「内面」を持たない政治家(小池百合子)の誕生

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 僕は、ここ最近ブログのテーマに小池百合子女史のことを取り上げる機会が多いと思っているのだけれど、いったいそれは何故なんだろう? と自問してみると、けっきょく僕自身が小池女史にものすごく興味を感じているということなんだね。

 確かに僕が書いている記事のトーンは “小池批判” である。
 しかし、「批判」というのは、ネガティブなまでに極端に傾いてしまった「関心」の別名である。
 彼女の存在は、僕にとって、まさに現代社会や現代文化を読み解くカギなのだ。

 

 なぜ、僕はこの人にそれほど高い関心を持ってしまうのか。
 それはこの人が、僕が知る限りにおいて、はじめて誕生してきた新しいタイプの政治家だからだ。
 
 どういう政治家なのか?
 「内面」を持たない政治家である。

 彼女の心のなかには、何もない。
 政治理念もない。
 政治哲学もない。
 歴史感覚もない。
 イデオロギーもない。
 
 イデオロギーがないから、伝統に対する敬意もない。
 革命や改革に対する熱意もない。
 のみならず、人間としての他者に対する共感も信頼もない。

 マスメディアに登場する政治評論家やコメンテーターは、
 「彼女が何を考えているのかよく分からない」
 「本心がどこにあるのか読めない」
 などと批評する。

 読めないはずだよ。
 彼女の心のなかには何もないのだから。
 
 彼女は、ただ生命を維持するために捕食を続ける肉食獣のような本能に従って生きている。

 ガゼールを捕食しようとするライオンは、草むらに身を沈めながら、常に風の向きや相手との間合いなどを慎重に計算している。
 そして、いちばん捕食しやすいと読んだタイミングで、一気に草むらから飛び出す。
 
 そのように政界を生き抜いてきた彼女は、まさにサバンナを制するメスライオンである。
 しかし、ライオンは人間のような「内面」を持たない。

 内面に “壮大な無” を抱えた彼女のような人間が実際に政治の表登場したということに関して、僕はとてつもない驚異も、興味も、共感も、恐怖も抱く。
 
 この “壮大な無” こそが、小池人気の秘密である。
 彼女の内面は空洞であるから、人々の欲望も希望も野心もすべて受け入れる。
 受け入れては何の未練もなくすぐに捨て去り、素早く次の庶民のニーズを取り込んでいく。

 側近に対してもしかり。
 自分に群がってくる人間はとりあえず笑顔で迎え、その人間が役に立つか立たないか瞬時に峻別し、邪魔になると判断したときは鮮やかに切り捨てる。

 それを “リアルな政治感覚” として容認する評論家もいるけれど、人間を切るときに「痛み」を感じない人間に、“リアルな政治” は期待できない。

 人間の「内面」を持たない政治家。
 別の観点から見れば、それは AI(人工知能)を搭載したアンドロイド時代の政治家かもしれない。
 “AI 政治家” は、並の政治家が及ばないほど高速度で政局を分析し、その状況に応じた最適解を見つけ出し、リスクやメリットを計算した行動指針を瞬時に打ち立てる。
 しかし、AI には「内面」がない。

 「内面」のない知性が吐き出す言葉は、みな美しい。
 誰が聞いても反論できないような美しさに満ちている。

 しかし、「内面」を反映しない言葉には重さもない。
 花の咲き乱れたお花畑の上を飛び交う蝶のような軽さがあるだけ。

 小池女史の言葉は華麗な色彩で飾られているが、まさに宙に溶け込む蝶のように、すぐにその姿が視界から消える。

 今、この記事を書いているとき、隣に置いてあるテレビで小池女史が「希望の党」としての政権公約を発表していた。
 しかし、どれもお花畑の宙を舞う蝶のような公約だった。

 消費税の凍結。
 原発ゼロ。
 しがらみのない政治。
 
 耳障りのよい言葉が次から次へと続いたけれど、そういう公約を実現するための見通しも計算も、リスクも一言も語られない。
 
 なぜか。
 それは、その瞬間だけ居並ぶ報道人に聞かせればいいだけの言葉だからだ。

 彼女には理想もない代りに、落胆もないだろう。
 「AI 政治家」だから。
 
 AI と人間の最大の違いは何か。
 AI は折れることがない。

 小池女史のような、政局を敏感に読む込んでたくましく生き抜く AI 的政治家が生まれてきたというのは、はたして政治の劣化なのか、それとも進化なのか。

 いずれにせよ、それは我々の棲む世界が、「人間」を軸としたものから、AI 主導型の世界に移行しているという証左なのかもしれない。
 
 
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カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

「内面」を持たない政治家(小池百合子)の誕生 への5件のコメント

  1. Milton より:

    すいません、以前この記事にしたコメントは消えてますか?

  2. Milton より:

    あ、コメントがやっと反映されたので、なんらかのエラーで以前のコメントは消えてしまった可能性が大きいですね(汗)

    おひさしぶりです、なかなか町田さんのブログを拝見する時間がありませんでした。

    この内容を読んだ限りの感想ですが、小池氏「AI 政治家」説は読んでいてとても面白かったです。勉強になります。

    AIに関して言えば、最近の朝のワイドショーで、こんな場面がありました。それは、VTRにとある有名大学の教授(理工系)が出演していて、AIについてコメントを求められていたのですが、先生いわく「将来、AIは我々にとって、古代ローマの奴隷のような存在になる」とのことでした。

    それを観ていた私は、いやいやそれはないだろうと、むしろAIは私たちのこれまでのあらゆる言動とその結果を集積して、なおかつアルゴリズムによって果てしない選択の最適化を繰り返す「(我々の歴史から生まれた)亡霊」のような存在だと、私はそう考えてるんですよね。

    なので、AIは私たちにとって脅威になるのは間違いないですよね。

    もちろん小池さんは生身の人間ですが(笑)、彼女の政治手法はたしかにAI的といいますか、小沢さんや小泉さん、あるいは橋下さんの手法から多大な影響を受けているのは間違いないと思ってます。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      進化した AI が人類にとって脅威になるのか、それとも人間の能力をさらにサポートしてくれるものになるのか、議論は二つに分かれるようですね。SF映画などでもこのテーマは必ず繰り返されていて、古くはスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』、近年では『ターミネーター』などにおいて “人間に敵対するAI ”が描かれています。一方、スピルバーグの『AI』 などは、知能とともに人間の感情まで持ってしまったAI 少年の悲哀が描かれています。

      AI が人間にとって脅威になるのか、それとも人間をサポートする道具になるのかという議論は、それを考える人の感性や教養によって変わってくるように思います。
      というのは、AI を楽観的に考える人というのは、(これは私の偏狭な偏見かもしれませんが)「人間」というものをあまり深く考えてはいないのではないかと。
      少なくとも、かつてのドイツ哲学やら精神分析学のように人間を考える訓練をしてこなかった人たちの思考が反映されているように感じます。
      そういう人たちは、人間のことも “機械工学” のように理解するでしょうから、AI と人間の差は、内蔵されるデータ容量の差に還元されてしまうのではないかという気がします。

      これはもう趣味の問題にすぎませんが、私は少なくともAI の成長に一抹の危惧を抱いているような文芸作品や映画作品に共感するたちなので、Miltonさんと同じように “ローマの奴隷のように人類に使えるAI 像」というものには退屈さしか感じません。
      でも、まぁ実際は人間にとって便利なツールになっていくのでしょうね。
      その場合、その便利さを当たり前と思う人間の方が危機的なのかもしれませんが。

      小池さんに関していえば、彼女は政治をゲームとして遊べる人なんだと思います。だからある意味でとてもニヒル。ファンにはそれが「クール」に映るのかな。“小池流爽やかさ” って、その根っこにはゲーマーのニヒリズムがありますよね。
       

      • Milton より:

        なるほど、個人的にドイツ哲学は少し詳しい方なのですが、町田さんにはぜひフッサールの思想に触れていただけたら、と思います。(もし詳しくご存知でしたらすいません)

        ただ、フッサールあるいは現象学の入門書を読んでからにしたほうが良いと思います。彼の思想書をいきなり読むのは、だれにとっても無理がありすぎます(笑)

        もともとフッサールは数学者だったのですが、その後は思想家に転向し、現象学という思想を創始しました。高名な弟子には、ハイデッガーがいます。

        私がフッサールの書物を読んで自分なりに解釈し、そこから出した答えは、コードと人間です。

        つまり、我々が社会的な存在として認識されているのは、コードがあればこそですよね。「姓名」「年齢」「住所」「職種」などなど、これらのコードを表示しながら、私たちは共同体の中で生活しています。

        食品表示がこの20年で細かくなったように、我々の社会的なコードの表示も細かくなりましたよね。それが、生きづらさの理由の一つではないでしょうか。

        そういったコードの連関を極限まで肥大させたのが、ビックデータであり、それらをアルゴリズムで解析するのが、AIだと個人的には思っています。

        しかし、肝心なことは、それらのコードを取っ払った先に、なにがあるのかということです。つまり、人間の実像はなにか。

        それは、混沌と肉体だと私は思っていますし、そこに人間の人間たる所以があるように思っています。

        とまあ、これは私の勝手な考えです(笑)

        小池さんは、策士策に溺れるにならないように、気を付けていただきたいですね。

        • 町田 より:

          >Milton さん、ようこそ
          いつも学術的に興味深い情報をお寄せいただき、ありがとうございます。
          フッサール。
          確かに、本人が書いたものを詳しく読んだ経験がありません。思想史のなかの概説しか知りません。いずれにチャレンジしたいと思いました。

          今回、Milton さんの解説により、その考え方の一端を知ることができました。

          おっしゃるように、時代が変わっていくたびに、「人間」を定義するコードも変化していくように思います。
          なぜなら、コードを取り払った「人間」というのは、Milton さんがいみじくも喝破されたように、「混沌」と「肉体」にすぎないからです。
          だから、時代が変わっていったとき、AI のディープラーニングによって、AI が勝手に新しい “人間像” を捻り出してくる可能性は十分にありますね。

          そうなったとき、AIが恣意的にの定義した「人間」から逸脱した者は「排除の対象」になるということです。
          今回の小池百合子女史の旧民進党候補者に対する「排除」の適用は、まさに彼女の “AI 性 ” を物語っているように思えてなりません。
           

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