サカナクション山口一郎氏が大事にする「違和感」

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 NHKテレビで、日本のロックグループ「Sakanaction サカナクション」の2017年のライブ映像が放映されていた。
 面白い世界観を表現したステージだと思った。

 このバンドのリーダー山口一郎氏には、前から注目していた。
 日本のロック(およびJ ポップス)バンドのなかで、唯一「アーティスト」という称号を与えられる表現者であるように思っていた。


 
昭和文学っぽい歌詞の魅力

 歌詞がすごいのだ。
 彼がつくる曲は、すべてが “文学している” といっていい。
 それでいて、難しい言葉はない。
 平易な言葉に、深い意味を持たせている。

 もちろん、“サウンド” として、心地よく聞き流すこともできるのだが、ひとたび歌われる詞の世界に注目してみると、歌詞だけでなく、サウンド全体が深い陰影を帯びてくる。
 
 山口一郎氏の存在に最初に気づいたのは、NHK(Eテレ)の音楽トーク番組『ザ・ソングライターズ』だった。
 佐野元春氏がホストを務め、その当時の話題のミュージシャンや作詞家をゲストに招いて日本の音楽を語るという番組で、山口一郎氏は、その12回目(2010年)に登場していた。

 偶然それを見ていた私は、山口氏が話す一語一語に次第に引き込まれていくのを感じた。
 そのことを、ブログに書いたことがある。
 当時の自分はこんな記事(↓)を残している。
…………………………………………………………………………
 (2010年 9月19日)

 番組のなかで、佐野元春さんが、山口さんの作った歌の歌詞をいくつか朗読した。
 メモを取ったわけではないので、詳しくは覚えていないが、現代を生きる若者の心情を歌っているようでいながら、そこに “昭和文学っぽい” しょっぱさが加わっている。
 
 単語のひとつひとつが、字義どおり使われていない、… というか、ひとつの言葉に、多彩な光が当てられている。
 優しい言葉が、鋭利な刃物のような怖さを内包している。
 ぶっそうな言葉の奥に、ふるえる魂のおののきが宿されている。
 ひと言でいうと、“引っかかる” 歌詞なのだ」

…………………………………………………………………………

 番組を観終わった後、Wikipedia やさまざまなネット情報を通じて、山口一郎氏のことを調べてみた。
 生まれたのは、1980年だという。
 出身地は、北海道の小樽市。
 お父さんの影響を受けて、小さい時から、「明治の短歌」や「昭和の詩」を愛してきたという。

 そのため、子供時代の愛読書が石川啄木や寺山修司の短歌、吉本隆明の詩。さらに宮沢賢治の童話。

 若い頃から、そういう “昭和文学” になじんできただけあって、山口氏の言語感覚には独特の輝きがある。
 
 
「愛」という言葉が嫌い
 
 たとえば、「好きな言葉は?」という佐野元春氏の質問に対し、すかさず返された答が、
 「夜」
 「では、嫌いな言葉は?」
 「愛」
 だという。
 聞いていて、ため息が出るほど共感した。

 「愛」という言葉が嫌いだという感性は信頼できると思ったのだ。
 なにしろ、ドラマでも歌でも、最近いちばん安っぽく流布している言葉が「愛」だからだ。
 そのひと言さえ使えば、一応なんでも丸く収まってしまう呪文の言葉。
 誰も異論を唱えることのできない「愛」。
 しかし、その言葉を安易に使ってしまえば、「説法」なら格好は付くが、「詩」は成り立たない。

 佐野元春氏との対談は、好きな文学者の領域まで広がった。
 山口氏が好きな詩人として挙げたのが、種田山頭火(たねだ・さんとうか)。
 「彼の詩(俳句)には、常に『現在』が鮮やかに切り取られている」というのが、その理由。
 
 ―― 分け入っても、分け入っても、山の中(山頭火)。

 この句を引用し、山口氏はいう。
 「その場にいて、見たまま、感じたままものが純度100パーセントの濃さで伝わってくる」。
 
 さらに、 
 「どのような音楽を目指していますか?」
 という佐野氏の質問に対する答が、次のようなもの。
 
 「近代になって表現の幅が広がったように思いがちですが、実はフォーマットが固まっただけだと思うんです。
 たとえば、ロックはこうでなければいけない … とか。
 そういう既成のフォーマットを崩していくところに、自分の表現を見出していきたいと思います」
 
 
マイノリティーとしての自覚
    
 さらに、彼はこういう。
 「北海道から東京に出てきたとき、それまで自分の好きなものが全部マイナーなもので、マイノリティーな人々にしか愛されないものであることを知り、愕然とした記憶があります」

 だから、マイナーなものの良さをいかに多くの人(マジョリティー)に分かってもらえるか。
 それが、「自分が詞を作るときの原点」だとも。
 
 また、対談中、彼がよく「センチメンタル」という言葉を口にするのが意外でもあり、新鮮でもあった。
 たとえば、彼は、
 「自分の中にあるセンチメンタルを共有できる人が周りにいなかった」
 という。
 
 「センチメンタル(感傷的)」という言葉は、時としてネガティブな響きを帯びる。「甘い」とか「めめしい」、「感情におぼれる」というニュアンスを秘めた言葉として使われることが多い。
 
 だが、山口氏の口からこぼれ出る「センチメンタル」は、「リアリティ」の同義語であるように思えた。
 むしろ、普通の人が「めめしい」と感じるものの中に、人間の真実があるとでもいわんばかりに。


   
 
「夜」と「君」でつくられる歌詞
   
 山口一郎氏の曲がどんなものか。
 実際に聴いてみると、その特徴がよく分かる。
 
 下は、NHKが取り上げたライブでも演奏されていた『バッハの旋律を夜に聴いたせいです』。
 いかにも、彼らしい世界観が投影された曲だ。
 タイトルからして、謎に満ちている。

 キーワードは、やはり彼の大好きな言葉である「夜」。
 その夜を象徴する仕掛としての「月」。
 そして、彼の歌には必ずといっていほど登場する「君」といわれる人物。

 この三つの言葉が、まさに一幕劇に登場する3人の役者のように、妖艶な役割を与えられ、濃密な寸劇を繰り広げる。
 そして、そこに流れる “舞台音楽” が「バッハの旋律」である。

 

 いろいろな解釈を可能にする詞であるが、ここに登場する「君」が、他の曲にもよく登場する「君」と同じく、主人公と濃密に関わりながらも、主人公には制御しきれない “他者” を意味していることは間違いない。

 つまり、ここに出てくる “君” は、リスナーの解釈の深さや感情移入の度合いによって変幻自在に姿を変える “のっぴきならない存在” の象徴なのだ。
 彼の詞が難しく感じられるのは、そういう形でリスナーの想像力を試すようなところがあるからだ。
 
 
難しいものは美しい

 YouTubeを探してみると、山口氏の最近のインタビューを収録した動画がいくつか見つかった。
 その一つで、彼はこんなことを発言している。

 「僕らは、音楽でも本でも、難しいものにこそ価値があると期待した世代だった。
 たとえば本ならば、最初は難しくて理解できないものでも、何度も読んでいるうちに突然理解できる瞬間がやってくる。それが高揚感を生んだりする。だから、(自分は)難しいものは美しいと思える感覚を持っている。
 ところが、今の子たちって、そういう期待の持ち方をしていないように感じる」

 そう語った山口氏。
 だから、
 「東京でメジャーデビューするときに、自分が感動してきた “美しくて難しいもの” をいかに多くの人に伝えられるかということが、たいへんな課題だった」
 という。

 そこで彼は考える。

 「30人ぐらいのリスナーに対し、そのうちの10人~20人ぐらいのマジョリティーに評価される音楽を目指すのなら、“美しくて難しい” という路線はあきらめなければならない。
 しかし、そのうちの1人か2人の心に届けばいいと割り切れば、それなりのやり方がある。
 そう考えると、気持が楽になった。
 だって、30人のうちの1人か2人でしかなくても、それが全国規模に広がれば、十分マジョリティーになるのだから」
 
 
テクノロジーが与える感動
   
 “30人のうちの1人か2人でもいいから、しっかりした感動を与えたい” というときの突破口として考えたのが、
 「テクノロジーの力」
 というものだった。

 NHKが放映したライブステージは、艶やかなライトショーを展開しながら、会場の四方にスピーカーを巡らした6.1ch方式で行われた。
 いわば “光と音” が高度に融合した最新テクノロジー空間だった。

 「人間の新しい感情を発掘するものとしてテクノロジーは大事なものだと考えている。人間は、見たこともないもの、はじめて触れるものに感動する。そのときに感じる “心地よい違和感” が人間の感動の源泉になる」
 と山口氏。

 彼の目指す音楽とは、常に「良い違和感」をはらんだものだという。
 いい言葉だと思った。
 
 
世の中にはベタな歌詞
で救われる人たちもいる

 
 脱線するが、この番組と前後して、結成20周年を迎えたというコブクロが出演する音楽番組を観た。
 「サカナクションの正反対に位置する人たちだなぁ … 」
 と思った。
 久しぶりに、彼らの『桜』を聞いたが、そのあまりにもベタな歌詞に、少し辟易とした。
 
 「♪ 涙と笑顔に消されていく ……(略)…… 強く清らかな悲しみは…」
 
 こういう荒削りの言葉をためらいもなく使ってしまう作詞を、私は個人的に好きになれない。
 「涙、清らか、悲しみ」というベタな言葉を使うのは、「詩人」として恥ずかしいことだと思うのだ。
 
 しかし、この生々しい感覚が、マジョリティーの好みなんだろうな … という気もする。
 こういうストレートな詞で救われる人たちもたくさんいるのだろう。
 私は好きではないが、世の中はそれでいいのかもしれない、とも思う。
  
 

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