キャンピングカーは劇場空間である

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想像力を鍛えれば、キャンピングカーは劇場空間に変わる


 
 
 キャンピングカーというのは、“劇場空間” だと思っている。
 シアターなのだ。
 それも 3Dである。

 たとえば、キャンピングカーに乗って、旅に出て、どこかで休憩するとしよう。
 冷蔵庫から冷えたお茶などを取り出し、車内で飲むとする。
 
 そのとき、あなたが見ている窓の外には、どんな景色が広がっているだろうか。
 もし、そこがキャンプ場なら、こんな風景か。
 
 

 
 
 緑したたる林を背景に、地面に広がるふかふかの芝生。
 その上に、秋の木漏れ日が揺れる。
 窓に降りかかる午後の陽光。
 眠気を催すような静寂。
 家にいるときの日常性から解放され、心が自然のなかに溶けていく。
 
 

 
 
 それって、「シアター」なんだよね。
 キャンピングカーのウィンドウを通して、自分の住み慣れた家とは違った風景に接するということは、まさに “劇場空間” に身を置いていることに他ならない。
  
 そこで、あなたは、別荘のオーナーの気分を味わうかもしれない。
 あるいは、高原のリゾートホテルのテラスに座り、広大な庭園でも眺めている気分になるかもしれない。
 いずれにしても、現実にはありえないことが、目の前で起こっているわけだ。
  
 キャンピングカーは、停まったところを一瞬のうちにワンダーランドに変えてくれる。
 そのことに驚き、それを貴重な体験と思えるかどうかは、すべてユーザーの感性にかかっている。
 
 たとえば、夏の空に突然湧き起る入道雲。
 その雲の中に、ゴジラやドラゴンの姿を見つけることができるかどうか。
 自然は、そういう形で人の感性を試す。
 
 

 
 
富士山の形は一つではない
 
 山中湖に面した「フォレストコテージ」というキャンプ場に泊り、富士山を見たことがあった。
  
 
 
 
 
 朝、昼、夜と、富士山が、空の色の変化に合わせ、刻々と表情を変えていく。
 昇る朝日を受けたときは、渋い赤色に染まり、昼の陽射しを浴びたときは涼しげなブルーグレーになり、夕暮れが迫ると、黒々としたシルエットを浮かび上がらせる。
 そのどれもが、息を呑むような美しさだ。
 
 面白いことに、色が変わると同時に、山の形も変わる。
 富士山のフォルムは変わらなくても、それにかかる雲の形次第で、富士山の姿も変貌する。
 
 雲がふもとを覆ったときは、その上に顔を現わす富士山は、人が安易に近づくことを拒絶する、地上に降り立った “神” である。
 
 雲が取り払われると、今度はおだやかで優美な姿を見せる。
 そういうときの富士山は、人に安らぎと親しみやすさを与える。
 
 こういう富士山の変化を眺めることも、キャンピングカーという空間を手に入れ、そこを宿泊基地とするからこそ得られる楽しみ方だ。
 
 
 

  
 
キャンピングカーがクルーザーの甲板に変わる
 
 東京湾を望むところに、「ワイルドマジック」という野外バーベキュー施設がある。ここは、かつてはキャンピングカー泊も可能だった。
 そこで、繰り広げられたのが、次のような光景だ。
  
 

 
 
 この夜景を、いったい何といえばいいのだろう。
 世界一のメガポリス「TOKYO」を、東京湾に浮かんだクルーザーから眺めた光景といえばいいのか。  
 
 この施設は、“バーベキュー場” とはいいつつも、アーバンなオシャレ感を追求しているところだから、場内の案内板もすべて横文字。
 キャンピングカーで宿泊し、深夜に場内を散歩していると、無国籍空間をさまようような浮遊感に襲われる。
 
 

 
 
 そのとき、心は、現実と空想の “境界” が溶解した新天地に飛んでいる。
 もし、電車で帰る段取りになっていたら、すぐ現実に引き戻されることになるだろう。
 「いっけね、終電が出る !」
 とかね。
 しかし、キャンピングカーという「宿泊場所」を確保していると、その不思議な気分を味わったまま、夢の中までそれを引きずっていくことができる。
 
 
グランドキャニオンを眺めながらのモーターホームでの昼食
 
 下の写真は、アメリカでレンタルモーターホームを借り、グランドキャニオンを回ったときのものだ。
 広大なグランドキャニオンを一周しているうちにお腹が空いて、サンドイッチショップでパンを買い込み、「さぁ、どこで昼飯にするか」と探しているうちに、見つけた駐車場。
  
 

 
 
 モーターホームの窓の外が、そのまま雄大なグランドキャニオンに直結していた。
 
 たぶん、こんなところに別荘を建てられる人間などいないはずだ。
 国が管理する国立公園のど真ん中なのだから。
 
 しかし、その現実には存在しない “幻の別荘” を所有し、窓の外に広がるこの世のものとは思えないパノラマを眺めながら食事をしている自分がいる。
 
 パンとコーヒーとジュースだけの簡素な食事だったが、こんな贅沢な昼食をとったのは生まれてはじめてだった。
 
 
ただの駐車場が、突然バーラウンジに

 高速道路のSA・PAにも、キャンピングカーの室内をそっくりそのまま別世界に運んでしまうようなスポットがある。

 夜景が美しいことで知られる東名高速の富士川SA。
 ここに車を止めて、車内から下界を見下ろしていると、次第に自分のキャンピングカーが見慣れぬ空間に変貌していくのが分かる。
 ただの駐車場が、都会の夜景に彩られたバーラウンジになるのだ。
 
 

 
 
 窓を軽く開けると、隣のスターバックスからミディアムテンポのジャズが流れてくる。
 ハスキーな女性ボーカルの声を夜風が運んでくると、ウィスキー瓶の封を切りたくなる。
 
 あるいは、港の見える駐車場に車を止める。
 なんだか、自分の乗っているキャンピングカーが旅客船になって、船出の時間を待っているような気分にならないか?
  
 やがて船は南下し、東シナ海でイルカの大群を眺めることになるかもしれない。
 マラッカ海峡を通るときに、南国の山々を焦がす夕陽に遭遇するかもしれない。
   
 

 
 
 そういう “物語” の世界に浸ることを可能にするのは、ユーザーの感性。
 すなわち想像力。
 想像力の引き出しが多ければ多い人ほど、1台のキャンピングカーが何通りにも楽しめるようになる。
 
 想像力を養うにはどうすればいいのか。
 
 美しい自然を視る。
 美しい芸術を観る。
 美しい音楽を聞く。
 美しい書物を読む。
 
 その四つ。
 たったそれだけ。
 しかし、その四つに想像力を養うすべての鍵がある。
  
 ただ、この想像力がいい方向ばかりに働くとは限らない。
 
 
想像力は逆に作用すると怖い
 
 キャンピングカーを買ったばかりの頃である。
 今から30年ぐらい前の話だ。
 中国地方のキャンプ場を取材する仕事があって、自分のキャンピングカーで山の中を回っていたときだった。

 その晩のねぐらをどこにするか。
 予定の仕事を終え、夕暮れが近づいてくる頃だったので、車中泊スポットを探しながら、車を流していた。

 この頃、まだ道の駅は、この世に生まれていない。
 「車中泊」という言葉もなかった。
 当時、キャンピングカーで眠れる場所を見つけて泊ることを、雑誌などでは “Pキャン” と呼んでいた。「パーキングキャンプ」という意味である。

 今のようにマナーが確立された時代ではなかったので、当時のキャンピングカーユーザーは、公園の駐車場などを見つけては無断で泊ったりしていたのだ。
 キャンピングカーの台数も少なかったから、ことさら許可を取らなくても、管理者も大目に見ていてくれたのだろう。
 
 この日、広島県の聖湖(ひじりこ)の見える周回道路を走っていたときに、おあつらえ向きの空き地を見つけた。
 眼下に湖を見下ろせる絶好のロケーションに恵まれた場所だった。

 さっそく、そこに車を止めてコーヒーを沸かし、マグカップに注いだコーヒーを手に、椅子に座って湖を見下ろした。
 陽の光はおだやかで、空気も甘い。
 車もほとんど通らないので、辺りがしんと静まりかえっていることも心地よい。

 ―― いい場所を見つけた。
 と満足していたが、しばらくして、胸騒ぎがしてきた。
 何かが、奇妙なのだ。
 美しすぎるのである。
 しかも、その美しさのなかに、姿の見えないものが、息をひそめてこちらをうかがっているような気配がある。
 
 

 
 
 奇妙な空気感の正体は、すぐ分かった。
 当時、この地方が長期的な日照りに襲われ、湖面が干上がって、日頃湖底に沈んでいた地面がむき出しになっていたのだ。

 そのため、わずかに水が溜まったところは複雑な弧を描き、せり上がった大地は、およそ日本の湖では見ることのないような、白い丘を形成していた。
 行ったことはないが、聖書に出てくるガリラヤ湖とか死海といった湖は、きっとこんな光景をしているのだろうと思った。
  
 湖の風景が、日本のものとは違うと感じられた瞬間、“この世のものとも違う” という思いも、突然降ってわいた。

 ―― ここは人間が泊ってはいけない場所なのだ。

 ちょうど、アルジャノン・ブラックウッドの『柳』というホラー小説を読んで間もない頃だったので、そういう思いにとらわれてしまったのかもしれない。
 それは、2人の冒険家が、水柳の群生する川のほとりでキャンプをしているときに、あの世と接触してしまうという話だった。

 小説のことを思い出して、鳥肌が立ってきた。
 陽のあるうちはいいが、夜になると、ここは灯りひとつない世界であることにも気が付いた。

 私は、素早く椅子を車内に放り込み、一目散でその場を逃げ出した。

 この光景は、今でも思い出すと怖い。
 しかし、キャンピングカーのおかげで、ひとつの “物語” を体験したことも事実である。
 想像力は、いい方向に働くと、キャンピングカー泊を楽しいものにしてくれるが、怖い “物語” を引き寄せてくることもあるので始末が悪い。
 
 
音楽には空間を変える力がある
 
 キャンピングカーは、映画やドラマのような「劇場空間」だと言ったが、音楽の力を借りると、その密度はもっと高まる。
 
 

 
 
 ドライブ中もそうだが、音楽の力で、走っている道路が異空間につながっていくということはよくある。 
 私などの場合は、オールマン・ブラザーズ・バンドやレーナード・スキナードを聞きながら運転していると、東名を走っていても、アメリカ南部を走っている気分に浸れる。
 
 車中泊をしているときもそうだ。
 視界の彼方に広がるハーバーライトなどを窓から眺めていると、異国の地で泊っている気分になる。
 そういうときは、70年代SOULを聞く。
 ソウルミュージックは、なぜか夜のネオンに合う音なのだ。
 
 

 
 
 荷物の積み下ろしをするための殺風景な埠頭の駐車場。
 でも、海面に揺れる遠くの工場の灯りなどを眺めながら、ソウルミュージックを聴き、独りでちびちびとウィスキーなどなめていると、またまた気分は日本を離れて、ネオンまたたくニューヨークあたりの黒人バーにさまよい込んだ気分になる。


 
 
 酔うにしたがって、黒人のしなやかなボーカルが、つぶつぶと空気の中を泡立っていくのが分かる。
 テナーボイスは、柔らかな弾力を秘めたレザーの手触り。
 ファルセットボイスは、なめらかなシルクの感触。

 そういう音をたっぷり堪能しながら、酔ってしまえば、そのままバンクベッドに直行。
 音を消し忘れたマンハッタンズやチャイ・ライツの甘いバラードが、夢の中でもエンドレスにささやきかけてくる。
 
 

 
 
▼ The Manhattans’ “Am I losing you”. Written and composed by A. Fields, B. Morr and D. Stender. Released in 1978.
 

 
 
 

カテゴリー: campingcar, 旅&キャンプ   パーマリンク

キャンピングカーは劇場空間である への2件のコメント

  1. 木挽町 より:

    「ソウルミュージックは、なぜか夜のネオンに合う音なのだ」  ほんとにそうですよね。なんでだろ。お酒にも合うし。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      なぜでしょうね、不思議です(笑)
      ミラーボールが輝くディスコなんかで遊んでいたからでしょうかね。
      たぶんに個人的な思い込みもあるかもしれませんね。
       

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