ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」

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 レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた絵に「アンギアーリの戦い」という作品がある。
 ルネッサンスの時代。イタリアが各都市国家に分かれて覇を競っていたときの「ミラノ公国」と「フィレンツェ共和国」の戦いを描いたものだ。

 この戦いに勝利を得たフィレンツェは、1504年に巨匠ダ・ヴィンチを招き、政庁舎の大会議室の壁に、その戦いの模様を描かせようとしたという。
 
 描かせようとした……
 が、描き切れたわけではない。

 というのは、この絵は未完のまま放り出されたからである。
 未完どころか、その一部でさえ、現在は誰も見ることができない。

 未完で終わった理由は、Wikipediaなどによると、ダ・ヴィンチがそれまで使っていたフレスコではなく、油彩に挑戦したからだという。
 当時はまだ油彩の技術は十分に確立されてはおらず、ダ・ヴィンチはロウを混ぜた厚い下塗りで挑んでみたが、表面の絵の具が流れ落ち始め、彼はやむなくこの壁画をあきらめたといわれている。

 また、「現在は、誰もその絵を見ることができない」というのは、この未完の壁画は、やがてジョルジョ・ヴァザーリという画家によって塗り替えられ、現在は別の絵になっているからだ。

▼ レオナルド・ダ・ヴィンチ

 では、いまネットや美術図鑑などでよく見る “ダ・ヴィンチ作の『アンギアーリの戦い』” といわれる絵はいったい何なのか。

 それは、「タボラ・ドーリア(ドーリア家の板絵)」という名で知られた縦85cm・横115cmのポプラの木版に描かれた作者不詳の油彩画である。
 この絵が、近年の研究では、ダ・ヴィンチがフィレンツェ政庁の大会議室で描こうとした「アンギアーリの戦い」の中心部となる部分の下絵なのではないか、という推測が生まれてきたのだ。

 それを裏付ける状況証拠には事欠かない。
 ダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」は、彼が制作を放棄した後も、その中心部分の素晴らしさが評価されたために、その後数十年にわたってそのまま残され、その間に多くの画家によって模倣されたという。

 フランスの画家ルーベンスもその一人であり、彼もまたダ・ヴィンチのこの作品を模写した(写真下)。
 ただ、ルーベンスがイタリアに渡ったときは、すでに現物の壁画は残っておらず、彼は黒チョークの模写素描を手に入れ、そこに加筆して仕上げたと伝えられている。


 
 こうしてルーベンスが素描を手に入れて加筆したという絵の構図が、まさにダ・ヴィンチの下絵だとされている「タボラ・ドーリア」とぴったりと合致し、ようやくダ・ヴィンチの描こうとした「アンギアーリの戦い」の輪郭が浮かび上がるようになったわけだ。

 ただ、謎の全貌が解明されたわけではない。
 画家のヴァザーリが新しく描いた壁画の下に、ほんとうにダ・ヴィンチの作品があったのかどうか。伝聞は残っているものの、それが実証されてはいないのだ。
 
 このことを研究している学者たちは、現在ヴァザーリの壁画の下に、ダ・ヴィンチが用いたとされる亜麻仁油ベースの絵の具が存在するかどうか、中性子線投射機を使って調査する許可をフィレンツェ市に申請しているところらしい。

 フィレンツェ側も、ダ・ヴィンチの絵の存在に関心を示しているようだが、「ヴァザーリの壁画自体も重要な作品である」とのことから、調査には慎重であるとか。
 ただ、レーダーやX線による調査を行ったかぎりでは、ダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』があったと言われる壁面は、ヴァザーリによってもう一つ壁が作られた二重壁になっていたことが分かったとのこと。
 二つの壁の間には1cmから3cmの空洞があり、「アンギアーリの戦い」を保護するには十分な空間だといわれている。

 もともと、ヴァザーリはダ・ヴィンチの熱心な崇拝者であり、ダ・ヴィンチの絵の上に自分の作品を描くに当たったとしても、なんらかの形で元絵を保護しようという意識があったと推測され、徹底した調査が行われれば、元絵の存在も明確になるともいわれている。

 現に、ヴァザーリ自体がそれを暗示させるような言葉を自分の絵に残しているのだそうだ。
 ヴァザーリのフレスコ画の12m地点、フィレンツェ兵士が掲げている緑色の軍旗のところにある言葉がそれ。

 Cerca trova (「探せば見つかる」)

 この文言は、学者たちの推測によれば、ダ・ヴィンチの絵の存在を示唆する言葉ではないかといわれている。
 
 
 この壮大な謎をはらんだ絵画展が、現在「東京富士美術館」で開かれている。
 『レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展 ~ 日本初公開「タヴォラ・ドーリア」の謎 ~』というのがそれ。

 展示の中心となるのは、ダ・ヴィンチの描いた下絵だといわれている「タボラ・ドーリア」であるが、その下絵の元となった数々のデッサンや、ダ・ヴィンチの他の作品も組み合わされており、美術展というよりは、絵の謎を解くための “ミステリーショー” 的な要素もある。

 興味深いのは、ダ・ヴィンチが残した数々の工作機器のレプリカが展示されているところ。
 よく知られている通り、ダ・ヴィンチという人は、画家であると同時に自然科学者であり、また土木工機や兵器の開発者でもあった。
 
 展示場には、有名な鳥の羽を模したグライダーのレプリカや、工作機器を製造するために複雑な歯車を無数にかみ合わせたギア類。そして、(なんと !)砲身まで備えた戦車。後の “ガトリングガン” を連想させる多銃身の速射砲。そして、自在に高さ・角度調整ができる攻城兵器の模型まで展示されている。

 平和の象徴ともいえる美術品を多く残した芸術家が、本気になって人殺しの兵器を考案していたということは、ダ・ヴィンチを「モナリザ」の作者としてしか知らない人々を戸惑わせるかもしれない。
 だが、それこそ “イタリア・ルネッサンスの現実” である。

 ダ・ヴィンチは、何をもくろんでいたのだろうか。

 この時代、ヨーロッパ文明に新たな光をもたらしたイタリア・ルネッサンスは、重大な局面を迎えようとしていた。

 実は、この「アンギアーリの戦い」の壁画がダ・ヴィンチに発注された10年前。イタリアの各都市は、アルプスを越えて侵入してきたフランス王シャルル8世の大軍の威容に度肝を抜かれたのだ。

 それまで、文化や政治、経済面においてヨーロッパを領導していたと自負していたイタリア人たちは、すでに自分たちの力が凋落の一途をたどっていたことを、このとき知った。

 ヨーロッパは、絶対王政の時代に入っていたのだ。
 君主としての才覚や度量に恵まれなくても、絶対的忠誠を誓う家臣団に囲まれ、大量の常備軍を養える国王の存在がヨーロッパの歴史を変えようとしていた。
 フランス、スペイン。
 その両国は、絶対的な権力を行使できる国王を頂点に抱いて近代国家の体制を築き上げ、精緻な政治技術を持ちながらも小国に分裂していたイタリアを、野蛮な物理的パワーで一飲みしようとしていた。

 フィレンツェ共和国が、ダ・ヴィンチを招き、政庁の会議室に、自分たちの戦いの勝利を描かせようとした時代というのは、まさにその時代に当たる。

 当時、フィレンツェには、フランスやスペインの台頭に危機意識を抱き、イタリア統一の必要性を肌身で感じていたマキャベリという政治理論家がいた。
 ダ・ヴィンチに、「アンギアーリの戦い」の制作を頼んで契約を結んだのは、このマキャベリである。

▼ ニッコロ・マキャベリ

 マキャベリは、ダ・ヴィンチに何をやらせたかったのか。
 
 「戦いには真剣さが必要だ」という意識の醸成であった。
 いわば民心に戦意高揚を植え付けようとしたのだ。

 マキャベリの意図には、背景がある。
 それまで、イタリア国内における都市国家間の戦いというものは、基本的に金で軍隊を雇う「傭兵」によってなされていたからだ。

 当時、イタリアには名士と謳われて人々の賞賛を浴びるような傭兵隊長のスターがたくさんいた。
 彼らはきらびやかな甲冑を身にまとい、ものものしい兵器を携え、あたかもプロの軍隊であると思わせるスタイルを演出するのに長けていた。

 が、傭兵隊長たちにとっては、自分の養う軍隊は “商品” であり、“資本” である。戦闘が本格化して、死傷者が多く出れば大切な原資を損なうことになりかねない。
 そこで、傭兵隊長たちは、クライアントの要請に応じて激しい戦いを遂行しているように見せかけ、その実、お互いの消耗を最低限に抑えるような “芸術的” な戦いを繰り広げることに終始した。

 マキャベリは、それを嫌悪した。
 彼は、新たに台頭してきたフランス、スペインのような絶対王政国家に対応するような統一政権がイタリアに生まれないのは、このような傭兵隊長たちの “八百長” が災いしているとにらんだ。

 現に、アンギアーリの戦いは、マキャベリにいわせると、「この戦いの戦死者は、落馬した死んだ者一人だけだった」という八百長試合の最たるものだった。

 フランス、スペインは、フリーランスで働いているイタリアの傭兵団とは異なり、国家が養う常備軍を備えている。
 それらの国に対抗するためには、イタリアもまた常備軍を養える統一国家として生まれ変わらなければならない。
 マキャベリはそう考えた。

 彼には、「アンギアーリの戦い」が、いかに男たちの必死さを内に宿した凄絶な戦いであったかを広報する使命があったのだ。
 そして、それには、戦闘の模様をリアルに、そしてダイナミックに描ける卓越した画家の存在が不可欠であった。
 レオナルド・ダ・ヴィンチは、このマキャベリの意図を汲み、マキャベリの期待以上の迫力ある戦闘画を企画したといえるだろう。

 残念ながら、その絵は完成することはなかったが、マキャベリの野望は、より燃えさかることになった。
 彼は、イタリア統一を実現できそうな男の存在を具体的に見出す。
 時の法王アレサンドロ6世の長子として、父の権勢を利用しながらローマ教会領の覇権を樹立していこうとしていたチェーザレ・ボルジアである。

▼ ドラマ『ボルジア家』に登場したフランソワ・アルノーが演じたチェーザレ

 人々に残忍、冷酷、老獪と忌み嫌われた青年チェーザレ・ボルジアは、マキャベリから見れば、国を統一する技量を備えた理想の君主であった。

 マキャベリは、フィレンツェ共和国の大使として、実際にローマにおもむき、チェーザレと会見して、彼の野望の大きさに感銘を受ける。
 マキャベリの有名な著作『君主論』のモデルとなったのは、このチェーザレ・ボルジアである。

 チェーザレの一見ほの暗い野望に、芸術家としての感興をおぼえて近づいていった人物がもう一人いる。
 ほかならぬレオナルド・ダ・ヴィンチである。
 
 ダ・ヴィンチもまたチェーザレの度量の大きさに関心を示し、数々の土木工機の提案や兵器の開発に尽力することを申し出る。
 ダ・ヴィンチのインフラ整備のアイデアや兵器開発の独創性は、またチェーザレをも魅了した。
 
 このとき、稀代の “悪党” と偉大な芸術家のコラボレーションが誕生したことになる。
 これは芸術家としてのダ・ヴィンチを敬愛していた人々にとってはショックなことであったかもしれないが、ダ・ヴィンチから見たチェーザレは、自分の考えたインフラ整備や兵器開発にまつわる様々なアイデアを実現する資金を約束してくれる大事なスポンサーであっただろう。

 だが、マキャベリやダ・ヴィンチの期待を裏切って、チェーザレ・ボルジアは若くして戦死する。
 彼らの夢はついえたが、マキャベリの野望は政治論の古典として後世に残り、ダ・ヴィンチの野望は、芸術作品や数々の工作機器・兵器のアイデアとして後世に伝わることになった。

 富士美術館の展示には、マキャベリの肖像画と、そしてささやかながら、「ダ・ヴィンチと関係のあった人々」というコーナーで、チェーザレ・ボルジアの肖像も飾られている。
 
 
参考記事 「チェーザレ・ボルジア 優雅なる冷酷」
 
参考記事 「ボルジア家」

 

カテゴリー: アート, コラム&エッセイ   パーマリンク

ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」 への2件のコメント

  1. 木挽町 より:

    ついつい仕事忘れて読んじゃいました。ありがとうございます。深いんですね。きちんと理解できてはいませんが、ミステリーとか君主とか。おもしろいです。広報の役割とも。たしかに昔はそうだったのでしょうね。背景には戦乱とか戦略とか。人間がモロに関わる骨格が太いものがあるからこそ芸術性が高まるんでしょうね。勉強になりました。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      コメントありがとうございます。
      いつも励みになります。

      私のイタリア・ルネッサンスに関する記述は、ほとんど塩野七生さんの書物からの引用のようなものです。一字一句書き写したわけではありませんが、ルネッサンスについて書こうと思ったとき、知らず知らずにうちに塩野さんの言っていることがそのまま頭の中から出てきてしまうという感じ。「洗脳」という表現が近いかも。

      塩野さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチに関して次のように書かれています。

      「レオナルドは、万能の人と言われていますが、これは何でもできた人とか、器用な人、とすることはできない。それよりも “なぜ” の解明に、ある場合は絵画が適しており、別の場合は解剖学が最適の手段であったから、結果として多方面に手を広げてしまった、のではないでしょうか。(中略)彼においては、芸術も科学も技術も観察すらも彼自身のうちに一体化していたと言われるのも、“なぜ”からすべてが発していたからではないか。マルチ思考の人ではなく、思考のはじまりに “なぜ” があったのではないか」 (『ルネッサンスとは何であったか』新潮社)

      で、なぜギリシャで育った哲学が、後の西欧哲学の源流となったかといういうと、ギリシャ哲学こそ “なぜ?” という疑問から思考をスタートさせたから哲学であったから … ということになるようです。

      以前、木挽町さんと「感性」についてやりとりさせてもらいましたけれど、「感性」もまた “なぜ?” という疑問をみずみずしく感じられる心の動きなのかもしれないと、ふと思いました。
       

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