鎌倉仏教のリアル 

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 鎌倉仏教の成立について、知人と語り合う機会があった。
 あの時代、平安期の様式化された仏教の流れを断ち切って、なぜあのように、リアルな現状認識を踏まえた仏教思想が台頭するようになったのか。
 考えてみると、面白いテーマだ。

 たとえば日蓮上人の説いた思想。
 そこには、単なる “宗教” という枠組みには収まらない、緊迫した極東の政治情勢の分析が反映されている。
 彼は、「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)という形で、見事にモンゴル帝国の来襲による文永・弘安の役を言い当て、それへの対策を時の執権北条時頼に訴えている。

▼ 元寇の図 「蒙古襲来絵詞 (もうこしゅうらいえことば)」

 日蓮によって蒙古襲来が予言されたのは、1260年。
 「日本征服」を匂わせるモンゴルからの国書が、実際に鎌倉幕府に届いたのは1268年だから、なんと8年も早く、日蓮は混乱期の極東の情勢を冷静に分析し、現実的に把握していたことになる。

 当時、中国大陸と海を隔てて孤立していた日本人は、地政学的にも、大陸の政治的・軍事的な緊張感を皮膚感覚として認知する感性に乏しかった。
 にもかかわらず、なぜ日蓮は、極東の情勢変化を的確に把握していたのか。

 これに関して、私に日蓮の国際感覚を語ってくれた知人は、日蓮が若い頃の修業時代に京都の比叡山延暦寺などを中心に、さまざまな仏教諸宗の研究を積んだことを、一つの理由に挙げた。

 当時の「仏教」は、同時に政治学でもあり、社会学でもり、哲学でもあったから、「仏教」を学ぶことは、否が応でも日本が抱える政治的課題・哲学的課題と向き合うことになる。

 なかでも比叡山は、日本における仏教理論の中心地であったため、日本の諸学を束ねる知性が集結する一大研究機関として機能し、その研究過程において、インターナショナルな視点で極東情勢を解析する作業も頻繁に行われていたという。

 だから、当時の比叡山というのは、今でいう東大クラスの最高研究機関であるばかりではなく、国際情勢を分析する政府の諜報機関であったかもしれない。
 当然、日蓮は、そこで日本が地政学的に抱える国際情勢に敏感にならざるを得なかったろう。

 それと同時に、彼の出自が安房国(千葉県)の漁民であったということも関係しているという。
 日本の主要産業は、古来よりずっと農業であったが、農民の思考では、自分たちが農作物を生産するテリトリーから脱することができない。
 しかし、漁民は、潮の流れや天候の変化に敏感にならざるを得ない関係上、地理的に把握する空間領域が広くなる。

 そういった意味で、漁民は農民とは違った “遊牧民的な感性” を養う機会が多く、世界を眺める視座もワイドになる。
 かつ漁民同士のネットワークを通じて、陸を離れた周辺領域の情報交換も活発になる。
 そういうことも、日蓮が、狭い日本本土の思考の枠組みを離れた国際感覚を養う一助になったはずだ、という。
 
 鎌倉時代は、運慶・快慶らの “慶派” と呼ばれる仏師たちの写実的な彫刻が誕生してきたことをもってして、リアリズムの台頭が指摘される。
 それまでの様式化された平安期の仏像彫刻などに比べ、鎌倉美術は、リアルな人間観察のもとに制作された。
 それも、やはり国際情勢の緊迫化と結びついている。

▼ 興福寺北円堂「無著像」。運慶の指導のもと運作が担当したといわれる

▼ 奈良・東大寺南大門の「金剛力士立像」。運慶が中心となり、快慶、定覚、湛慶ら一門の仏師を率いて制作されたといわれる

 この時代の美術様式に「リアリズム」が浸透したのは、実生活に根差した現実感覚を養った武家政権が誕生することによって、国民意識が変化したということもあるが、やはり300年におよぶ平安期の鎖国状態から覚醒して、日本の “外部” を見つめざるを得なくなったことが、現実を直視する庶民の目を磨きあげたといえるだろう。
 つまり、平安仏教の世界観では、国際的な緊張感を強いられるようになった新しい時代の状況を語れなくなってきたのだ。 

 外圧を意識したときに、人々はリアリズムに目覚める。
 南蛮船が渡来し始めた戦国時代がそうであり、黒船が開国を迫った幕末がそうであった。
 鎌倉期のリアリズムも、モンゴル帝国(元)がその膨張政策を極東に推し進めてきたことと無関係ではあるまい。

 この時代の鎌倉仏教は、ある意味で、キリスト教の成立期ときわめて同じような構造を秘めている。
 実は、イエス・キリストがガリラヤで布教を始めたときの状況と、日蓮が鎌倉で説法を開始した状況は、驚くほど似ているのだ。
 
 彼らは、いずれも世界帝国の周辺に群居する弱小諸国が受ける外圧をバネに布教を始めている。
 それは、それまでの在来宗教が、国際的緊張のなかで効力を失っているという認識からスタートしている。
 
 まずイエスは、ユダヤ人でありながら、ユダヤ教の改革者 (批判者) として登場した。(彼自身には、自分を “キリスト教” の始祖であるなどという意識は微塵もなく、彼はあくまでもユダヤ教の解釈者の一人であると自認していた)。

▼ イエス・キリストの説法(MGM映画『キング・オブ・キングス』)

 
 日蓮も、それまでの在来仏教の改革者(批判者)として登場する。
 その背景には、どちらも、急激に勢力を拡充してきた近隣の大国との国際的な緊張関係が作用していた。
 イスラエルにはローマ帝国があり、鎌倉期の日本には元(モンゴル)帝国 があった。
 
 すなわち、ローマやモンゴルというような、その時代に最強を誇る世界帝国に隣接した小国においては、政治、文化、宗教などのあらゆる面における刷新が要求される。
 世界帝国とは、統治下の種々雑多な民族や文化を統合してきた大国家だけに、ものの考え方に普遍性が確立されている。
 
 そのような世界帝国と関係しなければならなくなった国では、民族固有の文化や宗教体系のなかで自足することが許されなくなってくる。
 イエスや日蓮の布教・説法が、それまでの宗教体系を超える普遍性を持つように至ったのは、そのような切迫した国際情勢が反映している。
 
 しかしながら、そのような普遍性を目指した思想というのは、必ず、それまでの狭い範囲で充足していた因習的な勢力から排撃される運命を持つ。
 イエスは、パリサイ派などの保守的ユダヤ教学者グループからの迫害を受ける。
 日蓮も、数々の在来仏教宗派が加担した法難を受け、流罪に処せられる。
 
 それは、ひとつの思想なり宗教が、民族・文化を超えた普遍性を目指して運動を開始した以上、避けては通れない宿命ともいえる。
 そして、そのような普遍性を獲得したものだけが、民族・文化の差を超えて、世界に流通するものになる。

 しかし、極東において、日本だけが膨張政策を続けるモンゴルという世界帝国に伍して、独自の普遍思想を確立していけたのはなぜか。

 いうまでもなく、海によって隔てられていたからだ。
 海が、巨大帝国の軍事的侵略を阻止しながらも、一方では大国と対峙する緊張感によって、日蓮らは国際感覚を養うことができたのだ。
 それが、鎌倉仏教の「普遍」に至る道筋を用意した。

 思えば、世界制覇を成し遂げたといわれるモンゴルも、けっきょくは、その進軍の基盤となる騎馬部隊が疾駆できる範囲でしか領土を広げていない。
 ヨーロッパの中央部まで迫ったモンゴルも、西はドイツの森によって進路を阻まれ、南は東南アジアの密林で南下を諦めざるを得なかった。
 そして、東は日本海がその行く手に立ちはだかった。 
 このあたりが、遊牧騎馬民族の限界であったかもしれない。

▼ 映画「蒼き狼(チンギスハーン)」

 しかし、大陸と地続きであった朝鮮半島はそうはいかなかった。
 日本と同じような運命にさらされ、朝鮮はモンゴル帝国の侵略を拒み続けて30年にわたる抵抗運動を試みたが、けっきょく力尽きて、その支配力に屈している。
 元寇を食い止めたのは、大陸と島を隔てる海の力に負うものが大きかったが、もう一ついえば、朝鮮の30年におよぶ抵抗のおかげで、モンゴル帝国の日本征服のモチベーションが下がったという点も見逃せない。 
 
 いくら抵抗を試みても、一度たりとも世界帝国の秩序に組み込まれた国は、帝国の政治的・経済的な機構を受け入れざるを得ない。
 その場合、支配を受けた国は、支配民の統治原理を拒むことができないため、支配した帝国よりさらにその原理・原則を徹底化させる。
 朝鮮の中国文明化は、この時代にさらに強化されたといっていいだろう。
 現在に至るまで、朝鮮では政治も社会観も、容易に他者を容認しない原理主義的傾向を維持しているが、それはこの時代から培われたものということができる。 

 幸いなことに、日本は中国文明化されたモンゴルの抑圧を受けることがなかった。
 それが、日本の独自性を保ちながら、普遍的な世界観に目覚めていくという幸福な思想潮流をつくることを可能にした。

 もし、あの時代に、日本がモンゴルの支配を受けていたらどうなっていたか。

 日本の相撲は、モンゴル相撲の形式を取り、魚などから採っていたタンパク源は、羊の肉や乳製品に替わっていただろう。
 ただし、羊肉料理を「ジンギスカン」などと称するのは不敬と見られ、「蒙古焼き」などという名称になっていただろう。

 冗談はさておき、世界帝国はその統治原理を徹底化させるために、支配地における固有文化に徹底的な改修を迫るから、日本も、それまで連綿と続いた独自文化を自ら抑圧せざるを得なかったことは容易に想像できる。
 
 その場合、日本的な「まぁまぁ」「なぁなぁ」的な、あいまいであることを良しとする思考態度は一掃され、大陸合理主義的な「何々すべし」「何々であるべき」的な厳密な思考訓練が徹底されて、日本人の感受性が変わっていた可能性もある。

 軍事的にいえば、日本の武士たちは、中国大陸の南方に居座っていた南宋征伐のために駆り出されるか、もしくはその後方支援のために、日本の森林を切り崩して、大型船舶を大量に製造しなければならなかったかもしれない。

 しかし一方では、日本はモンゴル帝国の支配を受けても、その影響力はたいしたことはなかったという見方もある。
 やはり海が巨大帝国の統治からの防波堤になっている以上、その支配力も手薄なものになり、結局は各地で異民族への抵抗運動が盛んになって、日本が独立を取り戻すのは、案外早かっただろうというのだ。

 このあたり、歴史の「If」を想像することの面白さはあるが、しょせんすべては推測にすぎない。
  
  
参考記事 「イエス・キリストのトークショー」
 
 
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

鎌倉仏教のリアル  への6件のコメント

  1. 木挽町 より:

    たいへん興味深く楽しく読ませて頂きました。読んで考えてみることが楽しくなる文章ですね。けして重くなく独特の清涼感のある文章だと思いました。きっと素直に思ったままを他意無くスラスラっとお書きになったのでしょう。ペンの正直さが感じられました。学生時代の道徳や宗教の授業は面白かったのを思い出しました。人の話をじっくり聞くのは楽しいですよね。司祭でも牧師でも僧侶でも、語り口がうまくて、深くてイイ話を伺えました。我が家は先祖代々浄土宗なのですが、親戚のほとんどはキリスト教系の学校に通いました。高校のときにはキリストが主人公のミュージカルもやりました。聖書は読んでるとかなり深くておもしろいです。英和対訳の聖書だったので英語の勉強にもなりました。英語だけでなく西洋文化の根幹というか基本を学べるので仕事にも趣味にも非常に役立っています。もちろん法然上人の唱えたお念仏・南無阿弥陀仏も非常に深くて役に立っています。アーメン+南無阿弥陀仏。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      いつもご厚情あふれるコメントいただき、本当にありがとうございます。
      励みになります。

      道徳や宗教の授業が面白かったという感想は、私にもあります。
      それはやっぱり、人間の精神文化に触れられるからでしょうね。
      「道徳」とか「宗教」って、なんだか真面目くさって、堅苦しいものを勉強するという印象が強いのですが、言葉を変えていえば、それは「哲学」であり、「心理学」でもあり、「精神分析学」でもあるような気がします。
      つまり、みな「人間の心の不思議」を説き明かす学問ですよね。

      特に宗教というのは、人間世界の原理を、人間の目から離れた視点で考察するという要素があって、いわば「自分を超える」契機をはらんでいるような気がするのです。
      それが面白くて、宗教をテーマにした本はときどき読んでいます。
      キリストとか釈迦は、どのようにしたら、ああいう世界を覗き見ることができたのか。
      そう考えると、そこにはものすごくドラマチックなものがあったり、スリリングなものが見えてきたりして、なんだかワクワクします。

      >>「高校のときには、キリストが主人公のミュージカルもやりました」というのは、ひょっとして「ジーザス・クライスト・スーパースター」のことではないですか。
      年代的に合うような気がして。
      それだとしたら、私が大学の頃になるのかな。とにかくあのミュージカルは話題になりましたよね。

      「聖書」はとにかく面白いテキストですね。
      特に、“物語”のような印象の強い旧約聖書ではなくて、謎っぽい雰囲気を湛えた詩のようなキリストの言葉を伝える新約聖書の方が、文学的な感じがします。
       

      • 木挽町 より:

        そうです。新約聖書です。すごくおもしろかったし勉強になりました。お察しのようにジーザスクライストの時代でした。1975年に上演しました。英語劇部はジーザスクライストを、私は演劇部でしたのでオフブロードウェイのミュージカル「ゴッドスペル」をやりました。当時の雑誌「キネマ旬報」にも高校生ミュージカルとして特集されたりしました。子供の遊び仲間が演じるという設定で、ユダの裏切りなどを描いてから最後はキリストが十字架にかけられる場面でフィナーレです。上演に関わった方々は今でも各方面でご活躍されています。

        • 町田 より:

          >木挽町さん、ようこそ
          「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、1975年だったんですね。
          そうだとすると、私は卒業しても仕事がなくて、アルバイトをしていた時期です。

          あの年は、本当に昭和史の変わり目みたいな年でしたね。
          サイゴンからアメリカ兵が撤退し、ベトナム戦争が終わって日本から「反戦」というテーマが消え、高度成長の代名詞だった集団就職の子供たちを東京に送り出していた「集団就職列車」が最後の運行を行い、広島カープが初優勝して、長嶋巨人が史上初の最下位に落ち、ザ・ピーナッツが引退し、キャロルが解散し……。それまでの「昭和」を構成していた諸要素がガラッと変わっていった年だったように思います。

          そういう時代の節目に、あのようなミュージカルを演じられたのであれば、そこには新しい時代の空気も流れていたのではないでしょうか。

          木挽町さんが演劇部に所属されていたとは !
          若くて感受性が豊かな時代に、ずいぶんさまざまな経験を積んで来られたんですね。
          私も高校生の頃に、演劇部の舞台に立って、谷川俊太郎(『部屋』)や寺山修司(『白夜』)の戯曲を演じたことがあります。
          でも、『ジーザス・クライスト』とは、規模が違いすぎます。
          私は、役者としての才能はゼロでした(笑)。
           

  2. Take より:

    日蓮さんの世の中を読み取る力というのを意識したことはなかったですが、なかなか興味深いお話でした。
    ただ、僕には鎌倉時代の日本や日蓮さんはイエスではなく、旧約の預言者とオーバーラップいたします。
    アモスとかエリアといった預言者は、イスラエルが滅びると預言(神の信託を告げた)したことで、王や国民からも殺されそうになるのはまさに日蓮さんと同じ感じがします。
    一方イエスは既にローマに占領された中での人間回復で、そういう意味では日本では沖縄くらいしか体験していない中の話ではないかな?と思うのです。
    ただ、キリスト教も日蓮宗もただ「祈る」ことを大事にしている点で一致していると思います。それ以前の仏教は厳しい修行や悟りをすることで極楽が近づくというのと大きな違いがあり、庶民に救いが現れたのは「流行る」理由の一つだったのでしょうね。
    連れが今好んで「奇皇后」を見ています。元の最期の皇后の話ですが、日本と違って高麗と元(騎馬民族)の民族同士の対立が国力を弱める原因の大きな要素になっているシーンを今まさにやっています。同和が進むことは悪いことではないと思いますが、同和を強制することは禍根を残す、そんな感じがこのドラマから感じます。
    小さな島国でも四方を海で仕切られた「ガラパゴス」であることがいい意味で素敵な文化を生み出せたわけですね。
    勝手な御託を並べました、お許しください。

    • 町田 より:

      >Take さん、ようこそ
      いやぁ、さすがに専門的に研鑽をつまれた方の見方は勉強になりました。
      >>「アモスとかエリア」 …… 恥ずかしながら、そういう預言者たちの名前すら知りませんでした。

      >>「それ以前の仏教は厳しい修行や悟りを得て、極楽に近づく」というのは、小乗仏教の流れということでしょうか。日蓮は大乗仏教ですので、視線は庶民に向いています。
      イエスも「祈ることを大事にしていた」というのであるならば、やはり、当時のユダヤ教の講釈の中でも、ひときわ民衆の共感を得る度合いが強かったのでしょうね。

      『奇皇后』は番宣のCMではよく目にする機会が多かったのですが、そういう話だとは知りませんでした。興味が湧きました。

      国際競争力のない日本の技術や商品などを、よく「ガラパゴス」といいますが、私もまた、「ガラパゴスで何が悪い !? 」という気分を持っています。むしろ、国際競争力を持つための “スタンダード” そのものがおかしいのではないか、そんな気がしないこともないのです。

      技術や商品は、確かに、これからの時代は国際競争力を持たないと企業として成り立たないでしょうけれど、文化は違いますものね。
      今、海外の観光客が日本にやってきて、「ジャパンクール」として珍重しているものは、いわばすべて “ガラパゴス文化” ですから。
       

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