貨幣は共同体の<内>にあるのか<外>にあるのか

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 このブログの読者であるHIROMITI さんという方から、これまで3回にわたるコメントをいただいた。
 テーマは、「貨幣と共同体」といったちょっと小難しい話である。

 1回目のコメントは、『軍事産業が世の中をリードする時代』という記事に寄せられたご意見であったが、こちらの書いた記事の趣旨を超えて、「貨幣の意味」、「人間社会の上部構造/下部構造」、「グローバル資本主義」などに言及した非常に広がりと深みを持った内容のものであった。

 以降それぞれのコメントとその返信の内容を深化させながら、議論を進めることになったが、HIROMITI さんの鋭い理論展開に反応するのはそうとう苦しい作業でありながら、同時に楽しいものであった。

 今回のこのブログにおいては、最後にHIROMITI さんに宛てた返信をそのまま掲載することにした。
 表現として、ところどころ氏への批判めいた言葉が出てくるところもあるが、内心では敬意を表しつつ反応したつもりである。

 氏が人間の経済活動と文化創造の矛盾に対して、どのような思想を持たれているのか、他の読者の方にも紹介してみたいという気でいる。

※ HIROMITI 氏からのコメントは下記をどうぞ(↓)。
 
http://campingcar2.shumilog.com/2016/11/15/%e8%bb%8d%e4%ba%8b%e7%94%a3%e6%a5%ad%e3%81%8c%e4%b8%96%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%82%92%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%99%e3%82%8b%e6%99%82%e4%bb%a3/#comment-5954

 なお、氏は『ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか』というタイトルを冠したネアンデルタール人論を10年も書き続けていらっしゃる。
 現代の政治・経済・文化がはらんでいる様々な現象を、数万年前に生きたネアンデルタール人の生きざまから読み解くという独創的なブログで、知的な領域に関心を持つ固定的な読者層から強い支持を受けている(↓)。

http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20161129

…………………………………………………………………………
以下、返信記事の内容

>HIROMITI さん、ようこそ
 とても精緻な論考でした。読みごたえは十分です。
 これだけの質的・量的コメントに対しては、やはりおそろかに返信できないという気にもなり、今回は多少昔読んだ倫理社会系の本などいくつかあさり、さらにネットなどでも関連用語を調べたりしてみました。

 けっこう大変でしたよ (;^_^A
 ただ、いただいたコメントの末尾に「何はともあれ、おもしろかったです」というお言葉が添えられていたので、こういう労力も無駄ではないのだろうな … と思う次第です。

 今回もまた丁寧な論考を重ねた返信をいただいたとは思いますが、やはりいくつ部分では、議論は平行線をたどりそうですね。

 その理由は、やはりHIROMITI さんがおっしゃるとおり、使われる言葉の解釈をめぐって、最初から食いちがいがあったせいかと思います。
 まず「共同体」という言葉に関して。

 HIROMITI さんが、あまりにも ≫「村落共同体などといったものは存在しない」と強調されるので、自分が理解していた今までの「共同体」という言葉が間違っていたのかと思い、昔読んだ文献などを探し出して調べたり、ネットで確かめたりしてみました。
 すると、(私の見たかぎり)、「共同体」という概念をHIROMITI さんのような理解の仕方で明示している文献は見当たりませんでした。

 もちろん、HIROMITI さんのターミノロジーが他の文献で確認できなかったとしても、それは当然のことながら、HIROMITI さんの思考の価値を貶めることにはなりません。
 新しい独創的な思想というのは、しばしば前人未踏の領域を一人で切り開いてきた人によって開拓されるものですから、はじめて聞いた理論だからといって、それを否定するつもりはまったくありません。HIROMITI さんも「これまでの共同体解釈は間違っている」という意気込みで書かれたのでしょうから、その覚悟には敬意を表します。
 ただ、(私自身が古い思考にとらわれているせいか、もしくは私の理解力が足りなかったせいか)HIROMITI さんの使われている「共同体」という概念を掌握するのはけっこう難しい作業でした。

 私が理解している「共同体」というものは、昔から教えられているドイツ語の「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という概念で、前者は地縁、血縁などよにより自然発生した有機的な社会(Wikipediaより)。後者は近代以降に成立した会社組織のような目的を持った社会集団のことです。

 そして、大半の文献では、「ゲマインシャフト」のことを「家族や村落など、血縁や地縁に基づいて自然的に発生した人間の集団」と定義しています。

 もちろんそういう用語の規定は原則論であって、実際には拡大解釈も含め、さまざまな用法が生まれています。
 しかし、この言葉が共有しているイメージには、基本的に「お互いの顔が識別できる範囲の親しい人間の集団」という原型がまず最初にあって、「都市国家」、「国民国家」、「同一宗教の信徒」などといった大きな集団は、概してその延長線にあるものとして、地縁・血縁的共同体のアナロジーとして使われることが多いと感じました。

 HIROMITIさんが、このような既成の「共同体」という用語に異を唱えて、それに風穴を開けようとしているというのはよく分かりますけれど、少なくとも、このような社会通念になっているものを打破するためには、より精緻な考証と、より丁寧な理論構築が必要になるのではないでしょうか。

 少なくとも、
 ≫「村落共同体のような先験的な共同体があったのではない。村というのは<共同体>ではなく、ただの<集団>だ」
 と断定的に言い切るならば、その根拠をさらに明示する必要があるような気もします。あるいは、すでにそういう研究があるのなら、その研究の成果も原典を明記して表示する必要もありそうに思えます。
 そうでない限り、私の理解力は保守的なところがあるのか、HIROMITI さん流の「共同体」という用語は、スムーズに頭に入ってきませんでした。

 したがって、それに続くHIROMITIさんの「共同体と貨幣」をめぐる論考にも違和感を払しょくできませんでした。


 
 ≫「貨幣がどこで生まれたのかという問題を考えれば、共同体の内部でしょう。古代の日本人は、中国の銅銭を溶かしてしまって銅鏡や銅鐸をつくっていた。中国の銅銭は、中国の内部でしか意味も価値も持たない」

 本当でしょうか?
 貨幣がどこの国で鋳造されようが、それが「貨幣である」という信用体系が確立されていれば、商品経済が成立している世界ならどの国の貨幣でも通用するのではないでしょうか。

 弥生時代に、日本人が中国の銅銭を溶かして銅鏡・銅鐸を作ったとしても、それは、当時の日本人が貨幣の価値を理解していなかったことをストレートに伝えることにはならないと思います。
 HIROMITI さんも認めておられるように、初期の貨幣には呪術的な意味(貨幣の超自然的な力が権力者の権威を保証するといったような意味)も持たされていたはずです。
 だとしたら、日本人の作った銅鏡・銅鐸は、日本人にとっての呪術的な貨幣の性格も付与されていたのかもしれない。


 
 それに、日本で発掘された銅鏡、銅鐸がすべて中国の銅銭から作られたわけではないでしょう。その大半はあらかじめ中国で銅鏡として作られたものではなかったのですか?
 中国の銅銭が、日本では中国のように貨幣としての交換価値を持っていなかったというのなら、それは、当時の日本が中国のような成熟した商品経済を確立していなかったということだけでしょう。

 実際に、商品流通が盛んになってきた平安末期の平氏政権の頃には中国の宋銭が使われるようになりましたし、室町時代には明の貨幣が使われています。
 宗や明の貨幣は現在の「ドル」みたいなもので、アジア全体の共通貨幣でした。
 今だって同じことがいえますね。各国の定めた通貨があるにも関わらず、“世界通貨”である「ドル」が通用しない国はありませんから。

 このようにHIROMITI さんと私の間では、「共同体」という言葉の使い方が最初から食い違っていましたので、議論がかみ合わないままここまで来てしまいましたが、最後にもう一度、私の理解している “共同体” という言葉を使い、貨幣との関係を説明させてください。 

 HIROMITI さんはこう書かれる。

 ≫「貨幣とは共同体の制度そのものでしょう。“貨幣=資本主義” が共同体の制度を解体するといわれるが、もしも “共同体” が貨幣の成り立たない空間であるのなら、それこそ “のれんに腕押し” で解体できるはずがないじゃないですか。共同体というのは貨幣制度の上に成り立った空間だからこそ、お金お金のグローバル資本主義に煽られると、極端な国家(民族)主義が生まれてきてしまう」

 HIROMITI さん流の共同体解釈によると、共同体とは権力者が統治する古代都市国家が成立したのちに “発生” したということになるわけですね?
 確かに、そういう状況を前提とすれば、都市国家内部の市場に貨幣が浸透したとしても、それが直接の原因となって、都市国家共同体が解体したり、崩壊したりするとは考えにくい。

 現象的には、そのとおりです。
 しかし、ここではそのような具体的な空間イメージにとらわれず、もう少し柔軟に、それこそ理論の問題として捉えたらどうなんでしょうか。

 「共同体と貨幣」などというテーマは、現実の物理的空間を想像しているだけでは、その本質にはたどり着けないような気もします。
 「共同体」の≪内≫とか≪外≫というのは、村落とか都市国家の具体的な≪内≫や≪外≫を意味してはいない。それは抽象化された理論上のモデルです。
 
 それをご理解いただけたなら、「資本主義が共同体を解体する」という意味も少し変わって聞こえてくるのではないでしょうか。
 このことに関しては、以前の返信でも触れたと思うのですが、“解体された” ということは「共同体内部がバラバラになってしまった」というようなことではまったくありません。むしろ “統一” されたのです。

 つまり、「資本主義」というすべての価値観を最終的には平準化してしまう運動にさらされると、それ以前の民族が持っていた固有の文化、固有の価値観、固有の世界観が消滅していくことになります。

 もちろんそれが良いことであるのか悪いことであるのかは一概にはいえません。
 サーフィンは、ハワイ島住民の固有の遊びでありましたが、それが商品経済の中に組み込まれてファッション化され、スポーツとしての体裁を整えていくと、サーフボードも今のような形になり、ハワイ島で使われていたものとかなりスタイルを変えて流通するようになりました。
 それは、もともとあった土着のサーフィン文化の発展形態ともいえますが、逆にいえば「ハワイ固有のサーフィン文化は解体された」ということになります。

 19世紀の画家のゴーギャンは、晩年タヒチに渡って地元住民の生活を描き、「これぞ文明に汚されない無垢の自然の美しさだ !」などと自国の美術系メディアに称賛されましたが、ゴーギャンが渡った頃のタヒチ住民の共同体は、ヨーロッパの市場経済の渦に巻き込まれ、街にはヨーロッパ製品が溢れ、その収益はヨーロッパ人に簒奪され、地元民は固有の文化を失い、経済的にも文化的にもヨーロッパに従属するような悲惨な状態であったそうです。

 現在は、そういう資本主義の強大化(暴虐化?)がよりグローバルな展開になっているということなんですね。
 イランのような “アメリカ帝国主義” に反発する形で政権運営を進めてきた国であっても、街の中心部ではスマホショップが立ち並び、至るところにコカ・コーラとマクドナルドの販売店があり、若者たちはアメリカ製のファッションに身を包んで喜んでいます。

 グローバル企業の商品は、国家の統制などが及ばない形で浸透し、世界中を同じ文化・習慣に染め上げ、その国の “風景” をどこの国とも同じような色で染め上げていきます。
 イランのようなイスラム原理主義の傾向が強い国でも、もう生活・風俗の領域では、宗教共同体としてのイスラム文化の匂いは希薄になっている。トルコやエジプトのような世俗的国家では、それがそうとう早く進行していました。

 「資本主義が共同体を解体する」というのは、そういう意味です。
 イスラム過激派というのは、そういうイスラム共同体の解体過程から逆に生み出されてきた集団であると思います。

 その共同体に関連する話になりますが、「商人と共同体」というテーマ。
 HIROMITI さんは、次のようにお書きになる。
 
 ≫「商人だって共同体=権力と結託して利潤を上げている。それを(僕は) “寄生” といっているだけです。ユダヤの商人がアメリカの政治を動かしている、などというわけじゃないですか。貨幣は共同体の制度でしょう」

 「商人」という言葉でユダヤ人の例が出てきましたので、ここで少し触れたいのですが、ユダヤ商人がヨーロッパの諸都市を中心に金融業を営むことができたのは、そこの権力者と結託したからではありません。もちろんそういうケースも多々あったでしょうが、そこにユダヤ商人の問題の本質はない。
 彼らが、ヨーロッパで商業的利益を得ることができたのは、彼らが共同体の「外部の人間」だったからです。

 シェークスピアの有名な戯曲で『ヴェニスの商人』というものがありますよね。
 そこには狡猾で強欲なユダヤ商人のシャイロックという人物が登場します。

 彼は金貸し業者としてヴェニスの街で商売しているわけですが、別に権力者などと結託しているわけではない。
 むしろ最終的には、その地の権力の象徴として機能している司法の判定によって死刑を言い渡されたりしています。(話の進行上は劇の主人公の計らいで恩赦されますが)。

 劇に限らず、実際のユダヤ人が中世から近世、そして近代にいたるまで、その土地の権力者から疎まれてきた例は実に多い。
 特に、カトリック系の文化では「ユダヤ人はキリスト教の敵」と見なされることが多く、スペインのフェリペ2世の治世においては、スペイン国内のユダヤ人はすべて追放されています。

 このように、ヨーロッパ史で「商人」の代名詞ともなっているユダヤ商人は、キリスト教共同体の世界においては、不気味がられて軽蔑され、ときには追放される運命にありました。
 
 それでもユダヤ人は、金融業者としてヨーロッパの各都市で生きていくことができました。
 それは、彼らが「共同体の外の住人」だったからです。

 キリスト教共同体内では、概して金融業は嫌われる傾向にありました。それは、聖書のなかに「同じ共同体の仲間からは利子を取るべからず」という教えがあるからです。
 
 だから金融業というのはヨーロッパ社会では誰も成り手がなかったし、そういう職業が忌み嫌われたことから、貨幣そのものも庶民の間では「不浄なもの」と見なされるようになりました。

 しかし、都市の維持には商行為が欠かせない。そうなると当然金融業も必要になる。
 そこで、ヨーロッパ人はキリスト教共同体に属さないユダヤ人に金融業を押しつけ、自分たちは彼らを「軽蔑しながら利用する」というシステムを作り上げていったわけですね。

 もちろん、ユダヤ人たちも、そういう仕事で食べていったわけですから、そういった意味で、HIROMITI さんのおっしゃる「寄生」という表現も外れてはいない。
 しかし、生物学的な意味でも、「寄生するもの」と「寄生されるもの」というのは相互扶助の関係になっている場合も多い。ヨーロッパのキリスト教共同体は、そういった意味で、ユダヤ人に上手に「寄生してもらった」ということになるんでしょうね。
 

 さて、難問が一つ。
 HIROMITI さんの次の言葉。

 ≫「人類は農業を覚えたからこそ人口を増やすことができた、なんていうことがあるはずないじゃないですか。むちゃくちゃな論理ですよ。そういう下部構造決定論では説明がつかないでしょう。みんなそうやって、下部構造決定論に取り込まれてゆく」

 とHIROMITI さんがお書きになっているくだりですね。

 「人類は農業を覚えたからこそ、人口を増やすことができた」というのは、そんなにむちゃくちゃな論理ですか?
 ちょっと考え込みました。
 なんか、こっちが悪いことでも言ってしまったのか? … という思いに駆られるほど厳しい語調でしたから。

 HIROMITI さんが使われている「下部構造決定論」という言葉が、マルクスの言っていたような用法だとすれば、それを感情的なまでに否定して、いったい何を訴えたかったのか。
 HIROMITI さんは、≫「下部構造決定論には “人間とは何か” という問題が抜け落ちている」とおっしゃるけれど、はたして本当にそうなのか?

 まぁ、いろいろ考え込みました。
 このコメントにおいてもそうなのですが、HIROMITI さんは気分が高揚すると、ときどきケンカ腰になりますね(笑)。
 たとえば、
 ≫「交易が都市の発生の契機だとか人間性の基礎だと考えるなんて、人間性に対する冒涜であり、それは歴史の真実でもない」
 
 こう書かれると、まるで「あなたは人間性を冒涜している」と言われたような気分になります。
 私はHIROMITI さんの表現法にだいぶ慣れましたので、おっしゃりたいことはすぐに了承できましたが、はじめてコメントをもらったブログ管理者の中には、こういう表現に遭うと威圧的なプレッシャーをかけられた気分になる人もいるかもしれません。
 そういった意味で、誤解を受けやすい記述であるように思いました。

 話がズレて申し訳なかったですが、この “農耕文明と人口” の件、確かにHIROMITIさんのおっしゃることにも一理はあるとも思いました。
 というのは、「人類は農耕を覚えたから人口を増やすことができた」と断定的にはいえないことも分かるからです。

 HIROMITI さんのおっしゃるように、農耕を始める前の狩猟採集生活状態においても、微増ながらも人口増加ということはあり得る。
 そういった意味で、私が断定的に言い切ってしまったのは軽率だったといえるかもしれません。

 ただ、次のことはいえる。
 農耕文明が広まったとされる新石器時代の人口は1,000万人だといわれています。まだ農耕が普及しない旧石器時代の100万人に比べ、その10倍になっている。

 この人口増は、もちろん農耕のせいばかりとはいえないかもしれませんが、農耕の普及と人口増がパラレルな関係にあるということだけははっきりしています。
 もちろん、狩猟採集という生産手段は構成員の少ない集団が暮らすには効率が良いらしいのですが、いったん農耕を構造的に取り入れて人口が膨れ上がった社会になると、もう生産手段を狩猟採集に戻すことは不可逆的に無理であることもはっきりしてますよね。

 また、HIROMITI さんは、≫「生殖行動は、むしろ衣食住が不如意であるときのほうが活発になる」という。
 つまり、(餓死といったような?)死と親密になってゆくときにセックスが活発になるとお書きですが、「人口増」というのは、人間の生殖活動の活発さだけでは説明がつくものでもないでしょ。農耕によって食料を貯蔵することが可能になったため死亡率が減ったなど、さまざまな理由が絡むものだと思います。
 もちろんHIROMITI さんの見解も「人口増」を説明する種々の条件の中の1項目として有効な指摘であることは間違いありませんが。

 最後になりますが、この3回にわたったHIROMITI さんのコメントで、HIROMITI さんが展開された論考から受けた印象を一言でいうと、「懐かしい思想」という感じがするのです。

 こう言ってしまうと、なんだかとても失礼な表現になるのかもしれないと思い、今回まで言いそびれていましたが、率直な感想を述べると、「かつてどこかで接した懐かしい思想」というイメージを私は払しょくすることができません。

 どういうことかというと、たとえば、HIROMITI さんの次のようなご意見。

≫「都市になって “貨幣” という下地ができたから交易をはじめたのであって、交易をするために都市が生まれてきたのではない。都市の発生は、人と人が出会って祭りの賑わいが生まれたからであり、それは交易のためではない。交易は都市発生の結果であって、原因ではない」

 すでに何度かお互いの議論の対象になったテーマですが、HIROMITI さんがここで主張される “都市は祭りの賑わいから生まれた” という理論。

 私には、これがHIROMITI さんのオリジナルの主張であるとはあまり思えない。
 誠に申し訳ないですが、この論理には既視感があるのです。
 それはすでに1970年代に、文化人類学者の山口昌男らが『文化の両義性』などで言い尽していたことで、「いまさら」という気がしないでもないのです。

 山口昌男氏は、その当時の著書などで、ヨーロッパの諸都市や日本の江戸などに触れながら、「都市の魅力は、人間の光と闇の交錯する祝祭性にある」とし、「都市の文化が人間の生死という形而上学の分野と密接な関係にある」ことに言及しています。
 私は、そういう著書を30歳頃によく読んで、とても面白いと思い、山口昌男氏には実際に取材に行き、詳しく話を聞いたこともあります。

 彼の展開する都市論では、「都市の本質はその祝祭性にあり、商業の拠点という観点だけでは語れない」という姿勢が一貫して貫かれています。
 そこは非常にHIROMITI さんの論理に似ています。

 そういった意味で、彼にはそれまでの左翼系インテリたちが主張していた、「思想や芸術も経済原則が母体となる」という “俗流下部構造決定論” への反発もあったのでしょう。
 具体的には、それまで日本の論壇を支配していた吉本隆明的あるいは丸山眞男的な政治思想の枠組み(HIROMITI さんおっしゃるところの生活者の思想?)への異議申し立てのような気分もあったのかもしれません。

 ただ、私は次第に山口昌男的な世界観に物足りなさを覚え始めました。
 というのは、彼のせいでもないのですが、彼の思想がブームになり過ぎて、70年代後半からは、広告代理店ですら彼の思想のキーワードであった「トリックスター」とか「中心と周縁」などという用語を使ったCM文化を創造し始めたんですね。

 私は、自動車のマーケットを分析したり、CM制作の取材に関わる仕事をしていましたので、こういう広告業界の新機軸を非常に面白いと感じていましたが、やはりどんなユニークな思想でも、CM戦略などに援用され、営業の匂いに染められていくと次第に色あせたものに感じられることもあります。

 それでも巷では、“ニューアカ” ブームに乗って、山口昌男系の言説が当時の最先端CM文化まで取り上げられたのは事実です。

 「都市は祝祭空間である」という言説は、具体的には80年代のCM展開においてパルコなどの新しい都市開発思想と結びつき、やがて糸井重里の「おいしい生活」、「不思議大好き」といったキャッチとして新展開を見せるようになります。

 80年代の東京では、渋谷・原宿などを中心に新しい都市文化が栄えましたが、それはみな糸井重里やパルコ広報部などの、「経済重視の “生活者の視点” から都市を切り離し、都市を遊戯空間として再設定しよう」という狙いから生まれたものです。
 もちろん、その意図は、新しい消費ターゲットを育て上げ、これまでになかったマーケットを開拓しようというところにありました。
 そして、それは見事に当たり、あの頃を境に、東京の光景は1964年のオリンピック以来の変貌を遂げました。

 だから、HIROMITI さんが現在語られている都市論は、質的にはまったく異なるものとはいえ、イメージ的には、見事に80年代以降の潮流に乗っています。それはHIROMITI さんから見れば不本意なものかもしれませんが、印象的には、私には、なんとなく “どこかで出会った風景” に思えてしまうのです。

 また、同じように、HIROMITI さんの貨幣論も、私には既視感のあるものです。

 HIROMITI さんは、次のようにお書きになる。

 ≫「貨幣の本質は他者に対する祝福のプレゼントにある。(だから)貨幣の起源は、ネアンデルタール人が花を添えて埋葬したことにある、と考えている」
 
 美しい理論であると思います。
 しかしながら、この思想も、HIROMITI さんがはじめて唱えたものという感じがしない。

 昔、栗本慎一郎という学者がカール・ポランニーという経済人類学者の業績を日本に紹介しながら、自分の思索を展開した書籍をいくつか出したことがありました。
 『幻想としての経済』、『光の都市、闇の都市』などという本がそれにあたります。
 そのなかで、「貨幣は単なる経済的な交換手段として生まれたものではなく、物性を離れた他者への祝福性や呪術性を持った存在だった」という内容のことが書かれていました。

 そういう著作を読んだのは、私が26歳か27歳の頃だったと思います。
 なにしろ、それまで貨幣というのは、経済的な必要性から生まれてきたものだという思い込みがありましたから、栗本慎一郎(経由のカール・ポランニー)の視点は、まさに私にとっては “目からウロコ” でした。

 ただ、こういう理論にも、やがて飽き足らないものを覚えるようになりました。
 貨幣というものは、その起源を問うて簡単に答を出してしまうのはもったいないテーマだと思うようになってきたからですね。
 つまり、「貨幣には人間の本質を考えるときの根源的な問題が含まれているのではいか」
 そんなふうに考えるようになりました。

 ≫「ビーズの玉や貝殻のようなきらきらした素材をベースにした貨幣は、他者を祝福するためのプレゼントであった。それは人間の生と死のはざまで輝くものとして人間に珍重された」
 というのは、確かに鮮やかに整理された美しい貨幣の起源論です。
 でも、その答で満足してしまっていいの?
 という気分もあるのです。
 
 私には、貨幣の正体そのものを明かすことよりも、貨幣がいつまでも「謎」のままであった方がいいという思いがあります。

 貨幣はほんとうに謎だらけです。
 まず貨幣は物(商品)なのか? それとも物ではないのか?
 こういう素朴な疑問すら、まったく解決されていません。
 この謎は、「貨幣が貝殻から始まった」とか「ビーズから始まった」というような起源論だけでは十分に説明がつかない。
 しかし、誰もがそういうことに素通りして、当たり前のように貨幣を使っている。

 貨幣は人間の意識に、いったいどういう影響を及ぼしたのか。 
 それは、まず「それさえあれば何でも買える」存在として、人間の「物にこだわる欲望」を抽象的なものに置き換えました。
 さらには、貨幣がどんどん蓄積していけば、この宇宙の中で買えないものは何もないという幻想すら人間に抱かせました。

 これは、人間の悪しき妄想であり、人間の精神を堕落させる諸悪の根源かもしれませんけれど、同時にそういう妄想は、人間の思惟に広がりを与えるきっかけにもなっているかもしれません。

 つまり、貨幣は、人間に「無限」と「抽象」という二つの概念を授けたのではないか。
 そういうことを夢想すると、貨幣の不思議さに目がくらみそうになります。

 私は、そういうことまで想像させてくれる思想を、「わくわくする思想」もしくは「ときめき感のある思想」と言いました。
 しかし、HIROMITI さんは、≫「(そういう)きらきらした思想なんかなんの興味もないですよ」とおっしゃいます。

 ≫「僕は芸術家じゃないから、きらきらした思考や思想なんかよりも客観的な事実・真実が知りたいだけです。そして、そのためには、できるだけシンプルに合理的に考えたいと思っているだけです」
 というわけですね。

 HIROMITI さんはそれでけっこうだと思います。
 ただ、私は、「客観的な事実や真実」というものにそれほど魅力を感じないのです。
 だって、思想上の “真実” なるものは、今日まで星の数ほど書き換えられてきたではないですか。野心ある思想家は誰だって、「今までの学説は間違っていた。俺がこれからいうことが真実だ」と言いたがるものです。それはアリストテレスから、マルクスから、吉本隆明に至るまで、みんなそう。
  
 もちろん、プロの学者であるならば、その学者の言動からなにがしかの知識を得ようとしている人たちに対する責任というものもあるでしょうから、「客観的な真実を追求したい」と言い切る人はいるかもしれません。

 しかし、私のような素人の場合は、客観的な真実よりも、その真実に至るまでの思考のプロセスの方に興味があるといっても許されると思います。
 たとえ、その思想的な営為が真実に至らなくても、思考のプロセスが、それに触れた人間に鳥肌を立たせるくらいの感動的なものなら、そっちの方が私には魅力的です。

 それを私は「わくわくする思想」という言葉で伝えたかったのですが、ちょっと上手に表現しきれなかったようですね。失礼いたしました。

 いずれにせよ、HIROMITI さんの言説を十分に咀嚼しきれず、誤解したまま感想を述べてしまった箇所も多々あるかと思いますが、これが正直なところ私の理解力の限界ですので、お許しいただければ幸いです。

 ただ一つ分かったことは、HIROMITI さんという方は、「人間の美しい心」というものに無垢な信頼を捧げ、その対極に「下品な心」というものを据え、その両極を眺めるときの振れがものすごく大きい人なんだな … ということでした。
 でも、それは爽やかなことであるように思います。

 この返信をしたためるため、30年ぶりぐらいに手に取った本などもありました。
 日頃なかなか経験したことのないことだったので、よい勉強の機会を与えてくださったと思い、感謝申し上げます。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

貨幣は共同体の<内>にあるのか<外>にあるのか への6件のコメント

  1. ようこ より:

    こんばんわ~ 町田さん

    omg, やらやらやら~ 目が点
    実は数日前に、その欄を拝読したのですが
    読み切るのに四苦八苦したとだけコメントします 笑)

    初めてだった広島ですがとても活気のある街でよかったです
    名物の牡蛎やお好み焼もたっぷりいただきました。
    10日の予定でしたが軍用機での往復だったので、遅延(よくある)で
    5日ほど延びました、でも私は日本に長いできるのは苦になりません
    そんな日に都庁舎見学して、展望階と職員食堂に寄ったりしました。

    町田さんも一杯飮めるほど快復されたのですね
    私もちょっと用があって相原駅近くを通ったんですが
    お会い出来なかったので残念です。

    • 町田 より:

      >ようこ さん、ようこそ
      無事広島旅行を終えられたようで、まずはお疲れさまでした。
      ご主人と広島を堪能されたとのこと。
      うらやましいなぁ …。
      私は、日本にいながら、まだ広島市街の観光というものを経験していないのですよ。
      『仁義なき戦い』の映画が好きで、映画を通して、けっこう広島弁というのを覚えたのですが(笑)。

      この次訪日されるときは、ぜひお声をかけてくださいな。
      SOULバーで一杯お付き合いいただければ幸いです。
       

  2. Get より:

    お邪魔します。

    御ブログ、本命はキャンパー。
    それにそって多方面にわたる主題を展開なさる。
    全ての投稿に対して真摯に返信を述べていらっしゃる。
    この辺が人気ブログのランクに入っている要因でしょうね。

    さて。
    半プロ的物書き、あるいはある分野での思想、Etc.,を研究されている輩。
    彼らの目に留まったブログ内容に容認できない、あるいは自己とは異なる記述があると、
    彼らには実に由々しき問題になるようですね。

    ”頼のもー!身共は 何某の流儀を使う者 一手お手合わせを”
    ってことでですねぇ。
    モタモタ対応していると踏み込まれて看板を持っていかれますよ。
    ここら辺はブログ主、言論という名のもとに寝首をかかれませんよう。

    もう、ものの見事に全部忘れましたが、、、。
    昔読んだ高橋和巳の小説になんかありましたよね?
    確か若者が離島に住んでいる老人と資本論か何かを論ずる?

    HIROMITIさんも、DO-DAROさんも自説を曲げぬ論客ですかね?
    自信のほどが伝わってきますね。
    御ブログ、時に賑賑しくて面白い限りです。

    私個人は7th、あたりの主題なら何とか喰いついていけますが。
    イヤァ~、なんともはや。

    • 町田 より:

      >Get さん、ようこそ
      この手の思想系記事というのか学術系記事というのは、やはり先行して研究されている方にはかないません。

      私などは昔ちょこっとだけ読んだ本とか、最近観たテレビなどを頼りに、思い付きだけの姑息な記事を書いているだけですから、やはり長い時間をかけて専門に研究してこられた方々からいただく感想やご意見は、さすがに重量感が違います。
      だから、しっかり調べもしないでうかつに書いた箇所の間違いなどを指摘されると、ほんとうに穴があったら入りたくなるほど恥ずかしい思いに駆られます。

      しかし、こういう作業も自分はけっして嫌いではないのかもしれません。
      いろいろな個性に恵まれた方に、手ほどきを受けるというのは、またすごく刺激的なことでもあります。

      もちろん、Get さんからも、いつも刺激をいただいております。
      まだ御礼も差し上げていませんでしたが、北米のモーターホームの様々な姿を集めた画像集は衝撃でした。
      でも、ああいうふうにたくさんの事例を眺めていると、いろんな感慨がこみ上げてきますね。

      いつも貴重な情報をありがとうございます。
       

  3. HIROMITI より:

    僕は褒められたのかけなされたのかよくわからないけど、そんなふう僕の人格を吟味・分析するということをされても、困るわけですよ。ほめられたからといってべつにうれしいわけでもないし、けなされれば「お前に何がわかる?」という思いにもなります。僕は、あなたの人格のことなんかひとことも言っていないですよ。たぶんこのページの多くの読者よりはもっと親しい関係を結んだ一時期もあって何も知らないというわけではないが、そんな「相手の人格に対する感想」はひとまず自分の胸の中におさめて何も知らないという前提で問うのがたしなみだろうと考えています。
    ただ僕は、この十年間、パソコンに向かうときは必ずあなたのページを開いてきました。それが、僕の友情みたいなものだと思ってください。まあ僕の気持ちは、それ以上でも以下でもない。あなたは、僕のページに対してそこまでやっていないでしょう。べつに全然かまないのですけどね。しかしそこまでやっても僕は、あなたの人格をどうこう言うつもりはありません。ほめることもけなすこともしない。最初はあなたの考えを敷衍すればこうなるのだろうか、と書いただけだが、僕の人格を上から目線でどうこう言われたら、その考えはちょっとと変だ、ともいいたくなります。

    で、あなたは、貨幣の起源の段階と貨幣が交易の道具として流通してきた段階を混同して語っている部分があるように思われます。僕は、それは分けて考える必要がある、と思っています。そして、今だって貨幣は、プレゼントか交換かのその二つの性格の上に成り立っている。
    金でなんでも買えるというような世の中になったといっても、「お金では買えないものがある」という感想も大多数の人が持っている。それは、貨幣経済の動きだけでは人間性の本質は語れない、ということでしょう。
    貨幣経済の場として都市が生まれてきたわけではない、都市が貨幣経済の場になっていっただけです。
    そして僕が「祝祭空間」といっていることの基本は「フリーセックスの場だった」ということであって、「美味しい生活」がどうのというようなつもりはないし、山口昌男くらい僕だって読んだけど、べつにそれをパクっているわけではないですよ。僕は、共同体と共同体の「空間=すきま」といっているだけです。共同体のなんたるかに興味があるわけではない。
    70年代から80年代は日本人がどんどん衣食住=生活に執着耽溺していった時代で、そういう情況から「美味しい生活」というコピーが生まれてきた。それは、「祝祭」ではなく、たんなる衣食住に対する執着耽溺だった。祝祭というのは、そういう「生活=衣食住」と決別して「もう死んでもいい」という勢いで人と人がときめき合うことだ、と何度もいっているじゃないですか。あの時代は、祝祭を失ってゆく時代だった。そうやって地域の盆踊り等の祭りの行事が衰退し、人と人の関係もなんだかぎくしゃくしてきた。表面的には浮かれ騒いでいるように見えても、誰もが「自分=この生=この生活」に執着耽溺しながら、自分を捨てた「もう死んでもいい」という勢いのときめきを失っていった。まあ、あのころ僕が影響を受けたのは山崎ハコや森田童子であって、糸井重里や山口昌男でも、柄谷行人や吉本隆明でも、ニュー・アカでもなかった。おまえのいうことなんかただのニュー・アカの残りかすだ、だなんて、ずいぶんバカにされたものです。
    あなたたちが柄谷行人や山口昌男に入れ込んでいるあいだ、こっちは必死にそうじゃないものを探していたんだ。吉本隆明なんか難解でもなんでもなかったけど、「そんなことあるものか」と思うばかりだった。

    地縁・血縁を解体したところに新しい集団、すなわち新しい村が生まれ新しい都市が生まれていった。村だって、もともとは地縁・血縁から離れた人々がどこからもなく集まってきて生まれた集団です。「村」という言葉は「群れ」という意味でもあり、たんなる「集団」という意味であって「共同体」という意味ではない。だんだん地縁血縁の共同体になっていったのであって、最初からそうだったのではない。地縁血縁で人間の集団が発生することなんか、論理的にあるはずがないじゃないですか。その集団が存続した結果として、地縁血縁という意識が生まれてくる。集団の発生は「どこからともなく人が集まってきた」からだと何度もいっているじゃないですか。人類にそういう生態がなかったら、地球の隅々まで拡散してゆくことなど起きなかったはずです。
    原初の村や都市の発生だろうと、近代のアメリカ移民だろうと、最初は地縁血縁を持たない個人が集まる集団だったのであり、だんだん地縁血縁の規範(制度)意識を持った集団になっていっただけです。
    まあ、現在の村だって地縁血縁の制度だけで成り立っているわけでもなく、そこから離れた意識の上に成り立った習俗もたくさん持っているわけで、だから東京に人が集まってくるということも起きる。都市住民よりも村人の共同体を解体する意識のほうがもっと過激(ラディカル)だったりする。村は、地縁血縁だけで成り立っているわけではない。まあ日本人は、国家という共同体が生まれてきたあとになって地縁血縁の意識に目覚めていった。縄文集落のほとんどが数十人程度の規模だったわけで、そんなところで地縁血縁なんか意識していたら成り立たないでしょう。そんな時代が1万年も続いたということは、それはそれで集団がどんどん離合集散してゆくダイナミックな社会の動きがあったからです。
    村が地縁・血縁の集団になってゆくことは歴史の避けがたいなりゆきだけど、それでもこの国の村には、そういう関係性を解体してしまう伝統が残っているのです。その例を挙げるのは、今はやめておきます。

    銅鏡や銅鐸が呪術の道具だった、とあなたは確信が持てるのですか?そうかんたんに「はじめに呪術ありき」で語ってもらっても、僕は納得できない。銅鐸は、村はずれの土に埋められて保管されていたのですよ。村の首長や祭司が倉庫に鍵をかけて保管していたのではないのであり、その気になれば誰でもそれを掘り出して叩くことができる楽器だったのです。そしてこの国で出土される銅鏡のほとんどはレプリカで、中国オリジナルのものなんかめったにない、といわれています。いずれにせよ、それらが呪術の道具だったと考えてもつじつまの合わないことがいくらでもあるのです。人類が呪術に目覚めることはそうかんたんなことじゃなかったはずです。卑弥呼が呪術師だったなんて、魏志倭人伝を書いた中国の役人の勝手な推測で、この国の神道が呪術から生まれてきたのなら、もっとちゃんとした教義を持っているし、「あはれ」とか「はかなし」とか「わび・さび」というような曖昧模糊とした美意識や世界観や死生観なんか生まれてこないですよ。
    あなたは無造作に「呪術」とか「地縁・血縁」という言葉を使いすぎますよ。まあ、あなただけじゃないですけどね。それが現在の歴史解釈の主流なのだから、仕方ありません。

    僕は何も、人口増と農業は関係ないとはいっていないですよ。人口が増加したから農業が盛んになっていった、といっているだけです。それを農業が盛んになったから人口が増えたとか農業が人口を増やしたといわれても困る、といっただけです。余剰の食料ができたからそれに合わせて人口を増やすなんて、そんなふうに歴史が人間の目論見通りに動いてきたわけではない。また、誰の人生だって、そんなふうに目論見や作為だけで動いているわけでもない。つまるところ誰だって「こうしか生きられない」という範疇で生きているだけでしょう。まあ僕はそういう「計画性」がひといちばい欠落しているところがあるわけだが、人類の歴史だって余剰の生産物ができたからさあ人口を増やしましょうというようなことだったのではないでしょう。
    死亡率が減ったのは氷河期が開けて気候が温暖になったからだし、気候が温暖になったから農業が生まれてきた。農業が生まれる前に爆発的な人口増加があったのです。人口増加があったから「都市」が生まれてきた。そしてそのとき人類はまだ農業を知らなかった。知らなかったというか、本格的に取り組もうとはしていなかった。
    もともと人類は、余剰の生産物を持たない流儀で歴史を歩んできた。そうやって、衣食住の外のきらきら光るものにときめいていった。古代メソポタミアの最初の都市は農業を覚えていったが、最初の都市国家は、農業をしない交易集団だった。農業都市がそのまま都市国家になっていったわけではないのです。
    人類は「生活=衣食住」と決別してきらきら光るものにときめいていった。それが「祝祭」の本質であり、どうして僕が糸井重里のいう「美味しい生活」の真似をしているのですか。

    まあいいです。僕だって多少は遠慮しいしい書いてきたつもりだが、これ以上行くとそうもいっていられなくなります。僕には、あなたたちのように、謙虚を装いながら上から目線で他人の人格を裁くというような芸はありません。ほんとに、もうやめます。どうぞ、お好きに僕の無知と人格を裁いてください。僕はただのポピュリストであり、反知性主義者です。

    • 町田 より:

      >HIROMITI さん、了解いたしました。
       これで終わりといたしましょう。

       こちらとしても、もっと言いたいこと、弁解したいこと、誤解を解きたいことなどいろいろと伝えたいことがありますが、今の状態では何をいってもすべて「悪意」と取られそうですね。
       したがって、これ以上のことはもう書きません。

       ただ、こういう形でご丁寧なメッセージをお寄せいただいたことには感謝申し上げます。
       特に、今回以前よりも詳しくお話いただいた「<村>の生成」の話、「農業の振興と温暖化」の話などはとても興味深く拝読しました。
       そのことだけはお伝えしておきます。

       お元気でお過ごしください。
       

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