正月はテレビ三昧

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 今年も正月はテレビ三昧。
 居間のソファに腰を下ろし、ポテトチップスなどかじりながら、ウィスキーや日本酒などを舐めつつ、体を動かすことなく、終日じっとテレビモニターを凝視。
 体に悪いよなぁ、1月末に控えている糖尿病検査の日が来るのが怖い。

 で、正月が来ると、毎年楽しみにしている番組のひとつがテレビ朝日系の『芸能人格付けチェック』。
 ワイン、牛肉、盆栽、バイオリンの音色などを吟味しながら、呼ばれた芸能人たちがどれが本物かということを見極めていく番組で、現在個人としての連勝記録を43勝まで伸ばしているGACKTが、今年はどれだけその記録を更新するかが焦点だった。
 結果、その連勝記録は48までに。
 味覚、聴覚、視覚におけるGACKTの審美眼には敬服せざるを得ない。

 今回、GACKTとチームを組んだのはホリエモン(堀江貴文)。
 起業家として辣腕を奮ってきたセレブ男だけに、グルメにおいても音楽やアートの鑑賞においても “一流?” の生活を送ってきたはずだが、GACKTの “一流ぶり” にはまったく届かなかった。

 ホリエモンがGACKTチームを代表して問題に向き合っている様子をモニターで見守っていたGACKTが、間違いそうになったホリエモンに一言。
 「あいつ、今まで何に金をつかってきたんだ?」
 真贋を見極める生活に徹してきたGACKTの経済感覚を一瞬だけ垣間見ることができた言葉だった。
  
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 2日目はハードディスクに録画していた『スターウォーズ/フォースの覚醒』を観た。
 レイ役で出ていたデイジー・リドリー(↓)が可愛いので、この作品だけはどうしても観ておきたかったのだが、まぁ、見終わった感想は、「あいかわらずだな」の一言。

 結局、スターウォーズ・シリーズはどの作品を観ても変わりばえがしない。
 基本は、善と悪が対立するシンプルな勧善懲悪ドラマ。
 しかも、善玉(共和国側)も悪玉(帝国側)も、それぞれの善悪の根拠(思想的背景)を示さない。
 つまり、それはお互いが「自分こそが善であり、相手は悪である」と決めつけていることを意味するにすぎない。

 スターウォーズのファンの中には、「ここには人間が経験するあらゆるドラマが詰まっている」と豪語する人もいる。 
 たとえば、この「フォースの覚醒」においては、ギリシャ神話以来の “父殺し”のテーマがある、などと。

 しかし、たとえ “父殺し” がストーリーに取り込まれようが、結局は「善・悪」二元論の構図にきれいに収まってしまい、最後は予定調和のハッピーエンドが待っているだけ。
 それでは “人間が経験するあらゆるドラマ” などとはいえない。

 SF映画ファンには、「ブレードランナー派」と「スターウォーズ派」がいると思うが、私は不条理感に満ちたブレードランナーの方が好きだから、単純構造のスターウォーズには点が辛いのだ。

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 正月2日目の夜は、「BS朝日新春討論スペシャル『いま、日本を考える』 」という番組を観る。
 田原総一朗(ジャーナリスト)/井沢元彦(作家)/三浦瑠麗 (東京大学政策ビジョン研究センター講師)/川村晃司(テレビ朝日コメンテーター)/東浩紀(批評家)/上念司(経済評論家)/谷口真由美(大阪国際大学准教授)/飯田泰之(明治大学准教授)という面々が4時間にわたって、2017年以降の世界情勢と日本が抱えている政治・経済の難問を語り合うという番組だった。

 面白かったのは、この手のトーク番組でありがちな悲観論が影を潜めていたこと。
 いちおう多方面にわたって問題点は抽出されたが、参加者たちの意識は、それぞれの問題点を現実的に解決する方向に向いていて、番組全体のトーンは明るくポジティブなものだった。

 たぶんそれは、今の日本が、安倍晋三による異例なくらいの長期安定政権を維持していることとも関係しているかもしれない。
 概して、参加者たちの安倍内閣への評価は好意的だった。
 もし、ここに共産党や民進党系の議員でも混じっていたら、話し合いは紛糾したかもしれない。

 だが、今回討論に参加した論客たちの大方の意見としては、今の日本をダメにしているのは、そういう共産党などの既成政党も含めた “進歩的知識人” などといわれるリベラル派だという。

 かつて、「左翼」という言葉がしっかり機能していた時代のリベラル派は、現政権の行き過ぎをしっかりチェックする能力を備えていたが、今「護憲」を訴えたり、「安保法案を軍事法」と断定するリベラル派は、もう左翼精神すら失った既得権益者にすぎないのだそうだ。
 
 彼らは、資産的にも身分保障的にも、すでに現体制下における既得権をしっかり確保し、その安定した基盤の上にあぐらをかいた状態で、言葉だけ「リベラル」を訴える。
 それが今の政治が抱える問題を相当ややこしくして、解決困難な方向に誤誘導しているというのだ。

 その指摘はある程度当たっているように思えた。
 現に、『朝まで生テレビ2017』などでしゃべっていた共産党の小池晃などは、見苦しいほどのアナクロニズムと精神の硬直化を示していた。
 
 それ以外の感想としては、田原総一郎(82歳)の見事な仕切りぶりが印象に残った。
 今回、田原はMCという役割を降りて、1コメンテーターとしてこの討論に臨んだのだが、議論の焦点を明瞭にしてほとんどの討議の流れをつくったのは、田原総一郎であった。

 もうひとつ印象に残ったことは、三浦瑠璃(↑)の成長ぶり。
 彼女は、今の日本で政治を語る女性の筆頭論客になりつつある。
 この討論会には歴史作家、経済学者、政治コメンテーターなどさまざまな肩書を持つ論客が集められたが、全分野においてよどみなく自分の知見を披露できたのは、三浦瑠璃一人であった。
 
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 ドラマでは『冬のソナタ』の再放送(BSフジ)の一部だけ観た。
 2002年に制作されたドラマで、世界的な韓流ブームをつくるきっかけとなった作品である。
 実は、これがNHKで放映されていた頃、毎週楽しみにして観ていたことがある。

 いま改めて観ても、あいかわらず美しくて切ない。
 “冬” という季節を、これほどロマンチックに仕上げた作品というのは、ほかにないのではなかろうか。

 人の心を小さく縮こませてしまう冬。
 冬という季節は、どちらかというと、「耐え忍ぶ」とか「心を閉ざす」という印象が強く、早く終わってほしい季節の筆頭であったが、この『冬のソナタ』は、“冬が終わる” ことのさびしさをはじめて描いたドラマになった。「春が来るとミニヨンとユジンの恋は終わるのだろう」と予測させる気配をどこかに漂わせているのだ。
 
 「冬よ終わらないで !」
 という気分にさせるドラマなんて、考えてみればすごいことだ。

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 3日の夜には、『英雄たちの選択 新春スペシャル』(NHK BSプレミアム)という番組も観た。
 テーマは、「ニッポンの古代人のこころと文明に迫る」。

 最近は、先端技術を使った発掘調査などにより、それまでの日本史の教科書を書き換えるような新しい情報が次々とアップされるようになったらしい。
 この番組では、そのような最新情報をもとに、これまで単純な稲作民と見なされてきた弥生人が、稲作だけでなく、さまざまな生活スタイルを試みており、世界観においても、独特の精神文化を持っていたことを明らかにした。

 途中から観たので、最初の展開は分からなかったが、印象に残ったのは銅鐸(どうたく)の話。
 これまで、銅鐸という道具は祭儀に使われるものであることだけははっきりしていたが、それがどのような使われ方をしていたかは、まったく謎に包まれたままだった。

 しかし、近年の研究によると、それは釣鐘(つりがね)のように打ち鳴らすことで、祭儀の場を演出していたことが判明した。
 スタジオには、その精巧に作られたレプリカが持ち込まれ、専門家の手によって、いくつかの鳴らし方が試された。

 はじめて聞く音であったが、なんとも玄妙な音であった。
 後世の寺の鐘などと違って、もっと軽やかで涼やかな音なのである。

 解説者がいう。
 「おそらくこのような金属音は、それまでの弥生人が聞いたこともなかった新しい音に聞こえたはずです。それは、弥市人の精神文化に深い影響を及ぼす音になった可能性は高い」

 それを聞いて、番組のMCを務める磯田道史氏がすかさず、「自分がはじめて電子音を聞いたときのような衝撃があった」と告白する。
 彼がいうには、「この音は、田んぼに植えられた稲を生育させるための “栄養剤” のように思われていたのではないか」とも。

 私自身の乏しい体験に照らし合わせていうと、ビートルズのギター音とコーラスをはじめて聞いたときの感覚に近い。
 1960年代初期に、まろやかなアメリカンポップスに馴染んでいた私の耳に届いたビートルズサウンドは、まさに“荒ぶる神の啓示” であった。

 人間が文化概念を獲得する一つの道具として、まず「言語」というものがある。
 しかし、「音響」には、その「言語」よりもさらに深い根源的な文化概念を創造する力がある。
 銅鐸の音響が、当時の弥生人たちにどんな文化概念を与えたかは不明だが、レプリカの銅鐸がもたらした風雅な金属音には、確かに古代の神々のつぶやきが混じっていそうな気配があった。

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 同じく3日の夜、NHKのEテレで放映された「名著スペシャル『100分de手塚治虫』」を観る。
 これは、2016年11月12日に放映されたもの再放送らしい。

 タレントの伊集院光が司会を務め、女装エッセイストのブルボンヌ、映画監督の園子温、精神分析医の斎藤環、宗教学者の釈徹宗などがそれぞれの観点から手塚漫画の魅力を語った。

 話題は、鉄腕アトムのエロスに向かった。
 本来は無機質なロボットであり、かつ造形的には男の子を志向したアトムが、なぜあのような両性具有的な色っぽさを漂わせるのか。
 MCの伊集院は、そのアトムの容姿に、子供ながら奇妙な色気を感じて心がざわついたことを告白する。

 アトムのエロスというのは、基本的に、手塚治虫の描く線の色っぽさに帰着する。
 手塚の線は丸っこい。
 それは容易に女性のたおやかな乳房や豊饒な尻を連想させる。
 
 しかし、そういう即物的な色っぽさを超えて、手塚自身が「丸い形状」に生命力としてのエロスを感じていたことが明らかになっていく。

 手塚は、太陽系の惑星の動きや、水面に広がる波紋、さらに葉の上に溜まる雨の滴などの円運動に、自然そのものが持っているエロスを感じていた。
 彼にとっては、円を描くことそれ自体が、すでにエロチックな行為だったとも。

 手塚の漫画の原点には、ディズニー漫画があるらしい。
 彼はディズニーの作画に憬れて、自分の画風を作り上げていった。
 
 実は、昔のディズニーのキャラクターにもエロスがある。
 私は、ディズニーのアニメなどに登場するピーターパンに、いつも妖しげな色気を感じて、一人でどきどきしていた。
 

 彼はいわゆる “美少年” ではない。
 トランスジェンダー的な、両性具有のエロスがあるといった方がいい。

 こういう存在は、男女の性別を超えた正体不明のなまめかしさを持っていて、ときに少年の読者を不安に満ちた恍惚感に満たす。
 鉄腕アトムもピーターパンも、罪作りな主人公たちである。 
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ, ヨタ話, 映画&本   パーマリンク

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