『ブレードランナー2』は成功するのか?

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シド・ミードが造形した『ブレードランナー』の秘密
 
 SF映画のカルト的作品として人気の高い『ブレードランナー』の続編、『ブレードランナー2』の制作が決定されたという情報がネットで公開されていた。
 公開予定日は、2018年 1月12日。
 撮影は、2016年 7月から開始されるという。
 
 そのネット情報によると、監督はドゥニ・ヴィルヌーブ。
 主演は1作目同様ハリソン・フォードが務める。
 前監督のリドリー・スコットは、今回はエグゼクティブ・プロデューサーとして参加するといわれている。
 
 はたして、期待できるのか?
 ほとんど情報が入ってこない現段階で、確かなことは何もいえないのだけれど、直観的に、1作目の『ブレードランナー』(1982年)とは全然別の雰囲気の映画になっているような気がする。
 
▼ 『ブレードランナー1』

 
 もともとあの映画は、過剰な情報を混入させ過ぎたために、監督のリドリー・スコットでさえもコントロールできない作品になったといわれている。
 それゆえ、試写段階で「難解だ」と非難され、分かりやすくするためにナレーションを入れた劇場公開版やら監督の意図を優先したディレクターカット版やら、いくつかのバージョンが作られた。

▼ 主役のデッカード刑事を演じるハリソン・フォード

 
 そもそも、制作現場では、ハリソン・フォード演じる主人公のデッカードが人間なのか、それとも本当はレプリカント(人造人間)なのか、それすらも特定できないまま撮影が進行していったらしい。
 
 リドリー・スコットは、主人公のデッカードも実はレプリカントであったという “オチ” をつけて、ストーリー展開の意外性を強調したかったらしいが、主演のハリソン・フォードも、その敵役を演じたルトガー・バウアーも、監督のいうことを聞くような振りをして、最後まで主人公がレプリカントではなく「人間」であるつもりで演技を続けていったという。
 
 そのように、制作中すでに構想そのものが破たんしてしまったがゆえに、逆にあの映画は、予定調和的な安定感を持つことなく、不安とスリルに満ちた “悪夢” のような未来世紀を創造し得たという気がするのだ。
 
▼ 悪夢のような未来都市

 
 そして、そのような悪夢の映像を紡ぎ出した中心人物が、未来都市のデザインを手がけたシド・ミードだった。
 
 
シド・ミードが『ブレードランナー』で
実現したものは何だったのか?

 昨年の夏ぐらいだったか。
 BSテレビだったと思う。
 『シド・ミードの描く2045年の未来都市』という番組(ノンフィクションW)が放映されたことがあった。
 それを観ていたとき、いろいろと感慨深いものがあった。

▼ シド・ミード

 
 『ブレードランナー』が制作されてから、すでに30年以上経っているにもかかわらず、いまだにSF映画の最高傑作と謳われ、マニアの賛辞が絶えないカルトムービーの座を勝ち得ているのは、ひとえに、シド・ミードがつくり出した未来都市のデザイン造形にあった。
 
▼ 『ブレードランナー』未来都市

 
 古代文明の遺跡のような威容を誇る高層ビル群。
 大気汚染のせいか、謎めいた色をまき散らす無数のネオン。
 その間を飛び交う奇怪なフォルムの飛行物体。
 

 
 ビル群の最下層には、怪しげな日本語や中国語の看板を掲げたアジア的歓楽街の光景が広がる。
 街に陽光が射すことはなく、街路も店舗も常にメランコリックな夕景の光に包まれたままだ。
 

  
 まさに、グロテスクな憂愁の美に包まれたディストピア(反ユートピア)の未来世紀。
 シド・ミードの描き出した21世紀末のロサンゼルスは、人間の文明が頂点を極め、それが堕落し、退廃に向かっていく様子を圧倒的な存在感を持って浮き上がらせた。
 
 だが、それはシド・ミードが描きたかった人類の未来像ではなかったという。
 監督の要請に従って、「仕事」として割り切ってつくり出した “暗黒の未来” であったとも。
 
 しかし、その悪夢のような未来都市が、なぜあれほどの説得力を持ったのか。
 それは、荒唐無稽のようでありながら、細部まで都市工学の理論に基づいた合理的なビジュアルだったからだといわれている。 
 
 
「ブレードランナー」の未来都市は、
そのまま建設されても人間が住める構造になっている

 
 シド・ミードは工業デザイナーである。
 番組の解説によると、彼は3歳の頃から絵の上手な子供として「天才」の名をほしいままにし、長じては、アメリカ有数の美術大学といわれる「アート・センター・カレッジ・オブ・デザイン」に入学。
 卒業後は、デザイナーとして自動車メーカーのフォード社に入り、数多くの “未来の自動車デザイン” を手掛けた。
 
▼ 若い頃のシド・ミードが描いた未来の自動車 01
 
 
▼ 未来の自動車 02

 
 
 その後独立。
 以降、さまざまなクライアントの要請により、数々の工業デザインに手を染める。

 番組で紹介された工業デザイナー時代の彼の作品には、大型クルーザーがあり、ビジネスジェットのインテリアがあり、腕時計があり、魔法瓶があった。
 
▼ シド・ミードがデザインした大型クルーザー

 
▼ タイガー魔法瓶

 
▼ 腕時計

 
 魔法瓶のデザインは、日本のタイガー魔法瓶によって実用化されたが、そのほかにも、実際に工業製品として世に出回ったものも多数あるのだろう。
 
 紹介された作品は、どれも秀逸と言わざるを得ない。
 実用的であると同時に、それがアートとしての造形力を保っている。
 見ている私も、素人ながら、そのフォルムと色使いの素晴らしさに圧倒されるばかりだった。
 
 専門家によると、『ブレードランナー』で描かれた未来都市は、彼が手掛けた他の工業デザインと同じように、実際に建設されたならば、人間が生活できる空間としてデザインされているという。
 
 建築物ばかりではない。小道具においても、しかり。
 映画の中には「スピナ―」といわれる空間を滑空する自動車が登場する。
 見ると、その左右の前輪が前側にぐっと張り出しているのが分かる。
 
▼ スピナ―

 
 工業デザイナーとして、シド・ミードは、スピナ―の前輪を張り出さざるを得なかったのだ。
 なぜかというと、空を飛ぶ自動車ならば、着地のときに前側の着地位置をドライバーが確認しなければならない。
 ボンネットでそれを塞いでしまえば、着地位置を確認できなくなる。
 だから、安全性と機能性を考えれば、スピナ―はあの形以外のフォルムを取れなかったのだ。
 
 高層ビルが林立する都市造形にも、彼なりの考えが投影されている。
 ビルの階層化は、都市住民の階層化をそのまま表しているのだとか。
 
 映画に出てくる高層ビルは、上に行けば行くほど快適でゴージャスなリゾートタウンのたたずまいを見せ、下層に下れば、薄汚れた古い街並みをそのまま残した猥雑な様相を呈する。
 
▼ ネオンだけがケバケバしい最下層街

 
 要は、高層ビルの上層は、お金持ちの好みを反映して宮殿のように彩られるが、下層は、ビルを改装する金のない低所得者たちの住居空間であるため、古い建物が残らざるを得なくなるという状況が描かれているのだ。
  
 ビルの上に住む住民は、空調の効いた居住空間から外に出る必要はなく、下層の人々と交わることもない。
 となれば、酸性雨の降り注ぐ街路をさまようのは貧民だけとなり、街のたたずまいも、荒れすさんだ退廃と憂愁の影に染められていく。 
 
 そのような下層居住区には、出稼ぎに来た移民も多くなり、街の看板はどんどん英語文化圏から離れたアジア的無国籍性を帯びることになる。
 

 
 リアル !
 30年前に描かれた21世紀末のロサンゼルスの光景は、いま世界の各都市に広がり始めているように思える。
 番組では、そのことに関して、「シド・ミードは未来を “予言した” のではない。未来を、“先取り” したのだ」と伝える。
 
 
悪夢のような都市デザインは不本意だった

 しかし、彼自身は(前述したように)、このような暗黒の未来を否定的に考えていたことを、番組のインタビューで答えている。
 
 「私にとっての未来都市は、技術革新と人間社会が融合した、光り輝く素晴らしいものなんだ。未来は常にすべての人を幸せにする社会でなければならず、健康で、明るいビジョンによって描かれなければならない」
 それが、彼が本来考えている未来都市の構想だった。
  
 では、そのような理想の明るい未来都市は、いったいどのようなビジュアルを提示するのか。
 
 番組は、『ブレードランナー』から30年経ったシド・ミードが、そのときは実現できなかった “理想の都市像” を実際に描いてもらうという形で進行した。
 題して、「ブレードランナーの世界を創った男 シド・ミードが描く2042年」。
    
   
シド・ミードが描きたかった2042年の未来都市
 
 日本のテレビ局からの依頼を引き受けたシド・ミードは、まず下絵から描き始め、それをパソコンデータに取り込み、ディテールの拡大・縮小を繰り返しながら、徐々に形を整えていった。
 
▼ 制作中のシド・ミード

  
 意外に思ったのは、かなり手描きの要素が採り入れられていたことだった。
 コンピューターに取り込まれた都市風景の輪郭を元に、彼はポスターカラーなどを使いながら “絵画” として筆を進めていったのだ。
 
▼ コンピューターからの画像を取り出して、そこに筆で色を重ねていく

 
 番組の最後に、そうして出来上がった “理想の未来都市” が登場した。
 
▼ シド・ミードの “理想の未来都市”

 
 しばらく眺めていたが、「何かが違う」と思った。
 造形力は、相変わらず素晴らしいものであったが、『ブレードランナー』のディストピアを描いたときのような迫力に乏しい。
 言ってしまえば、新しく描かれたのは、映画『ブレードランナー』で登場した高層ビルの上に住むセレブたちだけの世界のように思えた。

 彼が新しく描いた未来都市には、猥雑さも不気味さも影を潜めた代わりに、アートがなかった。
 それは、工業デザイナーが、政府の都市設計課とか大手建築会社といったクライアントの要請を受けて制作した未来都市のパースに過ぎなかった。
 
 
人間は「地獄の造形」に魅せられる?
 
 古来より、多くの芸術家が、「天国」と「地獄」を描いてきた。
 「天国」は、どのような芸術家が描こうとも、基本的に似かよったビジョンでまとめられてしまう。
 それに対し、「地獄」の描写は作者たちによってみな異なる。作家たちが、自ら湧いてくる想像力の恐ろしさに震えながら描いているような迫力が溢れてくる。
 
 人間の想像力は、「平和」や「健康」、「調和」などからは羽ばたかないものなのかもしれない。
 むしろ、その「平和」や「調和」が破られることへの不安から、人間は精神を緊張させ、想像力を働かせる。
 シド・ミードも、「仕事」として割り切って造形した悪夢の未来都市の方が、アーチストとしての想像力をかき立てられたのではなかったか。
 
▼ 『ブレードランナー1』の未来都市

  
 このほど作られる『ブレードランナー2』が、1作目と同じようなイメージを保てるかどうかは、シド・ミードのようなビジュアルがどれだけ再現できるかに関わってくる。
 
 もちろん、1作目のイメージを踏襲しなければならないという理由はない。
 新しいビジュアルに挑戦しないかぎり、アートの未来はない。

 ただ、二度と『ブレードランナー1』のような映画は撮れないに違いないと思うのだ。
 なぜなら、監督のリドリー・スコットも、ビジュアルデザインを手がけたシド・ミードも、ともに望んでいたものとは別のものを作りあげてしまい、それがゆえに、逆に「偶然の傑作」が生まれてしまったのだから。
  
 
参考記事 「退屈な天国、楽しい地獄(ボッシュの絵画)」
  
関連記事 「ブレードランナーの未来世紀」
 
関連記事 「レプリカントの命(ブレードランナー論序説)」
 
 

カテゴリー: アート, 映画&本   パーマリンク

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