虎よ、虎よとからかわれ

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 愛犬のクッキーを送り出した夜、その “通夜” を執り行うようなつもりで、深夜、久しぶりに長男と酒を飲んだ。
 録画しておいた阿久悠の音楽特集(「歌の4時間スペシャルTBS」)を観ながらの酒となった。

 次から次へと流れる阿久悠の昭和歌謡を分析しながら、2人の会話が進む。
 ピンク・レディーの『UFO』(1977年)。
 果たして、この詞は何を意味しているのか。

 この時代の阿久悠は、本当にきわどい歌をつくっている。
 40年前の『UFO』という歌は、恋というものを満足に知らない若い女の子が、老練な年上男性に翻弄され、性のときめきを開花させてしまう話だ。

 歌のなかの少女は、UFOに乗ってきた “宇宙人” と遭遇する。
 その宇宙人は、
 「見つめるだけ愛し合えるし、話もできる」。

 そして、自分が言葉に出さずとも、何を願っているのか、さりげなくキャッチして、
 「飲みたくなったらお酒」
 「眠たくなったらベッド」
 と、うぶな女の子を巧みにリードしていく。

 “宇宙人” が、恋の手管を知り尽くした老獪な男性を意味していることは、いうまでもない。
 だから、年上男の高級なくどきのテクニックに酔ってしまった少女は、
 「近頃少し、地球の男に、飽きたところよ」
 と、同年代のクラスメイトの男たちに物足りなさを感じてしまうのだ。

 この歌がヒットした1978年。
 シンガーソングライターの杏里は、『オリビアを聴きながら』(作詞・作曲 尾崎亜美)を歌う。

 夜更けに電話をしてくる元カレに対し、 
 「あなたは私の幻をみたのよ」
 とクールに諭し、
 「愛は消えたのよ、二度とかけてこないで」
 と静かに受話器を下ろす。

 1970年代後半。
 男の子たちにとって、手に負えない女の子が出現する時代が始まっていた。
 阿久悠は、そういう時代を「女が自立する時代」と捉えたが、自立した女たちの身近にいた男の子たちにしてみれば、自分たちが無視され、軽蔑され、取り残されていくような心細さを味わったことだろう。

 以降、女に相手にされなくなった男の子たちは、女性がいなくても充足できる “オタク” の路線にひた走っていく。

 阿久悠は、女に置いてきぼりを食う切ない切ない男の心情を歌い上げるののもうまかった。
 
 夜更けに部屋から出ていく女に背中を向けたまま、
 「寝たふりしている間に出て行ってくれ~」
 とベッドの上でうめく男の子(沢田研二『勝手にしやがれ』1977年)。

 この男は、女の出て行った部屋に取り残されて、夜だというのに派手なレコードをかけ、朝までワンマンショーでふざけ続けるのだ。
 この “胃の痛くなるような” 孤独感と無力感。
 こういう切実な男の子の気持ちを描き切った作詞家は、阿久悠以前にはいなかった。

 私は、阿久悠の歌詞のなかに、男と女の緊張感を湛えた真剣勝負を見る想いがしたが、同じ録画を見ていた長男は、少し違った感想を持ったようだった。
 
 男女が、互いに相手の魂を削り合っていくような “消耗戦” は、お互いに傷つけあい、ともに疲弊させ、生産的な成果は何も上がらない、と長男はいう。
 もちろん、そうストレートに言い切ったわけではないが、彼は、そのような “昭和的な男女の格闘” の先にあるものを見つめようとしていた。 

 実は、長男は、「作詞」という自分の趣味を追求し始めている。
 作詞家を夢見る同人たちが集まるサークルに所属し、時間の許す限り、その会合などにも顔を出し、プロの作詞家による技術指導なども受けているらしい。

 そして、すでにそのうちの何作かの詞にはメロディーがつき、同人誌にも掲載され、少しずつ指導陣たちからの注目も集め始めているようなのだ。

 それなりに評価された彼の詞に、こんなものがある。

 ♪ ぼくらは いいとこ ぎゅっと結んでほらね
   ほらねと 笑顔で 生まれるよ
   みんなで 赤い糸 結んでまたね
   またねって 笑顔で 生まれたよ
   青空は うれしいな
   いつまでも 見ていたい

  あるとき あかんて 隅におかれて
  心が とっても かなしくて
  涙が ポロポロ こぼれてきたら
  やさしく 手のひら さし出して
  またすぐ 元気に
  なれるから なれるから

  ぼくらは いいとこ ぎゅっと結んでほらね
  ほらねと 笑顔で 生まれるよ
  みんなで 赤い糸 結んでまたね
  またねって 笑顔で わかれましょ
  ぼくらには 夢がある
  みんなにも あるかな?
 
 
 これは何を歌った歌なのか?
 全体の状況は、にわかにつかめないものの、なんとなくベタな応援歌のようなものが展開されている感じは伝わる。 
 
 そして、その曲調は、NHKあたりで流れる「みんなのうた」のような。
 童謡のような。
 小学唱歌のような。

 そんな子供向け歌謡の範疇に入るたわいない歌詞に思えるが、この歌のタイトルをみると、にわかに言葉一つ一つの色が変化し始める。
 
 タイトルは『エコボールの心』。

 エコボールとは、野球の練習で使われるボロボロになった硬球のほつれた糸を縫い直し、再使用できるようにしたもの。
 かつて、へたったボールは “用済み” のゴミとして捨てられていたが、今はそれを1球100円で修理する事業所が生まれ、このようにして、グランドに戻ってくる再生硬球を「エコボール」と呼ぶようになってきた。

 だから、この歌で、笑顔を取り戻してお互いに励まし合っているのは、擬人化されたエコボールたちなのだ。

 弱者の蘇生、共生、励まし合い。
 捨てられる運命にあった者たちが、ふたたびこの世に戻れたことを確認しあうときの喜び。

 長男のつくる歌詞には、「ポスト昭和歌謡」とも呼ぶべき、新しい連帯への模索が歌われていた。

 そこには、男女が火花を散らして暗闇で向き合うような、阿久悠的な迫力はないかもしれない。
 しかし、弱者同士がともに連携しあうことで、お互いの「弱さ」を「強さ」に変えようとする強靭な意志は感じられる。
 
 
 親バカかもしれないが、ちょっと感心した詞がほかにもある。
 タイトルは『古都』。

 ♪ 虎よ虎よと あの人に
   からかわれて カシュガルへ
   女一人の 迷い旅
   一人見つめる カラクリ湖
   空にはやがて おぼろ月
   シルクロード 一人旅
   あゝ地平線よ 砂漠の都

   雨に沈んだ 洛陽の
   夜にけぶる 街灯り
   遠くで流れる うた声が
   虎よ虎よと きこえてさ
   あいつの顔が はなれずに
   シルクロード 一人酒
   あゝ洛陽 いにしえの都
 
   流れ流れて 大和路へ
   風のたよりを 待つあたし
   どうしてあたし 虎なのさ
   大仏様に 愚痴語り
   今宵の酒も 手酌酒
   シルクロード 旅の果て
   ここで暮らすか 奈良の都

 なんとも雄大なスケール感が漂う詞である。
 シルクロードを西に向かうときの、地平線に沈む夕陽が瞼に浮かんできそうである。

 「カシュガル」
 「カラクリ湖」
 「洛陽」
 「大和路」
 「奈良」
 次々と繰り出される地名の響きがエキゾチックな風情を誘う。

 歌い出しは、
 ♪ 虎よ、虎よと
   あの人にからかわれ、

 ここでいう「虎」とはなんなのだろう?
 男が「お前は虎だ(笑)」とからかうような女とは、いったいどんな女なのか?

 この謎めいた冒頭の歌詞が、すでにこの歌のテーマを明瞭に浮かび上がらせている。

 男に、「虎のように人間を喰い尽す女」と思われてしまえば、もうその女に、男の寵愛を取り戻すチャンスはない。
 女は、泣く泣く男の後を追うような一人旅に出るのだが、旅の先々で、「虎よ、虎よ」という男のあざ笑いを幻聴する。
 
 なぜ、自分は虎なのか?
 それは日本にたどり着いて、大仏様に尋ねても答が得られない。
 
 「虎」とは、人間と共生できない野性の獣。
 その野性の獣が、一人の人間の男を恋い慕うという悲劇性が、この歌のテーマの根幹をなしている。

 だが、この歌は、女の悲劇性のみを歌っているわけではない。
 彼女は、砂漠のなかでも、異国の街中でも、強くたくましく生き抜いているのだ。
 その強靭さこそが、まさに、男から見れば「虎」なのかもしれないが、女はけっして自分が「虎」だと思われることを嫌がってはいない。 
 むしろ、それを宿命として受け入れようとしている。

 そこに、この女性の悲劇性と強さと、色っぽさがにじみ出ている。

 私は、長男に、「この歌には、シルクロードの地平線を超えようとした古代中国人たちの夢すら感じ取れる」と話した。
 実際に、ユーラシアの地平線の彼方を幻視しようとしたのはアジア人だけだ。
 当時、森林と山脈に囲まれた生活を送っていたヨーロッパ人たちは、こういう展望を持ち得なかった。

 代わりに、ヨーロッパ人たちは海洋を目指した。
 彼らは、地平線の彼方を夢想したアジア人とは異なり、地中海と大西洋の彼方に広がる水平線の魅力にとりつかれた。

 優れた詞というのは、そんなことまで思いつかせる力を持っている。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ, 創作, 音楽   パーマリンク

虎よ、虎よとからかわれ への2件のコメント

  1. jun より:

    町田さんお久しぶりです。
    以前ホビダスの方でブログしてましたボールチェアーです。
    町田さんの書く文章が好きでブログ読まさせています。
    愛犬の話は残念です。うちも去年18歳になるミニチュアダックスをロストしました…。また飼うかどうか…
    お身体もお気をつけてください。
    またちょくちょく来ます。

    • 町田 より:

      >jun(ボールチェア) さん、ようこそ
      せっかくのコメントをいただきながら、お返事がたいへん遅くなり、誠に申し訳ございませんでした。

      私もまたボールチェアさんが書かれていたホビダスのブログが好きでした。一度中断されて、しばらくして一度再開されましたが、その後また更新が途絶えていたので、多少残念な気持ちでおりました。
      でも、こうしてお元気な様子がうかがえ、とても喜んでおります。

      18歳になるミニチュアダックスを飼われていたんですね。
      小型犬としては長生きだったかもしれません。
      ペットの死に立ち会うというのは、親しくしていた人間の死とはまた別の哀しみがありますね。
      「ペットロスにはペットを」
      という言葉があるようです。
      一度飼うと10~18年付き合うことになるかもしれませんが、その間、飼い主の健康が持続するのなら、新しい “家族” を迎えるのもいいかもしれませんね。
       

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