小池百合子は名知事になるか?

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 「肺血栓症」の外来診察をすませ、医師の用意した処方箋を携えて、病院前の薬局に行ったときのことだった。

 この時期、患者が多いのか、薬を待っている客が多い。
 私が服用する薬は、エリキュース、アデンパス、オプスミットという三つで、中には1錠が1万4,594円というものがある。
 だから、その3薬を1ヵ月分飲むだけで、軽く20万円を超えてしまう。
 
 薬が高いのは製造量が少ないためであるが、それだけに、在庫の中から探し出してくるのにそんなに時間を要するものではない。
 それでも順番待ちで、30分ほどかかるという。

 店内のベンチも混んでいたが、空いているスペースを探し出し、呼び出されるまで待つことにした。

 そのとき、
 「テレビで何を話しているんでしょうね?」
 と、隣にいた白髪の老女に声をかけられた。

 私たちの据わっているベンチの正面に置かれたテレビからは、東京都知事の小池百合子が昼のトーク番組でしゃべっていた。

 話しかけてきた老女は、年のころ80歳ぐらい。
 上品な顔立ちの人で、若い頃は美人といわれたこともあったに違いない。

 「急に話しかけてごめんなさい」
 と老女はいう。
 「耳が遠くなってしまって、テレビの内容が聞き取れない」
 というのだ。  
 
 「都庁の会議で、都連の人たちとモメている、という話らしいですよ」
 と、私はテレビの内容を推測して、そう教えた。
 テレビから流れ出る会話は、私にもよく聞き取れなかった。
 それは、音量のボリュームが絞り込まれていたためであった。

 「まぁ、じゃ小池さんを応援しなきゃ」
 と老女はいう。
 「ほんとうに、小池さんが(都知事に)なって良かったですねぇ」
 と彼女は、親しげに同意を求めてくる。

 私は、小池百合子という政治家のキャラクターが好きになれなくて、前の都知事選のときも別の候補者に投票したのだが、そういうことは伏せて、
 「小池さん、頑張ってますね」
 と、老女の意見にうなづいた。

 「前の都知事さん、あれはひどかったですものねぇ」
 と老女の語調が勢いを増す。
 「都民のために何も良いことはせずに、お金だけ持ち逃げしてしまったでしょ?」
 「 … ええ、まぁ ……」
 あまりそういうことに相槌を打ちたくないのだが、成り行き上逆らえない。

 「前の知事さんは、都民のお金で自分の家を豪華にして、美術品も買い占めて、公用車にも乗り放題で、辞めても退職金だって返さないんでしょ? そういうことを誰も追求しないんでしょうかね。あれでいいんでしょうか?」

 …… と問われても、私には答えようがない。
 せいぜい、「困ったもんですね」と反応するのが関の山。

 すると、“世の正義は我にあり” と思い込んだそのおばあさんは、
 「誰かが、あの人を殺しちゃえばいいのに」
 はっきりした口調で、そう言ったのだ。

 私は、その虫も殺さないような優しい笑顔を浮かべている老女の顔を、口をあんぐり開けたまま見守った。
 上品な笑顔であったが、冗談の笑い方ではなかった。
 前の都知事に対し、心底(殺意に近い)憎しみを持っている気配が伝わってきた。

 話題を変えようと思い、新しくスタートした小池都政について話に戻そうとしたところで、薬の受付カウンターから私の名が呼ばれた。

 立ち上がった私に、老女はなんともいわれぬ優しい顔で、
 「ありがとうございました」
 と、つかの間の話し相手になってくれたことを謝した。
 
 
 薬を手にし、薬局の外に出ながら、
 「民主主義というのは、こういうふうにして成り立っているんだな … 」
 と思った。

 1票の重みというのは、それこそ「殺しちぇばいい」という殺意の重みでもあるのかもしれない。
 老女は、前都知事に対する激しい殺意を、かろうじて投票用紙の1票に変えて、「都議会の刷新」を訴えた小池百合子に投じたのだろう。
 それはすごく常識的で健全なことで、テロが当たり前になっているような社会では、こうはいかない。

 しかし、“民意” というものも、はなはだ心もとないものだ、とも思った。
 政治が、有権者たちの私的な憎悪や好感度だけで動いている。

 憎悪や好感度の元になっているのは、人々の表層的な思い込みである。
 現に私が、小池都知事に対し、「あのキャラクターが嫌いだ」というような、きわめて感情的な反応を示している。

 私はどうしても、都民の注目を集めることだけに異様な情熱を注ぎこんでいる小池氏の計算が気に入らない。
 「劇場型政治」をもくろむパフォーマンス重視の政策だと思ってしまう。  

 しかし、同じことが、小池氏に票を投じた都民たちから見ると、「やる気」に見えたり、「熱意」に見えたり、「誠実さ」に見えたりするのだろう。

 

 私は、小池氏のしたたかさな計算ぶりにうんざりしているのだが、テレビを見ても、ネットを見ても、小池氏に対する評価は非常に高い。
 世論が彼女に味方しているということもよく分かる。

 だけど、彼女って、なんか自分の売り込み方がきつ過ぎるように思わない?
 都政が抱えている課題の核心を衝いてくるというよりも、マスコミが話題として取り上げやすいテーマを選んでいるという感じしないでもない。

 「問題を解決する政治」よりも「見せる政治」。

 そう割り切って観察すると、確かに小池氏の政治パフォーマンスは、ドラマ以上に面白い。 
 とにかく、自分の政策をアピールする際に、徹底的に “悪役・抵抗勢力” を作り出して、「対決姿勢」を演出する。そういう小泉純一郎以来の政治手法は、けっこう我々をワクワクさせてくれる。

 “小泉劇場” のときは本当に面白くて、あのときは私も熱中したけれど、いま振り返ってみると、見事に乗せられていたことが分かる。
 小池氏の手法には、まったく同じものを感じる。

 彼女にとって、「政治はゲーム」。
 野心と自己顕示欲の両方を満たす格好のゲームなのだろう。
 (それはそれで、政治家の資質として必要なものだともいえるのだが … )

 彼女の都知事としての実力は未知数で、もしかしたら歴史に残る偉業を成し遂げ、10年後ぐらいには「名知事」といわれるようになっているかもしれない。
 そうはならない気がするが、都民の一人としては、そうあってほしいとも願っている。
 
 

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