90年代に何が起こっていたのか ?

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あらゆるものが変わっていった1990年代

 「1990年代の後半に、日本はあらゆる面で劇的に変わった」
 
 という井手英策教授(慶応大学)の言葉が、ずっと耳に残っている。

 「96年から97年にかけて、日本社会は劇的に変わった。政治・経済・社会のデータを見ると、驚くほど一斉に変わっている。
 その頃を境に、日本人の意識構造も変わった。僕は日本社会が根本的に変わったのはその時期だと思っている」
 
 2016年 7月18日に放映されたBSフジのトーク番組『プライムニュース』の中で、彼が言い放った言葉だ。

▼ BSフジの「プライムニュース」

 何が、どう変わったというのか?
 井手教授が番組の中で言ったのは、まず日本企業の劇的変質であった。

▼ 井手英策 氏

 「90年代に入り、日本企業はグローバルな経済戦争に巻き込まれ、過酷な競争を強いられて、ひん死の状態にあえぐことになった」
 井手教授は、そう指摘する。

 「つまり、グローバル化の波を受けて、日本企業は世界的なメガ・コンペティション(大競争)を勝ち抜かなければならないという試練を与えられ、どの会社もコストダウンが至上命題となり、人件費を削って、非正規雇用を増やしていく方向にはっきりと舵を切った。
 リストラも横行し、雇用を奪われた人々の悲劇が連鎖して、自殺者の数も24,000人から33,000人に増えた」
 
 
トップランナーだった日本の信じられない凋落

 確かに、1990年代後半は、日本の企業倒産もピークに達し、日本経済はそのままデフレの海に真っ逆さまに墜落していった。
 それまで “一流” の名をほしいままにしていた日本の優良企業も、米国流の格付け評価基準では次々とランクを落とし、日本企業は社会的信用を失ったばかりではなく、日本人全体のプライドまでズタズタにされた。

 いったいこのとき、日本ではどんなことが起こっていたのだろう。

 各種データを見ると、あらゆるものが、その少し前にピークを過ぎていたことを教えてくれる。
 社会学者の小熊英二氏(写真下)は、『社会を変えるには』(2012年)という著作で、次のことを例に挙げた。


 
 国内の新車販売台数は、1996年がピークだった。
 日本全国のガソリンスタンドの数も、1994年がピークだった。
 『少年ジャンプ』は、1995年に653万部の発行部数を記録し、世界最大の漫画雑誌になったが、2008年には278万部に下がった。
 就業者数も、団塊の世代が働き盛りだった97年が労働人口のピークだった。
 雇用者の平均賃金も、97年を上限とすれば、2010年にはその約15%まで低下した。

 このように数値として見る限り、90年代半ばには日本のマーケットがのきなみ縮小していく様子が浮かび上がってくる。
 それに呼応し、労働人口も賃金体系も縮小していく。
 
 
世界の製造業のスタイルが変わった
 
 なぜ、そういうことが起きてきたのか。
 その背景にあるものは、やはりグローバル化である。

 その仕組みは、以下のようなものだ。
 まず、IT 技術の進展により、情報のグローバル化とテクノロジーのグローバル化が結合し、製造業においては国内に大規模な工場を維持する必要がなくなってきた。

 製造業は、発展途上国の工場に、デザイナーが手掛けた精密な図面データをメールで送るだけでよくなった。
 そうすれば、人件費の安い途上国の工場で、そのとおりの製品ができあがってくる。
 それに、ブランドのタグを付けて売る。

 国内の賃金が高くなってきた先進国の製造業は、みなこのように海外の工場と契約を結んでアウトソーシングするか、もしくは工場機能を海外に移転して、コストをおそろしいほど圧縮するコツを会得した。

 デザインも工場機能も、みな外注。
 本国に残る事務職も非正規社員で十分。
 職種によっては、人間が操作していたものをロボットに代行させる。
 社員はどんどん減らして大丈夫。

 当然、失業者が増える。
 仕事があっても、安い賃金しか支払われない仕事しか残っていないので、先進国の労働者たちは、低賃金で働く移民に職を奪われる。
 それでも職を得ようと思えば、今までもらっていた給料よりはさらに低い給料で我慢せざるを得ない。

 こうして、巨大企業の経営者と一般庶民の経済格差は、どんどん広がっていく。
 これがいま世界の先進国で起こっている経済の実態だ。
 アメリカでは、現在もこの傾向が強まっており、それが大統領選のトランプ候補(写真下)の支持につながっている。

 では、世界のグローバル化の発端はどこにあったのか。

 一つは、冷戦構造の崩壊である。
 1989年。
 東西に分け隔てられていたベルリンの壁が壊れた。
 その2年後の1991年には、ソビエト連邦が解体した。

▼ ベルリンの壁の崩壊

 それによって、社会主義圏と自由主義圏に分かれていた二つの経済領域が一気に相互浸透を進め、“世界市場” という一つのリング内で競争する時代が訪れた。


  
 
肉食恐竜たちが牙をむく “ジュラ紀” の復活
 
 冷戦構造の崩壊とは、別な言い方をすれば、冷戦以前の世界の復活である。
 その世界とは、どんな世界か。

 それは、社会主義諸国家が誕生する以前の「弱肉強食」的な資本主義勢力同士の争いが再発する世界にほかならない。
 
 社会主義という対立軸を失った(なぎ倒した)資本主義は、もう社会主義の理念を恐れる必要がなくなった。
 それまで、“経済的な平等”、“貧富の差の廃絶” などを謳って労働者の意識を引きつけてきた社会主義に対し、資本主義側は “自由” や “個人の尊厳” という理念を掲げて対抗してきたが、もうその必要がなくなったのだ。

 資本主義は地球上の勝利者となって、天に向かって咆哮する “恐竜” となり、世界はジュラ紀か白亜紀に戻った。


 
 
アングロサクソン流の経済思想が世界を牛耳る

 この “露骨で野蛮な資本主義” のことを、別名「新自由主義」という。

 新自由主義(ネオ・リベラリズム)とは、80年代に、アメリカのレーガン大統領およびイギリスのサッチャー首相が領導したアングロサクソン流の市場操作のことで、グローバル化を前提とした金融政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などを進めることによって、世界経済をダイナミックにドライブさせようという経済政策を指す。

▼ レーガン大統領&サッチャー首相

 この新自由主義経済においては、あらゆる富が大資本を持つ者に集積し、富をわが手に集中できた大手企業は、弱小企業が太刀打ちできないコストダウンを実現。それによって、商品のロープライス化を促進し、世界マーケットにおけるメガ・コンペティションに乗り出し始めた。
 
 こうして、すべての国において、国境を越えて安価な製品が無限に市場に流れ込んでくる時代が訪れた。
 
 もう商品に「一流」も「二流」もない。
 “コスパ” という一面的な価値観によって、一流のものも低コスト商品と同じレベルで扱われるようになり、「安いことが正義 ‼ 」という風潮が広まるなかで、それまでの “高級品” に付随していた文化的価値も効力を失った。
 こうして、消費社会は拡大の一途をたどりながらも、すべての商品がニヒリズムの影を帯びるようになった。
 
 そのような消費形態は、都市の景観も変えた。
 日本では、1990年代初頭に大店法が規制緩和され、以降、それまでの都市づくりとは異質な建物がどんどん街に広がり始めた。
 それまで郊外に展開していた「ドンキ」や「ユニクロ」といった “コスパ系” 店舗が都心の一等地にも進出。
 

 そういうテナントを取り込んだショッピングモール(写真上)が、どこの駅前にも建つようにり、地方都市の “東京化” が進行していった。
 逆にいえば、それは都市中心部の “郊外化” でもあった。
 
 
都市と田舎の境界が消えた

 「ボーダレス(境界喪失)」
 それが、国境を超えて資本が流動していくグローバル時代を象徴するキーワードになったが、1990年代はこのように、「都市」と「郊外」の境界が日本から消え始めた。

 高速運動を始めた経済活動をサポートするために、物流を担う幹線道路の景観がのきなみ “高速道路化” した。
 国内の主要道路は、おしなべて、「町」でも「田舎」でもない画一的な商業施設や空き地が点在する茫洋とした空間になった。


 
 ボーダレスの空気感は、都市の景観だけではなく、「文化」にも変容をもたらし、人々の意識構造も変えた。
 エンターティメントの世界では、「フィクション」と「ノンフィクション」のボーダーが溶解し、リアリティーを保証する基準が変わった。
 
 コンピューター技術の進歩により、街のゲームコーナーに置かれたゲーム機の画面がみるみるリアルさを増していった。
 自分が狙撃者となって、空中戦や地上戦を楽しむ戦闘ゲームでは、討ち果たした敵兵の命を奪うような実感が得られるようになった。

 それと同じ画面が、1990年代に起こった湾岸戦争でも見られるようになった。
 イラクの軍事拠点を空爆するアメリカ軍の軍事行動は、そのままゲーム機で遊ぶ戦争シミュレーションの画面そのものと化していた。

▼ 戦争ゲーム

 どこまでがホンモノの戦争で、どこまでがゲームか。
 戦闘の現場にでもいないかぎり、人間の意識そのものが、その二つの領域のはざまで揺れるような、頼りないものに変容していく。
 そういう変化は、人々の読む小説にも表れるようになる。
 
 
ホラー小説のブームが意味するもの

 それまで、日本人が娯楽として楽しむ小説の大半は推理小説(および探偵小説)であった。
 その中心を占めたのが、「本格派ミステリー」と呼ばれるもので、推理のロジックを整然とたどっていけば、必ず最後には真犯人にたどりつくという約束事が守られていた。

 しかし、その「本格派ミステリー」が、徐々にホラー小説に侵食されるようになってきたのだ。

 1991年。鈴木光司が『リング』というホラー小説で話題を集め、続編の『らせん』(95年)でさらに大ブレークする。

 96年の「日本ホラー小説大賞」においては、貴志祐介が書いた衝撃的カルトホラー『ISORA』が登場する。
 97年には、桐野夏生がほとんどホラー趣味といってもかまわないほどのグロテスクなクライムノベル『OUT』を書く。

 99年には、現代 “怪談” の極め付けともいえる岩井志摩子の『ぼっけぇ、きょうてぇ』が登場する。
 話題になったホラー小説は次々と映画化され、各メディアを使った大量宣伝によって、「時代の空気」を作っていった。

▼ 『ぼっけぇ、きょうてぇ』表紙

  
 ミステリーとホラーの違いは何か?
 
 ミステリーでは、必ず最後に真犯人が突き止められ、事件の真相が明らかにされる。
 そういった意味では、ミステリーは「解決可能」な世界観に裏打ちされたエンターティメントなのだ。

 しかし、ホラーが突き出したのは「解決不可能性」である。
 事件が勃発しても、それを起こしたのは人間ではない。
 幽霊、怪物、もののけ、性格異常者。
 捕まえても、その正体が分からないか、もしくは捕まえることさえできないものが話のカギを握る。

 そういうホラーが読まれ始めたのは、そこに時代のリアリティーがあったからである。
 日本企業の変質により、多くの労働者が路頭に迷うような時代。
 毎日リストラされたサラリーマンの飛び込みによる「人身事故」が起こり、崩壊した学級では陰惨ないじめが横行し、旦那の不倫や主婦の売春なども珍しいことではなくなった。

 90年代は、まさに政治・経済を筆頭に、社会が、集団が、家庭が、主婦が、子供が、「なんだか分からないもの」へと不気味な変容(怪物化)を遂げていく時代だったのだ。
 
 
異形の現実が、ついにドラマを超える

 その小説やドラマで描かれた惨劇を、ついに “現実” が超えていくことになった。
 1995年。
 その年の1月は、阪神淡路大震災で始まった。
 倒れるはずがないと思われていたものが次々と倒壊。
 現代文明の最先端を行く大都市であっても、ライフラインが寸断されてしまえば、荒涼とした荒野と同じものであることが明るみに出た。 

 続く3月。
 オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件が勃発する。
 その捜査過程で、世の常識を超えた特異な思想に染まる謎の教団の存在が明らかになり、人々の不安をかきたてた。


 
 自然災害と人間による犯罪との違いはあったにせよ、連続して起こった二つの事件は、ともにそれまでの常識ではありえない規模の惨劇として日本人の脳裏に刻み込まれることになった。
 以降、駅や街のゴミ箱は一斉に撤去され、監視カメラが街のあちこちに設置されるようになり、どこか落ち着かない不穏に満ちた空気が日本を閉ざしていった。
 
 
日本人が感じていた「幸福感」が消えた

 NHKのEテレで放映された『ニッポン戦後サブカルチャー史』の講師を務めた劇作家の宮沢章夫は、1990年代のサブカルを扱った最終回(2016年6月19日)の放送で、
 「90年代は、日本人がそれまで維持していた幸福感のようなものが失われた時代だった」
 と語った。

▼ 宮沢章夫 氏

 戦後の日本は、1950年代から60年代の高度成長の時代に経済的な繁栄を謳歌し、常に “右肩上がり” の成長を経験してきた。
 「未来は明るい」
 というのが、日本人の合言葉であり、“明るい希望” を象徴する代表的な国際イベントである「70年大阪万博」において、戦後の繁栄は頂点を極めた。

 80年代に入ってからも、「バブル(泡)」という危うい豊かさでありながら、日本は戦後最大の “カネ余り社会” を実現。誰しもが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の夢に酔いしれた。

 「その多幸感のようなものが、すぅーっと消えていったのが、90年代である」
 と、宮沢はいう。

 その背景には、もちろん企業倒産や人員削減といった社会の不安定さが横たわり、さらには阪神大震災やオウム真理教事件という暗い事件も重なったが、彼は「それらにプラスして、テクノロジーの変化」を要因に挙げた。

 社会不安をもたらす大事件が頻発した1995年。
 実は、この年の年末は “「ウィンドウズ95」フィーバー” で締めくくられたのだ。

 いま思うと不思議な気分になるが、1990年代の初頭においては、まだ人々の通信手段の多くは電話とファックスだったのだ。
 それが、ウィンドウズ95の登場によって、家にも会社にも一気にPCが普及し、人々のコミュニケーション手段がメールへと置き換わっていった。
 
 
身体が “外” に向かって開く時代

 以降ネットやメールを通じて、他の会社の担当者とつながり、友人同士でつながり、後のSNSで当たり前になっていくような、不特定多数の未知の人に情報を発信して、その返信をもらう作業が日常化していく。

 このことに対し、宮沢氏が司会を務める『ニッポンサブカルチャー史Ⅲ』は、“身体が外に向かって開く” という表現を与えた。

 宮沢氏のいう「人間の身体が外に向かって開く」という言葉は、同時に「経済が国境の外に向かって開く」グローバル資本主義と対応している。

 人類はこのとき、身体的にも環境的にも、それまで身を守ってくれた殻をはぎ取られ、無限に広がる外部に放り出されたことになる。

 このような身体が「外に向かって開く」という感覚を人間にもたらしたのは、(前述したように)ネットに代表される新しいコミュニケーションツールの影響もあったが、それと同時に、医療テクノロジーの進歩によって、人間がミュータントとも、サイボーグとも呼べるような新しい「身体」を手に入れたことも大きかった。

▼ 映画『ロボコップ』

 SF映画ではすでにおなじみになった生きた人間のサイボーグ化が、現実生活にも浸透し始めたのだ。
 それは、人類の輝かしい “進歩” でもあったが、同時にそれは、人類がはじめて体験するカオス(混沌)でもあった。

 最新テクノロジーを駆使した肉体改造によって生まれた新しい「私」は、今までの「私」と同じなのか? それとも別物か?

 こういう根源的な不安を抱えてしまう少女の生涯を、漫画という形で世に問うたのが、岡崎京子の『ヘルタースケルター』(1995年)である。

▼ 『ヘルタースケルター』

 主人公は、整形美容手術で全身をつくり直したある種の “人工美女” 。
 そのあまりもの美しさのために、周囲は彼女をトップモデルの地位に祭り上げていくが、本人は、どこまでが本当の自分で、どこまでが人工物なのか見分けがつかなくて思い悩む。

 その漠たる不安が彼女のストレスを増大させ、ついには精神が破綻していくという話だが、『ニッポンサブカルチャー史』の講師を務めた劇作家の宮沢は、この『ヘルタースケルター』をもって、1990年代サブカルチャーの極北とまで言い切る。
 そこには、テクノロジーの進歩によって、人間が新しい不安に接したことの寓話が読み取れるという。
  
 
新自由主義の根底にある「反知性主義」
 
 1990年代というのは、また、世の中から「知性」や「教養」といったものが急速に遠ざけられていく時代でもあった。
 それまでは、まだ知的なものへの関心がローソクの炎のように揺れながら残っていたが、90年代に入ると、一気にそれが吹き消された。

 世の中から「知性に対する尊敬の念」が遠ざけられたのは、「人間」というものの考え方が変わったからである。

 80年代から世界の先進国を覆い始めた新自由主義の思想の根底には、領導者がレーガン/サッチャーという両首脳に代表されるように、アングロサクソン型の人間観が反映されている。
 なかでも、特にアメリカの学問の傾向がそこには強く浸透しているとみてよい。

▼ レーガン大統領&サッチャー首相

  
 アメリカ型の学問スタイルとは何か?

 それは、「人間」を計量分析的な手法で捉える学問である。
 つまり、個々の人間の「内面」とか「精神」に踏み込まず、人間を “群れ” として考え、大まかな傾向によってグループに分けて、数の多さ・少なさで人間のタイプを識別していくような考え方である。

 こういう考え方が主流になると、心理学や精神医学においても、人間の個性や才能はすべてステレオタイプ化された「分類項目」に仕分けられるようになり、人間はただのマーケット分析の対象になっていく。

 確かにそれは、市場規模を広げていくためには好都合の “人間観” であった。

 “知性を拒否する盲目的な大衆”

 それこそが、効率よくスムーズに市場を広げるためには、何よりの特効薬であったからだ。
 
 その段階で、ドイツの哲学も、フランスの芸術も、「19世紀的なパラダイムから脱出できない旧態依然たる思想」というレッテルを貼られることになった。
 アメリカは、経済ブロックとしてのEU に脅威を感じていたから、文化的な潮流としても、ヨーロッパ的な伝統を打ち崩していく必要があったのだ。

 一方ヨーロッパにおいても、一時一世を風靡したフランス現代哲学の影響力が一気に失われるようになった。

 サルトルに始まって、ミシェル・フーコー、デリタ、ドゥールーズらを輩出したフランス哲学は、80年代までは世界の知的シーンを領導したが、それはアメリカとソ連が対立した冷戦時代に、そのどちらの世界観にも与さない “第3極” を目指すというスタンスが新鮮だったからだ。


 
 しかし、そのフランス哲学の潮流も、冷戦が終結し、世界の2極構造が崩壊していく過程で目指すべき3極目を失い、沈黙していった。
 
 
頭を使わない映画ばかりになったハリウッド

 こうして、アメリカ流の新自由主義思想がグローバル経済の担い手となるやいなや、先進国の文化はのきなみ “反知性主義” の色合いを強めていった。
 
 それは学問領域だけでなく、娯楽の領域にまで及び、ハリウッド映画では、知性をまったく必要としないアクションシーンだけが連続する作品が高収益をあげるような風潮が生まれた。
 
 そういう新自由主義の文化傾向は1990年代の日本でも広まった。 
 むしろ、日本の場合は、ヨーロッパなどに比べて反知性主義の浸透がスムーズだったといえる。

 それは、1980年代に、日本が未曽有のバブル景気を迎えたからだ。
 金を派手に使って遊ぶことを覚えた文化に、知性は育たない。

 知性というのは、「本を読む」「師との対話を続ける」など、わりと地道な作業を通じてしか身に付かないものだ。
 しかし、バブル狂乱のなかでは、そのようなコツコツした作業を積み重ねることは「野暮ったいもの」として遠ざけられていった。 
 その風潮は、そのまま1990年代に受け継がれた。 
 
 
 あれから、20年。
 現在の社会現象、文化潮流を考えると、1990年代の日本に堆積した “負の遺産” のようなものが、いまだに払しょくされていないように思う。

 しかし、いくつかの分野においては、あの時代には見えなかった希望のようなものが見えてきているのも事実だ。
 将来の希望を、もっと可視化させるためにも、多くの日本人が鮮明な記憶を保持している1990年代の本当の姿を検証していくことが必要になっていくだろう。
  
 

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90年代に何が起こっていたのか ? への4件のコメント

  1. よしひこ より:

    政治経済文化社会、もう多岐にわたって言及されているので「お腹いっぱい」になりますが、90年代のバブル崩壊、デフレの中で感じたことを自分も一つ言うと、もう高度経済成長時代のライフスタイルはできないな、ということでした。男は働き手、女は専業主婦、子供二人、ローンを組んで住宅取得。これができるのはかなり恵まれた人になるだろうと。今や共働き、非婚化、少子化が当たり前の環境となりました。

    ところで、自分はいま証券会社のサラリーマンなのですが、実は30年前に3年半程、小さな出版社にいました。花形である編集。ではなくて、販売・在庫管理事務でした。取次や書店や生協や印刷所や製本所との連絡係ですね。このエントリの「現代フランス哲学」の画像の本(カバー)は、その出版社「新曜社」の本ですね。「ワードマップ」というシリーズの中の一冊です。偶々だと思いますが、何か奇遇だな~と思ったので言及しました。

    • 町田 より:

      >よしひこ さん、ようこそ
      確かに、内容的に詰め込み過ぎましたね、この記事(笑)。
      一つの現象を綴っていると、あれもこれもと思い浮かんできて収拾がつかなくなりました。
      それでも、最後までお読みいただいたようで、本当にありがとうございます。

      バブル崩壊から長いデフレの時代に至るまで、自分の記憶はどうかというと、けっこう日々追われるように生きていたので、時代を俯瞰して眺めるという余裕がありませんでした。
      ただ、“なんとも息苦しい毎日が続くなぁ … ”と四苦八苦だったことを思い出します。
      でも、それも私個人の仕事上の事情によるのだろうと思っておりました。

      ただ、20年経って思い返してみると、「あの頃の息苦しさはこれだったのかぁ !」と、若干思い至る部分もなきにしもあらずです。

      おっしゃるように、もう私たちが、私たちの親世代が経験したような「高度経済成長のライフスタイル」をなぞることはありえないと思います。

      思うのですが、あの時代、私と私の親たちがあんな “右肩上がり気分” の生活を実現できたなんて、まったく偶然の奇跡ではなかったのか? ぐらいの気持ちです。
      あれは、700万年の人類史のなかでも、20世紀の日本にわずか20~30年だけ訪れた “神様のいたずら” ではなかったのか … と。

      だって、あの時代、まさに共産主義国家でも実現できなかった “豊かな平等社会” が一瞬だけ生まれたわけですから。

      だから、よしひこさんが感じられている ≫「高度経済成長時代のライフスタイルはもうできないな」という感慨も、こちらにも十分に伝わってきました。

      ところで、よしひこさんが出版社にいらっしゃった話、「なるほどなぁ !」と合点がいきました。
      ご自分のブログでも書かれていらっしゃる記事内容とその文体。
      そして、ここのコメ欄にお寄せいただくテーマと語り口。
      出版文化に思いを寄せられている方なんだな … ということがすぐに分かります。

      庵野ゴジラ、ワイマール共和国、16世紀の経済史、デ・キリコ、ニーチェ。
      よしひこさんが関心を持たれているテーマは、かなり私がこれから学んでいきたいと思っている領域と重なるように感じます。
      実際に勉強させていただくことも多々あり、ご専門領域とかぶるテーマだと気恥ずかしい思いをすることもままあります (汗)。

      さて、ここに使わせていただいた「現代フランス文学」の本の画像は、実はネットのなかで拾わせてもらったものです。本当は著作権の問題も絡むし、また礼を失するという意味でも、無許可で画像を抜くのは許されない行為だと分かっているのですが、ついつい非礼なことをしてしまいました。お許しいただければ幸いです。

      フランス現代思想に関しては、直接原典に当たったものは少ないのですが、一時、日本人の学者・評論家・ジャーナリストたちがよく言及していたので、聞きかじりで耳にしていました。
      間接的ですが、自分は(軽薄にも?)けっこう刺激を受けた方だと思っています。

      そういう出版に、よしひこさんが関わっていらっしゃったというのも、何かの縁かと思います。
      今後ともよろしくお願い申しあげます。
       

  2. Milton より:

    初めまして Milton です。たしかにおっしゃる通り、1990年代後半から、日本の社会構造はだいぶ変わってきたように思います。

    あくまで個人的な意見ですが、それでも日本の場合、欧州や米国に比べると、グローバリズムの被害はまだ軽度なのではないのかな、と思っています。なぜなら、私たちは英会話を使える人材がほとんど限られているからです。文科省はその点に力を入れているようですが、まだまだ英会話が広く浸透するような環境とも思えないです。

    また、もし我々の大多数が英語を話せるようになれば、一体なにが起こるのでしょうか。たとえば、今までは日本語の壁があったので、日本社会に貢献せざるを得なかった優秀なエリートが国外に流出するリスクが高まるでしょう。そのため、日本社会がより地盤沈下しかねません。

    そして、経営者は移民を積極的に雇用するでしょう。なぜなら、安価で優秀で、英語が堪能な青年たちは世界中にいくらでもいるからです。先進国の中流階級にとってグローバリズムは悲劇ですが、彼らにとっては貧困と政治腐敗から逃れる大きなチャンスなのです。

    そう考えると、果たして60-80年代に我々が享受した幸福とは、いったいなんだったのか。結局それは、東側諸国の圧政という犠牲のうえに成り立った幸福だったのではないか、そう思えてくるんですよね。なので、人材の国際的な流動化には、計り知れないような功罪があるように思えます。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      こちらこそ、はじめまして。
      ≫「日本は、グローバリズムの浸透がまだ軽度である。それは英会話を話せる人材が限られているから」というご意見を面白く拝読いたしました。
      なるほど ! その通りですね。
      80~90年代、世界中に新自由主義の嵐が吹き荒れたのも、それを担ったのが英米のアングロサクソン民族ですからね。

      異文化を理解するという上で、英語を勉強するのはとてもいいことだと思います。
      ただ今の文科省や大手企業が奨励する英語学習というのは、Milton さんのおっしゃるとおり、アメリカ流グローバルスタンダードの基準に日本経済を合わせていくということです。つまり、「道具としての英語」ですね。
      それ自体はとても大事なことですけれど、語学学習が、単なる道具の習得だけに終わってしまうのはとてももったいないことだと思います。

      英語を少し突っ込んで研究してみると、日本語との対比に注目せざるを得ません。
      たとえば、英語文化圏ではなぜあれほど「主体」と「客体」をしっかりと分離する思想が発達してきたのか、ということを考えると、どうしても「be動詞」というものの存在に行きつきますよね。聞きかじりの話なんですけど…汗、(笑) 。

      また、日本語の「うつろい」…時間とか、陽射しがゆれうごいていく感覚…その「うつろい」という日本語をぴったりと言い表す単語が英米単語にはないとか、いろいろ文化の違いが分かってきて、ともても面白い。

      そういう意味で、英語の研究は大事なんでしょうけれど、その前に、文科省も大手企業も、もっと日本語を大事にした方がいいように思います。

      Milton さんのご指摘。
      ≫「先進国の中流階級にとって、グローバリズムは悲劇であるが、途上国の若者たちには大きなチャンス」

      また、
      ≫「60~80年代の我々が享受した幸福とは、東側諸国の圧政という犠牲のうえに成り立った幸福だったのではないか?」

      それぞれ、もっともなご意見だと思いました。
      そのとおりですね。
      コメント、ありがとうございました。
       

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