ペッパー君が会社の社長になる日

  
 街を歩いていると、ペッパー君をよく見かけるようになった。
 この連中、ほんとうによくしゃべる。
 飲食店の前に立っているヤツは、
 「おいしいお食事をご用意しました。どうぞお立ち寄りください」
 とか呼び込みをやる。

 銀行の中にいたヤツは、自分の胸の端末ディスプレイを表示して、
 「今日は何のご用事ですか? ご入金・お引き出しは➀のボタンを。融資のご相談は②のボタンを … 」
 などと案内を始める。

 この前、メガネ屋前の舗道で、何もしゃべらないヤツがいたから、頭だけなでてやった。
 そうしたらそいつ、くるりと首を回して、あの無表情な( … 見方によっては人懐っこいような)顔のまま、こっちを見上げるのだ。
 その場を立ち去った後も、まだじっと見ている。
 「もう分かった分かった! いい加減にあっち向けよ」
 と、思わずつぶやいた。

 あいつら、何を考えているのだろう。
  
  
「ペッパー社長」はいつ登場するのか?

 “ペッパー小僧” たちは、今はまだ単純なプログラミングで動いているだけだけど、AI がどんどん進化してくうちに、やがて会社の部長・課長になったり、学校の先生になったりするのだろうか。

 そのうち、後継者不足で悩む中小企業などでは、ペッパー君が社長を務めるようになったりするかもしれない。
 で、そんなペッパー社長は、会社中を巡回しながら、社員の開いているパソコンを覗き込み、「こんな簡単な演算ができないのですか?」などとしゃべるのだろうか。
 
 
 しかし、実際には、AI 搭載型のロボットが人間社会にしゃしゃり出てきて、人間を議論で打ち負かしたり、人間に命令を下したり、人間をアゴで使ったりするような社会は、IT ジャーナリストたちによると、「ほとんど実現することはない」という。
 だから、SF映画の『ターミネーター』のような社会が訪れることもないとか。

 ただし、彼らがいうのは、「現在のAI テクノロジーでは、AI が人類を支配する社会は実現しない」という意味で、「未来」は不問に付されている。
 
 
「AI の未来」には二つの予測がある

 AI の未来に対する見方は、二つに分かれる。
 ➀ 「AI はそのうち人間に迫り、やがて人間を超えていく」
 ② 「AI はいつまで経っても、人間を超えることはない」

 ➀ を唱える人たちの根拠は、次のようなものだ。
 「今のAI は人間の頭脳活動をモデルにしているので、人間の頭脳が貯えるデータと同等のデータ量が蓄積されていけば、やがて人間と同じ判断を下すようになり、さらにデータ蓄積が上積みされていけば、人間を超える」

 こういう説の根拠となっているのが、スピードラーニング … じゃなくて、ディープラーニングというやつだ。
 これは、(そっけなく言ってしまうと)、答を出すためのアイデアを人間からもらわなくても、AI が勝手にアイデアを探し出し、スタスタと単独で作業を始めてしまうというテクノロジーなのだ。
  
  
あれはネコか? 犬か? それともワニか?

 例を出す。
 「ディープラーニング」を説明するときによく使われるエピソードで、ネコの識別。

 人間は、道端を歩いている野良ネコを見ただけで、「あ、ネコだ」と瞬時に識別することができる。
 だが、これをAI が行うのは、実はものすごく大変なことだという。

 AI が、たとえばネコの動画を解析して、それを「ネコ」だと断定するには、
 まず、
 ➀ (ネコというのは) 鼻を中心にその周辺に、3cm程度のヒゲを生やした動物だが、そのヒゲは、場合によっては4cmのこともある。長いものになると5cmもある … などなどなどのデータをことごとく事前にインプットしておかなければならない。

 ② 眼球の大きさは1cmから2cm程度。ただし、明るいときは瞳孔が細くなり、暗くなると瞳孔が拡大される。その大きさの変化は日照時間の変化に対応している。

 ③ ネコが怒ると眉間にシワが寄り、「フヒャー」とか鳴く。さらに人間が近づくと、より警戒心をあらわにして「グフゥ~」と威嚇し、時にはネコパンチを繰り出す。ネコパンチを繰り出すときは、右腕の場合もあれば、左腕の場合もある。

 ④ しかし、飼い猫の場合はこういう警戒行動をとることなく、飼い主に寄り添ってきて、「ゴロニャン」と鳴く。

 ⑤ 固体の色は、ホワイト、ブラック、パールマイカ、エキサイティングレッド、ダークチェリー、マロングリーンなどに分かれ、さらにその複数が混じり合うこともあり、自動車のボディ色のようには瞬時に識別できない …… などなど。
 

 
 つまり、AI に、「これはネコです」と解答させるためには、それこそ何十万という膨大なデータをすべて人間がインプットしておくという途方もない作業が必要だったのだ。

 しかし、ディープラーニングを会得してからのAI は徐々に「これはネコです」というデータを自分でかき集めるようになってきた。
 もともとディープラーニングというのは、人間の脳の神経回路をモデルに開発された技術だといわれている。 
 人間の脳は、1,000億のニューロンの配列からなっていて、それぞれのニューロンはさらに1万個のニューロンとつながっている。シナプスの数でいえば、100兆から1,000兆だとか。

 人間が「あ、ネコだ!」と判断するのは、こういう天文学的な脳内組織のたまものなのである。
 … ということは、理論的には、人間の脳と同規模のAI 組織を構築できれば、人間を超えるAI が生まれてこないとも限らないということになる。
 
 実際、近年のAI の進化はすさまじく、図像解析のレベルなどにおいても、すでに立派に実用化されているものも少なくない。インターネットのWEBページの検索や画像検索、自動運転車における障害物の認知など、気づいてみれば当たり前のように、日常生活のAI 化が始まっている。
  
 
2030年には、AI が人間を超える?

 「AI が人間を超える地点」。
 これを、専門用語で、「シンギュラリティ(技術的特異点)」というそうだが、このシンギュラリティの到来を意外と早い時期だと予測する専門家もいる。
 2025年ぐらいになれば、AI 技術は今とは比べものにならないほど進化しており、2030年代に入ると、もう人間の頭脳的能力に匹敵するAI が早くも登場する。
 そう大胆に占う研究家もいる。
 各会社に「ペッパー社長」が登場するのも、この時期(?)だということになる。
 
 
 しかし、一方で、「どんなに進化を遂げようが、人間の能力を超えるAI が登場することはない」と断言する研究者もいる。

 そう言い切るときの理屈は、次のようなものだ。

 「AI がどのような知能を身につけようが、あくまでもその本質は “計算機” である。つまり、“数学の言葉” に置き換えられるものしか答が出せない。
 数学の言葉とは、“論理”、“確率”、“統計” の三つでしかない。
 それが、4,000年以上の数学の歴史で発見された “数学の言葉” のすべてだ」
 (数学者の新井紀子氏の見解)
   
   
AI は “意味のない言葉” を理解できない

 つまり、“数学の言葉” では、人間の会話のなかの「意味がないこと」を表現できないという。
 「意味がない」というのは、たとえば「あなたが好きだ」という言葉。

 これをAI が伝えるとなると、
 ➀ 「あなたの存在を、ともに生活する伴侶として最適だと判断した」
 ② 「あなたを容姿を、過去の私の好みと照らし合わせて、好ましいと感じた」
 ③ 「あなたの明るい性格が、私がいま感じている不安を忘れさせてくれるのでつきあいたい」
 ④ 「あなたの性的魅力に刺激されたので、抱きたい」
 
 …… 等々さまざまなケースに細分化されるが、どんなにその中身を解析しようが、「あなたが好きだ」というもっともシンプルな思いの強さには届かない。
 つまり、「あなたが好きだ」という言葉は、それ以外のどんな言葉にも還元できない。
 要は、AI はもっとも単純な表現のなかに潜む「強さ」や「深さ」を理解できないのだ。

 逆に人間の脳は、「意味のない言葉」のように思えるものなかから、必ず自分に必要な「意味」を探り出してくる。
 ところが、AI は、その「意味」の内容を具体的に説明しない限り(=ロジックを構築していかない限り)、他者に伝達できない。
 “数学の言葉” には、「感じる」、「察する」という人間の心に関わる言語がないからだ。
 
 
人間の脳を神秘化するのはセンチメンタリズム?

 ただ、これに関しても、AI 信奉者からは異論が出ている。
 「人間の脳を神秘化するのは、情緒的なセンチメンタリズムにすぎない」
 という。

 「脳とAI の差はデータ解析に対する量的問題に過ぎない。AI 研究の飛躍的進歩によって、その差はだんだん縮まりつつある」
 だから、「高度に進化したAI 」 は、やがて「心」を持つ。

 実際に、現在のAI のシステムは、人間の脳のような複雑なネットワークを持つには至らないが、すでにネズミの脳と同サイズのネットワークを構築しているという。

 そうなると、ネズミのような哺乳類がやがて人間になっていったように、AI が人間に代わって地球の管理者になる日が訪れるかもしれない。

 ただし、ネズミが人類になるまでには2億年かかっているから、AI が「心」を獲得するにも、やはり2億年ぐらいかかることもありえる。
   
  
「心」とは魑魅魍魎の世界
 
 忘れてならないのは、「心」とは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界だということだ。
 それは、聖なるものも邪悪なものも入り乱れた混沌とした世界で、「心」の持ち主でさえも制御が不可能な領域だ。

 その底の方では、優しさも、妬みも、尊敬も、侮蔑もすべて激流のようにのたうち回っていて、どの感情がいつ爆発するかは本人でも分からない。
 人間の “特権” のようにいわれる「クリエイティヴィティ」というのも、しょせんはこの「魑魅魍魎」のことを指しているにすぎない。 
 
 

 AI の本質である “数学の言葉” は、その魑魅魍魎の世界をなんとかロジックで解析して秩序立てようとするだろうが、魑魅魍魎の世界というのは、2億年という哺乳類の進化の系がつくりだしたものだから、AI のビッグデータをもってしても、2億年の時の重みに耐え続けることはできない。
 
 それよりも心配なのは、最近は、人間らしい「心」を解さない人たちが増え続けていること。
 「AI の人間化」よりも、「人間のAI 化」の方が先に進んでいくことになるだろう。
  
  

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ロシア絵画の不思議な奥行き

 
 「東京 富士美術館」(東京・八王子市)で開かれている『ロシア絵画の至宝展』という美術展を観に行った。
 今回集められた絵画の大半は、19世紀中頃に描かれたもので、テーマはロシアの自然を描いた風景画、および庶民の日常生活の1コマを切り取ったものだった。
 

▼ ウラジーミル・マコフスキー 「夜の牧草地」

 この美術館には、ヨーロッパの古典絵画や近代絵画をそろえた常設展示場もある。
 しかし、今回「特別展」に運び込まれた “ロシア絵画” のコーナーに足を踏み入れると、そこから空気が変わる。
 
 
▼ アレクセイ・サヴラーソフ 「沼地に沈む夕日」

 ヨーロッパでもなければ、アジアでもない。
 「ユーラシア」という言葉が当てはまるのかどうかも、分からない。

 ここに集められた風景画を、いったいどのような言葉で紹介すればいいのだろうか。
 うまい言葉が見つからない。
 それほど、19世紀中期のロシアの大地が、いかに我々のイメージが及ばないような世界であったかということを、あらためて知る思いだった。
 
 
▼ アルヒープ・イヴァノヴィチ・クインジ 「虹」

 
 一目見て感じたのは、ロシアの大地を描いた風景画には、どれも得体のしれない “奥行き” があるということだ。
 「広大」とか、「雄大」という言葉でもっても言い尽くせない。
 そういう「水平的な広がり」とはまた別の、「奥行き」の深さに吸い込まれそうになるのだ。

 つまり、絵の “果て” が、地平線で終わっていない。
 地平線のその先に、さらに果てしない “何か” が続いている。
 
 
▼ イサーク・レヴィタン 「ウラジーミル街道」

 我々は、日本の風景のなかに「地平線」を見ることはできないが、アメリカ大陸や中国大陸、ヨーロッパ大陸の大地を絵画や写真あるいは映画を見ることによって、「地平線」というものを画像体験することができる。
 そして、それは、「地平線」という水平ラインで閉じられることによって、いちおう視覚的に完結する。

 だが、ロシア絵画に描かれる「地平線」は、けっして完結しない。
 絶えず、その奥にある世界を喚起してやまない。
 
 雪原の彼方にはシベリアの凍土が広がっており、やがては北極まで続く大地が伸びているように思える。
 
 
▼ フョードル・ワシリーエフ 「雪解け」

 白樺の森は、そのまま進んでいくと、いつしか熱帯雨林に紛れ込んでいきそうな気配がある。
 
 
▼ イヴァン・シーシキン 「カバの森の中の小川」

 
 常にここではない、どこか。
 それを暗示するのが、ロシアの風景画だ。
 そしてそれこそ、ロシアの大地が本来秘めている魔法の力なのだろう。

 おそらく、19世紀のナポレオンも、20世紀のヒトラーも、これにやられたに違いない。
 彼らの軍隊は、モスクワを目指して進軍しているうちに、大地がどこまでもどこまでも後退していく恐怖を味わったことだろう。
 
 
▼ イヴァン・シーシキン 「嵐の前」

 「後退していく地平線」は、限りなく「水平線」に近づく。
 いくら地平線を見渡せる大地に踏ん張ろうとも、彼方の風景がゆらいでいけば、自分の立っている足元も崩れていくことになる。

 それは、足元が海面に浸されていることと変らない。
 人間は海の上には立てない。
 今回の「ロシア至宝展」の目玉であるイヴァン・アイヴァゾフスキーの『第九の波涛』という絵画は、そのように見ることも可能だ。 
 
 
▼ イヴァン・アイヴァゾフスキー 「第九の波涛」

 絵画には、鑑賞者がそれまで見たこともないような光景を見せてくれる力がある。
 それは、テレビやCG映画の画像喚起力より数千倍まさる。
 なぜなら、そこには画家の頭脳に降臨した想像力のバイアスがかかるからだ。
 たぶんロシアの大地には、画家の想像力を引き出す特別の魔術があるのだろう。
  
  

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ペット連れキャンピングカー旅行

    
 「ペット」というと、まず犬か猫。
 その次が金魚、小鳥。
 ときどきウサギかブタ。
 
 最近はヘビ、トカゲという、“首がニュルッと回る系” も増えているようだけど、そういうのは逃げ出した時が大変そうに思える。
 飼っていたヘビが隣りの家に逃げ込んだとしても、まず、無事に返してもらえるかどうか。
 フトン叩きでめっちゃくちゃに叩かれ、哀れ、きしめん状になって帰ってきそうな気もする。

 ワニなんかお風呂場で飼おうものなら、飼い主はいつお風呂に入るのよ? って感じになるだろうし …。
 やっぱ無難なのは犬・猫のたぐい。
 ペットのキング格は「犬」で、「猫」がクィーン格という基本は揺るがない。


 
 で、キャンピングカーユーザーはけっこうペットが好きだ。
 旅行するときに、ペット連れで泊まれるホテルや旅館が少ないということで、キャンピングカーを購入する人もいる。
 
 ある高級輸入キャンピングカーを販売している店のスタッフは、こんなことを言った。
 「 “冬はペットが可哀想だから床暖房付きのキャンピングカーを買うわ” といったお客様がいらっしゃいました」

 床暖房付きのそのキャンピングカーは2千万円ぐらいする。
 うらやましいペットだ。
 そのペットがどんな動物かは聞き漏らしたが、温かい部屋を好む生き物となれば、ペンギン、シロクマのたぐいでなさそうだ。
 無難なところ、やっぱり犬か猫だろうな。

 で、犬とキャンピングカー旅行に行くと、いいことがいっぱいある。 
 犬連れ旅行だと、まず犬のために散歩に出る。
 犬に食事を与える。
 そんなことが旅のアクセントになって、旅にリズムが生まれるのだ。


 
 犬を散歩させるときも、
 「お、犬がやたらに草むらの匂いを気にしているな。野生動物の歩く道なのかな」
 といったように “犬目線” が加わるから、自然のいろいろなニュアンスにも敏感になる。
 
 そして、何よりも、人間と人間の「緩衝材」の役目を果たしてくれる。
 長旅をしていると、仲の良い夫婦といえども、ときどき二人の間に “ドロン” とした空気が漂うことがあるが、そんなとき、犬の話題に振ると、そのドロンとした空気が、パァーっと散っていくから不思議だ。
 
 犬というのは、実に察しのいい動物で、夫婦ゲンカが起こりそうになると、会話の流れで解るらしい。
 私が飼っていた犬も、夫婦の会話にとげとげしさが交じり始めると、人間の手足が及ばないくらいの距離まで、さぁっと移動していた。
 さらにお互いの会話が激昂してくると、もう視界のなかにいない。
 とばっちりを食うのを恐れて、毛布の下なんぞに避難するのだ。
 
 彼らには、人間の会話が全部分かっているのではないかと思えることがある。
 実際、「利口な犬は人間の2歳~3歳児ぐらいの知能を持つ」などとよく言われる。

 そうなると、この人手不足の世の中のことだから、犬を労働資源として活用しようという動きが出てくるかもしれない。
 すでに「介護犬」として訓練されている犬がいっぱいいるから、次に養成されるのは「買い物犬」だろう。
 高齢化社会が到来して、飼い主たちの体が思うように動かなくなってくると、日本全国のスーパーやコンビニは、「ネギ」「醤油」などというメモを首輪のところに挟み、買い物袋を首から垂らした犬たちで溢れかえると予想される。
 
 もっとも、専門家のなかには、注文主の頼んだ商品がそのまま家まで満足に届けられるかどうか疑問視する声もある。
 「トンカツ」「コロッケ」などを買って帰る犬たちのうち、はたして何頭が帰り道に味見したくなる誘惑を抑えられるだろうか。
 彼らの “克己心” との勝負となる。

 犬の労働力に期待する世の中になりそうだということで、犬と会話するためのいろいろな研究が進んでいるという。
 でもこれは止めた方がいい。
 犬がしゃべらないからこそ、人間が “犬の立場” に感情移入するわけで、それによって円満な状態が保たれている。
 もし、犬と人間が対等に会話するようになったら、各家庭で、夫婦ゲンカと同じぐらい、犬と飼い主のケンカが始まる。

 犬の主張は、以下にようなものになる可能性が高い。  
 「いつまでもオレに赤ちゃん言葉使うなよ」
 「トイレ用のシートは、1回ごとに変えてくれない? 不潔でしょうがない」
 「このエサなんだよぉ! 犬には賞味期限切れのエサを平気で与えるわけ?」
 
 厳しい世の中になると、ストレスが溜まっているのは人間ばかりとは限らない。
 犬だって、言いたいことはいっぱいあるだろう。
 だから犬にしゃべらせる前に、人間が、犬の気持ちを察してあげることが大事なのだ。
 
    
コント 愛犬詐欺

【夫】 大変だぁ! いま散歩に連れ出そうと思ったら、クッキーが玄関をすり抜けて外に飛び出してしまった。
【妻】 あら、早くつかまえないと。
 
【夫】 もう姿が見えないんだよ。
【妻】 家出かしら …
 
【夫】 お前が厳しく叱るからだよ。
【妻】 行き先は分かるかも … 。さっき原宿の竹下通りが出てくるテレビをじっと見ていたから。
 
【夫】 お年頃だもんなぁ。
【妻】 だけど、どうやって行く気かしら。電車など乗ったことがないのに。
 
【夫】 道々、匂いを嗅ぎながら行くんじゃないか。
【妻】 何日もかかるわよ。足が短いから。
 
【夫】 2~3日分のエサを風呂敷に包んで、背中にしょってけばいいのにな。
【妻】 可愛いわね。
 
【夫】 … とにかく探しにいかないと。
【妻】 暑いから、もう少し日が落ちてから。

【夫】 あれ、電話だ。どこからだろう?
 
【夫】 大変だぁ! クッキーが野犬狩りの人に捕まったらしい。
【妻】 うっそぉ。
【夫】 明日までに30万円振り込まないと、犬殺しの注射を打たれちゃうんだって。泣きながら、そう言っている。
【妻】 本人からの電話?
 
【夫】 そう。
【妻】 変ねぇ、いつ人間の言葉を覚えたのかしら。
  
 
 最後に、犬の年齢を数える方法を教えよう。
 小型犬の場合は、「犬年齢-1× 5+18」だという。
 たとえば、5歳の小型犬がいるとする。
 すると、「5-1× 5+18」となり、人間に換算すると、38歳ということになる。(ちなみに、大型犬の場合は、犬年齢-1× 6+18だという)
    
  
JRVAエッセイ 愛犬とのキャンピングカー旅行の思い出
(↓)
https://www.jrva.com/column/detail.php?column_cd=89
 
 

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オールマン・ブラザーズ・バンドの「ジェシカ」

 
 オールマン・ブラザーズ・バンド(写真下)の音を最初に聞いたのは、ラジオのFM放送だったが、あるいはFENだったか。
 放送局も番組名も忘れてしまったが、曲名だけははっきりしている。
 『ジェシカ』だ。

 1973年に発表された『ブラザーズ&シスターズ』のなかに収録された曲だが、私がそれを聞いたのは、1970年代の後半だった。
 当時、アメリカのバンドは嫌いだった。
 もともと、60年代から70年代初期にかけての自分の好みはビートルズ、クリーム、ブラインド・フェイス、レッド・ツェッペリンというブリティッシュ系ロックだった。

 その後は、R&B、SOUL MUSICという黒人音楽に興味が移り、ますますアメリカ白人のロックが嫌いになった。
 人種的偏見かもしれない。
 反知性主義的なアメリカの “白人文化” に対する名状しがたい嫌悪感があって、(それがいまだにトランプ大統領的な文化に対する嫌悪感として残っているが … )、まぁ、当時から、音楽においても、軽薄な白人文化の対極にある黒人音楽を偏愛するようになっていた。

 そういう自分の偏屈な好みを変えたのが、オールマン・ブラザーズ・バンドの『ジェシカ』である。 
 「あ、心地いい!」
 一回聞いただけで、思わずそう唸った。

 こういう躍動感を持った曲をそれまで聞いたことがなかった。
 自分が長い間肉体に蓄え込んできたのは、「ブルースの波動」であり、本家本元の黒人ブルースをはじめ、クリームやツェッペリンなどにおいても、ブルースに基本を置いたコード進行やリズム感が好みだった。

 『ジェシカ』という曲は、それをあっさりとくつがえした。

 なぜ、そういうことが起こったのか。
 この曲を聞いたとき、自分は自動車を所有するようになっていたのである。
 つまり、自動車の走行感覚にフィットする音楽というものを意識するようになっていたのだ。
  
 自動車を手にしたことは、新しい世界の扉を開いた。
 自分が大嫌いな音楽のなかに、ドライブミュージックとしては最適な曲があることを発見したからだ。
 その代表的な例が、ディープパープルの『ハイウェイスター』で、ラジオなどでこの曲が流れると、プチンとスイッチを切っていたが、カーラジオで聞く限り、これが妙に車の走行感とマッチすることを知った。
 
 ドゥビー・ブラザーズの『ロングトレイン・ラニング』なども好みの曲になった。
 あれは “トレイン(列車)” をテーマにした曲だが、やはり軽快なギターカッティングによる “疾走感” の表現が素晴らしいと思った。

 一方、テクノポップ系でも、“疾走感” を追求した音楽というものがあった。
 ドイツのクラフトワークである。
 彼らには『アウトバーン』(写真下)という曲があって、これはドイツのアウトバーンの走行感覚を無機的な電子音でなぞった音楽として一世を風靡した。 

 ハイウェイ
 トレイン
 アウトバーン

 自動車に乗るようになって、世の中には、モビリティーをテーマにした音楽というものがたくさんあることに気づいた。
 それらは、室内の固定した環境で聞いているかぎり何の感興もわかないことが多いが、「リスナーの肉体が音楽といっしょに水平移動するとき」に聞くと、がぜんそれまでとはうって変わって刺激的な音に生まれ変わる。

 しかし、オールマン・ブラザーズ・バンドの『ジェシカ』は、もう机の前に座って聞いただけで、自分が運転しているときの情景が浮かんだ。

 そのとき脳裏に浮かんだのは、アメリカ中西部あたりに広がる乾いた荒野だった。
 そして、そこを貫いて地平線まで伸びている一本道。
 「この曲を聞きながら、そんなところを走ってみたい !」
 そういう衝動を強く喚起する音だった。

 アルバム『ブラザーズ&シスターズ』に収録されている『ジェシカ』の演奏時間は7分28秒だ。
 
 アコースティックギターのカッティングに始まり、それにディッキー・ベッツ(写真下)の奏でる主旋律が重なっていく。
 ディッキー・ベッツのギターは、どことなくカントリーフレイバーが効いていて、いい意味で軽い。
 苦悩も内面的な深みもないかわりに、陽光のきらめきを感じさせるような、あっけらかんとした明るさがあって心地よい。
 これを聞いた後は、そういう「アメリカ白人の楽天主義もいいものだ」と思うようになった。

 『ジェシカ』では、このディッキー・ベッツのギターを引き立てるように、2台のドラムスとベースのリズム隊が、レシプロエンジンのピストン運動を想像させるような軽快なリズムを刻み続ける。

 聞きどころは 2分30秒を過ぎたあたりから始まるチャック・リーヴェルのピアノソロ。
 多少、えげつない表現を使えば、この個所から、ベッドの上で上下動する男女が、来たるべくエクスタシーを予感し、リズム隊と呼吸を合わせて、絶頂を迎えようと準備を始めた気配が伝わってくる。
 
 ピアノの音が、海面を跳ねるイルカのように踊り始めると、それに呼吸を合わせて、リズム隊が追う。
 いよいよそのときが迫る。
 チャック・リーヴェルのピアノソロからバトンを受けて、ディッキー・ベッツのギターソロが始まる瞬間が、そのときだ。
 リスナーの頭の中で “何か” が弾ける。

 そのとき、リスナーが口にするのは、
 「来た ! 来た !」という言葉だ。
 運転していると、もう本当にヤバイ。
 
 この『ジェシカ』は、リスナーに何を伝えようとしているのだろうか。
 本当によくできたドライブミュージックには「性交の快感」があるということを教えようとしているのだ。
 つまり、モビリティの本質が “エクスタシー” にあることを伝えようとしている。

 『ジェシカ』については、別のWEBサイトでより詳しく書いた。
 興味をお持ちの方は、そちらも開いてみてほしい。
 (↓) 
  「ドライブにふさわしい音楽のハナシ」 
 https://www.gogo-gaga.com/posts/5131079?categoryIds=1485906
  
  
▼ オールマン・ブラザーズ・バンド 『ジェシカ』

 
 

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「GoGo-GaGa!」というWEBメディアがすごい!

 
 自動車、オートバイ、自転車といったモビリティツールを “日常性” や “実用性” という視線から解放し、魔法のような光彩を放つ “異次元のビークル” として眺め直す。
 そういう試みが、若いライターを中心に始まっている。
 この秋に登場した『GoGo-GaGa!(ゴーゴーガーガー)』というWEBメディアが、それだ。
 
 自動車やオートバイというテクノロジーがこの世界に登場して130年。
 人類史上類例を見ないビッグパワーとハイスピードを実現したこれらのエンジン付きビークルは、それを乗りこなす人々にかつて経験したことのなかった興奮と酩酊感を教え、実用的な価値を超えて、あっという間に大人の趣味の主役に躍り出た。

 しかし、近年は、「若者の自動車離れ」などといった風評が蔓延するなかで、自動車もバイクも、少しずつ日常的な風景のなかに埋没するようになり、かつてのような「趣味のアイテム」としての輝きを失いつつあった。

 そんななかに登場した『GoGo-GaGa!』。
 このWEBサイトに採り上げられる情報には、自動車やオートバイがまぶしい光彩を放っていた時代のエッセンスが凝縮している。
 たとえていえば、幼児期の自分が、ある日街を行き交う自動車を見て、一気にその魅力にとりつかれてしまったときの感覚に近い。

 事実、この「GoGo-GaGa(ゴーゴーガーガー)!」というWEBサイトのタイトルは、主宰者である佐藤旅宇(さとう・りょう)氏の息子さんが、3歳のときにクルマの玩具で遊んでいたときの口癖だったという。

 クルマやオートバイといった乗り物が、人間に「自由に移動することの魅力」を伝えるアイテムだとしたら、それをもっとも直感的に把握できるのが幼児であり、佐藤氏流にいえば、「GoGo-GaGa!」というのは、人間がモビリティに対する興味を最初に感じたときの “叫び” ということになる。

 サイトの運営者である佐藤旅宇氏(40歳)は、オートバイ専門誌の『MOTONAVI』、自転車専門誌の『BICYCLE NAVI』の編集記者として活躍した後にフリーライターに転身。文学やアート、社会学的見地からも自動車や自転車を語れる全方位的な評論で注目を浴びている。
 また、テキスト制作だけではなく、カメラマンとしても、自動車やオートバイ、自転車の新しい魅力を引き出す画像表現が評価されている。

 この『GoGo-GaGa!』に、私も原稿を書かせてもらった。
 「クルマの自動運転化は人間に何をもたらすか」
 というタイトルで、将来AI テクノロジーに完全制御されるような自動車が誕生したとき、人間と車の関係はどうなっているのか? ということをテーマにしてみた。
 未熟な論考で、多少の恥ずかしさを伴う文章にしかならなかったが、佐藤氏の厚情により、素晴らしいレイアウトと美しい画像が施され、ビジュアル的には完成度の高いページになった。
 とても感謝している。
 『GoGo-GaGa!』の今後の展開が楽しみである。
 
  

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マイケル・ムーアが語る「民主主義」の危機

 
 トランプ大統領の記事を書いた夜、『華氏119』という映画を制作したマイケル・ムーア監督(写真下)のインタビュー番組をテレビで観た。
 テレビ朝日の『報道ステーション』で、同番組のメインキャスターである富川悠太アナが取材したものだった。

 インタビューのテーマは「トランプ政権の本質」について。

 マイケル・ムーアは、
 「トランプ政権の誕生によって、アメリカの民主主義はぎりぎりの崖っぷちに立たされている」
 と語り出した。

 彼は、トランプ大統領を「民主主義の敵」と見なした。
 つまり、トランプは、相手の立場を尊重するよりも、相手を威嚇することで自分に有利な状況を作り出そうとする政治家で、彼のおかげで、民主主義の基礎となる平等な討論の場がアメリカで失われつつあると嘆いた。

 そういうムーア氏の意見を聞いていて、ごくまっとうな見方であるとも思ったが、一方で、彼が依拠している「民主主義」なるものは、“崖っぷち” どころか、すでに世界から消滅し始めているような気もした。

 そもそも、地球規模で考えても、21世紀になった現在において「民主主義」が完全に機能した歴史を持った国は少ない。
 部族闘争に明け暮れ、軍事政権の圧政下で暮らすアフリカ地域の人々や、貧困や犯罪をなくす政策を政府が取れない中南米諸国には、今日われわれがイメージするような「民主主義」は最初からなかった。

 もちろん、宗教原理主義と独裁者が国を支配する中東諸国にも、欧米流の「民主主義」は定着しなかった。

 さらにいえば、世界一の人口を誇る中国においても、共産党の一党支配が続くかぎり、「民主主義」が根付くことはないだろう。

 朝鮮半島においても、しかり。
 北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」という国名は持っているが、「民主主義」なるものを国民が経験することは一度もなかったし、その南の韓国はどうかというと、あそこも国民の情緒的感性によって世論が形成される国だから、やはり合理的で冷静な民主主義というものが育たない。

 そうなると、本当の意味での「民主主義」を形成できたのは、欧米の一部の先進国と、日本だけということになる。
 そのなかでも、理論的な意味で、いちばん「民主主義政治」に近い国家運営を成し遂げたのは日本だけだといっていい。
 
 
 「民主主義」が機能するには、まず国民の合意形成の基礎となる「教育」レベルが、一定程度足並みをそろえていなければならない。
 つまり、国民の間に、政治課題を “民主主義的に” 解決するための理解力が備わっていなければならないのだ。

 そのときの理解力を保証するのが「教育レベル」の均質化である。
 一部のエリートだけが高い教育を授かっても、それは民主主義を成熟させる要素にはならない。
 中国のエリートたちがアメリカに留学して、いくら欧米流教育を学んでも、国家としての中国が民主主義国家にならないことからも、それが実証されている。

 教育レベルの均質化は、経済格差の少ないところでないと実現しない。
 それを成し遂げたのが、戦後の高度成長期に「一億総中流」という人類史上まれな “平等社会” を築き上げた日本だった。
 欧米の経済学者が、「日本は、ソ連や中国以上に平等な社会主義国家を生み出した」と、皮肉交じりに称賛するぐらい、この時期の日本は奇跡的な均等社会をつくり出した。

 しかし、こういう社会は、いま振り返れば、当時はずいぶん批判も受けた。

 高度成長期の日本人は、国民の資質が似通ったものになったため、「日本人のキャラクターは金太郎アメ的のように無個性で、誰もが盲目的に同じ価値観を信じている」と、同じ日本に住む進歩的なインテリたちからも、そのように揶揄された。

 しかし、そのときに、日本の「民主主義」は非常に高度なレベルにまで鍛え込まれていた。
 同時代の国民生活の安定性は、「経済的な発展」がもたらしたものと評価される傾向にあるが、そのような経済的な発展も、実は民主主義の安定性の上に成り立っていたということがいえる。

 日本人を含め裕福な民主主義国家は、事あるごとに、社会主義国や発展途上国の政治体制を「民主主義的ではない」と批判しがちであるが、そういう批判には見落としがある。

 どんな国においても、政治が成熟すれば自然に「民主主義」が根づくとは限らないからだ。
 「民主主義」というのは、(繰り返しになるが)、社会における経済格差や教育格差、文化格差など、さまざまな「格差」が広がってしまうと実現が難しくなる “脆弱” な政治制度でしかない。
 定着するよりも、消滅する可能性の方が高い。
 
 だから、意識的に守っていく必要がある。 
 もちろん、政治形態として「ベスト」なものではない。
 “衆愚政治” という言葉もあるくらいだから。
 ただ人類がいろいろ試してきた結果、それ以外の政治形態よりは “悪政” におちいる可能性が少ないというデータだけはそろっている。

 その「民主主義」が、トランプ政権のせいで機能不全になりかけている、とアメリカの映画監督マイケル・ムーアはいう。

 私は、日本の高度成長期のような、放っておいても「民主主義」が勝手に機能したような幸せな時代はもう来ないような気もするが、それがゆえに、これからの人類は、「民主主義」を機能させるために、政治や経済だけでなく、あらゆることに意識的に目を開いていかなければならないと思っている。
 
  

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トランプ大統領が招く “魑魅魍魎” の世界

  
 
支持者にとって、トランプはメシアだ
    
 世界中に魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するようになってきた。
 その中心にいるのが、アメリカのトランプ大統領である。

 もうじきそのトランプ政権が運営したこの2年を評価する「中間選挙」が行われる。
 マスコミ報道によると、下院においては、トランプに批判的な民主党勢力が巻き返しそうだといわれているが、上院・下院とも、共和党が致命的な大敗をこうむることはないだろう。

 なぜか。
 トランプ大統領は、もう「政治家」ではなく、その支持者たちにとっては「メシア」だからである。
 支持者たちは、彼に対し、救世主としてのカリスマ性を感じ、彼の言動や一挙手一投足に宗教的法悦を感じている。

 メシアが選挙に負けるわけがない。
 たとえ、一時的に政治的な敗北を被ったとしても、それは「メシア」が復活するための試練であって、逆に、より強力な存在として再び降臨するというメッセージとなる。

 トランプの教えの中核には、ハルマゲドン(破滅に至る世界最終戦争)の思想がある。
 つまり、今のアメリカが、「(世界と)ケンカできるような力」を取り戻さないと、世界制覇を目指す中国や、大国復活の狼煙をあげたロシアとの最終戦争に敗れ、世界史の舞台から消滅する可能性があるというのだ。
 だから彼は、ことあるごとに、「ハルマゲドンによるアメリカの危機」を政治集会で訴える。

 トランプ米大統領の掲げる「アメリカ・ファースト」というのも、自分の信者の囲い込みを目指したものだ。
 そのためには、彼は、「トランプ批判者」と「トランプ信者」の分断を鮮明にし、自分の批判者たちをエモーショナルな言葉で攻撃し、信者たちの狂信的な情熱を煽り立てた。

 いま彼が進めている「移民排斥」、「性差別の再強化」、「女性蔑視」、「イスラエル寄り中東政策」、「核兵器の再開発」、「銃規制への反対」などといった物騒な右翼的・保守的政策は、すべて支持者たちの胸に炎を注ぐ “宗教的” メッセージといっていい。
  
 
都市伝説的な陰謀説を信じる
トランプ支持者たちの登場

 
 トランプはいったいどのくらい “魑魅魍魎(ちみもうりょう)” の世界を引き寄せたのだろうか。
 それは、今トランプ支持者たちの間に「Q Anon(Qアノン)」 … 短縮して「Q」と名乗る支持者層が広がっていることからも分かる。

 「Q」というのは、世の中の政治や経済をすべて “陰謀説” で解説しようとする狂信的なグループである。
 彼らの主張によると、世界は「ディープステート(闇の国家)」という陰謀集団によって牛耳られており、オバマもクリントンもみなディープステートの手先だったという。

 この世に戦争や貧困が絶えないのも、そのディープステートに属する金持ちたちが自分の私腹を肥やそうとしているからであり、彼らによって地球は崩壊させられる寸前のところだったというわけだ。
 そして、このような危機からアメリカを救うために “降臨” したのが、「救世主トランプ」ということになる。
 
 
グローバリズムに対する「NO!」
 
 この「ディープステート」なる存在は、ある意味、トランプ登場前に世界中を巻き込んで進んでいた “グロバーリズム” の暗喩ともなっている。

 グローバリズムというのは、「資本主義は国境を超える」という思想に共振する経済システムで、文字通り、国家を超えた経済運動として世界中に浸透していた。

 トランプの「アメリカ・ファースト」(アメリカ第一主義)というのは、このグローバリズムに対する強烈なアンチテーゼになった。
 彼は、グローバリズムの恩恵を受けられるのは、「一部のエリート集団だけだ」と主張して、グローバル経済からとり残されていたプアホワイト層の支持を取り付けた。

 もともとトランプ支持者というのは、「反知性主義」を標榜することで知られている。
 「知性がない」という意味ではない。
 反知性主義とは、「知性を嫌悪する」思想 なのだ。

 彼ら “反知性主義者” は、「教養主義な会話」、「知性的な感性」をまき散らすエリート層に対する極端な反感を持っており、トランプの無教養なセンスこそが、彼らにとって、自分たちの反知性主義を代弁する者として映った。

 こういう反知性主義から生まれるのは、歪んだ都市伝説である。
 「ディープステート」という “悪の帝国” がひっそりと世界を牛耳っているという陰謀論も、そこから発生している。

 問題なのは、この「ディープステート」のような陰謀論が、今アメリカでは普通の教養を持った一般人にも広まっていることだ。
 現在、アメリカでは「知性」や「教養」よりも、「情熱」や「信仰」に比重を置く人たちが増えているという。

 その象徴的な例として、現在アメリカでは、ダーウィンの進化論を否定するキリスト教原理主義的な勢力が台頭していることを挙げてもいいだろう。
 
 
ダーウィンの説を批判する福音派
 
 その中心となるのは、プロテスタントの一派である「福音派」の信者たちで、彼らのなかには、自分たちの子供を学校に行かせない親もいるという。
 学校は、「人間は猿から進化した」などというダーウィンのインチキ思想を教えるところだから、そんなところに子供を行かせたら、子供に悪影響を及ぼすというわけだ。
 彼らにとって、人類の祖先はあくまでも神の創った「アダムとイブ」であり、それは科学などで冒すことできない永遠不滅の “真実” なのだ。

 こういう「福音派」といわれる人たちが、現在トランプの支持層の一翼をになっている。
 福音派はユダヤ教徒やユダヤ人勢力とは一線を画するが、宗教原理として、
 「エルサレムはキリスト教の聖地でなければならず、そのためには “聖地” エルサレムからイスラム教徒を追放しないといけない」
 という信念を持っている。

 トランプが、エルサレムにアメリカ大使館を移したりして、露骨にイスラエル寄りの政策を打ち出すのは、この福音派の支持を取り付けるためである。
 
 
トランプが読んだ本は生涯2冊
 
 トランプは、いったいどういう世界から来た人なのだろうか。
 彼は、歴代アメリカ大統領のなかでも、もっとも鮮明に「反知性主義」を標榜した大統領である、
 なにしろ、彼は(知性の象徴である)本を読まないことを自分の “誇り” としている。

 彼が生涯で読んだ本はたったの2冊。
 1冊は、自分が書いた(とされる)本(『トランプ自伝』)であり、もう1冊は『聖書』である。

 この “自慢話” は何を意味しているのだろうか。
 「人は本など読まなくたって、大統領になれる」
 ということを、彼は露骨に言いたいのだ。

 そしてそれが、読書とは無縁な生活を送ってきた貧しい白人労働者たちへのエールとなり、同じように『聖書』しか信じない福音派信者たちへのメッセージともなった。
 
 このような「知性に対する侮蔑」を煽るトランプの “反知性主義” は、人間同士に様々な不協和音を与えることになった。

 人々のケンカや罵り合いは、「知性」が届かないところから発生する。
 「知性」というのは、おのれにとっては「恥を知る心」を意味し、他者に対しては「お互いのことを知る力」を意味するのだから、それが欠けてしまえば、人々の間にはケンカといがみ合いしか残らない。

 そういう不毛な “分断社会” が、トランプ政権のもとのアメリカで生まれ、それが世界中に広まろうとしている。
 フィリピンやブラジルでは、トランプを範とする排外主義的なリーダーが続々と登場し、「移民排斥」などを高く掲げて、自国の利益だけを優先する政治方針を打ち出すようになった。

 一方、自国の門戸を移民や難民にも開放して、人種間の対立を融和しようとしていたドイツのメルケル政権は衰退し、彼女自身が党首を降りなければならなくなった。
 
 
グローバル経済が生んだ難民と移民
 
 世界の移民・難民はなぜ生まれてきたのか。
 それは、ここ20年ぐらいの間に、世界の経済格差が急激に広がったからである。(そのしわ寄せが中東や中南米に集中した)。

 それは、グローバル経済が、貧しい経済圏から富を収奪する形で進展していったからに他ならないが、今トランプは、グローバリズムを批判しつつも、そのグローバル経済によって富を得たアメリカ企業を、「自国経済優先主義」を掲げてさらに守ろうとしている。
 つまり、世界に新たな富の偏在をつくり出そうとしている。
 中国との貿易摩擦も、そういう観点で捉えなければいけない。

 世界はまさに弱肉競争が激化した19世紀末の帝国主義時代に戻ろうとしている。
 それは、怪しげな世界観が地球上を駆け回り、富の偏在と貧困が同時に発生する格差社会と戦争の時代に逆戻りすることを意味する。

 戦争は、合理的な世界観を持つ国家からは生まれない。
 「自国ファースト」という “麻薬” を使い、国民に怪しげな熱狂を焚きつけるリーダーのいる国から生まれてくる。
 その筆頭がトランプだが、プーチンも習近平も似たような傾向のリーダーだ。
 彼らはともに国民に「反知性主義」を焚きつける。

 世界は、トランプたちのおかげで、オウム真理教的な魑魅魍魎(ちみもうりょう)の影が色濃く覆う世の中になりつつあるといっていい。
 
 

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試食コーナーの暗闘

     
 世の中の “ヒマなジジイ” がやることはだいたい決まっている。

 定年退職して、1日中やることもなく、朝に女房から500円硬貨を渡されて、
 「それで今日一日外で遊んできて。お昼はそこから出すんですよ」
 とか言われて、家から追われるジジイたちの行動パターンはだいたい決まってくる。

 ファストフードの店に立ち寄り、コーヒー1杯で何時間もネバること。
 ホームセンターのガーデニングのコーナーに行き、買いもしないのに、鉢植えの花を眺めたり、花の種を調べたりすること。

 そして、デパ地下に行き、あっちこっちの食料品コーナーを回って、買いもしないのに試食品を食べあさること。

 こんな症状が一つでも表れたら、急性 “ヒマジイ” 症候群に罹患している可能性が高い。

 今日の俺なんか、まさにそれよ。
 カミさんから500円硬貨1枚渡されて、散歩しながらコンビニの肉まん食って、デパートにぶらりと入り、『諸国名店とうまいもの大会』という会場をめぐり、なんとたっぷり1時間、鯖の切れ身やら黒糖かりんとう、お好み焼き、たくあん、塩こんぶ、玉こんにゃくなどの試食品をあさりまくった。
 肉まん2個しっかり食べた後にだぜ !

 で、つくづく思った。
 「下流老人まっしぐらだな … 」
 って。
 あちこちの試食品コーナーを回り、がつがつ試食品を食べあさることへの羞恥心が消えてしまったら、それはもう “下流老人” の証拠なのだ。

 で、試食品コーナーを1時間も回っていれば、同じ店の前を何回も通る。
 店員たちからも顔を覚えられる。
 「ね、今度はうちの黒糖まんじゅうを食べてみて」
 とかいわれると、やはり立ち止まって、手を伸ばしてしまう。
 そのとき、ちょっとホッとする。

 …… もうこの店の試食品を3品ぐらい食ったけど、まだ嫌われていないな … とか思うと、心から安堵する。

 このへんの塩梅が難しい。
 もう1回だけ試食品に手を伸ばすと、今度こそ下流老人に見られるだろうな、とか、思うわけよ。
 そういう「食い意地」と「羞恥心」のせめぎ合いの中に身をおくスリルが快感でもある。
 
 今日は「食い意地」の方がまさった。
 今後、俺はどうなっていくのだろう。
  
  
 
  

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詐欺ハガキがやってきた !

 
 ついに来たぜ!
 「特殊詐欺」系の通知。

 郵便ポストに入っていたハガキには、
 「総合 消費料金未納分 訴訟 最終通知書」
 という見出しが付いていた。

 文面によると、私には、どこかの会社に支払わねばならない料金が “未納” になっていて、所定期日までに裁判所に出廷しないと、その会社の請求に従い、裁判所が私の財産の差し押さえに踏み切るという。

 なんじゃろう?
 と思いつつ、最後まで読むと、
 差出人の連絡先として、
 「民事訴訟管理センター」
 という法人名が記載され、
 「東京都千代田区霞が関3丁目1番7」
 という所在地の記載の下に、
 「消費者相談窓口 03-5962-0569」
 という電話番号と、それっぽい説得力を持たすためにか、
 「受付時間 9:00~18:00 (日・祝日を除く)」
 という但し書きがあった。
 
 特殊詐欺に関するあの手この手の情報は知っていたので、一読して “怪しい” と感じた。
 まず、私に訴訟を起こした会社の名前も住所も記載されていないばかりか、その訴状が何をめぐっていつ提出されたのかも記載されていない。
 
 そして、「貴方の未納されました …」という表現もおかしい。
 普通だったら、「未納」という言葉に敬語は使わないだろう。
 第一そんな “大事な(?)” はずの連絡を、なんかの拍子に誰でも閲覧できるようなハガキで送るなんてことはありえない。
 
 さらに、管理センターの所在地が「千代田区」なのに、ハガキを投函した場所は「板橋区」になっている。

 で、ネットで調べてみたら、
 「民事訴訟管理センター」という法人自体が実在しない架空の組織であることが分かった。

 ただ、ハガキを受け取った人のなかには、そういうことを調べる前に、文面に記載された電話番号にあわてて電話をしてしまう人もいるだろう。

 相手の思うツボである。

 電話が通じたところで、相手は “もっともらしいこと” をしゃべりながら、巧みに個人情報を聞き出し、カネなどを盗み出す算段をつけていくのだろう。

 この詐欺手口をネットに挙げた人たちの大半の意見は、
 「無視するのが賢明」
 というものであった。

 そりゃそうだよな。
 何に対する請求なのか、それすらも明らかにしない訴訟に付き合っているほど、こっちもヒマじゃないからな。

 しかし、ハガキだったから冷静に対応できたけれど、電話で “もっともらしい声” をした人間が “もっともらしい” ことをしゃべってきたら、案外コロリと騙されたかもしれない。
 
 

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BLAZE SMART EV

 
 この土曜日(10月20日)から東京のお台場(江東区・青海1丁目)で開かれている「お台場キャンピングカーフェア2018」にて、米国モーターホーム&トレーラーを専門に扱う(株)ボナンザが、面白いビークルを持ってきた。
 「BLAZE SMART EV(ブレイズ スマートEV)」というもの(写真下)

 

 これは一種の電動バイク。
 車重わずか18kg。
 大きさは全長1200mm・高さ950mmだが、折りたたんでしまうと、全長600mmに縮まるので、キャンピングカーのラゲッジスペースにも簡単に収納できる。 
 それでいて、最高速30km/hを発揮する高出力モーターを内蔵。トルクも十分で坂道もパワフルに登りきる。
 充電は家庭用コンセントをつないで3.5時間。
 一回の充電で約30km走行できるという。
 

 キャンピングカーでいろいろ旅していると、どうしても小型自転車などがあると便利だと思うことが多い。
 しかし、この電動バイクがあれば、駐車した車両から離れた売店などに行くときも実に楽チン。
 キャンプ場などなら、電気の容量が足りないと思えたときは、電源サイトで充電しておけば大丈夫。
 ガソリンやオイルを必要としないので、車内に収納しておいても、ガソリンやオイル漏れの心配がない。

 扱いは “原動機付き自転車” に分類されるため、公道を走るときは、原動機付自転車免許または普通自動車免許が必要。またヘルメットの着用も義務付けられる。

 前後ディスクブレーキ、LEDヘッドライト、Bluetoothスピーカー、クルーズコントロール、USBポートなども装備され、価格は128,000円+消費税。登録費用などを含めると、トータルで18万円程度。

 カラーはブラック、ホワイト、レッド、グリーンの4色を用意が用意されている。

 販売は、株式会社ブレイズ(名古屋市中川区富田町千音寺狭間4603)
 東京地区代理店は、株式会社ボナンザ(〒208-0021 東京都武蔵村山市三ツ藤3-12-1 TEL:042-520-2280 http://www.bonanza.co.jp/
 
 

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あっさり醤油味のラーメンが好き

 
 テレビで安定した視聴率を稼げるのは、スズメバチ駆除の話と、人気ラーメン店の紹介だという話を聞いたことがある。
 つまり、画面にハチかラーメンが映っていれば、「どの番組が面白そうかな … 」とザッピングしていた人の手が止まるということだろう。

 ハチは、まぁいいとして、ラーメンが画面に登場すると、私もついついテレビを見入ってしまうタイプである。
 つまり、ラーメンという食べ物は、映像を見るだけで、それを口に運んだときの汁の濃淡や辛さ、麺の食感、具材の味わいなどを想像しやすい食物になっているということなのだ。
 要は、カレー、ハンバーグ、寿司などという人気食をさらに陵駕するほどの頻度で食べられている “国民食” なのである。

 で、私の好きなラーメンは、あっさり醤油仕立ての “東京ラーメン” 。
 若い頃は、九州系の濃厚な豚骨味とか、北海道のこってり味噌味などを好んで食っていたけれど、齢(よわい)60歳を超えたあたりから、さっぱりした醤油ベースのラーメンじゃないと食べる気がしなくなった。

 年とって、胃が脂っぽいものを受け付けなくなったというわけではない。
 いまだにトンカツはロースだし、ハンバーグなんかも、バターの切れっぱしを上に載せて食べている。ハムサンドなどは、「これでもかぁ !」というほどマヨネーズでまぶす。

 だが、ラーメンに限っていえば、あっさり醤油の “東京ラーメン” のうまさがようやく理解できるようになった。

 で、下のラーメンは、吉祥寺南口(東京武蔵野市)にある「おおむら」のラーメン(650円)。

 井の頭公園に向かう改札口の階段を降りて10秒。
 駅の真正面にある店だ。

 なんと、私はここに50年近く通っている。
 店舗は1回だけニューアルされたものの、味は昔のままだ。

 麺は潅水がほどよく効いた中程度の太さの縮れ麺。(最近はうどんみたいな太麺を食べさせるラーメン屋も増えたが、私はそういう麺をうまいとは思わない)

 具材は、チャーシュー1枚、メンマ少々、ナルト1切れ、海苔1枚、ネギ少々という、まぁ東京ラーメンの定番ともいえるシンプルさが特徴。
 「もう少しメンマが多いといいなあ … 」 
 とか、
 「海苔をもう1枚 … 」
 などと思うこともあるのだけれど、トッピングの選択肢はなし。
 しかし、食べ終わる頃には、各具材の量が計算されたちょうどよいものであることが分かる。

 で、ここのメニューのもう一つの看板が、チャーハン(800円)なのである。
 この味も絶妙。
 米が一粒ずつふっくらと立ち上がっている感じで、口に入れたときの玉子のまろやかさと、塩味の配分と、脂の乗り方がもう芸術品の域に達している。
 肉片として、刻んだチャーシューが入る。
 これがまたうまい。

 悩むのは、ラーメンもしっかり食いたい、… けどチャーハンも食いたいと二択に迫られたとき。

 
 
 そんなお客のために、ここでは「ラーメン+半チャーハン」(950円)というセットが用意されている。
 店内で見ていると、実際にこのオーダーがいちばん多く通っている。
 誰もがこの店のうまいものをよく知っているのだ。

 もうひとつお薦めは、やきそば。
 これもハマる。
 味が単純なソース味ではない。
 醤油をベースにして、ラードやごま油などで味を調えている。
 この味の作り方も神技だ。
 
 基本的に、チャーハンややきそばは、夕方5時半から入店する店長のつくったものがうまい。
 私は、この店長がまだ子供だった時代に、店の手伝いをしていたときから見ているが、店をずっと守ってきた姿勢は立派だと思っている。

 で、餃子も悪くない。
 ただ、白いご飯と合う味なので、チャーハンをオーダーしてしまうと、お互いの味が相殺されてしまい、すごくもったいないことになる。
 むしろ、ラーメン+餃子の方が相性がいい。
 しかし、そうなるとトータルの金額が1050円になってしまい、「ラーメン+半チャーハン」のセット料金より高くなる。
 ここが悩むところだ。
 
…………………………………………………………………………

 下は、東京・三鷹駅南口から歩いて2分程度のところに店を構えている「みたか」というラーメン屋である。
 ここにもときどき顔を出す。
 雑居ビルの地下にある店だが、そこに降りる階段に、いつも常連客が列をなしている。

 この店に通うようになって、やはり40~50年は経つ。
 店の名前は、以前は「江ぐち」といった。
 オーナーが変わったが、味は先代の味をそのまま踏襲している。
 というのも、先代が「江ぐち」を閉めるとき、それを惜しんだ常連客の一人がその味をなんとか世に残したいということで、修行に励み、店を引き継いだからだ。

 この店のラーメンも、あっさりした醤油ベースの “東京ラーメン” 。
 麺は多少太めで、どちらかというと和風味。だから醤油ベースのスープとの相性はいい。
 ここはトッピングの自由度が高くて、チャーシュー、メンマ、もやし、玉子などを別オーダーできる。
 ただし、この店にはラーメン以外のメニューはない。

 私が頼むのは、メンマを増量したチャーシューメン(写真上)。
 「江ぐち」の時代から、常連客はこれを「竹の子チャーシュー」と呼んだ。
 だから、私もそうオーダーする。
 で、「メンマ入りのチャーシューメンね」とか頼んでいる客を見ると、心のなかで「お前はまだ新参者だな」とバカにすることにしている。もちろん顔には出さない。

 ここのチャーシューは好きである。
 脂身が多いのだが、それがうまいのだ。

 ただ、チャーシューをかじりながら、麺をすするときの配分が難しい。
 なにしろ、ここのチャーシューメンを頼むと、もうドンブリの中に麺が入っていることが分からないほど、表面が大量のチューシューで覆われる。
 だから、普通のラーメン屋で出されるチャーシューメンの配分で食っていくと、後半になって、チャーシューだけが大量に残ってしまうことになる。

 だから、多少「贅沢だな」と思いつつ、麺と一緒に大量のチャーシューを一気に口に入れてしまった方がいいのだ。
 そうすると、スープを飲みほす後半戦になって、麺とチャーシューが同じ配分で減っていくことが確認できて気持ちがいい。
 
 東京の吉祥寺駅・三鷹駅近くに住んでいらっしゃる方で、まだこの2店に足を運んだことがない人がいらっしゃったら、一度お試しあれ。
 
 

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釣りとは「魚」と「人間」の知恵比べ

 
畑中一夫氏(神奈川県・フレンドリー代表)に聞く
 
 
 「私にとって、釣りは趣味ではなく、生活でした」
 と語るのは、神奈川県・相模原市でキャンピングカーショップ「フレンドリー」を運営している畑中一夫さん(元日産ピーズフィールドクラフト社長)。
 実家が青森県・下北半島の漁師だったため、子供の頃から津軽海峡のイカを釣って、家の生計を助けていたという。

 実家からほど近いところに、マグロ漁で有名な大間町がある。そのため生活環境そのものが「釣り文化」を色濃く反映した土地柄だった。
 東京に出て、今の仕事に携わるようになって、ようやく釣りが「生活」ではなく、「趣味」になった。

 下北半島の実家は海にも近かったが、山にも近かったため、渓流釣りにも親しんだ。
 しかし、渓流釣りの面白さをほんとうに知ったのは、キャンピングカーの仕事を始めるようになって、お客さんを通じて釣りのプロある岩井渓一郎氏を紹介してもらってから。フライフィッシュに使う毛ばりの作り方などを直伝で指導を受けた。

 「でも川の魚より、やっぱり海の魚の方がおいしいですね」
 と畑中さんは語る。川魚は味が繊細だが淡白。イワナもヤマメも似たような味になる。
 それに比べ、海の魚はみな個性があって、刺身でもよし、煮てもよし、焼いてもよし。いろいろな食べ方が楽しめる。つまり、「釣る楽しみ」と「料理する楽しみ」の両方が味わえるという。

 最近は乗り合いの釣り船を利用して、沖に出るようになった。
 面白いのはカツオを釣るとき。相手がでかいから、かけひきも必要になる。30~40分ぐらいの魚とのやりとりを交わすことも。ヘミングウェイの『老人と海』の心境だという。カツオでいちばん大きかったのは4.4kg。すぐに叩きにして新鮮なうちに食べた。

 釣りのだいご味というのは、けっきょく「魚と人間のかけひき」に勝つことだそうだ。
 「魚もバカじゃない。知恵比べですよ」
 と畑中さんは笑う。
 その知恵比べに勝つために、釣る魚に応じて異なる竿やリールを用意し、エサの種類も変える。天候や潮の流れ、海水の温度も読まなければならない。経験を積めば積むほど “奥の深さ” がわかってくる。

 そういう畑中さんの釣りの “サポーター” になってくれるのがキャンピングカーだ。
 現在の愛車はドイツのヨットメーカー「デヘラー」が製作していたVW-T4ベースのバンコンバージョン。

 「室内が船のようなデザインになっていて、まさに釣りを楽しむにはぴったりです」と、畑中さんはその車にぞっこん。
 前日の晩に家を出て、釣り船の港までたどり着く。車内で一杯やって、仮眠。そして早朝5時~6時ぐらいの船に乗る。

 「仕事などでイライラしたときは、すぐ釣りで解消します。家でイライラしている様子を見せると、女房が “早く釣りに行ったら” と追い出してくれる。この趣味があったから、今日まで生きてこれたのかもしれません(笑)」
 と畑中さんは結んだ。
 
 
Campingcar Pro Shop FRIENDLY
神奈川県相模原市南区当麻2340
TEL:042-711-9048
営業時間:10:00~19:00
定休日:火曜日(イベント出展等で臨時休業あり)
 
 

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インド映画『バーフバリ』が面白かった

  
 インド映画というものを、はじめて観た。
 なんともいえない不思議な感興を覚えた。
 映画名は『バーフバリ』。

 2015年に制作された歴史ドラマの意匠をまとったファンタジーで、ハリウッド作品の系列でいえば、『コナン・ザ・グレート』(1982年)、『プリンス・オブ・ペルシャ』(2010年)、『ザ・ヘラクレス』(2014年)、『キング・オブ・エジプト』(2016年といったヒロイック・ファンタジーの部類に入る。
 
 つまり、古代史に題材を取った話のようでいて、いつの時代なのかはまったく不明。主人公も実在しない。
 ただし、史実の制約を受けないために、破天荒で荒唐無稽な設定が可能となり、CGが発達した現代映画に最も適した題材となる。

 で、このインド映画の『バーフバリ』。
 ストーリーはシンプル。
 古代インドの架空の王国で、善と悪を代表する2人の王子が王位継承戦を戦い、悪の王子がいったんは王国を手中にするも、善の王子が親子二代で王位を奪還。最後は架空の王朝に平和と繁栄をもたらすという話だ。

 設定は単純だが、高度なデザインワークを施されたCG画面には、それまでのハリウッド製ファンタジーにはなかった独特の世界観が横溢し、まさに欧米文化とは異なる進化系を歩んだ、“インド文化” の巨木を仰ぎ見るような気分になる。

 本国インドでは歴代興行収入NO.1を樹立し、海外でも高い評価を受け、2015年に第63回ナショナル・フィルム・アワードの最優秀作品賞、最優秀視覚効果賞を受賞したという。
 あまりの評判に、2017年には、2作目として『バーフバリ 王の凱旋』が公開され、インド映画界では、1作目を上回るほどの空前の大ヒットとなった。

 日本においては、最初は小規模な上映で短期間に終わるはずであったが、観客たちがSNS上で大絶賛するうちに、口コミの評判が拡大。上映館も増え続け、ロングランとなった。

 … というエピソードだけは耳にしていたので、BSテレビのWOWOWで1作目と1作目が続けて放映されたとき、ハードディスクに録画して観た。
 かなりの衝撃を受けたので、それぞれ2度ずつ観た。
 2作目の『王の凱旋』などは、3度観た。

 何が面白かったのか。
 ストーリー展開も特撮のギミックも、我々がさんざん見尽したハリウッド製ファンタジーとほとんど変わらない。にもかかわらず、ここには200年程度の歴史しか持たないハリウッド映画には表現することのできないインド文化3,000年の世界観が凝縮している。

 “インド文化の世界観” とは何か?
 それは、「世界には歴史がない」という圧倒的な主張である。
 
 「歴史」というのは、キリスト教的世界観に代表されるように、人類史を直線で捉えたときに浮かび上がってくる概念である。
 つまり、キリスト教の世界観では、神が天地と人間をつくってから「最後の審判」に至るまでの直線的時間概念が「歴史」となる。

 それに対し、インド人の世界観は「円環構造」をなしている。
 いわゆる「輪廻転生」。
 この世には、始まりも終わりもなく、世界は永遠に続くかと思えるほど巨大な輪を描いて回っている。
 新しく生まれた人も文化も、ぐるりと回ってもとに戻り、再び始原の光彩と破滅の闇に呑み込まれていく。

 つまり、『バーフバリ』というインド映画は、欧米人がなじんできたキリスト教の直線的歴史観の否定から生まれている。

 実は、この映画に関しては、「いつの時代のいつの話なのか分からない」ことこそが、話のリアリティーを保証しているのだ。
 つまり、この架空の王朝と架空のヒーローは、何万年・何億年も同じことが繰り返されるインド的世界観そのものを表現しているといってよい。

 事実、この映画で語られる「王の凱旋」というのは、いったん “死んでしまった” 主人公が凱旋する話である。
 つまり、殺されたヒーローの息子が新しいヒーローとなって、“凱旋” するわけだ。
 同じ役者が演じるのだから、親も息子もまったく等身大の同一人物として描かれることになるが、それは「輪廻転生」を果たした人間のストーリーとして、ごくごく自然に進んでいく。
 
 さらにいえば、ここには、欧米映画のようなリアリズムがない。
 あらゆるものが様式化されている。

 戦闘シーンも、歌舞伎の殺陣(たて)を思わせるごとく様式化されているし、恋が進展していくさまも様式美に貫かれている。
 登場人物のセリフも表情の作り方も、日本の歌舞伎や中国の京劇のように様式化が目立つ。

 だが、不思議なことに、それこそが、“インド的人間描写” だと思わせるような説得力があるのだ。
 そこには、「歴史」を欠いたものは、すべて様式化されるという不文律が貫かれている。

 

 「歴史意識」は、リアリズムから生まれる。
 「何が正しい現実なのか?」という洞察力の支えがなければ歴史意識は育たない。
 しかし、「歴史」を必要としないインド的世界観においては、人間もまた様式化された存在に過ぎない。
 インド映画に「歌とダンス」が多いのは、それこそが、様式化された人間を最も美しく見せるからだ。
 

 
 
 インド人は、数字表記の「0(ゼロ)」という記号を発見した民族として知られている。
 しかし、「ゼロ」の発見は、単なる数字表記の問題として片づけられない。
 それは、彼らの哲学そのものを語っている。
 
 すなわち、「ゼロ」とは、どんなに実証的な価値を積み上げても、それがそのまま文化的資産とはならず、最後はすべてが始原の「無」に戻るという、彼らの円環的な世界観そのものを象徴している。

 現在、アメリカのシリコンバレーなどで、インド系の研究者が独特のIT 学を打ち出すことができるのは、こういう発想がベースにあるからではないか。
 つまり、常に「ゼロ」と「1」しかない2進法によるデジタル的演算は、全世界を「オール or ナッシング」として捉えるインド的世界観と親和性が高いからだ。

 「ゼロ」の思想は、インド宗教においては「シヴァ神」として描かれる。
 シヴァ神は、ヒンドゥー教においては、「創造」と「破壊」を司る神として位置づけられているが、「創造」と「破壊」こそ、まさに「ゼロ」の思想に他ならない。
 ゼロは、すべての物事の “はじまり” であり、同時に “終焉” であるからだ。
 それは、そのまま世界が円環構造をなしていることを表現している。


▲ シヴァ神

 
 こういう直線的な「歴史」を否定する文化が形成されると、その文化圏における人類の歩みは、自然に「神話」に接近していかざるをえない。
 インド神話では、常に神々の戦いがテーマとなるが、そこに参戦する神々の勢力は常に何千万、何千億という膨大な数にのぼる。
 そして、その戦いは、けっして決着することなく、未来永劫繰り返される。


 同じように、人間同士の戦いの記述も、一つの戦いで何千億人動員されたか分からないような荒唐無稽な記録しか残らない。
 そしてそれは、いつの時代に始まったことなのか、正確な記述で裏付けられることはない。

 こういう歴史感覚は珍しい。
 ヨーロッパ人も中国人も、歴史記述の客観性を重視した。
 しかし、インド人は客観性よりも「物語の壮大さ」を好んだ。
 すなわち、神々の「栄光」と「怒り」と、人類の「理想」と「狂気」を劇的に語ることの方に重きを置いた。

 この “歴史レス” の感覚も、『バーフバリ』のようなインド的ファンタジー映画に、逆に奇妙なリアリティーを与えている。
 つまり、バカバカしいほど荒唐無稽であるがゆえに、そこにインド的世界観の重みがノシッと降りかかってくるような気がしてしまうのだ。

 この映画の映像にも音楽にも、ハリウッド製ファンタジーからは得られないエキゾチシズムが漂っている。
 なにしろ、象の描き方がうまい。
 何千年もかけて、使役や戦いに象を飼いならしてきた民族ならではの映像が生まれている。

 音楽も、土俗的な香りと現代ロックの最先端が融合するようなサウンドで魅せられる。
 インド映画が持っている世界は豊穣だ。
    
 

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読書という荒野

 
 見城徹(けんじょう・とおる)著『読書という荒野』。

 真夏の炎天下を思わせるような、熱い本だった。
 すべて直球勝負。
 それも、うなりとともに人の胸元をえぐってくる剛速球である。

 本を開くと、最初に「はじめに」という文章が出てくる。
 その章には次のようなタイトルが掲げられている。

 「読書とは、『何が書かれているか』ではなく、『自分がどう感じるか』だ」
 
 う~ん !
 あまりにもまっとうな正論に、ぐうの音も出ない。
 さらにページをめくっていくと、ページが発熱して燃え上がりそうな小見出しが次々と登場する。
 
 「世界の矛盾や不正や差別に怒れ」
 「正しいと思うことを言えなくなったら終わり」
 「自己嫌悪と自己否定が仕事への原動力となる」
 「絶望し切って死ぬために今を熱狂して生きろ」

 タイトルというより、アジテーションに近い。
 1960年代末期に、日本の各大学で学生運動が巻き起こった。デモ隊が集結した広場で、左翼革命を目指した活動家のリーダーが、みなこういう口調で演説していた。
 現にこの本には、「左翼に傾倒しなかった人はもろい」というタイトルを持った章もある。


 
 見城徹氏。
 幻冬舎社長。
 1950年生まれ。
 今年(2018年)で68歳。

 高校時代から学生運動に身を投じ、慶応大学に入学してからはさらにその活動に拍車がかかり、「革命によって世の中の矛盾や差別を正さなければならない」と本気で信じていたという。

 この見城氏と私は、まったく同年代である。
 私もまた、1950年生まれ。
 1960年代末期には、彼と同じように学生運動の周辺を逍遥していた。

 だから、似たような体験も重ね、似たような読書経験も持っている。
 しかし、この本を読み終わったとき、若い頃の話においては、私と見城氏が精神的に重なっているところはほとんどないと感じた。
 私は見城氏が胸に秘めた “燃える闘魂” とは無縁な青春を送っていたからだ。

 彼が世の中の差別に憤りを感じ、弱者に対して理不尽な圧力をかけてくる社会に闘争を挑もうとした頃、私はナンパに精を出して、ディスコに通い、マージャンにうつつを抜かしていた。
 ときどき学生運動のデモ隊に加わったが、政治集会が終わったあとは、敵対するはずのセクトの学生と一緒に酒を飲み、そいつらのアパートでギターを弾いてフォークソングを歌った。

 見城氏が、吉本隆明の詩篇(『転位のための十篇』)に触れ、その切ない思想の切れ味に涙していた頃、私は吉行淳之介の恋愛小説を読みあさり、ナンパするための女心の研究に余念がなかった。

 あの時代に読書体験を持ったインテリ学生が傾倒した高橋和巳の著作に対しても、見城氏は「夢中でのめり込んだ」と述懐するが、私は『憂鬱なる党派』一冊を読んだだけで胸焼けを起こした。

 もちろん、それ以外の読書体験としては重なっている部分も多い。
 この本で見城氏が触れているヘミングウェイ、夏目漱石、小田実、沢木耕太郎、吉本隆明、五木寛之、石原慎太郎、村上龍、村上春樹、山田詠美、宮本輝、北方健三、高村薫、三島由紀夫などという作家たちの著作は、(代表作だけかもしれないが)私もまた目を通している。

 ただ、どうしても微妙なズレを感じた。
 好きな作家として共通する名が挙がっても、そこで論評される個々の作品は必ずしも同じではないのだ。
 もちろん、私が深いところまで読み込めてないものが大半なのだが、それでも見城氏が個々に挙げた作品のなかには、「えっ? この作品のどこが素晴らしいの?」と首をかしげるようなものも混ざっている。

 全体的な読書傾向としていちばん感じたのは、歴史書、美術書のたぐいを見城氏がほとんど話題にしなかったことだ。
 私なら、塩野七生、司馬遼太郎といった2大エンターティナーがまず筆頭に挙がってくるところだが、見城氏はそのへんをスルーしてしまう。
 その2人は、氏にとっては、すでに大衆的評価の定まった “大御所” という位置づけなのだろう。つまりは、編集者としての食指が動かなかった人たちなのかもしれない。

 また、角川書店に勤めたこともあるというのに、片岡義男に対して冷淡なのも少し気になる。村上春樹を称えるならば、春樹と片岡義男の違いは何なのか? というところまで踏み込んでもよかったと思う。
 
 自慢ではないが、私は当時フィレンツェにいた塩野七生氏に手紙を書き、東京にこられたときにインタビューすることができた。
 また、片岡義男氏には電話で原稿を申し込み、当時私が携わってきた冊子に原稿をもらうことができた。
 だから、これらの著者たちには、私は今でも熱い思いを抱いている。 
 
 
 閑話休題。
 『読書という荒野』に戻る。

 見城氏の読書というのは、一言でいうと「格闘」である。
 「本」という名の “リング” に登り、著者と血のにじむような闘争を繰り広げる。
 著者に対する畏敬の念も、共感も、すべて格闘を通じて獲得される。

 それは確かに素晴らしいことだ。
 はっきりした対決姿勢で臨まないかぎり、ほんとうの意味で、著者への共感も生まれない。
 読書における「共感」とは、著者との “刺し違い” の別名でもあるからだ。

 しかし、著者と刺し違えるということは、(自分も成長して大きくなることも意味するが)基本的には、リングの上に自分と等身大の相手を見つけることにすぎない。
 
 もともと「理解する」ということは、対象を自分の “身の丈(たけ)” のサイズに縮めて手に入れることである。
 人間は、身の丈よりも大きなものは理解できない。
 だから、この本では、すさまじい格闘の末に、見城氏が著者の思想を理解するに至った顛末は述べられるけれど、見城氏の理解を超えたものに関しては、その気配すら描かれない。

 余談だが、若い頃に吉本隆明に染まった人は、往々にしてそういう傾向が強い。
 吉本隆明という思想家は、自分の理解できないものに対して真正面から闘争を挑み、誰の手助けも借りず、ついにはそれを乗り越えて新しい地平を切り開いていった人だが、それだけに、彼には “歯が立たない” ものへの畏敬の念が薄い。

 つまりは、「己を信じる気持ち」が普通の人の何倍も強いのだ。
 困難な状況を乗り越えてきたという自負が、自分を超える力の存在を過少評価してしまうのだろう。
 
 生意気な結論を一言だけいうならば、見城氏のこの読書論にも、自分の理解を超えるものへの “おののき(畏れ)” がない。
 

 それでも、この見城氏の著作からはいろいろなものが見えてきた。
 印象に残ったくだりは、村上龍と見城氏の交遊録。
 2人で、伊豆の川奈ホテルに投宿し、昼間の時間はテニスだけに費やし、夜はひたすら贅沢な食事を繰り返して、酒類を痛飲したという。

 そういう非生産的な行為の繰り返しに価値を置く見城氏のスタンスは、それなりにカッコいい。
 シャンパンの泡にも似た軽さと、贅沢さと、アンニュイと、メランコリー。
 そういう宿泊体験の蓄積が、村上龍の『テニスボーイの憂鬱』という小説に結実した。

 実は、この小説は村上龍の作品のなかでも、私がもっとも好きなものの一つである。
 一度だけ、西新宿の高層ホテルのスイートルームで村上龍に取材したことがあったが、彼がインタビューする私に興味を抱いてくれたのは、私が『テニスボーイの憂鬱』の感想を口にしてからであった。

 「ほんとうによく読んでくださってますね」
 村上龍は、ようやく眠気が吹っ飛んだという目で、私を見つめ直してくれた。

 
 最後に、なぜこの『読書という荒野』という本を買う気になったのかということを記す。
 ずばり、タイトルに惹かれたからだ。
 
 「荒野」という言葉は、無類に私の想像力を刺激する。
 この言葉には、ルーティン化した日常生活から脱し、身の危険すら覚悟して、いまだ足を踏み入れたことのない地平を目指せというメッセージが込められている。

 このタイトルだけで、もう販売部数の7割方は確保できたのではなかろうか。
 それだけ、イマジネイティブな書籍名だといっていい。

 見城氏は編集者だけあって、本のなかに使うキャッチ類(章タイトル)がとてもうまい。
 「極端になれ! ミドルは何も生み出さない」
 「旅に出て外部にさらされ、恋に堕ちて他者を知る」
 「死の瞬間にしか人生の答は出ない」

 文章のなかに隠れている次のような “啖呵” もカッコいい。
 
 「『夢』『希望』『理想』『情熱』などについて熱っぽく語る人間は嫌いだ。これほど安直な言葉はない。夢や希望を語るのは簡単だ。しかしそれを語り始めたら自分が薄っぺらになる」
 同感である。

 “旅” に関しては、こんな記述もある。

 「旅の本質は、『貨幣と言語が通用しない場所に行くこと』だ」

 つまり、貨幣と言語というのは、それまで生きてきた自分が無意識のうちに手に入れた、“使い慣れた武器” である。
 その武器が使えない場所にあえて身を置いてみろ、と彼はいう。

 もちろん、「貨幣」も「言語」も比喩である。
 要は、自分がもっとも使い慣れた “武器” を捨てなければならない場所に立て、といっているだけだ。
 具体的にサハラ砂漠やアマゾンの奥地を指しているわけではない。

 見城氏は、そういう場所に立つことを、自分を守ってくれる環境の『外部』に身をさらすことだと語る。
 その “外部” こそが、すなわち “荒野” である、と見城氏はいいたいのだろう。

 編集者というのは、けっきょく “アジテーター” なのだ。
 私もまた見城氏のアジテーションに魅せられた人間の1人である。
 
  

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オートキャンプ白書2018

  
 

 
 
 7月11日(水曜日)、一般社団法人日本オートキャンプ協会(JAC)が発行する「2018年版オートキャンプ白書」の発表会が行われた。

 それによると、ここ数年キャンプ場の集客効果を高めていた秋の大型連休だが、昨年(2017年)だけは天候に恵まれず、かなり客足が落ちたという。
 
 しかし、それにもかかわらず、年間を通したオートキャンプ参加人口は昨年よりもさらに10万人増えて840万人(1.2%増)にのぼり、5年連続で前年を上回った。

 その理由は、「ウィンター(冬)キャンプ」が伸びたことによる。
 これまで、冬は防寒に弱いテントキャンプには不向きな季節といわれていた。
 しかし、近年はテントそのものの質も向上し、さらに冬を快適に過ごすグッズ類も充実してきて、雪中キャンプを楽しめる環境が整ってきた。
 そのため、昔ほど「冬を苦手としないキャンパーが増えてきた」という。

 冬キャンプが盛んになってきた理由はほかにもある。
 それは、“インスタ映え” の追求。
 雪の中でテントキャンプを楽しむというのは、かなり “上級者っぽい” 。
 そういう難易度の高いキャンプを楽しんでいる画像をアップして多くの人に見てもらいたいという最近のユーザーの心境が反映されていると説く人もいる。

 キャンプ同行者にも変化が見られるようになった。
 これまでと同様、子供を中心にした家族が全体の中心を占める(62.9%)傾向に変わりはないが、目立ってきたのが「ソロ(単独)キャンプ」。
 率としては3,5%(昨年より1.5%増)と、まだ少数派にとどまっているが、これまでにない特徴が表れているという。

 それは「独り者オヤジ」たちのキャンプ遊び。
 従来ソロキャンプは、バイクで旅行する若者たちが中心であった。
 彼らがキャンプ場に泊まるのは、あくまでも旅のプロセスに過ぎず、宿泊代などを安く抑えるためのキャンプにすぎなかった。

 しかし、近年は、キャンプ場泊そのものを目的とする中高年のソロキャンパーが増えているという。
 その多くは、子育ても終わり、かつ奥さんとは別行動で気楽な独身生活を取り戻そうという “オヤジさん” たち。

 あるキャンプ場では、そういう “にわか独身” を楽しむ中高年が20人~80人集まって、大パーティーになることもあるという。

 そうはいっても、キャンプ人口の中心となるのは、やはりヤングファミリー。人口ボリュームの多い団塊世代ジュニアが中心となる。
 平均年齢は、42.1歳。
 子供連れの比率は、66.2%にのぼる。

 また、それよりもさらに若い世代のキャンパーも増えており、特にテレビアニメにもなった漫画の『ゆるキャン』(芳文社)の影響は絶大で、主人公の女子高校生たちがキャンプを遊んだ場所が “聖地” のように人気を呼んでいるともいう。

 2018年度版の白書で顕著になってきたことの一つに、訪日外国人キャンパーが増えたことが挙げられる。
 各キャンプ場に、「昨年から目立ってきた新しいキャンパーの特徴」を答えてもらったところ、「外国人キャンパーが増えた」と回答したキャンプ場は17.7%にものぼった。

 集計によると、昨年1年間に、一つのキャンプ場を訪れた外国人利用者は平均57.2人となり、この傾向はさらに強まっていくと予想される。
 そこには、シティホテルなどに泊まるより、キャンプ場の方が宿泊代が安いという彼らの合理的判断が働いているとのこと。

 それにともない、レンタルキャンピングカーを借りて、キャンプ場に泊まりながら、各地の観光スポットを回る訪日外国人観光客も増えているという。
 
▼ キャンプ場を訪れる外国人観光客(写真提供:佐久間亮介さん) 
 
  
 

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この世の果てから届く音

 
処女航海/リターン・トゥ・フォーエバー
 
 この世には、物理的にも理念的にも、人間がたどり着くことのできない領域というものがある。そこから先は、人間が足を踏み入れてはならないと思わせるような “場所” がある。

 そういう “場所” を、仮に「この世の果て」と呼ぶならば、音楽には、「この世の果てから届く音」というものがあるのだ。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』と、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、まさに人間には見通せない、“この世の果てから届く音” である。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』というアルバムがリリースされたのが、1965年。
 チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』が世に出たのは、それから7年後の1972年。

 その7年の間に、ジャズに使われる楽器は劇的に変化した。
 ピアノが生ピアノからエレキピアノに変わったように、ジャズ界においては、電気楽器が急速に普及するようになった。

 ハービーの『処女航海』は、いわば電気が導入される前のジャズの音を代表する屈指の名盤であり、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、「フュージョンの先駆け」といわれるアルバムにふさわしく、エレピの電気音を全面的に押し出したサウンドを特徴としている。

▼ 「処女航海」

▼ 「リターン・トゥ・フォーエバー」

 
 にもかかわらず、両者が伝えてくるものは似ている。
 まず、アルバムジャケットのデザインに、共通したものがうかがえる。

 「海」だ。
 
 海面を疾走するヨットをあしらった『処女航海』。
 海面すれすれに飛ぶカモメを捉えた『リターン・トゥ・フォーエバー』。
 両者とも、人智の及ばない大自然の深さを、「海」で象徴しようとしている。

 ジャケット・デザインの類似は、まさに音楽性の類似そのものを意味している。
 この2者はともに、人間がいまだ触れたことのない “未知の世界から届く音” を捉えたジャズなのだ。
 
 
処女航海

▼ Herbie Hancock 「Maiden Voyage(処女航海)」

 アルバムタイトル『処女航海』の冒頭を飾る曲「処女航海」。
 これは、まさに人間が未知の世界へ漕ぎ出ていくときの心象を表現した曲である。
 多くのリスナーが、この曲が始まった瞬間から、「船が大海に漕ぎ出していくときの高揚感」を感じるという。

 確かにこの曲は、そのイントロから、冒険にチャレンジする人間の心の高ぶりを伝えてくる。 
 だが、それと同時に、なんともいえない不安感、あるいは戸惑い感。そんな
ネガティブな気配も、このサウンドのなかには混じっている。

 ずばり、その “ためらい” の気配こそ、演奏たちが表現したかった “未知の世界から吹いてくる風” の気配なのだ。
 はじめて海に出る者たちを襲う、あの水平線の向こうに隠れている “見えない世界” へのおののきが、実はこの音楽のベースになっている。
 
▼ ハービー・ハンコック

 
 この「処女航海」のサウンドには、アーシーな匂いを強調したビ・バップやハードバップとは異なる “空気感” が生まれている。
 圧倒的なのは、その透明感だ。
 そして、詩情があり、抒情性がある。
 
 この透明感あふれる音は、いったいどこから来るのだろうか。
 この音には、
 「未知なるものは、人間を畏怖させる」
 という、きわめて心理学的な心情が投影されている。
  
 「畏怖」とは、“おそれ” でもあるが、人間をピュアのものに目覚めさせる契機ともなる。

 「未知なるもの」は、もちろん不安もかき立てる。
 しかし、同時に、知らない世界へのときめきも醸成する。
 「不安」と「ときめき」が同時に生じたとき、人間ははじめて “透明度の高い精神” を手に入れることができる。

 ハービー・ハンコックの『処女航海』がリスナーに伝えようとしているのは、そのような「未知なるものの気配」である。
 リスナーはそれを受け止めるからこそ、この演奏に「透明感あふれる抒情性」を見出すのだ。
 
  
リターン・トゥ・フォーエバー/クリスタル・サイレンス

 同じようなことが、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』にもいえる。
 特に、そのアルバムのうちの「クリスタル・サイレンス」という曲は、ハービー・ハンコックが『処女航海』で伝えようとした「未知なるものの気配」を、さらに手触りとして感じられるほど身近に引き寄せたサウンドになった。

▼ チック・コリア

 
▼ Chick Corea – Crystal Silence

 冒頭から、圧倒的な静寂の気配が立ち込めてくる。
 すべてのものが、みるみるうちに凍り付いていくような静寂。
 この静けさには、「死の気配」が漂っている。
 曲名の「クリスタル・サイレンス」とは、まさにそのことを指している。

 このタイトルは、まぎれもなく、本来可視化できない「死」が、身近に忍び寄ってきた気配を伝えようとしている。
 そういった意味で、これは、J・G・バラードが書いたSF小説『結晶世界』(1966年)をそのまま音楽化したものといえないこともない。

 J・G・バラードの『結晶世界』は、アフリカの密林で結晶化した不思議な死体が見つかったという導入部から始まり、それが全宇宙が結晶化していくという恐ろしい現象の前触れだったという壮大なファンタジーを、美しい文体で描いた小説だ。

▼ 『結晶世界』 アメリカ版表紙

 「宇宙の結晶化」が始まると、この世のすべてのものは動きを停止し、永遠の沈黙のなかに横たわる。
 チック・コリアがエレキピアノで描き出す「クリスタル・サイレンス」は、そういう情景を濃厚にイメージさせる。

 だが、この曲は、けっして不吉な音ではない。
 逆に、言葉に尽くせないほど美しい。
 それは、「時の止まった世界」から生まれてくる美しさだ。
 そこには、どんな宗教も哲学もけっして解明することのできない「死」というものの超越性が「音」に託されている。

 すべての宗教と哲学は、これまでずっと「死」を語ろうとしてきた。
 しかし、それはみな “解釈” に過ぎず、“解明” ではない。
  
 「死」は語れない。
 だからこそ、沈黙を強いる。
 「クリスタル・サイレンス」とは、その沈黙を意味する。
  
  
 それにしても、アルバム・タイトルの『リターン・トゥ・フォーエバー』とは、よくも付けたり。
 漢語に訳せば、「永劫回帰」。
 哲学者ニーチェの根源的思想を表現する言葉だ。

 もし、チック・コリアが、アルバムタイトル(そして自分の率いるバンドのグループ名でもある)『リターン・トゥ・フォーエバー』をニーチェの思想から取ったのだとしたら、そこには「宇宙の死が、やがて生を呼び戻し、また死に至る」という壮大な円環構造になっていることを伝える東洋哲学の教えを暗示していることになる。

 ニーチェの思想は、「脱・キリスト教」を掲げるものであった。
 そうだとすれば、ニーチェも、そしてチック・コリアも、(さらにハービー・ハンコックも)、西洋人にとっては伝統的な思考の枠組みとなるキリスト教を超えて、さらなる未知の世界を見ようとしていたのかもしれない。


   
  
参考記事 「1960年代の前衛ジャズ」
 
参考記事 「ジャズはいつだって大人の音楽」
 
参考記事 「ジャズを聴きながら」
 
参考記事 「好きな音楽ベスト20」
 
 

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1960年代の前衛ジャズ

 
ジョン・コルトレーンの
『スピリチュアル』について

▼ ジョン・コルトレーン

 「ジャズ」という言葉から、多くの人は何を連想するのだろうか。
 この言葉から、即座に「マイルス・デイビス」とか、「ジョン・コルトレーン」などという固有名詞を思い浮かべる人は、それなりに “ジャズファン” といってよさそうだ。

 でも、私が昔通っていた居酒屋のオバサンは、「プレスリー」も「ビートルズ」もみな「ジャズ」といっていた。
 戦後間もない時代、進駐軍といっしょに入ってきたアメリカ音楽をすべて「ジャズ」と呼んでいた時期があったから、高齢シニア世代のなかには、今でも洋楽全般を「ジャズ」と呼ぶ人たちがいるのは事実だ。

 ただ、今の若い人たちがイメージする「ジャズ」は、夜景のきれいなバーラウンジなどにかかるBGMというような印象ではなかろうか。

 なにしろ、ジャズは音としての抽象度が高いから、特に耳障りの悪いものでないかぎり、店舗のBGMとして流れていても、ほとんどのお客が気楽に聞き流すことができる。
 それでいて、この手の音楽は店内を大人っぽい雰囲気に包む。
 だから、最近はお洒落な和風割烹やお蕎麦屋さんなんかでも流していることがある。
 
 
 今では、そういうBGM的な使われ方が多い「ジャズ」ではあるが、かつてはポピュラー音楽のなかで、もっとも先鋭的で、革新的な音楽と目されていた時代があった。
 1960年代である。
 この時期、ジャズを聴く人間は、一種の知的エリートだった。

 小説家の中上健次(写真上)が、新宿のジャズ喫茶に入り浸りながら、小説家を目指すための思索を練っていたように、60年代は、ジャズが「文学」や「アート」、「思想」や「哲学」などといちばん強く結びついた時代だった。

▼ 中上健次のジャズエッセイ集。
有名な「破壊せよ、とアイラーは言った」(1979年)も収録されている


 
 
 村上春樹も、60年代の後半にジャズ喫茶に入り浸った口で、70年代に入ると、自分でジャズ喫茶(「ピーターキャット」)を経営している。

 この時代、ストーリー展開にジャズが絡んでくる小説も多かった。
 その先駆けとなったのは、石原慎太郎の『ファンキー・ジャンプ』(1959年)だった。
 これは、薬物依存症のジャズピアニストを主人公にした小説で、文体そのものがジャズのテンポとリズムを再現するという実験的なものだった。

 五木寛之は、ジャズ好きの少年を題材にした『さらばモスクワ愚連隊』(1967年)で小説家デビューを果たし、『青年は荒野をめざす』でもジャズをテーマにした。

▼ 『さらばモスクワ愚連隊』の朗読CD

 
 
 私が、はじめてジャズ喫茶に足を運び入れたのは、高校生のとき(1967年頃)だった。
 学生服を着たまま、吉祥寺の本町の「Funky (ファンキー)」に通った。
 「Funky」は、今でこそ、「バー&キッチン」を謳うレストランだが、60年代はバリバリの本格的ジャズ喫茶だった。

▼ 当時の「Funky」のマッチ

 
 その頃の店は今の「パルコ」の敷地内にあって、店の前には「スカラ座」という映画館があった。
 その辺りはかなり広域にわたって再開発が進んだので、今はもう当時の面影を探すことはできない。
 
▼ 「Funky」のオリジナルコーヒーカップ。
こういう一本足デザインのカップはほかの店で見ることはなかった

 余談だが、この当時の「Funky」は、桐野夏生・作『抱く女』のなかでは「COOL」というジャズ喫茶名で登場。作品のなかで当時の店内の状況がレポートされている。
 
▼ 桐野夏生 『抱く女』

 私が「Funky」に入り浸るようになったのは、高校の先輩たちの影響が強い。
 当時私は、新聞部と演劇部に所属していたが、どちらの先輩たちもみなジャズを聴いていた。
 ジャズ専門誌である『スイングジャーナル』を小脇に抱えて部室に入ってきた先輩たちが、その雑誌が主宰するディスク大賞で、『ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン』が第一回目の金賞を受賞したということを話題にしていたことを記憶している。

▼ オーネット・コールマン 『ゴールデン・サークル』

 オーネット・コールマンもスイングジャーナルもよく知らなかったが、そういう知識がないと、新聞部においても演劇部においても、ジャズどころか “音楽” そのものを語れないような風潮があった。

 そこで、私は密かにジャズ喫茶に “勉強” に行くことにした。
 「Funky」に入り、コーヒーを注文するタイミングで、ウェイターにリクエストを頼み込んだ。
 先輩たちが話題にしていたオーネット・コールマンという人の『ゴールデン・サークル』というアルバムを聞いてみようと思ったのだ。 

 う~ん ……。
 しばらく言葉が出なかった。

 私の知っていたジャズというのは、たとえばデイブ・ブルーベック・カルテットの『テイクファイブ』であったり、アストラット・ジルベルトの『イパネマの娘』のようなものだったから、こういう人の意表を突くようなメロディを持つ前衛的なものを “心地よい” と思う感覚が育っていなかった。

 しかし、『スイングジャーナル』というのは、当時のジャズ批評の最高の権威だった。
 “権威” が間違った評価を下すはずはない。
 こういう音を美しいと感じるためには、自分の感性を鍛え直さないといけないと思った。

▼ 「スイングジャーナル」

 しばらく、一人だけの修業が続いた。
 この時期は、ちょうど前衛的なジャズの最盛期だったから、オーネット・コールマンのようなフリージャズ運動の推進者はヒーローだった。
 間違っても、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバや、リー・モーガンの「サイドワインダー」や、キャノンボール・アダレイの「マーシー・マーシー・マーシー」のような軟派系ジャズは、「Funky」ではほとんどかからなかった。

 なにしろ、ポール・ニザンの『アデン・アラビア』とか、羽仁五郎の『都市の論理』、吉本隆明の『共同幻想論』などという本を読んでいるお客さんがいたりする店である。そういう客は、デイブ・ブルーベックの「テイクファイブ」などが流れて出すと、本から顔を上げ、「あ~あん?」と眉をしかめ、「リクエストしたやつは誰だ?」と蛇のように鎌首をもたげて周囲を見回したりする。
 だから、うかつなリクエストなど出せないのだ。

 硬派の客たちのリクエストで人気が高かったのは、やはりジョン・コルトレーンのアルバムだった。
 レーベルでいうとインパルス時代のものが多く、『至上の愛』、『クル・セ・ママ』、『アフリカ』などという作品がよくかかった。
 どれも、薄暗い熱帯ジャングルで、ターザンが道に迷っているような音だと思った。

▼ 「アフリカ」

 最初は修行のつもりで、目を閉じ、じっと耳を澄ませていたが、やがてこの手の音に、自分の身体が徐々に反応し始めた。
 身体の血管が膨張を開始し、大量の血液が体内を駆け回り始めたような感覚といえばいいのだろうか。コルトレーンのサックスには、リスナーの心臓の鼓動を “アンプ” をつないで増殖させるような作用があったのだ。

▼ ジョン・コルトレーン 「スピリチュアル」

 なかでも、1961年に、ニューヨークのヴィレッジ・バンガードで行われたライブを音源とする『Live At The Village Vanguard』は、すごく好きになった。
 そのアルバムのなかでも、特に「Spiritual (スピリチュアル)」には魅せられた。
 
 最初、何やらものものしいイントロが流れる。
 前衛劇などを上演する芝居小屋で、幕が上がる前のような緊張感がここで生まれる。

 そのイントロ部分を1分ぐらいコルトレーンが吹いた後、おもむろにリズム隊が演奏に参加してくる。
 この入り方のタイミングが絶妙だ。

 流れるリズムの基本は3拍子。いわゆる “ワルツ乗り” だが、複雑なシンコペーションが入ってくるため、得も言われぬ浮遊感が漂ってくる。
 そのため、前衛ジャズ的な刺激のなかに、ダルでレイジーなアンニュイが生まれ、それが心地よい催眠効果を誘い出す。 
 
 そういう呪術的なリズムの中を、たゆたうように虚空をたなびいていくコルトレーンのサックスは、まさに “神の吐き出した空気” そのもので、「スピリチュアル(心霊的)」というタイトルの意味も十分に伝わってくる。
 
 こういう精神性の強いジャズは、やはり “頭で聞く” 音楽なのだ。
 ロックンロールやR&Bのように、“頭が理解する前に腰が揺れる” という音楽ではない。

▼ ヴィレッジ・バンガードのコルトレーン

 コルトレーンの「Spiritual (スピリチュアル)」のような曲が心地よい、と感じるためには、ある程度知的な訓練を通じて、脳内に受容体を作らねばならない。

 ディスコに行けば自然と足がステップを踏み出すかもしれないが、この時代のジャズを味わうためには、少なくともジャズの基礎知識を記した書籍の1冊ぐらいは読む必要がある。
 私は、相倉久人氏の著書『モダン・ジャズ鑑賞』(1963年)を読んで、60年代の広範なジャズシーンの状況を概括することができた。
 もちろん、それによって、コルトレーンという音楽家の概要をつかむこともできた。

▼ 相倉久人 『モダン・ジャズ鑑賞』

 
 コルトレーンは人生の後半戦において、西洋音楽の規範から抜け出し、広く、アジア、アフリカ、アラブ、ポリネシアなどのリズムを吸収する形で、人類が積み重ねてきた音楽文化の頂点を極めることに力を注いだ。
 そのために、数多くの古典哲学や宗教書にも目を通したと伝えられている。
 
 彼のそのような努力を評価する知的好奇心を持たないと、こういう音楽に体ごと反応することは難しい。

 つまりは、リスナーの想像力が試される。 
 「脱・アメリカ/脱・文明」を志向して都会の谷間に潜航したコルトレーンの音から、砂漠を吹き抜ける風の気配や、鼻孔を襲うジャングルの木の葉の匂いを想像する。
 そうやって、聴覚や視覚、嗅覚まで総動員するような受容体を作り上げないと、コルトレーンの音は身体の中に入ってこない。

▼ ジョン・コルトレーン

 彼の「スピリチャル」や、「クル・セ・ママ」、「アフリカ」などを受け入れる受容体ができあがってくるにしたがって、私は小説家の中上健次あたりが追いかけていた “ジャズの精神” がようやく理解できるようになってきた。
 こういう音楽こそが、創作活動の刺激になる。
 …… そう確信した。

 ディスコで聞くR&Bとか、コンサートで聞くフォークソングなどが “消費の音楽” だとしたら、コルトレーンやオーネット・コールマン、アルバート・アイラ―、マイルス・デイビスのジャズは、“生産の音楽” といえる。
 そのような音楽を糧として、リスナーが自分自身の創作活動に邁進していくための素材なのだ。

 1960年代。
 世界の各地で、その国の政権に対する若者の反乱が起こった。

▼ 60年代のフランスの反戦運動

 そういう反乱の流れが加速するなかで、規制の秩序を壊すという名目のもとに、新しい芸術運動が生まれ、新しい文化が台頭した。
 当然、破壊の後に不毛の荒野が広がったこともあったし、豊饒な土地が現れたこともあった。 
 
 前衛ジャズは、まさに、そういう「1960年代」の空気の中から生まれてきたものだし、またそういう時代でなければ、存在できなかった。

▼ 中上健次 著 「破壊せよ、とアイラ―は言った」

 オーネット・コールマン
 ジョン・コルトレーン
 マイルス・デイビス
 アルバート・アイラ―
 エリック・ドルフィー
 ファラオ・サンダース ……

 この時代、新しいジャズを創造したミュージシャンたちは、その生み出した作品同様、個人名がさんぜんと輝いている。
 ジャズをあまり聞いたことがない人でも、その時代を生きた人ならば、それらの固有名詞をどこかで耳にしたという経験を持っている。

 制作者の名がとどろくということは、まさに彼らがアーティスト(芸術家)だったからだ。

 「アーチスト」は、庶民が「アート」を求めるような時代でなければ生きられない。
 1960年代は、庶民の多くが「アート」を求めた熱い時代だった。
 いま、高級バーラウンジや、高級割烹料亭でBGMとして使われている “心地よいジャズ” の制作者を、いったいどれくらいのリスナーが認知できるだろうか。 

 私は、ジャズメンたちがレジェンドになれた1960年代という時代を、彼らとともに過ごすことができたことを幸せに思っている。
 
 
参考記事 「ジャズはいつだって大人の音楽」

参考記事 「ジャズを聴きながら」
 
参考記事 「吉祥寺の昔の音楽喫茶」

参考記事 「吉祥寺ビーバップ」

参考記事 「『抱く女』に描かれた70年代の吉祥寺」

参考記事 「好きな音楽ベスト20」
  
 

カテゴリー: 音楽 | 6件のコメント

ジャズはいつだって大人の音楽

 
 昔から、ジャズを聞いていると、いつも「大人の音」というイメージを持つことが多かった。
 その気分を伝えるためのうまい言葉がなかなか見つからない。
 強いていえば、大人の切なさ、大人の粋さ、大人のカッコよさ、大人のずるさといったものが、モヤモヤと浮かんでくるという感じだ。
 

 
 なぜ、そんなふうに感じるのか。
 最近ごく単純なことに気がついた。
 昔、そういう音を聞いていた私が、単にガキだったからだ。
 ガキの頃に聞いた大人の音楽が、「大人の匂い」を持っていたのは、考えてみれば当たり前のことである。


 
 
テイクファイブ

 そんな “大人の音” を最初に教えてくれたのが、ラジオから流れてきたデイブ・ブルーベック・カルテットの「Take Five (テイクファイブ)」だった。
 それを聞いたときは、まだ中学生。
 ラジオを通じて、全米トップ40に浮上してくるようなポップスをずっとフォローしていたけれど、「テイクファイブ」は聞いたこともなかったサウンドだったから、とても印象に残った。

 「テイクファイブ」を含むアルバム『タイムアウト』が録音されたのは1959年。その中から取り出された「テイクファイブ」は、1960年代全般を通じてポピュラー音楽界の人気曲として君臨し、ジャズなど聞いたこともない人ですら、「このメロディーなら知ってる」とうなづかせるほどの大ヒット曲となった。

 このレコードを買ったのは、中学3年のときだった。
 LPを買うほどの小遣いはなかった。
 けっきょく、シングル盤しか買えなかったが、それでも大好きだったビートルズのレコードを買うのを我慢して、こちらを優先した。

 それは、まさに “大人の音” だったからだ。
 特に、ポール・デスモンドの吹くアルトサックスの音色が、未熟な熱情に左右されない大人のクールさを表現しているようで、なんともカッコよく聞こえた。

 こういうクールさをたたえた音色というのは、当然ビートルズにはなく、それ以前に親しんでいたスイートなアメリカンポップスにもないものだった。

 コニー・フランシス、ポール・アンカ、パットブーンといったアメリカンポップスが、一口含んだだけで口いっぱいに甘みが広がるオレンジジュースなら、ビートルズは炭酸の刺激が強いコカ・コーラ。
 そして、ポール・デスモンドのサックスは、アルコール飲料。大人だけが座ることを許されたバーカウンターの上にそっと置かれた、氷入りのカクテルのように感じられた。

 後に、少しジャズに関する能書きをかじっていたら、こういうクールな音色は、ウエストコーストジャズの特徴だ、という言説を読んだことがある。「ニューヨークを中心に発展したイーストコーストの黒人ジャズに対し、ウエストコーストは白人のミュージシャンが多かったからだ」という話なのだが、(それも一理あるのだろうけれど、)ポール・デスモンドの音のクールさは、けっきょく彼独特の個性だという気もする。
  

死刑台のエレベーター
 
 この「テイクファイブ」以上に、「大人」を感じたジャズはマイルス・デイビスが手掛けた映画音楽『死刑台のエレベーター』(1958年)のテーマだった。

 フランスのルイ・マル監督が、25歳のときにつくったというサスペンス映画で、その映画で使われる大半の曲を、マイルスがラッシュを見ながら即興でつくったという伝説がある。

▼ 「死刑台のエレベーター」 メインテーマ

 不倫と、裏切りと、殺人を扱った絵に描いたような大人の犯罪映画だったが、マイルス・デイビスは、その映画のコンセプトをさらに4~5倍くらい増幅させたような「大人の頽廃」と、「大人のアンニュイ」と、「大人の哀愁」を盛り込んだ。

 そのサウンドから伝わってくるのは、人間の心の奥に潜む「無慈悲な冷酷さ」。運に見放された人間を襲う「孤独と寂寥」。そして、ネオン輝く街の底に沈む「夜の深さ」。
 中学生の頃に、この曲をラジオで聞いて、大人というものの怖さと美しさを同時に知った気になった。

 1950年代というのは、フランスで、ジャズと映画が結びついた時代でもあった。
 フランスの映画界に「ヌーベルバーグ」という運動が起こり、そこに参加した若い映画監督たちが、アメリカのモダン・ジャズをサウンドトラックに使うようになったのである。

 前述した『死刑台のエレベーター』(ルイ・マル 1958年)などはその筆頭だが、そのほかに、『大運河』(ロジェ・バディム 1957年)、『危険な関係』(ロジェ・バディム 1959年)、『殺られる』(エドゥアール・モリナロ 1959年)などといったジャズを使った映画が、この時代に集中した。

 もちろん、こういった一連の映画を、私はリアルタイムで見たわけではない。
 なにしろ、『死刑台のエレベーター』が公開された1958年は、私はまだ8歳だったから、そんな映画が封切られたことなど知るよしもない。

 すべてを知ったのは、高校生になって、『サントラにジャズを使った映画音楽集』というオムニバスレコードを買ってからだった。
 

危険な関係
 
 そのアルバムのなかに、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズがサントラを担当した『危険な関係のブルース』があった。ロジェ・バディム監督の『危険な関係』(1959年)のテーマソングである。
 この音楽がめちゃめちゃにカッコよかった。
 
 

 ライナーノーツによると、映画の原作は、18世紀の作家ラクロによって書かれた貴族社会のモラルの崩壊を描いた官能小説だという。映画はそれを20世紀のパリに設定し直し、上流階級の退廃的な恋愛劇に置き換えたとも。

 それを読み、曲を聞いただけで、どのような映画なのか、私はすぐに推測できた。
 アート・ブレイキーの演奏が何よりも雄弁に、映画のかもし出す空気のようなものを暗示していたからだ。
 
 まず、のっけから飛び出すリー・モーガンのトランペットが、この曲のすべてを語っていた。
 行進曲のように威勢よく。
 パーティーのクライマックスのように華やかで。
 人々の貪欲な欲望を解き放つように、ふしだらで。
 
 もし、パーティー会場でこんな曲が流れ始めたら、男も女も自分のお目当ての相手を血眼になって探し始め、お互いに、発情した獣同士のように相手を口説き始めるだろう。

 そんな情景を想像させるような曲だ。
 この演奏から、私は「大人の快楽」と「大人のふしだら」を嗅ぎ取った。
 それは私にとって、嫌悪すべきものではまったくなく、甘い誘惑に満ちたものだった。
 
 
 ここに書いた「大人の匂い」などという話は、60歳代も半ばを超えた私のようなジジイが書くこと自体、恥ずかしい話かもしれない。

 だが、ジャズを聴くと、いまだに若い頃の感覚がよみがえる。
 それは、ロックやR&Bを聞いたときには感じられないものだ。
 おそらく、
 「お前はいまだに本当の “大人” になりきっていないのだから、もっと精進しろ」
 という、もう一人の私が叱る声なのだろうと思っている。
 
 
関連記事 「ジャズを聴きながら」    
 
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好きな音楽ベスト20 (洋楽編)

 
 以前このブログで、自分が好きな「映画」や「本」をセレクトして、寸評を付けたことがあった。

※ (好きな映画ベスト20 2017年11月27日)
※ (気になった本120選 2017年12月 9日)

 今回は、「好きな音楽ベスト20」というのをやってみたい。
 洋楽と邦楽に分けて作ってみたが、全体のボリュームが大きくなりすぎたので、今回は洋楽部門だけを掲載する。

 こういう企画は、立案者の年齢が大きく作用する。
 特に音楽というのは、若い頃に聞いた「音」が一生の好みを左右する傾向が強く、年寄りが選ぶと、昔の音楽ばかりになる。
 今年68歳を迎えた私の場合、やっぱり10代から20代ぐらいに聞いた1960年代~70年代の曲が多くなってしまった。若い読者にはなじみのない曲ばかりだと思うが、ご容赦いただきたい。

 選曲に関しては、ここに紹介するもの以上に好きな曲もいっぱいあるのだが、ブログでレビューを書いたものだけに限定した。
 レビューを書いてみたいという衝動を感じた音楽というのは、単なる「好き・嫌い」を超えて、その曲からなにがしかの “世界観” を感受したということである。また、きわめて個人的な思い出と絡んでいる場合もある。つまり、自分の人生観を語れる材料を手に入れたということを意味する。

 したがって、以下にとりあげた音楽というのは、私という人間の生きてきた軌跡の断片のようなものである。
 
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洋楽編 ベスト20 &番外

① マーヴィン・ゲイ 「What’s Going On (愛のゆくえ)」
1971年

【寸評】 自分の音楽の好みを決定づけた衝撃の曲。1971年、21歳のときにこの曲に出会わなかったら、生涯音楽に対して淡白な人生を送っていたかもしれない。しかし、自宅の机の前に座り、夜明けの冷気とともに、FEN(米軍向けラジオ)から流れてきた「What’s Going On (ホワッツ・ゴーイング・オン)」を聞いた瞬間から、音楽といえばSOUL系のものにしか意識が向かなくなった。そして、そういう音が流れるスポットを探し、米軍基地周辺の黒人バーなどに入り浸るようになった。音楽を聞くだけでなく、「音楽を語ろう」と考え始めたのも、この曲からである。
http://campingcar.shumilog.com/2012/02/09/%e3%83%9b%e3%83%af%e3%83%83%e3%83%84%e3%83%bb%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%82%aa%e3%83%b3/
    
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② ブラームス 「弦楽6重奏1番」 他
1860年

【寸評】 音楽を語るとき、自分に欠けているものがクラシック音楽に対する知識と教養である。そのためクラシックの演奏を聞いて、その世界観にたどり着くには、どうしても映画やドラマといった他のメディアの助けを必要とした。マーラーの交響曲5番「アダージェット」の良さを理解できたのも、それがテーマ曲として使われた『ベニスに死す』(監督ルキノ・ヴィスコンティ)という映画を観たことによってだった。このブラームスの「弦楽6重奏1番第2楽章」も映画で知った。男女の濃厚な情愛を描いた映画に使われると、この曲は映像以上に悩ましい情感をかき立てる。甘美でエモーショナルで頽廃的。性的描写など一つもなくても、これほどエロティックな情念を催させる音楽というものを他に知らない。
http://campingcar.shumilog.com/2014/12/21/%e5%bc%a6%e6%a5%bd%e5%99%a8%e3%81%ae%e7%bd%aa%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%82%8a%e3%81%aa%e7%be%8e%e3%81%97%e3%81%95/
 
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③ ウィリアム・アッカーマン 「PacificⅡ」他ウィンダム・ヒル系音楽
1980年頃

【寸評】 ウィンダム・ヒルというレーベルは1980年代に、ジャズでもなければクラシックでもないという不思議な音を作り始めた。こういうサウンドのジャンル分けに困ったレコード販売店は、当初これを「環境音楽」などというコーナーに置いた。しかし、このウィンダム・ヒル系の音こそが、1980年代という新しい時代の感受性をいちはやく表現していた。まるで抽象画を見るかのような、ひんやりとした心地よい静けさ。この感覚こそが、先進国の産業基盤が、熱くて騒がしい工業社会から静かでクールなポスト工業社会へと移行していく時代を象徴していた。
http://campingcar.shumilog.com/2013/12/07/%e9%9f%b3%e3%81%ae%e6%8a%bd%e8%b1%a1%e7%94%bb-%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e3%83%bb%e3%83%92%e3%83%ab/
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………… 
④ ザ・ビートルズ 「You can’t do that」
1964年

【寸評】 ブルースコードを使って黒人ブルースのエモーションを再現しながら、白人ロックのテンションを盛り込んだジョン・レノンの初期の代表曲。キャッチ-なミディアムテンポに乗って、ジョン・レノンがライブハウスの壁を揺るがすような咆哮をまき散らす。タメの効いたリズムギター。グイグイとドライブしていくベース。小気味よく決まるカウベル。聞いていると、気づかないうちに腰が小刻みに揺れてくる。
http://campingcar.shumilog.com/2008/07/13/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%ac%e3%83%8e%e3%83%b3%e7%af%80/
  
…………………………………………………………………………………………………………………………………………  
⑤ ジェームズ・ブラウン 「Sexmachine(セックスマシーン)」
1970年

【寸評】 スリリングなイントロから、一気に怒涛のリズムが炸裂するダンス音楽の最高傑作。ストイックなリズムの繰り返しと、シンプルなアジテーションは、どんな音楽よりも強烈に、人をある種の狂気へ導いていく。身体の中に、金属のくさびを打ち込んでくるようなギターカッティング。大地の底を巨大な恐竜が這って行くようなベースラニング。天地をゆるがす雷鳴のように、鋭いリズムを刻み続けるホーンセクション。すべてが、人間の脳天を揺さぶりたてるリズムの嵐となって、聞く者を忘我の境地に誘い込む。
http://campingcar.shumilog.com/2014/12/26/%e3%82%b8%e3%82%a7%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%ba%e3%83%bb%e3%83%96%e3%83%a9%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%80%80%e3%82%bb%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b7%e3%83%bc%e3%83%b3/
  
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⑥ ニール・ヤング 「Old Man (オールド・マン)」
1972年

【寸評】 ニール・ヤングは70歳を超えても、若いときと変わらず社会に向けてアグレッシブなメッセージを送り続ける “永遠の青年” である。しかし、多くのファンに愛されているニール・ヤングのアルバムとなると、1970年の『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』と、1972年の『ハーベスト』の2枚に尽きるのではなかろうか。なかでも『ハーベスト』に収録された「オールド・マン」は、人生の黄昏を見つめる人間の心情を物憂く切ないメロディーに乗せて歌った珠玉の名曲。土の匂いが立ち込めるサウンドからは、「田園の憂鬱」(佐藤春夫の小説名)という言葉が浮かんでくる。余談だが、ニール・ヤングの風貌には、どこかネアンデルタール人の面影が漂う。現生人類は誰でも2%ほどネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるという。この人の場合は20%ほど受け継いでいそうだ。
http://campingcar.shumilog.com/2010/12/30/%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%89%e3%83%9e%e3%83%b3/


  
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⑦ シャーデ― 「Hang On to Your Love」
1984年

【寸評】 自分にとって、1980年代にもっとも愛したミュージシャンといえば、それはもうシャーデー・アデュに尽きる。まずサウンドが素晴らしい。特にデビューアルバムの『ダイヤモンドライフ』は何度聞いたか分からない。音楽体験で自分がもっとも興奮するのは、R&Bやブルースのグルーブ感に触れることなのだが、そういうブラックミュージックのエッセンスを、ジャズやAORのセンスを採り入れて洗練させた『ダイヤモンドライフ』は、私にとって「80年代のR&B」だった。それでいて、彼女のつくり出すR&Bは、60年代~70年代R&Bとは決定的に違っていた。一言でいえばクール。冷蔵庫で凍らせたグラスに注がれるギンギンに冷えたカクテルのように、一口飲むと、脳天に氷の結晶が根を張るようなクールさを特徴としていた。それがいかにも80年代という時代によく合っているように思えて、私は音楽体験において、時代の先端を走っている気持ちになれた。彼女はこの時代の私の女神だった。低く抑えられたスモーキーな声質にも魅せられたし、挑発的なドレスを着たときの彼女のセクシーな肢体にも挑発された。
http://campingcar.shumilog.com/2009/12/31/%e6%b7%b1%e5%a4%9c%e3%81%ae%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%87%e3%83%bc/
 

  
…………………………………………………………………………………………………………………………………………  
⑧ ファラオ・サンダース 「Astral Travelling (アストラル・トラヴェリング)」
1971年
 

【寸評】 「アストラル・トラヴェリング」は、1971年のアルバム「Thembi(テンビ)」の冒頭を飾る曲。猛獣が吠えまくるようなフリージャズを追求してきたファラオ・サンダースの作品のなかでは、珍しく静謐感のある美しいメロディーの曲になっている。その曲調は神秘的でもあり、幻想的でもあり、それでいて官能的。虚空をたゆたうエレキピアノをバックに、ファラオのサックスが、夜明けの海に漕ぎ出ていくようなクールなメロディーを紡ぎ出す。もう40年ほど前、私はサンフランシスコからバンクーバーへ向かう飛行機のなかで、ファラオ・サンダースを見たことがある。その隣の席が空いていたことをいいことに、私は厚かましくもそこに座って、片言の英語で話しかけた。彼はその晩、バンクーバーのライブハウスに私を招待してくれた。そこで演じられた曲目のなかに、この「アストラル・トラヴェリング」が入っていた。
http://campingcar.shumilog.com/2013/02/02/%E6%89%8B%E3%82%92%E6%8B%BE%E3%81%86/
  
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⑨ アメリカ 「Ventura Highway (ヴェンチュラ・ハイウェイ)」
1972年

【寸評】 「アコギの美しさここに極まれり」、というほど見事に決まったイントロ。全編が旅へのいざないに満ちた爽やかな印象の曲で、自分もドライブ旅行のBGMとして欠かさず聞いている。イメージとして浮かぶのは、陽光の降り注ぐアメリカ西部の果てしない一本道。心のヒダに清水が沁み込んでいくような鮮烈な曲だ。この曲だけは、なぜか飽きない。どんなに好きな曲でも、ポピュラーソングの場合はずっと聞いていると、いつか飽きる。だけど、この曲だけは、もう46年間聞き続けているというのに、常にはじめて聞いたときの気分が込み上げてくる。おそらく、この “青春っぽい” 音が、未来が真っ白に見えていた20歳ぐらいの気持ちを再生するからだろう。
http://campingcar.shumilog.com/2009/01/16/%e3%83%b4%e3%82%a7%e3%83%b3%e3%83%81%e3%83%a5%e3%83%a9hwy/
 
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⑩ ジュニア・ウォーカー&ザ・オールスターズ 「What Does It Take」
1969年

【寸評】 甘いストリング・セクションを配した、いかにもモータウンらしいゴージャス感を持った曲。私が最初に「都会の匂い」というものを嗅ぎとったR&Bである。「都会の頽廃」、「都会の快楽」といったものが(少しチープに聞こえる)サックスの扇情的な音色にうまく表現されている。コード進行はGm7 と Fmay7 の繰り返し。その音の流れが、都会の軽佻な華やかさと同時に、アンニュイを含んだ都会の哀しさを漂わせてくる。
http://campingcar.shumilog.com/2011/02/05/%e3%80%8c%e9%83%bd%e4%bc%9a%e3%80%8d-%e3%81%ae%e5%8c%82%e3%81%84/
   
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⑪ エリック・サティー 「ジムノペディ」
1888年

【寸評】 近代社会の黎明期。人工照明によって、暮れることのない「夕暮れ」を実現させた時代の人間の感受性を表現したのが、このサティーの「ジムノペディ」である。美しい響きのなかに、とりとめもない浮遊感を忍び込ませるメジャーセブンスコード。それを多用した「ジムノペディ」は、近代都市という人工空間に漂う「美」と「メランコリー」をはじめて表現した曲といえよう。
http://campingcar.shumilog.com/2013/10/25/%e3%82%aa%e3%83%88%e3%83%8a%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%a6-%e3%80%80%e4%ba%80%e7%94%b0%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e5%b0%82%e9%96%80%e5%ad%a6%e6%a0%a1/
  
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⑫ ゴードン・ライトフット「If You Could Read My Mind (心に秘めた想い)」
1970年

【寸評】 日本人にはあまりなじみのないカナダのシンガーソングライター ゴードン・ライトフットの代表曲のひとつ。とにかくメロディーが美しい。曲名を知らなくても、年配の方ならば、どこかでこのメロディーを聞いたことがあると思う人がいるのではなかろうか。70年代のシンガーソングライター系の曲には、自分の内面と向き合うことを重視する「内省的」な歌が多く、これなどはその典型。孤独感と寂寥感がテーマだが、サウンドそのものは、地面に落ちる木漏れ日の影を追うように爽やか。
http://campingcar.shumilog.com/2011/12/28/%e6%9e%af%e8%91%89%e3%81%ae%e6%b1%a0%e3%81%a7%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%88%e3%82%92%e6%bc%95%e3%81%90/
 
………………………………………………………………………………………………………………………………………… 
⑬ レッド・ツェッペリン 「Goodtimes Badtimes」
1969年

【寸評】 60年代後半に衝撃のデビューを飾ったレッド・ツェッペリンファーストアルバムで、その冒頭を飾った曲。この音を最初に聞いたときの衝撃はいまだに忘れられない。それは、頭の上に鋼鉄のかたまりが落下し、ズシンと脳内までのめり込んできたような体験だった。これほど “音の質量” がイメージできるサウンドというのは、それまで聞いたことがなかった。しかも、ヘビー一辺倒ではなく、そのヘビーさが “軽やか” な運動体になっているところが魅力だ。まるで極北の夜空に、鋼鉄のオーロラが舞うのを見ているような気になる。こんな音を思春期の10代に聞いてしまった人間は、一生その呪縛から逃れることができなくなるはずだ。
http://campingcar.shumilog.com/2011/05/21/%e3%83%84%e3%82%a7%e3%83%83%e3%83%9a%e3%83%aa%e3%83%b3%e4%bd%93%e9%a8%93/
 
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⑭ 10cc(テンシーシー) 「I’m Not In Love(アイム・ノット・イン・ラブ)」
1975年

【寸評】 シンセサイザーの音を重ねまくったクールな音に、ROCKに関して抱いていたイメージを大転換させられた。それまで、熱いROCKと濃いSOULに寄り添うように音楽人生を積み上げてきたつもりだったが、25歳のときにこの “冷たい曲” を聞いた瞬間、「時代が変わった」ことを発見した。まさに「青春の終わり」を告げた “音” だった。
http://campingcar.shumilog.com/2014/03/03/%e5%86%b7%e3%81%9f%e3%81%84%e3%83%90%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%89/
 
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⑮ ザ・ビートルズ 「I’ll Be Back (アイル・ビー・バック)」
1964年

【寸評】 「初期ビートルズ」というと、ロックンロールをベースにしたジャンプナンバーの曲が大半を占めると思われがちだが、彼らの初期のアルバムには意外とバラードが多い。しかも名曲ぞろいだ。バラードの評価はメロディーの良し悪しで決まってしまうが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーという稀代のメロディーメーカーが2人もそろってしまったのだから、バラードの比率が高いのも当然である。なかでもこの「アイル・ビー・バック」は、ジョン・レノン的バラードの典型。マイナーコードとメジャーコードがめまぐるしく変わるため、迷宮の中をさまようような不思議な酩酊感が生まれている。彼らの故郷であるリバプールはアイルランドにも近い。この曲には、そのアイルランド系のエスニック感覚が流れ込んでいる。
http://campingcar.shumilog.com/2011/09/04/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%ac%e3%83%8e%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%83%90%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%ab%e6%bd%9c%e3%82%80%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%8b%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%aa%e9%9f%bf/
 
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⑯ ブラインド・フェイス 「 Had To Cry Today (泣きたい気持ち)」
1969年

【寸評】 伝説のROCKバンド「クリーム」において、ブルースを基本に置いたギターワークで人気を集めてきたエリック・クラプトンが、同じバンドにいたドラマーのジンジャー・ベイカーを連れ出し、「トラフィック」で活躍していたスティービー・ウィンウッドとコラボしたアルバム『Blind Faith』のなかの1曲。スティービーのセンスが色濃く反映されたため、クラプトン好みのブルース色は希薄になったが、その分、あざといばかりに華麗なメロディーに満ちたアルバムになった。なかでもこの「Had To Cry Today」は、“音の万華鏡” といえるほどまばゆいフレーズに埋め尽くされた60年代ROCKを代表する傑作。ブルース的グルーブ感ともまた違った、白人音楽としてのロックの力動感を創造している。
http://campingcar.shumilog.com/2013/06/14/had-to-cry-today-%ef%bc%88%e6%b3%a3%e3%81%8d%e3%81%9f%e3%81%84%e6%b0%97%e6%8c%81%e3%81%a1%ef%bc%89/
 
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⑰ ルー・リード 「Walk On The Wild Side (ワイルドサイドを歩け)」
1972年

【寸評】 「ヘロイン」、「ゲイ」、「アルコール中毒」。そんなアンダーグラウンドなテーマを歌いながら、そこにハイブローな芸術性を盛り込んだルー・リード。犯罪とアートが、闇のなかで同時に溶け合うニューヨークの路地裏が似合う詩人だ。この「ワイルドサイドを歩け」は、もうタイトルからして、彼の思想性を100%表現した代表曲。シンプルなギターカッティングを背景に、呪文のように繰り出される歌声を聞いていると、これは、アウトローたちが眠るための “闇の子守歌” だと分かる。
http://campingcar.shumilog.com/2013/11/09/%e3%83%af%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%89%e3%82%b5%e3%82%a4%e3%83%89%e3%82%92%e6%ad%a9%e3%81%91/
 
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⑱ シル・ジョンソン 「I Hear the Love chimes (愛のチャイム)」
1974年

【寸評】 1970年代初期のソウルミュージック界で、ひときわディープな味わいを発揮していたのは、なんといってもメンフィスのハイ・レコードである。ここでは音楽プロデューサーのウィリー・ミッチェルの指揮のもとに、アル・グリーン、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、O・Vライト、シル・ジョンソンなどといったスター歌手が勢ぞろいし、フィラデルフィアやモータウンと並んで、70年ソウルミュージック界の一時代を築き上げていた。このハイ・サウンドの特徴は、“土臭い” タイトな音作りにあった。スタジオミュージシャンの中核をなすのは、チャールズ・ホッジス(オルガン、ピアノ)、ティニー・ホッジス(ギター)、リロイ・ホッジス(ベース)3兄弟と、ドラムスのハワード・グライムス。特に、ハワードの叩き出すドラムスは、スネアとバスドラのチューニングを緩くして、バシャッと湿ったような質感を出しながら、それでいてソリッド感ある音づくりに徹した。そこから生まれてくる重厚なサウンドは、まさにサザンソウルの白眉であった。このシル・ジョンソンの歌う「I Hear the Love Love chimes」などは、それがよく伝わる佳曲。アンニュイ漂うレイドバックしたリズムが心地よい。
http://campingcar.shumilog.com/2010/01/31/%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e9%85%92%e5%a0%b4/
 
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⑲ ステッペン・ウルフ 「Born To Be Wild (ワイルドでいこう)」
1968年

【寸評】 「Born To Be Wild (ワイルドでいこう)」は、60年代の反体制派若者の生きざまを描いた映画『イージーライダー』のテーマソングに使われ、映画のヒットとともに世界的に知られる曲となった。とにかくタイトルどおり、そのサウンドはこのうえなくワイルドで、ぐいぐい回転するようなグルーブ感に満ち溢れ、無類にノリがいい。「ステッペンウルフ(荒野の狼)」というグループ名も、この曲のイメージ形成に一役買った。私はいまだにカラオケでこの曲をよく歌う。
http://campingcar.shumilog.com/2011/06/25/%e8%8d%92%e9%87%8e%e3%81%ae%e7%8b%bc-2/
  
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⑳ アリシア・キーズ 「The Life (ザ・ライフ)」
2007年

 

【寸評】 2000年以降に活躍している歌手にはそれほど興味がない。唯一の例外は、このアリシア・キーズだ。理由は、私好みの美人だからだ。ソウル/R&B系の音楽が好きになってからというもの、女性の好みもブラックの血が混じったような顔が好きになってしまった。音楽的な評価となれば、アリシアの手掛ける曲は、必ずしもすべてが私の好みというわけではない。ただ、ここに挙げた「The Life」という曲はとても気に入っている。これは1972年にカーティス・メイフィールドがリリースした「Give Me Your Love」(アルバム『Superfly』に収録)の2000年代的解釈といえる。“好きな音楽家” という意味では、カーティス・メイフィールドなどはこの企画のトップに掲げてもいいくらいなのだが、ただブログ記事にカーティスを採り上げたことがなかったため、今回は外した。それを、アリシアの「The Life」で代用する。
http://campingcar.shumilog.com/2013/05/20/%e3%82%a2%e3%83%aa%e3%82%b7%e3%82%a2%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%81%ae%e3%82%a8%e3%82%b8%e3%83%97%e3%83%88%e3%83%a1%e3%82%a4%e3%82%af/


   
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以下、番外編
  
21) ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド 「Win, Lose, or Draw」
1975年

【寸評】 オールマン・ブラザーズ・バンドというと、若くして死んだデュアン・オールマンが在籍していた時代が頂点だったという見方をする人が多い。確かに、エリック・クラプトンをも震撼させたというギタリストとしてのデュアン・オールマンの存在は大きかったに違いない。しかし、私はデュアン亡き後にリードギターを務めるようになったディッキー・ベッツの音が方が好きである。あのなんともいえないカントリーっぽい軽さが心地いいのだ。このディッキー・ベッツのギターとグレッグ・オールマンのキーボードが絡むときに、“南部の音” が生まれる(と思っている)。すなわちラフで物憂いレイドバックフィーリングが漂い始める。それがアスファルトの上にも土ぼこりが舞っているような、アメリカ南部のハイウェイの香りを伝えてくる。
http://campingcar2.shumilog.com/2016/05/02/%e3%82%b5%e3%82%b6%e3%83%b3%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%ae%e8%aa%98%e6%83%91/

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22) クリーム 「Strange Brew (ストレンジ・ブルー)」
1967年
 

【寸評】 1967年。ビートルズはアルバム『サージェント・ペッパー … 』をリリースし、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レイン」、「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」などのシングルを発表した。長いことビートルズファンを任じていた私は、それらを聞きながら、「なんと退屈な音になってしまったんだろう」とがっかりしてうなだれた。ビートルズのサウンドを退屈なものにしてしまった最大の “犯人” は、同じイギリス出身のバンド「クリーム」だった。今から思えば、ビートルズはあの時代、やはり時代のトップを走り続けていたのだと分かる。しかし、当時の私にとって、クリームを聞いてしまった後では、ビートルズの音楽はみな “童謡” にしか聞こえなかった。それに比べ、クリームの音には大人の匂いがあった。危険な香りもあった。そして何よりもカッコよかった。それはすべてブルースの体臭だったのだ。クラプトンが好きな黒人ブルースのエッセンスが、音作りのプロたちが集まったクリームという “プロジェクト” のなかで昇華され、ジャズの味づけも加わり、より都会的なサウンドとして練り直されていたのだ。「ストレンジブルー」はその代表曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2011/05/09/%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%83%bb%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc/
 
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023) ジミ・ヘンドリックス 「フォクシー・レディー」
1967年

【寸評】 今から思うと、1967年というのは「ロック元年」であったように思う。この年あたりから、ビートルズ、ローリング・ストーンズ以降の新しいロックを総称する言葉として「ニューロック」あるいは「アートロック」という言葉が生まれた。今ではどちらも死語となったが、そういう新しいカテゴリーを創設しなければならないほど、67年はロックが恐ろしい勢いで成長を遂げ、その存在感を増し始めたのだ。この時代の代表的なロックバンドを挙げると、ヴァニラ・ファッジ、アイアンバタフライ、ジェファーソン・エアプレイン、ドアーズ、クリームなどという名がすぐ浮かんでくる。彼らのつくり出すロックは、それまでのポップス系ヒット曲とはまったく異なるテンションと芸術性を持っており、あきらかに時代が変わったことを「音」で示した。そういう新しいロックの代表格が、ジミ・ヘンドリックスだったのだ。その演奏スタイルの特徴のひとつに「即興性」があった。同じコードを使う同じ曲であっても、ライブ会場の違いや彼の気分によってがらりと曲想が変わった。その変化が、泉のように湧き出てくる彼の非凡なアイデアから来るものであることは誰にもすぐに分かった。だからみな、そんなジミの姿に「天才」という言葉を重ね合わせた。「フォクシー・レディー」は、まさにジミの芸術性の高さが結晶化した曲。それでいて親しみやすいメロディーを持ち、ダンサブルなのだから、これはもう「奇跡」というしかない。
http://campingcar.shumilog.com/2011/06/05/%e3%82%ad%e3%83%84%e3%83%8d%e7%9b%ae%e3%81%ae%e5%a5%b3/
 
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024) マル・ウォルドロン 「オールアローン」
1968年

【寸評】 この曲から迫ってくるのは、絶対的な孤独。それも、頼れるものを失い、ヒリヒリするような虚無と向き合うことの恐ろしさが伝わってくる。しかし、孤独感も極端まで深まってしまえば、その底には、案外 “爽やかさ” が潜んでいるものだ。孤独であることの美しさに気づく。それはきわめて「文学的体験」ともいえる。夜のしじまの底に沈んで、じっとこの音を聞いていると、やがて白々と明けて来る朝の冷気が心地よく感じられるはず。―― さびしいってことは、すがすがしいものなのだ。
http://campingcar.shumilog.com/2012/05/13/%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%83%8f%e3%83%83%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%81%ae%e5%93%80%e6%84%81/
 
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25) ハーブ・アルファート&ティファナブラス
   「The Lonely Bull (悲しき闘牛)」 1962年

【寸評】 ラテン的熱狂を象徴する競技がスペイン/メキシコの「闘牛」である。今ではその人気はサッカーに変わられつつあるとはいえ、管楽器のすさまじい咆哮と、聴衆の熱狂が混然一体と渦巻く祝祭的空間となれば、やはり闘牛場にかなうスペースはない。なにしろ、そこでは人間を興奮させる “犠牲獣” の血が流れるのだ。同時に命を奪われる牛たちの哀しみも浮かび上がってくる。「悲しき闘牛」は、その闘牛場の祝祭性と犠牲獣の悲しい死を同時に表現したドラマチックな曲である。…… では一句。「興奮も 冷めれば悲しい 広場かな」。
http://campingcar.shumilog.com/2012/08/31/%e6%82%b2%e3%81%97%e3%81%8d%e9%97%98%e7%89%9b%e3%81%a8%e7%9a%86%e6%ae%ba%e3%81%97%e3%81%ae%e6%ad%8c/
 
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026) フローターズ 「Float on」 他
1977年

【寸評】 誰が付けたか、「甘茶ソウル」。美しいメロディーラインに華麗なストリングスをまぶし、快楽にむせぶときの吐息のようなヴォーカルで歌いあげるスイートなソウルミュージック。特に70年代のフィラデルフィア系R&Bがそのスタイルを代表する。日本でいえば「ムード歌謡」ということになるのだろうか。キャバレー、サパークラブ、ラウンジなどといった美女系酒場で流れると似合いそうだ。そういう「甘茶ソウル」の典型的な曲がフローターズの歌う「フロートオン」。ため息が出るほど切ない美しさに満ちたメロディーが特徴で、「夢なら覚めないで !」と叫びたくなる曲。
http://campingcar.shumilog.com/2011/10/02/70%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e3%82%b9%e3%82%a4%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%9d%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9/
 
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027) ザ・フリー 「Be My Friend (ビー・マイ・フレンド)」
1970年

 

【寸評】 1967年に結成されたとき、メンバーの平均年齢は19歳だったというフリー。アイドルグループのような若さを持ったまま、すでにデビュー時から、彼らは憂愁の影を身にまとう大人のロックを完成させていた。どの曲もブルースフィーリングに満ちていて、ブルース的グルーブ感を強調したものが多いが、アップテンポのものも、ミディアムテンポのものも、どこか疲労感に似た暗いアンニュイが漂うところに特徴がある。それは若くしてロックビジネスにおける成功も、人生の何たるかを見定めてしまった人間のたちの漏らす「吐息」のようなものかもしれない。特に、ここに掲げた「ビー・マイ・フレンド」は、ブルース色が薄まっている分、逆にイギリスという風土独特の “辺境の島国で生きた民族” の物悲しさが色濃くにじむ。
http://campingcar.shumilog.com/2009/10/16/%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ae%e5%8d%b1%e9%99%ba%e3%81%aa%e5%8c%82%e3%81%84/

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028) ザ・バンド 「The Weight」
1968年

【寸評】 「ザ・バンド」はカナダ人を中心に構成されたグループである。そのせいもあるのか、隣国アメリカの音楽文化に対するリスペクトと研究が本場のアメリカ人たちよりも深い。2枚目のアルバム『ザ・バンド』(1969年)で最初に彼らの音を聞いたとき、そのアメリカ的な泥臭さにびっくりした。100年前の西部開拓時代のバンドマンたちの演奏を聞いているような気分だったのだ。そのアメリカ臭さのおかげで、最初私は、彼らの音楽的ルーツはアメリカ白人のカントリー&ウエスタンにあるのだろうと思っていた。だが、すぐに違うことを悟った。ザ・バンドの音楽は、カントリー&ウエスタンが生まれる前のアメリカの音だったのだ。それこそ、イギリスから五大湖の沿岸あたりの町にたどりつき、神への祈りを捧げながら西への旅を始めた開拓者たちのメンタリティーが音楽のバックにある。これは彼らのキーボード奏者ガース・ハドソンが語ったことである。すなわち音の原点は讃美歌だったのだ。この「ザ・ウェイト」の歌詞からは、彼らの音楽的教養が聖書に深く関係していることがうかがえる。
http://campingcar.shumilog.com/2010/01/06/%e3%83%90%e3%83%b3%e3%83%89%e3%81%ae%e3%82%a6%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%83%88/

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029) スモーキー・ロビンソン 「Ooo Baby Baby」
1965年

【寸評】 「美しいメロディーとは覚えやすいメロディーのことである」という言葉があるが、まさにスモーキー・ロビンソンのつくる曲は、無類の美しさをたたえると同時に、一度聞いただけで、鼻歌でコピーできそうな親しみやすさを持っている。それでいて彼の歌は、心の奥に沈んでいた哀しみをすくい上げ、それを優しく包み直してくれるのだ。だから、彼の歌を聞いていると、思い出したくないような辛い記憶でさえ、いつのまにか、ほのかな切なさに包まれた懐かしい思い出に変わっている。そういう曲作りでスモーキーを超えるソングライターは見当たらない。痛みを伴う失恋の思い出も、いつのまにか極上の記憶に変えてしまう恋愛ソングの魔術師だ。
http://campingcar.shumilog.com/2012/01/31/%e5%a4%a7%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%82%b9%e3%83%a2%e3%83%bc%e3%82%ad%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%83%93%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3/
 
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030) ザ・ローリング・ストーンズ 「Off The Hook」
1965年

【寸評】 ストーンズの曲では、ほんとうはもっと好きな曲がたくさんある。では、なぜこの「Off The Hook」という地味な曲を選んだかというと、たまたまこの曲を採り上げた自分のブログがうまく書けたからだ。ストーンズとビートルズは、同じ時代に世界的なブームを巻き起こしたイギリスバンドのツートップだと思われがちだが、ビートルズはグローバルバンドであったとしても、私は基本的にストーンズはイギリスのローカルバンドだと思っている。それは彼らを低く見るからではなく、逆に、ストーンズの方こそ、その音づくりにイギリス的個性や特徴を色濃く反映させているからだ。神経質で、繊細で、傷つきやすいサウンド。タフでラフなロックを演奏するグループだと思われがちなストーンズサウンドの本質は、霧に包まれた北の島国らしい内省的な特徴を持っている。
http://campingcar.shumilog.com/2013/03/29/%e3%83%a2%e3%83%8e%e3%82%af%e3%83%ad%e3%81%ae%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%ba/
 
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031) ジェームス・テイラー 「Fire and Rain」
1970年


 
【寸評】 1960年代は、ロックの巨人たちの黄金時代だった。ビートルズ、ローリングストーンズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、レッドツェッペリンが活躍した60年代というのは、まさに地球上を大型恐竜がのし歩くジュラ紀や白亜紀の時代だった。しかし、70年代に入ると、それまで恐竜たちの影に隠れて活動していた小さな哺乳動物たちがいっせいに表舞台に登場し始めるようになる。それが、キャロル・キングであり、エルトン・ジョンであり、キャット・スティーブンスであり、カーリー・サイモンであったりした。そして、その代表格がジェームス・テイラーだった。ロックやソウルのヒット曲を追い続けていた頃、私の耳にジェームス・テイラーの曲は入ってこなかった。しかし、あるとき、彼の歌が突然耳に届いたのである。ロックやソウルとはまったく異なる世界からやってきた新鮮な音として。それは夏の白昼を揺るがしていたセミの声がいつのまにか鳴り止み、秋の虫の声に代わっていたことに気づいた晩のようだった。1970年代の中頃、ジェームス・テイラーを聞くようになって、ようやく自分の青春時代が終わったことを私は悟った。
http://campingcar.shumilog.com/2012/07/22/%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%82%a2%e3%83%bc%ef%bc%86%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%b3/
 
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032) マジック・サム 「ストップ・ユア・ハーティング・ミー」
1968年


 
【寸評】 学生時代に、慶応大学の三田校舎で開かれた学園祭で、ウエストロード・ブルース・バンドという京都出身のバンドの演奏を聞いた。40年以上も前の話である。そのとき私は、自分が一貫してこだわってきた音楽の正体が「ブルース」であることにはじめて気づいた。それまではずっと白人のブルースロックを中心に聞いていた。しかし、ブルースロックのコード進行やリズムの取り方が、「黒人ブルース」に基づいたものだということまでは、あまり意識していなかった。ところが、学園祭で “真っ黒な” ブルースを披露して聴衆を虜にしたウエストロードは、はっきりと、自分たちは「黒人ミュージシャンのカバーをやっている」と明言した。それをきっかけに、私は本物の黒人ブルースに興味を持つようになった。マジック・サムはそのウエストロードがよくコピーしていたブルースマンの一人。その代表的アルバムである『West Side Soul』と『Black Magic』の2枚から、私の本格的なブルース遍歴が始まった。
http://campingcar.shumilog.com/2013/12/01/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%81%ab%e6%8a%b1%e3%81%8b%e3%82%8c%e3%81%a6%e7%9c%a0%e3%82%8b/

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033) ボブ・ディラン 「Like A Rolling Stone」
1965年

 

【寸評】 ボブ・ディランは、「ノーベル文学賞」をもらったことから分かるように、ミュージシャンでありながら、文学者であった。それは彼がつくり出した歌詞以上に、その歌声が証明していた。聴衆の耳に不協和音を注ぎ込むようなあの独特のだみ声。あんな声で歌われてしまえば、誰だって歌詞に何かの “意味” を求めてしまう。平易な言葉で綴られたやさしい歌詞でも、あのしゃがれた声でしゃくりあげるように歌われると、その言葉の底に、もっと深い意味が隠れているような気がしてくる。つまり、ボブ・ディランが歌い終わる前に、すでに聴衆は彼の歌から “文学” を受け取っていたのだ。けっきょく、そういう形で、彼の音楽はミュージシャン仲間や詩人たちや芸術家たちに影響を与え、音楽を「文化」に昇華させた。「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、そのことを象徴的に伝える金字塔的作品である。
http://campingcar.shumilog.com/2009/12/12/%e8%8d%92%e9%87%8e%e3%81%ae%e3%83%87%e3%82%a3%e3%83%a9%e3%83%b3/

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034) セリオン 「Blood Of Kingu (キングの血)」
2004年

 

【寸評】 「セリオン」は、スウェーデンのヘビーメタルバンド。トーマス・ヴィクストロムというスウェーデンの王立歌劇場のオペラ歌手がヴォーカルを取るという変わったバンドである。そういう音楽を「好きか?」と聞かれたら、あまり好きではない。そもそも私はヘビメタという音楽に興味がない。しかし、テレビでこのバンドの存在を知ったとき、ものすごく知的好奇心をくすぐられたことも事実。テレビで彼らの演奏を聞いたかぎりの私の理解では、ヘビメタというのはロックの発展形ではなく、むしろロック以前の、それこそ中世ヨーロッパの祝祭的な音楽文化への回帰だった。…… と書いたところで、大半の読者からは「何のこっちゃ?」と思われるだけだろうから、これ以上深くは言及しない。もし多少興味を感じていらっしゃる人がいたら下記の記事をどうぞ。
http://campingcar.shumilog.com/2011/10/10/%e3%83%98%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%82%bf%e3%83%ab%e3%81%a8%e3%82%aa%e3%83%9a%e3%83%a9/
 
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035) ティエラ 「Together」
1981年

【寸評】 もうダメ~! と、あまりの美しさに、身体がナヨナヨと崩れ落ちそうになる曲というものがある。その大半はメチャメチャに甘いソウルバラード系の曲なのだが、そういう曲がかかると、恥ずかしいことに、どんな場所にいても涙ぐんだりすることがあるのだ。別に何かの思い出と絡んだりしているわけではない。ただ暑いときに汗が出て、寒い冬には鳥肌が立つような生理的反応である。そんな曲の一つにソウルバラードの「Together(トゥギャザー)」という曲がある。もとは1967年にソウルグループのザ・イントルーダースがリリースした曲だが、1981年にラテン・ソウルバンドのティエラがリメイクして大ヒットとなった。とにかくイントロから切ないほどロマンチック。原曲のメロディーの良さにスイートなラテンフレーバーが絡んで、ああもうダメ! 泣くから誰かハンカチを。
http://campingcar.shumilog.com/2015/04/15/%E6%B6%99%E8%85%BA%E3%81%AE%E3%82%86%E3%82%8B%E3%82%80%E9%9F%B3%E6%A5%BD/
 
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036) エディ・ラビット 「Pour Me Another Tequila (テキーラをもう一杯)」
1979年

【寸評】 「大好き !」というほどではないにしろ、気づくといつのまにか口ずさんでいる曲というものがある。そういう歌は、やはり自分にとって心地よい歌なのだ。エディ・ラビットの「Pour Me Another Tequila (ポー・ミー・アナザー・テキーラ)」は、そんな曲のひとつ。アメリカの田舎町のバーカウンターに座り、目で夕陽を追いながら、別れた女を思い出しつつ、テキーラを喉に流し込む。そんな主人公の心情が、哀愁をにじませたメロディーから伝わってくる。
http://campingcar.shumilog.com/2013/07/03/good-time-charlie/
  
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037) ボビー・ウーマック 「I don’t Wanna Be Hurt By ya Love Again」
1974年

【寸評】 好みのメロディーというのは、時代や自分の年齢によって変わっていくことがある。しかし、好みのリズムというのは、生涯を通じてそれほど変わることがない。メロディーは「頭」で聞くが、リズムは「身体」で聞くからだ。つまり、メロディーは学習で習得するものだから、学習が深まれば、それに応じてその人の音楽体験も進化していく。「ハーモニー」などという西洋音楽の伝統的規範も、数学理論がベースになっているため、頭を使って身につけるようになっている。それに対して、リズムは、人間が母親の胎内にいるときに、母親の心臓を通して伝えられた最初の “生命の音” だ。すなわち生きる喜びを最初に伝えてくれた信号である。だから、一度自分好みのリズムを探し当てると、それがけっきょく生涯にわたっての「生きる喜び」を伝える音になる。私にとって、ボビー・ウーマックが歌うミディアムテンポのR&Bは、「生命の音」である。「I don’t Wanna Be Hurt By ya Love Again (傷つくのはもうごめん)」のイントロを最初に聞いたとき、自分は母親の胎内で生を受けたときのことを思い出した。…… 「思い出す」ってのはウソだけどさ(笑) … 。
http://campingcar.shumilog.com/2013/05/11/%e7%b5%82%e9%9b%bb%e3%81%8c%e8%a1%8c%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%81%e3%83%9c%e3%83%93%e3%83%bc%e3%81%ae%e6%ad%8c%e3%82%92%e8%81%9e%e3%81%8f/
 
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038) ジュリー・ロンドン 「クライ・ミー・ア・リバー」
1955年

【寸評】 ジャズのスタンダードバラードは、どれも「大人の音楽」という風格がある。若い頃、こういう音楽が流れるバーに女の子を連れ込めば、いかにも “大人の遊びを知っている男” を気取れそうな気になっていた。もちろんそれは錯覚だった。のみならず逆効果だった。そういう店についてきた女の子は、普段以上に、男の子に「大人」を求めるからだ。でも、二十歳前の若造に、甘さと苦さを巧みにバランスさせた大人の会話などできるはずもない。背伸びしたデートはことごとく失敗したが、おかげでジャズのスタンダードバラードの美しさだけは理解できるようになった。「Cry Me A River」はその頃に好きになった曲の一つ。一度は女を裏切った男が、再びその女のもとに戻ってきて復縁を迫る。そのとき、女は言い放つのだ。「ふん ! 今さら何よ。私を取り戻したいのなら、ここで川(リバー)のように泣いてみな」。歌詞は激しいが、アンニュイに満ちたメロディーはなかなか美しい。
http://campingcar.shumilog.com/2011/12/23/cry-me-a-river/

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039) ビヨンセ 「I‘d Rather Go Blind」
2008年

【寸評】 こんなに切ない表情の女性は見たことがない。映画『キャデラック・レコード』(2008年)で、R&B歌手のエタ・ジェイムスに扮したビヨンセが「I‘d Rather Go Blind」を歌うときの表情だ。エタ・ジェイムスは、一緒になれない愛人レーナード・チェス(チェスレコードの社長)が立ち会う最後のレコーディングに臨む。自分のことを愛していながら、それでも背中を見せて去っていくレーナード・チェスに対し、彼女は、別れの言葉の代りに、この歌を熱唱する。扉が閉まり、スタジオにもうレーナードの姿はない。それでも、閉じた扉を見つめながら歌い続けるエタ。このシーンを見ている観客の目にも、いつしか涙。
http://campingcar.shumilog.com/2011/09/17/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%87%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%bb%e3%83%ac%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%89/


  
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040) テッド・テイラー 「オンリー・ザ・ロンリー・ノウ」 
1971年


 
【寸評】 個人的な感覚でいうと、まさにこの曲などが、自分にとっての典型的なソウルバラードである。ここにはフィリー(フィラデルフィア)ソウルのような華麗さも、モータウンのような親しみやすさもないけれど、飲み物でいうところの「コク」がある。例えていえば、熟成させた “芋焼酎” をちびちびやる感じ。それに比べると、フィリーサウンドは甘めのカクテル。モータウンはハイボール。どちらも飲みやすいけれど、のど越し過ぎればあっさりと胃の中に消える。それに対し、テッド・テイラーのバラードは身体に吸収されるまでに、まず鼻が味わい、舌が味わい、喉が味わい、食道が味わい、胃が味わう。
http://campingcar.shumilog.com/2013/10/06/%e3%83%86%e3%83%83%e3%83%89%e3%83%bb%e3%83%86%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%83%bc-%e3%80%8c%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%82%b6%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%83%b3%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%83%8e/
 
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041) エンニオ・モリコーネ 「荒野の用心棒」
1964年

 

【寸評】 現在70歳ぐらいの人は、若い頃、ラジオなどを通じてこのメロディーをさんざん聞いたのではなかろうか。マカロニウエスタンの代表作『荒野の用心棒』のテーマソング。口笛、エレキギター、「♪エンヤトット」と歌っているような奇妙な掛け声。西部劇のテーマ曲としては何から何まで異色だった。メロディーは美しくとも、殺伐とした哀調を持つサウンドを聞いただけで、もうここには頼りになりそうな保安官とか、善良そうな町の人たちとか、そういう温かみを持った登場人物は出てこないんだな … と予想がつく。で、映画が始まると、思った通り、現れるのは、逃げる悪党(ギャング)と追う悪党(賞金稼ぎ)だけ。裏切りや人殺しのシーンばかり続く悲しいほど残酷な映画だ。でも、それがアメリカ製西部劇にはなかった緊張感を生み出して、無類に面白かった。
http://campingcar.shumilog.com/2013/01/18/%e3%83%9e%e3%82%ab%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%83%bb%e3%82%a6%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%b3%e5%86%8d%e8%80%83/

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042) ステファン・グラッペリ 「Smoke, rings and wine (煙草とワイン)」
1978年

【寸評】 ジャズバイオリニストのステファン・グラッペリが演奏する曲は、どれもたとえようもないほど美しく、優しく、切ない。恋人同士には「感情の高ぶり」を。独り者には「恋に対する渇望」を。失恋者には「甘くセンチメンタルな思い出」を喚起させる。基本的には夕暮れを迎えてくつろぐときの音楽だ。村上春樹の小説に、『午後の最後の芝生』という短編があるが、その言葉を頭に浮かべつつ、夕陽を浴びた芝生の上に伸びる木立の影を眺めながら聞きたい。
http://campingcar2.shumilog.com/2017/05/24/%e6%9c%a8%e6%bc%8f%e3%82%8c%e6%97%a5%e3%81%ae%e4%bc%bc%e5%90%88%e3%81%86%e9%9f%b3%e6%a5%bd/

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043) ザ・フォートップス 「Ain’t No Woman (Like The One I’ve Got)」
1972年

【寸評】 1972年という年は、ソウルミュージックが頂点を極めた年だった。この年の5月、全米トップ10のうち、黒人系アーチストによるソウルミュージックが8曲も占めたのだ。そういった意味で、白人系ロックばかり聞いていた私にとって、この年は好みの音楽の転換点になった。72年にリリースされたフォートップスの「Ain’t No Woman (エイント・ノー・ウーマン)」は、マーヴィン・ゲイの「What’s Going on」とともに、当時私がもっとも聞き込んだ曲のひとつ。それは白人系ロックなどを足元にも寄せ付けない「洗練された大人の音」だった。ディープパープルやユーライアヒープの音が、小学生ぐらいの子供が聞く音楽に思えたものだった。
http://campingcar.shumilog.com/2007/02/04/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%ad%e3%83%98%e3%82%a2%e3%81%ae%e5%b0%91%e5%a5%b3/
 
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044) オールマン・ブラザーズ・バンド 「ジェシカ」
1973年

【寸評】 オールマン・ブラザーズ・バンドの良さが分かったのは、自分が運転免許を持ってからである。つまり、「この手のロックはドライブミュージックだったのだ !」とはじめて合点がいった。この感覚は都会のディスコなどに入り浸って、ピカピカ光る壁に囲まれているときには絶対分からないものだった。車をあやつっているときに、右足のつま先を通じて伝わってくるエンジンの鼓動。フロントガラスにぶつかってくる風景が、次の瞬間パァっと左右に切り裂かれていくときのパノラマ感。そういうドライブの快楽が、オールマン・ブラザーズ・バンドのインスト曲にはものの見事に身体化されている。「ジェシカ」はそういったタイプの演奏の代表曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2011/05/15/%e5%86%85%e7%87%83%e6%a9%9f%e9%96%a2%e3%81%ae%e9%bc%93%e5%8b%95/
 
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045) ザ・ライチャス・ブラザーズ 「You’ve Lost That Lovin’ Feelin’」
1964年

【寸評】 ザ・ライチャス・ブラザーズは、1962年に結成された白人男性2人によるソウル・デュオである。声質や歌う曲調があまりにも黒人っぽいので、「ブルーアイドソウル」(青い目のソウルミュージック)と呼ばれた。彼らの歌は、時代を超えていろいろな映画に使われることが多く、映画『ゴースト』(1990年)では「Unchained Melody」が。『トップガン』(1986年)では、「You’ve Lost That Lovin’ Feelin’(ふられた気持ち)」が挿入歌として使われ、ドラマの展開に重要な役を果たした。この「ふられた気持ち」は、カラオケで歌いたいと思って、いま練習中。
http://campingcar2.shumilog.com/2016/09/07/%e3%81%b5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e6%b0%97%e6%8c%81%e3%81%a1/
  
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046) メリー・クレイトン 「Oh No、Not My Baby」
1973年

【寸評】 「Oh No、Not My Baby (ノット・マイ・ベイビー)」はキャロル・キングがソングライター時代の1964年に、R&B歌手のマキシン・ブラウンのために作った曲。1回聞いただけでも記憶に残るキャロルらしい華麗なメロディーを特徴としているため、ロット・スチュワート、アレサ・フランクリン、ダスティー・スプリングフィールドなど数多くの歌手にカバーされたほか、キャロル自身もセルフカバーを出している。しかし、私がいちばん好きなバージョンは、1973年に制作されたメリー・クレイトン版。LPへの収録はなくシングル盤のみの発売となったが、R&Bの王道を極めるようなこってりした仕上がりで、黒人ヴォーカルのだいご味がたっぷり堪能できる。
http://campingcar.shumilog.com/2012/12/24/%e3%83%8e%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%bb%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%99%e3%82%a4%e3%83%93%e3%83%bc/
 
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047) カントリー・コンフォート 「Sunlite Moonlite」
1976年


 
【寸評】 1970年代中頃、いっとき「ハワイアンロック」なるものが話題になったことがあった。そのブームに乗って、「セシリオ&カポノ」、「カラパナ」などいうグループが活躍したが、私のお気に入りは「カントリー・コンフォート」というバンドだった。このグループの曲はどれも、とにかく “けだるい” のだ ! レコードを買って、針を落としてみると、「ターンテーブルが故障したのかな?」と思えるくらい回転がゆるく感じられた。しかし、そのまのびした感じが、なんとも心地よかった。彼らの残した2枚のアルバムのうち、私が持っているのはそのファーストアルバムだが、これがまさに「睡眠薬」。アルバム全体を通じてアコースティックギターとハーモニー主体のスローテンポかミディアムテンポの曲が続き、まるで砂浜に寝そべって「波の音」を聞いている気分になる。だから、いつしか眠ってしまう。「心地よく眠れる」ということは、ある意味、人間がもっともリラックスしている状態に置かれているということだから、この「カントリー・コンフォート」のアルバムは、まさに究極のリラクゼーション・ミュージックといっていい。
http://campingcar.shumilog.com/2012/01/20/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%ab/
 
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048) ジョス・ストーン 「Don’t Know How」 
2004年

【寸評】 「R&B」、あるいは「SOUL MUSIC」という言葉からリスナーがイメージする曲調は時代によって異なる。つまり、リスナーが最初にその曲に接したときに受けた印象がベースになっている。私がこの手の音楽に最初に触れたのは1960年代であり、のめり込んだのは1970年代初頭だった。この間、都会的なフィリーサウンドやポップな味わいのあるモータウンもよく聞いたが、ときどき無性に聞きたくなるのが、サザンソウルだった。そのサウンド的な特徴をいうと、「アーシー」。つまり泥臭さだ。しかし、泥臭さというのは、食べ物や飲み物でいえば “コク” でもある。舌で味わってからのどに流し込むときの「胃が焼ける」ような刺激。この “痛覚” を伴うような濃い味がサザンソウルの魅力である。2003年に17歳でデビューしたイギリス少女が放つ「ディープサウス」の輝き。張りのあるハスキーボイスで、70年代風のねちっこいR&Bを歌う初期のジョス・ストーンには、一時期完全にまいったことがある。
http://campingcar.shumilog.com/2012/05/24/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%b3/
 
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049) カール・ダグラス 「Kung Fu Fighting」
1974年


 
【寸評】 「ソウルミュージック」と「ディスコミュージック」の分岐点は、1975年にあると思っている。この年ヴァン・マッコイによる大ヒット曲「ハッスル」が生まれて、黒人音楽シーンが大転換を遂げた。私からいわせると、それはソウルミュージックの “美しさ” がフェイドアウトし、ディスコミュージックの “狂騒” が台頭したということになる。以降「怪僧ラスプーチン」(1978年)、「ハローミスターモンキー」(1978年)、「ジンギスカン」(1979年)と、ソウルミュージックとは無縁の幼稚園のお遊戯ソングの時代になっていく。ここに紹介するカール・ダグラスの「カンフー・ファイティング」が登場した1974年というのは、ソウルミュージック大転換前の微妙な時期に当たる。この年に大ヒットした同曲は、キワモノめいたチャイナモードのリズムのなかに、わずかだが正統派ソウルの格調を残している。その微妙な混ざり具合がけっこう楽しい。気に入っている曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2012/07/10/%e3%82%ab%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%bc%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%82%b0/
  
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050) バーニー・リードン&マイケル・ジョージアデス
    「Callin’ For Your Love」
 
1977年


 
【寸評】 イーグルスというバンドは、私より6~7歳ほど若い、つまりこの2018年に還暦を迎えるぐらいの人々から絶大な支持を受けている。「自分の青春の音だ !」と言い切る人までいる。しかし、私はイーグルスには(好きなグループではあるが)それほど熱狂しなかった。時代の差だと思う。同じカントリー/フォークの味わいを持つロックバンドを挙げるならば、イーグルスがデビューする前に、既にザ・バンド、ニール・ヤング(&クレイジーホース)、クリアデンス・クリアウォーター・リバイバル、CSN&Y、ドゥービー・ブラザースなどがいた。それらのバンドよりもイーグルスの方が優れているとは、私には思えない。しかし、1975年にイーグルスを脱退したバーニー・リードンがその2年後に友人のマイケル・ジョージアディスと組んで発表した『Natural Progressions(ナチュラル・プログレッション)』は、イーグルス人脈がつくり出したアルバムという意味では、“イーグルスの最高傑作” といえるほどの名盤である。本家のイーグルスは嫌がるだろうが、もし「イーグルス」の名でこういうアルバムを出していたら、私はかなり熱狂的なイーグルスファンになっていたはずだ。それほど全曲が素晴らしい。レイドバックした “のんびり感” のなかにカントリーの乾いた味もあり、フォークの抒情性もあり、ロックのタイト感もある。そしてメロディーがみな美しい。
http://campingcar.shumilog.com/2011/07/16/%e5%bf%98%e3%82%8c%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%82%82%e3%81%86%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%81%a4%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%ab%e3%82%b9/
 
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051) ニール・セダカ 「悲しき慕情」
1962年

【寸評】 ニール・セダカの「悲しき慕情」は、1960年代初期のアメリカンポップスを代表する名曲の一つ。1964年になると、外来種であるイギリスのビートルズが、「抱きしめたい」というオバケヒット曲をひっさげてアメリカに上陸し、在来種のアメリカンポップスを次々と駆逐していったが、ニール・セダカだけはビートルズの猛威をかいくぐり、さらに70年代のロックの時代も耐え忍び、1974年には「雨に微笑みを」で見事に全米チャートナンバー1に返り咲いている。ニール・セダカ復活の力となったのは、けっきょく彼の作曲能力の高さであった。それはこの1962年の「悲しき慕情」を聞くだけで伝わってくる。メロディーラインの取り方においても、コード展開においても、ビートルズを先取りしているばかりか、それよりも斬新なところがある。今聞いても、この曲は新鮮に聞こえる。
http://campingcar.shumilog.com/2014/10/29/%e3%82%a2%e3%83%a1%e3%83%aa%e3%82%ab%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%9d%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9%e3%81%8c%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%ab%e3%82%ba%e3%81%ab%e9%a7%86%e9%80%90%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b/
  
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052) マントヴァーニ・オーケストラ 「魅惑の宵」
1942年

 

【寸評】 1960年代に若者向けのポップスが登場する前のアメリカで人気を集めていたのは、ミュージカルの挿入歌かそのテーマンソングだった。1940年代~50年代を通じてアメリカ人の大衆娯楽を支えたミュージカルからは、数々のヒット曲が生まれ、それがポピュラーソングやジャズのスタンダードになっていった。「魅惑の宵」は、アメリカの代表的なミュージカルの一つ『南太平洋』で使われたいちばん有名な曲。甘いストリングスに包まれたロマンチックなメロディーは、ラジオやレストランのBGMに使われ、1950年代には毎日街角のどこかで流れていた。だから、私にとってこの曲は、幼少期に両親にデパートの食堂に連れて行ってもらったときのテーマソングみたいなものだった。当時、デパートの食堂でご飯を食べるというのは、庶民にとってはそうとう贅沢なイベントだった。デパートの方もそれを意識して、高級感を損なわないような “優雅な” BGMを流すことに神経をつかった。「魅惑の宵」なら、まず間違いはなかろうという供給側の判断もあって、1950年代においては、この曲は「贅沢な空間で食べる高級な食事」の “代名詞” 的存在であった。
http://campingcar.shumilog.com/2009/03/01/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD/

 
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053) デヴィッド・バーン 「きっとここが帰る場所」
1984年

【寸評】 2011年に公開されたショーン・ペーン主演の映画『きっとここが帰る場所』で、そのテーマソング的な扱い方をされたのがこの曲だ。リードボーカルを取っている「トーキングヘッズ」のデヴィッド・バーンは、役者としても登場し、重要な役を演じている。私は、80年代のロックにはほとんど思い入れを持たずに過ごしてきたので、デヴィッド・バーンのこの曲も、映画を見てはじめて知った。いい曲だと思った。バシャッバシャッと小気味よく跳ねるスネアの音にマリンバの音が絡み、とてもエキゾチックなリズムが生まれている。映画(と曲)の原題は「This Must Be The Place」だから、「帰る」というニュアンスはない。しかし、この原題を「帰る場所」と意訳した翻訳者のセンスは素晴らしい。「帰る」という言葉が入ることによって、タイトルから哲学的な<問>が立ち上ってくる。それが映画にも、また挿入された原曲にも味わい深い陰影を与えている。
http://campingcar.shumilog.com/2013/11/04/%e3%81%8d%e3%81%a3%e3%81%a8-%e3%81%93%e3%81%93%e3%81%8c%e5%b8%b0%e3%82%8b%e5%a0%b4%e6%89%80/
 
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054) ザ・ローリング・ストーンズ 「Everybody Knows About My Good Thing (Blue and Lonesome)」
2016年

【寸評】 2016年に発表されたザ・ローリング・ストーンズの唯一のブルースアルバム。ストーンズというバンドは、デビュー当時からブルースやR&Bを自分たちの音楽活動の中心に据えてきたグループだが、全曲ブルースで統一したアルバムというの、実はこれがはじめてだという。で、聞いてみると、これがまたいいのだ ‼ 。バンドとして50年以上の活動を続けてきて、「ようやくブルースにたどりついた」という感じなのだ。ここには、ブルースの波動がある。ブルースの「うねり」が。ブルースの「ねばり」が。つまりブルースの「グルーブ」がある。こういう音を出せるようになるまでに50年かかったということなのだろうか。それとも、最初からこのくらいの音なら出せたのに、「ストーンズ・サウンドというオリジナリティ」にこだわったため、あえてこういう音作りを避けてきたのか。いずれにせよ、ここには非常に成熟した大人の風格を持ったブルースが生まれている。
http://campingcar2.shumilog.com/2017/12/05/%e3%82%b6%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%ba%e3%81%ae%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%b9/
 
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055) 映画『バルジ大作戦』 「パンツァーリート(戦車兵の歌)」
1965年

【寸評】 1965年に公開された『バルジ大作戦』というアメリカ映画は、ナチスドイツと連合軍の戦車バトルを描いた作品として、今なお人気が高い。もちろんアメリカ映画だから、連合軍の将校役にはヘンリー・フォンダ、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ライアンなどの往年のハリウッドスターがずらりと顔をそろえている。しかし、大半の観客にとって、この映画の主役といえば、それは憎たらしい敵役として登場するナチス将校のヘスラー大佐(ロバート・ショー)であり、映画でもっとも脚光を浴びた曲は、ドイツ戦車兵の歌「パンツァーリート」なのだ。どうしてそういうことになってしまったのか。アメリカの映画制作者たちの誤算であったのか。それとも、最初からドイツ将校の方をカッコよく描こうという意図があったのか。おそらく映画制作者たちの思惑を上回るほど、ナチス将校を演じたロバート・ショーの演技が素晴らしかったのだ。そして、その彼の演技力によって、単なる挿入歌でしかなかった「パンツァーリート」というドイツ兵たちの歌が、神が降臨するような輝きを獲得してしまったのだ。
http://campingcar2.shumilog.com/2016/04/13/%E3%80%8E%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B8%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%88%A6%E3%80%8F%E3%80%80%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AB%E6%B3%A3%E3%81%8F/
 
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056) シド・ヴィシャス 「マイウェイ」
1978年

【寸評】 パンクロックとは無縁な人生を過ごしてしまった。パンクを受容するには、やはり若さが必要となる。「社会」や「政治」や「文化」に対する違和感、嫌悪感、飢餓感、焦燥感がないとパンクロックは受容できない。それらはみな若さが生み出す感性だからだ。世にパンクがはびこり始めた時代、私はもう30歳に近づいていて、世の中の「社会」「政治」「文化」に必死に適合しようとしていた。つまりバンク的感性から遠ざかろうとしていたのだ。ただ、今こうやってこの時代のパンクを振り返ってみると、あれは一種の思想運動もしくは芸術運動であったと思う。思想運動・芸術運動が世の中に浸透するには、まず何よりも運動推進者がカッコよくなければならない。シド・ヴィシャスは、パンクの神がこの世に遣わしたメシア(救世主)としてのカッコよさを身に着けていた。だから、彼の早世は、メシアとしての殉教であったかもしれない。
http://campingcar.shumilog.com/2008/03/08/%E3%82%B7%E3%83%89%EF%BC%86%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC/

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057) マイルス・デイビス 「In A Silent Way」
1969年

【寸評】 マイルス・デイビスの「イン・ア・サイレント・ウエイ」は、楽器で書いた “詩” である。普通のジャズが “散文” ならば、「イン・ア・サイレント・ウェイ」は詩の論法で構成されている。つまり、フレーズのあちこちに、レトリックでいうところの隠喩、換喩、直喩が散りばめられており、単純なロジックで捉えられるものは何一つない。それはもう「夢の世界」といってもかまわない。曲に付けられたタイトルにも凄みがある。「静まり返った道の真ん中で」。… いったいその道はどこに向かっているというのだろうか? それに答える者は周囲に誰一人おらず、ただただ冷たい沈黙が地平線の彼方まで覆っている。この曲は、タイトルも含め、聴衆をこの世を超えた世界に導こうとしている。こんな曲が、1969年に生まれていたということに、ただただ驚くばかりである。
http://campingcar.shumilog.com/2013/01/05/in-a-silent-way-%ef%bc%88%e9%95%b7%e7%80%9e%e3%81%ab%e8%a1%8c%e3%81%8f%ef%bc%89/
 
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058) ザ・マンハッタンズ 「Am I losing you」
1978年

【寸評】 70年代に活躍したソウルコーラスグループで、もっとも都会的に洗練された歌を聞かせてくれたグループといえば、このザ・マンハッタンズ以外に考えられない。そもそもSoul Music というのは、どんなに洗練させようが、黒人音楽独特のアーシーな感触が体臭のように残ってしまうものだ。しかし、ザ・マンハッタンズだけはそれがない。このグループの曲が流れる空間を想像したとき、真っ先に浮かぶのは、街の夜景が見渡せる照明を落としたバーラウンジだ。そういった意味で、このグループの曲は、「洒落た夜景」「洒落たカクテル」「洒落た会話」「洒落た恋」を楽しむ時の最高のBGMとなる。
http://campingcar2.shumilog.com/2015/12/04/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%94%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%81%af%e5%8a%87%e5%a0%b4%e7%a9%ba%e9%96%93%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8b/

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059) スタッフ 「And Here You Are」
1977年

【寸評】 「スタッフ」は、名うてのスタジオミュージシャンたちによって構成されたフュージョンバンドである。ただ私はフュージョンにはあまり興味がなかったので、彼らの演奏もこの「And Here You Are」の1曲しか知らない。しかし、この曲だけは大変気に入っている。夜の静けさを感じさせる涼しげなメロディーのなかに、満天の星の輝きも、夜風の心地よさも、すべて詰まっている。曲調は、ときにセンチでメランコリックな響きを持ち、ときにハートウォーミングな優しさを伝えてくる。こんな豊かな “表情” をもった曲はめったにない。一人ぼっちの寂しさを癒すときにも、誰かと愛を分かち合うときにも使える魔法の曲だ。
http://campingcar.shumilog.com/2015/03/17/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%94%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%81%a8%e5%a4%9c%e6%99%af%e3%81%a8%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ae%e7%9b%b8%e9%96%a2%e9%96%a2%e4%bf%82/

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060) ハリー・ベラフォンテ 「拳銃の報酬」
1959年

【寸評】 親父に連れられて、映画『拳銃の報酬』を観たのは、9歳のときだった。映画のなかで進行しているストーリーの半分も理解できなかった。ただ、モノクロの画面に流れるクールなジャズ、煙草の煙がたなびくナイトクラブの情景、そこで働く黒人女たちの投げやりな表情など、はじめて見る「大人の世界」は強烈に脳裏に沁み込んできた。もしかしたら、私がそれ以降「大人の世界」という言葉から連想する「ジャズ」「煙草」「モノトーンの酒場」などといったイメージは、すべてこのときに醸成されたものかもしれない。映画のなかで、ハリー・べラフォンテがヴィブラファンを叩きながら歌うシーンがある。彼は借金苦から抜け出すために、犯罪にまで手を出さなければならない状況に追い込まれている。そういう人間が歌う歌(ジャズ)は、私が日頃聞いている音楽とはまったく異なるものだった。そのとき、世の中には「童謡」や「唱歌」とは違う音楽があることを9歳の私は悟った。
http://campingcar.shumilog.com/2008/03/09/%e6%8b%b3%e9%8a%83%e3%81%ae%e5%a0%b1%e9%85%ac/
 
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061) ライ・クーダー 「アクロス・ザ・ボーダーライン」
1981年


 
【寸評】 「アクロス・ザ・ボーダー・ライン」は、1981年に公開された映画『ボーダー』(ジャック・ニコルソン主演)のテーマ・ソングである。これを作ったライ・クーダーは、その後もいくつかのバージョンを発表し、いってしまえばライ・クーダーの代表作の一つともいえるような曲になった。全編に漂うのは、“南国の空気感” 。つまりアメリカの国境を越えて、メキシコに下ると、そこには「甘くけだるい土地が広がっているよ」とささやく曲だ。もとよりそれはアメリカ人の願望と幻想にすぎない。しかし、その幻想が長い間疲れたアメリカ人たちに “現実逃避” の夢を与えてきた。ライ・クーダーの曲もけっきょく現実逃避の音楽にすぎないのだが、だからこそ、それはてつもなく甘美で切ない。
http://campingcar.shumilog.com/2013/07/28/%e3%82%a2%e3%82%af%e3%83%ad%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%b6%e3%83%bb%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%80%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3/

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062) ZZ トップ 「I Thank You」
1979年

【寸評】 ZZ トップは、テキサス出身の3人組ロックバンド。私が “サザンロック” という言葉を耳にしたときに、最初に認知したバンドだ。写真を見ると、テンガロンハットをかぶったヒゲ面、そしてサングラス。いかにも人種的偏見に満ちた頑迷固陋(がんめいころう)の “ならず者” 集団に見えた。が、しばらくして、そういうビジュアルづくりはショーアップを意図したものであって、本質的にはお茶目なサービス精神を持つ人々であることを知った。彼らの音の特徴は、ハードなブギのリズムの繰り返しにあり、大音量で聞いていると、次第に脳髄がマヒして、どんどんハイになっていく。「I Thank You」は、その典型だ。
http://campingcar.shumilog.com/2007/11/01/%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%82%a6%e3%82%a7%e3%82%a4%e9%9f%b3%e6%a5%bd/
 
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063) マリアンヌ・フェイスフル 「かわいい小鳥」
1965年

【寸評】 フォーク調のメロディーで構成されたシンプルな曲。しかし、そのなかには、秋の夕暮れに包まれていくようなメランコリーが潜んでいる。行き場を失ったさびしさだけが、曲のまわりをぐるぐる回っている。勝手なイメージの反映かもしれないが、そこには、ポップスターとしての人気を獲得し、映画女優としても評価され、さらにはミック・ジャガーの恋人として幸せなスタートを切ったマリアンヌ・フェイスフルが、人生の後半において神経を病み、低迷していく姿が暗示されているような気もする。もちろんラジオから流れてくるこの歌を聞いていた中学生の私には、彼女をその後襲う悲哀など知るよしもない。ただ、思春期らしい感性で、「美しくもさびしい歌だな …」としんみり聞いていた程度だ。しかし、この曲には、人類共通の哀しみが宿っているような気もした。すなわち人間から見ると、うらやましいほど自由に空を飛んでいるはずの鳥が、けっして幸せでもないという事実を知ったときの悲哀のようなものが。

http://campingcar.shumilog.com/2012/04/10/%e9%b3%a5%e3%81%ae%e6%ad%8c/

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063) CSN&Y 「Teach Your Children (ティーチ・ユア・チュルドレン)」
1970年

【寸評】 ポピュラーソングのなかで「カントリーミュージック」というのが嫌いだった。ブルース系やR&B系といった黒人音楽が好きだったから、カントリーはその対極にある “能天気で退屈な白人の音” にすぎなかった。その認識が改まったのは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)の「ティーチ・ユア・チュルドレン」を聞いてからである。「ほのぼのとしていいなぁ !」と思ったのだ。60年代にはまだ白人と黒人の人種対立の構図がアメリカに残っていたが、そういう人種の “壁” のようなものを超え、人間として「温かい気分」になれそうな音に思えた。それというのも、けっきょくは作詞・作曲を担当したグラハム・ナッシュの才能に負うところが大きい。いい曲は人種の壁や偏見を超える。口ずさんでいると、思わず笑みがこぼれてきそうな曲である。
http://campingcar.shumilog.com/2007/05/29/%e5%90%89%e7%a5%a5%e5%af%ba%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%90%e3%83%83%e3%83%97/

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064) サンタナ 「ネシャブールのできごと」
1970年

【寸評】 カルロス・サンタナも息の長いアーチストである。1966年にバンドデビューをはたしてから今日まで、ロックギタリストとして常に先端で活動している。ときに歌謡曲路線(「哀愁のヨーロッパ」)に走ったり、神がかり志向を強めたりして振幅の激しいところを見せるが、アルバム『シャーマン』(2002年)あたりの音はけっこう好きだ。それでも、私から見たサンタナの代表作といえば『アブラクサス Abraxas(天の守護神)』(1970年)になってしまう。それに続く『サンタナⅢ』(1971年)、『キャラバンサライ』(1973年)あたりまでが私の好みだ。『アブラクサス』を知ったのは、今はなき吉祥寺のロック喫茶「ビーバップ」だった。アルバム中には「ブラック・マジック・ウーマン」、「オエ・コモ・バ」、「君に捧げるサンバ」、「ホープ・ユー・フィーリング・ベター」のような親しみやすい曲調のものもあったが、歌の入らないインストものにはとまどった。ロックとジャズとラテンにプログレ的な音が混じったなんとも奇怪な音を聞いたと思った。しかし、それが同時に非常に高度な演奏テクニックによるものであることはすぐに分かったし、まぎれもなく新しいロックを感じさせるものがあった。特に「ネシャブールのできごと」は、前半の強烈なラテンビートを効かせた荒々しい音と、後半のスイートなメロディーの対比が鮮やかで、魅せられた。甘い旋律を奏でるときのサンタナのギターは、リリカル(抒情的)で、エロティック(官能的)。こんなに甘い音を出すギタリストも珍しい。
http://campingcar.shumilog.com/2007/05/29/%e5%90%89%e7%a5%a5%e5%af%ba%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%90%e3%83%83%e3%83%97/

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065) シカゴ 「イントロダクション」
1969年

【寸評】 「シカゴ」は1969年にデビューして以来、メンバーが少しずつ変わりながらも、21世紀になっても、ロックの最前線で活躍しているバンドだという。しかし、私は2000年以降のシカゴがどんな音楽を手掛けているのか、まったく知らない。というか、1970年以降のシカゴにはほとんど興味がない。私にとって、「シカゴ」といえば、この1969年の「シカゴの軌跡」がすべてである。1960年代のアメリカのロックバンドは、みなベトナム戦争に反対したり、時の政権を批判したりする傾向を強めていたが、このシカゴほど強烈な政治的メッセージを発信したグループはほかにいなかった。にもかかわらず、これほどポップで親しみやすいメロディーとノリの良いグルーブ感をともなうサウンドを作り得たグループもまたなかった。シカゴは、本アルバムでその背反する要素を見事に両立させ、まさに(軌跡ならぬ) “奇跡” を実現したバンドであった。1曲の演奏時間がそうとう長い2枚組にもかかわらず、聞いていてまったく飽きない。特に(レコードでいえば)1枚目のA面からB面にかけて、つまり、「イントロダクション」、「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」、「ビギニングス」、「クエスチョンズ67/68」、「リッスン」、「ダイアローグ」と続くきらめくような音の流れに身を任せていると、いつしか忘我の境に引きずり込まれる。どれも歴史に残る名曲と言い切ってかまわない。70年後半から80年代にかけて、このバンドの音作りはどんどんAOR的なバラード路線に移行していくが、たぶんそれは「シカゴ」という名前だけ借りた別バンドである。
http://campingcar.shumilog.com/2007/05/29/%e5%90%89%e7%a5%a5%e5%af%ba%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%90%e3%83%83%e3%83%97/

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066) ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(withジャニス・ジョプリン)
「Combination Of The Two」

1968年

【寸評】 「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」というバンドは、ジャニス・ジョプリンをこの世に出すために存在したバンド … と言い切ったらあまりにも失礼かもしれないが、正直にいえば、そういうところがある。バンドの結成は1965年。サンフランシスコのローカルバンドの一つでしかなかった。ところが、翌年にジャニス・ジョプリンがリードシンガーとして参加するようになり、ボイラーに火が投じられることになった。つまり「女神」が降臨したのだ。彼女の起こした奇跡によって、ホールディング・カンパニーのアルバム『チープ・スリル』は1968年のアルバム売上で全米ナンバーワンを記録する。アルバム1曲目からジャニスのパワーは全開。荒っぽいながらもキレの良いギターカッティングを背景に、猛獣の咆哮のようなジャニスのシャウトが炸裂する。小気味よいリズムでグイグイ引っ張っていくこのサウンドに、1960年代のアメリカンロックの真髄が宿っている。
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067) CCR (Creedence Clearwater Rivival) 「ダウン・オン・ザ・コーナー」
1969年

【寸評】 「ダウン・オン・ザ・コーナー」は、豪快でおおらかなサウンドを奏でるCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル)が1969年にリリースした4枚目のアルバム『Willie And The Poor Boys (ウィリー& ザ・プアボーイズ)』に収録された1曲。「コットン・フィールズ」と並んで大ヒット曲となった。このアルバムは、ビートルズの『サージェントペッパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と同じように、ウィリー& ザ・プアボーイズという架空のバンドが南部の町々を流していくというコンセプトアルバムになっている。狙い通り、いかにも “南部っぽい” 土臭さが漂うサウンドで統一されているが、もともとCCR自体がウエストコーストのバンドだけあって、アーシーなサウンドを志向しても、どこか爽やかさが残ってしまう。私は最初そのへんに頓着していなかった。しかし、後にオールマン・ブラザーズバンドやマーシャルタッカー・バンドなどの本格的サザンロックを聞いて、ようやくCCRと、土着の南部ロックの差が理解できた。しかし、多くの日本人リスナーにとっては、CCRの泥臭さの方が、たぶん「アメリカ南部の音」として評価されるのではないかという気がしている。
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068) イッツ・ア・ビューティフル・デイ 「ホワイト・バード」
1968年

【寸評】 イッツ・ア・ビューティフル・デイは、1960年代にジェファーソン・エアプレインなどと並んで、サンフランシスコで活躍したロック・バンド。その名を広く知られるようになったのは、69年にファースト・アルバム「It’s A Beautiful Day」を発表してからだ。そのなかに収録された「ホワイト・バード」は、アルバムジャケットの “青空” と、バンド名の「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」という言葉を、まさに曲で表現したような爽やかなサウンドを実現し、彼らの代表作となった。男性と女性のツインヴォーカルによるハーモニーが奏でる美しい旋律。たゆたうようなのどかなリズム。間奏部分を埋めるバイオリンの音が素晴らしい。 
http://campingcar.shumilog.com/2012/04/10/%e9%b3%a5%e3%81%ae%e6%ad%8c/

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069) ヴァニラ・ファッジ 「キープ・ミー・ハンギング・オン」
1967年

【寸評】 元歌はモータウンの女性グループ「シュプリームス」の大ヒット曲である。そのエモーショナルな人間の歌声を、ぶ厚いオルガンの “人工音” に変換し、サイケ調リズムで補強したのが、ヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」だった。この斬新な音にびっくりしたリスナーたちが、ロックの新しい時代が来たこと告げる言葉として、「ニューロック」、「サイケデリック・ロック」、「アートロック」などという言葉を次々と考案した。それらはみな死語となったが、現在なら「プログレッシブ・ロック」という一言で片付くかもしれない。
http://campingcar.shumilog.com/2007/05/10/60%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%af/

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070) ジェファーソン・エアプレイン 「Somebody To Love(あなただけを)」
1967年

【寸評】 60年代ロックの黎明期を象徴するバンドがジェファーソン・エアプレイン。大ヒットした「Somebody To Love(あなただけを)」は、彼らの代表作であるばかりでなく、60年代ウエストコーストサウンドを代表する曲でもある。「サイケデリック・サウンド」とも呼ばれるドラッグ文化の影響を受けた音づくりだが、それでいて、西海岸的な爽やかさもある。リードヴォーカルをとるグレイス・スリックはこの曲で、いちやくヒッピームーブメントを代表する “女神” として人気を博した。
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071) ザ・ドアーズ 「ストレンジ・デイズ」
1967年

【寸評】 ドアーズの2枚目のアルバム『まぼろしの世界』のトップを飾る曲。すでに「ハートに火をつけて」の大ヒットで世界的な人気バンドになったドアーズのサウンド的特徴が、この曲には非常によく表れている。UFOが虚空を飛んでいくようなサウンドを奏でるオルガンの伴奏を背景に、ジム・モリソンが “神官のご託宣” のようなおごそかな声を響かせる。この頃のジム・モリソンの風貌には、旧約聖書の預言者のような影が漂っている。キリストに洗礼を授けたというヨカナーンが現代に復活してきたら、おそらくこんな顔をしているのではあるまいか。オスカー・ワイルドの物語に出てくるヨカナーンは、舞姫サロメのリクエストにより、ヘロデ王によって首をはねられる。ジム・モリソンの早世は、そういう聖書のエピソードを思い出させる。
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072) ビル・エヴァンス 「My Foolish Heart」
1962年

【寸評】 その旋律の美しさで、あまりにも有名なジャズバラード。邦題は「愚かなり我が心」。もともとは1949年に公開された同名映画の主題歌で、フランク・シナトラ、トニー・ベネットなども歌っているスタンダード曲である。しかし、今日「My Foolish Heart」という曲名で誰もが思い浮かべるのは、ビル・エヴァンスのピアノバージョンだろう。リリカル(抒情的)で、ソフィストケイト(繊細)されていて、スイート(甘美)。壊れやすい状態のまま美の極致にまで昇華したガラス細工のような演奏。薬物の乱用で健康体を維持するのも困難な日々を送った人だが、その命の炎をすべて自らのプレイに燃焼させたという感がある。ビル・エヴァンスの代表曲であるばかりでなく、広くジャズ・バラードの代表曲。
http://campingcar.shumilog.com/2014/01/03/%e3%83%9f%e3%83%83%e3%83%89%e3%83%8a%e3%82%a4%e3%83%88%e3%83%bb%e3%82%af%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%83%b3%e3%82%b0/  
 
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073) US3(アススリー) 「Cantaloupe (カンタループ)」
1992年

【寸評】 この曲は、テレビCMで知った。20年ぐらい前の話か。「MORIMOTO」という不動産関係の会社のCMだったと思う。実にクールな音 ! 久しぶりにカッコいいジャズを聞いたと思った。CMが伝えようとした商品情報よりも、音楽だけが記憶に残った。さっそくCD屋に足を運び、店員にいろいろ調べてもらってアルバムを手に入れた。演奏者は「US3(アススリー)」というジャズ・ラップ・グループ。ハービー・ハンコックがブルーノート時代に残した「Cantaloupe Island」をサンプリングして、ヒップホップのフロウ(言い回し)を被せた曲なのだが、まぁ、なんともいえないハイセンスな仕上がりになっている。もちろん原曲の素晴らしさに負うところが大きいのだが、その原曲の良さを、さらに現代風にアレンジして、シャープさを強調したのが本曲。このCDを手に入れてからは、毎日しばらくこれだけを聞いていた。
http://campingcar.shumilog.com/2008/04/10/%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ba%e3%82%92%e8%81%b4%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89/
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074) ホレス・シルバー 「ソング・マイ・ファーザー」
1964年

【寸評】 ジャズにはそれほど詳しくないので、このホレス・シルバーというピアニストが1960年代にどういう活躍をした人なのか、よくは知らない。ただ、この曲は大好きである。何がいいかというと、まずメロディーが楽しいし、覚えやすい。ジャズは、どんな名曲といわれるものでも、しょっぱなのテーマ演奏が終わって個々のプレイヤーのソロパートに移ると、主旋律がどんどんボヤけてしまう。ま、ジャズというのは、個々のプレイヤーのアクロバティックなインプロビゼーションを楽しむ音楽だから、主旋律を奏でることなんかよりも、アドリブパートの冴えが大事なんだけど、そういう “ジャズのだいご味” を楽しめるまで耳が肥えていない素人の場合、そこがちょっととっつきにくい。だけど、この「ソング・マイ・ファーザー」は、けっこうメロディーパートが長く続くし、ピアノのインプロビゼーションもきれいなので、甘さが長い時間持続するガムを噛んでいるような気持ちになる。とても心地よい曲だと思っている。
http://campingcar.shumilog.com/2008/04/10/%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ba%e3%82%92%e8%81%b4%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89/

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075) ウィントン・マルサリス 「Sister Cheryl (シスター・シェルリ)」
1982年

【寸評】 どうもジャズのリズムのなかで、私好みのリズムというものがあるらしく、ふと気づくと同じリズムの曲ばかり気に入って語っているような気がする。概して、ゆったりしたミディアムテンポで奏でられる、3拍子とか4分の5拍子などといった変拍子のリズム。そこから生まれるエキゾチックな味わい。これが好きでたまらない。私には、正統的なフォービートの疾走感よりも、変拍子の “足踏み感” に心を奪われる傾向があるようだ。そういった意味で、このウィントン・マルサリスの「シスター・シェルリ」などという曲は、私にとって理想的なテンポとリズムを持った曲だ。ベースはロン・カーター。ドラムスはトニー・ウィリアムス。そしてピアノがハービー・ハンコック。誰がいったか “黄金のリズム隊” 。けっきょくこのベテランの才人たちがサイドメンとして脇を固めたからこそ、無類に心地よいリズムが生まれているのだろうと思う。トランペットを吹いているウィントン・マルサリス自身が、たぶんそのことをいちばん強く感じているはず。だからこそ、このアルバム(『ウィントン・マルサリスの肖像』)のこのテイクは、リスナーに至上の快楽を提供できるのだ。
http://campingcar.shumilog.com/2008/04/10/%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ba%e3%82%92%e8%81%b4%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89/

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076) デイブ・ブルーベック・カルテット 「テイクファイブ」
1959年

【寸評】 最初に買ったジャズのレコードが、この「テイクファイブ」だった。中学生のときだ。私にかぎらず、今のシニア世代には、この曲からジャズに親しむようになったという人は多いのではなかろうか。それほど、当時のラジオからよく流れていた人気曲だ。ヒットの要因は、“クールさ” にある。ポール・デスモンドの吹くアルトサックスの音色は、この時代のどんなポピュラーソングにも、クラシックにも、もちろん歌謡曲にもなかった。僕らの世代は、ラジオを通じてホットなアメリカンポップスに慣れ親しんでいたので、暑苦しい音楽には免疫ができていた。しかし、「テイクファイブ」の音色は、真夏日にひんやりした氷を肌に押し付けられたような感触だった。当時は、この「クールさ」を理解することが、大人に近づく第一歩のように思えたものだった。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/06/17/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD/
 
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077) マイルス・デイビス 「死刑台のエレベーター」
1957年

【寸評】 『死刑台のエレベーター』は、フランス映画の巨匠ルイ・マル監督が1957年に制作したサスペンス映画。封切り後、モーリス・ロネとジャンヌ・モローという2人の映画俳優の代表作ともなった。映画がヒットした要因の一つに、サウンドトラックを担当したマイルス・デイビスの力がある。まさに “絵に描いたような !” 犯罪映画のテーマ曲にふさわしい演奏で、多くの人が、映画を見る前から、もうその作品の雰囲気を肌で感じてしまったという逸話が残っている。不倫の恋を成就させたいマダムとその愛人が計画する完全犯罪。しかし、完璧だったはずの計算は少しずつ狂っていく。そのときの女主人公ジャンヌ・モローの心をよぎる不安。輝くネオンの底に沈む夜の深さ。孤独とメランコリー。マイルスのトランペットは、そんな絶望の淵にたたずむ人間の心理を余すところなく描き切る。サスペンス映画史上最大のヒット曲であると同時に、ジャズ史に残る名作。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/06/17/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD/
 
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078) アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ 「危険な関係のブルース
1959年

 

【寸評】 ロジェ・バディム監督による『危険な関係』は2回映画化されたが、その1作目は1959年に制作された。そのサウンドトラックを担当したのがアメリカのジャズバンド「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ」だった。この時代、アート・ブレイキーは、ベニー・ゴルソンという作曲家 兼 アレンジャー(サックスも吹く)とコンビを組み、さらにトランぺッターのリー・モーガン、ピアニストのボビー・ティモンズなどもバンドに加えて、黄金時代を築き上げていた。大ヒット曲の「モーニン」などが生まれたのもこの頃。映画『危険な関係』のテーマは、そんなアート・ブレイキー楽団の最も脂ののった時代のサウンドを伝えてくれる。封切り後から60年が経とうとしているというのに、今もな燦然と輝いている名曲である。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/06/17/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD/
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081) ジョン・コルトレーン 「スピリチュアル」
1961年

【寸評】 1920年代に大衆娯楽として始まったジャズは、1960年代になると、それまでのジャズの形式にとらわれずに、演奏者の直感に従って自由に音をつなげていくフリージャズ(前衛ジャズともいう)の流れが台頭した。オーネット・コールマンらが提唱した新しいジャズの手法で、ジョン・コルトレーンもその方向に舵を切る。コルトレーンは晩年(1967年没)、ますますフリージャズに傾倒するようになったが、このヴィレッジ・バンガードのライブ(1961年)は、それまでのオーソドックスな演奏スタイルと、後のフリージャズの演奏スタイルが重なるような微妙な時期にあたる。ということは、そのどちらの良さも味わえる “おいしい” 時期の演奏ということになる。特に、コルトレーンの演奏スタイルとして人気の高い “3拍子ノリ” で進んでいく「スピリチュアル」の浮遊感は実に心地よい。
http://campingcar2.shumilog.com/2018/06/20/1960%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e3%81%ae%e5%89%8d%e8%a1%9b%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ba/
 
 

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インバウンド(訪日旅行)で脚光を浴びるキャンプ場泊

 
外国人観光客はなぜ増えてきたのか?
 
 日本を訪れる外国人観光客が増加の一途をたどっている。
 日本政府観光局(JNTO)によると、2018年3月の訪日外国人数は、前年同月比18.2%増の260万7900人。3月として過去最高だったそうだ。
 
 国別でみると、この3月に時点においては韓国人がトップで、約62万人。続いて中国人が約59万人。台湾の観光客約39万人。香港の観光客約20万人となっており、アジア圏の人々の占める比重が高い。
 
 一方、欧米からの観光客は少ないといわれているが、それでも3月の集計によると、アメリカ人が約15万人。カナダ人約3.5万人。ドイツ人約2.5万人となり、これもまた増加傾向を見せている。
 このため、日本各地の観光収益も上り、今やインバウンド事業は日本経済の向上に欠かせない存在になってきた。
 
 専門家によると、このようなインバウンド市場が拡大した要因として、まず格安な運賃体系を打ち出した航空会社の増加が挙げられるという。
 さらには、アニメやゲームを通じて、海外の若者が日本のカルチャーに魅力を感じるようになってきたこと。また、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録され、「食」の領域でも日本文化が海外に評価されてきたことも大きいようだ。

 これらの外国人が魅力を感じる日本の観光資源として、最近人気が高まっているのが「日本の自然」。北海道の自然の景観を堪能できる富良野あたりは、夏になると、今や日本人よりも外国人観光客でごった返しているとか。
 
 
自然を楽しむためにキャンプ場に泊まる外国人キャンパー

 そういう日本の自然を心行くまで享受したいという外国人の間で、近年利用率が増えているのがオートキャンプ場だ。キャンプ場は、四季によって様々な変化を見せる日本の自然を堪能する場所として最適であるばかりでなく、シティーホテルより宿泊代が安いという経済性も評価される傾向にあり、キャンプ場を宿泊拠点に選びながら観光地を回るという旅行スタイルが外国人の間で定着しつつあるという。

 「一般社団法人 日本オートキャンプ協会(JAC)」の堺廣明業務課長(写真下)によると、最近全国のキャンプ場から、訪日外国人観光客が目立つようになったという報告が増えてきたという。

 このような流れを見て、オートキャンプ協会では、毎年発行する『オートキャンプ白書』において、「訪日外国人キャンパーの増加率とその宿泊傾向」を探る調査項目を今年度から追加。さらに同協会のホームページにおいても、英語版の対応ページを設けたり、視覚的な理解を深めるためのアイコン化を強化する方針である。

 また、外国人キャンパーの観光スタイルとして、最近目立つようになってきたのがレンタルキャンピングカーによる旅行だとか。
 近年、国内のキャンピングカーブームを背景にレンタルキャンピングカー業者そのものが増えており、インバウンドを視野に入れて、外国人向けの情報サービスを強化したり、空港近辺に拠点を設ける会社も目立つようになってきたと堺課長はいう。 
 
 
外国人向けのレンタルキャンピングカー業も盛んに

 国内のキャンピングカービルダーや販売会社のなかにも、このようなインバウンド対策に積極的に取り組む会社が増えてきている。
 これまで国産バンコンを中心にキャンピングカー製造を進めてきた「かーいんてりあ高橋」(長野県)の高橋宣行社長は、昨年世界的なネットワークを持つレンタルキャンピングカー業者の「マクレント」(ドイツ)と提携して、「マクレントジャパン」を立ち上げた。


 
 これは、「日本でもレンタルキャンピングカーを安心して使えるシステムが整備されていることをマクレントの情報サービスを通して世界中に広報する」という目的で設立されたもの。そのため、レンタルシステムの概要や日本の交通事情などを知ってもらうための英語版マニュアルを用意している。さらに、アジア圏からの観光客の増加をにらみ、今後は韓国語、中国語のマニュアルも準備していくという。

 マクレントジャパンに参加している国内企業には、現在のところMYSミスティック、バンテック、レクビィ、ケイワークス、岡モータースなどのキャンピングカー会社が名を連ね、拠点を全国に広げている。

 このような訪日外国人の間に広がるキャンプ場人気の高まりやレンタルキャンピングカーの利用状況を、キャンプ場管理者たちはどう観察しているのだろうか。
 
 
キャンプ場も外国人対応に本腰を入れ始めた

 「外国人観光客の来場は実際に増えています」
 というのは、千葉県・山武市で「有野実苑キャンプ場」を運営している鈴木章浩代表(写真下)。同キャンプ場は成田空港にも近いため、空港近辺にあるレンタルキャンピングカー業者から車を借りた訪日観光客の利用率が高い。
 そういう空港近くのレンタカー会社からキャンピングカーを借りて千葉周辺の観光地を周遊し、最後にレンタカーを返すための調整場所として同キャンプ場に宿泊するケースが多いのだとか。


 
 訪れる観光客を国別でみると、目立つのは台湾、香港、韓国からの来場者。
 「台湾あたりはキャンプブームが訪れているらしんですよ。でも夏は暑すぎて自国ではキャンプができない。そこでみんな日本にやってくるんです。当キャンプ場だって夏は30度くらいあるんですが、それでも彼らは涼しいというんですね(笑)」
 と鈴木さん。

 キャンピングカーばかりでなく、普通の乗用車を借りてキャンプ場にやってくる外国人観光客も多い。
 その場合、キャンプ道具などはどうしているのだろうか。

 鈴木さんが見るに、
 「けっこう自分で調達してこられる方が多い」
 とか。
 「東アジア圏でキャンプブームが広がっているとはいえ、まだコールマンやスノーピークといったブランドもののキャンプ道具を扱う直営店が少ないらしいんです。そういうものを求める人たちはみな訪日したときに買い求め、日本のキャンプ場で試してから自国に持ち帰る。キャンプ用品メーカーさんの話によると、そういうケースも増えているそうです」(鈴木さん) 
 同キャンプ場では、今後外国人キャンパーたちのニーズも研究し、彼らのリクエストを実現するためのリサーチを重ねていくという。
 
 
 外国人観光客の増加を実感しているのは、福島県のキャンプ場「猪苗代湖モビレージ」(写真下)でも同じ。

 「国別でいうと、アジア系の人が目立ちますが、当キャンプ場では欧米系の方も来られます。
 そういうキャンピングカー先進国のお客様は、さすがに日本人以上にキャンピングカーライフを熟知されているので、使い方に困る様子もなく、安心して見ていられます」
 と語るのは、同キャンプ場を運営する小松克年さん(写真下)。

 日本のキャンピングカーユーザーは、宿泊時間に余裕がないときは「道の駅
などで仮眠するケースも多いが、外国人利用者は、宿泊期間が短くとも、必ずキャンプ場を訪れるそうだ。
 「たぶん治安の問題で、海外ではキャンプ場以外の場所に宿泊することは危ないという認識があるからではないか」
 と小松氏は推測している。
 
 
外国人には、「自然体験」と「文化体験」
を結合させるような旅行スタイルが好評

 こういう訪日キャンパーの増加に、仕事を通じて貢献しているのが、キャンプコーディネーターで、アウトドアライターでもある佐久間亮介さん(写真下)だ。佐久間さんは日本だけでなく、海外においても豊富なキャンプ体験を持ち、そこで得たノウハウをご自身のブログやキャンプ系媒体で発表され、日本のキャンプ文化の向上に一役買っている。

 佐久間さんによると、外国人キャンパーが日本のキャンプ場を評価するときの着目点のひとつに、「四季の変化を堪能できる」ということがあるという。外国にもそれぞれ四季はあるが、日本のように春、夏、秋、冬が景観や気候において明確な変化を見せ、各季節に応じた文化体験が用意されている国はめったにない。
 
 日本では四季に応じたライフサイクルが独特の発展を遂げ、日本の風土と見事に溶け合うほどの洗練度を見せている。
 初夏の田植えや茶摘み、秋の米や野菜の収穫。そういうタイミングをとらえて各地で催されるさまざまな祭り。そういう日本固有のライフサイクルや文化事業は、いま外国人観光客にもっとも喜ばれる観光資源になっている。

 佐久間さんは、日本を訪れる外国人キャンパーに向けて、日本を旅行するときのプラニングをコーディネートし、かつ日本のキャンプ場に対しては、訪日キャンパーたちが快適にキャンプライフを楽しめるようなノウハウを伝授して、キャンプを通じた国際親善に協力している。
 
 2020年の東京オリンピックを控え、訪日観光客の一層の増加が見込めるなか、キャンプ場を中心とした新しい観光スタイルが定着してきていることに、メディアのさらなる注目が集まりそうだ。
 
 

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映画「エクス・マキナ」の乾いた抽象空間

 
 「ロボット」が出てくるSF映画とかアニメに興味があって、その手の話題作があると、よく観る。
 映画によっては、「アンドロイド」とか「レプリカント」、あるいは「サイボーグ」などと言葉を与えられることもあるが、要は “人間そっくりさん” が出てくる作品だ。

 なぜ、そういった映画に関心が向くのか。
 それは、現代社会の大きなテーマになりつつある「人間とAI の違いは何なのか?」という問題を考えるときに、ヴィジュアル的なリアリティを与えてくれるからだ。

 つい最近観た映画に、アレックス・ガーランド監督の『エクス・マキナ』(2016年)、ルパート・サンダース監督の『ゴースト・イン・ザ・シェル(実写版)』(2017年)、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ブレードランナー 2049』(2017年)がある。

 この3者のなかで、比較的印象に残ったのは、『エクス・マキナ』(写真上)だった。
 このタイトルは、ラテン語の「機械によって」という言葉を意味するらしい。
 文字通り、他の二つの映画に比べて、ここに登場する女性型AI 搭載ロボットは “生々しく” 機械的だ。
 ボディの大半は半透明で、機械っぽい内部構造が透けている。

 その反動で、彼女が頭にウィッグをかぶり、人間女性の着るドレスを身に着けて登場すると、妙に艶っぽくて、ときにエロティックに見える。
 だから、主人公であるIT 企業のプログラマーの青年と恋のかけひきが始まるという設定にそれなりのリアリティが生まれてくる。

 はたして、「機械」と「人間」の間に恋愛は生じるのだろうか。
 これがけっきょくこの映画の根本的なテーマとなるのだが、その結末を言ってしまうと、「なぁ~んだぁ」ということになるので、あえてネタバレの展開は避けようと思う。
 ただし、「機械」と「人間」の恋が、ミステリアスなサスペンス劇になっていき、最後には劇的なエンディングが用意されているというところまでは明かしていいだろう。

 そのサスペンス的な要素を盛り上げているのが、舞台となる山岳の別荘(写真上)だ。
 ここではIT 企業の社長がたった一人でAI 搭載ロボットを開発しているのだが、その社屋は、徹底的に人間の生活臭を払しょくしたドライな幾何学的空間になっている。

▼ 「AI 人間」を開発する社長(右)と、「AI 人間」の完成度をテストするために山荘に呼ばれた主人公

 いってしまえば、この山荘は、人間が人間としての精神を保っていられるぎりぎりの生活空間であり、そこから先は、「人間型機械」でしか生存できないような乾ききった人工世界なのだ。


 
 「機械」と「人間」の恋が成立するのかどうか、というきわどいテーマは、こういう環境設定がないと成立しない。
 「人間」の方に、このような非人間的な抽象空間に耐えられる感性が用意されていないと、おそらく「人間」は、「機械」が告白する恋を信じることはできないだろう。

 つまり、この映画は、人間同等の脳活動を与えられたロボットが、人間固有のものと思われがちな「恋愛」感情を持ちうるか? というテーマを探るだけでなく、人間の方が、どれだけ人工物に心を寄せられるか? ということも描こうとしている。

 そういった意味で、本作は、「AI」の進歩に対する一つの示唆的な未来図を描くことに成功したが、観ていて、ちょっと息苦しくなってきたことも告白しよう。

 それは、この映画にリアリティを与えている幾何学的抽象空間に、私自身が耐えられなくなってきたからだ。
 登場人物は、AI 美女を入れてたった3人。(あと1人メイド型の人工女性がいるけれど)
 少数の人間たちが繰り広げる密室劇は、だんだん観客を酸素不足の状態に追い込んでいく。

 山荘のロケ地として選ばれたノルウェーのフィヨルドの風景も寒々としている。
 主人公と社長がときどき散歩に出かける別荘の外には、太古の人類が耐え抜いてきた氷河期の風景がそびえている。

 遠い将来、地球にもう一度氷河期が来るのだろうか? (そういう説もある)
 もし、そういう時代が来たら、そのときの人間にはもう氷河期を生きのびる耐性がなくなっており、生き抜いていけるのは、AI を搭載したロボット人類だけなのだろうか。
 ふと、そういうことまで想像させるようなロケ地が選ばれている。
 
 

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日大アメフト事件で浮かび上がった日本的組織の正体

  
顔のない組織が権力を握っている
 
 日本大学と関西大学のアメリカンフットボールの定期戦において、日大選手の悪質な違法タックルを行い、関学のクォーターバックの選手が負傷したことが社会問題にまで発展している。
 ニュースなどを見ていると、日大の監督・コーチがその違法タックルを選手に指示したのかどうかということが争点になっているようだ。

 昨日、その違法タックルを行った日大の選手が記者会見を行い、被害者に謝罪するとともに、その悪質違法タックルが監督・コーチの指示によるものであったと明言した。
 にもかかわらず、日大の広報は「選手と監督の間に意識の乖離があった」という言い訳を繰り返すのみで、謝罪するでもなく、開き直るわけでもなく、得体のしれない軟体動物のように、じりじりと後ずさりしているだけである。

 すでに多くのメディアが言及しているとおり、日大は今回の事件に対して、誰に責任があるのか、誰が事態を収拾できるのか、まったくそれを明らかにしていない。
 つまり、日大という組織が「顔」のない組織であることが浮かび上がってきたのだ。

 あるメディア解説者によると、そもそもこの日大という学校は、いちばん偉いのは学長なのか、それとも理事長なのか、それすらはっきりしない学校だという。

 つまり今回の事件は、日本においては、相変わらず「顔」のない権力が強大な実権を握っているという、きわめて古典的な組織構造が “健在” であるということを明示した。
 
 これは日大だけに限らない。
 言葉をかえていえば、「忖度(そんたく)による権力システム」がさまざまな日本的組織を動かしていることがはっきりしてきた。

 命令系統をはっきりさせない。
 誰かの指示があったかどうかを明確にしない。
 命令の伝達経路をあいまいにしたまま、それでも強大な権力が動いていくことを人々が空気として察知するように仕向ける。

 今回の日大アメフト部の違法タックル騒動は、同部の指導層がそのとおりに動いていたことを明らかにした。
 問題を起こした学生は、直接監督から指示を受けたわけではない。
 直属のコーチから間接的に、「監督の意向はこうだ」という説明を受けたにすぎない。
 
 そのコーチも、選手に対しては、「相手チームのクォーターバックを負傷させろ」という具体的な指示を出したわけではない。
 「つぶせ」
 「こわせ」
 などという情緒的な言葉で誤魔化して、その意味を選手自身が汲み取るように仕向けたのだ。

 今の日本の権力構造はそういう形で成り立っている。
 けっきょく、こういう権力構造がいちばん支配力を強化できるようになっている。
 なぜなら、トップに立つ人間を神格化できるからだ。

 “神” は語らない。
 語れば、人間側から反論を繰り出される余地が生まれてしまう。
 だから、“神” は語らず、人間たちに「空気で察しろ」という態度を取り続ける。
 それが日本的組織の恐怖政治モデルとなる。
 
 今回の一連の報道で、ある報道解説者が、「日大アメフト部は監督の内田氏を神格化して、選手のみならず、コーチ陣に対しても絶対服従の空気をつくった」というような意味のことを述べていた。

 けっきょく、“森友・加計学園” 騒動に代表される政治の世界で進行していることは、今回の大学スポーツ組織でも同じように進行していたということになる。
 両者に共通しているのは、「組織の下の者は、上の意向を空気として察知しろ」ということだ。

 「KY」
 “空気の読めないヤツ” という言葉が、周辺との協調関係を乱すという否定的な意味で使われたのは、もう10年ぐらい前のことになるのだろうか。

 いつのまにかこの言葉は使われなくなったが、それは消滅したのではなくて、「生き抜くには忖度が大事」という強固な教訓に変化して、人々の日常生活に根を下し始めていたのだ。 

 「忖度」だけが肥大化していく組織は、どうなってしまうのか?
 硬直化してしまう。
 
 組織の中に生きる人間の想像力などは、たかが知れている。
 上の者の心の憶測を推測したところで、組織のなかでは誰もが自己防衛を中心に考えているわけだから、上の意向を忖度するということは、その相手の人間の自己防衛に手を貸すだけのことなのだ。
 そんな組織が活性化することなどありえない。
 

 記者会見を開いた日大アメフト部の選手は、途切れ途切れに、必死な思いで記者団に自分の心境を説明していた。
 その表情にはありありと苦悶の相が浮かんでいた。

 しかし、なんと晴れやかな人間の顔か。
 そう思った。
 国会で、「政権に対する忖度のあるやなしや」で答弁する官僚や国会議員たちの表情を欠いた人形のような顔に比べ、この青年の顔には、苦しい峠を越えて生還してきた人間の表情が浮かんでいた。
 
  

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ハイマーとメルセデス

 
メルセデスのハイパフォーマンスと安全性が
そのままハイマーに移植される

 

▲ ハイマーS830(2008年) 

 昨年(2017年)、ドイツの最大手キャンピングカーメーカーである「ハイマー」社が創立60周年を迎えた。
 その前身である「農業用カート」を製作していた時代から数えると、94年という社歴を誇ることになる。
 
▼ ハイマー本社

 ちなみに、アメリカの「エアストリーム」社の場合は今年で86年目。「ウィネベーゴ」社の場合は今年で79年目。

 日本では、他社に先駆けて定番(量産)モデルの「ロデオRV」をつくったヨコハマモーターセールスですら、その1号車からようやく35年目を迎える程度。
 こうしてみると、キャンピングカー先進国の欧米は、やはり日本の倍以上の歴史を持っていることが分かる。

 ハイマーの話に戻る。
 この会社が頭角を現してきたのは、キャンピングトレーラーの開発によってである。
 創業者アルフォンソ・ハイマーの息子であるアーウィン・ハイマーが、1956年にハイマーの新しいプロジェクトとして、トレーラー事業に手を染めたことが、現在の同社の礎(いしずえ)となった。


 
 トレーラーの名前は「トロール」。
 後に、「ピュック」、「ツーリング」、「ノヴァ」というハイマーキャラバンシリーズの先駆けとなる車であった。
 同車が世に出たのが1957年。
 「ハイマー60周年」というメモリアルイヤーは、この1957年を起点として計算されたものだ。

 トレーラー開発に続いて、自走式モーターホームの1号車が製作されたのは1961年。
 「Cravano」という車だった。

 「Cravano」の発音が分からない。
 ヨーロッパで広く「トレーラー」を意味する言葉として使われる「キャラバン」の派生語だと思うのだが、ドイツ語でどう発音するのだろうか。
 「キャラバノ」?
 う~ん ……
 とにかく、この「Cravano」は、今でいう “ワンオフ” に近い一品生産モノだったようだ。

 量産化が始まるのは、1970年代に入ってからである。
 1971年になって、ハイマーはメルセデスからシャシー供給を受けることになる。
 それ以降、ボディ製作にもメルセデスの技術陣が加わるようになり、ハイマー車はみるみるうちに “車両的完成度” を上げていく。

▼ 1971年に製作されたモーターホーム。
グリルにベンツマークがくっきり !

 この70年代というのは、ハイマーにシャシーを供給したメルセデス自体が、世界の自動車テクノロジーを書き換えようとした時代だった。

 50年代から60年代というのは、アメ車の黄金時代だった。
 エアコン、パワステ、パワーウィンドウといったドライバーの負担を軽減するの新機構を次々と実用化していったアメリカ車は、それらの快適装備を満載したまま、大排気量エンジンにものをいわせて、強力無比な動力性能を手に入れていた。

 メルセデスは、そのアメリカ車から生産技術と快適装備を学び、さらにアメ車にはなかった新しい価値観を打ち出す。

 それが、「高速域での安定性」である。
 スピード無制限を謳うアウトバーンを “テストコース” として使い、メルセデスは、信じられないほどのスピードを維持したまま、車体が路面をがっしりとトレースする抜群の安定性を獲得した。
 その段階で、“ドイツ的な価値観” が自動車文化の中軸を占めるようになった。

 このようなメルセデスの自動車技術は、当然シャシー供給を受けるハイマーにも生かされることになる。
 メルセデスの技術陣とともにモーターホーム開発に従事したハイマーの技術者たちにとっても、「ハイマー車」はキャンピングカーである以前に、メルセデス車と同等の走行性能と安全性能を維持する車でなければならなかった。

 すなわち、ハイマーのシャシー性能の向上を図るために、メルセデスの風洞実験設備が使われ、メルセデスのテストコースが用意され、そこで得られたデータ群をメルセデスの技術陣が解析することによって、「ハイマーモーターホーム」ができあがるという仕組みが完成した。

 「メルセデス並みの安全性」
 ハイマー車には、それを示すものが、車体の一部に堂々と刻印されている。
 クラスA型モーターホームにフロントに刻まれた「スリーポインテッドスター(ベンツマーク)」である。

 このベンツマークを付けているクラスA車両は、メルセデスの乗用車と同じ条件でクラッシュテストを行った車両と見なされ、メルセデス社が保証する安全性をクリアしているという証(あかし)となる。
 そういうキャンピングカーは、ドイツ国内においてもハイマー以外にはない。

▼ ハイマーモービル670(1994年モデル)

 メルセデスとハイマーの関係は、自動車メーカーとコーチビルダーのもっとも理想的な関係を表している。
 逆にいえば、メーカーとビルダーのこういう二人三脚がしっかり機能しないかぎり、理想的なキャンピングカーというものは生まれてこないのかもしれない。

 「ハイマー創立60周年」。
 その前身の会社から起算して、社歴としては94年。
 やはり、それだけの実績を積み重ねてきたビルダーだからこそ、メーカーに認められたということなのだろう。
 
 
※ ハイマーの歴史に関する詳しい記事は下記のアドレスでどうぞ。
https://camping-cars.jp/camping-car-news/4067.html
     
※ また、ハイマーML-T570(4WD)の試乗インプレッションは下記をどうぞ。
https://camping-cars.jp/camping-car-news/3763.html 
 
 

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レクビィ ステーションでレンタカー事業も開始

 
 キャンピングカーの展示場が変わりつつある。
 これまでの展示場といえば、車両中心に構成されており、車を買いに来る目的でもなければ、立ち寄ることがはばかられるような構造のものが多かった。

 しかし、新しいタイプのキャンピングカー展示場は、「車」よりも「文化」を中心に構成されている。
 つまり、キャンピングカーというハードのかたまりを無機質的に展示するのではなく、「キャンピングカーのある暮らし」、「キャンピングカーがもたらすくつろぎ」というソフト面を見せるように変化してきたのだ。

 それは、もう “展示場” とは呼ばないのかもしれない。
 “ギャラリー” 。
 すなわち、絵画や彫刻、工芸品、宝飾などを陳列する美術館、あるいは博物館的な内容に近づいている。

 昨年の11月3日に、レクビィが愛知県瀬戸市にオープンした「RECVEE STATION」(写真上)が、そのようなニュータイプの展示場だ。
 別名「レクビィ サテライト」。

 サテライトとは、本社機能とは独立した営業理念で運営されている事業拠点のことをいい、地域に根差した情報や文化形態を尊重する施設のことをいう。
 つまり「レクビィ サテライト」とは、キャンピングカー製作を本務とするレクビィ本社から独立し、来場者に展示場周辺の観光情報を提供したり、利用者の休憩スポットとして機能したり、メーカーを問わずキャンピングカー全般の情報交換などを自由に行える施設を意味している。

 さらに、この「レクビィ ステーション」は、レンタルキャンピングカーの窓口にもなっているのだ。
 現在、同ステーションで扱われているレンタカーは、キャブコンでは「エルニド」。バンコンでは「レビィズ」(トップセイル)。軽キャンピングカーでは「EC」など全部で4台。
 全車が新車で、ナビゲーション、ETC、ドライブレコーダーが標準装備。軽キャンパー以外はバックアイカメラも装備されている。
 
 料金は、(今はオープニングプライスとして)、平日10,000円/1日
 詳しくは、下記を。
  http://www.recvee.jp/news/?DOC_NO=20180403140557&ACTION=DETAIL

 「レクビィ ステーション」を企画した株式会社レクビィの増田浩一代表(写真下)は語る。

 「私たちはキャンピングカー製作に30年以上携わり、買ってくださるお客様との熱い交流を続けてきたわけですが、そろそろ “まだキャンピングカーを知らない人々” に対して、もっと話しかけてみたいと思うようになったんです。そういう方々が、どんな旅行を楽しんでいらっしゃるのか、どんなカーライフを理想としていらっしゃるのか。
 今まで話したこともない人々の話を聞きながら、もしキャンピングカーというものに興味を感じてくださるようでしたら、“キャンピングカーライフ” の快適さや面白さも伝えてみたい。さらに興味を持ってくださった方には、レンタルキャンピングカーを試し乗りしてもらい、乗った感想などもお聞きしたい。
 そういう気楽なコミュニケーション空間としてこの展示場を考えたんです」

 だから、見学者が来ても、営業マンがさっと走り出て、
 「どんなお車をお探しですか?」
 などと声をかけたりしない。

 代わりに、暑い夏だったら、「エアコンの効いた休憩室(エアストリーム・トレーラー 写真下)で少し休んでいかれたらいかがですか?」と語りかけ、寒い冬だったら、「室内で少し温まっていってください」などと声をかける。

 キャンピングカーユーザーが来場したときも、
 「給水されるならどうぞ」
 「AC電源の充電も自由です」
 とは言うが、
 「いま乗っていらっしゃるお車、お見積もりしましょうか?」
 などとは、いきなり言わない。

 「とにかく、キャンピングカーというものを詳しく知らない人々に、“現物はこういうものですよ” 、と知っていただくための拠点」
 と増田代表はいう。
 「キャンピングカーというと、いまだにアメリカの巨大なモーターホームを想像される方々も多いのですが、街でよく見かけるワンボックスカーだって、立派なキャンピングカーになるんですよ、ということを知ってもらいたい」

 バンコンメーカーとして知られるレクビィだけに、自社製バンコンを中心とした展示になるが、ファンルーチェの「エルニド」のようなレンタルキャンピングカーとして使う他社メーカーのキャブコンも展示する。

詳細情報

〒480-1207 愛知県瀬戸市品野町 1-126-1
(道の駅 瀬戸しなの 第2駐車場)
電話:0561-59-7788
火・水曜休(祝日営業) 10:00~17:00
HP=http://www.recvee.jp/
sta@recvee.jp


 
アクセス 
東海環状自動車道・せと品野から瀬戸市街方面へ約3.3km
レクビィ本社工場から車で1分
 
 
※ レクビィの主要ブランドである「シャングリラⅡ」などの詳細解説は下記の情報をご参照ください。
https://camping-cars.jp/taidan/4036.html
(キャンピングカー総合情報WEBサイト「キャンピングカースタイル」:レクビィ増田代表インタビュー)
 
 

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愛車自慢 コマンダーGT(再録)

 
 昔、「愛車自慢」というタイトルで、自分が乗っている「コマンダーGT」というキャンピングカーのことを書いたことがある(2007年7月1日)。
 しかし、一度クラッシュした旧ブログなので、画面が立ち上がるまでに時間がかかり、画像が抜け落ちた部分もあるので、「キャンピングカースタイル」というWEBサイトでこの車が紹介されたことを機に、多少リライトして、ここに再録する。


 
 
コマンダー開発秘話
 
 この車は、2002年(平成14年)に、横浜のキャンピングカーショップ(元)「ロッキー」から発売された。
 シャシーが韓国ヒュンダイ製。
 バンテックがそのシャシーを輸入し、ロッキーが企画を練り、バンテックのタイ工場で造られたキャブコンという意味では、東アジアを股にかけて製作された国際的なキャンピングカーともいえる。

▼ コマンダー(初期型)

 スタイル的な特徴といえば、かつてアストロをベースにした輸入モーターホームとして一世を風靡した「タイガー」を彷彿とさせるところ。プロポーションもタイガーだし、ストライプの走り方もタイガーを意識している。
 これは当時の「ロッキー」の社長がアメ車好きであったことに由来する。

▼ アストロタイガー(後期型)

 
 しかし、この企画を受けたバンテックの社長 故・増田紘宇一氏は、ヨーロッパ車が好きだったせいもあって、アメ車テイストの車をつくることには内心苦々しい思いを持っていたともいわれている。
 ただ、そこはバンテックのヒット商品を次々と発表していた増田氏のこと。ロッキー側の依頼を受けて、見事にアメリカンテイストのフォルムを造形した。

 ちなみに、増田氏がヨットを趣味としていたこともあって、その人間関係から、ボディ造形には日本を代表するヨットデザイナーの横山一郎氏が関わったといわれている。
 

 
 このコマンダーを購入するときの、選択肢としての基準は、5m未満のキャブコンで、車両本体価格が500万円未満(当時)。
 … ということであったが、実は、ベース車のヒュンダイSRXトラックにすごく興味があったからだ。

 なにしろ、このトラックは、商用車の分野でも国際マーケットへの進出を目指していたヒュンダイ自動車が、ヨーロッパのフィアット・デュカトの競合車として設計したトランスポーターだといわれている。
 つまり、アウトバーンでの走行も念頭においたもの !?
 … となると、当然走りを期待したくなる。

 このベース車を日本に導入するとき、バンテックがあちらこちらの国産ビルダーに、売り込みをかけた。
 それを受けたビルダーさんの反応が様々であった。

 某メーカーA社長。
 「いいシャシーですよ。ただ韓国製ということで、うちの営業は全員反対でしたね。エンジンブロックなどの構造が日本の三菱系とはいっても、不具合が出たらどうするか。未知の部分が多すぎて … 」

 某メーカーB社長。
 「シャシーはいいけれど、日本では売れないと思うよ。売れない理由が3拍子揃っている。ひとつは左ハンドル。次はディーゼル。そして、やっぱり韓国車はまだ日本では市民権を得ていない」

 某メーカーC社長。
 「これはいいシャシーだよ。ディーゼルだけど、やかましくないんだよ。それに、運転席が乗用車の雰囲気じゃない? しかも、ドアを閉めると、バタッと重厚感があって、トラックじゃないよ、あれは … 」

 某メーカーD社長。
 「韓国製っていうから、それほど期待していなかったけれど、実際走らせたらびっくり! カムロードなんかよりパワーがあるし(当時)、直進安定性もいい。ワイドトレッドなどをわざわざ設定しなくても、ベース車自体が広いから安定感がある。キャンピングカーにしたら良いクルマができると思うよ」

 某メーカーE社長
 「バンテックさんが入れるというので、ヒュンダイの工場まで試乗に行ったんですよ。そうしたら、思ったより完成度が高かった。まぁ、トヨタほどの完成度ではないけれどね。ターボの回り方はいいので、走りは軽快。ホイールベースも長くて安定しているし、トレッドも広いので、コーナリングの不安がない」


 
 … というように、架装した車両が生まれる前から、かなりの情報を得ることができた。
 賛否両論だったわけだが、逆にそのことで、ものすごく興味をそそられた。
 このシャシーを使ったバンテックのアトムSRXのプロトタイプが出たとき、当時バンテックにいたベテラン営業マンが面白い話をしてくれた。
 
 「ショーに出したら、みんな珍しがって寄ってくるんですよ。コレかっこいいねぇ。どこのクルマ? って。
 だけど、韓国製って言ったら、みんなサァーって引いていく。日本人はまだ、大昔の、ドアのバリが取れていないような韓国車しか知らないんだね」

 この話を聞いて、逆に、
 「面白いじゃん!」
 と思った。

 誰でも誉めるシャシーなんて、あんまり魅力がない。
 「よし、次のキャンピングカーを買うなら、このベース車のやつを … 」
 そう密かに心に決めた。
 
 
車両サイズ
   
 この「コマンダー」がデビューした2002年当時。ヒュンダイSRXベースの国産キャンピングカーは全部で3台あった。
 1台は、輸入元のバンテックが開発した「アトムSRX」。
 もう1台は、フィールドライフの「フランク」。
 翌年になると、マックレーの「エンブレム」が登場することになるが、2002年ではまだ「エンブレム」はなかった。
 
▼ バンテックのアトムSRX(初期型 2002年モデル)

▼ フィールドライフのフランク

▼ コマンダーGT

 その中で、このコマンダーを選んだのは、ずばりサイズ。
 5m未満。
 アトムSRXは、全長5585mm。
 フランクは、全長5670mm。
 それに対して、コマンダーは4980mm。
 
 悲しいかな、わが駐車場 … といっても月極だが、そこに収まるのは5m未満のコマンダーだけだった。

 実は、ベース車のヒュンダイSRXトラックの全長は5415mmなのだ。
 それをわざわざフレームの後部をカットしてまで、ショートボディにこだわったのが、コマンダーだった。

 理想的といえば、理想的。
 頑丈なフレームを残したベース車だから、ボディ剛性もしっかり確保された上に、衝突安全性も保証される。
 それでいて、全長5m未満。
 もう、それだけで、ほぼ自動的に購入車両は決まった。
 
 結果的に、この5m未満ボディのおかげで、旅行に出ても駐車場選びで困ることはなかった。
 なにしろ、キャブコンでありながら、コインパーキングに収まってしまうというのはやはり便利だ。


  
 スタイルにこだわれば、プロポーションが美しいのはフランクだった。もちろんアトムもきれいなフォルムをしていた。
 しかし、当時のわが駐車場は、立て込んだ民家の塀をかすめる感じで、斜めにバックしながら入れなければならなかったので、リヤオーバーハングが長い車は、もうそれだけで候補から外れた。
 その点、リヤオーバーハングがなく、全長も5m未満のコマンダーなら、切り返しを必要とすることなく駐車スペースに入った。
 
  
走行性能
 
 走りは、正直にいって「拾い物!」という感じだった。
 実は、「カムロードよりよく走る」という評判は聞いていたのだが、それほどのことはあるまいと、タカをくくっていた。 
 当時のカムロードは91馬力。
 SRXのスペックデータは、103馬力(初期型)だったから、それほど大きな差があるわけではない。だから、実際に走らせるまで、大きな期待はなかった。
 
 しかし、ターボの力あなどりがたし。
 キックダウンして回転数が上がるまでは、ディーゼルトラック特有のもたつきがあるが、ターボが効きだしてトルクバンドに乗ってくると、かなり胸のすく走行フィールが味わえる。
 ある販売店のスタッフが「乗用車フィール」と言っていたのも、よく分かった。

 高速道路では、軽々と120km巡航ができるので、最初のうちは得意になって飛ばしていたが、燃費はガタっと落ちる。
 
 ちなみに、市街地では5.8~6.8kmリットル。
 高速道路では、平均8.6kmリットルぐらい。
 しかし、100kmを超える巡航を継続していると、高速道路でも市街地並みの燃費に落ちる。
 そのため、急ぎの用がないときは、高速でも80~90km走行。
 80kmをキープしていればリッター10kmは走る。

 直進安定性もいい。
 なにしろ、ホイールベースが3280mm。これは、カムロードの2545mmを軽くしのぎ、ハイエースのスーパーロング(3110mm)よりもさらに長い。
 そのため、高速道路で100kmを超えても4輪(後輪ダブルだから正確には6輪?)がピタッと地面をトレースしている感触が伝わってきて、ハンドルがまったくぶれることがない。
 
 左ハンドル車を持つのは、実は初めてだった。
 だけど、幅2mを超えて、この車のように2.15mぐらいになってくると、やはり左ハンドルは悪くない。
 左いっぱいに寄せられるので、狭い道のすれ違いなどは、かえって右ハンドル車より有利に思える。
 ただ、最初のうちは、右席に乗った同乗者は、対向車線の車が飛び込んで来るように見えて、かなり困惑していたようだった。
 
 難点があるとしたら、右側から迫ってきた車に追い抜かれるとき、一瞬の死角が生じること。
 それを解消するのには、天吊りミラーが効果があるようだ(私は付けていない)。
 この “一瞬の死角” は、この車の納車が始まった頃から、すでに問題になっていたもので、何台かは補助ミラーをつけて納めたという話は聞いた。私は、「事前の注意と慣れ」でなんとかしのいでいる。
 
 
レイアウト
 
 「コマンダー」というキャンピングカーの外形的特徴をいうと、“鼻付き” であることだ。つまり、ボンネットがバン! っと前に突き出ている。
 
 ボンネット型キャンピングカーは、確かにカッコはいいけれど、5mクラスのキャブコンとなれば、このボンネット部分にスペースを取られてしまう分、居住空間が狭められてしまう。
 つまり、長さの割りに、室内が狭い。

 これを「損」と取るか、「贅沢」と取るか。
 私は、「贅沢」と取った。


 
 ただ、正直にいうと、家族の多いユーザーには向かない車だ。
 カタログで謳われている乗車定員は9名。就寝定員は6名だが、それは人間を動かないマネキン人形のように考えて、肌と肌を密着させた状態で詰め込んだときの数値で、実質的には夫婦2名+小さな子供2名というのが許容限度。
 理想をいえば、夫婦2人の車だ。

 息子は、いま身長が180cmを超えるが、こいつが一人乗り込んでくるだけで、室内があっという間に半分に縮小されちゃったのか? と思えるほど窮屈になる。
 でも、今はほとんど夫婦2人で使っているので、まったく問題がない。

 ボンネットなどという “無駄メシ喰らい” のスペースがあるため、室内空間は狭いのだが、それを感じさせないところが、この車の妙である。
 理由は、バックエントランス。

 エントランスドアが、ボディの真後ろにある。
 エートゥゼットのアミティRRがこれを採用し、評判を取った。
 その昔は、日本人が企画した車ではアストロスター、イーグルなどというキャブコンがあり、輸入車ではシヌークがあったが、いずれにせよ、このレイアウトは少数派だ。
 
 トラックキャンパーでは、構造上このスタイルしか取れないわけだから、それはやむを得ないとして、キャブコンでこれを採用する車が少なかったのは、出入口がオーニング下からずれるし、リヤにキャリア類が付けられない … などというデメリットがあったためだろう。
 
 でも、そういう不便さを気にしなければ、これは無類にスペース効率の良いアイデアだ。
 フロントエントランスにせよ、リヤエントランスにせよ、ボディの横に入口がある車は、その入口まわりに家具を置くことができない。つまり、エントランスステップが “デッドスペース” になってしまうわけだ。
 
 コマンダーは、バックエントランスを採用したため、運転席からリヤエンドまで真っ直ぐに伸びる純粋なキャビンスペースを確保している。
 そのため、“生意気にも” シャワー・トイレルームさえ実現している。

 (写真上)ボディサイドにエントランスドアがない分、室内には、ドーン! と優雅なサイドソファが通っているのが特徴。
 足の長さなど自慢できない奥ゆかしい私なんぞは、このサイドソファがあるだけで、(フロアベッドを作ることなく)そのまま寝っ転がることができる。

 トラックベースに見えない運転席周りも気に入っているところのひとつ。
 乗用車っぽくハンドルが立っている。
 運転席・助手席とも、肘掛けが付いていて、快適だ。

 下は、キッチンスペース。
 さすがに狭いけど、いちおう2口コンロ付き。
 コンロの上には換気扇があって、煙草を吸っていたときは、この下で煙を吐き出すと同乗者のカミさんに迷惑をかけることがなかったので助かった。

 12V仕様の電子レンジ(↓)も最初から標準装備だった。
 これもけっこう便利。AC電源が取れなくても、冷凍モノを温めたりできるので重宝している。

 ゆったりしたダイネットシートに座り、窓の外に広がる港の夜景などを眺めながら、気に入った音楽を流し、ウィスキーなどをすすっていると、最高の気分である。


  
  
 ※ キャンピングカーライターの岩田一成さんとの対談による “愛車自慢” に関しては、下記のサイトをどうぞ。
 https://camping-cars.jp/usage/3986.html
(キャンピングカー総合WEBサイト「キャンピングカースタイル」) 
 
 
コマンダーGT(初期型モデル)主要諸元

ベース車両 ヒュンダイSRXトラック
全長 4980mm
全幅 2150mm
全高 2700mm
エンジン種類 インタークーラー付きターボディーゼル
排気量 2476cc
最高出力 103ps/3800rpm
最大トルク 24,0km/2000rpm
ミッション 4速AT(アイシン精機製)
駆動方式 2WD(FR)
ホイールベース 3280mm
トレッド(前) 1570mm/(後)1408mm ※後輪ダブルタイヤ
最小回転半径 6.3m
燃料タンク 70㍑(軽油)
発売当時価格(初期型) 4,600,000円
 
主要装備
FRP一体成形ボディ/網戸付きペアガラス/バックエントランスドア/温水ボイラー/ファンタスティックベント/ギャレー(シンク&2口コンロ)/大型外部収納庫(左右)/給排水タンク(各94㍑)/3ウェイ冷蔵庫/12V電子レンジ/105Ahサブバッテリー×2/カセットトイレ/ベバストFFヒーター/サイドオーニング/バックアイカメラ/リヤラダー/大型凸面ミラー/走行充電装置ほか 
 
 

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