トランプ氏はビジネスマンなどではない

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 日本時間の早朝に開かれた米次期大統領トランプ氏の記者会見で、そうとうな暴走発言があったと各報道機関が伝えている。
 私も、その記者会見の画像を見た。

 各メディアの質問に対し、ケンカ腰である。
 トランプ氏の表情も険悪で、下品。
 その言動は、傲慢さと威嚇と満ちていた。

 アメリカ大統領の記者会見というものが、こんなに荒涼とした殺伐なものであったことをはじめて知った。
 もっとも、その責任の9割方は、トランプ氏側の問題なのだろうが。

 この記者会見で、トランプ氏は選挙運動中に掲げた暴走発言をより一層明確な態度で繰り返したという。
 すなわち、メキシコ国境との壁を早急に建設し、その費用をメキシコ政府に払わせる。
 中国、日本、メキシコとの貿易では、アメリカは多額の損失を出しており、(これらの国に対しては)貿易の不均衡を是正する処置を取る。
 
 そういう発言を聞いていた報道陣の感想によると、トランプ氏は大統領就任後に、きっとイスラム教徒の入国拒否や、日本や韓国に対する核武装の勧めなど、基本的に選挙活動の際に発言していた内容をほぼそのまま推し進めていくだろうとも。

 このようなハチャメチャな政治発言が繰り返される一方、減税や公共投資、インフラ整備などの話題にはほとんど触れられず、それらを期待して値上がりしていた株価も、会見以降は急落したという。

 他国の大統領のことだから僕らに発言権はないけれど、おそらくアメリカ国民は、建国200年の歴史のなかで史上最悪・最低の大統領を選んでしまったのではなかろうか。

 選挙戦さなかでも、トランプ非難の声は絶えなかった。
 しかし、一方では、「トランプ氏は実業家だから、これまでの政治家とは異なり、ビジネス感覚で斬新な政策を進めていくだろう」と期待する声もあった。

 それは甘い期待だったかもしれない。
 これまでのトランプ氏の発言内容を見ていくと、彼にはほんとうの意味での “ビジネスセンス” など微塵もないことが伝わってくる。
 むしろ、ビジネス的なバランス感覚とはまったく無縁の、頭の固い差別主義者としての面があらわになってきた。

 「中国、日本、メキシコとの貿易不均衡を是正する」

 彼のそういう発言の根拠は何か?
 これは経済分析などではない。
 その意味は、
 「肌の黄色い人種や、肌の茶色いラテンアメリカ人は嫌いだ !」
 ということなのだ。

 一方、ロシア人は同じ白人種で、しかもキリスト教徒であるからいいようだ。
 それに対し、イスラム教徒は断固拒否。
 なんと単純な “分断思想” なのだろう。

 だが、残念なことに、われわれ人間は、「分断」を煽られた方が感情を刺激されるようにできている。
 他者への共感や愛を説かれるよりも、恐怖心を煽られ、憎しみをかきたてられ、他者との「分断」を呼びかけられた方が、われわれはエモーショナルになれる。

 現に、トランプ政権の成り行きに不安を感じている自分だが、トランプが中国に対して強硬姿勢を打ち出すなどという報道に触れると、
 「そうだ ! そうだ ! 生意気な中国をやっつけろ」
 などと、思わずトランプの “分断思想” に共感を感じている自分を見つけたりする。

 「融和」よりも「分断」を煽った方が、人間の共感が増幅されるのは何万年もの間、人類が競争と戦争の圧力に苦しみながら生き延びてきた結果なのだ。

 だから、「憎しみ」を共有し合うと人間は簡単に結束できる。
 「憎しみ」の共有には、「知性」が介在しないからだ。

 「知性」というのは、憎しみを軸に生まれた結束が、結局は悲劇しか生み出してこなかったという反省から生まれてきた能力だ。
 そういう能力を得るために、人類はそうとう長い努力を重ねてきた。

 その辛い努力の蓄積を、「憎しみ」は、いとも簡単に踏みにじることができる。
 なぜなら、人類には「憎しみ」の歴史の方が圧倒的に長いから。

 「分断思想」というのは、その「憎しみ」を煽るところから生まれてくる。
 トランプのやろうとしていることは、人類が長い間努力してようやく手に入れた「知性」を葬り去ろうとするものである。
 
  

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

トランプ氏はビジネスマンなどではない への7件のコメント

  1. Milton より:

    以前にもコメントした覚えがあるのですが、トランプ氏が大きく躍進したきっかけが「ポリティカル・コレクトネス(略称:PC)批判」なんですよね。それがまさしく、アメリカ社会が「融和」よりも「分断」に舵を切った分岐点だと個人的には思っています。

    それと知性って、時に抑圧的なんですよね。英語ですが、尊敬するミシェルフーコーのこんな格言があります。

    “The judges of normality are present everywhere. We are in the society of the teacher-judge, the doctor-judge, the educator-judge, the social worker-judge; it is on them that the universal reign of the normative is based; and each individual, wherever he may find himself, subjects to it his body, his gestures, his behavior, his aptitudes, his achievements.”

    その反面、人間の感情に訴えることは「カタルシス」にも通じる。つまり、オバマ民主党政権の根底にあったエリート主義(正しさの抑圧)に対する反動が起きたのかもしれません。あとはもちろん、ここまで格差を放置してきたエスタブリッシュメントに対する国民の憎悪も大きいでしょうね。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      おっしゃる通りですね。
      「ポリティカル・コレクトネス(PC)」
      平たくいうと、“差別的な表現をなくそう” という主張ということになるのでしょうか。

      確かに、PCが当たり前のように言論の中核を占めるようになると、なんだかとても欺瞞的なものも感じるし、それを主張するエリートたちの傲慢さも浮かんでくるように思います。だから、それに対する庶民的な反発が生まれるのも当然であるかもしれません。
      そういう心理機制と、格差を放置してきたこれまでの指導者層へのいら立ちがトランプ現象を生み出したというMilton さんの洞察は、まさにその通りだと思います。

      また、おっしゃるように、「知性」って、時に抑圧的ですよね。
      自分でも、そう感じます。
      しかし、だからこそ、それが個人の内面に向けられたときは、倫理として機能するのではないでしょうか。

      これは私の独断的な思いなのかもしれませんけれど、「知性」と「感情」というのは、単純な二項対立になってはいないのではないか、と感じることがあります。
      というか、けっきょく「感情」の生成も、「知性」がベースになっているような気がします。
      「感情」にも “豊かな感情” と “プアな感情” というものがあって、その差に関与しているのが「知性」ではないかと。

      とにかく、Miloton さんにはいつも考えるための大切なヒントをいただいています。いつもありがとうございます。
       

      • Milton より:

        こちらこそ、町田さんのブログにはいつも触発されています。どうもありがとうございます。

        実は私は目が悪くて、コメントするのに時間をかけないようにしているのですが、最近友人としたメッセージのやりとりをここで抜粋したいと思います。以下抜粋。

        要はさ、知性って抑圧的なんだよな。前に言ったじゃん。俺は白人でもスラヴ人が好きだって。つまり、近代化がどんどん進んで賢くなると、むしろ他者の「あらゆる愚行」に不寛容になるんだよね。

        (中略)

        むしろ、俺らの心に官僚制ができるんだよな。俺だって数年前は「ハーフ」って言葉は差別になるから使っちゃ駄目なんだって思い込んでたし、、、

        自分でPCを意識するようになってしまうと、心のなかに官僚制を作るのと同じだよ。

        おわり。

        フーコーの英文は、そんな高度に情報化した我々の社会のなかで機能する様々な「官僚化」を指摘したものです。コンプライアンスなどは典型ですね。

        もちろん、そんな「心の官僚」が、町田さんの仰るような感情の劣化を制御する働きにもなってるんですけどね。そこをどこに求めるか。

        アリストテレスが説く自己の「節制」と、ポリティカル・コレクトネスのような社会が決めた要請とはおそらく違うものだと思いますね。リバタリアンと、社会正義の違いというか。ここまで来ると、私の稚拙な文章で説明するのは限界があるかな(笑)

        • Milton より:

          「そんな高度に専門化した我々の社会」のほうがより正確かな。

        • 町田 より:

          >Milton さん、ようこそ
          ご友人の方とのメッセージのやりとり、面白く拝読しました。
          ≫「スラブ人が好きだ」
          ≫「賢くなると、他者の愚行に不寛容になる」
          こういうやりとりって、なんかドストエフスキー風ですね。

          近代人が抱え込んだ “心の中の官僚制” って、きわめてやっかいな問題です。
          「コンプライアンス」に象徴されるように、自主規制が「倫理」になるのではなく、他者の叱責を予想して、あらかじめそれから身を守ろうとする防御機制として働いてしまうというのは、すごい窮屈なことだと思います。

          パノプティコンという監視システムがありますけれど、ああいう施設に収監されてしまうことを想像すると、それだけで苦痛です。
          たぶん、「心の官僚制」というのは、そのパノプティコンの看守塔に当たるところに自分の知性を配して、自分自身をすべてコントロールしようとすることなんでしょうね。
          つくづく近代人は大変だと思います(笑)。
           

  2. Get より:

    お邪魔します。

    これは素晴らしい!という外国語の格言などなど。
    原文のまま貼り付けても、御ブログ読者のどれほどが(勿論私もその一人)
    すんなり解釈できるでしょう?
    2言語に優れていらっしゃるなら、おまけに訳文を貼ってくださればうれしいですね!

    • 町田 より:

      >Get さん、ようこそ
      援護射撃(?)ありがとうございます。
      恥ずかしながら、Milton さんが紹介してくださった英文、少し私には難解でありました。
      でも、本来は辞書などを頼りに、読み解かねばならないのでしょうね。
      “知性” を称揚するならば、特にね(笑)。
       

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