大木トオル氏ブルースを語る

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 筑波大学で開かれた大木トオルさんの “セラピードッグ” の講演会にて、犬との共生に関する様々な知見を得ることできたが、同時に大木さんがブルースシンガーとして活躍されてきた経験から、たくさんの音楽の話もうかがうことできた。

▼ 大木トオル氏

 なにしろ、大木トオルさんといえば、東洋人ブルースシンガーとして唯一全米ツアーを成功させるなど、日本のみならずブルースの本場であるアメリカでも非常にミュージシャンとしての評価の高い人。
 その交友関係を聞くだけでも、黒人音楽好きの人には目が飛び出るほどのビッグネームばかり。

 そのうちの1人をまず言えば、日本でも有名なライブアルバムとなった『フィルモアの奇跡』で、アル・クーパーと一緒にセッションしたマイク・ブルームフィールド。
 彼は白人だが、そのギタープレイの “黒っぽさ” で、黒人以上のブルースミュージシャンとして知られた人。
 大木さんは、このマイク・ブルームフィールドと親交を重ね、マイクの死の間際まで将来変わらない友情を育てた。

▼ 「フィルモアの奇跡」の有名なジャケット(左がマイク・ブルームフィールド)

 そのとき、大木さんをマイク・ブルームフィールドに紹介したのが、マーク・ナフリタリンだという。
 今の若い人たちは知らないかもしれないが、1960年代にポール・バターフィ―ルド・ブルースバンドなどのレコードに接していた私にはとっては、もうこのマイク・ブルームフィールドとマーク・ナフタリンという名前だけでもビッグネームなのだ。

 さらなるビッグネームといえるのは、全米で “3大キング” の一人と言われたアルバート・キング。
 3大キングというのは、B・Bキング、フレディ・キング、アルバート・キングのことをいうのだが、なんと大木さんはこのアルバート・キングと共演体験を持ち、アルバムも残し、多くの音楽論議も交わしている。

▼ アルバート・キング & 大木トオル セッションアルバム

 このように、本場のブルース界における大木さんの交遊録はほんとうに厚みのあるものだが、ブルースだけでなく、よりポピュラーなR & B分野においても、大木さんの付き合いは広い。

 大木さんと交遊を持ったR & B界の大物といえば、日本においても「スタンド・バイ・ミー」の大ヒット曲で知られるベン・E・キングがいる。

▼ ベン・E・キングと大木トオル

 「スタンド・バイ・ミー」は、1961年の作品だが、1986年にスティーヴン・キングの小説を映画化した同名映画の主題歌として取り上げられ、リバイバルヒットした。
 この歌は、ジョン・レノンをはじめ、多くのアーティストによってカバーされた知名度の高い曲で、私もまた、カラオケに行ったとき、歌詞カードを見なくても歌える二つの歌の一つとして身に付けている。(もうひとつはビートルズの「All My Loving」)
 
 
 とにかく大木トオルさんがアメリカで身に付けたブラックミュージックのエッセンスは、とろりと濃厚だ。
 それというのも、アメリカの黒人ミュージシャンたちが、肌の色も違えば文化も違う大木さんの歌に「SOUL」を感じたからだろう。

 大木さんの話によれば、そもそもアメリカの黒人音楽というのは、「救いを求める弱者の気持ち」が次第に「歌」の形をとっていったもので、悩める度合いの強さ、そこから抜け出したいという気持ちの強さが、歌としての強度を獲得していったという。

 大木さんにも、貧乏がゆえに一家離散という悲劇を幼少期に味わい、吃音というハンディーを背負って、かずかずのいじめにも遭い、それを音楽で克服していくという経験があった。
 そのときの「救い」を求める気持ちの強さでは、奴隷としてアメリカに売られてきた黒人たちの悲哀を克服しようという気持ちの強さと変わらなかった。

 そういう自分の運命にあらがうような激しい精神のほとばしりを、黒人たちは「SOUL(魂)」という。
 そして、そのSOULをリズムに乗せたのが、SOUL MUSICだ。

 ソウル・ミュージックの原型はゴスペル(黒人霊歌)である。
 アフリカから強制的に奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちは、新大陸では「人間」として認められなかった。
 彼らに与えられた主な仕事は綿花づくり。
 「人間」として認められない黒人奴隷には、移動の自由も、恋愛の自由も、家族を持つ自由もまったくなかった。
 つまりは、“心” の存在をまったく認められない、ただのワーキングマシーン。
 病気になっても、ケガをしても、消耗した機械部品が捨てられるように、そのまま遺棄されるだけの存在でしかなかった。

▼ ゴスペル映画 「天使にラブソングを」

 
 なにしろ、同じ仕事場で働く仲間ですら、「同胞」として認め合うことも許されなかったから、仲間同士の交流すら生まれない。
 労働中に、神を湛える讃美歌(ゴスペル)をみなで口ずさむことが、彼らにとって唯一の連帯を確認する行為であった。

 そのゴスペルから、やがてブルースが発生してくる。
 これは、神を湛えるゴスペルが少し世俗化したもので、神への愛を言葉にしつつも、そこに人間同士の恋愛感情のようなものが少しずつ折り重ねられてくる。

 ブルースになってくると、アカペラが主流だったゴスペルに、徐々に楽器が加わるようになる。
 手拍子だけでリズムをとっていたゴスペルに対し、ドラムスやベースといったリズム楽器が加わるようになり、さらにギターも加わってくると、今のブルースの原型が姿を現わす。

 大木さんの話で印象的だったものがある。
 ブルースに使われたアコースティックギターが、いつエレキギターにとって代わられたのか。
 大木さんは、ブルースの大御所のマディー・ウォーターズに、エレキを手にするようになったきっかけを尋ねたことがあったそうだ。
 すると、返ってきた答は、
 「だって、ようやくうちにも電気が届くようになったんだもの」
 というものだったそうだ。

 さらに、「エレキにすれば、前にいるお客さんだけでなく、後ろにいるお客さんにも音が届くだろ?」
 とも。
 この理屈の素朴さ !
 このシンプルさが、ブルースの強度を保証するものであるとも。

▼ マディー・ウォーターズ

 
 ブルースを語る上で欠かせないものが、一つある。
 それは、「グルーブ」という言葉だ。
 日本語に訳すのが難しい。
 しいて言えば、“ノリ” という表現になろうか。

 ブルースを奏でる黒人ミュージシャンたちがもっとも大切にしているのが、このグルーブで、それは音楽学校に行って譜面の読み書きを習い、一流の教師に師事したとしても身に付くようなものではない。

 それはリズムに合わせて自然に腰が動くように、無意識のうちにステップを踏むように、歌詞も知らないうちから「掛け声」が出るように、音楽と共に身体がバイブレーションを起こすときに生まれるものだ。

▼ アルバート・キング

 
 大木さんはいう。
 「多くの黒人ミュージシャンに尋ねてみましたが、誰も “グルーブ” がどういうものであるか、うまく説明できませんでした。
 それは無意識のうちに体が自然に身に付けるもので、言語で説明する領域を逸脱したものだったからです」

 だから、「グルーブというのは機械からは生まれない」と、大木さんは語る。
 つまり、音楽のドラムパートが「リズムマシン」のような機械音を使った装置にとって代わられることによって、ブルースやR & Bからグルーブが消えた、というのである。

 70年代の中頃、ソウル・ミュージックといわれた音楽の一部に、ディスコミュージックが台頭してきた。
 それは、ただひたすらディスコで踊るためだけに生まれた音楽であった。

 このとき、ディスコ産業の要請を受けて、人間はどういうリズムを与えられたとき、気持よく踊り続けられるかという楽曲上のテーマが浮上した。

 計算してみると、それは「BPM」(Beat Per Minute)120~140の幅に収まっているということが判明した。
 すなわち、1分間に120~140の拍子数が収まるリズムの曲が “心地よく踊り続けられる” という方程式が導き出され、以降、ディスコミュージックはメロディーが変わろうが、ミュージシャンが変わろうが、一律にそのテンポの曲で構成されるようになった。

 そして、そこで定められたBPMを正確にキープするために、人間が叩いていたドラムはリズムマシンに置き換えられ、アップテンポの曲はみな機械的に均等に割られたリズムで統一されるようになった。

 これを「グルーブの死」だと大木さんは語る。
 リズムマシンは人間ではないから、リズムが狂うことはない。
 しかし、人間がドラムを叩いたり、あるいはベースを弾いたりすると、機械のようにリズムを刻もうとしても、どこかで狂いが生じる。

 「その狂いがグルーブである」
 と大木さんはいうのだ。
 つまり、人間は、機械のようにリズムを刻もうと思っても、“ノッてくる”、すなわち気分が高揚してくると、同じテンポを維持していても、微妙な強弱が加わったり、意図的にテンポをズラしたりして、リズムの流れを豊かにしようとする。
 それは、そのミュージシャンの一瞬のひらめきが生むものだ。
 そのときに「グルーブ」が誕生する。

▼ 大木さんの著書「伝説のイエロー・ブルースマン大木トオル」

 この大木さんの説明は非常によく分かった。
 そして、(個人的な話だが)、自分はなぜ70年代の半ばに、大好きだったSOUL MUSIC から離れてしまったのかも、よく分かった。
 70年代半ば、ディスコミュージックの台頭によって、音楽からグルーブが失われてしまったからだ。

 今の時代の音楽はどうなのだろうか?
 「グルーブ」という観点から、もう一度、すべての音楽を聞き直してみたいという気もする。
  
 
▼ 大木トオル氏とアルバート・キングのセッション

  

関連記事 「大木トオル筑波大学セラピードッグ講演」

  
参考記事 「ブルースの正体(キャデラック・レコード)」
 
 

カテゴリー: 音楽   パーマリンク

大木トオル氏ブルースを語る への12件のコメント

  1. ようこ より:

    こんばんわ~ 町田さん

    今日は多忙な一日で、就寝前に訪問して
    この記事を拝見いたしました。
    Oh~ ! 久々においしい記事(私が食いつくと意味です)

    ああ、思えば私が大好きだったのも70年代の中頃まででした。
    R&B ソウルミュージック、けしてディスコミュージックじゃあない
    私はグルービー ♪♪♪

    こちら明日はメモリアルディです。
    夫はファミリーレユニオンで出かけていて留守なので
    フィエスタのコンサートがあって行って来ました。

    サム&ディブやテンプテーションズの曲になると
    踊り出す顔ぶれがシニアばっかりで、 ヤダアって思うのだけど
    その中で浮いて見えない自分が、なんとも。

    • 町田 より:

      >ようこ さん、ようこそ
      コメントありがとうございます。
      多少の文字の乱れ、Don’t mind です。
      ようこ さんの持っていらっしゃる陽気さや天性のコミュニケーション力で、文面を超えたメッセージが届いてきますから、もうそれだけで理解できます。

      やはり、向こうのコンサートでも、シニアの方はサム&デイブやテンプテーションズで踊り出すんですか?
      いやぁ、想像するだけで楽しいですね。

      日本でも、テレビで再びディスコ番組をよく目にするようになりました。
      でも、どちらかというと、70年代後半から80年代ぐらいの曲がかかるんですよね。で、そういう番組に登場して、昔のステップを踏んでる方々は、だいたい50代くらいですね。
      僕の世代とは少しズレるんですけどね。

      僕なんかは、やっぱりジェームズ・ブラウンとか、ウィルソン・ピケット、フォートップス、アーチ―・ベル & ドレルズ、オーティス・レディング、エディ・フロイド、ブレントン・ウッドなどで踊っていたいと思うんですけどね。

  2. ようこ より:

    ごめんなさい
    目がしょぼついてて、文面が変でした。
    ※ 食いつくと『 い う 』意味です。

  3. ようこ より:

    ※が『あ っ た 』ので行って
    クウ~ウ 恥ずかしい

  4. 木挽町 より:

    こんにちは。サワディカップ。お元気そうでなによりです。やっぱあの頃ですよね。いい曲ばかりでしたね。最近はブルーノマーズとかを聞いてますが、これもなかなかいいですよ。まだタイでの住居やネット環境が整っていないのですが、整い次第寄らせて頂きます。では皆様お元気で。コップンカ。

    • ようこ より:

      木挽町さん サワディカップ
      お久しぶりで~す
      タイ就任はいつからかなあって思っていたのですが
      すでに行かれたのですね、引越しはたいへんです
      暑い国ですし、木挽町さんこそご自愛下さいませ。

      • 町田 より:

        >ようこ さん、ようこそ
        木挽町さんへのコメント返信にも書きましたが、タイには一度だけ行ったことがあるんですよ。
        バンコク市内に4日程度滞在しただけでしたけれど、はじめてのアジア旅行だったので、とても印象に残っています。
        高温多湿のエリアというのを初体験しましたが、それがとてもエキゾチックに感じられて、今思い出すと “夢の都市” をさまやっていたような気分です。
         

        • ようこ より:

          町田さん こんばんわ~

          私も20代の終り頃にタイに行ったことがあります。
          あいにくの雨期で空港では
          物凄い雷鳴と稲妻に出迎えられびっくり@__@。

          バンコックのOホテルに3泊 パタヤビーチで2泊だったか?
          王宮やワット巡り、輪タク、 花の首飾り、 市場
          うる憶えながらも記憶をたどると懐かしい風景がよみがえりました。

          私もブルーノ.マーズをチェック ♪しましょ 笑)

          • 町田 より:

            >ようこ さん、ようこそ
            私がタイに行ったのは、観光ではなく、ちょっとした所用だったので、私の場合は王宮も、ワット巡りも経験していないのです。非常に残念 !

            だから、バンコク市内の思い出を語るのも僭越な気もしますが、「スカイトレイン」というモノレールや、屋台のようなオープンレストランなどは経験しています。
            どの体験もほんとうに新鮮でした。
             
            テレビなどで観る観光情報と違って、「匂い」と「味」というのは現地に行かないと実感できませんよね。
            バンコク市内に入ると、どこにでも漂ってくる花の香りというか、香水の香りというか、ああいう香りはヨーロッパやアメリカでもなかなか体験できないと思って、それがエキゾチックでした。
             

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      サワディカップ !(こんちには)。
      タイには一度行ったことがあります。
      11月でしたが、日本の7月ぐらいの熱気と湿気を感じました。

      泊まっていたのは、バンコク市の郊外のホテルでしたが、夜繁華街まで出向き、チャオプラヤー川に面したホテルのテラス席に座ってくつろいだ思い出があります。
      そのホテルの宿泊客は、みなエアコンの効いた室内から出てこないようで、テラスに人影はなく、川から立ち上がってくる熱気で息が詰まりそうでした。

      でも、川面に映る対岸のビルのネオンがきれいで、熱気と川面の夜景というのは妙に幻想的で美しいものだな … と感心したことがあります。

      ブルーノ・マーズ。
      さっそくYOU TUBEで探して聞いてみました。
      おっしゃるように、なかなかいいですね !
      でも、60~70年代のブラックミュージックと聞き比べてみると、ものすごくクールで爽やか。“今の時代の音” というものを堪能しました。

      お元気でお過ごしください。
      またの連絡をお待ちしております。
       

  5. ようこ より:

    町田さん こんにちわ~

    グルーブが邪魔だった音楽家たち (>__<。
    この動画は、もうご覧になられました ?
    https://www.youtube.com/watch?v=cckGbwf1UtA

    • 町田 より:

      >ようこ さん、ようこそ
      この番組、昔リアルタイムでテレビで見ています。
      ものすごく印象に残った番組でした。

      細野晴臣の言っていた「グルーブ感が邪魔だった」というフレーズは革命的な言葉でしたね。天性のグルーブ感の持ち主だった細野氏だからこそ言える言葉であったと思います。
      ここで語られていた「クラフトワーク」なんかも、当時は好奇心を持って聞いていました。
      だって、それまでなかった “音” でしたから。
      「クラフトワーク」とか「Y・M・O」などの音は、ものすごく実験的なことをやっていたという気がして、それなりに面白かったな。
      やっぱり、「クラフトワーク」とか「Y・M・O」の場合、自分たちのつくる音に世界観が感じられますよね。
      だから、サウンドそのものが非常にスリリングで刺激的であったと思います。

      ここで語られていることは、いわゆる “グルーブ” というものが、どこから生まれて来るのかという、その理論の緻密な検証ですね。
      今久しぶりにこれを観て、やはり面白い番組だと感じました。
       

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