ブログの時代は終わるのか?

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 個人ブログの寿命というのは、いったいどのくらいなのだろうか。
 それまで長く続けてきた人のブログが、ある日突然更新を止めることがある。
 そして、そのまま時は流れ、最終更新日の日付の上に、いつとはなしに歳月が積み重なっていく。
 最近、そういう光景を目にする機会が増えた。

 私が、このホビダスというブログサービスを使って「町田の独り言」というブログをスタートさせたのは2006年だが、その頃、同時期にスタートしたたくさんの仲間がいた。

 しかし、その初期メンバーの多くは、やがてお引越ししたり、更新を中止したりして、いつの間にか名前を消していった。
 
 どこのブログサービスにおいても、似たような状況かもしれない。
 実はこの前、ネットの「お気に入り」を整理するために、最近はあまり開かなくなったかつての愛読ブログを調べたことがあった。
 すると、その半数以上は、もう3~4年以上更新が途絶えていた。

 はっきりと、「配信をフェイスブックに切り替えました」と明記する人もいたが、大半は途中でプツリと断ち切られたまま放置されていた。

 そのような消息を絶ってしまったブログの更新履歴を見てみると、だいたい活動を始めてから3年というものが多かった。
 つまり「3年」というのは、とりあえずの「個人ブログ」の寿命と考えてもよさそうだ。

 3年を境に更新が途絶えてしまった事情はみなそれぞれ異なるのだろうけれど、なんとなく、「ブログを続けよう」というモチベーションがいったん途絶えるのが、開始3年後ぐらいなのかもしれない。
 逆にそれを越すと、皆さん元気に更新される傾向が強くなり、長寿ブログとして健在ぶりを示すものが増える。

 ただ、最近は、「ブログ文化」というものが大きく変わり始めているような気もしている。
 すでに、「そのピークは過ぎた」という人も多い。

 ブログが話題になり始めて、日本にブログ人口が急増したのは、2005年から2006年頃だといわれている。
 それから2010年代にかけて、空前のブログブームが訪れ、ピーク時のブロガーの数はおよそ300万人ぐらいだと試算した人もいた。

 しかし、2010年以降、ブログが世の中の世論を形成しているという実感は、急激に薄れつつある。
 今、ネット系コンテンツで、世の中に情報として拡散しているのはYOU TUBEなどの動画であり、巷の話題をリードしているのはツィッター、フェイスブック、インスタグラムというSNSだ。
 
 「記事中心のブログはまどろっこしいから読まない」
 という人は、若者のみならず、中高年にも増えている。
 つまり、「情報は読むもの」ではなく、「画像として眺めたり、キャッチコピーだけで把握するもの」という傾向が顕著になってきている。
 要は、IT にアクセスする手段が、完全にパソコンからスマホへと移行しているということなのだ。

 スマホで得られる情報は、時間との勝負となる。
 情報のタイムリー性が価値そのものとなるからだ。
 また、あの小さい画面で多くの情報は処理できないから、情報量も限られてくる。
 そのため、スマホでは洒落た画像、刺激的なキャッチを、瞬時のうちにシャワーのように利用者に浴びせまくることによって、末梢神経的な快楽を喚起するコンテンツが好まれるようになる。

 そういうスマホ時代に適合するコンテンツとなると、やはり、動画とゲーム。
 視覚に刺激を与えるエンターティメントが中心にならざるを得ない。

 動画とゲームには、「批評」が要らない。
 「感想」を言葉にまとめて述べる必要もない。
 他人のSNSにコンタクトを取ろうとしたいときは、「いいね!」ボタンを押すだけでいいのである。

 この気軽さが、スマホ系SNSの最大の特徴で、それがゆえにスマホは利用者を “依存症” 状態に誘い込み、今や学生も主婦層も、中高年サラリーマン層も、片時もスマホを離さなくなってきた。

 人と人と待ち合わせするときの連絡ツール。
 ショッピングやグルメの近場情報の取得手段。
 知らない場所に行くときのナビゲーション機能。
 カメラ・動画などの撮影・録画道具。
 さらに、家のなかの家電に対する外からの遠隔操作。 

 何から何までスマホがまかなってくれるので、それが手元になくなると、誰もがパニック状態に陥ってしまう。

 ただ、そういう時代だからこそ、逆にスマホでは作れないような(PC系)ブログの復権がありうるのではないか? という見方をする人もいる。

 スマホがないと、生きていけない人が大半を占めるようになったということは、ある意味、それが文化的にはピークを迎えたということでもある。
 もちろん、今後もスマホ用アプリとしては続々と新しいものが誕生してくるだろうし、生活用具としてのスマホの役割はさらに重要度を増すだろう。

 だが、「コンテンツ文化」としてはもうピークである。
 さらにいえば、悪ふざけ映像をツィッターなどで拡散させる迷惑動画がはびこり始めている状況などを見ると、すでに動画コンテンツは退廃の兆しすら見せている。

 一度、スマホ系コンテンツに冷めた気分を抱くと、その次から人間は、「そんなものはなくても何とか生き延びられるものだ」という経験則を身に付ける。
 そうなると、「付き物が落ちる」ように、気持が依存症状態から脱していく。

 実は、視覚的な刺激を中心としたスマホ系コンテンツに飽きてきた若者が増えているという話を聞いたことがあるのだ。
 そういう若者たちの目に再びとまり始めたのが、昔風の “読み物主体” のブログだという。

 「軽いものって、結論がみな同じになっちゃうじゃないですか。そういうものをいくら貯えてもやがて退屈するだけ」
 という若者も出てくるようになったとか。
 あまり頭を使わない「軽いもの」が好まれる文化のなかにおいて、逆に「重いもの」がカッコいいという見方が復活しているのも確かなことらしい。

 これはネットで拾った意見だが、
 「誰もがスマホで情報を発信し、情報を享受するようになった時代だからこそ、パソコンを使いこなせることがスキルになるんです」
 という声を載せたサイトがあった。

 ゲームや動画のような、スマホで流通する情報は瞬時のうちに消費される。
 しかし、ブログのような、パソコンを経由してくる個人運営の知的情報サイトの知識は、ネット空間にストックされる。
 ストックされた情報は、いろいろな機会に検索エンジンによって掘り起こされ、何度も浮上してくる。
 すると、その情報価値が次第に「普遍性」を身に付け、人々の価値概念として定着していく。

 そうなったときに、パソコンだからこそ発信できる情報形態が見直される。
 すなわち、読んだ人間の「視覚」を刺激するのではなく、「脳活動」を刺激する情報が再びニーズとして浮上してくる。

 若者がそういうところに着目し始めたのは、それが若者の仲間内で自分を差別化する武器となるからだ。
 そして、そういう情報ソースを知っていることで、就活や企業活動の分野で社会的評価を得られることに結びつく機会も増える。

 もちろん、クラシカルなブログが、かつての意匠のまま復活してきても、誰からも相手にされない。
 知性や知識を人に訴えるものであっても、ビジュアルは当然今風にリファインされていなければならない。

 すなわち、最初の1行目から読者の目をくぎ付けにするキャッチコピー。
 内容を魅力的なものに訴える洗練された画像。
 読みやすい個所で段落を切る文章技術。
 要は、スマホの画面にきれいに収まるような体裁が取られていなければならない。
 それには、これまで以上に、デザイン力やエディターマインドが要求されることになるだろう。

 しかし、もしそのような洗練された “知的ブログ” が復活してきたら、それが再び大きな潮流になっていく可能性は大である。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

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