地球の本当の支配者は植物ではないか ?

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 この季節、新緑がまぶしい。
 連休中、遠出の計画が立てられなかったので、車で行ける範囲のところにおもむいて、木々の緑で “目を洗う” ことにした。

 なにしろ、パソコンをずっと眺めっぱなしなので、目にも “垢(あか)” が溜まってくる。
 身体の垢なら風呂で落とせるけれど、目の奥に澱んでいる垢は、擦り切れた心の残骸なので、目薬などによる洗浄が利かない。
 そういうときは、燃えたつ木々の緑を目に染み込ませて、“洗う” しかない。

 行った先は、東京・立川市にある昭和記念公園。
 ここは、単に樹木が多いだけでなく、空間的な広がりが堪能できる。
  

  
 遠くまで見渡せる空間を前にすると、人間が解放感を得られるのは、たぶん我々が “木から降りたサル” の時代から遺伝子として受け継がれてきた本能なのだ。 
 視界が広ければ、自分たちを襲ってくる肉食獣やらエサになりそうな草食獣を発見するときにも、心に余裕が生まれる。
 その安堵感が、「景色が広いと気持ちいい」という感受性を育てたのではないかと、考えている。


 
 
 それにしても、初夏の木々というのは、なんでこんなにも生命感が旺盛なのだろう。
 まるで、緑が盛り上がって、見ている者に迫ってくるようだ。
 

 
 こういう迫力のある木々が育つ国は、世界でも珍しいのだという。
 台風や山火事、洪水などの自然災害で樹木がダメージを受けることがあったとしても、日本の森は、世界中で最も回復力が強いといわれている。
 その理由の一つに、水がきれいだということも挙げられるかもしれない。
 四季のサイクルがはっきりしているのも、植物の生態系になにがしかの効果を与えているのだろう。

 そのせいで、日本は世界でも最も森の豊かな国に入る。
 国土面積に対して森の占める率を、「森林被覆率」というそうだが、この被覆率が68%。これは “森と湖の国” といわれるフィンランドに続いて世界で2番目なのだという。
 木材の国カナダといえども森林被覆率は33%。ドイツやフランスでも27%であるから、日本はたいへんな森林国といえそうだ。

 作家の五木寛之は、どこかの本で、こんなことを書いていた。

  「海に垂れかかるように繁茂する日本の木々の緑を見て、気味の悪さすら覚えた」

 五木寛之は、幼少期を朝鮮半島で過ごした。
 朝鮮の風土を眺めると、ハゲ山が多い。それを自然の風景だと思い込んでいた五木寛之にとって、終戦を迎え、船で日本に渡ってきたときの印象が「気味の悪いもの」であったとしても、仕方がないかもしれない。

 それほど豊かな森林資源に恵まれた国に住みながら、日本人は、あまりそのことを意識していない。
 日本人にとっては、生活環境の中に樹木があって当たり前。ことさら “ありがたがる” 必要もないからだ。

 意識しないほど木々の緑に恵まれた日本人は、たぶん極東の他の国々とはかなり異なる感受性を身に付けたのではないか。
 厳格な一神教が、乾燥した砂漠を背景に生まれてきたとしたら、日本人は、人を包み込むしっとりした自然のなかで、優雅な “無神論” を享受した。

 おっとり
 優しい
 ぎすぎすしない
 …… などという日本人の美徳は、豊かな樹木がはぐくんだものであるかのように思う。

 ま、それを裏から見れば、
 鈍感
 人の悪意を見抜けない
 危機意識がない
 …… ということになるのかもしれないが、そういう日本人気質が、外国人にとっては、人に対して自然に気づかいできる「オモテナシ」の精神として感じられるのだろう。


 
 
 それにしても、「木」って存在は不思議だ。  
 植物は、植わった場所から一歩も動きもせずに、その果実を小鳥などに食べさせることによって、繁殖地を広げていく。

 しかし、目もなく、耳もない植物は、なぜ鳥の存在を知ったのだろう。
 また、脳もないのに、その鳥のフンにタネを忍ばせて、鳥に運んでもらうという智慧をどこで身につけたのだろう。

 動物がこの世に誕生するずっと以前から、植物はこの地球上に繁栄していた。
 その気の遠くなるような長い時間をかけて、彼らは “頭脳とは異なる部分” でものを考えるように進化したのかもしれない。

 植物は、動物より、圧倒的に “世界” を知る感度が高い。
 なぜなら、動物よりその表面積がとてつもなく広いからだ。
 植わっている場所から移動しなくても、彼らは葉を茂らせることによって、一定の空間に最大の表面積を実現する。

 表面積が広ければ、それだけ “世界”に接している面を広げることになる。
 彼らは、動物以上に、雨のしずくの甘さを知るだろう。
 空気の湿った匂いや、風に舞い散るホコリのざらつきを敏感に察知するだろう。

 そして、遠くから接近してくる動物たちの気配を、器官で捉えることもなく、頭脳を通すこともなく知るだろう。
 さらには、その動物が、自分たちに危害を与える動物なのか、うまく利用できる動物なのかを判断するだろう。

 そう考えると、植物というのは、われわれが考える以上にしたたかな生物だという気がしてくるのだ。
 脳回路を通さず “世界を理解する” っていうのは、もしかしたら、我々動物よりもかなり高度な存在なのかもしれない。
 ひょっとして、地球の本当の支配者は、植物ではないか?

 植物の不思議な生命に思いを寄せながら、木々のアーチの下をくぐり、帰途につく、


 
 
参考記事 「自然が子を育てる(中村達さんの話)」
 
  

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

地球の本当の支配者は植物ではないか ? への2件のコメント

  1. 木挽町 より:

    じっくり読ませていただきました。森の木々は素晴らしいです。豊かな森林資源と共生できる日本は恵まれていますね。斎藤隆介の「三コ」を思い出し、もう一度読みたくなりました。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      斎藤隆介の「三コ」ですかぁ !
      確か、絵本ですよね。
      自分で読んだことはないのですが、誰かが話しているのを聞いて、「いい話だな」と思ったことはあります。
      自然の再生を象徴的に語ったような物語で、確かに、再生力の強い日本の森林の秘密を神話的に描いたようなストーリーだったと記憶しています。

      しかし、日本の樹木の話から、「三コ」を思い出されるなんて、木挽町さんの感受性も豊かですね。
       

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