲にふさわしい演奏で、多くの人が、映画を見る前から、もうその作品の雰囲気を肌で感じてしまったという逸話が残っている。不倫の恋を成就させたいマダムとその愛人が計画する完全犯罪。しかし、完璧だったはずの計算は少しずつ狂っていく。そのときの女主人公ジャンヌ・モローの心をよぎる不安。輝くネオンの底に沈む夜の深さ。孤独とメランコリー。マイルスのトランペットは、そんな絶望の淵にたたずむ人間の心理を余すところなく描き切る。サスペンス映画史上最大のヒット曲であると同時に、ジャズ史に残る名作。
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078) アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ 「危険な関係のブルース
1959年

 

【寸評】 ロジェ・バディム監督による『危険な関係』は2回映画化されたが、その1作目は1959年に制作された。そのサウンドトラックを担当したのがアメリカのジャズバンド「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ」だった。この時代、アート・ブレイキーは、ベニー・ゴルソンという作曲家 兼 アレンジャー(サックスも吹く)とコンビを組み、さらにトランぺッターのリー・モーガン、ピアニストのボビー・ティモンズなどもバンドに加えて、黄金時代を築き上げていた。大ヒット曲の「モーニン」などが生まれたのもこの頃。映画『危険な関係』のテーマは、そんなアート・ブレイキー楽団の最も脂ののった時代のサウンドを伝えてくれる。封切り後から60年が経とうとしているというのに、今もな燦然と輝いている名曲である。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/06/17/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD/
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081) ジョン・コルトレーン 「スピリチュアル」
1961年

【寸評】 1920年代に大衆娯楽として始まったジャズは、1960年代になると、それまでのジャズの形式にとらわれずに、演奏者の直感に従って自由に音をつなげていくフリージャズ(前衛ジャズともいう)の流れが台頭した。オーネット・コールマンらが提唱した新しいジャズの手法で、ジョン・コルトレーンもその方向に舵を切る。コルトレーンは晩年(1967年没)、ますますフリージャズに傾倒するようになったが、このヴィレッジ・バンガードのライブ(1961年)は、それまでのオーソドックスな演奏スタイルと、後のフリージャズの演奏スタイルが重なるような微妙な時期にあたる。ということは、そのどちらの良さも味わえる “おいしい” 時期の演奏ということになる。特に、コルトレーンの演奏スタイルとして人気の高い “3拍子ノリ” で進んでいく「スピリチュアル」の浮遊感は実に心地よい。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/06/20/1960%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e3%81%ae%e5%89%8d%e8%a1%9b%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ba/
 
 

カテゴリー: 音楽 | 4件のコメント

インバウンド(訪日旅行)で脚光を浴びるキャンプ場泊

 
外国人観光客はなぜ増えてきたのか?
 
 日本を訪れる外国人観光客が増加の一途をたどっている。
 日本政府観光局(JNTO)によると、2018年3月の訪日外国人数は、前年同月比18.2%増の260万7900人。3月として過去最高だったそうだ。
 
 国別でみると、この3月に時点においては韓国人がトップで、約62万人。続いて中国人が約59万人。台湾の観光客約39万人。香港の観光客約20万人となっており、アジア圏の人々の占める比重が高い。
 
 一方、欧米からの観光客は少ないといわれているが、それでも3月の集計によると、アメリカ人が約15万人。カナダ人約3.5万人。ドイツ人約2.5万人となり、これもまた増加傾向を見せている。
 このため、日本各地の観光収益も上り、今やインバウンド事業は日本経済の向上に欠かせない存在になってきた。
 
 専門家によると、このようなインバウンド市場が拡大した要因として、まず格安な運賃体系を打ち出した航空会社の増加が挙げられるという。
 さらには、アニメやゲームを通じて、海外の若者が日本のカルチャーに魅力を感じるようになってきたこと。また、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録され、「食」の領域でも日本文化が海外に評価されてきたことも大きいようだ。

 これらの外国人が魅力を感じる日本の観光資源として、最近人気が高まっているのが「日本の自然」。北海道の自然の景観を堪能できる富良野あたりは、夏になると、今や日本人よりも外国人観光客でごった返しているとか。
 
 
自然を楽しむためにキャンプ場に泊まる外国人キャンパー

 そういう日本の自然を心行くまで享受したいという外国人の間で、近年利用率が増えているのがオートキャンプ場だ。キャンプ場は、四季によって様々な変化を見せる日本の自然を堪能する場所として最適であるばかりでなく、シティーホテルより宿泊代が安いという経済性も評価される傾向にあり、キャンプ場を宿泊拠点に選びながら観光地を回るという旅行スタイルが外国人の間で定着しつつあるという。

 「一般社団法人 日本オートキャンプ協会(JAC)」の堺廣明業務課長(写真下)によると、最近全国のキャンプ場から、訪日外国人観光客が目立つようになったという報告が増えてきたという。

 このような流れを見て、オートキャンプ協会では、毎年発行する『オートキャンプ白書』において、「訪日外国人キャンパーの増加率とその宿泊傾向」を探る調査項目を今年度から追加。さらに同協会のホームページにおいても、英語版の対応ページを設けたり、視覚的な理解を深めるためのアイコン化を強化する方針である。

 また、外国人キャンパーの観光スタイルとして、最近目立つようになってきたのがレンタルキャンピングカーによる旅行だとか。
 近年、国内のキャンピングカーブームを背景にレンタルキャンピングカー業者そのものが増えており、インバウンドを視野に入れて、外国人向けの情報サービスを強化したり、空港近辺に拠点を設ける会社も目立つようになってきたと堺課長はいう。 
 
 
外国人向けのレンタルキャンピングカー業も盛んに

 国内のキャンピングカービルダーや販売会社のなかにも、このようなインバウンド対策に積極的に取り組む会社が増えてきている。
 これまで国産バンコンを中心にキャンピングカー製造を進めてきた「かーいんてりあ高橋」(長野県)の高橋宣行社長は、昨年世界的なネットワークを持つレンタルキャンピングカー業者の「マクレント」(ドイツ)と提携して、「マクレントジャパン」を立ち上げた。


 
 これは、「日本でもレンタルキャンピングカーを安心して使えるシステムが整備されていることをマクレントの情報サービスを通して世界中に広報する」という目的で設立されたもの。そのため、レンタルシステムの概要や日本の交通事情などを知ってもらうための英語版マニュアルを用意している。さらに、アジア圏からの観光客の増加をにらみ、今後は韓国語、中国語のマニュアルも準備していくという。

 マクレントジャパンに参加している国内企業には、現在のところMYSミスティック、バンテック、レクビィ、ケイワークス、岡モータースなどのキャンピングカー会社が名を連ね、拠点を全国に広げている。

 このような訪日外国人の間に広がるキャンプ場人気の高まりやレンタルキャンピングカーの利用状況を、キャンプ場管理者たちはどう観察しているのだろうか。
 
 
キャンプ場も外国人対応に本腰を入れ始めた

 「外国人観光客の来場は実際に増えています」
 というのは、千葉県・山武市で「有野実苑キャンプ場」を運営している鈴木章浩代表(写真下)。同キャンプ場は成田空港にも近いため、空港近辺にあるレンタルキャンピングカー業者から車を借りた訪日観光客の利用率が高い。
 そういう空港近くのレンタカー会社からキャンピングカーを借りて千葉周辺の観光地を周遊し、最後にレンタカーを返すための調整場所として同キャンプ場に宿泊するケースが多いのだとか。


 
 訪れる観光客を国別でみると、目立つのは台湾、香港、韓国からの来場者。
 「台湾あたりはキャンプブームが訪れているらしんですよ。でも夏は暑すぎて自国ではキャンプができない。そこでみんな日本にやってくるんです。当キャンプ場だって夏は30度くらいあるんですが、それでも彼らは涼しいというんですね(笑)」
 と鈴木さん。

 キャンピングカーばかりでなく、普通の乗用車を借りてキャンプ場にやってくる外国人観光客も多い。
 その場合、キャンプ道具などはどうしているのだろうか。

 鈴木さんが見るに、
 「けっこう自分で調達してこられる方が多い」
 とか。
 「東アジア圏でキャンプブームが広がっているとはいえ、まだコールマンやスノーピークといったブランドもののキャンプ道具を扱う直営店が少ないらしいんです。そういうものを求める人たちはみな訪日したときに買い求め、日本のキャンプ場で試してから自国に持ち帰る。キャンプ用品メーカーさんの話によると、そういうケースも増えているそうです」(鈴木さん) 
 同キャンプ場では、今後外国人キャンパーたちのニーズも研究し、彼らのリクエストを実現するためのリサーチを重ねていくという。
 
 
 外国人観光客の増加を実感しているのは、福島県のキャンプ場「猪苗代湖モビレージ」(写真下)でも同じ。

 「国別でいうと、アジア系の人が目立ちますが、当キャンプ場では欧米系の方も来られます。
 そういうキャンピングカー先進国のお客様は、さすがに日本人以上にキャンピングカーライフを熟知されているので、使い方に困る様子もなく、安心して見ていられます」
 と語るのは、同キャンプ場を運営する小松克年さん(写真下)。

 日本のキャンピングカーユーザーは、宿泊時間に余裕がないときは「道の駅
などで仮眠するケースも多いが、外国人利用者は、宿泊期間が短くとも、必ずキャンプ場を訪れるそうだ。
 「たぶん治安の問題で、海外ではキャンプ場以外の場所に宿泊することは危ないという認識があるからではないか」
 と小松氏は推測している。
 
 
外国人には、「自然体験」と「文化体験」
を結合させるような旅行スタイルが好評

 こういう訪日キャンパーの増加に、仕事を通じて貢献しているのが、キャンプコーディネーターで、アウトドアライターでもある佐久間亮介さん(写真下)だ。佐久間さんは日本だけでなく、海外においても豊富なキャンプ体験を持ち、そこで得たノウハウをご自身のブログやキャンプ系媒体で発表され、日本のキャンプ文化の向上に一役買っている。

 佐久間さんによると、外国人キャンパーが日本のキャンプ場を評価するときの着目点のひとつに、「四季の変化を堪能できる」ということがあるという。外国にもそれぞれ四季はあるが、日本のように春、夏、秋、冬が景観や気候において明確な変化を見せ、各季節に応じた文化体験が用意されている国はめったにない。
 
 日本では四季に応じたライフサイクルが独特の発展を遂げ、日本の風土と見事に溶け合うほどの洗練度を見せている。
 初夏の田植えや茶摘み、秋の米や野菜の収穫。そういうタイミングをとらえて各地で催されるさまざまな祭り。そういう日本固有のライフサイクルや文化事業は、いま外国人観光客にもっとも喜ばれる観光資源になっている。

 佐久間さんは、日本を訪れる外国人キャンパーに向けて、日本を旅行するときのプラニングをコーディネートし、かつ日本のキャンプ場に対しては、訪日キャンパーたちが快適にキャンプライフを楽しめるようなノウハウを伝授して、キャンプを通じた国際親善に協力している。
 
 2020年の東京オリンピックを控え、訪日観光客の一層の増加が見込めるなか、キャンプ場を中心とした新しい観光スタイルが定着してきていることに、メディアのさらなる注目が集まりそうだ。
 
 

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映画「エクス・マキナ」の乾いた抽象空間

 
 「ロボット」が出てくるSF映画とかアニメに興味があって、その手の話題作があると、よく観る。
 映画によっては、「アンドロイド」とか「レプリカント」、あるいは「サイボーグ」などと言葉を与えられることもあるが、要は “人間そっくりさん” が出てくる作品だ。

 なぜ、そういった映画に関心が向くのか。
 それは、現代社会の大きなテーマになりつつある「人間とAI の違いは何なのか?」という問題を考えるときに、ヴィジュアル的なリアリティを与えてくれるからだ。

 つい最近観た映画に、アレックス・ガーランド監督の『エクス・マキナ』(2016年)、ルパート・サンダース監督の『ゴースト・イン・ザ・シェル(実写版)』(2017年)、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ブレードランナー 2049』(2017年)がある。

 この3者のなかで、比較的印象に残ったのは、『エクス・マキナ』(写真上)だった。
 このタイトルは、ラテン語の「機械によって」という言葉を意味するらしい。
 文字通り、他の二つの映画に比べて、ここに登場する女性型AI 搭載ロボットは “生々しく” 機械的だ。
 ボディの大半は半透明で、機械っぽい内部構造が透けている。

 その反動で、彼女が頭にウィッグをかぶり、人間女性の着るドレスを身に着けて登場すると、妙に艶っぽくて、ときにエロティックに見える。
 だから、主人公であるIT 企業のプログラマーの青年と恋のかけひきが始まるという設定にそれなりのリアリティが生まれてくる。

 はたして、「機械」と「人間」の間に恋愛は生じるのだろうか。
 これがけっきょくこの映画の根本的なテーマとなるのだが、その結末を言ってしまうと、「なぁ~んだぁ」ということになるので、あえてネタバレの展開は避けようと思う。
 ただし、「機械」と「人間」の恋が、ミステリアスなサスペンス劇になっていき、最後には劇的なエンディングが用意されているというところまでは明かしていいだろう。

 そのサスペンス的な要素を盛り上げているのが、舞台となる山岳の別荘(写真上)だ。
 ここではIT 企業の社長がたった一人でAI 搭載ロボットを開発しているのだが、その社屋は、徹底的に人間の生活臭を払しょくしたドライな幾何学的空間になっている。

▼ 「AI 人間」を開発する社長(右)と、「AI 人間」の完成度をテストするために山荘に呼ばれた主人公

 いってしまえば、この山荘は、人間が人間としての精神を保っていられるぎりぎりの生活空間であり、そこから先は、「人間型機械」でしか生存できないような乾ききった人工世界なのだ。


 
 「機械」と「人間」の恋が成立するのかどうか、というきわどいテーマは、こういう環境設定がないと成立しない。
 「人間」の方に、このような非人間的な抽象空間に耐えられる感性が用意されていないと、おそらく「人間」は、「機械」が告白する恋を信じることはできないだろう。

 つまり、この映画は、人間同等の脳活動を与えられたロボットが、人間固有のものと思われがちな「恋愛」感情を持ちうるか? というテーマを探るだけでなく、人間の方が、どれだけ人工物に心を寄せられるか? ということも描こうとしている。

 そういった意味で、本作は、「AI」の進歩に対する一つの示唆的な未来図を描くことに成功したが、観ていて、ちょっと息苦しくなってきたことも告白しよう。

 それは、この映画にリアリティを与えている幾何学的抽象空間に、私自身が耐えられなくなってきたからだ。
 登場人物は、AI 美女を入れてたった3人。(あと1人メイド型の人工女性がいるけれど)
 少数の人間たちが繰り広げる密室劇は、だんだん観客を酸素不足の状態に追い込んでいく。

 山荘のロケ地として選ばれたノルウェーのフィヨルドの風景も寒々としている。
 主人公と社長がときどき散歩に出かける別荘の外には、太古の人類が耐え抜いてきた氷河期の風景がそびえている。

 遠い将来、地球にもう一度氷河期が来るのだろうか? (そういう説もある)
 もし、そういう時代が来たら、そのときの人間にはもう氷河期を生きのびる耐性がなくなっており、生き抜いていけるのは、AI を搭載したロボット人類だけなのだろうか。
 ふと、そういうことまで想像させるようなロケ地が選ばれている。
 
 

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日大アメフト事件で浮かび上がった日本的組織の正体

  
顔のない組織が権力を握っている
 
 日本大学と関西大学のアメリカンフットボールの定期戦において、日大選手の悪質な違法タックルを行い、関学のクォーターバックの選手が負傷したことが社会問題にまで発展している。
 ニュースなどを見ていると、日大の監督・コーチがその違法タックルを選手に指示したのかどうかということが争点になっているようだ。

 昨日、その違法タックルを行った日大の選手が記者会見を行い、被害者に謝罪するとともに、その悪質違法タックルが監督・コーチの指示によるものであったと明言した。
 にもかかわらず、日大の広報は「選手と監督の間に意識の乖離があった」という言い訳を繰り返すのみで、謝罪するでもなく、開き直るわけでもなく、得体のしれない軟体動物のように、じりじりと後ずさりしているだけである。

 すでに多くのメディアが言及しているとおり、日大は今回の事件に対して、誰に責任があるのか、誰が事態を収拾できるのか、まったくそれを明らかにしていない。
 つまり、日大という組織が「顔」のない組織であることが浮かび上がってきたのだ。

 あるメディア解説者によると、そもそもこの日大という学校は、いちばん偉いのは学長なのか、それとも理事長なのか、それすらはっきりしない学校だという。

 つまり今回の事件は、日本においては、相変わらず「顔」のない権力が強大な実権を握っているという、きわめて古典的な組織構造が “健在” であるということを明示した。
 
 これは日大だけに限らない。
 言葉をかえていえば、「忖度(そんたく)による権力システム」がさまざまな日本的組織を動かしていることがはっきりしてきた。

 命令系統をはっきりさせない。
 誰かの指示があったかどうかを明確にしない。
 命令の伝達経路をあいまいにしたまま、それでも強大な権力が動いていくことを人々が空気として察知するように仕向ける。

 今回の日大アメフト部の違法タックル騒動は、同部の指導層がそのとおりに動いていたことを明らかにした。
 問題を起こした学生は、直接監督から指示を受けたわけではない。
 直属のコーチから間接的に、「監督の意向はこうだ」という説明を受けたにすぎない。
 
 そのコーチも、選手に対しては、「相手チームのクォーターバックを負傷させろ」という具体的な指示を出したわけではない。
 「つぶせ」
 「こわせ」
 などという情緒的な言葉で誤魔化して、その意味を選手自身が汲み取るように仕向けたのだ。

 今の日本の権力構造はそういう形で成り立っている。
 けっきょく、こういう権力構造がいちばん支配力を強化できるようになっている。
 なぜなら、トップに立つ人間を神格化できるからだ。

 “神” は語らない。
 語れば、人間側から反論を繰り出される余地が生まれてしまう。
 だから、“神” は語らず、人間たちに「空気で察しろ」という態度を取り続ける。
 それが日本的組織の恐怖政治モデルとなる。
 
 今回の一連の報道で、ある報道解説者が、「日大アメフト部は監督の内田氏を神格化して、選手のみならず、コーチ陣に対しても絶対服従の空気をつくった」というような意味のことを述べていた。

 けっきょく、“森友・加計学園” 騒動に代表される政治の世界で進行していることは、今回の大学スポーツ組織でも同じように進行していたということになる。
 両者に共通しているのは、「組織の下の者は、上の意向を空気として察知しろ」ということだ。

 「KY」
 “空気の読めないヤツ” という言葉が、周辺との協調関係を乱すという否定的な意味で使われたのは、もう10年ぐらい前のことになるのだろうか。

 いつのまにかこの言葉は使われなくなったが、それは消滅したのではなくて、「生き抜くには忖度が大事」という強固な教訓に変化して、人々の日常生活に根を下し始めていたのだ。 

 「忖度」だけが肥大化していく組織は、どうなってしまうのか?
 硬直化してしまう。
 
 組織の中に生きる人間の想像力などは、たかが知れている。
 上の者の心の憶測を推測したところで、組織のなかでは誰もが自己防衛を中心に考えているわけだから、上の意向を忖度するということは、その相手の人間の自己防衛に手を貸すだけのことなのだ。
 そんな組織が活性化することなどありえない。
 

 記者会見を開いた日大アメフト部の選手は、途切れ途切れに、必死な思いで記者団に自分の心境を説明していた。
 その表情にはありありと苦悶の相が浮かんでいた。

 しかし、なんと晴れやかな人間の顔か。
 そう思った。
 国会で、「政権に対する忖度のあるやなしや」で答弁する官僚や国会議員たちの表情を欠いた人形のような顔に比べ、この青年の顔には、苦しい峠を越えて生還してきた人間の表情が浮かんでいた。
 
  

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ハイマーとメルセデス

 
メルセデスのハイパフォーマンスと安全性が
そのままハイマーに移植される

 

▲ ハイマーS830(2008年) 

 昨年(2017年)、ドイツの最大手キャンピングカーメーカーである「ハイマー」社が創立60周年を迎えた。
 その前身である「農業用カート」を製作していた時代から数えると、94年という社歴を誇ることになる。
 
▼ ハイマー本社

 ちなみに、アメリカの「エアストリーム」社の場合は今年で86年目。「ウィネベーゴ」社の場合は今年で79年目。

 日本では、他社に先駆けて定番(量産)モデルの「ロデオRV」をつくったヨコハマモーターセールスですら、その1号車からようやく35年目を迎える程度。
 こうしてみると、キャンピングカー先進国の欧米は、やはり日本の倍以上の歴史を持っていることが分かる。

 ハイマーの話に戻る。
 この会社が頭角を現してきたのは、キャンピングトレーラーの開発によってである。
 創業者アルフォンソ・ハイマーの息子であるアーウィン・ハイマーが、1956年にハイマーの新しいプロジェクトとして、トレーラー事業に手を染めたことが、現在の同社の礎(いしずえ)となった。


 
 トレーラーの名前は「トロール」。
 後に、「ピュック」、「ツーリング」、「ノヴァ」というハイマーキャラバンシリーズの先駆けとなる車であった。
 同車が世に出たのが1957年。
 「ハイマー60周年」というメモリアルイヤーは、この1957年を起点として計算されたものだ。

 トレーラー開発に続いて、自走式モーターホームの1号車が製作されたのは1961年。
 「Cravano」という車だった。

 「Cravano」の発音が分からない。
 ヨーロッパで広く「トレーラー」を意味する言葉として使われる「キャラバン」の派生語だと思うのだが、ドイツ語でどう発音するのだろうか。
 「キャラバノ」?
 う~ん ……
 とにかく、この「Cravano」は、今でいう “ワンオフ” に近い一品生産モノだったようだ。

 量産化が始まるのは、1970年代に入ってからである。
 1971年になって、ハイマーはメルセデスからシャシー供給を受けることになる。
 それ以降、ボディ製作にもメルセデスの技術陣が加わるようになり、ハイマー車はみるみるうちに “車両的完成度” を上げていく。

▼ 1971年に製作されたモーターホーム。
グリルにベンツマークがくっきり !

 この70年代というのは、ハイマーにシャシーを供給したメルセデス自体が、世界の自動車テクノロジーを書き換えようとした時代だった。

 50年代から60年代というのは、アメ車の黄金時代だった。
 エアコン、パワステ、パワーウィンドウといったドライバーの負担を軽減するの新機構を次々と実用化していったアメリカ車は、それらの快適装備を満載したまま、大排気量エンジンにものをいわせて、強力無比な動力性能を手に入れていた。

 メルセデスは、そのアメリカ車から生産技術と快適装備を学び、さらにアメ車にはなかった新しい価値観を打ち出す。

 それが、「高速域での安定性」である。
 スピード無制限を謳うアウトバーンを “テストコース” として使い、メルセデスは、信じられないほどのスピードを維持したまま、車体が路面をがっしりとトレースする抜群の安定性を獲得した。
 その段階で、“ドイツ的な価値観” が自動車文化の中軸を占めるようになった。

 このようなメルセデスの自動車技術は、当然シャシー供給を受けるハイマーにも生かされることになる。
 メルセデスの技術陣とともにモーターホーム開発に従事したハイマーの技術者たちにとっても、「ハイマー車」はキャンピングカーである以前に、メルセデス車と同等の走行性能と安全性能を維持する車でなければならなかった。

 すなわち、ハイマーのシャシー性能の向上を図るために、メルセデスの風洞実験設備が使われ、メルセデスのテストコースが用意され、そこで得られたデータ群をメルセデスの技術陣が解析することによって、「ハイマーモーターホーム」ができあがるという仕組みが完成した。

 「メルセデス並みの安全性」
 ハイマー車には、それを示すものが、車体の一部に堂々と刻印されている。
 クラスA型モーターホームにフロントに刻まれた「スリーポインテッドスター(ベンツマーク)」である。

 このベンツマークを付けているクラスA車両は、メルセデスの乗用車と同じ条件でクラッシュテストを行った車両と見なされ、メルセデス社が保証する安全性をクリアしているという証(あかし)となる。
 そういうキャンピングカーは、ドイツ国内においてもハイマー以外にはない。

▼ ハイマーモービル670(1994年モデル)

 メルセデスとハイマーの関係は、自動車メーカーとコーチビルダーのもっとも理想的な関係を表している。
 逆にいえば、メーカーとビルダーのこういう二人三脚がしっかり機能しないかぎり、理想的なキャンピングカーというものは生まれてこないのかもしれない。

 「ハイマー創立60周年」。
 その前身の会社から起算して、社歴としては94年。
 やはり、それだけの実績を積み重ねてきたビルダーだからこそ、メーカーに認められたということなのだろう。
 
 
※ ハイマーの歴史に関する詳しい記事は下記のアドレスでどうぞ。
https://camping-cars.jp/camping-car-news/4067.html
     
※ また、ハイマーML-T570(4WD)の試乗インプレッションは下記をどうぞ。
https://camping-cars.jp/camping-car-news/3763.html 
 
 

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レクビィ ステーションでレンタカー事業も開始

 
 キャンピングカーの展示場が変わりつつある。
 これまでの展示場といえば、車両中心に構成されており、車を買いに来る目的でもなければ、立ち寄ることがはばかられるような構造のものが多かった。

 しかし、新しいタイプのキャンピングカー展示場は、「車」よりも「文化」を中心に構成されている。
 つまり、キャンピングカーというハードのかたまりを無機質的に展示するのではなく、「キャンピングカーのある暮らし」、「キャンピングカーがもたらすくつろぎ」というソフト面を見せるように変化してきたのだ。

 それは、もう “展示場” とは呼ばないのかもしれない。
 “ギャラリー” 。
 すなわち、絵画や彫刻、工芸品、宝飾などを陳列する美術館、あるいは博物館的な内容に近づいている。

 昨年の11月3日に、レクビィが愛知県瀬戸市にオープンした「RECVEE STATION」(写真上)が、そのようなニュータイプの展示場だ。
 別名「レクビィ サテライト」。

 サテライトとは、本社機能とは独立した営業理念で運営されている事業拠点のことをいい、地域に根差した情報や文化形態を尊重する施設のことをいう。
 つまり「レクビィ サテライト」とは、キャンピングカー製作を本務とするレクビィ本社から独立し、来場者に展示場周辺の観光情報を提供したり、利用者の休憩スポットとして機能したり、メーカーを問わずキャンピングカー全般の情報交換などを自由に行える施設を意味している。

 さらに、この「レクビィ ステーション」は、レンタルキャンピングカーの窓口にもなっているのだ。
 現在、同ステーションで扱われているレンタカーは、キャブコンでは「エルニド」。バンコンでは「レビィズ」(トップセイル)。軽キャンピングカーでは「EC」など全部で4台。
 全車が新車で、ナビゲーション、ETC、ドライブレコーダーが標準装備。軽キャンパー以外はバックアイカメラも装備されている。
 
 料金は、(今はオープニングプライスとして)、平日10,000円/1日
 詳しくは、下記を。
  http://www.recvee.jp/news/?DOC_NO=20180403140557&ACTION=DETAIL

 「レクビィ ステーション」を企画した株式会社レクビィの増田浩一代表(写真下)は語る。

 「私たちはキャンピングカー製作に30年以上携わり、買ってくださるお客様との熱い交流を続けてきたわけですが、そろそろ “まだキャンピングカーを知らない人々” に対して、もっと話しかけてみたいと思うようになったんです。そういう方々が、どんな旅行を楽しんでいらっしゃるのか、どんなカーライフを理想としていらっしゃるのか。
 今まで話したこともない人々の話を聞きながら、もしキャンピングカーというものに興味を感じてくださるようでしたら、“キャンピングカーライフ” の快適さや面白さも伝えてみたい。さらに興味を持ってくださった方には、レンタルキャンピングカーを試し乗りしてもらい、乗った感想などもお聞きしたい。
 そういう気楽なコミュニケーション空間としてこの展示場を考えたんです」

 だから、見学者が来ても、営業マンがさっと走り出て、
 「どんなお車をお探しですか?」
 などと声をかけたりしない。

 代わりに、暑い夏だったら、「エアコンの効いた休憩室(エアストリーム・トレーラー 写真下)で少し休んでいかれたらいかがですか?」と語りかけ、寒い冬だったら、「室内で少し温まっていってください」などと声をかける。

 キャンピングカーユーザーが来場したときも、
 「給水されるならどうぞ」
 「AC電源の充電も自由です」
 とは言うが、
 「いま乗っていらっしゃるお車、お見積もりしましょうか?」
 などとは、いきなり言わない。

 「とにかく、キャンピングカーというものを詳しく知らない人々に、“現物はこういうものですよ” 、と知っていただくための拠点」
 と増田代表はいう。
 「キャンピングカーというと、いまだにアメリカの巨大なモーターホームを想像される方々も多いのですが、街でよく見かけるワンボックスカーだって、立派なキャンピングカーになるんですよ、ということを知ってもらいたい」

 バンコンメーカーとして知られるレクビィだけに、自社製バンコンを中心とした展示になるが、ファンルーチェの「エルニド」のようなレンタルキャンピングカーとして使う他社メーカーのキャブコンも展示する。

詳細情報

〒480-1207 愛知県瀬戸市品野町 1-126-1
(道の駅 瀬戸しなの 第2駐車場)
電話:0561-59-7788
火・水曜休(祝日営業) 10:00~17:00
HP=http://www.recvee.jp/
sta@recvee.jp


 
アクセス 
東海環状自動車道・せと品野から瀬戸市街方面へ約3.3km
レクビィ本社工場から車で1分
 
 
※ レクビィの主要ブランドである「シャングリラⅡ」などの詳細解説は下記の情報をご参照ください。
https://camping-cars.jp/taidan/4036.html
(キャンピングカー総合情報WEBサイト「キャンピングカースタイル」:レクビィ増田代表インタビュー)
 
 

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愛車自慢 コマンダーGT(再録)

 
 昔、「愛車自慢」というタイトルで、自分が乗っている「コマンダーGT」というキャンピングカーのことを書いたことがある(2007年7月1日)。
 しかし、一度クラッシュした旧ブログなので、画面が立ち上がるまでに時間がかかり、画像が抜け落ちた部分もあるので、「キャンピングカースタイル」というWEBサイトでこの車が紹介されたことを機に、多少リライトして、ここに再録する。


 
 
コマンダー開発秘話
 
 この車は、2002年(平成14年)に、横浜のキャンピングカーショップ(元)「ロッキー」から発売された。
 シャシーが韓国ヒュンダイ製。
 バンテックがそのシャシーを輸入し、ロッキーが企画を練り、バンテックのタイ工場で造られたキャブコンという意味では、東アジアを股にかけて製作された国際的なキャンピングカーともいえる。

▼ コマンダー(初期型)

 スタイル的な特徴といえば、かつてアストロをベースにした輸入モーターホームとして一世を風靡した「タイガー」を彷彿とさせるところ。プロポーションもタイガーだし、ストライプの走り方もタイガーを意識している。
 これは当時の「ロッキー」の社長がアメ車好きであったことに由来する。

▼ アストロタイガー(後期型)

 
 しかし、この企画を受けたバンテックの社長 故・増田紘宇一氏は、ヨーロッパ車が好きだったせいもあって、アメ車テイストの車をつくることには内心苦々しい思いを持っていたともいわれている。
 ただ、そこはバンテックのヒット商品を次々と発表していた増田氏のこと。ロッキー側の依頼を受けて、見事にアメリカンテイストのフォルムを造形した。

 ちなみに、増田氏がヨットを趣味としていたこともあって、その人間関係から、ボディ造形には日本を代表するヨットデザイナーの横山一郎氏が関わったといわれている。
 

 
 このコマンダーを購入するときの、選択肢としての基準は、5m未満のキャブコンで、車両本体価格が500万円未満(当時)。
 … ということであったが、実は、ベース車のヒュンダイSRXトラックにすごく興味があったからだ。

 なにしろ、このトラックは、商用車の分野でも国際マーケットへの進出を目指していたヒュンダイ自動車が、ヨーロッパのフィアット・デュカトの競合車として設計したトランスポーターだといわれている。
 つまり、アウトバーンでの走行も念頭においたもの !?
 … となると、当然走りを期待したくなる。

 このベース車を日本に導入するとき、バンテックがあちらこちらの国産ビルダーに、売り込みをかけた。
 それを受けたビルダーさんの反応が様々であった。

 某メーカーA社長。
 「いいシャシーですよ。ただ韓国製ということで、うちの営業は全員反対でしたね。エンジンブロックなどの構造が日本の三菱系とはいっても、不具合が出たらどうするか。未知の部分が多すぎて … 」

 某メーカーB社長。
 「シャシーはいいけれど、日本では売れないと思うよ。売れない理由が3拍子揃っている。ひとつは左ハンドル。次はディーゼル。そして、やっぱり韓国車はまだ日本では市民権を得ていない」

 某メーカーC社長。
 「これはいいシャシーだよ。ディーゼルだけど、やかましくないんだよ。それに、運転席が乗用車の雰囲気じゃない? しかも、ドアを閉めると、バタッと重厚感があって、トラックじゃないよ、あれは … 」

 某メーカーD社長。
 「韓国製っていうから、それほど期待していなかったけれど、実際走らせたらびっくり! カムロードなんかよりパワーがあるし(当時)、直進安定性もいい。ワイドトレッドなどをわざわざ設定しなくても、ベース車自体が広いから安定感がある。キャンピングカーにしたら良いクルマができると思うよ」

 某メーカーE社長
 「バンテックさんが入れるというので、ヒュンダイの工場まで試乗に行ったんですよ。そうしたら、思ったより完成度が高かった。まぁ、トヨタほどの完成度ではないけれどね。ターボの回り方はいいので、走りは軽快。ホイールベースも長くて安定しているし、トレッドも広いので、コーナリングの不安がない」


 
 … というように、架装した車両が生まれる前から、かなりの情報を得ることができた。
 賛否両論だったわけだが、逆にそのことで、ものすごく興味をそそられた。
 このシャシーを使ったバンテックのアトムSRXのプロトタイプが出たとき、当時バンテックにいたベテラン営業マンが面白い話をしてくれた。
 
 「ショーに出したら、みんな珍しがって寄ってくるんですよ。コレかっこいいねぇ。どこのクルマ? って。
 だけど、韓国製って言ったら、みんなサァーって引いていく。日本人はまだ、大昔の、ドアのバリが取れていないような韓国車しか知らないんだね」

 この話を聞いて、逆に、
 「面白いじゃん!」
 と思った。

 誰でも誉めるシャシーなんて、あんまり魅力がない。
 「よし、次のキャンピングカーを買うなら、このベース車のやつを … 」
 そう密かに心に決めた。
 
 
車両サイズ
   
 この「コマンダー」がデビューした2002年当時。ヒュンダイSRXベースの国産キャンピングカーは全部で3台あった。
 1台は、輸入元のバンテックが開発した「アトムSRX」。
 もう1台は、フィールドライフの「フランク」。
 翌年になると、マックレーの「エンブレム」が登場することになるが、2002年ではまだ「エンブレム」はなかった。
 
▼ バンテックのアトムSRX(初期型 2002年モデル)

▼ フィールドライフのフランク

▼ コマンダーGT

 その中で、このコマンダーを選んだのは、ずばりサイズ。
 5m未満。
 アトムSRXは、全長5585mm。
 フランクは、全長5670mm。
 それに対して、コマンダーは4980mm。
 
 悲しいかな、わが駐車場 … といっても月極だが、そこに収まるのは5m未満のコマンダーだけだった。

 実は、ベース車のヒュンダイSRXトラックの全長は5415mmなのだ。
 それをわざわざフレームの後部をカットしてまで、ショートボディにこだわったのが、コマンダーだった。

 理想的といえば、理想的。
 頑丈なフレームを残したベース車だから、ボディ剛性もしっかり確保された上に、衝突安全性も保証される。
 それでいて、全長5m未満。
 もう、それだけで、ほぼ自動的に購入車両は決まった。
 
 結果的に、この5m未満ボディのおかげで、旅行に出ても駐車場選びで困ることはなかった。
 なにしろ、キャブコンでありながら、コインパーキングに収まってしまうというのはやはり便利だ。


  
 スタイルにこだわれば、プロポーションが美しいのはフランクだった。もちろんアトムもきれいなフォルムをしていた。
 しかし、当時のわが駐車場は、立て込んだ民家の塀をかすめる感じで、斜めにバックしながら入れなければならなかったので、リヤオーバーハングが長い車は、もうそれだけで候補から外れた。
 その点、リヤオーバーハングがなく、全長も5m未満のコマンダーなら、切り返しを必要とすることなく駐車スペースに入った。
 
  
走行性能
 
 走りは、正直にいって「拾い物!」という感じだった。
 実は、「カムロードよりよく走る」という評判は聞いていたのだが、それほどのことはあるまいと、タカをくくっていた。 
 当時のカムロードは91馬力。
 SRXのスペックデータは、103馬力(初期型)だったから、それほど大きな差があるわけではない。だから、実際に走らせるまで、大きな期待はなかった。
 
 しかし、ターボの力あなどりがたし。
 キックダウンして回転数が上がるまでは、ディーゼルトラック特有のもたつきがあるが、ターボが効きだしてトルクバンドに乗ってくると、かなり胸のすく走行フィールが味わえる。
 ある販売店のスタッフが「乗用車フィール」と言っていたのも、よく分かった。

 高速道路では、軽々と120km巡航ができるので、最初のうちは得意になって飛ばしていたが、燃費はガタっと落ちる。
 
 ちなみに、市街地では5.8~6.8kmリットル。
 高速道路では、平均8.6kmリットルぐらい。
 しかし、100kmを超える巡航を継続していると、高速道路でも市街地並みの燃費に落ちる。
 そのため、急ぎの用がないときは、高速でも80~90km走行。
 80kmをキープしていればリッター10kmは走る。

 直進安定性もいい。
 なにしろ、ホイールベースが3280mm。これは、カムロードの2545mmを軽くしのぎ、ハイエースのスーパーロング(3110mm)よりもさらに長い。
 そのため、高速道路で100kmを超えても4輪(後輪ダブルだから正確には6輪?)がピタッと地面をトレースしている感触が伝わってきて、ハンドルがまったくぶれることがない。
 
 左ハンドル車を持つのは、実は初めてだった。
 だけど、幅2mを超えて、この車のように2.15mぐらいになってくると、やはり左ハンドルは悪くない。
 左いっぱいに寄せられるので、狭い道のすれ違いなどは、かえって右ハンドル車より有利に思える。
 ただ、最初のうちは、右席に乗った同乗者は、対向車線の車が飛び込んで来るように見えて、かなり困惑していたようだった。
 
 難点があるとしたら、右側から迫ってきた車に追い抜かれるとき、一瞬の死角が生じること。
 それを解消するのには、天吊りミラーが効果があるようだ(私は付けていない)。
 この “一瞬の死角” は、この車の納車が始まった頃から、すでに問題になっていたもので、何台かは補助ミラーをつけて納めたという話は聞いた。私は、「事前の注意と慣れ」でなんとかしのいでいる。
 
 
レイアウト
 
 「コマンダー」というキャンピングカーの外形的特徴をいうと、“鼻付き” であることだ。つまり、ボンネットがバン! っと前に突き出ている。
 
 ボンネット型キャンピングカーは、確かにカッコはいいけれど、5mクラスのキャブコンとなれば、このボンネット部分にスペースを取られてしまう分、居住空間が狭められてしまう。
 つまり、長さの割りに、室内が狭い。

 これを「損」と取るか、「贅沢」と取るか。
 私は、「贅沢」と取った。


 
 ただ、正直にいうと、家族の多いユーザーには向かない車だ。
 カタログで謳われている乗車定員は9名。就寝定員は6名だが、それは人間を動かないマネキン人形のように考えて、肌と肌を密着させた状態で詰め込んだときの数値で、実質的には夫婦2名+小さな子供2名というのが許容限度。
 理想をいえば、夫婦2人の車だ。

 息子は、いま身長が180cmを超えるが、こいつが一人乗り込んでくるだけで、室内があっという間に半分に縮小されちゃったのか? と思えるほど窮屈になる。
 でも、今はほとんど夫婦2人で使っているので、まったく問題がない。

 ボンネットなどという “無駄メシ喰らい” のスペースがあるため、室内空間は狭いのだが、それを感じさせないところが、この車の妙である。
 理由は、バックエントランス。

 エントランスドアが、ボディの真後ろにある。
 エートゥゼットのアミティRRがこれを採用し、評判を取った。
 その昔は、日本人が企画した車ではアストロスター、イーグルなどというキャブコンがあり、輸入車ではシヌークがあったが、いずれにせよ、このレイアウトは少数派だ。
 
 トラックキャンパーでは、構造上このスタイルしか取れないわけだから、それはやむを得ないとして、キャブコンでこれを採用する車が少なかったのは、出入口がオーニング下からずれるし、リヤにキャリア類が付けられない … などというデメリットがあったためだろう。
 
 でも、そういう不便さを気にしなければ、これは無類にスペース効率の良いアイデアだ。
 フロントエントランスにせよ、リヤエントランスにせよ、ボディの横に入口がある車は、その入口まわりに家具を置くことができない。つまり、エントランスステップが “デッドスペース” になってしまうわけだ。
 
 コマンダーは、バックエントランスを採用したため、運転席からリヤエンドまで真っ直ぐに伸びる純粋なキャビンスペースを確保している。
 そのため、“生意気にも” シャワー・トイレルームさえ実現している。

 (写真上)ボディサイドにエントランスドアがない分、室内には、ドーン! と優雅なサイドソファが通っているのが特徴。
 足の長さなど自慢できない奥ゆかしい私なんぞは、このサイドソファがあるだけで、(フロアベッドを作ることなく)そのまま寝っ転がることができる。

 トラックベースに見えない運転席周りも気に入っているところのひとつ。
 乗用車っぽくハンドルが立っている。
 運転席・助手席とも、肘掛けが付いていて、快適だ。

 下は、キッチンスペース。
 さすがに狭いけど、いちおう2口コンロ付き。
 コンロの上には換気扇があって、煙草を吸っていたときは、この下で煙を吐き出すと同乗者のカミさんに迷惑をかけることがなかったので助かった。

 12V仕様の電子レンジ(↓)も最初から標準装備だった。
 これもけっこう便利。AC電源が取れなくても、冷凍モノを温めたりできるので重宝している。

 ゆったりしたダイネットシートに座り、窓の外に広がる港の夜景などを眺めながら、気に入った音楽を流し、ウィスキーなどをすすっていると、最高の気分である。


  
  
 ※ キャンピングカーライターの岩田一成さんとの対談による “愛車自慢” に関しては、下記のサイトをどうぞ。
 https://camping-cars.jp/usage/3986.html
(キャンピングカー総合WEBサイト「キャンピングカースタイル」) 
 
 
コマンダーGT(初期型モデル)主要諸元

ベース車両 ヒュンダイSRXトラック
全長 4980mm
全幅 2150mm
全高 2700mm
エンジン種類 インタークーラー付きターボディーゼル
排気量 2476cc
最高出力 103ps/3800rpm
最大トルク 24,0km/2000rpm
ミッション 4速AT(アイシン精機製)
駆動方式 2WD(FR)
ホイールベース 3280mm
トレッド(前) 1570mm/(後)1408mm ※後輪ダブルタイヤ
最小回転半径 6.3m
燃料タンク 70㍑(軽油)
発売当時価格(初期型) 4,600,000円
 
主要装備
FRP一体成形ボディ/網戸付きペアガラス/バックエントランスドア/温水ボイラー/ファンタスティックベント/ギャレー(シンク&2口コンロ)/大型外部収納庫(左右)/給排水タンク(各94㍑)/3ウェイ冷蔵庫/12V電子レンジ/105Ahサブバッテリー×2/カセットトイレ/ベバストFFヒーター/サイドオーニング/バックアイカメラ/リヤラダー/大型凸面ミラー/走行充電装置ほか 
 
 

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トレーラー販売店最大手の「インディアナ・RV」の歴史

 
 キャンピングトレーラーの専門ショップ「インディアナ・RV」がこの春にリリースした「エメロード406」は、輸入トレーラーのなかでも左エントランスドアを実現した日本仕様モデルとして話題を呼んでいる。

▼ エメロード406

 
 「エメロード406」は、ヨーロッパではハイマーグループと肩を並べる巨大グループを統括している「トリガノ」社の製品。
 同社は、傘下に収めている企業も含めると、ヨーロッパ全土で20以上の工場と4.000人規模の従業員を抱えた大企業。各工場のラインからは自走式もトレーラーも流れているが、トレーラーだけで年間1万台以上出荷しているといわれている。
 

 
 普通、これほどの大企業ともなると、マーケット規模が小さい日本の使用条件を考えた製品など、まず考えることはない。よほどの大量注文でもないかぎり、新たに生産ラインを増やさなければならない輸入元のリクエストには、ほとんど応じないのが常識だ。
 
 しかし、その常識を破って、今回は日本の左側通行帯に合わせた左エントランス仕様のキャンピングトレーラーが実現した。さらに、インディアナ・RVが打ち出した「脱プロパン」システムの根幹となる灯油式FFファンヒーターの組み込みも、向こうのラインで対応してくれることになった。
 
▼ エメロード406 U字ダイネット

 
 「トリガノ」社が、「インディアナ・RV」にこのような優遇処置をとった背景には、両社が取引を始めて、ちょうど10年という節目を迎えたことも大きかった。
 しかし、それだけではない。
 インディアナ・RVの30年近いトレーラー販売実績の積み重ねが評価の対象となったからだ。
 
 「エメロード406」というトレーラーの情報は、下記のサイトで詳しく展開したが、ここではインディアナ・RVが今日までたどってきた歴史を、同社の降旗貴史氏のインタビューを通じて紹介したい。
 
※ エメロード406詳細情報(↓)
https://camping-cars.jp/taidan/3962.html
(キャンピングカー情報総合WEBサイト「キャンピングカースタイル」)
 
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「インディアナ・RV」はトラックキャンパー
 の発売から始まった

 
インディアナ・RVの歴史を降旗貴史代表に聞く
  
  

【町田】 インディアナ・RVさんの創業期の話を多少うかがいたいんですが、スタートはいつ頃だったんですか?
【降旗】 私たちの店がオープンしたのは1991年です。だから、今年(2018年)で27年目ということになりますね。
 最初は中古自動車の販売店としてスタートしたんですが、事業を始めてまもなく、「メキシコで日本の中古車を売ったらどうか?」 という話が舞い込んできたんです。
 結果的にその話は頓挫したわけですが、交渉のためにメキシコに行っているときに、アメリカ製のキャンピングカーを見る機会が多かったんです。それを見ているうちにだんだん惹かれるものを感じてきて、「いっそのことキャンピングカーを日本で売ろう!」とひらめいたわけです。

【町田】 そのときすでにトレーラー販売を念頭に置いていたんですか?
【降旗】 はい。最初からトレーラーを売るつもりでいました。特にフォールディングトレーラー … テントトレーラーですね。それが面白そうに思えたので、2~3台入れてみたのですが、いざ発売するとなると、当時は日本の法規制がまだそうとう厳しくて、手続きが非常に面倒になることが分かったんですね。
 それでいったんトレーラーをあきらめて、トラックキャンパーから始めることにしました。

【町田】 その時代のことはよく覚えていますよ。確か、お店の名前は「タックス湘南」でしたよね?
【降旗】 そうです。中古自動車を販売していたときの名前をそのまま使っていました。トラックキャンパーを始めた時も、1995年までは「タックス湘南RV事業部」という名称を使っていました。

【町田】 「インディアナ」という会社名を使われたのはいつからですか?
【降旗】 1996年からですね。その前からアメリカの「シャドウクルーザー」という会社のトラキャンに「インディアナ」というブランド名をつけて売っていましたから、それを社名にしようと思ったんです。「インディアナ」という名前自体も、たまたま「シャドウクルーザー」社がインディアナ州にあったというところから付けただけのことです。 

▼ インディアナ657

【町田】 トラキャンはいつまで扱っていらっしゃったのですか?
【降旗】 確か、1997年ぐらいまでだったと思います。ポップアップルーフを持った「インディアナ651」と、ハードタイプのシェルを持った「インディアナ656」という2種類のタイプをまずそろえ、その後エアコンを常設した「インディアナ657」を出しました。
 でも、お客さんと話していると、トラキャンに不満を感じている人が多いことも分かってきたんですね。たとえば、「ダブルキャブのセカンドシートが直角になっていてくつろげない」とか、「車検のときに、いちいちシェルを積み下ろすのが面倒」とか。
 そこでもう一度トレーラーに戻ろうかと思っていた矢先、トレーラーに対する日本の法規制が緩やかになったんです。
 ならば、「シャドウクルーザー」社に、けん引免許の必要のない750kg以下に抑えた日本向けのトレーラーをつくってもらおうと考え、本社にまで相談に行ったんですよ。
 
 
ついに人気トレーラーをプロデュース
 
【町田】 ああ、それが「インディアナTR-4」になっていったわけですね。

【降旗】 そのとおりです。「シャドウクルーザー」社というのは、そんなに大きな会社でもなかったから、私たちの意向を汲んでくれて、検討材料として実寸のモックアップまで作ってくれたのね。
 そのとき、その社長が苦笑いするんですよ。「日本人は本当にウサギ小屋を欲しがるんだなぁ」って。「ウサギ小屋」というのは、当時日本人の住環境を表現するときにアメリカ人がよく使ったジョークなんですね(笑)。

【町田】 日本のマスコミも、昔はよくその言葉を使っていましたね。
【降旗】 まぁ、とにかく「シャドウクルーザー」社のトラキャン技術を採り入れたトレーラーが完成して、それを日本で218万円という価格で売り出したら、これがヒットしてくれたんですね。
 そのあと、それを改良した「TR-4 V2」や、その車体を少し伸ばした「TR-4 V2L」などを加えていったのですが、どれも評判がよくて、ようやく “トレーラー専門店” の体裁が取れるようになったんですね。
 
▼ インディアナTR-4  

 
【町田】 それで社名も「インディアナRV」に変えたと?
【降旗】 そうですね。でも、そうやって私たちの事業も順風満帆に進むかと思ってい矢先に、突然「シャドウクルーザー」の社長が自分の会社を他社に売ってしまったんですよ。会社の評判も上ってきて、高く売れると分かったときに他社に売ってしまうというのはアメリカではよくある話なんですけどね。
 そのあとは、ちょっと迷走しましたね。イギリスの「スイフト」社に行ったり、オランダの会社に行ったり、ベルギーに行ったりしましたけれど、なかなか条件の合う会社がなくてね。
 そんなとき、ポルトガルの「マルカンポ・キャラバンズ」という会社が製作を引き受けてくれて、それがうちの人気商品となる「ポルト」シリーズになったわけです。
 
▼ インディアナポルト5

【町田】 このときに、「2ダイネット」仕様が定番スタイルになったわけですね。
【降旗】 そうです。ポルト5、ポルト6、ポルト7とぜんぶ2ダイネット仕様で世に出しました。
 そのあとは、ヨーロッパの大手メーカー「クナウス」との繋がりができて、やがてさらに大手のトリガノとのパイプができて、現在に至っているというわけです。

【町田】 すごいな、激動の人生 !
【降旗】 そんなことはないよ(笑)。
【町田】 日本RV協会(JRVA)の会長という新しい職務も加わって、たいへんお忙しいことだと思いますが、今後も日本のトレーラー文化の育成に向けて、頑張ってください。
 
 
インディアナ・RV社の扱う最新トレーラー情報などは、こちらをどうぞ。
(↓)

https://camping-cars.jp/taidan/3962.html
(キャンピングカー情報総合WEBサイト「キャンピングカースタイル」)
 
 

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井の頭公園駅前の喫茶店「千」

  
▼ 井の頭公園の桜

 散歩コースとして気に入っているエリアの一つに、井の頭線の「井の頭公園駅」(東京都・三鷹市)がある。

 そこから600mの距離に、中央線では屈指の繁華街として知られる「吉祥寺」が控えているというのに、たった一駅離れた「井の頭公園駅」は、まるでローカル線の無人駅をしのばせるような、こぢんまりした小さな駅舎の面影をとどめている。

 隣の「吉祥寺駅」の1日の利用者数は29万人。
 それに対して、「井の頭公園駅」の1日の利用者数は7千人。 
 たった1駅しか違わないのに、この駅の利用者は吉祥寺の40分の1にすぎない。

 それだけに、朝晩の通勤ラッシュが過ぎると、「井の頭公園駅」は、駅自体が眠りにつくように、のどかな静けさに包まれる。

 駅前にある店舗も数えるほどしかなく、数軒の喫茶店と居酒屋を眺めながら50mほど歩くと、いつのまにか閑静な住宅街になってしまう。

 メルヘンとか夢のなかに忽然と現れる “幻の町” 。
 そんな風情が好きで、天気の良い日は、家から40分歩いてこの駅までやってくる。

 駅前に並ぶ居酒屋と喫茶店も、みな “ひと癖あり気” な雰囲気をたたえている。

 店内に入ったわけではないが、表から眺めるかぎり、どの店もオーナーの “こだわり” が道路まで溢れてきそうに思える。
 「文化の香り」
 というものかもしれない。
 このへん一帯を “武蔵野” などと呼ぶことがあるが、「武蔵野」と言葉にして吐き出すときの文芸的香気がどの店からも漂ってくる。

 国木田独歩の随筆『武蔵野』。
 大岡昇平の恋愛小説『武蔵野夫人』。
 山田美妙の短編時代小説『武蔵野』。

 “武蔵野” を冠した文芸ものは実に多い。
 そういう文芸的香りというのは、かつて隣町の吉祥寺が持っていたものだが、同市が中央線を代表する一大消費都市になってしまった今、文芸的な空気感はすっかり吉祥寺から消えた。
 そのかすかな香りが、一駅離れたこの「井の頭公園駅」にひっそりと残っている。

 駅前に数軒開いている喫茶店のうち、「千」という名の店(↑)に入ってみた。
 「炭火焼珈琲」という看板を掲げた入り口を覗くと、上にあがる階段が見えた。

 階段を上がり切ったところに、艶やかな花を生けた壺が置かれている。
 生け花のことなどまったく知らない私だが、入り口に目を見張るような花を配したところに、この店のオーナーの心遣いが感じられる。
 つまり、「ここから先は日常空間とは一味違ったくつろぎの場所ですよ」というアピールなのだ。

 店内を覗くと、4人掛けのボックスが四つ。
 2人掛けのボックスが二つ。
 たゆたうように低く流れるショパンのノクターン。
 煎れ立てのコーヒーの香りが、店内の隅々まで届きそうな “ほどよい狭さ” が落ち着く。

 さりげなく置かれた調度の一つひとつに味がある。
 クラシカルなランプ。
 小さな彫刻。
 棟方志功の版画。
 窓辺を飾る観葉植物も手入れがゆき届いていて、葉の一つ一つがみずみずしい酸素を吐き出していそうだ。

 コーヒーは、オーダーを受けてから、オーナーが豆を挽き、一杯ずつドリップで煎れる。
 小さな角砂糖とザラメ状のコーヒーシュガーの2種類がミルクと一緒に運ばれてくる。
 一杯600円というコーヒー代は、メニューを見たときは「高い」と思ったが、その味と香りを味わってみて納得。店内の雰囲気代も入っていると思えば、きわめてリーズナブルに思えた。

 何よりも気に入ったのは、床である。
 見事な光沢をたたえたフローリング。
 床の光り方に “大正ロマン” 的な味わいが感じられて、古き良き時代にタイムスリップしたような気分になる。 
 この渋い光は、相当な年月を重ねないと浮き上がってこない。ワックスがけなどの日頃のメンテナンスもたいへんなのではあるまいか。

 窓から「井の頭公園駅」が見下ろせる。
 野口五郎の歌に「私鉄沿線」というヒット曲があったが、小さな私鉄沿線の駅というのは、恋愛ドラマの格好の舞台となる。
 この店で、コーヒーをすすりながら駅を見下ろしていると、作詞家ならば歌の一つを。小説家ならば短編の一篇を思いつくかもしれない。

 「昭和」という時代には、この店のような「喫茶店文化」ともいえる匂いを持った店が街のいたるところにあった。
 しかし、「平成」になると、「ドトール」や「スターバックス」のようなチェーン店のカフェが普及するようになって、どんどん昔ながらの喫茶店は消えていき、それとともに「喫茶店文化」も消えた。

 チェーン店のカフェでは、コーヒーは飲めるが「文化」はない。
 喫茶店の「文化」とは、その店のオーナーの思想そのものだからだ。
 オーナーの世界観によって統一された空間が、昭和の喫茶店だったのだ。

 この「千」という喫茶店には、友と文芸やアートやクラシック音楽を語りたくなるような空気が漂っている。
 たぶん、それはこの店のオーナーの世界観がつくり出した空気なのだ。

 そういう店は、日本全国の街の中心部から消えつつある。
 しかし、逆に、このような喫茶店は、吉祥寺といったような一大消費都市の周縁部にひっそりと残っているから風情があるのかもしれない。
 
 

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キャンピングカー業界が迎えた激動期をチャンスに変える

  
トイファクトリー 藤井昭文 代表インタビュー 2018

 キャンピングカーの取材・報道の仕事に24~25年携わってきて、今ほどキャンピングカーそのものが大きく変わろうとしていることを感じたことはない。

 その変化は、車づくりそのものからも感じ取れるし、国産メーカーのなかからグローバルな視野を持ち始めた企業が出てきたことからも感じられる。
 さらには、業界の一部で組織再編成の動きが始まっていることからも伝わってくる。
 
 しかし、いちばん大きな変化は、なによりもキャンピングカーのベース車の変化だ。
 「自動車が変わろうとしている」
 それがいちばん大きな問題なのだ。

 キャンピングカーも、しょせんは自動車である。
 それも、乗用車メーカーが供給するベース車に架装することでキャンピングカーが成り立つわけだから、ベース車の変化は必然的にキャンピングカーにも変化をうながす。

 自動運転化
 EV(電気自動車)化

 世界の自動車はものすごい勢いで、そちらの方向にシフトしている。
 そういう時代を迎えて、キャンピングカーはこれからどういうスタイルを身に付ければいいのだろうか。
 バンコンビルダーのトップを走り続けるトイファクトリーの藤井昭文代表へのインタビューから、キャンピングカーの未来を占う話題を中心に拾ってみた。

自動運転技術はキャンピングカーを変えるか?

【町田】 最近の乗用車のCMなどを見ていると、国産車の大半が自動ブレーキを搭載して、障害物や通行人あるいは他の車両との接触を避けるような車両であることをアピールしています。
 こういう乗用車の新しい方向性は、やがてキャンピングカーにも反映されてくるものなのでしょうか?

【藤井】 まだ今のところは難しいですね。というのは、キャンピングカーの場合は同じベース車でも、ビルダーによって架装重量も異なるし、家具を配置するバランスも異なります。さらに、乗車定員や就寝定員も車によって変わってきますし、なかには、ベース車をボディカットした車両もあります。
 そうなると、自動ブレーキを作動させるためのセンサーも、何に焦点を合わせればいいのか絞り切れないんですよ。
 そういう理由から、自動車メーカーさんも、まだ自動ブレーキシステムを載せたベース車をどこのビルダーさんにも供給できないんです。

【町田】 なるほど。それはそうですね。
【藤井】 しかし、自動車メーカーさんと共同開発できるような車両ならば、可能性は出てくると思いますよ。
【町田】 トイさんの場合は、それを可能にしているんですか?

【藤井】 一部の車両ではすでに実現しています。実は、このたび私たちが開発した「101 T-SR」というチューニングブランド名を持つ車は、トヨタさんの自動ブレーキシステムである「トヨタ・セーフティー・センス」を搭載しているんです。つまり、昼夜を問わず、歩行者や他の車両、自転車などの動きを検知して、衝突回避や被害を軽減できるようなシステムを搭載しています。

※ 詳しくは「キャンピングカースタイル」 https://camping-cars.jp/taidan/3937.html 参照

【町田】 なるほど。さらにおうかがいしたいのですが、現在外国の自動車メーカーを中心に、高速道路内に限定した自動運転技術を実用化し始めていますよね。さらに将来は一般道においても自動車の完全自動走行を実現させるための研究が進められています。
 それにはまだそうとうな課題が残されていると思うのですが、もしそういう自動車が出てきたとしたら、それはキャンピングカーも変わっていくことになりそうですか?

【藤井】 そうなればキャンピングカーも劇的な変化を遂げるでしょうね。たとえば、ベース車が自動運転化されれば、キャンピングカーの乗員はみな対面ダイネットをつくって移動中からくつろげるわけです。すでに多くのキャンピングカーメーカーはそういうイメージを未来の商品に投影していると思います。
 ただ、やはり自動運転システムも誤作動を起こす可能性がありますから、そういうときにどう対応するか。
 そこのところで、自動車メーカーさんと緊密な連携を取れるビルダーじゃないと、自動運転キャンピングカーはつくれないでしょうね。

【町田】 もし、そういうキャンピングカーが現実のものとなれば、われわれのキャンピングカーライフはまったく違った次元に移行するのでしょうね。
【藤井】 キャンピングカーに限らず、カーライフ全般が変わるでしょうね。昨年の「東京モーターショー」を見学して驚いたのですが、車を使う人間のライフスタイルそのものが変わってきたことを示すブースがものすごく増えてきているんです。

【町田】 どう変わってきたのですか?
【藤井】 「車」というよりも、「家が走る」というコンセプトを訴えたものが目立つようになってきたんですね。
【町田】 わぁ、“キャンピングカーだ” 。
【藤井】 そうです。たとえば、介護が必要な家族がいる部屋があって、その部屋が自動車として簡単に切り離されるようになっているんですね。そして、家族が運転すれば、介護を受ける人がベッドに寝たまま病院に行けるようになっている。

▼ ホンダ「家モビ」Concept

【町田】 今の時代にぴったりのテーマですね。
【藤井】 そういうように、自動車の「概念」そのものが大きく変わろうとしています。

【町田】 そうなれば、キャンピングカーにも大きな飛躍のチャンスが訪れることになりますね。
【藤井】 確かにチャンスでもありますが、同時にピンチであるとも考えられます。
【町田】 どういうことですか?
 
 
運転手の要らない車社会が、すぐそこまで迫っている?

【藤井】 ベース車がEV化したり、自動運転化したりするということは、自動車メーカー同士の開発競争が激化していくことになるんですね。そうなると、当然技術上の秘密事項というものがどんどん増えていくことになります。
 そうなった段階で、自動車メーカーがどこまでキャンピングカービルダーのことを信頼してくれるのか。メーカーが自分たちの秘密を守るために、われわれに供給するベース車をものすごく限定してくる可能性はあります。

【町田】 ああ、なるほどね。キャンピングカービルダーにとっては「試練の未来」
が待っているかもしれないと … 。
【藤井】 キャンピングカービルダーだけでなく、現在自動車を使っている仕事全般が見直されるようになるかもしれません。
 一般道における完全自動運転が可能になってからの話ですが、そういう世の中になると、まず「運転手さん」が要らなくなる。バスの運転手さん、トラックの運転手さん、タクシーの運転手さんという仕事がなくなることも考えられます。

【町田】 恐ろしいような変化が待ち受けているわけですね。
【藤井】 そうですね。そういうように、「運転手がいない」車というものが生まれてくれば、それはもう(従来の意味での)車ではなくなるわけですね。中心となるユニットはコンピュターの塊りによって占められるようになるでしょうから、車と呼ぶより、もう「家電」と呼んだ方がふさわしいかもしれない。

【町田】 そうなった場合、キャンピングカーはどうなるんですか?
【藤井】 今までのような “キャンピングカー屋さん” じゃなくてもキャンピングカーをつくれる時代がきてしまう。
 たとえば、どこかの大手工務店さんが、「うちは内装が得意だからキャンピングカー屋さんよりも安く請け負いますよ」などといってくれば、われわれはそういう業者さんに一気に仕事をとられてしまうかもしれない。

【町田】 そうならないためには?
【藤井】 そういう時代が来る前に、軽量化の問題とか、安全性の問題などで、しっかりしたキャンピングカーづくりのノウハウを確立し、乗用車メーカーさんから「このビルダーは使える」と認知されるような実力を蓄えておかないとならないでしょうね。
 
 
リチウムイオン電池ブームに対する懸念

【町田】 安全対策なども、これからはシビアなものが要求されるでしょうね。
【藤井】 そうですね。たとえば、リチウムイオンバッテリーがいまキャンピングカー業界で脚光を浴びていますよね。
 しかし、現在の段階では、ビルダーさんレベルが開発したもののなかには、まだ不安定な要素を抱えたものも混じっているんですね。もちろん日産自動車さんがキャラバンに搭載しているようなものは別です。あれは乗用車メーカーが絶対的な安全性を謳い、「メーカー保証を付ける」といっているくらいですから、製品的にも信頼できるものだと感じます。
 しかし、民間レベルのものはまだ安全面の課題を残したものも混じっていると私は思います。

▼ 日産自動車のリチウムイオンバッテリー

【町田】 そういうことは、なかなか私の立場としては言いづらいですね(笑)。

【藤井】 いいですよ(笑)。「藤井の個人的な意見だ」ということにしておいてください(笑)。
 私が注意して見ているのは、現在リチウムイオン電池の開発費に数百億円をかけている自動車メーカーですら、「積極的に採用するには、まだ課題が残っている」といって慎重な姿勢を崩していないところなんです。
 さらに、ヨーロッパのキャンピングカーメーカーも、もう一時ほどリチウムイオン電池にこだわらないようになってきました。実際にそれを搭載している車両も減っています。
 その理由の一つに、普通の鉛バッテリーの性能がどんどん上がってきていることが挙げられます。昔だったら2年ぐらいのサイクルで交換しなければならなかったものが、充電効率を見直せば4年くらいは持つようになってきました。普通に使っても3年くらいは持ちます。
 そうなると、高価なリチウムイオン電池を使うよりも、安価な鉛バッテリーを買い替えていった方が経済的だという計算も成り立つんですね。
 そういうことを総合的に判断して、トイファクトリーが自社製品にリチウムイオン電池を搭載するタイミングは、自動車メーカーが純正品として採用したときだと考えています。

【町田】 キャンピングカー業界の “常識” は次から次へと変わってきているんですね。

【藤井】 ユーザーさんの意識もずいぶん変わってきていますね。ユーザー同士の声がネット上で交換されるような場では、少し前ですと、みなキャンピングカーメーカーがいうことよりも、ネットの声の方が優先されていたんですね。たとえば、新しい電装品として話題になっている商品を自らDIYで取り付けた方が、「この電装品を付けたらすごく効果が出た」という意見を公開したとします。昔ならば、それに対して多くの人が飛びついていったわけです。
 しかし、最近はまた変わってきて、今の例においても、「素人の配線じゃ危ないよね」などという意見もすぐアップされるようになりました。
 つまり、情報発信者が素人であるかメーカーであるかを問わず、ユーザーさん自身が「信頼できる情報か、信頼できない情報か」を見極める力を付けてきているんですね。

【町田】 ずいぶんユーザーさんも成熟してきましたね。
【藤井】 そうなんです。だからキャンピングカーメーカーも常に努力して、正しい情報を提供できる力を付けておかないとならないんですね。
 
 
国産キャンピングカーに海外マーケットへ道は開けるか

【町田】 話は変わりますが、日本のキャンピングカーメーカーさんのなかには、最近海外マーケットを視野に入れたような商品開発を試みるところも出てきました。
 しかし、それをいうならば、トイさんはすでにアフリカなどに救急医療回診車などを出していますよね。
 さらに、発展途上国の要人たちのVIPカーを「自動車メーカー」ブランドで製作しています。
 日本のキャンピングカービルダーが、国際マーケットで通用するような車両づくりのコツというものが何かあるのでしょうか?

▼ トイファクトリーの救急医療回診車

【藤井】 私たちの場合は、「トイファクトリー」というブランドで出荷するわけではなく、あくまでも「自動車メーカー」のブランドを掲げた車づくりを進めているわけですね。
 そうなると、当然家具の仕上げから配線に至るまで「自動車メーカー基準」というものが要求されるわけです。これはキャンピングカービルダーのレベルではとてもクリアできないような、そうとう厳しい基準になっています。
 それをこなすために、私たちも何年という歳月をかけて苦労を重ねてきましたが、そこで得たノウハウが、けっきょくトイファクトリーのキャンピングカー開発力を高めることになりました。
 説明するのは難しいのですが、それが「コツ」といえば、コツになりますかね。

【町田】 つまり “自動車メーカー基準” を満たせば、海外マーケットでも通用する車両づくりが可能になるということでしょうか?
【藤井】 そうですね。自動車メーカーさんは、車両の安全面や装備の完成度においても完璧なものを要求されますし、家具などの質感においてもそうとう厳しいチェックを行います。
 たとえば、家具の表面やエッジの部分なども、品質管理の担当者が手のひらで入念に表面を撫でられるんですよ。そして、女性や子供が触っても違和感のないような手触りになっているかどうか、触感や視覚に関する部分まで綿密にチェックするんですね。
 
 
セブンシーズのクオリティは海外でも通用する
 
【町田】 そういうことなれば、またずいぶん洗練された商品になっていくでしょうね。
【藤井】 ええ。その域にまで達すると、ようやく海外マーケットに出しても恥ずかしくないものになります。
 この前の「ジャパンキャンピングカーショー2018」に出展したバスコンの「セブンシーズ」は、ヨーロッパで年間5万台のレンタル用キャンピングカーを扱っている方から、「この車をヨーロッパ仕様にしてくれれば3,000台買ってもいい」といわれました。

▼ セブンシーズ外形

▼ セブンシーズ内装

【町田】 ヨーロッパ仕様とは?
【藤井】 ECE基準の前突の問題が絡むので、規定上日本のマイクロバスのままでは使えないんですね。
【町田】 そうなった場合はどう対応することになるんですか?
【藤井】 たとえばフィアット・デュカトですね。それを使って、このセブンシーズのコンセプトとクオリティーを再現すればOKだというわけです。

【町田】 実際に検討されますか?
【藤井】 今のところデュカトは、まだシャシー供給の見通しが流動的なので、なんともいえませんが、魅力的な話であることは事実です。

▼ フィアット・デュカト バンボディ

【町田】 もし国産キャンピングカーが、今後海外のマーケットに出ていくことになったとしたら、そのときの日本のキャンピングカーの “武器” は何になりますか?

【藤井】 残念ながら、生産技術や量産化体制などの点で、現在のところ国内のビルダーが海外のブランドに太刀打ちできる条件は整ってはいません。
 ただ、勝機があるとしたら、それはやはり日本にしかない技術を搭載したキャンピングカーを仕上げたときでしょうね。
 たとえば、日本の家庭用インバーターエアコンを使う技術などは、まだ世界のどこにも生まれていません。そういう技術を効率よくシステム化するには、今度は家電メーカーなどとの綿密な連携プレーが要求されるんですね。
 トイファクトリーの場合は、シャープさんにご協力いただき、高効率のソーラーシステムを構築して、それをインバーターエアコンなどを駆動させる動力源の補助として使えるようにしています。
  
   
▼ シャープ製ソーラーパネル装着車

 
  
日本の電装技術をうまく採用すれば、日本の
キャンピングカーも国際競争力を身につける

  
【町田】 やっぱり電装技術が大きな “武器” になりますか?
【藤井】 そうですね。電装系に関しては、まだまだ日本の家電メーカーは世界のトップを走っています。日本のメディアは、たとえばシャープさんが台湾の「ホンハイ」に買収されたことを例にとって、「日本の家電メーカーの凋落」などと報道しますが、それは皮相的な見方であって、実際はシャープさんが従来の技術力を維持したまま、さらなる資金源を獲得したという方が事実に近い。
 そのシャープさんが、日本にしかない技術としてプラズマクラスターを持っていて、それがいま世界中の注目を浴びています。
 
【町田】 その技術をキャンピングカーに応用するということですか?

【藤井】 そういうアイデアも魅力的だ、ということですね。キャンピングカーにはペットを乗せる率も高い。そうすると動物の臭いが車内に沁みつく。また人が寝泊まりする空間ですから、知らず知らずのうちに生活臭がこもる。
 このようなことをヨーロッパのキャンピングカーユーザーは嫌うのですが、それに対して、外国のメーカーは対処しきれていない。トイファクトリーはすでに専用モデルにて対応していますが、外国のビルダーには、まだそれを解決する技術がないんですよ。
 そのような海外ユーザーのニーズに応える形で日本の電装技術を搭載したキャンピングカーが出荷されるなら、そこに商品価値が生まれる可能性は高いと考えます。

【町田】 なるほど。そのシャープさんと提携を結んでいるトイさんなら、ヨーロッパ市場で注目を浴びる国産キャンピングカーを開発できると。
【藤井】 あくまでも想定であり、アイデアの段階ですけれどね(笑)。まだ現実的なアクションを起こしているわけではありません。
 
 
プロパンガスの評価が海外でも変わりつつある
 
【町田】 ただ、いくら国産キャンピングカーの電装技術が発達したといっても、たとえばヒーターやコンロ、温水器などに関しては、海外の車両はみなLPGシステムを採用していますよね。充填設備もふんだんにあるから、ガスの補給に困るということもありません。
 だから熱源ことを考えると、海外の使用環境では、日本車の優位性はそれほど目立たないと思うんですが。
【藤井】 ただ、最近はLPGに関する向こうの評価も変わってきているんですね。たとえばヨーロッパのビルダーに上がってくるユーザーの不満のなかには、LPGに対する不満が増えてきているんです。

【町田】 どうしてですか?
【藤井】 日本のように、「充填に支障がある」とか「ガスは危険だ」とかいうことではないんですが、要は効率が悪いというんですよ。特に冬場などは2~3日でタンクが空になってしまう。そこに不満を感じるユーザーさんが増えているんですね。
 だから、日本の得意とする省エネ技術で、それに代わるエネルギーシステムを構築していけばいいと思います。
 
 
「少子高齢化」問題を乗り切る

【町田】 国内マーケットの話に戻りますけれど、日本の場合は「少子高齢化」という問題を抱えていますよね。どの産業もみな国内マーケットが縮小していくのではないかと心配しています。この問題はどう考えていらっしゃいますか?

【藤井】 確かに製造業にとっては大きな問題だと思っています。ただ、このままキャンピングカーの国内マーケットがしぼんでいくとも考えていないんですよ。まだまだ掘り起こしは可能です。 
 まず、若者マーケットについて。
 よくマスコミは「若者の自動車離れ」という報道を繰り返しますよね。あれはとんでもない間違いだと思っています。
 私たちの本社は岐阜県にあって、工場は沖縄にあるのですが、そういう地方で若者を声を拾ってみると、自動車を欲しがらない若者なんて一人もいません。
 ただ、一般的な若い方は “高い車” が買えないんです。さらに自動車ローンより高い首都圏の駐車場代なんて、とても払えない。
 そのため、マスコミがインタビューする首都圏内では、登場する若者がみな「車なんて要らない」と答えるようになりましたが、地方の若者は、移動手段がないとどうしようもありませんから、おカネを工面して、みな軽自動車を買ったりしています。そして、結婚して家族ができれば、安全面を考慮して少しだけ大きい車に買い替えています。
 
▼ 首都圏の繁華街で遊ぶ若者たち

 
【町田】 つまり、東京23区以外のエリアに住んでいる地方の若者は、みな車は必要だと思っているわけですね。確かにそうであるならば、当然車に興味を持つようにもなりますよね。
【藤井】 そうですね。車に興味を持てば、当然キャンピングカーにも関心が向くようになると思います。
 今ちょうど、若者の間にアウトドアブームが起こっていますよね。テントキャンプも盛んになってきています。そういうブームが広がり始めると、キャンピングカーに関心を持つ人々も増えてくることになります。

【町田】 ただ、高い乗用車が買えないという若者がいる以上、やはり高額商品だと思われがちなキャンピングカーも “遠い夢” ということになりませんか?
 
 
トヨタ・ハイラックスは何が若者に評価されたのか?
 
【藤井】 私は、それを「車が買えない」のではなく、「買いたい車が見つからない」というふうに捉えています。
 問題は、今のキャンピングカーが、若者の心を捉える商品になっているかどうかということですね。
 昨年の秋にトヨタが13年ぶりにハイラックスを発売しました。リサーチしてみると、20代から30代くらいの若者の90%がそれを歓迎しているんですね。あんな高いトラックをですよ。370万円台から400万円近い金額になるというのに。
 でも、彼らは「欲しい」という。
 ひとつはスタイルなんですね。そしてもう一つは、荷台があって、何か積めそうで、何か遊べそうだというイメージがある。
 
▼ 新型ハイラックス

 
【町田】 その延長線上にキャンピングカーはありますものね。
【藤井】 そうです。「何か遊べそう」というのは若者向け車両のキーワードになると思うんです。
 けっきょくわれわれキャンピングカー業界は、「何か遊べそう」というイメージを若者たちに発信する力が中途半端だったのではないか? それは、われわれ自身が遊んでいなかったからではないか?
 そう思って、トイファクトリーでは、「もっとみんなで遊ぼう!」という思いを声にするために、自分たちが管理するキャンプ場を2年前から運営することにしたんですよ。
 
 
「トイの森」で社員も遊ぶ

【町田】 「トイの森」のことですね。
【藤井】 はい。これはトイファクトリーの車を購入してくださったお客様に、プライベートキャンプ場のような気持ちで使ってもらうために開設した施設ですが、実はわれわれ自身も遊べるようにしたものなんです。
 そんなにしょっちゅう開いているわけではないですが、定期的に社員が集まって、自転車のトライアルレースをやってみたり、焚き火を囲んで酒を酌み交わしたりしています。

▼ トイの森

【町田】 お客様に遊びの提案をするためには、まずショップのスタッフが遊びを知らないと駄目だ … とはよくいわれますね。
【藤井】 そのとおりです。やっぱり星の下などで、焚き火の炎を眺めながら語り合うと、キャンピングカーに対するアイデアが無限に湧いてくるんですね。オフィスでテーブルを囲んでする会議とはまったく違う。

【町田】 一種のブレーンストーミングみたいなものですね。
【藤井】 そうです。楽しいアイデアというのは、楽しい時間からしか生まれないんですね。
【町田】 そういう時間をつくるには、キャンプなどがうってつけというわけですね。
 
 
人間教育の基礎は「自然観察」
 
【藤井】 要するに、人間に思考をうながすのは、「自然」ではないかと思っているんです。
 人類は、自然のなかに隠された情報を読み採る作業を繰り返しているうちに、今の文明にたどり着いたわけですよね。
 だから「自然観察」というのが、人間教育の基礎になるのではないかと。

▼ トイの森

【町田】 すごい話になってきた! でも、そうかもしれません。自然のなかにランダムに散らばった現象から共通のものを取り出し、それを仲間と確認し合う作業を通じて「言語」が生まれてきたわけですからね。

【藤井】 だとしたら、「トイの森」というのは、そういう人類がたどってきた知的作業を復習する施設なのかもしれません(笑)。
 今われわれは、このキャンプ場で「ネイチャースクール」というものを開催しています。そこでは子供たちを集めて、青、赤、黄、緑、白、茶などのプレートを渡し、「自然のなかで、これと同じ色をしているものを探してみて」というゲームを行っているんですね。
 大人がそううながすと、子供たちは実に真剣に考えるんです。
 自然のなかにある色は、人間がつくり出す色とはやはり微妙に違うんですね。そのため子供たちは、真剣になって自然の色を観察する。そのときに「人工物」と「自然」の違いを感覚で知ることになる。

【町田】 そうやって観察力が養われて、それが「知性」になっていくんでしょうね。
【藤井】 そうでしょうね。そういう作業の積み重ねによって養われた感性が、やがてキャンピングカーのなかに「遊び」を発見する力になるような気がします。
 遠回りかもしれないけれど、「ネイチャースクール」のような仕事も、キャンピングカーメーカーにとっての “未来の種まき” になるような気がしています。
 
 
※ 藤井代表インタビューにおける車両の話題や技術的な話題は、下記の記事をご参照ください。
https://camping-cars.jp/taidan/3937.html
(「キャンピングカースタイル」)
 
 

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息子の中学時代最後の旅

 
 1994年に、「ギャラクシーⅢ」という1台目のキャンピングカーを買った。ピックアップトラックのトヨタハイラックス4WDに架装したキャブコンであった。

 このとき、長男はすでに中学1年生。13歳。
 親と一緒にキャンピングカー旅行について来るのか来ないのかという、微妙な年齢に達していた。

 小学生のときまで、親といっしょに旅行していた子供も、中学に入るともう親にはついて来ない、とよくいわれる。
 中学生から本格的な部活を始める子も多い。そうなると、休みの大半が部活に奪われてしまう。
 また、小学生の頃に比べると、友達づき合いの質も変わる。
 親にも相談できないような悩みごとも増え、友達同士の方がお互いに悩みを打ち明けやすくなったりするのもこの頃だ。

 たぶん、中学生というのは、子供が「社会」と向き合う年齢なのだ。
 「社会」とは、むき出しの “個” が、世間と対峙する世界のことをいう。
 つまり、自分一人でいろいろな問題を解決しなければならない “場” を指す。
 
 それに対し、小学生までは、まだ「共同体」の一員である。
 「共同体」とは、すなわち、家族や親せき、隣人といった取り巻きが未熟な人間を「社会」の荒波から守ってくれる “場” のことをいう。
 両親・兄弟は「家族共同体」である。
 近所づきあいなどといわれる隣人同士の繋がりは、「地域共同体」という。
 小学校も、基本的には地域社会に基盤を置くから、これも広い意味での「地域共同体」である。

 しかし、中学生活を始めるということは、そういう共同体のプロテクターが及ばない領域に足を踏み入れることをいう。
 そこで待ち受けているのは、たとえば、自分が他人にどう見られているのか? という自意識の不安かもしれないし、恋を知ることのときめきかもしれないし、人間関係の齟齬(たとえばイジメなど)に対する恐怖であるかもしれない。

 いずれにせよ、子供たちは、生まれてはじめて、他者が介在してくる “場” を経験するようになる。
 それは、この世には、親にも相談できない悩みがあることを知ることでもある。
 子供が、親といっしょに旅行に行くのを避けるようになるのは、部活や友達付き合いを優先したいからだけではない。
 自分が「親にも相談できない悩み」を抱えてしまったことで、親を心配させたくないからだ。

 
 わが家は、長男がそういう微妙な時期に入ったとき、ようやくキャンピングカーが間に合った。
 中学1年生になった息子は、すでに部活も始めていたし、新しい友人関係も結ぶようになっていた。
 それでも、誘えば、何度か親のキャンピングカー旅行についてきた。
 断ったりすると、親ががっかりすると思ったのかもしれないし、単純に、はじめて経験するキャンピングカー旅行というものに好奇心を持ったからかもしれない。

 しかし、それもせいぜい中学1年かぎりだった。
 中学2年以降は、運動部の部活でそれなりにリーダー的立場が要求されるポジションに就いてしまったため、親とは休みのスケジュールが合わなくなった。

 彼の中学生時代の最後のキャンピングカー旅行は、1年の夏休みが終わる最終週だった。
 夏の部活が終わり、9月の2学期が始まる直前にようやく旅行のスケジュールが取れた。
 男同士の2人旅となった。


 
 群馬県にある宝川温泉に寄ったりしながら、宝台樹(ほうだいぎ)キャンプ場というところで1泊した。
 目の中が緑色に染まるような、深い木立に囲まれた山のキャンプ場だった。

 オーニングを出し、椅子・テーブルをセッティングしたあと、緑に染まった山々を見ながら、コーヒーを飲んだ。
 息子は、夏休みに組み立てる予定だった戦車のプラモデルを箱から取り出し、テーブルの上で組み立て始めた。


 
 お互いに会話はなかった。
 子供が中学生ぐらいになると、親子の会話というのは、そんなに多くないのが普通だ。
 男同士だと、互いに照れくさいということもある。
 無理してしゃべり合うことの不自然さというのもお互いに分かっている。
 
 しかし、短い会話の心地よさというものもある。
 「お前、コーヒー飲むか?」
 「飲む」
 「砂糖は?」
 「いる」
 「 …… 」
 「 …… 」
 「緑がまぶしいな」
 「まぶしいね」
 
 そんな会話を交わしながら、長男はプラモデルを組み立てる手を休めない。
 ぽつりぽつりと途切れる会話なのに、けっこう充実した時間が流れていく。

 午後の陽射しが気持ち良いので、オーニングの下でうつらうつらする。
 目が覚めると、息子の戦車が完成していた。

 息子がそれを草の上に置く。
 大草原を疾駆する勇壮な戦車。
 プラモデルが完成したときのいちばん充実した時間を、いま彼は堪能しようとしている。

 しかし、そのとき彼の口からこぼれたのは、意外な言葉だった。
 「終わっちゃったな …」
 なんとも深いため息だった。

 プラモデルは、完成させるまでが “遊び” なのだ。
 完成して、もう手を加えることがなくなってしまうと、それはただの置物にすぎない。
 おそらく、彼はそのことを嘆いたのだろうと思った。
 しかし、次に出てきたのは、こんな言葉だった。

 「もうこれが夏休みの最後だね」
 そういって、彼は草の上の戦車から目を離し、遠くの山々をまぶしそうに眺めた。
 
 明日このキャンプ場からキャンピングカーを撤収して、家に戻れば、その翌日から2学期が始まる。
 「夏休みの最後」
 という言葉の切なさは、私にも十分伝わってきた。
 彼は、そのとき、生ぬるい癒しに満ちた “家族共同体” に背を向けて、再び “社会” という厳しい世界に戻っていくことの辛さを言葉にしたのだ。
 
 
 その夜、2人で懐中電灯をぶらさげたまま、キャンプ場の敷地を出て山の方に散歩に出かけた。
 月明りに照らされた道路の彼方を、黒い影が横切った。
 大きな犬のようにも見えた。

 「クマだ !」
 私はそう叫んで、息子を追い立てながら、一目散にキャンプ場向かって駆け戻った。

 2人とも息を切らしながら、車の中に入り、ようやく顔を見合わせた。
 「怖いものを見たね !」
 と口では言いながらも、息子の顔は輝いていた。
 彼にしてみれば、夏休みの終わりを飾るにふさわしい “イベント” に遭遇したのかもしれなかった。
 
   
 参考記事 JRVAコラム
 「子供はいくつになるまで親のキャンピングカー旅行について来るか?」

 (↓)
 http://www.jrva.com/column/detail.php?column_cd=73
  
 

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キャンパー鹿児島「レム レポーズ」誕生

 
リチウムイオン電池を搭載した
キャンパー鹿児島の新キャブコン

 業界でもいち早くリチウムイオンバッテリーを搭載したキャンピングカーの実用化に踏み切ったキャンパー鹿児島。
 同社が開発した「KULOS(クロス)」というリチウムイオンバッテリーは、発電容量がケタはずれに大きく、従来の鉛バッテリーの7倍~10倍の寿命を保ち、しかも重量が軽い。
 このバッテリーで車内のエアコンを駆動させたとき、8時間から13時間程度の連続運転できるようになっている。

 さらに、同バッテリーの場合はそれまでのリチウムイオンバッテリーとは異なり、キャンピングカーに搭載した場合は走行充電が可能であるのみならず、アイドリング充電も可能という画期的なもの。現在、メディアやユーザーの間で大反響を巻き起こしている。

 しかし、同バッテリーはこれまではバンコンにしか搭載されたことはなく、キャブコンへの採用を期待するユーザーの声は高かった。 
 「レム レポーズ」は、そんなユーザーのリクエストに応えて、キャンパー鹿児島がはじめてリリースした「クロス」を搭載したキャブコン。

 ユニークなスライドアを装着して、明るく開放的なエントランスを実現している。
 室内は、バンコン開発で培ってきた同社の洗練された内装でまとめられ、高機能な装備とハイセンスなデザインが融合したチャーミングなキャブコンに仕上げられている。



詳しい情報は、こちらをどうぞ (↓)
https://camping-cars.jp/camping-car-news/3838.html
(キャンピングカースタイル「リチウムイオンバッテリー搭載キャブコン レム レポーズ」)
 
 

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ハイエース用ウィンドウ スマートシェード

 
 お洒落なコンパクトキャンピングカーを開発するメーカーとしてユーザーから一目置かれている「ホワイトハウス」は、また人々の意表を突く商品開発を行う会社としても知られている。

 ホワイトハウスの視線は、常にヨーロッパキャンピングカーに向けられており、たとえば欧州キャンパーの大半が採用しているフロント席回転機構をハイエースを使って日本でいち早く開発している。 

 そのホワイトハウスが、またしても欧州キャンパーで普及している新機構を日本でも実現して話題を呼んでいる。
 それが「ウィンドウ スマートシェード」。
 フロントウィンドウと運転席・助手席のサイドウィンドウを覆うプリーツ式(蛇腹式)のブラインドである。

 欧州キャンパーでは、下記の例のように、従来の遮光カーテンに代り、このスマートシェードが急速に普及。今ではほとんどのキャンピングカーに取り付けられるようになった。

▼ ハイマーML-T(2018年)のスマートシェード

▼ ラ・ストラーダ(2015年)のスマートシェード

 
 今回ホワイトハウスが実現したスマートシェードは、日本のハイエース用にということで、欧州キャンピングカーシェードの90%のシェアを持つ「REMIS(レミス)」と共同開発したもの。
 蛇腹式のシェードを格納するときは、端から順次折りたたまれてピラーのなかに収まっていくという機構で、これまでの遮光カーテンで窓を覆うタイプのものよりも格段に操作性が上がり、かつ見た目もすっきりするようになっている。

▼ ホワイトハウス「ハイエース用ウィンドウ スマートシェード」
_フロントウィンドウ用

▼ ホワイトハウス「ハイエース用ウィンドウ スマートシェード」

 この「REMIS」のようなパーツを開発する部品サプライヤーが欧州では数多く存在し、それが欧州キャンパーの量的・質的拡大に大きく貢献しているが、こういうパーツを日本用に加工するのは難しい。
 というのは、欧州と日本ではキャンピングカーの生産量が違いすぎるため、欧州で普及している便利なパーツを国産車用につくり直すのはコストがかかり過ぎるからだ。
 そこに踏み込んだホワイトハウスの英断は、大いに評価してよい。
 
 このスマートシェードの情報も含め、ホワイトハウスの開発するキャンピングカーの詳しい話は下記のサイトをどうぞ。

https://camping-cars.jp/taidan/3807.html
 「キャンピングカースタイル」
 ホワイトハウス酒井裕二郎 キャンピングカー事業部長インタビュー
.
 
 

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ハイマーML‐T・4WDインプレッション

 

 ハイマーML-T570・4WD(輸入元RVランド)という車のインプレッションを語り合うという企画がキャンピングカーの総合WEBサイト「キャンピングカースタイル」で行われ、3月初旬、キャンピングカーライターの岩田一成氏と対談する機会を得た。夜はハイマーの車内で酒などを酌み交わしながら、岩田氏からいろいろなことを学ばせていただいた。

 私は “キャンピングカーライター”などという肩書を持ちながら、自分で買った2台のキャンピングカー以外、それほど多くの車を試乗してきたわけではない。どちらかというと、色々な資料を読み、開発担当者の話を聞いて取材対象の車を分析するという “耳学” 頼りの頭脳作業が多い。

 それに対し、『Camp Car MAGAZINE』をはじめとする数々のキャンピングカー誌、アウトドア誌にキャンピングカーの試乗記を載せ、若い頃からアメ車やカスタムカーに親しんで、ジャンルの異なる車同士のコンセプトも比較できる岩田さんはさすがである。
 重量バランスや足回りのセッティングへの言及は、実際にいくつもの車を運転してきて、“身体のセンサー” を鍛えてきた人でなければ語り切れない話だと思った。
 対談中、記事掲載からは省かれたが、若い頃の岩田さんの車遍歴なども非常に興味深く拝聴した。

▼ 左が岩田氏

 このハイマーの対談記事も、とても上手に構成されていた。
 インタビューや対談を書き起こす仕事は自分の得意分野のつもりでいたが、今回のように、自分の談話が別のライターさんからしっかりした文章としてまとめられているのを見ると、いろいろと参考になることも発見できて、ありがたかった。
 正直にいうが、「言葉」として発していないにもかかわらず、心の中まで察して、あたかもしゃべっているように構成してくれたことに関しては、感謝した気持でいっぱいである。

対談記事はこちら(↓)
https://camping-cars.jp/camping-car-news/3763.html

 この車両に関する詳しいインプレッションは、上記のサイトに飛んでいただければ楽しめると思うが、ここでは、以下この車両を貸し出してくれたRVランドの阿部和英社長の談話を少しだけ紹介して終わらせたい。

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阿部社長が語る “ハイマー4WD” の魅力

車両を貸し出してもらう前のRVランド展示場にて

▼ RVランド 阿部和英 社長

【町田】 「ハイマーML‐T570・4WD」という車のヨーロッパにおける位置づけなど教えてください。

【阿部】 ご存知のように、現在ヨーロッパのキャンピングカーシャシーの7割近くはフィアット・デュカトに占められているわけですね。もちろんハイマーの扱う車両にもフィアットシャシーがずいぶん含まれています。
 しかし、フィアットの場合、使える場所がベンツほどオールラウンドじゃないんですよ。少なくとも雪道や泥濘地の走行はそれほど得意ではない。特に滑りやすい坂道を登るのは苦手な方なんです。
 その理由は、フィアットはFFであるがゆえに、後軸に荷重がかかりすぎると、駆動輪である前輪が浮いてしまい、トラクションが得られにくくなってしまうからですね。特にキャンピングカーは架装重量がありますから、リヤヘビーになればどんどんフロントの駆動輪が頼りなくなっていく。全長が長くなれば長くなるほど、その傾向は強くなります。

▼ フィアットシャシーを採用したハイマーのバンコン

【町田】 でも、アルプス以北のヨーロッパの国々は日本より雪が多いというのに、なぜそれほどフィアットの方がウケるんですかね?
【阿部】 ヨーロッパのユーザーたちは、フィアットが雪道で不利だという話を出すと、必ず「日本人は運転が下手なんだ」と反論してきます(笑)。要は、「前輪が滑り始めたら、車の向きを変えて、バックで登ればいいんだ」と。

【町田】 ジョークですか?(笑)
【阿部】 いや、半分くらいは本気なんじゃないですか(笑)。でも、実際にヨーロッパ人はFF車でもうまく乗りこなしますよ。
 ただ、ウィンタースポーツなどをしょっちゅうやるようなユーザーは、やっぱりFF車を敬遠しますね。そういう人たちに、このハイマーML‐T・4WDがウケているわけです。実際にノーマル車のベンツにおいても、需要の4割は4WDだといいます。

【町田】 ならば、どうしてベンツシャシーは、フィアットに比べてヨーロッパのキャンピングカーでは伸びないんでしょう?

【阿部】 最大の理由は価格ですね。ベンツとフィアットを比べると、エンジンスペックではほぼ同じ馬力を発生するにもかかわらず、フィアットの方が100万円以上安いわけです。
 そうなると架装メーカーの方も、その差額分だけ装備類や内装設計にコストをかけることもできるし、車両価格を安くすることもできる。そういった理由でフィアットが伸びたわけですね。 
 もうひとつ理由があるとしたら、それはフィアットの方が架装の自由度が高いことでしょう。
 フィアットの場合はキャブ部とフロントタイヤ以降はシャシーの長さが自由に選べるようになっています。もちろんフィアットのオリジナルシャシーがそういう設定になっているわけですが、より走行安定性が高いアルコシャシーをチョイスした場合も、架装メーカーの方で長さのオーダーができるんです。

【町田】 しかし、それは架装メーカーさんの話であって、ユーザーサイドに立てば、雪道にも強いメルセデスの方が安心だという見方もできますよね。
【阿部】 そうなんですが、ベンツのようなFRは、やはり架装メーカー泣かせの部分があるんですよ。
 というのは、車体下にドライブシャフトが通っているので、水タンクなどの装備が積みづらくなるんですね。その部分に関していえば、FFキャンピングカーの方が架装効率はよくなります。

【町田】 日本で使う場合、メルセデスのシャシーとフィアットのシャシーでは、どちらが好まれると思いますか?
【阿部】 それは好き好きではないでしょうかね(笑)。ATミッションの場合、フィアットには独特のクセがちょっとあって、最初のうちはそこに違和感を感じるユーザーさんはいらっしゃいますね。慣れの範囲の問題でしかないのですけれど … 。
 その点、ベンツの方は、どんな車から乗り換えられても、違和感なくその操作感覚にすぐ慣れます。
 それと、ベース車自体のステータス性でいえば、現在ではベンツの方が上じゃないですか。

【町田】 両者を比べた場合、メンテナンス性はどうでしょう?

【阿部】 昔のフィアットキャンパーならば、トラブルが出たときのメンテナンス体制が問題になったこともありましたけれど、これからはフィアット車でもまったく問題なくメンテが受けられるようなサービス拠点が増えていくと思います。
 ただ、現状にかぎっていえば、まだベンツシャシーの方が安心できますね。
 というのは、日本ではベンツのテスターを持っている工場が非常に多いからです。今のベンツだと、テスターにつなぐと、トラブルが生じているパーツが部品番号で明示されるようになっているんですよ。
 だからその部品番号に従って、日本でベンツを扱っている会社に供給をお願いすれば、すぐに部品が入手できます。

【町田】 その場合、キャンピングカーベース車も一般乗用車と同じに考えていいのですか?
【阿部】 このML-Tで使われているようなトランスポーターでも、エンジンやミッションを構成するパーツは基本的に乗用車と共通なので、ベンツの乗用車をメンテできる町工場ならほとんど対応してもらえます。もちろん旅先でも、我々にご相談いただければ、トラブルに対しての具体的な対応をご説明いたします。

【町田】 それは心強いお話ですね。… 最後に、この車を導入されたときの日本の市場の反応はどうでしたか?
【阿部】 2月の「ジャパンキャンピングカーショー」に出展したあと、ハイマー系で売れたのは圧倒的にベンツシャシーでしたね。8割以上がベンツ車で、残りの2割がフィアットとトレーラーでした。

【町田】 このML‐T570・4WDの場合、顧客としてはどういうタイプの方々が多かったのですか?
【阿部】 年齢的には、非常に多岐にわたっていました。20代を除けば、30代から60代まで満遍なくいらっしゃいました。
 なかでも、30代~40代の方になると、それこそ、時代の先端をいく仕事をされている方々が多いという印象でした。特にスキーのようなウィンタースポーツが趣味というほどのことはないのかもしれませんが、「ベンツの4WDモーターホーム」という希少価値を評価されたようです。
【町田】 なるほど。これからは、この車の姿を都心でみかける機会も増えるかもしれませんね。
 
 
 ※ 今回ともにハイマーの取材に携わってくださった岩田一成さんの著作はこちら
 『人生を10倍豊かにする至福のキャンピングカー入門』
 

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軽キャンパー「テントむし」人気の秘密

 
 今やキャンピングカーのジャンルのなかで、人々の注目をもっとも引き付けているのが「軽キャンピングカー」だ。
 価格や維持費が安い、取り回しがいい、スタイルが可愛いなどと、軽キャンパーの魅力はいくつも上げられるが、人気の秘密を一言でいえば “気楽さ” である。

 キャンピングカーショーのようなイベント会場に行っても、軽キャンパーなら気楽に近寄って、中を覗き込める。
 巨大な高額モーターホームなどになると、「どうせ自分は買えないんだから … 」という卑屈な気分に襲われるのか、中を覗くのも遠慮がちになるし、気のせいか、エントランスドアあたりで “門番している” スタッフも偉そうに見えたりする。

 しかし、軽キャンパーなら、室内を覗き込むときも、夜店の金魚釣りの水槽を覗き込むように、顔をニュッと突っ込むことができる。
 高級モーターホームの場合は、エントランスから首を突っ込むと、ダイネットのテーブルしか見えないが、軽キャンパーは運転席からリヤドアまで一目で見渡せるからホッとする。

 このような軽キャンピングカーの気楽さを、「テントむし」の開発者バンショップミカミの見上喜美雄代表はこう語ったことがある。


 
 「軽キャンパーが気楽なのは、“キャンピングカーは遊びの車だ” という本来の性格をいちばん強く打ち出しているからでしょう。
 これ以上大きな車になると、バンコンでもキャブコンでも、“遊びの車” という以前に “生活の車” というイメージが出てしまいます。
 でも、軽キャンパーは、形自体が “オモチャ” みたいなので、“遊びの車” という印象がふくらんでいきますよね。だから、人々の好奇心を刺激するのだろうと思います」

 開発者がそう語るだけあって、軽キャンパーの「テントむし」は確かにチャーミングだ。

 上の写真は、今年の2月にデビューした最新型「テントむし」。
 とにかく、外形がプリティ !
 軽やかな “ポップフィーリング” に満ちている。
 薄いブルーと白いサイドパネルのカラーコーディネートが爽やかだし、エントランスドアの丸窓もおシャレだ。

 この小粋な感覚というのは、実はすぐには気づきにくい細かいところから積み上げられたものなのである。
 たとえば、タイヤハウスまわりの優美な盛り上がりに注目。
 パッと見では目立たないが、実はオーバーフェンダーになっている。
 

 見上さんは、こういう。
 「走行安定性を増すために、トレッドを広げました」
 スペーサーを入れて、前は片輪15mm。後ろは片輪20mm広げてあるという。
 「その分ボディにフェンダーカバーを付けて、タイヤが出た部分をカバーしています」
 とのこと。

 そう言われてみると、確かにオーバーフェンダーになっていることがはっきりと分かる。
 「でも、(このフェンダーは)合法的な寸法の範囲に収まっているので、車検は問題なく通ります」
 という。

 カッコよく盛り上がって見えるのは、実は視覚的な演出が施されているせいもある。
 「若干ですが、シェル幅を狭くしているんですよ」
 と見上氏は秘密を打ち明ける。

 シェル幅を縮めないと、ヒンジや窓枠が外側に出っ張ってしまって、軽自動車の枠に収まりきらなくなる。
 そのため、シェル幅を多少狭く設計したわけだが、それによる視覚的な効果として、フェンダー部分が優美な弧を描いて盛り上がって見えるようになった。

 なんと芸が細かいことか !
 テントむしの洗練された外形フォルムというのは、実はこういうディテールの作り込みの蓄積から生まれている。

 室内造形も冴えわたっている。
 冷蔵庫の天板(↓)がフラットになっているのが分かるだろうか。

 実は、この冷蔵庫のフタは、バンショップミカミのオリジナル天板なのだ。
 本来このスペースには、背中が盛り上がった上ブタ式冷蔵庫がビルトインされているにすぎない。

 しかし、それでは冷蔵庫の上に物も置けないし、見た目も味気ない。
 そこで、
 「FRPの型を起こして、オリジナルの天板をつくり、冷蔵庫のフタが平らになるように加工しました」
 と見上さん。

 しかも、冷蔵庫のフタの素材は、テーブルの天板の素材と同じものが選ばれているから、インテリア全体に見事な統一感が生まれている。

 あいかわらず “憎い演出” が随所に盛り込まれた新型「テントむし」。
 名車「テントむし」が生まれてくるまでの秘話も含め、くわしい情報は下記のネットでどうぞ。
 https://camping-cars.jp/taidan/3743.html
(キャンピングカースタイル 「テントむし成功の秘密を徹底解剖」)
 
 

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ベンツの4WDシャシーを使ったハイマーの魅力

 
ハイマーML‐T570を岩田さんと語る
 

 キャンピングカーライターの岩田一成さんといっしょに、ハイマーML‐T570の試乗印象を語ることになった。
 私もキャンピングカーメディアの仕事を24~25年ぐらいやってきたけれど、こんな車に出会ったのははじめて。

 4WD仕様のキャンピングカーというのは数多くあれど、4WDシャシーの上に、あの … あのですよ ! 「ハイマー」が載っているというのは、本当にびっくり。

 ハイマーといえば、いわずとしれた世界一の高級キャンピングカー。
 その内装ともなれば、エレガントでノーブル。
 成金趣味とはまったく別の、上品な大人の高級感をたたえたインテリア空間を思い浮かべる人は多いと思うが、そういう洗練された室内が、ごっついタイヤを履いたベンツの4WDシャシーに乗っているというのは、もう “事件” といってもいい。
 おだやかな暮らしを保証された貴族のお姫様が、猛獣と戦いながら、サバイバルナイフで密林を切り開きながら疾走しているという感じの車だ。


 
 その走行感覚やら室内の使い勝手など、多くの人が興味をつのらせるだろうインプレッションに関しては、岩田一成さんが「キャンピングカースタイル」というWEBサイトで詳しく書かれているので、ここではとりあえず画像だけを紹介しておく。

 見て ! こんなの(↓)。
 これ、価格でいうと、1,600万円の車ですよぉ !
 それをわざわざ「ダートの走破性を試してください」といって貸し出すRVランドの阿部社長もずいぶん太っ腹だ。

 で、室内インテリアは、やんちゃな外形と一転して、こんなにエレガント(写真下)。ハイマー60周年記念モデルなので、インテリアカラーには特別色が使われているが、ソフィストケイトされた室内と、ワイルドな外形とのギャップに、しばらくの戸惑ったのも事実。

 ワイルドといいつつ、都会の風景にもさりげなく溶け込んでしまうのもさすがハイマーならでは(写真下)。
 「アーバン&カントリー」
 持ち味の幅がとてつもなく広い車だ。
  

 それでは岩田一成さんの記事(↓)をどうぞ。
 私も、この車に関する多少の感想と、ハイマー社の歴史のようなものを書く予定です。
 https://camping-cars.jp/camping-car-news/3763.html   
 「ワイルドな4駆ハイマーML-T570」(キャンピングカースタイル)
 
 
 ベンツシャシーとフィアットシャシーなどの違いに関するRVランド阿部佐長の談話は、下記をどうぞ。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/03/12/%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%83%9e%e3%83%bcml%e2%80%90t%e3%83%bb4wd%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%ac%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3/
 

 

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ナッツRV 荒木社長の企業戦略

 
大量生産は「量」を増やすことだと思うと、
勘違いする。それは「質」の進化をうながすことだ

 
 
 今年2月初旬に開かれた「ジャパンキャンピングカーショー2018」の会場にて、国産キャンピングカーのトップビルダーであるナッツRVの荒木賢治代表から、同社の製造・販売の目標や将来の夢、車づくりの “哲学” などを聞かせていただいた。

 時間にして1時間を超える取材内容のなかには、なごやかな雑談も含まれたし、オフレコの話もあった。
 しかし、ナッツRVのフラッグシップモデル「ボーダー」への思いや、渾身の電装システムである「EVOLUTION SYSTEM(エボリューションシステム)」開発の狙いなど、現在のナッツを支えるすべてのプロジェクトの陣頭指揮を執った人の解説は、さすがに力がこもっており、聞いていても圧倒された。


 
 それらの技術的な話や、ナッツRV創業期から現在に至る歴史などについては、下記のWEBサイト(↓)に詳しく書いた。
 https://camping-cars.jp/taidan/3704.html
(※ キャンピングカー情報総合WEBサイト 「キャンピングカースタイル」)

 興味のある方は、そちらに飛んでいただくことにして、このブログでは、一般的な商品情報からは少し離れ、企業戦略および経営哲学といった、いわば思想性を帯びた話だけを抜き出すことにする。

 ナッツRVは、現在、北九州に敷地4千坪の本社工場を持ち、ほかに中国工場とフィリピン工場を稼働させている。また今年度には国内に大規模なパネル工場を建設する予定もあるという。
 従業員数は、国内だけで120名強。中国とフィリピンで働く従業員を加えると、総勢370人程度の規模だ。

 これらの数値を紹介するだけで、ナッツRVがこれまでの国産キャンピングカーメーカーに比べてケタ外れに巨大な生産システムを構築していることが分かる。
 そのような大規模生産体制を、耳慣れた言葉で「大量生産」と呼ぶ。
 
 これまでの日本のキャンピングカーメーカーの多くは、家族および少数の従業員による “家内制手工業” 的な生産規模を維持してきた。
 当然、そういう工場でつくられるキャンピングカーの台数は少ない。
 しかし、「日本のマーケットは小さいのだから、それで十分なのだ」という意見がいまだに大勢を占める。
 そこにナッツRVは、変革のクサビを打ち込もうとしている。
 その狙いはどこにあるのか?

 当日私との間に交わされた次のような会話から、荒木代表が考える “車づくりの哲学” のようなものが見えてくる。

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【町田】 ナッツさんの車の特徴といえば、ひとつにカラーリングの美しさがあります。これはやはりアルミパネルを効果的に使っているところからもたらされるものなんですか?

▼ アルミボディのクレア

【荒木】 アルミは平滑性がありますからね。ペイントした状態がものすごくきれいになるという特徴があります。さらにアルミを多用すると、軽量化が実現できるし、リサイクル性もある。もちろんエココンシャスである。
 しかし、アルミは仕入れる段階までが大変だったんですよ。実は、全ヨーロッパで使うアルミ素材の80%ぐらいのシェアを持つオランダの会社まで行って、何度も交渉したんですが、ほとんど相手にしてもらえなかったんですね。「最低でも10トン単位で買ってほしい」 というわけです。
 しかし、10トンといえば、200台分ぐらいの量となる。はたして、そんな量を買って大丈夫なのかと。
 ずいぶん悩みましたけれど、開発技術の将来性のことを考えると、今後の世界の趨勢はアルミ化の方向だろうと。その先行投資だと思って決断しました。

【町田】 やはり、大量生産ができるかできないかで、キャンピングカーづくりの根源的な部分が変わってきてしまうということですね。
【荒木】 そのとおりです。大量生産というのは、単に同じような品質のものを大量につくることではないんです。商品の質そのものが変わってくる。私たちのアルミボディもそうですが、部材を大量発注・大量生産できる体制そのものがキャンピングカーに質的な進化をもたらすんですね。

【町田】 そこのところが、なかなか日本のキャンピングカーメーカーさんには理解されにくいところですね。
【荒木】 そうかもしれません。けっきょく日本のキャンピングカーづくりと、欧米のキャンピングカーづくりの差を一言でいえば、日本のキャンピングカー業界には大量生産するノウハウがないということです。

【町田】 それがないと、どうなるのでしょう?
【荒木】 高品質を維持したまま安い価格の商品というものがつくれない。
 僕は、キャンピングカーを年間1万台ぐらいつくっている会社をいろいろ見てきました。ヨーロッパではハイマー、ホビー、デスレフ、クナウス、アドリア。オセアニアではオーストラリア・ジェイコとかね。 
 そういうところでは、もうパーツを全部ラインで流して、流れ作業で組み立てているわけです。そういう手法を採らないかぎり、製品の均質化も図れないし、コストを下げることもできない。
 コストが下がれば、販売価格も下げることができますから、多くの人が買えるようになる。
【町田】 それがキャンピングカーを普及させる早道というわけですね。
【荒木】 私はそう思っています。
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 以上のインタビューから読みとれるのは、「大量生産」システムの構築が、すでに荒木代表の商品開発哲学になっていることだ。
 理論的にいうと、これは1908年にヘンリー・フォードが確立した “T 型フォード” の思想である。20世紀の製造業は、すべてこのフォードの理論を踏襲して成長していったものばかりだ。
 だから、近代産業の歴史を知る者にとっては、ナッツの営為は「何をいまさら」と思えるようなものかもしれない。

▼ T 型フォードの生産ライン

 しかし、忘れてならないことは、T 型フォードが、あきらかに自動車の歴史を変えたことだ。
 いや、自動車の歴史を “つくった” と言い直してもいい。
 ヘンリー・フォードは、自動車の歴史をつくっただけでなく、同時に「自動車のマーケット」をつくったのだ。

 フォードが「大量生産」を打ち出す前まで、世界のどこにも「自動車マーケット」というものは存在しなかった。
 荒木氏は、それから110年経った極東の日本という地域で、ヘンリー・フォードにならって「キャンピングカーマーケット」というものを、はじめて掘り起こそうとしているのかもしれない。

 ただ、マーケットというのは、商品の供給体制が整ったからといって自動的に発生するものではない。当然のことだが、その商品を求める購入者があってはじめて成立する。

 日本RV協会(JRVA)の発表する『キャンピングカー白書』最新版によると、日本の国産キャンピングカーおよび輸入キャンピングカーの出荷台数や総売り上げはゆるやかながらも右肩上がりの成長を維持しているという。

 しかし、日本のキャンピングカーの総保有台数は、統計を取り始めて以来約10年経ったというのに、いまだに10万台を超えた程度にとどまり、2016年単年度のキャンピングカーの新車販売台数は、国産車・輸入車合わせて5,364台。2016年の日本の乗用車の新車・登録販売台数(4,970,260台)と比較すると、その1,000分の1程度でしかない。
 
 はたして、日本には、本当にキャンピングカーが根付く土壌があるのだろうか。

 荒木代表は、「土壌」というものは “つくり出す” ものだという。
 どうやって、つくり出すのか?
 それが「文化の力」だという。
 
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【荒木】 けっきょく「文化」という形にまで昇華させないと、キャンピングカーなどは普及しないんですね。
 日本の風土を考えると、ある意味、恵まれてすぎているんです。観光地の周辺にはホテルがいっぱい建っている。道中にはファミレス、コンビニ、高速のSA・PAなどというインフラが整備されている。
 そういう社会では、「寝泊り可能な空間」としてのキャンピングカーをいくら宣伝してもほとんど説得力がないわけですよ。乗用車でドライブしてホテルに泊まればいいわけだから。
 要するに、「車内で寝泊りする “楽しさ” 」を訴えないかぎり、誰の興味も引かない。
 その “楽しさ” を人々の心に上手にイメージ付けさせる力が「文化」なんですね。
 たとえば、車に泊まることによって得られる「非日常的な面白さ」とか、「車を止めてこそ見られる幻想的な光景」とか。
 そういうように、ユーザーの想像力を刺激することこそ「文化」なのであって、今のキャンピングカー業界の広報に欠けているのは、その部分だと思っています。
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▼ ナッツRV「京都店」

 つまり、日本には、「キャンピングカーを買って楽しもうという気持ちにさせる文化がないから、マーケットが未成熟のままなのだ」と荒木代表はいう。

 「文化」とは何か?
 
 「僕は “文化” という言葉を、ひとつの文物が人々の生活に根付いている状態をイメージして使っています」
 と彼はいう。

…………………………………………………………………………
【荒木】 たとえば、「車中泊文化」といった場合、現象だけ取り出すと、単に「車の中に寝る」という意味でしかないですよね。
 しかし、その「車中泊」が、旅行というトータルな楽しみの一部として成立し、車の中で寝るためのノウハウも生まれ、家庭でも職場でも車中泊の経験や情報が面白い会話として成立する。そうなれば、もうそれを「文化」とみなすことができると思っています。
【町田】 つまり、「ライフスタイルにまで昇華したもの」という意味ですね?
【荒木】 そうですね。そういった意味で「車中泊」はもう立派な文化であると。
…………………………………………………………………………

 「文化」という言葉のこのような使い方が正しいのかどうか、私にはよく分からない。
 ただ、一つ言えることは、荒木代表が、「文化とは人々をその気にさせるものだ」と理解していることは、100%当たっている。
 「文化」とは、知識のことでもなく、教養のことでもなく、人々を何かに駆り立てる物質的な力のことである。

 そのことを荒木氏がはっきりと理解していることが、今回のインタビューから非常によく伝わってきた。ナッツRVという会社が、国産キャンピングカーの頂点に立っていることの秘密も、このインタビュー(↓)にすべて集約されている。
 
https://camping-cars.jp/taidan/3704.html
 
 

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北朝鮮美女たちのメランコリー

 
 平昌(ピョンチャン)オリンピックが終わって、日本選手のメダルラッシュに日本中の人々が湧いたが、私が感じたこのオリンピックは、妙に異様な空気に満ちた大会であった。
 そう感じた理由は、北朝鮮の関与である。

 応援にかけつけた北朝鮮美女軍団のパフォーマンス。
 同じく北朝鮮楽団の演奏模様。
 そして、それらを統率して、韓国側とさまざまな交渉を進めた “謎の女性団長” 玄松月(ヒョン・ソンウォル)氏。 
 そして、外交特使として訪韓した金正恩の実妹である金与正(キム・ヨジュン)氏。
 
 今回の大会には多くの北朝鮮美女たちが関わることになったが、この人たちのかもし出す空気は、世界のどこの女性も持っていない独特のものだった。
 「仮面の笑顔」
 といえばいいのか、これほど人間の「内面」から遊離した笑顔というものを、自分は今まで一度も見たことがない。

 “未来の技術” といわれる高度なAI を搭載したアンドロイドたちは、もしかしたら、みなこういう笑顔を浮かべるのだろうか。
 一糸乱れぬ華やかな演技を繰り広げる美女応援団のパフォーマンスを見ていると、まるで精巧にプログラミングされたAI 回路が超高速度で運動しているように見える。


 
 “謎の美女楽団団長” といわれた玄松月氏の表情も、どこか人間離れしていた。
 精一杯 “威厳” を崩さぬように振舞っている彼女の表情から、「ふてぶてしさ」を感じる人もいただろうが、私はそこに、人としての感情を職務としてはく奪された人間のメランコリーを見る。

 彼女はすでに、喜怒哀楽を表現することを許されない軍神として、“敵国” に降臨したのだ。
 個人の「内面」の代りに、そこに詰め込まれたのは、相手にすきを見せない政治的冷徹さ。他国を睥睨(へいげい)する威圧感。すなわち「国家としての威容」そのものである。

 金正恩委員長の代理として登場した実妹の金与正氏も、生身の人間としての笑いをはく奪された「仮面の微笑」を貫き通した。

 彼女も、顎を少し上げた仕草が、傲慢、尊大という批判にさらされた。
 しかし、これも「傲慢・尊大」に見えるように振舞ったわけではない。
 北朝鮮という「国家」を代表する者として、個人の意思や感情を抹殺せざるを得なかった人間の “がらんどう” の内面がそのまま表情に表れたにすぎない。

 米国のペンス副大統領は、金与正氏のことを「地球上で最も残虐で抑圧的な体制の中心人物」と批判したが、彼女にそれほどの主体性があるわけではない。
 彼女は、金正恩委員長の実妹ということで、国家的イベントをすべてプロデュースする影の実力者といわれ続けてきたが、実妹といえども、おそらくあの国では「女性が男に代わる実力者」として認められることはないだろう。

 「女はすべて男の欲望と生活を支える人間型アンドロイドである」

 そういう女性観が、この国では揺らぐことなく存在し続けている。
 北朝鮮美女軍団の「仮面の笑い」の謎も、そこに由来する。

 だから、彼女たちの表情は、どこか絵画的である。
 「内面」の奥行きを失った彼女たちを表現するには、動画や画像のような3次元的表現よりも、表と裏の違いを喪失した二次元表現の方が適している。

 私が金与正氏の顔を見て、真っ先に思い出したのは、エドヴァルド・ムンクの「マドンナ」(写真下)だった。 

 透き通るような肌の白さ。
 さびしさを内に宿した薄幸そうな表情。
 生きているうちに、どこか死のほとりをさまよっているような虚無感。
 金与正氏の立ち居振る舞いから立ち上ってくるのは、ナンバー2権力者という評判とはほど遠いメランコリーである。

 仮にクーデターか人民蜂起などが起こり、金王朝の宮殿が焼け落ちることになっても、彼女は大理石の階段に悄然と腰かけたまま、燃え崩れる円柱をぼんやりと眺めていることだろう。


 
  
 美女楽団の団長として訪韓した玄松月氏(↓)も、また絵画の中から現れた女性のように見える。

 彼女の画像を見ていて思い出したのは、ジェイムス・アンソールの「仮面たちの中の自画像」だった。
 ひしめく不気味な仮面の男女に交じって、一人だけ正気を保ったままこちらに視線を向ける男。

 「周りは化け物 !」
 おそらく、それは韓国の地に降りった玄松月氏の心境そのものだったに違いない。
 「国家としての威厳を失わないように」
 という絶対的な命令に服従するために、死を賭して韓国に乗り込んだ玄氏は、回りを取り囲んだ人間たちに気を許すことができなかった。
 だから、その表情は、アンソールの描いた「仮面の男女に囲まれた男=画家」の表情に似てくるのである。

 彼女が受けた命令がどんなものであったのか。
 それは下の絵を見るとよく分かる。
 ジョルジョ・ド・ラ・トゥールの描いた「いかさま師」。

 上の絵は、純朴な若者をトランプ賭博に誘い、女主人がまさにインチキを仕掛ける瞬間を描いたものだが、玄氏はその女主人とそっくりの目をしている。
 北朝鮮が、今度のオリンピックを利用して何を仕掛けようとしたのか。
 玄氏が、「いかさま師」の絵画に出てくる主人公と同じ目をしていることから、それが伝わってくる。

 国家の謀略を遂行するために、自分の生死まで捧げようとしている北朝鮮の美女たち。
 彼女たちは、いまどんな芸術家でも描き切れないような、憂いと虚無を内に隠した「禁断の笑顔」を獲得している。
 
 

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「SINOBI」和室仕様の圧倒的迫力

  
 今もっとも外国人が好きな空間
 それは「和室」

 
 
 「ジャパンキャンピングカーショー2018」に登場した日本特種ボディー株式会社(NTB)の「SINOBI(しのび)」は、そのシェルのなかに、完全な和室空間を実現したキャブコンである。
 

 
 畳や襖(ふすま)で構成された和室のキャンピングカーというのは、これまでも何度か試みられたことがあった。「キャンピングカー」という欧米文化に対する日本文化への回帰というモチーフが、そこには込められていた。

 しかし、日本人の一般家庭にまで椅子・テーブルの生活スタイルが浸透してきた現在、今の若い世代には畳と襖の居住空間に抵抗を感じる人々も出てきている。
 それなのに、畳と襖で構成されたキャンピングカーをつくるなんて、時代に逆行していないか?

 … と考えるのは早計かもしれない。
 「クールジャパン」という標語に魅力を感じ、年々増加の一途をたどる訪日外国人観光客が、今いちばん興味を抱いている建築様式が、畳や襖で統一された和室空間なのだ。

 「エキゾチックだ」
 と彼らはいう。
 畳という自然素材で構成された床。
 それは、戸外に広がる自然環境が室内と地続きに連なったエコロジー空間だ。
 襖というのも、素材としてはほんとうに頼りない “紙” で空間を仕切る日本独特の造形術。
 そこには、石の壁と頑丈な木の扉で空間を仕切る欧米的な空間処理には見られない繊細さが潜んでいる。

 薄い紙を貼って、外光を遮断する障子(しょうじ)。
 閉めてしまえば、まったく外の景色は見えないはずなのに、なぜか薄い障子を通して、時間とともに移ろいゆく陽の影がはっきりと伝わってくる。

▼ 外国人が美しいと感じる “和的なインテリア空間” (SINOBIとは関係ありません)

 外国人にとって和室空間とは、まさに
 「ファンタスティック !」なアートなのだ。

 そういう外国人の視線によって、和室空間が新しいスポットライトに照らされるようになった現在、NTBの「しのび和室仕様」は新しい時代のグローバルスタンダードではないのか?

 「キャンピングカースタイル」というWEB上のポータルサイトで、そんな「しのび和室仕様」の魅力に迫ってみた。
 シャシー説明や装備品などのほか、開発者インタビューも加えた詳しい記事は、
 こちらをどうぞ(↓)
 https://camping-cars.jp/camping-car/3668.html

 
 

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ウィネベーゴ フューズ23T上陸

 
ニートRV扱いのクラスC「フューズ」
に新レイアウトが追加

 2月初旬に開かれた「ジャパンキャンピングカーショー2018」で、ニートRVが扱う「ウィネベーゴ・フューズ23T」の2019年モデルがデビューした。

 「フューズ」は、長い間アメリカンクラスCのカットウェイシャシーとして人気を集めていたフォードエコノラインに代わる新シャシーを採用したモデル。すなわち、フォード・トランジットをベースとした新シリーズである。

 このニューシャシーの最大の特徴は、ディーゼルエンジンであること。
 長らくガソリンエンジンにこだわり続けていたアメリカのモーターホームとしては、劇的な転換といえる。

 アメリカ人がガソリンエンジンに愛着を感じていたのは、やはりスムーズな噴き上がりと、心地よいトルク感のためだったが、アメリカの原油価格が安いという消費構造も影響していた。

 ところが、「エコロジー」とか「省燃費」を意識しなければならない世界の趨勢に迫られ、ついにアメリカの消費者たちも環境問題に適合性の高いディーゼルエンジンの採用に首肯せざるを得なくなったのだろう。

 フォード・トランジットというのは、そういう時代的要請に従って誕生してきたシャシーであり、コモンレールディーゼルエンジンを採用したことによって、CO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)などの排出量をかなり低いレベルに抑えたところに特徴がある。

 それでいて、駆動方式はFR。
 ディーゼルエンジンを搭載する欧州モーターホームの大半は、FF方式のフィアット・デュカトによって占められているというのに、トランジットは頑固にFRに固執している。

 もちろん、FRであることのメリットははっきりしている。
 すなわち、モーターホームとしての架装重量が増えすぎると、リヤヘビーになったFF車はフロントタイヤに掛かるトラクションが減って路面との摩擦係数も少なくなる。
 つまり、駆動力が不安定になるため、雪道・泥道などのスリッピーな路面ではFRより頼りない操舵感覚をもたらす場合もある。
 それに比べ、車体の下でプロペラシャフトが豪快に回転し、車全体を力強く後ろから押してくれるFRの手応えは、運転するドライバーに安心感と高揚感をもたらす。

 そこがこの車のアドバンテージともいえる。
 ヨーロッパ的なパワーユニットと、アメリカ的な駆動方式がバランスよく融合した新時代のモーターホームシャシーの誕生である。

 さて、この2018年型フューズ23T(アメリカでは2019年モデル)の特徴はどういうところにあるのだろう。 

▼ 23A

 昨年導入された23A(↑)とは、まったくレイアウトが異なる。
 上の図に見られるように、23Aは、スライドアウト機構によって、フロントのダイネットスペースが広がるという特徴を持っていた。車体後半部にはツインベッドが左右に振り分けられ、最後尾にシャワー・トイレルーム。
 乗車定員と就寝定員はともに4名だから、夫婦2人か少人数家族向けのレイアウトといえる。

▼ 23T

 それに対して、今回導入された23T(↑)は、ダイネット部分が充実している。
 すなわち、2人掛けシートがL字型にテーブルを囲み、さらに助手席が回転することによって、最大5名がテーブルを挟んで向かい合う団らんスペースが誕生する。
 したがって、乗車定員は7名(就寝定員4名)。
 夫婦2人で使うことを前提としながらも、移動するときは7名までがこの車でドライブを楽しむことができる。

▼ 23Tのダイネット

 
 最大の特徴は、リヤのベッドスペース。
 23Tは、リヤ側にスライドアウト機構が組み込まれているのだ。
 寝室がスライドアウトしたときに生まれるベッドスペースは、1900mm×1470mmというクィーンサイズ。
 23フィートクラスで、クィーンサイズのベッドを持つモーターホームというのは、非常に珍しい。普通はせいぜいダブルベッドサイズである。

▼ 23Tのリヤベッド

 フロントダイネットもベッドメイクすることが可能で、そこでも2人分の就寝スペースが確保される。
 ただし、扱いとしては、あくまでもエマージェンシー的なもの。
 寝心地などの快適性ではリヤベッドの方に軍配が上がる。

 リヤベッドと向き合う形で、トイレ・シャワールーム。
 水タンク容量は124㍑だから、余裕をもってシャワーを浴びることもできる。

▼ シャワー/トイレ室

 トピックスとしては、このモデルからは、冷蔵庫がDC12V専用のコンプレッサー式電気冷蔵庫に変ったことを挙げてもいい。
 「アメリカよ、お前もか !」
 である。
 日本と違って、LPガスの充填問題などに悩まされることのないアメリカが、ガスに頼ることも多い3ウェイ冷蔵庫を廃止し、電気のみの1ウェイに切り替えた理由はいったい何だったのだろう?

▼ 冷蔵庫

 「メンテナンス性の向上を狙ったのでしょう」
 と、ニートRVの猪俣慶喜常務(写真下)は説明する。
 確かに、キャンピングカーの熱源としてはLPガスがいちばん効率がよい。
 しかし、使用環境によって、ガスから電気などにいちいち切り替えるというのは操作性が悪いし、メンテナンス性も悪くなる。

 「だから、DC12V仕様に一元化したのだと思います」
 と猪俣氏。
 「それだけ最近の電気式冷蔵庫は、性能が上がってきたということです」

 冷蔵庫容量(150㍑)は、ガスを使うタイプとまったく変わらないという。
 そのこと自体、最近の電気式冷蔵庫の性能アップを実証しているようなものだとか。
 脱・ガス思想は、日本のみならず、ついにアメ車にまで広がってきたようだ。
 
 フューズ23Tは、果たしてどんな顧客のニーズを拾い上げるのだろうか。
 23Aとそろい踏みすることによって、レイアウトの選択肢が広がった。
 どちらのレイアウトが日本人の好まれるのか。
 その動きが多少気になるところである。
 
 
ウィネベーゴ・フューズWF423T 概要》
 
【ベース車】 フォード・トランジット
【乗車定員/就寝定員】 7名/4名
【全長/全幅/全高】 7,350mm/2,320mm/3,110mm
【排気量】 3,200cc
【最高出力】  137kW(185ps)/3000rpm
【最大トルク】 474Nm(48.4kg-m)/1500~2500rpm
【ミッション】 6速AT
【駆動方式】 2WD FR
【燃料】 軽油
【車両本体価格】 13,500,000円(税抜き) 
【主要装備】 エアコン/冷蔵庫/ガス式FFヒーター/水タンク(124㍑)/ブラックタンク(155㍑)/グレータンク(162㍑)/ビルトイン調理器具/温水シャワー/サブバッテリー/電動サイドオーニング/外部電源/ルーフベンチレーター/ルーフエアコン/マリントイレ/遮光カーテン/リヤクィーンベッド/外部収納庫(1024㍑)他
 
ニートRV URL:http://www.neatrv.com/
 
 

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