『嘘の戦争』 面白い ‼

 
 TVドラマって、なんかの拍子に偶然チャンネルを合わせ、「ひょっとして面白いかも … 」と感じたものでないと、なかなか観る機会がない。

 そんなふうに、出会いがしら的にチャンネルを合わせてしまい、その後ずっとハマってしまった最近のドラマに、『嘘の戦争』(フジテレビ系列 火曜日 21:00)がある。
 元SMAPの草彅剛君が主演する詐欺師の話だ。

 草彅君が演じるのは、少年の頃に自分の家族を殺され、犯人たちへの復讐に燃える青年の役。

 敵は大財閥の一家。
 その会長というのが、若い頃そうとうな “ワル” で、自分の利益を守るため、人を使って草彅少年の父・母・兄妹を殺させておきながら、巨額の報酬で刑事や弁護士を手なづけ、殺人事件を「父親が起こした一家心中」に見せかけて、自分自身は頬っかぶりをしたまま、逃げ込みを図ったという男なのだ。

 草彅君は詐欺師としての腕を磨きつつ、巧妙な騙しのテクニックを使って、自分の家族を殺した連中への復讐を開始する。 
 … というストーリーで、第三話まで観たけれど、なかなか面白いわけ。

 ま、そうとう強引なシナリオで、“作り物っぽい” 粗雑さがすぐ露呈してしまうドラマなんだけど、にもかかわらず、ハラハラドキドキ感が途切れないのは、ひとえに草彅剛の演技力だと思った。

 いや、「演技力」という言葉が正しいかどうかは分からない。
 それほど上手い役者でもないからね、彼は。
 ただ、ミョーな存在感がある。

 そんなに美男子でもないし、立ち居振る舞いに迫力が伴うこともなく、SMAP 時代もキムタクの後ろでただ踊っているだけの地味な存在であった草彅君ではあるけれど、役者としてドラマや映画に登場すると、なんともいえない不思議な雰囲気をまき散らす人だなと、昔から思っていた。

 その奇妙な魅力を漂わせる草彅君が、このドラマでは一層存在感を増した感じだ。

 とらえどころがないのだ。
 彼が演じている詐欺師の「一ノ瀬浩一」という人物が、いったい何を考え、何をもくろみ、何を面白がって生きているのか、そういうキャラクター的な嗜好がまったく浮かんでこないという、まさに “詐欺師” の役ぴったりの演技を見せてくれる。

 その表情は、ときとして、茫洋として、とりとめもなく、
 ときに、仏や菩薩のごとく深い慈愛に満ち、
 ときに、人間の感情を失った無機質な人形のようになり、
 ときに、優しさだけが取り柄の、気の弱い青年の顔になり、
 ときに、地獄の釜をひっくり返して激怒する夜叉、羅刹のような形相を見せる。

 そのどれもが “復讐に燃える一ノ瀬浩一” という人物の素顔であり、同時に、どの表情にも、彼の本心は宿っていないようにも見える。
 そこから、「ははぁ … 詐欺師ってのはこういう雰囲気なのかぁ !」と思わせる説得力のようなものが浮かびあがってくる。

 そういう不思議な空気感が、草彅君の演技力から来たものだとしたら、草彅剛という “アイドル” はいつの間にか、そうとう熟練の役者に成長していたということになる。

 このドラマは、草彅剛が主役を務める『嘘の戦争』と、木村拓哉が主役を張る『A LIFE~愛しき人~』(TBS)のSMAP 決戦だという声もある。
 同じ時期に始まって、放映時間帯も似たようなものだからだ。

 なるほど。
 確かに、SMAP 解散後のキムタクと草彅の初のドラマ対決だから、メディアが面白おかしくとりあげるのも分かるような気がする。

 で、ネット情報によると、その第一回目の対決においては、『嘘の戦争が』の視聴率が11%ぐらいで、『A LIFE … 』が14%ぐらいとか。
 いちおうキムタク側の勝利ということになっているらしいが、どうもキムタク番組の方が評判が悪い。
 「キムタク主演なんだから、もっと視聴率が取れて当たり前。14%の視聴率では惨敗に近いのでは?」という言い分もあるらしいのだ。
 
 そういう世間的な裁定がどれだけ正しいのか、よく分からない。
 なにしろ、キムタクドラマなんて最初からまったく観る気が起こらないからだ。

 そのため、ドラマとしての魅力はどちらが上かという評価は私にはまったくできないけれど、「役者としての魅力」ということで限定的に論じるならば、これはもう断然草彅君の方に軍配が上がるのではないか。

 草彅君は「アイドル」を脱して、「役者」の領域に足を踏み入れつつあるけれど、キムタクは「役者」に成長しきれずに、いまだに “トップアイドル” でなければ自分は満足できないという駄々っ子の精神構造にとどまったままだ。

 実は、この『A LIFE … 』というドラマの番宣のために、キムタクは二つのバラエティー番組に出演している。
 一つは、『関口宏の東京フレンドパーク2017新春ドラマ大集合SP』(TBS)という単発のバラエティー。
 もう一つは人気長寿番組になりつつある『モニタリング』(TBS)。

 たまたまこの二つを私は観ていた。
 ひでぇんだ、キムタクの “俺さま” ぶり。

 『東京フレンドパーク』では、ドラマ『A LIFE … 』の番宣のために、共演する竹内結子や松山ケンイチらとチームを組んで、ホンジャマカの恵・石塚組とエアホッケーに興じた。

 恵・石塚チームと対戦するキムタクのパートナーは松山ケンイチ。
 たかがゲームなのに、キムタクは異常なほどの集中力を発揮し、エアホッケーのルールギリギリの戦術を駆使して、連続得点をあげた。
 その間、松山ケンイチは、ホッケー台から少し離れたところに立たされたまま、ゲームの成り行きを傍観させられただけ。

 で、ゴールをあげたときのキムタクのスタジオ全体を揺るがすかのような雄叫び。
 サッカー選手が得点したときのような誇大なパフォーマンス。
 他の出演者たちは、お義理でキムタクに拍手を送っていたけれど、その表情はみな困惑ぎみで、キムタク一人が出演者の中で浮きっぱなしだった。

 『モニタリング』でも、キムタクは “天皇” だった。
 彼が登場したのは、ドラマにおける寿司屋で撮影するシーン。
 その撮影スタッフの中に、小道具係に変装した仕掛け人の笹野高史がおり、わざとキムタクに変な形で絡んで、視聴者の笑いを取るという設定。

 ところが、実はキムタクの方が本当の仕掛け人で、笹野の存在に気づいていながら、知らない素振りを見せつつ笹野のちょっかいを誘い出すというカラクリになっていたのだ。

 それを知らずに、笹野は、キムタクが自分のために買ってきたシュークリームを、スタッフからの差し入れだと思い込んで、一つつまんで食べてしまう。
 シュークリームが一つなくなったことを知って、「誰が食ったんだ?」と不機嫌な表情になるキムタク。
 もちろん演技なのだが、その不機嫌振りがほんとうに怖いのだ。
 他人に対して、しょっちゅうこんな風に怒っているという感じが如実に伝わってくる。

 俳優としてははるかにキムタクの先輩格に当たる笹野だが、さすがにこれには緊張する。自分が仕掛けられているとも知らない笹野の表情には、リアルな怯えが走る。

 笹野は映画でキムタクと共演しているから、怒り出すと収拾がつかなくなキムタクの厄介さを知っているのだろう。
 「申しわけありません、私が食べてしまいました」と膝を折って神妙に謝る笹野。

 それを見たキムタクが苦笑いしたところで、「モニタリング終了」となったわけだが、観ている私はちっとも笑えなかった。
 笹野の怯えた表情は、もうお笑い番組の域を超えていた。

 なんで、キムタク風情にそんなに神妙に謝らないといけないわけ?
 たかがシュークリーム一個で。

 つまり、それだけ、撮影現場ではキムタクが独裁者として振舞っているということなのだろうと思った。

 こういう怒りん坊のキムタクを、「カッコいい」と評価する一部のネットの声がある。
 私には、そういう評価を与える人たちの神経が分からない。
 自分をカッコよく見せたいがために、他人をピリピリと緊張させ、怯えさせるような人間のどこが「カッコいい」といえるのか。

 もしかしたら、「カッコいい」という概念を勘違いしている人たちが増えているのではなかろうか。
 他人を威嚇する怖さがあったり、震え上がらせる力を持った人間が「カッコいい」というように。
 でも、そういう「カッコよさ」って、絶対それに反発を感じる人たちの反感を誘う。
 たぶん、晩年のキムタクの人生は寒々としたものになっているだろう。
 
 がんばれ、草彅、中居、香取、稲垣 !
  
 
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日産ピーズフィールドクラフト 畑中社長インタビュー

 
 キャンピングカー情報を集約する総合ポータルサイトとして、最近にわかに話題を集めている『キャンピングカースタイル』(運営会社アイビル株式会社)。

 キャンピングカーの購入を検討している初心者から、次期購入車を検討しているベテランまで、キャンピングカーに興味を抱く幅広い人々を満足させる情報を集約していることがこのサイトの魅力となっている。

 運営者の話によると、今後魅力的なコンテンツをどんどん増やし、キャンピングカー情報を求めている方々が最初にノックする “ドア” の役目を果たしていきたいとか。
 つまり、このサイトを起点として、より詳しいキャンピングカー情報にアクセスしたいと思っている人たちの “案内人” を務めたいという。
 
 その『キャンピングカースタイル』さんからのご依頼をいただき、今回「キャンピングカーメーカー対談」というコーナーで、日産ピーズフィールドクラフトの畑中社長にインタビューをする機会を得た。
 
 以下は、その『キャンピングカースタイル』さんの記事から一部を抜粋したものである。
 詳しい全文は「メーカー紹介 株式会社 日産ピーズフィールドクラフト」をどうぞ。

 以下、一部抜粋

日産ピーズフィールドクラフト
代表取締役 畑中一夫さんに

キャンピングカーライフの将来的展望を聞く

 
 乗用車において、EVや自動運転車などの開発に拍車をかけている日産自動車。躍進目覚ましい日産車の一翼を担うキャンピングカー部門として、日産ピーズフィールドクラフトにかかる日産本社やユーザーの期待も大きい。
 同社のキャンピングカーの人気の秘密は何か。また自動車革命ともいえる大変革期を迎え、今後の日産キャンピングカーはどういう方向に進もうとしているのか。同社の畑中一夫社長に夢を語ってもらった。

これからのキャンピングカーライフスタイルはどう変わる?

【町田】 いま日産は2020年に一般道路でも自動運転できる車両を開発すると宣言していますよね。EVもそうとう台数を増やしている。
 そういった自動車の大転換期を迎え、キャンピングカーも今後は変わっていくのでしょうか?

【畑中】 難しい問題ですけれど、ベース車が変われば、当然キャンピングカーも変わります。ただ、自動車交通の歴史をたどってみると、自動車だけが変化するということはなかったんですね。自動車が変化したときというのは、それにともなってインフラも変化している。自動車の安全な高速走行が可能になったのは、やはりハイウェイの整備と一体となっていたわけです。
 そのように、インフラと自動車の両面の変化によって、われわれのライフスタイルも変わっていくことになります。

▼ 畑中 社長

【町田】 現在のキャンピングカーのライフスタイルが変わったのも、インフラの力によるものですよね。

【畑中】 そうです。やはり「道の駅」と「立ち寄り湯」の普及。それが現在のキャンピングカーライフスタイルを完成させましたものね。
 その二つに、いまJRVA(日本RV協会)が進めているRVパークが加わってきました。現在のキャンピングカーを取り巻く環境は、われわれがこの商売を始めた20年前とまったく変わっています。
 
 
キャンピングカーのレンタルやリースが活発になる時代

【町田】 今の若い人のなかには、あまり自動車に興味がない人もいます。若者の “自動車離れ” は、キャンピングカーにも影響を及ぼしそうですか?

【畑中】 やはり、なんらかの影響は出るでしょうね。ただ、私はそれほど悲観していないんですよ。
 今の若い人たちは、昔の人のように自動車をフェティシズムの対象としては見ていないかわりに、仲間と一緒に楽しむツールと見なすようになってきました。
 昔はエンジンをボアアップして排気量を上げたり、サスペンションを固めて箱根のターンパイクを駆けまわったりした人たちがいたじゃないですか。休日は1日中ワックスがけしているとかね(笑)。
 そういう若者が減った分、仲間といっしょにキャンプ場に行ってバーべーキューを楽しんだりする若者が増えている。そのとき使っている車がミニバンやワンボックスであっても、もうその先にはキャンピングカーがあるんですよ。
 だから、キャンピングカーを使いたいと思う若者が今よりさらに増えていくのは間違いないことなんです。
 問題は価格だけなんです。現在のキャンピングカーは、まだ若い人が買えるような価格帯を実現していない。

【町田】 ただ、1個人としては所有できなくても、シェアするという方法がありますよね。最近は住居でもなんでも、若者たちはみなシェアリングするのが流行りとなってきましたが … 。

【畑中】 そういう動向には注目していいでしょうね。だから、これからはキャンピングカーをみんなで使う知恵がたくさん生まれてくるように思います。おそらく、キャンピングカーのレンタルやリースも、今よりもさらに一般的になっていくんじゃないでしょうかね。
 
 
人口減少社会になっても、キャンピングカーは生き残る

【町田】 もう一つの問題として、人口減少の問題もありますよね。日本は少子高齢化時代を迎え、自動車だけでなく、すべてのマーケットが縮小していくという不安を抱えていますが。

【畑中】 それに関しても、私は楽観的なんですね。確かに日本の自動車マーケットは人口減少にともなって縮小していくかもしれません。
 しかし、キャンピングカーは自動車ほどには落ち込まない。
 なぜなら、キャンピングカーというのは趣味のツールだから。
 自動車は生活必需品ですから、それを必要としている人が少なくなければ売れなくなっていくかもしれません。
 でも、キャンピングカーは生活を楽しむための道具。そういうものはそう簡単には減らないんですよ。
 こういうことを言うと誤解されるかもしれないけれど、キャンピングカーって、本来は必要のないものなんですよね。それがなくたって、特に生活に困るわけじゃない。
 だけど、逆にいえば、そういう存在だからこそキャンピングカーは強いともいえる。
 生活にほとんど必要のないものというのは、“生活以外”のものなら何でも実現してしまう魔法のツールになるわけです。
 趣味というのは、そういう “生活以外の世界” に生きるということでしょ? そのとき、キャンピングカーというのは史上最強の趣味のためのツールに生まれ変わるわけですね。
 
 
キャンピングカーが実現してくれる夢

【町田】 畑中さん自身が、キャンピングカーを使って、そういう趣味の世界にさまよい出ることはあるんですか?

【畑中】 あります、あります! 自分自身で「キャンピングカーってどんな夢を実現してくれるんだろう?」と考えるときがあるんですよ。
 答はね、「眺める世界が普段と違ってくる」ということなのね。
 つまりね、普通私たちが生きている社会って、みな「人と人」が向き合う世界じゃないですか。仕事していれば、部下や上司やお客様と向き合う世界ですよね。家に帰れば家族と向き合う世界。
 でもね、キャンピングカーを使っていると、向き合う世界ががぜん広がっていくことが実感できるんですよ。
 たとえば、釣りをするために、キャンピングカーに乗ってポイントを探しているとするじゃないですか。
 そのとき自分が向き合っているのは「人」ではなくて、「自然」なんだよね。
 キャンピングカーでキャンプ場に泊まって、焚き火などしながら星空を見るとする。そのとき向き合っているのは「宇宙」なんですよ。

【町田】 なるほど。キャンピングカーをオーディオルームのように改造して、音楽を楽しむ空間として使っているユーザーもいますもんね。

【畑中】 そう。そのとき、その人が向き合っているのは「音」。
 物書きさんで、自分の書斎にいるときより、キャンピングカーにいた方が原稿がすらすら書けるという作家さんがいるんですよ。その人はきっと、「物語」と向き合っているんでしょうね。
 そのように、人によってさまざまな世界を見せてくれるのがキャンピングカー。

【町田】 へぇ、畑中さんが感じていらっしゃるキャンピングカーって奥が深いですね。今日は面白いお話をいろいろとありがとうございました。

『キャンピングカースタイル』

 
 

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ポスト・トランプがむしろ危ない

 
 昨年の下半期から今年にかけて、国際ニュースの最前線には常にトランプ大統領の名前が上がっていた。
 それだけ、この人は、マスコミがこぞって喜びそうな話題を次々と提供し続けたのだ。
 
 そして昨日、ついに新しいアメリカの大統領に就任。
 さっそくメディアはこれに飛びついて、最近の歴代大統領のなかでも支持率が最低(40%)だとか、就任式に集まった見学者の数が、前オバマ氏の半数の90万人ぐらいだろうと予測していたところ、さらにそれを下回る25万人だったなどとその不人気ぶりを報道している。

 メディアにとっては、トランプ氏の支持率が上がっても “事件” 。支持率が下がっても “事件” なのだ。
 それだけ、この人の言動はこれまでの政治報道のあり方を根底からくつがえすほど型破りであったということなのだろう。

 アメリカでは、6割の人が反対していながらも、とにかく「トランプ大統領」が誕生したわけだから、アメリカ国民でも何でもないわれわれは、ただその成り行きをじっと見守るしかない。

 しかし、見守ったとしても、はっきりしていることが一つある。
 それは、このトランプ政権は一期(4年)ももたないということだ。
 下手すると、もう一期目の終わりを待たず、国内世論も国際世論も反トランプ運動の勢いがマグマのように沸騰し、収拾のつかない状態に追い込まれるのではなかろうか。

 その理由の一つに、この大統領には政治的理念がまったく欠けているということが一つ挙げられる。
 トランプ氏の発言は、すべて政敵やマスメディアや、特定の国を攻撃することに終始する。

 政治アナリストのなかには、そのようなトランプ氏の言動を「自国に有利な取り引き材料を引き出すためのブラフ(はったり・威嚇)だ」という人が多い。つまり、外交交渉の戦術だというのだ。

 しかし、そんな戦術が成功したためしはない。
 国際政治の世界では、オバマ前大統領のように、ウソでも「核廃絶」とか、「温暖化阻止」とか、「軍縮」などといった政治理念を掲げる必要がある。
 「理念」が掲げられるからこそ、はじめて本音と建前を見せ合いながらの交渉が始まるのだ。

 だが、トランプ氏の場合は、「理念なき交渉」であるために、本音と建て前を探り合う駆け引きが成立しない。
 つまり、「落としどころ」がない。
 そうなれば、むき出しの利害が衝突し合う格闘技の世界になってしまう。

 こういう交渉術が成功することは、まずありえない。
 仮にそういう手法を “ビジネス的” といったところで、それは仁義なきビジネスとなり、力で押し切られた方が、復讐に燃えるだけである。

 トランプ政権が早晩崩壊するもう一つの理由は、国内にある。
 現在トランプを支持している4割の人々、すなわち “白人没落中間層” (プアホワイト)の人々が、「自分たちが裏切られた」と思う時期がそうとう前倒しにやってきそうだからである。
 彼らの支持がなくなれば、もうアメリカ国内でトランプを支持する層はなくなってしまうのだ。
 
 そのとき、何が起こるか。
 怒りをあらわにしたトランプ支持者たちは、これまでとまったく反対の精神状態に追い込まれる。
 すなわち、失望のあまりに極度な精神主義に陥り、一気に過激な宗教原理主義者か精神的な社会主義者になるか、もしくは虚脱感のあまり隠遁者のような精神状態になる。
 
 トランプ支持者たちというのは、第二次大戦後に、地球初の物質的パラダイス(楽園)を手に入れた人たちである。この世に欠けたるものなしという “アダムとイブの世” をアメリカの富がもたらしてくれたと信じている人たちともいえる。

 しかし、戦後70年経ってみると、自分たちは失楽園への道をたどってきたことを彼らは知った。
 低賃金で働くメキシコの不法移民たちに職を奪われ、家族は非白人系の人種が持ち込むドラッグ汚染の脅威にさらされる。
 自分たちが誇りに思っていたアメリカの産業は衰退し、道路を走る自動車もいつのまにか “トヨタ” や “ニッサン” ばかりになってしまった。

 富もプライドも失った「アメリカ没落白人労働者層」は、トランプ氏の掲げる「アメリカファースト」のキャッチに元気づけられ、「偉大なアメリカを取り戻そう」という呼びかけに共感し、彼の発した「私の職務はアメリカの労働者とその家族を守り抜くことだ」という宣言に涙したと思う。

 しかし、そもそも、アメリカの没落白人層をつくったのは何だったのか?

 それこそ、アメリカで生まれて世界に進出していったアメリカのグローバル企業ではなかったのか。
 トランプ氏は、アメリカと中国との貿易不均衡を指摘するが、中国の安い人件費に当て込んで、中国に工場建設を進めてきたのはアメリカを中心としたグローバル企業であった。

 メキシコの不法移民が米国内の白人の仕事を奪ったというが、そもそも不法移民を雇い始めたのもアメリカ企業である。その方が自国の白人を雇うより人件費を買い叩けるからだ。

 さらにいえば、今後世界の工場が IT 化・ロボット化を進めていけば、工場労働のようなルーティンワークから人が排除される可能性はますます高くなる。

 だから、トランプ氏が進めなければならないのは、ロボットでも代行できるような工場の復活ではなくて、いま職を奪われつつある没落白人層が参入できる新たな雇用の創出である。
 それこそ、現在ボランティアに任されている世界の難民の救出活動のような、いまだ「人間の優しさと勤勉さ」が必要となる作業を、給料を出して “仕事化” することだ。 
 それは、きっと正義感に燃えやすいアメリカ人の心を熱くする仕事のはずだ。

 そのときの賃金こそ、いま世界中の大半を資産を占有しているといわれる上位何十社かのグローバル企業の経営陣が供出すればいいのだ。 

 もし、トランプ氏がそういうことに機転を利かせられない人だったら、彼はそうとう知的レベルの低い大統領ということになるが、トランプ氏は実は、それらに十分気づきながら選挙戦中から自分の人気取りのために、支持母体となる白人没落層を煽り続けてきたのだ。

 つまり、トランプ支持者は、もうじき自分たちが裏切られていたことを知る。
 もちろん、海外に予定されていた工場建設をアメリカ国内に召喚することによって、何千人規模の国内雇用は達成されるだろう。
 でも、それは現状の生活に不満を持っている没落白人層のすべてを納得させる数にはとてもならない。

 逆に、金融エリートたちを自分の政権に据えることで、業界におけるビジネスエリートたちの権益はさらに増大し、今以上の経済格差が広がっていくだろう。
 そのとき、庶民たちが信じていた「アメリカン・ドリーム」は、「アメリカン・ニヒリズム」に変わる。

 最後の頼みの綱であったトランプ氏に裏切られたと知った支持者たちは、どういう態度に変わるのか?

 もうアメリカ的物質文明の豊かさは戻らないと知った彼らは、前述したように、一気に逆に振れて、極度の精神主義に向かうか無気力な隠遁者になる。

 精神主義に向かった場合は、共和党のクルーズ議員が主張するような過激な宗教原理主義か、もしくは民主党のサンダース氏が説いたような社会主義を志向するだろう。
 彼らは、若い頃から「共産主義は悪である」と教わり続けてきたから、社会主義思想には生理的に拒否反応を示すはずだが、現政権に対する失望の強さがあえて “駄々っ子” のような心境に向かわせる。

 ただ、サンダースを支持したアメリカの学生たちのように、プアホワイト層はそれほど知的訓練を受けていない。
 そうなると、そこから生まれてくるのは、実際の政治を無視した情緒性の強い社会主義である。

 トランプ大統領の誕生で、今後の世界情勢に不安を抱く人々は多いが、問題は、トランプ失脚後に広がる過激な精神主義思想の方である。
 それは宗教原理主義の方向に向かうのか、それとも過激な社会主義の復活になるのか分からないが、… というか、この両者が「平等」をキーワードに心情的に融合することも考えられる。

 いずれにせよ、“暗黒の中世” がふたたび世を覆い始める。

 「暗黒の中世」というのは、世の中が暗くなるという意味ではない。
 世の中を、光(正義)と闇(悪)の対立としてとらえるチョー単純な世界観が復活するということである。

 そういう世界観は、日本の政治の世界にも侵食し始めている。

 たとえば、今度の新しい都知事の都知事選の戦い方など見ていると、自分の主張をきわだたせるために、とにかく、対立陣営を一方的に “悪者” に仕立て、善と悪の対立軸で政治を動かそうとしている様子が見て取れる。

 国際政治も日本の都政も、そんな単純な色分けでは収拾がつかないはずなのに、こういう「善悪二元論」は、マスコミの関心を集めやすい。
 そのため、政敵を「悪」と決めつけて、間違っていようが強引に自説を繰り返した人が世論に支持されるようになる。
 
 このような善悪二元論で政治を進めようとする人たちは、敵を作るときに、往々にして「味方の利益を優先する」というキャッチを使いたがる。
 トランプ氏の場合は、「アメリカン・ファースト」、つまりはアメリカ第一主義である。
 日本の今の都知事は「都民ファースト」というキャッチを掲げている。
 “ファースト” という言葉を口にしたとき、そこには「ファーストが実現されなかった理由」、すなわち敵対勢力の存在が想定されるのだ。

 日本の都政に見られる新しい動きは、そのままアメリカ政治の新しい動きと重なっている。
 
 

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古代史のロマン

 
 日本の古代史にはロマンがある。
 特に、大和政権が生まれる前の混沌たる時代は多くの謎に包まれていて、どのエピソードも推理小説を読むかのようなときめきがある。

 「ロマン」と「謎」は同義語である。
 すなわち両者は、推理小説のように、“謎をはらんだ物語” を指す言葉だといっていい。

 「謎」という字は、“言葉が迷う” と書く。
 つまり、謎と出遭うということは、言葉では説明し得ないものに直面するということだ。
 だから、トートロジー(同語反復)になるけれど、「ロマンというのは言葉では説明し得ないもの」に出遭うことなんだな。 

 その古代史最大の “ロマン” は、邪馬台国の卑弥呼の正体ではあるまいか。

 邪馬台国論争というのは、邪馬台国の位置をめぐって、もう300年以上も続いている論争であるが、いまだに決着がついていない。

 結論が出ないからこそいい。
 「結論の出ないもの」は、いつまでも考えるヒントを紡ぎ続ける。
 結論を出すことよりも、思考を持続させることの方が大事であることはいうまでもない。
 
 正月に観ていた番組のひとつに、『英雄たちの選択新春スペシャル』(NHK-BS)というのがあった。
 テーマは「“ニッポン”の古代人のこころと文明に迫る」。

 そのなかで、ゲストの一人である漫画家の里中満智子が、邪馬台国の女王「卑弥呼」は、単一の人物と考える必要はないのではないか、と言っていた。
 すなわち、女系リーダーを意味する “ヒメミコ” という一般名詞を、魏志倭人伝の作者が「ヒミコ」と聞き取り、それを単一人物だと思い込んだまま記述したとも考えられるとか。

 そういう説はすでに他の研究者たちからも言われていることかもしれないけれど、そのこと以上に印象に残ったエピソードは、「卑弥呼」には弟がいて、その弟が祭りごとの実務を請け負っていたという話。
 つまり、姉の卑弥呼は呪術にいそしみ、弟が政治を担当したという2系統の統治がこのときすでに始まっていたという指摘が面白かった。

 日本の権力機構の特殊性は、天皇という「権威」と、政治の実務を取り仕切る「権力」が分かれているところにある。
 貴族政権においても、武家政権においても、日本の権力者たちは「天皇」を廃止して、自分たちが天皇にとって代ろうとは一回も考えなかった。
 天皇という「権威」を利用する形で、自分たちの「権力」の正当性を主張しようとしたのである。

 そういう統治形態の原型はどこにあったのか?
 それが卑弥呼の時代に始まっていたという指摘は面白かった。
 つまり、日本においては、女系リーダーの “ヒメミコ” が呪術的祭儀による象徴的権威を維持し、男系リーダーが実質的な政務を取り仕切るという日本独特の二重権力構造の起源を「卑弥呼神話」は語っているというわけだ。
 
 
 同じ番組で、蘇我氏の正体を探るという企画もあって、こちらも楽しかった。
 蘇我氏というのは、天皇家から政権を強奪しようとしたため、天皇家を守ろうとする中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された逆賊といわれ続けてきた。

 しかし、蘇我氏はけっしてそのような非道の豪族ではなく、むしろ律令制を進めて天皇家の権威を高め、日本の文化レベルを上げようとした開明的な一族であったというのが、近年ではほぼ定説になりつつある。

 蘇我氏にそれを可能にさせたものが、半島系の渡来人との太いパイプである(蘇我氏自身が渡来人であるという説もある)。
 この時代、文化においてもテクノロジーにおいても渡来人の力は圧倒的であり、彼らの持っている情報とテクノロジーを使いこなせた蘇我氏は、「今でいうネットにアクセスできるリテラシー(活用力)を持っていた」ということになるらしい。

 当然、蘇我氏はグローバル社会を理解していた。
 当時のグローバル社会というのは中国、インド、朝鮮であったから、インドで起こった仏教が中国経由で朝鮮に渡り、それが当時の世界的イデオロギーになっていたことを知っていた。

 当時の日本で仏教を採り入れるということは、グローバリズムを背景に “IT 革命” を起こすようなものであった。、
 視覚的にも聴覚的にも、仏教に触れた日本人は、それまでとはまったく違った世界を見ることになった。

 まず寺院や五重塔といった仏教的建築物や仏像のようなアートの出現は、GGによる新しい映像文化が登場したようなものであったかもしれない。

 この頃を境に、日本では重厚長大な「前方後円墳」という墓地の形態が廃れ、四隅を四角く切り取ってコンパクトに収めた「方墳」に変わったという。

 これは何を意味するのか?
 すなわち、「前方後円墳」のような墳墓が権力者の権威の象徴ではなくなってきたのだ。

 面積として広大な土地を擁する「前方後円墳」も、横から見ると、単なるなだらかな丘陵に過ぎない。
 それより、少ない面積ながら天に向かって垂直に伸びていく寺院や五重塔といった仏教建築の方が、新しい時代の権威として見栄えがする。

 蘇我氏は、「前方後円墳」を権威と見なしてきたそれまでの古代天皇家の意識改革を行ったのだ。
 
 そこにはコスト意識も働いていた。 
 大量の労働者を必要とする一大土木工事の「前方後円墳」より、仏教建築の方が建設コストが安くなるのだ。
 コストが安いだけでなく、その建立には技術を持った専門家集団が必要となるから、付加価値も生まれる。

 蘇我氏は、この仏教建築を造れる専門集団を育成し、天皇家と距離を置こうとする地方豪族と交渉し、「天皇家を敬えば、あんたの地に寺院を建立してやってもいいぞ」という取り引き材料に使ったという。

 こう考えると、蘇我氏が大化の改新で滅亡しなければ、古代の日本はもっと違った社会になっていた可能性がある。
 
 そういう想像を惹起させる物語が、すなわちロマン。
 古代史が面白いのは、考古学的発見や文献の新発見によって、そのロマンの形が次々と変わっていくからだ。
 
 

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女のいない男たち

   
 病院というのは、本を読むのに最適な空間だ。
 読書という行為は、ある程度 “退屈な時間を持て余す” という気分に支えられるようなところがあるから、運動も外出も制限される入院中のやるせない気分を紛らわせるには、読書は理想的な時間のつぶし方といえる。

 昨年は肺血栓症の手術を受けるために、1月、6月、7月、10月と4回入院した。
 長いときは2ヶ月近く。
 じっくり本が読めた。

 入院中に読んだ本の1冊に、村上春樹の『女のいない男たち』がある。
 2014年に単行本として発刊され、2016年の10月に文庫化された。

 私が買ったのは、2年後に出た文庫の方である。
 昨年秋に、私が入院する前に寄った書店では、その文庫が平積みになっていた。
 村上春樹がノーベル文学賞を受賞すれば それを記念するフェアの目玉として準備されたものだったのだろう。

 春樹ファンには残念なことに、ノーベル文学賞はボブ・ディランのもとに去った。

 私は、村上春樹を少しは読んでいる方だと思うが、彼がノーベル文学賞に値するような作品を書いているのかどうかということに関しては、正直、よく分からない。
 私のイメージでは、村上春樹という人は世界の文芸史に名を残す “大文豪” というようなタイプではなく、本来は、少数のごくセンスのいいファンたちがこっそり評価し合うような作家に思えるのだ。
 そして、その方が、愛読者にとっては、かえって安心して「村上ファン」を名乗ることができるような気がする。

 で、『女のいない男たち』。
 六つの短編で構成されている。
 そのどれもが、基本的に、女に振られたか、女に死なれたか、女に自分の思いをうまく伝えられなかった男たちの話になっている。

 村上春樹は、なぜそのような男たちを取り上げる気になったのか。

 もしかしたら彼は、これからは男にとって、恋愛が不可能な時代が来ると踏んだのではなかろうか。
 つまり、男の恋心を受け入れてくれる女性が次第に少なくなりつつあると感じたのだ。
 『女のいない男たち』という一連の物語は、そういう状況を伝えようとしているようにも思える。

 六つの短編において、主人公たちから去って行った女たちは、いずれも男と一緒に迎える “ハッピーエンド” を拒否する。
 女たちは、他の男と不倫するにせよ、自殺するにせよ、いつの間にか姿を消すにせよ、みな男が用意したハッピーエンドの<外>に流れ出していく。
 そして、男たちは女が去っていく理由も分からず、途方に暮れるか、いつまでも懊悩するのである。
 それは、そのまま現代社会の男女関係をぞっているように思える。

 なぜ、男たちにとって、これほど恋愛が難しい時代がやってきたのか。
 
 その理由を、社会状況の変化に求めるならば、答はいくつでもすぐに見つかるだろう。
 リア充の生活を放棄したオタク系男子の増加。
 恋愛にチャレンジして、成就しなかったときのショックを回避したがる男たちの増加。
 要は、男の自閉である。

 そういうイマドキの男性心理は、たとえば「若者の経済的貧困」などという言葉を使えば説明できるかもしれない。

 しかし、そのような経済的視点や社会学的視点からだけでは、男たちの恋愛不可能性のすべてを語ることはできない。
 結論を先にいえば、それは現代社会が、「男の恋愛文化」を失ったからだ。
 すなわち、恋愛からセンチメンタリズム(感傷的情緒)が失われたのである。

 これまでの古典的な男の恋愛観は、すべて女に対する男の片思いやら女に振られたときのセンチメンタリズムをベースに構成されてきた。

 こういう言い方もできるだろうか。
 センチメンタリズムが保証されていたからこそ、男たちは孤独な片思いやら辛い失恋に耐えられたのだと。
 つまり、これまでの男たちは、思いを遂げられない心の痛みをセンチメンタリズムで濾過(ろか)できたからこそ、傷をしのぐことができたのだ。

 そのようなセンチな男文化が生き延びられたのは、(日本でいえば)せいぜい「昭和」の時代までではなかろうか。
 それも、ニック・ニューサの『サチコ』が生まれた昭和56年(1981年)までだったように思える。   
 
 

 この年(1981年)、『サチコ』のように男のセンチメンタリズムを強調した歌謡曲がヒットチャートで全面開花する。

 『ルビーの指輪』(寺尾聰)
 『もしもピアノが弾けたなら』(西田敏行)
 『みちのくひとり旅』(山本譲二)
 『帰ってこいよ』(松村和子)
 『スローなブギにしてくれ』(南佳孝)

 そのどれもが、恋を成就させることのできなかった男の自己憐憫を美化した歌である。

 1960年代から1970年代の半ば頃までの歌謡曲は、藤圭子の演歌に代表されるような、「騙された女/捨てられた女」の世界だった。

 しかし、1978年に杏里が『オリビアを聴きながら』を歌った頃から、男女の形勢が逆転し、80年代からの歌謡曲は「泣く男」の世界となった。
 80年代というのは、マッチョな言動で女たちを口説いていた一部の精力の強いバブル男たちの影で、大勢の泣く男たちが誕生した時代だったのだ。

 しかし、それは逆にいえば、1980年代までは、男のセンチメンタリズムを許容する余裕を日本社会全体が持っていたということになる。

 高度成長からバブルに向かっての一時期、日本はつかの間の “一億総中流社会” を実現する。
 その時代に、男が会社勤めに出て、女が専業主婦として家事を切り盛りできるような社会が誕生した。

 専業主婦というのは、女性の「無報酬労働」である。
 つまり、女が無報酬で家事というシャドーワークに専念できるほど、日本の家庭は見かけ上の豊かさを維持することができたのだ。

 この余裕が、男のセンチメンタリズムを育てた。
 専業主婦たちは、会社勤めのような “社会” を経験せずに暮らせたから、男の身勝手な甘えの文化に無頓着でいられたのだ。

 しかし、外で働き始めた女性たちは、次第にそういう男のセンチメンタリズムを許容しなくなっていった。
 そのようなセンチメンタリズムは、男の自己完結的な自意識の産物だから、それ自体に生産性がない。
 当然、バブル崩壊後に生まれてきたせちがらい世の中は、そういう情緒性のはびこる文化を許さなくなっていく。

 日本経済が津波に吞み込まれるように崩壊していくなかで、企業倒産が続出。男の安定した雇用が消滅していく過程で、男たちも「女に振られた悲しさ」を歌や酒や旅でまぎらわすといった情緒的な方法で処理できなくなっていく。
 つまり、女から受けた恋の痛手を、もっと即物的なストーカー行為などではらさなければならなくなっていく。

 そういう流れに呼応し、社会に出て行った女たちも、男の身勝手なセンチメンタリズムに付き合うバカバカしさに気づくようになる。
 

 村上文学とは、こういう時代が始まる前に成立した文学である。
 すなわち、男が女を失うときのセンチメンタリズムがまだ機能していた時代の文学なのだ。

 村上春樹が『風の歌を聴け』で群像新人賞を取ったのは1979年。 
 『1973年のピンボール』が芥川賞の候補になったのは1980年。
 つまり、村上春樹の初期作品は、日本社会が男のセンチメンタリズムを許容していたぎりぎりの年に生まれている。

 それらの作品に登場する “僕” と呼ばれる主人公たちは、女の理不尽な行動にも取り乱すことなく、ただ「やれやれ」とつぶやいて耐えている。
 しかし、それは見かけ上の冷静さであって、彼らの本心を占めているのは女々しさである。

 その女々しさが、あまりにも洗練された筆致で処理されるために、センチメンタリズムの上澄みが浄化され、そこにドライでクールな空気感が生まれている。
 それが、村上流 “喪失の文学” の正体である。

 
 そう考えると、村上文学の構造というのは、案外シンプルである。
 それほど奥行きのある世界ではない。
 ただ、そう思わせないテクニックを村上春樹は持っている。
 それは、「肝心なことは描かない」というテクニックだ。

 彼の小説作法を解き明かした名著のひとつに、『若い読者のための短編小説案内』があるが、そのなかで、彼はこんなことを書いている。

 「優れた作家はいちばん大事なことは書かないのです。優れたパーカッショニストがいちばん大事な音は叩かないのと同じように」
 
 まさに、これは村上春樹の小説作法そのものを表現した言葉であり、彼の全作品がこの作法に則って作られているといっても過言ではない。

 この『女のいない男たち』においても、その手法は貫かれている。
 たとえば、『シェラザード』という短編では、施設に閉じ込められた主人公の男性のもとに、身の回りの世話をする女が一人通ってきて、冷蔵庫のなかに食材を詰め、退屈しのぎのために読む本を用意し、主人公を相手にルーティンワークのような情事をこなし、そのあと、ベッドに寝たまま魅惑的な話を披露して去っていく。
 主人公にとって、その女の話の続きを聞くことが一番の楽しみになる。

 しかし、ある日主人公は、その女性がもう姿を現わさないのではないかと予感する。もちろん女性の言動からその兆候を読み取ったわけではない。あくまでも、予感にすぎない。

 しかし、その予感は、主人公を茫洋と霧が立ち込めるような哀しさのなかに沈ませていく。
 
 この短編には、けっきょく最後まで何も描かれない。
 主人公がどのような施設に閉じ込められているのかも語られず、彼がなぜそこから抜け出ようとしないのかも説明されず、主人公のもとを訪れる女性の正体も明かされない。

 実は、何も説明されないということが、ここでは “詩” になっているのだ。
 この短編には「情感」だけがあって、「ロジック」がない。
 つまり、物語自体が、壮大な “余韻” に包まれているのである。

 毎回楽しい話を続けてくれるはずの女性が、もしかしたら来なくなるかもしれないと、主人公はおびえる。
 そして、彼女が来なくなったとしても、その理由を主人公は永遠に知ることができない。

 何もかもがはっきりと描かれないからこそ、切ない。
 村上春樹のセンチメンタリズムというのは、そういう形で提示される。

 私はそれをとても心地よいと思うけれど、この先、この村上春樹的センチメンタリズムがどこまで通用するのか、それはまったく分からない。 
 
 

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トランプ氏はビジネスマンなどではない

 
 日本時間の早朝に開かれた米次期大統領トランプ氏の記者会見で、そうとうな暴走発言があったと各報道機関が伝えている。
 私も、その記者会見の画像を見た。

 各メディアの質問に対し、ケンカ腰である。
 トランプ氏の表情も険悪で、下品。
 その言動は、傲慢さと威嚇と満ちていた。

 アメリカ大統領の記者会見というものが、こんなに荒涼とした殺伐なものであったことをはじめて知った。
 もっとも、その責任の9割方は、トランプ氏側の問題なのだろうが。

 この記者会見で、トランプ氏は選挙運動中に掲げた暴走発言をより一層明確な態度で繰り返したという。
 すなわち、メキシコ国境との壁を早急に建設し、その費用をメキシコ政府に払わせる。
 中国、日本、メキシコとの貿易では、アメリカは多額の損失を出しており、(これらの国に対しては)貿易の不均衡を是正する処置を取る。
 
 そういう発言を聞いていた報道陣の感想によると、トランプ氏は大統領就任後に、きっとイスラム教徒の入国拒否や、日本や韓国に対する核武装の勧めなど、基本的に選挙活動の際に発言していた内容をほぼそのまま推し進めていくだろうとも。

 このようなハチャメチャな政治発言が繰り返される一方、減税や公共投資、インフラ整備などの話題にはほとんど触れられず、それらを期待して値上がりしていた株価も、会見以降は急落したという。

 他国の大統領のことだから僕らに発言権はないけれど、おそらくアメリカ国民は、建国200年の歴史のなかで史上最悪・最低の大統領を選んでしまったのではなかろうか。

 選挙戦さなかでも、トランプ非難の声は絶えなかった。
 しかし、一方では、「トランプ氏は実業家だから、これまでの政治家とは異なり、ビジネス感覚で斬新な政策を進めていくだろう」と期待する声もあった。

 それは甘い期待だったかもしれない。
 これまでのトランプ氏の発言内容を見ていくと、彼にはほんとうの意味での “ビジネスセンス” など微塵もないことが伝わってくる。
 むしろ、ビジネス的なバランス感覚とはまったく無縁の、頭の固い差別主義者としての面があらわになってきた。

 「中国、日本、メキシコとの貿易不均衡を是正する」

 彼のそういう発言の根拠は何か?
 これは経済分析などではない。
 その意味は、
 「肌の黄色い人種や、肌の茶色いラテンアメリカ人は嫌いだ !」
 ということなのだ。

 一方、ロシア人は同じ白人種で、しかもキリスト教徒であるからいいようだ。
 それに対し、イスラム教徒は断固拒否。
 なんと単純な “分断思想” なのだろう。

 だが、残念なことに、われわれ人間は、「分断」を煽られた方が感情を刺激されるようにできている。
 他者への共感や愛を説かれるよりも、恐怖心を煽られ、憎しみをかきたてられ、他者との「分断」を呼びかけられた方が、われわれはエモーショナルになれる。

 現に、トランプ政権の成り行きに不安を感じている自分だが、トランプが中国に対して強硬姿勢を打ち出すなどという報道に触れると、
 「そうだ ! そうだ ! 生意気な中国をやっつけろ」
 などと、思わずトランプの “分断思想” に共感を感じている自分を見つけたりする。

 「融和」よりも「分断」を煽った方が、人間の共感が増幅されるのは何万年もの間、人類が競争と戦争の圧力に苦しみながら生き延びてきた結果なのだ。

 だから、「憎しみ」を共有し合うと人間は簡単に結束できる。
 「憎しみ」の共有には、「知性」が介在しないからだ。

 「知性」というのは、憎しみを軸に生まれた結束が、結局は悲劇しか生み出してこなかったという反省から生まれてきた能力だ。
 そういう能力を得るために、人類はそうとう長い努力を重ねてきた。

 その辛い努力の蓄積を、「憎しみ」は、いとも簡単に踏みにじることができる。
 なぜなら、人類には「憎しみ」の歴史の方が圧倒的に長いから。

 「分断思想」というのは、その「憎しみ」を煽るところから生まれてくる。
 トランプのやろうとしていることは、人類が長い間努力してようやく手に入れた「知性」を葬り去ろうとするものである。
 
  

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ちあきなおみのアンニュイ

 
 ここのところ、ちあきなおみの歌が気に入って、YOU TUBEにアップされたものを何度も聞いている。
 直接のきっかけは、1月6日にBSジャパンで放送された『孤高の歌姫伝説~ちあきなおみの歌の世界』という歌番組を観たせいであったが、昔から日本の歌謡曲歌手としては好きな人であった。

 私たちの世代(60代)が知っているちなきなおみというと、やはり『喝采』や『矢切の渡し』というヒット曲のイメージが強すぎて、どちらかという “演歌歌手” のジャンルに収めてしまいがちだ。
 しかし、どっこい、ちなきなおみは、とてもそんな一つのジャンルでくくれるような歌手ではない。

 もし知らない人がいたら、次の曲を聞いてほしい。
 石原裕次郎の持ち歌として知られる『夜霧よ今夜もありがとう』である。

▼ 『夜霧よ今夜もありがとう』

 裕次郎の歌う歌謡曲が、見事なジャズ風のバラードになっている。
 ちなきなおみファンの間では有名な『夜霧よ今夜も有難う~ ちあきなおみ~石原裕次郎を唄う』 というアルバムの1曲目に収録された曲だが、このたゆたうようなリズム感は、もう演歌や歌謡曲のものではない。
 メロディーやコード展開は日本人が聞きなれた歌謡曲ながら、間奏で響く楽器類の音は洋楽そのもの。

 もちろんアレンジの力が大きい。
 ちなきなおみの後期の音楽活動に深く関わったピアニストで音楽プロデューサーである倉田信雄の編曲が功を奏し、もう裕次郎の原曲とはまったく変わった内容の曲となっている。

 何よりも、この曲のいちばんの魅力は、ちあきなおみの “ため息” のようなセクシーボイス。
 それがピアノとサックスのけだるい演奏に乗って、たなびく煙のように流れ出してくると、まさにカクテルラウンジでジャズライブを聞いているような気分になる。
 

 
  今のポピュラー音楽に欠けているのは、このようなディープなアンニュイ(けだるさ)だ。
 これぞ大人の音楽。

 “アンニュイ” というのは、非常にゴージャスで贅沢な感覚である。
 人生に疲れちゃった…、恋に飽きちゃった…、とかいう気分は、ある意味でゴージャス感につながる。ガツガツしているものの対極にあるからだ。
 言葉をかえていえば、満ち足りた状態をいう。

 「アンニュイ」はもともとフランス語で、この言葉の響きからは、すべてに満ち足りた生活を送ってきた貴族文化の気配が漂ってくる。
 フランスは18世紀から19世紀にかけて、一度は世界制覇を成し遂げた国で、イギリスと並んで、アジア・アフリカの富を収奪し尽くした国だ。
 
 いやらしい言い方だが、アンニュイとは、こういう強奪の結果によって得た富に飽きた人々の生活感覚といっていい。 
 食べるために必死に働かなければならない文化からは、アンニュイは生まれない。

 必死で生きている人たちが必要としているものは「元気」、「勇気」、「感動」であり、音楽でいえば行進曲のようなもの。
 しかし、行進曲というのは、軍隊でも、運動会でも、人々に号令をかけて集団の統制を図るものだから、基本的に貧しい音楽だ。

 今のJ ポップには “応援ソング” のような曲がけっこうあるけれど、基本的にそれは “子供のための行進曲” である。
 ちあきなおみのアンニュイに満ちた歌からは、大人の文化の香りがする。

 もう1曲、ゴージャスなけだるさを持った曲を。

▼ 『時の流れに』

 この曲は、1991年に発売された『百花繚乱』に収録されたもの。
 激しい恋も経験してきた女性が、ふと生活の疲れを感じて独り言をつぶやくような世界が広がる。

 歌の中には、こんなフレーズが出てくる。 

 ♪ 時の流れに、流され流れ
   気づけば疲れた、女がひとり
   命までもとおぼれた恋も、
   今では遥かな、雨降り映画

 この心地よいけだるさに満ちた大人のフレーズは、やはり歌のうまさに加え、ちあきなおみぐらいの私生活の経験の深さがないと歌いこなせない。
 
 作詞は、『喝采』、『紅とんぼ』、『冬隣』などといったちあきなおみの代表作を作った吉田旺。
 作曲は『夜霧よ今夜もありがとう』をアレンジした倉田信雄。
 歌手のちあきなおみを交えた最強トリオによる “大人のアンニュイ” の代表作。
 独りで酒を飲んでいる空間に、こういう曲があると助かる。
 

 
  
 

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正月はテレビ三昧

 
 今年も正月はテレビ三昧。
 居間のソファに腰を下ろし、ポテトチップスなどかじりながら、ウィスキーや日本酒などを舐めつつ、体を動かすことなく、終日じっとテレビモニターを凝視。
 体に悪いよなぁ、1月末に控えている糖尿病検査の日が来るのが怖い。

 で、正月が来ると、毎年楽しみにしている番組のひとつがテレビ朝日系の『芸能人格付けチェック』。
 ワイン、牛肉、盆栽、バイオリンの音色などを吟味しながら、呼ばれた芸能人たちがどれが本物かということを見極めていく番組で、現在個人としての連勝記録を43勝まで伸ばしているGACKTが、今年はどれだけその記録を更新するかが焦点だった。
 結果、その連勝記録は48までに。
 味覚、聴覚、視覚におけるGACKTの審美眼には敬服せざるを得ない。

 今回、GACKTとチームを組んだのはホリエモン(堀江貴文)。
 起業家として辣腕を奮ってきたセレブ男だけに、グルメにおいても音楽やアートの鑑賞においても “一流?” の生活を送ってきたはずだが、GACKTの “一流ぶり” にはまったく届かなかった。

 ホリエモンがGACKTチームを代表して問題に向き合っている様子をモニターで見守っていたGACKTが、間違いそうになったホリエモンに一言。
 「あいつ、今まで何に金をつかってきたんだ?」
 真贋を見極める生活に徹してきたGACKTの経済感覚を一瞬だけ垣間見ることができた言葉だった。
  
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 2日目はハードディスクに録画していた『スターウォーズ/フォースの覚醒』を観た。
 レイ役で出ていたデイジー・リドリー(↓)が可愛いので、この作品だけはどうしても観ておきたかったのだが、まぁ、見終わった感想は、「あいかわらずだな」の一言。

 結局、スターウォーズ・シリーズはどの作品を観ても変わりばえがしない。
 基本は、善と悪が対立するシンプルな勧善懲悪ドラマ。
 しかも、善玉(共和国側)も悪玉(帝国側)も、それぞれの善悪の根拠(思想的背景)を示さない。
 つまり、それはお互いが「自分こそが善であり、相手は悪である」と決めつけていることを意味するにすぎない。

 スターウォーズのファンの中には、「ここには人間が経験するあらゆるドラマが詰まっている」と豪語する人もいる。 
 たとえば、この「フォースの覚醒」においては、ギリシャ神話以来の “父殺し”のテーマがある、などと。

 しかし、たとえ “父殺し” がストーリーに取り込まれようが、結局は「善・悪」二元論の構図にきれいに収まってしまい、最後は予定調和のハッピーエンドが待っているだけ。
 それでは “人間が経験するあらゆるドラマ” などとはいえない。

 SF映画ファンには、「ブレードランナー派」と「スターウォーズ派」がいると思うが、私は不条理感に満ちたブレードランナーの方が好きだから、単純構造のスターウォーズには点が辛いのだ。

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 正月2日目の夜は、「BS朝日新春討論スペシャル『いま、日本を考える』 」という番組を観る。
 田原総一朗(ジャーナリスト)/井沢元彦(作家)/三浦瑠麗 (東京大学政策ビジョン研究センター講師)/川村晃司(テレビ朝日コメンテーター)/東浩紀(批評家)/上念司(経済評論家)/谷口真由美(大阪国際大学准教授)/飯田泰之(明治大学准教授)という面々が4時間にわたって、2017年以降の世界情勢と日本が抱えている政治・経済の難問を語り合うという番組だった。

 面白かったのは、この手のトーク番組でありがちな悲観論が影を潜めていたこと。
 いちおう多方面にわたって問題点は抽出されたが、参加者たちの意識は、それぞれの問題点を現実的に解決する方向に向いていて、番組全体のトーンは明るくポジティブなものだった。

 たぶんそれは、今の日本が、安倍晋三による異例なくらいの長期安定政権を維持していることとも関係しているかもしれない。
 概して、参加者たちの安倍内閣への評価は好意的だった。
 もし、ここに共産党や民進党系の議員でも混じっていたら、話し合いは紛糾したかもしれない。

 だが、今回討論に参加した論客たちの大方の意見としては、今の日本をダメにしているのは、そういう共産党などの既成政党も含めた “進歩的知識人” などといわれるリベラル派だという。

 かつて、「左翼」という言葉がしっかり機能していた時代のリベラル派は、現政権の行き過ぎをしっかりチェックする能力を備えていたが、今「護憲」を訴えたり、「安保法案を軍事法」と断定するリベラル派は、もう左翼精神すら失った既得権益者にすぎないのだそうだ。
 
 彼らは、資産的にも身分保障的にも、すでに現体制下における既得権をしっかり確保し、その安定した基盤の上にあぐらをかいた状態で、言葉だけ「リベラル」を訴える。
 それが今の政治が抱える問題を相当ややこしくして、解決困難な方向に誤誘導しているというのだ。

 その指摘はある程度当たっているように思えた。
 現に、『朝まで生テレビ2017』などでしゃべっていた共産党の小池晃などは、見苦しいほどのアナクロニズムと精神の硬直化を示していた。
 
 それ以外の感想としては、田原総一郎(82歳)の見事な仕切りぶりが印象に残った。
 今回、田原はMCという役割を降りて、1コメンテーターとしてこの討論に臨んだのだが、議論の焦点を明瞭にしてほとんどの討議の流れをつくったのは、田原総一郎であった。

 もうひとつ印象に残ったことは、三浦瑠璃(↑)の成長ぶり。
 彼女は、今の日本で政治を語る女性の筆頭論客になりつつある。
 この討論会には歴史作家、経済学者、政治コメンテーターなどさまざまな肩書を持つ論客が集められたが、全分野においてよどみなく自分の知見を披露できたのは、三浦瑠璃一人であった。
 
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 ドラマでは『冬のソナタ』の再放送(BSフジ)の一部だけ観た。
 2002年に制作されたドラマで、世界的な韓流ブームをつくるきっかけとなった作品である。
 実は、これがNHKで放映されていた頃、毎週楽しみにして観ていたことがある。

 いま改めて観ても、あいかわらず美しくて切ない。
 “冬” という季節を、これほどロマンチックに仕上げた作品というのは、ほかにないのではなかろうか。

 人の心を小さく縮こませてしまう冬。
 冬という季節は、どちらかというと、「耐え忍ぶ」とか「心を閉ざす」という印象が強く、早く終わってほしい季節の筆頭であったが、この『冬のソナタ』は、“冬が終わる” ことのさびしさをはじめて描いたドラマになった。「春が来るとミニヨンとユジンの恋は終わるのだろう」と予測させる気配をどこかに漂わせているのだ。
 
 「冬よ終わらないで !」
 という気分にさせるドラマなんて、考えてみればすごいことだ。

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 3日の夜には、『英雄たちの選択 新春スペシャル』(NHK BSプレミアム)という番組も観た。
 テーマは、「ニッポンの古代人のこころと文明に迫る」。

 最近は、先端技術を使った発掘調査などにより、それまでの日本史の教科書を書き換えるような新しい情報が次々とアップされるようになったらしい。
 この番組では、そのような最新情報をもとに、これまで単純な稲作民と見なされてきた弥生人が、稲作だけでなく、さまざまな生活スタイルを試みており、世界観においても、独特の精神文化を持っていたことを明らかにした。

 途中から観たので、最初の展開は分からなかったが、印象に残ったのは銅鐸(どうたく)の話。
 これまで、銅鐸という道具は祭儀に使われるものであることだけははっきりしていたが、それがどのような使われ方をしていたかは、まったく謎に包まれたままだった。

 しかし、近年の研究によると、それは釣鐘(つりがね)のように打ち鳴らすことで、祭儀の場を演出していたことが判明した。
 スタジオには、その精巧に作られたレプリカが持ち込まれ、専門家の手によって、いくつかの鳴らし方が試された。

 はじめて聞く音であったが、なんとも玄妙な音であった。
 後世の寺の鐘などと違って、もっと軽やかで涼やかな音なのである。

 解説者がいう。
 「おそらくこのような金属音は、それまでの弥生人が聞いたこともなかった新しい音に聞こえたはずです。それは、弥市人の精神文化に深い影響を及ぼす音になった可能性は高い」

 それを聞いて、番組のMCを務める磯田道史氏がすかさず、「自分がはじめて電子音を聞いたときのような衝撃があった」と告白する。
 彼がいうには、「この音は、田んぼに植えられた稲を生育させるための “栄養剤” のように思われていたのではないか」とも。

 私自身の乏しい体験に照らし合わせていうと、ビートルズのギター音とコーラスをはじめて聞いたときの感覚に近い。
 1960年代初期に、まろやかなアメリカンポップスに馴染んでいた私の耳に届いたビートルズサウンドは、まさに“荒ぶる神の啓示” であった。

 人間が文化概念を獲得する一つの道具として、まず「言語」というものがある。
 しかし、「音響」には、その「言語」よりもさらに深い根源的な文化概念を創造する力がある。
 銅鐸の音響が、当時の弥生人たちにどんな文化概念を与えたかは不明だが、レプリカの銅鐸がもたらした風雅な金属音には、確かに古代の神々のつぶやきが混じっていそうな気配があった。

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 同じく3日の夜、NHKのEテレで放映された「名著スペシャル『100分de手塚治虫』」を観る。
 これは、2016年11月12日に放映されたもの再放送らしい。

 タレントの伊集院光が司会を務め、女装エッセイストのブルボンヌ、映画監督の園子温、精神分析医の斎藤環、宗教学者の釈徹宗などがそれぞれの観点から手塚漫画の魅力を語った。

 話題は、鉄腕アトムのエロスに向かった。
 本来は無機質なロボットであり、かつ造形的には男の子を志向したアトムが、なぜあのような両性具有的な色っぽさを漂わせるのか。
 MCの伊集院は、そのアトムの容姿に、子供ながら奇妙な色気を感じて心がざわついたことを告白する。

 アトムのエロスというのは、基本的に、手塚治虫の描く線の色っぽさに帰着する。
 手塚の線は丸っこい。
 それは容易に女性のたおやかな乳房や豊饒な尻を連想させる。
 
 しかし、そういう即物的な色っぽさを超えて、手塚自身が「丸い形状」に生命力としてのエロスを感じていたことが明らかになっていく。

 手塚は、太陽系の惑星の動きや、水面に広がる波紋、さらに葉の上に溜まる雨の滴などの円運動に、自然そのものが持っているエロスを感じていた。
 彼にとっては、円を描くことそれ自体が、すでにエロチックな行為だったとも。

 手塚の漫画の原点には、ディズニー漫画があるらしい。
 彼はディズニーの作画に憬れて、自分の画風を作り上げていった。
 
 実は、昔のディズニーのキャラクターにもエロスがある。
 私は、ディズニーのアニメなどに登場するピーターパンに、いつも妖しげな色気を感じて、一人でどきどきしていた。
 

 彼はいわゆる “美少年” ではない。
 トランスジェンダー的な、両性具有のエロスがあるといった方がいい。

 こういう存在は、男女の性別を超えた正体不明のなまめかしさを持っていて、ときに少年の読者を不安に満ちた恍惚感に満たす。
 鉄腕アトムもピーターパンも、罪作りな主人公たちである。 
 
 

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『ニッポンのジレンマ』は面白い

 
 正月のテレビは、年末あたりから作り置きしているバラエティー番組と討論番組が多い。
 だいたい観るのは、討論番組の方。
 今年も、大晦日の深夜の『朝まで生テレビ』(テレ朝)と、元日の夜の『ニッポンのジレンマ2017』(Eテレ)を観た。

 『朝まで生テレビ』は退屈だったが、『ニッポンのジレンマ』には興奮した。
 両方とも、日本の現状と未来、日本の政治や経済をテーマにした討論番組なのに、この差はいったいどこから来るのだろう?

▼ 朝まで生テレビ

 はっきりいうと、それは出演者の年齢から来る。
 『朝生』の出演者は、みな老人である。

 まずMCの田原総一朗が82歳。
 パネリストとして参加した自民党の山本一太が58歳
 共産党の小池晃が56歳。
 民進党の細野豪志が(少し若くて)45歳。
 元防衛大臣の森本敏が75歳。
 漫画家の小林よしのりが63歳。
 東大教授の井上達夫が62歳。

 これらの人たちは、確かに専門的な知識を習得した論客で、発言内容も鋭いのだけれど、寛容性がないというところで、精神が硬直している。
 それは年齢から来るものだ。
 
 だいたい人間は50歳を過ぎると、他人の意見に非寛容になるし、60を超えると、非寛容を通り越して、もう相手が言おうとする話の内容すら理解する力をなくしてしまう。

 だから、『朝生』の出演者たちは、相手の議論を途中で遮り、声高に自分の主張を繰り返すことだけに終始し、結果的に、何が論点になっているかということすら不明瞭にしてしまう。
 その突出した例が、たとえば共産党の小池晃とか、東大教授の井上達夫あたりである。
 こういう “自分の弁が立つ” ことにうぬぼれている連中の顔を見るだけで、暗い気持ちになる。
 
▼ ニッポンのジレンマ

 それに対して、『ニッポンのジレンマ2017』の参加者は若者が中心。
 進行を務めた作家の古市憲寿が31歳。
 パネリストは、最年長がアーチストの福原志保で41歳。
 一番年下の参加者が詩人の文月悠光で26歳。
 あとは、だいたい20代と30代。

 『朝生』との最大の違いは、みな笑顔があったこと。
 かなりきわどい議論の応酬になっても、意見を戦わせている者同士の表情には、相手をリスペクトする真摯な表情と同時に、言い過ぎた自分の発言内容を照れるようなはにかみの笑顔があった。

 『朝生』のジジイたちは、ケンカ。
 『ジレンマ』の若者たちは、意見交換。
 もうそれだけで、番組としての出来に決定的な差がついてしまう。
 
 もう一つ、両方の番組を観て感じたことは、老人たちが気が短くなってきているのに対し、若者たちは結論を急がずに、一つの問題を前にして、そこで立ち止まろうとしていることだった。

 たとえば、彼らの討議から次のような議論が提出された。

 「民主主義というのは、本来は長い討論を重ねて少しずつ意見をすり合わせていくものなのに、今の社会はその時間を “無駄” なものとして排除しようとする。
 その結果、人々が瞬時に “YES” か “NO” かを判断しなければならないような短絡的な思考が蔓延するようになる」
 
 たとえば、アメリカのトランプ大統領の答弁や、ヨーロッパで台頭してきた極右的な政治集団のリーダーたちの演説。
 そこには、「正義」か「悪」かの二元論しかない。
 世界中の政治の言葉が、複雑な思考を拒否する単純で力強い言葉に置き換えられつつある。
 『ニッポンのジレンマ』で討議をしていた若者たちは、そのことへの警戒心を強めている。

 何事においても、瞬時に結論を出さなければならないような風潮は、いったいどこから生まれてきたのか?

 世界中に広まりつつある思考の短絡化。すなわち反知性主義。
 批評家の大澤聡(39歳)は、そこに今のメディアのあり方が反映されていると見るし、数理哲学者の丸山善宏(33歳)は、世界が再び中世の魔術的世界観に覆われ始めてきたと見る。

 彼らは、人間が結論のなかなか見えない時間のかかる思考を放棄し、YESかNOかを瞬時に判断する思考回路に染まってきたことと、世の風潮がアートや文学を軽んじてきたこととはパラレルな関係にあるという。

 すなわち、アートや文学は、「正義」とか「悪」や、「正しい」とか「間違っている」という単純な二元論では片付かない問題を扱うものである。
 それは、現代社会がもっとも苦手とするものだ。
 だから、ここで人間が踏みとどまらないかぎり、世の中は、再び「神と悪魔が闘争を繰り返すという神話的世界」へと逆行しかねない。
 私は、彼らの議論を聞いていて、自分の頭の中でそうまとめてみた。

 若者たちは、複雑な世の中に対峙することを恐れてはいない。
 そして、複雑な世の中をクリアに捉える明晰な視線を大事にしようとしている。
 
 確かに、「シンプルであることの方が美しいし、力強い」と主張する意見が、世の中の一部にはある。
 しかし、それは間違いだ。

 「シンプルである」ことと、「シンプルに見える」こととは違う。
 われわれが感じる「シンプルであることの美しさとか力強さ」というのは、往々にして、「シンプルに見えている」だけであって、実際にはかなり複雑な処理を経て洗練された結果であることが多い。

 「シンプルに見える」ものは、やはり時間をかけて生み出されてくる。
 われわれは、どうして時間をかけることを「悪」のように思い始めてしまったのだろう。
 スピードが価値概念の上位にあがってくるような社会を、いつ築いてきたのだろう。

 それについて、経済学者の水野和夫氏は、「より速く」という精神は、資本主義という経済システムそのものが生み出したものであるという。

 つまり、資本主義が、他者を出し抜いてより多くの富を独占するというモチーフによって支えられてきた経済メカニズムであるかぎり、「より速く」というのは、“他者を出し抜く” 資本主義の根幹をなす原理にならざるをえない。
 水野氏は、その競争原理が、地球上から地理的なフロンティアが消えていくことによって、限界に直面していることを示唆しようとしている。
 つまり、競争の “ゴール” の姿が、おぼろげながら浮かび上がってきたのだ。

 これに関して、(話は急に飛ぶけれど)人気ブロガーの池田信夫(経済評論家)は、「水野和夫は資本主義を批判するだけで、それに代わる経済システムを提案していない」と非難する。
 「資本主義よりましな経済システムが存在すると証明しない限り、社会主義のような地獄になるだけだ」と。

 この池田信夫(63歳)という人も、『朝生』に登場する精神の硬直した老人たちと同じような存在だ。
 彼は水野和夫が語ろうとした世界が、単に経済システムの問題として片付けられるようなものではないことを見逃している。
 
 水野氏は、(先ほどの『ニッポンのジレンマ』の議論に引き寄せていうと)アートや文学(さらにいえば哲学)の問題を語ったのであり、そのことを感受する感受性が池田信夫には欠けている。

 ≫「資本主義よりましな経済システムは存在しない」
 当たり前だよ、そんなこと。
 すでに社会主義経済という実験に人類は失敗しているのだから。
 
 しかし、人類の歴史は、資本主義などという経済システムがない時代の方がはるかに長い。
 その間、人類は不幸せだったのか?
 資本主義という経済システムが生み出した幸せと同じくらい、資本主義が産み落とした不幸というものだってある。

 資本主義が生み出した「幸せ」と「不幸」が、それ以前の社会が持っていた「幸せ」と「不幸」とどう違うのか。
 その答を見つけるには、いったん資本主義の<外>に立ってみなければならない。
 <外>に立つということは、想像力を働かせるということだ。
 その想像力は、アートや文学からやって来る。
 
 今日思ったことを一つ。
 「答が簡単に出ないものを恐れるな」
 
 

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賀正 2017

 明けましておめでとうございます
 謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 先ほどまで、メス犬のふっくらしたお尻を撫でつつ、日本酒を飲みながら紅白歌合戦を見ているうちに、新年を迎えました。
 サカナは、数の子と、ハムとポテトサラダ。
 日本酒の銘柄は、月桂冠の糖質ゼロカロリー。

 最近はメス犬がなかなかお尻を触らせてくれません。
 こちらを振り返ってジロッとにらみ、
 「いつまで触ってんだよ、スケベ」
 といって、牙をむきます。
 昼間、お風呂に入れてやったのに … 。

 それでは皆様、今年もよろしく。
  
 

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ノスタルジック街道ルート66

 

 「ルート66」という言葉を聞いて、なにがしかの感慨を覚えるのは、主に今60代の人々だろう。

 ルート66は、1920年代頃にアメリカを横断する国道として整備され、1980年代に廃線となるまで、60年にわたってアメリカの大動脈として利用されていた道だ。

 1960年代に、コルベットに乗る2人の若者が、そのルート66をたどって冒険ドライブを繰り返すテレビドラマが大ヒット。日本にも上陸し、当時の日本人にも、広大なアメリカを自分の車で横断してみたいという夢を与えた。


 ドラマの放映に呼応して、タイトル曲も大ヒット。
 ナット・キングコールのほか、ジョージ・マハリスの歌も大当たり。
 さらには、ザ・ローリングストーンズのレパートリーにも加えられるなど、ジャズ系、ロックンロール系などさまざまなバージョンが生まれた。

▼ George Maharis 『Route 66』

 そんなこともあって、60代のシニアのなかには、この「ルート66」という言葉の響きからとても懐かしいものを感じる人も多いのではなかろうか。

 歌にドラマに取り上げられたルート66は、まさに近代アメリカの繁栄の象徴であったが、より便利なインターステート・フリーウェイの普及によって幹線道路としての役割を終えることになり、1980年代中頃に廃線となった。

 しかし、近年観光道路として再整備され、再びノスタルジックな気分をよみがえらせる観光施設として脚光を浴びている。

 私は、2008年にレンタルモーターホームを借りて、こルート66の一部を走ったことがある。
 そのとき、キングマンの町などでは、すでに “ルート66観光” を意識したミュージアムや土産物店がたくさん並んでいた。

▼ キングマンの『ルート66』ミュージアム

 つい最近、NHKのBS放送で、そのルート66が観光道路として再評価されてきた様子を伝えるドキュメントビデオが放映された。
 番組そのものは、2001年に制作されたものらしい。

 しかし、トランプ次期大統領の登場などで変貌を遂げているアメリカを考えるきっかけとなりそうだと判断したのか、NHKはこの番組を再度取り上げる気になったようだ。
 タイトルは、
 『ノスタルジックハイウェイ ~アメリカ ルート66をゆく~』。


 
 とても美しいドキュメント番組であった。
 何よりも、ルート66が走っているアメリカ大陸の光景が素晴らしかった。

 しかし、それだけでなく、ルート66が現役バリバリの時代に、そこを行き来した古いアメ車の映像が素敵だった。





  
 このルート66の沿道には、少年時代に、この道路を行きかう車を見ながら成長していったたくさんの人々が今も暮らしている。
 当時、西へ向かう大排気量のスポーツカーの雄姿や、東へ向かう長距離トラックの群れを目で追うことは、繫栄するアメリカの生きた姿を眺めることだった。

 その時代に活躍したアメ車を集めてきては、販売する人(↓)がいる。

 その中の1台(↓)をきれいにレストアして、今でもルート66を走るのが唯一の楽しみだとか。

 別の町では、ルート66を観光道路として復活させようと、地元民とバンド(↓)を結成し、週末に自分たちの演奏を披露する老人たちがいる。

 さらに別の町では、映画『バクダッド・カフェ』に感動し、このエリアでカフェを開業して、地元民との交流を図る女性店主も登場。
 休日ともなると、近所の住民がその店に集まり、昼間からビールを飲みながら、ドミノゲームに興じる。



 ルート66が通っている州は次の八つ。
 イリノイ
 ミズーリ
 カンザス
 オクラホマ
 テキサス
 ニューメキシコ
 アリゾナ
 カリフォルニア

 アメリカ中西部といっていいのだろうか。その多くは海を持たない内陸の州である。
 いわば、我々日本人が昔 “西部劇” の舞台として馴染んだ州。
 住民の多くはいまだにカウボーイのようなテンガロンハットをかぶり、西部劇に出てくる町のバーを思わせるカフェで、昔なじみの友人たちと談笑する。

 彼らの腕は頑丈で太い。
 そして、胴回りも大きい。
 それはハンバーガーのようなファストフードの日常的摂取やコカ・コーラの大量吸収が生み出した体形のようにも思える。
 

 2000年代に入った頃、アメリカ人たちは食生活を見直し、ダイエットに励んでいるという情報を耳にしたことがあったが、それは東海岸の大都市に住む一部の人々の話だったのかもしれない。
 2008年に私が渡米したとき、実際に目にした中西部の住民たちは、男女とも、太鼓腹を鷹揚に突き出して町を闊歩する人々ばかりだった。
 そして、みなけっこうタバコも吸っていた。

 それを見ただけでも、彼らが、東海岸の知的エリートたちや西海岸の進歩的な風土に馴染んだ人々とは異質の生活を送っていることが分った。

 ある意味、彼らこそ、生粋のアメリカ白人。
 そして、今回の大統領選挙で、トランプ氏を支持した人たちの原型でもある。

 番組のなかで、彼らは口々にこう言った。
 「昔はよかった。ルート66が繁栄していた時代はね」

 そのルート66がさびれていく光景と、彼らの仕事がなくなり、生活が厳しさを増していく様子は、彼らの頭のなかではセットになっている。
 
 日本の自動車産業の興隆を背景に、斜陽になっていくアメリカの自動車産業。
 それに伴い、ルート66を行き交っていた鉄鋼などの資材配達のトラック便も少なくなる。

 利用客でにぎわったドライブイン、モーテル、カフェなども客足が遠のき、沿道の町は、ドアも窓も閉めたままのゴーストタウンに近づいていった。

 しかし、2000年代に入ると、若い頃にテレビドラマの『ルート66』を観て育ったベビー・ブーマーたちが、リタイヤ後の遊び方の一つとして、なつかしの “ルート66ドライブ” を始めるようになった。

 沿道の町でも、それらの客を対象に観光整備に力を入れる自治体が登場するようになる。
 このドキュメントビデオが撮られた2001年頃というのは、ちょうどそういう時期に当たる。

 だから、このドキュメントに登場する人々の表情は明るい。
 往年の輝きが戻ることを信じて疑わない人たちの笑顔はチャーミングだ。
 彼らは口々に、ルート66が昔の繁栄を取り戻す夢を語る。

 それは、「偉大なアメリカの復活」を謳うトランプ氏のキャッチである「Make America Great Again」に呼応している。

 事実、ルート66が通るアメリカの八つの州のうちの5州、すなわちミズーリ、カンザス、オクラホマ、テキサス、アリゾナは、大統領選のときにクリントン氏ではなくトランプ氏を支持し、その勝利に貢献している。

 われわれ日本人の多くは、来年からスタートするトランプ政権に不安を感じている。
 だから日本の知識人たちは、トランプの政策を「保護主義」だとか「反知性主義」だとか、「差別主義」、「非寛容」などと非難しているが、アメリカのトランプ支持者たちの素顔を見てしまうと、そのような一面的な理解でレッテルを貼ることにためらいが生まれる。

 少なくとも、NHKドキュメント『ルート66』に登場し、ルート66にノスタルジックな思いを馳せる人々の純朴そうで、優しそうで、温かい表情を見ていると、仮に彼らが熱烈な「トランプ支持」を口にしたとしても、たぶん面と向かって反論などできないはずだ。

 「Make America Great Again」

 この言葉がはらむ本当の意味を、われわれ日本人は実感できない。
 トランプ氏の魔法の言葉の真意は、まさに、ルート66の喪失を心の空洞として捉える人々の胸に内に分け入っていかなければ分からない。

 だが、このことは、日本で今起こっていることと照らし合わせてみると、案外見えてくるものがある。

 今の日本にも、昭和30年代(1950年~1960年)を理想の時代だと捉える風潮が生まれている。
 たとえば、ACジャパンの『ライバルは、1964年』というCMでは、屈託なく笑っている植木等(クレイジー・キャッツ)の白黒写真を掲げ、
 「笑顔でも、夢の大きさでも。人を思いやる気持ちでも。あの頃の日本人に、ぜったい負けるな」
 と謳っている。

 これは、平成20年代に生きる我々を応援しているようで、実際には昭和30年代へのオマージュになっている。
 そして、そのことに対し、当時の生活を知っている年寄り世代だけでなく、当時を知らない若い世代も共感している様子が見て取れる。

 「過去は偉大だ」
 とする風潮は世界的に広まっている。

 私は、そのことの是非をここでは問わない。
 ただ、過去を称賛することが “ウルウルする” ことの条件になりつつある今の風潮は、いったい何を語ろうとしているのか。
 私自身は、そのことを注意深く見守っていきたいと思っている。
 

参考記事 「ルート66伝説 (モーターホームでアメリカを走る 5)」
 
 
  

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吉祥寺ステキナ3周年記念ライブ

 
 ここのところ忘年会続きです。

 本当は、外出するときも酸素ボンベが必要なのですが、4~5時間酸素を吸わなくても平気になりました。

 酸素を吸引せずに早歩きすると、まだ多少息切れすることもありますが、それでも2~3kmなら普通の速度で歩けるようになりました。
 1年ほど前には、10m歩くたびに立ち止まって一休みしていたわけですから、そうとう体力が回復したといえそうです。

 昨日の夜は知り合いのバンドによる生演奏を聞くために、吉祥寺の「ステキナ」(東京都・武蔵野市)へ。

 ここはライブも楽しめるカフェということで、楽器の弾ける常連のお客さんたちが、隣同士でお酒を飲んでいるうちに意気投合し、突然ジャムセッションが勃発したりするお店です。

 昨日はそのお店の開店3周年記念。
 それを記念するライブが開かれ、お店で知り合ったお客同士で結成されたバンドなどが次々と登場し、さまざまなジャンルの音楽が演奏されました。

 ほんとうに “さまざま” 。
 ロックあり、フォークソングあり、レゲェあり。
 二胡という中国の楽器を弾くお姉さまがいるかと思えば、ひたすら松山千春の持ち歌を忠実にカバーするおじさまがいたり。

 私はこの店のライブはこれで二度目なので、いつもどのような進行のもとに進められているのか、今ひとつ分からないのですが、前回と今回を見たかぎりでいうと、「私これからギター弾いて歌いますから、誰かバックでベース弾いてくれませんか?」という感じで進められることが多いみたいです。
 
 もちろん、バンド仲間だけで演奏する場合は、あらかじめスタジオなどで練習を重ねてから披露される曲もあるようですが、基本的には目と目が合った客同士がほほ笑み合って、キーだけ決めて、いきなりジャムセッション。


 
 だから、相当ゆるゆるの音になったり、逆に、きわめてタイトな演奏の応酬が重ねられて火花が散ったり。
 何が起こるか分からないというところが、このお店のライブの特徴のようです。

 で、今日は知り合いのバンド仲間がステージから声をかけてくれたので、曲と曲の合間に、1曲だけ歌わせてもらいました。

 曲名はありません。
 歌詞も決まっていません。
 即興でね。
 ミディアムテンポのリズムで、ワンコード。
 「♪ 俺の生まれは井の頭 ! 弁財天の池を産湯に使い … 」
 ってな感じでね。

 いやぁ、なんていうんだろ。
 カラオケなんかよりも、こういう方が面白いのよね。

 カラオケって、やっぱ与えられた歌をどれだけうまく歌うかという遊びなんだけど、こういう即興演奏主体のジャムセッションってさ、その場で音や歌詞を瞬時に捻りだすわけだから、よりスリリングですよね。
 みんなの気分が一体となって音が合えば、ものすごく盛り上がるし、失敗してもご愛敬。

 そんなわけで、年末まで5連続忘年会の、その2回目を消化し、深夜にホープ軒のラーメン(海苔増し、味濃い目、生玉子入り)を一人で食べて帰りました。
  
 

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井の頭公園「井泉亭」のカレー

 
 ここのところ暖かい晴天の日が続いている関東地区。
 家の中にいるより外に出ている方が快適なので、土日にかけて井の頭公園(東京都・武蔵野市&三鷹市)を散歩してきました。

 お目当ては、「井泉亭(いせんてい)」のカレー。
 井泉亭というのは、公園内の弁財天前にある「食事処」 … というか、「カフェ」というか、「甘味処」というか、「休憩どころ」というか、要するに江戸時代風にいうと “茶店” ですな。うどん・そば・あんみつ・甘酒・くずもちなどを食べさせてくれるところなんですね。

 一見、取り立てて変わったところのない普通の公園内食事処という感じなんですが、ネットで調べてみるとなんと、幕末の時代からこの井の頭公園にある由緒ある茶店なんだそうな。

 その歴史は180年有余。
 『東海道五十三次』で有名な歌川広重が描くところの「名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」という絵にも登場するのだとか。

 私は、この井の頭公園から徒歩10分圏内に住んでいるので、この「井泉亭」の前など何度通ったか分からないというのに、そんな由緒ある店であったとは今回はじめて知りました。
 
 この「井泉亭」。
 なんで最近注目されるようになってきたかというと、テレビの露出度が高まってきたからなんですね。

 ドラマ版の『グーグーだって猫である』に主演した宮沢りえさんが、第4話でクリームあんみつを食べるシーンがここで撮られたものだそうです。(これもネットで知った)。

 で、名物のカレー。
 以前、たまたまこの「井泉亭」の前を散歩していたときに、「ピースの又吉さん大絶賛のカレー!」という看板を見かけたんですね。
 最近では、「さま~ず」の大竹一樹さん、三村マサカズさんのコンビもやはりテレビ番組でここを訪れ、話題のカレーを絶賛されたそうです。

 で、ちょっと前のこと、その “絶賛” という言葉につられ、
 「ほな、食べてみるか」
 と店の中に入り、カレーを注文。

 これが美味いのなんの ‼
 やみつきになりました。

 そこで、今回は大盛り(↓)を注文。
 レギュラーサイズ700円のところ、大盛りは100円増しです。
 前回、普通盛りを注文したとき、あまりにもおいしくて、「足りない !」という思いが強かったために、今回はぜひ大盛りに挑戦してみたかったんですね。

 ところが、たったプラス100円なのに、出てきた量にびっくり。
 大盛りというより、これは “2倍盛り” といった方が正しいかな。
 さらにいえば、ルー(汁)とご飯だけで誤魔化した “大盛り” ではありません。
 しっかりと、具もたくさん入った良心的な大盛り。

 牛肉の角切りがゴロゴロ並んでいるし、たくさんのジャガイモやニンジンがルーから氷山のように頭を出しています。
 この大盛りを完食すると、1日1食で十分といえるほどの質・量が確保されます。

 味は、昔からよくあるものすごくオーソドックスな「町の洋食屋さんのカレー」です。
 最近流行のエスニック系ではありません。
 だから、学校の給食や学食などで昔風のカレーを食べてきた中高年には親しめるのではないかな。

 ただ、けっこう辛いです。
 オーソドックスな味付けといっても、けっして「お子様向け」じゃないですよ。
 一口、二口食べると、すぐ水が飲みたくなります。

 でも、美味いんですよ !
 大人の辛さです。
 

 ▼ カレーを堪能して、店を出ると、目の前に弁財天の池が広がっていました。

 ▼ この季節、紅葉がきれいです。

 ▼ ボート乗り場の近くまで来ると、何やら人だかりが … 。

 人垣に頭を突っ込んで、中を覗くとコンサートで盛り上がっているところでした。
 「これ、誰のコンサートなんでしょう?」
 隣でカメラを構えているシニアの男性に尋ねてみました。

 “井の頭公園の歌姫” として知られる「あさみ ちゆき」さんのコンサートとのことでした。
 2001年からこの公園で月1回のライブを開き、すでに200回近くのステージをこなしているとか。

 それにしても、観客にはかなりシニアのおじさんが多いようです。
 ファンなのかな?
 スタッフなのかな?
 ガードマンなのかな?
 こんなジャンパー(↓)を着ていらっしゃるおじさまたちがたくさんいらっしゃいました。

 あさみ ちあきさんの歌声にほっこりした後、さらに池沿いに公園を歩きます。
 
 それにしても、公園内にはずいぶん素敵なカフェが増えました。
 みな昔は同じようなたたずまいの平凡な食事処だったんですけどね。
 今は、エスニック料理の看板を掲げたり、コーヒーの淹れ方に凝った店になっていたり。
 ずいぶん変わったものです。

 この公園はとても素敵な池を持っているんですけど、ひとつだけ悲しいことが。
 公園の池に浮かぶボートが、いつの間にか、みなアヒルの形をした足漕ぎボートばかりになり、私の好きな手漕ぎボートは、ほんとうにマイナーな存在になってしまったのです。
 この公園の美しさは、手漕ぎボートが浮かんでいるからこそ保たれているというのに。

  ▼ アヒルの姿が見えない瞬間を見計らって、パチリ!

 アヒルが憎たらしいな。
 今度こっそり夜中にマジックインキでアヒルの顔にヒゲを描いてしまうつもりです … イヒヒ。
  
 

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ギャラクシーというキャンピングカーの思い出 第3回

 
 ○月○日

 自分にとっては初めてのキャンピングカー「ギャラクシー」を購入するための情報を集めつつ、まず駐車場選びから始めた。

▼ ギャラクシーⅢ

 やっぱり家から少しで近いところに借りたい。
 家から100mのところに、わりと大きな駐車場があったのを思い出した。

 その駐車場を管理している精肉店に行って、「駐車場は空いていませんか?」と尋ねた。

 「ありますよ。いま空いてます」
 と気楽な返事が返ってきた。
 難関はそこからである。

 「駐車したいのは、トラックみたいに大きな車なんですけど … 」
 「え? トラック」
 精肉店のご主人の顔が曇る。

 「幅が2m10、長さが5m60 … 」
 「ちょっと無理だねぇ。何のトラックなの?」

 「あの … キャンピングカーなんです」
 「ああ、ダッジとか何とかいう … 。ああいうのは無理だなぁ」

 「2台分借りても無理でしょうか?」
 「2台といっても、隣り合ったところが空いていないからな。悪いねぇ … 」

 その後、自分の乗用車を停めている月極駐車場の管理者とも相談したけど、同じような返事だった。
 これは相当遠くの駐車場になるな … と覚悟した。

 が、“燈台もと暗し” とはこのことだ。

 実は、家からわずか50mのところに駐車場があることはあるのだ。
 ところが、そこは、車を入れるのが実に難しそうな場所だったのである。
 なにしろアプローチが狭い上に、登り口が急激な斜面になっている。
 しかも、その前が一方通行の道なので、バックで入れておかないと、出るときに出られない。

 一度乗用車が入るかどうか試してみようと思い、バックで乗り上げたところ、クルマが斜めに傾いて、まるで倒れそうな感じだったので、途中で諦めたことがあった。
 さらにいえば、スロープを上がるときに、タイヤが空転して斜面を登りきらない。キャンピングカーじゃなおさら無理だと思った。

 が、そんな所だから、借り手がなく、逆にいつまでたっても空いている。
 案外狙い目かもしれない。

 さっそく、当時ギャラクシーを販売していたグローバル国立展示場の田代さん(現TACOS社長)に連絡して、
 「一度、車を持ってきて、家の前の道路を曲がれるか、駐車場の斜面をよじ登れるかどうか試して頂くわけにはいきませんか?」
 と尋ねてみた。

▼ 出会った頃の田代氏

 「ああ、いいですよ」
 と二つ返事。
 田代さんの運転するギャラクシーが来ることになった。
 
 
○月○日

 「今、町田さんの家の近くまで来たんだけれど … 」
 田代さんから、携帯電話で連絡が入る。
 さっそく歩いて迎えに行く。
 田代さんは、家から200mぐらい離れた酒屋の前にギャラクシーを止めて、私が駐車場に案内するのを待っていた。

 はじめて町中で見るギャラクシー。
 デッケェ! 

 展示会の会場で見るのと違い、近所の狭い道で見るギャラクシーは海水浴場に紛れ込んできたクジラのように大きかった。
 これじゃ “大黒寿司クランク” を曲がれない!

 ところが田代さんが運転するギャラクシーは一回の切り返しで、私には至難のワザに思えた大黒寿司クランクをクリアしてしまった。

 次に、第2の難所の駐車場のスロープ。
 これも前から一回、バックから一回。
 扱い慣れた田代さんはスルスルと出し入れする。

 「そんなにきつい駐車場でもないですよ。普通のキャンピングカーなら腹をこすってしまうかもしれませんが、ギャラクシーは車高が高いから問題ないです。それに滑ったら4駆にすれば大丈夫です」
 とのこと。

 田代さんはもっと難しい駐車場のオーナーのところにたくさん納車しているという。

 なるほど。
 それじゃ …… ということで、田代さんが帰った後、さっそく駐車場の管理人のところに、借りられるかどうか確かめる電話を入れた。

 空いているという。
 しかも、当分借り手は現れないでしょうという話。

 そりゃそうだろう …、あんな普通の車が苦労する駐車場 … とは思いつつ、納車がいつか確かめて、あらためて契約しますということで電話を切った。

 さて、納車はいつか。
 田代さんに連絡すると「いま (5月頃)契約すると、納車は9月になるだろう」とのこと。
 「じゃ、契約をしましょう」と話がまとまった。
 
 
 ○月○日

 7月にはキャンピングカーが来る。駐車場問題にケリをつけなければいけない。
 会社の休みの日、駐車場を管理している不動産屋まで車を走らせた。

 幅の規定が1台分を超えてしまうので、どうしても2台分のスペースを借りる必要がある。

 不動産屋の説明によると、確かに5台止められるスペースのうち、2台分が空いているという。

 ただし、その2台分が隣り合っていない。
 真ん中に1台よけいな(失礼!)なクルマがある。

 「なんとかならないですかねぇ」と不動産屋さんにお願いすると、
 その社長さんが、さっそく駐車場の借り手と電話で交渉してくれることになった。

 「1台分だけ、北側に寄ってくれませんかね?」
 と、電話で借主に尋ねている。

 「いいよ」 … という返事らしい。
 「2台分が空きましたよ」と社長さんもニッコリ。

 料金は、1台分1万7,000円。
 「でも、2台分で2万円ということにしておきましょう」
 不動産屋の社長は、そういってくれた。
 「結構です。では借りることにいたします」

 すぐサイン。
 2台分借りても、乗用車を止めている駐車場の1台分より、さらに1万円も安かった。

 駐車場が決まったので、グローバル国立営業所に行って、見積りを立ててもらうことにした。
 まず、オプションの検討に入った。

 バックアイモニター。…… これは絶対いるだろう。
 オーニング … いる。
 ルーフボックスがあると便利だという話もきいた。汚れた椅子・テーブルなどをそのまま放り込めるから撤収が楽だという。
 じゃ付けたよう … 。
 そうなるとラダーもいる。
 オーディオは絶対いる。

 さて、ルーフエアコン、電子レンジ、テレビ&ビデオなどという贅沢装備はどうする?

 ルーフエアコン、電子レンジなどが入ってくると、当然電力確保の意味からジェネレーターも必要となってくる。
 そのときまでに挙げた装備類を、一度まとめてもらった。

 フロントエアコン   17万1,000円
 リヤモニターカメラ 13万5,000円
 電子レンジ       2万5,000円
 ジェネレーター   42万0,000円
 ルーフエアコン   10万8,000円
 サイドオーニング  14万8,000円
 リヤラダー       3万0,000円
 オーディオ       8万2,000円
 ルーフボックス    9万8,000円

 これを全部足すと…121万7,400円という値段になった。

 ええい、もう行っちまえ! 

 …… で、付けることにした。

 あくまでも勉強のためのキャンピングカーなのである。
 これらの装備がどれだけ必要なのか、あるいは不必要なのか。
 使ってみなければ分からない … というので、思い切ってフル装備にした。

 結論をいうと、このときの経験は、2台目のキャンピングカーを買うときに、大いに参考になった。
 
 まず、温水シャワー機能はいるのか、いらないのか?
 これの優先順位はそうとう低い。
 温泉施設が普及している日本では、シャワーはまず使うことがない。
 水量が少ないので、頭を十分に洗うこともできない。
 結局、この車に10年ほど乗って、シャワーを使ったのは2回だけであった。

 ただ、シャワー室(たいていトイレ室を兼ねる)という “空間” は便利である。
 縦長収納庫として使えるし、何よりも “逃避空間” としていい。
 
 たとえば夫婦の2人旅。
 いくら仲の良い夫婦といえども、同じ空間で寝泊まりする日数が2週間を超えると、さすがに息が詰まることもある。 

 そんなとき、四方を仕切られた独立した空間があると、お互いにホッと一息つけるのだ。

 別に、その “個室” に閉じこもらなくてもいい。
 いざとなれば、同乗者の視線から逃れるスペースが車内にあるというだけで、心が軽くなるのだ。

 だから、バンコンに比べてキャブコンのメリット があるとしたら、室内が広いとか、封入される断熱材の量が違うとか、収納スペースが多いとか、そんなことではなく、バンコンより室内に “死角” が多いということだ。
 要するに、首を回して室内を見渡したときに、視界から隠れてしまうスペース。
 扉で仕切られたマルチルームとか、カーテンで仕切られたバンクベッド、あるいはカーテンで仕切られたリヤ2段ベッド。
 このような、カムフラージュすると「視覚」が見逃してしまうような「死角」を持っていることが、長期旅行の場合は心理的な居住性を約束する。

 しかし、そんなことが分ってくるのは、2週間以上あちこち旅する経験が増えてからのことであった。
 とにかく、最初は室内レイアウトが与える心理的な効果よりも、装備の機能や使い勝手の方にしか意識が回らなかった。
 そのため、予算の許す限り、無邪気に装備品を付けまくった。

 ただ、装備類というのは、けっきょく耐荷重との相談になる。
 この時代、ルーフエアコンとジェネレーターというのが、重量のかさばる装備類の代表選手だった。
 この二つは、それなりに対荷重の高いシャシーが約束されていなければ、車そのものの運動性能を損ねるし、タイヤや車軸に対する負担も増大する。

 今から思うと、たいへんな重装備であった。
 オーナン2.8kWを床下に積み、ルーフにはコールマンのエアコンを載せ、キャンプ道具から何から一切ぶち込んだルーフボックスをその横に並べ、(時には100kgの水タンクを満タンにし) さらに5kgLPボンベ一本と、そのリザーブタンクも用意して載せていた。

 つまり、200馬力以上あるアメ車並みの装備を、わずか91馬力のシャシーが担うことになったのだ。

 今だったら、とてもこれほどの装備を載せる気はしない。
 だから、2台目のキャンピングカーでは、エアコンもジェネレーターも注文しなかった。
 今のような、軽量かつ省エネタイプの家庭用ルームエアコンが普及していれば別だったが、当時は外国製のモーターホーム専用車載エアコンしかなく、しかもジェネレーターとセットにならざるを得ないため高価になり、しかも重量が増えた。

 それでも2台目のキャンピングカーでは、途中から、「夏の暑さ」を我慢できないカミさんのため、キャンプ場のAC電源でも回るような小型・軽量のエアコンを後付けした。
 アメリカのクラスBモーターホームなどのリヤドアの上側に取り付けるタイプのものである。
 これは、なかなか便利だったが、結果的にあまり使っていない。

 だから、今のキャンピングカーになってからは、夏の旅行は、なるたけ涼しいキャンプ場を選び、窓を全開して風を入れるようにしている。
 それでも暑いときは、ルーフベントを回して屋根から風を入れるか、小さな扇風機を回す。
 それだけで、なんとかなるものだ。

 また、ルーフの上にトップボックスを載せるのもやめた。
 ギャラクシーのときは、椅子・テーブルから始まって、一切合切のキャンプ道具を屋根に載せていたが、当然、重心高が高くなり、安定性にも支障が出てしまう。

 だから、荷物をたくさん持っていく旅行を見直して、ボディー脇の収納庫に入るだけの荷物に絞ることにした。

 これは、子供がキャンプ旅行を卒業して、夫婦2人かもしくは単独旅行の機会が増えたから可能になったことでもあるが、「荷物の少ない旅行」を心がけるようになって、車の運動性能も向上し、かつ心も軽くなったように思う。

 しかし、まだ1台目のキャンピングカーを買うときには、そんなことまで分からない。
 そのため、フル装備になって、価格も一気にアップした。

 車両本体価格は478万円だったが、プラスのオプション類が121万円。
 それに税金、登録諸経費など加えると、乗り出しで620万円になってしまった。

 「ちょっとオプションが増えすぎて、高くなっちゃいましたねぇ」
 と、田代さんの方が多少困惑気味。
 決まり悪そうな顔である。

 申し訳ない … という気分と、 “そんなに付けても使うことないだろうに … ” という哀れみの気分が混じったような表情だ。

 まぁ、いいわい。

 とにかくローンを組んじまえということで、支払いの方法を田代さんと相談した。
 頭金370万9,142円。
 後は、月々8万9,900円の20回均等払い。(初回だけ9万0,100円)

 話はどんどん進行して、登録の話までいった。
 登録するために車庫証明を取ってくれという。
 今まで乗用車を4台乗り継いできたが、そんなことはしたことがない。

 …… なるほどキャンピングカーというのは乗用車と違うもんだと思った。
 ドゥ・イット・ユアセルフ。

 車庫証明の取得が、Do It Youa Self かどうか分からないけれど、痒いところに手が届くように何でもしてくれる乗用車ディーラーとは、やはり違うみたいである。

 「車庫証明に必要な書類」というインフォメーションが製造本社から送られてきた。

 ① 自動車保管場所証明書
 ② 自動車保管場所使用承諾証明書
 ③ 自動車保管場所の見取り図並びに配置図
 ④ 土地(駐車場)の評価証明書
 … がいるという。
 初体験だったので、何のことかさっぱり分からなかった。

 ④の土地の評価証明書というのは市役所で発行してくれるというので、とにかく市役所に行ってみた。

 受け付けで聞くと固定資産税の係りのところにいけばいいという。
 そこで駐車場の地番(これが住所の何丁目何番地と違う)を聞いて書類に書き込み、とにかく発行してもらった。

 それを持って警察署に行った。
 警察署には「車庫証明発行受け付け」みたいなコーナーがあって、そこに行って「自動車保管場所証明申請書」なる用紙をもらった。

 「車名」「型式」「車体番号」「自動車の大きさ」を書き込むようになっている。

 郵送されたインフォメーションによると、
 「車名=トヨタ」
 「型式=S-LN106改」
 「車体番号=LN106-0100669」
 「自動車の大きさ = 長さ565センチメートル/幅211センチメートル/高さ315センチメートル」
 … ということだったので、それを書き込んで渡した。

 これで①の「自動車保管場所証明書」はクリアした。

 ②の自動車保管場所使用承諾証明書というのは、土地の評価証明書でいいみたいだった。
 ③の自動車保管場所見取り図並びに配置図というのは、地図を画く用紙に駐車場の位置と自宅の位置をかき込めばよかった。

 配置図は、駐車場の契約書にクルマを収める位置が図表化されていたので、それのコピーを渡してことなきを得た。
 手数料として2,000円払えば、1週間後に車庫証明が交付されるとのことだった。

 1週間経って「自動車保管場所証明書」なるものが発行された。
 「94※※※※※30」 という番号で、それが「保管場所標章」とのことだった。

 イヒヒ … である。
 オーナーになる日が近づいてきたのだ。
 
 (続く)
 
 

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ギャラクシーというキャンピングカーの思い出 第2回

 
 ○月○日

 欲しいキャンピングカーとして、とりあえずギャラクシーに狙いを定め、販売しているグローバルまで現車を見に行くことにした。
 
 グローバル本社は当時愛知県の豊橋にあったが、幸いなことに、東京の国立に東京ショールームがあった。
 車に乗っても、自分の家から30分ぐらいの場所だったので、ある日曜日、カミさんと子供を連れてドライブがてらに訪れることにした。

▼ 昔東京・国立にあった 「グローバル東京展示場」

 出たばかりのコンポⅡとギャラクシーの間に、グローバル国立展示場の田代さん(現・タコス社長)が立っていた。

▼ 現 「TACOS」 社長の田代さん(若い頃)

 私は、ちょっとだけキャンピングカーを知っているごく普通のお客を装って、田代さんの前に立ち、
 「なるほど、これが新しいコンポⅡね。あ、窓が小さくなったんだ。バンク部は今度はベッドになったのか … 」
 … なんて、(実は記事を書いているからよく知っていたけれど) “素人の客” に成りすまして楽しんでいた。

 そうしたら、田代さんに、
 「ひょっとしたら、『キャンパーニュース』の町田さん?」
 と見破られてしまった。

 あっけなく “素人の客遊び” は終わった。

 「実はギャラクシーが欲しいと思って見にきたんです」
 そう言うと、「あ、ぜひ!」と、田代さんの顔が輝いた。

 「値段についてはいろいろ考えさせてもらいます。だからぜひ! できれば試乗記なんか『キャンパーニュース』に連載してもらえれば … 」
 田代さんがそう言う。

 試乗記なんか書くのはやぶさかではない。
 こっちだって書きたい。
 だけど、まだ自分のキャンピングカーに乗ったこともなければ、使ったこともない。
 何をどう書けばいいの? … と、こちらが聞きたくなってしまうのをグッとこらえて、「試乗期はまぁ、そのうちに … 」と口を濁す。

 「ギャラクシーを買いたい気持ちはもちろんあるのですが、いろいろ解決しなければならない問題があって、もう少し時間をください」

 とりあえず、その日そういって立ち去った。
 
 
 購入資金の問題
 駐車場の問題

 いざとなると、やはりハードルは高い。

 ま、金はなんとかなる。
 それまでアパート暮らしを続けていたが、その頃からアパートを引き払い、実家に潜り込んで、使い手のいなかった2階を改造して暮らすようになっていたから、アパートの家賃が浮くようになったのだ。

 それまでは、月10万の家賃を右から左へと払っていたわけだから、それを思えば、月々10万までのローンなら支払う自信はある。

 問題は駐車場だった。
 これがない。
 5m×2mの枠を超える駐車場が近くにない。

 やっぱり無理かな … 。
 そのときは、それほど熱心に駐車場を探す気にはならなかった。

 車両価格470万なり … という買い物は、(当時の自分にとっては、… 今でも変わらないが)、けっこう冒険である。
 それだけまとまった金が出ていくことに対して、やはり不安の方が大きい。

 だから、1日のうちに、「買おう!」という気持ちの高揚と、「無理だよ」という諦めの境地が交互に訪れる。

 諦めの境地になりかけたとき、「駐車場がない」ということが “冒険” を避ける口実になりそうで、秘かにホッとしたりもした。

 つまり、「仕事として必要だ!」と、大見得を切ってみたものの、ある程度まとまった金が出ていくということは、やはり人を不安に気持ちに落とし込むものだ。

 しばらく様子見 …… 。
 別に自分がオーナーにならなくたって、キャンピングカーの記事は書ける。
 そういう気分になることもあったし、事実その通りだった。
 
 
 ○月○日

 それからしばらく経った。
 2月の晴海のキャンピングカーショーで、また田代さんに会った。
 (当時ビックサイトでも幕張でもキャンピングカーショーはなかった)

 展示してあるギャラクシーの中で、田代さんと雑談した。

 「買う気になりました?」
 … なんていう話は全然出ない。
 売る気があんのかなぁ … とこっちが心配になってしまう。

 雑談が終わって、田代さんと別れ、遠くからギャラクシーを振り返った。

 そのとき、ふと、 「あ、キャンピングカーって美しい乗り物だな」とはじめて思った。
 それまでは、どうしても生活の匂いを引きずる所帯じみた車という印象を吹っ切れなかった。

 外形デザインも、この時代は「機能優先」が露骨に伝わる無骨なものが多く、シルエットそのものをうっとり眺めるようなものは、まだ誕生していなかった。

 しかし、その日はキャンピングカーが違って感じられた。
 特に、初春の夕暮れの光を浴びてたたずんでいたギャラクシーはとてもカッコよく見えた。
 壁面の圧倒的ボリュームが、なんだかやたら新鮮に見えるのだ。
 乗用車とも違い、ただのオフローダーとも違う不思議な造形美がそこに生まれているように感じた。
 すべて格好から入る私には、もうそれだけで十分だった。

▼ ギャラクシーⅢ

 やっぱりギャラクシーを買うベェ! 

 その日から、秘かに本腰を入れて購入を検討し始めた。

 まず、サイズの調査。
 全幅が2mを超えると(ギャラクシーは2m10だ)、これは一般道を運転したときどんな感じなのか。
 全長が5mを超えると(ギャラクシーは5m60だ)、右左折のときに、どれだけリヤのオーバーハングが問題になるのか。
 
 そういうチェックポイントを、紙に書き出してみた。

 内装においても、しかり。
 ギャラクシーにはトイレ・シャワーが付いているが、それがどれだけ便利なものか(あるいはどれだけ不用のものか)、使うときはどんなふうに使うのか、その研究も必須項目。

 バックアイモニターだって、昼、夜間、それも照明の多いところ、少ないところで、見え方が違ってくる。
 明かりがまったく見えない田舎の山道でのバックは、はたしてどうなんだ?
 そんなことに思いめぐらしてみると、チェック項目は、どんどん増えていく。

 ○月○日

 3月。ギャラクシーの情報をもっと集めたくて国立のグローバル展示場に遊びに行った。
 偶然ギャラクシーの1号車のオーナーという人が来店していた。
 車検に出していたギャラクシーを引き取りに来たのだという。

 田代さんの説明によると、その人は、レコードジャケットの写真を専門に撮るカメラマンだという。

 年齢不詳。
 家族構成不詳。
 長髪のストレートヘアに、アゴヒゲ・クチヒゲ。
 どこか新興宗教の教祖っぽい雰囲気を漂わせた人だと思いながら、その人の話を聞いた。

 ギャラクシーの扱いでは、どこを気をつければいいか。

 彼曰く。
 やはり、リヤのオーバーハングが “災いの元” になるという。
 なにしろハンドルを切っていくと、はじめは車輪どおりにリヤも動いていくのだが、途中から突然キュっとケツを振るらしい。
 そのため、右左折のとき、隣の車線から飛び出そうとする車にケツを当ててしまうというのである。

 やっぱりこれだけの車体になると、そうとう気合いを入れて挑まないと移動はシンドイとか。
 またバックのときは、いちいち降りて後方を確認しなければならないという。

 バックアイモニターの話も出たが、その人は付けない方がいいという主義。
 なぜなら、付けると、いちいち降りて後方確認をするなどという作業が面倒くさくなり、かえって事故のもとになるという。

 たいへんなのは洗車とワックスがけ。
 やはり一日仕事になるそうだ。
 ワックスなど一回で一缶なくなる。洗車は風呂掃除用のモップを使うとか。

 悩みのタネはやはり駐車場問題で、あれだけの大きさを置かせてもらえる駐車場はなかなかないという。
 幸い、その人の場合は、100台置ける広大な駐車場を持つおおらかな地主の駐車場が探せたとか。
 料金は(当時)月4万円。

 それでも、そこを探すまで、いろいろな駐車場を転々とした。
 なにしろ現物を見ると、たいていの管理人は、「これは駄目だ!」と嫌な顔をする。

 そこでクルマを見せる前に「ハイラックスです」と嘘をついて借りてしまい、管理人が見て、眉をしかめたら、
 「ちょっと改造しちゃったから、少し後ろが変な形で … 」
 などといって、ボリボリ頭を掻きながらニコニコする作戦で通してきたという。

 ギャラクシーの利点はやっぱり4駆だという。
 多少のぬかるみでもスタックしてしまうキャンピングカーが多い中で、4WDのギャラクシーはまず安心。
 乗用車が上がれないようなぬかるんだ坂でも、この車はじわじわと登り詰めてしまうらしい。

 もうひとつのメリットは、後輪のダブルタイヤ。
 後輪四つのうち1本がパンクしても、とりあえずタイヤショップまでは、だましだまし走っていける、とカメラマン氏はいう。
 また、架装物や積載物の荷重を分散することになるので、タイヤ1本にかかる負担が少ない。

 このときは、無邪気に「ああ … なるほど」と思って聞いた。

 前回の記事でも書いたが、実はこのクルマの場合、そのダブルタイヤが問題だったのだ。
 
 架装重量の増大分を受けるために、グローバル独自で組んだダブルタイヤだったが、その改造のために、逆にアクスルシャフトに過度な負荷がかかり、シャフトが折れるという危険性を内包したクルマだったのだ。

 それによる事故もやがて起こるようになるのだが、このとき、まだ我々はそのことを知らない。

 基本的には、ベースシャシーの対荷重を無視して重量物をたくさん積載するような架装の問題に帰結するのだが、当時、まだそれによる事故も起こっておらず、国産ビルダーの「車両重量」に関する意識も低かった。

 だから、このときは、足回りを “増しリーフ” や強化ショックで補強するというような話題になって、そっちの方で盛り上がった。

 いま思うと、まだまだキャンピングカーの普及率も低かったのだ。
 ギャラクシーという車も、まだそれほど多く造られていなかった。
 当時のビルダーは、まだ展示車さえ十分に整えることができず、グローバルが東京で展示会を開くときは、かならずそのカメラマン氏の車両が展示会に借りだされたという。

 当日、その後の話はキャンピングカーにテレビをつけるかつけないかという議論になった。

 「テレビは邪道かもしれないですけど、子供のいる家庭ではテレビは必需品。子供たちに好きな番組を見させておけば、その時間帯だけでも親がのんびりできますし … 」
 という田代さんに対し、カメラマン氏は反論。

 「それは、親父のプロデュース能力がないということを告白しちゃったようなもの。だって、せっかく旅行して知らない景色を楽しめるのに、なぜテレビが必要なんですか? 
 俺なんかカメラが仕事でも、プライベートな旅行にカメラなんて持っていったことがないですよ」
 という。
 なるほど…と思えるような話が続いた。

 目当てのキャンピングカーを詳しく知るには、 「ショップに何度も顔を出して、そのクルマのオーナーから使い勝手を聞いてみろ」というアドバイスがよくなされるが、確かに、ショップに入り浸っているお客さんの話を聞くことは、買いたいクルマのチェックポイントを見極める意味でも大事なことかもしれない、と思った。

(続く)
 
  

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ギャラクシーというキャンピングカーの思い出 第1回

 
 自分がキャンピングカーというものを持つようになって、そろそろ24~25年経つ。
 25年といえば、「四半世紀」。

 「四半世紀」などという言葉を口に出してみると、自分の人生が “歴史” としての重みを背負ったかのような気分になってくる。
 そこで、この際ちょっとばかり自分のキャンピングカー人生を振り返ってもいいかな、という気になった。

 幸いなことに、日本RV協会(JRVA)さんからのご依頼をいただいて、自分のキャンピングカー人生の1コマを綴らせてもらう機会を得た。
 自分にとっていちばん最初のキャンピングカーとなった「ギャラクシー」という車で、北海道旅行したときの体験談である。
 (↓)
http://www.jrva.com/column/detail.php?column_cd=41

 それを書いているときに、自分がキャンピングカーを買う前に抱いたときめきやら、運転に対する不安、最初に運転したときの印象などを思い出した。
 そこには、これからキャンピングカーを買う人に、なにがしかの参考にしてもらえるようなエピソードがあるかもしれない、という気もする。
 
 そこで今回、自分がキャンピングカーを買う前に想像していたことと実際に買ったときの印象の違いのようなものに触れることにした。
 すでにこのブログでも1回掲載した話である。
 そのときの文章に多少手を加え、再度収録する。
 
 
キャンピングカー購入日記

 はじめてのキャンピングカーを買ったのは、自動車の運転免許を取って20年目のことだった。
 1990年代の中頃のことである。
 「ギャラクシーⅢ」というトヨタ・ハイラックスベースのキャブコンだった。

▼ ギャラクシーⅢ

 キャンピングカーを買うきっかけとなったのは、仕事でキャンピングカーのガイドブックをつくったからだ。
 『キャンピングカー&RVガイド』という本である。

▼ キャンピングカー&RVガイド94

 当時、私は、会社の仕事として単発の単行本の企画を進めると同時に、『キャンパーニュース』という日本オートキャンプ協会さんが発行するキャンプ専門紙の編集に関わっていた。

 それは、主にテントキャンプのユーザーを対象とした新聞だったが、キャンピングカーのネタも徐々に増える傾向にあった。
 90年代に入ってから爆発的なオートキャンプブームが押し寄せ、それと比例する形で、キャンピングカーの需要も右肩上がりで急増していたのである。
 キャンピングカーのガイドブックを作るには好機といえた。

 そこで、自動車メーカーのPR誌を編集していた私に、その仕事が回ってきた。
 日本に流通しているキャンピングカーを1台1台採り上げ、その特徴や価格、フロアプラン、装備類などを1ページごとにまとめるという本だった。
   
 
 1993年の暮れにつくり、94年の春に発行した。
 書店売りはせずに、キャンピングカーショー会場にブースを設けて売った。

 東京と名古屋のショーにブースを出しただけで、3,000冊つくった本が、2,200冊売れた。
 実売率73.3パーセント。
 濃い読者層に恵まれた場所で売ったとはいえ、予想外の売れ行きだった。

 私が在籍していた会社は、このガイドブックの売れ行きを見て「市場がある」と認識し、さっそく翌年から部数も増やし、書店コードを取って定期刊行物にすることにした。
 
 
 こうして私はキャンピングカー媒体の「編集者」から「編集長」になったのだけれど、定期刊行物として継続するとなると、それまでキャンピングカーに縁のない生活を送ってきたため、正直、かなり戸惑った。

 しかし、仕事を始めるとけっこう面白かった。
 ビルダーに取材に行って、開発者たちからいろいろキャンピングカーの話を聞くうちに、この世界がいかに特殊なマーケットであるかということが分かるようになった。

 「特殊」というのは、マニアックな “タコツボ世界” という意味ではない。
 多くの人が興味を持つ楽しいアイテムなのに、そのことを外の世界に訴えようという意識がほとんどない世界だという気がしたのだ。

 まず、キャンピングカーの広告というものが、日常生活の中のどこを見回してもない。
 テレビで報道されることもなく、新聞にも出てこない。

 後で分かったことだが、この時代、まだキャンピングカーを造る業者さんたちには、大々的に広告を打てるような資金力がなかったのだ。

 広告展開は、主にキャンピングカー専門誌だけで行なわれていた。
 ちなみにいうと、この時代、八重洲出版さんの『AUTO CAMPER』はまだなく、その前身となる『ドマーニ』の時代だった。

 そのときいくつか出ていたキャンピングカー専門誌は、なんらかの形で「キャンピングカーの存在」を知った人々を対象にした雑誌で、使われている用語からして、はじめて読んだ読者には意味不明の専門語が並んでいるだけのように思えた。

 しかし、この世界を「キャンピングカーを知らない人々に発信できる」仕掛けを考案したら、爆発的にマーケットが広がりそうだ … という感触は、取材を続けているうちにつかめてきた。

 それには、まずキャンピングカーを広報するメディアが「はじめての人が読んでも分かる」言葉を使うこと。
 そして、そういう言葉を使って、「はじめての人が読んでも理解できる」記事を書くことが必要に思えた。

 幸い、自分が担当した『キャンピングカー&RVガイド』の記事は、各ビルダーからは好評だった。
 「文章が分かりやすい」と言ってくれた人が多かった。
 その言葉が、自分の自信を支える力となった。

 「分かりやすい文章」を書くためには、まず書く対象が、自分の頭の中で整理されていなければならない。
 特に、工学的な記述の場合は、書くもののメカニズムや構造や作動原理が分かっていないと書けない。

 ところが皮肉なことに、… どのジャンルにおいてもそうだが、専門知識を豊富に持っている専門家たちは、今度は、門外漢の人に分かってもらえるような文章が書けない。

 理想的なのは、もともと “分かりやすい文章” を書けるライターが、書く対象をしっかり勉強をして書くこと。
 それなら、なんとかできそうな気がした。

 そういう勉強を、いちばん効率よく進めるにはどうしたらいいか?

 「自分でキャンピングカーを買うしかない」と思った。

 もちろん各ビルダーを回って取材しているうちに、いろいろ教えもらうことはできるだろう。そのうち、およその基礎知識が身につくだろうから、そつないレポートをまとめるのにも、そんなに時間はかからないだろう。

 しかし、「使う側」からキャンピングカーを眺めたときの “眼差し” のようなものは、自分で乗って、走ってみて、装備品を使ってみないと分からない。

 自分で銭を払う。
 これが、けっこう大事なことのように思えた。

 今まで他人ごとのように、「トップグレードは450万円で … 」などと無造作に書いていた価格表示も、自分で買うという現実感が強まったときに、今とは違った反応が生まれてくるかもしれない。

 そして、各装備類の機能や使い勝手も、自分で使ってみて、はじめて良し悪しの基準が生まれるかもしれない。
 で、キャンピングカーを1台買うことにした。
 
 
 それまでの多少の蓄えと、子供が産まれるまでカミさんが勤めていた勤務先から支給された給料のわずかな備蓄が頭金になりそうだった。

 まず、カミさんの説得からすべてが始まるわけだが、自分にとっては、これが最初の難関だった。
 でも、切り出す言葉は用意していた。

 「これは自分にとって必要なモノなんだ。今後の自分の仕事を確立するために不可欠なものなんだ」

 と、正攻法でカミさんに挑む覚悟を固めていたが、
 意外にも、
 「私や子供もキャンプに連れていってくれるんでしょ?」
 との一言で、案外あっさり事が運んだ。
 
 
 では、どんなクルマを買うか。
 まず “苦労する” クルマを買おうと思った。

 普通のワゴンと変わらないようなバンコンでは、金銭的にも、取り回しの面でも、駐車場探しでも、そんなに苦労が要らないように思えた。

 それに比べ、トラックシャシーを使ったキャブコン(当時そういう言葉はまだなかった)は苦労しそうだった。
 その手の車種は、基本的にサイズも大きく、装備類も多く、使いこなすまでには時間がかかりそうだった。
 つまり、覚えてしまえば快適だが、覚えるまでは、“苦労する” クルマに思えた。

 しかし、その “苦労” が、私にとっては “勉強” なのである。
 いっぱい苦労しなければならない。

 ただ、大型の輸入車は苦労が多すぎる気がした。
 ボディが6mを超えてしまうと、苦労どころか、家までたどり着けないように思えたのだ。

 わが家のある狭い一方通行の道に入って来るには、「大黒寿司」という看板を掲げた寿司屋のある小さな十字路を曲がって来なければならない。
 6m超えのボディだと、この “大黒寿司クランク” を曲がれないことだけは、容易に想像がついた。

 それでいて、運転席の前に(余分な)ボンネットを突き出したクルマを欲しいと思ったのだから、まぁ、矛盾しているといえばいえるのだが … 。

 ボンネットの理由?
 カッコだけ。

 エンジンが外にあることで、前突のときに安全性が確保されるとか、運転席周りが乗用車ライクだとか、お尻が熱くないとか、いろんな理由が挙げられるけれど、最大の理由は「カッコいい」という、ただそれだけの理由にすぎなかった。

 欲しかったのは、ヨコハマモーターセールスが造っていた「ロデオRV」だった。
 なにしろ、『キャンパーニュース』というキャンプ関連紙の取材を始めるようになって、いちばん最初にユーザーインタビューをしたのは、この車のオーナーだったのである。

▼ ロデオRV(by ヨコハマモーターセールス)

 ピックアップトラックの荷台が “部屋” になっているという驚き。
 アーリーアメリカンスタイルの木目家具に彩られた、けっこう洒落たインテリア。

 「シャワー室があり、トイレまである!」

 キャンピングカーショーにはじめて訪れた人のように、そんな単純なことに素直に感心してしまったのである。

 その時から、キャンピングカーとは「ボンネットトラックに架装を施すものだ」という強烈な印象が心に刷り込まれることになった。
 
 
 が、このとき、ロデオはすでに買えないクルマになっていた。

 ベース車のエンジンが当時の排ガス対策をクリアできず、首都圏では登録できなくなっていたのだ。
 また、その問題がクリアされたとしても、ボディ長が6mを超えるため、うちの前にたどり着く前の最初の難所 “大黒寿司クランク” を曲がりきれないことも分かった。

 そこでロデオは、泣く泣く選択肢から外した。
 そうなると、ボンネット型キャンピングカーとして、他に何があるか。

 太陽自動車のアビ、ボディショップアジロのワンタイR-5、グローバルのギャラクシーなどというクルマが選択肢の中に浮かんできた。

 選択は消去法で行なわれた。

 太陽自動車の「アビ」は、運転席がダブルキャブというところに特色があった。しかも4WDのAT。
 それがなかなか魅力だった。

▼ 太陽自動車アビ

 しかし、ダブルキャブを使ったことによって、リビング部が狭く感じられたし、内装のフィニッシュにまだ熟成度が足りないと思えた。

 ハイラックスベースでは、アジロさんのワンタイR-5もあった。
 これもいいな … と思った。
 トイレ・シャワー室を省いて、その分ベッドスペースを取り、居住空間のゆとりを実現した “通” のクルマだ。

▼ ワンタイR-5

 全幅が1800。長さが5mちょうど。取り回しにはまったく問題がなく、“大黒寿司クランク” も難なくクリアしそうに思えた。

 しかし、基本的にトイレスペースがないということが、カミさんにとっては致命的であった。

 こうして消去法で、ギャラクシーが残った。
  
 
 結果的に、このギャラクシーを買うことになるのだが、実はこの車は足回りに構造的な欠陥を抱え込んでおり、トラブルを続発させたことでむしろ名が知られる車になった。

 どういうことか。

 かいつまんで説明すると、同車の後車軸が堅牢性を欠いているため、架装重量に耐えきれず、車軸が折れて、タイヤが脱落するという危険性を抱えた車だったのだ。

 具体的に書く。
 ギャラクシーは、トヨタのハイラックスをベースにしたキャンピングカーだが、架装メーカーであるグローバルの改造によって、後輪がダブルタイヤに変更されていた。

 この “ダブルタイヤ” が問題だった。

 自動車メーカーが強度計算をして出荷したダブルタイヤならまったく問題ないのだが、グローバルは、ハイラックスのオリジナルの後輪にスペーサーをかませて、その外側に同径のタイヤを後付けしただけのものだったのである。

 結果的に、これが「トレッドが長くなった」ことと同じことになり、車軸にかかる負担が増大し、車軸内のアクスルシャフト(ドライブシャフトを包んで保護するもの)が折れる危険性をはらんだことになる。

 リヤのシングルタイヤにかかる架装重量の負担を、ダブルにして分散させるという方法そのものは正しいとはいえ、車軸にかかる強度不足を計算に入れなかったため、それが逆効果を招いたといえなくもない。

 事実、シャフトが折れて車輪が脱落する事故が3件起こり、国交省は1999年と2007年に、グローバル社にリコール勧告を出している。

 その後、同社がこのリコールに従わず、経営状態の悪化を理由に廃業してしまったため、後味の悪い結果を残した。キャンピングカー業界のイメージを損ねた事件でもあった。
 
 
 しかし、その当時、私はそんなことをまったく予想もしなかった。
 キャンピングカーの世界に首を突っ込んだばかりのことで、ベース車の許容荷重と架装重量のバランスの関係などは、「言葉だけの問題」で、実感として意識できなかったと告白せざるを得ない。

 私の場合は、相当な重量の装備類を積んだまま10年間、7~8万km乗り続けたが、幸いなことにノントラブルのまま乗り終えることができた。

 ただ、後付けダブルタイヤによって、前輪と後輪のトレッドが異なってしまっため、道のワダチを拾うと車体が不安定に揺れた。
 でも、「キャンピングカーってそんなもんだろう」と割りきっていたので、そのことがそれほど苦痛でもなく、けっこう満足していた。

▼ ギャラクシーⅢリヤビュー

 走行安全性に対する懸念材料を抱えた車だったが、それ以外の機能はよく追求されており、私にとっては数々の楽しい思い出を残してくれた愛すべき車である。
 
(続く)
 
 

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芸術としての音楽は消えていく

 
 人々の音楽の聞き方が変わってきている。
 もうかなり前から、そう思っていた。

 うまい言葉が見当たらないのだが、少し難しい表現をすると、「音楽文化の相対的な価値が下がってきている」ということなのだ。
 つまり、音楽が「知性とか教養を育むための芸術」という役割を終え、単なるBGMとして消費される時代が来たといえばいいのだろうか。

 かつて、… まぁ40年ぐらい前までは、映画、アート、文学、演劇などという文化的娯楽のなかで、音楽の占める位置も大きかった。
 音楽好きの若者たちが集まって、自分の好きな音楽やアーティストに熱い思いを寄せ、時間が経つのを忘れて音楽談議にふける光景などをよく目にしたものだが、今は(たぶん)若者の間では、音楽をテーマに議論するなどということもほとんどなくなっているのではないか?

 そういう状況を反映してか、「音楽評論家」という人たちが姿を消した。
 一部、クラシックとかジャズなどという分野ではそういう人たちがまだ活躍する場が残っているのかもしれないが、少なくともポップス( … の中でも特にJ ポップ)批評で商売している専門家などほとんど見当たらない。

 リスナーの音楽の接し方も変わった。
 それまで音楽ソースのメインであったCDが市場から消え、いま音楽はスマホの音楽配信かYOU TUBEで聞く時代になった。

 CDは売れなくなったが、代わりにミュージシャンのコンサートやライブ活動などは、昔と比べものにならないほど盛んだという。
 だから、CDから得られていた音楽収益は、今はライブの入場料やその会場で売られる人気アーティストのグッズ類が補っているとも。
 つまり、産業としての音楽は、けっして衰えていないということらしい。

 でも、このような傾向をすべてをひっくるめて、いま起こっているのは「音楽のBGM化」ではないかと、私は思っている。

 ライブというのは、リスナーとミュージシャンのコミュニケーションを密にするものだと思われがちだが、最近のライブはショーアップ傾向を強める反面、曲そのもの価値は相対的に下がっている。

 特に、観客動員数の多いコンサート会場は、音楽会というよりサーカスの会場というおもむきを深めている。

 そういうライブ会場での主役は「曲」そのものではなく、主役はまず歌手たちであり、次に音響効果であり、振り付けなどの演出であり、出演者たちのトークであり、ライティングであり、ときにダンスであったりする。
 そういうショー全体を彩るBGMとして「曲」があるにすぎない。

▼ AKB48のライブでは、「歌=音楽」は完全に彼女たちのパフォーマンスのためのBGMとして機能している

 
 このような音楽のBGM化に対して、「若者が音楽に求めるものが変わっただけ」という人もいる。
 
 「“誰のどういう音楽を聞くか” ということよりも、“どんな状況で音楽を聞くか” ということの方が大事で、そういうニーズを満たすように今の音楽配信システムも編成されている」
 というのだ。

 たとえば、スマホの音声入力機能を使って、「ドライブに適した音楽」などと検索すれば、たちどころに、それに見合った音楽がピックアップされてくる。

 この前、そういうことを試しながら、少し遊んでみた。
 確かに、便利ではある。
 「静かな癒しの音楽」、あるいは「テンションMAXの音楽」などとリクエストすれば、いちおうそれらしき音がチョイスされてくる。

 なるほど。これが音楽の新しい楽しみ方か … とも思った。
 これなら、どんな環境にいても、それに合わせた音楽が瞬時に取り出せる。
 
 通勤・通学中の電車の中。
 恋人と海水浴に行った海岸。
 職場や学校の昼休みのデスク。
 家族とドライブに行った湖畔の駐車場。
 人と待ち合わせるときの駅の改札口。

 どこでも、スマホにイヤホーンを接続した場所が、“リスニングルーム” となる。
 だから、どんな状態でも音楽が聞ける。

 歩きながら。
 食べながら。
 人と話しながら。

 要は、音楽の完全BGM化が進行しているわけだ。
 そのこと自体を批判するつもりはないが、私には個人的な違和感がある。

 私(60代)たちのような、レコードやCDという再生装置を使って自分の選んだアーティストの曲を自分の部屋で聞くことを繰り返してきた世代は、お仕着せの音楽をあてがわれて満足するという習慣がない。

 レコードやCDという固定的な再生装置で聞いていた音楽は、リスナーとアーティストの一対一の緊張を強いる要素があって、一つの肉声、一つの和音、一つの楽器操作そのものに触れたときの “対話” があった。
 そういう対話を通じて、アーティストたちの生きざまが浮かび上がり、そこから教えられるものも多かった。

 ただ、そういう音楽の接し方に固執はしない。
 私自身はそのようにして音楽を聞いてきたが、今の若い人たちは、そういう精神修養のような音楽との接し方に堅苦しさを感じて引いてしまうという気もする。

 たぶん、音楽を気楽なBGMとして生活の中に取り入れるスタイルは、もう止まらないだろう。
 また、それが本来の音楽との接し方であるかもしれないのだ。

 そもそも音楽の成り立ちからいって、最初は、神との交信を行うための祭儀のBGMであったはずだ。 
 やがて、王侯貴族の酒宴のBGMとなり、庶民の勤労のためのBGM(労働歌)となり、教会の敬虔な空気を演出するBGM(ミサ曲)となり、ときに軍隊の威容を誇示するときのBGM(軍楽)となったりして、音楽は人々の暮らしの中に浸透していった。、

 BGMは「アート」ではない。
 だから、昔は音楽家を「アーティスト」などと呼ぶ習慣もなかった。
 バッハは教会でミサを行うときに背後で流すBGMをつくる職人であったにすぎず、モーツァルトは貴族の楽しむオペラや食事時のBGMを作る職人でしかなかった。
 
 「俺は職人ではなくアーティストだ」と言い出したのは、ようやくベートーベンからである。

 だから、音楽が、文学や絵画、演劇などと肩を並べて “芸術” の仲間入りしたのは19世紀から。
 そして、それがリスナーの人生観やら世界観にも影響を及ぼすようになったのは、ようやく20世紀からだといっていい。

 そこに至るまでに何が起こったのか?

 音楽が「文化」として認められるようになったのは、先進国を中心に裕福な近代的家庭が生まれ、それぞれの家庭が、子供に勉強部屋ともなる「個室」を与えるようになったからではないか? と私は考えている。

 「個室」と「レコード」のような音楽再生装置は、いったいどういう関係にあるのか。

 「個室」とは、基本的に他者が干渉することのない、自分だけに約束された自己完結型の空間である。
 こういう空間を手に入れることによって、近代人の「内面」というものが確立されていったのではないか、と私は思う。

 実際に、上流階級の子弟の間に、読書という習慣が定着したのも、近代家族の住居内に「個室」という空間が作られてからである。

 レコードという音楽再生装置は、その「個室」を手に入れた近代人を直撃した。
 そういう空間では、誰もがたった一人でモーツァルトや、バッハや、ベートーベンと向かい合うことになる。
 そこには、ライブ会場にいるときのように、他人と共有し合う情報がない。
 ということは、逆にいえばリスナーがどのようにモーツァルトを聞いてもまったく自由なのだ。

 こうして、人間は一人で読書をするような時間を、音楽に対しても持つようになった。
 それは、言葉をかえていえば、「音楽」がようやく「文学」や「哲学」と並ぶような精神性を持ったことを意味する。

 そのような一つの例として、日本では小林秀雄の「モーツァルト論」がある。
 小林秀雄は、モーツァルトの音楽を、まさに “文学” として語った。
 モーツァルト論として小林が取り上げた交響曲第40番ト短調は、演奏会で聞いたものではなく、まさにSPレコードで聞いたものではなかったかという研究が今日あるらしい。

 小林秀雄のモーツァルト論に触発されて音楽評論を書いた吉田秀和も、やはり音楽を “文学” として語るようになった。

 吉行淳之介は、あるエッセイのなかで、東京大空襲のときに腕に抱えて持ち出したのは、布団や衣類ではなく、ドビュッシーと ショパンのレコードだったと書いている。
 こういう文人たちの話からも、音楽が人間の精神文化にとって重要なアイテムになっていったことが伝わってくる。
 
 
 しかし、そういう文学と音楽の蜜月が続いたのは「昭和の時代」までだという気もしている。
 つまり、レコード(もしくはCD)が市場に出回っていた時代までのことだ。

 音楽が「人の人生を変える」くらいに尖がった時期というのは、実はこのレコードやCDという再生装置が普及したわずか100年のことだけかもしれない。
 そういう機器が生活空間から消えようとしている現在、音楽は再び人が何かの作業をするときのBGMという役割に戻っていかざるをえないだろう。

 そう考えると、「音楽」が「アート」や「文学」と並んで評価された時代の方が、きわめて特殊な時代であったというべきかもしれないのだ。

 ボブ・ディランがノーベル “文学賞” を授かったというのは、ひょっとしたら、音楽文化が最後の光を放った、まさに夕焼けの輝きだったのではなかろうか。
 それは、音楽と文学が珍しく両立した “奇跡の20世紀” が終焉したことを暗示する出来事だったのではなかろうか。

 今後、ボブ・ディランの歌詞のような文学性を持つ音楽が出てくるかどうかは定かではない。
 将来のことは分からないが、私個人は、そういう時代に自分の人生が間に合ったことに幸せを感じている。
  
 

 

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パク大統領とマリー・アントワネット

 
 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領への批判集会は、いったいどこまでエスカレートするのかなぁ、と思って、ずっと報道を見ている。

 ニュースの画面を見ていると、反パク・クネの集会には歌があったり、踊りがあったりして、まぁ、お祭りのような騒ぎ。
 古代の政治を「まつりごと」といったけれど、政治に参加するということは、まさに「お祭りに参加する」ことであったということが、よく分かるような気がする。

 それにしても、パク大統領というのは、どんな悪いことをしたのだろうか。

 その親友といわれる崔順実(チェ・スンシル)という人はほんとうに悪い人で、韓国の国民が怒り心頭に発するのもよく分かるのだが、パク大統領の方は、その親友といっしょになって私腹を肥やしたり、横暴に振舞っていたという印象がなぜか薄いのだ。
 むしろ、崔容疑者に操られ、いいように利用されていたという感じである。

 だからこそ、国民の怒りが収まらないのかもしれない。

 国民が怒りを感じる権力者というのは、必ずしもその権力者が狡猾で、腹黒で、残忍であるとは限らない。

 逆に、無知で世間知らずである方が、よけい民衆の怒りを買うことがある。
 「こんな無能なリーダーに統治されていたのかよ !」
 という怒りだ。

 ちょうど、フランス革命のときに、マリー・アントワネットとその旦那さんのルイ16世が民衆の怒りを買ったときがこれに当たる。

 「アントワネット様、いまパリでは民衆がパンを食べられなくて困っております」
 と臣下の者に言われても、
 「あら、パンが食べられなければケーキを食べればいいのに」
 と頓珍漢なことを言ってしまったマリー・アントワネットは、その発言だけで、もう断頭台で首をはねられる運命を手に入れた。

 もちろん、マリー・アントワネットが、実際に上記のような発言をしたという記録は残っていない。誰かの創作だといわれている。
 しかし、彼女の場合は、そういう発言がまったく違和感なく聞こえるような暮らしをしていたことが宮殿の外に漏れたのだろう。

 パク・クネという人の謝罪会見も、どこか民衆の感覚からズレているような雰囲気がある。
 本人にとって相当な政治危機が訪れているはずなのに、他人事を語るように、表情がどこか涼し気なのだ。

 その表情を見ているうちに、
 「この女性は、政治家としてもっともらしい発言を続けてきたけれど、普通の人間の暮らしというものをまったく経験することなく、ここまで来てしまったのかな」
 とふと思った。

 おそらく、彼女には、自分の置かれている立場を客観的に認知する力が育っていないのだ。その手の想像力に欠けているのだ。

 そうでなければ、謝罪会見時に、あのアルカイックスマイルにも似た意味不明の笑みを漂わすような表情など作れるはずがないのだ。

 もちろん、そういう余裕ある表情を見せたのはパク女史の必死の演技なのかもしれないけれど、そうだとしたら、これもまた判断ミス。
 上流階級のお嬢様政治家が泣きべそをかく表情を見て溜飲を下げたいと思っていた韓国の国民からすると、小憎らしく映ったはずだ。
 ここは、ウソ泣きでもして、みっともなく許しを請うような表情を作った方がホコ先をかわせたと思うのだが、お嬢様のプライドがそれを許さなかったのかな。
 
 マリー・アントワネットの場合も、自分の置かれている状況を客観的に眺める想像力に欠けていた。
 怒りに狂った民衆が宮殿に押し寄せてくるというのに、彼女とその旦那のルイ16世は、まるでピクニックに行くような気分で、逃亡用の馬車に乗り込んだという。
 だから、迅速に行動しなければならない脱出に、5時間も無駄な時間を費やしてしまった。
 それが災いして、この家族はけっきょく追手に捕まってしまう。
 
 こういう話から伝わってくるルイ16世一家というのは、きっとおっとりした人の良い人たちだったのだろう。
 庶民なら、その人の良さが愛される場合もある。
 しかし、国王の場合はそうはいかない。

 あまりにも度を越した “無垢と無知(イノセンス)” は、権力者の場合は立派な犯罪となる。
 「イノセンス」とは、「無実、潔白、無邪気、無害」などを意味するが、本来「無実で潔白」なはずのものが、どうして国王や王女の場合は「罪」となるのか。
 その不条理さが、人間の悲劇を強く訴えかけてくる。
 マリー・アントワネットとその旦那ルイ16世の悲劇は、そのもっとも分かりやすい例だ。
 パク女史の場合は、どうなるのかな。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ | 12件のコメント

カジノ法案も無策だよなぁ

 
 TVの政治トーク番組を観ていたら、自民党がカジノ法案(総合型リゾート法 = IR法)というのを可決させたらしい。
 俺はこの法案の中身をよく知らないから、頓珍漢なことをいうかもしれないけれど、何をバカなことを考えているんだとあきれてしまった。

 カジノを解禁して、それを観光立国の目玉にするんだって。
 そんなんで外国人観光客が急増するとでも思っているのだろうか。
 シンガポールやラスヴェガスにすでにあるようなものを日本に作って、そこらへんに住んでいる連中がわざわざ日本に来ると思うかぁ?

 バックパックを背負って、安い宿を探して泊って、浅草の浅草寺で豆絞りの手ぬぐいを買って喜んでいる連中が、カジノなんていくかぁ?
 
 別にギャンブル依存症がどうのこうのというつもりはない。
 共産党あたりは、これを強く懸念しているらしいけれど、そんなものはカジノができようができまいが、すでにパチンコ、競馬、競輪で依存症になった連中もたくさんいるんだろうしさ。

 民進党あたりは、自民党の強行採決に反対したらしいけれど、よく聞くと、党内にはカジノ賛成派もたくさんいたっていうじゃない?
 だからカジノそのものには反対できなくて、「強行採決に反対」とか言ってやんの。
 この党も腰が据わってないよね。

 で、俺がいやなのは、とにかく「カジノ」さえあれば、外国人観光客が倍増するだろう思い込んでいる頭の単純さなんだよ。
 どうせ、いろんな利権を意識して、商売のネタにしようとしている連中が陰でたくさんうごめいているんだろうけれど、ま、それはいいとしてさ。
 「観光立国の目玉」なんていう看板の掲げた方だけはやめてほしい。
 そういうのを想像力の貧困というんだよ。
 
 いま日本に来ている外国人というのは、誰もが伝統化された日本特有の文化を見たいんであってさ、別に世界のカジノにはどこにでもあるようなルーレット盤とか、バカラのカードとか、スロットマシンを見たいわけじゃないのよ。

 でもさ、どうせカジノを作るのなら、俺にはひとつ提案があるわけさ。
 自民党は、「日本の文化、伝統に根差した新しいタイプのリゾート型観光施設を目指す」とかいっているわけだからさ、いっそのこと、時代劇や初期の東映ヤクザ映画によく出てきた丁半賭博か手本引きをやるのよ。

 それこそ、昔の博徒が出入りしていたような日本家屋を再現してさ。
 そこに、片肌脱ぐと真っ赤な牡丹の刺青が見える女賭博師に扮した女性スタッフを置いてさ。
 「さぁ、おのおの方、ツボ入ります」
 とか言わせたらよ、外国人観光客に大うけだって。


▲ 『緋牡丹博徒』のお竜さん

 「忍者」はいま世界的な人気だけど、今度は「女賭博師」も人気キャラクターになる。
 昔の東映映画の主役にちなんで、そういう女賭博師のスタッフを「お竜さん」とか呼んでもいいんじゃない?
 
 「ニホンに行って、オリュウサンと遊ぼう」
 って、外国人観光客がわんさか来るぜ。
  
 

カテゴリー: ヨタ話 | 9件のコメント

家庭の危機は台所から始まる

  
 「洗い物をする旦那は奥さんに嫌われる」

 …… てなことがあるわけはない、と思っていたら、お昼のテレビを観ていたら、ほんとうにそうらしい。

 実は、私は食事が終わった後に、よく食器を洗ったりする。
 こちらとしては、食事を作ってくれたカミさんに対し、ささやかな “恩返し” のつもりで、汚れた皿が重なった洗い場に立つわけだが、実はこの私の作業が、カミさんに喜ばれた記憶がない。

 「あぁら、そんなことまでしなくてもいいのに」
 と、こちらを気遣ってくれるような反応があるときは、珍しく機嫌がいいときだ。

 たいていは、
 「やめて、洗い物をするのは … 。シンクの中の汚れた皿に手を付けないでちょうだい」
 と怒鳴られる。

 理由ははっきりと言わない。
 
 これは私の密かな推測だが、要は、私が洗い物をするのは、
 「お前が家事をサボっているから、代わりに俺がしてやっているんだぞ」
 という、私の嫌味ったらしいメッセージだと思っているフシがありそうなのだ。

 まったくそんなつもりはないのだが、私が洗い場に立つと、
 「あんたが洗い物を始めると、私は休めないじゃないのよ」
 などと怒られたりすることがあるから、たぶん、自分が「家事をサボるな」と言われているような気になるのだろう。

 そういうカミさんの叱責を受けずに洗い物を済ませてしまうためには、カミさんが台所を離れたタイミングを見計らい、猛スピードで一気にやってしまうしかないと思っているのだが、今日テレビを観ていたら、旦那の洗い物を嫌がる主婦の心理には、もう少し違ったものがあることを教えられた。
 
 

 主婦たちが、旦那の食器洗いを嫌う一番の理由は、
 「食器の洗い方が雑である !」
 ということらしい。
 だから、洗ってもらっても、けっきょく自分でもう一度洗い直さないとならないという。
 
 主婦というのは、漠然と台所に立って、韓流ドラマの次の展開を予想しながら口笛気分で皿を洗っているわけではないのだそうだ。

 食べ終わった食事の種類や皿の汚れ具合から、洗う工程を緻密に計算し、場合によってはしばらくお湯に浸け、洗う順番を定めて、洗剤の量を割り出す。
 そして、スポンジを選択。
 皿の汚れ具合によっては、スポンジを使い分け、洗剤を落とす水量も調節する。
 
 こういう手順がしっかり頭の中に叩き込まれ、洗う前に使用する水道の量、洗い終わる時間まで寸分の狂いもなくピタッと合うのが主婦の洗い物。

 … が、主婦がそういう細かな神経をつかっていることをまったく知らない旦那が気まぐれに洗い物に手を出すと、どうなるか。

 全体に雑。
 皿の油などが完全に取れていなくても頓着しない。
 水道は流しっぱなしで、水がシンクの外に跳ねても平気。
 当然、床がバスルームのように水浸しになっても気づかない。
 おまけに皿を割る。
 それも、いちばん大切にしている皿を、まるで狙いすましたかのように、見事に割る。

 さらに、イラっとするのは、
 「ほら、お前のために皿を洗ってやったよ」
 というあの “押しつけがましい” 得意顔だという。
 
 う~む ……
 うちのカミさんが皿を洗う旦那を嫌う理由も、これだったのか。
 
 しかし、そのことが分ってしまっては、もううかつに汚れた皿に手を出すことができない。
 油残し
 水はね
 皿割り
 
 どれもみな私の得意ワザだ。

 どうりで、私が洗い物を始めると、カミさんの顔が、桃太郎がサルとキジとイヌの護衛なしで、不用心に一人で歩いているところを見つけた鬼のような表情になるわけだ。
 
 覚えておこう。
 家庭の危機は台所から始まる。
  
 

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貨幣は共同体の<内>にあるのか<外>にあるのか

 
 このブログの読者であるHIROMITI さんという方から、これまで3回にわたるコメントをいただいた。
 テーマは、「貨幣と共同体」といったちょっと小難しい話である。

 1回目のコメントは、『軍事産業が世の中をリードする時代』という記事に寄せられたご意見であったが、こちらの書いた記事の趣旨を超えて、「貨幣の意味」、「人間社会の上部構造/下部構造」、「グローバル資本主義」などに言及した非常に広がりと深みを持った内容のものであった。

 以降それぞれのコメントとその返信の内容を深化させながら、議論を進めることになったが、HIROMITI さんの鋭い理論展開に反応するのはそうとう苦しい作業でありながら、同時に楽しいものであった。

 今回のこのブログにおいては、最後にHIROMITI さんに宛てた返信をそのまま掲載することにした。
 表現として、ところどころ氏への批判めいた言葉が出てくるところもあるが、内心では敬意を表しつつ反応したつもりである。

 氏が人間の経済活動と文化創造の矛盾に対して、どのような思想を持たれているのか、他の読者の方にも紹介してみたいという気でいる。

※ HIROMITI 氏からのコメントは下記をどうぞ(↓)。
 
http://campingcar2.shumilog.com/2016/11/15/%e8%bb%8d%e4%ba%8b%e7%94%a3%e6%a5%ad%e3%81%8c%e4%b8%96%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%82%92%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%99%e3%82%8b%e6%99%82%e4%bb%a3/#comment-5954

 なお、氏は『ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか』というタイトルを冠したネアンデルタール人論を10年も書き続けていらっしゃる。
 現代の政治・経済・文化がはらんでいる様々な現象を、数万年前に生きたネアンデルタール人の生きざまから読み解くという独創的なブログで、知的な領域に関心を持つ固定的な読者層から強い支持を受けている(↓)。

http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20161129

…………………………………………………………………………
以下、返信記事の内容

>HIROMITI さん、ようこそ
 とても精緻な論考でした。読みごたえは十分です。
 これだけの質的・量的コメントに対しては、やはりおそろかに返信できないという気にもなり、今回は多少昔読んだ倫理社会系の本などいくつかあさり、さらにネットなどでも関連用語を調べたりしてみました。

 けっこう大変でしたよ (;^_^A
 ただ、いただいたコメントの末尾に「何はともあれ、おもしろかったです」というお言葉が添えられていたので、こういう労力も無駄ではないのだろうな … と思う次第です。

 今回もまた丁寧な論考を重ねた返信をいただいたとは思いますが、やはりいくつ部分では、議論は平行線をたどりそうですね。

 その理由は、やはりHIROMITI さんがおっしゃるとおり、使われる言葉の解釈をめぐって、最初から食いちがいがあったせいかと思います。
 まず「共同体」という言葉に関して。

 HIROMITI さんが、あまりにも ≫「村落共同体などといったものは存在しない」と強調されるので、自分が理解していた今までの「共同体」という言葉が間違っていたのかと思い、昔読んだ文献などを探し出して調べたり、ネットで確かめたりしてみました。
 すると、(私の見たかぎり)、「共同体」という概念をHIROMITI さんのような理解の仕方で明示している文献は見当たりませんでした。

 もちろん、HIROMITI さんのターミノロジーが他の文献で確認できなかったとしても、それは当然のことながら、HIROMITI さんの思考の価値を貶めることにはなりません。
 新しい独創的な思想というのは、しばしば前人未踏の領域を一人で切り開いてきた人によって開拓されるものですから、はじめて聞いた理論だからといって、それを否定するつもりはまったくありません。HIROMITI さんも「これまでの共同体解釈は間違っている」という意気込みで書かれたのでしょうから、その覚悟には敬意を表します。
 ただ、(私自身が古い思考にとらわれているせいか、もしくは私の理解力が足りなかったせいか)HIROMITI さんの使われている「共同体」という概念を掌握するのはけっこう難しい作業でした。

 私が理解している「共同体」というものは、昔から教えられているドイツ語の「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という概念で、前者は地縁、血縁などよにより自然発生した有機的な社会(Wikipediaより)。後者は近代以降に成立した会社組織のような目的を持った社会集団のことです。

 そして、大半の文献では、「ゲマインシャフト」のことを「家族や村落など、血縁や地縁に基づいて自然的に発生した人間の集団」と定義しています。

 もちろんそういう用語の規定は原則論であって、実際には拡大解釈も含め、さまざまな用法が生まれています。
 しかし、この言葉が共有しているイメージには、基本的に「お互いの顔が識別できる範囲の親しい人間の集団」という原型がまず最初にあって、「都市国家」、「国民国家」、「同一宗教の信徒」などといった大きな集団は、概してその延長線にあるものとして、地縁・血縁的共同体のアナロジーとして使われることが多いと感じました。

 HIROMITIさんが、このような既成の「共同体」という用語に異を唱えて、それに風穴を開けようとしているというのはよく分かりますけれど、少なくとも、このような社会通念になっているものを打破するためには、より精緻な考証と、より丁寧な理論構築が必要になるのではないでしょうか。

 少なくとも、
 ≫「村落共同体のような先験的な共同体があったのではない。村というのは<共同体>ではなく、ただの<集団>だ」
 と断定的に言い切るならば、その根拠をさらに明示する必要があるような気もします。あるいは、すでにそういう研究があるのなら、その研究の成果も原典を明記して表示する必要もありそうに思えます。
 そうでない限り、私の理解力は保守的なところがあるのか、HIROMITI さん流の「共同体」という用語は、スムーズに頭に入ってきませんでした。

 したがって、それに続くHIROMITIさんの「共同体と貨幣」をめぐる論考にも違和感を払しょくできませんでした。


 
 ≫「貨幣がどこで生まれたのかという問題を考えれば、共同体の内部でしょう。古代の日本人は、中国の銅銭を溶かしてしまって銅鏡や銅鐸をつくっていた。中国の銅銭は、中国の内部でしか意味も価値も持たない」

 本当でしょうか?
 貨幣がどこの国で鋳造されようが、それが「貨幣である」という信用体系が確立されていれば、商品経済が成立している世界ならどの国の貨幣でも通用するのではないでしょうか。

 弥生時代に、日本人が中国の銅銭を溶かして銅鏡・銅鐸を作ったとしても、それは、当時の日本人が貨幣の価値を理解していなかったことをストレートに伝えることにはならないと思います。
 HIROMITI さんも認めておられるように、初期の貨幣には呪術的な意味(貨幣の超自然的な力が権力者の権威を保証するといったような意味)も持たされていたはずです。
 だとしたら、日本人の作った銅鏡・銅鐸は、日本人にとっての呪術的な貨幣の性格も付与されていたのかもしれない。


 
 それに、日本で発掘された銅鏡、銅鐸がすべて中国の銅銭から作られたわけではないでしょう。その大半はあらかじめ中国で銅鏡として作られたものではなかったのですか?
 中国の銅銭が、日本では中国のように貨幣としての交換価値を持っていなかったというのなら、それは、当時の日本が中国のような成熟した商品経済を確立していなかったということだけでしょう。

 実際に、商品流通が盛んになってきた平安末期の平氏政権の頃には中国の宋銭が使われるようになりましたし、室町時代には明の貨幣が使われています。
 宗や明の貨幣は現在の「ドル」みたいなもので、アジア全体の共通貨幣でした。
 今だって同じことがいえますね。各国の定めた通貨があるにも関わらず、“世界通貨”である「ドル」が通用しない国はありませんから。

 このようにHIROMITI さんと私の間では、「共同体」という言葉の使い方が最初から食い違っていましたので、議論がかみ合わないままここまで来てしまいましたが、最後にもう一度、私の理解している “共同体” という言葉を使い、貨幣との関係を説明させてください。 

 HIROMITI さんはこう書かれる。

 ≫「貨幣とは共同体の制度そのものでしょう。“貨幣=資本主義” が共同体の制度を解体するといわれるが、もしも “共同体” が貨幣の成り立たない空間であるのなら、それこそ “のれんに腕押し” で解体できるはずがないじゃないですか。共同体というのは貨幣制度の上に成り立った空間だからこそ、お金お金のグローバル資本主義に煽られると、極端な国家(民族)主義が生まれてきてしまう」

 HIROMITI さん流の共同体解釈によると、共同体とは権力者が統治する古代都市国家が成立したのちに “発生” したということになるわけですね?
 確かに、そういう状況を前提とすれば、都市国家内部の市場に貨幣が浸透したとしても、それが直接の原因となって、都市国家共同体が解体したり、崩壊したりするとは考えにくい。

 現象的には、そのとおりです。
 しかし、ここではそのような具体的な空間イメージにとらわれず、もう少し柔軟に、それこそ理論の問題として捉えたらどうなんでしょうか。

 「共同体と貨幣」などというテーマは、現実の物理的空間を想像しているだけでは、その本質にはたどり着けないような気もします。
 「共同体」の≪内≫とか≪外≫というのは、村落とか都市国家の具体的な≪内≫や≪外≫を意味してはいない。それは抽象化された理論上のモデルです。
 
 それをご理解いただけたなら、「資本主義が共同体を解体する」という意味も少し変わって聞こえてくるのではないでしょうか。
 このことに関しては、以前の返信でも触れたと思うのですが、“解体された” ということは「共同体内部がバラバラになってしまった」というようなことではまったくありません。むしろ “統一” されたのです。

 つまり、「資本主義」というすべての価値観を最終的には平準化してしまう運動にさらされると、それ以前の民族が持っていた固有の文化、固有の価値観、固有の世界観が消滅していくことになります。

 もちろんそれが良いことであるのか悪いことであるのかは一概にはいえません。
 サーフィンは、ハワイ島住民の固有の遊びでありましたが、それが商品経済の中に組み込まれてファッション化され、スポーツとしての体裁を整えていくと、サーフボードも今のような形になり、ハワイ島で使われていたものとかなりスタイルを変えて流通するようになりました。
 それは、もともとあった土着のサーフィン文化の発展形態ともいえますが、逆にいえば「ハワイ固有のサーフィン文化は解体された」ということになります。

 19世紀の画家のゴーギャンは、晩年タヒチに渡って地元住民の生活を描き、「これぞ文明に汚されない無垢の自然の美しさだ !」などと自国の美術系メディアに称賛されましたが、ゴーギャンが渡った頃のタヒチ住民の共同体は、ヨーロッパの市場経済の渦に巻き込まれ、街にはヨーロッパ製品が溢れ、その収益はヨーロッパ人に簒奪され、地元民は固有の文化を失い、経済的にも文化的にもヨーロッパに従属するような悲惨な状態であったそうです。

 現在は、そういう資本主義の強大化(暴虐化?)がよりグローバルな展開になっているということなんですね。
 イランのような “アメリカ帝国主義” に反発する形で政権運営を進めてきた国であっても、街の中心部ではスマホショップが立ち並び、至るところにコカ・コーラとマクドナルドの販売店があり、若者たちはアメリカ製のファッションに身を包んで喜んでいます。

 グローバル企業の商品は、国家の統制などが及ばない形で浸透し、世界中を同じ文化・習慣に染め上げ、その国の “風景” をどこの国とも同じような色で染め上げていきます。
 イランのようなイスラム原理主義の傾向が強い国でも、もう生活・風俗の領域では、宗教共同体としてのイスラム文化の匂いは希薄になっている。トルコやエジプトのような世俗的国家では、それがそうとう早く進行していました。

 「資本主義が共同体を解体する」というのは、そういう意味です。
 イスラム過激派というのは、そういうイスラム共同体の解体過程から逆に生み出されてきた集団であると思います。

 その共同体に関連する話になりますが、「商人と共同体」というテーマ。
 HIROMITI さんは、次のようにお書きになる。
 
 ≫「商人だって共同体=権力と結託して利潤を上げている。それを(僕は) “寄生” といっているだけです。ユダヤの商人がアメリカの政治を動かしている、などというわけじゃないですか。貨幣は共同体の制度でしょう」

 「商人」という言葉でユダヤ人の例が出てきましたので、ここで少し触れたいのですが、ユダヤ商人がヨーロッパの諸都市を中心に金融業を営むことができたのは、そこの権力者と結託したからではありません。もちろんそういうケースも多々あったでしょうが、そこにユダヤ商人の問題の本質はない。
 彼らが、ヨーロッパで商業的利益を得ることができたのは、彼らが共同体の「外部の人間」だったからです。

 シェークスピアの有名な戯曲で『ヴェニスの商人』というものがありますよね。
 そこには狡猾で強欲なユダヤ商人のシャイロックという人物が登場します。

 彼は金貸し業者としてヴェニスの街で商売しているわけですが、別に権力者などと結託しているわけではない。
 むしろ最終的には、その地の権力の象徴として機能している司法の判定によって死刑を言い渡されたりしています。(話の進行上は劇の主人公の計らいで恩赦されますが)。

 劇に限らず、実際のユダヤ人が中世から近世、そして近代にいたるまで、その土地の権力者から疎まれてきた例は実に多い。
 特に、カトリック系の文化では「ユダヤ人はキリスト教の敵」と見なされることが多く、スペインのフェリペ2世の治世においては、スペイン国内のユダヤ人はすべて追放されています。

 このように、ヨーロッパ史で「商人」の代名詞ともなっているユダヤ商人は、キリスト教共同体の世界においては、不気味がられて軽蔑され、ときには追放される運命にありました。
 
 それでもユダヤ人は、金融業者としてヨーロッパの各都市で生きていくことができました。
 それは、彼らが「共同体の外の住人」だったからです。

 キリスト教共同体内では、概して金融業は嫌われる傾向にありました。それは、聖書のなかに「同じ共同体の仲間からは利子を取るべからず」という教えがあるからです。
 
 だから金融業というのはヨーロッパ社会では誰も成り手がなかったし、そういう職業が忌み嫌われたことから、貨幣そのものも庶民の間では「不浄なもの」と見なされるようになりました。

 しかし、都市の維持には商行為が欠かせない。そうなると当然金融業も必要になる。
 そこで、ヨーロッパ人はキリスト教共同体に属さないユダヤ人に金融業を押しつけ、自分たちは彼らを「軽蔑しながら利用する」というシステムを作り上げていったわけですね。

 もちろん、ユダヤ人たちも、そういう仕事で食べていったわけですから、そういった意味で、HIROMITI さんのおっしゃる「寄生」という表現も外れてはいない。
 しかし、生物学的な意味でも、「寄生するもの」と「寄生されるもの」というのは相互扶助の関係になっている場合も多い。ヨーロッパのキリスト教共同体は、そういった意味で、ユダヤ人に上手に「寄生してもらった」ということになるんでしょうね。
 

 さて、難問が一つ。
 HIROMITI さんの次の言葉。

 ≫「人類は農業を覚えたからこそ人口を増やすことができた、なんていうことがあるはずないじゃないですか。むちゃくちゃな論理ですよ。そういう下部構造決定論では説明がつかないでしょう。みんなそうやって、下部構造決定論に取り込まれてゆく」

 とHIROMITI さんがお書きになっているくだりですね。

 「人類は農業を覚えたからこそ、人口を増やすことができた」というのは、そんなにむちゃくちゃな論理ですか?
 ちょっと考え込みました。
 なんか、こっちが悪いことでも言ってしまったのか? … という思いに駆られるほど厳しい語調でしたから。

 HIROMITI さんが使われている「下部構造決定論」という言葉が、マルクスの言っていたような用法だとすれば、それを感情的なまでに否定して、いったい何を訴えたかったのか。
 HIROMITI さんは、≫「下部構造決定論には “人間とは何か” という問題が抜け落ちている」とおっしゃるけれど、はたして本当にそうなのか?

 まぁ、いろいろ考え込みました。
 このコメントにおいてもそうなのですが、HIROMITI さんは気分が高揚すると、ときどきケンカ腰になりますね(笑)。
 たとえば、
 ≫「交易が都市の発生の契機だとか人間性の基礎だと考えるなんて、人間性に対する冒涜であり、それは歴史の真実でもない」
 
 こう書かれると、まるで「あなたは人間性を冒涜している」と言われたような気分になります。
 私はHIROMITI さんの表現法にだいぶ慣れましたので、おっしゃりたいことはすぐに了承できましたが、はじめてコメントをもらったブログ管理者の中には、こういう表現に遭うと威圧的なプレッシャーをかけられた気分になる人もいるかもしれません。
 そういった意味で、誤解を受けやすい記述であるように思いました。

 話がズレて申し訳なかったですが、この “農耕文明と人口” の件、確かにHIROMITIさんのおっしゃることにも一理はあるとも思いました。
 というのは、「人類は農耕を覚えたから人口を増やすことができた」と断定的にはいえないことも分かるからです。

 HIROMITI さんのおっしゃるように、農耕を始める前の狩猟採集生活状態においても、微増ながらも人口増加ということはあり得る。
 そういった意味で、私が断定的に言い切ってしまったのは軽率だったといえるかもしれません。

 ただ、次のことはいえる。
 農耕文明が広まったとされる新石器時代の人口は1,000万人だといわれています。まだ農耕が普及しない旧石器時代の100万人に比べ、その10倍になっている。

 この人口増は、もちろん農耕のせいばかりとはいえないかもしれませんが、農耕の普及と人口増がパラレルな関係にあるということだけははっきりしています。
 もちろん、狩猟採集という生産手段は構成員の少ない集団が暮らすには効率が良いらしいのですが、いったん農耕を構造的に取り入れて人口が膨れ上がった社会になると、もう生産手段を狩猟採集に戻すことは不可逆的に無理であることもはっきりしてますよね。

 また、HIROMITI さんは、≫「生殖行動は、むしろ衣食住が不如意であるときのほうが活発になる」という。
 つまり、(餓死といったような?)死と親密になってゆくときにセックスが活発になるとお書きですが、「人口増」というのは、人間の生殖活動の活発さだけでは説明がつくものでもないでしょ。農耕によって食料を貯蔵することが可能になったため死亡率が減ったなど、さまざまな理由が絡むものだと思います。
 もちろんHIROMITI さんの見解も「人口増」を説明する種々の条件の中の1項目として有効な指摘であることは間違いありませんが。

 最後になりますが、この3回にわたったHIROMITI さんのコメントで、HIROMITI さんが展開された論考から受けた印象を一言でいうと、「懐かしい思想」という感じがするのです。

 こう言ってしまうと、なんだかとても失礼な表現になるのかもしれないと思い、今回まで言いそびれていましたが、率直な感想を述べると、「かつてどこかで接した懐かしい思想」というイメージを私は払しょくすることができません。

 どういうことかというと、たとえば、HIROMITI さんの次のようなご意見。

≫「都市になって “貨幣” という下地ができたから交易をはじめたのであって、交易をするために都市が生まれてきたのではない。都市の発生は、人と人が出会って祭りの賑わいが生まれたからであり、それは交易のためではない。交易は都市発生の結果であって、原因ではない」

 すでに何度かお互いの議論の対象になったテーマですが、HIROMITI さんがここで主張される “都市は祭りの賑わいから生まれた” という理論。

 私には、これがHIROMITI さんのオリジナルの主張であるとはあまり思えない。
 誠に申し訳ないですが、この論理には既視感があるのです。
 それはすでに1970年代に、文化人類学者の山口昌男らが『文化の両義性』などで言い尽していたことで、「いまさら」という気がしないでもないのです。

 山口昌男氏は、その当時の著書などで、ヨーロッパの諸都市や日本の江戸などに触れながら、「都市の魅力は、人間の光と闇の交錯する祝祭性にある」とし、「都市の文化が人間の生死という形而上学の分野と密接な関係にある」ことに言及しています。
 私は、そういう著書を30歳頃によく読んで、とても面白いと思い、山口昌男氏には実際に取材に行き、詳しく話を聞いたこともあります。

 彼の展開する都市論では、「都市の本質はその祝祭性にあり、商業の拠点という観点だけでは語れない」という姿勢が一貫して貫かれています。
 そこは非常にHIROMITI さんの論理に似ています。

 そういった意味で、彼にはそれまでの左翼系インテリたちが主張していた、「思想や芸術も経済原則が母体となる」という “俗流下部構造決定論” への反発もあったのでしょう。
 具体的には、それまで日本の論壇を支配していた吉本隆明的あるいは丸山眞男的な政治思想の枠組み(HIROMITI さんおっしゃるところの生活者の思想?)への異議申し立てのような気分もあったのかもしれません。

 ただ、私は次第に山口昌男的な世界観に物足りなさを覚え始めました。
 というのは、彼のせいでもないのですが、彼の思想がブームになり過ぎて、70年代後半からは、広告代理店ですら彼の思想のキーワードであった「トリックスター」とか「中心と周縁」などという用語を使ったCM文化を創造し始めたんですね。

 私は、自動車のマーケットを分析したり、CM制作の取材に関わる仕事をしていましたので、こういう広告業界の新機軸を非常に面白いと感じていましたが、やはりどんなユニークな思想でも、CM戦略などに援用され、営業の匂いに染められていくと次第に色あせたものに感じられることもあります。

 それでも巷では、“ニューアカ” ブームに乗って、山口昌男系の言説が当時の最先端CM文化まで取り上げられたのは事実です。

 「都市は祝祭空間である」という言説は、具体的には80年代のCM展開においてパルコなどの新しい都市開発思想と結びつき、やがて糸井重里の「おいしい生活」、「不思議大好き」といったキャッチとして新展開を見せるようになります。

 80年代の東京では、渋谷・原宿などを中心に新しい都市文化が栄えましたが、それはみな糸井重里やパルコ広報部などの、「経済重視の “生活者の視点” から都市を切り離し、都市を遊戯空間として再設定しよう」という狙いから生まれたものです。
 もちろん、その意図は、新しい消費ターゲットを育て上げ、これまでになかったマーケットを開拓しようというところにありました。
 そして、それは見事に当たり、あの頃を境に、東京の光景は1964年のオリンピック以来の変貌を遂げました。

 だから、HIROMITI さんが現在語られている都市論は、質的にはまったく異なるものとはいえ、イメージ的には、見事に80年代以降の潮流に乗っています。それはHIROMITI さんから見れば不本意なものかもしれませんが、印象的には、私には、なんとなく “どこかで出会った風景” に思えてしまうのです。

 また、同じように、HIROMITI さんの貨幣論も、私には既視感のあるものです。

 HIROMITI さんは、次のようにお書きになる。

 ≫「貨幣の本質は他者に対する祝福のプレゼントにある。(だから)貨幣の起源は、ネアンデルタール人が花を添えて埋葬したことにある、と考えている」
 
 美しい理論であると思います。
 しかしながら、この思想も、HIROMITI さんがはじめて唱えたものという感じがしない。

 昔、栗本慎一郎という学者がカール・ポランニーという経済人類学者の業績を日本に紹介しながら、自分の思索を展開した書籍をいくつか出したことがありました。
 『幻想としての経済』、『光の都市、闇の都市』などという本がそれにあたります。
 そのなかで、「貨幣は単なる経済的な交換手段として生まれたものではなく、物性を離れた他者への祝福性や呪術性を持った存在だった」という内容のことが書かれていました。

 そういう著作を読んだのは、私が26歳か27歳の頃だったと思います。
 なにしろ、それまで貨幣というのは、経済的な必要性から生まれてきたものだという思い込みがありましたから、栗本慎一郎(経由のカール・ポランニー)の視点は、まさに私にとっては “目からウロコ” でした。

 ただ、こういう理論にも、やがて飽き足らないものを覚えるようになりました。
 貨幣というものは、その起源を問うて簡単に答を出してしまうのはもったいないテーマだと思うようになってきたからですね。
 つまり、「貨幣には人間の本質を考えるときの根源的な問題が含まれているのではいか」
 そんなふうに考えるようになりました。

 ≫「ビーズの玉や貝殻のようなきらきらした素材をベースにした貨幣は、他者を祝福するためのプレゼントであった。それは人間の生と死のはざまで輝くものとして人間に珍重された」
 というのは、確かに鮮やかに整理された美しい貨幣の起源論です。
 でも、その答で満足してしまっていいの?
 という気分もあるのです。
 
 私には、貨幣の正体そのものを明かすことよりも、貨幣がいつまでも「謎」のままであった方がいいという思いがあります。

 貨幣はほんとうに謎だらけです。
 まず貨幣は物(商品)なのか? それとも物ではないのか?
 こういう素朴な疑問すら、まったく解決されていません。
 この謎は、「貨幣が貝殻から始まった」とか「ビーズから始まった」というような起源論だけでは十分に説明がつかない。
 しかし、誰もがそういうことに素通りして、当たり前のように貨幣を使っている。

 貨幣は人間の意識に、いったいどういう影響を及ぼしたのか。 
 それは、まず「それさえあれば何でも買える」存在として、人間の「物にこだわる欲望」を抽象的なものに置き換えました。
 さらには、貨幣がどんどん蓄積していけば、この宇宙の中で買えないものは何もないという幻想すら人間に抱かせました。

 これは、人間の悪しき妄想であり、人間の精神を堕落させる諸悪の根源かもしれませんけれど、同時にそういう妄想は、人間の思惟に広がりを与えるきっかけにもなっているかもしれません。

 つまり、貨幣は、人間に「無限」と「抽象」という二つの概念を授けたのではないか。
 そういうことを夢想すると、貨幣の不思議さに目がくらみそうになります。

 私は、そういうことまで想像させてくれる思想を、「わくわくする思想」もしくは「ときめき感のある思想」と言いました。
 しかし、HIROMITI さんは、≫「(そういう)きらきらした思想なんかなんの興味もないですよ」とおっしゃいます。

 ≫「僕は芸術家じゃないから、きらきらした思考や思想なんかよりも客観的な事実・真実が知りたいだけです。そして、そのためには、できるだけシンプルに合理的に考えたいと思っているだけです」
 というわけですね。

 HIROMITI さんはそれでけっこうだと思います。
 ただ、私は、「客観的な事実や真実」というものにそれほど魅力を感じないのです。
 だって、思想上の “真実” なるものは、今日まで星の数ほど書き換えられてきたではないですか。野心ある思想家は誰だって、「今までの学説は間違っていた。俺がこれからいうことが真実だ」と言いたがるものです。それはアリストテレスから、マルクスから、吉本隆明に至るまで、みんなそう。
  
 もちろん、プロの学者であるならば、その学者の言動からなにがしかの知識を得ようとしている人たちに対する責任というものもあるでしょうから、「客観的な真実を追求したい」と言い切る人はいるかもしれません。

 しかし、私のような素人の場合は、客観的な真実よりも、その真実に至るまでの思考のプロセスの方に興味があるといっても許されると思います。
 たとえ、その思想的な営為が真実に至らなくても、思考のプロセスが、それに触れた人間に鳥肌を立たせるくらいの感動的なものなら、そっちの方が私には魅力的です。

 それを私は「わくわくする思想」という言葉で伝えたかったのですが、ちょっと上手に表現しきれなかったようですね。失礼いたしました。

 いずれにせよ、HIROMITI さんの言説を十分に咀嚼しきれず、誤解したまま感想を述べてしまった箇所も多々あるかと思いますが、これが正直なところ私の理解力の限界ですので、お許しいただければ幸いです。

 ただ一つ分かったことは、HIROMITI さんという方は、「人間の美しい心」というものに無垢な信頼を捧げ、その対極に「下品な心」というものを据え、その両極を眺めるときの振れがものすごく大きい人なんだな … ということでした。
 でも、それは爽やかなことであるように思います。

 この返信をしたためるため、30年ぶりぐらいに手に取った本などもありました。
 日頃なかなか経験したことのないことだったので、よい勉強の機会を与えてくださったと思い、感謝申し上げます。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ | 7件のコメント

メジャーセブンスの魔法

 
「都会の夜」を音楽で表現するときの和音

『ダウンタウン』の衝撃

 シュガーベイブ時代の山下達郎が作曲した『ダウンタウン』(1975年)を聞いたときの衝撃は忘れられない。

 その頃、まだ “J ポップ” という言葉はなかった。
 日本語のポップソングを統括する言葉として、かろうじて「ニューミュージック」という言葉が生まれていたか、どうか。

 でも、1回聞いただけで、『ダウンタウン』という曲が、それまでの日本語ポップスとはまったく種類の異なる音楽であることはすぐに分かった。

 街、都会、シティー、アーバン  ……
 イントロのギターカッティングが始まるや否や、もう頭の中でそんな言葉がぐるぐる駆け回った。

 この曲から “都会” の空気を立ち昇らせたものは何だったのか?

 ♪ 七色の の黄昏  降りて来て
    C   Fmaj7  Em   Dmaj7

 メジャーセブンス (maj 7th) コードである。
 この開放的で広がりのあるセブンスコードのギターカッティングが、日本の音楽シーンを一変させた。
 フォークでもない、ロックでもない、歌謡曲でもない、演歌でもない、新しい音。
 一言でいえば、それは、日本の湿潤な風土から切り離された純度100%の “洋楽” の音だった。

 リフのコーラス部分がすごい。

 ♪ Down Town へ くり出そう
   Cmaj7      Fmaj7
 ♪ Down Town へ くり出そう
   Cmaj7      Fmaj7

 「これでもか !」としつこいほどのメジャーセブンスの決め打ち。
 この執拗な繰り返しが、聞く人間の脳内のアドレナリンをドバっと噴出させ、ウキウキとダウンタウンへくり出すときの高揚感を見事に生み出している。
 
 まさに、メジャーセブンスの音は「都会の音」そのものである。
 
 
ソウルバラードの名曲にはメジャーセブンスが多い

 もともとメジャーセブンス系のサウンドは、「都会の夜」を演出するときのBGMにはぴったりの音として重宝されてきた。

 だから、R&B、SOULミュージックにもよく使われた。
 R&B、SOULミュージックは、都会の音楽だからだ。

 まばゆいネオンライトに照らされたストリート。
 車のホーンと、人の喧騒。
 そんな中を泳ぎながら聴くか、もしくは天井のミラーボールがくるくると回り、シャンパンの匂いが漂い、ベルベットのカーテンが揺れるようなパーティ会場で聞けば、メジャーセブンスを多用したソウルミュージックは、得も言われぬ心地よさを発揮する。

 ジュニア・ウォーカーズ & ザ・オールスターズの『What Does It Take(ホワット・ダズ・イット・テイク)』。

 私の好きな曲だ。
 甘いストリング・セッションを配した、いかにもモータウンらしいゴージャス感を持った曲で、私が最初に「都会の匂い」というものを嗅ぎとったR&Bである。

  コード進行は、Gm7 と Fmaj7 の繰り返し。
 しかし、このセブンスの繰り返しよって、都会の軽佻な華やかさと、同時に、ほんのかすかだけど、アンニュイを含んだ都会の哀しさが漂ってくる。


 
 「都会の輝き(ブリリアント)」
 「都会の贅沢(ゴージャス)」
 「都会の頽廃(デカダンス)」
 「都会の憂愁(メランコリー)」
 「都会の倦怠(アンニュイ)」

 そういったものが、サックスの扇情的な音色にうまく表現されていると思う。


 

ゴージャスな甘さ、スイートな酔い心地

 ソウルバラードの王者スモーキー・ロビンソン(↓)の作った『Ooh Baby Baby』も、メジャーセブンスのコード展開を持つソウルバラードの傑作だ。

 ♪ I did you wrong
   Gmaj7
 ♪ My heart went out to play
   Am7
 ♪ And in the game I lost you
   Bm7
 ♪  What a price to pay
    Am7

 「♪ I did you wrong」という歌い出しのしょっぱなからかまされるGmaj7。

 もうこれだけで、スパークリングワインの華麗な泡と、口を半開きにして唇を寄せてくる美女のほほ笑みが目に浮かんでくるようだ。

 サビになると、このゴージャスなコード展開に分厚いコーラスが重なる。

 ♪ Ooo baby baby
   Gmaj7 Am7
 ♪ Ooo baby baby
    Gmaj7 Am7

 ここで、天井にまで上昇しそうな浮遊感に包まれない人はいないはずだ。
 
 
あの “浮遊感” はどこから?
 
 メジャーセブンスの醸し出す雰囲気を一言でいうならば、この「浮遊感」である。

 「宇宙をたゆたい、星と語り合う」
 そんな夢見心地の浮遊感こそが、メジャーセブンスの真骨頂だ。

 1977年に大ヒットしたフローターズの『フロートオン』は、まさにメジャーセブンスの “ふわふわ感” をそのまま歌詞にしたようなソウルバラード。

▼ フローターズのレコードジャケ

 

 Aquarius(水がめ座)、Libra(天びん座)、Leo(獅子座)、Cancer(かに座)と、それぞれ自分の星座を告げるラルフ、チャールズ、ポール、ラリーというグループの面々が、
 「♪ ほらね、見てごらん、僕らが君の前に漂っているだろう?」
 と歌い出す。
 そして、お互いに手を携えて、ふわふわと虚空を上昇し、宇宙空間で星座のパノラマを眺めようと呼びかけるという、まぁ実に気宇壮大なバラードが、この『フロートオン』。
 (ビジュアルで見ると、この三流の手品師のような衣装と振り付けにちょっと引いてしまうところがあるけれど)

 ♪ Float, float on
   Gmaj7 Dmaj7
 ♪ Float on, float on
   Gmaj7 Dmaj7

 ロングバージョンともなると、11分の長丁場になるのだが、その全編が、この「Gmaj7」と「Dmaj7」の繰り返し。
 要は、「メロディー展開の妙で聞かせよう」などという戦術を、もう最初から放棄したような曲なのだ。
  
 それでいて、この退屈な曲に、催眠術にかかったような気分のまま、うっとりと引きずり込まれてしまうのは、やはり、メジャーセブンスのなせるワザとしかいいようがない。
 
 
青空にぽっかり浮かんだ雲の影

 では、なぜメジャーセブンスは、都会の夕暮れ空をさまような独特の浮遊感を手に入れることができたのか。

 NHK・Eテレでかつて放映されていた亀田音楽学校の「大人のコード学」(2013年)がこの前再放送(11月20日)されていたので、それを観ていたら、亀田校長先生が面白いことを言っていた。

 「メジャーセブンスコードは4音で構成された和音であるが、その4音の中に、長調と短調の両方の音が混じっている」

 つまり、「明るい長調」と「悲しい短調」がメジャーセブンスの中には共存しているというのだ。
 そのため、「ピーカンの青空ようなあっけらかんと明るい音(長調)の中に、一点だけ雲がかかるような雰囲気が生まれる」

 「明るいのか、陰っているのか。そのどちらづかずの “陰影” のようなものが、メジャーセブンスの浮遊感の正体だ」
 というわけだ。

 このメジャーセブンスを、最初に意図的に取り入れて音楽を作ったのは、19世紀の音楽家エリック・サティ(↑)だといわれている。
 彼が1888年に作曲した『ジムノペディ』では、それまでのクラシック音楽ではあまり使われたことのないGmaj7 → Dm7 という和音進行が採用されている。

 いま改めてこれを聞いてみると、まさに “浮遊感音楽” の元祖である。
 

 明るいようで、暗いような。
 どこか、空中を取りとめもなく漂っているような。
 
 この『ジムノペディ』が呼び寄せるイメージを言葉で表すとすると、「透明感」、あるいは「空気感」という言葉に行きつく。

 いずれにせよ、それは光と影のコントラストがはっきり分かれる自然の中から流れて来る音ではない。

 真昼の太陽光でもなく、夜の闇の暗さでもなく、そのどちらともいえない淡い微光に包まれた空間を想像させる音。
 そう、これは人工照明の下に広がっている “都会の光” に満たされた音なのだ。

 もし、自然のなかで、このような音を想像させる光を求めるとしたら、それは夕暮れの一瞬でしかない。
 昼の「明るさ」や「爽やかさ」 と、夜の「暗さ」と「寂しさ」が、淡水が海水に交わるように交差する瞬間。

 そういう瞬間を音で表現するとなれば、それはまさにメジャーセブンスの音になるのだが、人間がゆっくり享受できる「黄昏(たそがれ)の贅沢」というものは、時間にしてほんの10数分でしかない。


 
 
「終わらない夕暮れ」を手に入れた都会人

 しかし、やがて人類は、終わることのない「黄昏の贅沢」を手に入れることになる。
 近代的な都市空間が誕生するようになって、街の照明が 「いつまで経っても終わらない夕暮れ」 を出現させたのだ。

 エリック・サティが「ジムノペディ」を作曲したのは、1888年。
 その翌年に、彼が暮らしたパリでは、万国博覧会が催されるようになる。
 このとき、「電気館」というパビリオンが登場し、そこでは、なんと電気を使った「動く歩道」なども出現し、電気照明に照らしだされた噴水は、万華鏡のような光をまき散らしたとか。

 パリの街にガス灯が登場したのは、1830年代らしいが、19世紀末には電灯も登場。それこそ街には 「永遠に終わることのない夕暮れ」 が生まれた。
 エリック・サティは、その人工照明に照らし出された新しい空間を、音で表現した。

 それが、メジャーセブンス。

 都会というのは、人々が撒き散らす喧騒がしょっちゅう渦巻いている世界。
 だけど、そこに集まる人々は、農村のような共同体から切り離されたときの孤独感やら寂しさも味わうことになった。

 都市に住み着いた人々は、やがて、自分たちの気持ちを代弁してくれるような音楽がないことに気づく。
 “近代都市住民” の感性を表現する音が、メジャーセブンスという和音が生まれるまではなかったからだ。 

 というか、この手の不協和音を “心地よい” と感じる感性を、それまでの人類は持ち合わせていなかった。

 言い方を変えれば、このメジャーセブンスという音を手に入れることによって、ようやく「近代の都会人」が誕生したといえるかもしれない。
 だから、この音には、都会の開放感もあり、お洒落感もあるけれど、代わりに、帰るべき故郷を失った都会人の寂寥感も表現されている。
 
 
▼ ROCKバンド「ブラッド・スウェット&ティアーズ」による『ジムノペディ』

 
 

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「ことわざ」は突っ込みどころ満載だ

 
 人生の真実を、気の利いた言葉の中に鮮やかに集約する「ことわざ」。

 日本人が、古来より受け継いできた「ことわざ」は、まさに、生きるための知恵の結晶である。
 だけど、よく考えてみると、どれも「なんか変 … 」という感触がつきまとう。
 
 たとえば、 
 「負けるが勝ち」
 … とかいうけれど、では勝ったら負けちゃうのか?
  
 「逃した魚は大きい」
 … とかいうけれど、では捕まえた魚は小さいのか?

 「嘘つきは泥棒の始まり」
 … では、泥棒は嘘つきの “終点” か?
 
 「可愛い子には旅をさせろ」
 … では、醜い子は家に閉じ込めておくのか?
  
 「風邪は万病のもと」
 … では、万病は風邪の “結果” か?
  
 ま、ことわざって、考えてみると、突っ込みどころ満載の表現なんだよね。
  
 たとえば、
 「勤勉は成功の母」
 父は誰だ?
 
 「五十歩百歩」
 五十一歩の場合はどうなのか?  

 「山椒 (さんしょう) は小粒でもピリリと辛い」
 唐辛子と比較した上でのことか?
 
 「舌を巻く」
 イタリア語では珍しくないぞ。
 
 「雄弁は銀。沈黙は金」
 “饒舌” は、さしあたり “銅” ぐらいか。
 
 「血は水よりも濃い」
 塩水の場合だったらどうなのか。
 
 「井の中のカワズ(カエル)は大海を知らず」
 カワズを大海に放り出せば生きていけるのか?
 
 

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横浜線・相原駅前で飲む

 
 昨日は、久しぶりに家の外に出て、酒を飲んだ。
 レンタルモーターホームを利用するアメリカ旅行をプランニングする「トラベルデポ」の小林社長が、「わが社のアメリカ在住の日本人スタッフである姫野氏が日本に一時帰国しているので一緒に歓談しませんか」と誘ってくれたからだ。

 集合場所は、B.C.ヴァーノンの開発者として知られる戸川聰(とがわ・さとし)氏が主催する「トレックス・ガーデン」(写真上・下が戸川氏)。

 私としては、酸素ボンベから鼻に酸素を流し込みながらの参加となったが、酒を飲める体調まで回復していたので、久しぶりに心地よい酒宴を楽しむことができた。

▼ トレックス・ガーデン事務所(中央が戸川氏)

 トラベルデポの小林社長とトレックス・ガーデンの戸川社長は肝胆相照らす(かんたんあいてらす)仲で、ビジネスパートナーとしての紐帯を強めつつもプライベートな交遊を深めている間柄。

 当日の集まりは、その小林社長が50歳の誕生日の直前の日であり、かつ戸川社長が80歳の誕生日を迎える日も近いということもあり、50と80というキレの良い人生の節目を数えるお二方を励ます祝宴という性格も濃かった。

 出席者には、両社が親しく交わっているユーザーたちも参加。
 招待客と両社のスタッフ合わせ、総勢9名。
 その9名で、トレックス・ガーデンのある横浜線・相原駅からほど近い居酒屋(写真下 中央が小林社長)で一次会をスタートさせた。

 芋焼酎のボトルを2本入れ、ロック、お湯割り、水割りなど各自好きな飲み方で酒を楽しみながら、鴨鍋で舌鼓。

 ほろ酔い気分で、居酒屋を出て、相原駅まで歩いて戻る。
 トレックスガーデンのある相原駅の東側には、まだコンビニがあり、居酒屋や焼き鳥屋が数件軒を連ねていたが、この居酒屋のある西口は、駅前なのに見事に店がない。
 
 まだ夜の9時半を少し回ったぐらいだというのに、こぎれいに整備された駅前ロータリーには人の姿もなければ、車も通らない。

 民家は並んでいるので、人が住んでいるのは分かるのだが、休日(勤労感謝の日)ということもあって、みな家の中でまったりくつろいでいるのか、話し声も聞こえない。

 だが、その静寂が心地よい。
 都心から少し離れた新興の地方都市が一様に持っている、“新しいさびしさ” みたいなものが気持ちいいのだ。

 爽やかな空虚感 … というのだろうか。
 あるいは、清潔な哀しみというのか。

 新しくてさびしい街というのは、村上春樹の初期短編に出てくる「どこにあるのかよく分からない静かな街」みたいに思えて、まるで小説作品の中に紛れ込んだような気分になるのだ。

 『風の歌を聴け』
 『1973年のピンボール』

 これらの小説には、主人公が “鼠” という友達とよく話し込む「ジェイズバー」というバーが出てくる。

 どこの町のどんなバーなのか。
 その詳細はほとんど描かれない。
 村上が青春時代を過ごした神戸の街中にあった店がモデルだろうともいわれているが、小説に出てくる「ジェイズバー」から漂ってくるのは、神戸のような繁華街の喧騒とは無縁の、静かでさびしい新興住宅街にぽつりと建っているというイメージなのだ。 

 この幻の「ジェイズバー」を求めてさまようことが、私が新興の地方都市を歩くときの唯一の楽しみといっていい。

 相原駅西口の階段を上がり、反対側の東口に降りる。
 こちらには、多少店ができ始めている。
 コンビニに居酒屋。
 そして、焼き鳥屋とハンバーガーショップ。

 このハンバーガーショップというのが、トレックス・ガーデンのスタッフの御用達のお店らしく、さっそく戸川さんが階段を上がっていく。
 
 店の名は『Dinner JOY(ダイナージョイ)』。
 近くの大学に通っている生徒らしい若者3人組がカウンターで、愛想のよい若いママさんの手作り料理を頬張っているところだった。

 ここのママさんは幼少期をアメリカで過ごし、アメリカ料理でその舌を鍛えたとか。
 だから、店のたたずまいもアメリカ料理が引き立つアメリカンテイスト。

 「本場仕込みのオリジナルハンバーガーも絶品だが、ここはチリビーンズがおいしい」 
 と戸川さん。

 バドワイザーの小瓶をラッパ飲みしながら、そのチリビーンズを口に運ぶと、確かにふくよかな味わいが舌に広がり、ビールと絶妙のハーモニーを奏でた。

 店を出ると、今度はすぐ近くにビストロ風の洒落た店舗が現れた。
 戸川さんによると、こちらの店はできて半年ぐらいしか経っていないという。

 …… ちょっと入ってみたいなぁ、と思っていたら、戸川さんの方から「ちょっと寄ってみませんか?」と背中を押された。

 お店の名前は『しみるワイン専門 マルクウク』というのだそうだ。
 ここに来るまでに、すでに2軒も寄ってきたので、お腹はいっぱい。
 店がお薦めする自慢のワインだけをいただくことにした。
 
 まいう~ !
 そんなにワインに親しんだことのないこの私にも、「これはうまいワインだ」ということがすぐに分かった。

▼ もう酔っぱらっていて、手元が狂ったためひどい写真になった。でも、この店の画像はこれ1枚しかない。あしからず

 ちらっとメニューを見ると、「エビのアヒージョ」「森林鶏の胸肉ロースト」「キノコとアンチョビのパスタ」など、都心のハイセンスなお店で出てくるようなお洒落な料理がずらりと並んでいた。
 今度、お腹を空かせたときに、ここに来てみたいもんだと思った。

 それにしても、横浜線相原駅って、面白い。
 今日立ち寄ったお店は3軒とも、ぜんぶ店主が若かった。
 彼らは若いからこそ、この “何もない駅前の風景” に、自分たちの夢の城を建てることに情熱を燃やしているのかもしれない。
 こういう街は、これから人気を集めてそうだ。

 深夜11時に、トレックス・ガーデンの佐藤氏のお見送りを受けて、「しみるワイン専門店 マルクウク』を出る。
 振り向くと、周りの静かな民家に紛れ込むように、店の灯りもぼんやりと闇に溶け込んでいる。

 またしても、街全体を覆う静寂。
 おとぎの国の町のような雰囲気だ。
 きっとこの街には “ジェイズバー” がある。
 
 
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恋愛はいつどのようにして生まれたのか

  
 
トリスタンとイゾルデの愛 恋愛の起源 

 「恋愛」という概念は、いったいいつ、どのようにして生まれたのか?
 昔、夏目漱石の『こころ』をテーマにしたブログを書いた頃、そんなことを考えたことがあった。

 こういう問を、人は普段なかなか思いつくことがない。
 「恋愛」は、太古の昔から人類が連綿と受け継いできた一種の “本能” のようなものだとされてきたからだ。
 あたかも、人類という “種” を存続させるための、遺伝子の働きであるかのように。


 
 しかし、考えてみれば不思議である。
 子孫を残すためだけなら、人間の女性も動物のメスのように、言い寄るオスの中から一番生存率の高そうな遺伝子を持っているオスを選べばいいだけの話である。

 だが、人間の恋愛の場においては、必ずしも、腕力のある者や経済的に裕福な者、美貌に恵まれた者だけが勝者になるわけではない。
 
 たとえば、女性が求愛を受けたとき、その相手が、結婚の条件を満たすには申し分のない安定した職を持ち、誠実で、優しい性格の男でも、女がその気にならなければ(妥協による婚姻は可能であっても)「恋愛」は成立しない。
 一方、男だって、安定した家庭を約束してくれそうな良妻賢母型の女性よりも、男を騙し続ける小悪魔的な女を追いかけてしまうなんてことが、よく起こりうる。

 ということは、「恋愛」と「結婚」は、そもそも最初から別概念であるということなのだ。むしろ、「結婚」から限りなく逸脱していくところに、「恋愛」の本質があるといえるかもしれない。

 「恋愛」と「結婚」は、どちらが先に生まれたのか?

 一般的には、「恋愛」関係に陥った男女が親密度を増していき、最後に「結婚」というゴールを迎えると思われがちである。
 しかし、人類の歴史をたどると、「恋愛」は、むしろ「婚姻」という制度が整ったあとに発生している。
  
 
「愛は金で買えるか?」という議論の不思議さ

 では、「恋愛」は、どういう状況で生まれてくるのだろう。

 一般的に「恋愛」は、人間の精神活動を彩り、さまざまな情緒を喚起するインスピレーションの原動力となるものとして認知されている。
 それを裏付けるように、古来より多くの文学が「恋愛」をテーマに展開され、現代でも流行歌のメインテーマは「恋愛」であり続けている。

 しかし、恋愛には、どこか「商売」の匂いが染みついている。
 たとえば、恋のかけひきに使われる言葉を拾い上げてみると、
 「安売りする」
 「安っぽく扱う」
 「お高くとまる」
 「手が届かない」
 「手に入れる」
 「高嶺(たかね)の花」
 など、売買を想起させる言葉が多いことに気づく。
 特に、高嶺の花などは、「高値の花」から来たのではないかと思わせるようなニュアンスが漂う。
 
 また、恋愛には必ず「愛はカネでは買えない」とか、「愛だってカネで買える」といったような議論がついて回る。
 このようなことから、「恋愛」と「お金」は、どこかで密かに関係し合っているのではないかという推測が生じてくる。
 
 
恋愛の起源は、娼婦にある?

 実は、恋愛の起源を、女がカネで自分の体を売る「娼婦」の成立に求める人がいる。
 要は、おカネをやりとりすることで、男と女が対等な立場で向かい合える場所がはじめて生じたというのだ。

 それまでの人類の長い歴史は、「男」が主人となり、「女」を隷属させる社会で成り立っていた。
 そのような歴史のなかで、娼婦が存立できる場所こそが、男女が同等の立場で向かい合える場所だった。
 「恋愛」という概念は、その娼婦たちの間から生まれてきたというわけだ。

▼ 古代ギリシャの壺絵に描かれた娼婦と客

 
 この理屈には、異を唱える人が多かろう。
 誰もが直観的に、恋愛の起源を娼婦に求めるのは “非道徳的” だと思うはずだ。
 娼婦と客の関係は、「女を、カネの力で従属させる悪しき男性中心主義」だとフェミニストたちは非難するかもしれない。

 しかし、このことを明るみに出したのは女性である。
 文学理論の研究家で、現在は小説家としても活躍している水村美苗さんだ。
 水村女史は、1981年の『現代思想 反恋愛論』という特集における対談のなかでこう語っている(多少意訳)。

 「人類史の大半において、女性は、(文化人類学者の)レヴィ=ストロースが言っていたように、男性中心的な共同体(= 村とか部族)の中で、他の共同体との友好関係を保つための交換価値としてしか見なされてこなかった。
 つまり制度として公認された “婚姻” の歴史というのは、女性を交換価値としてしか考えなかった共同体の歴史を物語っているに過ぎない。
 レヴィ=ストロースは、あたかもそれが人類一般の法則であるかのように語ったが、それは自己完結型の共同体内で当てはまる現象でしかない。
 だから、男が権力を握って君臨している共同体の中で、女が『弱者』の立場から解放されるには、女はそのような共同体の<外>に出るしかなかった」

 水村氏がここで語る<外>とは何か。
 それは、共同体の掟(おきて)の届かない場所のことである。

 そのような “場所” があるのか?

 それが、「商品を売り買いする場所である」と水村氏はいう。

 そのような貨幣がすべてを決するような場所においてこそ、女ははじめて男と対等の立場に立つことが可能となり、“男の支配” から逃れることができる。

 世間ではよく娼婦のことを、「男が女をカネで支配する」制度だと決めつけたがるが、事実は逆である。
 女は、娼婦になることによって、「男に日常的に配されていた存在」から、「カネでしか支配されない存在」に昇格したのだ。

 このとき、女にはじめて “選ぶ権利” が生まれる。
 すなわち、男がカネを持ってきても、気に入らない男なら「自分を売らない」という態度をとることができる。
 そして、気に入った男なら、カネを取らずに自分を捧げることも可能になる。

 それが、「恋愛」の起源である。
 そして、それを可能にするためには女と男が、ともに共同体の<外>に出る必要があった。

▼ 古代アテネの高級娼婦アスパシア

 
 
貨幣と恋愛は、ともに共同体の<外>で生まれた

 水村女史は、「貨幣」と「恋愛」は、共同体と共同体の<間>、つまりどちらの共同体のルールも届かない、その “すき間” のようなところで発生したという。

 具体的にいえば、それは「都市」である。
 先史社会においては、都市こそが、一つの共同体の秩序が途切れるところであり、別の共同体の秩序と出遭うところであった。

 「都市」の生成過程を追うと、最初に市場が登場するのは、みな村外れのような共同体と共同体の境界あたりであることがわかる。
 そこは、どちらの共同体のルールにも支配されない領域であるから、そこに集う人間たちは、一つの共同体が保証する身分や権力が通用しない体験と引き換えに、その市場を練り歩くときの祝祭的高揚感と自由を手に入れることができる。

 そのように成長してきた有力都市は、巨大な古代帝国が興隆したあかつきには、その支配圏に属することになるが、都市の本質的な機能は変わらない。
 つまり、そこが「交易の場」であるかぎり、絶えず帝国(共同体)内の法規制に縛られない商取引のルールが誕生し、新しい文物がどんどん参入して、それまでの商品体系を壊し、新しい商品体系を形成していく。

 そして、そのような変転めまぐるしい商品体系を制御する “普遍的な価値” として、「貨幣」があらゆる商品価値を規定する幻の上位概念として定着していく。
 貨幣さえ所有していれば、どんな貧乏人でも、王侯貴族と同じように「人」や「物」を動かすことできるようになる。
 <平等>という概念は、貴族と平民といった階級制度を無にしてしまう貨幣の流通を前提にして、ようやく人類が手に入れることができたものだという。

 そういう場所には娼館が生まれ、貨幣の力で<平等>を手に入れた娼婦が、同じく客として<平等>になった男を招き入れるようになっていく。
 そしてそれが、男女が<平等>でなければ成り立たない「恋愛」という意識を生み出す母胎となる。
 そのことを踏まえ、水村女史は「貨幣」と「恋愛」の起源は同じであると語る。


   
 確かに、これは一理あるかもしれない。
 実際に、人が「恋愛」といわれる心情に陥ったとき、はたしてどんな反応に見舞われるか考えてみよう。

 恋愛の本質とは、“不在の相手に対する思慕” である。
 つまり、実際に目の前にいる相手に対してではなく、その相手と逢わないときにこそよけい募ってくる恍惚と不安。
 その心理的高揚感が、恋愛感情の基礎をつくる。
  
  
恋心は、買物するときの快感に似ている

 三省堂の『新明解国語辞典』によると、「恋愛」は次のように定義されている。

 「特定の異性に特別の愛情を抱いて、二人だけで一緒に居たい、できるなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する状態)状態」(第四版)

 さらに、角川書店の『歌ことば歌枕大辞典』で恋(こひ)の項を探すと、そこにはこのようことが書かれている。
 「眼前にいない人や、事物・場所などに心惹かれ慕う感情。特に目の前にいない愛する異性を慕い求める感情」

 このような感情は、まさにおカネを握りしめて、欲しい商品を手に入れる算段をしているときの高揚感とそっくりではなかろうか。

 貨幣はあくまでも貨幣に過ぎない。それは、実際に「手に入れたい “物” 」からは、永遠に切り離されている。
 なのに、その貨幣こそが、“物の不在” を通じて、実際に手に入れられる “物” 以上に、人間の狂おしい渇望を自覚させる。
 それは、まさに「恋愛」が、相手の不在によって妄想が高まることと同じ軌跡を描いている。

 「婚姻」には、実体がある。
 しかし、「恋愛」には実体がない。
 それはあたかも、商品としての実体を何ひとつ持たない貨幣が、いつのまにか、どの商品よりも最上位に君臨してしまうという、貨幣経済の倒錯的な価値体系をそのままなぞっているように見える。

 水村美苗はいう。
 「市場においては、娼婦が『売る立場』になるわけだが、商談が成立するには、客も『売り=買い』の場に立ち会わなければならない。
 『売り=買い』の場というのは、『買う立場』にいる人間の持っている貨幣の価値を危うくする場でもある。『いったいこの女にいくら金を積めばいいのだろう』というところから、逆に『金で買えない愛情』をやりとりするものとして恋愛が規定されてきた」
 
 
西欧的な恋愛は、騎士道から生まれた


 
 水村女史は恋愛の起源について、こう言う。
 (以下はそうとうな意訳)。

 「ヨーロッパで、最初に “恋愛” という概念が人々に浸透し始めたのは中世からだといわれている。
 その要因になったのは騎士道である。
 騎士というのは、封建領主でもあったから、本来は農村というローカルな共同体を束ねる人間として、貨幣経済とは無縁な存在であった。
 しかし、騎士は、基本的には戦士であったから、(十字軍の遠征を見ても分かるとおり)、商人と同じようにモビリティー(移動性)を持ち、その従軍の過程で、貨幣経済が横行する都市生活を知るようになる。
 騎士たちの間で、そのような条件が整うことによって、共同体のルールを超えて結ばれる男女の心を “恋愛” と呼ぶきっかけがつくられた」
 
 つまり、西欧における「恋愛」とは、農村というローカルな共同体の<外>に
踏み出した騎士たちの間に、自分たちの存在基盤を支えるイデオロギーとして広まっていったというわけだ。
 そして、ヨーロッパ中世においては、共同体のルールに縛られない騎士たちのメンタリティーを表現するたくさんの恋愛詩や宮廷ロマンが生まれるようになったという。

 彼らの「恋愛」とは、基本的に不倫である。
 宮廷の主催する馬上試合などでは、どの騎士も、主催者の家族が集う観覧席の前で、参列する人妻の貴婦人の一人に情熱的な忠誠を誓うことを堂々と宣言する。
 そして、その貴婦人のために、体を張って馬上試合に臨み、また戦いの最前線におもむいて命を燃焼させる。
 それが、中世の騎士たちのアイデンティティを保証した。


 
 しかし、騎士たちの不倫愛は、どこまでいっても肉体的な合一を退けた “プラトニックラブ” という形をとった。
 プラトニックラブであるからこそ、そこには精神の高貴さが求められ、それが「恋愛」という特殊な感情を崇高なものに高める土壌を形成する。

 このときに、「恋愛が “婚姻” という共同体のルールとは別の形で、男女の結びつきを意味する概念」として認められるようになったというのだ。
 そして、そのような「恋愛」は不倫が前提となっているがゆえに、しばしば「悲恋」という形で終息する。

 このような騎士道文化の流行を指して、フランスの歴史家シャルル・セーニョボスは、「恋愛とは12世紀の発明なり」と語っているという。
 ちなみに、12世紀のフランスで成立した西欧最古の恋愛文学といわれる『トリスタンとイゾルデ』の説話を簡単に紹介してみる。
 この話は、「恋愛」が共同体のルールをおかす「不倫」という形から生まれたことを端的に物語っている。
 
 
西欧最古の恋愛文学『トリスタンとイゾルデ』

 
 以下、社会思想社刊『教養人の世界史』(現代教養文庫449)より引用。

 「コンウォールの王マルクの甥である騎士トリスタンは、大恩のある伯父王のため、マルク王の王妃となる『金髪のイゾルデ』をアイルランドまで迎えに行く。
 しかし、2人は誤って王夫妻のために用意された『惚れ薬』を飲み、マルク王に隠れて不義の愛を語らうようになる。
 恋人たちは手に手をとって、マルク王の城に近い森に隠れる。
 マルク王は狩りの道すがら、語り疲れて眠っている2人を見つけ、抜き身の剣を2人の間に立てて、黙って立ち去る。

 目覚めた2人は剣の主を知り、悔恨の念にかられて別離を誓い合う。
 そして、『金髪のイゾルデ』は自分の心を押し殺してマルク王に嫁ぎ、トリスタンはブルターニュに退いて、『白い手のイゾルデ』という娘と結婚する。(イゾルデが2人現われるので、ややこしい !)

 しかし、惚れ薬の魔力から抜けられないトリスタンは、『金髪のイゾルデ』を恋い慕うあまり、癩者や狂人に化けても、恋人の姿を求めてマルク王の城のあたりをさまよい歩く。

 ついに最後の日がやってくる。
 トリスタンは戦場で毒剣に傷つき瀕死の床につく。
 毒を消す薬を知るのは、医術をも身に付けている『金髪のイゾルデ』のみである。

 使者が立ち、もし恋人が来てくれるなら船に白い帆を揚げ、だめならば黒い帆を掲げよというトリスタンとの約束に従い、『金髪のイゾルデ』は船に白い帆を張ってトリスタンのいる城に急行する。
 しかし、夫の不義を知った『白い手のイゾルデ』は嫉妬にかられ、『黒い帆が近づいて来ます』と嘘をつく。
 
 絶望して息絶えたトリスタンの遺骸を抱いた『金髪のイゾルデ』も悲しみに胸が張り裂け、恋人の後を追う。
 マルク王は2人の死を悼み、すべてを許して比翼の塚に葬らせる。
 するとトリスタンの墓から伸びた茨のつるがスルスルとイゾルデの墓に入ってゆき、切っても切っても、また伸びて、死もまた2人の愛を阻むことができないことを伝えるようであった」


 
 … というのが、西欧最古の恋愛文学といわれる『トリスタンとイゾルデ』の説話である。
 この話は、もともとケルト民族に伝わる伝承であったものが、12世紀のフランスで物語化され、やがて『アーサー王と円卓の騎士』の説話に組み込まれて今日に残ったものといわれている。

 これが “西洋最古の恋愛文学” であるとするならば、そもそも「恋愛」こそが「婚姻」という共同体のルールを破るときに発生するものであることを物語っているといわねばなるまい。
 そして、そのような恋愛は悲恋に終わることが定型化され、それがシェークスピアの『ロミオとジュリエット』のような恋愛物語へと継承されていく。

 ロミオとジュリエットの話こそ、互いに対立する二つの氏族(共同体)の《間》に生まれた「禁じられた恋愛」の典型であった。
 この話も、『トリスタンとイゾルデ』の説話同様、愛し合った2人の「死」によって完了する。あたかも、共同体のルールを逸脱した「恋愛」が、その共同体によって罰せられるように。

 シェークスピアは、このドラマの着想をギリシャ神話の「ピュラモスとティスベ」から得たといわれている。
 元となったギリシャ神話も同じように、仲たがいする二つの家の反目を嫌う恋人同士が、お互いの家を抜けて駆け落ちする話だが、やはり2人の死をもって幕を閉じる。
 そのようなエピソードが古代からずっとあったということは、「恋愛」が共同体のルールと反目するということを教訓的に伝えていることを示唆している。
  
  
吉本隆明の「対幻想論」の読み方
 
 「恋愛は、共同体の拘束から抜け出ようとする宿命を帯びる」ということを、“幻想論” という視点から説き起こしたのが、吉本隆明の「対幻想」という概念である。
 彼が1968年に著した『共同幻想論』は、理論書としては荒唐無稽なところもあり、思想も文体も古色蒼然としたものとなってしまった感じもするが、その中の「対幻想」という概念だけは、光の当て方によっては依然として「恋愛」の本質を浮かび上がらせる力を保っている。


 
 吉本隆明は、『共同幻想論』のなかで、「国家」は法整備や政治システムなどという実体で語られるものではなく、それ自体が、人間の妄想の上に成り立つ壮大な「幻想体系」だと訴えた。

 それに対し、男女が「性的な交渉」を含む「一対一の関係」を取り結ぶときだけ、国家の共同幻想に対して “逆立” するという。

 逆立とは、「逆らう」という意味であり、「逸脱する」という意味でもある。
 吉本隆明は、この男女の関係を「対幻想」という言葉で表現し、国家が個人を従属させるイデオロギーとして機能する「共同幻想」に対峙するものと規定した。
 これは、言葉を変えていえば、「恋愛」は国家という「共同体」の外に出ようとする力を持っていると、言い直すこともできる。

 ただ、吉本隆明の「対幻想」はかなり曖昧な概念であって、男女が「一対一」で向き合う関係から、やがて「家族」にまで発展し、さらには「親子」という関係に至るまでのすべてのプロセスをすべて含むように説明される。

 しかし、男女の一対一の関係が、「家族」にまで発展していけば、それは、「国家」という共同体の利害と対峙することもありうるが、逆に「国家」を支えるものとしても機能する。
 国家は、法整備や治安の保証によって、「家族」という最小単位の共同体を保護する代わりに、「家族」が内包してしまう「国家」に逆らう要素をことごとく排除することも可能だからだ。

 そのときの排除の形は、「国家の秩序を破った男女は悲惨な死を迎える」という形で定型化される。

 このような、共同体から罰せられて死を賜る “悲恋神話” の積み重ねから、人は「恋愛は死に隣接している」という想念を育てていったと思われる。

▼ 古来より、死とエロスは密接に結びついていた

 
 共同体は、人々のこういう想念を打ち消すために、個人の「死」と「恋愛」が結びつくことをタブーとして、逆に、個人が「共同体のために死ぬ」というイデオロギーを奨励した。
 祖国を救済するために、自分の生命を犠牲にして戦う人間がヒーロー視されるのは、そういう理由による。
 その極端な例は、太平洋戦争時の日本の「特攻隊精神」かもしれないが、日本に限らず、“国や民族” のために自己犠牲的な行動を取る人間を称揚するのは、共同体存続の基本イデオロギーである。

 しかし、このような共同体の思惑を超えて、悲恋説話が人々に語り継がれるのには、やはり、それなりに意味があると言わざるを得ない。
 それは、共同体のルールを逸脱するときこそ “ときめき” があることを、人々が密かに感受していたことを物語っているからだ。
 
 
恋愛は、ときに一国を崩壊させる

 恋愛は、厳格な “平等主義者” である。
 恋愛の平等性は、共同体内のヒエラルキーなどをいとも簡単に無化してしまう。

 そのため、恋愛における “ときめき”は、ときにヒエラルキーの頂点に君臨する権力者をも危うくすることがある。
 権力者の男が、いくら金銀財宝を見せびらかし、統治する帝国の一国さえ与えようとしても、女がその権力者を「嫌い」といえば、それで終わってしまう。
 国家をも支配できる男が、一介の無力者に成り下がるのは、このときだ。
 
 逆にいえば、女は、出自が貧しかろうが、財産など持たない家に生まれようが、権力者の心を射止めれば、権力者を思うように扱うこともできるわけだ。

 思えば、権力者が惚れた女に簡単につまづくことを、我々は歴史上の出来事として、どれほどたくさん見てきたことか。

▼ 楊貴妃

 
 中国の唐王朝崩壊のきっかけをつくったのは、玄宗皇帝の寵愛をほしいままにした楊貴妃であったし、ローマ時代に、オクタヴィアヌスと覇を争ったアントニウスを破滅させてしまったのはクレオパトラであった。

 アントニウスは、アクティウム沖の海戦で、味方の兵士をも戦場に放り出したまま、「勝機がない」と勝手に判断して逃亡していくクレオパトラの船を追い、勝利も、自分の運命をも放棄してしまった。

▼ ハリウッド映画『クレオパトラ』を演じたエリザベス・テイラー

  
 それほど、「恋愛」は男の立場を危うくすることもあり得るのだ。
 (女が権力者の場合は、逆のこともあり得る)

 批評家の東浩紀は、『弱いつながり』という本のなかで、18世紀の思想家ジャン・ジャック・ルソーに言及した章で、次のように語る。

 「(男と女が)一晩一緒に過ごしたという関係性が、(その人の)親子や同僚といった強い絆をやすやすと超えてしまうことがある。社会的に大成功を収めていた人が性犯罪で破滅することがあるかと思えば、まったくの敗北者が権力者(との性の結びつきで)政治を左右するようなパートナーになったりする。
 そういう非合理性が、人間関係のダイナミズムを生み出している。
 もし人間に性欲がなかったら、階級は今よりもはるかに固定されていたことだろう。人は性欲があるからこそ、本来ならば話もしなかったような人に話しかけたり、交流を持ったりしてしまう。
 ……人間は、目の前で異性に誘惑されれば思わず同衾してしまう、そういう弱い生き物であり、だからこそ、自分の限界を超えることができる」

 東浩紀がここでいう「性欲」は、そのまま「恋愛」という言葉に置き換えてかまわない。
 とすれば、東浩紀のこの記述は、
 「恋愛は、人に自分の弱さを知らしめるからこそ、自分の限界を超える力となる」
 と読み替えることができる。
 これは、人類普遍の真理であるように思える。
 

 
 
関連記事 「恋愛は罪悪である ― 漱石『こころ』100年」
 
参考記事 「VRの旅と、リアルの旅  東浩紀 『弱いつながり』 」
  
  

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