なぜ若者は保守化しているのか

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今や若者にとって自民党こそがリベラル

 最近、わが国で選挙が行われるたびに取り上げられるテーマの一つに、「若者の保守化」がある。

 自民党の圧勝に終わった今回の衆議院選挙が終わってすでに3週間経つが、いまだにテレビ・新聞ではこのテーマが繰り返されている。

 11月3日(金)のプライムニュースでは、『「若者×政治」相関図』というタイトルを掲げ、政治学者の三浦瑠璃、社会学者の古市憲寿、評論家の佐藤健志、IT ジャーナリスの津田大介というメンバーを集めて、「若者の保守化傾向の核心」という討議を繰り広げた。

 比較的若いゲストが集まった番組だけに、新しい見解が出てくるのかと期待したが、討議の内容は、すでにいろいろなマスメディアで展開されている以上の見解は披露されなかった。

 それでも、論点はある程度整理されていたと思うので、以下簡単な概説を記す。
  
 
若者の60%が自民党を支持
 
 まず、“若者の保守化” というのは、何を指しているのか。 
 番組では、FNNの出口調査という形で、選挙に出かけた人々に次の二つの質問をぶつけた。

 一つは、「現在の安倍政権を信頼しているか否か?」
 もう一つは、「比例代表制ではどこの党に投票したか?」

 番組で紹介された棒グラフでは端数の数値まで明記されていなかったので、およその数値を勝手に類推してみたが、「安倍政権を信頼するか」という質問に対して、「信頼する」と答えた10代の若者は、なんと64~65%に達した。

 20代になると、その数値は若干下がるが、それでも62%程度の人が「信頼する」と答えている。
 30代ではそれが下がって、47~48%程度。
 40代ではさらに下がり、44%程度。
 50代は、42%ぐらい。
 60代は、40%という結果になった。

 また、「比例代表制ではどこの党に投票したか?」という質問でも、若者の自民党評価は高く、20代では50%の若者が「自民党」と解答した。
 10代の「自民党」評価は45%。
 30代は40%。
 40代は35%。
 このように、年齢が高くなればなるほど、“自民党離れ” が進み、50代では32%。
 60代では30%(いずれも目測による概算)という結果になった。


 
 面白いことに、今回の選挙で躍進した立憲民主党に関しては、ほぼ逆の傾向が表われたことだ。
 つまり、同党に関しては、50代、60代の支持率がかなり高く、反対に10代、20代の支持率は高齢者たちよりも相対的に低い数値を示した。
 
 
高度成長やバブルを知らない若者たち

 このデータを見て、社会学者の古市憲寿(↓)はこういい切る。

 「この結果は、若者がテレビを観ていないことを物語るもの。もし彼らがテレビを観ていたら、モリカケ問題などで安倍首相がそうとう野党に追求される姿を知ったはずだ。そうすれば安倍政権に対する信頼度は揺らいだろう。
 しかし若者はテレビを観ていないから、投票所に来たときに、単に名前を知っている党として “自民党” と書いてしまう」

 政治学者の三浦瑠璃(↓)は、こう語る。

 「今の20代~30代の若い層は、日本が “失われた20年” という暗い時代をさまよっていた記憶しか持っていない。彼らはその上の世代が経験してきた高度成長やバブルの時代を知らない。
 そうなると、安倍政権は自分たちが幼い頃経験した辛い時代を吹き払ってくれる頼りがいのある政権に見えてしまう」

 シニア層に関しては、その逆がいえるという。

 「50代~60代の人々は、活力感にあふれた高度成長やバブルの時代を “正常” とみなすから、正常な状態から逸脱したのは自民党の失策だと判断する」
 
 
 “若者の保守化” というテーマそのものに疑問を抱いたのは、IT ジャーナリストの津田大介(↓)だ。

 彼はこう言う。

 「若者の自民党支持が高いことを “保守化” と決めつけるのは、マスコミのミスリードではないか。少し前までの若者がいちばん心配していたことは、雇用問題だった。自分たちの働き口がどんどん狭まっていくという不安に彼らはさいなまされていた。
 しかし、安倍政権になって雇用問題には改善の兆しが見え始め、有効求人倍率も現在では1.5倍程度の数値を見せている。
 だから若者たちには、自民党がいちばん自分たちの生活を改善してくれる政党に見えているのではないか」

 彼はさらに、国際情勢の変化も挙げる。

 「今の50代~60代の人たちは、若い頃に日本がアジアでは最も進んだ国という印象を抱いたまま年齢を重ねた。
 しかしその後、中国の経済的・軍事的膨張が著しく進み、北朝鮮も核兵器を持つ危険な軍事国家になってきた。
 そういう中国や北朝鮮に対し、外交的に強気の姿勢を示す安倍政権は、今の若者たちには頼もしく思えるのだろう」
 
 
野党の掲げる政策の根本的矛盾
 
 「作家・評論家」という肩書を持つ佐藤健志(↓)は、自民党の強さを分析する前に、野党の弱さを分析した方がいいという。

 「今回の選挙で、国民が安心してこの党に任せようと思える政策を打ち出した野党は一つもなかった。すべての野党が安全保障問題に関しては、抽象的で非現実的なことしかいわず、経済政策に関しても、安倍政権の掲げる成長戦略と対抗できるような戦略を打ち出した野党はなかった。
 そして、成長戦略を示さないまま、ほとんどの野党は大企業の内部留保などを批判し、分配の平等性を主張した。
 しかし、分配の平等を主張するには、分配を確実にするための財源を確保しなければならない。
 ところが、野党はその財源となる消費税について、“反対か凍結” しかいわなかった。そういう矛盾を国民は冷静に見抜いたから、野党の惨敗という結果になった」
 
 
 議論はさらに進み、自民党と野党の違いがより一層浮き彫りになっていく。
 
 古市憲寿(↓)はいう。

 「憲法解釈などを除けば、今回の選挙を通じて、保守といわれる自民党とリベラルと思われている野党の政策上の違いがほとんどないことがはっきりした。
 これまでだったらリベラルでなければ掲げないような政策を、今では自民党が先に言い出してしまう。
 政策上の違いがなくなってしまえば、残るは政権運営能力だけの問題となる。
 そうなれば誰もが自民党の実績がもたらした安定感を評価するしかなくなってしまう」

 佐藤健志(↓)がそれを補足する。

 「リベラル派の主張は、戦後70年経っても一向に変わっておらず、すでにそれが形骸化してしまっている。だから国民から見れば野党の主張に新鮮度が感じられなくなったのだ」
 
 
「保守」と「リベラル」の逆転

 このようなゲスト諸氏の意見は、すでにさまざまなメディアで行われた分析結果を大きく離れるものではなかった。
 ただ、ここで浮き彫りになった問題が一つある。
 それは、「保守」と「リベラル」とはいったい何なのか? という根本問題である。
 
 
 京大名誉教授の佐伯啓思氏は、こういう。
 「今回の選挙で、“保守” と “リベラル” を政党別に対置する方法はほとんど意味を失った。
 なぜなら、保守であるはずの自民党が、矢継ぎ早に “改革” を打ち出してきたからだ」(朝日新聞 2017年11月 3日号)

 そもそも、「保守」と「リベラル」はどう違うのか?
 佐伯氏によると、次のようになる。

 「“保守” と “リベラル” の違いは、従来次のように解釈されてきた。
 すなわち、経済界に近い立場から、経済成長路線をとり、戦後日本の基本的な社会構造をできるかぎり維持しようとするのが保守。
 これに対して、経済成長の恩恵を得ない者の利益や社会的少数派の権利を擁護し、社会をより社会民主主義的な方向へと改革していくのがリベラル」

 ところが、最近はそれが逆転しているという。
 時代の変化や国際状況の流れを敏感に感じ取って、次々と「改革」を打ち出しているのが自民党だとか。

 具体的にいうと、まず、北朝鮮の核配備の脅威や中国の大国化を見据え、それに応じた安保法案を整備したこと。
 産業的にはAI やロボット産業など次世代の成長戦略を計画していること。
 社会政策では消費税の使い道を明確にして、将来の不安に対応しようとしていること。

 このような大きな “変革” を打ち出してくる自民党に対し、リベラルを標榜する野党は、それに対する対案を出すことなく、すべて「反対」を唱えるだけ、と佐伯氏は書く。
  
 「リベラル野党の主張をみると、『生活を守れ』『弱者を守れ』『地域を守れ』『人権を守れ』『平和を守れ』『憲法を守れ』というように、すべて現状を守れといっているだけで、変化を嫌っているようにしか見えない。これでは “野党こそ保守だ” といわれても仕方がない」

 この佐伯氏の主張は、政権与党となった自民党を擁護するものではけっしてない。与野党のバランスのよい政治運営を進める上で、いま最大の障害となっているのが、野党の劣化であると嘆いているのである。


 
 
野党はもう自民党を追いかけるな
 
 「野党の劣化」に関しては、すでに多くの識者が指摘し、世論もそういう方向に傾いてきたので、私もこれ以上触れない。

 ただ、「野党は今後どうすればいいのか」ということだけについて、一言だけ書く。

 野党はもう「政権交代」など目指さなければいい。
 政権運営能力なども磨く必要がない。

 それよりも、自民党のビジョンを超える “壮大な物語(ロマン)” を提示するべきだ。
 どうせ自民党の政策案を超える方針を展開できないのならば、政策論争で、自民党とのかすかな違いを強調するというような姑息な手段を考えても意味がない。

 それよりも、その主張のなかに、もっと知的でスリリングな思想を提示してほしい。
 今の自民党に欠けているのは、未来を長期的に見据える視線だ。
 AI やロボット産業の育成だけが “未来” ではないだろう。

 私などが知りたいのは、それこそ資本主義の未来の姿はどうなっているかというような気宇壮大な物語である。
 現実路線は自民党に任せて、野党はそういう図太い未来像を見据えた上で、今の問題を考えるべきだ。
 
 
共産党は「マルクス」を語れ !

 「大きな物語」というと、かつてはマルクス主義などがそう言われた。
 マルクス主義を標榜したかつての社会主義国家が現在はみな人権を無視した独裁国家となってしまったため、今ではマルクス主義そのものが “過去の悪しき思想的遺物” と見なされるようになったが、いまだにマルクスの資本論に勝る資本主義の研究書は存在しない。

 それは2015年に、フランスの経済学者トマ・ピケティが、マルクスとはまったく違った方法論で資本主義社会を分析し、結果的に、マルクスと同じ結論に至ったことからも分かる。

 そういう優れた思想家の薫陶を得て、社会主義国家の建設を夢見たはずの「日本共産党」が、選挙活動でマルクスの「マ」の字も出さないなんて情けない話だ。
 バカじゃないのか、この党は。
 「自分たちは、まだ世界のどこにでも出現していない真の共産主義国家を目指します」ぐらい、選挙演説で言ってみろよ。
 そして、自衛隊の戦力はそのまま温存し、名称を「革命防衛隊・赤軍」に変えます、ぐらい言ったらどうか。

 そう明言すれば、今より支持者はさらに減り、警察当局からは危険思想集団だという圧力を加わえられるかもしれないが、イデオロギーの純粋性と美しさは維持できる。
 それぐらいやったら、私も立派だと思う。どうせ今のままならジリ貧になるだけなのだから。

 共産党は政治集団としての命運はもう尽きかけているのだから、あとは「共産主義革命のために身を捧げる」という神話を掲げ、文学集団としての生き残りをかけるべきだ。
 そうしたら、チェ・ゲバラの神話がいまだに光輝を放つように、国民の視線にも尊敬の念がこもるようになる。
 
 
野党は若者に届く言葉を探せ
 
 私自身は、慶応大学の井手英策教授の財政学理論にかなり共感を感じている。
 だから、それをそのまま政策に生かそうとした旧・民進党代表前原誠司氏の主張にも好意を持った。(その研究成果を自民党の安倍首相が今回はそのままパクった)
 前原氏は、今では民進党分裂を招いた最大の悪者として扱われているが、前原批判をしている頭の悪い民進党系議員たちは、少し政治と社会を勉強し直した方がいい。

 繰り返しになるが、野党には、自民党との微細な政策の違いを見つけ、それをチマチマと追いかけている余裕はない。
 それよりも、若者の切実な問題を見つめ直すことに全力を尽くすべきだ。

 今回の選挙では、投票に行かなかった若者の方がはるかに多い。
 あるテレビ局で、投票場に足を運ばなかった若者にインタビューをしていた番組があった。
 「選挙に行かなかった」
 と答えた10代の2人の女性は口々にこういった。
 「だって、候補者の人たちが言っていることが難しくてわからなかったから」
 
 この言葉を聞いて、野党は喜ぶべきだ。
 だって、それはこれまでの与党が、若者に語るべき言葉を獲得していなかったということなのだから。
 つまり、野党は、自民党よりも先に若者の心に届く言葉を見つけ出せばいいのだ。 
 
 今回の神奈川県・座間市で起こった自殺願望を持つ若者が集団殺害された事件。そこで明るみになったのは、「自殺を考える若者がいかに多いか」ということだった。
 
 「自殺を考える若者が増えている」ということは、今この日本でいったい何が起こっているのか。
 それを究明することこそ、野党の責務だ。

 彼らは、ほんとうに自殺がしたいのではない。
 「自殺したいほど苦しいのに、今の自分の悩みを理解してくれる相手がいない」
 ということを言いたいのだ。

 それはどういう悩みなのか。
 安保法案などで自民党と戦う前に、野党はもっとそっちの方で頭を使えばいいのである。
 
 
野党のチャンスは2年前になくなっていた
 
 青くさい青春論でけっこう。
 ベタな人生論でいい。
 とにかく、野党は若者に届く言葉を掘り起こせ。
 今の “自民党追従路線” では、今後野党が生き残る道はますます狭くなるだけだ。
 
 野党が自民党と政策論議で対等に張り合えた時期は、すでに過ぎた。
 野党が政権交代のチャンスをかけて、自民党と争えたのは2015年ぐらいまでだった。

 この頃は、まだグローバリズムの暴風が吹き荒れて、世界中に格差社会が広がり、雇用問題も深刻化して、階級対立が明確になりそうな気配があった。
 それこそ、資本主義の地金の部分がむき出しになって、悪名高い “帝国主義” が復活しそうに見えた。
 
 もし、このときに、野党がそれを克服するシナリオを鮮明に提示できたなら、民進党などにはもう一回チャンスがあったかもしれない。
 でも、時すでに遅し。

 2016年から、はっきりと世界が変わったからだ。
 イギリスのEU離脱、トランプ政権の誕生、EU諸国における右派勢力の躍進。
 これらはみなグローバリズムへの反動から生まれたものと見なしてよい。

 だからその段階で、日本では、グローバリズムへの親和性を維持した安倍政権の方が、逆に安定性と信頼性を勝ち得るという捻じれ現象が起こったのだ。
 
 こうなると、もうしばらく野党の出る幕はないだろう。
 だから、その雌伏の時期に、野党はもう一度「社会学」「哲学」「文学」「芸術」というそれまで毛嫌いしていた学問分野の基礎勉強をやればいいのだ。
 そういう青くさい努力の果てに、若者に届く言葉が見えてくるはずだ。
   
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

なぜ若者は保守化しているのか への5件のコメント

  1. Milton より:

    いつものように刺激的な内容で、読んでいてとても興味深かったです。

    私は三十代半ばで、いわゆるバブル崩壊後の日本と青春時代が平行していた世代です。

    ただ、若者が以前に比べて急激にコンサバになったとすれば、その大きな原因のひとつはやはりこの不況にあると思っています。東京の事情はわかりませんが、地方都市では実感として経済格差を垣間見ることが多いです。

    たとえば、私が青春時代を過ごした90年代は、社会的な混乱があったとはいえ、まだバブル時代の余韻があり(おそらくそれは2000年代前半まであった)、若者たちにも余裕があったように思います。

    余裕があった、つまり一度ぐらいはミスあるいは怠惰な時期があっても、履歴として取り返しがついたということです。なので、不良をやっていても、あとでそれなりに帳尻はあった。犯罪歴があればまた別かもしれませんが。

    なので若者たちは、いきがった態度で自己主張できた。ロック、ヒップホップ、格闘技ブーム。

    今は無理ですよね。採用する側の企業は、以前よりも就職希望者の履歴に対してずっとシビアになっています。我々が食品表示に対して細かく観察する消費者になったように、企業も我々の社会的な表示を細かく観察するようになっています。もし、表示に問題があれば、不採用か、あるいはだいぶ値切られますよね。

    つまり、もう不良は通用しないんです。ラッパーもロッカーも、食えなくなってます。贅沢が維持できません。ショーケンは好きな役者さんですが、ショーケン的なものが通用する時代とは言い難いです。

    それが、若者の保守化の大きな原因だと、私は思っています。

  2. Milton より:

    (追記)だから、これは先輩方への暗黙の批判も込められてます。

    あなたたちが不良として自由を謳歌できたのは、世の中の景気が良かったからでしょ。俺らにはそんな余裕なんてないから、なんとか企業(あるいは、安易な言葉ですが「体制側」)の求める基準に適応するように努めるしかないんだよってね。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      ≫「バブル崩壊後の長期的な不況が若者たちから “不良している余裕” を奪った」。
      ≫「今の若者は、企業の厳しいチェックにさらされて、過去の不良歴などがあれば就職試験のときにはねられる」
      ≫「それが若者の保守化の大きな原因である」

      なるほど。大いに考えさせられるご意見でした。
      確かに、「失われた20年」などという長期デフレの時代に、若者たちが経済的にも追いつめられ、遊ぶ余裕もなく、ましてや「不良」などという脱線は許されないと思い込む気持ちは十分に理解できます。

      実際に、今の若者たちと話すと、「不良している余裕がない」という気持ちもあるのでしょうけれど、それ以上に「不良していることに魅力がない」と感じているようですね。

      もちろん、地域の差や家庭環境の違いなどもあるでしょうから一概に決めつけることはできませんが、私が日頃話すような若者たちの場合は、概して不良という “生き方” は最初からダサいと毛嫌いしているように感じます。

      私が気にしているのは、現在、“不良” という生き方を選ぶ余裕のない若者が、就職活動などで落ちこぼれたとき、はたしてどういう心の発散を図るかということです。
      Milton さんは、≫「俺らには企業(体制)の求める基準に適合するように努めるしかないんだよ」とお書きになりましたが、もしその基準に適合できないという烙印を企業側から押されたら、どうなっちゃうのかな … ということです。

      「自殺願望を持つ若者が増えている」というマスコミ報道などは、そういう事情を反映しているのでしょうか。
      あるいは、高速道路を走行中に、追い越されたことで腹を立て、あおり運転などで憂さを晴らす若者が増えているというのも、世の中の景気が悪くなって、余裕がなくなってきたからでしょうか。

      確かに、今の若者に対する “体制” の締め付けが厳しくなったのか、その圧迫を不良という形で跳ね返す若者はいなくなりました。
      でも、その代りに別のはけ口に向かっている人が増えてきているような気もします。
      もちろん、努力して就職試験の難関を突破した人たちの方が主流なのでしょうけれど、今の世の中は、そこから落ちこぼれた人を救うセーフティネットのようなものがあまり機能してないですよね。「落ちこぼれたって自己責任だから」というような風潮がまだ強すぎて。

      この記事に関しての続きになるのかもしれませんが、今の野党はそういうことに真剣に答を出していくべきだと思っています。
       

  3. Milton より:

    そうですね、実際に打つ手があるのかどうかは、私には何とも言えないところがあります。

    人によっては、もはや社会的な制度を変更しても、また新しい形の問題が社会の中で生じるだけなので、これまでは制度を変えて社会を動かしてきたものを、これからはテクノロジーで補う方向に向かうという主張をされる方もいますよね。

    つまり、非正規で結婚の機会もなく、コミュニティからも疎外されてるような人々を、拡張現実(AR)のようなテクノロジーが救うという形ですね。あるいは、SNSもすでにそういう空間になってますよね。

    個人的には、それわかるんですよね。なぜかといえば、アメリカを見ていて思うのは多くの人々が「モンスタークレーマー」になったなということです。

    たとえば、日本もそうですけど、あの大戦を経験した方々は、戦争が終わった後で「民主主義」のありがたみを心底実感したはずです。そのありがたみが、とりわけ西側諸国で比較的に安定した平和で豊かな社会を生み出す大きな原動力になったのは、おそらく間違いないと思います。

    でも、我々の世代もそうだし、平成生まれ(アメリカではミレニアル世代)の若者もそうですが、その平和も民主主義も、豊かな社会も、当たり前になってますよね。

    クリント・イーストウッドは以前こんなことを語っていたはずです。

    あの大恐慌の時代は、苦しくても誰も助けてはくれなかった。でも、今は連中はなんだ。まるで泣き虫ジェネレーションだっ、て。

    とまあ、そんな感じで、結局いろいろ政治家が制度を変えても、きっとクレームをつけてくる人々が現れることを予測できるんですよね。ネット環境では、それが可視化されますし。世論になってしまう。

    なので、私はそこに民主政治の限界を感じますし、これからはテクノロジーに社会設計が移行していくのも、わかる気がしますね。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      Milton さんが、この間言い続けて来られた ≫「これからの世はテクノロジーによる社会設計に移行していく」という意味が、ようやく分かりました。
      なるほど。
      拡張現実(AR)、あるいはVR。
      確かに、ARのようなテクノロジーがさらに発展・進化し、それがリアル社会に普通に流れ込んできたとしたら、人間社会は歴史上体験したことのない未知の世界に移行していくことは間違いないでしょう。
      まるでSFの世界ですね。
      『マトリックス』のような世界がほんとうに実現しそうです。

      まぁ、確かにAR(とかVR)のようなテクノロジーが進化すれば、いま現実社会で不満を抱えている多くの人々を救済することは可能かもしれませんね。特にリアル社会で恋人を持てないような人々は、疑似恋愛空間での素敵な恋を堪能できるかもしれません。

      でも、Milton さんの気持ちのスタンスを推し量るに、そういうテクノロジーが現実の民主政治を補完していく可能性は十分あるが、でもそれでいいの? という微妙な立ち位置ですよね。

      確かに、今後新しいテクノロジーが社会設計に活用されることは間違いないでしょうけれど、私は仮想空間的テクノロジーが、現実の民主政治的な制度を完全に補完することは難しいような気がしてなりません。

      だって、もし社会がそっちの方に移行していったら、それこそ、コジェーブだったか、フランシス・フクヤマの言っていた「歴史の終わり」ではありませんか?

      人類は、現実にコミットする面倒さを軽減され、人間として生きるリスクも免除され、政府の用意した仮想現実空間を生きることで、動物として生きる快楽を取得した … みたいな。

      確かに、民主政治の限界がいろいろなところで露呈してきたことは分かります。
      それに関しては、Milton さんがおっしゃるとおりだと思います。

      しかし、「民主政治の限界」のようなことを言い出せば、近代的民主主義政治に限らず、古代アテネの時代からすでに「限界」という問題を抱えていたわけですね。
      だから、社会制度的に最初から「限界」を抱えているのが民主政治であり、近代社会は、それに代わるものをいろいろ試してみたけれど、結局どれもダメで、今のところは消去法でこれを選ばざるを得なかったということなんでしょうね。

      まぁ、そういうふうに考えてしまうのですが、もちろんそれを突破するのが新しいテクノロジーだという可能性を否定するものではありません。
      よく「科学技術」という一語で語られるますけれど、テクノロジーは「科学」のようなイデオロギーに拘束されませんから、どんなふうに発展するかは予測不可能です。
      だから、ひょっとして民主政治の制度を根本的に変える新しい政治モデルをつくるかもしれません。

      いずれにせよ、Milton さんはいつも新しい次元でモノをとらえようとされいますね。だから大いに刺激されて、勉強させられます。
      ありがとうございました。
       

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