惨敗の責任を小池代表に転嫁するのはおかしい

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 すでに終わった衆院選の結果について、もうこれ以上書くこともないと思うのだが、やっぱり最後に一言だけ触れておかなければ気が済まないのは、現在の政治家たちのどうしようもない劣化だ。

 「劣化」というのは、何も不倫疑惑とか、選挙違反とか、ポピュリズム的言動とか、そういうことではない。
 
 「羞恥心を欠いた政治家がいかに増えたか」
 ということである。
 自ら招いた結果を人のせいにして、醜いまでの自己保身を図ろうとする議員がこれほどまで大量に出現した選挙はなかった。

 はたから見ていて、こちらが赤面してしまうほどの恥ずかしい言動を彼らは堂々とぶちあげる。
 特に、「希望の党」になだれ込んだ民進党系議員たち。
 彼らは、人気のなかった「民進党」の看板を下ろし、“小池ブランド” にすがって生き残ろうともがいたくせに、小池人気が失速して選挙戦が苦しくなると、今度は手のひらを反すように、「小池辞任コール」に精を出す。

 もともと民主党 ― 民進党系の議員たちには、自分に不利なことが生じるとすぐさま党のせいにしたり、リーダーのせいにしたりして自己保身を図ろうとするが、今回はその醜さがよりいっそう露骨に出た。

 「希望の党」の民進系議員たちはいう。
 「小池さんの、あの “排除します” 発言がなければ、こんな惨敗もなかった」

 違うだろー ‼
 小池女史のそんな発言がある前に、薄っぺらい小池マジックの怪しさに気づかない方がおかしいのだ。

 そもそも、「希望の党」公約の、あのいかがわしい “とってつけた感” を、党に在籍した立候補者たちはなんで許したの? 
 「ユリノミクス」だの、「ベーシックインカム」だの、「花粉症ゼロ」だの、理論的な検証も思想的深みも何もない公約をそのまま垂れ流したところに、すでに「希望の党」の立候補者たちの無能ぶりが露呈してしまった。

 さらに、マスコミが飛びついた “排除” 発言。
 マスコミは、小池女史の “排除” 発言を機に、「風が変わった」というが、それは違う。
 風の変化はもっと前に、密かに進行していた。
 それは、彼女が新党を立ち上げたときに、実は始まっていた。

 「パンダの名前がシャンシャンに決まりました」
 という記者会見のあと、
 「衆議院選に関わるこれまでの経緯はリセットして、『希望の党』という新党を立ち上げ、私が代表になります」
 と表明したとき、マスコミはいっせいにどよめいたが、実はそれは、小池旋風に期待したどよめきではなかった。
 マスコミ的にいえば、「退屈な選挙報道」を面白おかしくにぎわせてくれる貴重なネタができたという、視聴率稼ぎに期待するどよめきだった。

 そしてマスコミは、小池出馬を歓迎するようなそぶりを示す一方で、「都政を放り出して国政に走るという小池知事の無責任さはネタになるかもしれない」という裏の期待を抱いた。
 その “声” にならない水面下の小池批判はやっぱり徐々に視聴者の心に浸透し、庶民の間にも、少しずつ “形にならない小池不信” が広がっていった。

 だから、
 「(政策の合わない民進党の人は)排除します」
 という彼女の発言は、地面にまき散らされたガソリンの上に、ただマッチの火を放ったにすぎない。
 「排除」というキツイ言葉で、有権者はようやく自分の内側に溜まっていた小池女史に対するモヤモヤの正体を知ったのだ。

 私は、昨年の都知事選のときから、小池女史に対する生理的嫌悪感がどうしようもなく溜まっていて、「いつかはこの人の化けの皮が剥がれるだろうな」と思いつつ、彼女が次の都議選でも圧勝していくさまをしらじらしい気持ちで見ていた。

 だから、今回の小池女史の沈没は、さっぱりした気分で見ていられると思ったが、実はそうでもなかった。
 小池人気を利用して「党」も「政策」も放り出した人たちが、選挙戦で逆風が吹いたというだけで、今度は手のひらを反すように「小池批判」を始める。
 そっちの方が、さらに醜い。
 なりふり構わない自己保身から出た行動がとん挫したからといって、これほど恥ずかしい責任転嫁はあるだろうか。

 こういう人たちは、前原誠司代表に対しても、「惨敗の責任をとって代表を辞任しろ」と迫る。

 何を言ってんだ !? と思うよ。
 「前原代表に一任する」
 といってすべてを任せたのなら、惨敗の責任は自分にもあると思うのが道義だろう。
 
 日本の政治家たちの劣化は目を覆うばかりだ。
 こういう人たちの露骨な自己保身の醜さを見せつけられると、投票率が低いというのも当然だという気がする。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

惨敗の責任を小池代表に転嫁するのはおかしい への4件のコメント

  1. Milton より:

    私もいつも政治ネタにコメントばかりして、むしろ申し訳ない気持ちさえ抱いているのですが(笑)、でも私もおなじようにこういった議員には不快な感情を抱いてしまいますね。

    そして、あいかわらず鋭いご指摘だと思います。風は「排除」発言の前の時点で、すでにおかしな方向に流れていたのです。マスコミに煽られたといったほうが正確ですけどね。

    政治に限らずですが、昨今の社会でひそかに進行していると思われるのが、質問に対する疲れです。ここからは私の勝手な持論なので、話半分で読んでいただけたらと思います。

    地元の書店に行くと、特に新書コーナーで「メンタル系」の本が目立つんですよね。例を挙げると「発達障害」あるいは「サイコパス」。

    それだけストレスフル社会なのだと推察できるし、なによりそこに肝心な要素があるのだと思っています。

    つまり、質問に疲れてるんですよね、みんな。たとえば、自分が失業したとして、あるいは止むを得ず転職して非正規に「転落」したとして、新しい出会いを作りやすいでしょうか。新しい出会いの場にいけば、必ず職業を訊かれますからね。

    それは昨今の政治家やタレントもおなじで、いくらメディア向けに弁明しても、証拠はあらゆるところに残っています(とりわけネット)。小保方さん騒動ぐらいからかな、そういった果てしない「揚げ足取り」文化が日本に根付いた気がする。

    私が言いたいのは、質問とは言い換えれば権力の行使で、自分の立場が弱いとき、相手にどう答えても、その言葉は受け手(主にマスコミ)にいいように解釈されて、勝手な評価を下されてしまうものなのです。あるいは言葉を編集されます。

    だから、開き直るしかない。トランプ的手法。あの不倫疑惑の議員も、ちゃんと質問には答えないじゃないですか。答えても、いじくりまわされることがわかってるからです。編集権を持ってる方が強い。彼らが自らのネットアカウントを通じて、自由な主張をするのも自然なことです。

    なので、政治家の言動に「開き直り」が生じるのは当然です。ネット社会は相互監視。答えても損しかないなら、開き直ったほうがマシ。そんな時代だと思っています。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      こういう意見を吐いたうちの1人、(柚木?とかいう)某議員がテレビに出演し、自分の気持ちを視聴者に訴えていました。
      まぁ、見事に言葉だけうわっ滑りする空疎な答弁でした。

      きっとその人にはその人なりの立場も意見もあったのでしょうけれど、それをどんなに訴え続けても、まったく聞いている人間の心には届かない。

      不思議なもので、こういうみっともない人が出てくると、その前に “みっともない” という烙印を押された人々がどんどん “普通の人間” に戻っていく。
      “みっともない” と最初にいわれた人が安倍首相だったのに、そのうち小池女史がそれに代わり、今は(柚木?とかいう)某議員が小池女史の後を引き継いだという形です。
      このあたり、そういう悪人のレッテルを貼り続けるマスコミは、まったく遊んでいますよね。どっちもどっち。メディアもそうとう悪よのぉ … 。
      本当に、Milton さんがおっしゃるとおりです。こういう叩きやすい人が現れると、メディアがいいように面白おかしい方向に編集しちゃいますからね。
      そうなれば、叩かれた人が次は開き直るのもやむを得ないのでしょう。

      で、≫「ストレスフルな社会になっている」というご指摘。
      いやぁ、ほんとうにそうですよね。
      子供を執拗にいじめる教師。
      高速道路ですぐキレる粗暴運転手。
      介護施設などで入居者を暴行する職員。
      すべてみなストレスに対する耐性を失った人々の所業でしょう。
      まさに “即ギレ” 社会の到来ですね。
       

  2. 若松若水 より:

    異論をはさむ所はありません。

    エリートの劣化ということについて。
    私が、最近つくづく思うのは、以前は政治家にせよ財界人にせよ、高い地位にある人のほとんどは、人前で、怯えた目、うろたえた表情、ヒステリックな言動といったものはめったに見せなかったように記憶しています。

    岸信介、田中角栄、佐藤栄作…誰を思い出しても、浅ましさや軽薄さを示すことは稀だったように思います。

    もしかしたら、偏差値教育、知識詰め込み教育の結果という月並みな分析が当たっているのかもしれません。元受験エリートだった政治家諸氏を観ているとそんな気がしたりします。

    最近、私のブログで取り上げた金平敬之助という人物の言葉も、その話に通じる部分があります。

    • 町田 より:

      >若松若水さん、ようこそ
      その通りだと思いました。
      確かに、若松さんが列記された昔の政治家、岸信介、田中角栄、佐藤栄作 … 。そう簡単に感情を乱すところを見せない胆力の据わった政治家たちでしたね。

      で、若松さんが紹介されている金平敬之助氏の記事も拝読。
      ≫「ただ悪口はまず書かない」
      耳が痛いですね(笑)。こういう「人の悪口」をメインにしたブログを書いている身として多少恥ずかしい思いをいたしました。

      エリートの劣化が進んできた背景には、ご指摘の通り、いろいろな理由があるように思えます。
      その一つに、最近の傾向として、ネット的言語の普及(ツィッター、LINE等)による感情垂れ流し系言葉の氾濫もあるかもしれませんね。
      「うっそー!」「マジー?」的な感情表現の単純化・画一化。
      そういう言語表現に若い頃から慣れてしまうと、社会生活の場においても、つい感情の抑制が効かなくなる。そのため、急にキレたり、ヒステリックになったりする人が増えてきたのかな… と。
      まぁ、勝手な推測ですが(笑)。
       

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