木漏れ日の似合う音楽

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 「木漏れ日の似合う音楽」というものを集めて編集し、ウォーキングに出たときに聞いている。

 
 
 これは、歩きながら聞くのではない。
 歩き疲れて公園のベンチなどに座り、木々の隙間から漏れて来る陽の光が美しく感じられるような瞬間を選んで聞いている。

 そういうときの音楽は基本的に、
 ① テンポがゆるい
 ② 爽やか
 ③ メロディーがきれい
 ④ 透明感・空気感がある
 … というものが中心になっている。

 もちろん、かなり主観的な選曲になってしまうので、曲名を挙げても多くの人の共感を得られるかどうかは分からない。
 しかし、どうせ聞くのは自分1人であるから、好みの偏りがあっても許されるはず。
 そういう音楽を聞きながら、木立の間を吹いてくる風を浴びていると、情感が刺激されて、身体が浴びる風と光に「物語」が加わる。 

 そういうときのオープニングは、たいていこの曲である。

▼ Blood, Sweat, & Tears 「Variations on a Theme by Erik Satie」

 Blood, Sweat, & Tears が、1968年に発表した2枚目のアルバム『Blood, Sweat,& Tears』の1曲目に収録された曲で、タイトルは「エリック・サティーの主題による変奏曲」。
 文字通り、エリック・サティーの「ジムノペディ」をベースに構成された変奏曲だ。

 サティの「ジムノペディ」はピアノ曲だが、このB・S & T(Blood, Sweat, & Tears)版は、ギターとフルートを使った牧歌的なアレンジに仕上がっている。
 もともと「ジムノペディ」はGmaj 7 & Dmaj 7 というメジャーセブンスを使った不協和音で構成されているので、美しいメロディーでありながら、どこか不安定な浮遊感が漂い、メランコリックな哀調がにじむ。

 しかし、このB・S & Tのアレンジではメランコリックな哀調がやや後退し、逆に爽やかさが浮上している。不協和音であるメジャーセブンスも、その “ゆらぎ感” が、ここでは木々の間で揺れている午後の光を連想させて、透明な空気感を演出している。
 

 
 話は脱線するけれど、このB・S & Tのジャケットは、どこか “素人の日曜画家” などといわれたフランスのアンリ・ルソーの絵を思わせる。

▼ アンリ・ルソー 「砲兵たち」(1893年)

 
 アンリ・ルソーは、人間が無意識の底に眠らせている “原初の光景” のような世界を描いた画家。
 まさに、デ・ジャブに似たような、“ノスタルジックでありながら、この世にはない風景” の描き手として知られている。
 その絵の大半は、まさに木々の葉のむこう側に、ちらちらと光が舞っていそうな情景で占められている。

▼ アンリ・ルソー 「ルクセンブルク公園 ショパン記念碑」(1909年)

 たぶん、「木漏れ日」の光というのは、アンリ・ルソーの絵のような “ノスタルジックでありながらこの世にない風景” を人間に教えてくれる光なのだ。

 このB・S & Tのアルバムジャケットデザインを担当したデザイナーは、アルバムの収録曲が「エリック・サティーの主題による変奏曲」で始まることを知ったとき、おそらくアンリ・ルソーの絵を連想したに違いない。

 だから、このジャケットは、(ルソーの絵のように)、古い屋敷の引き出しの中で眠っていた先祖の肖像画を眺めたときのような、くすんだセピア色に染まった画像になっているのだ。
  
   
 次のような曲も、私には “木漏れ日の似合う” 音楽に聞こえる。
 アルベニスの『タンゴ』。
 クラシックギターのファンにとってはおなじみの曲だが、この “眠気を誘う” ようなおだやかな曲調が、木立をかすめる風と優しく絡み合うとき、えもいわれぬ心地よさが生まれる。

▼ John Williams 「Albeniz Tango」(1980年)

 アコースティックギターというのは、数々の楽器のなかでも、いちばん風の音に近い音色(ねいろ)を奏でてくれる。
 特に “甘い風” を連想させる。
 たぶん、それはギターの歴史にも多少関係しているのかもしれない。

 ギターはアラブやインド起源の弦楽器が、8世紀頃、ムーア人のイベリア半島への侵攻によってスペインに持ち込まれ、そこで洗練されて、現在のスタイルに定着したものだといわれている。

 ギターを生んだ風土、すなわちインド、アラブ、北アフリカ、スペインの環境を特徴づけるのは陽射しの強さだ。
 そういう過酷な環境を和らげてくれるものが、すなわち、そこの住民が感じる 快感のベースとなる。

 陽射しの強さを和らげてくれるもの。
 それは、「涼風」である。
 ギターの調べが “風” に近いのも、過酷な風土で育った人たちが “快” と感じるオアシスの風を希求する音として発展したからだ。

 彼らが “オアシスの木々をかすめる風” にいかに憬れていたかは、スペインのグラナダにある「アルハンブラ宮殿」を見ると、よく分かる。

 中世に建てられたこのイスラム様式の宮殿は、はたして何をイメージして造られたものなのなのか。
 写真を見れば一目瞭然である。
 中庭に広がる池は砂漠のオアシスの泉を意味し、その周囲を囲むアーチは、オアシスの岸辺に生えるヤシの木である。

 そしてそのオアシスの素朴な情景は、そのままコーランに描かれるイスラム教の「天国」のイメージと重なっていく。


 
 すなわち、「木陰」と「涼風」こそがギターを生んだ民族たちの快感の源泉だったのだ。
 このように、「風」と「陽光」と「木の影」が、人間が自然から「快」を得るための3原則であることは間違いない。


  
 
 次の曲は、ずばりそのテーマが「風」。
 キャット・スティーブンスが1971年に発表したアルバム『ティーザー・アンド・ファイアーキャット』の巻頭を飾る曲「ザ・ウィンド」もまた “木漏れ日の似合う” 音楽だ。

▼ Cat Stevens 「The Wind」

 ここでは、キャット・スティーブンスが弾くアコギの音そのものが、木陰を吹く涼風を感じさせてくれるが、なによりも、彼の歌声がすでに “風の音” になっている。
 爽やかで、乾いていて、それでいて温かい。
 そして、少しだけ寂しい。
 これなど、まさに、夏の終わりに忍び込んできた「秋の風」である。

 キャット・スティーブンス(写真下)はギリシャ人の血を引く少年として、ギリシャ正教を身に付けた家庭に育ち、カトリック系の学校で授業を学び、10代の末に音楽の世界に入る。

 世界的なヒットとなるアルバムを数々と世に出しながらも、1977年に「ユスフ・イスラム」と名を改めてイスラム教に改宗。世界平和を訴える運動に従事するようになる。
 そういった意味で、きわめて宗教性の濃い人生を送ってきた人であり、この「The Wind」という曲もかなり宗教色の強い難解な歌詞で綴られている。

 ♪ 私は夕陽の当たる場所に座って、風を聞く。
   私の魂の風を聞く。
   それは神だけが知っている世界だ

 歌詞の意味するものは難しいが、サウンドそのものは、木々の葉っぱの間を通り抜けて来る「光」と「風」だ。
 ということは、「木々の合間をぬう光と風」とは、そもそもが神の世界の啓示なのかもしれない。


 
 
 「木漏れ日に合う音楽」とは何か?
 確かに、ここまで挙げてきた音楽は、どれも人間の心を癒し、おだやかな気持ちにさせてくれる優しい音楽であることは間違いない。
 
 しかし、その本質は、この世にさりげなく “あの世” の音を忍び込ませる音楽なのかもしれない。
 「木漏れ日」そのものが、人間の世界にこっそりと降り注ぐ “神の光” なのならば、それをイメージさせる音楽もまた、この世を超えた世界を暗示するような音にならざるをえない。

 ウィンダム・ヒルレーベルのつくり出す音楽は、まさにそのような音の集大成というおもむきを持っている。

▼ William Ackeman 「Pacific II」

 上に紹介したのは、ウィンダム・ヒルレーベルの創設者でもあるギタリストのウィリアム・アッカーマンの曲「Pacific II」。
 
 これもまた木立の間に降り注ぐ「陽の光」と、その合間を漂う「風」のゆらぎを感じさせてくれる曲である。
 ただし、この音は、優しさとおだやかさのなかに、どこか「人間が入って行けない世界」があることを暗示させる。

 そのニュアンスを、人間の言葉で表現するのはむずかしい。
 しいて言えば、「生活」の匂いがしない世界。
 すなわち、「風」と「光」以外のものが存在しない世界。
 透明度が非常に高い抽象的な世界。

 ウィリアム・アッカーマンのギターは、地球に人間が存在しない前の世界か、もしくは地球から人間が姿を消したあとの静かな世界を奏でているようにも思える。

 そういう “時間を超えた音” が、さりげなく木漏れ日が優しく揺れる現在の地球に漏れてくるという感じを、私はこの硬質なギターの響きから感じる。
 だから、この音の甘い美しさの底には、「永遠の虚無」がひっそりと沈んでいる。
 
 
 「木漏れ日の似合う曲」には、このウィンダム・ヒル系の “抽象画” のようなサウンドもあるけれど、もっと具体的なイメージを喚起させてくれる曲もある。
 次の曲は、ジャズ・バイオリニストのステファン・グラッペリの奏でる「煙草とワイン」。
 
▼ Stephane Grappelli 「Smoke, rings and wine」

 このサウンドから私が想像するのは、ガーデンに面したテラスを持った郊外のレストランなんかでくつろいでる情景だ。
 実際に自分がそういう体験を持ったことがあったのかどうか、あまりよく記憶にはないのだけれど、この曲を聞くとすぐに浮かんでくる情景は、遠くに森が見える芝生に面したカフェレストランのテラス。

 時刻は夕暮れ。
 森の木々の間に、沈みゆく太陽の光が見え隠れする。
 次第に陰りを増していく空の色に反比例するように、ガーデンの芝生を照らす街灯が明るさを増していく。
 自然の光と人工の光が、ちょうど同じぐらいの明るさで拮抗する奇跡の時間帯。

 なんと気持ちのいい夕暮れ !

 この曲は、そんな情景を頭のなかに引き寄せる音なのだ。
 おそらく、この演奏が終わるころには、私の最愛の人間がこの席にやってくる。
 私はその時間を楽しみに、一人でワインを飲んでいる。
 やがて、2人の語らいを祝福する夕焼けが、森の木々を最後の残照で飾ることになるだろう。

 … とかを想像しながら、公園のベンチに1人座り、この音を聞きながら、ペットボトルのお茶を飲み干す。
 
 今日のウォーキングのメニューを消化し、家まであと5分。
 家にたどり着いた頃が、ちょうど日没の時間かもしれない。
 
 

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