息子の中学時代最後の旅

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 息子の中学時代最後の旅
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed

 
 1994年に、「ギャラクシーⅢ」という1台目のキャンピングカーを買った。ピックアップトラックのトヨタハイラックス4WDに架装したキャブコンであった。

 このとき、長男はすでに中学1年生。13歳。
 親と一緒にキャンピングカー旅行について来るのか来ないのかという、微妙な年齢に達していた。

 小学生のときまで、親といっしょに旅行していた子供も、中学に入るともう親にはついて来ない、とよくいわれる。
 中学生から本格的な部活を始める子も多い。そうなると、休みの大半が部活に奪われてしまう。
 また、小学生の頃に比べると、友達づき合いの質も変わる。
 親にも相談できないような悩みごとも増え、友達同士の方がお互いに悩みを打ち明けやすくなったりするのもこの頃だ。

 たぶん、中学生というのは、子供が「社会」と向き合う年齢なのだ。
 「社会」とは、むき出しの “個” が、世間と対峙する世界のことをいう。
 つまり、自分一人でいろいろな問題を解決しなければならない “場” を指す。
 
 それに対し、小学生までは、まだ「共同体」の一員である。
 「共同体」とは、すなわち、家族や親せき、隣人といった取り巻きが未熟な人間を「社会」の荒波から守ってくれる “場” のことをいう。
 両親・兄弟は「家族共同体」である。
 近所づきあいなどといわれる隣人同士の繋がりは、「地域共同体」という。
 小学校も、基本的には地域社会に基盤を置くから、これも広い意味での「地域共同体」である。

 しかし、中学生活を始めるということは、そういう共同体のプロテクターが及ばない領域に足を踏み入れることをいう。
 そこで待ち受けているのは、たとえば、自分が他人にどう見られているのか? という自意識の不安かもしれないし、恋を知ることのときめきかもしれないし、人間関係の齟齬(たとえばイジメなど)に対する恐怖であるかもしれない。

 いずれにせよ、子供たちは、生まれてはじめて、他者が介在してくる “場” を経験するようになる。
 それは、この世には、親にも相談できない悩みがあることを知ることでもある。
 子供が、親といっしょに旅行に行くのを避けるようになるのは、部活や友達付き合いを優先したいからだけではない。
 自分が「親にも相談できない悩み」を抱えてしまったことで、親を心配させたくないからだ。

 
 わが家は、長男がそういう微妙な時期に入ったとき、ようやくキャンピングカーが間に合った。
 中学1年生になった息子は、すでに部活も始めていたし、新しい友人関係も結ぶようになっていた。
 それでも、誘えば、何度か親のキャンピングカー旅行についてきた。
 断ったりすると、親ががっかりすると思ったのかもしれないし、単純に、はじめて経験するキャンピングカー旅行というものに好奇心を持ったからかもしれない。

 しかし、それもせいぜい中学1年かぎりだった。
 中学2年以降は、運動部の部活でそれなりにリーダー的立場が要求されるポジションに就いてしまったため、親とは休みのスケジュールが合わなくなった。

 彼の中学生時代の最後のキャンピングカー旅行は、1年の夏休みが終わる最終週だった。
 夏の部活が終わり、9月の2学期が始まる直前にようやく旅行のスケジュールが取れた。
 男同士の2人旅となった。


 
 群馬県にある宝川温泉に寄ったりしながら、宝台樹(ほうだいぎ)キャンプ場というところで1泊した。
 目の中が緑色に染まるような、深い木立に囲まれた山のキャンプ場だった。

 オーニングを出し、椅子・テーブルをセッティングしたあと、緑に染まった山々を見ながら、コーヒーを飲んだ。
 息子は、夏休みに組み立てる予定だった戦車のプラモデルを箱から取り出し、テーブルの上で組み立て始めた。


 
 お互いに会話はなかった。
 子供が中学生ぐらいになると、親子の会話というのは、そんなに多くないのが普通だ。
 男同士だと、互いに照れくさいということもある。
 無理してしゃべり合うことの不自然さというのもお互いに分かっている。
 
 しかし、短い会話の心地よさというものもある。
 「お前、コーヒー飲むか?」
 「飲む」
 「砂糖は?」
 「いる」
 「 …… 」
 「 …… 」
 「緑がまぶしいな」
 「まぶしいね」
 
 そんな会話を交わしながら、長男はプラモデルを組み立てる手を休めない。
 ぽつりぽつりと途切れる会話なのに、けっこう充実した時間が流れていく。

 午後の陽射しが気持ち良いので、オーニングの下でうつらうつらする。
 目が覚めると、息子の戦車が完成していた。

 息子がそれを草の上に置く。
 大草原を疾駆する勇壮な戦車。
 プラモデルが完成したときのいちばん充実した時間を、いま彼は堪能しようとしている。

 しかし、そのとき彼の口からこぼれたのは、意外な言葉だった。
 「終わっちゃったな …」
 なんとも深いため息だった。

 プラモデルは、完成させるまでが “遊び” なのだ。
 完成して、もう手を加えることがなくなってしまうと、それはただの置物にすぎない。
 おそらく、彼はそのことを嘆いたのだろうと思った。
 しかし、次に出てきたのは、こんな言葉だった。

 「もうこれが夏休みの最後だね」
 そういって、彼は草の上の戦車から目を離し、遠くの山々をまぶしそうに眺めた。
 
 明日このキャンプ場からキャンピングカーを撤収して、家に戻れば、その翌日から2学期が始まる。
 「夏休みの最後」
 という言葉の切なさは、私にも十分伝わってきた。
 彼は、そのとき、生ぬるい癒しに満ちた “家族共同体” に背を向けて、再び “社会” という厳しい世界に戻っていくことの辛さを言葉にしたのだ。
 
 
 その夜、2人で懐中電灯をぶらさげたまま、キャンプ場の敷地を出て山の方に散歩に出かけた。
 月明りに照らされた道路の彼方を、黒い影が横切った。
 大きな犬のようにも見えた。

 「クマだ !」
 私はそう叫んで、息子を追い立てながら、一目散にキャンプ場向かって駆け戻った。

 2人とも息を切らしながら、車の中に入り、ようやく顔を見合わせた。
 「怖いものを見たね !」
 と口では言いながらも、息子の顔は輝いていた。
 彼にしてみれば、夏休みの終わりを飾るにふさわしい “イベント” に遭遇したのかもしれなかった。
 
   
 参考記事 JRVAコラム
 「子供はいくつになるまで親のキャンピングカー旅行について来るか?」

 (↓)
 http://www.jrva.com/column/detail.php?column_cd=73
  
 

カテゴリー: campingcar, 旅&キャンプ   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">