『抱く女』に描かれた70年代の吉祥寺

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 桐野夏生の近刊『抱く女』は、1970年代に学生時代を送った女性を描いた青春小説である。
 目次には、1972年9月、1972年10月、1972年11月、1972年12月という四つの章が並ぶ。
 たった4ヶ月の時間を切り取っただけの小説なのに、そこにはこの時代が抱えていた “空気” のようなものが凝縮している。

 1972年。
 60年代末から盛んになった日本の学生運動が、そのとき戦うべき対象を失い、沈静化すると同時に、退廃に向かっていった年だ。
 学生反乱の象徴的な闘争課題だった「日米安保条約」も、70年に調印され、反戦闘争のメインテーマだった「ベトナム戦争」も終結に向かう。

 1972年という年は、戦争や政治闘争の影を引きずっていた「発展途上国の日本」が消え、代わりに、“明るい希望に満ちた”「先進国日本」が浮上してきた年である。

 この年に首相となった田中角栄は「日本列島改造論」をぶち上げ、それに呼応するかのように、国を上げての建設ラッシュが始まる。地価が高騰し、道路網が整備され、自動車産業はアメリカを脅かすほどの成長を示し始め、日本はアジア一の大国への道をひた走るようになる。

 そのような日本の繁栄ぶりに対し、最後の抵抗を試みるように、連合赤軍のあさま山荘銃撃事件が起こり、日本赤軍のテルアビブ乱射事件が起こったが、それは新左翼過激派の末期的痙攣(けいれん)症状としてしか、もう世間は見なかった。

 その時代に、学生運動の一時的高揚に身を任せていた若者たちは、運動の凋落期をどのように迎えていたのだろうか。

 学生運動をリードするぐらいの頭の良かった連中は、さっさと気持を切り替え、自分たちが批判していた大企業への就職活動に励み、後に企業戦士として日本経済の発展に貢献していった。

 最後まで政治闘争を諦めなかった連中は、それこそ連合赤軍や日本赤軍のように、武器を携えてテロリストとしての道を選んだ。

 だが、武闘路線に走った人間たちも、すでに戦うべき真の敵を見失い、連合赤軍などは仲間同士の凄絶なリンチ殺人への穴に落ちていく。
 それ以外の過激派においても、ライバル党派同士の幹部を狙い撃ちする殺人事件が多発し、時代のヒーローとしての光を浴びたこともあった新左翼的人間像は、そこで完全に息絶えた。

 企業戦士にもテロリストにもなれなかった連中は、どうしていたのか。
 意味もなく、雀荘に入り浸り、居酒屋に繰り出し、JAZZやROCKにうつつを抜かし、自分たちが政治闘争に関わったことなどをおくびにも出さず、やがて社会のどこかに身を置かざるをえない状況に馴染むまで、最後の享楽的な学生生活を送った。

 このような3種の生き方をすべてひっくるめて、それは「退廃」であったと思う。
 そこには、彼らより10年先輩である60年安保に負けた学生たちの思想的・政治的挫折もなければ、自己憐憫がかもし出すセンチメンタリズムもなかった。
 無意味な仲間同士の殺戮をルーティンワークのように繰り返す一部の学生以外は、ただポップで、乾いた享楽性の中に埋没していた。

 60年安保世代は、柴田翔の『されど我らが日々』のようなセンチな青春小説を残したが、それは、その世代の若者たちが「挫折」というファンタジーに手に入れられたからだろう。

 だが、70年安保を戦った学生たちには、「挫折」がない。
 政治闘争そのものが、彼らの愛したROCKやコミックなどといったポップカルチャーの補完物でしかなかったからだ。
 そういう闘争が終わってしまえば、祭りのあとの疲労のような、空漠たる虚無が心の中軸を占めるだけである。

 70年安保闘争は、もともとテーマのない戦いであったために、彼らには終わったという達成感も、負けたという屈辱感もない。だから70年安保を戦った学生たちは、一片の小説すら生み出すことがなかった。

 桐野夏生の『抱く女』は、この世代がついに描いた、はじめての70年安保小説ではないのか。
 そんなふうに読めるところがある。
 
 ヒロイン三浦直子は、70年安保を直接戦った学生ではない。
 しかし、彼女の交友関係や周辺の空気からは、まぎれもなく、1972年当時の学生運動が凋落した後に、それに関わっていた学生たちが、自分に刻まれた負の刻印から目を背けるように、麻雀や酒やJAZZにうつつを抜かしていった状況が鮮明に浮かび上がってくる。
 
 ヒロインが見た仲間の男たちは、たいてい横柄で、女性を “物” として扱い、「愛」をくれないばかりか、女からの「愛」も求めない。
 そのような男たちと、いくら関係を結んでも、ヒロインの鬱鬱たる気分は晴れることがない。

 仲間を離れて街を歩いても、自分の後ろ姿を執拗に追い回す男たちの下卑た性的な視線が絡みつく。
 野卑な言葉で女を誘い、それを無視した女に「なんだこのブス!」とあからさまに侮蔑の言葉を投げつける男たち。

 そういう町の男たちも、彼女の麻雀仲間の男たちも、女性の人格を認めず、ただ性的に飢えたときに「抱く存在」としてしか女を見つめない男であることには変わりない。

 そして、男にそのような形でセックス求められることが、女のアイデンティティであるかのように錯覚する「抱かれる女」たち。
 「セクハラ」などという言葉もない時代に、男と女の不均衡な関係を許す社会に息苦しさを感じた一人の女性の心情が綴られていく。

 ヒロインの心を占める出口の見えないトンネルにいるような気分は、なにも周りの男たちの無神経なふるまいによって増長されるものばかりではない。
 男の横暴や身勝手さを断罪するウーマンリブ活動の女性闘士に対しても、ヒロインは、彼女たちが糾弾している男たちと同じような空気を感じる。
 
 女が化粧することを、「男に媚びている」と断罪するウーマンリブの闘士たち。
 その偏屈な原理主義は、複数の男と寝ただけで、女を「公衆便所」と揶揄する男たちの下品な単一思考と表裏をなしている。

 「なんだか生きづらい」
 「心が晴れない」
 「イライラが収まらない」
 ヒロインはそう思い続けながらも、なすすべもなく、男たちに混じって麻雀を打ち、酒を喰らい、タバコをふかし、JAZZを聞き、男と同衾する。
 
 ここには、後の桐野作品に多く登場するようになる “戦う女” はまだ生まれていない。 
 しかし、戦う女が生まれてくる背景は、たっぷりと描かれている。

 男を喜ばせる無邪気な愛玩物か男の労働力の補完物のように「女」を扱う社会がどのように生まれてきたのか。
 それを許容している社会的構造とは何なのか?
 その根源を見つけ出し、徹底的に戦い続ける。

 そのような精神は、ここではまだ明確な形は取っていないにせよ、ヒロインはすでに自分の戦うべき相手をおぼろげながら見据え始めている。

 そして、彼女からは、後の桐野作品に登場するような、
 「味方してくれる者が死に絶えて、独りになっても、私は戦い続ける」
 という女戦士の片鱗を匂わすものが漂ってくる。

 舞台となる主な場所は、中央線が通る東京の吉祥寺。
 この作品に登場する店は、ほぼ1972年当時に実在したものばかりだ。
 もちろん、店の名前は変えられているものもある。
 しかし、実名どおりに出てくる店もある。

 ヒロインたちが入り浸る雀荘の『スカラ』は、当時「スカラ座」という映画館の2階にあった(作品で描かれたまんまの)ウナギの寝床のような店で、これは実名で登場する。
 今のパルコ通りにあったR&Bスナックの『ロコ』も実在していた店だ。
 フォーク喫茶の『ぐゎらん堂』も同様。

 雀荘『スカラ』の向かい側にあるジャズ喫茶『COOL』は、あの有名な『FUNKY』のことである。
 公園通りにある『甚平』は、当時『甚助』といった餃子と沖縄ソバの人気店だった。

 1972年という年を、桐野夏生と同じように吉祥寺で過ごした私には、この小説に出てくるだいたいの店を特定できる。
 それほど、桐野夏生の生活圏と私の生活圏と重なっていたといってよい。

 重なっていたのは、生活圏だけではない。
 交友関係も重なっていた。

 ヒロインが入り浸っている雀荘『スカラ』で、卓を囲んでいる男たち。
 私には、ほぼ彼らの顔が浮かんでくる。
 もちろん、名前は変えられている。
 風貌も、来歴も、実際の人物たちとは異なる。
 フィクションだから当然のことなのだが、しかし、登場人物たちの基本的なキャラクターをみるかぎり、誰をモデルとしたものなのかは、私にはすぐ分かった。

 なかには、「これ、ひょっとして俺のこと?」と思えるような人物も登場した。

 「黒いシャツに黒いジーパン。痩せ型で目が鋭い。ブルースが好きで、麻雀が好きで、自分が好き。いつも手が濡れているから、彼の握る牌はぬるぬるして気持ちが悪い」
 と書かれた男は、ほぼ私である。
 確かに、私は緊張すると手に汗をかくことが多く、麻雀をしていると、ときどき牌が私の汗で濡れた。

 それにしても、さすが小説家。
 よく人間を見ている。

 この “濡れた手の男” は、実作者と重なり合う部分の多いヒロインとベッドを共にした男たちの一人に混ぜてもらっている。
 日本を代表する作家の描く小説に、モデルとして私らしき人物がヒロインとの濡れ場に登場させてもらえたことは実に光栄なことではあるが、もとよりそういう事実はない。
 すべて作者のフィクションである。

 意味もない空騒ぎに時を空しく消費していく学生たち。
 しかし、彼らの日々には、無慈悲な死がいくつも転がっている。
 テルアビブ空港で銃を乱射した日本人テロリストの行為を「革命的」として評価し、その “英雄的(?)” な壮挙に後れを取った自分を恥じて自殺してしまう青年が出てくる。

 ヒロインの兄も、過激派同士の内ゲバによって惨殺される。
 男たちが自己中心的に酔いしれる “革命戦争” のヒロイズムは、女として生きるヒロインの心を寒々とした思いに染める。

 このあたりは、多分に作者のフィクションが勝った展開なのであろうが、“革命戦争” などとは無縁のところで、若くして死んでいった何人かの登場人物を、私も知っている。
 だからといって、すでにそれに対する感傷はない。

 72年という年は、今の時代とは違った意味で、若者の間に無慈悲な「死」がごろりと転がっていた時代だったのだ。
 
 最後にヒロインは、これまでの「抱かれる女」から脱却し、自ら恋人を選び、「抱く女」へと生まれ変わっていく。
 だが、これまでの桐野作品に接してきた読者なら、それがヒロインの新しい “戦い” の始まりであることを、すでに見抜いているはずだ。
 
 
参考記事 「吉祥寺の昔の音楽喫茶」
 
参考記事 「伝説の麻雀師」
   
関連記事 「桐野夏生 『ローズガーデン』 」

関連記事 「桐野夏生 ファイアーボールブルース」
 
関連記事 「桐野夏生 対論集 『発火点』」

関連記事 「桐野夏生編 『我等、同じ船に乗り』 」
  
関連記事 「桐野夏生 『ダーク』」
  
 
  

カテゴリー: 映画&本   パーマリンク

『抱く女』に描かれた70年代の吉祥寺 への13件のコメント

  1. 木挽町 より:

    生活圏が違うので吉祥寺にはほとんど行ったことがありませんが(以前に行ったのは前進座くらい)、中央線沿線というか西武線沿線というか、新宿以西の中野、高円寺、荻窪、吉祥寺というと独特の学生文化があった町という印象があります。神田川というか下宿というか。吉祥寺はそのなかでも代表的な町なのかもしれませんね。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      自分はずっと中央線の西の方に住んでいるため、木挽町さんのおっしゃる “独特の学生文化” というものをとりたてて気にすることなく、過ごしてしまいました。
      しかし、そうご指摘されると、確かに、国立、国分寺、吉祥寺、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺ぐらいにかけて、独特の文化の匂いがありますね。

      … なんていったらいいのか、… 東京の中央よりは少し垢抜けないというか、青っぽいというか … 。同人雑誌などを出している小説家・評論家志望の若者が集まって、喫茶店や居酒屋で、政治やら文学やら映画やらを論議し合うような空気があったように記憶しています。でも、まぁ、大学の校舎が近くにあったような町は、みなそうだったのかもしれないですけれど。

      そうですね。「神田川」 ……
      確かに、吉祥寺近郊には、南こうせつの歌に出てくる「神田川」とか「赤ちょうちん」みたいなシチュエーションが似合うような雰囲気がありました。

      でも、自分はそういうフォーク的世界にも溶け込めなかったし、(やっぱ音楽はR&Bかブルースでしょ! …って感じで)。
      かといってユーミンが歌っていた「中央フリーウェイ」の世界とも縁遠かったし、宙ぶらりんの気分で過ごしていました。
      いずれにせよ、昔の話です。
       

      • 木挽町 より:

        私もフォークみたいなのはイマイチ。フォークの歌詞とか聞いてると笑っちゃうくらい。荒井由美系もイマイチ合いません。やっぱソウルだなぁ。

        • 町田 より:

          >木挽町さん、ようこそ
          いやぁ、そうだよね。
          あの時代のフォーク系の歌詞って、確かに笑っちゃうようなところがあります。
          別に歌詞そのものが “変” というわけではないんだけど、歌っている人たちが、「俺の歌、なかなか情緒があるだろ? けっこう泣けるだろ?」…っていう得意になっているところが、笑っちゃう。特に南こうせつ系・神田川系がそうだよね。

          で、ユーミンの方は、「そういう四畳半フォークって貧しい」と批判して、「2DKマンション風」の中産階級的な歌作りをスタートさせたわけだけど、それは結局「神田川」・「赤ちょうちん」的な生き方をしていた男女が、都会のオフィスビルの中にある会社に入社して、夕ご飯が「おでん」から「パスタとワイン」になっただけ、という感じですものね。

          そこにはハーレムやゲットーの貧しさを突き破って、音を炸裂させるようなパワーがない。
          フォークもユーミンも、いい意味でも悪い意味でも日本的。ま、だから日本のマーケットに合ったのでしょうけれど。
           

          • 木挽町 より:

            その通り!!!まったく同感。「おでん」から「パスタ」。笑えます。下町でも同じ構図。こちらが関心がないのに、やたら、神輿やら神社やらを語って、良く聞いてると、結局は「オレはすごいだろ」系の方も多いんですよ。ほんとの下町にはいないんですけどねえ。お祭りは地域の人たちだけで静かに質素にやるべきなのにね。ソウルも同じ。世界的に有名なミュージシャンより、一発屋と揶揄され笑われるような貧しい黒人少年の歌声には何か感じるものがあります。派手な衣装のコミックショーのようなバンドでも、奥深くには何か感じさせるものがあるなあ。たとえばシュープリームスなら、超有名なダイアナロスよりもフローレンスバラードのほうに魅力を感じます。みんな知ってる三社祭りはわざわざ語ってもしかたないような気がするし。

  2. Get より:

    今日は。
    御ブログにタイムスリップして、昔日の吉祥寺を彷徨してみました。
    行きがかり上、知識も認識もないものは検索。
    検索過程で面白いものにヒットしました。

    ぐゎらん堂亭主、村瀬春樹氏の現在においてのブログのようです。
    https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/doguno-shinsou/0054/

    当時の吉祥寺、結構原始的だったんですね。

    • 町田 より:

      >Get さん、ようこそ
      リンクを張っていただいた『ぐぁらん堂』の村瀬春樹さんのブログ拝読。
      ありがとうございました。

      なかなか音楽全般に関心を持たれていた素晴らしい方だったんですね。
      私はあの店には1回ぐらいしか入ったことがなかったので、その本当の面白さを見逃していたのかもしれません。

      村瀬さんは、昔の吉祥寺に関する記憶もしっかり持たれているようなので、勉強になりました。
      ま、あそこでも書かれていたように、あの時代の吉祥寺には、かなりアナーキーな空気が流れていたんですね。
      今は、小じゃれたセレブおばさんと若者の町になりましたけれど。
       

  3. solocaravan より:

    「・・・もともとテーマのない戦いであったために」、「70年安保を戦った学生たちには、「挫折」がない。」という解釈は新鮮でたいへん興味深く思いました。なにかと「最後の闘争」ということばで形容されることが多いので、素朴にそのように捉えておりましたが、それとは似つかわしくない「退廃」の雰囲気が当時の吉祥寺には漂っていたのでしょうか。

    70年安保はまだ小学生になったばかりの年ですが、吉祥寺といえばはじめてマクドナルドのハンバーガーを体験して感激した街でした。

    その後、彼らの世代になんとなく憧れをもった時期がありましたが、冷静に見るとやはり退廃だったのでしょう。ちょっと残念な気もしますが、自分がその時代に成人であったらどのような生き方をしていたか。ハンバーガーをかじりながら、いろいろと想像をめぐらせそうです。

    • 町田 より:

      >solocaravan さん、ようこそ
      「退廃」という言葉は、少し誤解を招くような表現であったかもしれないですね。
      というのは、70年安保闘争に参加した学生のなかにも、真摯に反戦・平和を求めるために必死になって活動していた人も大勢いたでしょうし、そういう人たちは、重い挫折感に打ちのめされていたかもしれません。

      しかし、あの時代、最後まで闘争を諦めなかった人たちがけっきょく行き着いたのは、ライバルセクトの幹部を惨殺したり、仲間をリンチ事件で死に至らしめたということであるのなら、それはまぎれもなく「退廃」であったと思います。

      吉祥寺というのは、そういう殺伐とした空気はまったくない町でした。ただ、あの時代、「祭りが終わった」という感じの、秋風が吹くような空気は流れていましたね。もっとも、それは多少なりともあの時代の学生運動の周辺にいた人たちだけが感じたものだったかもしれませんが。

      70年安保を戦った人々の気持ちはどんなものであったのか。
      社会学者の小熊英二さんという方が、70年安保を戦ったいわゆる全共闘の人たちを、次のように語っています。

      「1970年前後の、全共闘運動のビラやパンフレットなどを読んでいると、一見、教条的な左翼用語、生硬な言葉づかいばかり並んでいるように見える。
      当時の若者の言葉は、その多くが生硬で、拙(つたな)い。そうした拙い文章の中に、彼らなりの不幸が表現されているとも感じた。
      彼らの不幸とは、同じ体験を持たなかった世代と共有できる言葉をつくれなかったことである。
      (だから)彼らの運動を、何らかの目標獲得をめざす『政治運動』としてみるならば、彼らから学ぶべき遺産はほとんどない、と断言する。しかし、彼らの行為を『政治運動』として見るのではなく、『表現活動』として見るならば、むしろ彼らの貧しい言葉の中にこそ、その運動の本質を見極める材料が潜んでいるのではないか」

      つまり、小熊氏が言いたかったことは、
      70年安保闘争というのは、政治的な戦いであったというよりも、むしろ「貧しい国から豊かな国へと変貌していく日本にとまどい、ともすれば自分を見失いがちになっていた当時の若者が、必死になって自分の言葉を探そうとしていた “表現活動” ではなかったか」
      ということなんだろうと思います。

      しかし、「自分の言葉」など、闘争の中からは探せない。それはもっと根源的な精神活動を経てやっとつかみ取れるものだから、政治の季節が終われば、けっきょくは「祭りの後の虚無」が心を支配するだけ。
      その空しさを紛らわせるものが、麻雀であったり、JAZZであったり、酒であったり … ということだったんだろうなぁ、と思う次第です。
       

  4. こんにちは。
    とても、おひさしぶりです。
    以前、猫とビートルズと日本神話のことをコメントさせていただきました。
    私は、大学が早稲田で、三鷹に住んでいました。
    吉祥寺は近所でよく行ってました。
    でも、私が大学生の時、時代はバブル(笑)で、全然違う街だったと思います。
    私は歌を歌うのですが、音楽仲間(吉祥寺生まれ)がロンドンに行っていて、
    基本洋楽が好きなのですが、その人と話していると、
    せっかく日本人なのだから、日本の歌を歌ったら
    オリエンタルでよいなあ、と思って
    最近は、「竹田の子守唄」とか、「悲しくてやりきれない」とか、
    「朧月夜」とかを歌っています。
    また、とりとめもなく、書いてしまいました。

    • 町田 より:

      >いとうゆうこ さん、ようこそ
      ご無沙汰です。
      よく覚えています。
      確か、池田晶子さんの記事へのコメント欄で、いとうゆうこさんが古事記に触れ、「イザナミノミコトがウジまみれの腐った身体をさらしたのは、次の生命に生まれ変わる準備をする冬の季節だったから」という見解を披露されていましたよね。
      ああいう解釈ははじめてだったので、びっくりした記憶があります。とても新鮮でした。

      コメント拝読し、いとうゆうこさんと私は、生活圏がかなり重なっていた一時期があったんですね。ひょっとして、どこかですれ違っていたのかもしれませんね(笑)。

      私も、基本、洋楽派ですが、日本の歌好きです。特に1970年代頃までの歌謡曲、それと童謡(小学唱歌というのかな?)。
      都会の夜道や夕暮れ時の田舎道を歩いていて、ふと夜空や夕焼けなどを眺めると、幼い頃に聞いていた童謡を自然に口ずさんでいたりします。
      別に、しんみりしたりはしないけど、小さい頃に覚えた歌詞・メロディーは一生心に残るという不思議さには感嘆します。
       

  5. 本当、すれ違っていたかもですね。

    「朧月夜」は、人知れず、
    二番の歌詞が良いんです。
    コピペしますんで
    歌ってみてくださ~い♪

    菜の花畠に、入日薄れ、
    見わたす山の端(は)、霞ふかし。
    春風そよふく、空を見れば、
    夕月かかりて、にほひ淡し。

    里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
    田中の小路をたどる人も、
    蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、
    さながら霞める 朧月夜。

    • 町田 より:

      >いとうゆうこ さん、ようこそ
      いいですねぇ、確かに。「朧月夜」。
      これ、まさに、「すべての視界が柔らかな霞に包まれて優しく滲んで見える」という日本の風土でないと生まれてこない歌詞ですよね。

      歌いましたよ、2番の歌詞。
      メロディーは鮮明に覚えている歌ですから。
      でも、歌詞をしっかりたどったのははじめてかもしれません。

      我々の世代は、流行歌とともに、こういう歌の情緒を心のどこかに秘めています。
      たぶん、それは目に見えない恩恵となって、洋楽の斬新なメロディーを拾ったりするときに感じる感動の源泉になっていたのかもしれません。
       

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