美容整形の物悲しさ

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老年になったときの美容整形の顔は人間の顔か?
シネマ漂流(映画感想記) No.10
『へスタースケルター』
 
  
 「きれいになりたい」という個人の願望をいちばん手っ取り早く満たすものとして、美容整形手術はかなり浸透している。
 この手術を受ける人はどこの国にも万遍なく存在する。
 一番多いのは、アメリカ人(311万人)だという。
 以下、ブラジル人(145万人)、中国人(105万人)、インド人、日本人、メキシコ人、韓国人、ドイツ人、トルコ人、イタリア人と続く(2014年データ)。

 以上の順位は、美容整形手術を受けた人の総数を計測したものだから、当然、人口の多い国が上位に上がる。

 この順位を、1,000人のうち何人受けたかという率で換算してみると、やはり “整形手術大国” のウワサどおり韓国がトップに上がり、同国では1,000人のうちの約13人が整形手術を受けていることになるらしい。
 韓国で美容整形が盛んなのは、容姿が良くないと進学や就職に不利になる傾向が強いからだとされている。

 確かに、美人であれば得することが多いだろう。
 韓国社会でなくても、容姿が美形であるならば社会的評価も甘くなって、人よりも有利な立場に立つこともあるだろうし、何よりも異性にチヤホヤされる満足感が得られる。

 しかし、いちばん大きいのは、「美しくなった」という本人の自己満足が、何モノにも代えがたいほど重要なものだという。
 そのために、美容整形のために3,000万円~4.000万円費やすこともザラではないとも。

 人に迷惑をかけることのない自己満足ならば、誰がそれを揶揄(やゆ)することができよう。
 それで本人の幸せが得られるのなら、他人が何かを言い出す筋合いではない。
 
 
 しかし、美容整形された顔は、年をとってくると悲惨である。
 最近、昭和の中頃に活躍した歌手たちが懐メロを歌うテレビ番組が増えたが、若い頃に整形手術したと思われる人たちの顔があまりにも “痛くて”、見るに堪えない思いにかられることが多い。

 若いうちはいいのだが、60歳を超え、さらに70歳以上になってくると、手術を繰り返してきた人は、一目で分かる。
 老け方が、自然ではないのだ。
 年老いて肌の色つやが失われ、顔全体にシワが広がり始めたというのに、人工的に誇張された目の大きさや鼻の高さだけが原型を保っているため、夏草に覆われた荒野にたたずむ廃墟を見るような気分になってくる。

 そのようなことをあらかじめ分かっていても、それでも「美しくなりたい」というのは、人間の性(さが)なのだろうか。
 人によっては、「年とったときなどどうでもいい ! 今この現在、私は美しくなりたい !」と強く思う人もいるだろう。

 その代償は、年をとったときに大きなものとして感じられるようになるだろうが、若いということは、「年を取ったときの自分を想像できないところにある」のだから、それを若い人に言っても無理である。

 ただ、これだけは言えると思うのだ。
 人間の顔は、二つの要素で構成されている。
 一つが「骨格」。
 そしてもう一つが「表情」。

 このうち、骨格の方は死ぬまでほとんど変わらないが、表情は年齢とともに変化する。
 なぜなら、「表情」とは、その人間の精神の歴史が刻まれたものであるからだ。
 豊かな精神生活を送ってきた人の表情は、たとえシワが深くなろうとも、肌の色つやが衰えようとも、その内面の輝きに支えられて、自然の美しさを維持している。

 しかし、美容整形手術は、その “精神の歩み” を止めてしまう。
 その人が手術後に、どんなに豊かな精神生活を送ろうとも、もう顔にはそれが反映されないのだ。骨格だけは、若いときの美しさを保ちながら、その顔からは「成熟」が抜け落ちてしまう。

 人の顔には、さまざまな体験や学習を通じて習得された叡智(えいち)というものが滲み出る。負の人生ばかり背負ってきたと言われる人でも、晩年の顔には、それなりの苦悩や後悔を通じて獲得された “凄味” のようなものが浮かび上がる。
 が、美容整形された顔には、年輪を刻んだたときに表れる「精神の歩み」の痕跡が残らない。
 つまり、それは「生活している人間」の顔ではなくなるということだ。

 
 昔、岡崎京子の漫画を実写化した蜷川実花監督の『ヘルタースケルター』(2012年公開)という映画があった。

 全身美容によって全く別人に生まれ変わった(とんでもないブスの)女の子(沢尻エリカ)が、人気ファッションモデルとなって芸能界の寵児に登りつめるのだが、極端な美容整形の副作用によって、身体のあちこちに変調をきたし、最後は精神も錯乱して自滅していくという話だった。

 いま思い出すと、この映画は、美容整形手術によって、人間が「人間ではない何か」になっていく過程を捉えた映画として、象徴的な意味を持っていたように思う。

 全身整形で身体そのものを改造したヒロインは、自分のオリジナルの肉体を持たない。
 そのため、ヒロインは、何かを確認するかのように、ことあるごとく鏡を見つめる。
 スタジオ内につくられたメイク室の中にある鏡。
 自分の部屋に設けられた巨大な鏡。
 沢尻エリカという役者のそのものよりも、むしろ鏡に写された沢尻の顔を映した時間の方が長いくらいだ。

 しかし、鏡というものは、それを覗いた人間の素顔をけっして伝えない。
 そこに写るのは、左右が逆になった、まやかしの自己像にすぎない。

 ヒロインは、鏡を見ながら思う。
 「今の自分はまだ美しい」
 「しかし、この美しさをいつまで保っていられるのだろうか」
 「そして、他人も同じように美しいと思ってくれるだろうか」
 「そもそも、鏡に写っているのは、いったい誰なんだろう」 

 整形前の自分の顔を記憶しているヒロインには、鏡に写っている今の自分がほんとうの自分であるという実感がわかない。

 そのような不安定なヒロインの気持ちを代弁するアイテムとして、「鏡」 は確かに映画のテーマを解く手がかりとして雄弁に機能していた。

 また、ヒロインはCM撮りやら雑誌取材などで、カメラが迫ってくるとき以外は、どこにいてもタバコを吸っている。
 このタバコもまた、彼女の気持ちを表す効果的なアイテムとして使われていた。

 タバコの煙は、吸う人間の身を隠す “煙幕” だ。
 タバコを吸う人間は、無意識のうちに、自分の本心を煙によって人から隠そうとしているのだ。
 だから、ヒロインがひたすらタバコを吸うシーンは、彼女が他者に対して、本当の自分をさらけ出すことに不安を感じていることを暗示している。

 「タバコ」と「鏡」。
 小道具選びは完璧だ。
 その二つの小道具は “偽りの美” を手に入れたヒロインが、いつかは真実に復讐されることを恐れている状況を伝えていた。

 今の日本人女性の70%近くは、機会があれば自分も美容整形手術をしてみたいと思っているというデータがあるそうだ。
 それだけ、顔の造作を変えることに抵抗を持たない人が増えてきたということなのだろう。
 もちろん(先にも言ったが)、その人の成長が、整形手術した段階で止まるなら、それでもいい。

 だが、人間の「顔」は、時間の流れとともに、常に絶え間なく変化していく。今こうしている間にも、1秒前の顔は存在しない。
 そのように、刻々と “上書き” されていく顔を、ある年齢のまま凍結させてしまったら、どういうことになるのか。
 たぶんその人は、老いたときに、変化のダイナミズムを失った「仮面のように凍り付いた顔」を鏡で覗くことになるのだろう。

 『ヘルタースケルター』という映画は、その事実を知ってしまった人間の「苦悩」と「憂鬱」を描いていた。
 最後はヒロインの開き直りともとれるようなエンディングを迎える。
 その開き直りの凄まじさがテーマでもあるわけだが、それは悲劇の頂点でもあるという話だった。
 
 

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美容整形の物悲しさ への5件のコメント

  1. 木挽町 より:

    「表情」とは、その人間の精神の歴史が刻まれたものであるからだ。豊かな精神生活を送ってきた人の表情は、たとえシワが深くなろうとも、肌の色つやが衰えようとも、その内面の輝きに支えられて、自然の美しさを維持している。

    ですよね~。「かわいいおばあちゃん」や「かわいいおじいちゃん」って結構いらっしゃいますよね。なにより心が平安な生活をしているってのが顔に出てるような。まあ、逆に見るからにこりゃダメだっ哀れだっておじいちゃんおばあちゃんもいますけどね。

    • ようこ より:

      ドキッ
      私、こりゃダメだの分類に入りそう >__<。
      ところで、木挽町さんはもうリタイアされたのですか?

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      いやぁ、ほんとうですよね。
      木挽町さんのおっしゃっているとおり、「かわいいおばあちゃん」、「かわいいおじいちゃん」って、確かにいっぱいいらっしゃいます。
      で、「かわいいおばあちゃん」ってのは、そこはかとない色気すらありますよね。
      70歳ぐらいになっても、80歳を超えても。

      それは、やはり “いい歳の取り方” をしてきたからでしょうね。
      魅力というのは、やはり自然に滲み出てくるものなのでしょうね。
       

  2. ようこ より:

    町田さん おはよ~う

    ハアア 人の顔は『骨格と表情』なのですね
    私は筋肉と脂肪と皮ばかりにこだわっていました 笑)
    町田さんだけに、こっそり打ち明ける体験話。

    若い頃は美人でなくとも、肌に耀きや張りがあって
    時には アラッ今朝はけっこういけてるじゃん、なんて
    思う事もありましたが。

    結婚し、出産し、子育て、学資や家のローンの返済と
    嵐のように過ぎていった四半世紀、気づけば
    白髪混じりの髪になり、顎の輪郭は波をうっていた。

    洗顔をして顔を上げた時に、一瞬ギョッとしていた頃は
    まだよかったのですよ、それを受け容れ諦めなければ
    ならなくなった時があがきタイムです。

    すでに人格は形成されているし、これ以上に精神の
    熟成があるとは考えられない私は、残りの人生を
    良い気分で過ごしたいと思った。

    顔にメスを入れるのはちょっと怖い、でも何とかしたい
    整形美容術も日々進化していて施術法もいろいろ
    で、 やりましたよ~還暦祝いに ヒアルロン酸挿入を!!!

    氷で局部を冷やす、これは痛みの緩和でピアスをした時も
    そうだったのですが赤くなって感覚のなくなった処に
    注射針をさし溶液を入れる。

    それはゼリー状なので医師が指をつかって平均にのばす
    少し痛いといえば痛かった、でもミリCC単位の液ですから
    処方は10分程度でおわりました。

    手渡された鏡を覗いた時は期待度は100%、でも…
    ナンダコレッでした。 それはそうですよねえ60年間も
    蓄積された皺ですもの、馬鹿なすけべ根性を出したものです。

    数日で腫れがひきますので、後二回程しましょうと云う
    半年も悩んだあげくに、一大決心をして大枚を払って
    これかと思うと自分に腹がたつやらなにやら 笑)

    結果は深い皺のラインが2、3割がた薄くなったかなあ
    でもヒアルロン酸は5ヶ月くらいで体内に吸収され元に戻ります
    それ以来憑き物が落ちたので、それはそれでよかったのです。

    • 町田 より:

      >ようこ さん、ようこそ
      ヒアルロン酸の注入、いいじゃないですか。
      “プチ整形” というのでしょうか。いわば日常的なお化粧の延長線にあるちょっとした美容上の工夫ですよね。

      その程度の美容上の工夫は、いま日本の中高年の女性の間ですごく流行っているようですよ。テレビなどでも、アンチエイジング商品がサプリメントやらウィッグ、美容液に至るまでどんどんCM化されています。今はそういう情報が何でもオープンになりましたね。

      やはり、いくつになっても、美しい女性に男は弱いです。
      その美しさを維持するささやかな方法として、プチ整形も大いに有効であるように思います。

      ただ、この前テレビを見ていたら、あまりにも自分の顔の原型を無視した仮面のような美容整形を施した女性たちがいっぱい出てきて、ちょっと暗たんたる気持ちになりました。
      「今はよくても、年をとったらどうするんだろう?」
      という感じでしたかね。
      美しくはなっても、そういう人工的な顔には「可愛さ」がないと感じがしました。
      「可愛さ」って、自然な筋肉の動きからしか出ないように思います。

      ま、美容整形した自分に満足していた女性たちにとっては、余計なお世話かもしれませんけれどね。
       

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