この世の果てから届く音

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処女航海/リターン・トゥ・フォーエバー
 
 この世には、物理的にも理念的にも、人間がたどり着くことのできない領域というものがある。そこから先は、人間が足を踏み入れてはならないと思わせるような “場所” がある。

 そういう “場所” を、仮に「この世の果て」と呼ぶならば、音楽には、「この世の果てから届く音」というものがあるのだ。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』と、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、まさに人間には見通せない、“この世の果てから届く音” である。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』というアルバムがリリースされたのが、1965年。
 チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』が世に出たのは、それから7年後の1972年。

 その7年の間に、ジャズに使われる楽器は劇的に変化した。
 ピアノが生ピアノからエレキピアノに変わったように、ジャズ界においては、電気楽器が急速に普及するようになった。

 ハービーの『処女航海』は、いわば電気が導入される前のジャズの音を代表する屈指の名盤であり、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、「フュージョンの先駆け」といわれるアルバムにふさわしく、エレピの電気音を全面的に押し出したサウンドを特徴としている。

▼ 「処女航海」

▼ 「リターン・トゥ・フォーエバー」

 
 にもかかわらず、両者が伝えてくるものは似ている。
 まず、アルバムジャケットのデザインに、共通したものがうかがえる。

 「海」だ。
 
 海面を疾走するヨットをあしらった『処女航海』。
 海面すれすれに飛ぶカモメを捉えた『リターン・トゥ・フォーエバー』。
 両者とも、人智の及ばない大自然の深さを、「海」で象徴しようとしている。

 ジャケット・デザインの類似は、まさに音楽性の類似そのものを意味している。
 この2者はともに、人間がいまだ触れたことのない “未知の世界から届く音” を捉えたジャズなのだ。
 
 
処女航海

▼ Herbie Hancock 「Maiden Voyage(処女航海)」

 アルバムタイトル『処女航海』の冒頭を飾る曲「処女航海」。
 これは、まさに人間が未知の世界へ漕ぎ出ていくときの心象を表現した曲である。
 多くのリスナーが、この曲が始まった瞬間から、「船が大海に漕ぎ出していくときの高揚感」を感じるという。

 確かにこの曲は、そのイントロから、冒険にチャレンジする人間の心の高ぶりを伝えてくる。 
 だが、それと同時に、なんともいえない不安感、あるいは戸惑い感。そんな
ネガティブな気配も、このサウンドのなかには混じっている。

 ずばり、その “ためらい” の気配こそ、演奏たちが表現したかった “未知の世界から吹いてくる風” の気配なのだ。
 はじめて海に出る者たちを襲う、あの水平線の向こうに隠れている “見えない世界” へのおののきが、実はこの音楽のベースになっている。
 
▼ ハービー・ハンコック

 
 この「処女航海」のサウンドには、アーシーな匂いを強調したビ・バップやハードバップとは異なる “空気感” が生まれている。
 圧倒的なのは、その透明感だ。
 そして、詩情があり、抒情性がある。
 
 この透明感あふれる音は、いったいどこから来るのだろうか。
 この音には、
 「未知なるものは、人間を畏怖させる」
 という、きわめて心理学的な心情が投影されている。
  
 「畏怖」とは、“おそれ” でもあるが、人間をピュアのものに目覚めさせる契機ともなる。

 「未知なるもの」は、もちろん不安もかき立てる。
 しかし、同時に、知らない世界へのときめきも醸成する。
 「不安」と「ときめき」が同時に生じたとき、人間ははじめて “透明度の高い精神” を手に入れることができる。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』がリスナーに伝えようとしているのは、そのような「未知なるものの気配」である。
 リスナーはそれを受け止めるからこそ、この演奏に「透明感あふれる抒情性」を見出すのだ。
 
  
リターン・トゥ・フォーエバー/クリスタル・サイレンス

 同じようなことが、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』にもいえる。
 特に、そのアルバムのうちの「クリスタル・サイレンス」という曲は、ハービー・ハンコックが『処女航海』で伝えようとした「未知なるものの気配」を、さらに手触りとして感じられるほど身近に引き寄せたサウンドになった。

▼ チック・コリア

 
▼ Chick Corea – Crystal Silence

 冒頭から、圧倒的な静寂の気配が立ち込めてくる。
 すべてのものが、みるみるうちに凍り付いていくような静寂。
 この静けさには、「死の気配」が漂っている。
 曲名の「クリスタル・サイレンス」とは、まさにそのことを指している。

 このタイトルは、まぎれもなく、本来可視化できない「死」が、身近に忍び寄ってきた気配を伝えようとしている。
 そういった意味で、これは、J・G・バラードが書いたSF小説『結晶世界』(1966年)をそのまま音楽化したものといえないこともない。

 J・G・バラードの『結晶世界』は、アフリカの密林で結晶化した不思議な死体が見つかったという導入部から始まり、それが全宇宙が結晶化していくという恐ろしい現象の前触れだったという壮大なファンタジーを、美しい文体で描いた小説だ。

▼ 『結晶世界』 アメリカ版表紙

 「宇宙の結晶化」が始まると、この世のすべてのものは動きを停止し、永遠の沈黙のなかに横たわる。
 チック・コリアがエレキピアノで描き出す「クリスタル・サイレンス」は、そういう情景を濃厚にイメージさせる。

 だが、この曲は、けっして不吉な音ではない。
 逆に、言葉に尽くせないほど美しい。
 それは、「時の止まった世界」から生まれてくる美しさだ。
 そこには、どんな宗教も哲学もけっして解明することのできない「死」というものの超越性が「音」に託されている。

 すべての宗教と哲学は、これまでずっと「死」を語ろうとしてきた。
 しかし、それはみな “解釈” に過ぎず、“解明” ではない。
  
 「死」は語れない。
 だからこそ、沈黙を強いる。
 「クリスタル・サイレンス」とは、その沈黙を意味する。
  
  
 それにしても、アルバム・タイトルの『リターン・トゥ・フォーエバー』とは、よくも付けたり。
 漢語に訳せば、「永劫回帰」。
 哲学者ニーチェの根源的思想を表現する言葉だ。

 もし、チック・コリアが、アルバムタイトル(そして自分の率いるバンドのグループ名でもある)『リターン・トゥ・フォーエバー』をニーチェの思想から取ったのだとしたら、そこには「宇宙の死が、やがて生を呼び戻し、また死に至る」という壮大な円環構造になっていることを伝える東洋哲学の教えを暗示していることになる。

 ニーチェの思想は、「脱・キリスト教」を掲げるものであった。
 そうだとすれば、ニーチェも、そしてチック・コリアも、(さらにハービー・ハンコックも)、西洋人にとっては伝統的な思考の枠組みとなるキリスト教を超えて、さらなる未知の世界を見ようとしていたのかもしれない。


   
  
参考記事 「1960年代の前衛ジャズ」
 
参考記事 「ジャズはいつだって大人の音楽」
 
参考記事 「ジャズを聴きながら」
 
参考記事 「好きな音楽ベスト20」
 
 

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この世の果てから届く音 への1件のコメント

  1. 北鎌倉 より:

    ジャズの感想や解説や意味を語るとき、いつも、言葉という楽器でジャズを演奏して、ジャズにはジャズで受け返せないか、いつも思います。
    ジャズを聴くというということは、それを聴きながらそこから刺激されたことをどれだけ多く考えることができるかに賭けられます。聴くことの知的行為というのは批判ではありません。批判はこちら側が一つか二つだけの限られた聴き方の方法論や流儀を持っていれば簡単にできます。本当の知的行為というのは、自分が既に持っている聴き方の流儀を捨てていくこと、新しく出会ったジャズを聴くために自分をそっちに投げ出してゆくこと。だから考えるというのは批判をすることではなくて信じること。そこに演奏されていることを真に受けることです。そんなことは誰も言っていないとしてもそうなのです。非ー当事者的な態度を投げ捨てれば、演奏されていることを真に受けるしかない。

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