「グラブる」というCMの終末観

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 テレビで、「グランブルファンタジー」というスマホゲームのCMを見ると、いよいよ “この世の終わり” が近づいてきたな、という感慨が込み上げる。
 仏教用語で「末法」という言葉があるけれど、まさに “末法感全開 !! ”という気分になる。

 それにしても、不思議なCMだよな。
 スマホゲームのCMの大半は、「面白くて、刺激的、楽しいこと満載 !」という多幸感を強調するものばかりなのに、「グランブルファンタジー」のCMだけは、無気力で、投げやりで、どこか退廃的な虚無感に満ちている。

 その虚無感が全面開花したのが、「出会い と別れの季節」篇というやつ。

 俳優の菅田将暉が、卒業式を迎えた高校の校庭を歩いてくる。
 周囲には明るい陽射しが照り返り、背景には満開の桜も見える。
 なのに、菅田将暉の表情は、どこかうつろだ。
 
 「とりあえず卒業して、とりあえず大学に行って、彼女とか作って。
 とりあえず4年間過ごして、とりあえず就職して、とりあえず大人になるのかも … って気づいちゃったけれど、家帰って、とりあえず、グラブる」

 彼はもの憂い表情で、そうつぶやき、自宅のドアノブに手をかけて、「 … ただいま」と言いながら、家の中に入っていく。

 この「とりあえず」という言葉に、ネットゲームのすべてが集約されている気がする。
 そうなのだ !
 ネットゲームというのは、どんな種類のゲームであっても、けっきょくは「とりあえず」始めてしまうものなのだ。

 もちろん、ネットゲームに先立ってやらなければならないことを、誰もがみな抱えている。
 それが、「宿題」であったり、「勉強」であったり、「家事」であったり、「仕事」であったりするわけだ。

 でも、それらの “大事なこと” を差し置いて、ほんのちょっとの気分転換のつもりで、ゲームのアプリをまず開く。
 そのときの、禁断の快楽に触れるような快感やら解放感。
 そして、それらの高揚感の裏側に忍び寄る徒労感やら罪悪感。
 
 誰だって、ネットゲームなどに何の生産性もないことは、十分に分かっている。
 でも、なんとなく、つい始めてしまう。
 そのときの自堕落な気分を、「グランブルファンタジー」というゲームのCMは、実に見事に表現している。

 ネットゲームには、「デジタル・ヘロイン」という言葉があるくらい、人間の脳に覚醒剤やらコカインと同じような依存症をもたらすという研究データがある。

 が、今や巨額の富を生み出すこの成長産業に対して、誰もとがめだてすることもない。

 そこにゲーム産業のニヒリズムがある。
 そのことを確信犯的に強調して見せたのが、「グランブルファンタジー」のCMだ。
 
 一見、ネガティブキャンペーンのようなCM。
 それでいて、このCMはゲーム愛好家の心理を実に巧妙に衝いている。
 それが、いっとき “ゲームフリークス” であった自分にはよく分かるのだ。

 今から20年以上も前、何を隠そう、この私がゲーム依存症に罹っていた。
 任天堂のゲーム機を使った「ドラクエ」に始まり、KOEIの「信長の野望シリーズ」、「大航海時代シリーズ」、さらに「チンギスハーンシリーズ」などに明け方まで興じ、一睡もしないまま会社に行くなどということをよくやっていた。
 
 始めるときの気分は、いつも「とりあえず」。
 「今日こそゲームから足を洗って、真人間になろう」と毎日思うのだけれど、「とりあえず5分だけ」、「とりあえず風呂が湧くまで」、「とりあえず空が白み始めるまで」という自堕落な誘惑に勝つことができない。
 いや、ホント !
 それほど面白い世界なのだ ! ゲームの世界というのは … 。

 しかし、面白さの後には、必ず徒労感が訪れる。
 そうやって、心身がむしばまれていくときの焦燥感と悔恨を、「グランブルファンタジー」のCMを見ていると思い出す。
 そして、この「とりあえず」に負けて、少しずつ人間の文化は終焉に向かっていくのだろうな … と思うのだ。
    
  

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

「グラブる」というCMの終末観 への6件のコメント

  1. solocaravan より:

    幸か不幸か興味がないのでこの手のものには触ったことすらありません。大昔のインベーダーゲームさえやったことがないので、正直、このCMは意味が分かりかねていましたが、そういうことだったのですね。しかし、これだけ多くの人がゲームの虜になっているということは、そう考えるとなんだか恐ろしいことのような気がしてきました。だれにも止められそうにありませんが、いずれ飽きられてくるのでしょうか。あるいはもっと強力ななにかが登場するのか。

    ちなみに、どうすればそのような依存症から脱することができたのか、そこに答えがあるように思えます。

    • 町田 より:

      >solocaravan さん、ようこそ
      たぶん、VR(仮想現実)を精巧に追求した商品が、今後山のように開発されるようになってくれば、それを採り入れたゲーム類も加速度的に品数を増やしていくことになるでしょう。したがって、ネットゲーム、PCゲーム、スマホゲームという “娯楽”は、今後飽きられるどころか、ますます隆盛を極めていくように思えます。なにしろゲームコンテンツは広大な裾野を広げる “おいしい” 市場ですからね。

      ただ、(solocaravan さんが推測されるように)、それが人類の素晴らしい未来であるかどうかは分かりません。ある程度、社会的・文化的訓練を受けた人間がゲームにハマるのなら、それは一過性のものに過ぎないとも思えます。
      しかし、ようやく物心がつくぐらいの幼少期にゲーム的生活感覚を身につけてしまうと、たぶん一生頭の中が二次元的な世界観で満たされてしまって、社会・人間・文化などを見る視点が平板化されてしまうように思えます。たぶんそうなると、それは人間に知的退廃をもたらすことになるでしょうね。

      私の場合、ゲーム依存症を克服できたのは、単純にパソコンの機種を変えたからにすぎません。それまで遊んでいたゲームソフトが、新しいウィンドウズに対応するバージョンの更新を受けていなかったので、それを機に、ようやくあきらめました。

      それと、もうひとつ強いていえば、1980年代くらいまでに開発されていたKOEIの歴史ゲームのように、人間の想像力を刺激し、ある程度の歴史的教養がないと楽しめないようなレベルの高いコンテンツがなくなったことも、ゲームから足を洗った理由でもあります。

      KOEIの「大航海時代」などでは、はじめて手に入れた大型帆船を操って、アフリカの喜望峰を回ることができたときなど、ほんとうに「狭い大西洋が、ついにインド洋に向かって開けた !」というスケールの大きな解放感がありましたし、「チンギスハーン」などで、遊牧騎馬部隊を編成してシルクロードを征西していくときなど、自分が広大なユーラシア大陸を独占したような気分になりました。

      そういう優良コンテンツに出会うことができれば、ゲーム類も悪いものではないのです。
       

  2. よしひこ より:

    町田さんが「ゲーム依存症」だったとは、すごい意外でした。何しろ自分はゲームとは殆ど無縁のまま生きてきてしまったもので。
    自分は子供の頃、親から「マンガばかり読んでるとバカになる」と言われて育ちました。言われた当人は(そんなことないよ)とは思っていたのですが。
    そんな自分は今の若い人に「ゲームばかりやってるとバカになる」と言いたくなるわけです。(苦笑)
    でも正直、自分の子供の頃にゲームがなくてよかった。マンガでよかった。と思ってます。(苦笑)
    町田さんの文章はゲーム産業のヤバさをよく言い当てています。ゲーム産業の終焉と人間の文化の終焉と、どちらが早く到来するのでしょうか・・・!?

    • 町田 より:

      >よしひこ さん、ようこそ
      いやぁ、一時期、私は本当に「ゲーム依存症」でした。
      パソコンゲームでしたけれど、プログラムまでいじって、ゲームに登場する人物たちの顔グラフィックまで自分の好みに修正するくらいハマッていました。

      でも、おっしゃるように、どこかゲームには “ヤバい” 部分がありますね。
      どんなに巧妙な世界観をゲームが提示したとしても、それがリアル世界に反映されることがないため、ゲームにハマればハマるほど、気分がニヒルになっていくんですよね。
      その空しさを紛らわせるために、さらにゲームに没入していく。
      まさに依存症のパターンですね。

      自分もまた、小さい頃にゲームがなくてよかったと思う人間です。
      ゲームがなかったから、遊ぶ時間のなかに、(漫画を含めて)いろいろな本を読む時間が入り込んできました。
      けっきょく、そういう読書経験が、リアル社会で生きる世界観を教えてくれるようになったと思います。
       

  3. Take より:

    僕も一時はまりました。と言うか今も適当にインターネット上のゲームを無課金で適当にやっています。
    今は「適当」なんです。昔は待った時のように熱くなれないのは、熱く頑張った後ふっと振り返って生産性がないことに気が付くと冷めちゃうからなんですよね。
    グラブルはやったことないけれど、ゲームは熱くやるもんじゃない、適度に暇つぶしで、と言うのが若者にあたったのかもしれませんね。白猫のCMを見てもそう思います。真剣に使っている時間は思いのほか短いのでしょうね。
    人生の後半を迎え、どうでもいい時間も、適度な暇つぶしを興じる時間もないはずですが、息抜きにはちょうどいいです(笑)

    • 町田 より:

      >Take さん、ようこそ
      意外や意外 !
      Take さんが、インターネットゲームにハマってるとは、少し意外な気がいたしました。
      でも、「適当」というスタンスを取っていれば、そんなに日常生活を侵食するようなものでもないんでしょうね。
      ちょっとした息抜きには、確かに効果があるかもしれません。

      ただ、私はダメなんですよ(笑)。
      もし、やりはじめたら、やはり “極めないと !” という思いに駆られて、なかなか「適当」という接し方ができないように思えます。
      やるならトコトンやるか、まったくしないか。

      今はまったくゲームはしていないんですけど、この先、人生を完璧にリタイヤして、ほんとうにやるべきことが無くなったら、ひょっとしてゲーム三昧に戻っているかも … と思わないでもありません。
       

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