『ニッポンのジレンマ』は面白い

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 正月のテレビは、年末あたりから作り置きしているバラエティー番組と討論番組が多い。
 だいたい観るのは、討論番組の方。
 今年も、大晦日の深夜の『朝まで生テレビ』(テレ朝)と、元日の夜の『ニッポンのジレンマ2017』(Eテレ)を観た。

 『朝まで生テレビ』は退屈だったが、『ニッポンのジレンマ』には興奮した。
 両方とも、日本の現状と未来、日本の政治や経済をテーマにした討論番組なのに、この差はいったいどこから来るのだろう?

▼ 朝まで生テレビ

 はっきりいうと、それは出演者の年齢から来る。
 『朝生』の出演者は、みな老人である。

 まずMCの田原総一朗が82歳。
 パネリストとして参加した自民党の山本一太が58歳
 共産党の小池晃が56歳。
 民進党の細野豪志が(少し若くて)45歳。
 元防衛大臣の森本敏が75歳。
 漫画家の小林よしのりが63歳。
 東大教授の井上達夫が62歳。

 これらの人たちは、確かに専門的な知識を習得した論客で、発言内容も鋭いのだけれど、寛容性がないというところで、精神が硬直している。
 それは年齢から来るものだ。
 
 だいたい人間は50歳を過ぎると、他人の意見に非寛容になるし、60を超えると、非寛容を通り越して、もう相手が言おうとする話の内容すら理解する力をなくしてしまう。

 だから、『朝生』の出演者たちは、相手の議論を途中で遮り、声高に自分の主張を繰り返すことだけに終始し、結果的に、何が論点になっているかということすら不明瞭にしてしまう。
 その突出した例が、たとえば共産党の小池晃とか、東大教授の井上達夫あたりである。
 こういう “自分の弁が立つ” ことにうぬぼれている連中の顔を見るだけで、暗い気持ちになる。
 
▼ ニッポンのジレンマ

 それに対して、『ニッポンのジレンマ2017』の参加者は若者が中心。
 進行を務めた作家の古市憲寿が31歳。
 パネリストは、最年長がアーチストの福原志保で41歳。
 一番年下の参加者が詩人の文月悠光で26歳。
 あとは、だいたい20代と30代。

 『朝生』との最大の違いは、みな笑顔があったこと。
 かなりきわどい議論の応酬になっても、意見を戦わせている者同士の表情には、相手をリスペクトする真摯な表情と同時に、言い過ぎた自分の発言内容を照れるようなはにかみの笑顔があった。

 『朝生』のジジイたちは、ケンカ。
 『ジレンマ』の若者たちは、意見交換。
 もうそれだけで、番組としての出来に決定的な差がついてしまう。
 
 もう一つ、両方の番組を観て感じたことは、老人たちが気が短くなってきているのに対し、若者たちは結論を急がずに、一つの問題を前にして、そこで立ち止まろうとしていることだった。

 たとえば、彼らの討議から次のような議論が提出された。

 「民主主義というのは、本来は長い討論を重ねて少しずつ意見をすり合わせていくものなのに、今の社会はその時間を “無駄” なものとして排除しようとする。
 その結果、人々が瞬時に “YES” か “NO” かを判断しなければならないような短絡的な思考が蔓延するようになる」
 
 たとえば、アメリカのトランプ大統領の答弁や、ヨーロッパで台頭してきた極右的な政治集団のリーダーたちの演説。
 そこには、「正義」か「悪」かの二元論しかない。
 世界中の政治の言葉が、複雑な思考を拒否する単純で力強い言葉に置き換えられつつある。
 『ニッポンのジレンマ』で討議をしていた若者たちは、そのことへの警戒心を強めている。

 何事においても、瞬時に結論を出さなければならないような風潮は、いったいどこから生まれてきたのか?

 世界中に広まりつつある思考の短絡化。すなわち反知性主義。
 批評家の大澤聡(39歳)は、そこに今のメディアのあり方が反映されていると見るし、数理哲学者の丸山善宏(33歳)は、世界が再び中世の魔術的世界観に覆われ始めてきたと見る。

 彼らは、人間が結論のなかなか見えない時間のかかる思考を放棄し、YESかNOかを瞬時に判断する思考回路に染まってきたことと、世の風潮がアートや文学を軽んじてきたこととはパラレルな関係にあるという。

 すなわち、アートや文学は、「正義」とか「悪」や、「正しい」とか「間違っている」という単純な二元論では片付かない問題を扱うものである。
 それは、現代社会がもっとも苦手とするものだ。
 だから、ここで人間が踏みとどまらないかぎり、世の中は、再び「神と悪魔が闘争を繰り返すという神話的世界」へと逆行しかねない。
 私は、彼らの議論を聞いていて、自分の頭の中でそうまとめてみた。

 若者たちは、複雑な世の中に対峙することを恐れてはいない。
 そして、複雑な世の中をクリアに捉える明晰な視線を大事にしようとしている。
 
 確かに、「シンプルであることの方が美しいし、力強い」と主張する意見が、世の中の一部にはある。
 しかし、それは間違いだ。

 「シンプルである」ことと、「シンプルに見える」こととは違う。
 われわれが感じる「シンプルであることの美しさとか力強さ」というのは、往々にして、「シンプルに見えている」だけであって、実際にはかなり複雑な処理を経て洗練された結果であることが多い。

 「シンプルに見える」ものは、やはり時間をかけて生み出されてくる。
 われわれは、どうして時間をかけることを「悪」のように思い始めてしまったのだろう。
 スピードが価値概念の上位にあがってくるような社会を、いつ築いてきたのだろう。

 それについて、経済学者の水野和夫氏は、「より速く」という精神は、資本主義という経済システムそのものが生み出したものであるという。

 つまり、資本主義が、他者を出し抜いてより多くの富を独占するというモチーフによって支えられてきた経済メカニズムであるかぎり、「より速く」というのは、“他者を出し抜く” 資本主義の根幹をなす原理にならざるをえない。
 水野氏は、その競争原理が、地球上から地理的なフロンティアが消えていくことによって、限界に直面していることを示唆しようとしている。
 つまり、競争の “ゴール” の姿が、おぼろげながら浮かび上がってきたのだ。

 これに関して、(話は急に飛ぶけれど)人気ブロガーの池田信夫(経済評論家)は、「水野和夫は資本主義を批判するだけで、それに代わる経済システムを提案していない」と非難する。
 「資本主義よりましな経済システムが存在すると証明しない限り、社会主義のような地獄になるだけだ」と。

 この池田信夫(63歳)という人も、『朝生』に登場する精神の硬直した老人たちと同じような存在だ。
 彼は水野和夫が語ろうとした世界が、単に経済システムの問題として片付けられるようなものではないことを見逃している。
 
 水野氏は、(先ほどの『ニッポンのジレンマ』の議論に引き寄せていうと)アートや文学(さらにいえば哲学)の問題を語ったのであり、そのことを感受する感受性が池田信夫には欠けている。

 ≫「資本主義よりましな経済システムは存在しない」
 当たり前だよ、そんなこと。
 すでに社会主義経済という実験に人類は失敗しているのだから。
 
 しかし、人類の歴史は、資本主義などという経済システムがない時代の方がはるかに長い。
 その間、人類は不幸せだったのか?
 資本主義という経済システムが生み出した幸せと同じくらい、資本主義が産み落とした不幸というものだってある。

 資本主義が生み出した「幸せ」と「不幸」が、それ以前の社会が持っていた「幸せ」と「不幸」とどう違うのか。
 その答を見つけるには、いったん資本主義の<外>に立ってみなければならない。
 <外>に立つということは、想像力を働かせるということだ。
 その想像力は、アートや文学からやって来る。
 
 今日思ったことを一つ。
 「答が簡単に出ないものを恐れるな」
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

『ニッポンのジレンマ』は面白い への8件のコメント

  1. よしひこ より:

    僕も今年のジレンマは面白いと思いました。最近は番組スタート時の熱が冷めてきたような感じもあったけど、去年はトランプやAIのことがあったからかな。議論のプロセス自体に面白さがあった。
    初めにダイアローグとディベートの違いの話があって、ディベートは自分の立場を変えずに勝ち負けを決める、のに対し、対話は説得されたら自分の意見を変えることもある。そういう柔軟性を持って臨むということですね。朝生は見てないけど、たぶんディベートだったんだろう、ていうかいつものようにショーだったんだろうと。今回に限らずジレンマの出演者である若い世代は議論の作法を心得ているなあと感じます。まあとにかく合意形成というのは難しい。柔軟性を持って対話し続けることが肝心だなと。

    • 町田 より:

      >よしひこ さん、ようこそ
      今年もまたよろしくお願い申し上げます。
      ダイアローグとディベートの違いの話。面白いですねぇ !
      ≫「朝生はたぶんディベートだったのだろう」
      そのとおりに思います。

      基本的に、「朝生」はショーですね。ローマ時代の闘技場をにぎわせたグラディエーター(剣闘士)たちのショーに近いものかもしれません。

      それはそれで面白いのかもしれませんけれど、よしひこさんが推測されたように、基本的にみな自分の立ち位置みたいなものを最後まで変えませんから、ダイアローグのように、二つの違う意見がぶつかり合って、まったく新しい第三のアイデアが生まれる瞬間を観ることができません。

      その点、「ジレンマ」の方は、合意形成とまではいかなくても、議論の展開に柔軟性があって、なかなかスリリングでした。
      やっぱり若い世代の脳のしなやかさが表れている感じがしました。
       

      • Milton より:

        明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願い致します。

        まず、私はどちらの番組も見ていないんですよね。今現在、日本の言論で気にかけている言論人がいるとすれば、宮台真司ぐらいかもしれません。キリスト教徒のわりに口が悪いのが玉に瑕ですが、洞察力はさすがなものがあります。

        以下、おすすめの動画 (youtube)。

        自民党改憲案の粗悪な人権感覚
        videonewscom (2013/02/23 に公開)

        話しを戻しますが、ブログに書かれていたご意見には、おおむね賛成です。朝生からは同時代とのズレを感じていましたし、池田信夫氏も嫌いです、言葉遣いが汚いので。

        ただし、池田氏に多大な影響を与えた新自由主義の二御大、ハイエクとミルトン・フリードマンは私にとっても大きな存在ですね。なので、個人的にはグローバリズムに賛同しますし、小さな政府、機会の平等と結果の不平等の理念にも賛同します。

        しかしながら、そういった新自由主義の問題点はなにかといえば、そのスピード感にあると思っています。自由市場は加速しだしたら止まらないので、多くの人々が市場から振り落とされてしまうからです。なので、速度の調整は必要だとこのごろ痛感してますね。

        • 町田 より:

          >Milton さん、ようこそ
          こちらこそ、今年もまたよろしくお願い申し上げます。

          宮台真司さん。
          確かに魅力的な感じの人ですね。
          (たまたま今読んでいるのが、宮台さんも討議に加わっていらっしゃる『おどろきの中国』という本なのですが …)。
          確かに、サブカルから風俗まで論じられる幅広い関心領域を持った思想家ということで、興味が募ります。
          ただ、私はあまり宮台さんの著作を体系だって読んだことがないので、正直、自分のなかでどう位置付けていいのか戸惑うところもあります。
          今後勉強してみます。

          池田信夫さん。
          実は、けっこう彼のブログから学んでいることは多々あります。特に書評のたぐいは参考になりますね。ものすごいスピードで新刊書を読んでいらっしゃるので、それはちょっと驚異です。
          ただ、池田さんの場合は、自分の無謬性を信じ過ぎているところが言動のはしはしに漂っていて、ときどき下品に思えることがあります。Milton さんが≫「言葉遣いが汚い」と指摘されたのは、その部分ではないですか?

          「グローバリズム」というのは自分でもよく使う言葉なんですけど、実は私自身にもよく分かっていない概念なんですね。グローバリズムというのは「システム」といえばいいのか、それとも「運動」といえばいいのか、あるいは「現象」 といえばいいのか、「体制」といえばいいのか、「法則」といえばいいのか、「思想」といえばいいのか … 。
          ちょうど「資本主義(イデオロギーではないのにイズムが付いている !?)」をどう定義すればいいのか分からないような戸惑いを感じることがあります。
          きっと、ハイエクもミルトン・フリードマンもよく理解していないので、そういう戸惑いを感じるのでしょうね。

          スピードの問題は、Milton さんがおっしゃるように、これからの人類が考えなければならない大きな問題ですね。
          物事の進展があまりにも早すぎるので、もうついていけません(笑)。

          現代社会は、「成長」の根拠をイノベーションの変化に求めざるを得ないことが強迫観念になっていて、それがテクノロジー開発の加速度を増し、その結果、生物としての人間の時間感覚を超えてしまったのかな … という気もしています。
           

          • Milton より:

            そうですね、池田氏に関してはそれもありますし、もっとシンプルに「バカ」や「クソ」といった単語を使う論者のことを軽蔑しています。本当に、宮台氏だけですよ、例外は。

            なぜなら私自身が、「言葉は神」であると信じていることが大きいですね。

            それと、どんなにたいそう立派な知識を持っていても、単純に「歯磨き」してない状態で会話されても、「いやいや、まず歯ぐらいは磨こうよ」ってなるのと同じで、言葉を磨き上げるのは必須だと思うんですよね。社会性の基本じゃんっていう感じかな。

            「グローバリズム」の定義は難しいですけど、これはやはり英語圏の人々のほうが、より実感として理解できる現象でしょうね。日本の場合は、やはり日本語の閉鎖性があるので、まだ本当の意味でグローバルな国家にはなっていないと思っています。かなり進行はしてますけどね。

            最後に書かれていた、、、、現代社会は、「成長」の根拠をイノベーションの変化に求めざるを得ないことが強迫観念になっていて、それがテクノロジー開発の加速度を増し、その結果、生物としての人間の時間感覚を超えてしまったのかな … という気もしています。

            そうですね、仰る通りだと思います。個人的にもっと掘り下げたいテーマですね。トランプ政権とシリコンバレー関係の親和性とか、妙に気になるんですよね~。

  2. 町田 より:

    >Milton さん、ようこそ
    池田信夫氏のレトリックの特徴は、まず自説を述べる前に反論するべき相手を措定して、それに対するアンチという形で自説を展開するところにあります。
    これは、NHKで取材していた頃からの体質で、つまりこの人の本質は “報道人” ということなのでしょうね。先に事件がないと、自説が生まれないのだから。

    1月7日にBS朝日で放映された田原総一郎の『激論クロスファイア』で、池田氏と竹中平蔵氏がゲストで登場していました。
    その番組で、田原総一郎が正月の朝日新聞に載った「経済成長の限界論」という記事を取り上げて、両ゲストに振ったのですが、池田氏と竹中平蔵氏はともに即座に「まったくナンセンス!」と切り捨てていました。

    確かに、田原総一郎が取り上げたその記事では、「経済成長が必要だという神話は冷戦期の産物で、社会主義に対する資本主義の優位性を説くためのイデオロギーだった」というかなりトリッキーな理屈がこねられていました。
    しかし、その記事では、経済成長という名目で消されたさまざまな問題点を掘り起こす視座は用意されていたように思います。

    今日、「経済成長というイデオロギーは考え直すべきだ」などと新聞がいったところで、それを取り上げる政府も企業もあるわけがないですよね。
    人間の歴史は、ある意味で「成長」の歴史であったわけですから、これからもその流れが止まることはないでしょう。

    だから「経済成長というイデオロギーは考え直すべきだ」といった新聞の言論をテレビがいちいち否定したところでほとんど意味がないように思います。

    それよりも、「経済成長というイデオロギーは考え直すべきだ」という意見は何を言おうとしているのかということを考える想像力の方が大事であると思うんですよね。
    それは原発を存続させることの危機とか、エコを見直すというような実務的な問題だけに収れんしていくものではない。人間の精神文化の問題であって、池田氏はその手の本をいっぱい読んでいるはずなのに、そういう想像力に致命的に欠けているように感じます。

    ≫「グローバリズムを実感できるのは、やはり英語圏の人々 …」

    ああ、言われてその通り ! と思いました。

    グローバリズムとは文字通り “地球規模” ということだから、やはり経験的に大航海時代を早く迎え、地理的に “地球”という感覚を我々日本人より先に手に入れたヨーロッパ人方が、我々よりもグローバリズムを体感的に理解しているということですものね。

    トランプとシリコンバレー。
    このトランプという人は、様々なことを考えさせてくれる本当に貴重な人ですよね(笑)。「アメリカでは何が起こるか分からない」という関心を再び喚起させてくれた人のように思います。
     

  3. よしひこ より:

    池田信夫先生は、思想的な勘所を押さえるのに長けている感じがします。池田氏が今週末からポピュリズムをテーマとする講座を開くという話を聞いて、なるほどなあ~そこは急所だよね~と感心しているところです。
    「ニッポンのジレンマ」でも「ポストトゥルース」という言葉を取り上げていましたが、これもポピュリズムの関連用語という感じですね。何だか日本語に訳しにくい言葉ですが。で、確かにポピュリズムというのは今、重いテーマになってきてるなと。思いっきり短絡的に言えば、トランプ=ヒトラー、1930年代の再来となりますが、今どきの御時世としては、グローバル化への適合を唱え続けてきた指導者や知的なエリート層には、一般大衆はもう付いていけないよ、と。
    もちろんエリートがいなければ世の中は回らないんだけど、その回し方はおかしいんじゃないの、という不信感が高まっているような。エリート層の「トゥルース」もあれば、一般大衆の「トゥルース」もあるので、いろいろな現実感覚があるのは当然としても、その認識の落差が大きくなっていて、そこを調停するのも難しくなっているような。そんな感じです。

    • 町田 より:

      >よしひこ さん、ようこそ
      確かに ‼
      今このタイミングで、「ポピュリズム」を講座のテーマに選ぶというのは、ジャーナリストとしての池田氏のセンスの冴えを感じます。

      「ポストトゥルース」という言葉や「ポピュリズム」という言葉が世界的に浮上してきた背景には、よしひこさんのおっしゃるように、≫「グローバル化への適合を訴え続けてきた企業エリートたちへの反発」という潮流が一気に動き始めたということなのでしょうね。

      私自身も、1990年代末期に、外資系ビジネスエリートたちが叫んでいた「国際化に追いつけない日本企業はつぶれる」という発言や、「日本の会社員のようなぬるま湯に浸っている人間たちは国際社会では通用しない」などという言説に息苦しさを感じていました。

      その頃は、グローバリズムというのはまだ “絶対善” であったので、それに乗り遅れた日本企業や日本人というのは、人間のクズであるという印象すらありました。

      そりゃ、やっぱり疲れますわな。
      だって、1990年代末期、グローバリズムに追い立てられて、あくせく走り始めた結果、ゴールにたどり着けた人間というのはほんのわずかなんですから。
      あれから20年。今はもう「グローバリズムが個人の夢を拾い上げてくれる」などという甘い幻想を持つ人々もほとんどいないでしょう。

      そう感じている人々に、分かりやすい言葉で「反グローバリズム」を主張するポピュリストたちの演説が心地よく響くのは当然のことでしょうね。

      ポスト・トゥルース = 客観的事実よりも感情的な訴えかけによって形成される世論。

      そういう世論が主流になることによって、どのような社会が生まれてくるのか。
      魔女裁判が横行したヨーロッパ中世のような時代に逆行しないことを望むばかりです。
       

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