フェイクニュースはなぜ生まれるか

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - フェイクニュースはなぜ生まれるか
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed

 
 トランプ米大統領が、自分に批判的なマスコミの報道を「フェイクニュース (fake news)と切り捨てるようになって以来、この言葉は流行語となった。

 

 しかし、評論家の荻上チキ氏によると、この概念はけっして新しいものではないという。
 すなわち、昔風にいえば「デマ」のことだと。

 「デマ」が民衆側から出たニセ情報を意味する言葉だとしたら、権力側が意図的に流すニセ情報を「プロパガンダ」というのだそうだ。
 
 ま、確かにそういうことなんだろうな。
 ただ、「フェイクニュース」という言葉には、「デマ」とか「プロパガンダ」という言葉とはまた違ったニュアンスがあるような気がする。
 それは、ネット社会の情報錯綜を反映した言葉であるように思える。

 「デマ」や「プロパガンダ」は、活字媒体が支配的であった時代の言葉。
 それに対し、「フェイクニュース」は、情報がペーパー媒体からネットメディアに移行した状況を示している。

 「デマ」や「プロパガンダ」という言葉からは、(意図は悪意であっても)一度印刷してしまうと情報の修正がむずかしいことを理解している活字媒体世代の責任感のようなものが匂ってくる。

 それに対し、「フェイクニュース」という言葉からは、愉快犯が面白がってニセ情報を流しているという無責任さが感じられる。
 つまり、世界中の誰もが簡単にネットにアクセスできるようになったために、恣意的に加工したニセ情報を流して他人が右往左往するのを見たいという人々のシンプルかつ陰湿な欲望が野放しになってきたことを示している。

 このような事態を招いた背景には、情報拡散のスピードがネットのおかげで幾何級数的に上がっていること。
 つまり、情報の消費が早すぎて、誰もが情報の真偽を確認できなくなっているということ。

 そしてもう一つは、ある意味 “豊かな社会” になって、人々がニュースに娯楽性を求めるようになったためだ。
 同じニュースでも、「えっ? それってホントー?」という刺激性の強いニュースの方に人々は惹かれるようになってきた。

 そういう傾向が助長された遠因として、私はテレビのワイドショーに出演するキャスターやコメンテーターが芸人によって占められる率が高くなってきたことを挙げたい。
 今やダウンタウンの松本人志やタレントの坂上忍などは、もう立派な天下のご意見番である。

 ネットニュースなどにおいても、松本人志の発言はものすごく大きく取り上げられている。
 たとえばある芸能人の不倫報道に対し「松本人志が一刀両断で切り込む」みたいな見出しばかりが躍る。
 そうやってチヤホヤされるから、松本人志は自分のことを “ワイドショーの新天皇” のように思ってしまうし、周りも彼をヨイショするから、視聴者も松本人志の見解こそが「世論」を代表していると思い込んでしまう。

 松本人志は、どうあがいてもビートたけしになれなかった二流の芸人だ。
 松本とたけしの差は歴然としている。
 それは制作した映画や本の社会的な評価の差というだけにとどまらない。

 たけしは、どんなに政治や社会問題にコミットしても、お笑い芸人の本質を忘れず、最後は笑いの落ちを取る。
 それに対し、松本は一見笑いで落ちを取るように見せていながら、内心は「俺ってすごい洞察力を持っているやろ」ということを匂わす。
 それこそ凡人であることの何よりの証拠である。
 そして、凡人であればあるほど、自分の権威をはっきりさせるために権力志向を強める。
 
 この2人には、羞恥心というもの対する決定的な差異がある。
 つまり常に羞恥心を持っているたけしと、羞恥心の欠如した松本の差だ。それはそのまま2人の知性の差となっている。

 少し前の芸能ニュースだが、オリラジの中田敦彦が松本人志を批判したことがあった。事の顛末はここでは書かないが、松本批判を行った中田に対し、吉本興行の社長が「松本に謝罪しろ」と迫ったらしい。
 この社長の発言は、日本の芸人たちを、「とにかく “権力” 批判はするな」と抑圧したに等しく、お笑いの本来の使命まで奪いかねない言動だと思っている。

 始末の悪いことに、ネット記事のなかには松本の方を擁護して、中田の生意気さを非難する記事さえある。おそらく吉本の意向を “忖度(そんたく)” したお抱え記者が素人を装って書いた記事だろう。

 話がだいぶ横道に逸れたが、フェイクニュースの横行には、ニュースの “芸能化” が背景にあることは間違いなく、それはそのまま今の日本の若者たちが置かれている状況を反映している。

 東大のような大学に入って、官庁や優良企業に進み、日本を支えるエリートになるか。
 それとも、お笑いの世界に入って頭角をあらわすか。

 今の日本の若者が自分の夢を持つときには、その二つの選択肢しかなくなってきたのだ。
 つまり、家族を養うために普通の生活に甘んじるという選択肢が今の時代にはない。

 かつて膨大なボリュームゾーンを誇っていた、いわゆる「中間層」が没落したというのは、格差社会論や経済的な問題だけでは片付かず、その底流にはこういう若者の心情が働いている。

 今の時代は、誰もが東大に行けるような世の中にはなっていない。
 そこに至るまでには、塾代や家庭教師料も含め、親が途方もない資産家であることを求められる時代になってきている。
 そういうコースを最初から諦めざるを得ない家の子弟は、幼いころから芸人を目指して、他人を “いじって” 笑いを取る訓練に励むようになる。

 今のテレビには、どちらにもロールモデルも用意されている。
 東大志望の子弟には、現役の東大生がどれだけ頭が良いかを際立たせるようなクイズ番組がたくさん企画されている。
 そういうクイズ番組に出演する東大生は、普通の社会人では理解できないような設問を一瞬のうちにクリアし、ものすごい知識量があることを喧伝する。

 視聴者はあっけにとられて、正解者に賛辞を贈るが、そこに落とし穴がある。
 クイズの正解は一つかもしれないが、人生の正解はけっして一つではないからだ。

 しかし、視聴者はこのようなクイズ番組に慣れることによって、人生の正解も一つしかないような錯覚に陥る。
 だから、最初からエリートコースに “正解” を放棄した若者は、「人生には答がない」ことを示し得るお笑いの世界を目指す。

 それはいいことなのだが、だからこそ、お笑い世界は松本人志のような天皇をつくってはいけないのだ。
 それはお笑いの世界を目指してくる若者たちに、「ロールモデルは一つしかないぞ」と強制するようなものだから。
 そして、そういう松本人志的な芸人の権力志向が、フェイクニュースの温床をつくっている。

 … という私の発言も、まぁフェイクニュースの一つかもしれないね。
  
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

フェイクニュースはなぜ生まれるか への8件のコメント

  1. Milton より:

    おもしろく読ませていただきました。

    昨今のメディアの在り方に関しては、アメリカのジャーナリスト Michael Rosenblum が、Huffington Post 紙(アメリカ版)にさまざまな形で記事を寄稿していて、そこから大きな影響を受けています。

    たとえば、The Media companies today are no different. Where once it was their mandate to deliver quality news and journalism, and it was expected that they would do this at a loss (as a trade off for their broadcasting licenses), today they too employ buildings full of research scientists who determine exactly what combination of shock and tawdry stories will deliver the best ratings. News, like food, is a business.

    Junk Food, Junk News, Junk President (02/06/2017 ) より。

    私は翻訳家ではないので、ここからかなり意訳させてもらいますが(笑)、個人的にはこれを読んだ後では、ジャーナリストの良心なんて「初心なこと」を信じてたら、今の時代は負けるなと思いましたね。

    つまり今は、心理統計学を駆使した心理学(あるいは脳科学)のプロをメディアが雇って、悪趣味でショッキングな報道をしながらSNSでそのリアクションを数値化し、そこから読み手の「脳波の乱れ」を正確に測定してるんだなと。

    なので、その脳波の乱れから生じるリアクションをたえず数値化しながら、より正確かつ効果的に広告収入につながりそうな悪趣味な報道をしているのが、昨今のアメリカのメディア事情だと思っています。刺激と反応、あるいはマーケティングの一種だと言っても良いかもしれません。

    なので、フェイクニュースといったものを超えた、もっと深刻な事態が世界で起きていると個人的に思っています。若者たちは、何の疑問も持たずに、ネットで情報を収集していますからね。メディアにとって彼らはあくまでサンプル、つまり数字でしかないのかもしれません。言いすぎかな。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      原文を読み込む力はあまりないので、Miltonさんの意訳(?)だけを勉強させてもらいました。
      要は、現在のネットを中心とした世論形成には、かなりマーケティングを意識した意図的な大衆操作があるということですね。そして、そのような情報操作への反応をデータ化する手法も緻密化していると。

      う~ん … いやな世の中になりそうですね。
      個人として、このような傾向を回避することは至難のワザであるように思えますが、せめて、「人間はネットといかに付き合うか?」という学習をもっと徹底させないといけないということなのでしょうか。

      私自身は、そういうネット社会の構造を追っていくことでブログのテーマが増えて、かつ内容も深まりそうな気もしますから、けっこう面白いと思うんですけどね。
       

      • Milton より:

        ご理解いただき、ありがとうございます。

        たとえばいま、アメリカを中心に、ハリウッド発のセクハラ問題が大きな話題になっています。今ではハリウッドの枠を超え、あらゆる組織に内在する女性のセクハラ問題を、一気に洗い出そうという勢いです。

        「Me Too」運動を検索していただけると、詳しく見えてくると思いますよ。

        素晴らしいですよね、これもネットだからこその大規模な現象です。

        とは言いながらも、私も天邪鬼なので、こういった女性たちの連帯を巧妙にビジネスチャンスにしようとしているメディアのしたたかさが、いやに気になるんですよね。

        それは思い込みだろうという声もあるでしょうが、現に彼らがこの報道で、広告収益を上げているのは事実ですからね。

        そういった事情を鑑みると、まったく一筋縄ではいかない時代だと思います。

        もちろん、メディアに勤めている方たちを悪として捉えるつもりはありません。自分がその業界に勤めていれば、きっとなによりも数字に基づいた結果を求めていたに違いないからです。

        ただ、どんなことでも「無自覚である」のがいちばん危険なので、そのあたりの注意喚起を周りの人たちに促していけたら、と思っています。

        • 町田 より:

          >Milton さん、ようこそ
          確かに、現在ハリウッド発のセクハラ問題が連日海外ニュース欄を駆け回っています。
          私などは、ごく単純に、「女性が当たり前のことをしっかり言える世の中になったんだなぁ …」という通り一遍の感想しか持ちませんでしたが、その背後にはビジネスチャンスをうかがっているメディアの狙いが隠されていたということなんですね。
          世の中の仕組みがいろいろと見えて来て、いつも勉強になります。

          まぁ、このようなセクハラ・プロデューサーがカネと権力に任せて、セクハラ・パワハラを繰り返すことができたというところに、最近のハリウッド映画の質的退廃があったのでしょう。

          だって、ここ20~30年ぐらいか、ハリウッド映画がまったく面白くなくなっていたもん。どの映画も興行成績だけを露骨に追い求めるようなつくりになっていて。

          「子供でもワクワクできるアクション映画」とかいうのは、大人のマーケット以外に、さらに子供にもチケットを買わせて、市場を広げようという見え透いた戦略。
          ハリウッドは大人の映画を作れなくなってきたなぁ … と思い続けてきましたが、映画を作っていた大人たちがセクハラだけを楽しんでいたんだったら、そりゃそうだよね。

          • Milton より:

            たしか、この30年近く、ハリウッドは公開前の映画を何度も試写会して、そこで集められた観客(というか統計的には選ばれた「標本(サンプル)」)から事細かいアンケートを繰り返したうえで、何度も編集を手直しして映画を公開してますからね。

            つまり、ハリウッドの映画産業はすでにマーケティングで動いてるんですよ。もう『天国の門』のような事態は引き起こしたくない(苦笑)

            なので、政治と同じようにポピュリズムの罠(数字だけしか見えない損得至上主義)にはまって、どんどん芸術的な冒険だったり、深い人間描写もなくなって、劣化していくのは当然なんだと思います。

            私が思うのは、政治の世界にせよ映画の世界にせよ、昨今の損得至上主義に挫折してニヒル化した業界人たちは、多数いるような気がしますね。もちろんメディアもです。

  2. 江草乗 より:

    はじめまして
    最近町田様のブログの読者になり、昭和歌謡についての記事から
    ペットについての記事までたくさん拝見しました。
    興味をひかれる内容がたくさんあり、読んでいて時間を忘れました。

    ビートたけしと松本人志の違い、読んでいてなるほどと
    納得しました。そして最近のクイズ番組の背景にある意図も
    目から鱗です。

    考えたら政治家がツイッターで発言するなんてことは
    一昔前は考えられなかったですね。
    マスコミが発信するさまざまなニュースをそのまま受け入れるのではなく
    一歩立ち止まって考えようと思います。

    • 町田 より:

      >江草乗さん、ようこそ
      1985年秋。日本シリーズの最終戦を終えたたそがれ迫る西武球場で、阪神・吉田監督の胴上げをこの目で見ていました。そこに至るまで、まるで微熱に冒されたような1年でした。
      そして、西武電鉄に乗って、家路に着く途中、車内でまだ興奮しているトラシマファッションのファンたちの姿を見ながら、「今後自分は一生もうこのような高揚感に包まれることはあるまいな」と虚脱状態に陥った記憶があります。

      田淵、江夏、上田次郎、古沢というヒーローを知り、掛布、バース、岡田のバックスクリーン3連発に酔った世代です。
      でも、2003年の日本シリーズで星野監督の甲子園3連勝をテレビで見たことを最後にトラキチを卒業しました。

      以降プロ野球というものにそれほど情熱を感じなくなりました。やっぱり1985年の阪神というチームを思い出すと、あれほど魅力的な球団は、もうセ・パ両リーグを通じて出てこないように思います。奇跡のチームでした。
      特にバースの雄姿はいまだに何度も思い出します。
      清宮をテーマにした江草さんの最新エントリーを拝読し、ふと昔の阪神のことを思い出し、懐かしい気分になりました。

      それにしても、素晴らしいブログを運営されていらっしゃいますね。
      毎日精力的に更新されているだけでなく、しかも記事の質が高い。
      最近のものだけですが、どれも興味深く拝読いたしました。
      これからも応援させてください。

      当ブログに関する温かい感想を込めたメール、ほんとうにありがとうございます。
      今後ともよろしくお願い申し上げます。
       

  3. 町田 より:

    >Milton さん、ようこそ
    なるほど。最近のハリウッド映画の作り方というものが、よく分かりました。
    試写会の反応を見てから再度作り直す。
    … ということは、試写会ごとに異なる結末を迎える映画を何度も観てしまった人もいるというわけですね。変な話ですねぇ(笑)。

    おっしゃるように、「みんなが面白がれる作品」というのは、観客が頭をあまり使わなくてもいいような作品になりがちですから、どうしても「深い人間描写」は省かれてしまう傾向になりますよね。
    そういうのを、映画の “劣化” というのでしょうね。

    政治の話に戻れば、「損得至上主義」というのは、今回の衆議院選挙で「希望の党」を立ち上げた小池百合子女史にもいえることかもしれません。あの方も、政治理念や政策で動くというよりも、「いま何をすれば自分に得か?」という計算で活動されてきた方のように思われます。
     

Milton への返信 コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">