“昭和的” なるものとは?

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ドラマ『陸王』に見る昭和の高度成長とバブル

 「平成の若者が昭和歌謡に夢中 … 」みたいな記事を書いているときに、ふと思ったことがあった。
 今の人たちが、「昭和」という言葉からイメージしているものって、いったい何だろう?

 テレビのワイドショーなど観ていると、とかく「昭和」がキーワードとなることが多い。
 たとえば、散歩番組などを観ていると、レポーターが、
 「いやぁ、昭和チックな街並みですねぇ !」
 と表現したり、グルメ番組を取材するレポーターなら、
 「まさに、昭和の味そのままのナポリタンです」
 とかいう。 

▼ 「昭和」の街並み(?)

 そういうときに、「昭和」という言葉を使う人たちは、いったいどんな風景、どんな風俗、どんな味を想像しているのだろう。
 
 
すぐ浮かぶのは『三丁目の夕日』的映像

 一口に「昭和」といっても、その言葉があらわす時代は長い。
 「昭和」というのは、西暦でいうと1926年から1989年。
 63年の長きにわたり、その間に太平洋戦争がある。

 ただ、戦争に覆われた「昭和」を知っている人は、高齢者になってきているから、人口としては少なくなってきている。
 したがって、大多数の人が想像する「昭和」というのは、主に昭和30年代から60年代。西暦でいうと、1960年代から1980年代ぐらいではなかろうか。
 
 
 昭和30年代といば、街中をオート3輪が走り、東京タワーの建設が始まり、家にぽつぽつと白黒のテレビが普及し始めた時代。まさに映画『三丁目の夕日』のような世界だった。それは、経済的にはまだ貧しかった東洋の島国が、経済立国を旗じるしに歩み始めた時代だった。

 しかし、昭和50年代になると、日本は諸外国から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと称される経済大国になる。世界をリードする経済力を背景に、大都市を中心にバブル文化が花開いた。

 どちらの時代においても、「昭和」のキーワードは「成長」と「繁栄」という言葉に集約される。つまり、「高度成長」と「バブル」という二つの膨張期を抱えたのが昭和という時代なのだ。
 デフレを迎えた平成期に「昭和再評価」が生まれてきた背景には、この「膨張した日本」に対するノスタルジーがある。
  
 
モノが増えていくことを確認するのが
「昭和」だった

 
 昭和25年(1950年)生まれの私の個人史に、この「昭和」という時代を重ね合わせてみると、私は「高度成長」と「バブル」という二つの膨張期をリアルタイムで体験している。

 高度成長期がスタートしたといわれる昭和29年(1954年)、私は4歳だった。翌年から神武景気と呼ばれる好況期がやってきて、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビという三つの家電が家庭にそろうことが「最高の幸せ」といわれるようになった。
 もちろん、当時の私の家にはそのどれもなかった。
   
 昭和32年(1957年)、ようやくわが家に白黒テレビがやってくる。
 そのテレビで「名犬ラッシー」、「パパは何でも知っている」などのアメリカ製ホームドラマや「月光仮面」、「まぼろし探偵」といった(今でいうコスチュームヒーローもの)を見るようになる。

 翌年、隣の家が、登場したばかりのスバル360を買い、それを自慢げに運転する姿を見る。自家用車を持つ家庭というものが近所に出現したことに驚く。

▼ スバル360

 昭和39年(1964年)、中学2年生だった私は、ビートルズのファンだという友人の家に遊びに行き、ラジオでしか聞いたことのなかったビートルズをはじめてステレオで聞く。
 レコードはモノラルだったが、左右のスピーカーから流れてくる音量の豊かさに圧倒された。
 「俺もステレオが欲しい」と思いつつ、受験のためしばらく我慢し、高校に入ってようやく親に買ってもらう。

 こういうように、私から見た「高度成長期」というのは、自分の家や周りの家に「モノ」が増えていく時代といえた。
 そのモノを本当に欲しいのかどうかは別にして、とにかく「お隣が買ったのだから、うちも買う」というのが、物を購入する最大の動機となった。
  
  
高度成長期の人々の感性
 
 おそらく、こうして多くの “中間層” がこの時代に生まれていったのだ。
 つまり、高度成長期の「昭和」というのは、大量生産されたものを大量消費することによって、膨大な中流家庭が生まれていった時代だった。
 
 同じものを買って消費するのだから、商品を買ったときの感動も、それを消費するときの満足感もだいたい似たり寄ったりになる。
 ということは、人々の生活感覚や人生観もステレオタイプ化されたことを意味する。

 ただ、それを当時「個性の喪失」などと考える人はほとんどいなかった。
 むしろ、階層アップして、周りの人と同じ価値観を共有することが、ひとつの喜びとなった。
 そこには、少しずつ生活をステップアップさせていく人々同士の連帯感があった。
 それを、今風に「人との絆」という言葉で言い表してもいいのかもしれない。

 たぶん、平成に生きる人が「昭和」という言葉に温かいイメージを感じるとしたら、それは “昭和人” たちがお互いに維持していた「絆」の強さからくるものであろう。
 
 この昭和的な「人と人との絆」は、今もドラマや小説などではノスタルジックに反復されており、池井戸潤氏の小説をドラマ化したものなどは、みなこの路線に沿っている。

 つまり、最初に、利害の異なる人々の敵対関係が示される。
 次に、主人公の夢や情熱に共感する協力者が現れる。
 (この場合の主人公は、たいてい時代に乗り遅れそうになった中小企業事業者だ)
 
 やがて、主人公が一つのプロジェクトを立ち上げ、協力者たちの力を結集して、圧倒的な力を持つ敵対者にコンペティションを挑む。
 最後は、主人公と協力者たちの信頼関係が実を結び、主人公側が勝利を収めて、「絆の勝利」という美談に収束する。
 
 『下町ロケット』や『陸王』などに登場する人々のメンタリティーは、基本的にこういう高度成長期の精神モードがベースとなっている。
 そして、この昭和的な人間の絆は、あいかわらず平成の人たちをも泣かせている。

▼ ドラマ「陸王」
 
 
  
バブル文化は「昭和」が格差社会に
向かったことを示すもの

 
 高度成長期のあとに、日本はもう一回 “膨張期” を迎える。
 それが「バブル」である。
 
 バブルという言葉は、「泡のように実体のない好景気」という意味で使われているが、その渦中にいるときは、誰もそんな言葉を知らなかった。
 やがて、狂乱的な好景気が突如終焉し、企業倒産やリストラの嵐が吹き荒れるようになってから、「あの好景気はバブルだったのか … 」という形で語られることになった。

 バブルのスタートは、昭和61年(1986年)だとされている。
 「昭和」は63年(1988年)で幕を閉じるから、バブル期といわれる「昭和」はわずか3年でしかない。
 しかし、その3年間はあまりにも強烈で、後に「昭和」 = 「バブル」というイメージを日本人の心に植え付けることになった。

 バブルスタートの昭和61年。
 私は、大手自動車メーカーのPR誌を編集する仕事の11年目を迎えており、そのメーカーが制作するCMの裏話などを取材するために、CMに出演するタレントや文化人のインタビューをまとめることがメインの仕事になっていた。

 CM制作の裏話の取材だから、それを企画した大手広告代理店の担当者やクライアントの広報マンたちと顔を突き合わせることになる。 

 みな見事なファッションに身を包んでいた。
 広告代理店の担当者たちは、男はみなアルマーニなどの細身のスーツに身を包み、ヴィトンのセカンドバッグを小脇に抱え、きれいに整えた細身のヒゲを鼻の下に蓄えていた。
 女性たちは、これまた「ジュリアナ東京」のお立ち台で踊っているような肩パッドの張ったボディコンスーツで身を整え、バリバリのキャリアウーマンの色気を漂わせていた。

 みなカッコよかった。
 打ち合わせた後に、CMに出演したタレントや俳優、文化人と実際に会うことになるのだが、タレントや俳優よりも、周りを固めたスタッフたちのほうがはるかにカッコいいということも多かった。
  
 しかし、彼らのファッションに「個性」というものがあったかどうか。
  
  
「差別化」という言葉に潜む「非個性化」
 
 この時代、広告制作のコンセプトを練り上げるスタッフたちは、「差別化」という言葉をよく使った。
 類似商品が乱立するなかで、いかに今回打ち出す商品の個性を際立たせるか。
 それが、広告制作のキーとなった。

 しかし、その「差別化」を訴えるバブル期のモテ男・モテ女たちのファッションは、逆にブランド品の呪縛にとらわれ過ぎて、結果的に無個性になってしまうところがあった。
 
 高度成長期においては、誰もが同じモノを持つことで安心感を共有する人が多かったが、バブル期の人々は「人と違う個性」を発揮しようとして、結果的に同一性のワナにハマったのだ。
 
 それは、たぶんバブル期が、実は格差社会が広がりつつある時代だったからではないかと思う。
 
 「個性」を追求するという標語がメディアに踊るようになったのは、高度成長期に形成された膨大な中流層が崩れ始めたことを意味する。
 「個性化」とか「多様化」という美辞のもとに、モノを買える層と買えない層の分断化が図られたといっていい。
 
 だから、モノを買える消費者であることをアピールするには、自分がセレブであることを周りに知らせる “記号” が必要となった。
 記号として認知してもらうには、誰が見てもそれと分かる同一性が保証されなければならない。
 その記号が、“ブランド” であった。
 だから、ブランドブームは格差社会を背景にして登場したブームであった。
 
 昭和50年代末期、渡辺和博が発表した『金魂巻』(1984年)では、金持ちを「まる金」、ビンボー人を「まるビ」と峻別することによって多くの読者を笑わせたが、それはまさに格差社会の到来を予告した現象だった。


 
 ブランド消費の世界では、「個人消費こそが自己実現につながる」というキャンペーンが張られ、衣服においてはアルマーニ、ヴェルサーチ、コムデギャルソン、小物ではヴィトン、エルメス、車ではシーマといったブランド商品がマーケットの先端を飾るようになった。
 そういう傾向を促進する文化として、西武百貨店のCMや松任谷由美のニューミュージックなどが総動員された。
 
▼ 西武百貨店のCM「おいしい生活」

 
 こういうバブル文化の特徴を、一言でいえば「表層的」という言葉に集約される。
 「バブル(泡)」とは言い得て妙で、まさに中身のないことをいう。

 バブル商品の多くがブランド化を図っていったということは、逆にいえば、実体の伴わないプアな商品でも、ブランドという “表層” で粉飾すれば売れる時代が到来したことを意味する。
 
  
消費構造の最先端を行ったバブル文化
 
 こういう中身のないブランド戦略を盛り上げるために、メディアもこぞって協力し、ブランド品を消費するシチュエーションやロケーションを用意した。
 すなわち、
 「船上から眺める東京湾」、
 「大都会の夜景を見下ろすレストラン」、
 「ウォーターフロントの倉庫街にたたずむタンゴカフェ」。
 そんなシチュエーションに身を置いてキラキラ輝く一夜を享受する若者たちの姿が、テレビのワイドショーやトレンディドラマ、ファッション誌を彩るようになった。

 今日、平成に生きる多くの人々が「昭和」という言葉から受けるバブリーなイメージというのは、この昭和の最期を飾ったバブル文化に由来する。
 
 このバブルの匂いをいまだに漂わせている人々は現在もいる。
 現在47歳ぐらいから54歳ぐらいの人に多い。
  
 男性でいえば、イケイケドンドン精神で、意味もなく情緒的に部下を叱咤する上司。
 バブル入社組は、とにかく自分の知恵やアイデアを磨かなくても、勝手にモノの方が売れてしまったために、それを自分の成功体験と勘違いし、とかく部下の「気力不足」を叱る。
 
 一方、女性にもアゲアゲノリノリのバブル気分を忘れられない人がいる。
 バブル期に青春を送った女性というのは、女子大の校門に、お目当ての女の子の下校を待っている彼氏のスポーツカーや外車がずらりと並ぶ光景を見ている。
 
 そういう男の子の列を眺めながら、彼女たちは「ホンメイ(本命)君」、「アッシー君(単なる運転手)」、「ミツグ君(単なるプレゼント提供者)」を使い分けた。

 自分がいかに魅力的であるかという競争は、当然女の子同士の間にも起こる。
 だから彼女たちは、自分の魅力を誇示するために、高級ブランドのバッグやアクセサリーの数と質を競い合った。
 
 この時代をたくましく生き抜いた女性たちは、いまだに消費意欲が旺盛。性欲も衰えないから不倫も辞さず、女子会では「私まだイケてるでしょ~」と群れをなして盛り上がる。
 
 だから、彼女たちをターゲットにした商品は、エステ商品から旅行商品、グルメ素材に至るまで、あいかわらず好調だ。
 そのため、メディアの方も「美魔女」や「アンチエイジング」の特集を繰り広げて援護射撃を行っている。
 

 
 
昭和期の「高度成長」と「バブル」の相克が
平成ドラマを生む

 
 以上、高度成長期の人々のメンタリティーをバブル時代の人々のメンタリティーを比べてみたが、平成の人々が抱く「昭和」のイメージには、暑苦しくって野暮ったい高度成長期と、スマートで軽佻浮薄なバブル期の二つが混在している。

 そして、この二つの「昭和」が、時に混ざり合って、ドラマなどでせめぎ合うことがある。
 池井戸潤氏の描くドラマ、『半沢直樹』、『下町ロケット』、『陸王』などは、まさに「高度成長」と「バブル」の相克を描いたドラマと見なすこともできる。

 企業家の情熱や意欲などには目を背け、スマートに資金を回収して利益を確保しようとする銀行や大手企業。
 そういう勢力がバブル人のメンタリティーを代表するならば、それと戦い、社員同士が助け合って自分たちのプロジェクトを貫こうとする中小企業の人々は、まさに “汗と涙” の「高度成長期」のメンタリティーを代表している。

▼ ドラマ「陸王」

 
 高度成長期のメンタリティーが現代の視聴者の目頭を熱くするとすれば、それは、そういう時代はもう戻らないというノスタルジーの成せるワザであるともいえる。 
     
 
参考記事 「若者の間に昭和歌謡ブーム」
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

“昭和的” なるものとは? への8件のコメント

  1. 北鎌倉 より:

    雑誌「暮らしの手帖」に昭和29年に始まった「ある日本人の暮らし」という、モノクロ写真と文章とで、庶民の暮らし向きをルポルタージュした、シリーズがあります。時代をさかのぼればのぼるほど、ものがよく写っているのです。そう感じられるのはそれだけ、ものと人との関係が生きているということです。こんな写真がありました。
    タンスの上にラジオが置かれて、それを幼い姉妹が背伸びしてラジオに耳を近づけています。その家の両親は聾唖者で、子供のためにとラジオを買ってくれたのです。でも子供たちは耳の聞こえない両親を気遣って、音量を大きくしない、離れて聴けば、それだけ聞こえるということを見せつけることになるかもしれない。姉妹は耳を寄せてひっそりと聴く。でもそれは両親への心配りといったものだけではなく、ものと向き合って気持ちが負けていない、のです。ものへの尊敬と言ってもいい。これは言葉ではないのです。人がものと離れて生きると、言葉が優先していきます。結果として、事物やものが言葉に従属してしまいます。言葉はあふれるけど、人の実が見えない。

    • 町田 より:

      >北鎌倉さん、ようこそ
      『暮らしの手帳』に掲載されたラジオに聞き入る姉妹の写真から、北鎌倉さんが感じた昭和29年代の “人と物” の関係を考察していくくだりは、いつものことながら、とても重要な指摘であると感じました。

      戦争の結果、耐久消費財から何からすべてを失った日本人が、少しずつ生活物資を整えていく。そのときには、新しく手に入れたナベ・カマからラジオのようなものまで、どれもみな輝くような存在感を示していたのでしょうね。

      高度成長期からバブル期になると、「使い捨て文化」が生まれるようになります。小さな家庭用品から高価な家電に至るまで、物はどんどん捨てないと買い替え需要が広がらない。
      資本主義というのは、“新しい物” を絶え間なく消費者にプレゼンして、消費者が手にしているものを一瞬のうちに “古い物” に変えていかないと、経済が回転しないという構造になっています。現在の「断捨離」などという文化も、結局は資本主義イデオロギーなのでしょうね。

      もちろん、「使い捨て文化」が必ずしも悪いとはいいません。過去の思い出の詰まった物をいさぎよく捨てるということは、ときに精神の新陳代謝になることもありますから。

      ただ、「物のない時代には物が輝いていた」という体験を持つことは北鎌倉さんんがおっしゃるように、人間にとって、ひとつの幸せであるように思います。それはけっして「物欲」などという言葉で葬り去ることのできないものだという気がします。
       

  2. Milton より:

    なるほど、私は現在30代半ばなのですが、バブルが崩壊した当時はまだ小学生だったので、町田さんの文章を読んであらためて、(戦後の)昭和というダイナミックな時代を窺い知ることができました。

    今の時代、こういった昭和的な感覚ってほとんどないですよね。個人的に、物質面においては「もうやることないんだな」って思ってます。

    たとえば、洗濯機が普及した時や、自動車が普及した時は、具体的かつダイナミックに生活が変わったと思うんですよね。そういう現象って、おそらく携帯電話とインターネット(90年代後半)の普及が最後じゃないかな。

    それ以降は、もう飽和状態で、資本主義の歯車を止めないために、無理して経済を回してる感じさえしますよね。

    私が学生だったころ、街の風景が整備され、どんどん環境が改善されたなと思い込んでいたけれど、そういった環境的な負担を、冷戦崩壊以降ぜんぶ発展途上国(例・中国)に負わせていただけなんだなって気づいたし。そのツケが、世界に重くのしかかってますしね。

    なので、昭和時代のイノセントな側面に、興味を抱く現代人が多いのはわかります。ただその反面、昭和40年代の公害問題もそうだし、凶悪犯罪の発生率も昭和30~40年代のごろのほうが高かったはずなんですけどね、、、闇の部分は忘れちゃうんでしょうね。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      おっしゃるとおりですね。今の日本に “昭和的ダイナミズム” を求めようとしても、産業構造そのものが変わってしまっているので、もはや、ああいう暑苦しい熱気というものが復活することはないでしょうね。
      だからこそ … といっていいのか分からないけれど、『陸王』といったドラマなどでは “昭和的ダイナミズム” が復活しているのだと思います。「ああいう時代はもう戻らない」というノスタルジックな感傷として。

      だから、(Milton さんも気づいていらっしゃるように)「昭和のイノセンス」というのは、捏造された神話にすぎないかもしれません。本文にも書きましたが、昭和の高度成長期において “人間同士の絆” が深まったというのは、逆にいえばこの時代の大量生産による大量消費によって、消費者の考え方や価値観が急速に画一化されたことの裏返しであるように思います。
      そして、そういう価値観の画一化によって、感動の画一化も進みました。巨人軍の長嶋茂雄選手がホームランを打つと日本中の人々がみな一斉に快哉を叫びました。

      この高度成長期に青春を送った人々を、「団塊の世代」と呼び、若者らしい個性を主張する世代が登場したと当時のマスコミは表現しました。
      しかし、その世代のすぐ下で育った私などが思うに、団塊の世代というのは、かなり考え方が画一化された世代であったように思います。だから私たちは、団塊の世代の前に活躍した人々から多くを学びました。

      Milton さんがおっしゃるように、90年代後半の携帯電話とインターネットというのが、最後のイノベーションだったのでしょうね。それ以降、消費構造をドラスティックに変えるようなものが登場しなくなったのは、けっきょく IT 社会になって、製造業中心だった産業構造が情報産業や金融業などに移行したからではないでしょうか。情報産業などにおける “新商品” というのは、もう物ではありませんから。

      いつもながらのMilton さんのご意見は勉強になります。
      今回もありがとうございました。
       

  3. 若松若水 より:

    町田様のブログを拝読していて、この方はこれまでどんな人生を歩んで来られたのかと興味を持っておりましたが、この記事でその一端を知ることができ、うれしく思いました。
    やはり文筆を生業にされてきたのですね。
    今回の分析、批評も、「わが意を得たり」という思いでした。

    人は過去を美化する傾向があるもので、過去と現在を比較して、現在をあげつらうというのは極力避けたいと思っています。
    昭和の時代の日本人は、皆、優しくて温かだったということはなかった、と記憶しています。そういう人の割合が今よりは少し高かったかなという気はしないでもありませんが。

    ただ以前書きました、日本のエリート族の品性や教養の劣化というのは、どう考えても明らかに思えますので、たまに言ったり書いたりします。

    ところで、
    私の知人で博報堂で部長職を最後に福井にUターンされた63歳の方がおられます。
    酒の席で、バブルの時代は一体なんだったのか、という話をしましたが、町田様の見解と似たようなことをおっしゃっていました。

    実は、私、1980年代には、生命保険会社に勤めておりまして、金融機関のモラルや価値観の変化をリアルに体験していました。
    バブル以前には、少なくとも大手金融機関においては「禁じ手」とされていた行為を一社がやり出すと、他社もどんどん追随する。
    メーカーも本業よりも「財テク」で利益を追求しようとしたりする。
    まっとうではない話がたくさんありました。

    これからも、町田様のこれまでの人生を語っていただける記事を書いていただけますようお願いします。楽しみにしています。

    • 町田 より:

      >若松若水さん、ようこそ
      ≫「人は過去を美化する傾向があるので、現在と過去を同じ視点で語ってはならない」というのは、とても冷静なご指摘で、まったく同感です。
      だから、おっしゃるように、≫「昭和の日本人の方が(今の日本人よりも)優しくて温かだった」というふうには断言できないと思います。

      ただ、1990年以降、日本人の間にも、欧米流の新自由主義的な経営理念が導入され、「国際競争力を高める」という名目のもとに、各企業が人件費を削ったり、非正規雇用の社員を増大したりして、内部留保を高める方向に舵を切りました。そのため、リストラが横行し、首を切られた社員が自殺したりする暗い時代が訪れました。
      特に、デフレ経済の停滞期に入っていた1996年(平成8年)から1997年ぐらいにかけては、自殺者の数が24,000人から33,000人まで増えたといわれています。

      そのように、「平成」の印象が暗くなっていく過程で、「過ぎ去った明るい時代」としての昭和像が生まれてきたのではないでしょうか。
      そしてそれは、いつしか「昭和の人々は優しくて温かい」という神話として定着していったのだと思います。
      そういう「昭和人」のイメージ形成に、NHKの朝ドラなどが果たした役割も大きかったでしょうね。

      最後に、私ごときのこれまでの人生などに興味を持っていただけたこと、多少の恥ずかしさも感じますが、ありがたいお言葉として頂戴いたします。
       

  4. 江草乗 より:

    「陸王」見ています。
    なんで役所広司は携帯電話使ってるんだろうと突っ込みつつ
    母(81歳)もあのドラマを楽しみにしています。

    >「高度成長」と「バブル」の相克

    ということだったのかと、自分が上手く説明できなかった部分が
    腑に落ちたという気がします。

    昭和という時代を振り返って私も以前に

    かつて家にはお母さんがいた

    という記事を書いたことがあります。

    「半沢直樹」や「陸王」でも金融機関の冷酷さが描かれますが
    金融機関や証券会社はいつから顧客を金づるとしか考えなくなったのか

    2015年の相続税法の改正以降の新築賃貸住宅の異常な増加と
    地方銀行の貸し出し残高の上昇を思うと、数年後にこのバブルが
    崩壊したときにどんな悲劇が起きるのだろうかと。
    自分が受け取る年金がなくなったりするのでしょうか。

    • 町田 より:

      >江草乗さん、ようこそ
      『かつて家にはお母さんが居た』
      拝読しました。
      現代の日本が抱える根本的な病巣を、「お母さんが家からいなくなった」という象徴的な事例に集約してまとめられた手腕はたいしたものだと感心いたしました。

      日本に専業主婦が誕生したのは、1960年代の中頃なのでしょうね。その背景には、高度成長期を迎えた各企業の業績が向上し、男性労働者の雇用と賃金が安定してきたということが挙げられるかもしれません。

      専業主婦がいちばん増えたのは1975年だといわれており、ちょうど団塊世代が結婚して子供を産んだ時期と重なるのだとか。
      この頃、「サラリーマンのお父さん/家事を取り仕切るお母さん/子供2人」という “昭和型の家族モデル” というものが誕生したようです。

      しかし、だんだんそういう「昭和型家族モデル」を維持するのが大変になってきたことは、まさに江草さんが今回のレポートでご指摘された通りだと思います。

      専業主婦というのは、言ってしまえば “家庭内無報酬労働者” ですから、お父さんの雇用と賃金が安定していなかぎり成立しません。1990年代から2000年代の初期にかけて、日本経済が低迷状態に入ると、お父さんの経済基盤が崩れ始め、その煽りを食らって、お母さんたちが働きに出ざるを得なくなりました。
      その結果、家族が不安定化する。親の目も、子供たちの情操教育などには回らなくなるため、感情が未成熟な若者も増えてくる。
      このあたりの状況分析は、まさに江草さんが記述されている通りだと思いました。

      江草さんもご指摘されていますが、金融機関や証言会社は、いったいつから顧客を金づるとしてしか考えないようになったのか。

      私は素人なので詳しいことは分かりませんが、金融機関の露骨で冷酷な顧客対応が激化してきたのは、日本もグローバル経済に巻き込まれ、新自由主義的な経済政策が台頭してきてからではないでしょうか。

      グローバル資本主義というのは、より安い労働力と未開拓の市場を求めて、地理的なフロンディアをどんどん喰い尽していくのだそうです。21世紀にはそのフロンティアがついにバングラディッシュあたりにまで及び、いよいよ残すはアフリカぐらいしかなくなったとか。

      こうして地理上のフロンティアを喪失した資本主義は、今度はどこに安い労働力を求めるようになるか。
      結局それぞれの国に戻って、国内に安い労働力をつくり出さねばならなくなる。
      それが、「格差社会」といわれるものの正体だと説明する専門家もいるようです。
      金融機関が顧客に対して、冷酷な対応を辞さなくなってきたのも、そういう流れに呼応しているのかもしれません。
       

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