シン・ゴジラのシルエットに日本型美学を見る

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地上に落ちた神の影
シネマ漂流(映画感想記)No.10
『シン・ゴジラ』
 
 

 『シン・ゴジラ』を観に行く。
 そのために、酸素ボンベをかついで、はじめて電車に乗った。
 
 電車の中や道路が混んでいると、ボンベがときどき人にぶつかる。
 無性に腹が立つ。

 ボンベに当たった人に対してではない。
 ボンベを引っ張って街を歩くような、そんな面倒くさい生活を強いられている現在の自分に対して腹が立つ。

 「肺血栓 塞栓性 肺高血圧症」
 なかなかやっかいな病気である。
 
 
 『シン・ゴジラ』の上映館に入る前に、昼食のために崎陽軒のポケットシューマイ(6個入り)とピーナツバターのランチパックをコンビニで買ったのだけれど、映画館に入って案内を見ると、建物内のフードコーナーで買った食べ物でないかぎり、場内にまでは持ち込めないという。
 また、腹が立った。
 
 少し時間があったので、パンフレットを買おうと思い、売店に寄った。
 お昼を過ぎたばかりなのに、すでに売り切れだという。
 また、腹が立った。
 老人は、脳細胞が縮小気味になるので、とかくキレやすいのだ。

 ウィークデーに『シン・ゴジラ』を観に来る客というのは、いったいどんな人たちなのだろう。

 夏休み中ということもあり、学生風の若者が多い。
 それとは対照的に、定年退職した感じのシニア男性も目立つ。
 若者様ご一行は、たぶん『エヴァンゲリオン』経由で監督の庵野秀明を知ったのだろう。
 一方のご老人族は、初代ゴジラ(1954年)以来の “ゴジラファン” といった感じだ。

 さて、『シン・ゴジラ』( ↑ )。
 シンとは、「新」だとも、「真」だとも、「神」だともいわれている。
 ゴジラ映画としては、通算29作とか。

 1954年。
 初代ゴジラが誕生したとき、私は4歳だった。
 だから、リアルタイムではこの映画を観ていない。
 ただ、この初代ゴジラはたいへんな評判になり、たちまち絵本や漫画はおろか、メンコ、すごろく、カルタなどの当時の子供用玩具の一大テーマとして市場にあふれた。

 私も親にカルタを買ってもらった。
 はじめて見るゴジラの姿は怖かった。
 怖いが魅せられた。

▼ ゴジラカルタ

 映画『初代ゴジラ』こそ観なかったが、2作目の『ゴジラの逆襲』(敵役としてアンギラスが出る)は観に行った。
 怪獣映画の大ファンとなった。

 『空の大怪獣ラドン』
 『モスラ』
 『地球防衛軍』(モゲラという怪獣型ロボットが出る)
 50年代の怪獣映画はほんとうに面白かった。

 ゴジラファンであった私だが、歴史的な記念作ともいえる『初代ゴジラ』を観たのは、実はつい最近なのである。
 2009年に、書店で『東宝特撮映画 DVD コレクション』(990円)というのを購入し、制作されてから55年経って、ようやく『初代ゴジラ』を観ることができた。

▼ 『初代ゴジラ』ポスター

 圧倒された。
 映像表現としては、最近の巧妙なCGによって造形される怪獣映画やSF映画などとは比べようもないほど稚拙。
 なのに、ゴジラの放つ存在感は、それ以降のどんなゴジラ映画よりも際立っていた。

 ゴジラという生物はいったい何なのか。
 『初代ゴジラ』においては、たぶんスタッフたちも、そして役者たちも、撮影が始まってから、ようやくゴジラのケタ外れのスケール感に気づいたのだ。
 だから、ゴジラの存在に圧倒された役者たちの表情は、もう演技ではない。
 あれは、ホンモノを観てしまった者たちだけが見せる怯えの表情だった。
 
 
 さて、それから約60年経って登場した、この『シン・ゴジラ』。
 存在感でいえば、ゴジラ映画の最高傑作といえる初代『ゴジラ』をあっさりと抜いた。

 最新のCG技術によって作り出されたゴジラ像は、とにかく緻密。
 そして、リアル。
 映画には臭いというものがないのに、まるで深海から上がった海洋生物の腐臭が漂ってきそうなほど、リアルなのだ。

 それでいて、ゴジラがいったい何のか。
 観客にはなかなかその謎が明かされない。

 「深海から浮上してきた巨大海洋生物」

 与えられたインフォメーションはそれだけ。
 観客がゴジラの正体を知りたいと思っても、映画に登場する研究チームの調査発表を待つしかないのだ。
  
 話が進むにつれ、少しずつゴジラの秘密が解けていく。
 それは、体内に核エネルギーを取り込んで生き延びるという、これまでの地球には存在したこともない新しい生命体だった。

▼ 最新兵器を駆使した自衛隊の攻撃にもびくともせず、鎌倉に上陸したゴジラは多摩川を越える

 正体が明らかになってから、ゴジラが放つ光彩がより一層明るさを増す。
 ただの “巨大生物” から、次第に “地上に落ちた神の影” へと、ゴジラは黙示録的な聖性を帯びていく。

 なによりも美しいのは、そのフォルムである。
 歴代ゴジラのなかでも、このシン・ゴジラのシルエットは最高のフィルムを獲得している。

 特徴的なのは、ティラノザウルス風の短い前足。
 この小ぶりの前足のために、上半身を細目に絞ることが可能になり、安定した二等辺三角形のフォルムが生まれるようになった。
 それこそ着ぐるみではなく、CGで造形したことのメリットがもっとも生かされた部分といえるだろう。
 

 
 それにしても、ゴジラの造形には、なにやら日本的な美学が感じられる。
 シン・ゴジラのフォルムの美しさは、戦艦長門や大和などに代表される日本型戦闘艦のフォルムにも似ているのだ。
 長門などには、「パゴダマスト」とも呼ばれる重厚に積み重なった独特の艦橋が配置されていたが、(実戦的効果はともかく)、そこには日本型戦艦だけが持つ独特の美学があった。

▼ 戦艦大和

▼ 長門の “パゴダマスト”

 海を横切って上陸するゴジラ(↑)は、まさに、現代によみがえった日本型戦艦そのものである。
 このフォルムの美しさは、やはり2014年のハリウッド製『ゴジラ』には見られなかったものだ。

▼ ハリウッド製ゴジラ。ずんぐりむっくりしている。日本のゴジラがスマートな「ゼロ戦」フォルムだとしたら、ハリウッド製ゴジラは、ぼっこりした「グラマン・ヘルキャット」だ

  
 さらにいえば、シン・ゴジラのシルエットは、伝統的な日本の城塞建築にも通底している。
 階上に行けば行くほど、スリムにそそり立つ天守閣。
 その細身の天守閣を堂々と支える “たくましい下肢” を思わせる基底部の石垣。
 シン・ゴジラは日本の美そのものだ。


 
 とにかく映像的な迫力では、2016年の『シン・ゴジラ』はこれまでのゴジラシリーズの最高峰であるかもしれない。

 しかし、あの記念碑的な『初代ゴジラ』(1954年)と比べると、何かが足りない。
 それは何だろう?

 『シン・ゴジラ』には、『初代ゴジラ』にはないリアルさもある。
 存在感もある。
 造形的にも美しい。

 ないのは、不条理感である。

 「わぁ、この世にこんなことがあってよいものかぁ !? 」
 というような、頭が混乱して、思考停止を招くような不条理感が、この『シン・ゴジラ』には欠けている。

 だからスクリーンの中で、ゴジラが重量級の猛威をふるっていても、そこにあるのは、予定調和の「破壊」と「恐怖」と「喪失感」にすぎない。

 たぶん制作者側が、ゴジラの暴虐に対し、東日本大震災のアナロジーや、核開発への警告といったメッセージを匂わせたかったからだろう。
 その分、理屈の部分が勝ってしまって、不条理感は後退した。 
 
 ただ、そのことによって、ストーリーは面白くなった。
 ゴジラ対策本部で活躍する政治家、官僚、技術者に、いずれも練達の役者を配しただけあって、政治ドラマとしてはなかなか見応えがあった。

 肺高血圧症で、自宅療養を続けてきた夏休み。
 その最後をゴジラ映画でしめくくって、私の夏も終わり。 

参考記事 「ゴジラの降臨」
 
 

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シン・ゴジラのシルエットに日本型美学を見る への4件のコメント

  1. よしひこ より:

    「シン・ゴジラ」。最初あんまり観る気がしなかったんですよね。だって「エヴァンゲリオン」の庵野だし。キモチワルイ出来になってるんじゃないか。実際、新ゴジラのビジュアルは自分には気持ち悪かったし。
    ところが興行収入・評価共に良いという話を聞いて、いちおう見ておきますか、という感じで見たら、意外と面白かった。というか凄い映画だなと。とにかく演出テンポが良い。そしてフルCGのゴジラ。自衛隊との戦いもとにかくリアル。もう映画って、何でもCGで出来ちゃう時代なんだなあと。
    誰もが感じると思いますが、この映画はまさに「3.11」後のゴジラ映画なのだと。最初のゴジラ(昭29)はまさに原水爆、戦争の記憶を背負った怪獣。その30年後に復活したゴジラ(昭59)も、冷戦終盤の核戦争勃発の恐れを背景としており、いずれにしても核兵器と重なる大怪獣のイメージでした。ところが「シン・ゴジラ」がイメージさせるものは、制御不能状態の原子力発電所。最後のクライマックスであるゴジラ凍結作戦の場面も、福島原発事故の際の原子炉を冷やすための必死の放水作業が思い起こされます。「3.11」という未曽有の災害の経験の後に登場した「シン・ゴジラ」は、ゴジラの体現するものを「原爆・戦争」から「原発・災害」に転換してみせたのだと思われます。同時に危機に立ち向かう日本人の組織的な努力を描くことで、単なる怪獣映画を超えたリアリティを獲得しているようです。
    「シン・ゴジラ」は公開1ヵ月で観客360万人を動員、興行収入は50億円超とのこと。この現象そのものが、日本人の「危機」に対する意識や感覚が、かつてよりも鋭敏になっていることを示している、ような気がします。

    • 町田 より:

      >よしひこ さん、ようこそ
      『シン・ゴジラ』に対するよしひこさんの感想、まったく同感でした。
      CGがリアルであるということも含め、ゴジラに妙な存在感がありました。

      そして、よしひこさんが感じられたように、この映画が「3・11」として我々が記憶することになった、あの未曽有の大災害のアナロジーになっているということも理解できました。
      そういった意味で、「原爆・戦争」から「原発・災害」への転換であるというよしひこさんの洞察には説得力を感じます。

      それと、ストーリー展開上の米政府とのやり取りを通じ、この映画が日米同盟やら日米安保体制への批評になっているということも面白いところでした。

      もしかしたら、シン・ゴジラというのは、アメリカ軍にとって制御不能になった “危険な日本” そのものであったのかもしれませんね。
      だからこそ、早期のうちに核攻撃で破壊してしまわねばならない。
      そういう日米安保の深層に隠れたアメリカの意図も、ひょっとしてこの映画は暴いたのかも。
       

  2. 増えるメール より:

     町田様、こんにちは。ゼロ戦とヘルキャットの例え、すごくわかりやすかったです。
     日米ゴジラの違いは町田様の文章に触れるまで、意識したことはありませんでした。これを機に、見てみようかな、と思いました。それと、初代ゴジラ。DVDコレクションがまだ本屋に平積みされていました。これも買ってみようかと。
     日本型戦闘艦、確かに美しいですね。高雄の艦橋もモダンな感じで好きですけど。

    • 町田 より:

      >増えるメールさん、ようこそ
      『シン・ゴジラ』の拙稿に過分なご評価をいただいたようで、恐縮しております。
      ありがとうございました。

      確かに、蒸気機関車のようなものから戦闘機、戦闘艦に至るまで、日本の工業製品には、昔から欧米とは異なる日本型デザインというものがありますよね。
      特に、兵器などというのは実用性最優先のはずなのに、ゼロ戦とか大和・長門のような戦艦などには、日本独特の美学があるような感じがします。大和などのフォルムを見ていると、どこか日本刀の反りに近いようなラインを感じます。
      今度のシン・ゴジラにも、そんなものに近いものを感じました。
       

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