ブレードランナー2049は1作目を超えたか?

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 第1作目が公開されてから、35年。
 伝説のカルトムービーといわれた『ブレードランナー』の続編、『ブレードランナー2049』が現在(2017年11月10日)公開中である。

 2049とは?
 第1作が2019年のロサンゼルスを舞台にしたSF映画だったから、その30年後(2019年)を描いた映画という意味だ。

 “30年後” を描いたのだから、第1作で表現された世界のさらにその先を描いたはずなのに、観客から見ると、この第2作目の方が現在のわれわれが住んでいる世界に近い雰囲気を持っている。

 1作目が公開されたのが1982年。
 その後、われわれの生きている世界はめまぐるしく変わった。
 新しいテクノロジーが人々の生活を激変させ、テロや紛争も日常化した。
 『ブレードランナー』1作目に見られた爛熟した都市文明の光景や、バイオレンスに彩られた紛争の映像などは、もうテレビやネットで日常的に可視化される時代になった。

 だから、われわれが歩んできたこの “30年” は、『ブレードランナー』の “30年” を軽々と飛び越してしまったのかもしれない。

 たとえば、『ブレードランナー2049』では、廃墟の建ち並ぶ2049年のラスベガスが映し出される。
 でも、私にはそれが新しい光景には見えなかった。
 「あ、これはイスラム国とイラク軍の戦いによって荒廃した中東の都市そのものだ」
 と思ってしまった。

 ホログラムによる昔のスターたちの演奏シーンが再現される。
 ステージ衣装を着たプレスリーやフランク・シナトラのホログラムが幻のステージを展開する。
 「あ、これは初音ミクのコンサートだ」
 と思った。

 主人公の “恋人” もまた、ホログラムによるバーチャルな女性で、リアル人間のような実体を持たない。
 しかし、彼女は主人公を愛し、甘い言葉をささやき、彼の過酷な仕事を心配する。

 そういう疑似映像的な恋愛スタイルは、今はまだSFの世界に属するものだが、しかしわれわれは、VR(バーチャルリアリティー)の進化によって、もうじきそれが現実の世界になりうることを知っている。

 このように、『ブレードランナー2049』は、未来というよりも、むしろ現在の我々の生きている世界を描いた映画にすら思える。

 だからといって、この映画が退屈か? といったら、まったくそんなことはない。
 極上のエンターティメントだと太鼓判を押せる。
 第1作にも、“謎解き・犯人探し” といったミステリー的要素があったが、その色合いは薄く、むしろ度肝を抜く映像美を楽しむ映画という要素の方が強かった。

 しかし、この『 … 2049』は、かなり計算の行き届いたミステリータッチで観客を引っ張っていく。
 ネタバレになるが、この第2作目は、人造物であるレプリカントに、はたして人間と同じような生殖能力があるのか否か? ということが大きなテーマになっている。

 レプリカントというのは、ロボットの延長線にある人工物だから、それ自体が生殖能力を持つことはない。製作されるときも、最初から成人した個体として生まれてくる。

 しかし、30年前、子供の出産を経験した女性型レプリカントが存在したのではないかという疑惑が研究者たちの間で広まる。
 
 もし、レプリカントにも生殖能力があれば、そのノウハウを事業化し、レプリカントの大量生産システムを開発することによって、グローバル企業として雄飛しようと目論むレプリカント製作会社がある一方、そんなことが実現すれば「人類の危機」となると判断し、それを阻止しようとするロサンゼルス警察との暗闘が始まる。(※ 主人公はロサンゼルス警察の方に属する)

 過去に、ほんとうに生殖能力を持ったレプリカントが存在したのか?
 それを確認できるデータはすでに喪失しているのだが、そのレプリカントが出産した子供はどこかで生きているという。

 レプリカント製作会社と、ロサンゼルス警察の間で、そのレプリカント出産の秘密を探る競争が始まる。
 はたして、どちらが先に、その実態をつかむか。
 
 謎解きの要素が強調されるようになった分、『 … 2049』は、エンターティメントとしては1作目より洗練されたつくりになっている。
 
 ただ、あきらかに第1作目にはあったのに、第2作目にはなかったものがある。
 音楽だ。
 第1作目は、ヴァンゲリスのスコアによる名曲が全編を埋め尽くしていた。

 「愛のテーマ」、「グリーンの思い出」などという甘美で美しいメロディーや、おどろおどろしい終末感を漂わせる「テイルズ・オブ・ザ・フューチャー」、「ダマスク・ローズ」。
 そして、死の静寂すら予感させる哀愁に満ちた「ブレード・ランナー・ブルース」。
 1作目は、サントラアルバムの理想ともいえるような名曲がずらりと並んでいたが、2作目は観客を音楽で酔わせるという要素は薄くなっていた。

 映像的にも、コテコテの第1作目に比べると、かなり薄味の感じ。
 1作目で描かれた未来都市には、「廃墟の美学」のようなものがあった。
 マヤやアステカのピラミッドを連想させる、黒々とそそり立つ巨大建築。
 ビクトリア朝時代の建築物を思わせる古いアパート。
 古代エジプト神殿を思わせる夕陽を浴びたオフィスの一角。
 建物にはすべて、今は廃墟となった建造物からの “引用” があり、人類が失ってしまった古代遺跡のメランコリックな情緒を引き出していた。
 
▼ 「ブレードランナー」1作目の出てくるタイレル社のオフィス

 しかし、2作目になると、「廃墟の美学」のようなアプローチは影を潜め、文字通り「廃墟」だけとなった感じだ。

 主人公の造形はどうか?
 役者としては、2作目の “ブレードランナー” を演じたライアン・ゴズリングの方が断然よい。

 1作目のヒーローを務めたハリソン・フォード(2作目にも出てくる)も悪くないが、やっぱり『スターウォーズ』でハン・ソロを演じていたときの “あんちゃん” 臭さが残っていた。
 その点、ライアン・ゴズリングには、ハリソン・フォードにはなかった知性の匂いが感じられる。

 テーマ設定はどうか?
 第1作は、「人間のように生きたい」と願うレプリカントたちを描くことによって、「人間とは何か?」という哲学的な疑問を設定することに成功した。
 2作目においても、その姿勢は変わらない。

 レプリカントは幼少期の記憶を持たないがゆえに、人工的につくられた記憶を移植される。
 つまり、記憶さえ持てば、彼らは自分をレプリカントとして自覚することなく生きることもできるのだ。
 すなわち、「人間とは記憶である」という命題が、ここでも繰り返される。

 この映画のネットレビューを見てみると、賛否両論が並んでいる。
 概ね好評で、なかには「ブレードランナーオリジナル(1作目)を超える出来栄え」という評もあった。

 しかし、「(この映画を楽しめるのは)40歳以上の男性のみ」という指摘もあった。
 「子供に見せるにはヘビー過ぎる内容で、女性へのアピールが乏しく、夫婦で観に行く映画でもない」

 確かに、そういう一面はある。
 だが、『ブレードランナー』第1作だって同じようなものだった。

 最近のハリウッド映画は、興行収益を確保するために、観客動員の見込める “女・子供” 向け映画を露骨に志向するようになったが、たまにはこういう暗くて、静かで、さびしい大人の映画があってもいい。
 
 
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カテゴリー: 映画&本   パーマリンク

ブレードランナー2049は1作目を超えたか? への8件のコメント

  1. Milton より:

    レビューありがとうございます。読ませていただく限り、期待が持てそうな感じですね!

    1作目はだいぶ前に観た覚えがありますけど、そもそもSFに興味がなかったせいか、強い印象はなかったんですよね。ただし、今はSFにも強い関心があるので、あらためて1作目から2作目を、通して観てみたいです。

    それと、これに関連する話でいえば、いま私は石黒浩(日本のロボット工学者)さんの本に興味があって、いずれ近いうちに読んでみたいんですよね~。

    たとえば、『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(池上 高志,石黒 浩:講談社 )などがそうですね。

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      コメントありがとうございます。
      この映画には、Milton さんが関心を持っていらっしゃる “未来のテクノロジー” について言及している部分が多々あります。
      ホログラフを駆使したARやVR、IT 技術を組み込んだロボット技術等々。
      もちろん荒唐無稽のところも多々あり、実現可能には程遠いものもあるのでしょうけれど、この映画のテーマになった “生殖機能を持ったレプリカント” などクローン技術の応用でしかないような気もします。

      石黒さんは確かに興味深い方ですね。
      彼は、「なぜロボット研究に力を入れられていらっしゃるのですか?」というメディアの質問に対し、確か「人間を研究するため」と答えていらっしゃったような記憶があります。要するに、「ロボットをどんどん人間に近づけていった末に、それでも人間との溝が埋まらない部分が残るとしたら、そこに “人間” が浮かび上がる」というわけです。

      「心とは何か?」
      「機械にも心が生まれることがあるのか?」
      面白いテーマですよね。
      こういう研究こそ、ケミカルに人間を追求する自然科学的手法と、従来の人文系手法が交錯する分野なんでしょうね。
       

  2. Milton より:

    じつは、思うことがあるのですが、少なからず投稿にも関連すると思うので、ちょっとコメントしておきますね。

    私が思うに、ほとんどの人にはヒアリング能力が備わっていると思うんですよね。つまり、耳の器官としての能力です。しかし、リスニング能力には個人差がある。

    私の憶測ですが、成人になってもリスニング能力に何かしらの欠陥(つまりアドヴァイスに対して歪んだ解釈をしてしまう。あるいは単純に、聞いてはいても聴いてはいない)がある人は、その人から実力者が離れていくと思うんですよね。「ああ話しを聴いてくれないなら、言うだけ俺がしんどいな」

    なので結果的に、その人(リスニング能力に問題あり)の周りには、いかに彼または彼女を誘導して利用しようかと考える悪い大人が集まりやすい。そして、感化されてしまう。聴いてないから、内省力も低い。思い込みは強いけど。

    しかし問題なのは、その本人のリスニング能力の欠陥を指摘しても、強く反発されるだけという事実です。相当にデリケートな部分なので。それは、経験上よくわかります。

    だから、善い人間がその人を正しい方向に「誘導し直して」あげないと、いつまでも軌道修正は不可能だということです。

    私が言いたいことはつまり、リスニング能力が長けているレプリカントのほうが、欠陥がある人間よりも「付き合いやすい」んですよね。

    それって怖いですよね。でも、リスニング能力に欠陥がある大人と真剣な話をするのはしんどいのも事実です(この場合は、ある種の疾患を非難する意味ではありません)。

    それよりは、自分の気持ちを汲んでくれるAIのほうが、自分にとって貴重な存在になりえる。つまり友人になれるということでもあるわけでしょ。いやー、そういうことを考えると、どうなんでしょうね(笑)

    • 町田 より:

      >Milton さん、ようこそ
      「リスニング」と「ヒアリング」の言葉上の解釈を咀嚼するのに多少の時間を要しましたが、Milton さんが言おうとされていることは非常によく分かりました。
      おっしゃるとおりです。
      同感です。
      特に前段部分に関しては、まったく異論がありません。
      ここで、Milton さんが定義された「リスニング能力に欠陥のある人」というのは、いわば他人への気配りを欠いた人。要は他人の感情を推し量ることもできないジコチューの人というようなニュアンスが込められた言葉ですよね。

      おっしゃるように、そういう人は自己愛が強い分だけ、他人に対して非寛容だし、ことあるごとに上から目線で説教してくるわ、反対意見を言おうものなら声を荒げて恫喝してくるわ、まぁ手に負えません。
      Milton さんは、そういう人との接触でさぞや苦労されたのでしょうし、私もまたその手の人を苦手としているのは事実です。

      しかし、そういう人間の代りに、「リスニング能力に長けたレプリカント」が付き合ってくれたとしても、今度はいつまでそれに満足できるものなのか。
      また、「自分の気持ちを汲んでくれるAI 」に対して、最後まで退屈せずに付き合えるものなのか。

      そこのところは、いろいろな意見・議論が生まれる可能性がありそうにも思えます。
      もちろん、レプリカントもAI も、まだ未知の部分を多く抱えたテクノロジーなので、先のことまではよく分かりませんが、仮に人間の気持ちを最後まで裏切ることなく優しく慰撫してくれる人工物が誕生したとしても、(最初のうちは幸せでしょうけれど)、やがてそれに物足りなさを感じてしまうのが人間ではないか? …という気がしないでもないのです。

      「自分の気持ちを汲んでくれるAI 」。
      そんなものが誕生してきたら、誰でも欲しいと思いますよね。
      自分に逆らうことなく、自分のわがままもすべ許してくれて、心優しく接してくれる存在。
      私も昔、AI ではありませんでしたが、そういう “恋人” に恵まれたらありがたいと思っていたときがありました。
      早い話、自分の心と相似形の心を持った相手、つまりは自分の分身のような存在がいたら最高に幸せだと思った時期があります。
      でも、それって、自己愛の投影に過ぎないわけですよね。

      もしかしたら、「自分の気持ちを汲んでくれるAI 」というのも、自分の分身を望んでいるというこに過ぎないのかもしれません。
      自分の分身なのだから、確かにそういう存在がいれば、自分の心と、相手の心の間に葛藤が生じないわけですから幸せだと思います。

      でも、そういう幸せって、長続きしないように思います。
      やがて退屈になるから。

      その点、リアル世界で出遭う人間関係は、コミュニケーションを取るのが面倒だったり、自分が傷ついたりするリスクがある代りに、面白いです。

      人が人と出遭うということは、「何を考えているのか見当もつかない」<他者>と向き合うことであり、当然緊張感やら、感情のすれ違いによる不愉快感を背負うことにもなりますが、だからこそ、お互いが、気持ちの上で同じベクトルを志向できたときの感激もひとしおなんですよね。

      リアル人間同士の付き合いは、感情の食いちがいで一度自分がクラッシュしてしまうこともありますが、そのクラッシュというのは蛇でいうところの脱皮のようなもので、いわば新陳代謝のようなもの。それが新しいステージを切り開いてくれるきっかけになることもあるかもしれません。

      …… などと思う次第でありますが、でもあいかわらずMiltonさんの問題設定はユニークです。今回のご意見も面白いと思いました。
      正直いうと、自分もまた、自分の気持ちを汲んでくれる優しくきれいなレプリカント美女が欲しいです。そういう人造美女の膝枕で、耳の穴を掃除してもらいたいと願っています。
       

      • Milton より:

        ご理解いただき、ありがとうございます。こちらこそ、ネット上とはいえ、町田さんと交流できるのがいつも楽しみです。

        私にとっても、もちろん同じようにAI(的な存在)とずっと一緒にいるのは、きっと刺激もなくて退屈だろうなと思います。

        どちらかといえば、トリュフォー映画に出てくるような女たちが好きなので(笑)、いわゆる愛玩的な要素を他者、とりわけ女性には求めてないんですよね。

        しかし、世の中の傾向としては、そういった愛玩的な要素を女性に求める青年たちが、以前よりも増えているような気がしますね。オタク文化は一大産業ですしね。

        私がリスニングに関して言いたいのは、最終的には「自分の内なる声」に耳を傾けることが出来るかどうか、ですよね。

        キリスト教の概念で「神のお召し」というのがあるのですが、これって英語では「Call」になるんです。要するに、呼ばれるということですね。

        思想家のハイデガーは、その呼び声を発しているのは(避けようがない死に基づいた)実存的な不安という解釈をしています。

        そこに耳を傾けたがらない人は、不安から逃げるように外側へ答えを探し求めるのです。あるいは、他者から誘導されていてもブレーキが効かない状態になる。

        ネットなんて誘導のオンパレードですからね。いまこそ必要な概念のような気がするな~。

        すいません、話がだいぶ逸れてしまって。。。ありがとうございました。

        • 町田 より:

          >Milton さん、ようこそ
          おっしゃる通りですね。
          ≫「愛玩的な要素を女性に求める男性が以前より増えている」
          そういう感じを自分も抱いておりました。
          青年に限らず、中年からシニア層も含む形で、男たちが女性を独立した一つの人格として捉えることを苦手とし始めているような気がします。つまり、女性を愛玩物とみなすことによって、自分の脆弱した “男性性” を守ろうという男性が増えてきたように思えてなりません。

          女性を独立した存在として認めて付き合うことを苦手とした男性たちは、かつては性風俗などで発散していたのでしょうけれど、今はそういうところに寄る経済的・心理的余裕もない人たちが増えているのでしょうか。
          昨今、警察官や教員などといった人たちまで含み、年齢や職業を問わず、あらゆる男性層で痴漢、盗撮、暴行といった性犯罪が増えているのも、そういう事情を反映しているような気がしてなりません。

          Milton さんのおっしゃっていた「リスニング能力」というのは、自分の内なる声に耳を傾けられる能力という意味も含んでいたんですね。それは時に ≫「避けようがない死に基づいた実存的な不安」の形を取ると。
          そうですね。
          「内なる声」というのは、どこかで「メメント・モリ」のささやきを含んでいる。
          だから、その不安を打ち消すように、人は<外>に答を求めていく。
          おっしゃること、非常によく分かります。

          そうなると、そのうち進化したAI は、主人の人間に対し、安易に<外>に答を求めさせないために、「実存的不安」をささやき始めるのでしょうか。
          考えてみると、怖いけど魅力的なテーマです。
           

  3. 若松若水 より:

    まだ観ていないのですが、この記事を読んでとても観たくなってしまいました。
    リドリー・スコットの映画は、ストーリーは退屈なものがけっこうありますが、映像は例外なく素晴らしいですね。

    ところで、私には若者に勧めない映画リストというのがあります。
    『市民ケーン』『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』等です。
    革命的、画期的なアイデアで作られた作品だけど、数多くの模倣者を生み、それらを観てしまった若者たちは、新鮮な衝撃は得られにくいだろうと想像するからです。
    実は、私もかなりそうなんですけど……

    現在74歳のハリソン・フォードは『インディジョーンズ』の新作(第5作)への主演が決まり、2019年制作、2020年公開の予定とのことです。なかなか愉快な話題です。

    • 町田 より:

      >若松若水さん、ようこそ
      ぜひご覧になって、よろしければ感想をお聞かせください。
      ハリソン・フォードももちろん元気で、この2作目では “30年後のデッカード” という設定で映画の後半に登場します。ちょっとお腹に肉が付いた感じはしますが、あいかわらずカッコいいです。

      『市民ケーン』、『2001年宇宙の旅』、『ブレードランナー』。
      私もまた大好きな三つの映画です。
      確かに、ここで実現されたアイデアは、その後の映像芸術(映画からアニメ、ゲームに至るまで)に多大な影響を及ぼしましたね。
      そういった意味で、≫「若者がもう新鮮な衝撃を得られないだろう」ということもあるかもしれません。

      しかし、上記の三つの映画は、映像的に類似した模倣作品を生み出したけれど、その映画を支える “哲学” のようなもは誰にも真似できませんでしたね。
      ある意味で、みな “難解” な部分を残しています。
      でも、その難解さが、「映画が終わっても解けない謎を残したミステリー」ってな味わいがあって、素敵です。

      今の若い人は、この手の難解さを敬遠するでしょうけれど、若い人の中のほんの一部でいいですから、「難解であることの美しさ」みたいなものを感じ取ってほしいという気もしています。
       

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