バブル復活でダンスブーム勢いを増す

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 アメリカの好景気に支えられ、日本も空前の好景気に沸き始めている。
 2018年明けの日経平均株価は、昨年の年末に比べて、741円上昇し、26年ぶりに 2万3,500円台を回復したとか。

 現在のアメリカの好景気は、トランプ大統領が政権公約に掲げていた大型税制改革に対して、アメリカ企業が好印象を抱いたことによる。

 それがなぜ日本の景気も浮上させたかというと、トヨタに代表されるような日本の大手企業は、現在アメリカに積極的に生産拠点を設け、現地スタッフなどを雇用しながら、米国の経済振興に大きく貢献しているからだ。
 つまり、アメリカ市場が活況を呈すれば、それがそのまま日本のグローバル企業の収益をも増すことになる。

 このような好景気に支えられ、最近巷(ちまた)では、「バブル復活」のムードが高まってきた。
 1990年代に入り、「バブル崩壊」を経験して意気消沈して日本人が、ようやく「失われた20年」の傷から立ち直り、もう一度華やかな時代に戻って、元気を取り戻そうとしているのかもしれない。

 そのためか、“バブル乗り” の芸人たちに話題が集まる傾向が出てきた。
 女芸人の平野ノラは、すでに2~3年前から1980年代のバブル時代を再現したネタで人気を集めていたが、昨年末には、荻野目洋子がバブル時代(1985年)に歌った「ダンシング・ヒーロー」がリバイバルヒット。第59回日本レコード大賞の特別賞を受賞した。

 この荻野目洋子の “バブルソング” や平野ノラの “バブル芸” とセットになって話題を呼んだのが、「高校ダンス部選手権」で準優勝を遂げた大阪府立登美丘(とみおか)高校女子生徒たちのバブリー・ダンス。

 ワンレンの髪型に肩パッド入りのスーツ。バブル時代に、「ジュリアナ東京」で踊りを披露したバブル女子さながらの衣装で脚光を浴び、大晦日の紅白歌合戦では、郷ひろみのバックダンサーを務めて反響を呼んだ。

 そういう光景を見て、実は、私は「あ~あぁ …」とため息をついている。
 楽しくないのだ。
 私は個人的に、バブルの時代にまったくいい印象を持っていない。

 日本の企業が強さを取り戻し、日本全体が好景気に沸くことは良いことであるが、それを80年代のバブル現象と同じように語ってしまうと、何か間違ってしまうのではないか?

 けっきょく、あのバブル期に、日本人はそこで集めたおカネをどう使ったのか?

 日本全国のカネ余り現象を持て余した政府(竹下政権)は、1988年から1989年にかけて、「ふるさと創生事業」という名目で1億円ずつ各自治体に支給した。

 しかし、いきなりポンと1億円を手渡されても、自治体の方だってその使い道に困ってしまい、けっきょく金塊にして、「純金こけし」を作ったり、「純金カツオ」を作ったり、あるいは「延べ棒」のまま地元資料館に展示した。

 純金の展示物までいかなくても、畑のなかに壮大なオペラハウスなどを建設した自治体もあった。
 しかし、肝心のオペラをどう興行すればいいのかもわからず、ほとんど施設を使わないまま、宝の持ち腐れにした。

 もし、あのときに、無駄に使ってしまった資金を、すこしでもエコ産業に投資したり、あるいは少子高齢化社会への対応策を検討したりしていれば、日本はずいぶん変わったのではなかろうか。
 その後にやってきた「失われた20年」などという時代にも、ただ手をこまねいているだけでなく、未来への投資ができたはずなのだ。

 けっきょく浮かれた風潮に流されていると、誰もが頭を使わなくなるということが、あの時代に実証された。

 当時の若者たちもいい気なもんだった。
 女子学生たちは、放課後に校門の前にスポーツカーや外車を並べて自分を待ってくれる男子の数を競ったし、男は男で、お目当ての女の子とクリスマスセックスを楽しむために、1年も前から都心のホテルを予約し、当日はフレンチのコースをご馳走しながら、ティファニーの装飾品などをプレゼントして女の子の関心を買うことに命を張った。

 軽薄な時代だったと今でも思う。
 あの時代、ディスコに行っても、もう楽しくなかった。
 自分が好きだった黒人系ソウルミュージックやR&Bはもうかからなくなっていて、ヨーロッパ系の金儲けバンドを中心に作られた “お子様向けダンス音楽” 全盛の時代になっていた。

 「ジンギスカン」とか「ソウルドラキュラ」とか「チャイニーズカンフー」みたい曲では全然踊る気にならなかったし、アースにも、クール&ギャングにも、それほどの興味を感じなかった。

 かろうじて、ヴァン・マッコイとかヒューズ・コーポレーション、カール・ダグラスなどは多少好みの音かな … とは思ったが、レコードを買って聞いても、カーティス・メイフィールドやらマーヴィン・ゲイ、シル・ジョンソンとかアル・グリーンのような感激は受けなった。

 けっきょく、他人の踊りを見ていてもつまらなかったから、以降ディスコにはもう顔を出さなくなった。
 
 だから、「バブル復活によってダンスブームが再燃」などとメディアが謳っても、あの時代に、ディスコがつまらない空間になっていったときの興ざめした気分を思い出すだけで、ちっとも楽しくない。

 つまり、ダンスが嫌いになったのだ。
 「キレッキレのダンス」などという言葉も嫌いだ。

 自分だって、若い頃は新宿の「ジ・アザー」などにも通っていたけれど、自分が顔を出していた時代のものと、その後のいわゆる “ディスコ文化” の時代に生まれたダンスとはまったく違うものだと思っている。

 今の時代のダンスは健康的である。
 一種のスポーツだ。
 その分、洗練されてきたともいえるが、けっきょくは誰に対してもウケるように、そうとう大衆化されている。

 だけど、あの時代のダンスというのは、まさに『ウエストサイド・ストーリー』のなかでジェット団とシャーク団の間で行われた不良の縄張り争いのようなダンスだった。
 どっちのダンスが凄みがあるかということで、東京モンと横浜モンの間で殺気立ったステップの応酬があった。

 で、当然ハマのステップの方がカッコよかったので、ハマ文化に染まったつっぱりの女の子に、密かにツーステップのマンボの足の出方などを教わったりした。

 「ジンギスカン」や「チャイニーズカンフー」や、「ソウル・ドラキュラ」とか「フライ・ロビン・フライ」の世界には、そういうスリルがない。
 ただ、楽しいだけ。
 底が浅い。

 「それで何か悪いの?」
 と反論する人もいるだろうけれど、もう一度言っておく。
 底が浅い。
 
 ま、今が「ダンスの時代」であることだけは確かだ。
 バブル期に青春を過ごした40代~50代が、今の消費文化のトレンドを握っているのだから仕方がない。

 ちなみに、私が最後に買ったディスコ系のレコードは、ビージーズの『サタディ・ナイト・フィーバー』だった。映画も観に行った。
 でも、それを最後に、ディスコサウンドからは卒業した。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

バブル復活でダンスブーム勢いを増す への6件のコメント

  1. タヌ山 より:

    はじめまして^^
    いつも更新楽しみにしています。

    町田さんはベッド・インという地下アイドルをご存じですか?まさにバブルの権化といった感じの二人組なんですが、平野ノラとはまた違った魅力があっておすすめです。
    YouTubeでも動画が上がってますので、ぜひ`^ω^

    ※ちなみに僕は1984生まれなので、バブルはこういうオマージュでしか知りません汗

    • 町田 より:

      >タヌ山さん、ようこそ
      こちらこそ、はじめまして。

      「ベッドイン」の画像、見ました !
      確かに、ドキドキッとする二人組ですね(笑)
      このペアは、そうとう前から話題になっていましたか?
      一度テレビで紹介されたのを見た記憶があります。
      なかなか楽しめました。

      1984年生まれというと、いま34歳ぐらいということでしょうか。
      この世代の人たちはとても可能性がありますね。
      話す機会がありましたが、みないい発想をしています。
      タヌ山さんの感性にも期待しています。

  2. くどう より:

    すごーくどうでもいいことなんですが、個人的にはっきりさせておきたいこととして、
    荻野洋子のダンシングヒーロー(元はアンジー・ゴールドのEat You Up(邦題:素敵なハイエナジーボーイ)で、荻野目洋子はカバーなんですが)が
    世に出たのは1985年の暮れ(11月)で、ヒットしたのは同年の年末から1986年初頭にかけてなんですよね。
    私は当時中学一年生でしたが、毎週のようにザ・ベストテンを見ていたので、荻野目洋子の唄うダンシングヒーローも何度となく目にしていました。

    で、何が言いたいのかと言うと、「そもそもいわゆる“バブル景気”というのは1986年以降だろう!」と。
    諸説ありますが、通常バブル景気は1986年から1991年頃まで(最盛期が1989-1990年)であって、少なくとも1985年はバブルの時期に入らないと個人的には認識しています。
    (※「プラザ合意が1985年9月なのでそれ以降はバブル時代と言って良い」と言うのであればギリギリ入ると言えなくもないですが、自分の実感からしても、1985年はバブルとは思えませんです)

    だから、例の高校のバブリーダンスによって、荻野目洋子のダンシングヒーローがバブル期の歌のように捉えられてしまっている風潮は、「それは違うだろ!」と声を大にして言いたい訳です(笑)。
    なぜかその点は巷ではあんまり指摘されないので悔しい限りです(笑)。
    (wikipedia確認したら一応フォローはされてたので少しホッとしました)

    町田さまの記事の本質とは別次元の話で大変失礼いたしました。
    どうでもいいですが、荻野目洋子が歌うダンシングヒーローは嫌いじゃないです。
    原曲よりも出来が良いぐらい(笑)。

    • 町田 より:

      >くどう さん、ようこそ
      荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」というのは、ほんとうにいい曲ですね。
      くどうさんのおっしゃることに、全面的に賛同いたします。
      この時代、海外のヒット曲を日本人が日本語でカバーするというのがちょっとしたブームになっていて、日本語バージョンもみないい仕上がりになっていました。
      石井明美の「CHA-CHA-CHA」(原曲はFinzy Kontini)とか、その少し前の郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」(B. Higgins)などはけっこう気に入っていました。

      で、「日本のバブルがいつから始ったのか」という議論ですが、正確に定義すると、くどうさんがおっしゃるように1986年以降ということになるのでしょうね。1985年のプラザ合意を基点とする考え方も、けっきょく後世の分析的視点から導き出されたもので、当時の庶民の生活感覚のなかで「プラザ合意」によってバブルを意識した日本人など一人もいなかったはずです。

      それでも、私などの記憶では、1980年代の中頃は、すでに「バブル」の空気に満たされていたという思いはあります。
      その時代、私は乗用車関係の雑誌編集をしていましたが、「ハイソカー」という名前のもとに、1982年頃からトヨタマークⅡ、クレスタ、日産シーマなどというドメスティックな日本型高級車が勢いよく売れ始め、1984年になると、世間一般が好景気に沸き始めて、人々の暮らしが急激に派手になっていったという記憶があります。

      もちろん、当時「バブル」などという言葉はありませんでした。
      だからその時代の狂騒的な風潮を評価する視点というものも生まれていません。
      それでも、荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」が流行り出した1985年というのは、80年代のスタート時にはなかった “めくるめくようなゴージャス感” が世を覆い始めたという印象を持っています。

      何を持って「バブル」というかは、その人の生まれた年齢や育った環境などによって大きく変わってきます。またそのときに注目していた社会現象によっても、時代の印象は異なります。
      たった1年の違いでも、世の中が180度変わってしまったという思いを持つこともあるでしょう。
      だから、くどうさんが、1985年と1986年の峻別される気持ちもよく分かります。

      そして、そのこだわりから、くどうさんが荻野目洋子のこの歌を愛しているという気配も十分伝わってきました。
      好きな歌にはこだわりが生まれてくるのも当然です。
      それはとても素晴らしいことだと思います。
       

  3. くどう より:

    > それでも、私などの記憶では、1980年代の中頃は、
    > すでに「バブル」の空気に満たされていたという思いはあります。
    >(中略)
    > 1984年になると、世間一般が好景気に沸き始めて、
    > 人々の暮らしが急激に派手になっていったという記憶があります。

    既にある程度の年齢に達した状態で’70年代を過ごしてこられた方が
    そのように感じるのは分かります。
    多少の違いはあれど、’80年代は総じて右肩上がりで贅沢が推奨された時代でした。
    私は’72年生まれなので、’70年代の記憶もあることはあるのですが、
    それは4歳から7歳までで、言ってみれば景気がどうとかは右も左も分からない状態でした。

    ただ、一つ申し上げたいのは、ある程度歳をとると
    1年や2年の違いと言うのはたいした差ではなくなりますが、
    若いとき、特に思春期より下の年齢の場合、1年や2年の差は決定的な違いです。
    ’84年に20過ぎていた人にとっては’84年と’85年の違いはたいして変わらないかもしれない。
    でもそのころ12歳だった人にとっては1年の違いは別の世界と言ってもいいぐらいの違いがある。
    例えば、私はウルトラマンレオをリアルタイムで見た記憶はありませんが、5歳上の姉は見ています。
    私はザ☆ウルトラマン(アニメ作品)とウルトラマン80を見たことはありますが、姉は既に見ていなかった。ここに決定的な世代の断絶があります。
    大人になって、昔の番組もビデオで見れるようになり、挙句はyoutubeで瞬時に検索できるようになった今の時代になってしまってからは取るに足らない差ですが。

    これは反対に、’80年代には生まれてさえおらず、全く体験していない、
    歴史としてしか知らない次世代から見た場合も、同じではないですが、
    やはり1年や2年の差が対して大きく感じられないという現象が起きます。

    もう一つは、近年のマスコミなどでも顕著なんですが、
    確信犯的(一般に誤用と言われる意味で)にバブルの時代=’80年代から’90年代前半のように、
    故意に長めに解釈している感があります。
    例えば、「アメリカ横断ウルトラクイズやザ・ベストテン等もバブルを象徴する番組だ」とか。
    ’80年代に10代だった私からすると、こんな印象操作は許し難い訳です。
    上の二つがバブルの象徴だって?いやいやとんでもない!
    むしろ、世間一般が豊かになった(と錯覚した)、時代がバブルに突入した頃から、
    ウルトラクイズやザ・ベストテンは魅力を失って、結果的に終了しました。
    今でも時々特番やらで単発企画で復活するようなケースがありますが、
    それらは全く魅力を感じない。
    あの二つは、バブルになる前の’70年代末期から’80年代前半の時代だったからこそ
    盛り上がった番組で、
    バブル期に突入して金満日本を謳歌するようになった時に、番組として死んだと思います。
    まあ、ウルトラクイズはクイズ番組でザ・ベストテンはランキングの歌番組ですから、
    同列に語ること自体は無理がありますけど、決してバブルの象徴ではなかった、その点は申し上げたい訳です。
    ダンシングヒーローも一緒ですが(笑)。

    ただし、前述のように、’80年代に既にある程度年齢がいっていた上の世代とか、
    逆に’80年代に生まれていなかった下の世代にとっては、
    ’80年代は一緒くたに捉えてしまうのもいたしかたないのかもしれません。

    長文失礼しました。

    • 町田 より:

      >くどう さん、ようこそ
      「80年代」に対するくどうさんの熱い思いが伝わってきて、たいへん興味深く拝読しました。

      おっしゃるように、≫「ある程度年を取ると、1年や2年の違いはたいした差ではなくなる」というのはその通りで、1984年も1985年も、私にとっては34~35年以上も前の年になりますから、もう具体的な記憶というものが飛んでおり、10年単位でようやく把握できるといった程度の大ざっぱな印象しか残っていないというのが正直なところです。だから、くどうさんの指摘にも十分にうなづけます。

      ただ、時代の変化というのは、1年単位でスパッとデジタルに分節できないという側面もありますよね。はっきり見えるものと曖昧にかすんでいるものが常に混じり合って、グラデーションを描きながら推移していくのではないかという気もしています。

      1985年になると、日本人の9割以上の人が「自分は中流である」という自覚を持つほど、経済的に豊かな時代が出現していますが、実はこの年こそ、後世「円高不況が始まった年」といわれる年であります。 

      バブルの終わりの方はどうかというと、今度は「バブル時代」が終焉したとされる1991年に、実は「バブルの象徴」といわれるジュリアナ東京がオープンしていますし、バブル的なメンタリティーを表現したとされるトレンディドラマ(東京ラブストーリー、101回目のプロポーズなど)が最盛期を迎えます。

      このように、「時代」というものは、常に正反対の要素が混じり合いながらグラデーション状態で推移していくような気もして、特に私の年になると、くどうさんがおっしゃるように、80年代あたりはもう全体的にもやもやした印象しか残っていません(笑)。

      ただ、自分の趣味的なこだわりを持つ部門だけは、1年ごとの差を強く意識する場合もあります。
      唯一、私が1年ごとの差にこだわりを持つのは、SOUL MUSICの世界です。
      70年代初頭、将来は黒人音楽を聞いてもらう店を持ちたいものだと思いつつ、いろいろなレコードを集めていたことがありましたけれど、そのときは1年ごとの黒人音楽の流行に対して、すごく敏感に反応していました。1年の差が、明確に “音の差” として感じ取れるのですね。
      だから、くどうさんが、ウルトラマンの1年ごとの変遷にすごく敏感なのも、「そういうことなのかなぁ…」と、おぼろげに推測できるような気もします。
       

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