エドワード・ホッパー「ナイトホークス」(美の巨人たち)

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 土曜日の夜、家にいるときはほとんど欠かさず観ている番組がある。
 テレビ東京の『美の巨人たち』(10:00~10:30)。
 一昨日(3月27日)の夜は、エドワード・ホッパーの『ナイトホークス(夜更かしをする人々)』を採りあげていた。

▼ 「ナイトホークス」(全体)

 この番組。あいかわらず、洒落たつくりになっている。
 今回も、挿入される音楽がドンピシャに決まっていた。
 冒頭に流れる曲は、ヴァンゲリスが映画『ブレードランナー』のためにスコアを書いた「愛のテーマ」。
 中ほどに流れる曲は、同じく『ブレードランナー』より、「ワンモア・キス」。

 そして、絵の核心に迫るときは、ジャズスタンダードの名曲「ラウンド・ミッドナイト」(守山紘二クインテット)。
 まぁ、決まり過ぎ … ともいえなくはないが、やはりあの「ナイトホークス」という絵に音楽を付けるとすれば、1950~60年代タッチのクールなジャズしかないだろう。
 絵と音がぴったりと合ったおかげで、まるで映画を観ているような気分になった。
 
 「ホッパーの作品はしばしば映画のワンシーンに例えられる」
 とナレーターの小林薫は語る。
 確かに、この「ナイトホークス」という絵は、まるで昔懐かしいアメリカのギャング映画のポスターなどに使われそうな雰囲気がある。

▼ 「ナイトホークス」(部分アップ)

 1950年代、アメリカに限らず、フランスなどでも、まさにこの絵のようなタッチの映画がたくさん作られた。「フィルム・ノワール」といわれる犯罪映画である。

▼ フィルム・ノワールの1作「ビッグ・コンボ」(1955年)

 「ノワール」とは、フランス語で黒の意味。
 これらの映画においては、基本的に白・黒のコントラストの強いモノクロフィルムを使い、音楽にはジャズを使うのが一般的だった。 
 
 ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』(マイルス・ディビス) 1958年
 ロジェ・ヴァディムの『大運河』(MJQ) 1959年
 同じくロジェ・ヴァディムの『危険な関係』(モンク/アート・ブレイキー) 1959年
 ミシェル・ガストの『墓にツバをかけろ』(アラン・ゴラゲール) 1959年
 ロバート・ワイズの『拳銃の報酬』(MJQ) 1959年

 50年代の後半には、フィルム・ノワールの傑作といわれる映画が集中している。

▼ 「死刑台のエレベーター」(1958年) 下はマイルス・デイビスの演奏するメインテーマ

 これらの映画に共通しているのは、夜の都市に垂れ込む霧、噴き上げる蒸気、点滅するネオンサイン、乗り物のヘッドライト、タバコの紫煙がよどむ暗い部屋 …… 。
 こういう「光と闇」がきわ立つさびしい画面に、クールなジャズはよく似合った。

▼ 「拳銃の報酬」(1959年)

 登場人物たちも、ジャズの香りを持った者たちばかり。
 犯罪映画であるから、犯人と探偵・刑事などが登場するわけだが、追う者(探偵、刑事)も追われる者(犯罪人)も、いずれも逆光の暗がりから抜け出せないような「スネに傷を持つ者」である場合がほとんど。
 だから、どちらが勝利しても「敗残者の自覚」を抱えた者同士なのだから、観客にカタルシスを与える明快なハッピーエンドは訪れない。

 そういう映画のペシミスティックな雰囲気が、このエドワード・ホッパーの「ナイト・ホークス」から色濃く伝わってくる。

 この絵の右側カウンターで、肩を並べてぼそりと話し合う男女の荒廃した感じはいったい何を意味しているのか !?
 この絵が伝えるものは、すさまじいほどのアンニュイ(倦怠)だ。
 都会の喧騒が絶えた深夜のカフェの静寂に、息がつまりそうだ。

▼ 「ナイトホークス」(部分アップ)

 年代的な考証を試みると、このホッパーの絵が制作されたのは1942年。太平洋戦争が起きた2年後のことだ。
 だから、一連のフィルム・ノワールの映画が作られ始めた頃よりも、16~17年ほど早いことになる。

 逆にいえば、このホッパーの「ナイトホークス」が、戦後の娯楽映画として脚光を浴びるようになる「フィルム・ノワール」に影響を与えたということもできる。

 40~50年代のフィルム・ノワールの映画を観ると、もう映画に流れる大都会の空気感そのものが「ナイトホークス」的なのだ。
 闇と光のコントラストがかもし出す、ミステリアスな陰影。
 すなわち、都会の夜をさすらう人々の寂寥感、孤独感を、フィルム・ノワールの映画はホッパーの「ナイトホークス」から学んだといえそうだ。
 
 
 「ナイトホークス」は、その後も映画にも影響を与え続けた。
 1982年に公開されたリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』がそれだ。
 
 リドリー・スコットは、猥雑なにぎわいを見せる未来のロサンゼルスの光景にも、夜の都会の孤独感を導入することにこだわった。
 そのときに集められたサンプリングの中には、この「ナイトホークス」もあり、スコットは、プロダクション・チームの面々にいつもこの絵の複製をかざし、「私が追い求めている気分は、映像にすればこんな調子だ」と言い続けていたという。

▼ 「ブレードランナー」に描かれる深夜のビルの一角

 1997年になると、『パリ・テキサス』、『ベルリン・天使の詩』などで知られるドイツ人映画監督のヴィム・ヴェンダースが、『エンド・オブ・バイオレンス』(The End of Violence)という作品を撮った際に、映画の中に出てくる映画セットとしてこの「ナイトホークス」のバーカウンターの場面を再現したともいう。(私は未見なので詳しいことは言えない)。

▼ 「ザ・エンド・オブ・ザ・バイオレンス」

 20世紀に制作された数々の映画に影響を与えた「ナイトホークス」。
 それは、この絵が、20世紀になって出現した「都会の憂愁」というものをはじめて描いた絵であったからかもしれない。

 資本主義文明の興隆とともに、パリ、ロンドン、ベルリン、東京と、数々の近代的な国際都市が地球に誕生した。
 しかし、その多くは人類の繁栄を謳歌するかのように、華やかで享楽的な色彩を帯びた都市として文明の上に君臨した。

 その繁栄の極致を行く世界都市として、ニューヨークがその頂点に登ったとき、ホッパーは逆に、そこに繁栄に疲れた都市の素顔を視てしまったのだ。 
 
 「疲れ」を知った都市は、さびしくも、謎めいて、美しい。
 「ナイトホークス」は、20世紀の享楽的な都市が、厚化粧の裏にふと潜ませた荒廃の美学をいち早く先取りした絵であったかもしれない。
   
 

カテゴリー: アート, 映画&本   パーマリンク

エドワード・ホッパー「ナイトホークス」(美の巨人たち) への4件のコメント

  1. スパンキー より:

    「美の巨人たち」は私も毎回楽しみにしていますが、このホッパーを見落としていまして、
    悔しい思いをしています。
    YouTubeにもまだUpされてない。
    この都会の表情といい、タッチも含め、絵画というよりポスターですね。
    モダンアートが好きで、アンディウォーホル他、いろいろ観に行っていますが、
    ホッパーってその原形なのでしょうかね?
    そこがちと分からない。
    町田さん、知っていたら教えてください!

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      『美の巨人たち』は、確かに面白いですね。アカデミックな内容なのに、学術・教養番組的な臭さがないし、それでいて深い。
      取材や構成にけっこうコストをかけているし、スクリプトも気が利いていてお洒落です。それを読み上げる小林薫の声もいい感じです。

      エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」もなかなか良い番組でした。
      バックにクールなJAZZが流れると、この絵がより映画っぽく見えてきました。

      ご指摘のように、>>「ホッパーの作品が絵画というよりもポスターに近い感じがする」というのは、やはり理由があるようですね。
      ネットで調べてみたら、彼は、まだ絵が売れない若い頃、広告用のイラストを描いて生計を立てていたそうです。

      また、もしアンディ―・ウォーホルとの類似点を探るとしたら、ホッパーもウォーホルも、「都会っ子」であったということではないでしょうか。
      ホッパーには大自然を描いた絵もありますけれど、基本的には「街」だったり、「建物」だったり。人間が生活する都市空間を描きながら、その中心に描かれた人間が、「存在感」ではなく「不在感」をかもし出すというのが、ホッパーの特徴のような気もします。
      彼は、人よりも、街そのものを描きたかったのでしょう。
      ウォーホルになると、もう人間が「商業デザインの素材」でしかないような世界になっていきますものね。

      そういうところに、アメリカの絵画の特徴というものをすごく感じます。
       

  2. なかじまけいこ より:

    お元気になられたようでそれが一番うれしいことです
    今日拝見したホッパー、、テレビでは見ていませんでしたが  以前印象に残り覚えていました
    ビムベンダースの天使の詩に思い出すことがありました 意図することなく出会った映画でしたが 強い印象の割にはよくわからず そのままになっていました
    天使ダニエルが 人間になりたいと渇望し 以前天使だったという設定のピーターフォークに人間になるよう説得される このピーターフォークが 平凡な、、、人間をよく具現している
    ダニエルはサーカスで出会った美女マリオンに一目惚れ マリオンも夢の中で出会ったダニエルに焦がれる
    ダニエルは友の天使カシエルにマリオンへの愛を告白、、
    人間に恋する天使は死ぬ
    ダニエルはカシエルの腕の中で死ぬ

    しかし西ベルリン側の壁の前で目を覚ましたダニエルははじめて色彩の世界を知ったのでした
    私もう知らない 天使の、、 動かせない世界、、私は頑張るだけ  ベンダースはそう突っぱねたのかもね
    町田さんも がんばるだけ

    • 町田 より:

      >なかじま けいこ さん、ようこそ
      ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』は、確かに印象的な映画でしたね。
      モノクロームの映像で始まり、天使のダニエルが人間の女に恋して、自分も人間になったところから映像がカラーに変わる。

      つまり、ご指摘のとおり、天使のダニエルは、永遠の生を授かった天使であったにもかかわらず、死を免れない人間になったことで、「色彩」を手に入れることができたという話なんですね。

      けっきょく、人間には限られた生命しか与えられていないから、「せめて生きている間に世界の輝きを堪能したい」という願う存在であり、その切なさが「色彩の獲得」につながったという寓意なのでしょうか。
      そう考えれば、「有限であることの意味」を明かした、実に象徴的なストーリーであったと思います。

      ダニエルに扮した役者が、天使にしては若くもなく、イケメンでもなく、くたびれたただの中年男なんですけど、人間になったとたん、そのくたびれ具合が、逆に素敵に見えてくるから不思議でした。

      けいこさん、私も頑張りますよ(笑)。
      それではよろしく。
       

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