古代史のロマン

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 日本の古代史にはロマンがある。
 特に、大和政権が生まれる前の混沌たる時代は多くの謎に包まれていて、どのエピソードも推理小説を読むかのようなときめきがある。

 「ロマン」と「謎」は同義語である。
 すなわち両者は、推理小説のように、“謎をはらんだ物語” を指す言葉だといっていい。

 「謎」という字は、“言葉が迷う” と書く。
 つまり、謎と出遭うということは、言葉では説明し得ないものに直面するということだ。
 だから、トートロジー(同語反復)になるけれど、「ロマンというのは言葉では説明し得ないもの」に出遭うことなんだな。 

 その古代史最大の “ロマン” は、邪馬台国の卑弥呼の正体ではあるまいか。

 邪馬台国論争というのは、邪馬台国の位置をめぐって、もう300年以上も続いている論争であるが、いまだに決着がついていない。

 結論が出ないからこそいい。
 「結論の出ないもの」は、いつまでも考えるヒントを紡ぎ続ける。
 結論を出すことよりも、思考を持続させることの方が大事であることはいうまでもない。
 
 正月に観ていた番組のひとつに、『英雄たちの選択新春スペシャル』(NHK-BS)というのがあった。
 テーマは「“ニッポン”の古代人のこころと文明に迫る」。

 そのなかで、ゲストの一人である漫画家の里中満智子が、邪馬台国の女王「卑弥呼」は、単一の人物と考える必要はないのではないか、と言っていた。
 すなわち、女系リーダーを意味する “ヒメミコ” という一般名詞を、魏志倭人伝の作者が「ヒミコ」と聞き取り、それを単一人物だと思い込んだまま記述したとも考えられるとか。

 そういう説はすでに他の研究者たちからも言われていることかもしれないけれど、そのこと以上に印象に残ったエピソードは、「卑弥呼」には弟がいて、その弟が祭りごとの実務を請け負っていたという話。
 つまり、姉の卑弥呼は呪術にいそしみ、弟が政治を担当したという2系統の統治がこのときすでに始まっていたという指摘が面白かった。

 日本の権力機構の特殊性は、天皇という「権威」と、政治の実務を取り仕切る「権力」が分かれているところにある。
 貴族政権においても、武家政権においても、日本の権力者たちは「天皇」を廃止して、自分たちが天皇にとって代ろうとは一回も考えなかった。
 天皇という「権威」を利用する形で、自分たちの「権力」の正当性を主張しようとしたのである。

 そういう統治形態の原型はどこにあったのか?
 それが卑弥呼の時代に始まっていたという指摘は面白かった。
 つまり、日本においては、女系リーダーの “ヒメミコ” が呪術的祭儀による象徴的権威を維持し、男系リーダーが実質的な政務を取り仕切るという日本独特の二重権力構造の起源を「卑弥呼神話」は語っているというわけだ。
 
 
 同じ番組で、蘇我氏の正体を探るという企画もあって、こちらも楽しかった。
 蘇我氏というのは、天皇家から政権を強奪しようとしたため、天皇家を守ろうとする中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された逆賊といわれ続けてきた。

 しかし、蘇我氏はけっしてそのような非道の豪族ではなく、むしろ律令制を進めて天皇家の権威を高め、日本の文化レベルを上げようとした開明的な一族であったというのが、近年ではほぼ定説になりつつある。

 蘇我氏にそれを可能にさせたものが、半島系の渡来人との太いパイプである(蘇我氏自身が渡来人であるという説もある)。
 この時代、文化においてもテクノロジーにおいても渡来人の力は圧倒的であり、彼らの持っている情報とテクノロジーを使いこなせた蘇我氏は、「今でいうネットにアクセスできるリテラシー(活用力)を持っていた」ということになるらしい。

 当然、蘇我氏はグローバル社会を理解していた。
 当時のグローバル社会というのは中国、インド、朝鮮であったから、インドで起こった仏教が中国経由で朝鮮に渡り、それが当時の世界的イデオロギーになっていたことを知っていた。

 当時の日本で仏教を採り入れるということは、グローバリズムを背景に “IT 革命” を起こすようなものであった。、
 視覚的にも聴覚的にも、仏教に触れた日本人は、それまでとはまったく違った世界を見ることになった。

 まず寺院や五重塔といった仏教的建築物や仏像のようなアートの出現は、GGによる新しい映像文化が登場したようなものであったかもしれない。

 この頃を境に、日本では重厚長大な「前方後円墳」という墓地の形態が廃れ、四隅を四角く切り取ってコンパクトに収めた「方墳」に変わったという。

 これは何を意味するのか?
 すなわち、「前方後円墳」のような墳墓が権力者の権威の象徴ではなくなってきたのだ。

 面積として広大な土地を擁する「前方後円墳」も、横から見ると、単なるなだらかな丘陵に過ぎない。
 それより、少ない面積ながら天に向かって垂直に伸びていく寺院や五重塔といった仏教建築の方が、新しい時代の権威として見栄えがする。

 蘇我氏は、「前方後円墳」を権威と見なしてきたそれまでの古代天皇家の意識改革を行ったのだ。
 
 そこにはコスト意識も働いていた。 
 大量の労働者を必要とする一大土木工事の「前方後円墳」より、仏教建築の方が建設コストが安くなるのだ。
 コストが安いだけでなく、その建立には技術を持った専門家集団が必要となるから、付加価値も生まれる。

 蘇我氏は、この仏教建築を造れる専門集団を育成し、天皇家と距離を置こうとする地方豪族と交渉し、「天皇家を敬えば、あんたの地に寺院を建立してやってもいいぞ」という取り引き材料に使ったという。

 こう考えると、蘇我氏が大化の改新で滅亡しなければ、古代の日本はもっと違った社会になっていた可能性がある。
 
 そういう想像を惹起させる物語が、すなわちロマン。
 古代史が面白いのは、考古学的発見や文献の新発見によって、そのロマンの形が次々と変わっていくからだ。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

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