“ワンピース原理主義者” たちの思想

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 ずっと昔の話になるが、このブログで、アニメ『ONE PIECE(ワンピース)』のことを書いたことがある。(『ワンピース』ってどこが面白いの? 2016年8月23日)。

 いまだに、このタイトル名を検索して閲覧してくれる読者がいる。
 “どこが面白いの?” という検索ワードを拾ってくれたということは、やはりこのマンガの人気に同調できない人かもしれない。
 いずれにせよ、2年前に書いた記事に反応してくれるわけだから、巷では、相変わらずこの作品が話題になっているようだ。

 そういえば、やはりつい最近のこと。
 近所の焼き鳥屋で、カシラを焼いてもらいながら、緑茶ハイを飲んでいると、隣の男性2人が『ワンピース』を語り合っている場面に遭遇した。

 職場の先輩・後輩らしい2人で、年のころは30代から40代ぐらい。
 先輩らしき人が、しきりにこの作品に対して熱弁をふるっていた。

 「おめぇよ、このマンガは何がすげぇかっていうとよ、とにかく主人公がめちゃめちゃやられるわけよ。
 もうコテンパンなわけ。
 こんなに主人公がくたばっちゃうマンガなんてよ、おめぇ読んだことある?
 でもよ、負けねぇんだよ。
 最後にはよ、立ち上がっていくわけ。
 涙出るぜぇ !」

 すると、後輩らしい男が、
 「そっすね ! 泣けますよね !」
 と相槌を打つ。
 
 ふぅ~ん …… と、心のなかでうなずきながら、聞いた。
 別に、この2人の感想に異論があるわけではない。
 ただ、“主人公がめちゃめちゃ叩かれる” ってことが、そんなに珍しいことか?
 とは思った。
  
  
『ワンピース』には名言・名セリフが多い?
 
 家に帰って、あらためて、『ワンピース』をめぐるネットの声を拾ってみた。
 やはり、ファンにとっては “神マンガ” のようだ。
 ある熱烈ファンサイトでは、こんな指摘があった。

 「(ワンピースには)名言や名セリフが多い」
 その例として、ある登場人物のセリフに「バカにつける薬はない」という名言があった、… という。
 もちろん前後の文脈で、セリフの意味というものはガラッと変わるわけだから、そこだけ取り出すと誤解が生じるかもしれないけれど、それにしても、「バカにつける薬はない」というのは名言か?

 また、その人によると、「力強いセリフが絶妙のタイミングで飛び出す」という。
 麦わらの一味に加入したいけれど、臆病な性格のために、グズグズと言い訳を垂れ流している仲間に対し、主人公のルフィが一言、「うるせぇ! いこう!」と黙らせるシーンがあるという。
 その評者にとっては、これも目頭が熱くなるシーンの一つだとも。

 そのシーンを知らないので、どう言っていいのか分からないが、何となく、ふぅ~ん …… ため息が出てしまう。
 つまり、これはヤンキーの美学である。
 
 
「泣き」が頂点にくるヤンキー美学

 ヤンキーの美学とは、感動の頂点に「泣き」をもってくることだ。
 その場合の「泣き」とは、例外なく、仲間との「絆」の再確認から生まれてくる。 
 そして、その「泣き」が絶対化されたときには、すべての言説は沈黙を守らなければならない。
 これこそが、ヤンキー美学の不文律である。

 この場合、「沈黙を守らなければならない」立場に立たされるのは、“知性” である。
 「知性」こそヤンキー文化にとっては、もっとも「感動」に水を差すものであり、要は “うざい” ものの代名詞となる。
 
 だから、『ワンピース』に対して批評的な言説が寄せられるサイトは、まずファンからの罵詈雑言に耐えなければならない。
 「批評」というのは、あくまでも “分析” に過ぎず、必ずしも “批判” ではないのだが、一部の “ワンピース原理主義者” たちにとっては、「批評」が身にまとう「知性」そのものが、もう腹立たしいのだ。

 そういう “ワンピース原理主義者” は、この作品の面白さに疑問を感じる人たちに、よくこんなことをいう。

 「お前が面白いって感じないと売れちゃ駄目なのかよ」
 「売り上げは確かに一番なんだから、そこは認めましょうよ」
 「本当に面白くなければ、子供も見ません。人気も出ないでしょう」

 このような主張は一種の “言論弾圧” である。
 自分が聞きたくない意見、見たくもない主張をヒステリックに封じ込めようとしているにすぎない。
 
 
売れたものが正義なのか?

 このような原理主義者たちの思想を一言でいうと、
 「売れたものが正義」
 ということになる。
 彼らは「売れた」という事実の前で、思考停止してしまう。

 確かに、資本主義の世の中で、「売れる」ということは、非常に大きな価値を持つ。
 しかし、だからといって、「売れたものが正義」という考え方は非常に傲慢で不遜な思い込みにすぎない。
 それは、「大多数に属する方が優越する」というカッコ悪い思想に行きつく。

 「多数派が世の中を動かす」というのは、民主主義でもなんでもない。
 民主主義とは、少数派にも弁論の余地を与えるという思想なのだから。

 いま日本のネット言論を支配し始めているのは、多数派を任じる人たちの少数派への言論弾圧である。
 これは世界的な風潮なのかもしれない。
 
 
PS.

ワンピース原理主義者は
手塚治虫を読んだことがあるのか?

 一つの作品をそれなりに評価するには、その評者が過去にどれだけの作品に接してきたかが大きな意味を持つ。
 単純にいって、3~4程度のサンプルのなかから一つを選ぶのと、10のサンプルから一つを選ぶのでは、評価の精度が違う。
 10のサンプルから選んだ「一つ」というのは、やはりそれなりに厳選されたものになる。

 私が気になるのは、「ワンピースがすごい !」と言っている人たちは、いったいどれくらいのデータのなかから、その一作を選んでいるのかということだ。
 『ドラゴンボール』などと比較されることが多いようだが、日本のマンガ史に残るような過去の作品名はほとんど出てこない。

 「世代の差」といってしまえばそれまでだが、少なくとも『ワンピース』のことを「マンガ史に残る最高傑作」というのだったら、「何と比較してか?」ということにも神経をはらってほしい。 
 
 『ワンピース』をすごい! と評価する人たちは、過去に手塚治虫を読んだことがあるのか? 赤塚不二夫を読んだことがあるのか? 石ノ森章太郎を読んだことがあるのか? ジョージ秋山を読んだことがあるのか? 横山光輝を読んだことがあるのか? 白土三平を読んだことがあるのか? 水木しげるを読んだことがあるのか? ちばてつやを読んだことがあるのか? 松本零士を読んだことがあるか? 池上遼一を読んだことがあるのか? 吾妻ひでおを読んだことがるのか? 大友克洋を読んだことがあるのか? 吉田戦車を読んだことがあるのか? 山岸凉子を読んだことがあるのか? 諸星大二郎を読んだことがあるのか? つげ義春を読んだことがあるのか? … と言いたい。
 
 

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