坂東武者の「名こそ惜しけれ」

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司馬遼太郎 没後20年
 
 作家の司馬遼太郎氏が1996年に永眠し、今年は没後20年に当たる。
 そのせいか、司馬遼太郎に関連した教養番組がテレビ(特にNHK)でよく放映された。

 司馬遼太郎の小説といえば、『竜馬がゆく』に代表されるように、合理的で開明的な思考を好む人間が主人公となるものが多い。
 因習や古い常識に捉われることなく、独創的な発想で世の中を変えていく人間。
 そういう人間像は、まさに高度成長期の日本人のメンタリティーに適ったもので、当時の日本人は彼らの生き様を知ることで、労働の現場においても学問の現場においても、常に希望と勇気をもらうことができた。

 しかし、司馬氏の死を狙っていたかのように、日本は劇的な変化を遂げていく。
 バブルが崩壊して企業倒産も相次ぎ、それまで日本的企業の美質とも謳われた終身雇用も年功序列も崩壊し、リストラの憂き目を見たサラリーマンたちが路頭に迷うようになった。 
 それは、第二次世界大戦が終わってから、成長と繁栄しか知らなかった日本人がはじめて経験した、展望の見えない閉塞感に満ちた時代であった。

 そういう不安を煽るように、不幸な事件が連続する。
 司馬氏の没年となった1996年といえば、阪神大震災およびオウム真理教の地下鉄サリン事件などが起こった翌年に当たる。
 さらに、その翌年になると、神戸で、酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年の児童殺人事件が世間を騒がせた。
 それらの事件は、「日本が暗い時代に突入した」という印象を象徴するような出来事となった。

 司馬氏の没後20年というのは、ちょうど日本の「失われた20年」という谷間の時代に相当する。
 彼は晩年そういう時代の到来を予測し、そのことを危惧しながら亡くなっていったが、来たるべき世の中の実態を知ることなく世を去った。

 もし、司馬氏が1996年に死なず、その後に続く日本人の精神が路頭に迷った暗い時代を生き抜いたとしたら、はたして彼はどのような小説をこの世に残しただろうか。
 それがとても気になる。

 たぶん彼は、気落ちして自信喪失気味になった日本国民に対し、「世界と比較してごらん。日本は捨てたもんじゃないよ」というメッセージを発信したように思う。
 つまり、グローバルな視野に立って日本人の特色を洗い直し、日本文化の美しさと洗練度をアピールすることに力を注いだのではなかろうか。

 彼の没後に、「クールジャパン」という標語が生まれ、日本のアニメやファッションが世界の若者に受け入れられるようになり、和食がブームとなるような文化運動が世界的に起こったが、もし司馬氏が生きていたら、彼はそのような日本文化の復興に先駆けて、そういうムーブメントに理論的背景を与える仕事を行っていたような気がするのだ。

 そのことを感じさせるテレビ番組があった。
 2月15日に放映された『日本人とは何か』(NHK)という企画であった。
 その趣旨は、司馬遼太郎がこれまで世に残してきた膨大な作品群を読み解き、その作業を通じて、司馬氏が日本人の特徴をどういうふうに捉えていたかということを探ろうというものだった。

 テーマを変えて2回ほど放映されたものらしかったが、自分が観たのはその2度目の方。
 すなわち「日本が明治時代に驚異の近代化を遂げたときの原動力となったものは何か」という話だった。

 司馬氏は、それを「日本人特有の倫理感」であったという。
 つまり、日本人が明治期に至るまでに歴史の中で培ってきた独特の倫理観が、明治の精神を支えたということらしい。

 すなわち、清廉潔白であることを美しいとする精神。

 そういう日本人の美意識は、政治の世界に汚職がはびこり、官僚がワイロを取ることが当たり前に横行していた東アジアの風土においては、欧米人も珍しがるほど特異なものだったらしい。

 では、そういう日本人の「倫理感」のベースになったものは何か?

 「武士の存在である」
 と、司馬氏はいう。

 司馬氏によると、鎌倉期において出現した「武士」という集団は、中世ヨーロッパの「騎士」とも違う、きわめて特異な美意識をもった人間たちであったというのだ。

 彼らの精神風景を一言でいうならば、
 「名こそ惜しけれ」
 つまり、「自分の名を汚すような恥ずかしいことはするな」というメンタリティである。
 
 では、何をもって、「恥ずかしいこと」とするのか。

 自分の責任なのに、しらばっくれて人のせいにする。
 己の失敗の尻拭いを、こっそり他人にさせる。
 己の利益だけを優先して、人の不幸に目をつぶる。
 そういうことを「恥ずかしいこと」だと意識する気持ちが、鎌倉期に生まれた武士という人たちのメンタリティを形成するようになった。

 その場合の「名こそ惜しけれ」の “名” とは、自分の名前である。
 つまり、自分に都合の悪いことが起こった場合、自分の名を正直に語らずに、“その他大勢” の中に隠れて罪を逃れようとすることを、「恥ずかしいこと」だという意識が、この時代に生まれたのだ。

 司馬氏は、そういう武士の精神が生まれてきたことを、“百姓のリアリズム” という言葉で説明する。
 百姓とは農民のことだが、この場合、武士の原型が農民であったことを知っておくべきかもしれない。

 ただ、彼らは、そうとう荒っぽい農民であった。
 彼らの荒っぽさがどこから生まれてきたかというと、それは、この時代、山野を開墾し、そこを耕地とすれば、その土地は開拓した人間が所有するものとして認められたからである。
 そのため、彼らは山野を開拓して、自らの耕地を広げていく過程で、土地や水利を他の農民と奪い合うときには、そうとう血なまぐさいケンカも厭わなかった。 

 平安期までの農民たちはそうではなかった。
 平安期においては、農民は自分の土地を持つことを許されなかった。農地は貴族や寺社勢力のものであり、農民という存在ですら、貴族や寺社勢力の所有物に過ぎなかったのである。

 ところが、京から遠く離れ、貴族階級の目の及ばぬ東国においては、それまでの農民とは違った農民たちが生まれ始めていた。
 東国には未開発の広大な原野が残され、そういう土地の生産性を上げるために、開墾した農民はそれを私有できるという制度が、いつのまにか根を下ろし始めたのだ。

 東国の農民たちは血眼になって、自らの土地を広げていったが、当然のごとく、他の農民との間に、土地や水利の奪い合いが生じるようになる。
 そのため、それぞれが自衛のために武器を携帯するようになり、遠方の農民たちとの争いを有利にするために、近隣の者たちだけで徒党を組むようになる。
 そのような集団が各地にたくさん生まれてくると、それを統合する大きな組織も生まれるようになった。

 このような集団から、後に「坂東武者」と呼ばれる武士たちが誕生した。
 坂東武者たちの組織からは、やがて頭領と呼ばれるリーダーが出現するようになり、その頭領たちが個々の武士たちの土地争いなどを調停して、それぞれの私有地を保証してやるようになる。

 このとき、個々の武士たちと、それを統合する頭領との間に生まれた結束の絆が、後に「名こそ惜しけれ」という美学に昇華していく。

 なにしろ、当時の農民たちにとって、自分の土地を保証してもらえるということは、この国で庶民が私有財産というものを持った最初の出来事なのだ。
 この歴史的な出来事に対し、感激できない者はいなかっただろう。

 そのため、武士たちは、自分の私有財産を認めてくれた頭領に対しては、無二の忠誠を誓うようになり、このとき生まれた「表裏のない忠誠心」が、武士のメンタリティというものを形成することになった。

 司馬遼太郎氏は、それをもって、日本人が「公」という概念を手に入れたと語っている(らしい … テレビの解説によると)。

 そういうことを知ると、現在の政治や企業の運営などを見ていて、今の日本に「名こそ惜しけれ」という思想が残っているのか、と本当に疑わしくなる。

 ま、それはさておき、「武士」という世界史上たぐいまれなる戦士集団を持ったことによって、日本人の精神文化は独特の倫理感を手に入れ、それが明治期の国家一丸となって近代化を成し遂げる原動力になった。
 … というのが、司馬遼太郎氏の洞察であるようだ。

 今日、海外の人たちからも認められた「武士」。
 彼らが口にする「サムライ」という言葉には、日本人が感じる以上に、崇高なるものに接したような畏敬の念が込められている。

 日本のアニメやファッションの意表を突いた斬新さを「クールジャパン」などと呼ぶが、その「クール」(かっこいい)という言葉の響きにも、もしかしたら、サムライの美学が潜んでいるのかもしれない。
  
  

カテゴリー: コラム&エッセイ, 映画&本   パーマリンク

坂東武者の「名こそ惜しけれ」 への4件のコメント

  1. 木挽町 より:

    しっかり拝読いたしました。ありがとうございました。なかなか深くておもしろかったです。サムライがいないんですよね。恥ずかしいって感覚は人それぞれですが。自分にとっての恥とは。そこがポイントなのでしょう。余談ですが、すでに退職された先輩を病院の待合室でたまたま見かけました。在職中はお前呼ばわりや呼び捨ては当たり前。たえず威張って自慢して説教して語っていた方でした。そんな大きな方?でしたが、私がたまたまお見かけした時は、今でいう「貧困老人」にしか見えなかったです。残念でした。どうせなら終生威張っていて欲しかった。あるいはそれができないくらいの小さな男だったら、在職中も増長しないで欲しかった。結局自分の足元さえ見えない小さな男だったのかもしれません。得意げに語っていたのに。すごく哀れな気持ちになりました。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      退職されたご先輩のお話、神妙な気分で拝読。
      よくありそうな話ですね。
      もしかして自分も、これまでの仕事の局面で、他の人々に生意気な態度を取ってこなかったかどうか、少し考えさせられるようなお話でした。

      最近ブームになっている「アドラー流の心理学」では、他人に対して常に威張っている人というのは、その態度とは裏腹に、他人に対して「優越コンプレックス」という劣等感を感じている人であり、本当は、自分の生き方にすごく自信のない人だと説かれています。

      そのご先輩の方は、たぶん会社の看板や部署における肩書きなどを、あたかも自分自身の能力と勘違いされて過ごされた方なのでしょう。
      だから、退職されて、社名や肩書きなどの “プロテクター” がはがされたときの心細さを感じられたのでしょうね。
      そういう方は、ときに「貧困老人」のような貧しさを漂わせる場合がありますね。

      だけど、それもまた人生。
      心細さや寂しさを感じてこそ、今までの人生の反省材料を得られることもあるようです。結局、そこからまた新たな境涯を開いていけばいいだけのことですから。
       

  2. 木挽町 より:

    ですよね。ありがとうございます。実は定年前に退職することにしたんです。あと数ヶ月。満59歳になったら退職します。雇用延長が当たり前になりつつありますが、なんか違和感があって。若手の邪魔しちゃいけないし。年俸が半額以下で一律になるってのも馬鹿馬鹿しいし。サラリーマンの限界かなあ。で、退職することにしました。円満退職です。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      ええっ !!
      ほんとうですか?
      あと数ヶ月なんですか。

      ほんとうにご苦労さまでございました。
      思い切った鮮やかな決断に、頭が下がります。

      でも、趣味も含め、今後の生き方に対して様々な可能性を持っていらっしゃる木挽町さんだからこそ下せるご決断なのでしょうね。

      いろんなコメントをいただき、逐次拝読するに、木挽町さんはサラリーマン以外の生き方を選ばれた方が、きっと生き生きと暮らしていけるのではないかとお見受けしておりました。

      新しい出発が実りあるものになりますよう、お祈り申し上げます。
       

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