アメリカからの2019カレンダー

 
 このブログを通じて、もう8年間連絡を取り合っているアメリカ在住の日本人シンガーがいる。
 サミー(茅野雅美=ちの・まさみ)さん。
 1970年代、日本で「伝説の女性ソウルシンガー」といわれた方だ。

 当時、麻生レミ、カルメン・マキ、金子マリ、亀淵友香、桑名晴子などというソウル&ジャズ系女性シンガーのなかでもダントツの実力を誇り、石川晶、稲垣次郎などという日本の有名なジャズの大御所たちとも共演して、数々のレコードを残している人である。

▼ 1970年5月の日比谷野音でのコンサートで、稲垣次郎氏らをバックに歌うサミーさん

 そのサミーさんが、当ブログに記事にコメントを寄せていただいたことから、メールと返信という形でお付き合いさせていただくことになった。
 もちろん、最初のうちは、私は彼女が実力派のソウルシンガーであることも、アメリカ在住であることも知らなかった。

 あるとき、「最近歌った自分の歌をYOU TUBEにアップしています」という遠慮がちな連絡をいただき、「ほぉ、歌手なんだ」という気持ちでアクセスしてみて、ぶっ飛んだ。
 1970年代に多くのファンを唸らせた伝説の歌姫のライブが、時空を飛び越えて再現されているのを目の当たりにした。
 それがこれ(↓)
 
▼ 『Sayonara Bye Bye』 Sammy the moon

 
 そのサミーさんから、ある年末、アメリカのカレンダーが送られてきたことがあった。
 ご自身が住んでいらっしゃるカリフォルニア州ストックトンという町の銀行が毎年発行するもので、この町で暮らしていた人々の昔の写真を集め、それを1月から12月まで並べたもの。
 それをもう8冊いただいている。

 今回送られてきたもの(↑)を年代順に並べると、いちばん古い写真が1900年。もっとも新しいものでも、1930年。
 原版はもちろんモノクロ。
 それに人工着色を施しているので、SF映画のタイムマシンものを見ているような気分になる。

 下の写真は、「LakeTenaya」、すなわち、ヨセミテ自然公園のテナヤ湖で撮影された1920年頃の写真。
 左に移っている自動車が素敵だ。
 1920年代というと、T 型フォードの全盛期。
 おそらくこのクルマは、そのうちの1台だろう。

 フォード T タイプの販売累計1500万台といわれているから、特別なお金持ちでなくても、少し余裕のある庶民ならマイカーを手に入れることができたはず。
 そんな庶民たちのドライブ旅行の様子を教えてくれる貴重な1枚だ。


 
 下の写真は、REO Motor Car Company(レオ・モーターカー・カンパニー)のオーナーたちが集まった社交走行会。1924年の写真だ。
 レオ(REO)社が自動車を生産していたのは1905年から1936年。そのなかには有名なREOスピード・ワゴン(アール・イー・オー・スピードワゴン)がある。

 1920年代というのは、第一次世界大戦に勝利したアメリカが全土をあげて繁栄を享受した時代である。
 クルマのバンパーに座る紳士たちのファッションも、どことなく成金的な贅沢感を漂わせている。

 下は、自転車を楽しむレディーたち。
 1905年の写真。
 アメリカではじめて自転車がつくられたのは、1878年だという。
 90年代に入ると、アメリカに最初の自転車ブームが訪れ、乗馬に変わるスポーツとして人気を博した。
 なかでも女性たちから幅広い支持を受け、やがて女性解放運動を象徴するような乗り物に発展していった。

 下の画像は、同じく1905年頃に撮られた「帽子をかぶった女性たち」。
 19世紀までの女性ファッションは、ドレスに付いたヒモを絞って息苦しいほどに身体を締め付けるものだったが、20世紀になって、ようやく女性たちは窮屈なファッションから解放された。
 特に、イギリスのヴィクトリア朝文化に捉われなかったアメリカでは、軽やかで颯爽とした衣装が普及するようになった。
 そんな20世紀初頭のはつらつとした女性たちの姿が分る1枚。


 
 1912年のハロウィン・パーティの様子を伝える写真(下)。
 今のハロウィン・パーティの様子とはだいぶ違う。
 ハロウィンというのは、キリスト教系のお祭りとは異なるものだという。
 それなのに、おそろいの衣装を身に付けた子供たちの様子を見ていると、アメリカではそうとう古い時代から伝統的な行事として定着していたことが分かる。


 
 
 今回のカレンダーもまた楽しめた。
 これを編纂するストックトン銀行も、まぁ毎年毎年、よくもこんな貴重な画像を集めてくるものだと感心する。
 
 このカレンダーは、日頃の取り引き先とか長年付き合いのある顧客だけに限定して配布するローカルなサービスなのだろうけれど、それだけに、かえって当時の飾らない人々の生活が浮き上がってくる。
 日本人で毎年このカレンダーを手にしているのは、私ぐらいのものではないだろうか。
 サミーさん、ありがとうございます。
  
  
 参考記事 「伝説のソウルシンガーサミー」(2011年)
 
 

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平成とはコスパ思想が席巻した時代だった

     
 正月恒例の討論番組に、NHK・Eテレが主催する『ニッポンのジレンマ』がある。
 2019年の年が明けた元旦の夜は、「コスパ社会を超えて」というテーマだった。

 面白いよな、この問題設定。
 「平成」という時代を端的に言い表す言葉として「コスパ」を持ち出す嗅覚。企画者たちのジャーナリスティックなセンスに脱帽する思いだ。

 確かに、私も気づかないうちに、この “コスパ” という言葉をためらうことなく日常会話に使っていた。
 「自動販売機やコンビニでペットボトルを買うのってさ、コスパ悪いよな。スーパーまで行かないと … 」
 とかね。
 なんのことはない。
 「20~30円高いよな」 … ってことを言うだけなのに、“時代に乗り遅れない感” を強調するため「コスパ」とか使っていたわけだ。

 で、あらためてコスパとは何か?
 知ってのとおり、コスパとは「コストパフォーマンス」の略だけど、この言葉がいつから一般的になったかは諸説あるらしい。
 ネット情報によると、すでに1970年代には、自動車とかオーディオといった趣味性の強い高額商品を評価するときに使われていたらしいが、私はその時代、そんな言葉を得意げに語れる裕福な環境にはいなかった。

 しかし、その後「コスパ」という言葉は、インフルエンザ・ウィルスのようにじわじわと一般的な企業用語として広がっていった。

 普通の家庭の主婦が当たり前のように、この言葉を口にするのに気づいたのは、つい最近のことである。

 カミさんの友だちが、うちのカミさんに向かって、
 「○○のランチは、ワンプレート1,000円もするんだけれど、◎◎に行けば、サラダとデザート、コーヒーもついて980円。もうだんぜん “コスパ” が違うのよ」
 とかいっているのを聞いて、びっくりした。
 会社の営業会議の会話が、主婦層にまで浸透していることを知って、大変な時代になったもんだと思った。
 
 
 『ニッポンのジレンマ2019』の話に戻る。

 この番組も、出演者がずいぶん様変わりした。
 私が最初に見た頃は、安田洋祐(経済学者 38歳)、飯田泰之(経済学者 43歳)、萱野稔人(哲学者 49歳)、三浦瑠麗(国際政治学者 38歳)といった面々が “若手の論客” として気を吐いていたけれど、今ではみんなメジャーなコメンテーターに昇格(?)し、時事解説やトーク番組、バラエティー番組などの常連になっている。

 今回のメンバーは、それよりさらに下の世代で、年齢的には20代後半から30代前半。
 つまり、大半が「平成生まれ」。
 生まれたときから「コスパ意識」が日常的に浸透した時代を生き抜いた若者たちだ。
 
 この平成ボーイズ&ガールズ。
 「コスパ」に対して、どんなことを語ったのか。

 平成がスタートしたのは1989年。
 社会主義政権のソビエト連邦が崩壊した年(1991年)とほぼ重なっている。
 つまり、「平成」とは、世界の自由主義国家が「資本主義の勝利だ!」と確信した時代の始まりを告げる年号でもあったのだ。

 当然、「コスパ」は、資本主義社会を生き抜く日本企業にとっても最重要課題となった。
 「無駄なものを排して純益だけを追求する」
 この精神がないと、経営は成り立たない。

 しかし、問題は、それが経営者たちの意識にとどまらず、一般消費者の考え方まで規定するようになったことだ。

 バブル崩壊後、日本の経営者たちがそろって口にした言葉に、
 「これからは社員1人ひとりが、みな経営者の立場に立ってモノを考えないと、会社が存続しない」
 というのがあった。

 そういう意識がサラリーマンたちに浸透した結果、「コストカット」や「成果主義」、「自己責任」などという言葉が日本中に溢れるようになった。

 こういった風潮は、やがて、家庭の主婦やその子供たちまで巻き込むことになった。
 つまり、平成生まれの子供たちは、無意識のうちに、コスパ的世界観のなかで育ったのだ。

 
 このことを、今回『ニッポンのジレンマ2019』に参加した平成の若者たちはどう思っているのか。
 たとえば、論客の一人として名を連ねた高橋祥子さん(ゲノム解析サービス業運営者)は、こう語っている。

 「コスパは、人間の長期的な思考を閉じてしまうと思っています。たとえば、欲しい本があったとき、最近は誰でもアマゾンを利用します。いちいち本屋まで行くことは、手間もかかるし、時間もかかる。つまりコスパが悪いということになっています。
 しかし、本屋までいけば、探していた本の隣に、さらに魅力的な本があることを発見するチャンスもあるわけですね。
 そして、その本の方が、10年先20年先の自分にとって重要な本であったりする可能性がある。
 アマゾンで欲しいものだけ注文するのはコスパ的には正しいが、けっきょくは自分の可能性を閉じてしまうことにつながりかねない … 」
 
 きわめて素直な常識的な観測である。
 私も、同意する。

 この高橋祥子さんという女性は、「コスパ的なことよりも、いま生きている世界が美しいかどうかの方が重要である」とご自身のブログで述べている。
 すなわち、
 「人間があるものを美しいと思うのは、それが刹那的であり、かつ代替不可能だからです。
 たとえば、桜の花が美しいと思うのは、それが永遠ではないからです。すぐ散ってしまうという、刹那的な未来を想像できるから美しいのです」

 なんとも日本的というか、古典的な美意識の持ち主であるけれど、そういう感性があってこそ、ゲノム解析という先端的なビジネスを運営できる実力も発揮できるのだろう。
 
 
 同じように、日本的美意識に焦点を当てている参加者がもう1人いた。
 新谷友理さん。
 社会人向けの大学院の事務局に勤めながら、室町時代の古典芸能「能楽」を研究している人である。

 彼女はいう。
 「能楽の世界においては、登場する主人公が死んだ人だったりすることが多いんですね。そういう歴史上の人物が幽霊として出てきて、自分のことや歴史を語って消えていく。
 そこには “何かを語り継いでいく” ことが人間社会を構成しているという思想があると思うんですね。
 つまり、人間の普遍性みたいなものが掘り下げられているから、室町時代に成立した芸能が今でも評価されているのだろうと。
 コスパばかり意識した時代に、そういう評価軸が継承できるのかどうか、心もとない」

 これも「なるほど !」と思える意見。
 つまり、若い人たちは、「コスパ」という概念の反対側に、「美意識」とか「古典」、「歴史」という概念を思い浮かべていることが伝わってくる。
 
 
 コスパは「近視眼」的な性格が強い、ということを述べた人が他にもいる。
 若い男性である。
 メモを取ったわけではないので、残念ながらその人の名前が分からない。話の内容も、記憶の中から曖昧なものだけを取り出して再構成するわけだから正確とはいえないが、次のようなことだ。

 「コスパを意識していると、どうしても考え方が近視眼的になる。コスパは “取りあえず現在の無駄を省く” という考え方でしかないから、10年後20年後の展望を語ることは不得手。
 たとえば、2030年ぐらいの地球がどうなっているかなどという問題は、コスパ的思考では語れない。
 もしかしたら、2030年の地球では、世界的な温暖化がさらに進行していて、住んでいる土地が沈没してしまう島の住民もたくさん出ているかもしれない。
 そういう問題に直面している時代なのにもかかわらず、“コスパ” のような短期的な利益を求めていていいのか? もっと人間の命とか、生活環境とか、そういうものに考えをシフトさせていくことが大事ではないのか」
 
 う~ん …… 。
 これも重要な指摘であると思った。
  
 
 さらに、こう言った人(男性)も。

 「今の若い人たちは、生まれたときからコスパ意識を追求する環境で生きてきたけれど、実は四六時中コスト意識だけで動いている人なんかいない。
 人間というのは、誰でも “忘我の瞬間” というものを持っている。つまり、我を忘れて没頭できるものの存在に気づいている。
 それはどういう瞬間かというと、“物語を生きる瞬間” である。
 要するに “物語” を生きるような経験が人間には必要であって、人の心に迫る商品というのは、コスパを追求したものよりも、そういう物語性のところで訴えるものを持っている商品ではないのか」

 うまいことを言うなぁ ! … と私は思った。
 概して、平成生まれの若者たちは、意外と “コスパまみれの平成” を冷ややかに見ていることが分かった。
  
  
 だが、すべての平成の若者がそう思っているかというと、それに関しては疑問視する人もいた。
 音楽家であり、詩人、脚本家という肩書を持つ総理響心さんは、討議の最中、次のようなことを語った。

 「今日ここに集まった人たちは、すごくインテリで頭のいい人たちだけれども、こういう議論が自分の日常生活に戻ったときに継続できるかというと、たぶん難しいと思う。
 けっきょく、こういう議論を日常的に語る場というものが我々にはない。
 だから、何か物事を考えるときに、基本情報をGAFA(ガーファ = グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に頼らざるを得なくなる」
 
 
 この指摘は、ある意味、時代の状況を的確に把握している意見でもあり、次のような発言も招き寄せた。

 「そもそも議論そのものに対して、“コスパが悪い” と判断する人たちだっているんじゃないの?」
 こう話し出したのは、歴史学者の與那覇潤(よなは・じゅん)氏。


 
 「たとえば、音楽そのものは好きだけど、音楽評論は嫌いだという人がいる。音楽を聞くことは好きだけど、解説しているやつはムカつくとか。
 “そんなもん言葉にしていないで、聞けよ!” といったふうに、言葉にされること自体が愉快じゃない、という人がいるでしょ? これも一種のコスパ主義。しゃべりは無駄という判断がそこにある」

 與那覇氏のこういう問題提起に対し、次のように返した人もいた。
 (名前を覚えていない。ゴメンナサイ !)
  
 
 「確かに、そういう議論みたいなものに拒否反応を持つ人はいる。
 しかし、それは言語化そのものが嫌なのではなく、たぶんしゃべった人の考え方に染まるのが怖いのだと思う。
 だから、そこで自分の意見を相手に返す訓練を積むことが大事となる。
 議論をたえず継続して、お互いに掘り下げていけば、それが自分を変えるチャンスになるということが次第に分かってくるから」

 ここで語られる「議論の必要性」みたいなテーマも、けっきょくは “コスパ問題” に行きつく。 

 誰だったかが、次のようなことを言った。
 
 「“コスパ” という経済合理性だけで物事を考えていくと、社会科学的な思考はすべて “無駄なこと” になる。
 しかし、今の段階では “無駄なこと” であっても、それが20年30年先になると、経済合理性のうえでも必要だったというものが出てくるはずだ。
 だから、絶えず社会科学的なテーマにおいても議論を重ね、ものごとの本質を語りあっていくということが大事である」
 
 
 以上、番組を見て、気になった発言を思い出しながら書いてみた。
 もちろん、ここに紹介した記述は、発言者の言った通りにはなっていない。
 私の頭の中で都合よくまとめてしまったものも多い。
 発言内容に間違えがあれば、それは私の責任となるが、基本的な骨子はだいたいこんなもんではなかったか、と思う。
  
 

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正月テレビ雑感

  
歌番組

 「寝正月」 … というのに近い。
 テレビを観ながら、酒を飲んで、眠くなったらソファーに倒れ込み、毛布を腹にかけて寝る。
 そんな自堕落な元日を過ごした。

 居眠り半分に観ていたテレビだが、なんとなく気づいたことがある。
 歌番組のほとんどが、「ダンス付き」になっていたことだ。

 大晦日の紅白歌合戦もそうだが、若い歌手やグループが登場するステージでは、その大半がダンスパフォーマンスとセットになっている。

 ジャニーズ系は昔からそうだったけれど、EXILE、DA PUMP、三浦大知 … みなダンス付き。
 それも、今風にいえば、みなキレッキレのダンス。

 「音」(だけ)を聞かせる音楽というものが、もしかしたら、時代遅れになっているのかもしれない。

 そもそもエンターティメント文化の流れというものがそうなっている。
 20世紀に入る前まで、人間は視覚よりも聴覚を主体とした娯楽の方になじんでいた。
 18世紀から19世紀まで、ヨーロッパの富裕層の娯楽というのは、サロンで詩の朗読を聞いたり、弦楽四重奏を聞いたりというように、聴覚文化の方が優勢であった。
 日本も同じ。
 庶民の娯楽といえば、落語を聞いたり、浄瑠璃を聞いたり。
 
 しかし、20世紀に入り、写真、映画が発達し、さらにテレビが普及するにしたがって、世の中はあっという間に視覚文化に移行した。

 それでも、初期のテレビの音楽文化は、演芸ホールなどで行われていた歌謡曲のスタイルをそのまま踏襲した。
 すなわち、専属バンドの演奏をバックに、1人の歌手がステージ中央に立って歌うというものだったが、こういうスタイルの歌番組は、これからはどんどん減少していくのだろう。
 年末年始の歌番組を見ている限り、視聴者が求めるのは、歌よりもダンスだということがはっきりした。
 つまり、ダンスを付けられないような歌は、次第にテレビから排除されていくような気がする。
 
 
サピエンス全史
 
 正月はいろいろな番組が用意されるけれど、教養番組として面白かったのは、ユヴァル・ノア・ハラリというイスラエルの歴史学者が書いた『サピエンス全史』と、その続編である『ホモ・デウス』の紹介番組。

 なにしろ、『サピエンス全史』は、全世界で1,000万部を超えるベストセラーだけに、その話題はいろいろなところで聞く機会があった。
 ただ、その具体的な内容に触れたのは、今回がはじめて。

 記憶に残った個所を取り出してみると、『サピエンス全史』では、人類は農耕を始めたために不幸になったという話が印象に残った。

 狩猟採集生活を送っていた時代には、人間の労働時間は1日3~4時間程度でよかったそうだ。
 そして、人間の身体の構造も、木に登って木の実を採ったり、狩猟のために小動物を追いかけることに適合するようにできていた。

 ところが、農耕を始めることによって、まず人間の労働時間が各段に増えた。それこそ、日の出から日の入りまで働かされるようになった。
 さらに、長時間腰をかがめて農作業を行うことを強いられたり、重い物を運んだりすることが増えたため、人間の身体に不自然な負荷がかかり、それによっていろいろな障害や病苦を抱えることになった。

 そんな苦労に耐えながら、ではなぜ人類は農耕社会を続けることになったのか。
 それは農耕社会が権力構造を生み出したために、権力を持つ支配階級にはものすごく快適な暮らしが経験できるようになったからだ。

 これまでの教科書的見解では、狩猟採集生活より農耕生活の方が進んだ社会を生み出すと思われていた。
 つまり、人類は農耕文化を得たことによって、食料を貯蔵するシステムを構築し、飢えからも解放され、多くの人口を養うことが可能になったというわけだ。
 
 しかし、そういう説は、農耕社会のメリットを享受できる権力者たちの記録から生まれてきたものでしかなく、一般庶民はむしろ過酷な労働と貧しい生活を強いられるようになった。
 …… というのが『サピエンス全史』を書いたハラリ教授の説である。
 
 もう少し話を続ける。
 で、農耕社会の誕生は、確かに膨大な人口を養う契機となった。
 しかし、そうして生まれた巨大国家は、国同士の争いも激化させることになった。

 このような古代帝国は、国民の意思統一を図るために、みな厳格な宗教規範をつくり上げるようになったため、戦争になったときは、敵対する宗教組織をとことん壊滅させる必要性が生まれ、戦闘時の残虐性をより一層高めることになった。
  
 『サピエンス全史』では、このような内容が説かれているらしいが、しかし、こういう説はけっして目新しいものではない。
 すでに多くの学者たちが検証してきた話でもある。
 ただ、この本が世界的なベストセラーになったのは、その卓越した文章表現にあるのではないか。
 私は、本自体はまだ読んでいないが、テレビに紹介された部分だけからも、その語り口の魅力は伝わってきた。そのため、読んでみたくなる本の1冊となった。
  
 
ホモ・デウス
 
 一方、『ホモ・デウス』とは、どんな本であるのか。
 これもテレビを観ているときに記憶に残ったところを取り出してみると、要は「人類は神を目指すようになった」という話なのだ。
 つまり「ホモ・サピエンス」から、「ホモ・デウス(神)」というわけだ。
 

 
 「神」という言葉にはいろいろな意味があるけれど、聖書などによると、「神は万物の造物主」ということになっている。
 万物の中には、人間やら虫やらの「生命」もあるから、神とは、すなわち「命をつくるもの」という意味になる。
 
 ところが、今や遺伝子操作などによって、神に代わって、人間も「命」をつくるようになってきた。
 中国ではつい最近、ゲノム編集によって、双子の少女の「命」をつくり出した科学者が登場して話題を呼んだ。
 アメリカでは、(まだ細胞レベルでしかないが、)これまでこの世には存在したことのないまったく新しい「生命」というものが誕生しているらしい。

 このように、テクノロジーの進歩は、人類の未来を予想もつかないような方向に導いていく可能性が出てきた。

 そういう近未来的テクノロジーのなかで、今いちばん世の注目を集めているのがAI (人工知能)である。
 番組では、AI の進化をどう考えるかについて、各分野の専門家の短いコメントも紹介されていた。

 AI が人間以上の能力を獲得する未来を予測し、それに期待を寄せる人々の声も収録されていた。
 いわく、
 「AI の演算能力がさらに上っていけば、将来のビジネスをより効率的に運営するビッグチャンスとなる」

 しかし、その「ビジネス」とは、いったいどういうビジネスなのだろう?

 それは、「効率」「確率」「統計」を追い求めるビジネスだ。
 すなわち、数学に基礎を置いたビジネスである。
 『ホモ・デウス』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏は、そのことを懸念する。

 人間には、物事を数学的に処理する能力のほかに、物事を感情的(情緒的)に理解する能力がある。
 その両者が有機的に絡み合うことで、これまでの人間社会は維持されてきた。

 しかし、AI 主導型の社会が訪れると、人間の感情的(情緒的)な脳の働きを無視する文化が優位を占めるようになる。
 AI は、人間の能力を「数値」に還元して評価する方法しか知らないので、数値に表れない人間の能力は “無駄なもの” “意味のないもの” として排除される。

 そのようなAI 主導型文化が、いったいどんな人間社会を形成するのか。

 現状では、まだはっきり見えてこないけれど、おそらく、「世界」を数値化して見るクセを持った一部のエリートだけが支配層を形成し、「世界」を情緒や感情の目を通して眺める人間は脱落していくような社会が実現することになる。
 ハラル教授は、そういう危惧を持っているようだ。

 正月でないと、こういう番組をじっくり見る機会もないので、なかなか勉強になった。
 
 

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明けましておめでとうございます


 
 
昨年1年はお世話になりました。
皆様のおかげで、このブログも13年目を迎えることができました。
これからも、ごひいきのほどをよろしくお願い申し上げます

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40歳以上離れた若者たちとの対話

 
路地裏のSOULバーにて
 
 はじめて入った店だった。
 “昭和的猥雑さ” を漂わせた飲み屋街の一角だった。
 その店に行くまで、人ひとりが通り抜けられるような路地が迷路のように続いていた。

 戦後の闇市の延長線上にあった街なのだろう。
 しかし、その後世代交代が進んだのか、どの店も、意図的な古さを演出したリニューアルが進み、映画『3丁目の夕日』のセットのような、頼りないレトロ感が路地全体を浸していた。

 和風割烹のようなつくりの店が多いなかで、その店だけはレンガ地の壁紙で入り口を飾った洋風バーの意匠をまとっていた。
 70年代初期のサザン・ソウルのテイストを持ったR&Bが、階段の下まで漏れてきた。
 歌っているのは、60年代後期のハイレーベルの歌姫アン・ピーブルスか。

 入口は2階。
 家路を目指そうと思っていたが、その音楽につられ、店の階段を登り始めた。

 散歩をしているうちに、夕暮れを迎えたウィークデイ。
 近々この街で知人と飲む予定もあったので、その下見も兼ねて訪れた街であった。

 店のドアを開けると、予想通り、古典的ソウルバーのイルミネーションが垂れ下がる暗い天井の下に、10人程度の客で埋まりそうなコの字型のカウンターが広がっていた。
 どこも満席。
 店主と思われる若者が、カウンターの奥から顔を覗かせ、一つだけ空いていた席を探し出し、そこに座らせてくれた。

 椅子の両側を見回すと、私よりも40歳ほど年下に思える若者ばかり。
 しかも、みな仲間連れで来ているので、どの席でも身内同士の会話が盛り上がっている。

 左側の若者たちは、常連客らしく、この店で知り合った女性のウワサ話に熱中している。
 「いい女だよな、マスター、あの娘もう来ないの?」
 「最近、彼氏に振られたらしいですよ」
 「おぉ、ラッキー! 今度来たら、俺の隣の席に呼んで」

 右側の若者たちは、メニューを見ながら酒の話。
 「モスコミュールって何だろうね?」
 「カクテルだろうな。どこの国のかな」

 常連客たちと年齢的にも異なる私は、そういう会話に参加することもかなわず、浮いた気分のまま座り続けた。

 ハイボールを一杯だけ飲み干し、「さぁ退散するか … 」と腰を浮かしたとき、ジェームズ・ブラウンの『セックスマシーン』がかかった。
 ジェームズが「♪ Get Up」と叫び、相棒のボビー・バードが「♪ Get On Up」と合いの手を入れる。

 「Get Up って、どういうアジテーションなんだろね?」
 右隣りに座っていた若者2人組が、この曲について語り始めた。

 「こういう感じの曲、好きなんですか?」
 思わず、首を右側にひねって、尋ねた。
 
 「はい、両親の世代の曲なんで」
 そのうちの1人が、素直な、品の良い返事を返してきた。
 「家で、この曲がCDかラジオから流れてきたのを聞いたことがある」
 という。

 それがきっかけで、右側に座っていた若者たちと会話が始まった。
 「気に入っているミュージシャン」の話になった。
 会話のきっかけを作ってくれた若者の1人は、マイケル・ジャクソンを挙げた。

 年が21歳だという彼は、当然リアルタイムではマイケルのことを知らない。
 「しかし、マイケルのダンスは伝説にもなっていますから、再生画像がたくさん出回っています。それを見ながら、あのダンスをマスターしようと思ったことがあります」
 という。

 私は、アメリカのポピュラーミュージックが、マイケルの登場を機に、新しいフェーズを迎えたという話をした。

 「それまで白人文化のカウンターカルチャーとして成長してきたブルースやR&Bといった黒人音楽が、マイケルが登場した頃から独自性を失い、白人音楽と黒人音楽の垣根がなくなった。
 その理由のひとつに、それまで差別されていた黒人社会から白人をしのぐようなリッチな人たちも生まれるようになったからだ。
 そのとき、白人社会に対するプロテストソング的な意味合いも持っていた黒人音楽の尖がっていた部分が薄まり、人種を超えて楽しめる耳障りのよい音楽に変わった。
 それはソウルミュージックの終焉でもあったが、逆に黒人音楽が世界的マーケットを持つきっかけともなった。
 そういう新しい音楽の誕生を象徴する人物がマイケル・ジャクソン。
 だから、彼は “キングオブ・ソウルミュージック” ではなく、“キングオブ・ポップス” と呼ばれるようになったんだ」

 それを聞いていたマイケル・ファンの若者はこういう。
 「わかります。マイケル以前の黒人音楽は、キング牧師らの公民権運動とリンクしていましたものね」

 驚いた。
 公民権運動など、彼が生まれる半世紀ぐらい前の出来事である。
 「えっ !? どこでそんなこと学んだの?」
 思わず、そう尋ねた。
 「アメリカ史の時間で学びました」
 爽やかな答が返ってくる。

 …… この人たち、何者?
 という疑問がふと沸いた。

 そこで、
 「あなた方、どこの学生さん?」
 と尋ねてみた。
 「本郷の近くです」
 
 …… なんだよ、東大かよ !

 話を進めていくと、ものすごい知的な連中であることが分かってきた。
 マイケルファンの若者の専攻は、言語学。
 その相棒の若者の専攻は西洋古典哲学。

 「つぅーことは、プラトンとかアリストテレスとかが、テキストになるわけ?」
 と、私は古典哲学を勉強している若者に聞いてみた。
 「はい。まさにその通りです。それをギリシャ語でやってます」

 アチョー ! 
 という感じである。
 「ついこの前は、ホメロスの『オデッュセイア』を言語で読みました」
 と、彼は続ける、
 
 私もまた、ホメロスの『イリアス』と『オデッュセイア』は中学生の頃、呉茂一の訳で読んでいる。
 呉茂一の名前が出ると、
 「いい訳ですよね。格調高いし、面白い」
 と、その彼がいう。
 同感であった。
 話が弾んだ。
 

 一方、彼らは、いわゆる “全共闘世代” といわれる人たちの生活史に関心を抱いているようだった。
 ああいう熱狂の時代があったことが、自分たちの感覚ではつかめないのだという。

 「学園紛争を経験されたのですか?」
 「やっぱり政治を変えたいという気持ちをお持ちだったんですか?」
 などという質問を受けて、私は多少たじろいだ。
 しかし、彼らは興味深そうに私の顔を覗き込んでくる。

 そういう体験談を語れるような老人が、自分たちの周りにはいないという。
 自分たちの両親が青春を送ったのも、すでに全共闘運動などが終焉したあとののどかな学園だったし、運動に携わった人たちの回顧録などを読んでもピンと来ない。
 とりつくろった思想的回顧録などよりも、渦中にいた人たちが、仲間とどういう会話を交わし、バリケードのなかでどんな食生活を送ったのか。そういうドキュメントタッチの体験談を聞きたいのだという。


 
 もちろん私は、運動を積極的に推進したグループにはいなかったが、ただ、同時代の人間として、あの騒然とした空気を知っている。
 「観察者」として語れる記憶は、確かに持っている。
 彼らのリクエストに応え、自分が見聞した範囲での当時の学園闘争の状況を少しだけ語ってみた。

 「いやぁー、面白い !」
 彼らが目を輝かせてくる。

 当時の学園紛争のことは、同じ体験をした同世代の人間同士でも、まず話題に選ぶことがない。
 どちらかというと、いまだに “負の歴史” という気分がぬぐい切れないからだ。

 なのに、そういう体験談を、自分よりも40歳以上年が離れた若者が好奇心を抱いて聞いてくれるというのは、なんだかとても奇妙な気分であった。

 その店を出たあと、
 「よろしかったら、もう一軒つきあっていただけますか?」
 と彼らに誘われた。
 近くに、こじゃれたJAZZバーがあるという。
 話題はそこでも尽きることがなかった。

 別れるまぎわに、私はこの優秀な若者たちが、自分たちの将来をどう考えているのか尋ねてみたい誘惑にかられた。

 「先のことはあまり考えないようにしています」
 と1人がいう。

 その理由は、
 「世界がものすごい激動期を迎えています。昔なら5~6年のスパンで回っていたものが、今は1年単位に縮まっている。
 だから、いま何かを決めても、卒業するときにはそれがまったく通用しなくなっている可能性が高いんです。
 だから、今は目の前にある確実な目標だけに視線をフォーカスさせ、コツコツと自分の研究テーマをこなしていこうかなと … 」

 まぁ、なんと素晴らしい回答か !
 日本を舞台としているのではなく、「世界」という言葉が出てくるところがすごい。
 彼らの目指すもののスケールの広さを感じることができた。

 とにかく面白かった。
 自分の生活史や読書体験などを、喜んで聞いてくれる若者たちがいるということは、老人にとっては、この上もない愉楽。
 感謝してもし尽せないような一夜だった。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ | 8件のコメント

映画・ドラマ悪役列伝

  
  
『下町ロケット』などの最近の
ドラマでは今や悪役が “主役”

 
 最近のTVドラマを観ていると、まるで悪役の方が “主役” であるかのようなつくりになっているドラマが増えてきた。

 この12月に最終回を迎えたTBSの『下町ロケット ヤタガラス』などは、主人公の阿部寛よりも、憎まれ役の神田正輝、古館伊知郎、尾上菊之助、福澤朗などの方が生き生きとした演技を見せていた。

 池井戸潤の原作をドラマ化したものからは、よく “好悪役” が生まれる。
 たとえば、『半沢直樹』で嫌味な銀行支店長を演じていた石丸幹二。 
 このときの意地悪役のインパクトが評価され、今ではCMなどでも大活躍だ。

 『陸王』では、最初は意地悪なシューフィッターとして登場していた市川右團次が、後半では主人公側についたことで人気沸騰。ドラマが終わっても、俳優、タレントなど、本業の歌舞伎以外でも引っ張りだこだ。


 
 池井戸ドラマというのは、時代錯誤もはなはだしいほどベタな勧善懲悪ドラマだから、とにかく悪役が目立たないと、ドラマそのものが盛り上がらない。
 『下町ロケット ヤタガラス』では、普通だったら主役を張ってもいいような神田正輝や尾上菊之助が、ことさら憎々しげな表情をつくって嫌われキャラを演じたが、それぞれ見事な悪役ぶりで、私の個人的な評価は上った。


 
 
松田優作の悪役ぶりは天下一品だった
 
 主役も悪役も両方こなす名優を過去の例から探るとなると、まずその筆頭に挙がるのは松田優作である。
 彼は、『太陽にほえろ!』の刑事役でデビューして以来、主役以外に抜擢されることがほとんどなかった役者だが、1989年のハリウッド映画『ブラックレイン』(リドリー・スコット監督)においては、新興ヤクザのボスを演じて鬼気迫る名演を見せた。

 このとき、松田優作はガンに侵されていた。
 しかし、彼は延命治療を拒み、周囲にも病状を明かさず、初のハリウッド映画でもらった大役に文字通り「命をかけて」挑んだ。
 そのせいか、このときの演技は、何かが “憑依した” と思えるほど怖かった。
 まさに、「狂気」が、“人間の皮” をかぶっているというような不気味さを漂わせる演技だったのだ。

 結局これが彼の遺作となったが、私が思い出す松田優作の姿といえば、ほとんどこの『ブラックレイン』のときの悪役である。

 魅力的な悪役が生まれるかどうかは、けっきょく演じる役者の演技の幅にかかっている。
 極端から極端へ。
 温厚で誠実な人柄を演じることの上手な役者が、あるとき観客が顔をそむけたくなるような嫌らしい悪役を演じ切ったりすると、観客は役者の演技力の幅に圧倒されて、その才能に惚れ直す。 
 
 
加瀬亮の二つの顔
 
 役柄の幅の広さという意味では、加瀬亮という俳優が好きだ。
 誠実で、謙虚で、温厚で、はにかみ屋。
 そういうおとなしい役柄を演じるには、この人しかいないというほどの説得力を身につけており、事実そういうキャラクターを生かしたドラマやCMなどによく起用される(写真下 住友林業のCMに登場する加瀬亮)。

 ところが、彼は、北野武監督の『アウトレイジ』(2009年)、および『アウトレイジ ビヨンド』(2012年)では、それまでのイメージを根底から覆すほどの陰湿なヤクザを演じ切った。
 これはこれで、素晴らしい役作りだった。

 なにしろ加瀬亮が演じる「石原」というヤクザは、ケンカに弱く、小心者のくせに、頭だけはクルクル回るので、経済ヤクザとしての才覚を発揮。いつのまにか組織の上層部にのし上がっていく。
 親分にはめちゃめちゃゴマを擦る一方で、子分たちには理不尽な難癖をつけていじめ倒す。
 人間としての優しさなどどこを探しても見当たらないほど性格は冷淡。
 恩ある人々への裏切りも日常茶飯事。

 そういう、観客が顔を見るのも嫌になるくらいの憎たらしいヤクザの役を、加瀬亮は完璧といえるくらいの演技力で演じ切ったのだ。

 それを観て以来、私は優しくて誠実な役柄を演じている加瀬亮を見ていても、その演技力の底に流れているものに、すごく関心を抱くようになった。
 つまり、嫌らしいヤクザの役も温厚な青年の役も、どちらも彼の演技力がもたらしたものだとすれば、その演技の深さに敬意を表さないわけにはいかなくなった。
 

 
 
深水元基にも注目している
 
 ヤクザ映画というわけではないが、やはりアウトローの集団を描いた最近の映画で出色なのは園子温監督の『新宿スワン』(2015年)、および『新宿スワンⅡ』(2017年)である。
 
 この2作で、私が注目したのは深水元基という役者だった。
 彼は、主人公の「白鳥龍彦」(綾野剛)が所属するスカウト事務所「バースト」の最強武闘派幹部「関玄介」(写真下)という役で登場する。


 
 武闘派を任じる「関」は、対立組織がどれほど人をそろえてケンカを売ってこようが、いつもたった1人で立ち向かい、自分が瀕死になるまで戦い抜いて、相手グループにも深手を負わせる。
 187cmという長身から繰り出すパンチと蹴りの映像は、かなりの迫力を伴う。

 だが、深水元基の凄みは、それだけにとどまらない。
 本当にすごいのは、その狂気を宿した “目力(めぢから)” にある。
 「ヤバイ !」のだ。

 「ヤバイ」という言葉が本来持っていた「危険だ!」という意味と、最近の用法として定着してきた「魅せられる!」という両方の意味において、深水の演じる「関」という男の目つきはヤバイ !

 新宿の歌舞伎町あたりで、こんな目つきのこわもての男が近づいてきたら、普通の人間は、まず恐怖におびえて後ずさるか、もしかしたら、その目に魅せられて、穴のあくほど目の奥を見つめてしまうかもしれない。

 これもやっぱり、役者の演技力がつくりだした “目” であると思う。
 
 で、この深水元基氏。
 普段はこんな(↓)く穏やかな表情をたたえるごくごく普通の役者さんである。

 ただ、もともと端正な顔立ちの人なのか、戦国時代の武将の役などを与えられると、それなりにストイックできりりとした相貌を顔に浮かべる。

▼ NHKの大河ドラマ『真田丸』で福島正則の役を演じた深水元基

 
 加瀬亮も、深水元基も、まだ単身で主役を張れるほどの大きな役をもらっていない。
 しかし、いまの時代は主役に抜擢されなくても、魅力的な悪役を演じ切った役者の方が視聴者や観客のウケがよい時代になってきた。
 私は彼らの活躍ぶりに注目していく。
 
 

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ピエール・ボナール『黄昏』

 
 2018年の秋から冬にかけて、国立新美術館でフランスの画家ピエール・ボナールの展覧会が開催された。
 同じ時期に、ムンク展、フェルメール展、ルーベンス展なども開かれ、マスメディアにも紹介されて話題を呼んだ。

 それらの巨匠たちと比べて、ボナールの知名度は少し落ちるのかもしれないが、日本と関係の深い芸術家として、この画家の名前は憶えておいていいのかもしれない。
 というのは、彼が “大の浮世絵ファン” だったからである。

 ボナール(↑)が画家を目指したのは、1888年。
 絵画の修行をしているうちに、彼はパリで開かれた「日本美術展」(1990年)に足を運ぶ。
 そこで、歌川国貞、国芳、広重などの浮世絵に接し、その斬新な技法に衝撃を受ける。
 以降、ボナールは自らの画風にも浮世絵の手法を採り入れ、実際に浮世絵の蒐集(しゅうしゅう)にも力を入れるようになった。

 当時、彼は「ナビ派」といわれる芸術運動を進めていたが、その熱烈な浮世絵への傾倒ぶりを世間にからかわれ、「ナビ・ジャポナール」(日本かぶれのナビ派)などとも呼ばれたという。 
 
 
浮世絵の技法を生かした『黄昏』
 
 では、彼の描いた絵においては、いったいどんなところに浮世絵の影響が読みとれるのか。
 下が、それを示す1枚といわれている。
 『黄昏(たそがれ) クロッケーの試合』というタイトルが付けられた絵だ。

 クロッケーとは、ゲートボールに似たゲームで、1900年にパリで開かれたオリンピックで、一度だけ採用されたこともある競技だという。
 日本人にとってはマイナースポーツという印象だが、19世紀末のヨーロッパにおいては、それなりに「時代のトレンド」と見なされた遊びだったのかもしれない。

 絵には、そのクロッケーに興じるボナール家の家族たちが描かれている。
 画面左に集まった男女が、それぞれ長いスティックを持っているところから、それを察することができる。

 不思議なのは、この絵から「立体感」というものが、ことごとく排除されていることである。
 距離感は、かろうじて、絵の縦方向においてのみ示されている。
 すなわち、遠景は垂直軸の上の方に描かれ、近景は画面の下に描かれているといった案配だ。

 絵画の専門家たちは、この “平面的” な描き方に浮世絵の影響が読み採れると指摘する。
 それまでのヨーロッパの近代絵画には、こういう空間処理はなかったからだ。

 ルネッサンス以降のヨーロッパ近代絵画は、画面上のすべての線が、キャンバスの奥に設定された一点に向けて収束するという「消失点作図法」という遠近法を採用することで、立体感を生み出してきた。
 

  
  
ヨーロッパ的遠近法は近代科学から生まれた
  
 今日のわれわれは、この「消失点作図法」がしっかり守られている絵を “写実的” と評価する傾向がある。
 しかし、実は、それは人間の自然な眼の動きではなく、数学的に計算された人工的な “視線” でしかない。


 
 これは、「自然界は、数学的に計測可能である」というヨーロッパの近代科学が普及することによって生まれた “思想的な遠近感” にすぎず、絵画の歴史のなかでは、むしろ特殊なローカルルールでしかなかった。
 一般的には、浮世絵に見られるような平面的な画像空間が、西洋近代以前の世界のトレンドだったのだ。
 
 ところが、世界を数理学的にとらえる近代合理主義が西洋人の考え方に根付いていくうちに、「世界はこういうふうに見えているのだ」という思い込みがヨーロッパの芸術表現に定着し、それが近代絵画の基本的スタイルとなった。
 
 そして、この伝統的な手法が当時の西洋画壇を支配することになり、そこから外れる芸術表現はことごとく排除される傾向が生まれた。
 
 しかし、こういう西洋絵画の “約束事” は、19世紀末あたりに輩出してきたヨーロッパの若い画家たちからすると、自由な画風を縛る窮屈なものに感じれるようになってきた。
 
 そこにあらわれたのが、西洋的遠近方を無視して、自在な絵画空間を実現した日本の浮世絵であった。
 
 
浮世絵は当時のグラフィック・デザインだった
 
 日本の画家たちは、西洋で当たり前となっていた遠近感などに捉われず、自分の描きたいものには堂々と目を近づけ克明に実写し、要らないと判断したものは大胆に省く。
 色使いも自由。物のフォルムも奇抜。
 西洋の若い芸術家たちは日本の浮世絵に、今でいう “グラフィック・デザイン” 的な斬新さを感じたのだろうと思う。


 
 この時期、ボナールに限らず、浮世絵の影響を受けたフランス人画家はそうとうな数にのぼる。
 マネ、モネといった印象派の画家は、浮世絵がなければ自分たちの画風を確立することもなかったともいわれ、ゴッホやゴーギャンといった後期印象派の画家たちも、積極的に浮世絵の手法を採り入れた。
 なかでもゴッホは、歌川広重の絵を忠実に模写しているくらいだ。
 
▼ ゴッホが模写した広重の浮世絵
 
 
 
『黄昏』に描かれた人々の暗い表情の秘密
 
 ボナールは、ゴッホほどあからさまに浮世絵の痕跡を自分の画風にとどめていはいない。
 『黄昏 クロッケーの試合』という絵も、指摘を受けるまで、浮世絵との関連性を見抜く人は少ないかもしれない。

 しかし、だからこそ、この絵は、それまでの伝統的な西洋絵画とはきわめて異質の世界を浮かび上がらせている。
 もちろん、遠近感を無視した平面的描写や、グラフィック・デザインのような装飾的な技法には浮世絵の痕跡が見て取れるが、しかし、この絵には、浮世絵とは異質なアンニュイ(倦怠)とメランコリー(憂鬱)がにじみ出ている。
 
 2018年の11月24日に、テレビ東京が放映した『美の巨人たち』では、このボナールの絵を紹介し、画面左側に集められたボナール家の人々の表情が、暗く、沈んでいることに注目している。

▼ 画面左側には、ボナールの妹、いとこ、父、そして妹の夫などが描かれている

 番組の解説によると、ピエール・ボナールは、ブルジョワ階級のエリートとして生まれ、何の不自由もない生活を送りながら、自分の出自であるブルジョワ階級に嫌悪を感じていたという。
 つまり、家族の表情が、どことなく憂鬱そうで暗いのは、ブルジョワとしての贅沢な生活を何の疑問もなく送っている自分の家族たちをシニカルな視線で見つめていたからだ説明する。

 では、画面右側で楽しそうに踊る女たちは、はたしてどういう存在なのか?


 
 番組の解説によると、この5人は実在しない人たちで、「権威や虚栄が大好きなボナール家の人々に対し、生きることの本当の喜びを伝えるために描かれた架空の “聖女” たち」だという。
  
  
世紀末的メランコリー

 確かに、「なるほど」とうなづける説ではある。
 しかし、ボナール家の人々の表情に漂うメランコリー(憂鬱)は、この家族だけの属性とはいえないような気がする。
 むしろ、当時のヨーロッパ全体の空気をつくっていた “世紀末” 的メランコリーそのものではないかと思えるのだ。

   
 ボナールの生きた19世紀末は、繁栄を極めたヨーロッパ文化の衰退が人々の口からささやかれる時代でもあった。
 そういう不安感を背景に、文学や絵画の領域においては、デカダンスの匂いを放つ美学が生まれていた。
 
 パリでは、ボードレールの詩やギュスターヴ・モローの絵画。ロンドンではオスカー・ワイルドの文学やオーブリー・ビアズリーのイラスト。ウィーンではホフマンスタールの文学やグスタフ・クリムトの絵。
 これらの文学や絵画は、一様に、頽廃的な美と憂愁をその表現の中軸に据えた。
 
 それはなぜか?
 19世紀に一つの頂点を迎えたヨーロッパ近代産業の進展ぶりに、人々がようやく疲労感を抱き始めたからである。
 
   
近代産業によって激変した生活への疲労感
 
 イギリスで始まった産業革命以降、次々と生まれた新しいテクノロジーは、人々の生活と意識をガラッと変えた。
 汽車や汽船の進歩、自動車の改良、電信・電話の実用化、写真や電球・蓄音機などの発明、印刷技術の驚異的な向上。
 19世紀というのは、わずか100年の間に、人類が歴史上まれなる量のテクノロジーを獲得した時代でもあった。

 しかし、人間は、あまりにも変わり果てた生活にいつまでも耐えられるわけがない。
 19世紀末に生まれてきたメランコリーというのは、100年続いたこの驚異的な技術革新に対する人々の疲労感がベースになっている。

 『黄昏 クロッケーの試合』という絵からにじんでくるメランコリーとアンニュイも、実は、この世紀末的気分が反映されたものと解釈できる。

 その証拠に、タイトルが「黄昏(たそがれ)」なのだ。
 黄昏とは、いうまでもなく、19世紀末に訪れた “ヨーロッパ文明” の黄昏を指している。

 そうなれば、この絵画の右半分に描かれた “踊る妖精たち” もなんらかの意味を帯びてくる。
 彼女たちが実在しない人影だとすれば、それは何を象徴しているのか。


  
 
“踊る妖精” たちの正体
  
 ひとつは、来たるべき「新しい世紀」を意味する「希望」の象徴だ。
 「新しい世紀は、喜びと幸せに満ちた世紀になる」
 そういうメッセージを、この5人の女性から読み取ることも可能だ。

 しかし、この “踊る妖精たち” の上にも鬱蒼とした木立が生え茂り、木々の葉を透かして見えるのも、寂しい色に塗られた黄昏の空でしかない。
 そうなると、これは「新しい世紀」もまた憂鬱な色に染められた時代になるだろう、というペシミスティックな予感の表現となる。
 
 はたして、この絵をどう解釈したらいいものか。
 絵画を鑑賞するということは、常に思考が試される「場」に立つということである。
  
   
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三島由紀夫 ふたつの謎 その2

 
 
謎を読み解くカギは『英霊の聲』にある
  
 前回のブログで、大澤真幸(おおさわ・まさち)氏の書いた『三島由紀夫 ふたつの謎』(2018年11月初版)という本に触れた。
 ↓
http://campingcar2.shumilog.com/2018/12/21/%e4%b8%89%e5%b3%b6%e7%94%b1%e7%b4%80%e5%a4%ab-%e3%81%b5%e3%81%9f%e3%81%a4%e3%81%ae%e8%ac%8e/

 そのブログのなかで、私は『花ざかりの森』や『中世』といった三島の16歳から20歳ぐらいにかけて書いた初期短編が好きだという話を書いた。

 しかし、彼が成人してから書いた有名な作品に対しては、実は、私はほとんど感動した記憶がない。
 三島の作家的名声を確立した『仮面の告白』にしても、日本の文学史の 金字塔といわれる『金閣寺』に関しても、「永遠の青春小説」と賞賛される『潮騒』についても、「素晴らしかった !」と称える気持ちが起こらない。
 
 職業作家となってからの三島の小説は、おしなべて観念性が強く、いってしまえば “理屈っぽい” 。
 普通、小説というものは、“理屈” では割り切れない曖昧な空気感がつきまとうもので、それが結果的にリアルな感触を伝えることになるのだが、三島の代表的な小説といわれるものは、みな写真を輪郭線で切り抜き、そのまま紙に貼って並べたような奥行きのなさを感じてしまうのだ。

 こう思うのは、私だけでないようだ。
 「文学としての構築性が堅固であることは認めるものの、登場人物たちに、生きている人間の息づかいが感じられない」
 そういう感想を漏らす読者を何人も知っている。
   
 
魔物の降臨
 
 ただ、禍々しいものが降臨するといった作品においては、この限りではない。

 三島はときどき、人知を超えた「凶ごと(まがごと)」が天から降ってくるような不思議な作品を残すことがある。
 なかには、「ホラー」として書かれたものではないにもかかわらず、ホラー以上の怖さを秘めた小説を書くことがある。
 こういう作品に触れた後は、夜中にトイレに立つのも怖くなる。
 2~3日悪夢にうなされる。

▼ 『英霊の聲』

 その代表例のひとつに、『英霊の聲(えいれいのこえ)』がある。
 これは、三島の割腹自殺事件の4年前、1966年(昭和41年)に発表された小説で、戦前の2・26事件に決起して銃殺刑に処せられた青年将校たちと、特攻隊となって空に散った航空兵たちが霊となって主人公のもとに降臨し、自分たちの怨念を表明するという内容のものである。

▼ 2・26事件に関与し陸軍皇道派兵士

 悲劇の英霊たちが降臨するのだから、「凶ごと(まがごと)」などと言うと祟られるかもしれないが、大方の読者は、これを恐怖小説として読むだろう。
 
 
闇の彼方から
“凶ごと(まがいごと)” が近づく

 
 三島の「凶ごと」に対する感受性は、そうとう若い頃から養われてきたようだ。
 彼が15歳の中等科の学生だった頃、こんな詩を残している。

▼ 10代の三島

  わたくしは夕な夕な
  窓に立ち椿事(ちんじ)を待つた
  凶変の獰悪な砂塵が
  夜の虹のやうに、町並の
  むかうからおしよせてくるのを
  (中略)
  空には悲惨きはまる
  黒奴たちあらはれてきて 
  夜もすがら争ひ合ひ
  星の血を滴らしつゝ
  夜の犇(ひしめ)きで閨(ねや)にひゞいた。

  わたしは凶ごとを待つてゐる
  吉報は凶報だつた
  けふも轢死人(できしにん)の額は黒く
  わが血はどす赤く凍結した ………… 。

 不吉な色合いに染められた詩篇である。
 15歳の少年が見つめる世界にしては、あまりにも暗い。
 しかし、闇の中をつんざくように、何ものかが迫りくるときの怖さは見事に捉えられている。

 三島由紀夫という作家は、このように日常性の膜を突き破って、この世ならぬものが降りて来るとき、それをリアルに感受する能力が生まれる人だったのかもしれない。

 実際、あまり知られていないかもしれないが、三島はホラー小説の名手でもある。
 『雛の宿』、『切符』、『孔雀』といった怪談味の濃い小説はもとより、エッセイ風の “私小説” といわれる『荒野より』などという作品においても、日常性の裂け目からただならぬ空気が漏れてくるのを感じることできる。
 
 
『英霊の聲』のリアルさは
どこから来るのか?

 
 そのようなホラー的迫力がもっとも突出しているのが、前述した『英霊の聲』である。
 厳密にいうと、これはホラーというよりも政治的メッセージを盛り込んだ思想小説の部類に入るが、奇怪な出来事をダイナミックに描写していく三島の筆力は驚嘆に値する。 

 書き出しは、こうだ。

 「浅春のある一夕、私(三島と思われる架空の人物)は木村先生の帰神(かむがかり)の会に列席して、終生忘れることのできない感銘を受けた。
 その夜に起こったことには、筆にするのが憚られる点が多いが、能うかぎり忠実にその記録を伝えることが、私のつとめであると思う。……」

 その会場で、「木村先生」が石笛を吹き鳴らすと、やがて霊媒を務める盲目の青年の顔に変化があらわれ、突然、手拍子を打ったり、歌をうたいはじめる。

 「木村先生」は、そこで「いかなる神にましますか?」と問う。
 すると、霊媒の口を通じて、
 「われらは裏切られた者たちの霊だ」
 という答が返ってくる。
 
▼ 2・26事件に関わった兵士たち

 
 それは、昭和11年に起きた2・26事件で、鎮圧されて処刑された陸軍皇道派の青年将校たちの霊だったのだ。
 自分たちは天皇への忠義をしっかり果たすために、それを妨げる奸賊たちを撃ち滅ぼしたつもりであったが、逆に天皇の怒りを買い、死を賜ることになった。そのことが悔しくてならない。
 それでも、陛下が「神」であるならば、まだ私たちも納得がいこう。
 でも、陛下は、戦後ただの「人間」になってしまった。
 私たちの死は、犬死になった。
 
▼ 白馬にまたがる戦前の昭和天皇

 
 「などて すめろぎは、ひととなりたまひし !」
 (なぜか、天皇は、人間になってしまった)
 英霊たちは、霊媒師の口を借りて、そう叫ぶ。
 
 2・26事件の将校たちの声が弱まっていくと、今度は神風特別攻撃隊の英霊たちが降臨する。
 彼らもまた、自分たちは米軍空母に体当たりして、命と引き換えに陛下をお守りしようとした。
 それは陛下が「神」であったからこそ、できたことだ。
 なのに … 「などて(なぜか) すめろぎ(天皇)は、ひと(人間)となりたまひし !」
 
▼ 日本軍航空機

 今度のリフレインは家中を揺るがすほどの大合唱となり、居合わせた人々はその怨嗟の迫力に声を出すこともできず、じっとうずくまるほかはなかった。

 英霊たちが次第に退いていくと、霊媒を務めた青年はそのまま床に倒れ込み、息を引き取った。
 その死顔は、もはやどこの誰とも判らぬ、何者かのあいまいな顔に変貌していた。

 要約すると、これだけの話なのだが、全編を通じて読者を圧倒するデーモニッシュな霊たちの描写には、息をのむような怖さが宿っている。
 
▼ 「人間宣言」後の天皇
 
 
 
死んだ青年将校たちが三島に憑依した?
  
 実際に、これを書いたときの三島は異様だったといわれている。
 ネット情報(Wikipedia)には、三島の母の倭文重(しずえ)が、三島から『英霊の聲』の原稿を渡されたときの回想が紹介されている。
 
 「(息子の三島由紀夫から)『昨夜一気に書き上げた』と渡された原稿を一読して、私は全身の血が凍る思いがした。
 どういう気持から書いたのかと聞くと、ゾッとする答が返って来た。
 『手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々から低いがぶつぶつ言う声が聞える。大勢の声らしい。耳をすますと、2・26事件で死んだ兵隊たちの言葉だということが分った』
 怨霊という言葉は知ってはいたが、現実に、息子に何かが憑いているような気がして、寒気を覚えた」
  平岡倭文重(ひらおか・しずえ) 『暴流のごとく――三島由紀夫七回忌に』
 
 同じような話は、三島の親友であり、文芸評論家の奥野健男も書き記している。
 
 「『英霊の聲』を読んだとき、三島が2・26事件の首謀者の一人である磯部浅一の霊に憑依されていたのではないかと感じた。
 その昔、三島宅に夫婦ともども訪れ、澁澤龍彦夫妻などと一緒にコックリさんをやっていたとき、不意に三島が『2・26事件の磯部の霊が邪魔している』と大真面目につぶやいたことがあったからだ」
 
 こういうオカルト話はまだまだ出てくる。
 三島と親交の深かった美輪明宏も似たような体験をしている。
 美輪は、三島邸を訪れたとき、三島の後ろにカーキ色の軍服を着て、帽子をかぶった兵士が立っているのを見た。
 
▼ 若い頃の美輪(丸山)明宏

 
 三島にそのことを告げると、三島が、「どんな特徴をした男か?」と風貌などを尋ねた。
 そこで美輪は、見たとおりのことを言った。
 すると三島は、「それなら磯部浅一という将校だ」と答えて青ざめた。
 それと同時に、軍服姿の男はさぁっと消えたという。
  
 
戦後日本の惰弱な文化への嫌悪
 
 以上のような話が、どこまで信頼できるものなのか、私にはわからない。
 ただ、『英霊の聲』を書いたころの三島は、何者かに急き立てられるように、自分のやるべきテーマに邁進し始めたことだけは確かだ。

 “やるべきテーマ” とは何か?
 「日本が滅びる前に、国民にはっきり警告しなければならない」
 ということだった。
 
 『英霊の聲』のなかで、降臨した英霊たちが叫ぶ呪詛のなかに、こんなものがある。
 
  (戦後の平和な時代になってからは)、
  戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、
  夫婦朋友も 信ずるを能(あた)はず、
  いつはりの人間主義をたつきの糧となし、
  偽善の団欒(だんらん)は世をおほひ
  (中略)
  年老ひたる者は 卑しき自己肯定と保全をば、
  道徳の名のもとに天下に広げ、
  (中略)
  人々はただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば、
  人の値打は金よりも卑しくなりゆき、……
 
 ここで英霊たちは、戦後の民主主義によって成立した社会が、実は人間としてのモラルを失った、低俗な金儲け主義の社会でしかなかったことを嘆いている。
 それが、三島の心のなかから生まれてきたものなのか、それとも、ほんとうに降臨した英霊たちの声だったのか。
 そこはなんともいえない。
 
 ただ、何かが憑依したことは間違いない。
 三島自身の無意識が、脳の古層を破りながら浮上し、三島自身に憑依したのかもしれない。
  
 
戦後生まれの人間には「天皇」が
「神」であるというイメージが浮かばない

  
 彼が『英霊の聲』を世に問うた1966年。日本は高度成長期の真っただ中にいた。
 
 三島は、その経済的な繁栄によって日本から失われていくものを思い、強い焦燥感を抱いた。
 太平洋戦争で、あれほどの犠牲者を出したにもかかわらず、多くの日本人はそのことすら忘れ、日本文化の伝統に対する畏敬の念も失い、飽食と華美な風俗に酔いしれるだけの軽佻浮薄な生活を享受するようになった、と三島は思った。
 
 確かに、あの時代、三島のように、軽佻浮薄な高度成長期の文化を批判する知識人はほかにもいた。
 
 三島由紀夫は、それを、戦争中に戦死した兵士(英霊)たちの声として語らせたわけだが、ただ、私自身はこのような三島の論の進め方に、多少疑問を持つ。
 太平洋戦争で死んだのは兵士たちだけではないからだ。
 広島、長崎に投下された原爆による被害者はもとより、空襲で亡くなった民間人も多い。
 戦争の犠牲者となった民間人はどうなのか?
 
 三島は、そのことについて、多くを語らない。
 私は、そこに三島理論の限界を見る。
  
 そして、「天皇が人間宣言した」ことを三島は “英霊の聲” という形をとって呪詛するわけだが、私が思うに、この理論そのものがグロテスクである。
 
 天皇が「神」であった時代を知る三島にとっては、天皇が「人間」になったことに対する嫌悪があるのかもしれないが、私のように戦後に生まれた人間は「神」であった天皇そのものを知らない。
 だから、「神としての天皇」というイメージが成立しにくい。
 そういう状況を頭のなかに思い浮かべようとすると、もうそれがグロテスクなものに変貌していく。 
  
   
「ヒューマニズム(人間主義)」という虚妄
「生命尊重」という思想の偽善

  
 ともあれ、『英霊の聲』を書き終えた頃の三島は、戦後思想のすべてに耐えられなくなってきたようである。
 彼は、戦後民主主義の世で、金科玉条のように称えられる「ヒューマニズム」というものが、人への礼節を失った “うわべだけの人間主義” であることを見抜き、「命の価値を大切にする」などというスロガーンが、結果的に「生きるための緊張感を失った惰性的生活」を強いるものでしかないことを見破っていた。

 この小説を書いたあと、三島はこういう。
 「現代日本の飽満、沈滞、無気力には苛立たしいものを感じていたが、『英霊の聲』を書いたことによって、生き生きとした自分を取り戻せたような気になった」
 つまり、「まやかしに満ちた戦後日本を呪詛することを自分の使命とした」ということなのだろう。

 それを理論化するように、1968年には、昭和元禄の退廃的な文化風潮をいましめる『文化防衛論』が執筆される。
 ここで三島は、クーラー、カー、カラーテレビ(3C)という耐久消費財を揃えることだけが幸せにつながるという薄っぺらな高度成長を批判し、戦後の安手な生命尊重主義や、欺瞞的な平和主義を攻撃する。
 
 
天皇は「みやび」の文化である
 
 そういう批判軸の中心に三島が据えたのが、「文化概念としての天皇」というビジョンであり、彼はそれを「みやびの文化」と表現した。
 ただし、その「みやび」とは、優雅な日本文化の象徴という側面を持ちつつも、いざ国と民族が危機に直面したときは、テロリズムという形態さえとるものとされた。

 そして、同年(1968年)、その “みやびな日本文化” を守るための三島の私兵ともいえる「盾の会」が結成される。
 2年後(1970年)、ついにあの事件が起こる。 
  
▼ 盾の会

 
 
70年大阪万博でガラリ
と変わった日本の空気

 
 1970年というのは、不思議な年であった。
 この年を境に、全国規模で広がっていた学園闘争は退潮期を迎え、かわりに、若者たちの過激な活動は成田空港反対運動や赤軍派による「よど号ハイジャック事件」というように学外に拡散していった。

 同時にまた、“政治闘争の終焉” を予感させるものが世の中の空気をつくり始めていた。
 1970年というのは、「大阪万博」の年でもあったのだ。
 大阪・吹田市の千里丘陵には、岡本太郎が設計した太陽の塔が建ち、アメリカのパビリオンでは、アポロ11号が月から持ち帰った「月の石」が飾られ、三波春夫の歌う “万博音頭” がテレビ・ラジオを通じて日本中に流れた。

▼ 70年大阪万博

 
 そういう情景を、「新しい時代が到来した」と好意的に回顧する人々は多い。
 生物学者の福岡伸一氏などは、10歳ぐらいのときに接した70年大阪万博に感動し、
 「学生運動ばかり続いた暗い時代を、あのイベントが吹き払ってくれた」
 と、そのときの気持ちを週刊文春の連載エッセイに綴っている。
  
 事実、1970年を境に、時代の空気は変わった。
 自動車や家電といった日本の産業がこの頃から世界進出を果たし、豊かな生活を背景に、人々の顔も明るくなった。

 ただ、三島由紀夫だけは、それを「日本文化の衰退」と感じていた。
 実際、その先には、やがて80年代の狂乱バブルが待ち受けており、バブルの清算のために、その後日本は “失われた20年” を経験しなければならなくなる。
 
 三島がそこまで見通していたかどうかは別としても、彼は、70年大阪万博を
「欺瞞的な平和と、底の浅いヒューマニズム、むき出しの欲望賛歌にまみれた “愚者の祭典”」
 と感じていた。
 彼はもう “決起” するほかはなかったのだ。
 
▼ 自衛官に呼びかける三島由紀夫

 
 
三島の自決という「謎」は、どう解く?
 
 しかし、最後の疑問が残る。
 三島由紀夫は、決起したあとに、なぜ割腹自殺を遂げなければならなかったのか。
 自死することで、自分の政治的メッセージを、より印象深く、より鮮明に国民に訴えたかったという意図があったかもしれない。
 とりあえず、そう解釈することも可能だが、それだけでは釈然としない。

 答は、やはり『英霊の聲』にあるのではないか?
 三島は、天皇が人間宣言を行ったことによって魂の行き場所を失った英霊たちを、自死によって鎮魂させようとしたとは考えられないか。

 実際、『英霊の聲』などという小説は、三島の割腹事件と関連付けられることによって、はじめて意味を持つ作品となる。
 彼の死後にあの小説を読んだ読者は、昭和の惰弱な文化を呪う英霊の1人に、三島本人を加えるかもしれない。

 あるいは、英霊たちの声を伝えたあとに息を引き取った霊媒師の青年に三島の影を投影することも可能だ。
 作品の最後に、霊媒師の死顔は、「もはやどこの誰とも判らぬ、何者かのあいまいな顔に変貌していた」と書かれているのだが、その顔が三島の顔であっても不思議ではない。

 通説では、「霊媒師の顔は昭和天皇の顔になっていた」とされている。
 それを最初に見抜いたのは瀬戸内晴美(寂聴)で、彼女はそのことを指摘した手紙を三島に送ったところ、「ご炯眼に見破られたようです」という三島からの返事があったといわれており、大方の説は、英霊たちの怒りが天皇に届いたいう解釈に収まっている。

 しかし、「何者かのあいまいな顔」で死んでいった霊媒師が、実は三島の顔であったとすればどうか?
 三島は、
 「お前たちの行き場のない魂は、俺の死によって鎮魂させてもらう」
 というメッセージを彼らに返したのかもしれない。

 いかん、いかん !
 こういう解釈をすること自体が、またしても、「謎をもっと深めてやろう」という三島の企みにハマってしまうことになる。

 昔、この謎に関して書いた記事がある。 
 もし、ご興味とお時間がある方は、こちらをどうぞ
 (↓)
 『三島由紀夫の謎』
http://campingcar.shumilog.com/2009/09/25/%e4%b8%89%e5%b3%b6%e7%94%b1%e7%b4%80%e5%a4%ab%e3%81%ae%e8%ac%8e/
 
 

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三島由紀夫 ふたつの謎

 
 大澤真幸(おおさわ・まさち)氏の『三島由紀夫 ふたつの謎』(2018年11月初版)を読んだ。
 「謎」というタイトルが付けられているように、これは “謎解き” の本である。

 三島由紀夫は、なぜ自衛隊駐屯地に押し入り、その場で「切腹」するという時代錯誤的な “愚行(?)” に踏み切ったのか?
 そして、彼の代表作である『豊穣の海』において、なぜそれまでのテーマを、最後のたった数ページで “無にしてしまう” ような、あの奇妙な結末を思いついたのか?

 第一の謎とされる三島の自決は、1970年11月25日。
 第二の謎である『豊穣の海』の脱稿も、ちょうど同じ日。
 その両者が深く結びついていることは、もうそれだけで明瞭である。
 大澤氏は、この二つの「謎」の関連性に着目し、それこそ推理小説の手法で読み解いていく。 

 ただ、その二つの出来事からすでに50年近い歳月が流れているので、今の若い人たちは、事件のことも、『豊穣の海』という小説も知らないかもしれない。
 私も、三島由紀夫という作家の本を最後に手にしてから、もう30年ぐらい経っているので、「過去の人」という印象をぬぐい切れない。

 にもかかわらず、「三島由紀夫・謎」などという言葉が表題に使われる本が書店の新刊書コーナーに飾られると、ついつい手に取ってしまい、レジに向かってしまうのだ。
 それほど三島由紀夫という存在は、私にとって、あいかわらず「永久に解けない謎」として、記憶の一角に住み続けているといってよい。
 
 
 で、大澤氏の著作を読み、三島に関する “ふたつの謎” は解けたのか?
 
 「解けなかった !」
 というのが正直な感想である。
 
 もちろん、大澤氏は、最終章のところで、表題に掲げた「ふたつの謎」をそれなりに解明している。
 「お見事 !」
 とは言えないまでも、「ありうる!」という手ごたえを感じさせる結論になっている。

 しかし、三島由紀夫の残した「謎」はあまりにも大きく、一人の学者や一人の評論家ぐらいの考察では、とてもその全貌に迫れないということも露呈してしまった。
 つまり、大澤氏の導きによって、「三島の謎」を解明する手掛かりを得られたつもりになっても、読み終わって本を閉じると、けっきょく読者はさらに大きな「謎」がグゥワ~ンと口を開けているのを見ることになる。
 
 でも、それでいいのだろう … とあらためて思った。
 「謎」というのは、人間に知的好奇心をもたらす最大の力となる。
 「謎」があるからこそ、それを解明したいという意欲が沸き起こり、そこに推理力や想像力といった人間の知的エネルギーが結集してくる。
 人間の「知的財産」のもっとも偉大なるものは、「謎を感じる感性」である。
 
 
私の1970年11月25日の記憶
  
 三島由紀夫が、“謎” の割腹事件を起こした1970年の秋、私はちょうど20歳だった。
 全国規模で広がっていた学園闘争がどこの大学でも退潮期を迎え、かわりに、成田空港反対運動や赤軍派による「よど号ハイジャック事件」といった、学外における若者の過激活動が盛んになっていった時代であった。

 その日、学園の芝生広場に昼休みを求めて集まっていた学生たちの間に、この衝撃のニュースはいち早く伝わった。
 「三島由紀夫が自衛隊の市谷駐屯所のバルコニーから自衛隊員たちを見下ろし、決起を呼びかけている」というウワサは、人の口から人の口へと、伝言ゲームのように拡散した。
 その段階では、まだジョークともとれる余裕もうかがえて、それを聞いた学生たちの間には失笑も漏れた。

 しかし、その後、三島が割腹を遂げたという情報が入ってきたときには、さすがに誰もが言葉を失った。

 それからしばらくの間、テレビニュースも新聞報道もこの事件一色に染まったが、三島がなぜこのような行為に及んだのかを解明する報道は、ついぞどこからも発信されることはなかった。
 文学者も、政治学者も、社会学者も三島の気持ちに踏み込むことは不可能であったからだ。

 もし三島が、若い頃から皇道主義を掲げるバリバリの右翼であったなら、彼のクーデターは誰にとっても、もっと理解しやすいものになっていただろう。
 しかし、彼の思想が、そもそもは天皇崇拝主義でも右翼でもなかったことは誰もが知っていた。(小説など読む習慣のない一部の右翼の人だけは真に受けていたが … )
 
 彼は自衛官たちに檄文を飛ばし、ビラも巻いたが、そこに書かれたお粗末な政治的メッセージが、彼がこれまで培ってきた文学的営為をまったく受け継いでいなかったことは誰にも明白だった。

 だから、みんな首をかしげたのである。
  
  
三島は西洋的教養に溢れた人だった
  
 特に、私の知っている三島由紀夫は、「天皇陛下万歳 !」的な国粋主義思想の対極にいた人であった。
 彼は、少年時代からレイモン・ラディゲ、ジャン・コクトー、ボードレールといったフランス文学になじみ、オスカー・ワイルドやエドガー・アラン・ポーといった英米文学にも親しみ、さらにトーマス・マン、ニーチェといったドイツ文学や哲学にも精通した西洋的教養に満ち溢れた人物だった。

 私もまた少年時代にエドガー・アラン・ポーやオスカー・ワイルドといった西洋の耽美小説を好んでいたから、三島由紀夫の文学指導は、読むべき本を常に案内してくれるだけでなく、進むべき道を照らしてくれる羅針盤であった。
 
 
 
 彼が、「三島由紀夫」というペンネームを最初に使った初期短編『花ざかりの森』を書いたのは16歳のときだったといわれている。
 太平洋戦争が始まった年(昭和16年)であった。
 この小説を私が読んだのは、中学3年のとき。15歳の春だった。
 
 わずか1歳の違いでしかないのに、三島の文章の成熟度やその技法の巧みさには、同じ人間とは思えぬような凄みを感じた。
  
 
処女作『花ざかりの森』に
溢れるロマン主義の香り
 
 
 なによりも驚いたのは、その筆致から伝わってくる円熟味だった。
 詩的な優雅さがあり、抑制の効いた静謐感があり、どこかメランコリックな文体だった。
 そして、「常に、ここではないどこか」をイメージさせるフレーズが漂っていた。

 巻頭に添えられたエピグラフ(銘句)が洒落ていた。
 
   かの女は森の花ざかりに死んでいつた。
   かの女は余所(よそ)にもつと青い森があると知つてゐた。
   (堀口大學 訳)
 
 そういう2行が、冒頭を飾っていた。
 ギイ・シャルル・クロスという詩人の作った「小唄(シャンソン)」の一節らしい。
 何を言っているのか、よぉ分からなんのだが、とにかく「ここではない、どこか」という空気感が伝わってきた。
 「余所(よそ)にある青い森」が何を意味するのか不明であるけれど、その場所というのは、とにかく今いる場所から遠く離れていて、ひょっとしたら、人間は到達することもできないかもしれない、という含みを持ったフレーズに感じられた。
 
 この「ディスタンス(距離)」の感覚こそ、ロマン主義的イデオロギーがもっとも色濃くにじみ出るところであると、よくいわれる。

 こういうお洒落なエピグラフを冒頭に置く『花ざかりの森』というのは、ほんとうに美しい小説だった。
 
 書き出しは、こんな感じである。
 
 「この土地へきてからというもの、わたしの気持には隠遁ともなづけたいような、そんな、ふしぎに老いづいた心がほのみえてきた。
 もともとこの土地はわたし自身とも、またわたしの血すじのうえにも、なんのゆかりもない土地にすぎないのに、いつかはわたし自身、そうしてわたし以後の血すじに、なにか深い聯関をもたぬものでもあるまい。そうした気持をいだいたまま、家の裏手の、せまい苔むした石段をあがり、物見のほかにはこれといって使い途のない五坪ほどの草がいちめんに生いしげっている高台に立つと、わたしはいつも静かなうつけた心地といっしょに、来し方へのもえるような郷愁をおぼえた。
 この真下の町をふところに抱いている山脈にむかって、おしせまっている湾が、ここからは一目にみえた。朝と夕刻に、町のはずれにあたっている船着場から、ある大都会とを連絡する汽船がでてゆくのだが、その汽笛の音は、ここからも苛だたしいくらいはっきりきこえた。
 夜など、灯をいっぱいつけた指貫(ゆびぬき)ほどな船が、けんめいに沖をめざしていた。それだのに、そんな線香ほどに小さな灯のずれようは、みていて遅さにもどかしくならずにはいられなかった」
 
 確かに、16歳の三島が多少背伸びした感じも伝わってくるが、それでもこれはもう少年の文ではない。
 ここに漂う典雅なアンニュイは、多少人生に疲れを感じてきた大人のアンニュイであり、子供の背伸びの域を超えている。


 
 また、高台から海を見下ろす視線には、まったくの陰りがなく、あたかもギリシャの断崖に立って、地中海でも見下ろしているような透明感が感じられる。
 このあたり、三島が幼くして読んでいたギリシャ古典などの影響があるかもしれない。
  
 
デカダンスの美学を貫く『中世』
  
 『花ざかりの森』という短編集には、三島が若いころに書いたいくつかの作品も収録されていた。
 そのなかには、『岬にての物語』、『軽王子と衣通姫』などという短編があったように記憶している。
 なかでも衝撃を受けたのは、『中世』という小説だった。

 これは、息子の足利義尚を亡くした老いた足利義政を主人公に、彼の周りにいた能楽師、禅僧、巫女などを絡ませた中世絵巻ともいえる作品だが、物語の中心となるのは、「菊若」という女に見まごうばかりの美少年の能楽師である。

 菊若は、義政とその子義尚の2代に寵愛され、さらに霊界禅師という僧からも懸想され、綾織という巫女からも愛される。

 この菊若をめぐる人間たちの濃密な情念が、ブラックホールのように闇夜の奥で渦巻く様子が、実に恐ろしい。
 
 しかし、この恐ろしさの底には、人を酩酊させる美しさが沈んでいる。
 背徳的で、頽廃的。
 人を狂気にいざなうようなデカダンスの美学が、小説全編に漂っている。
 
 この小説は、三島が20歳のときに書いたものだと言われている。
 彼はそのとき、中島飛行機に勤労動員されながら、寸暇を惜しんで執筆していたそうだ。
 「やがて自分にも赤紙(召集令状)が来る」
 三島は、その日が来るのを覚悟し、「遺書のつもりで書いた」といわれている。

 この小説の鬼気迫る迫力は、そういう「死を意識した日々」がもらたしたものかもしれない。

 三島由紀夫については、もう少し話してみたい。
 次回もこの話題の続きから始める。
  
  

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インスタにハマっているのは誰だ?

   
 いまスマホを使っている人口のなかで、インスタグラムを活用している人の比率はどのくらいなのだろうか。

 自分はインスタどころか、LINEにも、Facebook にも関心がないので、そういうことにまったく疎いのだけれど、知り会いに聞いたら、「今の若者の大半は当たり前のようにインスタを楽しんでいて、おそらく70~80%の若者はインスタ “常習者” である」という。

 ほんまかいな … ?
 と思って、街を歩くときに少し周囲を注意してみたが、たしかに、レストランに入ってもラーメン屋に入っても、みな食べる前にパシャパシャと写真を撮っている。

 誰もが自分の健康チェックのために、「何月何日の昼飯は豚カツ 910Kカロリー」とか記録しているわけでもないだろうから、そういう画像はやっぱりインスタにアップする目的で撮っているのだろう、とにらんだ。


  
 
インスタは日本の文化を変えた
  
 すごいもんだな … と、そういう光景を眺めて感心した。
 インスタは、「日本の文化を変えた !」感すら漂う。 
 だって、ラーメンだろうが、スイーツだろうが、絶景スポットだろうが、みんな対象をじっくり観察するのではなく、とりあえずスマホを取り出して、バシャバシャ撮ることだけが目的になってしまったんだからな。
 「見たり」「食べたり」という本来の目的はどこに行ったのよ?
 … という感じだ。

 で、ちょっと気になって、ネットで調べてみたら、「年代別SNS利用状況」というデータを掲載しているページがあった。
 それによると、20代のSNS利用率は、
 ツィッターが63.6%。
 インスタグラムが50.0%。
 フェイスブックが47.7%だとか。
 2017年のデータだそうだが、その地点で、すでにインスタがフェイスブックを超えているのだ。

 いったい、なぜ若者は、インスタにハマってしまうのか。
 その答を求めてネットをさまよっていたら、「平成生まれ」の2人のインスタ世代の女性に、「昭和生まれ」の1人の女性記者が取材した記事が掲載されていた。

 それによると、インスタの魅力は、その気楽さにあるという。
 取材に応じたインスタ世代の女性2人は、それまではツィッターをやっていたけれど、最近はほとんどインスタだけしかやらないとか。
 理由は、
 「ツィッターは文字を書かないといけないけれど、インスタは画像だけでもいいから」
 … なのだそうだ。
 
  
人間見た目が一番 !
 
 さらに、その女性の1人から、こんな発言も。

 「SNSで自分の情報を発信するときは、みんな “自分をよく見せたい” という気持ちがあると思う。
 そのとき、フェイスブックは、“私って意識高いでしょ?” というようにマインドに焦点を当てる。
 それに対して、インスタはあくまでもビジュアルが主体。見た目がいかに美しいかということが一番重要」

 そのときに、リアルなものは “排除” される。
 生活臭が強すぎたりするものは、「汚いもの」。
 だから、「自分の美意識」はそういう実生活とはほど遠いところにある、ということを人に見てもらいたいので、それがうまくいった画像を「インスタ映え」という言葉で表現しているとも。
 
 
欲しいのは「いいね!」の数だ
  
 そのときに、自分と一緒に画面に映る人も重要になってくる。
 若い女子にとって、隣に並んでくれる男性は “単にイケメン” というだけでは不十分なのだ。
 「普通のイケメンよりも、さらに顔立ちがはっきりしていて、お洒落な人」
 つまり、画像を送られてきた友だちが、
 「いやだぁ、カッコよすぎ !」
 と、思わず嫉妬してしまうくらいのイケメンが望ましいのだとか。
 
 インスタ世代は、そこまで神経をつかって、いったい何を求めているのだろうか
 
 「いいね !」の数だという。
 たとえば、「みんなが行きたい場所にいち早く行って写真をアップしたりすれば、あっという間に『いいね!』が集まってくる」。
 そのときの快感は、味わった人でなければ分からないとも。
 

 
 こういうのを、巷では「自己承認欲求」というのだろうな。
 いわゆる “人に認めてもらいたい願望” というやつだ。
 
 
人間の最強の欲望
 
 人間には、さまざまな「欲望」がある。
 食欲、性欲、睡眠欲とか。
 そういうのは、もちろん動物にもあるけれど、動物の「欲」は満たされた段階でひとまず収まる。
 
 ところが、人間の場合は、その「欲」がどんどんエスカレートしていく。
 食欲が満たされると、お腹がいっぱいになっても、「次はもっとうまい物を食いたい」という気持ちが起きる。
 性欲が満たされても、すぐさま、「次はもっと美人と寝たい」とか、「イケメンに抱かれたい」とか、頭の中で妄想がふくらむ。

 そういう際限なく湧いてくる人間のあさましい「欲」を、動物の「欲求」と区別するために、「欲望」という言葉を使う人もいる。
 
 で、人間のあらゆる欲望のなかで、最後にたどりつくのが、
 「誰かに認められたい !」
 という、自己承認欲求なのだとか。
 
 この欲望は人間の欲望のなかでも、もっともピュアなものだといわれている。
 ただし、この欲望が最上位にくると、たとえば、知識を満たしたい欲望とか、人に優しくしたい欲望とか、平和を望みたい欲望とか、そういう理想主義的な欲望はすべて、遠くの方へ押しやられてしまう。
 
 で、インスタグラムというのは、この「人に認めてもらいたい」という、人間の最もピュアな欲望を全面開放した “装置” なんだろうな、と思うのだ。
 言葉は悪いけれど、究極の「ひけらかし」装置ね。  
 
 それは人間の最強の「欲望」だから、誰にも止められない。
 神様も、社会も、親も、先輩も止められない。
  
  
インスタをやるのは、実は意外な人々 
 
 そういう人間心理を反映してか、ネットを覗いていると、インスタづくりのノウハウを指導する記事がたくさん掲載されている。
 「ハッシュタグをどうするか」
 とか、 
 「プロフィール写真はどうすればいいのか」
 とか、いろいろなアドバイスが掲げられているけれど、ハッシュタグといわれてもハッシュドビーフぐらいしか思い浮かばない私には、「それってハヤシライスの新メニュー?」ってな調子で、もうチンプンカンプンである。

 で、驚いたことに …
 あるサイトでは、「インスタをやる女性たちは、若い子よりもオバサンの方が多い」という情報を掲げていた。
 2017年度のデータらしい。
 
 その調査によると、まず20代の “インスタ率” は50%という数値が公表される。
 それに対し、40代~50代女性のインスタ率はまだ低いながらも、前年比288%アップだとか。
 
 この伸び率に、女性たちの「年齢別人口分布」を考慮してみる。
 すると、20代女性の人口は610万人。
 それに対し、40代は905万人。50代は789万人。
 
 つまり、40代と50代合わせて1,694万人のオバサンたちが、今後 “インスタ常習犯” として名乗りを上げてくる可能性があるのだ。
 この世代は、世にいう「バブル世代」だから、華やかな文物に囲まれることが好き。
 ディスコなどで男たちの視線を集めてきたという自信もある。
 
 
最後はオバサマの勝利だ

 このデータをアップした管理人は、こう述べている。
 「とにかく、若い女性よりも、オバサマの方がお金を自由に使える。海外旅行に行く余裕も生まれるし、いいものも食べられる。50歳超えると子供は手を離れるので、時間もたっぷり。要するにリア充なのです」

 豊富な資金力を背景に、今のオバサンたちは「美魔女」を目指してアンチエイジングに励む。
 鏡を見て、「けっこう私まだイケてるかも …」
 なんてつぶやくオバサンも増えているのだろうな。
 
 そして、潤沢な資金を利用して、
 海外旅行
 グルメ
 インスタの材料にはこと欠かない。
 
 「平成」という時代が終わっても、次の時代は、(しばらくの間)こういうオバサンたちが、時代の空気をつくっていうことになるのだろう。
 
 

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あおり運転殺人 石橋被告の内面

 
 テレビネタで恐縮だが、東名高速で「あおり運転」を繰り返し、結果的に事故を誘発させて、夫婦2人を死亡させた石橋和歩(かずほ)被告の事件報道に接して、少し複雑な気分になっている。

 地裁の裁判長が下した処罰は「懲役18年」。検察側の求刑より5年ほど短い判決となった。
 当初、「たった18年?」と思った。
 石橋和歩被告の招いた事故の悲惨さに比べ、懲役18年は軽すぎるという印象を持ったのだ。

 しかし、その後、この判決に対する感想をネットで拾ってみると、そこに渦巻いている声の過激さに辟易(へきえき)とした。

 「殺人罪で死刑にせい」
 「こういうやつには死刑すら生ぬるい」
 「いっそ秘密裏に抹殺してほしい」
 「死刑にするにしても、そこに至るまでは税金がかかる。そんな無駄な税金など納税者として払いたくない」
 「こういう凶悪犯の人格形成には家庭環境が影響している。親もいっしょに厳罰に処すべし」

 これが一般の “庶民感情” なのかと思うと、さすがにやるせない気分になった。

 私も、この被告に対する処罰はぬる過ぎるという印象は持ったけれど、ここまで過激な発言をする気分にはなれない。

 ここまでいくと、もう “いじめ” に近い。
 書き込んでいる人たちは、「正義の味方」や「天下のご意見番」のふりをして、けっきょく自分の憂さを晴らしているに過ぎない。
 それなら、あおり運転で自分の怒りを発散させた石橋被告の心情とどこが違うというのか。

 
 ネット情報を見ると、石橋和歩被告の来歴も少しずつ分かってきた。
 どこまで信ぴょう性のある情報か分からないが、つい最近まで、彼は地元の仲間たちから「いじめ」を受けていたという。

 「ガタイは大きかったけど大人しい子だった」
 「とにかく喋らない子」
 「この辺は中高でグレる子が多いけど、髪も染めず、近所の学校に普通に通っていた」
 などという知人たちの証言も載っていた。

 高校2年生のときに、彼の両親が離婚。
 母親との2人暮らしが始まり、同時に、高校も中退したらしい。
 その母親に稼ぎがなく、石橋被告が建設会社に勤めて生活費をねん出することもあったが、その額をめぐって母親との口論も絶えなかったという。

 事件後、彼は職場から解雇を通告され、母親もマスコミや周辺住民と接触するのをいやがり、今はゆくえをくらませているとも。
 なんとも悲劇性の濃い話だ。
 
 
 あるネット情報では、次のようなエピソードも記載されていた。

 「石橋被告の小学生時代の卒業文集にはこんな言葉が綴られていました。
 好きな授ぎょう ありません。
 あこがれの人 いません。
 しょうらいの夢 ありません。
 図工の時間、どうやっていいのかわからなかったので、なんにもしませんでした」

 こういうネット情報が事実だとしたら、彼はすでに小学生時代から “心の空洞” を抱えていたことがわかる。
 普通の子供なら、「将来の夢」など考えたことがなくても、なんとかウソをでっち上げてその場をとりつくろうものだ。
 石橋被告は、すでに小学生の頃からそういう気力も知力も持ち合わせていなかったのだ。

 こういう彼の心の空洞を覗いてしまうと、彼のしでかした犯罪を「死刑だ!」などと糾弾する前に、
 「どうしてこういう “心” が生まれてしまうのか?」
 そっちの方がよほど気になる。

 それは家庭環境のせいなのか?
 教育のせいなのか?
 持って生まれた精神的脆弱さのせいなのか?

 そんなことはまったく見当もつかないが、彼が高速道路上で死なせてしまった夫婦2人だけでなく、彼自身も被害者のように思えてくる。
 そこには、現代日本が抱え込んでしまった、さまざまな「貧困」が露呈している。

 貧困の実態は、多岐にわたる。
 はっきり分かっていることは、日本全土にいろいろな格差が広がっているということだ。
 まず経済格差があり、それが教育格差に結びつき、そこから知的格差、文化格差といったさまざまな格差につながっていく。

 石橋和歩被告は、最低限の生活レベルまで落ち込んでいたわけではなさそうだが、(… 差別的な言い方になるかもしれないけれど、)格差の底に近い文化環境で暮らしていたように思える。

 どうしてそう思うのか。
 マスコミなどが伝えてくる彼の言動や表情の平板さを見るかぎり、幼少期の人格形成の段階で、彼が(親や学校も含む)環境面での文化的恩恵から遠ざけられていたことが推測されるからだ。

 彼の言動・表情には「情緒性」というものがまったく見当たらない。
 いま自分の身に何が起こっているのか、それを把握する能力もなさそうだ。
 
 しかし、それは彼固有の “人間性の欠如” を意味するものではない。
 “人間性” を学習できるような機会が、彼の生活環境にはなかったということなのだ。
 たとえ彼の知的・情緒的能力に瑕疵(かし)があったとしても、親や教師や学友たちには、それをケアする注意力も愛情も欠如していたということだ。

 同じ構図が、彼を「死刑にしろ !」「秘密裏に抹殺しろ !」というネットにおける誹謗中傷にも見て取れる。
 そう声高に発言する人々もまた石橋被告と同じように、「知的・情緒的能力」を身に付ける環境から疎外された青春を送ってしまったのだろう。

 「あおり運転」を社会的に追放する意味においても、刑法的にはもう少し量刑が重くてもかまわないとは思うが、そのことと、この被告の悲惨な内面を想像することは別の問題である。
 この事件の報道に接し、今は多少は被告に対して同情的な気分になっている。

 

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「平成」とは第二の「大正」である

  
 1年の最後に、その年の世相を表す漢字というものが決まる。
 今年は「災」であった。
 なんかいやな漢字だな、とは思うが、これは20万票ぐらいの公募によって決まるのだから、世の中の多くの人が、「災」という言葉を選びたくなった年だったということなのだろう。

 しかし、どう考えても、不吉な「漢字」である。
 その年の世相を漢字にする平成最後の年末行事であったわけだから、こういう字が選ばれてしまうと、平成という時代全体が「災」という字に象徴される時代であったような気分になる。
 もっと、別の漢字はなかったのかなぁ … 。


 
 
「平成」とはどんな時代だったか?
 
 それにしても、「平成」って、いったいどういう時代であったのだろう。
 西暦でいうと、1989年から2019年ということになる。
 
 そのスタートは、「東証の日経平均株価が38,915円87銭の史上最高値を記録する」という日本経済が頂点を極めたニュースで飾られた。
 しかし、その後株価はどんどん下落し、バブル崩壊が始まるわけだけど、人々の意識と経済的指数の間にはそうとうのズレがあり、平成1年から5年ぐらいまでは、日本人の大半はバブルの高揚期を満喫した。

 平成初期は、まさにドラマも、音楽も、CMも、みなバブル文化に染め上げられた時代であった。
 トレンディードラマの『東京ラブストーリー』が人気を集めたのは平成1年(1989年)。
 この年には、スタミナ飲料の「リゲイン」のCMソング「勇気のしるし」がヒットして、「24時間戦い抜けるジャパニーズサラリーマンが世界に雄飛する」という神話が確立された。

 平成3年(1991年)は、経済史においては、バブル崩壊がはっきりしてきた年だといわれ、すでに国内の大型企業でも倒産するところが出始めていた。
 しかし、相撲界は “若貴ブーム” で沸き返り、ドラマでは「101回目のプロポーズ」やら「ラブストーリーは突然に」が花盛り。
 “バブルディスコ” の代名詞ともなる「ジュリアナ東京」は、なんとこの年にオープンしている。

 「ディスコ」が「クラブ」といわれるようになったのもこの頃。
 かかる曲も、70年代の黒人系ソウルミュージックから、ユーロビートに移行していった。
 
 
踊って、恋して、夜明けを迎える
 

 当時、女子大の前には、校門から出てくるガールフレンドを待ち受ける男の子たちのスポーツカーや外車が並び、女の子たちは、その中から、結婚まで考えてもいい「ホンメイ君」と、プレゼントだけ貢がせる「ミツグ君」と、家まで送り届ける運転手を務めてもらうための「アッシー君」を使い分けて楽しんだ。

 都内の高級シティホテルは、クリスマスイブともなると、ティファニーのジュエリーをプレゼントする男の子と、それをもらうことを代償に一晩を共にする女の子たちの予約で満杯となった。

 そんな “楽しい” バブル文化が無残にも崩壊したのが、平成7年(1995年)といっていい。
 平成も5~6年経った頃には、企業倒産も増え続け、日本経済の地盤沈下がようやく誰の目にも見えるようになってきたが、この年、暗い時代の到来を象徴する二つの事件が起こる。
 それが、「阪神大震災」と「オウム真理教による地下鉄サリン事件」である。
 
 
時代の気分がガラッと変わったのは平成9年
   
 この二つの事件によって、日本全体が “暗い空気” に包まれていったことはすでに誰もがご存じのとおり。

 以降、酒鬼薔薇聖斗と名乗る中学生による「神戸連続児童殺害事件」(平成9年)が起こったり、消費税が3% → 5%に増税されたことによって、景気の冷え込みが深刻化したりと、日本は後に “失われた20年” などといわれる後退期を迎えることになる。 

 こうしてみると、「平成」という時代は、けっこう激動の時代であったことに気づく。
 しかし、「昭和」のようなダイナミズムはない。
 「昭和」は前半の戦争の時代と、後半の高度成長という繁栄の時代に分けられるが、「平成」はそれほど激しい起伏をもってはいない。
 
 後年、多くの人が「平成」という時代を思い出したとき、たぶん「大正」という時代と同じようなイメージを抱くのではなかろうか。

 「大正」は、「明治」と「昭和」という激動の時代に挟まれたつかの間の平和を享受できた時代であった。
 
 
「平成」は「大正」に似ている
 
 もちろん、この時代、日本は第一次世界大戦と関東大震災を経験している。
 しかし、世界大戦は戦地から遠く離れていたので、戦争被害を受けることがなかった。
 また、震災の方は、復興事業によって、逆にインフラ整備が進み、結果的に繁栄の道を突き進むことができた。

 そのため、「大正ロマン」などという言葉も生まれ、文化的にも華やかな空気に包まれた時代になった。

 「平成」も、後世そういうイメージで語られることになろう。
 次にくる時代は、おそらく「昭和」と同じぐらい激動の時代になるはずだ。
 もうその予兆は、平成最後の年である今年から始まっている。
 地球規模の「世界大戦」はないかもしれないが、それに匹敵するぐらいの激震が世界を襲う。
 すでに、米中の激突、EUの崩壊、中東の混乱など、その萌芽が各地で現れている。

 そうなったとき、日本人の間には「平成」を懐かしむ声があちこちで沸き起こるだろう。
 そのとき人々がイメージするのは、バブル文化だ。
 
 
次の時代は平成バブル オバサンがリードする
 
 作家の林真理子氏は、5年ぐらい前のエッセイで、平成という時代をこう振り返っている。

 「日本がバブル景気を迎えていた頃は、本当に楽しかったなァ。毎晩のように夜遊びをしていた。(中略)
 東京港(ベイ)に『インクスティック』や『タンゴ』などの新しいお店が続々と出来ていく。ビリヤードが大流行して私もかなり練習したものだ。しょっちゅう新しいお店が出来て、そこに競って出かけていった。
 もうあの時代に戻れるはずはないが、『もう一回元気になろう』とみんなで話し合った。『またみんなで楽しく、なんかやろうよ』。本当にそうだと思う」
 (『夜ふけのなわとび』 週刊文春 2013 10/3)

 林真理子氏は、そういう “バブル目線” で、今の若者たちを叱咤する。

 「(今の若者たちはちょっと寂しい、)私は、このあいだはミラノ・スカラ座の『リゴレット』を見て、夏はドイツのバイロイト音楽祭に行ってすごく楽しかったんです。
 でも、『ああいう楽しさを(今の若者は)一生知らないでいいわけ?』みたいなことをつい思ってしまうんです。
 今の若い人たちって、留学もしないし、車の免許もとろうとしないし、食べていければ一流企業じゃなくてもいいやと考えて、結婚もしないし …… 」
 (『週刊朝日 2013 10/18 マリコのゲストコレクション 島田裕巳氏との対談』)
 
 
CMのターゲットはみなオバサン
 
 林真理子氏は、現在60代半ば。
 平成最後のNHK大河ドラマ『西郷どん』の脚本も書き、脂も乗った年齢。きっと「平成」の次の時代にもきっと健筆をふるわれるだろう。
 
 「平成」の次の時代の日本の空気を作っていくのは、おそらくこの林真理子氏のようなオバサン消費者のメンタリティーではないかと思う。

 世の中の空気というのは、消費構造が創りだすものだから、実際にお金を持ってモノをばんばん買っている林真理子世代のオバサンたちのニーズに合わせて、世の中の空気が作られていく。
 
 その証拠に、いまテレビCMの中心となっているのは、60代~70代のオバサン向け “アンチエイジング商品” ばかりである。
 サプリメントから、白髪染め、化粧水、ジュエリー、ウィグ、保険。
 地上波でも、昼から夕方の時間帯はオバサン向けCMが中心。
 BSなどになると、昼夜を問わずオバサン向けCM以外のものが流れることがない。

 小物類から旅行商品に至るまで、次の時代は(しばらくの間)リアルタイムで平成バブルを楽しんだオバサン女子がリードしていく。
 
 

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平然とウソをつける独裁者(トランプ)の誕生

 
 世界史のページには、一つの世紀に、必ずその世紀を代表する独裁者の名が刻まれる。
 近現代史においては、18世紀のルイ14世、19世紀のナポレオン、20世紀のヒットラーとスターリン、そして、21世紀のドナルド・トランプである。

 これらの独裁者は、歴史上「英雄」として崇められることもあれば、人類に不幸をもたらした最悪な統治者として名を残すこともある。

 今のところ、トランプ米大統領がどっちに入るのかは誰にも分からない。

 ただ、トランプ氏の登場が、現代史における政治リーダーのあり方を根本的に変えてしまったことだけは事実だ。

 どういう変化が生じたのか?
 誰にも分るような「ウソ」を平然とつき通す政治リーダーというものが、この世界にはじめて登場したのだ。


  
 
「地球温暖化説はでっち上げだ !」

 たとえば地球温暖化という問題。
 2018年という年は、世界のどこの国においても、深刻な自然災害に見舞われたが、その原因は地球温暖化によるものだと推測された。
 そして、その温暖化の主な原因は、人間の産業活動による温室効果ガスの増加である可能性が極めて高いという分析が支配的になった。

 これに呼応し、各国は「パリ協定」なるものを定めて、温暖化対策に取り組む姿勢を見せ始めた。

 しかし、トランプ大統領は、
 「地球温暖化なんてウソだ。そんなバカバカしいことを信じてはいけない」
 と平然と言ってのける。

 専門家によると、トランプ氏の主張にも一理あるという。
 地球温暖化の原因は、人間の産業活動による温室効果ガスだとは、まだ100%言い切れる段階ではないからだ。
 しかし、その可能性は99%に近く、残りの1%が証明される時には、地球はもう取り返しのつかない状況に追いやられているといわれている。

 当然そういう報告がトランプ氏の耳に届いていないはずはない。
 しかし、アメリカ国内の石油産業、石炭産業の振興を押し進めているトランプ氏にとっては、地球温暖化対策などよりも、それらの産業に従事している有権者の票田の方が大事である。
 だから、彼は平然と「地球温暖化説はでっち上げだ !」と言ってのける。
 
 
文明社会にはじめて登場した
新しいタイプの国家元首

 作家の佐藤優氏と、ジャーナリストの池上彰氏は、『知らなきゃよかった』(文春文庫 2018年)という対談集で、次のように語っている。

【池上彰】 (トランプは)自分に都合の悪いことは全部ウソだ、フェイク・ニュースだと言えばいいと思っています。これまでの文明社会はそういう政治家を想定していなかった。
 とりわけ、メディアはまったく想定していなかった。だから(各メディアが)いま彼を攻めあぐねているわけです。
【佐藤優】 僕が外交官だったときは、各国の首脳の間には「お互いに本当のことを全部いわないまでも、ウソはつかない」という了承がありました。しかし、ついにトランプという平然とウソをつく国家元首が現れた。これによって(国際社会の)ルールが変わりました」

 そういう大統領が現れたことによって、世界はどうなっていくのか。
 佐藤氏によると、(政治の場でも生活の場でも)人間同士の信頼の基礎が崩れ、最後は「血がつながっているとか、セックスでつながっているだけ」の人間関係しか残らなくなるという。
 
 
 しかし、なぜアメリカでは、そういう “ウソつき政治家” への支持率が相変わらず高いのか?
 
 同著の対談で、佐藤氏はこう語っている。
 「トランプ支持層のコアになっているのは、低所得で低学歴の白人労働者たちです。彼らは、アメリカ国内の白人が今世紀中に少数派に転落することを知っている。
 だから、移民の締め出しなど、トランプが押し進める政策は、彼らにとって、自分たちの生き残りを保証してもらう “最後のチャンス” なのです」

 トランプ支持者たちは、とにかく自分たちの怒りを代弁してくれる政治家の出現を待っていた。

 ただ、本当のことをいうと、「怒りの矛先」は何でもよかったのだ、という。
 彼らは、ただ自分のうっ憤を晴らす対象を求めていたにすぎない。
 トランプは、そういう彼らの気持ちを読み、「移民が悪い」「民主党が悪い」「エリート支配が悪い」「マスコミが悪い」というメッセージを吹き込んだ。
 これが、気持が沈みっぱなしの状態にいた彼らに、生きる活力を与えた。
 
 
小学生レベルの演説が
逆に効果を発揮した

  
 そしてまた、トランプは、そういう自分の支持層に対する演説もうまかった。
 彼は、歴代の大統領が演説に使うような格調高い言葉をまったく使わなかった(使えなかった)。
 だから、彼の演説は小学生ぐらいの知力があれば、誰にも理解できた。
 
 佐藤優氏はそのことを、文法的にこう分析している。
 「トランプの演説は、発言中に接続詞(And、But、Because、However、If)を使わないところに特徴がある」
 
 接続詞とは日本語でいう、「だから、それで、しかし、および、たとえば」などであるが、そういう言葉が出ない会話においては、名詞や動詞のキャラ立ちが強調される。
 
 つまり、トランプ氏の演説ではぶつ切りの名詞と動詞が、それこそCMのキャッチのように繰り返されることによって、一種の催眠効果のようなものが生まれるのだ。
 「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン !」
 なんていうセリフは、アメフトで優勝した選手がヒーローインタビューの最後に叫んでも決まるだろうし、コカ・コーラのCMで謳われてもおかしくない。
   
▼ 池上彰氏(左)と佐藤優氏(右)

 
 
SNSの普及によって国語力が低下していく時代
 
 「簡単な言葉で埋め尽くされる世の中」。
 佐藤氏も池上氏も、その怖さを指摘する。

 トランプ氏の政治的メッセージの大半は、ツィッターによって発信される。
 その大半は話し言葉であり、しかも語彙が少ない。
 もうそのこと自体が、文章を読み込む能力のない人や、難しい言葉への嫌悪を抱いている人たちへの “心地よい” メッセージとなる。
 
 SNSによる国語力の低下は、いま世界中に広まっている。
 佐藤氏はいう。
 
 「(日本の)インターネット社会でも、SNSの普及によってパソコン時代のメールとは違う文化が生まれています。
 たとえばスマホにおけるLINEのやり取りなどは、もうすべて話し言葉になっていて、ボキャブラリーが乏しくてもコミュニケーションが成立します。
 そうなると、人々の読む力も落ちてきて、知的能力が全般的に下がる心配が出てきます」

 その先に生まれてくるのは、知的能力を維持した少数のエリートたちが、知的能力を育てなかった大衆をいいように支配する冷たい格差社会だと佐藤氏は指摘する。
 
 
流動的な国際情勢が独裁者を生む
 
 現在強権をふるう世界の独裁者たちは、このような格差社会の広がりを前提に登場してきた。
 中国の習近平主席
 ロシアのプーチン首相
 アメリカのトランプ大統領

 彼らが台頭してきた背景には、みな格差社会の広がりの果てに生まれてきた経済弱者、社会弱者、教育弱者の存在がある。

 弱者たちにとって、切実な問題は、「地球温暖化」や「環境保全」などではない。
 「失業率の低減」、「雇用の確保」、「賃金上昇」などといった生活的課題の方が優先される。

 これに関しても、トランプ大統領は非常に “賢明な(?)” な方針を貫いているともいえる。
 失業問題も、雇用問題も、賃金の確保も、トランプ支持層の白人たちからすれば、「移民の流入阻止」という一点に集約されるからだ。
  
  
判断が間違っていても、独裁者の
“即断即決” の方が優先される

 
 プーチンや習近平、トランプのような独裁者たちの登場は、また国際社会がきわめて流動的になってきたという別の側面からも解明できるとか。

 「彼らが独裁的な傾向を強めているのは、彼らの権力欲だけでは説明しきれない」
 と佐藤氏。

 「国際社会の変化がこれほど激しくなってくると、これまでのような民主主義的な手続きをとっている時間がなくなってくる。そのため、国民も政府も、(たとえ方針が間違っていても)即断即決によって事に対処できる独裁者を求めるようになってくる」
 … のだとか。
  
 ビジネスの面でも同じことがいえる。
 佐藤氏は、ひとつの例を出す。
 
 「各国において、電気自動車(EV)への取り組みが加速しているが、それには蓄電池技術がカギを握る。そうなると、レアメタルが絶対に必要になる。
 現在のところ、それを供給してくれる国は中国とボリビア。この資源争奪戦にはかなりの “反射神経” が必要で、入札のような民主主義的手続きをしていたら間に合わない」
 
 つまり、表に出る部分と裏に隠れる部分を瞬時に差配する独裁的な政治リーダーの手腕が必要になってくる。
 
 「国際情勢の流動化」というのは、そういうビジネスと政治が同時並行的に進んでいく状況をいう。
 要は、どこの国においても、権力者の独裁が簡単に成立する土壌ができあがってしまったということなのだ。

 佐藤優氏との一連の対談が進んでいくなかで、池上彰氏はこういう。
 「こういう国家の仕組みが定着していくことで、トランプ型の人間がデフォルト(標準設定)になっていくと考えると、ほんとうに恐ろしい」
 
 池上氏のそうした危惧は、今後ますますはっきりしたものになっていくのだろうか。
 それとも、トランプ現象は一時的なものでしかないのか。
 トランプ大統領が登場した「今」という時代が、人類の「ポイント・オブ・ノーリタ―ン」を示す分岐点になる恐れは十分にある。
  
  
参考記事 「トランプ時代に対してマイケル・ムーア監督が語る『民主主義』の危機」
 
参考記事 「トランプ大統領が招く “魑魅魍魎” の世界」
  
 

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押井守『イノセンス』の“ごちゃごちゃ感”の正体

 
 中学生のときに知り会って、今でも年に2~3度ほど会う友人グループがいる。
 みな60代も後半に差し掛かった老人たちだ。

 しかし、中学時代に漫画や小説、評論などを持ち寄って同人雑誌をつくったりした仲間だから、今でも会うと、
 「歴代ゴジラ映画の中でナンバーワンはどれだと思うか?」
 「夏目漱石、芥川龍之介、太宰治はいまだに若者にも読まれているのに、戦後の第三の新人(吉行淳之介、安岡章太郎、庄野潤三etc.)たちが読まれなくなったのはなぜか?」
 「キューブリックの『2001年宇宙の旅』がいまだに色あせないのはなぜか?」
 「バッハからベートーベンに至るドイツ・オーストリア系作曲家と、ラヴェル、ドビュッシーといったフランス系作曲家の違いは何か?」
 …… みたいな話題になることが多い。

 この前そのメンバーが集まったとき、
 「日本のアニメ監督のなかで、誰の作品をいちばん評価するか?」
 といったテーマがあがった。
 1人が、… やはりというか、… 宮崎駿をあげた。

▼ 宮崎駿 『風立ちぬ』

 「線画がきれいだ」という。
 「構図も整っていて、色の配分も美しい。だから上映時間が長くなっても、視覚的に疲れることがない」

 さらに、「メッセージ性が深い」とも。
 聞いていて、私もそのとおりだと思った。
 といっても、自分が映画館にまで足を運んだのは、『もののけ姫』と『風立ちぬ』の2本だけだが、確かに、重厚なテーマをものすごく優しい画風で仕上げた出来映えに脱帽する思いだった。

 ただ、個人的な嗜好でいえば、私は押井守の『攻殻機動隊』とか『イノセンス』などの方が好きなのである。

▼ 押井守 『イノセンス』

 
 私がそういう感想を述べると、先の宮崎駿を評価した友が、
 「押井守の画像はごちゃごちゃし過ぎて好きになれない」
 と言い始めた。
 「一つのシーンに、あまりにも多元的な情報を詰め込み過ぎるので、目も疲れるし、頭も混乱する」
 という。

 う~ん …… そうかもしれないと私は思いつつ、それでも自分の意見を加えようと思ったが、このテーマはそれ以上発展することなく、すぐ次の話題に移った。
 
 
 そのとき自分の頭をかすめた想念をあらためて整理してみると、その友人が語った「目の疲れと頭の混乱」という言葉が、なんだかとても重要な意味をもっていることに気がついた。

 つまり、押井守の …… 特に『イノセンス』に描かれたあの “ごちゃごちゃ感” はいったい何に由来するのか? ということである。 

 結論を先にいうと、『イノセンス』の “ごちゃごちゃ感” こそ、まさに(我々を巻き込んで日々暴走していく)「資本主義社会」のメタファーなのである。

 資本主義は、常に資本主義化されない異質なものを “爆食い” するように取り込み、それらのものが本来持っていた価値観を壊し、無機的に同列に並べ、意味のないものに還元してから次に進んでいく。

 『イノセンス』で圧巻なのは、奇怪な山車が次々と街路を行進していくパレードのシーンである。
 山車に載せられているのは、中国の京劇のような仮面をつけた巨大人形たち。
 その山車を動かしているのは、インドの祭りで使われるような象の形をした巨大ロボット。

 パレードする群像の背後にそびえるのは、ニューヨークの摩天楼のような建築群。
 そういうシーンが連続する画面の背後に鳴り響くBGMは、日本の雅楽とわらべ歌を混在させたような土俗的かつ呪術的な歌。

 過去と未来
 西洋と東洋
 近代と古代
 
 『イノセンス』のパレードシーンはそれらが混在一体となった、まさに万華鏡のように錯綜したヴィジュアルで埋め尽くされている。
 これこそ、我々が日々体感している「資本主義社会のデザイン」そのものだといっていい。
 我々は、それに魅了されながらも、それに疲れていく。
 高度資本主義のもたらす情報過多社会に、目も疲れ、頭も混乱していく。

 なぜ疲労感が蓄積していくのか。
 資本主義のもたらす情報には、価値の序列がないからだ。

 価値の序列が無秩序になっているということは、個人が何を選んでも満足が得られないことになり、一つのものを選択しても、すぐさま後悔の念に駆られるということを意味する。
 

 『イノセンス』のパレードで描かれる京劇風仮面も、インド象ロボットも、ニューヨークの摩天楼的景観も、日本の土俗的歌謡も、そこには何一つ関連性がない。
 それらは、あくどいほどのエキゾチシズムによって、視聴者の目を奪うことはあっても、どれひとつ価値の序列を持たず、等価に、無内容に、並列的に陳列されているにすぎない。
 この見事な “無秩序感” こそ、資本主義的ヴィジュアルの真骨頂だ。

 『イノセンス』という作品において、そのことを別の側面から暗示しているのが、登場人物の会話に登場する “哲学的言辞” である。
 

 主人公のバトー(↑)は、古典哲学の文言をしょっちゅう口走る。

 「シーザーを理解するためには、シーザーになる必要はない」(マックス・ヴェーバー)。
 「ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけじゃねぇ」(西洋のことわざ)。
 「自分のツラが曲がっているのに、鏡を責めて何になる?」(ゴーゴリ)。

 こういうつぶやきの出典は、ロマン・ロランやゴーゴリの小説、ミルトンの詩、マックス・ウエーバーの論文、旧約聖書の詩文、世阿弥の能楽書、孔子の論語、仏陀の経典など多岐にわたる。

 だが、バトーはけっきょく何も語っていない。
 彼の “省察” は、ストーリーの展開にほとんど関与しないからだ。
 つまり、テレビからひたすらシャワーのように放水されるCMのようなものなのだ。
 ある商品の有益性を訴えたCMは、15秒後には、別の商品のCMによってかき消される。
 それは、ある意味、ニヒリズムの連鎖といってもかまわない。

 つまり、CMなどを通じて、その都度その都度、市場に “新しい商品価値” が出回るということは、結果的に、資本主義社会における「価値の無根拠性」を証明しているに過ぎない。
 なのに、その渦中にいると、資本主義が紡ぎ出す夢のすべてが美しく、魅力的に輝いて見える。
 『イノセンス』のパレードに描かれるヴィジュアルは、まさにそういう状態を形象化させたものである。
 
▼ 『イノセンス』よりパレードのシーン from YOU TUBE 

  
 いま水野和夫氏と山本豊津氏の対談『コレクションと資本主義』(角川新書2017年 )という本に挑戦するつもりでいる。
 まだ第一章を読み始めたばかりだが、その章で水野氏は、「資本主義を読み解くカギは、アートや芸術の解読にあるのではないか」というようなことを書かれている。

 拾い読みした一節には、こんな言葉もある。
 「経済学において、数学的合理性だけでは人間の経済活動を説明するのは困難だということが昨今は知られ始めている。芸術作品のように、“有用性” のないものが投資的価値をどんどん上げていくということを従来の経済学の言葉では説明できない。…… 資本主義のほんとうの姿を解明するには、どうしても文学、演劇、哲学、美術の知識を総動員していく必要がある」

 そういう文言を拾うだけで、わくわくする。
 『イノセンス』のパレードシーンを「資本主義社会のデザイン」のように感じたというのは、もしかしたら、その一言に触発されたものかもしれない。
  

    
  
参考記事 「風立ちぬ」
 
関連記事 「イノセンス」
 
参考記事 「水野和夫 著 『資本主義社会の終焉と歴史の危機』」
 
 
  

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月天心貧しき町を通りけり(または「郊外のキリスト」)

  
 与謝蕪村(よさ・ぶそん)の有名な俳句の一つに、
 「月天心(つきてんしん)貧しき町を 通りけり」
 という句がある。

 「月が、空の真ん中(天心)に輝いている貧しい町を、いま私は通り過ぎようとしている」
 という意味だ。
 
 「つきてんしん」という言葉の響きになじみがなくても、「月天心」という漢語から、冷たい光を放っている冬の月を想像することはできるだろう。
 
 この句を思い出すたびに、下の絵を思い出す。
 

▲ ジョルジュ・ルオー 『郊外のキリスト』

 逆もある。
 この絵を見ると、与謝蕪村の『月天心 … 』の方を思い出すこともある。
 
 蕪村は江戸中期の日本の俳人。
 ルオーは、19世紀末から20世紀に生きたフランスの画家。
 国も時代もまったく異なる世界で生きた人たちだが、なにかしら共通した精神性を持っていたのではないかという気がする。

 特に、この蕪村の句とルオーの絵には、強い類似性がある。
 モチーフがまったく同じなのだ。
 両者とも、その前面に浮かび上がってくるのは、暗い空を照らす白々とした月。
 そして、寝静まった貧しい町並み。
 それを見ながら、足跡を忍ばせるように通り過ぎようとしている人影。

 蕪村のうたう “貧しき町” というのは黒々と静まり返った日本家屋だろうし、ルオーが描いたのは、石造りの西洋建築だ。

 しかし、両者から感じ取れるのは、まるで核戦争後の廃墟をさまよう「最後の人類」の気分である。
 そこには、人類は滅び去っても、自然は変わらないというメッセージさえ託されているような気さえしてくる。

 しかしながら、これらの作品には、絶望的な孤独感の果てに、かすかな温かさが伝わってくる。
 この「さびしさ」と「温かさ」の配分が、二つの作品では似通っている。

 まず、蕪村の句を見てみる。
 「貧しき町」という言葉がある。
 もし、これが町の上に輝く月をうたいたい句であるならば、それを受ける言葉は「さびしき町」でもよかったはずである。
 あるいは、「哀しき町」という言葉も使えたかもしれない。

 しかし、「貧しき町」。
 これは、「人が住んでいる町」だという認識が前提となっている言葉である。
 さびしくて、みすぼらしい町ではあるけれど、「人の生活がある」という視線が「貧しき」という言葉を選ばせている。
 つまり、“通りすがりの自分” が、貧しき町に住む住人たちと共振している様子がしのばれるのだ。

 一方のルオーの『郊外のキリスト』。
 この絵においても、二人の子供に連れ添う大人がキリストならば、このキリストは、夜道を歩く子供たちを家まで送り届けるような、優しさを見せている。

 蕪村の句にもルオーの絵にも表われてくるのは、貧しき者への共感である。
 実際にルオーは、この絵からもしのばれるような、パリ郊外のラ・ヴィレット地区という貧困家庭の家ばかり並ぶ町で生まれたという。
 
 家が貧しかったため、ルオーは10代半ばで、ステンドグラス工房で働く道を選ぶ。
 そこで得たステンドグラスの作成技法が、後の画家修業にも生かされるようになる。
 黒く太い輪郭線。
 その間に塗られる黄、オレンジ、赤などの暖色系カラー。
 まさに、そこに描かれるのは、西欧の教会建築などに飾られるステンドグラス芸術そのものだ。
 そこにルオーの絵の本質を解くカギがありそうだ。
 
 
▲ ジョルジュ・ルオー 『受難』
 
 ステンドグラスの絵を鑑賞するためには、屋外から差し込む「光」が不可欠であるように、ルオーの絵もまた、絵の(目には見えないはずの) “向こう側” から差し込んでくる「光」によって成立しているのだ。

 ルオーの絵を、その裏から照らしている「光」とは何か。
 敬虔なクリスチャンでもあるルオー自身は、その「光」の正体を、「神」という言葉で説明したかもしれない。
 
 しかし、そういう説明があったとしても、それが正しいのかどうか、私にはよく分からない。
 ただ、いずれにせよ、ルオーの絵は、キャンバスの上に塗り固められた絵具の向こう側に、可視的にとらえることのできない “もう一つの世界” が潜んでいることを暗示してやまない。

 『郊外のキリスト』という絵は、それまで奥に潜んでいた、その “謎の光源” が「月」という形をとって、ついにその姿を現した絵だといえる。

 まさに、“天心” を飾る月。
 その月の姿に「神の恩寵」を感じるかどうかは、この絵に接した鑑賞者の文化環境や宗教観、芸術観によって異なるだろうけれど、いずれにせよ、この月が、単なる天体的な「月」を超えて、この世にあらざる光を投げかける神秘な発光体であることだけは理解できると思う。

 そして、蕪村もまた同じように、「貧しき町」を通りかかったとき、この世ならぬ姿をした「月」を見てしまったのだろう。
 
   

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短歌という不思議な世界

 穂村弘さん(写真下)の書いた『ぼくの短歌ノート』(講談社)という本が読み終わらない。
 購入してから、もう半年以上経っている。
 デイパックのなかに詰め込んで、外に出るときは必ず持ち歩ているというのに、なかなか読了できないのだ。

 それは、読み終わってしまうのが惜しいからだ。
 散歩などに出たついでに、ふらっと立ち寄った喫茶店でページを開くのだけれど、2~3ページ読むと本を閉じ、コーヒーの香りなどを嗅ぎながら、そこに紹介されていた短歌の余韻を楽しむ。
 そんなことをしていると、“珈琲” (…急に漢字を使いたくなった)一杯飲み終わっても、三つ四つぐらいの短歌しか鑑賞できない。
 
 どういう歌が集められているのか。
 与謝野晶子や北原白秋、斎藤茂吉といった近代短歌の大御所の歌もあれば、寺山修司、俵万智のような有名な現代作家の作品もある。
 ときには、中高生の投稿歌も収録されている。

 もちろん多くの歌には、それが拾い上げられた理由が書かれているわけだが、その解説はみな短い。
 だから、その歌を穂村さんがなぜ拾い上げたかは、読者が考えなければならないときもある。

 その作業が楽しい。
 中高学生くらいの子が書いた短歌のなかに、大人が見逃してしまうような人生の真実が歌い込まれていたりする。
 若い女性の歌には「性」について鋭く切り込んだものもあり、そういうものに触れると、今さらながら、男として鈍感だった自分に恥じ入ったりする。
 
 
使われた言葉の《外》で鳴り響いている言葉たち
 
 短歌というのは、実に不思議な文芸形式である。
 五・七・五・七・七
 という限られた語句で表現しなければならないという制約があるために、すごく “窮屈” な文芸だと思われがちだが、どっこい逆で、作者の表現したいものが、五・七・五・七・七という語句の外にどんどん広がっていくのだ。

 文章を書くとき、言葉数を多くすれば、意味が伝わりやすいと思うのは錯覚だ。
 むしろ、説明を短く切り詰めた方が、書き手の表現したいことがズバッと読み手に伝わることがある。
  
 短歌というのは、そういう文章作法のもっとも先鋭的なところに位置している。
 そこでは、文字として残された文よりも、削除された文の方が重要な意味を持つ。
 たとえば、次のような歌。

 ―― 売りにゆく柱時計がふいに鳴る 横抱きにして枯野ゆくとき
   (寺山修司)

 一読して伝わってくるのは、寂しい光景だ。

 「枯野」という言葉が、秋の気配や夕暮れの匂いまで漂わせている。
 さらに、切ないのは主人公の心。
 柱時計まで売らなければならないというのは、そうとう困窮している証だろう。
 しかし、この柱時計を売らないと、今晩のメシさえ手に入らない。
 そもそも、壁に固定してあるはずの柱時計が、横抱きにされているというところに、切羽詰った感じが漂う。

 道の周囲には、主人公の気持ちをますます寂しくさせるような枯野が広がっている。
 その道半ばで、時計がまるで主人に「別れを告げる」かのように鳴る。

 なんとも哀切きわまりない歌だが、その「哀切感」はどこから来るのか?

 すべて、歌に使われた言葉の《外》からやってくる。
 「寂しい」
 「切ない」
 「哀しい」
 などという言葉は、歌のなかには一語も使われていない。
 なのに、そういうありふれた言葉を使った以上の寂寥感が歌に滲んでいる。
 つまり、歌の《外》に追いやられた言葉が、歌のなかに残された言葉に陰影を与えているのだ。

 こんな歌もある。

 ―― 昼なのになぜ暗いかと電話あり 深夜の街をさまよふ母より
   (栗木京子)

 ホラーのような、ミステリーのような不気味さが感じられる歌だが、よく読んでみると、ずしりとしたリアリティが潜んでいる。

 この歌の《外》に追いやられた言葉は、
 「認知症」
 である。
 しかし、種明かしをしてしまえば、この歌のインパクトはほぼなくなる。
 ここでは「認知症」という言葉を省くことによって、逆にのっぴきならない切なさ、哀しさ、怖さが強調されている。
  
 
日常に埋もれたものの再発見
   
 短歌を味わう面白さがのひとつに、日常のなかに埋もれていたものを、あらたに “発見する” という楽しさがある。
 たとえば、こんな歌。 

 ―― 次々と走り過ぎる自動車の 運転する人 みな前を向く
   (奥村晃作)

 こんなこと、あまりにも当たり前すぎて、誰も気にしない。
 自動車を運転しているとき、ドライバーが前を向くのは当然のことで、横を向いていたら、それは事故につながるという理由で、「脇見運転」という刑罰が与えられる。
 だから、運転するときはみな「前を向く」。

 しかし、あらためてそのことに意識を向けてみると、「なぜ前を向くのだろう?」という疑問が湧いてくる。

 そのときの「なぜ」は、もう「前方に注意しないと危険」とか、「前を見ないと事故が起きる」という次元を超えたものになっている。
 それこそ、なにか「超自然的な力に導かれるまま」、とか「あらがえない宿命に導かれるまま」 … といったようなシュールなものがそそり立ってくる気配がする。

 短歌には、このように、当たり前のことを当たり前じゃないと思わせる力がある。
 そのときに生まれてくる “不条理感” は短歌独特のもので、小説のような散文では書き尽せない。
 
 
子供の視線
 
 子供の視線で捉えた世界は、大人からみると、常にそのような不条理に満ちている。
 しかし、「子供の視線が不条理に満ちている」と感じるのは、実は大人の視線が “分別” によって曇らされているからで、子供の視線の方がむしろストレートに現実に直結している。

 そんなことを知る格好の歌。

 ―― 「やさしい鮫」と「こわい鮫」とに区別して 子の言うやさしい鮫とはイルカ
   (松村正直)

 大人はすでに「鮫(サメ)と「イルカ」を区別する分別を備えているから、子供の無知を笑うことができる。
 しかし、そういう大人の知見は、すでに「やさしさ」と「こわさ」の本質的な区別を見失っている。
 
 
短歌には批評性も取り込める
 
 次の作品も、面白いと思った歌の一つ。

 ―― 草つぱらに 宮殿のごときが出現し それがなにかといえばトイレ
    (小池 光)

 「宮殿」と「トイレ」の落差に、まず笑える。
 しかし、それと同時に、どこか不条理なものがせり出してくる気配もある。
 それは、「草つぱら」に、どうして「宮殿のごときトイレ」が必要なのか? という疑問と同時にやってくる。

 この作品に関して、穂村さんは、この歌が短歌の定型的な音数(五・七・五・七・七)を無視して、「六、九、五、七、六」という変形リズムでつくられているのかというところに着目し、作者の意図と、その効果を見事に分析している。

 だが、その分析は(非常に面白いけれど)専門的すぎるので、はしょる。
 代わり、作者の意図を推測する穂村さんの解説を一部だけ引用する。

 「私(穂村)は、これを批評性に基づくアイロニーとして読んだ。その根本にあるのは、我々が生きている時空間に対する強い違和感だと思う。一見ユーモラスなこの歌の背後には、現在の日本の状況に対する怒りと悲しみが張り付いている。(中略)作者は『草つぱら』に『宮殿』のような『トイレ』を平気で建ててしまうこの国のあり方を、(中略)強く批判している」
 
 非常によく分かる解説である。
 自然の象徴である「草つぱら」と、人工の極致をいく「宮殿」。
 それが同一空間に存在することによって、そのどちらの属性をも殺してしまう。
 
 そして、そこに生まれるグロテスクな景観。
 日本の行政は、それがグロテスクだと気づくこともなく、自然をすり潰し、集客効果や利便性、効率化だけを求めてハコモノを建ててしまう。
 穂村さんが言いたいことは、おそらくそのようなことだ。
  
 短歌に対して「抒情的な文芸作品」というイメージを持つ人も多いだろうが、短歌には、このような鋭い批評性を盛り込むこともできるのだ。
   
 
短歌のユーモア
   
 短歌には「ユーモア」もある。
 しかし、それは川柳のユーモアとも違うし、もちろん駄洒落のようなものとも違う。
 笑いが、笑いの形をとる直前の空気を捉えたようなユーモア、といえば少しはニュアンスが伝わるだろうか。

 ―― 「百万ドルの夜景」というが米ドルか香港ドルかいつのレートか
   (鈴木秀)

  ―― 「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか 
   (奥村晃作)

 ともに “揚げ足取り” のような意地悪さが若干あるけれど、読んでいると、思わず「そうだ!」と膝を叩きたくなる。
 宴会の席などで笑いながらしゃべればただのジョークにすぎないが、こうして短歌として鑑賞すると、何やら深遠な “真理” が降って湧いてきたような気分になる。
 
 
短歌のミステリー
 
 最後に、これも気に入った歌。

 ―― 月を見つけて月いいよねと君がいう  ぼくはこっちだからじゃあまたね
   (永井 祐)

 なんというあっけらかんとした素っ気なさ!
 ここに出てくる「ぼく」は、冷たいのか、合理主義者なのか、情緒性に乏しいのか。
 彼女が「月」にロマンチックに感情移入しているのを知りながら、さばさばと「じゃまたね」と別れを告げる。
 彼女にとっては、いやな男である。

 しかし、この「ぼく」にはどこか愛嬌があって、温かさも感じられて、人懐っこさもある。

 それが別れを告げる言葉の最後の「ね」にあらわれている。
 これが、「じゃまた “な” 」だったら、「ぼく」は冷たいだけの男にすぎない。
 しかし、この語尾の「ね」に、「悪いけど … 」という男の謝罪の気持ちがこもっていそうな気がするのだ。

 この「ぼく」のミステリアスな言動をどう読み解くかが、この歌のカギとなる。
 ほんとうのところはどうなのだろうか?

 それは分からない。
 たぶん作者も分からないのではないか。
 この歌は、そういう「分からない」ことを、ひとつの “謎” として鑑賞する歌のように思える。

 まだまだ紹介したいような歌がたくさんある。
 でもきりがない。
 興味を持たれた方は、ぜひ原典を当たってほしい。
 
 
参考記事 「穂村弘の『読書日記』はいい」
 
 

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サカナクション山口一郎氏が大事にする「違和感」

  
 NHKテレビで、日本のロックグループ「Sakanaction サカナクション」の2017年のライブ映像が放映されていた。
 面白い世界観を表現したステージだと思った。

 このバンドのリーダー山口一郎氏には、前から注目していた。
 日本のロック(およびJ ポップス)バンドのなかで、唯一「アーティスト」という称号を与えられる表現者であるように思っていた。


 
昭和文学っぽい歌詞の魅力

 歌詞がすごいのだ。
 彼がつくる曲は、すべてが “文学している” といっていい。
 それでいて、難しい言葉はない。
 平易な言葉に、深い意味を持たせている。

 もちろん、“サウンド” として、心地よく聞き流すこともできるのだが、ひとたび歌われる詞の世界に注目してみると、歌詞だけでなく、サウンド全体が深い陰影を帯びてくる。
 
 山口一郎氏の存在に最初に気づいたのは、NHK(Eテレ)の音楽トーク番組『ザ・ソングライターズ』だった。
 佐野元春氏がホストを務め、その当時の話題のミュージシャンや作詞家をゲストに招いて日本の音楽を語るという番組で、山口一郎氏は、その12回目(2010年)に登場していた。

 偶然それを見ていた私は、山口氏が話す一語一語に次第に引き込まれていくのを感じた。
 そのことを、ブログに書いたことがある。
 当時の自分はこんな記事(↓)を残している。
…………………………………………………………………………
 (2010年 9月19日)

 番組のなかで、佐野元春さんが、山口さんの作った歌の歌詞をいくつか朗読した。
 メモを取ったわけではないので、詳しくは覚えていないが、現代を生きる若者の心情を歌っているようでいながら、そこに “昭和文学っぽい” しょっぱさが加わっている。
 
 単語のひとつひとつが、字義どおり使われていない、… というか、ひとつの言葉に、多彩な光が当てられている。
 優しい言葉が、鋭利な刃物のような怖さを内包している。
 ぶっそうな言葉の奥に、ふるえる魂のおののきが宿されている。
 ひと言でいうと、“引っかかる” 歌詞なのだ」

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 番組を観終わった後、Wikipedia やさまざまなネット情報を通じて、山口一郎氏のことを調べてみた。
 生まれたのは、1980年だという。
 出身地は、北海道の小樽市。
 お父さんの影響を受けて、小さい時から、「明治の短歌」や「昭和の詩」を愛してきたという。

 そのため、子供時代の愛読書が石川啄木や寺山修司の短歌、吉本隆明の詩。さらに宮沢賢治の童話。

 若い頃から、そういう “昭和文学” になじんできただけあって、山口氏の言語感覚には独特の輝きがある。
 
 
「愛」という言葉が嫌い
 
 たとえば、「好きな言葉は?」という佐野元春氏の質問に対し、すかさず返された答が、
 「夜」
 「では、嫌いな言葉は?」
 「愛」
 だという。
 聞いていて、ため息が出るほど共感した。

 「愛」という言葉が嫌いだという感性は信頼できると思ったのだ。
 なにしろ、ドラマでも歌でも、最近いちばん安っぽく流布している言葉が「愛」だからだ。
 そのひと言さえ使えば、一応なんでも丸く収まってしまう呪文の言葉。
 誰も異論を唱えることのできない「愛」。
 しかし、その言葉を安易に使ってしまえば、「説法」なら格好は付くが、「詩」は成り立たない。

 佐野元春氏との対談は、好きな文学者の領域まで広がった。
 山口氏が好きな詩人として挙げたのが、種田山頭火(たねだ・さんとうか)。
 「彼の詩(俳句)には、常に『現在』が鮮やかに切り取られている」というのが、その理由。
 
 ―― 分け入っても、分け入っても、山の中(山頭火)。

 この句を引用し、山口氏はいう。
 「その場にいて、見たまま、感じたままものが純度100パーセントの濃さで伝わってくる」。
 
 さらに、 
 「どのような音楽を目指していますか?」
 という佐野氏の質問に対する答が、次のようなもの。
 
 「近代になって表現の幅が広がったように思いがちですが、実はフォーマットが固まっただけだと思うんです。
 たとえば、ロックはこうでなければいけない … とか。
 そういう既成のフォーマットを崩していくところに、自分の表現を見出していきたいと思います」
 
 
マイノリティーとしての自覚
    
 さらに、彼はこういう。
 「北海道から東京に出てきたとき、それまで自分の好きなものが全部マイナーなもので、マイノリティーな人々にしか愛されないものであることを知り、愕然とした記憶があります」

 だから、マイナーなものの良さをいかに多くの人(マジョリティー)に分かってもらえるか。
 それが、「自分が詞を作るときの原点」だとも。
 
 また、対談中、彼がよく「センチメンタル」という言葉を口にするのが意外でもあり、新鮮でもあった。
 たとえば、彼は、
 「自分の中にあるセンチメンタルを共有できる人が周りにいなかった」
 という。
 
 「センチメンタル(感傷的)」という言葉は、時としてネガティブな響きを帯びる。「甘い」とか「めめしい」、「感情におぼれる」というニュアンスを秘めた言葉として使われることが多い。
 
 だが、山口氏の口からこぼれ出る「センチメンタル」は、「リアリティ」の同義語であるように思えた。
 むしろ、普通の人が「めめしい」と感じるものの中に、人間の真実があるとでもいわんばかりに。


   
 
「夜」と「君」でつくられる歌詞
   
 山口一郎氏の曲がどんなものか。
 実際に聴いてみると、その特徴がよく分かる。
 
 下は、NHKが取り上げたライブでも演奏されていた『バッハの旋律を夜に聴いたせいです』。
 いかにも、彼らしい世界観が投影された曲だ。
 タイトルからして、謎に満ちている。

 キーワードは、やはり彼の大好きな言葉である「夜」。
 その夜を象徴する仕掛としての「月」。
 そして、彼の歌には必ずといっていほど登場する「君」といわれる人物。

 この三つの言葉が、まさに一幕劇に登場する3人の役者のように、妖艶な役割を与えられ、濃密な寸劇を繰り広げる。
 そして、そこに流れる “舞台音楽” が「バッハの旋律」である。

 

 いろいろな解釈を可能にする詞であるが、ここに登場する「君」が、他の曲にもよく登場する「君」と同じく、主人公と濃密に関わりながらも、主人公には制御しきれない “他者” を意味していることは間違いない。

 つまり、ここに出てくる “君” は、リスナーの解釈の深さや感情移入の度合いによって変幻自在に姿を変える “のっぴきならない存在” の象徴なのだ。
 彼の詞が難しく感じられるのは、そういう形でリスナーの想像力を試すようなところがあるからだ。
 
 
難しいものは美しい

 YouTubeを探してみると、山口氏の最近のインタビューを収録した動画がいくつか見つかった。
 その一つで、彼はこんなことを発言している。

 「僕らは、音楽でも本でも、難しいものにこそ価値があると期待した世代だった。
 たとえば本ならば、最初は難しくて理解できないものでも、何度も読んでいるうちに突然理解できる瞬間がやってくる。それが高揚感を生んだりする。だから、(自分は)難しいものは美しいと思える感覚を持っている。
 ところが、今の子たちって、そういう期待の持ち方をしていないように感じる」

 そう語った山口氏。
 だから、
 「東京でメジャーデビューするときに、自分が感動してきた “美しくて難しいもの” をいかに多くの人に伝えられるかということが、たいへんな課題だった」
 という。

 そこで彼は考える。

 「30人ぐらいのリスナーに対し、そのうちの10人~20人ぐらいのマジョリティーに評価される音楽を目指すのなら、“美しくて難しい” という路線はあきらめなければならない。
 しかし、そのうちの1人か2人の心に届けばいいと割り切れば、それなりのやり方がある。
 そう考えると、気持が楽になった。
 だって、30人のうちの1人か2人でしかなくても、それが全国規模に広がれば、十分マジョリティーになるのだから」
 
 
テクノロジーが与える感動
   
 “30人のうちの1人か2人でもいいから、しっかりした感動を与えたい” というときの突破口として考えたのが、
 「テクノロジーの力」
 というものだった。

 NHKが放映したライブステージは、艶やかなライトショーを展開しながら、会場の四方にスピーカーを巡らした6.1ch方式で行われた。
 いわば “光と音” が高度に融合した最新テクノロジー空間だった。

 「人間の新しい感情を発掘するものとしてテクノロジーは大事なものだと考えている。人間は、見たこともないもの、はじめて触れるものに感動する。そのときに感じる “心地よい違和感” が人間の感動の源泉になる」
 と山口氏。

 彼の目指す音楽とは、常に「良い違和感」をはらんだものだという。
 いい言葉だと思った。
 
 
世の中にはベタな歌詞
で救われる人たちもいる

 
 脱線するが、この番組と前後して、結成20周年を迎えたというコブクロが出演する音楽番組を観た。
 「サカナクションの正反対に位置する人たちだなぁ … 」
 と思った。
 久しぶりに、彼らの『桜』を聞いたが、そのあまりにもベタな歌詞に、少し辟易とした。
 
 「♪ 涙と笑顔に消されていく ……(略)…… 強く清らかな悲しみは…」
 
 こういう荒削りの言葉をためらいもなく使ってしまう作詞を、私は個人的に好きになれない。
 「涙、清らか、悲しみ」というベタな言葉を使うのは、「詩人」として恥ずかしいことだと思うのだ。
 
 しかし、この生々しい感覚が、マジョリティーの好みなんだろうな … という気もする。
 こういうストレートな詞で救われる人たちもたくさんいるのだろう。
 私は好きではないが、世の中はそれでいいのかもしれない、とも思う。
  
 

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未来社会に輝く「いのち」とは何だ?

 
 「2025年万博」の開催地が大阪に決まった。
 そこで掲げられるテーマのキャッチは、
 『いのち輝く未来社会のデザイン』
 だという。

 それを聞いて、あまり心が弾まなかった。
 きれいな言葉が並んでいるけれど、胸に迫ってくるインパクトがない。
 その言葉から、なんの想像力も刺激されないのだ。

 それはなぜなのだろう? … と考えた。
 たぶん ……
 たぶんだが、このキャッチを思いついた人が、「いのち」というものに関して、あまり考えていないからだ。

 今ロボット工学やサイボーグテクノロジーの発展は、「人類」の概念すら変えようとしている。
 人類の知能が、AI に置き換えられるかもしれない時代が来たということは、「いのち」に対する科学と哲学が変わるかもしれない時代でもあるのだ。

▼ 映画『エクス・マキナ』

 つい最近のニュースだが、「中国のある科学者が、ゲノム編集で遺伝子を改編し、世界ではじめてデザイナーベイビー(双子の女児)を誕生させた」という報道が流れた。

 「いのち輝く未来社会 … 」などという無邪気なキャッチが考えられている間に、“いのち” そのものの再考を促すような事件が起きたのだ。

 この中国の科学者の発表に対し、世の識者たちは、早くも「人間の倫理を踏みにじる実験だ」などと批判的な論評を加えているが、もう手遅れだろう。
 科学というのは、不可逆的だ。
 一度実験に成功した研究成果は、もう後戻りしない。

 今回の実験は、これまで「母胎」という生物学的な環境で生まれてきた人間の「生命」を、研究者が研究室で、受精卵を操作するだけでつくり出してしまったということなのだ。

 それが意味するものは、1818年にメアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』という空想科学ホラー小説が、ついに現実のものになったということでもある。

 報道によると、ゲノム編集による “デザイナーベイビー” の技術を応用すれば、「イケメンの子」、「足の長い子」、「運動能力に優れた子」など、親が望むような身体的特徴を備えた子供が自在にデザインできるのだという。

 そういうメリットが想像できる反面、失敗したときの悲惨さは、まだ誰にも検証されていない。

▼ 映画『ブレードランナー2049』

 そもそも、「親」の肉体的接触がなくても、デスクの上で自在にデザインできる「いのち」というのは、人類がこれまで想像してきた「人間」のイメージを軽々と超えてしまう。

 これが日常化すれば、科学だけでなく、哲学も、宗教も変わるだろう。
 「神」ではなく、「人間」が「人間」に命を授けてしまうのだから、「神がアダムとイブをつくった」という聖書の記述を絶対視するキリスト教福音派あたりの信者はそうとう困ってしまうはずだ。

 さらに、人間の「性交」に対するイメージも変わる。
 これまで、男女の交配には、「セックスを楽しむこと」と「出産のため」という二つの目的があったが、今後性行為は「快楽」のためだけに特化していくことになるだろう。
 
  
 そもそも、『いのち輝く未来社会のデザイン』という大阪万博のキャッチそのものが、人工ベイビーの登場を待つまでもなく、陳腐であった。

 こういうキャッチから想像できる未来社会は、よく都市計画のプレゼンなど使用されるパースのような光景である。
 それは、いま日本全国の駅前再開発などでどんどん実現されている、きれいだが画一的な風景と変らない。
 

 
 こういう整い過ぎた街は、そこに住む人間の心を平板なものにする。
 あまりにも清潔に整理された空間は、人間の心の陰影を埋め尽くしてしまう。
 人間の心は、どこかで猥雑なものを秘めているから、街にも猥雑さがあった方が心地よくシンクロするのだ。

 おそらく、今回の「大阪万博」のキャッチを書いたライターもそれを採用した人も、あの猥雑な魅力を持つ未来都市を描いた映画『ブレードランナー』とか、アニメの『イノセンス』、『攻殻機動隊』などを観たこともないのだろう。
 そして、大阪の風景を近未来的にデザインしたリドリー・スコットの『ブラックレイン』なども観たことがないのだろう。

▼ 映画『ブレードランナー』

▼ アニメ『イノセンス』

 80年代以降、“未来社会” のイメージは、すでに70年代万博の時代には感じられなかったディストピア的な哀愁をたたえたものになっている。

 それはそうだ。
 地球温暖化問題、大気汚染。エネルギー枯渇の問題。
 さらには、グローバリズムの進展による格差社会の拡大。
 相変わらず増大していく核戦争への脅威。
 今日われわれが直面している “未来” は、1970年当時にはなかったさまざまな不安材料に満ちている。

 だからこそ、万博の企画者たちは、「希望の見える輝かしい未来を」というメッセージを発信したかったのだろうけれど、そんな無邪気な気分になれない人も増えているはず。

 むしろ、
 「未来は滅びるかもしれない危うさがあるから、美しい」
 …… すでに、私などはそういうイメージで、未来を眺めている。

▼ 映画『ブレードランナー』

 さらにいえば、興行的成功も見込めるのかどうか。
 今回の「大阪万博」の誘致が成功して、松井府知事は、「2兆円の経済波及効果がある」と自信たっぷりに発言した。
 しかし、ほんとうにそうなのか?
 
 確かに、1970年に開かれた大阪万博は、国をあげての大イベントになり、入場者数も6,000万人という記録的な数値を示し、興行的にも大成功を収めた。
 だが、時代が違う。
 
▼ 1970年大阪万博

 
 あの時代は、日本の人口も膨張過程にあった。
 経済的にも、高度成長のど真ん中で、国中が未来志向の気分に溢れていた。

 そのときのイベントの目玉となったのは、アメリカがアポロ計画で持ち帰った「月の石」だったが、あの時代の「月の石」は、人類がはじめて見るものの象徴となり、「未知の発見」、「新しい時代の到来」というイメージをかき立ててくれるものだった。

 「2025年大阪万博」には、そういうものがあるのか?
 今回のコンセプトは、人工知能(AI)や仮想現実(VR)などを体験できる「最先端技術の実験場」だとか。  

 しかし、会場でどんな先端技術が披露されようが、48年前と今では情報の量が圧倒的に違う。
 AI もVR も、ネットやテレビを通じて、瞬時に大量の情報が押し寄せる今日、おおまかな概念はメディアを通じて取得できるので、そういう言葉から伝わる “わくわく感” がもうない。

 すでに、われわれは、巨額な費用を投じてハコモノをつくるという昭和的なイベントに対して “うんざり感” を持っている。
 そういうハコモノ企画は、人口膨張と高度成長が約束された時代の発想でしかなく、大量生産・大量消費が経済を駆動していた時代へのノスタルジーでしかない。

 あらゆることを総合しても、今回の「2015大阪万博」には、夢の広がりが感じられない。
 頑張れよ、関係者たち。アートや映画をもっと勉強しろ。
 
 

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枝野幸男氏の成蹊大学 講演会

  
 自宅から歩いて30分程度の場所に、成蹊大学(東京都・武蔵野市)がある。
 この大学には立派な欅(けやき)並木があって、ウォーキングしていると実に気持ちがいい。
 そのため、天気が良いときに散策するお気に入りのコースになっているのだが、先日(2018年11月25日)ここを通っていると学園祭(欅祭)が行われていた。

 欅並木の手前に並んだ案内板のひとつに、立憲民主党の現党首である枝野幸男氏(衆議院議員)の講演会が開かれるというインフォメーションがあった。
 ちょいと覗いてみることにした。
 
 

 
 
自民党総裁「安倍晋三氏の母校」
における野党党首の講演会 !

 この講演会は、同校の政治学研究会というサークルが主催したものらしい。現総理の安倍晋三氏の卒業校だけに、このサークルもなかなか大胆なことをやるなぁ … という思いを持ったが、それだけに興味も沸いた。

 会場となった講堂にはおよそ300人程度の聴衆が詰めかけていて、学生が中心かと思いきや、どこで情報を手に入れたのか、意外と中高年の姿が目立った。
 3割程度が現役学生らしき人たち。
 ほかの3割が、若いけれどすでに社会人といった感じの人たち。
 次の3割が白髪頭のシニアたち。
 残った1割が正体不明の人たち(枝野氏のSPとか事務所役員かな?)。
 男女比率は男性7に対し、女性3といった案配だった。
 

 
 結論から先に述べると、この講演会は非常に面白かったし、勉強にもなった。
 そして、あらためて枝野幸男という人のトーク能力の高さにも感心した。

 冒頭、枝野氏はこういう。
 「多くの方々は、“野党” というと、常に与党議員に激しく罵声を浴びせている狭量な政治家たちという印象を持たれるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません」

 それは、「国会審議などの場で、そういうところだけを切り取って報道するマスコミの伝え方の問題なんです」という。

 むしろ、国会で審議される法案の8割方は、自民党も共産党もいっしょになって、冷静な打ち合わせのもとで可決されていく。
 「しかし、それではニュースにはなりませんよね」
 と、枝野氏は笑う。
 「だから、残った2割の部分 … つまり、与野党の意見の噛み合わないところだけをマスコミは切り取って、クローズアップするわけです」

 その方が映像的にもドラマチックになり、政治番組としての面白みが生まれる。

 枝野氏は一つの例を出す。

 「最近の話ですが、サイバーセキュリティー担当大臣になられた自民党の議員さん(桜田五輪相)が、パソコンを使ったことがないということが話題になりました。
 その議員さんに対し、野党が『USBメモリ』って言葉を聞いたことがありますか? などと質問する。
 そのとき、ほとんどの視聴者は、“野党はずいぶんバカバカしい質問をするなぁ” と思われたのではないでしょうか。
 あの場面だけ見ていれば、私もそう思います。
 でもね、あのあと、しっかりした議論がちゃんと進んでいるんです。
 しかし、そこは面白くないので、マスコミは、笑いの取れる最初のシーンだけを何度も繰り返すんですね(笑)」
   
 
「平成」が終わった後の政治

 そういう軽い語り口の導入部のあと、枝野氏はやがて今回のテーマに移行していく。
 テーマとは、
 『平成最後に考える、今後の政治のあり方』。

 この議題を前に、枝野氏は、まず「平成」とは何だったのか? という問題を提起する。
 
 「平成という時代が何であったのか、今あちこちで見直しが始まっていますが、私の考える “平成の30年間” というのは、昭和のときにはうまくいっていたものが、うまくいかなくなってしまった30年だと思っています」

 政治思想においてもしかり。
 平成になると、昭和的な発想がまったく通用しなくなった、と枝野氏はいう。
 たとえば、昭和の時代に機能した「右(保守)」と「左(革新)」という分類。

 昭和の時代に「右」といえば、それは、政治体制において産業育成においても「強いものをどんどん強くすることによって、日本を引っ張っていく」という考え方を意味した。
 それに対し、「左」といえば、「強いものの横暴を食い止めて、弱いものを助ける」という考え方を指した。

 「しかし、今はそのどちらの言い分も通用しません」
 と枝野氏はいう。

 「“右” も “左” も、ともに競争を煽れば経済が成長するという考え方が前提となっていて、その成長を加速させるか、それともブレーキをかけるかという違いでしかなかったわけです。そこに、昭和的な発想の限界があったと思います」

 では、そういう “昭和的発想” は、いったいどうして生まれてきたのだろうか?
  
  
日本は貧しかったから “豊か” になれた

 「昭和の中頃、戦争に負けた日本は、空襲で焼け野原になった大地を眺めながら、官民一体となって復興を目指しました。とりあえず世界にモノを売って、そこで得た資金で生活を豊かにしようと考えたわけですね」
 それが、戦後の高度成長をうながした、と氏はいう。

 なぜ、それが可能になったか。

 「人件費が安かったからです。戦争に負けた日本は貧しかったから、労働賃金も安かったわけです。そういう状態で作られる商業製品は、けっして質の高いものではなかった。でも安かったから、世界中 … 特にアメリカで売れるようになっていきました」

 今日、“メイドイン・ジャパン” というのは、高級・高品質商品の代名詞となっている。
 しかし、当時は、品質よりも安さが「武器」だったのだ。

 「それと同じことを、いま中国や東南アジアがやっています」
 と枝野氏。
 「産業が興隆するためには、どこの国もこういう過程をたどらなければならないのです。
 ただ、いつまでもそういう状態は、続かない。儲かってくると、その次を目指そうとするからですね」

 “その次” とは何か。

 「各企業はさらに儲けようと思いますから、儲かったおカネで新しい工場をつくろうとします。
 当然人を増やさなければならなくなります。
 同じように、どこの会社も人を増やし始めます。
 そうなると、給料をあげてくれない会社には人が来ないことになります」
 
 けっきょく、「さらに儲けよう」という意欲が人件費の高騰を招くことになる。
 それは社会の豊かさの指標ともなるが、逆にいえば、産業のもっとも活力ある部分を、人件費の安い新興国に奪われることになる。

 「それが、いま日本に突き付けられている問題です」
 と氏はいう。
  
 
大量生産型の産業構造は時代遅れ
  
 「つまり、日本はもうミャンマーやベトナムでつくっているような商品はつくれないんです。そういう商品は、日本人の5分の1とか10分の1の賃金で引き受ける国が担当するようになったんです。
 そうなると、日本では、特別な技能を持った特殊な人しかつくれない商品を手掛けざるを得ない。
 つまり、大量生産品はもう日本ではつくれない状況になってきているんですね」
 
 それなのに、…… と枝野氏は力説する。
 「日本は、いまだに大量生産品をつくるような発想で産業に臨んでいる。これが平成になって、世界から取り残される日本を生んでしまった理由です。
 つまり、安いから競争力を持つような商品で戦う時代は、もう昭和で終わっていたんです」
 
 そういう状況のなかで、輸出産業はなんとか頑張っている、と氏は語る。
  
 「日本の全産業のなかで、輸出産業は比率でいえば15%程度ですが、世界のライバルたちとしのぎを削っているうちに、日本にしかできないようなことを手掛け始めているんですね。
 つまり、大量生産で勝負してくる国々にはできないような商品を企画するようになったんですね。
 大量生産を進めるにはマニュアルが一つあればいいんですが、日本の輸出産業は簡単にはマニュアル化できないものを手掛け始めています」
 
 その一つに、製品そのものをつくるのではなく、「製品をつくるための “製品”」 、すなわち生産用機械の製造がある。
 この分野において、いま日本はものすごいアドバンテージを持とうとしているのだとか。
 
 
デフレからの脱却や個人消費が伸びない理由

 このように、輸出企業のなかには、日本の産業構造を改革するようなアイデアが現われてきているというのに、なぜ日本全体の経済状況は好転しないのか?

 デフレからの脱却もままならないし、個人消費も伸びない。
 それはなぜか?

 ここからが、野党の党首らしい分析になっていく。

 「けっきょく、現政権の産業育成の方向や経済政策が、問題の本質と向き合っていないんですね。
 日本は確かに豊かな国になりました。
 おカネ持ちの方も増えました。
 でも、考えてみてください。
 おカネ持ちというのは、おカネを使わないのです。
 いま話題になっているカルロス・ゴーンさんの例をとってみても分かるように、おカネ持ちは個人資産を使いたがらないのです」

 確かに、これは真理かもしれない。
 人間、何でも買えるほどのおカネを持ってしまうと、“モノを買う” ことそのものへの興味を失ってしまう。あとは、いかにカネを貯めるかという、マネーゲームの方に興味が移っていく。
 ゲームによって満足されるのは、けっきょく「自分はカネ持ちである」という虚栄心だけ。
 根底にあるのは、さびしいニヒリズムだ。 
  
  
昭和とともに消えた中間層
 
 枝野氏は続ける。

 「おカネを使うのは、圧倒的に中間層です。かつて日本の経済が大繁栄を遂げたのは、世界にも例をみないほどの分厚い中間層が出現したからなんですね。
 “一億総中流” などという言葉も生まれましたが、国民の大半が中流生活を営める国なんかつくったのは歴史的にも日本だけです。
 それは、自民党という “世界でもっとも有能な社会主義政権” がつくりだしてくれたものです(笑)」
 
 と笑いを取った枝野氏。
 それに続くコメントはこうだ。

 「でも、そういう中間層が大量に出現した時代は、昭和で終わりました。
 では、平成という時代は、どういう時代なのか。
 中間層が消滅し、おカネ持ちの方と、貯蓄もままならないような方との2極分解が進んでいった時代といえるでしょう。
 つまり、格差社会が広がったわけです」


  
  
今のままではシニアマーケットは枯れていくだけ
 
 没落していった中間層のなかで、まだかろうじて、昭和期に保証された自分の資産を維持している人たちがいる。
 それがシニア層だ。

 60歳~69歳ぐらいのシニアの平均貯蓄額は、2,402万円。
70歳以上でも、2,389万円(2016年データ)。
 このようなシニアの貯蓄が市場に流れてくれば、日本経済はそうとう潤うことになると専門家たちはいうが、シニアの財布のヒモは非常に堅い。
 
 なぜか?
 
 「将来の不安があるからですね」
 と枝野氏。
 「今の日本は、介護が必要になってくる老人たちの人生設計を保証してくれるような国家制度ができていない。
 介護に対する不安が解消されないかぎり、シニアの消費が伸びることはありません」
 
 同じように、子育て世代を支援するシステムも確立されていない。
 たとえば保育園の整備も遅々として進まない。
 これらの問題は、老人を世話する介護士や、保育士の給料が安すぎることに起因している。
  
  
新幹線整備よりも介護士・
保育士の給与保証が先

 
 ここでついに現政権に対する批判が、枝野氏の口から飛び出す。
 「日本の個人消費を伸ばすには、まず介護士や保育士の給料をしっかり保証する制度をつくらなければなりません。
 リニアモーターカーや新幹線の整備を優先するよりも、人間のケアをする仕事をしっかりとサポートする。
 平成の次に来る時代には、そういう政治が求められることになります」
 
 新幹線の整備に代表されるようなインフラ投資というのは、「昭和の発想である」と枝野氏はいう。
 
 「ハコモノさえ整備すれば、それで景気が浮上するというのは、いまの人口減少の時代にはもう通用しないんです。
 だって、新幹線を整備しても、誰が乗るというんですか? 地域の過疎化はどんどん進んでいます。
 過疎化が進めば、もう新幹線の通るエリアを観光地化するなどという活力もなくなるのです」

 (※ なお、枝野氏は、今回誘致が決定した「大阪万博2025」には言及していないが、私が個人的に考えるのは、こういう “ハコモノ” 企画で「経済波及効果」を狙うという発想が、いかにも「昭和的」だという気がする)

 人口減少は、さまざまな問題を生む。
 人がいなくなるので、昭和の時代に機能していた地域コミュニティーのようなものも先細りしていく。
 老人介護や子育て支援のようなものは、かつては地域コミュニティーの活動テーマの一つだった。
  
 それがなくなった分、国家が肩代わりせねばならない。
 そういう問題意識を、はたして現政権は持っているのか?
 
 …… と、まぁ、枝野氏のこういう指摘のなかに、いかにも野党の党首らしい視線を感じることができた。
 が、基本的に、枝野氏は目新しいことを言っているわけではない。その発言内容は、すでに世の識者たちが言及しているものを超えることはなかった。
 これくらいの話だったら、政権与党のなかでもしっかり展開できる人はいるだろう。
 
 ただ、そういうテーマを、人の気持ちをそらさずに、非常に分かりやすい口調で解説するトーク術はなかなかのものだった。

 最後に、枝野氏が期待する “ポスト平成人” の人物像に対して一言。
 氏はいう。
 これから望まれる人材は、
 ➀ あえて空気を読まない人
 ② 同調圧力に屈しない人

 「個性」「個性」といいながらも、けっきょくみんなと同じことをやってきたのが、昭和的な生き方だった。
 大量生産・大量消費の時代は、それでよかった。
 そういう生き方が通用しなくなったのが、平成だったはずなのに、けっきょく多くの日本人は昭和的感性を引きずったまま平成の30年を生きてしまった。
 だから、次の時代こそ、国民一人一人が自分の頭でモノを考え、自分の感性を大事に生きていくようになってほしい。
 …… というのが、枝野氏からみた “望まれる人物像” であった。
  
 「しゃべり」には人間性が出る。
 枝野氏というのは、なかなか魅力的な人間であると、私は感じた。
 たぶん受講者のなかには、彼のファンになった人たちも多かったのではあるまいか。
 講演のテーマは、「平成の最後に考える、今後の政治のあり方」というものだったが、政治だけでなく “政治家” のあり方についても示唆したイベントのような気もした。
 
 1時間半にわたる講演のあとに、30分ほど質疑応答の時間が設けられた。
 受講者からの質問を受けて、憲法問題、消費税の問題、原発の問題、小選挙区制の問題などについても言及があったが、そういうテーマは、今後与野党政治家が集まるテレビ討論会などでもさんざん出るだろうから、あえてここでは触れない。
   
 

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カルロス・ゴーン氏 風と共に去りぬ(Gone with the Wind)

 

 1936年に出版されたマーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』は、世界的なベストセラーになったが、その原作をもとにした映画も空前の大ヒットとなった。
 
 舞台は南北戦争下のアメリカ。
 アイルランド移民の父と、フランス名家の母を持つ南部女性が主人公となる話。

 Wikipedia によると、『Gone with the Wind』というタイトルは、南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」ことを意味する。… とか。

 ヒロインの名前は、スカーレット・オハラ。
 その性格は、気が強いだけでなく、機敏で、計算高く、貪欲なエゴイスト。極めて自己中心的な精神を持つが、けっして困難には屈しないプライドと意志の強さを持つ。
 能力としては、算数に強く、商才があり、異性の心をつかむ技術にも長けている。
(Wikipediaより)。

 このヒロイン像、どことなく、いま話題の渦中にあるカルロス・ゴーン氏のキャラクターを彷彿とさせないか?

 男と女という違いはあるが、財を成す人間というのは、「算数に強く、計算高く、商才があり、プライドと意志が強い」という共通性があるということなのだろう。
 移民でありながら、フランス文化を身に付けているというヒロインの生い立ちも、多国籍的な文化を生き抜いたゴーン氏の出自に近い。

 『風と共に去りぬ』の物語の方は、ヒロインが南北戦争により、娘も、夫も、農園も失ってしまうことになるが、それでも力強く再起を誓うことを暗示するシーンで終わる。
  
 ゴーン氏の復活はあるのだろうか。
  
 
 
 

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カルロス・ゴーン失脚とグローバリズムの終焉

  
平成最後の大事件 !?
  
 日産自動車のカルロス・ゴーン会長の逮捕は、この年末の最大のニュースとなりつつある。“平成最後の大事件” などと評する人もいる。
 
 当初、ゴーン氏の逮捕は、「有価証券報告書の虚偽記載」といった金融取引上の違反が発覚したという報道であったが、その後の調査によって、日産への経営支配を強めようとしたルノー側に対する日産側の “クーデター” ではないかという見方が強まってきた。
 今後の展開がどうなっていくのか、今はまだ予測もつかないが、なんとなく、「時代の潮目」が変わったことを示すような事件ではなかったか … という思いは強い。

 「時代の潮目」というのは、いうまでもなく、グローバリズムの “終わりの始まり” が見えてきたというような意味である。

 カルロス・ゴーン氏は、フランスのルノーと日本の日産(&三菱)という東西を代表する自動車会社の総指揮を執るグローバル企業の代表的経営者だった。
 3社を合わせた世界販売実績は、昨年トヨタを抜いて2位(1位はVW)。
 数あるグローバル企業のなかでも、もっとも華やかな業績を誇る会社を統率する人物といえた。

 その年収は、日産だけでも、10億9,800万円(2016年度データ)。
 これに 9億4,000万円といわれるルノーの年収と、さらに三菱の年収などを加算すると、約20億円以上になるといわれている。

 しかし、世界的な基準でいうと、ゴーン氏の報酬はまだ低い。
 世界のグローバル企業の経営トップの報酬は、100億円程度がざら。
 2016年度に1番に輝いた経営者の年間報酬は210億円だそうだ。

 このような経営者の報酬が高騰する傾向は、グローバル企業の特徴の一つに過ぎないが、しかしそれは、ある意味グローバリズムの本質を物語る象徴的な特徴であることは間違いない。
 
 
海外のCEOが莫大な報酬
を手にできるのはなぜ?

 なぜ、グローバル企業の経営者に、このような富の一極集中化が起こるようになったのか?
 
 ひとつは、企業規模がグローバル化したせいで、その収益が国内産業にとどまっていた時代の規模をはるかに超え、ケタ外れに膨大になったことが挙げられる。
 
 次に、そのグローバル化の進展とともに、様々な経験を積んだプロフェッショナルな経営者たちが生まれるようになり、自分が身に付けてきた「経営手腕」という能力を “商品” として売り始めたことも大きい。
 
 実際に、ゴーン氏も、「グローバル産業のなかでももっともハードなコンペティションを繰り広げている自動車産業で生き残るには、経営手腕のある人材の確保が何よりも大切であり、その人材をつなぎとめるためには、競争力のある報酬が確保されなければならない」と、自らの立場を説明している。

 このように、海外のCEOたちは、自らの欲望レベルを高く誇示することで “レジェンド(神話的人物)” として自分を売り込む技術を身に付けてきたということがいえるだろう。
 
 
格差社会を生んだグローバリズム
 
 しかし、グローバリズムの先端をいく企業が栄えていく世界では、それを運営する経営責任者が高額報酬を取る代りに、一般大衆との経済格差が広がるという状況が生まれるようになった。

 オバマ政権の末期、アメリカの若者たちが、ニューヨークのウォールストリートを “富の簒奪所” として非難し、「アメリカの富の99%は、人口比率でいえばわずか1%のセレブたちが牛耳っている」と叫んでデモを起こしたことがある。

 そういう若者たちは、その後トランプ政権が誕生する前の大統領選挙では、民主党のサンダース候補を応援し、「経済的平等をもたらす社会主義政権をアメリカでも樹立させよう」という運動を起こした。

 しかし、そういう認識が広がってきたのは、ここ最近のことで、グローバリズムが世界に広がり始めた1990年代においては、どこの国でも一般大衆は経済格差の広がりを容認せざるを得なかった。

 なぜなら、グローバリズムを志向する新自由主義社会の “モラル” が「弱肉強食」と決まったからだ。
 激動する世界経済のなかで生き残るためには、弱者の “しかばね” を食い切っても、残った者が必死で生き延びなければならないというのが、新しい時代のモラルになったのだ。
 
 
「痛みを伴う改革」の正体
 
 これは日本では2000年代初期の小泉元総理の「郵政改革」の時代に当たる。
 小泉氏は、総裁選を戦う過程で、ことあるごとに「痛みを伴う改革」の必要性を説き、その言葉を呑み込んだ国民の多くは、“生き残るための痛み” に慣れるための耐性を身に付けようとした。

 実際、1990年代後期、グローバル化の波に乗り切れなかった日本企業は、どこも青息吐息だった。
 カルロス・ゴーン氏を迎い入れた19年前の日産自動車も同様で、2兆円の借金を解消できず、もういつ死んでもおかしくないという瀕死の状態であった。
 だから、日産社員も、企業を再生させるための大量リストラも覚悟せざるを得なかったし、コストカットの要求を消化しきれなかった下請け業者も、取り引きの継続を断念せざるを得なかった。

 もちろんゴーン氏の神技に近い業績回復は、社員の削減や下請け業者への圧迫だけでなされたものではない。それ以外のあらゆる面において緻密な合理化が進められた結果であることは間違いない。
 その手腕は多くの専門家やメディアも認めるところで、経営者としてのゴーン氏の能力の高さは誰にも異論を差し挟む余地がない。

 しかし、ゴーン氏の経営感覚は、あくまでもグローバル社会で強いられるコンペティションを乗り切るためのものでしかなかった。
 
 そのグローバリズムが行き詰まりを見せる時代になってきたら?
 
 実際に、2010年代に入ってくると、新自由主義的なモラルが席巻するグローバル社会のほころびがだんだん見えるようになってきた。
 その一つの例が、2016年のイギリスで起こった「EU離脱」事件である。
 これは成蹊大学の今井貴子教授が説明するように、世界的なグローバル経済の流れに「置き去りにされた人々」の反乱という性格があった。

 同じ年に開かれたアメリカ大統領選では、グローバル経済の繁栄から取り残されたラストベルトの有権者たちの心をつかんだトランプ氏が大統領に選ばれ、彼によって「反グローバリズム」と「自国優先主義」がはっきりと打ち出された。

 そういった意味で、2016年というのは、グローバリズムの最先端を押し進んできたアングロサクソン系の国家が、それぞれ逆向きに舵を切ったことを示す象徴的な年であったかもしれない。
 
 
グローバリズムにブレーキがかかった理由は?
 
 いったい、なぜこのようなグローバリズムの進展に歯止めがかかるような出来事が起こり始めたのか?

 それは資本主義の本質にも関係してくる話だ。 
 『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社 2017年)を近著に持つ法政大学の水野和夫教授によると、もともと資本主義そのものが、常に地理的な「中心」から「周辺」に向かって動き続けるグローバルな運動体であったという。

 つまり、資本主義というのは、常により安い労働力と、より収益の上がる市場を求めて、ひたすら国境を越えようとするところに、その “本性” があるというのだ。
 
 このような資本主義の本質が全面開花したのが、1990年代である。
 そのきっかけとなったのが、1989年の「冷戦終結」であった。
 それまで対立しながらも安定した構造を維持していた「資本主義陣営」と「社会主義陣営」が、資本主義の圧倒的な勝利によって冷戦を解消し、それを機に、地球全体が資本主義の渦に巻き込まれるようになったのだ。
 
 
フロンティアをなくしてしまった資本主義

 しかし、そのことは逆に、資本主義の寿命を縮めることにもつながった。
 なぜかというと、先ほどもいったように、資本主義というのは常に「中心」から「周辺」(フロンティア)に向かって開拓地を広げていく運動体なのだが、冷戦後、地球をグローバライズさせる活動を急ぎ過ぎたため、地理的なフロンティアが姿を消してしまったのだ。

 専門家によると、より安い人件費を求めて、中国、東南アジアとフロンティアを広げてきたグローバル企業が、ついにバングラディッシュまでたどり着いたときに、地理的なフロンティアは消滅したという。
 そのあとはアフリカ大陸が残っていたが、アフリカ諸国は地中海側を除くと人口の集約率が低いため、労働資源を確保するのが大変。そこに工場を新設しても採算が採れるかどうか疑問視されているとも。

 では、地理上のフロンティアが消滅し始めていることに気づいたグローバル資本主義は、どこに活路を求めるようになったか?
 
 それぞれの国家の内部に、もう一度「中心」と「周辺(フロンティア)」をつくらざるを得なくなったといっていい。
 つまり、マルクスが『資本論』を書いた時代と同じような、富める資本家(中心)と貧しい労働者(周辺)というきわめて古典的な階級社会が、どこの国においても出現するようになったといえる。
 
 
国家の内側に再発見された
「中心」と「周辺(フロンティア)」

 
 リーマンショック時のアメリカに例をとってみれば、「周辺」に追いやられたのが、サブプライムローンなどを組まされた低所得者たちであり、「中心」となったが、そこから利潤を得ようと画策したNYウォール街の相場師たちだった。

 日本の場合は、労働規則の緩和によって生まれた多くの非正規雇用者が「周辺」に追いやられ、そこで浮いた社会保険や福利厚生のコストを利潤に回すことのできた企業が「中心」となった。

 これが、「格差社会」の実態である。
 グローバル企業の成長によって、各国民の経済格差が広がり始めてきた背景には、そういう問題が横たわっている。

 イギリスのEU離脱派勢力の台頭も、トランプ大統領の支持基盤が固いのも、そういう格差社会の広がりに対する抵抗運動という側面があることは見逃せない。

 日産のカルロス・ゴーン元会長の失脚というのも、過度な役員報酬を当たり前のように保証していたグローバリズムが、ある意味で曲がり角を迎えていることを示唆する事件なのかもしれない。
 
 
参考記事 「カルロス・ゴーン氏 風と共に去りぬ(Gone with the Wind)」

  
 

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成蹊大 今井貴子教授の50周年記念ゼミ

 
 2018年11月18日、成蹊大学(東京・武蔵野市)で法学部の「創立50周年記念行事」として、同校の法学部諸教授によるゼミが開かれた。

 これに参加する機会を得たが、とても刺激を受けた。
 全部で18項目におよぶゼミのテーマが用意されていたが、それを告知するパンフレットにはなかなか魅力的な議題がそろっていて、どれを受講するかかなり迷った。

 18項目のうち、自分が特に「面白そうだな!」と興味を抱いたのは下記のようなものだった。

 「AI ・ロボットと法」
 「AI 時代の戦争と国際法」
 「英国社会の分極化とEU離脱問題」
 「平和を欲するならば戦争の準備は必要か?」
 「2018年アメリカ中間選挙」
 「マックス・ウェーバーの新訳『仕事』を読む」
 「戦後思想を考える」
 「漢字の源流 ― 秦始皇帝の文字統一の実態」
 「19世紀末の短編小説の解釈の試み」

 何日かに分けて開催してくれるのなら、このうちの三つか四つぐらいは受講したかった。
 … とか書くと、私のことを、アカデミックな学問を愛する学究肌の人間のように勘違いする人がいるかもしれないが、自分の青春は “学問” とは無縁だった。
 いちおう「学生時代」というものを経験したが、どちらかというと、麻雀とナンパとギターに明け暮れた生活だったので、もったいないことに、ゼミの雰囲気というものも知らずに卒業してしまったのだ。

 だから、「一度だけでもゼミというものを経験してみたい」と勇み立ち、受講を申請した。大学というものを卒業して、44~45年目ぐらいの初体験ということになった。

 選んだテーマは、「英国社会の分離化とEU離脱問題」。
 ゼミの担当教員は成蹊大学・法学部教授の今井貴子氏(写真下)だった。

 2016年に起こったイギリスのEU離脱は、衝撃的な事件だった。
 EUというのは、ヨーロッパ・グローバリズムそのものを体現した存在だったから、当時地球規模で広がっていたグローバル社会の理念的象徴でもあった。

 イギリス国民は、そこからの離脱を国民投票で決めたのだ。
 世界に亀裂が入った瞬間だった。
 いったい何が起ころうとしていたのか?

 「排他的な分断社会の到来」
 そういう時代が始まろうとしていたことが、その年の11月に選挙で当選したトランプ米大統領の誕生でより明らかになっていく。

 そういう潮目の変化を確認する意味でも、「イギリスのEU離脱」は重要なテーマだという気がした。
 テキストとして選ばれたのが、水島治郎・著『ポピュリズムとは何か』(中公新書)という本だったので、それにも興味を感じた。
 
 
ゼミ聴講生たちの意識レベルの高さ
 
 当日、同ゼミの参加者として集まったのは、およそ30人ほど。
 男女比率でいうと、男性7:女性3という割合であったが、年齢はさまざま。
 男性は72~73歳を上限に、60代から50代といったシニア層がメイン。それ以外は現役の学生と社会人1~2年生といった若者。
 女性は20代から30代ぐらいの若い女性が中心で、現役の学生のほか、子育て真っ最中の主婦もいた。

 最初に参加者が一人ずつ自己紹介を兼ねて、同テーマのゼミを選んだ理由を述べる段取りとなった。

 これがすげぇのよ ! 
 参加者の意識レベルの高さがハンパないわけ。
 「私は恥ずかしながら物見遊山の気分で参加しました」
 とか自己紹介しつつ、その後に、
 「価値観が均等化されたはずのグローバル社会のなかで、国民の意識の分断化がなぜ生じてきたのか、今日はそれを知りたくてやってきました」
 とか、誰もが明確な目的意識を持っていることをアピールするわけよ。

 各自の自己紹介のあと、今井教授が15分ほどテキストをおさらいしたのち、参加者たちの質問や討議が始まった。
 討議内容の詳細は省くが、ここでは本ゼミをまとめた今井教授の論点を簡単に紹介する。
 
 
「離脱賛成者」たちのキャラクターは
メディアではどのように描かれたか

 
 今井教授は、2016年9月に岩波書店から発行された『世界』という総合誌において、「分断された社会は乗り越えられるのか」というタイトルのもとに、イギリスのEU離脱の真相を分析されている。

 2016年当時、この “離脱騒動” が各国のメディアでどのように扱われたかのか。
 例外なく、どのメディアにおいても、次のような言説が国を超えて流布した。

 「EUに残留することを主張した人々は、イギリスの政治・経済・文化に深くコミットした若い知的エリートたちだが、離脱を叫んだ人々は、国際的な問題に関心を持たない低学歴・低所得の中高年労働者だった」
 そして、
 「この離脱派グループは、移民の流入にも反対し、自分たちの “排他的で狭量なエゴイズム” をむき出しにした」

 日本のメディアも、離脱騒動の渦中においては、こういう報道の構図を守ったため、日本人の多くも、
 「イギリスでは反知性主義的な大衆がポピュリストたちの扇動に乗せられ、一時的な熱狂に浮かされて愚行を犯した」
 という視線でこの事件をとらえるようになった。

 しかし、今井教授はいう。
 「1,740万人を超える人々が一時的な扇動や感情のままに行動したとみなすのは無理がある。
 むしろ、彼らの行動は、すでに分断が進行していた社会のなかで “何かを取り戻したい” という強い意思に従ったものであったと考えるべきではないか?」

 では、彼らは何を取り戻したかったのか。
 
 
「離脱賛成者」たちが望んだのは
デモクラシーの復権だった

 
 教授によると、それは、「コントロールする力を取り戻せ!」という叫びだったという。
 コントロールの対象は、経済政策、病院や学校などの公共サービス、そしてなかんずく移民の流入だった。
 
 教授はいう。
 「離脱賛同者が取り戻したかったのは、仕事、賃金、生活、そして将来に対する自己決定権であり、その回路としてのデモクラシーであったと考えられる。
 “移民反対” というのは、それを主張するときの象徴的なスローガンとして機能した側面がある」

 つまり、
 「雇用や社会政策に自らのニーズが反映されないとする彼らの不満の淵源は、EUの問題というよりも国内政治の問題であった」
 (『世界』 2016年 9月号) 
 
 
「置き去りにされた人々」

 以上のような視点がまず提示され、ゼミの討議が始まった。
 参加者の多くが問題にしたのは、本ゼミのテキストでも大きく取り上げられた「置き去りにされた人々」についてであった。

 「置き去りにされた人々」というのは、イギリスの中高年労働者たちのことである。
 その多くは、低学歴の白人労働者階級であり、50年ほど前までは、彼らが人口比率においては圧倒的多数派であった。

 しかし、その後、徐々に大卒の知的エリートが労働市場の中核を占めるようになり、やがて経済、社会、政治、メディアを支配し始める。
 それによって、中高年のブルーカラー労働者の雇用も圧迫され、彼らは経済的にも文化的にも、次第に社会の周縁部に追いやられていく。
 これが「置き去りにされた人々」を形成していく。
 
 
 では、この「置き去りにされた人々」は、日本にも登場することになるのだろうか。
 それとも、すでにこの日本にも存在しているのだろうか。
 ゼミの議論は、そのテーマをめぐって旋回し始める。
 
 ある参加者はこういう。
 「近年は日本においても経済格差が広がりつつあり、非正規雇用の問題も見過ごすことができない状態になりつつある。イギリスで起こった事件は他人事ではない」

 別の参加者はいう。
 「置き去りにされた人々というのは、たぶんこういうゼミなどに参加する機会のない人々であり、我々のような人間とは生活圏が異なることも多い。
 だから、こういう討議をする場合、我々は抽象的な議論で終わらないように注意しなければならない」

 それを受けて、他の参加者がいう。
 「自分は建築会社に就職して、建築現場においては下請け業者たちを指揮する立場にいる。そういう状況に接すると、日本においても、低学歴で、雇用の不安定な労働者たちがたくさんいることが分かった。
 そういう人たちと、今後自分はどういう社会関係や信頼関係を結んでいけばいいのか。それが大きな課題でもある」

 こういう切実感ある意見を述べたのは、概して若い人たちであった。
 彼らは一様に、「置き去りにされた人々」に寄り添うようなスタンスでものを語った。

 それに対し、(自分も含め)シニア世代は、先輩としての自信があるせいか、どちらかというと、知識として蓄えた自分の知見を披露したいという意欲が旺盛であったように感じた。
  
  
日本でも格差社会は広がりつつあるのだが …
  
 では、このゼミのテーマの一つにあがった「置き去りにされた人々」という問題を日本に置き換えてみたとき、果たしてどういうことになるのか。

 近年の調査によると、「平成」という時代が始まって以来、日本における経済格差・社会格差の広がりはそうとう深刻になってきており、「格差」というより、すでに「階級化」が始まっているという見方もある。

 「平成」期に入ると、昭和の高度成長期に生まれた膨大な中間層が没落し、国民がいくつかの階層に分かれるようになった。
 この階層の頂点に立つのは、一部の超大富豪とそれに準じる富裕層。その下に、人口比率でもっとも多い一般労働者が控えるという構造が生まれたわけだが、最近は、この3極の下にさらに、一般労働者の生活水準も維持できない “下層階級” が大量に生まれているといわれている。

 その最下層に位置する人々のなかには、若い頃から定職もないまま非正規雇用という立場に甘んじてきた人々が含まれており、その多くは結婚して家庭を持つ余裕もなく、少子化の大きな要因を構成している。
 問題なのは、その人たちの高齢化がこれからどんどん進んでいくことだという。

 日本における「置き去りにされた人々」というのは、この層がさらに厚くなったときに顕在化してくるはずである。

 ただ、これを悲惨な問題として捉えることは大事な視点ではあるが、日本という国は特殊な国で、そういう社会的な困窮を、文化的に救済する方法が浸透しているという気もするのだ。

 その一つの例が、テレビの芸人たちの生きざまであり、また低学歴の若者でも高学歴のライバルに気後れすることがないように生きられる「ヤンキー文化」である。
  
  
置き去りにされた人々が、日本文化の主流を占める時代
  
 日本は学歴社会だといっても、韓国のような「受験競争を乗り切って有名校に入らなければその後の人生がなくなる」というほどの厳しいものではない。
 日本には、学歴エリートを目指すことをあきらめた子供たちが、次に目指すべきロールモデルを持てるような文化が形成されている。
 その一つが前述した “芸人文化” だ。

 日本の子供たちは、早いうちから自分の生活環境などを観察して、自分の家が有名大学に子供を進学させるような家庭でないことを察知する。
 そういう子供たちが、学校でまず身に付けようとするのが、特定の友達を面白おかしくいじりながら、見物人たちの笑いを取る “芸人術” である。

 日本のお笑い芸人の層がこんなに厚いのは、それが、非エリートとして生きる覚悟を決めた子供たちのロールモデルとなっているからだ。
 日本の芸能界は彼らに対して、実に公平に、平等に門戸を開く。
 成功すれば、彼らはエリート社会人の数十倍、数百倍のギャラを一気に稼ぐようになる。
 
 
日本はヤンキー文化の国になりつつある
 
 芸能界入りをあきらめた子供たちを “温かく(?)” 包むのが、地方のヤンキー文化である。
 ヤンキーは、けっして「不良」ではない。
 それは、学歴格差や経済格差に劣等感を持つことなく、エリートたちに堂々と胸を張れるひとつの「文化」である。
 
 だから、ヤンキー文化は、おのれの正統性を主張するために、地方の伝統行事などとの親和性を強める。
 祭りの日に、いちばん威勢よく神輿を担いだりする若集には、ヤンキー系が多い。
 
 彼らは「仲間との絆」を確かめることに美学を感じており、仲間の窮地を救うためには、自分が犠牲になっても、もっとも悲惨な場所に身を投じる勇気(蛮勇?)を持っている。
 2011年の東日本大震災のときに、被災地のがれき撤去などの作業に率先して従事したボランティアのなかには、けっこうヤンキー系の若者も多かったという話も聞いている。
 
 こうしてみると、欧米先進国では「置き去りにされる」境遇に生きるはずの人々が、日本においては、メジャーな国民文化を形成しつつあるという構図が見えてくる。
 そこに日本という国の特殊性があるように見える。
 
 
  

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“ワンピース原理主義者” たちの思想

 
 ずっと昔の話になるが、このブログで、アニメ『ONE PIECE(ワンピース)』のことを書いたことがある。(『ワンピース』ってどこが面白いの? 2016年8月23日)。

 いまだに、このタイトル名を検索して閲覧してくれる読者がいる。
 “どこが面白いの?” という検索ワードを拾ってくれたということは、やはりこのマンガの人気に同調できない人かもしれない。
 いずれにせよ、2年前に書いた記事に反応してくれるわけだから、巷では、相変わらずこの作品が話題になっているようだ。

 そういえば、やはりつい最近のこと。
 近所の焼き鳥屋で、カシラを焼いてもらいながら、緑茶ハイを飲んでいると、隣の男性2人が『ワンピース』を語り合っている場面に遭遇した。

 職場の先輩・後輩らしい2人で、年のころは30代から40代ぐらい。
 先輩らしき人が、しきりにこの作品に対して熱弁をふるっていた。

 「おめぇよ、このマンガは何がすげぇかっていうとよ、とにかく主人公がめちゃめちゃやられるわけよ。
 もうコテンパンなわけ。
 こんなに主人公がくたばっちゃうマンガなんてよ、おめぇ読んだことある?
 でもよ、負けねぇんだよ。
 最後にはよ、立ち上がっていくわけ。
 涙出るぜぇ !」

 すると、後輩らしい男が、
 「そっすね ! 泣けますよね !」
 と相槌を打つ。
 
 ふぅ~ん …… と、心のなかでうなずきながら、聞いた。
 別に、この2人の感想に異論があるわけではない。
 ただ、“主人公がめちゃめちゃ叩かれる” ってことが、そんなに珍しいことか?
 とは思った。
  
  
『ワンピース』には名言・名セリフが多い?
 
 家に帰って、あらためて、『ワンピース』をめぐるネットの声を拾ってみた。
 やはり、ファンにとっては “神マンガ” のようだ。
 ある熱烈ファンサイトでは、こんな指摘があった。

 「(ワンピースには)名言や名セリフが多い」
 その例として、ある登場人物のセリフに「バカにつける薬はない」という名言があった、… という。
 もちろん前後の文脈で、セリフの意味というものはガラッと変わるわけだから、そこだけ取り出すと誤解が生じるかもしれないけれど、それにしても、「バカにつける薬はない」というのは名言か?

 また、その人によると、「力強いセリフが絶妙のタイミングで飛び出す」という。
 麦わらの一味に加入したいけれど、臆病な性格のために、グズグズと言い訳を垂れ流している仲間に対し、主人公のルフィが一言、「うるせぇ! いこう!」と黙らせるシーンがあるという。
 その評者にとっては、これも目頭が熱くなるシーンの一つだとも。

 そのシーンを知らないので、どう言っていいのか分からないが、何となく、ふぅ~ん …… ため息が出てしまう。
 つまり、これはヤンキーの美学である。
 
 
「泣き」が頂点にくるヤンキー美学

 ヤンキーの美学とは、感動の頂点に「泣き」をもってくることだ。
 その場合の「泣き」とは、例外なく、仲間との「絆」の再確認から生まれてくる。 
 そして、その「泣き」が絶対化されたときには、すべての言説は沈黙を守らなければならない。
 これこそが、ヤンキー美学の不文律である。

 この場合、「沈黙を守らなければならない」立場に立たされるのは、“知性” である。
 「知性」こそヤンキー文化にとっては、もっとも「感動」に水を差すものであり、要は “うざい” ものの代名詞となる。
 
 だから、『ワンピース』に対して批評的な言説が寄せられるサイトは、まずファンからの罵詈雑言に耐えなければならない。
 「批評」というのは、あくまでも “分析” に過ぎず、必ずしも “批判” ではないのだが、一部の “ワンピース原理主義者” たちにとっては、「批評」が身にまとう「知性」そのものが、もう腹立たしいのだ。

 そういう “ワンピース原理主義者” は、この作品の面白さに疑問を感じる人たちに、よくこんなことをいう。

 「お前が面白いって感じないと売れちゃ駄目なのかよ」
 「売り上げは確かに一番なんだから、そこは認めましょうよ」
 「本当に面白くなければ、子供も見ません。人気も出ないでしょう」

 このような主張は一種の “言論弾圧” である。
 自分が聞きたくない意見、見たくもない主張をヒステリックに封じ込めようとしているにすぎない。
 
 
売れたものが正義なのか?

 このような原理主義者たちの思想を一言でいうと、
 「売れたものが正義」
 ということになる。
 彼らは「売れた」という事実の前で、思考停止してしまう。

 確かに、資本主義の世の中で、「売れる」ということは、非常に大きな価値を持つ。
 しかし、だからといって、「売れたものが正義」という考え方は非常に傲慢で不遜な思い込みにすぎない。
 それは、「大多数に属する方が優越する」というカッコ悪い思想に行きつく。

 「多数派が世の中を動かす」というのは、民主主義でもなんでもない。
 民主主義とは、少数派にも弁論の余地を与えるという思想なのだから。

 いま日本のネット言論を支配し始めているのは、多数派を任じる人たちの少数派への言論弾圧である。
 これは世界的な風潮なのかもしれない。
 
 
PS.

ワンピース原理主義者は
手塚治虫を読んだことがあるのか?

 一つの作品をそれなりに評価するには、その評者が過去にどれだけの作品に接してきたかが大きな意味を持つ。
 単純にいって、3~4程度のサンプルのなかから一つを選ぶのと、10のサンプルから一つを選ぶのでは、評価の精度が違う。
 10のサンプルから選んだ「一つ」というのは、やはりそれなりに厳選されたものになる。

 私が気になるのは、「ワンピースがすごい !」と言っている人たちは、いったいどれくらいのデータのなかから、その一作を選んでいるのかということだ。
 『ドラゴンボール』などと比較されることが多いようだが、日本のマンガ史に残るような過去の作品名はほとんど出てこない。

 「世代の差」といってしまえばそれまでだが、少なくとも『ワンピース』のことを「マンガ史に残る最高傑作」というのだったら、「何と比較してか?」ということにも神経をはらってほしい。 
 
 『ワンピース』をすごい! と評価する人たちは、過去に手塚治虫を読んだことがあるのか? 赤塚不二夫を読んだことがあるのか? 石ノ森章太郎を読んだことがあるのか? ジョージ秋山を読んだことがあるのか? 横山光輝を読んだことがあるのか? 白土三平を読んだことがあるのか? 水木しげるを読んだことがあるのか? ちばてつやを読んだことがあるのか? 松本零士を読んだことがあるか? 池上遼一を読んだことがあるのか? 吾妻ひでおを読んだことがるのか? 大友克洋を読んだことがあるのか? 吉田戦車を読んだことがあるのか? 山岸凉子を読んだことがあるのか? 諸星大二郎を読んだことがあるのか? つげ義春を読んだことがあるのか? … と言いたい。
 
 

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ペッパー君が会社の社長になる日

  
 街を歩いていると、ペッパー君をよく見かけるようになった。
 この連中、ほんとうによくしゃべる。
 飲食店の前に立っているヤツは、
 「おいしいお食事をご用意しました。どうぞお立ち寄りください」
 とか呼び込みをやる。

 銀行の中にいたヤツは、自分の胸の端末ディスプレイを表示して、
 「今日は何のご用事ですか? ご入金・お引き出しは➀のボタンを。融資のご相談は②のボタンを … 」
 などと案内を始める。

 この前、メガネ屋前の舗道で、何もしゃべらないヤツがいたから、頭だけなでてやった。
 そうしたらそいつ、くるりと首を回して、あの無表情な( … 見方によっては人懐っこいような)顔のまま、こっちを見上げるのだ。
 その場を立ち去った後も、まだじっと見ている。
 「もう分かった分かった! いい加減にあっち向けよ」
 と、思わずつぶやいた。

 あいつら、何を考えているのだろう。
  
  
「ペッパー社長」はいつ登場するのか?

 “ペッパー小僧” たちは、今はまだ単純なプログラミングで動いているだけだけど、AI がどんどん進化してくうちに、やがて会社の部長・課長になったり、学校の先生になったりするのだろうか。

 そのうち、後継者不足で悩む中小企業などでは、ペッパー君が社長を務めるようになったりするかもしれない。
 で、そんなペッパー社長は、会社中を巡回しながら、社員の開いているパソコンを覗き込み、「こんな簡単な演算ができないのですか?」などとしゃべるのだろうか。
 
 
 しかし、実際には、AI 搭載型のロボットが人間社会にしゃしゃり出てきて、人間を議論で打ち負かしたり、人間に命令を下したり、人間をアゴで使ったりするような社会は、IT ジャーナリストたちによると、「ほとんど実現することはない」という。
 だから、SF映画の『ターミネーター』のような社会が訪れることもないとか。

 ただし、彼らがいうのは、「現在のAI テクノロジーでは、AI が人類を支配する社会は実現しない」という意味で、「未来」は不問に付されている。
 
 
「AI の未来」には二つの予測がある

 AI の未来に対する見方は、二つに分かれる。
 ➀ 「AI はそのうち人間に迫り、やがて人間を超えていく」
 ② 「AI はいつまで経っても、人間を超えることはない」

 ➀ を唱える人たちの根拠は、次のようなものだ。
 「今のAI は人間の頭脳活動をモデルにしているので、人間の頭脳が貯えるデータと同等のデータ量が蓄積されていけば、やがて人間と同じ判断を下すようになり、さらにデータ蓄積が上積みされていけば、人間を超える」

 こういう説の根拠となっているのが、スピードラーニング … じゃなくて、ディープラーニングというやつだ。
 これは、(そっけなく言ってしまうと)、答を出すためのアイデアを人間からもらわなくても、AI が勝手にアイデアを探し出し、スタスタと単独で作業を始めてしまうというテクノロジーなのだ。
  
  
あれはネコか? 犬か? それともワニか?

 例を出す。
 「ディープラーニング」を説明するときによく使われるエピソードで、ネコの識別。

 人間は、道端を歩いている野良ネコを見ただけで、「あ、ネコだ」と瞬時に識別することができる。
 だが、これをAI が行うのは、実はものすごく大変なことだという。

 AI が、たとえばネコの動画を解析して、それを「ネコ」だと断定するには、
 まず、
 ➀ (ネコというのは) 鼻を中心にその周辺に、3cm程度のヒゲを生やした動物だが、そのヒゲは、場合によっては4cmのこともある。長いものになると5cmもある … などなどなどのデータをことごとく事前にインプットしておかなければならない。

 ② 眼球の大きさは1cmから2cm程度。ただし、明るいときは瞳孔が細くなり、暗くなると瞳孔が拡大される。その大きさの変化は日照時間の変化に対応している。

 ③ ネコが怒ると眉間にシワが寄り、「フヒャー」とか鳴く。さらに人間が近づくと、より警戒心をあらわにして「グフゥ~」と威嚇し、時にはネコパンチを繰り出す。ネコパンチを繰り出すときは、右腕の場合もあれば、左腕の場合もある。

 ④ しかし、飼い猫の場合はこういう警戒行動をとることなく、飼い主に寄り添ってきて、「ゴロニャン」と鳴く。

 ⑤ 固体の色は、ホワイト、ブラック、パールマイカ、エキサイティングレッド、ダークチェリー、マロングリーンなどに分かれ、さらにその複数が混じり合うこともあり、自動車のボディ色のようには瞬時に識別できない …… などなど。
 

 
 つまり、AI に、「これはネコです」と解答させるためには、それこそ何十万という膨大なデータをすべて人間がインプットしておくという途方もない作業が必要だったのだ。

 しかし、ディープラーニングを会得してからのAI は徐々に「これはネコです」というデータを自分でかき集めるようになってきた。
 もともとディープラーニングというのは、人間の脳の神経回路をモデルに開発された技術だといわれている。 
 人間の脳は、1,000億のニューロンの配列からなっていて、それぞれのニューロンはさらに1万個のニューロンとつながっている。シナプスの数でいえば、100兆から1,000兆だとか。

 人間が「あ、ネコだ!」と判断するのは、こういう天文学的な脳内組織のたまものなのである。
 … ということは、理論的には、人間の脳と同規模のAI 組織を構築できれば、人間を超えるAI が生まれてこないとも限らないということになる。
 
 実際、近年のAI の進化はすさまじく、図像解析のレベルなどにおいても、すでに立派に実用化されているものも少なくない。インターネットのWEBページの検索や画像検索、自動運転車における障害物の認知など、気づいてみれば当たり前のように、日常生活のAI 化が始まっている。
  
 
2030年には、AI が人間を超える?

 「AI が人間を超える地点」。
 これを、専門用語で、「シンギュラリティ(技術的特異点)」というそうだが、このシンギュラリティの到来を意外と早い時期だと予測する専門家もいる。
 2025年ぐらいになれば、AI 技術は今とは比べものにならないほど進化しており、2030年代に入ると、もう人間の頭脳的能力に匹敵するAI が早くも登場する。
 そう大胆に占う研究家もいる。
 各会社に「ペッパー社長」が登場するのも、この時期(?)だということになる。
 
 
 しかし、一方で、「どんなに進化を遂げようが、人間の能力を超えるAI が登場することはない」と断言する研究者もいる。

 そう言い切るときの理屈は、次のようなものだ。

 「AI がどのような知能を身につけようが、あくまでもその本質は “計算機” である。つまり、“数学の言葉” に置き換えられるものしか答が出せない。
 数学の言葉とは、“論理”、“確率”、“統計” の三つでしかない。
 それが、4,000年以上の数学の歴史で発見された “数学の言葉” のすべてだ」
 (数学者の新井紀子氏の見解)
   
   
AI は “意味のない言葉” を理解できない

 つまり、“数学の言葉” では、人間の会話のなかの「意味がないこと」を表現できないという。
 「意味がない」というのは、たとえば「あなたが好きだ」という言葉。

 これをAI が伝えるとなると、
 ➀ 「あなたの存在を、ともに生活する伴侶として最適だと判断した」
 ② 「あなたを容姿を、過去の私の好みと照らし合わせて、好ましいと感じた」
 ③ 「あなたの明るい性格が、私がいま感じている不安を忘れさせてくれるのでつきあいたい」
 ④ 「あなたの性的魅力に刺激されたので、抱きたい」
 
 …… 等々さまざまなケースに細分化されるが、どんなにその中身を解析しようが、「あなたが好きだ」というもっともシンプルな思いの強さには届かない。
 つまり、「あなたが好きだ」という言葉は、それ以外のどんな言葉にも還元できない。
 要は、AI はもっとも単純な表現のなかに潜む「強さ」や「深さ」を理解できないのだ。

 逆に人間の脳は、「意味のない言葉」のように思えるものなかから、必ず自分に必要な「意味」を探り出してくる。
 ところが、AI は、その「意味」の内容を具体的に説明しない限り(=ロジックを構築していかない限り)、他者に伝達できない。
 “数学の言葉” には、「感じる」、「察する」という人間の心に関わる言語がないからだ。
 
 
人間の脳を神秘化するのはセンチメンタリズム?

 ただ、これに関しても、AI 信奉者からは異論が出ている。
 「人間の脳を神秘化するのは、情緒的なセンチメンタリズムにすぎない」
 という。

 「脳とAI の差はデータ解析に対する量的問題に過ぎない。AI 研究の飛躍的進歩によって、その差はだんだん縮まりつつある」
 だから、「高度に進化したAI 」 は、やがて「心」を持つ。

 実際に、現在のAI のシステムは、人間の脳のような複雑なネットワークを持つには至らないが、すでにネズミの脳と同サイズのネットワークを構築しているという。

 そうなると、ネズミのような哺乳類がやがて人間になっていったように、AI が人間に代わって地球の管理者になる日が訪れるかもしれない。

 ただし、ネズミが人類になるまでには2億年かかっているから、AI が「心」を獲得するにも、やはり2億年ぐらいかかることもありえる。
   
  
「心」とは魑魅魍魎の世界
 
 忘れてならないのは、「心」とは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界だということだ。
 それは、聖なるものも邪悪なものも入り乱れた混沌とした世界で、「心」の持ち主でさえも制御が不可能な領域だ。

 その底の方では、優しさも、妬みも、尊敬も、侮蔑もすべて激流のようにのたうち回っていて、どの感情がいつ爆発するかは本人でも分からない。
 人間の “特権” のようにいわれる「クリエイティヴィティ」というのも、しょせんはこの「魑魅魍魎」のことを指しているにすぎない。 
 
 

 AI の本質である “数学の言葉” は、その魑魅魍魎の世界をなんとかロジックで解析して秩序立てようとするだろうが、魑魅魍魎の世界というのは、2億年という哺乳類の進化の系がつくりだしたものだから、AI のビッグデータをもってしても、2億年の時の重みに耐え続けることはできない。
 
 それよりも心配なのは、最近は、人間らしい「心」を解さない人たちが増え続けていること。
 「AI の人間化」よりも、「人間のAI 化」の方が先に進んでいくことになるだろう。
  
  

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ロシア絵画の不思議な奥行き

 
 「東京 富士美術館」(東京・八王子市)で開かれている『ロシア絵画の至宝展』という美術展を観に行った。
 今回集められた絵画の大半は、19世紀中頃に描かれたもので、テーマはロシアの自然を描いた風景画、および庶民の日常生活の1コマを切り取ったものだった。
 

▼ ウラジーミル・マコフスキー 「夜の牧草地」

 この美術館には、ヨーロッパの古典絵画や近代絵画をそろえた常設展示場もある。
 しかし、今回「特別展」に運び込まれた “ロシア絵画” のコーナーに足を踏み入れると、そこから空気が変わる。
 
 
▼ アレクセイ・サヴラーソフ 「沼地に沈む夕日」

 ヨーロッパでもなければ、アジアでもない。
 「ユーラシア」という言葉が当てはまるのかどうかも、分からない。

 ここに集められた風景画を、いったいどのような言葉で紹介すればいいのだろうか。
 うまい言葉が見つからない。
 それほど、19世紀中期のロシアの大地が、いかに我々のイメージが及ばないような世界であったかということを、あらためて知る思いだった。
 
 
▼ アルヒープ・イヴァノヴィチ・クインジ 「虹」

 
 一目見て感じたのは、ロシアの大地を描いた風景画には、どれも得体のしれない “奥行き” があるということだ。
 「広大」とか、「雄大」という言葉でもっても言い尽くせない。
 そういう「水平的な広がり」とはまた別の、「奥行き」の深さに吸い込まれそうになるのだ。

 つまり、絵の “果て” が、地平線で終わっていない。
 地平線のその先に、さらに果てしない “何か” が続いている。
 
 
▼ イサーク・レヴィタン 「ウラジーミル街道」

 我々は、日本の風景のなかに「地平線」を見ることはできないが、アメリカ大陸や中国大陸、ヨーロッパ大陸の大地を絵画や写真あるいは映画を見ることによって、「地平線」というものを画像体験することができる。
 そして、それは、「地平線」という水平ラインで閉じられることによって、いちおう視覚的に完結する。

 だが、ロシア絵画に描かれる「地平線」は、けっして完結しない。
 絶えず、その奥にある世界を喚起してやまない。
 
 雪原の彼方にはシベリアの凍土が広がっており、やがては北極まで続く大地が伸びているように思える。
 
 
▼ フョードル・ワシリーエフ 「雪解け」

 白樺の森は、そのまま進んでいくと、いつしか熱帯雨林に紛れ込んでいきそうな気配がある。
 
 
▼ イヴァン・シーシキン 「カバの森の中の小川」

 
 常にここではない、どこか。
 それを暗示するのが、ロシアの風景画だ。
 そしてそれこそ、ロシアの大地が本来秘めている魔法の力なのだろう。

 おそらく、19世紀のナポレオンも、20世紀のヒトラーも、これにやられたに違いない。
 彼らの軍隊は、モスクワを目指して進軍しているうちに、大地がどこまでもどこまでも後退していく恐怖を味わったことだろう。
 
 
▼ イヴァン・シーシキン 「嵐の前」

 「後退していく地平線」は、限りなく「水平線」に近づく。
 いくら地平線を見渡せる大地に踏ん張ろうとも、彼方の風景がゆらいでいけば、自分の立っている足元も崩れていくことになる。

 それは、足元が海面に浸されていることと変らない。
 人間は海の上には立てない。
 今回の「ロシア至宝展」の目玉であるイヴァン・アイヴァゾフスキーの『第九の波涛』という絵画は、そのように見ることも可能だ。 
 
 
▼ イヴァン・アイヴァゾフスキー 「第九の波涛」

 絵画には、鑑賞者がそれまで見たこともないような光景を見せてくれる力がある。
 それは、テレビやCG映画の画像喚起力より数千倍まさる。
 なぜなら、そこには画家の頭脳に降臨した想像力のバイアスがかかるからだ。
 たぶんロシアの大地には、画家の想像力を引き出す特別の魔術があるのだろう。
  
  

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