米中戦争が起これば、中国が勝つ ?

 
 5年に1回の中国共産党大会が開かれ、習近平主席の独裁的権限が一層強化されたようだ。

 

 習近平主席は、大会中の演説において、
 「2050年までには社会主義国家としての “強国” となり、世界に大きな影響力を持つ」
 と強調し、
 「中国人民軍を世界一流の戦闘集団に変革する」とも宣言したらしい。

 こういうあからさまな “国威発揚” 宣言は、憲法に自衛隊の名前を明記するかしないかというだけで国論が割れるような日本では考えにくいことだが、そのような戦闘的膨張政策が、世界のリーダーたちの今のトレンドなのかもしれない。

 特に、アジア・ユーラシアの国家元首たちは、みな一様に独裁権を強化し、古代帝国の栄光を回復しようとしている。
 ロシア帝国の新ツァーリとして君臨するプーチン首相。
 オスマン帝国のスルタン復興を夢見るエルドゥアン大統領。
 そして、秦、漢、唐、明、清という歴代中華帝国の皇帝の道を歩み始めた習近平主席。

 しかし、その本気度において、やっぱり中国は突出している。
 なにしろ、中国には、アジア諸国の “帝王” としてふるまってきた3000年の歴史がある。他の新帝国は、その歴史の古さにおいて中国に及ばないのだ。

 習近平主席も最近はそれを意識しており、毛沢東皇帝を祖とする “中国共産党王朝” の新皇帝としての権威付けに腐心するようになった。

 中国と北朝鮮の関係がぎくしゃくしてきたのは、中国がアメリカのプレッシャーを受けていやいや北朝鮮に圧力をかけているというよりも、習近平氏が、「東アジアに二つの王朝はそろそろ要らない」と思い始めたからだろう。
 事実、中国の方がアメリカよりも先に北朝鮮に軍事介入するのではないかという、という観測もある。

 中国の世界制覇構想は、北朝鮮などと違って、統治のビジョンが明確である。
 どの政策も、すでに過去に実験済みのプロジェクトばかりだ。
 「一帯一路」という経済圏構想は、まさに漢・唐の時代に西域経営を目指した古代シルクロードの再現だし、東シナ海への進出は、明代の武将である鄭和(ていわ)が意図した海洋国家構想の現代版である。

 中国の東シナ海や南シナ海への膨張政策は、日本のみならずベトナムやフィリピンでも懸念されているが、実は、基本的に中国には「他国に侵略する」という発想が乏しい。
 侵略というのは、占領すべき土地をあらかじめ “他国の領土” と認めることが前提だが、そもそも中国においては、伝統的に “他国” という概念が希薄である。
 要は「中華思想」。
 すなわち、自分自身が常に “世界” の中心(中華)を占めているのであり、中心から外れているエリアは、単なる “周縁” に過ぎないのだ。

 中国にとって、文化や言語を異にする周辺諸国は、中国と対等な独立国ではなく、いずれは中国文化を学ばせ、“中国の徳” を統治理念に据えた国家として教育してやらねばならない対象なのだ。
 
 「中国の徳」とは、かつては儒教的な統治理念であり、現在は共産主義の指導体制のもとに進められる開放経済である。
 
 清朝が滅びるまで、歴代中国の王朝は周辺の国をそんなふうに考えていたから、日清戦争で日本に負けたことは彼らにとっては青天の霹靂であったし、一生涯かけてもぬぐい切れない民族的汚点となった。

 そういうトラウマは、中国政府の一貫した対日感情として受け継がれており、最近になって、諸外国から経済大国とみなされることによって、ようやく彼らのメンツも回復されるようになった。
 
 
 現在、中国共産党は、「経済大国・軍事大国」としての自尊心を国民に植え付けることによって、国威高揚を図っている。

 そういう国民のナショナリズムを持続させるために、政府は天安門事件以降、政府を批判する国民の声を徹底的に弾圧するようになった。
 そのような言論統制は、新聞やテレビなどの既成メディアにかぎらず、現在はネット言論に至るまで徹底されている。

 日本人は、そういう中国政府の言論弾圧の姿を見るにつけ、中国政府を独裁的で、非民主主義的な政権であると思いがちである。
 しかし、それは統治理念の問題というよりも、むしろ歴史の問題である。

 日本人は、大規模な百姓一揆が起こったりして、政府が転覆するという経験を過去にほとんど持っていない。
 しかし、言語も違えば宗教も違う異民族が混在する中国では、昔からささいなことをきっかけに内乱が起こる率が非常に高かった。
 
 そもそも、歴代の中国王朝は、国境の外からやってきた異民族によって征服されるよりも、むしろ、腹をすかせた自国民の反乱によって転覆させられた方が多かったのだ。

 そういう危機的状況は、今も変わらない。
 中国共産党は、この膨大な人民がひとたび反乱を起こせば、大陸全土が四分五裂になることをよく知っている。

 だから、歴代の中国王朝は人民が権力に目覚めることを極度に恐れてきたし、現在の中国共産党も、「人権」などという思想が人民に広まることを極端に警戒している。
 欧米流の「民主主義」などというのは、中国共産党にとっては悪魔の思想である。

 もともと中国は、アジア随一の大農業国であったから、養える人口の数が周辺国とは比べものにならないほど多かった。
 そういう国では、逆に1人ひとりの「命の重み」というものは軽くならざるを得ない。

 モンゴル高原の騎馬民族「匈奴」と戦っていた漢の武帝は、匈奴の馬と同等の性能を有する西域の駿馬(汗血馬)を1頭を手に入れるために、500人ぐらいの兵士が命を失うことに何のためらいを持たなかった。

 今の中国政府にも、いまだにそういう思考は残っており、地方の工業化を推進するために、地域住民に環境的犠牲を強いるなどという例は相変わらず後を絶たない。

 こういう人命軽視の思想は、中国人民軍にも浸透している。
 人民軍の戦略は、常に人的消耗戦に持ち込んで、敵を圧倒することである。

 中国人民軍のある将校は、アメリカと戦争が始まっても、最後は中国が勝つと試算しているらしい。

 その根拠は人口の数。

 アメリカの人口3億。
 中国の人口14億。
 人民軍将校の試算によると、アメリカ軍の戦闘力によって、半数近い中国人が死んでも、半数の6~7億は残る。
 その6~7億の中国人が武器を手にアメリカ本土に渡れば、人口数でアメリカを圧倒し、最終勝利をものにすることができる。

 …… とかいう話もあると聞く。ウソかもしれないが、中国軍なら考えそうな話だ。

 こういう発想で戦争に臨む国を相手にしたら、絶対勝てっこない。
 だから、何が何でも戦争を回避する手段を考えなければならない。

 そうするには、どうしたらいいか?

 1人でも多く、親日気分になってくれる中国人を増やすしかない。
 彼らにはどんどん日本に来てもらって、寿司を食ってもらって、日本製化粧品や龍角散を大量に買ってもらいたい。
 そして、いろんな観光地を回ってもらって、「日本人はいい人多いね」と理解してもらいたい。
 
  
関連記事 「中国式世界帝国の未来」
 
 

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若者の間に昭和歌謡ブーム

  
 「昭和歌謡」に興味を抱く、平成世代の若者が増えているという。

 ネット情報によると、NHKで放映される「のど時間」では、昭和歌謡を歌う中高生の姿が目立つようになってきたとか。
 NHKの同番組では、吉田拓郎の『落陽』(1973年)を歌う男子高校生、ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』(1967年)を歌う女子中学生デュエット、中森明菜の『少女A』(1982年)を歌う女子高校生などの例が報告されたという。


 
 さらに、(これまたNHKの話だが)、同局の『金曜イチ』(2017年10月13日放映)という番組では、「昭和の歌に若者も夢中 !?」というタイトルのもと、山口百恵のカバー曲をライブで披露する若手女性シンガーの例や、カラオケルームで昭和歌謡を歌いまくる女子大生4人組の例がリポートされていた。

 このような若者の昭和歌謡ブームに乗り、昭和のアイドルや歌手のブロマイドも人気が高まってきたとも。
 都内のブロマイド専門店には、遠方からも平成世代の若者が押し寄せ、松田聖子、中森明菜、沢田研二といった昭和のスターの写真を買い込んでいくという。

 家族や親の影響が大きいのだろう、と専門家は分析する。
 平成生まれの若者の親世代といば、昭和のアイドルたちの全盛期。
 この時代というのは、キャンディーズ、山口百恵、松田聖子、近藤真彦といったアイドルを軸に、荒井由実、中島みゆき、テレサ・テン、桑田佳祐、井上陽水、玉置浩二といった実力派の歌手やミュージシャンが活躍し、昭和歌謡が質的にも量的にも全面開花した時代だった。

 そういう歌になじんでいた親たちが、家事をしながら口ずさんだり、子供たちとドライブするときに流していた曲が、徐々に平成の若者たちの “耳の肥やし” になっていったのではないか。

 もちろん、親が歌っていたからといって、それを聞いた子供がそのまま好きになるとは限らない。
 やはり、「この歌はいいな !」と若い世代が思えるような何かがなければ、昭和歌謡再評価のブームは起こらない。
  
 平成の若者からみた昭和歌謡の魅力とは何なのか?

 一つのヒントがある。
 NHKのアンケート調査によると、J ポップの旗手小室哲哉ファミリーより、昭和歌謡の山口百恵の方が、若者たちの認知率が高かったというのだ。

 小室哲哉といえば、音楽プロデューサー兼ミュージシャンとして「TM NETWORK」、「globe」などの音楽ユニットを結成して大活躍。安室奈美恵、華原朋美などをスターに育てた人としても知られる。まさに1980年代~90年代におけるJ ポップのカリスマ的存在であるが、その彼よりも、さらに20年も古い山口百恵の方が若者に親しまれているというのは、どういうことなのだろう。

 これぞ、まさに「サウンド」と「歌」の違いなのだ。

 80年代の中頃、いわゆる「J ポップ」が台頭するようになって、曲づくりがサウンドを中心に回り始めた。
 もともと J ポップは音楽ビジネス関係者たちによって、かなり意図的に企画されたプロジェクトだった。
 狙いは、「洋楽のように洒落た国産ポップス」という新しいマーケットの創出だった。

 “洋楽っぽい” ことが絶対条件だったから、J ポップのメロディー、リズム、コード、アレンジなどが、一斉に “脱・歌謡曲” に向かったのは言うまでもない。
 和音構成として、わが国独特の哀調感を持つ日本音階(ヨナヌキ)が影を潜めていくというのも、その顕著な例といえるだろう。

 こうして、日本のポップスは、サウンド的には恐ろしいくらい華麗かつオシャレになっていったが、それを徹底していく途中で、「歌詞」がストンと抜けた。

 もともと、日本の流行歌は、分業体制で作られていた。
 作詞、作曲はそれぞれ別のプロが担当し、さらにプロの歌手が渡された曲をそのまま歌う、という手法で世に送り出されてきた。

 ところが、フォークソングブーム、シンガーソングライターブームが起こることによって、分業体制の一部でしかなかった「歌手」の地位が突出するようになった。
 彼らは「アーチスト」と呼ばれるようになり、歌のコンセプト全体を代表する表現者と目されるようになった。
 J ポップの担い手はバンドで占められることも多かったから、バンドのリーダーがそのまま作詞・作曲・アレンジを手掛ける率も高くなった。

 もちろん、そのことによって、J ポップの音楽的統一感は際立つことになった
 
 ただ、バンドのリーダーやシンガーソングライターが優れたミュージシャンであったとしても、必ずしも “優れた詩人” であるとはかぎらない。

 歌詞づくりというものは、自分の日常の断片を綴ったり、自分の身に降りかかった事件を取り上げていればいい、というものでもない。
 自分の体験からネタを拾っている限り、人をハッとさせたり、人の意表を衝いたりする詞を量産することはできない。

 詞は、自分自身だけではなく、「世界」とつながっていなければならないからだ。

 シンガーソングライターたちの詞を聞いていると、ときに、その等身大の世界観に心休まるものを感じたりすることもあるが、その先の広がりがない。

 こうして、J ポップの詞は、いつしかみな似たり寄ったりのテーマばかりが繰り返されるようになり、聴衆に、通り一遍の “感動” と、通り一遍の “勇気” と、通り一遍の “元気” を与えるだけの存在になっていった。
 だから、飽きられるのも早い。
 
 平成の若者たちは、今の音楽の “歌詞不在” に気づいたのだ。
 
 小倉智昭氏がキャスターを務める朝のワイドショー(フジテレビ)では、2016年9月に『若者の心をつかむ “昭和の歌謡曲”』というコーナーを設けた。
 そこで “街の声” として街頭インタビューを受けた女子高生は、こう答えた。

 「今の歌って、歌詞がウソくさい。でも昔の歌って、歌詞が本音で書かれているような気がする」

 この一見稚拙な表現のなかに、今のJ ポップと昔の昭和歌謡の根本的な差異があらわれている。

 これは、「昔の歌の方が人間の本音」を語っているという意味ではない。
 昔の「詞」は、プロの作詞家によって書かれていたということなのだ。

 つまり、人間の心理を鋭く追及できるプロの作詞家が、人々の生活に使われる言語の中からこだわり抜いた言葉を選び出し、繊細な手つきで並べ変え、1語ずつ、人の心を震わすフレーズに組み直していったということなのである。

 では、「プロの作詞家」とは何か?
 それは、曲があってもなくても、小説のような作品を書いてしまう人たちのことだ。

 昭和歌謡の詞をつくり続けていた人たちの名をざっと並べてみよう。
 
 阿久悠、星野哲郎、山口洋子、なかにし礼、安井かずみ、阿木燿子、竜真知子、井上陽水、松本隆、岩谷時子、吉田拓郎、中島みゆき、来生えつこ …… 。

 もちろん、この人たちは昭和歌謡をつくった作詞家の一部でしかないけれど、どの人も “文学者” としても一流の人ばかりである。
 彼らは、もしその気になれば、文学賞が取れそうな小説作品をサラッと書いてしまうだろうし、事実、上記の人たちのなかには、すでに著名な文学賞を受賞している人もいる。

 では、「文学」とは何か?
 それは、「この世には言葉の届かない世界がある」ということを教えてくれる言語芸術である。
 
 「言葉」というものは、何かを解説するための道具だ、と誰もが思い込んでいる。
 この世の暗がりに潜んだよく分からないものを、明るみに引っ張り出してくれるものが言葉。だから、池上彰さんのような “言葉の達人” がいれば、どんな難しいことでも解説してもらえるはず。
 普通の人はみな、そう思いがちである。

 しかし、文学に少しでも触れた人はそうは思わない。
 逆に、この世には、言葉をいくつ積み上げていっても、届かない世界が残ってしまうことに気づいている。
 
 “届かない世界” を感じるとき、人間の脳内では、いったい何が起きているのだろう?
 
 想像力が刺激されているのである。

 「言葉の届かない世界」に接するということは、実は想像力がむらむらと沸騰している状態なのだ。

 その状態を、
 「言葉を失うほどの感動」
 とか、あるいは、
 「言葉を失うほどの驚愕」
 などという。

 想像力が刺激されたとき、人は日常的光景の向こう側に、狂気と狂喜にまみれた部屋の扉が開くのを見る。

 昭和歌謡の作り手たちは、それぞれ目指した世界は違ったとしても、一様にこういう詞の作り方を心がけていた。

 前述したNHKの『金曜イチ ~ 昭和の歌に若者も夢中 !?』という番組では、ゲストのミッツ・マングローブがこういう。
 「今の音楽は、すべてを説明して答まで消費者に提供しようとしている」
 
 しかし、それでは、かえって聞き手の想像力が奪われてしまう、というわけだ。

 同番組でインタビューを受けて作詞家の松本隆は、次のようにいう。

 「歌には “余白” というものが大事。つまり、言葉と言葉の “間(ま)” のようなもの。詞における『美』というものは、そういう “余白” とか “間” に生まれる」

 詞における「余白」とか「間」というのは、すなわち「想像力」が舞い降りてくるスペースにほかならない。
 
 個人的な趣味を一言だけ付け加えさせてもらえるならば、私にとって、余白が最高に機能している歌の一つに思えるのは、『よこはま・たそがれ』(詞・山口洋子 1971年)である。


 
 「♪ よこはま、たそがれ、ホテルの小部屋、くちづけ、残り香、煙草の煙 … 」

 歌全体が名詞の羅列。
 動詞、助詞、助動詞などはいっさい「余白」の彼方に追いやられている。

 この歌においては、孤立した名詞同士が、お互いに関わるすべを失い、それこそ影が濃さを増していく “たそがれ” の中に立ちすくんでいる様子が浮かんでくる。
 そこから立ち上がってくる深い孤独感と、物憂さに満ちた寂寥感。

 詞における「余白」というのは、こういうものだと教えてくれる歌詞の典型である。

 昭和歌謡というのは、概してこういう方法論によって編み出されてきた。
 音楽評論家の近田春夫氏は、「今のJ ポップの作り手のなかで、昭和歌謡のような作詞能力を持っている人が現れたら、詞の世界で必ず頭を取れる」と言い切る。

 おそらく、これからは、昭和歌謡を聞き始めた平成の若者のなかから、きっとそういう逸材が現れてくるに違いない。
 
 
▼ 『よこはま・たそがれ』

 

関連記事 「よこはま・たそがれのアンニュイ」

 
参考記事 「“昭和的” なるものとは?(ドラマ『陸王』に見る昭和の高度成長とバブル)」  
 
 

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感染性胃腸炎だって

 
 ここ10日ほど、実は病床に臥せっていた。
 病名は「感染性胃腸炎」。

 恥ずかしい話だが、まぁ、ウィルスによる食中毒のようなものである。
 しばらく外食に頼ることが多かったから、どこかの食事から拾ってしまったのかしれない。

 なんとなく体がだるい … という潜伏期間が4~5日続いた後、突然38度~39度という高熱に襲われた。

 そして、激しい下痢と腹痛に悩まされた。
 医者に行って、抗生物質や下痢止めの薬を調合してもらった。
 腹痛は収まったが、下痢状態は3日ほど経過してもまだ治らない。

 仕方なく、昨日から居間のソファに寝そべったまま終日テレビとパソコンを観ている。
 テレビからは、いろいろなコマーシャルのキャッチを覚えた。

 「痔にはポリフェノール」
 とか、
 「お値段どおり、ニトリ」
 とか。
 … 違うかな?

 ニュース番組で報道される衆議院選挙の見通しなどにも目を通していた。
 投票日まであと1週間を切ったが、ネット情報(YOU TUBE)を見てみたら、「希望の党」に対する逆風の強さは想像以上のものだった。

 私はこの小池百合子という人を評価していないので、このブログにおいても何度か批判めいた記事を綴った。
 そのうちテレビでも批判めいた発言があらわれるようになり、小池旋風の失速が感じられた。

 しかし、ネット世論は、テレビ以上に彼女に対して厳しかった。厳しいというよりも、むしろ小池バッシングを楽しみ始めたようにも思える。

 “風” まかせの選挙というのは、ほんとうに怖い。
 順風に煽られて、都知事選と都議選を圧勝した小池女史だが、今やその暴風に押し倒されそうになっている。
 
 今後小池女史は、いったいどういう立ち位置を維持していくのだろうか。
 都知事の仕事に舞い戻っていくしかないのだけれど、すでに小池女史が都政に対して何の情熱も持っていなかったことに気づいた都議たちや都庁職員たちは、もう彼女を冷めた目でしか見ないだろう。
 そして彼女に対する都民たちの幻想も、これを持って終了するだろう。

 哀れなのは、「希望の党」と「都民ファースト」に参加した人たちである。
 両党とも、おそらく2年後ぐらいには自然消滅しているだろう。
 可哀想だが、若狭勝氏の政治生命もそう長くはないだろう。
 細野豪志氏はその後も政界を泳ぎ切っていくかもしれないが、一度沁みつついた “裏切者” のイメージを振り払うことは難しいだろう。

 世論調査では自民党の圧勝で終わるという見方も出てきたが、安倍政権だって問題だらけの政権だ。
 確かに、ここ数年アベノミクスの成果は出ていると思うが、企業の内部留保は過去最高額を維持しつつ、それをほとんど社員に還元していない。
 だから、そこのところだけを切り取れば、「金持ち優遇の政治を終わらせよう」という共産党の主張にも一理あるし、「アベノミクスの成果を庶民は実感していない」という他の野党の主張にもうなづける。

 にもかかわらず、安倍政権批判を繰り返す野党の主張がまったく有権者の心をつかまないというところに、今回の選挙の絶望的な様相が浮かび上がってくる。

 「希望」「共産」「立憲」のすべてにいえることだが、どの党も「もし選挙に勝ったらどういう日本をつくっていくか」というグランドデザインの提示があまりにも貧弱。
 とりあえず「安倍一強政治を終わらせよう」とみな言うが、終わらせた後にどういう日本が現れて来るのかということに対して、どこも明確なヴィジョンを提示しきれていない。

 唯一、安倍政権の政策の弱いところをはっきりと理論的に衝いたのは、民進党前原誠司氏であったのだが、彼の最大のミスは頼ろうとした「希望の党」があまりにも早く瓦解してしまったことだ。

 私は、前原氏は “リベラル” などの旗印にこだわることなく、むしろ自民党に入って内部から安倍に対する批判勢力として存在感を示せばよいと思う。今回自民党が提出した消費税やその使い道などに対する政策案は、そもそも前原氏が3年ぐらいかけて温めてきたものなのだから。
 前原氏はけっして、政党のリーダーに座る器の人ではないが、私は彼の勉強する姿勢を高く評価している。

 この日曜日、選挙報道以外では、テレビドラマもよく観た。
 TBSの『陸王』も観た。
 面白かった、
 役所広司、いい役者だね。

 ただ、ストーリーはあまりにもベタ。
 視聴者を泣かせる見せ所というものをあざとく計算して、図式通りに話が進行していく。
 未来への挑戦、人の絆、不屈の精神。
 基本的に日本人が好きな『プロジェクトX』の手法。
 ま、こういう「頑張れ日本の中小企業!」みたいなドラマは、話がベタでも、それなりに楽しめる。
 私も何度か目頭が熱くなった。
 
 
 NHK大河ドラマ『女城主 直虎』。
 久しぶりに観たけれど、前よりは少し面白くなっていた。
 ただ、井伊直政を演じる菅田将暉の演技があまりにも “現代劇風” 。
 顔の作り方もセリフの読み方も、まったく昭和・平成の少年風で、戦国時代の男の子というニュアンスがまったく漂ってこない。
 もう少し大人びた、落ち着いた演技はできないものか。
 
 

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フェイクニュースはなぜ生まれるか

 
 トランプ米大統領が、自分に批判的なマスコミの報道を「フェイクニュース (fake news)と切り捨てるようになって以来、この言葉は流行語となった。

 

 しかし、評論家の荻上チキ氏によると、この概念はけっして新しいものではないという。
 すなわち、昔風にいえば「デマ」のことだと。

 「デマ」が民衆側から出たニセ情報を意味する言葉だとしたら、権力側が意図的に流すニセ情報を「プロパガンダ」というのだそうだ。
 
 ま、確かにそういうことなんだろうな。
 ただ、「フェイクニュース」という言葉には、「デマ」とか「プロパガンダ」という言葉とはまた違ったニュアンスがあるような気がする。
 それは、ネット社会の情報錯綜を反映した言葉であるように思える。

 「デマ」や「プロパガンダ」は、活字媒体が支配的であった時代の言葉。
 それに対し、「フェイクニュース」は、情報がペーパー媒体からネットメディアに移行した状況を示している。

 「デマ」や「プロパガンダ」という言葉からは、(意図は悪意であっても)一度印刷してしまうと情報の修正がむずかしいことを理解している活字媒体世代の責任感のようなものが匂ってくる。

 それに対し、「フェイクニュース」という言葉からは、愉快犯が面白がってニセ情報を流しているという無責任さが感じられる。
 つまり、世界中の誰もが簡単にネットにアクセスできるようになったために、恣意的に加工したニセ情報を流して他人が右往左往するのを見たいという人々のシンプルかつ陰湿な欲望が野放しになってきたことを示している。

 このような事態を招いた背景には、情報拡散のスピードがネットのおかげで幾何級数的に上がっていること。
 つまり、情報の消費が早すぎて、誰もが情報の真偽を確認できなくなっているということ。

 そしてもう一つは、ある意味 “豊かな社会” になって、人々がニュースに娯楽性を求めるようになったためだ。
 同じニュースでも、「えっ? それってホントー?」という刺激性の強いニュースの方に人々は惹かれるようになってきた。

 そういう傾向が助長された遠因として、私はテレビのワイドショーに出演するキャスターやコメンテーターが芸人によって占められる率が高くなってきたことを挙げたい。
 今やダウンタウンの松本人志やタレントの坂上忍などは、もう立派な天下のご意見番である。

 ネットニュースなどにおいても、松本人志の発言はものすごく大きく取り上げられている。
 たとえばある芸能人の不倫報道に対し「松本人志が一刀両断で切り込む」みたいな見出しばかりが躍る。
 そうやってチヤホヤされるから、松本人志は自分のことを “ワイドショーの新天皇” のように思ってしまうし、周りも彼をヨイショするから、視聴者も松本人志の見解こそが「世論」を代表していると思い込んでしまう。

 松本人志は、どうあがいてもビートたけしになれなかった二流の芸人だ。
 松本とたけしの差は歴然としている。
 それは制作した映画や本の社会的な評価の差というだけにとどまらない。

 たけしは、どんなに政治や社会問題にコミットしても、お笑い芸人の本質を忘れず、最後は笑いの落ちを取る。
 それに対し、松本は一見笑いで落ちを取るように見せていながら、内心は「俺ってすごい洞察力を持っているやろ」ということを匂わす。
 それこそ凡人であることの何よりの証拠である。
 そして、凡人であればあるほど、自分の権威をはっきりさせるために権力志向を強める。
 
 この2人には、羞恥心というもの対する決定的な差異がある。
 つまり常に羞恥心を持っているたけしと、羞恥心の欠如した松本の差だ。それはそのまま2人の知性の差となっている。

 少し前の芸能ニュースだが、オリラジの中田敦彦が松本人志を批判したことがあった。事の顛末はここでは書かないが、松本批判を行った中田に対し、吉本興行の社長が「松本に謝罪しろ」と迫ったらしい。
 この社長の発言は、日本の芸人たちを、「とにかく “権力” 批判はするな」と抑圧したに等しく、お笑いの本来の使命まで奪いかねない言動だと思っている。

 始末の悪いことに、ネット記事のなかには松本の方を擁護して、中田の生意気さを非難する記事さえある。おそらく吉本の意向を “忖度(そんたく)” したお抱え記者が素人を装って書いた記事だろう。

 話がだいぶ横道に逸れたが、フェイクニュースの横行には、ニュースの “芸能化” が背景にあることは間違いなく、それはそのまま今の日本の若者たちが置かれている状況を反映している。

 東大のような大学に入って、官庁や優良企業に進み、日本を支えるエリートになるか。
 それとも、お笑いの世界に入って頭角をあらわすか。

 今の日本の若者が自分の夢を持つときには、その二つの選択肢しかなくなってきたのだ。
 つまり、家族を養うために普通の生活に甘んじるという選択肢が今の時代にはない。

 かつて膨大なボリュームゾーンを誇っていた、いわゆる「中間層」が没落したというのは、格差社会論や経済的な問題だけでは片付かず、その底流にはこういう若者の心情が働いている。

 今の時代は、誰もが東大に行けるような世の中にはなっていない。
 そこに至るまでには、塾代や家庭教師料も含め、親が途方もない資産家であることを求められる時代になってきている。
 そういうコースを最初から諦めざるを得ない家の子弟は、幼いころから芸人を目指して、他人を “いじって” 笑いを取る訓練に励むようになる。

 今のテレビには、どちらにもロールモデルも用意されている。
 東大志望の子弟には、現役の東大生がどれだけ頭が良いかを際立たせるようなクイズ番組がたくさん企画されている。
 そういうクイズ番組に出演する東大生は、普通の社会人では理解できないような設問を一瞬のうちにクリアし、ものすごい知識量があることを喧伝する。

 視聴者はあっけにとられて、正解者に賛辞を贈るが、そこに落とし穴がある。
 クイズの正解は一つかもしれないが、人生の正解はけっして一つではないからだ。

 しかし、視聴者はこのようなクイズ番組に慣れることによって、人生の正解も一つしかないような錯覚に陥る。
 だから、最初からエリートコースに “正解” を放棄した若者は、「人生には答がない」ことを示し得るお笑いの世界を目指す。

 それはいいことなのだが、だからこそ、お笑い世界は松本人志のような天皇をつくってはいけないのだ。
 それはお笑いの世界を目指してくる若者たちに、「ロールモデルは一つしかないぞ」と強制するようなものだから。
 そして、そういう松本人志的な芸人の権力志向が、フェイクニュースの温床をつくっている。

 … という私の発言も、まぁフェイクニュースの一つかもしれないね。
  
 

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小池旋風失速

 
 この日曜日(8日)から月曜日(9日)にかけて、衆議院選挙に挑む各党の政権公約が出そろい、両日ともテレビ番組は朝から連続して党首討論会を放送し続けた。

 そこで感じたこと。
 リアルな政治感覚を維持している党と、リアルな政治感覚が欠如している党とはっきり分かれたな … ということだった。
 
 「リアルな政治感覚」というのは、世界をイデオロギーの色眼鏡で見ないということだ。
 ここでいうイデオロギーとは、昔の言葉でいう「右翼」あるいは「左翼」という言葉で表現される固定的な政治信条を指す。

 こういう政治信条は、目の前に起こっている現実を分析するのではなく、自分たちが昔から描いてきた理想像の方に現実を引き寄せようとするために、刻々と変化していくリアルな世界を素直に捉えることができない。
 最近は「リベラル」という言葉がよく使われるけれど、これも、「自分はリベラルだ」と言い切ったときにイデオロギーに転じる。
 
 自民党の安倍晋三という首相は、過去においては、誰にでも分かるくらいはっきりとした「右翼イデオロギー」を匂わせる人だった。
 靖国参拝も含め、彼はその右翼的スタンスを国民の目にわざとさらすように、これみよがしに強調した。
 さらに、その右翼思想を「美しい瑞穂の国」などと情緒的に表現して、政治センスの悪さもさらしていた。

 彼は思想的な右翼性を強調するだけでなく、さらに経済戦略においても原発ビジネスを画策したり、日本製兵器を諸外国に売り込もうとしたり、「戦争で食っていく」というスタンスを隠そうとしなかった。

 だから、私もかつてはこのブログでも安倍批判を繰り返していたのだけれど、ここ最近安倍首相そのものが変わってきたように感じる。自分の中に巣食っている右翼性を巧妙に隠すようになったのだ。
 それは悪いことではない。

 もちろん本質的なところは変わっていないのだろうけれど、最近の安倍首相の言動を見ている限り、政治家としての安定感が増しているのを感じる。
 たぶん野党やメディアからの批判を浴び続けているうちに、その対処法を身に付けたのだろう。
 それを、政治家としての「成熟」と見なしてもよい。

 だから、党首討論会のテーマが外交に及んだとき、いちばん安心して聞けるのは安倍発言である。
 おそらく、米国トランプ大統領やロシアのプーチン首相といった生臭い元首と会談を重ね、さらにG20などの会合を通じて世界の指導者たちとの交わりを深めたという経験が、その発言に自信を与えているのだろう。

 現在安倍氏がくぐってきたような外交的な修羅場を、他党の代表者は誰一人経験していない。
 だから他党の党首が語る外交問題は、やはり理念的であり、抽象的である。

 外交というのは、理屈が通らない世界だ。
 外交交渉で力を発揮するのは、担当者の “胆力” である。
 相手のふところにグサッと踏み込んでいく度胸といってもいい。
 それは時に恫喝やハッタリであるかもしれないが、ときには愚直なまでの誠実さであり、その使い分けがキモとなる。
 安倍首相は歴戦練磨の諸外国首脳と渡り歩いてきた分、そのコツを会得しており、それが自信となって表情や言動に表れている。
 それが(テレビなどの)映像を見たときの安定感につながっている。

 ただ、テーマが憲法問題に及ぶときだけ、安倍首相の根っこのところに秘められた “右翼イデオロギー” が顔を出す。自衛隊の存在を憲法に明記するかどうかなど、どう考えても喫緊の課題ではない。喫緊の課題ではないテーマを声高に掲げることを “イデオロギー” というのだ。

 その一点を除けば、現在の安倍自民党政権は、昔に比べてかなりリアルな政治感覚を身に付けてきたといえそうだ。
  
 
 この安倍政権よりも、さらにリアルな政治センスを発揮しているのが公明党である。
 党首である山口那津男氏のキャラクターの地味さもあって、公明党の主張はけっして派手ではないけれど、どれも現実社会に根を下ろした着実な研究成果がうかがえる。
 この党は、いったいどういうブレインによって政策や綱領を検証しているのだろうか。理論的な信頼度や安定感では現在一番かもしれない。

 マスコミは「自公政権」とひとくくりにして、似たような政権公約を掲げる党と見なし勝ちだが、党としての理論的な緻密さは公明の方が上である。佐藤優のようなリアルポリティークの極意を身に付けている批評家が背後に控えているせいかもしれない。

 自民党と公明党をサッカーチームに例えてみると、自民党というのは個々のプレイヤーの身体能力の高さで戦っているチームである。
 だからスターも多い。
 安倍晋三と総理の座を争う位置にいるといわれる石破茂氏、岸田文雄氏、あるいは小泉進次郎氏などは政界におけるメッシ、ロナウド、ネイマールといった感じではないか。

 それに対して、公明党はチームとしての組織力で戦っている党である。
 だから、なかなかスターが生まれない。
 そして、この党の欠点といえば、“宣伝下手” であることだ。
 どんくさいのだ。
 それが党としての真面目さや誠実さにつながっているのは事実だが、小池百合子のような “電通・博報堂” 並のイメージ戦略を掲げたライバルが現れてきたときには、そうとう劣勢に立たされることもあるだろう。
 ただ、この党のリアルな現状認識の凄みだけは見逃さない方がいい。 
 
 
 この公明党のリアルな政治感覚に近いものを感じたのは、やはり立憲民主党であった。
 党首討論会に臨んだ枝野代表から「いさぎよさ」が伝わってきたことも好印象だった。
 枝野氏は、かつての民主党時代から民進党時代に至る過程で、自分たちの至らなかった点を素直に詫び、反省する勇気を持っている。
 「リベラル派」を標榜しつつ、憲法に対する解釈も、けっしてイデオロギッシュに “改憲反対” を叫んでいるわけではない。
 おそらく、立憲民主党は、風の勢いが止まった「希望の党」に代わって、台風の目になるだろう。

 ただ、立憲民主党の人気は、代表である枝野氏個人の新鮮さに負うところが大きいため、本当の実力は定かではない。党首討論もじっくり聞いてみると、枝野氏は他党を攻めるときの舌鋒は鋭くとも、自党を守る弁明になると弱さが露呈するのが見えた。つまり、現在の枝野氏には、実際の実力以上のイメージが塗り重ねられているのだ。

 要するに、枝野氏には鳩山、菅、前原、岡田、野田、蓮舫といった、いわば民主党=民進党時代の “負の遺産” の影がないことがプラスに作用しているといってよい。
 また、党の結成時に「希望の党から追い出された人々」という悲劇性が付与されたことも、多くの日本人から判官びいきの感情を誘い出している。
 
 
 上昇気流に乗った立憲民主党と対照的に、風が止んで、下降傾向を示しているのが小池百合子代表が率いる「希望の党」だ。
 この党も、突貫工事でようやく政権公約を掲げてきたが、そのお粗末さは目を覆うばかりだ。
 すべてにおいて、具体性が何ひとつない。
 例のごとく、耳障りのよい公約が並ぶのだけれど、すべてイメージ優先で、実体がまったく見えてこない。

 そういった意味で、「希望の党」こそ “リアルな政治観” が欠如した党の代表である。
 「希望の党」以外の政党は、保守を標榜しようが、リベラルの旗を掲げようが、それぞれ公約を練り込む前にそれを実現するための試算を捻り出した形跡がうかががえる。

 しかし、「希望の党」だけは、新商品を企画したクライアント企業と広告代理店が、「CMタレントには誰がいいですかね?」と打ち合わせした程度のイメージ戦略だけで公約をつくっている。
 CM制作はそれでいいのかもしれないが、政治の世界ではあまりにもそれは無責任だ。

 この党をつくった小池百合子代表の最大の誤算は、立憲民主党が登場してしまったことだ。
 本来だったら希望の党に集まるはずだった「爽やかさ」とか、「誠実さ」といったイメージをすべて立憲民主党に奪われてしまった。
 小池氏は内心、民進党のすべての党員を取り込まなかったことを悔やんでいるだろう。

 希望の党の公約がなぜリアルさを欠いているのか。
 勉強不足だからである。
 今回の社会保障政策の一環として持ち出してきた「ベーシックインカム」。
 これに対して小池氏は、そのほんとうのシステムを勉強したのだろうか。

 ベーシックインカムとは、簡単にいうと、働いている人間にも働いていない人間にも国が月額5万円程度の給付金を払い、個々人の老後の保障の補填や、雇用危機が生じて失業率が上がったときなどに備えさせるというシステムのことをいう。

 「全国民が働かなくても一定の給付を受けられる」
 一見、夢のような制度に見えるかもしれないが、そのためには現在ある基礎控除、配偶者控除、扶養控除などを全廃し、生活保護を極端に縮小し、そのほかの社会福祉制度も大幅に切り捨てるなど、“弱者切り捨て” の社会制度を導入した結果ようやく実現できるようなものである。
 
 一般庶民は「ベーシックインカム」などという言葉の意味を詳しく知らないから、なんだか「希望の党」が庶民生活の底上げをしてくれるのではないかと期待してしまう。
 だが、このシステムは多大なリスクを背負ったもので、総人口が少ないゆえに実験的に導入して様子を見ている北欧以外どこの国も採り入れていない。

 こういうように、十分に咀嚼していない概念や横文字言葉をさぁっと引っ張り出して、見た目の新しさを装うのが小池流だ。
 彼女は、こういうシステムを導入する経済政策を「ユリノミクス」と称して、アベノミクスと対抗するものとして打ち出す。
 だが、ユリノミクスには、何をどう勉強したのかという形跡は何もないし、したがってその実体もない。ユリノミクスは、国民ではなく、あくまでもメディアだけを相手にしたイメージ戦略にすぎない。
 “小池劇場” は衆院選の公示直後に幕を下ろすことになりそうだ。  
 
 
 古くから野党を代表している共産党はあいかわらずイデオロギッシュだ。
 基本的には、この党は相変わらず世界を「富める資本家」と「貧しい労働者」の二層に分けて考えるという冷戦時代の政治感覚から抜け出していない。

 資本主義の暴走を食い止める手段が “共産主義革命” しかないと思い込まれていた時代がかつてあったが、その幻想は冷戦の終焉とともについえた。
 その理由は、世界の経済構造の変化にある。
 共産主義理論が生まれたのは、世界が重工業を中心に回っていた時代だった。

 しかし、その後重工業に代わって、情報技術工業やサービス業が経済システムをリードするようになった。
 つまり、それまで共産主義国家が進めてきた計画経済では複雑化していく新時代の経済システムに対応できなくなってしまったのだ。

 そうなれば、そのことに対する民衆の不満も高まる。
 そのため、「共産党」を名乗る政権党が運営する国家は、どこも体制を維持するために抑圧的な権力機構を強化するほかはなかった。
 こうして、共産主義の理想とはまったく無縁な独裁体制が生き残ってしまったことは、現在の中国や北朝鮮をみれば一目瞭然である。

 なのに、日本共産党は「共産党」という党名を捨てていない。
 それは、この党が過去の共産主義運動の誤謬をいまだに清算しきれていないことを意味する。
 
 
 さて、この記事を書いている自分自身はこの選挙をどう見ているのか。
 本来ならば、やっぱり民進党がもっとしっかりと自民党との対立軸を明確にするべきだった。
 前原元代表の社会保障政策や経済政策などは見るべきものが多かった。
 仮にそれらが実現に至らなくても、アベノミクス一本やりの今の経済政策に対し、それ以外の多彩な選択肢もあることを国民に訴えることが可能だったと思う。

 だが、結果は非常に残念なものになった。
 枝野代表率いる「立憲民主党」が旧民進党の良心的な部分を引き継げるのかどうかは分からない。
 枝野氏も、希望の党や共産党と並んで、安倍首相の “モリカケ問題” なんかにエネルギーを割いているかぎり、将来性を期待できない。

 自分が非常によく分からないのは、今回の一連の党首討論会で、なぜ野党が安倍首相の “モリカケ問題” ばかりにこだわっているかということだ。
 議題としての重要性を考えれば、消費税や成長戦略、安全保障などといったテーマに比べて、モリカケなんかはるかにプライオリティーが低い(ただ庶民には問題点が分かりやすい)。
 希望の党や共産党がモリカケにこだわるのは、このテーマで安倍氏を追い詰めないかぎり、自分の党の政策的優位性を訴えることが難しいと踏んでいるからだろう。
 
 そういう野党のていたらくを見るかぎり、リアルポリティークが何であるかをしっかり把握している自公政権の安定性を(消去法で)選ぶしかないと思っている。
 
 

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「内面」を持たない政治家(小池百合子)の誕生

 
 僕は、ここ最近ブログのテーマに小池百合子女史のことを取り上げる機会が多いと思っているのだけれど、いったいそれは何故なんだろう? と自問してみると、けっきょく僕自身が小池女史にものすごく興味を感じているということなんだね。

 確かに僕が書いている記事のトーンは “小池批判” である。
 しかし、「批判」というのは、ネガティブなまでに極端に傾いてしまった「関心」の別名である。
 彼女の存在は、僕にとって、まさに現代社会や現代文化を読み解くカギなのだ。

 

 なぜ、僕はこの人にそれほど高い関心を持ってしまうのか。
 それはこの人が、僕が知る限りにおいて、はじめて誕生してきた新しいタイプの政治家だからだ。
 
 どういう政治家なのか?
 「内面」を持たない政治家である。

 彼女の心のなかには、何もない。
 政治理念もない。
 政治哲学もない。
 歴史感覚もない。
 イデオロギーもない。
 
 イデオロギーがないから、伝統に対する敬意もない。
 革命や改革に対する熱意もない。
 のみならず、人間としての他者に対する共感も信頼もない。

 マスメディアに登場する政治評論家やコメンテーターは、
 「彼女が何を考えているのかよく分からない」
 「本心がどこにあるのか読めない」
 などと批評する。

 読めないはずだよ。
 彼女の心のなかには何もないのだから。
 
 彼女は、ただ生命を維持するために捕食を続ける肉食獣のような本能に従って生きている。

 ガゼールを捕食しようとするライオンは、草むらに身を沈めながら、常に風の向きや相手との間合いなどを慎重に計算している。
 そして、いちばん捕食しやすいと読んだタイミングで、一気に草むらから飛び出す。
 
 そのように政界を生き抜いてきた彼女は、まさにサバンナを制するメスライオンである。
 しかし、ライオンは人間のような「内面」を持たない。

 内面に “壮大な無” を抱えた彼女のような人間が実際に政治の表登場したということに関して、僕はとてつもない驚異も、興味も、共感も、恐怖も抱く。
 
 この “壮大な無” こそが、小池人気の秘密である。
 彼女の内面は空洞であるから、人々の欲望も希望も野心もすべて受け入れる。
 受け入れては何の未練もなくすぐに捨て去り、素早く次の庶民のニーズを取り込んでいく。

 側近に対してもしかり。
 自分に群がってくる人間はとりあえず笑顔で迎え、その人間が役に立つか立たないか瞬時に峻別し、邪魔になると判断したときは鮮やかに切り捨てる。

 それを “リアルな政治感覚” として容認する評論家もいるけれど、人間を切るときに「痛み」を感じない人間に、“リアルな政治” は期待できない。

 人間の「内面」を持たない政治家。
 別の観点から見れば、それは AI(人工知能)を搭載したアンドロイド時代の政治家かもしれない。
 “AI 政治家” は、並の政治家が及ばないほど高速度で政局を分析し、その状況に応じた最適解を見つけ出し、リスクやメリットを計算した行動指針を瞬時に打ち立てる。
 しかし、AI には「内面」がない。

 「内面」のない知性が吐き出す言葉は、みな美しい。
 誰が聞いても反論できないような美しさに満ちている。

 しかし、「内面」を反映しない言葉には重さもない。
 花の咲き乱れたお花畑の上を飛び交う蝶のような軽さがあるだけ。

 小池女史の言葉は華麗な色彩で飾られているが、まさに宙に溶け込む蝶のように、すぐにその姿が視界から消える。

 今、この記事を書いているとき、隣に置いてあるテレビで小池女史が「希望の党」としての政権公約を発表していた。
 しかし、どれもお花畑の宙を舞う蝶のような公約だった。

 消費税の凍結。
 原発ゼロ。
 しがらみのない政治。
 
 耳障りのよい言葉が次から次へと続いたけれど、そういう公約を実現するための見通しも計算も、リスクも一言も語られない。
 
 なぜか。
 それは、その瞬間だけ居並ぶ報道人に聞かせればいいだけの言葉だからだ。

 彼女には理想もない代りに、落胆もないだろう。
 「AI 政治家」だから。
 
 AI と人間の最大の違いは何か。
 AI は折れることがない。

 小池女史のような、政局を敏感に読む込んでたくましく生き抜く AI 的政治家が生まれてきたというのは、はたして政治の劣化なのか、それとも進化なのか。

 いずれにせよ、それは我々の棲む世界が、「人間」を軸としたものから、AI 主導型の世界に移行しているという証左なのかもしれない。
 
 
関連記事 「私は小池百合子が嫌い」
 
   

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悲劇のヒロイン

 
 2017年の衆議院選挙は、まだ公示前だというのに、およその勝敗が決したような気がする。
 小池新党(希望の党)の予想外の大敗。
 たぶん、そんな決着を迎えそうな気がしてならない。

 もちろん、マスコミはそう予想していない。
 「希望の党」が自公政権を倒すまでには至らなくても、民進党に代わる野党第一党の位置に躍進し、今後も政局を動かす原動力になるだろうと見ている。

 はたしてそうだろうか?
 選挙後に、「希望の党」は “野党第一党” にはとどまるかもしれないが、その政治的存在感は、選挙前に比べると、おそらく相当零落しているはずだ。
 
 そう予想する根拠は、この党の代表に就任した小池百合子氏の人間性にある。

 けっきょく、この人は「他人」を巧みに利用するスキルだけで、ここまで生きてきてしまったのではなかろうか。
 彼女は、常に政界の流れを読み、そのつどそのつどもっとも勢いのある政治家に寄り添うように、転身を繰り返してきた。
 そして、その政治家に陰りが見えたときには、鮮やかに身をひるがえした。
  
 そうやって生き抜いてきた経験から、彼女の顔は「仮面」のような鋼鉄の皮膚に覆われた。 
 だからその微笑は、やはり冷たい。
 どんなに温かそうな笑顔をとりつくろっても、その裏側にある荒涼とした虚無が、ぽとりとこぼれ出てしまうのだ。

 多くのニュース報道で言われるように、彼女には “側近” がいない。
 仲間も、同志もいない。
 周りにいるのは、“家来” だけ。
 そう喝破した評論家がいる。

 若狭勝氏も細野豪志氏も、けっきょく “党員” としては信用されておらず、使用人のように使われたのでないかと、その評論家はいう。

 若狭氏も細野氏も、「希望の党」の立ち上げをまったく知らされていなかった。
 両者とも信頼されていなかったのだ。
 若狭氏などは、「しばらくテレビに出るな」とまで言われたらしい。

 小池女史のワンマンぶりは、都政においても徹底しているらしく、都議団のなかで第一党となった「都民ファーストの会」でも、マスメディアに向けての個々の議員の発言は禁じられていると聞く。
 党のイメージを損ねるような失言が出ることを警戒してのことだろう。

 都政においても国政においても、国民が最終的に選ぶのは議員個人であるはずなのに、「都民ファースト」においても「希望の党」においても、そこに所属する議員個人の “顔” は希薄だ。

 どちらの組織も小池百合子を “頭” とした蛇の胴体に過ぎない。
 すなわち、小池女史の作る組織の構成員には、蛇の体のように “手足” がないのだ。
 
 そういった意味で、大蛇の頭となって、すべてを一人で切り盛りしている小池氏の頭脳はすごいと言わざるを得ない。
 
 ただ、そうとう孤独な頭脳であろう。
 参謀のいない女将軍。
 常に独りぼっちの闘将。
 
 “華やかな女傑” というイメージとはうらはらに、なんとなく悲劇的エンディングが待っていそうな人である。
 
 おそらく、今回の衆院選は、後世「小池の乱」と呼ばれるような騒動として人々に記憶されるだろう。
 そうして、彼女は “安倍一強” に果敢な戦いを挑んだ「反逆のヒロイン」というレジェンドに包まれることになるだろう。

 我々は過去の歴史のなかで、そういう悲劇のヒーロー、ヒロインをたくさん見ている。
 古代ローマ帝国に戦いを挑んで捕虜の憂き目に遭ったパルミラ王国の女王ゼノビア。

 同じく、古代ローマの城門にまで攻め上りながら、最後はローマに追い詰められて毒を仰いで死んだカルタゴのハンニバル。

 あるいは、シーザーに戦いを挑んで処刑になったガリアの若き君主ウェルキンゲトリクス。
 大和政権に果敢に戦いを挑んで俘虜となった蝦夷の長アテルイもそのような人間の1人かもしれない。
 
 たぶん小池氏の名前も、そういう栄光ある敗者の名前として人々の記憶に残るだろう。
 国政でも都政でも、たぶん彼女は何一つ成果を上げられないだろうけれど、最盛期の安倍政権に真っ向から戦いを挑み、安倍をあそこまで追い詰めた “女武人” としての名前を僕らは記憶にとどめることになるだろう。

 10年後、彼女は何をしているのだろうか。
 もちろん、政治家としての命運は尽きているだろうけれど、あれほどメディアを手玉に取ることに長けた人だけに、政治評論家として珍重されているかもしれず、タレントとして重宝されているかもしれない。
 そのとき、彼女のマネージャーとなって、各局のワイドショー出演を管理しているのは、もしかしたら若狭氏かもしれない。
 
  

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バンテックの目指すもの

 
バンテック創業者 増田紘宇一氏の逝去に寄せて

 9月29日、日本のキャンピングカービルダーの最大手である「VANTECH(バンテック)株式会社」の創業者である増田紘宇一(ますだ・こういち)氏の訃報の連絡を受けた。
 平成29年 9月26日16時、滞在先のタイ・バンコクにて永眠されたという。享年74歳であった。

 ここでは、増田氏の逝去を悼み、現バンテック社長である佐藤徹氏のインタビュー記事を収録する。
 この記事は、今年の 6月にキャンピングカー情報のポータルサイトである『キャンピングカースタイル』に掲載したものだが、本稿ではその記事をベースに、創業者増田紘宇一氏の業績の部分を付加した。

▼ 創業者 増田紘宇一氏

 
 
創業30年を超えるビッグメーカー

【町田】 バンテックさんは、今年から社名を変更されましたね。「バンテックセールス」からアルファベット表記の「VANTECH株式会社」に変えられたわけですが、これには何か深い意味があるのでしょうか?
【佐藤】 “深い” というほどのことはありませんが、もともと販売という意味の「セールス」よりも、製造に力点を置いていた会社ですし、去年から今年にかけて社内的なシステムも大幅に変わってより戦略的な目標もはっきり打ち出せるようになったので、これを機に、心機一転社名も変えていこうと。

▼ 佐藤徹 現バンテック社長

【町田】 アルファベッド表記にしたというのは、もしかしたら海外戦略を考えてのことだとか(笑)?
【佐藤】 (笑)…まぁ、まぁ …。

【町田】 とにかくバンテックさんといえば、キャンピングカーの生産規模からいっても、製品のクオリティーやアフターサービスの充実度からいっても、まさに日本を代表するキャンピングカーメーカーとして、これまで長い歴史を誇ってきたわけですが、まずは簡単な社歴から教えていただけますか?
【佐藤】 会社が設立されたのは、1986年(昭和61年)です。創業者の名前は増田紘宇一です。

【町田】 1986年というと、もう30年以上も前のことなんですね。創業期を代表する車として、どんなものがありましたか?
【佐藤】 創業と同時に発表した「LT2型」というバンコン用家具キットが、私たちのデビュー作でした。これは50台ロットで製作を繰り返した国産初の量産型家具キットでした。
 その後1990年に、完成車のバンコンとしてフルハウス、同じ年にアリスフィールド、そしてサザンスポーツなどというバンコンを出しまして、93年に、現在も私たちのバンコンを代表する初代のマヨルカをリリースしています。

▼ 初期の頃のマヨルカ(1996年仕様)

【町田】 キャブコン製作はいつからだったんですか?
【佐藤】 1992年のJB-500からですね。その後が1993年のテラ500、そして1995年のJB-470と続きます。

▼ バンテックの「デリカJB-500」(1995年仕様)

【町田】 バンテックさんのキャブコンといえば、なんといってもジルが筆頭にあがってくるのですが、ジルのデビューは?
【佐藤】 1997年ですね。その初代から数えて現在のジルは5代目になります。生産累計では3,500台を超えています。
【町田】 すごいですよね。そういうビッグブランドは、日本ではもうしらばくは出てこないでしょうね。

▼ 現行ジル

 
 
いち早くヨーロッパテイストを打ち出したバンテックデザイン

【町田】 ところで、会社を設立された30年前には、ほかにどんな国産メーカーさんがありましたか?
【佐藤】 今も続いている大きなメーカーさんとしては、当時すでにヨコハマモーターセールスさんがありましたね。あとはセキソーボディさん。ロータスRVさん。ほかにオートボディショップタナカ(現アネックス)さん、レクビィさんといったところでしょうか。

【町田】 当時日本で走っているキャンピングカーといえば、どちらかというと、アメリカの大型車が主流で、国産車もそのアメ車の内装をコピーするような形で誕生してきましたね。
 そのなかでバンテックさんだけは、いち早くヨーロッパテイストの内装を手掛けられていたと思うんですが、その理由は?

【佐藤】 創業者の増田紘宇一の “趣味” といってしまえばそれまでなんですが(笑)、増田が思うに、気候や走行環境から考えても、日本でキャンピングカーを扱うならアメ車よりもヨーロッパ車の方が向いている、つまりヨーロッパは日本と同じように道路幅も狭く、曲がり角も多い。
 また北欧寄りの国になれば冬季は寒くなるので、断熱対策や凍結防止策も発達している。
 そういうように、増田は「海外のキャンピングカー開発をお手本にするならヨーロッパ型キャンピングカーだ」ということをいちはやく見抜いたんですね。

【町田】 そのためにキャンピングカーを製作するときのパーツも、ヨーロッパ製の部品を入れるようになったと?
【佐藤】 そのとおりです。ドイツの「REIMO(ライモ)」社のパーツですね。ヨーロッパではキャンピングカーの安全性に関して厳しい基準を設けていましたから、当然パーツにもシビアな管理が行き届いていて、それがバンテックの車づくりにも反映するようになりました。
 もちろん、内装のデザインテイストにおいても、我が社はヨーロッパの最新のトレンドを採り入れた内装を追求する方向に向かいました。

▼ バンテック本社

 
 
JRVAの設立にも貢献

【町田】 バンテックさんといえば、現在の「JRVA(一般社団法人・日本RV協会)」さんの設立にもご尽力されたとか?

【佐藤】 そうですね。JRVAの発案および組織づくりにおいても、JRVAの初代会長になった当社の増田紘宇一が残した功績は大きかったと思います。定款づくりから資金集め、また会員への呼びかけなど、企画から法整備、事務手続きまで、ほとんどその中心となって動いていましたから。
 なにしろ、当時日本にはカスタムカー系業者も含めて200社近くのビルダーが誕生していたのですが、この業界をまとめる中心的な組織がありませんでした。だから増田が構想したJRVAというのは、その当時においては画期的なものでした。

【町田】 そもそもJRVAを発案した動機は、どういうところにあったのですか?
【佐藤】 今のようなキャンピングカーを製作するときの構造要件のようなものが固まってきたのは、だいたい1980年代からなんですよ。
 それまでは、キャンピングカーの構造に関する法整備もまだ流動的で、我々業者も新しい流れについて行くのが大変だったんですね。
 そのため、運輸省(当時)や陸運局と話し合う場が必要だということになり、業界全体の意見をまとめる団体づくりが急務となったんです。

【町田】 JRVAの発足そのものはいつだったんですか?
【佐藤】 発足前の準備期間もありましたが、正式に発足したのは1994年(平成6年)ですね。
 ただ、そこに至るまでには、メンバーさんのなかでもいろいろなアイデアがあったと聞いています。なかには官公庁や行政と接触する窓口だけ作ればいいのではないかという意見もあったようです。
 しかし、増田は「どうせ組織を作るのならば、世間にアピールできるしっかりした団体にしなければならない」と主張し、年間予算でも最低2,000万円が必要だと試算しました。
 その金額に驚かれたメンバーさんもいらっしゃったようですが、そこで思い切ったことを貫いたおかげで、現在の業界の基礎が固まったように思います。
  
  
量産体制と生産システムを確実なものに

【町田】 現在の話になりますが、この2017年という年は、バンテックさんにとってどういう目標に進んでいる年だといえるのでしょうか?
【佐藤】 まず一つは、「増産体制を完璧に確立する年」にしたいということですね。そのために昨年山形工場を新設しました。
 これは、以前の山形工場が手狭になったので、引っ越して新しく作り直したものですが、敷地でいうと約4千坪。以前の5倍以上の面積になりました。
 そのため、ベース車をストックしたり、デリバリ待ちの車両を保管するのも楽になりました。

▼ バンテック山形工場

 

 
 
【町田】 工場の新設によって、どのくらい生産効率が上がったんですか?
【佐藤】 現在コンスタントに月産30台までは造れるところまで来ました。ただ、それでも、今は生産台数よりも受注の方が伸びている状態なんですね。そのため納期が遅れ気味になって、お客様にも迷惑がかかるような状態が続いています。
 そこで、今年の12月の時点で単月50台までは造れるような体制を組む計画をしています。

【町田】 生産台数を増やしていく秘策というのがあるんでしょうか?
【佐藤】 実は、今バンテックの海外拠点であるタイのFRP工場を増設する計画を進めている最中なんですよ。
 それによって、山形でもタイでもキャブコンとバンコンが造れるような体制をつくりあげていくつもりです。

▼ バンテック タイ工場

【町田】 具体的な車種として、新しい計画はあるんですか?
【佐藤】 一つには、3年ほど前の幕張のショーに参考出品したNV200をボディカットした車両の量産体制をつくりたいと思っています。
 あれはもともと “キャンピングカー” というよりは、いろいろな用途に応じて内装をコーディネートしていくという “多目的カー” なんですね。
 だから、あれを “バン” として考えることもできる。後ろにリヤハッチを付けて、横にスライドドアを設ければ、もうバンなんですよ。
 そういう方向で、さらに緻密な戦略を立てています。
 もちろん当社としては、“多目的カー” の一例として、キャンピング仕様モデルもプレゼンしていきます。

▼ NV200系ボディカットモデル


 
 
海外進出も射程に入れて

【町田】 NV200は、海外でも乗用車やタクシーとしても評価されていますよね。それを使った多目的カーのプロジェクトが成功したら、海外戦略車種としての可能性も出てくるのではないですか?
【佐藤】 そうですね。そういう方向で考えるのも面白いかもしれませんね。

【町田】 現在バンテックさんは、具体的な海外戦略というのはお持ちなのでしょうか?
【佐藤】 はっきり言うと、あります ! ただ今の段階ではまだお話できるものが少ないので申し訳ないのですが、すでに具体的な方向性は考えています。

【町田】 以前、ワーゲンT5を使ったヨーロッパ向けキャブコン開発のプロジェクトがありましたが、その計画が、プロトタイプの製作以上進まなかった理由は、やはりベース車の問題だったのですか?
【佐藤】 そうですね。ヨーロッパのキャンピングカーの大半がフィアットデュカトベースになっていた時期でしたから、ドイツのフォルクスワーゲン社がライモ社を通じて、ワーゲンベースのキャンピングカーの開発を依頼してきても、それを欧州市場が受け入れてくれる要素はすでに少なかったということです。
 
▼ ワーゲンT5キャンパーのプロトタイプ

 
【町田】 ということは、デュカトのシャシーが国内で供給されたら、それを使ったキャンピングカーを手掛ける可能性はあるということでしょうか?
【佐藤】 シャシーをわざわざ輸入するリスクがないのなら、デュカトを使うのも魅力的な話ですね。さらにキャブコン用のシャシーが供給されるというのなら、確かに食指は動きます(笑)。

【町田】 海外戦略に関しては、かなり具体性を帯びた計画をお持ちのようですが、そういう情報がオープンになるのは、いつ頃でしょうか?
【佐藤】 すべての準備を終えて、実行に踏み切る2~3ヶ月ぐらい前になったら、逐次ご報告させていただくことになると思います。
 実は、いまベトナムからも実習生を募集しているところなんですよ。もちろんタイ工場にはタイ人の従業員もいます。
 そうやって少しずつアジアの若い人々に戦力になってもらい、世界企業へ躍進できるような準備をしているところです。
 
 
レンタカービジネスにも食指
 
【町田】 さらに将来の予定をお聞きしますけれど、ここのところレンタルキャンピングカービジネスがかなり成長してきましたが、バンテックさんとしては、レンタル部門進出の計画はおありですか?
【佐藤】 それも考えてはいます。今はまだ具体的なことまで計画していないのですが、やるとしたら、うちは有利な部分があるとは思っています。
 というのは、パーツセンターを持っているので、レンタカーを始めたとき、利用者にお貸しして壊れた部分が出ても、その補修が簡単にできる。そこがうちの強みになると思います。
 だから、中古車ではなく、新車をレンタカーに卸すというアドバンテージも打ち出せる。しかも “フル装備” の車で(笑)。
 
【町田】 なるほど。確かにそれは強いですね(笑)。
 最後になりますが、佐藤さんはこの日本のRVマーケットが将来どういう形で推移していくとお考えですか?
【佐藤】 あくまでも私個人の見解ですが、今後この業界が縮小するとはちょっと考えにくい。
 もちろん日本経済が大幅に成長しているとは決して言えないのですが、それでもグローバルな視点に立つと、日本の景気は世界に比べてものすごく安定しています。
 しかも今の政府の景気振興政策の目玉の一つに「観光立国」という戦略がある。
 ということは、インバウンドの需要も含め、観光や旅行という分野が大きく成長していくことが見込めるということです。
 
 
何事も成功するまでは「不可能」に見えるものである

【町田】 観光や旅行というのは、確かにキャンピングカーと関連が深い部門ですよね。
【佐藤】 そうです。少なくとも、2020年の東京オリンピックまでは景気が失速することはない。

【町田】 では、オリンピック後は?
【佐藤】 そこですね。問題はそこからです。
 でも、うちはオリンピック後に景気が失速しても、それを乗り切る戦略を考えています。
 結局、オリンピック後の景気減速を予想して、会社の事業規模を拡大することを今から恐れていては、かえってリスクが高い。そうなれば、オリンピック後には現状を維持することすら難しくなっているかもしれない。
 だから、うちは2020年以降には、「現在ではとても無理だろうと思える」ことを実現していると思います。

【町田】 それは素晴らしい。楽しみですね。
【佐藤】 私の好きな言葉があるんですよ。
 それは、「It always seems impossible until it’s done」。
 訳すと、「それはいつでも、できるまでは、できないように見える」。
 これは南アフリカ共和国のネルソン・マンデラさんがいった言葉で、「何事も、成功するまでは不可能に思えるものである」という意味なんです。
 これを座右の銘として、今後も突き進んでいきたいと思っています。
 
 

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私は小池百合子が嫌い

 
 メディアは衆議院選挙の報道が熱を帯びてきたけれど、その話題の軸は小池百合子率いる「希望の党」の話題一色に染まりつつある。

 最初に言っとくけれど、私は昨年の都知事選のときから小池百合子という人物が信用できなくて、このブログでも苦言を呈したことがあるけれど、この度の衆議院選挙前の彼女の行動を見ていると、ますますこの女性の “うさんくささ” が鼻についてきて、生理的な嫌悪感すら感じるようになってきた。

 まず、あの露骨な権力欲、名誉欲が鼻持ちならない。
 とにかくメディアのスポットライトがいちばん当たる場所に、何が何でもしゃしゃり出て来るという厚かましさが気に入らない。
 そのときの、あの「おほほ…」というインテリセレブを気取ったような笑い方を見るだけで、背筋に冷水を浴びせられた気分になる。

 あの笑いは、相手をいたわるようでいながら、実は冷笑するときの笑いだ。
 「あなたは素晴らしい」とか言葉でいいながらも、内心「このバカが … 」と人を見下すときの笑い方は、どんな人間もみな小池百合子のような笑い方になる。
 「小池ファン」という人たちは、どうしてこの笑い方の冷酷さに気づかないのか。

 テレビを観ていたら、小池百合子は「希望の党」の党首になる事情を記者団に説明するときに「アウフヘーベン」という言葉を使った。
 「止揚」という訳語がついている哲学用語(ドイツ語)で、これまでの対立軸を解消して一段高みに上るということを意味する。
 この言葉を口にしたあとの彼女の対応。
 「(意味が)分からない人は辞書を引いてくださいね」

 つまり「バカな記者は勉強してね」と言い放ったわけだが、そのときの笑い方が、例の「おほほ」という感じの、あの “優しくて冷酷な” ほほえみだった。

 普通の人が使わない哲学用語みたいなものまで使って自分の権威を高めようとする “見え透いた” 魂胆の嫌らしさに、どうして「小池ファン」層は気づかないのだろう。

 マスコミ自体も悪いよね。
 ニュース系ワイドショーに出演するキャスターやコメンテーターは、みな口々に
 「小池さんの政治手腕はさすがだねぇ !」
 とか、
 「あの人は勝負師だよね !」
 などと持ち上げる。

 もちろんそういう評言のなかには、皮肉交じりの批評も多いのだが、「さすが」とか「すごい」という言葉自体が、すでに小池賛辞のムードを作り上げている。
 
 メディアは口々に、「小池さんの政治感覚は鋭い」とかいうけれど、私は小池百合子の政治センスはすでに過去のものになりつつあると感じる。
 小池百合子の政治感覚は、1990年代末期に日本を覆っていた空気をそのまま代弁しているだけで、2010年代以降の空気を呼吸してない。
 党名を「希望の党」としたことが、その証拠だ。

 彼女は語る。
 「今の日本は何でもそろう国になりました。しかし、“希望” だけがありません」

 この表現は、バブルが崩壊して、日本経済が奈落の底に沈み始め、若者の失業率が高まり、自殺者が増加の一途をたどった90年代末期から2000年代初期の空気を反映しているに過ぎない。
 31歳のフリーター赤木智弘が、『丸山眞男をひっぱたきたい』という論文を発表し、それが話題となった時代。
 すなわち、格差社会の拡大や若年層の貧困化が目に見える形で噴出した時代だ。
 
 『丸山眞男をひっぱたきたい』という本の副題は、「希望は戦争」だった。つまり、戦争という最終的なリセットでもないかぎり、この国の若者たちは救われないという実情を逆説的に訴えたのだ。

 もし、小池百合子の「希望の党」がその時代に生まれたのだとしたら、私もその意を汲んで、少なくともその党名には共感したかもしれない。
 
 ただ、今は時代が違う。
 この国に巣食っている病根は、当時とそんなに変わらないまでも、少なくとも「希望」という言葉に共感できるような切羽詰った空気感は存在しない。

 安倍政権下で進められた経済政策によって、若者の職場環境もだいぶ改善され、「有効求人倍率」は2004年に集計を開始して以来、はじめて1倍を上回った。
 経済格差も、社会格差もあの時代よりはさらに広がりを見せている領域もあるが、全体的には、世間を覆う空気はあの時代の重苦しさから免れている。

 そういう今の時代の空気感を、「希望の党」というネーミングは拾い上げていない。
 そこに私は、小池百合子の政治センスの劣化を感じる。
 
 だから、彼女のいう「しがらみのない政治」、「今までの政治の流れをリセットした新しい政治」などという表現に何の共感も感じない。

 「しがらみのない政治」とは何なのか?
 それは、これまでの政治の流れのなかで、他者と何の信頼関係も築いてこれなかった無能な人々の詭弁にすぎない。

 「これまでの政治をリセットをする」
 と彼女はいうが、何をリセットして、代わりに何を構築しようというのか?
 
 小池百合子の発言は、すべてイメージだけ。
 耳障りのいい言葉だけをつまんできては小ぎれいに並べるだけで、その奥には何の実体もない。

 それでいいの?
 「小池ファン」さんたちよぉ~。

 ワイドショーの街頭インタビューでは、
 「小池さんの言っていることは分りやすいし、男性の政治家より頼りになりそうだし …」
 などと手放しでほめたたえるオバサマやおねェちゃんが出て来るけれど、あの小池女史の人当たりの良さそうな笑顔の奥に潜んでいる冷酷な匂いに気づかないのだろうか。

 今回の衆院選を間近に控えた野党側のドタバタ劇がどういう結末を迎えるのか、今この記事を書いている段階ではまったく見えないけれど、民進党をはじめとする既成政党を離れて「希望の党」に合流した人々は、もうこれで政治生命を失ったことだけは確かだ。

 たぶん、この党の準備に関わった若狭勝、細野豪志も10年後ぐらいにはもう政治の世界で生きてはいないだろう。
 彼らには、政治家としての使命感も政治理念もまったく感じられない。
 自分自身にスポットライトがいちばん当たる場所をひたすら模索しているだけで、あとは商売としての “政治屋” に徹しているだけ。
 
 いちばんがっかりしたのは、民進党の党首になったばかりの前原誠司だ。
 実は、私は内心この人が民進党の党首に就任したときは若干の期待を寄せていた。
 リーダーとしては、腰の据わっていない弱い面を持っていたが、勉強家であり、理論家であるところは認めざるを得なかった。


 
 彼は慶応大学教授である井手英策の指導のもと、その財政再建額をしっかり勉強し、日本の社会や経済の再生に結びつく理論を確立できる唯一の政治家になれるはずだった。
 そういった意味で、アベノミクスの不手際を追求できる得難い人材であったと思う。

 ところが、政治家としての脇の甘さがたたり、肝心の井手教授から薫陶を受けた財政再建理論を安倍晋三にそのままパクられ、自民党の選挙公約の看板として持ち去られてしまった。
 前原は悔しかっただろうが、政治の世界では「先に公言したもの勝ち」である。

 彼の致命的なミスは、安倍晋三の策略にものの見事にハマり、動転したあげく、あろうことか、小池百合子の「希望の党」との合流を果たしてしまったことだ。

 惜しいと思うのだ。
 小池新党(希望の党)の結成を前に民進党からの離脱者が相次いだことは、逆に言えば、彼のチャンスであったと思う。
 「どんなに党が縮小しようが、自分は最後まで “民進の旗” を高く掲げて奮闘する」
 という毅然とした態度をとり続ければ、同情票も集まり、判官びいきの日本人からは一定程度の支持を取り付けられたと思う。
 それを放棄したのだから、彼の政治家として生命もここで終焉を迎えたといっていい。

 もし、ここで小池百合子を首相とする新しい政党が政権を取ったらどうなるのか。
 それは米国のトランプ政権以上の、政治理念もなければ、政治思想も持たない、口当たりの良い言葉だけを並べる無責任政府が日本に君臨することになる。
 
  
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虎よ、虎よとからかわれ

 
 愛犬のクッキーを送り出した夜、その “通夜” を執り行うようなつもりで、深夜、久しぶりに長男と酒を飲んだ。
 録画しておいた阿久悠の音楽特集(「歌の4時間スペシャルTBS」)を観ながらの酒となった。

 次から次へと流れる阿久悠の昭和歌謡を分析しながら、2人の会話が進む。
 ピンク・レディーの『UFO』(1977年)。
 果たして、この詞は何を意味しているのか。

 この時代の阿久悠は、本当にきわどい歌をつくっている。
 40年前の『UFO』という歌は、恋というものを満足に知らない若い女の子が、老練な年上男性に翻弄され、性のときめきを開花させてしまう話だ。

 歌のなかの少女は、UFOに乗ってきた “宇宙人” と遭遇する。
 その宇宙人は、
 「見つめるだけ愛し合えるし、話もできる」。

 そして、自分が言葉に出さずとも、何を願っているのか、さりげなくキャッチして、
 「飲みたくなったらお酒」
 「眠たくなったらベッド」
 と、うぶな女の子を巧みにリードしていく。

 “宇宙人” が、恋の手管を知り尽くした老獪な男性を意味していることは、いうまでもない。
 だから、年上男の高級なくどきのテクニックに酔ってしまった少女は、
 「近頃少し、地球の男に、飽きたところよ」
 と、同年代のクラスメイトの男たちに物足りなさを感じてしまうのだ。

 この歌がヒットした1978年。
 シンガーソングライターの杏里は、『オリビアを聴きながら』(作詞・作曲 尾崎亜美)を歌う。

 夜更けに電話をしてくる元カレに対し、 
 「あなたは私の幻をみたのよ」
 とクールに諭し、
 「愛は消えたのよ、二度とかけてこないで」
 と静かに受話器を下ろす。

 1970年代後半。
 男の子たちにとって、手に負えない女の子が出現する時代が始まっていた。
 阿久悠は、そういう時代を「女が自立する時代」と捉えたが、自立した女たちの身近にいた男の子たちにしてみれば、自分たちが無視され、軽蔑され、取り残されていくような心細さを味わったことだろう。

 以降、女に相手にされなくなった男の子たちは、女性がいなくても充足できる “オタク” の路線にひた走っていく。

 阿久悠は、女に置いてきぼりを食う切ない切ない男の心情を歌い上げるののもうまかった。
 
 夜更けに部屋から出ていく女に背中を向けたまま、
 「寝たふりしている間に出て行ってくれ~」
 とベッドの上でうめく男の子(沢田研二『勝手にしやがれ』1977年)。

 この男は、女の出て行った部屋に取り残されて、夜だというのに派手なレコードをかけ、朝までワンマンショーでふざけ続けるのだ。
 この “胃の痛くなるような” 孤独感と無力感。
 こういう切実な男の子の気持ちを描き切った作詞家は、阿久悠以前にはいなかった。

 私は、阿久悠の歌詞のなかに、男と女の緊張感を湛えた真剣勝負を見る想いがしたが、同じ録画を見ていた長男は、少し違った感想を持ったようだった。
 
 男女が、互いに相手の魂を削り合っていくような “消耗戦” は、お互いに傷つけあい、ともに疲弊させ、生産的な成果は何も上がらない、と長男はいう。
 もちろん、そうストレートに言い切ったわけではないが、彼は、そのような “昭和的な男女の格闘” の先にあるものを見つめようとしていた。 

 実は、長男は、「作詞」という自分の趣味を追求し始めている。
 作詞家を夢見る同人たちが集まるサークルに所属し、時間の許す限り、その会合などにも顔を出し、プロの作詞家による技術指導なども受けているらしい。

 そして、すでにそのうちの何作かの詞にはメロディーがつき、同人誌にも掲載され、少しずつ指導陣たちからの注目も集め始めているようなのだ。

 それなりに評価された彼の詞に、こんなものがある。

 ♪ ぼくらは いいとこ ぎゅっと結んでほらね
   ほらねと 笑顔で 生まれるよ
   みんなで 赤い糸 結んでまたね
   またねって 笑顔で 生まれたよ
   青空は うれしいな
   いつまでも 見ていたい

  あるとき あかんて 隅におかれて
  心が とっても かなしくて
  涙が ポロポロ こぼれてきたら
  やさしく 手のひら さし出して
  またすぐ 元気に
  なれるから なれるから

  ぼくらは いいとこ ぎゅっと結んでほらね
  ほらねと 笑顔で 生まれるよ
  みんなで 赤い糸 結んでまたね
  またねって 笑顔で わかれましょ
  ぼくらには 夢がある
  みんなにも あるかな?
 
 
 これは何を歌った歌なのか?
 全体の状況は、にわかにつかめないものの、なんとなくベタな応援歌のようなものが展開されている感じは伝わる。 
 
 そして、その曲調は、NHKあたりで流れる「みんなのうた」のような。
 童謡のような。
 小学唱歌のような。

 そんな子供向け歌謡の範疇に入るたわいない歌詞に思えるが、この歌のタイトルをみると、にわかに言葉一つ一つの色が変化し始める。
 
 タイトルは『エコボールの心』。

 エコボールとは、野球の練習で使われるボロボロになった硬球のほつれた糸を縫い直し、再使用できるようにしたもの。
 かつて、へたったボールは “用済み” のゴミとして捨てられていたが、今はそれを1球100円で修理する事業所が生まれ、このようにして、グランドに戻ってくる再生硬球を「エコボール」と呼ぶようになってきた。

 だから、この歌で、笑顔を取り戻してお互いに励まし合っているのは、擬人化されたエコボールたちなのだ。

 弱者の蘇生、共生、励まし合い。
 捨てられる運命にあった者たちが、ふたたびこの世に戻れたことを確認しあうときの喜び。

 長男のつくる歌詞には、「ポスト昭和歌謡」とも呼ぶべき、新しい連帯への模索が歌われていた。

 そこには、男女が火花を散らして暗闇で向き合うような、阿久悠的な迫力はないかもしれない。
 しかし、弱者同士がともに連携しあうことで、お互いの「弱さ」を「強さ」に変えようとする強靭な意志は感じられる。
 
 
 親バカかもしれないが、ちょっと感心した詞がほかにもある。
 タイトルは『古都』。

 ♪ 虎よ虎よと あの人に
   からかわれて カシュガルへ
   女一人の 迷い旅
   一人見つめる カラクリ湖
   空にはやがて おぼろ月
   シルクロード 一人旅
   あゝ地平線よ 砂漠の都

   雨に沈んだ 洛陽の
   夜にけぶる 街灯り
   遠くで流れる うた声が
   虎よ虎よと きこえてさ
   あいつの顔が はなれずに
   シルクロード 一人酒
   あゝ洛陽 いにしえの都
 
   流れ流れて 大和路へ
   風のたよりを 待つあたし
   どうしてあたし 虎なのさ
   大仏様に 愚痴語り
   今宵の酒も 手酌酒
   シルクロード 旅の果て
   ここで暮らすか 奈良の都

 なんとも雄大なスケール感が漂う詞である。
 シルクロードを西に向かうときの、地平線に沈む夕陽が瞼に浮かんできそうである。

 「カシュガル」
 「カラクリ湖」
 「洛陽」
 「大和路」
 「奈良」
 次々と繰り出される地名の響きがエキゾチックな風情を誘う。

 歌い出しは、
 ♪ 虎よ、虎よと
   あの人にからかわれ、

 ここでいう「虎」とはなんなのだろう?
 男が「お前は虎だ(笑)」とからかうような女とは、いったいどんな女なのか?

 この謎めいた冒頭の歌詞が、すでにこの歌のテーマを明瞭に浮かび上がらせている。

 男に、「虎のように人間を喰い尽す女」と思われてしまえば、もうその女に、男の寵愛を取り戻すチャンスはない。
 女は、泣く泣く男の後を追うような一人旅に出るのだが、旅の先々で、「虎よ、虎よ」という男のあざ笑いを幻聴する。
 
 なぜ、自分は虎なのか?
 それは日本にたどり着いて、大仏様に尋ねても答が得られない。
 
 「虎」とは、人間と共生できない野性の獣。
 その野性の獣が、一人の人間の男を恋い慕うという悲劇性が、この歌のテーマの根幹をなしている。

 だが、この歌は、女の悲劇性のみを歌っているわけではない。
 彼女は、砂漠のなかでも、異国の街中でも、強くたくましく生き抜いているのだ。
 その強靭さこそが、まさに、男から見れば「虎」なのかもしれないが、女はけっして自分が「虎」だと思われることを嫌がってはいない。 
 むしろ、それを宿命として受け入れようとしている。

 そこに、この女性の悲劇性と強さと、色っぽさがにじみ出ている。

 私は、長男に、「この歌には、シルクロードの地平線を超えようとした古代中国人たちの夢すら感じ取れる」と話した。
 実際に、ユーラシアの地平線の彼方を幻視しようとしたのはアジア人だけだ。
 当時、森林と山脈に囲まれた生活を送っていたヨーロッパ人たちは、こういう展望を持ち得なかった。

 代わりに、ヨーロッパ人たちは海洋を目指した。
 彼らは、地平線の彼方を夢想したアジア人とは異なり、地中海と大西洋の彼方に広がる水平線の魅力にとりつかれた。

 優れた詞というのは、そんなことまで思いつかせる力を持っている。
 
 

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息子と犬

 
 ペットであった犬の訃報を聞き、他県でマンション暮らしをしていた長男が急いで自宅に戻ってきた。
 日々の生活が忙しかったのか、ほぼ1年ぶりぐらいの里帰りである。

 彼は犬の死に目に会えなかった。
 しかし、葬儀社に引き取られる寸前に、最後の短い対面を果たすことができた。
 
 長男は、亡くなったクッキーが最もなついていた人間である。
 クッキーの晩年には、もうほとんど日常的に接することのなかった長男であったが、彼がたまに自宅に戻った日は、それこそアイドルのコンサート会場で、椅子の上から飛び跳ねるファンのような熱狂ぶりを見せていた。

 そういうとき、クッキーの目には私の姿もカミさんの姿も映らない。
 ひたすら長男の足元に絡みつき、うるんだ瞳で顔を見上げ、いつまでも床の上を飛び跳ねている。
 
 犬は、集団生活を送って生きてきた “狼族” の仲間である。
 だから、群れを束ねるリーダーには絶対的な服従を誓う。
 当然、人間と暮らすようになっても、家の中で、誰がリーダーであるかということに関しては敏感になっている。
 だから、二代目クッキー(写真下)の目には、長男がこの家のリーダーとして映っていたのだ。
 

  
  
 ところが、初代クッキー(写真下)のときは、そうではなかった。

 

 初代クッキーが家に来た頃、長男はまだ小学校の低学年だった。
 当然、思考もまだ幼稚で生活態度も粗雑だったから、長男が母親に怒られる姿を、初代クッキーは日常的に見つめていた。

 「こいつの序列は私よりは低いに違いない」
 と、初代クッキーは思ったことだろう。

 だから、長男にかまってもらっているときも、初代クッキーは横柄な態度をとる。
 もちろん、長男はそれが気に食わない。
 兄弟げんかのような争いが、犬と人間の間で始まる。

 でも、図体の大きさで、犬は人間にかなわない。
 けっきょく、ねじ伏せられるのは犬の方だ。
 憤懣やるかたないクッキーは、長男に陰湿な復讐をくわだてる。

 ケンカの後、クッキーは長男の部屋に通じる階段をこっそり上がり、長男がドアを開けて足を踏み出すスペースに、狙いすましたかのようにオシッコをまき散らし、何食わぬ顔で下りて来る。

 オシッコを踏んだ長男は、
 「こらクッキー !」
 と怒鳴り散らし、またケンカが再燃する。

 しかし、二代目クッキーの時代が来ると、立場は一気に逆転した。
 そのとき、長男はもう立派な高校生であったから、すでに母親の支配下を脱し、ときに母親の方を説教(口ごたえ?)するくらいの立場を確立していた。
 
 そうなると、親ももう高圧的な態度をとれない。
 ときに子供の言動を尊重したりして、ご機嫌をとる。

 「きっと、この若い人がリーダーに違いない」
 と、二代目のクッキーは思ったことだろう。

▼ 家に来たばかりの二代目クッキー

 
 二代目クッキーは、初代に比べて不器用で、なかなか人間の文明生活に適応できなかった。
 だから、カミさんにもよく叱られた。
 そんなとき、犬をかばうのは長男の役目だったから、犬はますます長男を庇護者として慕うようになった。
 
 
 お別れの日、犬の最期の姿を見つめていた長男には、言葉がなかった。
 彼は、二代目クッキーが実際の兄を慕うように懐いていたことを知っていたから、その最期をみとれなかったことは痛恨事であったろう。

 クッキーの遺体は死後20時間以上経過していたが、この暑い季節にもかかわらず、腐敗はまったく進行せず、死後硬直もなかった。
 毛並みの艶もよく、保冷剤で囲んだお腹の部分もフワフワした弾力を保ったままだった。
 
 「お兄さまが戻ってくるまでは、なんとしてもきれいな身体を保ってやる」

 そういうクッキーの固い決意が、死んだ後も身体の隅々に行き渡っていたのかもしれない。
 
 

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もうペットは飼いたくない

 
 もうペットは飼いたくない。
 そういう思いに沈んで、いま6時間が経過している。
 
 前の犬が亡くなったあとも、そういう思いに駆られた。
 11年前のことだ。
 しかし、その犬が逝ってからしばらく経つと、ペットロスを解消するには、やはり新しいペットを飼うしかないと思うようになった。

 私たち夫婦は、前の犬を亡くした辛さを強引に拭い去るように、新しいペットに愛情を注いだ。

 しかし、新しい犬にも同じミニチュアダックスを選び、さらに名前まで、前の犬と同じ「クッキー」と名付けたのは、やはり亡くした犬の面影をずっと追い続けていたということでもあるのだろう。

 新しくわが家にやってきた “クッキー2世” が、自分の一生を幸せに感じていたのかどうか。
 残念ながら、そこのところは、実はよく分からない。
 前の「クッキー」があまりにも聡明であったため、それと比較された「新クッキー」は可哀想でもあった。

▼ 新クッキー

 前クッキーは、並外れた理解力に恵まれ、即座に排泄シートの使い方を身に付け、その限られたスペース内に正確に排尿・排便することをあっけなく覚えた。
 そして、水を飲みたいときは、犬用食器のはしを前足で軽く叩いて飼い主の方を振り返り、「水がないよ」という明確なメッセージを送ってきた。

 それに対し、新クッキーはなかなか排泄シートをうまく使いこなすことができず、自信なさげに床の上に糞尿をまき散らすだけで、皿の水がなくなっても、じっと飼い主の目を覗き込んで、人間が気づくまでひたすら耐えるという性格だった。

 「どんくさい」
 最初カミさんは、そうとうイラだったようだ。
 当初は厳しくしつけたと思う。

 頭脳の回転が早く、積極果敢な性格に生まれついた前クッキーに比べ、この新しいクッキーは、頭の構造が単純で、ただひたすら不器用に耐え忍ぶ性格だったのだ。

 一度こんなことがあった。
 私が床に寝たまま、まだ子犬だった新しいクッキーの名を呼んだことがあった。
 すると、喜び勇んでこちらに突進してきた。
 私の顔に近づいているのに、その加速が止まらない。

 「まさか、飛び込んでこないよな … 」 
 と思った瞬間、
 ドスッという鈍い音とともに、犬の体が私の顔にめり込んだ。
 その反動で本人が弾き飛ばされたくらいだから、私の顔もそうとうなダメージを受けた。
 それだけで、この新クッキーの不器用さというものがすぐに理解できた。

▼ 子犬の頃の新クッキー

 だが、臆病で不器用な犬というのは、逆に慎重さを身に付け、飼い主に無理難題をふっかけるということもしないようになる。

 自分の要求をかなえるために泣いたり、吠えたりしない。
 自分がしてほしいことがあっても、飼い主が気づくまで、ひたすら耐える。

 要するに、ただじっと飼い主の目を見つめるだけなのだが、その瞳のなかに、「水が欲しい」「お腹がすいた」「頭をなでてほしい」「抱いてほしい」「優しい言葉をかけてほしい」というあらゆるメッセージが込められていた。

 「アイコンタクト」というやつ。
 新クッキーは、前のクッキーのような華麗なボディランゲージは何一つ覚えなかったが、逆に、目のなかにすべての思いを託す英知を身に付けるようになっていた。


 
 「動物も、その表情に感情を込めることができる」
 そういうことに気づいたのは、新クッキーのおかげだ。
 物言わぬ犬は、その目にそうとう濃い感情を浮かび上がらせる。

 クッキーの前で、夫婦の会話が進む。
 「こいつの脳は、そら豆ぐらいの大きさしかないかもな」
 「そうね。だからなかなかおしっこシートを使うコツを覚えられなかったのよ」
 
 犬には言葉が分からないと思って、そういう “いじめ” に近い会話を夫婦で交わしているとき、クッキーの目は悲しそうだった。今にも涙が溢れそうに見えた。

 逆に、良い行動をほめようと思い、抱き上げて頭をなでると、「どうだ !」といわんばなりに、やや頭をうしろにのけ反らし、得意そうな目で、私たち夫婦の顔を交互に見つめた。

 「こいつ会話ができる」
 そう思ったことが何度もあった。 

 犬は、人間の3歳児程度の知能を持つとよく言われる。
 3歳といえば、人間の子供はすでに言葉をしゃべり始める。
 犬には発語機能がないから言葉は発しないけれど、でも、人間たちがしゃべっていることはしっかり耳に入れて、その内容を理解している。

 それは家族が1人増えたようなものだ。
 “沈黙のコミュニケーション” ではあるが、しっかり心を通い合わせる家族が増えたのだ。

 新クッキーが、気味の悪いセキをし始めたのは、1ヵ月ぐらい前だった。
 喉に何かがつかえたように、「ケッケッケ」というセキを繰り返す。
 最初は食べ物がつかえたのかと思った。

 しかし、セキはなかなか止まらない。
 食も少しずつ細り始める。

 近所の動物病院に連れていって、診察を仰いだ。

 「夏バテでしょう」
 と獣医はいう。
 猛暑が続く時期になると、人間と同じように夏バテを起こす犬もいるという。

 栄養剤の注射を打ってもらい、消化の良いドッグフードと心臓と肝臓に効くという薬をもらって帰る。

 が、セキは相変わらず止まらない。
 やがて、ドッグフードを完全に受け付けないようになった。
 これまで好きだったチーズやハムをドッグフードに混ぜても、さほど関心を示さないのだ。

 ようやく “ただ事ではない !” ということに気づく。
 以降、いかにエサを食べさせるかということで、犬との知恵比べ、根比べが始まった。
 当初、鶏のささ身を煮て、その鶏がらスープと一緒に口の中に注ぎ込んだ。
 だが、それも胃の中に流し込んだのは最初の2日だけで、それから後は、スプーンでささ身を口に近づけても、プイッとそっぽを向くようになった。

 栄養バランスなどを考えているヒマはなかった。
 脂肪過多でもかまわない。
 ケンタッキー・フライドチキンを買ってきて与え、牛肉を少し甘辛くして味づけて食べさせた。

 物珍しかったのか、そういう食事は最初の1日は受け付けたが、翌日はもう口にしようとしなかった。
 流動食に近いものならいいのか … と思い、茶わん蒸しやプリンを口の前に運んでも、さぁっと顔をそむけるだけだった。

 獣医からもらった薬は吐き出していたので、それをすり潰して水に溶かし、スポイトを使って強引に口のなかに注ぎ込んだ。
 胃の調子が悪そうだと分かっていたので、人間の飲む胃薬も同じ方法で飲ませた。

 それが効いたのかどうか。
 胃の奥から漂ってくるような口臭が消え、セキの回数も減ってきた。

 「これで食欲が回復すればいいだけ。夏をしのげば元気になりそうだな」
 と、私たち夫婦は、少しは明るい希望を持つようになった。

 前のクッキーの寿命は14年。
 今のクッキーの年齢は11歳。
 「だから、この子もあと3年は楽に生きそうだよ」
 と、私たちは自分たちに言い聞かせるように励まし合った。
 
 そんなクッキーが、今から7時間前に、突然逝った。
 
 「今日は朝からなんとなく変だった」
 とカミさんは振り返る。
 まず、体を横たえようとしなかったという
 それまでは、疲れたら前足を折って床に横たわっていたのに、まるで重力に逆らうように、前足を伸ばしてしっかりと体重を支え続けていたとも。

 「足を折って横たわってしまうと、もう二度と立ち上がれなくなると思ったのかもしれない」
 カミさんは涙ながらいう。

 そのクッキーの踏ん張っていた足が、やがて体重を支え切れず、少しずつ八の字型に開いていく。
 体がだんだん床に沈み込んでいく。

 それでも、クッキーはけなげに横たわろうとしない。
 たぶん、その “頑張っている” というメッセージを込めた姿勢のまま、私の帰りを待っていたのだろうと、カミさんはいう。

 この日私は久しぶりに高校のクラス会に出席していた。
 昼からオープンした会は、夕方の7時ごろに散会となった。
 家に戻ったのは、夜の8時。
 犬が息を引き取ったは、その1時間後だった。
 
 私の顔を見て安心したのか、クッキーは珍しくカミさんにすり寄り、「抱っこしてちょうだい」とばかりに、元気よく体を伸ばした。
 だが、それが最後の動作だった。
 犬を抱いたカミさんの目から、少しずつ涙がこぼれ始めた。

 「今までの息と違う」
 という。
 肺のあらゆる力を振り絞って、部屋の空気を激しく吸い取るような呼吸だった。

 その深呼吸が3回続いた後、目が宙を仰いだ。
 そしてそのまま首が、力なく垂れた。

 8月6日(日曜日)、21時10分。
 享年11歳。
 誕生日が7月30日だったから、10歳と1週間だった。

 明け方が近いが、眠ろうという気が起きない。

 …… もっと散歩に連れていってやればよかった。
 …… もっと一緒に風呂に入れてやればよかった。
 人間の死も同じだが、死者は常に残された者を後悔の底に沈ませる。

 今でもクッキーが床を這いまわる、カサカサという足音が聞こえそうな気がする。
 だから、水とエサを与えていたお皿は片づけることができないのだ。
 同じように、その皿の近くにある排泄シートもそのまま残してある。

 思えば、最後の1ヵ月、体はますます苦しくなっていたはずなのに、あれほどルーズだった排泄が、ウソのようにきれいに処理されるようになった。
 それまで、必ず排泄シートからはみ出していたオシッコなども、見事に排泄シートのど真ん中に定まるようになったのだ。
 だから、私たち夫婦は、最近のクッキーの行儀良さを認め、「名犬 ! 名犬 !」とほめあげることが増えた。 

 今から思うと、クッキーはすでに死期を悟り、飼い主に対する自分の思い出を美しく飾るめに、排泄行為をコントロールすることにものすごい努力を注いでいたのかもしれない。
 
 そう思うと、さらに悲しい。
 こういう悲しみがまた訪れるのなら、もうペットなど飼いたくない。
 
 
前クッキーの話
 ↓
「クッキー最後の旅」
 
 

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ジェームズ・ブラウン ~最高の魂を持つ男

 
 BSテレビのWOWOWシネマで、2014年に公開された『ジェームズ・ブラウン ~ 最高の魂(ソウル)を持つ男』という映画を観た。
 
 ジェームズ・ブラウン。
 60年代~70年代のソウル音楽シーンをけん引したスーパーミュージシャンだ。

▼ 映画の予告編

▼ 映画ではなく本物のジェームズ・ブラウン 「セックスマシーン」

 映画の原題は『Get on Up』。
 ジェームズ・ブラウンの最大のヒット曲「セックスマシーン」(↑)の中で連呼される掛け声だが、要は “勃起しろ !” と叫び続けているわけで、彼の音楽思想の原点をなすような言葉だ。
 しかし、ジェームズ・ブラウンも「セックスマシーン」も知らない観客にとっては意味のない掛け声なので、「最高の魂(ソウル)を持つ男」というごく健全な邦題に落ち着いたとみられる。

 ジェームズ・ブラウンがどういうサウンドを築いてきた人かというのは、上の動画が端的に語っていると思うが、聞いて分かる通り、これは “音楽” ではない。

 では何か?

 「リズム」である。
 彼の音楽の大半はワンコードで構成され、基本的にメロディーというものがない。
 延々と続くのは、果てしないリズム。

 だが、そのリズムは炎のリズムであり、それこそ魂を焦がすリズムであり、人を狂気と歓喜に導くリズムである。
 言い方を変えれば、「グルーブ」という言葉も使えるだろうし、「ファンク」といってもいいのかもしれない。

 こういうリズム …… すなわち、観客が立っていようが座っていようが、無意識のうちに腰が左右に浮き始める画期的なリズムを創出したという意味で、彼は天才なのだ。

 で、この『ジェームズ・ブラウン ~最高の魂を持つ男』という映画は、「彼がいったいどういう天才なのか?」ということをガムシャラに描こうとした作品ともいる。

 「天才」は、常人の生き方のコード(規則)に縛られない。
 のみならず、周囲にいる人間のコードを乱暴に破壊し、時にその心をへし折り、失意の底に突き落とす。
 
 この映画に登場するジェームス・ブラウンという男は、まさにそういう魔性の生き方を貫いた人間で、自分の欲望のおもむくままに、妻も恋人も取り換えひっかえ。親友の友情も平気で踏みにじるし、バンドメンバーにはやたら強圧的な態度で臨むためにバンドマンたちからは何度も愛想をつかされ、固定的なメンバーにも恵まれない。

 気持ちが激高してくると、彼の言動には見境がつかなくなる。
 ささいなことで一般市民を銃で脅し、警官隊とカーチェイスを繰り広げたすえに銃撃戦に及び、人気が最高潮に達した時代に刑務所暮らしも味わう。

 ま、“ヤクザ者” の典型ともいえるキャラクターの持ち主なのだが、そのつくり出すサウンドとダンスパフォーマンスだけは革命的に斬新なもので、その音と踊りに魅せられてしまうと、けっきょくどんな女たちも、興行師たちも、マネージャーも、バンドマンも、まさに魔神にひれ伏す盲目的な信者として拝跪してしまう。

 彼を動かすエネルギーは、どんな逆境においてもマグマのように噴きあがる揺らぎのない自信と自己中心的な上昇志向。
 その思想は、基本的に女性蔑視に通じる “男根主義的” なマッチョイズム。

 そのような “負” のエネルギーともいえる諸々の感情が、火薬庫が爆発するような強烈なリズムをつくり出すという一点に集約してしまうところに、彼の偉大さがある。

 映画のなかで、印象的なシーンがある。
 バンドマンたちとの練習風景を描写したシーンだ。

 練習曲は「コールド・スエット」。
 出だしが気に入らなかったのか、ジェームズが不機嫌な顔で、「やめ ! やめ !」と叫ぶ。
 「お前らは、俺の音楽をまだ理解していない」
 ジェームズが怒る。

 彼のバンドでは、ギター、ドラムス、キーボードなどのほかに数々のホーンセクションが参加しているのだが、ホーンを担当するミュージシャンたちにはそれなりにプライドがあって、いつもジェームスのサウンド構成に納得しているわけではない。
 
 この日も、過酷な練習が続いていることに嫌気がさしてきたサックス担当のメシオ・パーカーが、ジェームスの要求する音合わせに異論を差し挟む。
 「メンバーのなかに技量の劣っている者が混じっているために、音が不安定になる」とメシオは指摘する。
 のちにファンキーなサックス奏者として名をはせることになるメシオ・パーカーだけに、彼の意見にはそれなりに建設的な意図があったのだろう。

 だが、それがジェームズ・ブラウンにとっては生意気な態度に映る。
 つまり、ジェームズは、個々のメンバーの演奏レベルなどを問題にしてはいなかったのだ。
 そうではなく、楽器に対する思想を問題にしていたのだ。

 ジェームズは、おもむろにメシオに対して質問する。
 まず、ドラムスを指して、
 「この楽器は何だ?」
 メシオが答える。
 「ドラムス」

 「よし。では、この楽器は何だ?」
 と、次にギターを指して尋ねる。
 「ギター」
 とメシオが答える。

 「違う ! ドラムスだ」
 ようやくジェームスが声を荒げる。
 「では、この楽器は何だ?」
 次にジェームスが差したのはメシオのサックスだ。
 
 「サックス ……」
 という答に、ジェームスの怒りは頂点に達する。
 「違う ! これもドラムスだ」
 そういって、オルガンを指し、トランペットを指し、
 「これもドラムス、こちらもドラムス」
 と、ジェームスは形相すさまじく連呼するのだ。

 このシーンは、非常に分かりやすくジェームス・ブラウンのサウンド哲学を表現した場面だった。
 つまり、彼にとって、すべての楽器はドラムスに代表されるリズム楽器だったのだ。
 そこから、彼の「ファンク」も「グルーブ」も生まれてくる。

 不承不承ながら、メンバー全員がそれを意識して、再度「コールド・スエット」がスタートする。
 そこにはジェームズ・ブラウンの思想が乗り移ったサウンドが生まれている。
 観客はみなそこで鳥肌が立つのを感じるのだ。

 ジェームズ・ブラウンを演じるのはチャドウィック・ボーズマン。
 声も似ている。
 ダンスもうまい。

▼ チャドウィック・ボーズマンの演じるジェームズ・ブラウン

 しかし、本物のジェームズ・ブラウンに比べると、いくらか顔が “端正” である。
 あのネイティブ・アメリカンの血も混じっているといわれるジェームズの荒くれた顔に、チャドウィックはビジュアル的に届かない。

▼ 本物のジェームズ・ブラウン

 私は、ジェームズ・ブラウンのヒット曲をリアルタイムで追っていたし、ディスコでよく踊った。
 武道館で行われた東京公演も見に行っている。
 そういった意味で、ジェームズ・ブラウンの “本物の質感” といったようなものをずっと体感しながら生きてきた。
 だから、映画に出て来るチャドウィック・ボーズマンの顔には、最後までなじめなかった。

 でも、この映画は、ファンがどう思おうと、ジェームズ・ブラウンの “負のエネルギー” こそが彼の想像を絶するサウンドの源泉となっているという秘密を解き明かしたという意味で、それなりに真面目につくり込んだ映画であったと感じる。
  
  
▼ 『ジェームズ・ブラウン ~最高の魂を持つ男』 スペシャル映像 

 
 
音楽映画の感想

「ジミ 栄光への軌跡」 ジミ・ヘンドリックス
「モノクロのローリング・ストーン」 ザ・ローリング・ストーンズ
「映画『キャデラック・レコード』」 エタ・ジェイムス&レーナード・チェス
 
 

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アネックス バンコン新仕様 2017

 
 この7月1日(土)より、いよいよ東京ビックサイトにおいて、「東京キャンピングカーショー2017」が開催される。
 それに先立ち、関西の大手キャンピングカービルダーの「アネックス」さんより、当日出展される同社のバンコンの新仕様のデータが寄せられたので、皆様にもご紹介したい。
 
  
WIZのマイナーチェンジ

 新仕様モデルとして発表されるのは2種。
 ひとつは、“2人旅モデル” として2008年にデビューした「WIZ(ウィズ)」。
 基本設計の段階でほぼ完成形を示していた同モデルは、9年間にわたり、ほとんど仕様変更を加えられないまま多くのユーザーに愛されるロングセラー商品として認知されてきたが、そのWIZが今回ようやくマイナーチェンジを受けることになった。

 その理由は、この9年間の間にアネックスが蓄積してきた様々な新しい技術を投入するためであるという。
 したがって、仕様変更される個所は、この9年間に向上した同社の技術レベルを反映したものばかりで、基本レイアウトはほとんどそのまま踏襲される。

 具体的な仕様変更箇所は、下記の通り。

 ① 右吊り戸棚の形状変更 (開口部を拡大して頭をぶつけにくい形状に)
 ② 右吊り戸棚下面のLEDランプ変更(ラインテープ状のものを採用し、テーブル面を均一に照らすように) 
 ③ 流し台の収納引き出しの大型化(隙間を極限まで活用)
 ④ テーブルの跳ね上げ機能(ベッド下の収納力拡大および全面ベッド状態でもテーブル使用を可能にするため)
 ⑤ 後部リクライニングギア変更(自立可能なギアに変更し、上部のパイプが不要に)


 
 
なお車両価格は下記の通り(税込)

 2WDガソリン   5,132,000円
 2WDディーゼル 5,630,000円
 4WDディーゼル 5,933,000円
 (マイナーチェンジ前から据え置き)
  
  
リコルソとファミリーワゴンにFIORDシリーズ誕生

 もう1車種は、アネックスが現在進めている “北欧テイスト” 家具の追加仕様。
 同社は、これまで基本ラインナップに加え、北欧ムードの明るい開放的なテイストの家具シリーズ(「ロラン」等)を展開して好評を博してきたが、今回新たに「FIORD(フィヨルド)」が追加された。


 
 仕様変更にかかる費用は、プラス54,000円。
 適応車種は「リコルソ」と「ファミリーワゴン」となる。
 
 詳しくはこちらを (↓)
 http://www.annex-rv.co.jp/
 
 

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キャンピングカーの総保有台数が10万台を突破

 
 日本RV協会(JRVA)がこの26日に発表した昨年度の業界動向調査によると、現在日本におけるキャンピングカーの総保有台数は約10万400台と見積もることができるようになったという。

 同協会は2007年度から「キャンピングカー白書」を編纂するために国産キャンピングカーの出荷台数及び輸入台数を調査してきた。
 それによると、調査を開始した2007年度においては、国産キャンピングカーの出荷台数が約 4 万1,000台、輸入台数が9,000台。当時は合わせて約 5 万台と推計されていた。

 それから約10年。
 日本のキャンピングカーの総保有台数は、調査開始時の 2 倍にふくれあがった計算になる。

 また、今年度調査(2016年データ)によると、キャンピングカーの売上げ金額は約365億円を突破し、過去最高を記録したという。
 これに関しても、調査開始時に比べると、めざましい躍進が見て取れる。
 調査開始時の2007年度は、業界全体の売上げ金額は約225億円であった。したがって、この10年間で140億円も増加したことになる。

 このような業界全体の繁栄ぶりを示すかのように、設備投資に意欲的に取り組む業者も2015年度の31.3%を超えて、2016年度は38.7%にまで上昇。
 従業員数も14.9人から18.4人に増えているという。

 詳しくはこちらを。
   ↓
 JRVA協会ニュース 「2017年度キャンピングカー業界の動向調査」
   

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180°words ワンエイティ―ワーズ

 
 偶然耳に入った曲が好きになり、そのCDを買ってしまうということがある。
 かつて、街のいたるところにCD屋(その前はレコード屋)があった時代には、ちょっとした時間が余ったときに必ずCD屋に足を踏み入れていたので、偶然かかっている曲を気に入り、よくCDを買った。

 しかし、今はもうCD屋というものが、街から姿を消している。
 だから、自分の場合、街を歩いてるときに音楽情報を得るという機会がなくなった。
 
 と思っていたら、このまえ、中央線・高円寺の北口でストリートライブをやっていた若者たちの音楽が気に入って、彼らに話しかけ、CDを買ってしまった。

 とにかく、暑い日だった。
 梅雨に入ったというのに、東京は連日炎天下。
 昼過ぎに、所用で高円寺に行って電車に乗って帰ろうとしたときである。


 
 北口の横断歩道のそばに、それぞれ楽器を抱えて集まっている集団がいた。
 ライブ演奏が始まりそうなのだが、観客は誰もいない。
 しかし、4人の青年はさほどそれを気にするふうもなく、せぇーのっと演奏を開始した。

 ―― 涼風が吹いた !
 と思った。
 リードギターの響きが、なんともいえない涼しげな風を巻き起こしたのだ。

 そのギターの音色と、歌われている曲のメロディー、そして歌詞がぴったりとシンクロした。

 個人的な好みをいえば、とにかく “夏の風” を感じさせるギターの音に弱い。
 たとえば、プールサイドの微風を感じさせる音色。
 水面のきらめきを想像させるフレーズ。
 そんなイメージが湧いてくるギター音が好きだ。

 だから、竹内まりやの「夏の恋人」とか、はっぴいえんどの「夏なんです」なんていう曲が自分のお気に入りなのだ。
 それらの曲に溢れている “夏のけだるさ” が大好きだ。 

 高円寺駅の北口でストリートライブを始めた若者たちの音は、まさに夏の音そのものだった。

 ライブ中、彼らの足元に立てかけられたスケッチ帳があった。
 「180°words」と書かれていた。
 それがバンド名らしい。

 何て読めばいいのか。
 「ワンエイティ―ワーズ」というのだそうだ。

 1曲終わったところで話しかけてみた。
 「今の曲がとても気に入ったのだが、YOU TUBE などにアップされているか?」
 「他の曲ではアップしたものもあるが、この曲はアップしていない」
 「CD化されているのか?」
 「CDなら用意している」
 
 ということで、1,500円払って、その曲の入ったCDを買った。 
 6曲入りのCDで、アルバムタイトルは「orange」。
 気に入った曲は「ふたりで」というタイトルの曲だったが、家に帰ってCDを聞くと、ライブの音よりも少しヘビーに感じられた。
 ライブで聞いたときの軽やかな音の感覚は、むしろ「オレンジ」というタイトル曲の方に近い。

 

 音の傾向でいうと、フォークロックというのだろうか。
 電気楽器の編成なんだけど、ものすごくアコースティックな響きが感じられる。
 自分なんかの世代だと、1960年代のバーズとかCSN&Y、1970年代のアメリカやファイアーフォールなどのサウンドを思い出す。
 日本の音でいえば、はっぴいえんどの「風をあつめて」とか、シュガーベイブの「ダウンタウン」などの音にも近い。

 とにかくリードギターの奏でるフレーズが印象的。
 その音が、歌詞が持っている世界観とよく調和している。

 歌詞の特徴はどこにあるのか。
 熱い恋愛が語られるわけでもなく、ドラマチックな事件が起こるわけでもなく、一見、平凡な日常が語られているに過ぎない。
 が、しっかり詞をたどってみると、その平凡な日常こそが “かけがえのないものである” と認識している作詞家の冷徹な視線が感じられる。

 「オレンジ」で歌われているのは、晴れた日曜日の公園で繰り広げられている “平和” そのものといった情景だ。
 ブランコに並ぶ子供たち。
 バンダナを巻いたゴールデンリトレバー。

 そんな何の変哲もない光景を眺めながら、歌の主人公は、「僕も景色に馴染めているのかな」とつぶやくように自問する。

 なぜ、自問なのか?
 それは歌の主人公が( … つまり作詞家が)、時には「環境に順応することのできない自分」もあることを知っているからだ。

 おそらく、この主人公はそうとうピリピリした感受性を持っている人なのだろう。
 その鋭敏な感受性によって、彼は周りの景色から弾かれてしまう経験も持っているのだろう。

 だから、その日、彼は “この平和な日曜日の公園の情景” が自分を受け入れてくれていることを感じ、そこから “柔らかい空気” を受け取ることができたのだ。

 ここに、このバンドの世界観が凝縮している。
 一見、幸福に満たされた退屈なほどの日常。
 しかし、その平和で健康な日常は、まるでガラスのような繊細さによって、かろうじて支えられているに過ぎない。

 一度それに気づいてしまうと、海面のきらめきも、頬に当たる風も、林の木漏れ日も、涙が出そうなくらい大切に思えてしまう。

 そういう切なさが根底に潜んでいるから、この歌は爽やかなのだ。

 「爽やか」とは「さびしさ」の別名である。
 「悲しみ」が濾過された「さびしさ」のことを、人は「爽やか」と呼ぶのである。
 
 このバンドのギタリストは、ほんとうにそこのところを知っている。
 だから、いい音になっている。  
 
▼ 180°words 「ウズマキ」
 

 彼らのCDを聞いていて、ふと「くるり」というグループの「Baby I Love You」という曲を思い出した。
 実は、くるりの「Baby I Love You」も、CD屋をさまよっているときに偶然聞いて、気に入って衝動的に買ったのだ。
 
 どうも自分は、こういう爽やか系フォークロックが好きなようだ。
 ※ 別のところではヘビーなコテコテブルースが好きだといいつつ、自分もかなりいい加減な人間である。

▼ くるり「Baby I Love You」

 
 
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最近のCMは完成度が高い

 
 日本の「テレビCM」というのは、ものすごく高度な表現を獲得していると思うことがある。

 なんていえばいいのか。
 たとえて、いえば、わずか15秒から30秒で完結する “映画”、あるいは “ドラマ” 。
 そんな凝縮した完成度を感じることがあるのだ。

 たとえば、長澤まさみと松尾スズキが登場する「虫コナーズ」(キンチョウ = 大日本除虫菊)のCM。

 

 古びた日本家屋で暮らす娘と父。
 2人の会話は、こんなふうに進む。

【長澤まさみ】 虫コナーズが、ほんまに効いてんのんかどうか。 いっぺん外してみるわって、去年言うてた吉田さん ……
【松尾スズキ】 ほぉ

【長澤】 どうなったと思う?
【松尾】 どうなった?

【長澤】 どうなったかは知らんねんけど
【松尾】 知らんのんかいなっ?

【長澤】 知らんねんけど ……………今年、またぶらさげてはるわ
【松尾】 ほぇ~

 これって、はたしてCMなのだろうか?
 おそらく、大半の視聴者はなんともいえない違和感を感じるだろう。

 もともと、キンチョウのテレビCMは、視聴者があえて違和感を感じるようにつくられているものが多い。
 その違和感から生まれる奇妙な笑いが、キンチョウのCMの個性でもある。

 だが、この虫コナーズの「どうなったと思う?編」は、もう違和感を通り越して、不条理に近い。
 ことさら奇妙さが強調されているわけでもなければ、笑いへの誘導線もない。
 ここにあるのは、まさに、日本の家庭のどこにでもありそうな、親子の日常会話をそのままなぞったような自然さだ。
 ただ、その “自然さ” は、けっきょくこの世のどこにもない “自然さ” なのだ。


 
 このCMに、なんともいえない不条理感をもたらしているのは、“間” である。
 娘が、父親に「知らんねんけど」といってから、「今年またぶらさげてはるわ」という言葉につながるまでの、異様に長い “間” が、このCMに一種の不条理感をたぐり寄せている。

 CMというのは、15秒もしくは30秒の間に商品の訴求ポイントをしっかり視聴者に記憶させるという使命を持っている。
 だから、商品の特徴を詳しく訴求するためには、できるかぎり無駄な時間を省きたいと思うのがCM制作者たちの偽らざる心境だ。

 なのに、このキンチョウのCMは、その貴重な30秒のうち、なんと7~8秒を親子がただ見つめ合うシーンに費やしている。
 その間、音は途絶え、出演している2人の姿勢も、ほぼ凍結したままだ。
 最大30秒しか許されない貴重なCMの時間の中核に、常軌を逸したような異様な “間” がどっかりと居座っているというのが、このCMの不条理感の正体だ。

 結果的に、このCMは視聴者の記憶にこびり付く。
 「虫コナーズ」という商品名が、強い違和感として、視聴者の脳裏に刻み込まれるのだ。
 テレビCMにおいては好感度を得ることよりも、商品名を覚えてもらうことの方が重要だとするのなら、結果的にこのCMは成功したと言わざるを得ない。
 
  

  
 印象に残るCMのほかの例を挙げるとすれば、パナソニックのロボット掃除機「ルーロ」のCMがある。
 俳優の西島秀俊を起用した作品で、「ルーロ」の三角の形状が、床の隅々に溜まるゴミを効率よく吸い込むのに適しているということを訴求するCMだ。

 

 ルーロが床掃除をしている状況を、部屋の主である西島が観察している。
 「あんな隅まできれいにされたら、ゴミも逃げ場がないな」
 と、彼はそう思いながら、掃除機の動きを目で追う。

 ところが、彼は突然ルーロに吸い込まれるゴミに “感情移入” してしまうのだ。
 画面が一気に変わり、ゴミになった西島は、ゴミ仲間と一緒に部屋のコーナーに追い込まれて絶叫する。

 一瞬にして、彼は現実に戻るのだが、ゴミとなって逃げまわっていたときの感覚は心の片隅に引っかかったままだ。
 それが、ゴクリッと唾をのみ込む西島秀俊の表情からうかがえる。


 
 なんと繊細なCMだろう。
 ゴミに感情移入して、ゴクリと唾を呑み込む主人公の映像など、商品を訴求することを考えるならば何の意味もない。
 
 しかし、このときの西島秀俊の表情には味がある。
 ゴミでなかった自分に安堵するわけでもなく、掃除機の能力に感心するのでもなく、視聴者の憶測を突き放すような “空白の心” が、一瞬顔に現れている。
 その表情が視聴者の脳裏に “謎” として残り、結果的にCMで訴求される商品を印象付ける。

 ここにも、“間” がある。
 西島が、人間からゴミになり、ゴミからまた人間の戻るときの “間” だ。
 そして、その “間” から、かすかな不条理感が浮上してくる。

 けっきょく、この不思議な不条理感があってこそ、このロボット掃除機の吸引力の強さが強調されるのだ。
 これなど、もう15秒で完結する “ドラマ” そのものといってよい。
 
  
 
 
 同じように、“15秒ドラマ” として印象に残ったCMをもう一つ挙げてみたい。
 それは、山田孝之が演じるフリマアプリの「フリル」のCMである。

 
 
 フリーマーケットで商品を買った女性が、売り主の女性に5000円のお金を渡そうとする。
 すると、どこからとなくやってきた男が2人の女性の間に割り込み、おカネを払おうとする女性から5000円を取り上げ、売り主に4500円だけ渡すのだ。
 その男が俳優の山田孝之。

 セリフはこうだ。

 「ハイ、5000円ね。販売手数料引いて、ハイ、4500円」

 4500円に差し引かれた女性は、山田孝之のあまりの図々しさに言葉を失ってしまう。
 その不信感をあらわにした女性に向かって、山田が諭すようにいう。
 「なんだよ。販売手数料ね」

 このときの山田孝之の表情と、そのセリフの語調が絶妙。
 ニヤリと不敵な笑いを浮かべ、言外に「文句は許さねぇぜ」的な脅しをチラリとほのめかしたまま、表面的にはあっけらかんとした笑顔で取りつくろう。

 そういう歴戦練磨の男の図々しさが、「なんだよ」ととがめるときの笑顔や、「販売手数料」と言いくるめるときの口調。そして、肩のあたりで軽く外側にカールしている長髪などから、見事に伝わってくる。

 視聴者は思う。
 「あぁあ~ …… 。いるよな、こういう男。働かずに女のヒモになって食いつないでいたり、闇金の取り立てて暮らしているようなチンピラ」
 視聴者の誰もが、そういうずる賢い男の姿を山田孝之に重ねてしまう。

 山田孝之にとっては損な役割なのかもしれないが、逆にいえば、それだけ俳優としての演技が冴えわたっているということになる。

 そして、チンピラ役の山田に対し、終始無表情のまま沈黙の抗議を貫く女性の表情もいい。
 彼女もまた、視線を動かすだけの演技で、山田の好演にしっかりと応えている。
 だから、2人のやり取りを見ているだけで、短い “ドラマ” を見ているような気分になる。

 いずれのCMにも共通していえることは、“間” の作り方に長けているということだ。
 CMに限らず、漫才やコントのようなお笑い芸においても、面白さを誘い出すのは芸人たちが生み出す “間” だ。
 この “間” が、長すぎても短すぎてもダメ。
 生物の命の波動から生まれくる絶妙の “間” には、人はどうしても快感を感じるようにできているのだ。
 
 “間” はタイマーのようなもので割り出されるものではない。
 メトロノームでも測れない。
 その頃合いを見つけるのは、その人間の感性である。
 だから、そういう “間” を自在に操れるプロを、我々は「役者」とか「芸人」とか呼ぶのである。
 
 

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小さな巨人とジュラシック・ワールド

  
 最近のテレビドラマで面白いと思っているのは、日曜日の夜に放映される警察ドラマの『小さな巨人』(TBS)である。
 政界・財界と癒着した警察機構の “闇” の部分に戦いを挑む正義感に燃えた一刑事(長谷川博己)と、彼の心意気に共感する同僚や部下たちの話だ。

 よくある筋書きではあるのだけれど、脚本も演出も非常に洗練されていて、先が読めない展開で飽きさせない。
 ついつい話に引き込まれてしまうので、一話が終了すると、即座に次の話が待ち遠しくなる。

 見どころは、やっぱり香川照之という役者である。

 香川照之は、長谷川博己が演じる真面目一辺倒の刑事の上司として登場。
 主人公とは対照的に、自分の上司や同僚を裏切る形で出世を遂げ、自己保身のために、ことあるごとに主人公の捜査を裏で妨害する。
 そういう “絵に描いたような” 悪辣な上司役を、香川という俳優はものの見事に演じ切る。

 表情がうまい。
 烈火のごとく怒った(振りをする)ときの顔。
 権力のあるものに媚びるときの顔。
 相手を油断させて罠にはめるときの甘い笑顔。
 どの表情にも、ヘドが出そうな嫌らしさがにじみ出る。
 
 こういう巧みな “顔芸” がこなせる役者は、いま日本の俳優陣の中でもこの人しかいない。
 「この顔芸に飽きた」という感想を持つ視聴者もいるようだが、香川照之の絶品ともいえる “顔芸” がなければ、おそらくこの『小さな巨人』というドラマ自体が成り立たないだろう。

 大ヒットドラマの『半沢直樹』(2013年)も、あの高視聴率の影には香川照之の顔芸があった。
 あのドラマは、主人公の半沢直樹を務めた堺雅人の個性が際立ったからドラマとしての評価も高かったが、この『小さな巨人』の場合は、主人公の長谷川博己が、堺雅人ほどの突出した個性を打ち出していない。
 長谷川が演じているのは、仕事を離れたら真面目だけが取り柄の退屈な男でしかない。
 
 つまり、長谷川博己は、敵役の香川照之の “嫌らしさ” が強調されることによって、ようやくその対比としての “正義の輝かしさ” を手に入れているのだ。

 そういう意味で、私にとっては、この『小さな巨人』というドラマの主役は香川照之なのである。
 
 
 また、この日曜日には、BS放送で、スピルバーグ監督の『ジュラシック・ワールド』(2015年)を観た。
 エンターティメントとしては、けっこう面白かった。
 少なくとも、シリーズ第一作目の『ジュラシック・パーク』(1993年)よりは楽しめた。

 『ジュラシック・パーク』では、CGで制作された恐竜たちがあまりにもリアル過ぎて、観ているうちに刺激に慣れてしまい、最後には動物園でライオンやキリンを見ているのと変わらないような気分になってしまった。
 そして映画館を出たあとに、「リアルすぎる恐竜というのは案外退屈なものだな」とつぶやいた記憶がある。

 そういった “退屈なリアルさ” は、この『ジュラシック・ワールド』にも引き継がれている。
 しかし、ストーリーの構成が『ジュラシック・パーク』よりは練れていたので、最後まで退屈せずに観ることができた。

 
 
 それにしても、ハリウッド製の怪獣映画というのは、やはり何かが足りない。
 日本の怪獣映画にあるものが、向こうの映画にはない。
 ハリウッド製の『ゴジラ』を観たときも、それを感じた。

 足りないものとは何か。
 それは現実感である。

 リアルであることと、現実感を伴うこととは若干違う。
 ハリウッド製の怪獣たちは、物質的なリアルさはあっても、心理的な現実感が乏しいのだ。

 確かに、ハリウッド製の恐竜や怪獣では、動き回るときの筋肉の動きまで巧みに映像化されている。
 さらに、やつらが近づいてくるときの息遣いや、吐き出す息の臭さのようなものさえリアルに伝えてくる。

 しかし、そういう物理的リアルさには、観客はすぐ慣れてしまうものだ。
 だから、観客は、「やつらは絶対スクリーンの外には飛び出してこない」という “安心感” を得ることができる。

 それに対して、昨年観た日本製の『シン・ゴジラ』は、ほんとうに多摩川を越えて、東京に迫ってきた。
 つまり、“もしかしたら、あり得る !” という心理的な現実感をかもし出すのに成功していた。

 その違いはどこから来るのか。

 シン・ゴジラは、生物としてのリアルさを描くよりも、その存在自体の不条理さを描こうとしたのだ。

 ジュラシック・ワールドの生物たちは、その存在が合理的な根拠によって説明できる。
 しかし、ゴジラは説明体系を拒む “闇” を抱えている。

 「いるはずがない生き物」が、もし見えるとしたら、それは “悪夢” でしかない。
 この世に存在する生物なら、最後には化学兵器のようなもので退治できるかもしれないが、人間の脳内に去来する “悪夢” を退治する兵器はない。

 合理的な説明がつく怪獣たちは、結局はスクリーンから抜け出てくることはないが、“悪夢” は映画を観た夜、寝ているときに脳内をはいずり回る。
 ゴジラの怖さは、悪夢の怖さである。
 だから、リアルなのだ。
 
 

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トレールジョイ J 220(アーカイブス)

 
※ この記事は読者のリクエストに応え、過去の『キャンピングカースーパーガイド』に掲載されたものを再掲載したものです。記事内容はその当時のものをそのまま採録しております
 
キャンピングカー・スーパーガイド 2007年版 
アーカイブス

Trail-Joy J 220

日本専用のアメリカン・ライトウェイト トレーラー

 トレールジョイは、アメリカントレーラーの専門ショップであるリトルハウスがこれまで手掛けてきたトレールライトのライトウェイト技術を活かし、日本のキャンプシーンで使いやすい仕様に仕上げられたアメリカントレーラー。
 今日アメリカでは8フィート幅以上の大型トレーラーがメインだが、この「トレールジョイ J 220」は、アメリカ仕様のトレールライトのオリジナルデザインをベースに、日本でけん引しやすい左エントランスのナローボディとして専用設計されている。

 このトレールジョイの特徴はなんといっても、アメリカントレーラーらしいフル装備。ルーフエアコン、サイドオーニング、電子レンジはもとより、大型冷凍冷蔵庫、大容量給排水タンク、温水ボイラーなど、通常オプションとされる装備がすべて標準で搭載されている。
 特に評判が高いのはルーフエアコン。省電力型なので、小型発電機や低い電力のキャンプ場でも利用可能。また、このトレーラーの特徴となっているフルカバーアンダーフロアは床下を温めてくれるので、ウィンターキャンプでも給排水設備が凍結しにくいと、これも好評。

 このようにトレールジョイは、他のトレーラーに比べ、国内ユーザーの使い勝手を重視した仕様になっており、家族と季節を問わず、アウトドアで快適に過ごすためのツールとして理想的なRVに仕上がっている。

【主要諸元】
全長 7100mm/全幅 2230mm/全高 2900mm
車両重量 1650kg
就寝定員 6 名
室内長 5920mm/室内幅 2130mm/室内高 1930mm
キッチン幅 1450mm/キッチン高 830mm
フロントベッド寸法 2130×1480mm
リヤベッド寸法 1880×1220mm
リヤ上段ベッド寸法 1880×680mm
ヒッチ荷重 200kg
タイヤ ST205/75D14
  
【標準装備】
ルーフエアコン/サイドオーニング/フロント大型外部収納ドア/U ダイネット/フロント折りたたみバンク/リヤダブルベッド/リヤ折りたたみバンクベッド/スクリーンドア/ブラインド/FF温風ヒーター/2ドア冷凍冷蔵庫/3バーナーガスレンジ/深底ダブルシンク/電子レンジ/電子着火式ガス温水器/ガス検知器/シャワー&トイレルーム/洗面台/シティーウォーターフックアップ/AC電源フックアップ/DCコンバーター & バッテリーチャージャー/バッテリー/モニターパネル/オーディオスピーカー & FMアンテナ/TVアンテナ & ブースター/ACコンセント/格納式エントリーステップ/ルーフラダー/清水タンク(110㍑)/グレー排水タンク(110㍑)/ブラック排水タンク(110㍑)/スペアタイヤ/スタビライザージャッキ/セフティーチェーン/分離ブレーキ/機械式ブレーキ

【オプション(一例)】
アルミLPGボンベ/ガスオーブン/外部シャワー/ファンタスティックファン/サイクルキャリア/カセットトイレ/ビルトイン発電機/フロントアクリルウィンドウ/ソーラーパネル他

【価格】
3,980,000円(税込 2007年度価格)

【発売】
有限会社リトルハウス
〒321-3562 栃木県芳賀郡茂木町馬門1007-1
電話:0285-63 -5087
http://www.littlehouse.co.jp/
メー ル:info@littlehouse.co.jp

【担当者のひとこと】
(有)リトルハウス 大森敬一 代表

 トレールジョイは国内専用仕様として、国内で組み立てています。装備類も充実させ、これまでトレールライトのお客様から要望の高かった装備をすべて採り入れています。例えば折りたたみ式ベッドやAVセンターなども標準です。また、ご要望の高いソーラーパネルやカセットトイレもオプションに加えております。

【ユーザーの印象記】

普段の生活をそのままアウトドアへ
佐々木路洋さん(北海道・札幌市)

 自分はアメリカかぶれのアメ車乗りなので、はじめて購入するトレーラーも、もう何年も前からアメリカントレーラーのトレールライトに決めていた。
 ところが、そのトレーラーが2年前に本国で生産中止になったと聞き、いったんは購入をあきらめた。
 しかし、たまたま会社でけん引免許を取得できたときにトレールジョイとして復活したことを知り、即座にこのトレーラーに決めた。
 ありがたいのは、我が家の駐車場にピッタリの左エントランス。
 このメーカー初の国内生産だったので、納車まで時間がかかったが、その分国産キャブコン並みに造りもていねいで満足。
 アメリカントレーラーらしい大きな清水・排水タンクを持ち、生活機能も充実。家にいるような普段の生活ができることも魅力。アメリカンテイストなインテリアにも満足している。

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大木トオル氏ブルースを語る

 
 筑波大学で開かれた大木トオルさんの “セラピードッグ” の講演会にて、犬との共生に関する様々な知見を得ることできたが、同時に大木さんがブルースシンガーとして活躍されてきた経験から、たくさんの音楽の話もうかがうことできた。

▼ 大木トオル氏

 なにしろ、大木トオルさんといえば、東洋人ブルースシンガーとして唯一全米ツアーを成功させるなど、日本のみならずブルースの本場であるアメリカでも非常にミュージシャンとしての評価の高い人。
 その交友関係を聞くだけでも、黒人音楽好きの人には目が飛び出るほどのビッグネームばかり。

 そのうちの1人をまず言えば、日本でも有名なライブアルバムとなった『フィルモアの奇跡』で、アル・クーパーと一緒にセッションしたマイク・ブルームフィールド。
 彼は白人だが、そのギタープレイの “黒っぽさ” で、黒人以上のブルースミュージシャンとして知られた人。
 大木さんは、このマイク・ブルームフィールドと親交を重ね、マイクの死の間際まで将来変わらない友情を育てた。

▼ 「フィルモアの奇跡」の有名なジャケット(左がマイク・ブルームフィールド)

 そのとき、大木さんをマイク・ブルームフィールドに紹介したのが、マーク・ナフリタリンだという。
 今の若い人たちは知らないかもしれないが、1960年代にポール・バターフィ―ルド・ブルースバンドなどのレコードに接していた私にはとっては、もうこのマイク・ブルームフィールドとマーク・ナフタリンという名前だけでもビッグネームなのだ。

 さらなるビッグネームといえるのは、全米で “3大キング” の一人と言われたアルバート・キング。
 3大キングというのは、B・Bキング、フレディ・キング、アルバート・キングのことをいうのだが、なんと大木さんはこのアルバート・キングと共演体験を持ち、アルバムも残し、多くの音楽論議も交わしている。

▼ アルバート・キング & 大木トオル セッションアルバム

 このように、本場のブルース界における大木さんの交遊録はほんとうに厚みのあるものだが、ブルースだけでなく、よりポピュラーなR & B分野においても、大木さんの付き合いは広い。

 大木さんと交遊を持ったR & B界の大物といえば、日本においても「スタンド・バイ・ミー」の大ヒット曲で知られるベン・E・キングがいる。

▼ ベン・E・キングと大木トオル

 「スタンド・バイ・ミー」は、1961年の作品だが、1986年にスティーヴン・キングの小説を映画化した同名映画の主題歌として取り上げられ、リバイバルヒットした。
 この歌は、ジョン・レノンをはじめ、多くのアーティストによってカバーされた知名度の高い曲で、私もまた、カラオケに行ったとき、歌詞カードを見なくても歌える二つの歌の一つとして身に付けている。(もうひとつはビートルズの「All My Loving」)
 
 
 とにかく大木トオルさんがアメリカで身に付けたブラックミュージックのエッセンスは、とろりと濃厚だ。
 それというのも、アメリカの黒人ミュージシャンたちが、肌の色も違えば文化も違う大木さんの歌に「SOUL」を感じたからだろう。

 大木さんの話によれば、そもそもアメリカの黒人音楽というのは、「救いを求める弱者の気持ち」が次第に「歌」の形をとっていったもので、悩める度合いの強さ、そこから抜け出したいという気持ちの強さが、歌としての強度を獲得していったという。

 大木さんにも、貧乏がゆえに一家離散という悲劇を幼少期に味わい、吃音というハンディーを背負って、かずかずのいじめにも遭い、それを音楽で克服していくという経験があった。
 そのときの「救い」を求める気持ちの強さでは、奴隷としてアメリカに売られてきた黒人たちの悲哀を克服しようという気持ちの強さと変わらなかった。

 そういう自分の運命にあらがうような激しい精神のほとばしりを、黒人たちは「SOUL(魂)」という。
 そして、そのSOULをリズムに乗せたのが、SOUL MUSICだ。

 ソウル・ミュージックの原型はゴスペル(黒人霊歌)である。
 アフリカから強制的に奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちは、新大陸では「人間」として認められなかった。
 彼らに与えられた主な仕事は綿花づくり。
 「人間」として認められない黒人奴隷には、移動の自由も、恋愛の自由も、家族を持つ自由もまったくなかった。
 つまりは、“心” の存在をまったく認められない、ただのワーキングマシーン。
 病気になっても、ケガをしても、消耗した機械部品が捨てられるように、そのまま遺棄されるだけの存在でしかなかった。

▼ ゴスペル映画 「天使にラブソングを」

 
 なにしろ、同じ仕事場で働く仲間ですら、「同胞」として認め合うことも許されなかったから、仲間同士の交流すら生まれない。
 労働中に、神を湛える讃美歌(ゴスペル)をみなで口ずさむことが、彼らにとって唯一の連帯を確認する行為であった。

 そのゴスペルから、やがてブルースが発生してくる。
 これは、神を湛えるゴスペルが少し世俗化したもので、神への愛を言葉にしつつも、そこに人間同士の恋愛感情のようなものが少しずつ折り重ねられてくる。

 ブルースになってくると、アカペラが主流だったゴスペルに、徐々に楽器が加わるようになる。
 手拍子だけでリズムをとっていたゴスペルに対し、ドラムスやベースといったリズム楽器が加わるようになり、さらにギターも加わってくると、今のブルースの原型が姿を現わす。

 大木さんの話で印象的だったものがある。
 ブルースに使われたアコースティックギターが、いつエレキギターにとって代わられたのか。
 大木さんは、ブルースの大御所のマディー・ウォーターズに、エレキを手にするようになったきっかけを尋ねたことがあったそうだ。
 すると、返ってきた答は、
 「だって、ようやくうちにも電気が届くようになったんだもの」
 というものだったそうだ。

 さらに、「エレキにすれば、前にいるお客さんだけでなく、後ろにいるお客さんにも音が届くだろ?」
 とも。
 この理屈の素朴さ !
 このシンプルさが、ブルースの強度を保証するものであるとも。

▼ マディー・ウォーターズ

 
 ブルースを語る上で欠かせないものが、一つある。
 それは、「グルーブ」という言葉だ。
 日本語に訳すのが難しい。
 しいて言えば、“ノリ” という表現になろうか。

 ブルースを奏でる黒人ミュージシャンたちがもっとも大切にしているのが、このグルーブで、それは音楽学校に行って譜面の読み書きを習い、一流の教師に師事したとしても身に付くようなものではない。

 それはリズムに合わせて自然に腰が動くように、無意識のうちにステップを踏むように、歌詞も知らないうちから「掛け声」が出るように、音楽と共に身体がバイブレーションを起こすときに生まれるものだ。

▼ アルバート・キング

 
 大木さんはいう。
 「多くの黒人ミュージシャンに尋ねてみましたが、誰も “グルーブ” がどういうものであるか、うまく説明できませんでした。
 それは無意識のうちに体が自然に身に付けるもので、言語で説明する領域を逸脱したものだったからです」

 だから、「グルーブというのは機械からは生まれない」と、大木さんは語る。
 つまり、音楽のドラムパートが「リズムマシン」のような機械音を使った装置にとって代わられることによって、ブルースやR & Bからグルーブが消えた、というのである。

 70年代の中頃、ソウル・ミュージックといわれた音楽の一部に、ディスコミュージックが台頭してきた。
 それは、ただひたすらディスコで踊るためだけに生まれた音楽であった。

 このとき、ディスコ産業の要請を受けて、人間はどういうリズムを与えられたとき、気持よく踊り続けられるかという楽曲上のテーマが浮上した。

 計算してみると、それは「BPM」(Beat Per Minute)120~140の幅に収まっているということが判明した。
 すなわち、1分間に120~140の拍子数が収まるリズムの曲が “心地よく踊り続けられる” という方程式が導き出され、以降、ディスコミュージックはメロディーが変わろうが、ミュージシャンが変わろうが、一律にそのテンポの曲で構成されるようになった。

 そして、そこで定められたBPMを正確にキープするために、人間が叩いていたドラムはリズムマシンに置き換えられ、アップテンポの曲はみな機械的に均等に割られたリズムで統一されるようになった。

 これを「グルーブの死」だと大木さんは語る。
 リズムマシンは人間ではないから、リズムが狂うことはない。
 しかし、人間がドラムを叩いたり、あるいはベースを弾いたりすると、機械のようにリズムを刻もうとしても、どこかで狂いが生じる。

 「その狂いがグルーブである」
 と大木さんはいうのだ。
 つまり、人間は、機械のようにリズムを刻もうと思っても、“ノッてくる”、すなわち気分が高揚してくると、同じテンポを維持していても、微妙な強弱が加わったり、意図的にテンポをズラしたりして、リズムの流れを豊かにしようとする。
 それは、そのミュージシャンの一瞬のひらめきが生むものだ。
 そのときに「グルーブ」が誕生する。

▼ 大木さんの著書「伝説のイエロー・ブルースマン大木トオル」

 この大木さんの説明は非常によく分かった。
 そして、(個人的な話だが)、自分はなぜ70年代の半ばに、大好きだったSOUL MUSIC から離れてしまったのかも、よく分かった。
 70年代半ば、ディスコミュージックの台頭によって、音楽からグルーブが失われてしまったからだ。

 今の時代の音楽はどうなのだろうか?
 「グルーブ」という観点から、もう一度、すべての音楽を聞き直してみたいという気もする。
  
 
▼ 大木トオル氏とアルバート・キングのセッション

  

関連記事 「大木トオル筑波大学セラピードッグ講演」

  
参考記事 「ブルースの正体(キャデラック・レコード)」
 
 

カテゴリー: 音楽 | 14件のコメント

大木トオル筑波大学セラピードッグ講演

    
 2017年 5月26日金曜日、筑波大学(茨城県つくば市)にて、ブルースシンガーであり、国際セラピードッグ協会代表である大木トオル氏が、『共に生きる~セラピードッグに生まれ変わる犬たち』という講演を行った。

▼ 講演会ポスター

 
 
 これは、「自然との共生」をテーマに研究を進めている筑波大学の白川直樹准教授(システム情報系構造エネルギー工学)の研究室が、セラピードッグを通じて “犬との共生” をテーマに活動している大木トオル氏の動物愛護の精神に共感し、白川ゼミの研究テーマの一環として主催したもの。

▼ 講演会の会場となった筑波大学のキャンパス

 そもそもこの講演の開催には、同大学の白川ゼミと、九州長崎のキャンピングカービルダー「カスタムプロホワイト」の池田健一氏との交流が背景にある。
 池田氏は、キャンピングカー製作・販売を進める一方、地元長崎で河川の研究を推進し、アユの生息などの実態調査で多大な実績を収めていた。

 その池田氏の活動に注目した筑波大の白川ゼミが、池田氏指導のもとにゼミ生が水中におけるシュノーケルの扱い方などを池田氏から学ぶという形で、長年の交流を深めてきた。

▼ 当日、池田氏指導のもとに、筑波大学の室内プールで開かれたシュノーケル教室

 一方、池田氏と大木トオル氏の交流は、池田氏がネットで連載しているエッセイ『答は風の中』から生まれた。
 同エッセイの31回「ドッグカフェにはブルースを」において、氏はテレビで大木トオル氏が歌うブルースの魅力に感服。さらに大木氏が進めているセラピードッグの啓蒙・普及活動にも共感。

 そのことを綴った池田氏の記事を、たまたま大木トオル事務所のスタッフが閲覧。それがきっかけで池田氏と大木氏との接点が生まれることになった。

▼ 大木トオル氏(左)と池田健一氏(右)

 それぞれ立場の違う者同士が、池田氏を軸に連絡を取り合ううちに、各自が “自然と人間のコミュニケーションの可能性探る” という共通のテーマを確認。
 こうして、大木トオル氏、筑波大学の白川ゼミ、キャンピングカービルダー池田氏との3者のコラボによる講演の開催が決定することになった。

 講演に先立ち、池田氏がまず演壇に立ち、
 「人間が自然と交流するには、人間もまた新しいコミュニケーションの形を身に付けなければならず、それには、SNSやネットというデジタルなシステムを使ったコミュニケーションだけではなく、人の無言の息遣いやアイコンタクトといった言語化できない領域における意思疎通の仕方を学ぶことも大事である」
 と挨拶。

 続いて、池田氏と長年の親交を持つキャンピングカーライターの町田厚成が壇上に立ち、次のように語った。
 「コミュニケーションには、それまでの自分の常識では理解できないものと出合うという意味もある。人間の脳細胞は日々新陳代謝を繰り返し、常に新しい刺激を求めている。そういう意味で、人間は昨日までの情報では満足できない動物であり、新しい刺激による “混乱” を楽しむようなところがある。だから、相手と出会って、時に混乱したり、時に困惑するような情報交換があっても、それもコミュニケーションの一環として、恐れずに、嫌がらずに楽しんでほしい」

 両氏の簡単な挨拶が行われたあと、いよいよ当日のメインゲストである大木トオル氏が登場。
 ご自身の生い立ちにおける犬との交流の話から始まり、セラピードッグという存在が社会のなかでどういう役割を背負っているのか、さらにペットブームやペット業界の繁栄の影に、密かに殺されていくペットたちの悲惨な実情を報告し、人とペットの真の共存をテーマに、約1時間にわたって熱弁を振るわれた。

▼ セラピードッグの役割を説明する大木トオル氏

 
 大木氏が力説したのは、人間の医療や介護の現場において、「犬」が非常に重要な役割を果たすということだった。
 特に、精神医療の段階で、犬が人間の情緒を安定させ、精神疾患による障害を緩和し、機能障害の回復を実現するという実例が数多く報告された。

 そのような実例のなかで、特に目立った効果を上げているのが、高齢者の認知症や脳梗塞の後遺症からの回復。
 重度の認知症患者や脳梗塞を罹患した人が、犬との共生を経験するうちに、次第に肉体的・精神的機能を回復していく様子を、大木氏はスクリーンを通じて数々の画像を展開しながら、解説した。

▼ 大木トオル氏

 このように、人間の医療的介護を目的に専門に訓練された犬を「セラピードッグ」といい、アメリカでは古くから、このセラピードッグを介した医療システムが確立されていたという。

 しかし、日本では、それまでそのような医療的介護を目指した犬の教育法などがまったく確立されておらず、音楽活動のために渡米した大木氏が、現地でたまたまセラピードッグが活躍する現場に接し、大木氏を通じて、ようやく日本にもその存在が知られるようになった。

 このセラピードッグの存在が日本全国に知れわたるようになったのは、大木氏がゴミ箱に捨てられてきた子犬を拾い、「チロリ」と名付けて、それをセラピードッグとして育てたというエピソードが波及したからである。

▼ 大木氏が書かれたチロリの本

 チロリはすでにこの世にはいないが、その生前の活躍ぶりが子供の教科書でも紹介されるようになり、渋谷の「忠犬ハチ公」、南極の「タロー・ジロー」、そして銀座の「名犬チロリ」として “日本の三大名犬” に認知され、セラピードッグの象徴的存在として人気を誇るまでとなった。

 しかし、セラピードッグの社会的認知が進んできた一方で、日本にはまだ捨て犬たちが待ち受ける悲惨な状況が横たわったままだと、大木は訴える。
 それが捨て犬(& 捨て猫)の「殺処分」。

 現在、日本は空前のペットブームに沸いているが、その華やかな話題の裏側では、毎年10万頭近くの犬(& 猫)がガス室に送られて苦しみながら死んでいるという。
 かつては65万頭にも及ぶ捨て犬・捨て猫が殺処分という残酷な運命にさらされていた。

 その後、動物愛護法が成立し、殺処分されるペットの数は一時期の5分の1までに減少したが、それでもこの法の順守が徹底されることはなく、相変わらず、飼い主に捨てられた年間10万頭の犬たちが、捕獲後5日の猶予をもらっただけでガス室に送られている。

 大木トオル氏は、可能なかぎり、このような殺される運命に陥った犬たちをもらい受け、今それをセラピードッグとして訓練する活動を進めている。
 それが犬の命をも救い、かつ介護を必要としている高齢者たちの環境改善にも寄与するという大木氏の信念はゆるぎない。

 このような活動に邁進する大木氏の報告に対し、会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こり、講演会が大きく盛り上がったところで、大木氏はトレードマークとなっている白いハットを頭に載せた。

 「最後に、熱心に講演を聴講してくださった方々に、プレゼントをしたい」
 ということで、ブルースシンガーに立ち返り、生前親交のあったR&Bシンガーのベン・E・キングのヒット曲と知られる「スタンド・バイ・ミー」を熱唱。
 聴講者たちのリズミカルな手拍子も加わり、ソウルフルな雰囲気が盛り上がったところで、閉会となった。
 
▼ 「スタンド・バイ・ミー」を熱唱する大木トオル氏

一般財団法人 国際セラピードッグ協会HP

http://therapydog-a.org/ 
 
▼ 大木トオル「ダンス天国」(from You Tube)
 
   
 
関連記事 「大木トオル氏ブルースを語る」
  

※ このニュースに関しては、カスタムプロホワイトの池田さんも、ご自分のブログでレポートされています。
 ↓
「ミスターイエローブルース」大木トオルさんの「セラピードッグのお話と『スタンド・バイ・ミー』」
 
  

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最近タレントの顔や固有名詞が覚えられない

 
 うちのカミさんは、北川景子と栗山千明の区別がつかないようだ。
 同じ顔に見えてしまうらしい。
 だから、この2人のうちどちらかがテレビに出てくると、「この人は誰?」と画面に向かって、一人でつぶやいている。

▼ 誰だ?

▼ 誰だろう?

 同じように、彼女は、のん(能年玲奈)と広瀬すずの区別がつかないらしい。

▼ 誰だ?

▼ 誰だろう?

 さらに、高畑充希と有村架純の区別もつかない。
 この2人も同一人物のように見えるようだ。

▼ 誰だ?

▼ 誰だろう?

 
 年を取ってくると、最近の若いタレントや役者を識別する能力が衰えてくるという話はよくきく。

 かくいう私も、若い女子アイドルグループがほとんど分からない。
 「AKB48」というグループ名だけはなんとか知っているが、個々のメンバーの固有名として挙げられるのは指原莉乃だけで、あとの人たちは名前も顔もまったく覚えることができない。
 だから、当然「AKB」以外の「HKT」とか、「乃木坂」とか、「欅坂」とかなると、もうまったく何がなんだかわからない。

▼ 誰だろう?

 女性アイドルグループだけではない。
 最近のジャニーズの男の子たちのことがさっぱりわからない。
 せいぜい分かるのは「嵐」ぐらいだ。
 
 加齢によって現状認識能力が甘くなってくると、タレントの顔や名前だけでなく、一般的な物事の呼称も危うくなってくる。
 
 うちのカミさんなどは、「ニラレバ炒め」という料理の名前がいえず、ここのところずっと「ニバレラ炒め」とか「ニネレバ炒め」などと言っている。
 もともと彼女は「レバー(肝臓)」という食材が嫌いだ。
 だから、それを使った料理の名前など、はなっから覚える気もないようだ。

 それだけではない。
 語感にも自分の好みがあるらしく、世間的に流布している単語が彼女の好みによって読み替えられることもよくある。

 少し前、北朝鮮海域に集結するアメリカ海軍の艦隊のことを話題にしていたら、「原子力潜水艦」のことを、カミさんはずっと「原子力 スイセン艦」と言い続けていた。
 「センスイカン というより、スイセンカン と言った方が語感が自然だ」という。
 だけど、自分の好き嫌いで勝手に名詞を言い換えてしまうと、世間の人はそうとう困るのではなかろうか。

 最近よく話題になる「アニサキス」という恐ろしい寄生虫がいるけれど、これも彼女に言わせると「オニアキス」とかになる。
 それでいいんだそうだ。
 「オニアキス」を漢字変換すると、“鬼空き巣” 。
 確かに、気分は出ている。

 北朝鮮の貨客船に「万景峰号(マンギョンボンごう)」というのがある。
 彼女は、これもいえない。
 「マンボンギョンギョー」とかいう響きになる。

 もっとも、この名前は、私にもうまくいえない。
 これに関しては、2人とも正確な名前がいえないので、あまり話題にしないことにしている。

 私自身にも人にいえない間違いがある。
 (前にも一度ブログで書いたことがあったが)、中央道の「中央道原」というパーキングエリアの読み方が、「チュウオウドウ ハラ」と読むことが分ったのはつい最近のことだ。
 過去20年間、ずっと「チュウオウ ドウゲン」と読み続けてきた。
 
 おそらく、自分の気持のなかで、「チュウオウ ドウゲン」と読んだ方が、戦国時代の武将の名前のような響きでカッコいいという先入観があったからだろう。

 「武田信玄」とか「斎藤道三」とか、みんな響きがカッコいいではないか。
 だから、「中央 道原」という武将っぽい読み方があってもおかしくはないという私の気持ちは、たぶん多くの人に共感されるだろう。
 …… そんなこともないか ……
 
   

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木漏れ日の似合う音楽

 
 「木漏れ日の似合う音楽」というものを集めて編集し、ウォーキングに出たときに聞いている。

 
 
 これは、歩きながら聞くのではない。
 歩き疲れて公園のベンチなどに座り、木々の隙間から漏れて来る陽の光が美しく感じられるような瞬間を選んで聞いている。

 そういうときの音楽は基本的に、
 ① テンポがゆるい
 ② 爽やか
 ③ メロディーがきれい
 ④ 透明感・空気感がある
 … というものが中心になっている。

 もちろん、かなり主観的な選曲になってしまうので、曲名を挙げても多くの人の共感を得られるかどうかは分からない。
 しかし、どうせ聞くのは自分1人であるから、好みの偏りがあっても許されるはず。
 そういう音楽を聞きながら、木立の間を吹いてくる風を浴びていると、情感が刺激されて、身体が浴びる風と光に「物語」が加わる。 

 そういうときのオープニングは、たいていこの曲である。

▼ Blood, Sweat, & Tears 「Variations on a Theme by Erik Satie」

 Blood, Sweat, & Tears が、1968年に発表した2枚目のアルバム『Blood, Sweat,& Tears』の1曲目に収録された曲で、タイトルは「エリック・サティーの主題による変奏曲」。
 文字通り、エリック・サティーの「ジムノペディ」をベースに構成された変奏曲だ。

 サティの「ジムノペディ」はピアノ曲だが、このB・S & T(Blood, Sweat, & Tears)版は、ギターとフルートを使った牧歌的なアレンジに仕上がっている。
 もともと「ジムノペディ」はGmaj 7 & Dmaj 7 というメジャーセブンスを使った不協和音で構成されているので、美しいメロディーでありながら、どこか不安定な浮遊感が漂い、メランコリックな哀調がにじむ。

 しかし、このB・S & Tのアレンジではメランコリックな哀調がやや後退し、逆に爽やかさが浮上している。不協和音であるメジャーセブンスも、その “ゆらぎ感” が、ここでは木々の間で揺れている午後の光を連想させて、透明な空気感を演出している。
 

 
 話は脱線するけれど、このB・S & Tのジャケットは、どこか “素人の日曜画家” などといわれたフランスのアンリ・ルソーの絵を思わせる。

▼ アンリ・ルソー 「砲兵たち」(1893年)

 
 アンリ・ルソーは、人間が無意識の底に眠らせている “原初の光景” のような世界を描いた画家。
 まさに、デ・ジャブに似たような、“ノスタルジックでありながら、この世にはない風景” の描き手として知られている。
 その絵の大半は、まさに木々の葉のむこう側に、ちらちらと光が舞っていそうな情景で占められている。

▼ アンリ・ルソー 「ルクセンブルク公園 ショパン記念碑」(1909年)

 たぶん、「木漏れ日」の光というのは、アンリ・ルソーの絵のような “ノスタルジックでありながらこの世にない風景” を人間に教えてくれる光なのだ。

 このB・S & Tのアルバムジャケットデザインを担当したデザイナーは、アルバムの収録曲が「エリック・サティーの主題による変奏曲」で始まることを知ったとき、おそらくアンリ・ルソーの絵を連想したに違いない。

 だから、このジャケットは、(ルソーの絵のように)、古い屋敷の引き出しの中で眠っていた先祖の肖像画を眺めたときのような、くすんだセピア色に染まった画像になっているのだ。
  
   
 次のような曲も、私には “木漏れ日の似合う” 音楽に聞こえる。
 アルベニスの『タンゴ』。
 クラシックギターのファンにとってはおなじみの曲だが、この “眠気を誘う” ようなおだやかな曲調が、木立をかすめる風と優しく絡み合うとき、えもいわれぬ心地よさが生まれる。

▼ John Williams 「Albeniz Tango」(1980年)

 アコースティックギターというのは、数々の楽器のなかでも、いちばん風の音に近い音色(ねいろ)を奏でてくれる。
 特に “甘い風” を連想させる。
 たぶん、それはギターの歴史にも多少関係しているのかもしれない。

 ギターはアラブやインド起源の弦楽器が、8世紀頃、ムーア人のイベリア半島への侵攻によってスペインに持ち込まれ、そこで洗練されて、現在のスタイルに定着したものだといわれている。

 ギターを生んだ風土、すなわちインド、アラブ、北アフリカ、スペインの環境を特徴づけるのは陽射しの強さだ。
 そういう過酷な環境を和らげてくれるものが、すなわち、そこの住民が感じる 快感のベースとなる。

 陽射しの強さを和らげてくれるもの。
 それは、「涼風」である。
 ギターの調べが “風” に近いのも、過酷な風土で育った人たちが “快” と感じるオアシスの風を希求する音として発展したからだ。

 彼らが “オアシスの木々をかすめる風” にいかに憬れていたかは、スペインのグラナダにある「アルハンブラ宮殿」を見ると、よく分かる。

 中世に建てられたこのイスラム様式の宮殿は、はたして何をイメージして造られたものなのなのか。
 写真を見れば一目瞭然である。
 中庭に広がる池は砂漠のオアシスの泉を意味し、その周囲を囲むアーチは、オアシスの岸辺に生えるヤシの木である。

 そしてそのオアシスの素朴な情景は、そのままコーランに描かれるイスラム教の「天国」のイメージと重なっていく。


 
 すなわち、「木陰」と「涼風」こそがギターを生んだ民族たちの快感の源泉だったのだ。
 このように、「風」と「陽光」と「木の影」が、人間が自然から「快」を得るための3原則であることは間違いない。


  
 
 次の曲は、ずばりそのテーマが「風」。
 キャット・スティーブンスが1971年に発表したアルバム『ティーザー・アンド・ファイアーキャット』の巻頭を飾る曲「ザ・ウィンド」もまた “木漏れ日の似合う” 音楽だ。

▼ Cat Stevens 「The Wind」

 ここでは、キャット・スティーブンスが弾くアコギの音そのものが、木陰を吹く涼風を感じさせてくれるが、なによりも、彼の歌声がすでに “風の音” になっている。
 爽やかで、乾いていて、それでいて温かい。
 そして、少しだけ寂しい。
 これなど、まさに、夏の終わりに忍び込んできた「秋の風」である。

 キャット・スティーブンス(写真下)はギリシャ人の血を引く少年として、ギリシャ正教を身に付けた家庭に育ち、カトリック系の学校で授業を学び、10代の末に音楽の世界に入る。

 世界的なヒットとなるアルバムを数々と世に出しながらも、1977年に「ユスフ・イスラム」と名を改めてイスラム教に改宗。世界平和を訴える運動に従事するようになる。
 そういった意味で、きわめて宗教性の濃い人生を送ってきた人であり、この「The Wind」という曲もかなり宗教色の強い難解な歌詞で綴られている。

 ♪ 私は夕陽の当たる場所に座って、風を聞く。
   私の魂の風を聞く。
   それは神だけが知っている世界だ

 歌詞の意味するものは難しいが、サウンドそのものは、木々の葉っぱの間を通り抜けて来る「光」と「風」だ。
 ということは、「木々の合間をぬう光と風」とは、そもそもが神の世界の啓示なのかもしれない。


 
 
 「木漏れ日に合う音楽」とは何か?
 確かに、ここまで挙げてきた音楽は、どれも人間の心を癒し、おだやかな気持ちにさせてくれる優しい音楽であることは間違いない。
 
 しかし、その本質は、この世にさりげなく “あの世” の音を忍び込ませる音楽なのかもしれない。
 「木漏れ日」そのものが、人間の世界にこっそりと降り注ぐ “神の光” なのならば、それをイメージさせる音楽もまた、この世を超えた世界を暗示するような音にならざるをえない。

 ウィンダム・ヒルレーベルのつくり出す音楽は、まさにそのような音の集大成というおもむきを持っている。

▼ William Ackeman 「Pacific II」

 上に紹介したのは、ウィンダム・ヒルレーベルの創設者でもあるギタリストのウィリアム・アッカーマンの曲「Pacific II」。
 
 これもまた木立の間に降り注ぐ「陽の光」と、その合間を漂う「風」のゆらぎを感じさせてくれる曲である。
 ただし、この音は、優しさとおだやかさのなかに、どこか「人間が入って行けない世界」があることを暗示させる。

 そのニュアンスを、人間の言葉で表現するのはむずかしい。
 しいて言えば、「生活」の匂いがしない世界。
 すなわち、「風」と「光」以外のものが存在しない世界。
 透明度が非常に高い抽象的な世界。

 ウィリアム・アッカーマンのギターは、地球に人間が存在しない前の世界か、もしくは地球から人間が姿を消したあとの静かな世界を奏でているようにも思える。

 そういう “時間を超えた音” が、さりげなく木漏れ日が優しく揺れる現在の地球に漏れてくるという感じを、私はこの硬質なギターの響きから感じる。
 だから、この音の甘い美しさの底には、「永遠の虚無」がひっそりと沈んでいる。
 
 
 「木漏れ日の似合う曲」には、このウィンダム・ヒル系の “抽象画” のようなサウンドもあるけれど、もっと具体的なイメージを喚起させてくれる曲もある。
 次の曲は、ジャズ・バイオリニストのステファン・グラッペリの奏でる「煙草とワイン」。
 
▼ Stephane Grappelli 「Smoke, rings and wine」

 このサウンドから私が想像するのは、ガーデンに面したテラスを持った郊外のレストランなんかでくつろいでる情景だ。
 実際に自分がそういう体験を持ったことがあったのかどうか、あまりよく記憶にはないのだけれど、この曲を聞くとすぐに浮かんでくる情景は、遠くに森が見える芝生に面したカフェレストランのテラス。

 時刻は夕暮れ。
 森の木々の間に、沈みゆく太陽の光が見え隠れする。
 次第に陰りを増していく空の色に反比例するように、ガーデンの芝生を照らす街灯が明るさを増していく。
 自然の光と人工の光が、ちょうど同じぐらいの明るさで拮抗する奇跡の時間帯。

 なんと気持ちのいい夕暮れ !

 この曲は、そんな情景を頭のなかに引き寄せる音なのだ。
 おそらく、この演奏が終わるころには、私の最愛の人間がこの席にやってくる。
 私はその時間を楽しみに、一人でワインを飲んでいる。
 やがて、2人の語らいを祝福する夕焼けが、森の木々を最後の残照で飾ることになるだろう。

 … とかを想像しながら、公園のベンチに1人座り、この音を聞きながら、ペットボトルのお茶を飲み干す。
 
 今日のウォーキングのメニューを消化し、家まであと5分。
 家にたどり着いた頃が、ちょうど日没の時間かもしれない。
 
 

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ウォーキング ハイ 2

 
 基礎体力を回復させるために、ウォーキングを始めたことは前回書いた。
 確かに、それによって、少しずつフィジカルな持続力がよみがえってきた。
 恥ずかしい話だが、それまでは階段を昇るのも億劫だったのだ。

 駅のホームから改札口に上がるときも、目の前に階段があってもそれを避けて、ホームの端にあるエレベーターかエスカレーターを探すような体たらくであった。
 「肺血栓症」という診断が下る前の、階段を昇り切ったときに激しい息切れに襲われていたときの後遺症でもあった。

 が、少しの時間でも歩く習慣を身に付けることによって、「階段を上がることへの苦痛」がかなり緩和されてきた。
 誠に、ウォーキングの効果はありがたいものだと思う。

 
 そんなわけで、目下のところ、“楽しいウォーキング” を持続させるための知恵のようなものに注目している。

 テレビを観ていたら、「ノルディック ウォーキング」というものがブームであるということを知った。
 スキーをするときのように2本のスティック(ポール)を手に持って歩行行動を補助するというトレーニングだという。

 スティックを使うことによって、腕の振りが大きくなり、普通に歩くよりもいっそう運動機能が高まるのだそうだ。
 今はまだ検討中だが、そんなものも今後採り入れていきたいと思っている。
 
 
 ま、そこに至るまでに、現在は「音楽を聞きながら歩く」ということで、ウォーキングの楽しみを持続している。

 前回の記事では、マイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン』などを聞きながら歩くとハイになると書いたが、確かに、あの曲のような四つ打ちのディスコビートは、歩くときのリズムを保つには非常にいい。

 歩行時の気分を盛り上げるために音楽を使うというのは、おそらく人類の歩行の歴史とともに始まったのではないか。

 獲物を求めて遠い狩場まで狩猟に出かけていた原始人たちは、道中、長旅の疲れを克服するように、みんな一斉に歌のようなものを口ずさんでいたのではないかという気がする。
 そもそも行進曲というのは、歩行という行為を景気づけるために発達してきたようなものだ。

 そう考えると、運動を目的としたウォーキングのときに使う音楽には「軍歌」とか「行進曲」もありだ。
 たとえば、旧帝国日本海軍の『月月火水木金金』などは妙な悲壮感もなく、かつあまりイデオロギッシュでもないので、けっこう気楽に聞ける。

▼ 日本海軍の軍歌「月月火水木金金」

  
  
 いろいろな行進曲を拾ってみたけれど、やっぱり自分の歩行のリズムに一番合ったのは次の曲。

▼ 映画『ベンハー』(1959年)より「勝利の行進」

 『ベンハー』という映画は、(Wikipedia を読むと)1907年に最初の映画化が行われ、1925年の映画化で評判を取り、さらに1959年、2003年(アニメ)、2016年と、全部で5回映画化されているという。

 しかし、今日多くの人が『ベンハー』というタイトルでイメージするのは、1959年にチャールストン・ヘストン主演によって映画化されたウィリアム・ワイラー監督の作品だろう。
 私は、この作品を持って、ハリウッド製歴史映画の頂点を成した作品と見なすことをいまだにためらわない。

 興行収入からいっても、観客動員数からいっても、たぶんこの映画を超えるハリウッド作品はたくさんあると思われるが、“華(はな)” という言葉を使えば、これにまさる華やかさと贅沢さとスケール感を持った作品はその後60年経っても現れていない。

 この1959年の『ベンハー』の大成功を追って、その後ハリウッドからたくさんの歴史スペクタクル映画がつくられるようになった。
 この手の映画の大ファンであった私は、その大半を観に行っている。

 以下のような映画は、だいたい公開時に劇場で観ている。

 『トロイのヘレン』(1956年)
 『十戒』(1956年)
 『ソロモンとシバの女王』(1959年)
 『ベンハー』(1959年)
 『スパルタカス』(1960年)
 『アラモ』(1960年)
 『エル・シド』(1961年)
 『キング・オブ・キングス』(1961年)
 『アラビアのロレンス』(1962年)
 『クレオパトラ』(1063年)
 『ローマ帝国の滅亡』(1964年)
 『天地創造』(1966年)
 『ブレイブハート』(1995年)
 『エリザベス』(1998年)
 『グラディエーター』(2000年)
 『アレキサンダー』(2004年)
 『キング・アーサー』(2004年)
 『トロイ』(2004年) 
 『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)
 『ロビン・フッド』(2010年)

 これらのハリウッド製歴史スペクタクル映画のなかでも、1959年の『ベンハー』は、やはり群を抜いている。
 それに多少でも迫るものといえば、1961年の『エル・シド』と2000年の『グラディエーター』ぐらいである。

 ちなみに、以上の映画を私的に順位付けすると、ベスト5は次のようになる。

 ① 『ベンハー』(1959年)
 ② 『グラディエーター』(2000年)
 ③ 『エル・シド』(1961年)
 ④ 『アラビアのロレンス』(1962年)
 ⑤ 『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)

 『ベンハー』を1位に置いたのは、やはり「スペクタクルシーンというのはこういうふうに撮るものだ !」というカメラワークの圧倒的な技量が際立っているからだ。
 たとえば、下は戦車競走が始まる前のパレードシーン。
 (もちろんこのパレードのときの音楽も私のウォーキングBGMのひとつに取り入れている)

▼ 『ベンハー』 戦車競走のパレード

 この画面には、後のCGによるスペクタクルシーンでは表現できないような本物の手触りがある。
 何千人というエキストラを使った群衆シーン。
 ハリボテとはいいつつも、実物大に作られた巧妙なブロンズの巨像。
 おそらく絵であろうと思われるけれど、違和感なく仕上げられた遠くの山の風景。

 何よりも息を吞むのは、一糸乱れぬ足並みでコーナーを回るときのチャリオット(古代型戦車)の動きだ。
 コーナーの内側の馬たちは歩調を小さく取り、コーナーの外側の馬たちは歩調を大きく取り、見事に鼻ヅラを一直線に揃えながらコーナーを回っていく。

 4頭立てチャリオットを操るのは、おそらく古代ローマの実際の騎手たちだってそうとう修練が必要だったと思われるが、それをチャリオットを操る習慣のない現代人たちが、よくまぁここまで練習したものだと思う。

 こういう映像は、ぜったいCGなどで表現することはできない。
 贅沢なのだ。
 生身の人間が何週間もかけて、苦労しながらチャリオットの制御方法を練習し、それにかけた時間とコストがそのまま画面にあらわれている。

 ちなみに、チャリオットレースの映像は下記を。
 歴史スペクタクル映画のいちばんエキサイトシーンは「戦闘シーン」だと相場が決まっているが、この映画は戦闘シーン以上に観客を興奮させる映像があることを実証した。

 特に、プロのスタントマンによる凄絶な転倒シーンもCGでは表現できない。
 今はこういう命を張れるような名スタントマンがいない。

▼ 『ベンハー』 戦車競走シーン 

 あらゆる意味で、『ベンハー』の作品的偉大さは際立っているけれど、しかし、さすがに、映画全体に流れるユダヤ教的なイデオロギーの強さだけはちょっと腹にもたれる。

 この映画のテーマは “キリストの奇跡” を実証するというものなのだが、そういう宗教的なテーマを臆面もなく前面に掲げられたというのも、当時のハリウッド映画界がいかに強大なユダヤ資本のもとに置かれていたことを示すものだといえる。

 話がだいぶ脱線したが、ウォーキングに適した音楽の話に戻る。

 次も映画にまつわる話。
 近代の戦車隊同士の戦いを描いた映画だ。
 
▼ 映画『バルジ大作戦』から「パンツァーリート」

 『バルジ大作戦』(1966年)は、第二次大戦中のヨーロッパにおける連合軍戦車隊と、ナチスドイツ軍の戦車隊の激闘を描いた映画。
 ここで展開しているシーンは、ドイツ軍の西部戦線司令室がある地下壕で、戦車隊の指揮を取るヘスラー大佐とその部下たちが、「戦車兵の歌(パンツァー・リート)」を合唱しているところである。

 この映画の主人公たち(ヘンリー・フォンダやロバート・ライアン)は連合軍の戦車軍団を指揮する人々だから、ドイツ軍のヘスラー大佐(ロバート・ショー)はその “敵役” に当たる。
 しかし、今日『バルジ大作戦』というと、ほとんどの人がこのヘスラー大佐の方を主人公だと勘違いしてしまう。
 それほど、カッコいいのだ。

 では、ヘスラー大佐というのは、どういう人物なのか。 
 敵に対しては冷酷非情。
 部下に対しては厳格。
 「人間の情」という不安定なものを信じるよりも、「機械の正確さ」を好むという、誠に世界最強のティーゲル戦車軍団を率いる将校らしい人物として描かれている。

 そのヘスラー大佐が、ドイツ軍の地下壕の指令室で、新兵を閲兵する。
 戦車の何たるやも知らず、ましてや実戦の経験のない若者たちの顔を見ながら、大佐は「Boys … too many boys」(ガキばかりじゃないか !)と軽蔑したような厳しい視線を向ける。

 すると、ヘスラー大佐の意気を感じた新兵の一人が、おずおずと「パンツァーリート」を歌い出すのだ。
 それに合わせて、新兵たちの合唱が始まる。

 ♪ 嵐でも、雪でも、日の光さすときも、
   うだるような昼、凍えるような夜、
   顔がほこりにまみれようと、我らが心はほがらかに
   我らが戦車、風を切り、突き進む。

 その様子をじっと眺めるヘスラー大佐の表情が次第に変わってくる。
 そして、自分の副官にも「一緒に歌え」と命令し、最後には自分も口を大きく開けて合唱の仲間に加わる。

 つまり、このシーンは、「人間」というものを信じなかったヘスラー大佐が、はじめて新兵たちの「心意気」に触れ、人間同士の連帯が生まれた瞬間をとらえた映像なのだ。
 だから、このシーンは『バルジ大作戦』でももっとも感動的なシーンになっている。

 ヘスラーは敵役だから、最後は連合軍戦車隊の砲撃を受け、自分の戦車の中で火だるまになって死ぬ。
 しかし、彼は重傷を負いながらも、最後まで戦闘をあきらめず、言うことをきかなくなった身体をくねらせながら、戦車の操縦席ににじりよっていく。
 
 そのとき、彼は自分自身を鼓舞するために、かつて新兵たちと歌ったこの「パンツァーリート」を歌いながら燃え尽きていくのである。
 
 そんなわけで、この「パンツァーリート」もまた、私のウォーキングのときの必聴曲となっている。
 これを聞きながら歩いていると、自分が戦車隊を指揮しながら、荒野を走破しているような気分になってくる。

 ウォーキングを続けるコツとは何か。
 それは「物語」を持つことである。

 「健康」のためのとか、「節約」のためとか、そんな実用性ばかりを意識したウォーキングはやがて飽きる。
 それよりも、歩いているときの自分が映画の主役のような気分になれるかどうか。
 そういう感性と想像力がウォーキングを続ける秘訣であるような気がする。
  
  
参考記事 「『バルジ大作戦』 男の子はこんなシーンに泣く」
 
 

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ウォーキング ハイ

 
 肺血栓症の治療で入退院を繰り返しているうちに、深刻な運動不足に陥った。
 筋力が低下してきたため、腰をかがめて物を拾うことすら億劫になってきたのだ。

 一念発起。
 家の周辺を歩き始めた。
 少しずつ距離が出るようになって、20分から30分は歩けるようになってきた。

 これまで、「散歩」とか「ウォーキング」などといった習慣は皆無だったが、歩き始めると、この単純な運動が面白くなった。
 なんとなく、気分がハイになってくるのである。

 ランニングをしていると、脳内にエンドルフィンが分泌されて気分がハイになることがあるというが、ウォーキングにも “ウォーキングハイ” というものがあるかもしれない。
 要は、リズム。
 歩行にともなう規則的なリズムが、脳内になにがしかの快楽物質を分泌し始めることは確かである。

 音楽を聞きながら歩くと、その効果がさらに高まることが分ったので、いろいろな音楽ソースを自分で編集し、それを聞きながら歩くようになった。

 聞いている曲のテンポが歩行のリズムと合うと、気分がものすごく高揚してくる。(逆に、リズムが合わないと、足がもつれて不快になる)

 いろいろ試してみたが、今いちばん自分の歩行のテンポに合っていると思えるのは、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」(1982年)である。

▼ Michael Jackson 「Billie Jean」

 通常の歩行のテンポより多少速いテンポの曲だが、「さぁー歩くぞ !」と張り切って家を出たときは、この曲に合わせて歩調を取ると、実に気持ちがいい。
 
 1分間に何拍子刻まれているかという音楽のテンポを表現する「BPM」(Beat Per Minute)でいうと、この曲は117だといわれている。
 つまり、1分間に117拍で進行している曲だということなのだ。

 通常の歩行のリズムが78~93程度といわれているから、117というのは、確かに速い。
 速いということは、実は高揚感を引き起こすということでもあるのだ。
 
 人間の心拍数というのが、BPMでいうと、だいたい65~75程度。
 それが、人間が普通に生活しているときの “身体のリズム” なのだが、そのテンポを超えたリズムで体を動かし続けると、人間は次第に「ハイ」になっていく。 
 
 ダンスを踊るなんていうのが、その代表的な例。
 だからダンスを踊れるようなロックやR&Bは、だいたいBPM 120~140で作られている。
 ディスコで鳴り響く4つ打ちのダンスナンバーなどが、みな120~140という微妙なBPMの範囲を出ないように作られているのは、けっきょくその範囲内で踊っているかぎり、人は極端に疲れることなく興奮だけが持続するという生理学上の研究からきている。

 となると、この「ビリー・ジーン」。
 BPM 117というのは、非常に微妙なテンポといえる。
 通常の歩行のリズム(78~93)よりは速いが、ダンスビート(120~140)よりはゆるやか。(これ以上速くなると、ランニングのテンポになる)

 つまり、この「ビリージーン」のBPM 117というのが、すなわち「ウォーキング ハイ」に至るテンポなのだ。
 このリズムに乗って足を動かしていくと、次第に脳内にエンドルフィンが分泌され、わりと早い段階から、もう得も言われぬ恍惚感に満たされることになる。
 皆様もお試しあれ。
 
 
 この「ビリー・ジーン」と似たようなテンポの曲を拾ってみると、ブッカーTジョーンズとリタ・クーリッジがデュエットしている「We Could Stay Together」(1980年)がある。
 
▼ Booker T Jones 「We Could Stay Together」

 イントロだけでは、どんな曲が展開していくのか、ちょっと読めないところがあるが、リズムが流れ出すと、実に軽快。
 この曲も、BPMでいうと117程度(たぶん)。少し早足で歩くときのBGMとして、実に心地よい。

 ブッカーTジョーンズは、名ギターリストのスティーブ・クロッパ―を擁した「ザ・MG’s」を1962年に結成。サザンソウルの名門「スタックス」のハウスバンドとして、オーティス・レディング、サム&デイブなどのバック演奏を務めた人で、「グリーン・オニオン」などのオリジナルヒット曲も持つ。

 そういう実力派のミュージシャンであるブッカーTが手掛けただけあって、この「We Could Stay Together」などは極上の “Walking Music” になっている。
  
 
 では、いろいろな音楽のなかでウォーキングに適した音を拾いあげるコツというものがあるのだろうか? 

 ま、このへんは、その人なりの音楽の好みによっても変わってくるし、第一、人間が固有に持っているリズム感のようなものは、人によって微妙に異なるから、誰にでも当てはまる “万人共通” というものをピックアップするのは難しいかもしれない。

 ただ、大ざっぱにいえば、シンセドラムなどを使った4つ打ちビートの曲は比較的歩きやすい。
 誤解されるかもしれないが、一言でいえば、リズムに “工夫のない” 単調なテンポの曲がいいのだ。

 基本的にディスコでかかっていたような曲には、Walking Music に使えるものが多いが、R&B、Soul 系全般が歩きやすいとは限らない。黒人音楽独特の粘っこいタメ が(音楽として聞くとカッコいいのだけれど)、歩行という “味気ない(?)” 運動にはかえって邪魔になるからだ。

 つまり、リズムに “タメ” があってはだめ。
 もちろんシンコペーションなどはもってのほか。
 要は、メトロノームのように正確に( … ということは味気なく)一定のリズムを機械的に刻んでいく曲でないと、快適に歩けない。

 そんな曲として、ザ・エモーションズの「ベスト・オブ・マイ・ラブ」(1977年)などは比較的歩きやすい曲の一つだろう。

▼ The Emotions 「Best of My Love」

  

 R&B系でいえば、次のような曲も、音楽として聞いてもカッコいいし、張り切って歩くときもハイになれる。
 アン・ピーブルスの歌う「Slipped Tripped And Fell In Love」(1971年)。
 南部系ソウルミュージックの特徴が際立つ音だが、実に洗練されたサウンドである。 
 これも少し早めのウォーキング向けリズムとしては、お薦め。

▼ Ann Peebles 「Slipped Tripped And Fell In Love」.

 個人的に、気に入っているのは次の曲。
 バディ・マイルスの「Them Changes」。

▼ Buddy Miles 「Them changes」

 1970年に発表された同タイトルのアルバムに入っている曲で、ジミ・ヘンドリックスのライブアルバム(バンド・オブ・ジプシーズ)にも収録されたことのある曲。

 時代が古いせいもあって、かなり野暮ったい音ではあるのだが、なぜかすごく “歩ける ‼ ” 。
 ギターリフに合わせて、ザクッザクッと足音を立てて大地を踏みしめていくと、すごい快感。
 舗装された道路よりも、土がむき出しになった道が合いそうだ。
 この音を聞きながら野山を歩くと、「前人未踏の荒野を踏破していく!」というような活力が湧いてくる。
 
 
 ROCK全般からWalking Music を拾ってみると、まずブリティッシュ系でいえば、フリーの「オールライト・ナウ」(1970年)。

▼ Free 「All Right Now」

 フリーの音は、重く引きずるようなものが多く、あまりウォーキングには向かないのだけれど、この曲だけはリズムが等間隔にシャキシャキ切れていて、かなり気持ちよく歩ける。

 個人的には、フリーの場合は「Fire And Water」のようなミディアムテンポのブルースっぽい曲の方が好きなのだけれど、 あの曲では歩けない。あれを聞きながら歩くと、腹痛を起こして地面をのたうち回るような歩き方になるだろう。
 つまり、“好きな曲” と “歩ける曲” は違うのだ。
 
 
 フリーはイギリス出身のバンドだが、北米系のROCKから「歩いていてハイになる」曲を拾ってみると、まず筆頭に上がってくるのは、クリアデンス・クリアウォーター・リバイバルの「ボーン・オン・ザ・バイヨー」(1969年)。

▼ Creedence Clearwater Revival 「Born On The Bayou」

 リード・ヴォーカルを取っているジョン・フォガティの声の “破壊力” には背筋が凍り付いて、鳥肌が立ってしまう。.

 この時代、数多くのロックバンドが楽器によるハードさを志向していったが、クリアデンス・クリアウォーター・リバイバルだけは、そういう動きに対して “声” だけで立ち向かった。
 だから、この曲には “ウォーキング ナチュラル ハイ” が約束されている。 

 それにしても、この曲。
 ほとんどワンコードである。
 つまり、「メロディーなどどうでもいい」と開き直った曲なのだ。
 その潔さが、神がかり的なヴォーカルの迫力を生んでいる。
 
 このアーシーな(土臭い)音が気に入った人には、こちらもお薦め。

▼ Creedence Clearwater Revival 「Tombstone Shadow」

  
  
 C・C・R(クリアデンス・クリアウォーター・リバイバル)の汗と土の臭いがするロックが苦手という人に、甘くて爽やかなフォークロックを1曲。
 日本ではあまりなじみのないファイアーフォールというバンドの「イット・ダズント・マター」(1976年)。

▼ Firefall 「It Doesn’t Matter」

 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングばりのハーモニーを効かせたヴォーカルが売り物のバンドだけど、ウエストコースト系バンドの爽やかさのなかに、どことなく哀愁を漂わせたメロディーを持っているところが特徴である。
 
. 
 フュージョン系からも1曲。
 オールマン・ブラザーズ・バンドに所属していたピアニストのチャック・リーブルを中心に結成されたバンドがシー・レベル。

 この「フィフティ・フォー」は、彼らの『オン・ザ・エッジ』(1978年)に収録された曲。小気味よいバスドラの響きが Walking Music として十分に活用できる。
 
▼ Sea Level 「Fifty Four」

 それにしても、こうしてピックアップしてみると、1970年代の曲が大半を占める。
 これは、やはり自分がいちばん音楽を聞いていた時代の体験が反映しているとしかいいようがない。
 早い話、古いサンプルしか知らないというわけなのだ (汗 ‼)

 あの時代、もちろんいろいろなROCK、R&B、JAZZを聞いてきたけれど、すべてそれは、自分の部屋だったり、ディスコだったり、あるいは車の中という閉ざされた空間の中での体験に過ぎなかった。

 しかし、今こうして戸外の空気を吸いながら、歩行のリズムに合ったものを拾い出してみると、音楽がまた変わって聞こえてくる。
 思い起こせば、1979年にソニーから発売された「ウォークマン」というのは、実に偉大な商品であったというべきかもしれない。 
 
 

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